Soranoha

南洲手抄言志録

なんしゅうしゅしょうげんしろく

秋月 種樹、佐藤 一斎

一 勿下認二游惰一以爲中寛裕上。勿下認二嚴刻一以爲中直諒上。勿下認二私欲一以爲中志願上。

〔譯〕游惰いうだを認みとめて以て寛裕かんゆうと爲すこと勿なかれ。嚴刻げんこくを認めて以て直諒ちよくりやうと爲すこと勿れ。私欲しよくを認めて以て志願しぐわんと爲すこと勿れ。

二 毀譽得喪、眞是人生之雲霧、使二人昏迷一。一二掃此雲霧一、則天青日白。

〔譯〕毀譽きよ得喪とくさうは、眞しんに是れ人生の雲霧うんむ、人をして昏迷こんめいせしむ。此の雲霧を一掃さうせば、則ち天てん青あをく日ひ白しろし。

〔評〕徳川慶喜よしのぶ公は勤王きんわうの臣たり。幕吏ばくりの要する所となりて朝敵てうてきとなる。猶南洲勤王の臣として終りを克よくせざるごとし。公は罪つみを宥ゆるし位に敍じよせらる、南洲は永く反賊はんぞくの名を蒙かうむる、悲しいかな。(原漢文、下同)

三 唐虞之治、只是情一字。極而言レ之、萬物一體、不レ外二於情之推一。

〔譯〕唐虞たうぐの治ちは只是れ情の一字なり。極めて之を言へば、萬物一體も情の推すゐに外ならず。

〔評〕南洲、官軍を帥ゐて京師を發す。婢ひあり別れを惜みて伏水ふしみに至る。兵士環めぐつて之を視みる。南洲輿中より之を招き、其背を拊うつて曰ふ、好在たつしやなれと、金を懷中くわいちゆうより出して之に與へ、旁かたはら人なき若し。兵士太はなはだ其の情を匿かくさざるに服す。幕府砲臺はうだいを神奈川に築きづき、外人の來り觀るを許さず、木戸公役徒えきとに雜り、自ら畚ふごを荷になうて之を觀る。茶店の老嫗らうをうあり、公の常人に非ざるを知り、善く之を遇す。公志を得るに及んで、厚く之に報ゆ。皆情の推すゐなり。

四 凡作レ事、須レ要レ有二事レ天之心一。不レ要レ有二示レ人之念一。

〔譯〕凡そ事を作なすには、須すべからく天に事つかふるの心あるを要えうすべし。人に示すの念ねんあるを要せず。

五 憤一字、是進學機關。舜何人也、予何人也、方是憤。

〔譯〕憤ふんの一字、是れ進學しんがくの機關きくわんなり。舜しゆん何人なんぴとぞや、予われ何人ぞや、方まさに是れ憤ふん。

六 著レ眼高、則見レ理不レ岐。

〔譯〕眼がんを著つくること高ければ、則ち理りを見ること岐きせず。

〔評〕三條公は西三條、東久世諸公と長門に走る、之を七卿きやう脱走だつさうと謂ふ。幕府之を宰府ざいふに竄ざんす。既にして七卿が勤王の士を募つのり國家を亂さんと欲するを憂へ、浪華なにはに幽いうするの議ぎあり。南洲等力つとめて之を拒ぎ、事終に熄やむ。南洲人に語かたつて曰ふ、七卿中他日關白くわんぱくに任ぜらるゝ者は、必三條公ならんと、果して然りき。

七 性同而質異。質異、教之所二由設一也。性同、教之所二由立一也。

〔譯〕性せいは同じうして而て質しつは異ことなる。質異るは教をしへの由つて設まうけらるゝ所なり。性同じきは教の由つて立つ所なり。

八 喪レ己斯喪レ人。喪レ人斯喪レ物。

〔譯〕己おのれを喪うしなへば斯こゝに人を喪うしなふ。人を喪へば斯に物ものを喪ふ。

九 士貴二獨立自信一矣。依レ熱附レ炎之念、不レ可レ起。

〔譯〕士しは獨立どくりつ自信じしんを貴たふとぶ。熱ねつに依より炎えんに附つくの念ねん、起す可らず。

〔評〕慶應けいおう三年九月、山内容堂ようだう公は寺村左膳さぜん、後藤象しやう次郎を以て使となし、書を幕府に呈ていす。曰ふ、中古以還くわん、政刑せいけい武門に出づ。洋人來航するに及んで、物議ぶつぎ紛々ふん〱、東攻西撃げきして、内訌ないこう嘗て戢をさまる時なく、終に外國の輕侮けいぶを招まねくに至る。此れ政令せいれい二途とに出で、天下耳目の屬ぞくする所を異にするが故なり。今や時勢一變ぺんして舊規きうきを墨守ぼくしゆす可らず、宜しく政權けんを王室に還し、以て萬國竝立へいりつの基礎きそを建つべし。其れ則ち當今の急務きふむにして、而て容堂の至願しぐわんなり。幕ばく下の賢けんなる、必之を察さつするあらんと。他日幕府の政權を還かへせる、其事實に公の呈書ていしよに本もとづけり。當時幕府ばくふ既に衰おとろへたりと雖、威權ゐけん未だ地に墜おちず。公抗論かうろんして忌いまず、獨立の見ありと謂ふべし。

一〇 有二本然之眞己一、有二躯殼之假己一。須レ要二自認得一。

〔譯〕本然ほんぜんの眞己しんこ有り、躯殼くかくの假己かこ有り。須らく自ら認みとめ得んことを要すべし。

〔評〕南洲胃いを病む。英醫偉利斯いりす之を診しんして、勞動らうどうを勸すゝむ。南洲是より山野に游獵いうれふせり。人或は病なくして犬を牽ひき兎を逐おひ、自ら南洲を學ぶと謂ふ、疎そなり。

一一 雲煙聚二於不一レ得レ已。風雨洩二於不一レ得レ已。雷霆震二於不一レ得レ已。斯可三以觀二至誠之作用一。

〔譯〕雲煙うんえんは已やむことを得ざるに聚あつまる。風雨ふううは已むことを得ざるに洩もる。雷霆らいていは已むことを得ざるに震ふるふ。斯こゝに以て至誠しせいの作用さようを觀みる可し。

一二 動二於不レ得レ已之勢一、則動而不レ括。履二於不レ可レ枉之途一、則履而不レ危。

〔譯〕已むことを得ざるの勢いきほひに動うごけば、則ち動いて括くわつせず。枉まぐ可らざるの途みちを履ふめば、則ち履んで危あやふからず。

〔評〕官軍江戸を伐うつ、關西諸侯兵を出して之に從ふ。是より先き尾藩びはん宗家そうけを援たすけんと欲する者ありて、私ひそかに聲息せいそくを江戸に通つうず。尾び公之を患うれへ、田中不二麿ふじまろ、丹羽淳太郎等と議して、大義親しんを滅ほろぼすの令を下す、實に已むことを得ざるの擧きよに出づ。一藩の方向はうかう以て定れり。

一三 聖人如二強健無レ病人一。賢人如二攝生愼レ病人一。常人如二虚羸多レ病人一。

〔譯〕聖人は強健きやうけん病無き人の如し。賢人は攝生せつしやう病を愼つゝしむ人の如し。常人は虚羸きよるゐ病多き人の如し。

一四 急迫敗レ事。寧耐成レ事。

〔譯〕急迫きふはくは事を敗やぶる。寧耐ねいたいは事を成なす。

〔評〕大坂城陷おちいる。徳川慶喜よしのぶ公火船に乘りて江戸に歸り、諸侯を召して罪を俟まつの状を告ぐ。余時に江戸に在り、特に別廳べつちやうに召めし告げて曰ふ。事此に至る、言ふ可きなし。汝將に京に入らんとすと聞きく、請ふ吾が爲めに恭順きようじゆんの意を致せと。余江戸を發して桑名に抵いたり、柳原前光さきみつ公軍を督とくして至るに遇ふ。余爲めに之を告ぐ。京師に至るに及んで、松平春嶽しゆんがく公を見て又之を告ぐ。慶喜公江戸城に在り、衆皆之に逼せまり、死を以て城を守らんことを請ふ。公聽きかず、水戸に赴く、近臣二三十名從ふ。衆奉じて以て主と爲すべきものなく、或は散さんじて四方に之ゆき、或は上野うへのに據よる。若し公をして耐忍たいにんの力無く、共に怒いかつて事を擧げしめば、則ち府下悉く焦土せうどと爲らん。假令たとひ都を遷すも、其の盛大を極きはむること今日の如きは實に難からん。然らば則ち公常人の忍しのぶ能はざる所を忍ぶ、其功亦多し。舊きう藩士日高誠實ひだかせいじつ時に句あり云ふ。

「功烈こうれつ尤も多かりしは前内府ぜんないふ。至尊しそん直に鶴城かくじやうの中に在り」と。

一五 聖人安レ死。賢人分レ死。常人恐レ死。

〔譯〕聖人は死を安やすんず。賢人は死を分ぶんとす。常人は死を恐おそる。

一六 賢者臨レ歾、見二理當一レ然、以爲レ分、恥レ畏レ死、而希レ安レ死、故神氣不レ亂。又有二遺訓一、足二以聳一レ聽。而其不レ及二聖人一亦在二於此一。聖人平生言動無二一非一レ訓。而臨レ歾、未三必爲二遺訓一。視二死生一眞如二晝夜一、無レ所レ著レ念。

〔譯〕賢者は歾ぼつするに臨のぞみ、理りの當まさに然るべきを見て、以て分ぶんと爲し、死を畏おそるゝを恥はぢて、死を安やすんずるを希こひねがふ、故に神氣しんき亂みだれず。又遺訓いくんあり、以て聽ちやうを聳そびやかすに足る。而かも其の聖人に及ばざるも亦此に在り。聖人は平生の言動げんどう一として訓に非ざるは無し。而て歾するに臨のぞみて、未だ必しも遺訓を爲つくらず。死生しせいを視みること眞に晝夜ちうやの如し、念ねんを著つくる所無し。

〔評〕十年の役えき、私學校の徒と、彈藥製造所だんやくせいざうじよを掠かすむ。南洲時に兎を大隈おほすみ山中に逐おふ。之を聞いて猝にはかに色いろを變かへて曰ふ、誤しまつたと。爾後じご肥後日向に轉戰して、神色夷然いぜんたり。

一七 堯舜文王、其所レ遺典謨訓誥、皆可三以爲二萬世法一。何遺命如レ之。至二於成王顧命、曾子善言一、賢人分上自當レ如レ此已。因疑孔子泰山之歌、後人假託爲レ之。檀弓叵レ信、多二此類一。欲レ尊二聖人一、而却爲二之累一。

〔譯〕堯舜げうしゆん文王は、其の遺のこす所の典謨てんぼ訓誥くんかう、皆以て萬世の法と爲す可し。何の遺命いめいか之に如しかん。成せい王の顧命こめい、曾そう子の善言に至つては、賢人の分ぶん上自おのづから當まさに此の如くなるべきのみ。因つて疑うたがふ、孔子泰山たいざんの歌、後人假託かたく之を爲つくれるならん。檀弓だんぐうの信じ叵がたきこと此の類多し。聖人を尊ばんと欲して、却かへつて之が累るゐを爲せり。

一八 一部歴史、皆傳二形迹一、而情實或不レ傳。讀レ史者、須レ要下就二形迹一以討中出情實上。

〔譯〕一部ぶの歴史れきし、皆形迹けいせきを傳つたへて、情實じやうじつ或は傳らず。史を讀む者は、須らく形迹に就ついて以て情實を討たづね出だすことを要すべし。

一九 博聞強記、聰明横也。精義入レ神、聰明竪也。

〔譯〕博聞強記はくぶんきやうきは、聰明そうめいの横よこなり。精義せいぎ神に入るは、聰明そうめいの竪たてなり。

二〇 生物皆畏レ死。人其靈也、當下從二畏レ死之中一、揀中出不レ畏レ死之理上。吾思、我身天物也。死生之權在レ天、當レ順二受之一。我之生也、自然而生、生時未二嘗知一レ喜矣。則我之死也、應三亦自然而死、死時未二嘗知一レ悲也。天生レ之而天死レ之、一聽二于天一而已、吾何畏焉。吾性即天也。躯殼則藏レ天之室也。精氣之爲レ物也、天寓二於此室一。遊魂之爲レ變也、天離二於此室一。死之後即生之前、生之前即死之後。而吾性之所二以爲一レ性者、恒在二於死生之外一、吾何畏焉。夫晝夜一理、幽明一理。原レ始反レ終、知二死生之理一、何其易簡而明白也。吾人當下以二此理一自省上焉。

〔譯〕生物は皆死を畏おそる。人は其靈れいなり、當に死を畏るゝの中より死を畏れざるの理を揀出けんしゆつすべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の權けんは天に在り、當に之を順受じゆんじゆすべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て喜よろこぶことを知らず。則ち我の死するや應まさに亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死ころす、一に天に聽まかさんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殼くかくは則ち天を藏おさむるの室なり。精氣せいきの物と爲るや、天此の室に寓ぐうす。遊魂いうこんの變へんを爲すや、天此の室を離はなる。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而て吾が性の性たる所以は、恒つねに死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ晝夜は一理りなり、幽明いうめいは一理なり。始めを原たづねて終をはりに反かへらば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡いかんにして明白なるや。吾人は當に此の理を以て自省じせうすべし。

二一 畏レ死者生後之情也、有二躯殼一而後有二是情一。不レ畏レ死者生前之性也、離二躯殼一而始見二是性一。人須レ自二得不レ畏レ死之理於畏レ死之中一、庶二乎復一レ性焉。

〔譯〕死を畏るゝは生後の情なり、躯殼くかく有つて後に是この情あり。死を畏れざるは生前の性なり、躯殼くかくを離はなれて始て是の性を見る。人は須すべからく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得じとくすべし、性に復かへるに庶ちかし。

〔評〕幕府勤王の士を逮とらふ。南洲及び伊地知正治いぢちまさはる、海江田武治かいえだたけはる等尤も其の指目しもくする所となる。僧月照げつせう嘗て近衞公の密命みつめいを喞ふくみて水戸に至る、幕吏之を索もとむること急なり。南洲其の免れざることを知り相共に鹿兒島に奔はしる。一日南洲、月照の宅を訪とふ。此の夜月色清輝せいきなり。預あらかじめ酒饌しゆせんを具そなへ、舟を薩海に泛うかぶ、南洲及び平野次郎一僕と從ふ。月照船頭に立ち、和歌を朗吟して南洲に示す、南洲首肯しゆかうする所あるものゝ如し、遂に相擁ようして海に投とうず。次郎等水聲起るを聞いて、倉皇さうくわうとして之を救ふ。月照既に死して、南洲は蘇よみがへることを得たり。南洲は終身しゆうしん月照と死せざりしを憾うらみたりと云ふ。

二二 誘掖而導レ之、教之常也。警戒而喩レ之、教之時也。躬行以率レ之、教之本也。不レ言而化レ之、教之神也。抑而揚レ之、激而進レ之、教之權而變也。教亦多レ術矣。

〔譯〕誘掖いうえきして之を導みちびくは、教の常なり。警戒けいかいして之を喩さとすは、教の時なり。躬みに行うて之を率ひきゐるは、教の本なり。言はずして之を化するは、教の神しんなり。抑おさへて之を揚あげ、激げきして之を進すゝましむるは、教の權けんにして而て變へんなり。教も亦術じゆつ多し。

二三 閑想客感、由二志之不一レ立。一志既立、百邪退聽。譬二之清泉湧出、旁水不一レ得二渾入一。

〔譯〕閑想かんさう客感きやくかんは、志の立たざるに由る。一志既に立てば、百邪退き聽きく。之を清泉せいせん湧出ようしゆつせば、旁水ばうすゐ渾入こんにふすることを得ざるに譬たとふべし。

〔評〕政府郡縣ぐんけんの治ちを復ふくせんと欲す、木戸公と南洲と尤も之を主張す。或ひと南洲を見て之を説く、南洲曰く諾だくすと。其人又之を説く、南洲曰く、吉之助の一諾、死以て之を守ると、他語たごを交まじへず。

二四 心爲レ靈。其條理動二於情識一、謂二之欲一。欲有二公私一、情識之通二於條理一爲レ公。條理之滯二於情識一爲レ私。自辨二其通滯一者、即便心之靈。

〔譯〕心を靈れいと爲す。其の條理でうりの情識じやうしきに動うごく、之を欲よくと謂ふ。欲に公私こうし有り、情識の條理に通ずるを公と爲す。條理の情識に滯とゞこほるを私と爲す。自ら其の通つうと滯たいとを辨べんずるは、即ち心の靈れいなり。

二五 人一生所レ遭、有二險阻一、有二坦夷一、有二安流一、有二驚瀾一。是氣數自然、竟不レ能レ免、即易理也。人宜二居而安、玩而樂一焉。若趨二避之一、非二達者之見一。

〔譯〕人一生遭あふ所、險阻けんそ有り、坦夷たんい有り、安流あんりう有り、驚瀾きやうらん有り。是れ氣數きすうの自然にして、竟つひに免まぬがるゝ能はず、即ち易理えきりなり。人宜しく居つて安んじ、玩もてあそんで樂たのしむべし。若し之を趨避すうひせば、達たつ者の見に非ず。

〔評〕或ひと岩倉公幕を佐くと讒ざんす。公薙髮ていはつして岩倉邸に蟄居ちつきよす。大橋愼藏しんざう、香か川敬けい三、玉松操みさを、北島秀朝ひでとも等、公の志を知り、深く結納けつなふす。南洲及び大久保公、木戸公、後藤象次郎、坂本龍馬等公を洛東より迎へて、朝政に任ぜしむ。公既に職に在り、屡しば〱刺客せきかくの狙撃そげきする所となり、危難きなん累しきりに至る、而かも毫がうも趨避すうひせず。

二六 心之官則思。思字只是工夫字。思則愈精明、愈篤實。自二其篤實一謂二之行一、自二其精明一謂二之知一。知行歸二於一思字一。

〔譯〕心の官かんは則ち思ふ。思の字只是れ工夫くふうの字なり。思へば則ち愈精明せいめいなり、愈篤實とくじつなり。其の篤實より之を行と謂ひ、其の精明より之を知と謂ふ。知と行とは一の思の字に歸きす。

二七 處レ晦者能見レ顯。據レ顯者不レ見レ晦。

〔譯〕晦くわいに處をる者は能く顯けんを見る。顯に據よる者は晦を見ず。

二八 取二信於人一難也。人不レ信二於口一、而信二於躬一。不レ信二於躬一、而信二於心一。是以難。

〔譯〕信しんを人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬みを信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。

〔評〕南洲守庭吏しゆていりと爲る。島津齊彬なりあきら公其の眼光がんくわう烱々けい〱として人を射いるを見て凡ぼん人に非ずと以爲おもひ、拔擢ばつてきして之を用ふ。公嘗かつて書を作つくり、南洲に命じて之を水戸みとの烈れつ公に致さしめ、初めより封緘ふうかんを加へず。烈公の答書たふしよも亦然り。

二九 臨時之信、累二功於平日一。平日之信、收二効於臨時一。

〔譯〕臨時りんじの信しんは、功こうを平日に累かさぬればなり。平日の信は、効こうを臨時に收をさむべし。

〔評〕南洲官軍の先鋒せんぱうとなり、品川に抵いたる、勝安房かつあは、大久保一翁、山岡鐵太郎之を見て、慶喜罪つみを俟まつの状じやうを具陳ぐちんし、討伐たうばつを弛ゆるべんことを請ふ。安房素より南洲を知れり、之を説くこと甚だ力む。乃ち令を諸軍に傳へて、攻撃を止とゞむ。

三〇 信孚二於上下一、天下無二甚難レ處事一。

〔譯〕信上下に孚ふす、天下甚だ處しよし難き事無し。

三一 意之誠否、須下於二夢寐中事一驗上レ之。

〔譯〕意いの誠否せいひは、須らく夢寐むび中ちゆうの事に於て之を驗けんすべし。

〔評〕南洲弱冠じやくくわんの時、藤田東湖ふじたとうこに謁えつす、東湖は重瞳子ちやうどうし、躯幹くかん魁傑くわいけつにして、黄麻わうまの外套ぐわいとうを被き、朱室しゆざやの長劒ちやうけんを佩さして南洲を邀むかふ。南洲一見して瞿然くぜんたり。乃ち室内に入る、一大白を屬ぞくして酒さけを侑すゝめらる。南洲は素もと飮いんを解かいせず、強しひて之を盡つくす、忽たちまち酩酊めいていして嘔吐おうど席せきを汚けがす。東湖は南洲の朴率ぼくそつにして飾かざるところなきを見て酷はなはだ之を愛あいす。嘗て曰ふ、他日我が志を繼つぐ者は獨此の少年子のみと。南洲も亦曰ふ、天下眞しんに畏おそる可き者なし、唯たゞ畏る可き者は東湖一人のみと。二子の言、夢寐むび相感かんずる者か。

三二 不レ起二妄念一是敬。妄念不レ起是誠。

〔譯〕妄念ばうねんを起さゞるは是れ敬けいなり。妄念起らざるは是れ誠まことなり。

三三 因二民義一以激レ之、因二民欲一以趨レ之、則民忘二其生一而致二其死一。是可二以一戰一。

〔譯〕民の義ぎに因つて以て之を激げきし、民の欲よくに因つて以て之を趨はしらさば、則ち民其の生を忘わすれて其の死を致いたさん。是れ以て一戰せんす可し。

〔評〕兵數は孰いづれか衆おほき、器械きかいは孰れか精せいなる、糧食りやうしよくは孰れか積つめる、この數者を以て之を較くらべば、薩長さつちやうの兵は固より幕府に及ばざるなり。然り而して伏見ふしみの一戰、東兵披靡ひびするものは何ぞや。南洲及び木戸公等の􆗰さく、民の欲よくに因つて之を趨はしらしたればなり。是を以て破竹はちくの勢いきほひありたり。

三四 漸必成レ事、惠必懷レ人。如二歴代姦雄一、有下竊二其祕一者上、一時亦能遂レ志。可レ畏之至。

〔譯〕漸ぜんは必ず事を成なし、惠けいは必ず人を懷なづく。歴代れきだい姦雄かんゆうの如き、其祕ひを竊ぬすむ者有り、一時亦能く志を遂とぐ。畏る可きの至りなり。

三五 匿情似二愼密一。柔媚似二恭順一。剛愎似二自信一。故君子惡二似而非者一。

〔譯〕匿情とくじやうは愼密しんみつに似にる。柔媚じうびは恭順きようじゆんに似る。剛愎がうふくは自信じしんに似る。故に君子は似にて非ひなる者を惡にくむ。

三六 事レ君不レ忠非レ孝也、戰陳無レ勇非レ孝也。曾子孝子、其言如レ此。彼謂三忠孝不二兩全一者、世俗之見也。

〔譯〕君に事つかへて忠ならざるは孝に非ざるなり、戰陳せんじんに勇ゆう無きは孝に非ざるなりと。曾子そうしは孝子なり、其の言此かくの如し。彼の忠孝兩全りやうぜんせずと謂ふは、世俗せぞくの見なり。

〔評〕十年の難なん、賊の精鋭せいえい熊本城下に聚あつまる。而て援軍えんぐん未だ達せず。谷中將死を以て之を守り、少しも動かず。賊勢ぞくせい遂に屈し、其兵を東する能はず。昔者むかし加藤嘉明よしあき言へるあり。曰ふ、將しやうを斬きり旗はたを搴とるは、氣盛なる者之を能くす、而かも眞勇しんゆうに非ざるなり。孤城こじやうを援えんなきに守り、孱せん主を衆睽そむくに保たもつ、律義者りちぎものに非ざれば能はず、故に眞勇は必ず律義者りちぎものに出づと。尾藤孝肇びとうかうてう曰ふ、律義りちぎとは蓋けだし直ちよくにして信あるを謂ふと。余謂ふ、孤城を援えんなきに守るは、谷中將の如くば可なりと。嗚呼中將は忠且つ勇なり、而して孝其の中うちに在り。

三七 不レ可レ誣者人情、不レ可レ欺者天理、人皆知レ之。蓋知而未レ知。

〔譯〕誣しふ可らざる者は人情なり、欺あざむく可らざる者は天理なり、人皆之を知る。蓋けだし知つて而して未だ知らず。

〔評〕榎本武揚えのもとぶやう等五稜郭りようかくの兵已に敗る。海律全書かいりつぜんしよ二卷を以て我が海軍に贈おくつて云ふ、是れ嘗て荷蘭おらんだに學んで獲えたる所なり、身と倶に滅ほろぶることを惜しむと。武揚の誣ふ可らざるの情天聽てんちやうに達たつし、其の死を宥し寵用ちようようせらる、天理なり。

三八 知是行之主宰、乾道也。行是知之流行、坤道也。合以成二體躯一。則知行、是二而一、一而二。

〔譯〕知ちは是れ行かうの主宰しゆさいなり、乾道けんだうなり。行は是れ知の流行りうかうなり、坤道こんだうなり。合して以て體躯たいくを成す。則ち知行は是れ二にして一、一にして二なり。

三九 學貴二自得一。人徒以レ目讀二有字之書一、故局二於字一、不レ得二通透一。當三以レ心讀二無字之書一、乃洞而有二自得一。

〔譯〕學がくは自得じとくを貴たふとぶ。人徒いたづらに目を以て有字の書を讀む、故に字に局きよくし、通透つうとうすることを得ず。當まさに心を以て無字の書を讀むべし、乃ち洞とうして自得するところ有らん。

四〇 孟子以二讀書一爲二尚友一。故讀二經籍一、即是聽二嚴師父兄之訓一也。讀二史子一、亦即與二明君賢相英雄豪傑一相周旋也。其可レ不下清二明其心一以對中越之上乎。

〔譯〕孟子讀書を以て尚友しやういうと爲す。故に經籍けいせきを讀む、即ち是れ嚴師げんし父兄の訓を聽くなり。史子しゝを讀む、亦即ち明君賢相英雄豪傑と相周旋しうせんするなり。其れ其の心を清明にして以て之に對越たいえつせざる可けんや。

四一 爲レ學緊要、在二心一字一。把レ心以治レ心、謂二之聖學一。爲レ政著眼、在二情一字一。循レ情以治レ情、謂二之王道一。王道聖學非レ二。

〔譯〕學を爲すの緊要きんえうは心の一字に在り。心を把とつて以て心を治む、之を聖學と謂ふ。政を爲すの着眼ちやくがんは情の一字に在り。情に循したがうて以て情を治む、之を王道と謂ふ。王道と聖學と二に非ず。

〔評〕兵を治ちして對抗たいかうし、互に勝敗しようはいあり。兵士或は負傷ふしやう者の状じやうを爲す、醫い故に之を診察しんさつす。兵士初め負傷者とならんことを惡む。一日、聖上せいじやう親臨しんりんして負傷者を撫ぶし、恩言おんげんを賜たまふ、此より兵士負傷者とならんことを願ふ。是に由つて之を觀れば、兵を馭ぎよするも亦情に外ならざるなり。

四二 發レ憤忘レ食、志氣如レ是。樂以忘レ憂、心體如レ是。不レ知二老之將一レ至、知レ命樂レ天如レ是。聖人與レ人不レ同、又與レ人不レ異。

〔譯〕憤いきどほりを發して食を忘わする、志氣しき是かくの如し。樂たのしんで以て憂うれひを忘る、心體しんたい是の如し。老らうの將に至らんとするを知らず、命めいを知り天を樂しむもの是かくの如し。聖人は人と同じからず、又人と異ことならず。

四三 講二説聖賢一、而不レ能レ躬レ之、謂二之口頭聖賢一、吾聞レ之一惕然。論二辯道學一、而不レ能レ體レ之、謂二之紙上道學一、吾聞レ之再惕然。

〔譯〕聖賢を講説かうせつして之を躬みにする能はず、之を口頭こうとう聖賢と謂ふ、吾れ之を聞いて一たび惕然てきぜんたり。道學を論辯ろんべんして之を體たいする能はず、之を紙上道學と謂ふ、吾れ之を聞いて再び惕然てきぜんたり。

四四 學、稽二之古訓一、問、質二之師友一、人皆知レ之。學必學二之躬一、問必問二諸心一、其有二幾人一耶。

〔譯〕學がく之を古訓こくんに稽かんがへ、問もん之を師友に質たゞすは、人皆之を知る。學必ず之を躬に學び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。

四五 以レ天而得者固。以レ人而得者脆。

〔譯〕天を以て得たるものは固かたし。人を以て得たるものは脆もろし。

四六 君子自慊、小人自欺。君子自彊、小人自棄。上達下達、落二在一自字一。

〔譯〕君子は自ら慊こゝろよくし、小人は自ら欺あざむく。君子は自ら彊つとめ、小人は自ら棄すつ。上達たつと下達たつとは、一の自じの字に落在らくざいす。

四七 人皆知レ問二身之安否一、而不レ知レ問二心之安否一。宜下自問中能不レ欺二闇室一否、能不レ愧二衾影一否、能得二安穩快樂一否上。時時如レ是、心便不レ放。

〔譯〕人は皆身の安否あんぴを問とふことを知つて、而かも心の安否を問ふことを知らず。宜しく自ら能く闇室あんしつを欺あざむかざるや否いなや、能く衾影きんえいに愧はぢざるや否や、能く安穩あんおん快樂くわいらくを得るや否やと問ふべし。時時是かくの如くば心便すなはち放はなたず。

〔評〕某士南洲に面めんして仕官しくわんを求もとむ。南洲曰ふ、汝俸給ほうきふ幾許いくばくを求むるやと。某曰ふ、三十圓ばかりと。南洲乃ち三十圓を與へて曰ふ、汝に一月ひとつきの俸ほう金を與へん、汝は宜しく汝の心に向むかうて我が才力さいりき如何を問ふべしと。其人復また來らず。

四八 無レ爲而有レ爲之謂レ誠。有レ爲而無レ爲之謂レ敬。

〔譯〕爲す無くして爲す有る之を誠まことと謂ふ。爲す有つて爲す無し之を敬けいと謂ふ。

四九 寛懷不レ忤二俗情一、和也。立脚不レ墜二俗情一、介也。

〔譯〕寛懷かんくわい俗情ぞくじやうに忤さかはざるは、和わなり。立脚りつきやく俗情に墜おちざるは、介かいなり。

五〇 惻隱之心偏、民或有二溺レ愛殞レ身者一。羞惡之心偏、民或有下自二經溝涜一者上。辭讓之心偏、民或有二奔亡風狂者一。是非之心偏、民或有二兄弟鬩レ牆父子相訟者一。凡情之偏、雖二四端一遂陷二不善一。故學以致二中和一、歸三於無二過不及一、謂二之復性之學一。

〔譯〕惻隱そくいんの心偏へんすれば、民或は愛あいに溺おぼれ身を殞おとす者有り。羞惡しうをの心偏すれば、民或は溝涜かうとくに自經じけいする者有り。辭讓じじやうの心偏すれば、民或は奔亡ほんばう風狂ふうきやうする者有り。是非の心偏すれば、民或は兄弟牆かきに鬩せめぎ父子相訟うつたふ者有り。凡そ情の偏するや、四端たんと雖遂に不善ふぜんに陷おちいる。故に學んで以て中和を致いたし、過不及かふきふ無きに歸きす、之を復性ふくせいの學と謂ふ。

〔評〕江藤新平しんぺい、前原一誠いつせい等の如きは、皆維新いしんの功臣として、勤王二なく、官は參議さんぎに至り、位は人臣の榮えいを極きはむ。然り而して前後皆亂を爲し誅に伏す、惜しいかな。豈四端たんの偏へんありしものか。

五一 此學吾人一生負擔、當二斃而後已一。道固無レ窮、堯舜之上善無レ盡。孔子自レ志レ學、至二七十一、毎二十年一、自覺二其有一レ所レ進、孜孜自彊、不レ知二老之將一レ至。假使二其踰レ耄至一レ期、則其神明不レ測、想當レ爲二何如一哉。凡學二孔子一者、宜下以二孔子之志一爲上レ志。

〔譯〕此の學は吾人一生の負擔ふたん、當まさに斃たふれて後に已やむべし。道固より窮り無し。堯舜の上、善盡くること無し。孔子學に志してより七十に至るまで、十年毎に自ら其の進すゝむ所有るを覺さとり、孜孜しゝとして自ら彊つとめて、老らうの將に至らんとするを知らず。假もし其をして耄ばうを踰こえ期きに至らしめば、則ち其の神明測はかられざること、想おもふに當に何如たるべきぞや。凡そ孔子を學ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と爲すべし。

五二 自彊不レ息、天道也、君子所レ以也。如下虞舜孳孳爲レ善、大禹思二日孜孜一、成湯苟日新、文王不二遑暇一、周公坐以待レ旦、孔子發レ憤忘上レ食、皆是也。彼徒事二靜養瞑坐一而已、則與二此學脈一背馳。

〔譯〕自ら彊つとめて息やまざるは天道なり、君子の以もちゐる所なり。虞舜ぐしゆんの孳孳じじとして善を爲し、大禹うの日に孜孜せんことを思ひ、成湯せいたうの苟まことに日に新にせる、文王の遑いとまあき暇いとまあらざる、周しう公の坐ざして以て旦たんを待まつ、孔子の憤いきどほりを發して食を忘るゝ如きは、皆是なり。彼の徒いたづらに靜養せいやう瞑坐めいざを事とすのみならば、則ち此の學脈がくみやくと背馳はいちす。

五三 自彊不レ息時候、心地光光明明、有二何妄念游思一、有二何嬰累罣想一。

〔譯〕自ら彊つとめて息やまざる時候じこうは、心地しんち光光明明くわう〱めい〱にして、何の妄念ばうねん游思ゆうし有らん、何の嬰累えいるゐ罣想けさう有らん。

〔評〕三條公の筑前に在る、或る人其の旅況りよきやうの無聊むれうを察さつして美女を進む、公之を卻しりぞく。某氏宴えんを開ひらいて女樂がくを設まうく、公怫ふつ然として去れり。

五四 提二一燈一、行二暗夜一。勿レ憂二暗夜一、只頼二一燈一。

〔譯〕一燈とうを提ひつさげて、暗夜あんやを行く。暗夜を憂うれふる勿れ、只だ一燈とうを頼たのめ。

〔評〕伏水ふしみ戰を開き、砲聲はうせい大内おほうちに聞え、愈激はげしく愈近ちかづく。岩倉公南洲に問うて曰ふ、勝敗しようはい何如と。南洲答へて曰ふ、西郷隆盛在り、憂ふる勿れと。

五五 倫理物理、同一理也。我學二倫理之學一、宜三近取二諸身一、即是物理。

〔譯〕倫理りんりと物理とは同一理なり。我れ倫理の學を學ぶ、宜しく近く諸これを身に取るべし、即ち是れ物理なり。

五六 濁水亦水也。一澄則爲二清水一。客氣亦氣也。一轉則爲二正氣一。逐レ客工夫、只是克レ己、只是復レ禮。

〔譯〕濁水だくすゐも亦水なり、一澄ちようすれば則ち清水せいすゐとなる。客氣きやくきも亦氣なり、一轉てんすれば則ち正氣せいきとなる。客きやくを逐おふの工夫は、只是れ己に克つなり、只是れ禮に復かへるなり。

〔評〕南洲壯時さうじ角觝かくていを好み、毎つねに壯士と角す。人之を苦くるしむ。其守庭吏しゆていりと爲るや、庭てい中に土豚どとんを設まうけて、掃除さうぢよを事こととせず。既にして慨然がいぜんとして天下を以て自ら任にんじ、節せつを屈くつして書を讀み、遂に復古ふくこの大業げふを成せり。

五七 理本無レ形。無レ形則無レ名矣。形而後有レ名。既有レ名、則理謂二之氣一無二不可一。故專指二本體一、則形後亦謂二之理一。專指二運用一、則形前亦謂二之氣一、竝無二不可一。如二浩然之氣一、專指二運用一、其實太極之呼吸、只是一誠。謂二之氣原一、即是理。

〔譯〕理は本もと形かたち無し。形無ければ則ち名無し。形ありて後に名有り。既に名有れば、則ち理之を氣と謂ふも、不可無し。故に專ら本體ほんたいを指せば、則ち形後けいごも亦之を理と謂ふ。專ら運用うんようを指せば、則ち形前も亦之を氣と謂ふ、竝ならびに不可無し。浩然かうぜんの氣の如きは、專ら運用を指すも、其の實太極たいきよくの呼吸こきふにして、只是れ一誠せいなり。之を氣原げんと謂ふ、即ち是れ理なり。

五八 物我一體、即是仁。我執二公情一以行二公事一、天下無レ不レ服。治亂之機、在二於公不公一。周子曰、公二於己一者、公二於人一。伊川又以二公理一、釋二仁字一。餘姚亦更二博愛一爲二公愛一。可二并攷一。

〔譯〕物我ぶつが一體たいは即ち是れ仁なり。我れ公情こうじやうを執とつて以て公事を行ふ、天下服せざる無し。治亂ちらんの機きは公と不公とに在り。周しう子曰ふ、己おのれに公なる者は人に公なりと。伊川いせん又公理こうりを以て仁の字を釋しやくす。餘姚よえうも亦博愛を更あらためて公愛と爲せり。并あはせ攷かんがふ可し。

〔評〕余嘗て木戸公の言を記せり。曰ふ、會津藩士あひづはんしは、性直にして用ふ可し、長人ちやうじんの及ぶ所に非ざるなりと。夫れ會くわいは長ちやうの敵てきなり、而しかも其の言此かくの如し。以て公の事を處しよすること皆公平こうへいなるを知るべし。

五九 尊二徳性一、是以道二問學一、即是尊二徳性一。先立二其大者一、則其知也眞。能迪二其知一、則其功也實。畢竟一條路往來耳。

〔譯〕徳性を尊ぶ、是を以て問學ぶんがくに道よる、即ち是れ徳性を尊ぶなり。先づ其の大なる者を立つれば、則ち其知や眞しんなり。能く其の知を迪ふめば、則ち其功や實じつなり。畢竟ひつきやう一條いちでう路ろの往來のみ。

六〇 周子主レ靜、謂三心守二本體一。〔「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」〕説自二註無レ欲故靜一、程伯氏因レ此有二天理人欲之説一。叔子持レ敬工夫亦在レ此。朱陸以下雖三各有二得レ力處一、而畢竟不レ出二此範圍一。不レ意至二明儒一、朱陸分レ黨如二敵讐一。何以然邪。今之學者、宜下以二平心一待上レ之。取二其得レ力處一可也。

〔譯〕周子しうし靜せいを主しゆとす、心こゝろ本體ほんたいを守るを謂ふなり。〔「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」〕説づせつに、「欲よく無し故に靜せい」と自註じちゆうす、程伯氏ていはくし此これに因つて天理り人欲よくの説せつ有り。叔子しゆくし敬けいを持ぢする工夫くふうも亦此こゝに在り。朱陸しゆりく以下各力ちからを得る處有りと雖、而しかも畢竟ひつきやう此の範圍はんいを出でず。意おもはざりき明儒みんじゆに至つて、朱陸しゆりく黨たうを分つこと敵讐てきしうの如くあらんとは。何を以て然るや。今の學ぶ者、宜しく平心を以て之を待つべし。其の力を得る處を取らば可なり。

六一 象山、宇宙内事、皆己分内事、此謂二男子擔當之志如一レ此。陳澔引レ此註二射義一、極是。

〔譯〕象山しようざんの、宇宙うちう内ないの事は皆己おのれ分内ぶんないの事は、此これ男子擔當たんたうの志此かくの如きを謂ふなり。陳澔ちんかう此を引いて射義しやぎを註ちゆうす、極きはめて是ぜなり。

〔評〕南洲嘗かつて東湖に從うて學ぶ。當時たうじ書する所、今猶民間に存そんす。曰ふ、「一寸いつすんの英心えいしん萬夫ばんぷに敵てきす」と。蓋けだし復古ふくこの業げふを以て擔當たんたうすることを爲す。維新いしん征東の功こう實に此に讖しんす。末路まつろ再ふたゝび讖しんを成せるは、悲かなしむべきかな。

六二 講二論語一、是慈父教レ子意思。講二孟子一、是伯兄誨レ季意思。講二大學一、如二網在一レ綱。講二中庸一、如二雲出一レ岫。

〔譯〕論語ろんごを講かうず、是れ慈父じふの子を教ふる意思いし。孟子まうしを講ず、是れ伯兄の季きを誨をしふる意思いし。大學だいがくを講ず、網あみの綱かうに在る如し。中庸ちゆうようを講ず、雲くもの岫しうを出づる如し。

六三 易是性字註脚。詩是情字註脚。書是心字註脚。

〔譯〕易えきは是れ性せいの字の註脚ちゆうきやくなり。詩しは是れ情の字の註脚なり。書しよは是れ心の字の註脚なり。

六四 獨得之見似レ私、人驚二其驟至一。平凡之議似レ公、世安二其狃聞一。凡聽二人言一、宜二虚懷而邀一レ之。勿レ苟二安狃聞一可也。

〔譯〕獨得どくとくの見けんは私わたくしに似る、人其の驟至しうしに驚おどろく。平凡へいぼんの議ぎは公に似る、世其の狃聞ぢうぶんに安んず。凡そ人の言を聽きくは、宜しく虚懷きよくわいにして之を邀むかふべし。狃聞ぢうぶんに苟安こうあんすることなくんば可なり。

六五 心理是豎工夫、愽覽是横工夫。豎工夫、則深入自得。横工夫、則淺易汎濫。

〔譯〕心理しんりは是れ豎たての工夫なり、愽覽はくらんは是れ横よこの工夫なり。豎たての工夫は、則ち深入しんにふ自得じとくせよ。横よこの工夫は、則ち淺易せんい汎濫はんらんなれ。

六六 讀レ經、宜下以二我之心一讀二經之心一、以二經之心一釋中我之心上。不レ然徒爾講二明訓詁一而已、便是終身不二曾讀一。

〔譯〕經けいを讀むは、宜しく我れの心を以て經の心を讀み、經の心を以て我の心を釋しやくすべし。然らずして徒爾とじに訓詁くんこを講明かうめいするのみならば、便すなはち是れ終身曾かつて讀まざるなり。

六七 引レ滿中レ度、發無二空箭一。人事宜二如レ射然一。

〔譯〕滿まんを引ひき度どに中あたり、發して空箭くうぜん無し。人事宜しく射しやの如く然るべし。

六八 前人、謂二英氣害一レ事。余則謂、英氣不レ可レ無、但露二圭角一爲二不可一。

〔譯〕前人は、英氣えいきは事を害がいすと謂へり。余は則ち謂ふ、英氣は無かる可らず、但ただ圭角けいかくを露あらはすを不可と爲すと。

六九 刀槊之技、懷二怯心一者衄、頼二勇氣一者敗。必也泯二勇怯於一靜一、忘二勝負於一動一。動レ之以レ天、廓然太公、靜レ之以レ地、物來順應。如レ是者勝矣。心學亦不レ外二於此一。

〔譯〕刀槊たうさくの技ぎ、怯きよ心を懷いだく者は衄くじけ、勇氣ゆうきを頼たのむ者は敗やぶる。必や勇怯ゆうきよを一靜せいに泯ほろぼし、勝負しようぶを一動どうに忘わすれ、之を動うごかすに天を以てして、廓然かくぜん太公たいこうに、之を靜しづむるに地を以てして、物もの來つて順應じゆんおうせん。是かくの如き者は勝かたん。心學も亦此こゝに外ならず。

〔評〕長兵京師に敗やぶる。木戸公は岡部氏に寄よつて禍わざはいを免まぬかるゝことを得たり。後のち丹波に赴おもむき、姓名せいめいを變かへ、博徒ばくとに混まじり、酒客しゆかくに交まじはり、以て時勢を窺うかゞへり。南洲は浪華なにはの某樓に寓ぐうす。幕吏搜索さうさくして樓下に至る。南洲乃ち劇げきを觀るに託して、舟を僦かりて逃にげ去れり。此れ皆勇怯ゆうきよを泯ほろぼし勝負しようぶを忘るゝものなり。

七〇 無レ我則不レ獲二其身一、即是義。無レ物則不レ見二其人一、即是勇。

〔譯〕我われ無ければ則ち其身を獲えず、即ち是れ義ぎなり。物無ければ則ち其人を見ず、即ち是れ勇ゆうなり。

七一 自反而縮者、無レ我也。雖二千萬人一吾往矣、無レ物也。

〔譯〕自ら反かへりみて縮なほきは、我われ無きなり。千萬人と雖吾れ往かんは、物無きなり。

七二 三軍不レ和、難二以言一レ戰。百官不レ和、難二以言一レ治。書云、同レ寅協レ恭和衷哉。唯一和字、一二串治亂一。

〔譯〕三軍和せずば、以て戰たゝかひを言ひ難がたし。百官和せずば、以て治ちを言ひ難し。書に云ふ、寅いんを同じうし恭きようを協あはせ和衷わちゆうせよやと。唯だ一の和字、治亂ちらんを一串いつくわんす。

〔評〕復古ふくこの業げふは薩長さつちやうの合縱がつしように成る。是れより先き、土人坂本龍馬りゆうま、薩長の和せざるを憂うれへ、薩邸ていに抵いたり、大久保・西郷諸氏に説き、又長邸に抵いたり、木戸・大村諸氏に説く。薩人黒田・大山諸氏長に至り、長人木戸・品川諸氏薩に往ゆき、而て後和わ成り、維新いしんの鴻業こうげふを致いたせり。

七三 凡事有二眞是非一、有二假是非一。假是非、謂三通俗之所二可否一。年少未レ學、而先了二假是非一、迨レ後欲レ得二眞是非一、亦不レ易レ入。所レ謂先入爲レ主、不レ可二如何一耳。

〔譯〕凡そ事に眞是非しんぜひ有り、假是非かぜひ有り。假是非とは、通俗つうぞくの可否する所を謂ふ。年少わかく未だ學ばずして、先づ假是非を了れうし、後に迨およんで眞是非を得んと欲するも、亦入り易やすからず。謂はゆる先入せんにふ主しゆと爲なり、如何ともす可らざるのみ。

七四 果斷、有二自レ義來者一。有二自レ智來者一。有二自レ勇來者一。有下并二義與一レ智而來者上、上也。徒勇而已者殆矣。

〔譯〕果斷くわだんは、義ぎより來るもの有り。智ちより來るもの有り。勇ゆうより來るもの有り。義と智とを併あはせて來るもの有り、上じやうなり。徒たゞに勇ゆうのみなるは殆あやふし。

〔評〕關八州くわんはつしうは古より武を用ふるの地と稱す。興世おきよ王反逆はんぎやくすと雖、猶將門まさかどに説いて之に據よらしむ。小田原の役えき、豐ほう公は徳川公に謂うて曰ふ、東方に地あり、江戸えどと曰ふ、以て都府とふを開く可しと。一新いつしんの始はじめ、大久保公遷都せんとの議ぎを獻けんじて曰ふ、官軍已に勝かつと雖、東賊とうぞく猶未だ滅ほろびず、宜しく非常ひじやうの斷だんを以て非常の事を行ふべしと。先見の明智ちと謂ふ可し。

七五 公私在レ事、又在レ情。事公而情私者有レ之。事私而情公者有レ之。爲レ政者、宜下權二衡人情事理輕重處一、以用中其中於上レ民。

〔譯〕公私こうしは事に在り、又情に在り。事公にして情私なるもの之有り。事私にして情公なるもの之有り。政を爲す者は、宜しく人情事理じり輕重けいぢゆうの處を權衡けんかうして、以て其の中ちゆうを民に用ふべし。

〔評〕南洲城山に據よる。官軍柵さくを植うゑて之を守る。山縣やまがた中將書を南洲に寄せて兩軍殺傷さつしやうの慘さんを極言きよくげんす。南洲其の書を見て曰ふ、我れ山縣に負そむかずと、斷然だんぜん死に就つけり。中將は南洲の元げんを視みて曰ふ、惜をしいかな、天下の一勇將を失へりと、流涕りうていすること之を久しうせり。噫あゝ公私情盡せり。

七六 愼獨工夫、當下如三身在二稠人廣座中一一般上。應酬工夫、當下如二間居獨處時一一般上。

〔譯〕愼獨しんどくの工夫くふうは、當まさに身稠人ちうじん廣座くわうざの中に在るが如く一般ぱんなるべし。應酬おうしうの工夫は、當まさに間居かんきよ獨處どくしよの時の如く一般なるべし。

七七 心要二現在一。事未レ來、不レ可レ邀。事已往、不レ可レ追。纔追纔邀、便是放心。

〔譯〕心は現在げんざいせんことを要えうす。事未だ來らずば、邀むかふ可らず。事已に往ゆかば、追おふ可らず。纔わづかに追ひ纔かに邀へば、便すなはち是れ放心はうしんなり。

七八 物集二於其所一レ好、人也。事赴二於所一レ不レ期、天也。

〔譯〕物もの其の好む所に集あつまるは、人なり。事こと期きせざる所に赴おもむくは、天なり。

七九 人貴二厚重一、不レ貴二遲重一。尚二眞率一、不レ尚二輕率一。

〔譯〕人は、厚重こうちようを貴ぶ、遲重ちちようを貴ばず。眞率しんそつを尚たつとぶ、輕率けいそつを尚ばず。

〔評〕南洲人に接せつして、妄みだりに語ごを交まじへず、人之を憚はゞかる。然れども其の人を知るに及んでは、則ち心を傾かたむけて之を援たすく。其人に非ざれば則ち終身しゆうしん言いはず。

八〇 凡生物皆資二於養一。天生而地養レ之。人則地之氣精英。吾欲三靜坐以養レ氣、動行以養レ體、氣體相資、以養二此生一。所二以從レ地而事一レ天。

〔譯〕凡そ生物は皆養やうを資とる。天生じて地之を養やしなふ。人は則ち地の氣の精英せいえいなり。吾れ靜坐して以て氣を養ひ、動行どうかうして以て體を養ひ、氣と體と相資とつて以て此の生を養はんと欲す。地に從うて天に事ふる所以なり。

〔評〕維新の業げふは三藩の兵力に由ると雖、抑之を養ふに素そあり、曰く名義めいぎなり、曰く名分めいぶんなり。或は云ふ、維新の功こうは大日本史だいにつぽんし及び外史に基もとづくと、亦理り無なしとせざるなり。

八一 凡爲レ學之初、必立下欲レ爲二大人一之志上、然後書可レ讀也。不レ然、徒貪二聞見一而已、則或恐二長レ傲飾一レ非。所レ謂假二寇兵一、資二盜糧一也、可レ虞。

〔譯〕凡そ學を爲すの初め、必ず大人たらんと欲するの志を立て、然る後書讀む可し。然らずして、徒いたづらに聞見を貪むさぼるのみならば、則ち或は傲がうを長ちやうじ非を飾かざらんことを恐る。謂はゆる寇こうに兵を假かし、盜たうに糧りやうを資しするなり、虞おもんぱかる可し。

八二 以二眞己一克二假己一、天理也。以二身我一害二心我一、人欲也。

〔譯〕眞己しんこを以て假己かこに克かつ、天理なり。身我しんがを以て心我を害がいす、人欲じんよくなり。

八三 無二一息間斷一、無二一刻急忙一。即是天地氣象。

〔譯〕一息そくの間斷かんだん無く、一刻こくの急忙きふばう無し。即ち是れ天地の氣象きしやうなり。

〔評〕木戸公毎旦考妣ちゝはゝの木主を拜す。身煩劇はんげきに居ると雖、少しくも怠おこたらず。三十年の間一日の如し。

八四 有レ心二於無一レ心、工夫是也。無レ心二於有一レ心、本體是也。

〔譯〕心無きに心有るは、工夫くふう是なり。心有るに心無きは、本體ほんたい是なり。

八五 不レ知而知者、道心也。知而不レ知者、人心也。

〔譯〕知らずして知る者は、道心だうしんなり。知つて知らざる者は、人心じんしんなり。

八六 心靜、方能知二白日一。眼明、始會レ識二青天一。此程伯氏之句也。青天白日、常在二於我一。宜下掲二之座右一、以爲中警戒上。

〔譯〕心靜しづかにして、方まさに能く白日を知る。眼明かにして、始めて青天を識り會えすと。此れ程伯氏ていはくしの句なり。青天白日は、常に我に在り。宜しく之を座右ざいうに掲かゝげて、以て警戒けいかいと爲すべし。

八七 靈光充レ體時、細大事物、無二遺落一、無二遲疑一。

〔譯〕靈光れいくわう體たいに充みつる時、細大さいだいの事物、遺落ゐらく無く、遲疑ちぎ無し。

〔評〕死を決するは、薩さつの長ずる所なり。公義を説くは、土の俗ぞくなり。維新いしんの初め、一公卿あり、南洲の所に往いて復古ふくこの事を説く。南洲曰ふ、夫れ復古は易事いじに非ず、且つ九重阻絶そぜつし、妄みだりに藩人を通ずるを得ず、必ずや縉紳しんしん死を致す有らば、則ち事或は成らんと。又後藤象ごとうしやう次郎に往ゆいて之を説く。象次郎曰ふ、復古は難かたきに非ず、然れども門地もんちを廢はいし、門閥もんばつを罷やめ、賢けんを擧あぐること方はうなきに非ざれば、則ち不可なりと。二人の本領自ら見あらはる。

八八 人心之靈、如二太陽一然。但克伐怨欲、雲霧四塞、此靈烏在。故誠レ意工夫、莫レ先下於掃二雲霧一仰中白日上。凡爲レ學之要、自レ此而起レ基。故曰、誠者物之終始。

〔譯〕人心の靈れい、太陽たいやうの如く然り。但だ克伐こくばつ怨欲えんよく、雲霧うんむ四塞しそくせば、此の靈れい烏いづくに在る。故に意を誠まことにする工夫は、雲霧うんむを掃はらうて白日を仰あふぐより先きなるは莫なし。凡そ學を爲すの要えうは、此これよりして基もとゐを起おこす。故に曰ふ、誠は物の終始しゆうしと。

八九 胸次清快、則人事百艱亦不レ阻。

〔譯〕胸次きようじ清快せいくわいなれば、則ち人事百艱かん亦阻そせず。

九〇 人心之靈、主二於氣一。氣體之充也。凡爲レ事、以レ氣爲二先導一、則擧體無二失措一。技能工藝、亦皆如レ此。

〔譯〕人心の靈れいは、氣きを主しゆとす。氣は體たいに之れ充みつるものなり。凡そ事を爲すに、氣を以て先導せんだうと爲さば、則ち擧體きよたい失措しつそ無し。技能ぎのう工藝こうげいも、亦皆此かくの如し。

九一 靈光無二障碍一、則氣乃流動不レ餒、四體覺レ輕。

〔譯〕靈光れいくわう障碍しやうげ無くば、則ち氣き乃ち流動りうどうして餒うゑず、四體したい輕かるきを覺おぼえん。

九二 英氣是天地精英之氣。聖人薀二之於内一、不三肯露二諸外一。賢者則時時露レ之。自餘豪傑之士、全然露レ之。若下夫絶無二此氣一者上、爲二鄙夫小人一、碌碌不レ足レ算者爾。

〔譯〕英氣は是れ天地精英せいえいの氣なり。聖人は之を内に薀をさめて、肯あへて諸これを外に露あらはさず。賢者は則ち時時之を露あらはす。自餘じよ豪傑の士は、全然之を露あらはす。夫かの絶たえて此この氣きなき者の若きは、鄙夫ひふ小人と爲す、碌碌ろく〱として算かぞふるに足らざるもののみ。

九三 人須レ著二忙裏占レ間、苦中存レ樂工夫一。

〔譯〕人は須らく忙裏ばうりに間かんを占しめ、苦中くちゆうに樂らくを存ずる工夫を著つくべし。

〔評〕南洲岩崎谷洞中に居る。砲丸雨の如く、洞口を出づる能はず。詩あり云ふ「百戰無レ功半歳間、首邱幸得レ返二家山一。笑儂向レ死如二仙客一。盡日洞中棋響間」(編者曰、此詩、長州ノ人杉孫七郎ノ作ナリ、南洲翁ノ作ト稱スルハ誤ル)謂はゆる忙ばう中に間を占むる者なり。然れども亦以て其の戰志無きを知るべし。余句あり、云ふ「可レ見南洲無二戰志一。砲丸雨裡間牽レ犬」と、是れ實録じつろくなり。

九四 凡區二處人事一、當下先慮二其結局處一、而後下上レ手。無レ楫之舟勿レ行、無レ的之箭勿レ發。

〔譯〕凡そ人事を區處くしよするには、當さに先づ其の結局けつきよくの處を慮おもんぱかりて、後に手を下すべし。楫かぢ無きの舟は行やる勿なかれ、的まと無きの箭やは發はなつ勿れ。

九五 朝而不レ食、則晝而饑。少而不レ學、則壯而惑。饑者猶可レ忍、惑者不レ可二奈何一。

〔譯〕朝あさにして食くらはずば、晝ひるにして饑うう。少わかうして學ばずば、壯にして惑まどふ。饑うるは猶忍しのぶ可し、惑まどふは奈何ともす可からず。

九六 今日之貧賤不レ能二素行一、乃他日之富貴、必驕泰。今日之富貴不レ能二素行一、乃他日之患難、必狼狽。

〔譯〕今日の貧賤ひんせんに素行そかうする能はずば、乃ち他日の富貴ふうきに、必ず驕泰けうたいならん。今日の富貴ふうきに素行そかうする能はずんば、乃ち他日の患難くわんなんに、必ず狼狽らうばいせん。

〔評〕南洲、顯職けんしよくに居り勳功くんこうを負おふと雖、身極めて質素しつそなり。朝廷賜たまふ所の賞典しやうてん二千石は、悉こと〲く私學校の費ひに充あつ。貧困ひんこんなる者あれば、嚢のうを傾かたぶけて之を賑すくふ。其の自ら視ること欿然かんぜんとして、微賤びせんの時の如し。

九七 雅事多是虚、勿下謂二之雅一而耽上レ之。俗事却是實、勿下謂二之俗一而忽上レ之。

〔譯〕雅事がじ多くは是れ虚きよなり、之を雅がと謂うて之に耽ふけること勿れ。俗事却て是れ實なり、之を俗と謂うて之を忽ゆるがせにすること勿れ。

九八 歴代帝王、除二唐虞一外、無二眞禪讓一。商周已下、秦漢至二於今一、凡二十二史、皆以レ武開レ國、以レ文治レ之。因知、武猶レ質、文則其毛彩、虎豹犬羊之所二以分一也。今之文士、其可レ忘二武事一乎。

〔譯〕歴代れきだいの帝王、唐虞たうぐを除のぞく外、眞の禪讓ぜんじやうなし。商周しやうしう已下いか秦漢しんかんより今に至るまで、凡そ二十二史、皆武を以て國を開き、文を以て之を治む。因つて知る、武は猶質しつのごとく、文は則ち其の毛彩まうさいにして、虎豹こへう犬羊の分るゝ所以なるを。今の文士、其れ武事を忘る可けんや。

九九 遠方試レ歩者、往往舍二正路一、趍二捷徑一、或繆入二林莾一、可レ嗤也。人事多類レ此。特記レ之。

〔譯〕遠方えんぱうに歩を試こゝろむる者、往往にして正路せいろを舍すてて、捷徑せうけいに趍はしり、或は繆あやまつて林莾りんまうに入る、嗤わらふ可きなり。人事多く此に類るゐす。特とくに之を記しるす。

一〇〇 智仁勇、人皆謂二大徳難一レ企。然凡爲二邑宰一者、固爲二親民之職一。其察二奸慝一、矜二孤寡一、折二強梗一、即是三徳實事。宜下能就二實迹一以試レ之可上也。

〔譯〕智仁勇は、人皆大徳たいとく企くはだて難しと謂ふ。然れども凡そ邑宰いふさいたる者は、固と親民しんみんの職しよくたり。其の奸慝かんとくを察し、孤寡こくわを矜あはれみ、強梗きやうかうを折くじくは、即ち是れ三徳の實事なり。宜しく能く實迹に就いて以て之を試こゝろみて可なるべし。

一〇一 身有二老少一、而心無二老少一。氣有二老少一、而理無二老少一。須丙能執下無二老少一之心上、以體乙無二老少一之理甲。

〔譯〕身に老少らうせう有りて、心に老少無し。氣に老少有りて、理に老少無し。須らく能く老少無きの心を執とつて、以て老少無きの理を體たいすべし。

〔評〕幕府ばくふ南洲に禍わざはひせんと欲す。藩侯はんこう之を患うれへ、南洲を大島おほしまに竄ざんす。南洲貶竄へんざんせらるゝこと前後數年なり、而て身益壯さかんに、氣益旺さかんに、讀書是より大に進むと云ふ。

底本 / Source edition

底本:「西郷南洲遺訓」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和14)年2月2日第1刷発行
1985(昭和60)年2月20日第26刷発行
底本の親本:「南洲手抄言志録」博聞社
1888(明治21)年5月17日発行
初出:「南洲手抄言志録」博聞社
1888(明治21)年5月17日発行
※「「褒」の「保」に代えて「丑」」は「デザイン差」と見て「衰」で入力しました。
※底本の末尾に添えられた「書後の辭」で、秋月種樹氏が漢文の評言を附したとある。
入力:田中哲郎
校正:川山隆
2008年7月14日作成
2009年9月1日修正
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TEI
/works/048284_001331/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/048284_001331/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/048284_001331/

秋月 種樹、佐藤 一斎「南洲手抄言志録──03 南洲手抄言志録」(旧字旧仮名)、底本『西郷南洲遺訓』岩波文庫、岩波書店、1939年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 048284_001331, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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