紙治で唸らされた印象のまだ消えやらぬ東京人士の頭に、更にその俤を深むる為に上つて来た鴈治郎の忠兵衛。観客の予期と成駒屋の自信と、如何程まで一致したか。其は感情派の批評に任せて、自分は唯旧大阪の遊廓の空気と、浪花風の各種の性格とが、各優人の努力によつて、何れ位実現せられたか、其紹介をすれば足る悠々たる客観党。二階正面の桟敷に陣どつて、前山の雲と脂下る。

女寅のおえん、<ruby><rb>容貌</rb><rt>カホツキ</rt></ruby>なら物ごしなら<ruby><rb>宛然</rb><rt>ソツクリ</rt></ruby>その人である。唯折々野暮な姿を見せるのは、刻明な世話女房と見える<ruby><rb>虞</rb><rt>オソレ</rt></ruby>がある。梅川と忠兵衛とを会はせようと言ふ矢先、<ruby><rb>鴇母</rb><rt>ヤリテ</rt></ruby>が来るので吃驚して両手で門の戸を押へて、横向きになつたのは物<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おぢ</span>をした様で、華車としては不似合。戸を背にして肩をおとして手を拡げた方が、形もよく、梅川との形の上の調和もとれてよい。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とゞ</span>戸を開いて忠兵衛を呼んで、首尾してやるといふあたり、鴈治郎と呼吸が<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しつくり</span>合つて、何様恋のわけ里のあはれ知りとは十分見えた。八右衛門を嗜めるあたり余り赫となるのは面白くない。今少し冷やかにやつた方が其人らしからう。其間の語気も、くだけた処と改まつた点とが、あまり区別があり過ぎた。此人は上方育ちと聞いて居るのに、大阪弁のまづさ。鴈治郎との対話がしつくり合はないので冷々させられた。

八百蔵の治右衛門、押し出しが立派。同情深さうな挙動はなつかしい。しかし地味な大阪風のおき屋の亭主とよりも、顔役に見えたのは遺憾。喜左衛門では真面目すぎ、三浦屋の亭主では柔みが尠い。<ruby><rb>困難</rb><rt>ムツカシ</rt></ruby>い役、動きのない役を此程にすれば結構だ。

猿之助の八右衛門、花道の出は立派な色敵。善六になりたがる役に、とも角丹波屋主人といふ処を始終放さなかつたのは流石々々。しかし台詞は、今尠し鴈治郎と打合せて<ruby><rb>修正</rb><rt>ナホ</rt></ruby>して貰つたらどうだつたらう。非常によく調和した所と<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まるで</span>江戸ツ児になつた所とがある。八右衛門といふのは、決して啖呵をきる様な質ではない。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ねつい</span>人間といふ処を目がけて居なかつたのは、感違ひだ。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しみつたれ</span>とは見えなかつたも此考へが足らないからである。忠兵衛が封を切つたので、驚いて後居に手をついたまゝ、首を捻ぢて忠兵衛を見まもる形は素敵なもの。但蔭口を利くあたりも、<ruby><rb>毒吐</rb><rt>ドクヅ</rt></ruby>き乍ら帰る辺も、さのみ憎々しくは聞えなかつた。これでは忠兵衛に、段梯子を馳け下らせることは出来まいと案じて居つた。<ruby><rb>要之</rb><rt>エウスルニ</rt></ruby>人物の腹の位置の違ひと大阪弁で旨く行かなかつたのであるが、個処々々にはよい処があつた。

芝翫の梅川、あまり上品すぎるだらうとは衆口の一致する所だが、はたして然うであつた。あれでは天神とは見えない。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">なまめかしい</span>処を見せればよいかも知れぬ。奥座敷での首尾のあたり、鴈治郎と情がうつらなかつた。今にも退り居らうと叫びさうだつた。封印切りの場は、忠兵衛の一挙一動に目を配り乍ら、次第に表情を更へる具合、無精な人によくまあと感心した。台詞は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すつかり</span>時代で行つたから、却つて忠兵衛の砕けたのとよく調和して居つた。忠兵衛に実を告げられてからは、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぐつと</span>見直した。戦き〱門の戸を閉めきつた様が、目に残つて居る。送り出されてから花道の引きこみまで、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぢたばた</span>せなかつたのはうれしかつた。

鴈治郎の忠兵衛、紙治と違つて此役は、非常に明暗の度の甚しい役なのであるから、見せ場も多いといふもの。まづ花道の出から、行きつ戻りつ、梶原源太は俺か知らんで、大股の飛ぶ様な足どり、はしやいだ人間らしかつた。此軽い気質を忘れないで、近日々々の引きこみまで、愁歎の内に軽い味を示して居たのは嬉しい。仁左衛門はあまり重々しすぎた。自分は鴈治郎のに左袒する。封きりは坐つてやつたが、何様此方がよい。立つてやると、あまり<ruby><rb>向</rb><rt>ムカウ</rt></ruby>をきりすぎるので、上方町人とは見えない。此方が地味でよい。封をきるに到る激し方には、尠し物足らぬ感じがした。此は猿之助の詞つきが宙ぶらりで、百廿里の合の子詞、浜松あたりの所だつたので、気が乗らなかつたのであらうが、今少し強くやつて欲しい。封切に始終恐怖の念に襲はれて居る心持は、よく表れて居た。まだある〱で、金を投げ出す呼吸、封印を切つて仕舞つてがつかりするあたり、梅川に実を明して上手の屋台に逃げこんで首だけを出すあたり、其目其姿、即美術品である。台詞が外の連中が皆<ruby><rb>不練</rb><rt>フナレ</rt></ruby>なので、思ふ様には自分でもつかはれぬ様子、気の毒であつた。

此人は<ruby><rb>極</rb><rt>キマ</rt></ruby>る処が非常に善く応へる。とに角よい目の正月をした。