Soranoha

尖端人は語る

せんたんじんはかたる

堀 辰雄

私は書かうと思つてもどうしても書けないやうな時がある。

さういふとき私はへとへとに疲れ、そして書くことは何と馬鹿馬鹿しいことだらうなどと考へながら、私は公園へ散歩に出かけてしまふのである。すると公園の中で、私は子供たちが長いモチ竿をもつて蜻蛉を追ひかけてゐるのを見る。私には彼等の姿が羨しくてならない。もし出來たら、私も書くのなんか廢めてしまつて、彼等の仲間入りがしたい。それほど書くことは私には苦痛なのである。それなのに何故私は書くのを廢めないか? 私が一昔前の詩人だつたら、私は苦しいから書かずにゐられないのだと言つたかも知れない。だが今日の詩人は知つてゐるのだ、苦しい人間が苦しいと書くのは小鳥が歌を歌ふのとすこしも異らないことを。そして今日、誰がそんな小鳥の歌などを聞いてゐるものか。

ロマンチシズムの時代はもう過ぎたのである。今日を支配してゐるのはレアリズムだ。我々の苦痛が人々を打つためには、それが我々の心臟から出來るだけ切離されてゐなければならないのだ。

今日、我々は苦痛に乘じてものを書くことを禁じられてゐる。我々は平靜さの中でのみ書かなければならない。そしてその平靜さを手に入れることがいかに困難であることか。私がこのやうに書かうとしても書けないのは全くその平靜さを手に入れることの出來ないためだ。私は何度も何度も、子供たちが蜻蛉をねらふやうに、それをねらつたのだ。だが、私は駄目だつた。

それだのに、いま私の目の前で無心に遊んでゐるこれらの子供たちは何と蜻蛉をねらふことが上手なことか! おお、私の天使たちよ!

底本 / Source edition

底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「新文藝日記」新潮社
1930(昭和5)年11月17日
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2013年8月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/047873_001030/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/047873_001030/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/047873_001030/

堀 辰雄「尖端人は語る」(旧字旧仮名)、底本『堀辰雄作品集第四卷』筑摩書房、1982年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 047873_001030, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite