Soranoha

房州の一夏

ぼうしゅうのひとなつ

大町 桂月

一 沼村

面白かりしは、房州に於ける一夏。指を屈すれば、凡そ二た昔となりぬ。一行の盟主ともいふべき佐々木高美氏は、既に世に在らず。同行者の中、今は海軍將校となれるもあり、工學士となれるもあり、理學士となれるもあり、中學教員となれるもあり。當時はいづれも血氣盛りの青年なりき。

館山の町つゞきなる沼村に、二階が一間、下が二間なる家を借り、飯だけは、家主にたいてもらひ、餘は一切、各自交代して之を辨じぬ。同じく寓するもの、少なき時は三四人となり、多き時は十人にも及べり。その多くなりたる時は、枕足らず。トランプの勝負によりて、枕の有無を定めしこともあり。日暮れぬさきより、早く枕を懷ろにせるもあり。時に腕力に訴へて、枕の奪ひあひをせしこともありき。

毎日、海水に泳ぐのみにては足れりとせず。舟をうけて、沖ノ島や、高ノ島に遊び、汐入川に網うち、小川をかへぼししたり、すくひたりして、小魚を漁る。日がへりの遠足は度々したりしが、二三日かけて旅せしこともあり。雨ふれば、トランプに日をくらす。なほあかずして、海に盥舟までうけて遊ぶ。かくて、ひと夏は、夢のうちに過ぎぬ。

二 鏡ヶ浦

宮は安房神社、官幣大社にして、天太玉命を祀る。寺は那古の觀音、船形觀音。本織村の延命寺には、里見氏累代の墓あり。白濱の杖珠院にも、里見氏の墓あり。鹽見村の龍伏の松、千年の老幹偃蹇して、ひろさ百坪に及ぶ。元名の覇王樹、高さ一丈にあまる。いづれも稀代の珍也。

洲ノ崎を左にし、大武岬を右にせる一大灣を館山灣と稱し、又鏡ヶ浦と稱す。浪はおだやかなり。遠淺にして水清く、最も海水浴に適す。八幡の濱邊には、松林つゞきて、逍遙するに快し。この一帶の濱邊より海をへだてて富士山を望むの景色は、われ幾たび見ても、飽くことを知らざりき。

三 清澄山

同寓者四人のみの時に、瀬戸氏に留守番を頼みて、藤井、生駒二氏と共に、房州を一周せしことあり。朝、沼村の宿を出で、神餘、瀧口を經て、白濱に到る。大盤石のひろがりて、海につき出でたる處を野島崎と稱す。燈臺あり。浪あらくして、景致雄壯也。杖珠院に、里見氏の祖、義實の墓を弔ひ、七浦を過ぎて、白須賀の濱邊に來りし頃は、既に夜もふけたり。この行、露宿するつもりなりしかば、蚊の防禦にとて、蚊帳を携へたるが、この濱邊をそれと定めて、砂上に寢ころぶ。萬里の波上、たゞ一痕の明月を見る。蚊は、一匹も居らず。天涯より吹き來る風、凉しさの度を越して冷やかなるに、蚊帳を布團にかへて、すや〱眠りぬ。顏のかゆく、また痛きに、目をさませば、蟹の横行せる也。蟹にさめしは、我れのみならず、他の二氏も同樣也。一たび覺めては、またとは眠られず、冷氣身にしむ。時計を見れば、まだ午前三時すぎなれども、むしろ歩きて暖を取らむと發足しぬ。

海岸をつたひ〱て、小湊にいたる。こゝは、安房の最東端也。巨刹あり、誕生寺といふ。寺の名の示すが如く、日蓮の誕生したる處也。寺は、山を負ひ、山門怒濤に俯す。景勝雄拔、日蓮の英風と呼應して、山川に靈あるを覺えぬ。

天津まで戻り、左折して清澄山に上る。天津より凡そ一里、頂上に清澄寺あり。老樹しげる。こゝは、日蓮の少時修業せし處也。旅店もあり。一泊す。『明日の行先』は『保田』、『昨夜のとまり』は、まさか野宿とも記しかねて、よい加減に、地名と旅店の名とをかきたるは、われまだ年若かりき。

四 鋸山

あくる朝、寺を過ぎて、上ること七八町、最高峯の頂に至りしが、生憎雨にて、眺望を縱まゝにするを得ざりき。清澄山より天津を經て保田に至るの路、凡そ十里、安房の最北端に一貫して、一方は、東海岸に達し、一方は西海岸に達す。安房、上總の境をなせる鋸、清澄一帶の連山の麓を通ることなれば、路は平ら也。

日暮るゝ頃、保田に達しぬ。一昨夜は野宿し、昨夜は人並に宿にとまりたれば、今夜は一風かへて山上の寺にやどからむとて、路傍の茅店に晩食し、提燈かりて、夜鋸山を攀づ。寺のありかが分りかねて、あちこち騷ぎまはる程に、いが栗頭の坊主の來たるに逢ふ。『この夜ふかきに人聲は何事ぞと怪しみて出で來れるなり』といふ。宿からむことを乞へば、われらの服裝を諦視すること、やゝしばし、『着るに布團なく、食ふに物なきを承知ならば、やどられよ』とて、われらを一室に導きぬ。ふすまを見れば、梁川星巖の詩が書かれたり。その詩に曰く、

流丹萬丈削二芙蓉一。寺在二磅猷第幾重一。卷レ地黒風來二海角一。有レ時微雨變二山容一。

三千世界歸二孤掌一。五百仙人共一峯。怪得殘雲挾二腥氣一。老僧夜降石潭龍。

五 富山

朝、起き出でて、寺の庭より眺むるに、東京灣を見下し、更に外洋に及ぶ。洲ノ崎も見え、大武岬も見ゆ。烟を吐く大島も見ゆ。庭に石あり、龜に似たり。龜石と名づく。かれこれする程に、六時になりければ、寺を辭し、五百の石羅漢を顧みつゝ、上りて十州眺望臺にいたる。昨日の朝の雨にひきかへて、今日は晴天也。脚下に關八州を見わたして、快甚だし。

下りて、天然の石をそのまゝに刻みたる大佛を見上げ、なほ下りて海岸に出でて、猫石を見る。前夜の茅店に至りて提燈をかへし、午食す。生駒氏は、昨夜、山路によわり、『下らむ』と云ひしが、さま〲に勵まして、漸く寺までつれゆきたり。今日は、歩くがいやなりとて、保田より汽船に乘らむとせしが、二番船出でずといふに、已むを得ず、われらと共に歩きぬ。吉濱、勝山かちやまを經て、檢儀谷原といふ處にいたりて、終に袂を分つ。生駒氏は、直ちに沼村にかへらむとする也。われら二人は、迂路して、富山を攀ぢむとする也。

富山、犬掛、瀧田、白濱、神餘、洲ノ崎の名前は、八犬傳によりて、夙に我耳に熟せり。われ想像すらく、富山は、八犬傳にしるしゝが如くならずとも、孤立せずして、峯巒かさなるべし、樹木が繁かるべし、大ならずとも、谷川はあるべしと。現に見てその意外なるに驚きぬ。われ二部村より富山に上りて合戸村に下りぬ。上下、あはせて、一里に過ぎず。孤立せる山也、樹木なき山也。谷川らしきものは、一つもなき山也。頂上、二つにわかれ、一は高く、一は低し。高きを金比羅山といふ。測量の三角點あり。四方の眺望開けたり。安房一國を脚下に見下す。東西南の三方は、遠く海を望む。北に當りて、伊豫ヶ嶽、山骨を露はして、大鵬の將に飛ばむとするが如し。低きを觀音山といふ。觀音堂あり。全山の中たゞこゝのみに、少しばかり木立あり、井戸さへありて、人住めり。この山、高さわづかに千餘尺なるも、房總の間にては、高山のうち也。館山灣より北にあたりて、眼に見ゆる群山の中にて、最も高く、頂上のとがりて見ゆるは、即ち、この富山なり。

犬掛、瀧田、北條、館山を經て、沼村の宿にかへりしは、夜の十一時なりき。

六 人力車との競爭

余等は、今房州を去らむとする也。

瀬戸、生駒二氏は、汽船にて、直ちに東京にかへらむとす。他の八人は、木更津まで陸行し、鋸山に一泊し、鹿野山にも、亦一泊せむとする也。その八人の中にても、車にのるもの二人、盟主の佐々木高美氏と中村久弘氏と也。あとの六人は徒歩す。徒歩するものも、亦二組にわかる。佐々木高志氏、伊藤正弘氏、千頭直雄氏、中村岩馬氏は、先づ發す。藤井久萬三氏と余とは、人力車と同時に發す。余等二人は、ひそかに脚力の強きを恃める也。

午前六時半、四人の徒歩組は先づ發しぬ。九時に至りて、人力、徒歩の混成隊も發しぬ。二人の汽船組は、やがて後より發する也。

路を那古に取り、木根峠を越え、勝山、保田を經て、鋸山に上らむとす。われら二人、時には人車に先んじ、時にはおくる。菅笠を戴き、絲楯を負ふ。學生とは見えぬ風體也。車夫、佐々木氏にさゝやきて曰く、『旦那樣のおつれは、東京の人が東京にかへるにはあらで、田舍の人が東京へ上るやうなり』と。

午後四時頃、鋸山の入口に達し、こゝにて、佐々木氏も、中村氏も、人力車より下りて徒歩す。上ること八町にして、日本寺に達す。これ前日余等三人の來り宿せし所也。

七 鹿野山

あくる朝、寺を辭して山を下り、旅店について朝食し、一同つれだちて歩みぬ。路は海に沿ふ。金谷を過ぎて、竹岡に至るまでの間、浪最もあらし、その巖に碎けて散るさま、甚だ壯觀也。

湊川をわたり、湊村より右折し、和合地を經て、鬼涙山を攀ぢ、終に鹿野山に達す。この山、高さ千五百尺、これが房總第一の高山也。品川より海をへだてて、總房の方を見わたすに、山最も大にして高く見ゆるは、即ちこの鹿野山也。丸屋といふに投宿す。

日くるゝには、まだ程あれば、出でて散歩す。山頂は二段になりて平かに、東西に長し。宿屋は上の段に集まれり。こゝを上町と稱す。東にゆけば、上町の盡きむとする處に、宏壯なる寺あり。神野寺といふ。傳ふこれ聖徳太子の草創にして、元仁年間見眞大師も錫をこゝに留めしことありて、自作の肖像を殘せりと。老杉しげりて、古色一層掬すべし。

一段下れば農樵の家あり。こゝを下町と稱す。こゝを過ぎて、なほ東に行き、高峯を左に見て、右に入れば芝生あり。其端に立ちて望めば、群山遠く重なりあひて、其のつくる處を知らず。清澄山も、その中にあるべし。こゝを九十九谷と稱するは、見わたさるゝ谷の多きをさす也。一大壯觀也。

高峯には、三百級の石磴ありて通じ、全體に老杉しげる。上に白鳥神社あり。日本武尊を祀る。品川灣より鹿野山を望むに、連亙せる山上に、ぴよこんと、獨りつき出でて、尖りて最も高く見ゆるは、即ちこの白鳥神社のある處也。

宿の座敷よりの眺望太だ好し。東京灣、近く一大明鏡をひらき、關八州の野、遠く蒼茫たり。富士も見ゆ。關八州の山々は、すべて、雙眸に入る。眞に天下の壯觀也。

旅の宿は、今日限り、明日は都門に入らむとす。名殘りに、飮めや歌へや騷げやとて、興に乘じて夜のふくるを知らざりき。

山の低きにもよれど、山上に村ありて、旅館まで多きは、他に其比稀れ也。眺望の雄大なるは、筑波山と相竝びて、關東の雙璧と云ふべし。(明治四十二年)

底本 / Source edition

底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年11月28日作成
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書誌 / Bibliography
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大町 桂月「房州の一夏」(旧字旧仮名)、底本『桂月全集 第二卷 紀行一』興文社内桂月全集刊行會、1922年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 048421_000237, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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