Soranoha

大硯君足下

たいけんくんそっか

石川 啄木

大硯君足下。

近頃或人が第二十七議會に對する希望を叙べた文章の中に、嘗て日清及び日露の兩戰役に當つて、滿場一人の異議もなく政府の計畫を翼贊して、以て擧國一致の範を國民に示した外に、日本の議會には今まで何の功績も無いと笑つてゐた。私のこの手紙も其處から出立する。私はこの或人の物凄い笑ひがまだ〱笑ひ足りないと思ふ。かう言へば足下には直ぐ私の心持が解るに違ひない。實際それは彼の兩戰役の際の我々の經驗を囘顧して見れば、誰にでも頷うなづかれる事なのである。日清戰役の時は、我々一般國民はまだほんの子供に過ぎなかつた。反省の力も批評の力もなく、自分等の國家の境遇、立場さへ知らぬ者が多かつた。無論自分等自身の國民としての自覺などをもつてゐる者は猶更少なかつた。さういふ無知な状態に在つたからして、「膺うてや懲こらせや清國を」といふ勇ましい軍歌が聞えると、直ぐもう國を擧げて膺てや懲せや清國をといふ氣になつたのだ。反省もない。批評もない。その戰爭の結果が如何どんな事になるかを考へる者すら無いといふ有樣だつた。さうして議會も國民と全く同じ事をやつたに過ぎないのである。それが其の次の大戰役になると、前後の事情が餘程違つて來てゐる。事情は違つて來てゐるが、然し議會の無用であつた事は全く前と同じである。日露戰爭に就いては、國民は既に日清戰爭の直ぐ後から決心の臍を堅めてゐた。宣戰の詔勅の下る十年前から擧國一致してゐた。さうして此の兩戰役共、假令議會が滿場心を一にして非戰論を唱へたにしたところで、政府も其の計畫を遂行するに躊躇せず、國民も其の一致した敵愾感情を少しでも冷却せしめられなかつたことは誰しも承認するところであらう。――大硯君足下。こんな事を言ふのは、お互ひ立憲國民として自ら恥づべき事ではあるが、然し事實は如何とも枉まげがたい。日本の議會は或人々から議會としての最善の能力を盡したと認められた場合に於てさへ、よく考へて來れば、全くあつても無くても可いやうな事をしてゐたに過ぎないのである。

尤も彼の兩戰役……日清、日露……の時は、少くとも國民から恨まれるやうな事だけは爲出かさなかつたのであるから、平生善くない事ばかりやつてゐる議會に對しては、賞ほめて呉れても可ゝかも知れない。然しそれも、考へて見ると隨分危險な譯である。戰爭といふものは、何時の場合に於ても其の將に起らんとするや既に避くべからざる勢ひとなつてゐるものである。さうして其の時に當つては、外の事とは違つて一日一時間の餘裕もないものである。既に開戰された後にあつては猶更である。隨つて其處にはもう言議の餘地がない。假令たとへ言議を試みる者があるにしても、責任を以て國家を非常の運命に導いた爲政者にはもうそんな事に耳を傾けてゐる事が出來ない。是が非でも遣る處までは遣り通さなければならぬ。又さうする方が、勝利といふものを豫想し得る點に於て、既に避くべからずなつたものを避ける爲に起る損害を敢てするよりは如何なる政治家にもやり易いのだ。然し戰爭は決して地震や海嘯つなみのやうな天變地異ではない。何の音沙汰も無く突然起つて來るものではない。これ此の極めて平凡なる一事は今我々の決して忘れてはならぬ事なのである。歴史を讀むと、如何なる戰爭にも因あり果あり、恰も古來我が地球の上に戰はれた戰爭が、一つとして遂に避くべからざる時勢の必然でなかつたものがないやうにも見えるが、さう見えるのは、今日我々の爲に殘されてゐる記録が、既に確定して了つた唯一つのプロセスのみを語つて、其の當時の時勢が其のプロセスを採りつゝある際に、更に幾多の方向に進むべき機會に遭遇してゐた事に就いては、何も語つてゐないからである。(明治四十四年一月七日稿)

底本 / Source edition

底本:「啄木全集 第十卷」岩波書店
1961(昭和36)年8月10日新装第1刷発行
入力:蒋龍
校正:小林繁雄
2009年9月10日作成
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石川 啄木「大硯君足下」(旧字旧仮名)、底本『啄木全集 第十卷』岩波書店、1961年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 048159_000153, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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