Soranoha

赤い壺(三)

あかいつぼ(さん)

種田 山頭火

物を弄ぶのはその物の真髄を知らないからである。理解は時として離反を齎もたらすけれど、断じて玩弄というような軽浮なものを招かない。

鏡を持たない人は幸福である。その人は自分が最も美しいと信じきっている。私はそういう見すぼらしい幸福を観るにも堪えない。

自己を愛するということは自己に侫おもねることではない、自己に寛大であることではない。真に自己を愛するものは、自己に対して最も峻厳であり残酷でさえある。

自分の罪を許すことの出来ない人は他の罪を許すことも出来ない。他の罪を責める人は、より多くの自分の罪を責める人でなければならないと同じ道理である。

生存は悲痛なる事実である。その悲痛なる事実であることを理解することによって、そしてその悲痛なる事実の奥底まで沈潜することによってのみ堪え得られる事実である。

妻があり子があり、友があり、財があり、恋があり酒があって、尚お寂しいのは自分というものを持っていないからである。

張りきった心、しかも落ちついた心でありたい。何物をも拒まない、何物にも動かされない心でありたい。

蒔いた人は刈れ、蒔いた人のみ刈れ。蒔いた人の強さよ、刈る人の尊さよ。

自然に対して侫ねるなかれ。

自己を掘る人の前にはたった一つの道しかない。狭い険しい、ともすれば寂しさに泣かるる道しかない。

叱られて泣いた昨日があった。殴られて腹も立たない今日である。――悔なき明日が来なければならない。

外部の圧迫は内部の破綻を緊密にする。そこに人間性の痛切な一面がある。

死を恐れないのではない、死よりも恐ろしいものがあるからである。

肉を虐げることによって霊を慰める人のはかなさは!

霊肉合致とは霊が肉を征服することでなくして肉が霊のあらわれとなることである。

彼が堕落の悲しさよ、彼は真摯なるが故に堕落したのである。

骨肉のなつかしさ、骨肉のあさましさ。

犠牲という言葉のためにはあまりに多くの犠牲が払われた。

(「層雲」大正五年三月号)

底本 / Source edition

底本:「山頭火随筆集」講談社文芸文庫、講談社
2002(平成14)年7月10日第1刷発行
2007(平成19)年2月5日第9刷発行
初出:「層雲 大正五年三月号」
1916(大正5)年3月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年5月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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種田 山頭火「赤い壺(三)」(新字新仮名)、底本『山頭火随筆集』講談社文芸文庫、講談社、2002年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 048235_000146, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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