今朝

<ruby><rb>昨夜</rb><rt>ゆうべ</rt></ruby>、空を通つた、足の早い風は、いま何處を吹いてゐるか！　あの風は、殘つてゐたふゆを浚つて<ruby><rb>去</rb><rt>い</rt></ruby>つて、春の來た<ruby><rb>今朝</rb><rt>けさ</rt></ruby>は、誰もが陽氣だ。おしやべりは<ruby><rb>小禽</rb><rt>ことり</rt></ruby>ばかりではない。臺所の水道もザアザア音をたて、猫はしきりにおしやれをしてゐる。

町では煙草のけむりが鼻をかすめ、珈琲が<ruby><rb>香</rb><rt>かん</rt></ruby>ばしく、電車のレールは銀のやうに光り、オフイスの窓硝子は光線を<ruby><rb>反映</rb><rt>なげかへ</rt></ruby>し、工場の機械はカタンカタン<ruby><rb>響々</rb><rt>ごう〱</rt></ruby>と、規則正しく𢌞つてゐる。

朝はまだバスの女車掌さんにも<ruby><rb>勞</rb><rt>つか</rt></ruby>れは見えないし、少年工も口笛を吹いて、シエパードを呼ぶ坊ちやんに劣らぬ誇りを生産に持つ。

春の<ruby><rb>新潮</rb><rt>あらしほ</rt></ruby>に乘つてくる<ruby><rb>魚鱗</rb><rt>うろくづ</rt></ruby>のやうな<ruby><rb>生々</rb><rt>いき〱</rt></ruby>した<ruby><rb>少女</rb><rt>をとめ</rt></ruby>は、その日の目覺めに、光りを<ruby><rb>透</rb><rt>すか</rt></ruby>して見たコツプの水を底までのんで、息を一ぱいに、噴水の霧のやうな、五彩の虹を、四邊にフツと吹いたらう――（「令女界」昭和十一年四月一日）

昨今

長く病らつてゐる人が、庭へ出られるころには、櫻花も咲かうかと思つてゐると、この冷氣だ。

だが、庭へおろしておく椅子などを、物置から出さしてゐるのなどは樂しい。風は寒くても、さすがに陽光は春だ。

マルセル・プルウストの「音樂を聽く家族」といふのを、譯者の山内義雄氏から貰つたので、その椅子に腰をおろして、ちよいとの間を盜んで頁を<ruby><rb>斷</rb><rt>き</rt></ruby>ると「テュイルリイ」といふ章に、

今朝、テュイルリイの庭の中、太陽は、ふとした影の落ちるのにも忽ち<ruby><rb>假睡</rb><rt>うたゝね</rt></ruby>の夢やぶられる金髮の少年といつたやうに、石の<ruby><rb>階段</rb><rt>きざはし</rt></ruby>の一つびとつのうへに輕い眠りを貪つてゐた――

といふ書出しを見て、幾度も讀みかへす。なんともいへず氣に入つたのだ。

それにも負けずに、この頃あたしの、心の隅つこの方に住んでゐる、夕暮の歌がある。一ツは、サッフオの「夕づつの清光を歌ひて」といふ三行詩だ。

汝は晨朝の蒔き散らしたるものをあつむ。

羊を集め、山羊を集め、

母の懷に<ruby><rb>稚子</rb><rt>うなゐご</rt></ruby>を歸す。

といふのと、アンリ・ド・レニエの「<ruby><rb>銘文</rb><rt>しるしぶみ</rt></ruby>」といふ、これも三行の詩で、

あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し

あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し

あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し

共に、上田敏氏の譯である。

私はロシアといふ國のことを、種々に聽いてゐるが、その自然に對して、改造四月號の、横光利一氏の「半球日記」に書かれた、あの單純な、あの、無造作に見えるほどの表現によつて、草、草、草と、茫々した天地、悠久たる草原をともに見るの思ひがした。

――私は線路の傍に細々とついてゐる一條の路を眺め、ここをドストエフスキーが橇に乘つて流されて來たのかと見詰めてゐるばかりだ。

とあるところでは、わたくしも、びつくりと見詰めてゐるばかりの氣がした。

――ほのぼの朝日がさして來る――

といふ大平原の、

――樹木が一本もない。見る限り黄色な草で蔽はれた柔く低い山々の重なり、明るい光線、雲の流れ。眼を据ゑてぢつと山々を見てゐると、この無人の境では空と地とが狎れ合つてのどかに戲れてゐるやうだ。どことなく土地は一種の羞しさうな處女の表情をしてゐる。――とある。

土地と空とをさう感じたことは、私にもあるので、この大いなる果しなき地と空とでは、さうもあらうと思つた。そして、これは八月の盛夏の日記だが、ずつと前に、與謝野晶子女史が、十月ごろバイカル湖附近を通つて、空と、水と、一望薄の原の灰色と報じられたのをもどうしても忘れないでゐるので、今もそれを思ひあはしてゐる。

（「文藝懇話會」昭和十二年三月）

ブルー・パイ

たとへば、あたしが、モダンな、そして、ちよつと氣どつた、ハイヒールで、心もち肩で風を切るふうな、鼻のさきをなめてやると、かすかに細卷きのうすけむりがかすめた薫りが殘つてゐるやうな、三十歳の女だつたら、六月のドレスは、あの青いカササギみたいな<ruby><rb>禽</rb><rt>とり</rt></ruby>の<ruby><rb>着附</rb><rt>きつ</rt></ruby>けを氣どるだらう。どこかお轉婆ふうで<ruby><rb>洒</rb><rt>しや</rt></ruby>れてゐると思ふ。たしかあれは、濃い紺藍の尾ツポと翼のさきを持つてゐて、頭もその色だつたが、ネクタイを結んだやうに、咽喉のところと、帽子のさきとに、眞紅な眞紅な赤い飾りが、ぽつりとついてゐるのが、唇の紅のやうに鮮かに眼に殘つてゐる。そして上着は底を紺藍に染めた白と紺とのゴマガラ縞だ。

こんなのはあたしには似合はない。でも、六月の陽のさす、青葉の下で、この鳥をいつも眺める時、コケツトな女性をふと聯想する。文壇では宇野千代さんが着たらば、ピツチリとして、きつと好いだらうと思ふのだつた。（「モダン日本」昭十二・七・一）

そよかぜ

あるかぎり<ruby><rb>展開</rb><rt>みひら</rt></ruby>かれた麥畑を<ruby><rb>地</rb><rt>ぢ</rt></ruby>の色にして、岡を越え、河に絶たれては打ちつづく桃の花の眺めは、<ruby><rb>紅霞</rb><rt>こうか</rt></ruby>といふ文字はこれから出て、此野を吹く風が、都の空をも彩どるではなからうかと思ふやうに眺められる。凄いほどな麗人といふよりも美しい野の少女が<ruby><rb>朱</rb><rt>あけ</rt></ruby>の頬を<ruby><rb>火照</rb><rt>ほて</rt></ruby>らしながら、それでも瞳を反らしてしまはずに、うるんだ眼差しで、凝と<ruby><rb>見入</rb><rt>みい</rt></ruby>つてゐるやうな、捨てがたい、胸のはれるやうな心持を與へられる。

私は春が來るごとに、少女達の魂が、宵々ごとの夢にどんなふうに<ruby><rb>蒸</rb><rt>む</rt></ruby>されてゆくだらうかと、<ruby><rb>笑</rb><rt>ゑ</rt></ruby>ましくなつて少女達の顏を眺めることがある。私がまだほんの少女の時分に、<ruby><rb>凍瘡</rb><rt>しもやけ</rt></ruby>のいたがゆいやうな雨のふる宵に風呂から出て、肌の匂ひとは知らずに、白粉の<ruby><rb>溶</rb><rt>と</rt></ruby>けてしみこむ頸もとを眺めたり、自分でも美しいと思ふやうな眼の色を見詰めてゐたり、しつとりと香油をふくむ黒い鬢の毛を掻きなでて見たりして、燈火のもとで鏡に見惚れてゐた時もあつた。

いま私の𢌞りに、十六の春を、自分の唇の色にも唆かされるやうな夢見がちな娘たちが居る。私はその少女達の<ruby><rb>面</rb><rt>おも</rt></ruby>を眺めるたびに、春風ではないが、少女の額へ柔かい微笑が投げてやりたくなる。

男に生れるのなら

やにつこい色男でなく、才子でなく、といつて大男總身に智惠が𢌞りかねでなく、老年になつてから哀れだから、細面の美男子でもなく、といつてドングリの如く堅く強げでも、あまり野蠻では厭。

日々の心の生長する、膽ありて<ruby><rb>細心</rb><rt>さいしん</rt></ruby>、己に慢ぜず、ことに女性を侮蔑せざる――そんなふうな人に生まれたし。（「現代」昭和八年三月）

お風呂場美術

美女の湯上りの風趣を、古來から美人畫家は、おのおのの麗筆で、さまざまに眺めて描いてゐる。<ruby><rb>几帳</rb><rt>きちやう</rt></ruby>のかげに、長い髮に香を<ruby><rb>炷</rb><rt>た</rt></ruby>きしめさせてゐるのもある。<ruby><rb>鬢上</rb><rt>びんあ</rt></ruby>げをしたまま煙草をくゆらしてゐるのもある。紺蛇の目の半開き、ぬか袋をくはへてゐるのもあれば、<ruby><rb>湯上</rb><rt>ゆあが</rt></ruby>り<ruby><rb>浴衣</rb><rt>ゆかた</rt></ruby>を抱へてゆくのもある。このごろあたしの書いた小説の揷繪にも、肩から<ruby><rb>衣</rb><rt>きぬ</rt></ruby>のぬげおちようとしてゐるところ――これは湯上りといへないが――<ruby><rb>濛々</rb><rt>もう〱</rt></ruby>たる湯氣の中に立つた姿もある。

だが、繪に出來ないで、私の心にとまつてゐる風景は、<ruby><rb>白紙</rb><rt>かみ</rt></ruby>を鼈甲の<ruby><rb>笄</rb><rt>かうがい</rt></ruby>に捲いた、あの<ruby><rb>柳橋</rb><rt>やなぎばし</rt></ruby>の初春の――<ruby><rb>白紙</rb><rt>かみ</rt></ruby>を捲いた<ruby><rb>笄</rb><rt>かうがい</rt></ruby>なんて、どうしたつて繪にはならない、そしてそれは<ruby><rb>柳橋</rb><rt>やなぎばし</rt></ruby>にはかぎつてゐないが、かみゆひさんの<ruby><rb>手腕</rb><rt>うで</rt></ruby>を見せた<ruby><rb>藝妓島田</rb><rt>げいこしまだ</rt></ruby>が揃つて――三ヶ日過ぎると、恰好のいいつぶし島田にザングリ結つたのも<ruby><rb>交</rb><rt>まじ</rt></ruby>つて、透き通るやうな<ruby><rb>笄</rb><rt>かうがい</rt></ruby>を一本、グツと揷したのが、クルクルと<ruby><rb>細紙</rb><rt>かみ</rt></ruby>を捲きつけてくる。<ruby><rb>白紙</rb><rt>かみ</rt></ruby>が湯氣に濕つて――したたれるやうな緑の黒髮に對し、あの、しんめりした感觸――

しかし、今でもさうかどうか。家で揷したんぢや<ruby><rb>笄</rb><rt>かうがい</rt></ruby>の恰好が惡いし、髮の根がゆるむし。そこで、<ruby><rb>髮</rb><rt>かみ</rt></ruby>を<ruby><rb>結</rb><rt>ゆ</rt></ruby>ひあげるときに<ruby><rb>揷</rb><rt>さ</rt></ruby>して、<ruby><rb>笄</rb><rt>かうがい</rt></ruby>を惜しまずやつたのであらうが、二三十年も前のことで、今日の錢湯風景を知らないから、なんともいへない。

お風呂場美術――<ruby><rb>近</rb><rt>ちか</rt></ruby>ごろは街頭から、すぐ、ぢかではないけれど、あの、戸を一枚ガラリとあけると、すぐそこが<ruby><rb>脱衣場</rb><rt>だついば</rt></ruby>はいけない。下駄をぬぐところは別にしなければ、いくら本場の美術展覽會をとりしまつたつてなんにもならない。また古くさくもとへもどつて二十年前についていふと、小さい鏡を番頭さんが、<ruby><rb>留湯</rb><rt>とめゆ</rt></ruby>の桶と一緒に、グツと押出して來たものだつたが、近ごろは<ruby><rb>羽目</rb><rt>はめ</rt></ruby>一ぱいの鏡があるさうだ。それは、よささうで惡い。こんなことをいふと古くさいと笑はれるかも知れないが、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">みじんまく</span>――即ちおしやれは、人に知られず自分だけコツソリしてこそ引きたつ、同性だからかまはないといふのは違ひはしまいか。もし愛する<ruby><rb>同志</rb><rt>どうし</rt></ruby>が一緒になつて、すぐに嫌になるのが、内面からでなく、あいつのあすこがいやだなんて、顏かたちに指さされるのは、コツソリやるべき身じんまくを、同性の前でやるのとおなじ不遠慮さで――つまり、浴場の<ruby><rb>鏡場</rb><rt>かゞみば</rt></ruby>奪取の光景とおなじ殺風景にやるためではあるまいか――

は、は、これでは<ruby><rb>浴場美術</rb><rt>おふろばびじゆつ</rt></ruby>ではなく浴場哲學？　になつちまふ。せめて<ruby><rb>粹</rb><rt>いき</rt></ruby>な女の人だけは、おふろにはいる時も、小唄の女の氣持ちでね、なんて、千九百三十年なのに――