趣味とは、眺めてゐるものと、<ruby><rb>觸</rb><rt>さ</rt></ruby>はつて見るもの、<ruby><rb>觸</rb><rt>ふ</rt></ruby>れなければ堪能できないものと、心に養つてゐるものとがある。それを<ruby><rb>大</rb><rt>おほ</rt></ruby>づかみに一括して「趣味」といふのだらうが、自分に出來ないことを羨ましがるのも、いい意味での趣味だ。それは羨望には、ものねたみをふくむ憂ひはあるが、こんなのは甚だ罪が淺い――

といふのは、私には<ruby><rb>水泳</rb><rt>およぎ</rt></ruby>が出來ないのだ。これは水ぎらひとか、恐怖とかいふのから出來ないのではなくて、生れた土地的のものからと、<ruby><rb>體質</rb><rt>からだ</rt></ruby>からとで、水練の機會がなかつたからだが、これは、一生を通じて損をした大きなものだと思ふ。

場處により、土地によると、別に財物がなくても修練の出來る<ruby><rb>業</rb><rt>わざ</rt></ruby>であり、また健康でさへあればほんの僅かの暇さへあれば、自由に樂しまれることであり、それによつて、夏の生々しさを、どれほどよろこびをもつて迎へることが出來るかわからない。わたしは健康でさへあればといつたが、その健康もまた、それによつて惠まれもする。

わたしのお友達で、水練に熟達してゐる人に、神近市子さんがある。神近さんは南國の海邊のお生れであり、拔手を切つて泳ぐ颯爽たる姿は、誰の目にも思ひうかべられるであらうが、も一人、平塚明子さんが、水の上の仙境を自由にされることは、あんまり知る人がない。

――<ruby><rb>海面</rb><rt>うみ</rt></ruby>に浮いて、空を、じつと眺めてゐると、無念無想、<ruby><rb>蒼空</rb><rt>おほぞら</rt></ruby>の大きく無限なることをしみ〲とおもふ――

かつて、そんなふうに話されたことがある。それは、わたしが<ruby><rb>常不斷</rb><rt>つねしじう</rt></ruby>、海にういて、大空を眺めてゐたらば――と思ふ、悠久たる<ruby><rb>想念</rb><rt>おもひ</rt></ruby>と合致した、實行の報告なので、さぞ、さこそ、さもさうあらうと、想像しても樂しかつた。それは、考へれば怖い水の下の深さ、廣さ――けれども、それは、仰ぎ見る空の深さ、大きさにくらぶべきでもない。そして、そこに浮ぶ人間の怖れは、小さな抵抗――生に執着した瞬間からの怖さであらうが、そんなことに拘泥しないのは、泳いで歸られるだけの自信があり、水はよく浮かしてくれるといふ體得があればこそである。

うらやましいなあと思ふ。水が充分におよげて、人も家もないあたりで、大空にむかつて浮んでゐるその瞬間、もしこれをわたしに天が與へてくれたならば、わたしは何をそこで會得するか、それとも何にもしないか――

私は不自由な、都會生れの子だつた。しかも、まだ封建的殘物の濃厚な時代に、藏と藏の間に生れた虚弱兒だ。品川の海を時々ながめ、鎌倉の海を、やつと見せてもらへる位だつた。男女七歳にしての<ruby><rb>庭訓</rb><rt>をしへ</rt></ruby>きびしくて、水練の修得などをうる機會はなかつた。それでゐて、そこに蟄服して育つた女の子わたしは、馬に乘ることと、海におよぐことが、一度やつてみたい念願だつた。やつてみて、やれなくはなかつた年頃になると、<ruby><rb>病</rb><rt>わづら</rt></ruby>ひがちな身になつてしまつた。

泳げないから水をおそれる。そのくせ水が――水邊がすきだ。水の趣きは、實に興趣多々だ。ことに盛夏になると、水、水ではないか、仕事をしたあとで飮む一杯の水でも、コツプを手に差しあげて、なみなみ盛つた<ruby><rb>豐</rb><rt>ゆた</rt></ruby>けさを眺め飮みほすと、生活の力が流れ込むやうに思へる。

（「生活と趣味」昭和十年七月八日）