Soranoha

プルウスト雑記

プルウストざっき

堀 辰雄

一

一九三二年七月七日

今朝、僕はこんな夢を見た。

僕はひとりで活動小屋にはひつた。僕はうつかり眼鏡を忘れてきたことに氣がついた。いつもなら活動小屋の一番後の席に坐るのだが、しやうがないので僕はずつと前の方へ出て行つた。さうしたら、やつとスクリインの繪が見え出した。それにはなんだか妙に美しい色彩がついてゐた。そして沙漠のやうなところで獸めいたものが格鬪してゐるのだつた。……

僕は眠りから醒めてからも、その夢を鮮明に記憶してゐた。そして煙草を喞へたまま、しばらくぼんやり籐椅子に凭れてゐるうちに、ふと數年前、この夢とほとんど同じやうな現實の經驗をしたことのあるのを思ひ出した。僕はその時もやはり眼鏡を忘れたまま活動小屋にはひつたのだつた。ただ夢とすこし異ふのは、その頃はまだ活動小屋にもオオケストラ・ボックスがあつて、そのまはりには子供たちが大ぜい群がつてゐたが、僕もその中に混つて待つて、半分はそのボックスの中を珍らしさうにのぞきながら、半分は筋などは何が何やら分らずにスクリインを眺めてゐた。

さういふ夢と、その動機とも見えるやうな過去の經驗とを、代る代る思ひ浮べてゐるうちに、僕は何故かしらとても上機嫌になつてきた。そして僕は突然、それが數年前の自分がオオケストラ・ボックスの中をのぞきこみながら漠然と感じてゐた、妙に悦ばしいやうな感情に酷似してゐるのに氣がついた。――それは僕の幼時の追憶から生ずる特異な感情にちがひなかつた。といふのは、そんな風にオオケストラ・ボックスの中をのぞきこんでゐることが、いつもさうしてゐた子供の頃の僕に、その時の僕を立戻らせてしまつてゐたからだつた。そしてそんな僕には、僕の幼時の全體が、――「ジゴマ」だの、「名金」だの、レストランではじめて食べた蝦フライの匂だの、ふだんはどうもよく思ひ出せないでゐる死んだお母さんの聲だのが、思ひがけずはつきりと泛んで來てゐたからだつた。……

僕は今朝の夢のおかげで、それらの過去の經驗の一切を知らず識らずの裡に再び思ひ出してゐたのだ。それで今朝はこんなに機嫌がよいのだ。

⁂

何故こんな夢の話を君にしだしたのか、君にはもう解つてゐるだらう。さう、君の御推察のごとく、たしかにこの夢にはプルウストの影響がある。そしてそれからそれへと僕は最近讀み出してゐるプルウストのことを考へてゐるうちに、なんだかとても君に手紙が書きたくなつた。と言つたからつて、何もプルウストのことを君に話して聞かす自信があるほど、僕はまだ充分には讀んでゐない。君のところからプルウストの本を腕一ぱいかかへて借りて來たのはもう數過間前だが、僕の佛蘭西語のあまり出來ないことは御存知のとほりだし、それに第一あのプルウストの難解な文章だらう。おまけにそれが小さい活字でぎつしり組んであるので、(これは餘談だが、誰やらがうまいことを言つてゐた、プルウストの小説は、他の作家のものがすべて時や分を記述するのとは異り、秒を記述してゐるのだから、ああいふ小さい活字で組まなくつちや感じが出まいと。)一日に一頁讀んだだけでも大抵がつかりする。とても、どの一册だつて初めから終りまで通讀しようなんといふ氣にはなれない。だから僕は手あたり次第に一册引つこ拔いては、出まかせに開けた頁を讀むことにしてゐる。かうして讀むと割合に倦きずに讀める。――すこし亂暴なやうだが、その後N・R・Fのプルウスト追悼號の中でヴァレリイがプルウストの作品は何處から讀み始めて何處で切つても差支へないものだと言つてゐるのを發見して大いに意を強くしたね。追悼號と云へば、あれで見ると佛蘭西の歴とした文人たちも、プルウストを讀むのにかなり閉口したらしく、中でもルネ・ボワレエヴといふ作家などは、最初は「スワン家の方」をどうしても讀み通すことが出來ないで途中で投げ出したが、シャルル・デュ・ボスの「アプロクスィマシオン」の中の原文からの引用の豐富なプルウスト論を讀んで、非常に興味を感じ出し、それから一息に七册ばかり讀み通してしまつたと白状してゐる。(シャルル・デュ・ボスのそのプルウスト論は僕も讀んで見たが面白いものだつた。)――とにかく本場の佛蘭西人さへプルウストには手古摺つてゐるらしいので大いに僕も意を強くする。

數日前、僕は或る場未の古本屋からN・R・Fのジャック・リヴィエェル追悼號を十錢で掘出してきたが、その中にリヴィエェルが何處かでやつたプルウストに關する講演の原稿が載つてゐるので、早速讀んで見たが、リヴィエェルもやはり平素音樂的な文體が好きだつたので、プルウストの、「まるで引き伸ばして頁の隅々にピンで留めたやうな文體」には散々惱まされたことを告白してゐる。後年あれほどのプルウスト贔屓になつたこの人までが、それなのだからね。

このリヴィエェルのプルウスト論、それにさつき擧げたシャルル・デュ・ボスの奴とが、先づ、僕の讀んだもののうちでは、プルウスト論の雙璧だらうね。これ等に此べると、バンジャマン・クレミユだとか、レオン・ピエェル・カンなどのものはすこし落ちるやうだ。――が、君に借りてきたロベェル・ドレィフュスの囘想記のなかで僕はひよつくり面白い一節を見つけた。プルウストがその第一作、「スワン家の方」を世に問うた時、ルタン紙の記者が早速彼を訪問して彼に感想を乞うた。そのときの談話筆記が、そのまま其處に再録されてあるのだ。これは掘出物だと思ふ。――僕はそれを讀むまでは、プルウストの批評といへば、かならず時間を論じ、ベルグソニスムを論じ、或は無意識を論じてゐるのを、これは一つの流行かと思つてゐたが、何んとその流行の創始者が當のプルウストであるとは知らなかつた。で、そのマニフェスト(?)なるものはどういふものかと云ふと、先づ、彼は彼の厖大な小説を分册にして出さなければならぬことを遺憾とし、「自分は今日のアパアトメントには大きすぎる絨毯をもつてゐるので、それを切斷すべく餘儀なくされてゐるものだ」と云つてゐる。さて彼は續けて云ふ。「平面幾何學といふものに對して、立體幾何學といふものがあるやうに、自分にとつては、小説は平面心理學であるのみならず、立體心理學なのである。(この譯語はいささか妥當でない。前者の la géométrie dans l'espace といふ術語に對して la psychologie dans le temps といふ新しい術語を使用してゐるのだが適當な譯語が思ひつかないので假りにかう譯す。)――時間の見えざる實在、それを私は孤立させようと試みるのだ。そのためには經驗が持續してゐることが必要だ。」それで彼の小説は長ければ長いほど完全に近くなるといふ訣なのだ。そして更に續ける。「自分が希望するのは、自分の小説のおしまひの方で、この小説の始まりのところでは全然別箇の世界に住んでゐる、さまざまの人物の間のごく小さな事件が、時間の經過した結果として、あのヴェルサイユ宮殿の緑青のついた鉛のもつてゐるやうな美しさを所有するやうになることだ。」――これは例へば、第一卷の「スワン家の方」あたりではまだ全然別箇の世界に屬するものとして作者から示されてゐるスワン孃とサン・ルウとが、最後の卷になつて(それもごく自然な順序をたどりながら)遂に結婚するに至ることなどを暗示してゐるのだらうが、まあ何といふ遠大な計畫をたてたことか! 僕等なんかだつたらたとへさういふ構想を思ひついたにしろ、とてもそれに取りかかつてその十分の一だけでも書き上げる根氣すらなささうだ。第一、誰も相手になぞしてくれまい。それはプルウストだつて、――最初の一卷「スワン家の方」を出しただけでは、そんなことを世間にいくら言つても、誰にも聞いて貰へさうもないことは知つてゐただらう。事實、このルタン紙上の一文はその當時は一笑に付せられたらしい。だが、彼はそれから十年間といふもの、あの有名なコルク張りの病室に閉ぢこもつたきり、死の直前まで默々と仕事を續けて、遂にそれを全部完成して了つたのだ。リヴィエェルの所謂「彼の宿命のごとく思はれる受動的パッシイフなるものを能動的アクティフなるものに換へんとする努力」はかくして成就されたのだ。

僕がいまちよつと引用したリヴィエェルの言葉はなかなか面白いだらう。が、これはもつと説明する必要がある。それはこの次ぎの手紙ででもゆつくり書かう。今は、折角觸れかかつたのだから、もうすこしプルウストに於ける時間の問題から離れずにゐよう。

⁂

プルウストがその作中人物を描く方法には、極めて多くの獨創的なものがあるが、そのうちの最も斬新な一つは、それは彼がその小説のなかに時間の經過する感じを與へようとしたためであることが解る。再びさつきのルタン紙上のインタアヴィユに戻るが、その中でかういふことを云つてゐる。

「汽車がうねりくねつた線路を走つてゐる間、或時は右に、或時は左に見える、あの小さな町の中にでもゐるやうに同じ人間が、まるで入れ代り立ち代り現はれてくる別々の人間であるかのやうに讀者に印象されるほどの、ひとつ人間のさまざまな姿は――その爲にのみ――時間の過ぎてゆく感じを與へるものだ。」

つまり、現實の中でも屡〻起ることであるが、いま自分の前にゐる一人の人間が、ちよつと時間が經ちさへすれは、それとはまるで異つた人間のやうに印象されてくることがある。それがわれわれには如何にも時間の過ぎつつあるといふことを感じさせる。――プルウストはさういふ「強い、ほとんど無意識的の印象」に目をつけて、それを彼の人物を描く方法に取り入れたのだ。例へば、「スワンの戀」のなかに描かれてゐるオデット・クレッシイだが、あれくらゐ時間の過ぎるにつれて刻々に變化する性格と容姿をもつた、少々妖精じみたところさへある女性は、ちよつと類が無いではないか。なるほど、オデットは何處かしらモリエェルの書いたセリメエヌに似てゐないことはない。まあ、ああいつたタイプの女にちがひない。しかし、それだつても、ボッチチェリイの描いたジェトロの娘に彼女が似てゐると云ふより以上のことではない。そしてさういふ聯想は、唯、プルウストが彼の人物を生かすことの出來た手腕において、さういふ大家たちの間に伍して少しも遜色のなかつたことを證明するやうなものであらう。

プルウストの人物の描き方については、さういふ際立つた特徴に次いで、もう一つの特徴が認められる。そのもう一つの特徴といふのは、――僕はこの間、コンブレエの教會での結婚式におけるゲルマント公爵夫人の顏をプルウストが描寫してゐる一節を讀み返しながら、意外に思つたのだが、そこをずつと前に初めて讀んだ時から、僕は何時の間にか自分勝手にその公爵夫人の顏を世にも美しいものに作り上げてしまつてゐたと見える。だが實際は、そこには、むしろ苛酷な位の筆で、ことさらにその「高い鼻、するどい眼、赤らんだ頬」を目立たせるやうな工合に、決して美しい顏としてでなく、夫人の顏が描かれてあるに過ぎないのだ。僕はちよつと欺されてゐたやうな氣がした。「これは僕がずつと前に讀んだことのあるゲルマント夫人の顏ぢやない。」――だが、僕はその一節をすつかり讀み畢へてその本を開ぢながら、もう一度その夫人の顏を宙に浮べて見た。すると、どうだらう。今度は、その高い鼻、碧い眼、赤らんだ頬がまだ僕の眼前に髣髴してゐるにもかかはらず、その夫人の顏はだんだん前に増して美しく思はれ出したのだ。「さう、やつぱり僕の知つてゐたゲルマント夫人だつたんだ!」――さうひとりごちながら、ははあ、こんなところにも、プルウストの作中人物を解く二つの鍵があるのかも知れぬと思つた。

シャルル・デュ・ボスが、オペラの棧敷の中で捕まへてゐるのも、さういふゲルマント公爵夫人の感嘆すべき肖像畫の一つだ。

彼女(ゲルマント公爵夫人)を、薄あかりを浴びて物語めいてゐる他の娘たちよりも、ずつと上位に置いてゐるその美しさといふものは、彼女の頸や、肩や、腕や、胴などの上に、はつきりと、誰にもすぐ分るやうに、見えはしなかつた。そしてさういふ、彼女の微妙な、未完成な線は、われわれの目がそれを引き延ばさずには居られない、見え難い、不思議な線の正確な出發點であり、暗闇の中のスクリインの上に完全な姿となつて投影されてゐるスペクトルのやうな、その婦人のまはりでぴちぴち跳つてゐる線のおのづからなる塊りであつた。

「ゲルマントの方」Ⅰ

さういふ、われわれの目がそれから現實的レアルな線を引き延ばさずにはゐられないやうな、不思議な、見え難い線、そこにこそ、プルウストの目のみならず、彼の精神が絶えず追究してゐたところの實驗があるのだ、とシャルル・デュ・ボスは説いてゐるのである。

⁂

なんだかすこし尻切蜻蛉のやうだが、ここいらで一度ペンを置く。が、僕は君にもつともつとしやべりたいことがあるのだ。僕はプルウストに關する著書が後から後からと出るのに驚いてゐたものだが、この調子なら僕にもそのうち一册の書物位は書けさうな氣がする。が、今日はもうへとへとに疲れた。當分僕のプルウスト熱はさめさうもないから、どうぞ次の僕の手紙を待つてゐて呉れたまへ。左樣なら。

二

七月十日

この間僕は本郷の古本屋でルノアァルの素ばらしい畫集を見つけた。そしてどうしてもそれが欲しくてたまらなくなつて、昨日、とうとうそれを買つてきた。

僕の買つた畫集は一九一三年、巴里の Bernheim-Jeune 刊行のものだ。六百部の限定版。金が無かつたので、僕は仕方なしにそれまで大事にしてゐたデュフィとモディリアニの畫集を賣つてやつとそれを手に入れた。

それほど僕はこのルノアァルの畫集が欲しかつたのだ。またしても、ここにプルウストの影響があるらしい。

それは丁度、僕が昔コクトオに熱中してゐるうちにいつかピカソやキリコの繪を愛し出したのによく似てゐる。僕はこの頃プルウストのおかげですこし頭が古くなつたのか、どうやら印象派の畫家たち――ことにマネエやルノアァルやクロオド・モネエの繪が非常に好きになつて來たやうだ。マネエなんかも好い畫集があつたら何とでもして買て來るだらう。ところで、こんな工合に僕がコクトオを通してピカソやキリコの繪に興味を持つたり、プルウストの影響でルノアァル等が好きになつたりするといふことは、それを裏がへしにして考へて見ると、コクトオはピカソやキリコ等の畫家に、そしてプルウストは印象派の畫家たちに多くのものを負うてゐるやうなことになりはしないだらうか?

僕は何處でもいいからプルウストの一頁を開けて見よう。例へばここに、かういふ一節がある。

私はエルスティルの水彩畫の中でこれらのものを見てからといふもの、私はこれらのものを現實の中に再び見出したく思ひもしたし、又、何か詩的なものとしてこれらのものを愛するやうにもなつたのである。……まだ横に置かれてあるナイフのでこぼこな面おもて、日光がその上に黄いろい天鵞絨を張りつけてゐる放り出されたナフキンのふくらんだ突起、その形の氣高い圓味をかくも美しく見せてゐる半分空虚からになつたコップ(その厚いガラスの底の透明なことはまるで日光を凍らしでもしたやうだ)薄暗いなりに照明あかりできらきらしてゐる葡萄酒の殘り、固體の移動、照明のための液體の變化、半分減つた果物皿の中で緑から青へ、それからまた青から金へと移る李すももの變化、卓の上に擴げられた布のまはりに日に二囘は坐りにやつてくる年老いた椅子たち、(その卓の上では牡蠣の貝殼のなかに、小さな石の聖水盤のなかにのやうに、數滴の水が殘つてゐる)――かういふ今まではこんなものの中に美があるとは思ひもしなかつたやうな、もつとも日常的な事物のなかに、「靜物」の深味のある生のなかに、私は美を發見しようと試みるのであつた。

「花さける少女の影に」Ⅱ

印象派の、まるでクロオド・モネエか何ぞの繪でも見てゐるやうな感じがしないか。――僕はプルウストをベルグソンやフロイドに結びつけて考へようとする人達をよく見かけるが、僕にはプルウストは、さういふ哲學者や心理學者たちよりもずつと深い暗示を、これら印象派の畫家たちから得てゐるやうに思はれるのだ。

⁂

しかし、さういふのは僕がベルグソンやフロイドの著書をあまり讀んだことがないからかも知れない。もつとベルグソンやフロイドを讀んだら(そしてそれを讀みたいと思ふ欲望はこの頃しきりに起るのだけれど)、さういふ議論もうなづけるかも知れない。フロイドの方は知らなかつたらしいが、プルウストは若い時分にベルグソンをかなり熱心に讀んでゐたやうである。そして自分でも、この前の手紙に引用したルタン紙のインタアヴィユの中で、自分の小説を「ベルグソニスムの小説」と呼んでも恥しくないと言明してゐる。唯、それにかういふ訂正をつけ加へてゐる。「しかし、それは正確とは云へない。何故なら、自分の作品は無意的記憶(la mémoire involontaire)と有意的記憶(la mémoire volontaire)との差別によつて支配されてゐるのだから。この差別はベルグソン氏の哲學に現はれなかつたのみならず、むしろそれと矛盾さへしてゐるのだ。」

僕はベルグソンをよく知らないので、さういふプルウストの意向を充分に理解することは出來ない。だからそれに對する批評は控へよう。そして此處はただ、プルウストの謂ふところの「無意的記憶」なるものにちよつと觸れて見よう。プルウストはそれを自分でかう説明してゐるのである。

「私には、有意的記憶――それは就中理智の記憶だが――なるものは、過去の眞實ならざる面をしか與へてくれないやうに思へる。が、昔とはまつたく異つた環境の下で、ふと思ひ出された或る匂とか、或る味とかが、思ひがけずわれわれに過去を喚び起すときは、われわれはさういふ過去が、われわれの有意的記憶が下手な畫家のやうに眞實ならざる色彩をもつて描いた過去とは、如何に相違してゐるかを理解する。諸君はすでにこの最初の卷「スワン家の方」において、話者がこんな話をするのを御覽になる筈だ、――「私」(この私ではない)が突然、マドレエヌの一片の落してあるお茶の一口の味の中に、忘れてゐた多くの年月、庭園、人々を思ひ出すといふ話を。勿論、彼はそれを有意的に思ひ出すことも出來ただらうが、その場合にはそれ獨得の色彩もなければ魅力もないのだ。そして作者が彼をして云はしめ得たのは、薄い紙片を茶碗のなかに浸すとすぐにそれが水中に擴がり、形をとり、花に變ずる、あの日本の小さな遊戲でのやうに、さまざまな人物、庭園のすべての花、ヴィヴォンヌ河の睡蓮、村の善良な人々や彼等の小さな家々、教會、コンブレエとその近郊、それらすべてのものが、はつきりした形をとりながら、その茶碗の中から町となり庭となつて現はれたといふことだ。」

ベルグソンがかういふ「記憶」の問題をどう取扱つてゐるかと云ふことを知れば一層興味がありさうに思へるが、僕は殘念ながらこの問題に今は立入れない。しかし、ベルグソンと云へば、僕は、數年前澄江堂の藏書を整理してゐるうちに、ふとベルグソンの「形而上學序説」の英譯本の餘白に見出した數行の書入れを思ひ出す。なんでもベルグソンの哲學は「美しい透明な建築を見るやうな感じだ」と云ふやうな意味が記されてあつたやうに記憶してゐる。そして僕は長いことこの芥川さんの言葉を忘れてゐたのであるが、最近プルウストを讀み出してゐるうちにひよつくりそれを思ひ出した。さういふ全體の感じなどに、或は、プルウストとベルグソンとは何處となく一味相通じたところもあるのかも知れない。

ある日、僕はもう一度その書入れを見たいと思つて、澄江堂に出かけて行つた。しかし書棚をいくら探して見てもその本はとうとう見つからなかつた。が、その代りに僕はサミュエル・バトラアの「Unconscious Memory」といふ本を見つけた。ちよつと手にとつて見ると、ハルトマンの無意識哲學などを論じたものらしかつた。僕はいまバトラアまで讀んで見る氣はしないので、一目見たきりで再びその本を元のところに入れて置いた。ベルグソンの本を探しに行つてそれが見つからずに、バトラアを頭に入れて歸つてきたのはすこし妙な氣持であつた。僕は家へ歸つてからも、なんだかそれが氣になるので、手許にあつたバトラアの「ノオト・ブック」を開いて見てゐるうちに、僕は圖らずも興味深い數頁を發見した。その中でも一番面白いと思つたのは、彼の友人がある日生爪を剥がして突然子供の時分にそれと同じ經驗をした時のことをそれからそれへと思ひ出す話を書いた「剥がした爪」といふ一章である。これを引用するとすこし長くなりさうなので、ここには省略するが、例へば次のやうな簡單な話でもいい。

ある朝、私は「サウル」の中の“On Sweetest Harmony”の曲を口ずさんでゐた。ジョンがそれを聞いて私に言つた。「君は何故その曲を口ずさんでゐるのか知つてゐるかい?」

私は知らないと答へた。すると彼は言つた。

「二分ばかり前、僕が“Eagles were not so swift”を口ずさんでゐるのを君は聞きはしなかつたか?」

私はどうもその覺えがないし、それに私がその合唱を自分でやつたのはよほど昔のことだつたから、私がそれを意識的に認めてゐたとは考へられないが私がそれを無意識的に認めてゐたことは、私がそれの次にくる“On Sweetest Harmony”を口ずさんでゐたことからして明瞭である。

バトラアは、かういふ「無意識的なるもの」が我々の生の根元になつてゐることをハルトマンと共に言ひたいのであらう。――少し道草を食つてしまつたが、プルウストを論じてバトラアにまで及んだ者は、遺憾ながら、僕が最初の男ではない。バトラアの「ノオト・ブック」の中でそんな發見をして僕は少し得意になつてゐたら、シャルル・デュ・ボスが既にそのプルウスト論の中で、この二人を此較しつつ論じてゐたのであつた。そしてこの分析好きの批評家は、其處でプルウストとバトラアとを同系統の分析家として取扱つてゐるのである。しかし「The Way of All Flesh」の作者はともかくも、プルウストをそのやうな分析家として解釋するのは、ちよつと僕には同意しがたいものがある。やはりジィドやリヴィエェルのやうに、プルウストには事物がひとりでにさういふ風に――あたかも分析したかのやうに――見えたのだと解した方がよくはないだらうか?

――リヴィエェルと云へば、彼のプルウストに關する講演のことを書く書くと云ひながら、いまだに約を果さずにゐるが、この次にはきつと書くつもりだ。

三

七月十三日

この二三日、僕は君に約束をしたジャック・リヴィエェルのプルウストに關する講演を、なにしろ長いものなので、どうしたら一番要領よくその主要なところを話せるだらうかと考へて見たんだが、どうも名案が浮ばない。しやうがないから、僕はいつか引用した例の「彼の宿命のごとく思はれる受動的パッシイフなるものを能動的アクティフなるものに換へんとする努力」といふリヴィエェルの言葉を中心にして、特に興味深い數節を次に抄してお目にかけよう。

――以下はそのリヴィエェルの講演原稿の大意である。

―――――――――――――――

先づ諸君に、この世にひどく不釣合な、その挑戰に應ずることの絶對に出來ない、ある男の觀念を與へなければならぬ。彼の性格のさういふ外貌のすべては、私には次のアネクドオトの中に要約されてゐるやうに見える。――ある夜、私は彼と一しよに眞夜中近く彼のアパアトメントを出た(それは彼が友人を訪問する時間だつた)。彼の家政婦で女中で、そして祕書であるセレストが私達についてきた。階段はペンキが塗り立てだつた。プルウストはいきなりそのペンキに手を突いて、その手袋にぺつたりそれを着けてしまつた。すると彼はすぐセレストに向つて優しい、くどくどした叱言を云ひ出した。それを彼女は豫防すべきだつたとか、階段の塗りかへられてあるのを彼女はよく知つてゐた筈なのにとか……。彼はセレストの衝立だけがそのペンキから彼を保護しただらうことを何處までも信じ切つてゐるかのやうだつた。彼は、彼自身の力では、物事に働きかけることは愚か、それを防禦することさへ出來ないと思つてゐるらしかつた。

⁂

彼の作品に何等の先入主なしに近づく誰でもを打つにちがひない最初の特色は、實にその密度であらう。諸君はいま笑はれた。何故なら、まだ三頁も讀まないうちに、多くの讀者を中止させ、退屈だと叫ばしむるものがその密度だからである。

しかし私は、プルウストの作品の最も重要な特色を除いては、これをもつてその主要なものとなすに躊躇しない。その密度とは一體どんな性質のものかと云ふと、――それを生じさせてゐるものは、頁の各糎平方の中に夥しい量で塊まり合つてゐる感覺、印象及び感動なのである。恐らく現實がかくも纖細な、かくも精密な方法で透現されたことは未だ曾つてあるまい。

まあ、コンブレエのこの一節を聞きたまへ。

空氣(レオニイ叔母さんの部屋の)は、大へん滋養分のある、味のよい、沈默の精のやうなもので飽和されてゐたものだから、私はそこへは一種の強烈な食慾をもつて近づいて行つた。ことに復活祭の休みの初めのまだ寒い朝々は、私がコンブレエに着いたばかりといふせゐもあつて、私はそれを、一層よく味つたのである。私は私の叔母さんにお早うを云ひにその部屋へ這入る前に、私はちよつと次の部屋で待たされるのであつたが、そこにはすでに二個の煉瓦の間に火が熾されてゐ、その火の前にはまだ冬らしい日射しが温まりに這ひよつてゐた。そしてそのため部屋中に煤煙のにほひがこびりついてゐた。まるで、田舍によくある大きな竈口とか、古い館の煖爐の枠などのやうに。(さう云つたものの下では、人々は冬籠りの面白さを増さすために、戸外に、雪でも、雨でも、はたまた大洪水のやうな災害でもいいから起ることを願ふものだが……)私は祈祷臺と、いつもホックでカバアをとめた、凹んだ天鵞絨の肱かけ椅子との間を行つたり來たりしてゐた。その間、火はあの食慾をそそるやうな香り(それでもつて部屋の空氣はすつかり凝固してゐたが、やうやく朝のしつとりした、活氣のある新鮮さがそれを搖り動かし、「立ち昇らせ」てゐた)をパイのやうに燒きながら、それらの香りを薄く剥ぎ、金色にし、皺をよらせ、ふくらませてゐた。目には見えないが手で觸れられなくもない田舍菓子、あの大きな饅頭のやうなものにそれを仕上げながら。そんななかで、私は戸棚だの、箪笥だの、壁紙だのの、もつとしやりしやりした、もつと微妙な、もつと好評な、しかしもつともつと乾燥した匂ひを嗅ぐや否や、私はいつも人知れぬ烈しい欲望をもつて、あの花模樣のある寢臺掛の、何とも云ひやうのなく汚れた、にぶい、不消化な、果實のやうな匂ひの中に、再び身を埋めてゆくのであつた。

「スワン家の方」Ⅰ

私が諸君に讀まうと思つてゐるもう一つの一節は、プルウストが數秒間のことを描寫しながら僅か半頁足らずの中に收めることの出來た、感覺のみならず、感情の量をも諸君に感得せしめるだらう。それはオデットがとうとう打負かされてスワンの腕の中に身を投ずる瞬間だ。

彼は彼のもう一方の手をオデットの頬にそうて上げた。彼女は彼を見つめた。あのフロレンス派の巨匠の描いた女たち(それに彼女がよく肖てゐると彼の思つてゐた)の持つてゐるやうな、物憂げな、重々しい樣子をして。そして彼女の輝かしい、大きい、しなやかな瞳は、その眼瞼まぶたの線にひつついて、まるで二粒の涙のやうに彼女の頬から落ちさうだつた。彼女は少し彼女の頸をかしげてゐた。あの基督教的であると同時に異教的な繪のなかですべての女たちがしてゐるやうに。そしてさういふ姿勢は、もともと彼女には習慣的のものではあつたし、それにまたかういふ瞬間にはそれが持つてこいであるのをよく知つてゐて、さうすることを忘れぬやうに心がけてゐたのであつたが、さういふ姿勢のままで彼女は自分の顏をスワンから離すために全力を出してゐるやうに見えた。あたかもそれが何かの見えない力によつてスワンの方へ引き寄せられてでもゐるかのやうに。そしてさういふ努力もとうとう空しかつたかのやうに彼女がその顏をスワンの脣の上に落してしまはないうちに、それを少し離して、一瞬間、兩手で支へてゐたのはかへつてスワンの方であつた。それは彼が、丁度、自分の非常に可愛がつてゐる息子の授賞式に與るべく招ばれてゐる兩親のやうに、そこに駈けつけ、あんなにも長い間あこがれてゐたその夢の實現を目のあたりに見ようとする瞬間を、出來るだけ自分の心に取つて置きたかつたからだ。恐らくまたスワンは、まだ自分のものにしてゐない、まだ接吻をしてゐない、そしてさういふものとしてはもう見納めになるであらう、このオデットの顏の上に、丁度その出發の日に、永久に立ち去らうとする風景を記憶して置かうとする、あの旅人のやうな眼ざしを注いでゐたのにちがひない。

「スワン家の方」Ⅱ

⁂

かかる厚さ(彼の本の)は、防禦力を完全に取上げられた精神的組織に依つて、或はそれを媒介としてのみ、生じ得るところの奇蹟だ。プルウストが人生からかくも驚くべき綿密さをもつて印象を受け取つたのは、彼が決して人生と爭はうとはしなかつたからだ。彼がこれだけ多くのものを得たのは、彼が最初何物をも欲しなかつたからだ。

さう、私がさつき語つた階段の降り方は、私にはますます象徴的に見えてくる。ペンキが彼の手袋にくつつくのは當然だつたのだ。そして第三者のみが、その間に入つて彼を保護し、彼の上への外界の粘着を禁じ得たのだ。

若しもプルウストの作品の重要性と獨創牲とが解したいならば、先づそれが何物をも避け得ない者の作品であることを考へよ。

⁂

しかし、我々はプルウストの性格の中に、彼の根元的な消極性及び印象過敏性の一方に積極的な性質を認めると共に、我々はそこに彼の作品の第二の相、彼の方法の別の獨創牲の現はれるのを見逃してはならない。

手袋の上のペンキの汚點しみがある。しかし、一方にはまた、プルウストの強情、要求しそしてそれを手に入れるための彼の手腕、彼の貪慾、「彼の宿命のごとく思はれる受動的なるものを何か能動的なるものに變へんとする」努力、外貌に對する不信任、最初差し出されたものよりもつと堅固なる何物かを捉まへんとする欲求、眞理への熱情、があるのである。

コンブレエの一節を聞きたまへ。プルウストが感動に直面して本能的にとつた態度、いかなる眞に哲學的な欲求によつて彼の驚くべき享受性が展開するか、諸君に理解させたい。

……突然、一つの屋根、一つの石の上の太陽の反射、一つの小徑の香りが、私を立ち止らせるのであつた。それらのものが私に與へてくれる或る特別な快さを樂しむために。それからまた、それらのものが私の眼に見えてゐるものの彼方に何物かを隱してゐるやうな風をしてゐて(私にはいかに努力をしてもそれが發見できなかつたが)それを取りに來るやうにと私を誘ふので。そして私はそれらのものの中に確かに何物かがあるやうに感じたので、私はそこにぢつと立止まつてゐた、動かずに、見つめつつ、呼吸しつつ、そして形象イマアジュや匂の彼方に私の思考と共に行かうとしながら。そしてもしも私のお租父さんに追ひつき、どんどん道を進んで行かなければならないやうな場合には、私は目をつぶりながら、それらのものを再び見出さうと努力した。私は屋根の線、石の色合ひを正確に思ひ浮べようとして一所懸命になつた。そして何故だか分らなかつたが、私にはそれらのものが今にも充ち溢れさうでもう半分開きかかつてゐ、そしてそれらのものがその覆ひになつてゐるところの、その中身をば將に私に手渡ししようとしてゐるかのごとく思はれるのであつた。

「スワン家の方」Ⅰ

かくのごとく子供の頃から、プルウストは自分の中に世界を非常に蠱惑的なるものとして受け入れると同時に、彼はそのものを理解すべく、そのものからそのもの以上の何物かを引き出すべく、「形象イマアジュの覆ひの下に」隱されてゐる現實(物質的なものであるか觀念的なものであるか彼は知らぬが)を發見すべく彼を駈りやるところの――彼自身の言葉を借りれば――「困難な心の義務」を感じたのだ。

レイナルド・アァンは「プルウスト追悼號」の中で、實際においても彼がいかにその義務に忠實であつたかを示すところの、非常に意味深いアネクドオトを語つてゐる。

私の到着した日、私達は庭園に散歩に待つた。私達はベンガルの薔薇の木の柵の前を通つた。そのとき彼は突然立止つた。私も足をとめた。がすぐ彼は歩き出した。私もさうした。すると彼はまた立止つた。そして私に、いつもの子供らしいすこし悲しさうな、やさしい調子で言つた。「僕だけもうすこし此處に居ても構はないでせうか? 僕はもう一度あの小さな薔薇の木が見たいのです。」私は彼から離れた。小徑の曲り角で、私は振返つて見た。マルセルは薔薇の木のところまで引返してゐた。館を一周して歸つてきた私は、さつきと同じところに彼がぢつと薔薇を見つめながら立つてゐるのを發見した。すこし首をかしげ、眞面目さうな顏つきをして、彼は目をまたたいてゐた。いかにも熱心に注意してゐるらしく眉を輕くひそめながら。そして彼の左手で熱心に、彼の小さな黒い口髭の端を自分の脣の間にはさんでは、それを噛んでゐた。私は、彼が私の足音を聞いて私の方を見たやうに思つたが、彼は私に話しかけようともせず、身動きさへもしなかつた。私はそれ故一言も云はずにその場を通り過ぎた。一瞬間がたつた。マルセルが私を呼んだ。私は振り向いた。彼は私の方に走つてきた。彼はやつと私に追ひつき、私が怒つてやしないかと私に訊いた。私は笑ひながら、怒つてゐないことを確めた。それから私達は一時中絶してゐたさつきの會話を再び續けた。私はその薔薇のエピソオドについては何も質問をしなかつた。私はそのことで冗談も言はなかつた。私はそんなことをすべきでないのを漠然と感じてゐたから……

⁂

若しも私たちが次のやうな言葉を絶えず思ひ出さなかつたならば、何物をも理解し得ないだらう。「私はそこにぢつと立止まつてゐた、動かずに、見つめつつ、呼吸しつつ、形象イマアジュと匂の彼方に私の思考とともに行かうとしながら……」――若しも私たちが絶えず、この追求し、欲望する精神を感じてゐなかつたならば……

―――――――――――――――

リヴィエェルはざつとこんな工合に論じながら、更にプルウストのかういふ寧ろ形而上的メタフィジックな傾向がいかにしてもつと實證的ポジティフな傾向に轉換して行つたか、そしてそれがあらゆるクラシックに共通するところの人間的要素をどんな風に彼の作品に與へてゐるか、と云ふことにまで説き及ぼしてゐる。――そこまで抄すべきであらうが、僕はもうだいぶ疲れてゐる。ここいらで不本意ながらペンを置く。が、もつと不本意なことはこれでもつて當分プルウストに關する手紙を打ち切らなくてはならなくなつたことだ。何故なら、僕は九月號に小説を一つ引き受けてしまつたからだ。しかし小説を書き上げてしまつたら、輕井澤にでも行つて、ゆつくりプルウストでも讀んでやらうと思ふ。さうしたら、その時またこの手紙を續けよう。

底本 / Source edition

底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
初出:一「新潮」
1932(昭和7)年8月号
二「椎の木」
1932(昭和7)年8月号
三「作品」
1932(昭和7)年8月号
初収雑誌:「文学」厚生閣書店
1932(昭和7)年9月18日
※「一」の初出時の表題は「プルウスト雑記(神西清への手紙)」、「二」の初出時の表題は「プルウスト雑記〈神西清への手紙より〉」、「三」の初出時の表題は「プルウスト雑記(神西清への手紙より)」
※初収雑誌時に加筆訂正、表題は「マルセル・プルウスト――神西清への手紙」、「曠野」養徳社(1944(昭和19)年9月20日)収録時「三つの手紙――神西清に」と改題、「堀辰雄作品集第一・聖家族」角川書店(1949(昭和24)年3月5日)収録時「プルウスト雑記――神西清に」と改題
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2008年1月20日作成
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/047962_001030/

堀 辰雄「プルウスト雑記──神西清に」(旧字旧仮名)、底本『堀辰雄作品集第五卷』筑摩書房、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 047962_001030, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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