Soranoha

中野あるき

なかのあるき

大町 桂月

ことしは、雨の多き年なる哉。春多くふりたり。更に四月の始めに大雪ふりたり。六月に入りて、雹さへ降りたり。この具合にては、梅雨の候は、所謂虚梅雨からつゆなるべしと思ひしあても、外づれて、大いに降る。降らぬ日とても、陰にくもりて、いつ降り出すかもわからず、思ひ切つて散歩も出來ざりしが、一日、うけあひの天氣となりぬ。鬼の來ぬ間の洗濯、この雨あがりにとて、中野あたりさして、ぶら〱歩く。

中野に三重の塔あり。これ西郊の一名物也。杉の木立に圍まれたる中に、屹然として立つ。最上層の屋根やぶれ、たるき朽ち、下層の屋根には、草生ひ、欅の若木さへ生ひたり。古塔と云はむよりも、むしろ廢塔といふべく、余は、一種の詩趣を覺ゆるまゝに、常に好んで、散歩するにつれて之を訪へり。さきごろ訪ひし時は、二人の大工、木閣あしばをくみたてむとす。聞けば、修繕せむとするなりといへり。その後、一と月あまりを經たり。修繕は、いかばかり捗りしかと、足もおのづから急がれて、來て見れば、修繕まだ其半ばにも及ばざるなり。もとは、第一第二の屋根は、瓦葺にして、第三の屋根は、そぎ葺きなりしが、この度は、石板に葺きかへむとするにや、塔前に石板多くつみかさねられたり。出來上らば、燦然として光るなるべし。されど、余が感じたりし詩趣は、また得べからざる也。石に腰かけ、煙草ふかして、しばし休息す。

かへるさ、辨天飴の前を過ぐ。山本碧葉、余を見て、座に延く。辨天飴は、中野の一名物也。店頭の辨慶の木像古りて、これも一種の詩趣を帶びたり。碧葉は、俳句をよくす。去年の秋より相識れる仲也。頻に余をもてなし、終に短册を取出して、何か書けといふに、さらば、君の家の看板の辨天を讀み込まむとて、

梅雨ばれや店の辨天の像光る

古塔にて、共に何か句をつくらずやとて、

廢塔のあせし丹塗や夏木立    碧葉

晝顏に拾ふ古塔の瓦哉      同

われは、

杉の根に塔を見上げて凉む哉

日光の力衰へたりとて、簾をまけば、神田川の支流なる小川、さら〱流る。斜日若葉を洩れて、水に落ち、所謂水明の觀を呈す。石榴の花もさきたり。この面白き光景に對して、一句なかるべからずとて、

早き瀬の夕日に光る若葉哉

(明治四十三年)

底本 / Source edition

底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年8月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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大町 桂月「中野あるき」(旧字旧仮名)、底本『桂月全集 第二卷 紀行一』興文社内桂月全集刊行會、1922年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 048424_000237, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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