Soranoha

新武蔵野の桜

しんむさしののさくら

大町 桂月

相手は變れど、主は變らず。昨、夜光命の手にせし四合入の瓢箪、今日は十口坊の手に在り。裸男は例の三合入の瓢箪を手にして、新宿の追分より、京王電車に乘る。線路をはじめは甲州街道に沿ひしが、やがて舊玉川上水に沿ふ。沿ふより間もなく、天神橋の手前の右に近く可なり大なる銀杏あり。凡そ二抱へもあらむと思はるゝ一本の幹の、二三丈上よりは、數十百條となりて直立す。裸男、十口坊を顧みて、『あれ見よ、一種無類の銀杏に非ずや』と云へば、『然り〱』と云ふ。『竹箒に似たらずや』と云へば、『當れり〱』と云ふ。『箒銀杏と命名したらば如何に』と云へば、『好からむ』と云ふ。『そこで一首、

名にしおはば都の空のちりほこり

箒銀杏の掃くよしもがな

この歌はどうだ』と云へば、何とも答へず。

笹塚に下りて、甲州街道を行く。酒は瓢に在り。何か肴なかるべからずとて、目を兩側に注ぎつゝ行きしに、一店に小さき干鱈あるを見付く。『あれはどうだ』と云へば、好物の干物、もとより異議なし。價を問へば、僅に四錢、白銅貨一つにて、一錢餘る。今一錢足して、干鱈と佃煑とを買へり。

和泉新田火藥庫の土手を右に見て、代田橋を渡り、凡そ十町にして右折し、玉川上水を渡れば、龍泉寺あり。門前を左折し、吉田園の前を過ぎて、玉川上水の左岸を行く。櫻花列を爲す。新武藏野の櫻とは、是れ也。一に玉川上水べりの櫻とも稱す。上二三里にして、小金井の櫻に接す。小金井は山櫻、こゝは吉野櫻、種類は異なれども、櫻花、上下三四里の間に連なる。小金井の山櫻は見事也。東京附近、山櫻の見るべきは、小金井のみ也。こゝを始めとし、東京の櫻は、幾んどみな吉野櫻也。花を別にして、唯〻場所を比較すれば、同じく上水べりながら、小金井は岸高く、兩側は人家や樹林に封ぜらる。こゝは岸低く、あたりに人家なく眺望開けて、晴れやか也。而も未だ多く世人に知られず。花は盛りなるに、我等二人の外には遊客なし。又遊客を待つ設備もなし。それ故の酒肴持參、『どれ一と休み』と芝生に腰をおろす。干鱈は、そのまゝ食ひてもよけれど、成るべく火にあぶりたしとて、枯枝を焚きて、之をあぶる。燃え殘れる火は、十口坊が自家所有の天然ポンプにて消しとめたり。そのあぶりたる干鱈と佃煑とを肴にして、瓢酒を傾く。一杯一杯また一杯、酡顏櫻花と映發す。

上流を窮めて、小金井にまで達したけれど、裸男はこの日、西園寺侯の催せる雨聲會に行く約束あれば、酒食終ると共に、引返す。十口坊は、裸男の頻に考へ込むを見て、『何の思案』と問ふに、『外の思案でもなし。今夕席上にて書く詩を案じたるが、やつと出來上れり。一つ聽いて呉れ給へ』とて吟ずらく、

十歳重登舊酒樓。哀絲豪竹惹二春愁一。當年意氣依然在。滿座唯見多二白頭一。

(大正五年)

底本 / Source edition

底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年8月26日作成
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大町 桂月「新武蔵野の桜」(旧字旧仮名)、底本『桂月全集 第二卷 紀行一』興文社内桂月全集刊行會、1922年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 048354_000237, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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