Soranoha

文楽の光明

ぶんらくのこうみょう

折口 信夫

今の時期の日本人に、一番見せたく思はれるのは、文楽座の舞台が、最濃厚に持つてゐる愁ひの芸術である。極度に反省力を失つた我々は、心の底から寂しい光りに照されて来なければ、ほんたうに種族としての救ひがないのである。文楽も、ある点からは近年少しうけに――と言つては気の毒なほどだが――入り過ぎた傾きが見えた。だが今度と言ふ今度はさう言ふものを洗ひ落した、静かな輝きを以て、我々の心に触れようとしてゐる。東京都民が、この芸術擁護の情熱を、披瀝すべき時である。従来、文楽三芸門――浄瑠璃・人形・三味線――が、これ程清楚な調和を見せたことはないのである。

少掾・文五郎・清六を一つ舞台にすゑてながめる鮓屋の段などには、同じ世代にこれ等の名人と住む誇りに胸がふくれて来る様な気がしない者はないだらう。

併し、最私を歓喜させたのは、大物浦の奥であつた。次期をうけ持つ大隅・光造それに清八の協力が、安徳帝入水の長丁場を見事な成績で演じたことであつた。歌舞妓とこれを比較するのはをかしな話だが、故歌右衛門でも、これだけ思ひ深く典侍局を演じることはできなかつた。老練な清八の芸が背景になつて居たとは言へ、光造もよく――人形を――使つた。何よりも大隅の成功は記録に値する。従来彼の難点であつた「愁ひ」のこわづかひのよくなつたこと、殊にてにはを生かす深みの加つたのには感動した。

それにつけても思ふ。優秀な頭脳を持つた綱太夫が、些細な義理や、理論にひつかゝつて、この大切な時期を、芸術以外の事に失ひ、心を疲れさせてはならぬ。

文楽座は、極度に座員を少くして、どの程度の人数で、最高の能率を発揮することが出来るかと言ふ試みを続けなければならない。それは芸の性質上、当然擁護に値する民族劇場としての待遇を与へなければ、この上の保存はむつかしくなつてゐるのである。今度の座員で示された効果は、一つの参考案を提出することになる訣だ。そんな考へは、たまらなく寂しいが、さうでもして我々は、能楽・狂言・浄瑠璃、やがては歌舞妓についても、保存の為の試みを重ねる必要がある。さう言ふ風に幾種類かの民族劇場として擁護する方法の外に、も一つ別な、本筋の生き方があると思ふ。それは、人形浄瑠璃の飛躍期に提携して、今に続いてゐる楽器三味線との関係を遠くすることである。

義太夫音楽の主題は、三味線から来る情調であつて、この楽器変更が、どれほどの結果を持ち来すかは、ほゞ想像が出来る。

その上義太夫の現状で、一番悲観せられてゐるのは、三味線弾きに後継者の絶えようとしてゐることである。義太夫の主題(てま)をこゝまで導いて来たが、同時にこゝに固定させたのが三味線だといふことを思へば、結句思ひきつて改革すべき時なのである。三味線によりながら、従来どほりに「ことば」を発声してゐる限りは、新しい人形浄瑠璃は出て来ない。

局限せられた曲数をくり返す外に、正しい意味の新作の出て来るのを待つことである。

底本 / Source edition

底本:「折口信夫全集 22」中央公論社
1996(平成8)年12月10日初版発行
底本の親本:「かぶき讃」創元社
1953(昭和28)年2月20日発行
初出:「東京新聞」
1949(昭和24)年5月3日
※初出時の署名は「釈迢空」です。
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十四年五月三日「東京新聞」」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:酒井和郎
2020年1月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/047822_000933/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/047822_000933/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/047822_000933/

折口 信夫「文楽の光明」(新字旧仮名)、底本『折口信夫全集 22』中央公論社、1996年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 047822_000933, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite