Soranoha

もゝはがき

ももはがき

斎藤 緑雨

《明治三十六年》

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鷸しぎにありては百羽掻也もゝはがきなり、僕にありては百端書也もゝはがきなり月つきや残のこんの寝覚ねざめの空そら老おゆれば人の洒落しやれもさびしきものと存候ぞんじさふらふ、僕ぼく昨今さくこんの境遇きやうぐうにては、御加勢ごかせいと申す程の事もなりかね候さふらへども、この命題めいだいの下もとに見るにまかせ聞くにまかせ、且かつは思ふにまかせて過現来くわげんらいを問はず、われぞ数かずかくの歌の如ごとく其時々そのとき〲の筆次第ふでしだいに郵便いうびんはがきを以もつて申上候間まうしあげさふらふあひだ願ねがはくは其儘そのまゝを紙面しめんの一隅ぐうに御列おんならべ置おき被下度候くだされたくさふらふ、田たに棲すむもの、野に棲すむもの、鷸しぎは四十八品ひんと称し候そろとかや、僕のも豈夫あにそれ調てうあり、御坐ございます調てうあり、愚痴ぐちありのろけあり花ならば色々いろ〱芥あくたならば様々さま〲、種類しゆるゐを何なにと初めより一定不致候いつていいたさずさふらう十日に一通の事もあるべく一日に十通の事もあるべし、かき鳴らすてふ羽音はおと繁しげきか、端書はがき繁しげきか之これを以もつて僕が健康の計量器けいりやうきとも為なし被下度候くだされたくそろ勿々さう〱(十三日)

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今日こんにち不図ふと鉄道馬車てつだうばしやの窓より浅草あさくさなる松田まつだの絵看板かんばんを瞥見致候べつけんいたしそろ。ドーダ五十銭せんでこんなに腹が張つた云々うん〱野性やせいは遺憾ゐかんなく暴露ばうろせられたる事に候そろ。其建物そのたてものをいへば松田まつだは寿仙じゆせんの跡也あとなり常磐ときはは萬梅まんばいの跡也あとなり今この両家りやうけは御ご一人にん前まへ四十五銭と呼び、五十銭と呼びて、ペンキ塗ぬり競争きやうそう硝子張がらすはり競争きやうそう軒のきランプ競争きやうそうに火花ひばなを散ちらし居をり候由そろよしに候そろ。見識けんしきと迂闊うくわつは同根也どうこんなり、源平げんぺいの桃也もゝなり馬鹿ばかのする事なり。文明ぶんめいは銭ぜにのかゝらぬもの、腹のふくるゝものを求めて止やまざる事と相見あひみえ申候まうしそろ。(十四日)

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平民新聞へいみんしんぶんの創刊そうかんに賀がすべきは其門前そのもんぜんよりも其紙上そのしゞやうに酸漿提灯ほうづきてうちんなき事なり各国々旗かくこく〱きなき事なり市中音楽隊しちうおんがくたいなき事なり、即すなはち一いつの請負《》文字うけおひもんじ、損料文字そんれうもんじをとゞめざる事なり。ト僕ガ言つてはヤツパリ広目屋臭ひろめやくさい、追おいて悪言あくげんを呈ていするこれは前駆ぜんくさ、齷齪あくせくするばかりが平民へいみんの能でもないから、今一段の風流ふうりう気きを加味かみしたまへ但たゞし風流ふうりうとは墨斗やたて、短冊たんざく瓢箪へうたんの謂いひにあらず(十五日)

何どれも是これも俊秀しゆんしうなら、俊秀しゆんしうは一山ひとやま百文もんだとも言得いひえられる。さて其その俊秀しゆんしうなる当代たうだいの小説家せうせつかが普通日用にちようの語をさへ知らぬ事は、ヒイキたる僕ぼくの笑止せうしとするよりも、残念とする所だが今ではこれが新聞記者にも及んだらしい。けふの萬朝報よろづてうはうに悪銭あくせんに詰まるとあるのは、悪の性質を収得しうとくと見ず、消費と見たので記者は悪銭あくせん身に附つかずといふのと、悪所あくしよの金には詰まるが習ひといふのと、此この二箇この俗諺ぞくげんを混同したものだらう。かゝる誤りは萬朝報よろづてうはうに最も少すくなかつたのだが、先頃さきごろも外ほかならぬ言論欄に辻待つぢまちの車夫しやふ一切いつせつを朧朧もうろうと称せうするなど、大分だいぶ耳目じもくに遠いのが現あらはれて来た。これでは国語調査会こくごてうさくわいが小説家や新聞記者を度外視どぐわししするのも無理はないと思ふ。萬朝報よろづてうはうに限らず当分たうぶん此類このるゐのが眼めに触れたら退屈たいくつよけに拾ひろひ上げて御覧ごらんに供きようさう。(十五日)

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日向恋ひなたこひしく河岸かしへ出ますと丁度ちやうど其処そこへ鰻捕うなぎとる舟が来て居いました。誰たれもよくいふ口ですが気の長い訳わけさね 或一人あるひとりが嘲笑あざわらひますと又また、或一人あるひとりがさうでねえ、あれで一日いちにち何両なんりやうといふものになる事がある俺わつちが家うちの傍そばの鰻捺うなぎかぎは妾めかけを置いて居ゐますぜと、ジロリと此方こなたの頭の先から足の先迄まで見下みおろしましたこのやうな問答もんだうは行水ゆくみづの流れ絶たえず昔むかしから此河岸このかしに繰くり返かへされるのですがたゞ其時そのとき私わたくしの面白いと思ひましたのは、見下みおろした人も見下みおろされた人も、殆ほとんど同じ態度に近寄りまして更あらためて感かんに入いつた一呼吸いつこきうの裡うちにどちらもが妾めかけのありさうにも有得ありえさうにもないのゝ明あきらかな事でした即すなはち妾めかけを置きますのを、こよなき驕奢けうしやこよなき快楽としますやうな色が、其そのどちらもの顔一杯ぱいに西日にしびと共に照てり渡つた事でした。(十六日)

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二の酉也とりなり、上天気也じやうてんきなり、大当おほあたり也なりと人の語り行ゆくが聞きこえ申候まうしそろ。看上みあぐるばかりの大熊手おほくまでを担かつぎて、例れいの革羽織かはばおりの両国橋りやうごくばしの中央に差懸さしかゝり候処そろところ一葬儀いちさうぎの行列ぎやうれつ前方ぜんほうより来きたり候そろを避さくるに由よしなく忽たちまちち之これを河中かちうに投棄なげすて、買直かいなほしだ〱と引返ひきかへし候そろを小生せうせいの目撃致候もくげきいたしそろは、早はや十四五年ねんも前の昼の事に候そろ。けふ此頃このごろの酉とりの市まちに参まゐりて、エンギを申候まうじそろものにこの意義いぎありや、この愛敬あいきやうありや。年季職人ねんきしよくにんの隊たいを組みて夜よを喧鬨けうがうの為ために蟻集ぎしうするに過ぎずとか申せば、多分たぶん斯かくの如ごとき壮快さうくわいなる滑稽こつけいは復またと見る能あたはざるべしと小生せうせいは存候ぞんじそろ(一七日)

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往還わうくわんよりすこし引入ひきいりたる路みちの奥おくに似につかぬ幟のぼりの樹たてられたるを何かと問へば、酉とりの市まちなりといふ。行ゆきて見るに稲荷いなりの祠ほこらなり。此地こゝには妓楼ぎろうがありますでな、酉とりの無いのも異いなものぢやといふ事でと、神酒みきの番ばんするらしきが何なにゆゑかあまたゝび顔撫かほなでながら、今日限こんにちかぎり此祠このほこらを借かりましたぢや。これも六七年前。下総しもふさは市川いちかは、中山なかやま、船橋辺ふなばしへんの郊行かう〱の興深きようふかからず、秋風あきかぜの嚏くさめとなるを覚おぼえたる時の事に候そろ。(十七日)

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人目ひとめに附易つきやすき天井裏てんじやうゝらに掲かゝげたる熊手くまでによりて、一年ねん若干そくばくの福利ふくりを掻かき招まねき得うべしとせば斃たふせ〱の数かずある呪のろひの今日こんにちに於おいて、そは余あまりに公明こうめいに失しつしたるものにあらずや

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銀座の大通おほどうりに空家あきやを見るは、帝都ていとの体面たいめんに関すと被説候人有之候とかれそろひとこれありそろへども、これは今更いまさらの事に候そろはず、東京とうけふ闢ひらけて銀座の大通おほどほりの如ごとく、転変てんぺんの激はげしきは莫なしと某老人ぼうらうじんの申候まうしそろ其訳そのわけは外充内空ぐわいじうないくうの商略せふりやくにたのみて、成敗せいはいの一挙いつきよに決けつせんと欲ほつし候そろ人の、其家構そのいへかまへに於おいて、町構まちかまへに於おいて、同処どうしよを利りと致候いたしそろよりの事ことにて、今も店頭てんとうに堆うつたかきは資産しさんに非あらず、負債ふさいなるが多きを占しむるよしの結果に候そろ、

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通抜とほりぬけ無用の札を路次口ろじぐちへ貼はつて置くのは、通抜とほりぬけらるゝ事を表示へうしするやうなものだと言つた人があるが僕も先刻せんこく余儀よぎなき用事で或抜裏あるぬけうらへ一足ひとあし這入はいるとすぐに妙めうなる二つの声を聞いた亭主ていし曰いわく、いつまで饒舌しやべつて居いやがるのだ、井戸端ゐどばたは米を磨とぐ所で、油を売る所ぢやねえぞと。女房にようぼ曰いわく、御大層ごたいそうな事をお言ひでないうちのお米が井戸端ゐどばたへ持つて出られるかえ其儘そのまゝ鳴なりの鎮しづまつたのは、辛辣しんらつな後者の勝かちに帰したのだらう(十八日)

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鉄馬創業てつばそうげふの際さい、大通おほどほりの営業別えいげふべつを調しらべたるに、新橋浅草間しんばしあさくさかんに湯屋ゆやは一軒いつけんなりしと、旧ふるけれどこれも其老人そのらうじんの話也はなしなり。勢いきほひの自然しぜんと言つては堅過かたすぎるが、成程なるほど江戸時代えどじだいから考かんがへて見ても、湯屋ゆやと与太郎よたらうとは横町よこちやうの方ほうが語呂ごろがいゝ。(十八日)

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駆落かけおちたりと申す語ご、今日こんにちの国民新聞こくみんしんぶんに見え申候まうしそろ茶漬チヤヅる的てき筆法ひつぱふの脱化だくわとも申すべく候そろ。(十九日)

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無論一部の事には候そろへども江戸えどつ子この略語りやくごに難有ありがたメの字じと申すが有之これあり、難有迷惑ありがためいわくの意いに候そろ軽かるくメの字じと略りやくし切りたる洒落工合しやれぐあひが一寸ちよつと面白いと存候ぞんじそろ。(十九日)

親子おやこ若もしくは夫婦ふうふが僅少わづかの手内職てないしよくに咽むせぶもつらき細々ほそ〱の煙けむりを立てゝ世が世であらばの嘆たんを発はつし候そろは旧時きうじの作者が一場いつぢやうのヤマとする所に候そろひしも今時こんじは小説演劇を取分とりわけて申候迄まうしさふらうまでもなし実際に於おいてかゝる腑甲斐ふがひなき生活状態の到底たうてい有得ありうべからざる儀ぎとなり申候まうしそろ、即すなはち今時こんじの内職ないしよくの目的もくてきは粥かゆに非あらず塩に非あらず味噌みそに非あらず安コートを引被ひつかけんが為ために候そろ安縮緬やすちりめんを巻附まきつけんが為ために候そろ今一歩をすゝめて遠慮ゑんりよなく言はしめたまへ安俳優やすはいいうに贈り物をなさんが為ために候そろ。行跡ぎようせきの稍やゝ正たゞしと称しようせらるゝ者も猶なほ親おやに秘ひし夫に秘ひして貯金帳ちよきんてうを所持しよじせん為ために候そろ。要えうするに娘が内職ないしよくするは親に関することなく妻が内職ないしよくは夫に関くわんすることなし、一家かの経営上けいえいじやう全くこれは別口べつくちのお話とも申すべきものに候そろ。お前さんのは其処そこにお葉漬はづけかありますよ、これは儂わたしが儂わたしのお銭あしで買つたのですと天丼てんどんを抱かゝへ込こみ候如そろごときは敢あへて社会下流かりうの事のみとも限かぎられぬ形勢けいせいに候そろ内職ないしよくと人心じんしん、是亦これまた忽諸こつしよに附ふす可べからざる一問題と存候ぞんじそろ。(二十日)

拭掃除ふきさうじも面倒也めんどうなり、お茶拵ちやごしらへも面倒也めんどうなり内職婦人ないしよくふじんの時を惜おしむこと、金を惜おしむよりも甚はなはだしく候そろ。煮染にしめの行商ぎやうせふはこれが為ために起おこりて、中々なか〱の繁昌はんじやうと聞き及および申候まうしそろ文明的ぶんめいてきに候そろ(二十日)

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自分じぶんが内職ないしよくの金かねで嫁入衣裳よめいりいしようを調とゝのへた娘むすめが間まもなく実家さとへ還かへつて来きたのを何故なぜかと聞きくと先方さきの姑しうとが内職ないしよくをさせないからとの事ことださうだ(二十日)

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底あり蓋ふたありで親も咎とがめず、夫をつとも咎めぬものをアカの他人たにんが咎とがめても、ハイ、止よしませうと出る筈はずのない事だが僕ぼくとても内職ないしよく其そのものを直々ぢき〲に不可わるいといふのではない、つまらなく手を明あけない為ために始めた内職ないしよくが内職ないしよくの為ためにつまらなく手を塞ふさげない事になつて何なにも彼かにも免まぬかれぬ弊風へいふうといふのが時世ときよなりけりで今では極点きよくてんに達たつしたのだ髪かみだけは曰いはく有あつて奇麗きれいにする年紀としごろの娘がせつせと内職ないしよくに夜よの目も合はさぬ時は算筆さんぴつなり裁縫さいほうなり第一は起居たちゐなりに習熟しうじよくすべき時は五十仕上しあげた、一百そく仕方しあげたに教育せられ薫陶くんとうせられた中から良妻賢母れうさいけんぼも大袈裟おほげさだが並なみ一人前の日本にほん婦人が出て来る訳わけなら芥箱ごみばこの玉子の殻からもオヤ〱鶏とりに化くわさねばならない、さうなれば僕も山の芋いもを二三日にさんにち埋いけて置おいて竹葉ちくえう神田川かんだがはへ却売おろしうりをする。内職ないしよくではない本業ほんげふだ。(二十日)

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縁附えんづきてより巳すでに半年はんとしとなるに、何なに一つわが方かたに貢みつがぬは不都合ふつがふなりと初手しよて云々うん〱の約束にもあらぬものを仲人なかうどの宥なだむれどきかず達たつて娘を引戻ひきもどしたる母親有之候これありそろ。聞けば此この母親娘が或あるお屋敷やしきの奥向おくむきに奉公中ほうこうちう臨時りんじの頂戴物てうだいものもある事なればと不用分ふようぶんの給料を送りくれたる味の忘られず父親のお人よしなるに附込つけこみて飽迄あくまで不法ふはふを陳ちんじたるものゝ由よしに候そろ。さては此この母親の言ふに言はれぬ、世帯せたいの魂胆こんたんもと知らぬ人の一旦いつたんは惑まどへど現在の内輪うちわは娘が方かたよりも立優たちまさりて、蔵くらをも建つべき銀行貯金の有るやに候そろ。間然かんぜんする所なしとのみ只たゞ今となりては他たに申すやうも無之候これなくそろ

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娘売らぬ親を馬鹿ばかだとは申し難がたく候そろへども馬鹿ばか見たやうなものだとは申得まうしえられ候そろ。婿むこを買ふ者あり娘を売る者あり上下じやうげ面白き成行なりゆきに候そろ

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裾すそ曳摺ひきずりて奥様おくさまといへど、女は竟ついに女也なり当世たうせいの臍繰へそくり要訣えうけつに曰いわく出るに酒入さけいつても酒さけ、つく〱良人やどが酒浸さけびたして愛想あいそうの尽つきる事もございますれど、其代そのかはりの一徳とくには月々つき〱の遣払つかひはらひに、少々せう〱のおまじないが御座ございましても、酔よつて居ゐれば気の附つく事ではございませぬ。

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縦令たとへ旦那様だんなさまが馴染なじみの女の帯おびに、百金きんを抛なげうたるゝとも儂わたしが帯おびに百五十金きんをはずみ給たまはゞ、差引さしひき何の厭いとふ所もなき訳也わけなり。この権衡つりあひの失うしなはれたる時に於おいて胸むなづくしを取るも遅おそからずとは、これも当世たうせうの奥様気質也おくさまかたぎなり、虎とらの巻まきの一節也せつなり。

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夫をつとをして三井みつゐ、白木しろき、下村しもむらの売出うりだし広告くわうこくの前に立たしむればこれある哉かな必要ひつえうの一器械きかいなり。あれが欲ほしいの愬うつたへをなすにあらざるよりは、毫がうもアナタの存在を認みとむることなし

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栄さかええよかしで祝いははれて嫁よめに来たのだ、改良竈かいりやうかまどと同じく燻くすぶるへきではない、苦労くらうするなら一度還かへつて出直でなほさう。いかさまこれは至言しげんと考へる。

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黒縮くろちりつくりで裏うらから出て来たのは、豈斗あにはからんや車夫くるまやの女房、一町てう許ばかり行ゆくと亭主ていしが待つて居ゐて、そらよと梶棒かぢぼうを引寄ひきよすれば、衣紋えもんもつんと他人行儀たにんぎようぎに澄すまし返りて急いでおくれ。女房も女房也なり亭主も亭主也、男女同権也どだんじようけんなり、五穀豊穣也ごこくほうじようなり、三銭均一也せんきんいつなり。これで女房が車から下おりて、アイと駄賃だちんを亭主に渡せば完璧々々くわんぺき〱〱

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状使のこれは極きはめて急なれば、車に乗りて行ゆけと命めいぜられたる抱車夫かゝへしやふの、御用ごようとなれば精限せいかぎり駈かけて駈かけて必かならずお間まは欠かかざるべし、されど車に乗ると云いふは、わが日頃ひごろの誓ちかひに反そむくものなれば仰おほせなれども御免下ごめんくだされたし、好このみてするものはなき賤いやしき業わざの、わが身も共々とも〲に牛馬ぎうばに比ひせらるゝを耻はぢともせず、おなじ思おもひの人の車に乗りて命をも絞しぼらん汗あせの苦しきを見るに忍しのびねばと、足袋たび股引もゝひきの支度したくながらに答へたるに人々ひと〱其そのしをらしきを感じ合ひしがしをらしとは本もと此世このよのものに非あらずしをらしきが故ゆゑに此男このをとこの此世このよの車夫しやふとは落ちしなるべし。定ぢやうかや足は得洗えあらはで病やまひの為ために程ほどなく没ぼつしたりとぞ

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エモンを字の如ごとくイモンと読んで衣きぬに附つけた紋もんと心得こゝろえて居ゐた小説家せうせつかがあつたさうだが、或ある若わかい御新造ごしんぞうが羽織はをりを幾枚いくまいこしらへても、実家じつかの紋もんを附けるのを隣の老婢ばあやが怪あやしんでたづねると、良人やどと儂わたしは歳としの十幾いくつも違ふのですもの、永く役に立つやうにして置かねばと何でも無しの挨拶あいさつに、流石さすがおせつかいの老婢ばあやもそれはそれはで引下ひきさがつたさうだ此処迄こゝまで来れば憾うらみは無い。

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いつの年としでしたか私わたくしの乗りました車夫くるまやが足元あしもとへ搦からみ着つへた紙鳶たこの糸目いとめを丁寧ていねいに直して遣やりましたから、お前まいは子持こもちだねと申しましたら総領そうりようが七なゝつで男の子が二人ふたりあると申しました

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悠然いうぜんと車上しやじように搆かまへ込こんで四方しはうを睥睨へいげいしつゝ駆かけさせる時は往来わうらいの奴やつが邪魔じやまでならない右へ避よけ左へ避さけ、ひよろひよろもので往来わうらいを叱咜しつたされつゝ歩く時は車上しやじようの奴がやつが癇癪かんしやくでならない。どちらへ廻まはつても気に喰くはない。

(以上十月二十日)

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さうだ、こんな天気のいゝ時だと憶おもひ起おこし候そろは、小生せうせいのいさゝか意いに満みたぬ事ことあれば、いつも綾瀬あやせの土手どてに参まゐりて、折をり敷しける草の上に果はては寝転ねころびながら、青きは動かず白きは止とゞまらぬ雲を眺ながめて、故ゆゑもなき涙の頻しきりにさしぐまれたる事に候そろ。兄あにさん何して居ゐるのだと舟大工ふなだいくの子の声を懸かけ候そろによれば其その時の小生せうせいは兄あにさんに候そろ如斯かくのごときもの幾年いくねん厭あきしともなく綾瀬あやせに遠とほざかり候そろ後のちは浅草公園あさくさこうえんの共同きようどう腰掛こしかけに凭もたれて眼めの前を行交ゆきかふ男女なんによの年配ねんぱい、風体ふうていによりて夫々それ〲の身の上を推測おしはかるに、例れいの織おるが如ごとくなれば心こゝろ甚はなはだ忙いそがはしけれど南無なむや大慈たいじ大悲たいひのこれ程ほどなる消遣なぐさみのありとは覚おぼえず無縁むえんも有縁うえんの物語を作り得えて独ひとり窃ひそかにほゝゑまれたる事に候そろ。御覧ごらんよ、まだあの小父おぢさんが居ゐるよと小守娘こもりむすめの指を差し候そろによれば其その時の小生せうせいは小父おぢさんに候そろ。猶なほこゝに附記ふきすべき要件えうけん有之これあり兄あにさんの帰りは必ずよその家いへに飲めもせぬ一抔の熱燗あつかんを呼び候そろへども。小父おぢさんの帰りはとつかはと馬車に乗りて喰くはねばならぬ我宿わがやどの三膳ぜんの冷飯ひやめしに急ぎ申候まうしそろ。今いまや則すなはち如何いかん前便ぜんびん申上まうしあげ候そろ通り、椽端えんばたの日向ひなたぼつこに候そろ。

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白氏はくしが晴天せいてんの雨の洒落しやれほどにはなく候そろへども昨日さくじつ差上さしあげ候そろ端書はがき十五枚まいもより風の枯木こぼくの吹けば飛びさうなるもののみ、何等なんら風情ふぜいをなすべくも候そろはず、取捨とりすては御随意ごずいいに候そろ骨ほねの折をれる事には随分ずいぶん骨を折り候そろ男と我われながらあとにて感服仕候かんぷくつかまつりそろ。日影ひかげ弱よはき初冬はつふゆには稀まれなる暖あたゝかさに候そろまゝ寒斉かんさいと申すにさへもお耻はづかしき椽端えんばたに出いでゝ今日こんにちは背を曝さらし居をり候そろ、所謂いはゆる日向ひなたぼつこに候そろ日向ひなたぼつこは今の小生せうせいが唯一ゆいいつの楽しみに候そろ、人知ひとしらぬ楽しみに候そろ、病やむまじき事也なり衰おとろふまじき事也なり病やみ衰おとろへたる小生等せうせいらが骨は、人知ひとしらぬ苦くを以もつて、人知ひとしらぬ楽たのしみと致候迄いたしそろまでに次第しだいに円まるく曲り行ゆくものに候そろ。御憫笑可被下度候ごびんせふくだされたくそろ

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読むのもいや書くのもいや、仕方しかたがないと申す時あるを小生せうせいは感じ申候まうしそろ。なまけ者の証拠しようこと存候ぞんじそろこの仕方しかたがない時江川えがはの玉乗りを見るに定さだめたる事有之候これありそろ、飛離とびはなれて面白いでもなく候そろへどもほかの事の仕方しかたがないにくらべ候そろへばいくらか面白かりしものと存候ぞんじそろたゞ其頃そのころ小生せうせいの一奇きと致候いたしそろは萬場ばんじやうの観客かんかくの面白げなるべきに拘かゝわらず、面白おもしろげなる顔色がんしよくの千番せんばんに一番捜さがすにも兼合かねあひと申もうすやらの始末しまつなりしに候そろ度々たび〲の実験じつけんなれば理窟りくつは申まうさず、今も然しかなるべくと存候ぞんじそろ愈々いよ〱益々ます〱然しかなるべくと存候ぞんじそろ。認したゝめ了をはりて此この一通の段落を見るに「と存候ぞんじそろ」の行列也ぎやうれつなり、更さらに一つを加へて悪文あくぶんと存候ぞんじそろ

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容易よういに胸隔きようかくを開ひらかぬ日本人にほんじんは容易よういに胸隔きようかくを閉とつる日本人にほんじんに候そろ、失望しつぼうの相さうならざるなしと、甞かつて内村うちむら先生申され候そろ。然しかり小生せうせいも日本人にほんじんに候そろ拒こばまざるが故ゆゑに此言このげんを為なし候そろ

(以上十一月廿一日)

底本 / Source edition

底本:「明治の文学 第15巻 斎藤緑雨」筑摩書房
2002(平成4)年7月25日初版第1刷発行
底本の親本:「緑雨遺稿」木下出版商社
1907(明治40)年10月
初出:「平民新聞 第2、4、5、6、8号」平民社
1903(明治36)年11月22日~1904(明治37)年1月3日
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
入力:H.YAM
校正:noriko saito
2010年1月15日作成
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
/works/048686_000565/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/048686_000565/

斎藤 緑雨「もゝはがき」(新字旧仮名)、底本『明治の文学 第15巻 斎藤緑雨』筑摩書房、2002年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 048686_000565, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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