Soranoha

生活の探求

せいかつのたんきゅう

島木 健作

一

今年は春から雨の降ることが少なかつた。

山林を切り開いて作つた煙草畑まで、一町餘りも下の田の中の井戸から、四斗入りのトタンの水槽タンクを背負つて、傾斜七十度の細い畦道を、日に幾度となく往き還りする老父の駒平の姿はいたいたしい。時には握飯を頬張りながら、葉煙草に水をやつてゐるやうな姿を見ることもある。

今年大學にはいつた息子の杉野駿介は、病氣が治り、健康がすつかりもとに返つても、なぜか東京へ歸らうとはしなかつた。彼は高等學校から大學に進むとほとんど同時に、まだ新學期も始まらぬうちに、感冒から肺炎をひき起して倒れたのだつた。一時は危險だつたが幸に命をとりとめた。東京の病院を出るとすぐに、病後の養生のために田舍の家へ歸つてもう三月からになる。

休暇が來ても、並の學生のやうに、その度毎に歸郷するといふことは事情が許さぬところから今度もほとんどまる二年ぶりで見る息子を、殊に病後であつて見れば、一日でも長く手許に引きとどめておきたいといふ氣持には切實なものがありながら、理由もなくさうして一日一日と出京の日を延ばしてゐる息子の心のうちが解せなくて、親達は不安であつた。しかしその不安を、面と向つて、口に出して云つてみるでもなかつた。自分達の傍を離れて、異なつた環境のなかに、いつの間にか大人になつてしまつたやうな息子に對する、愛情とは相反したものではない、遠慮や氣兼ねのやうなものがあるのだつた。息子が身につけてゐる都會的なものや、知識的なものはある場合にはたしかに、障碍であるとはいへた。しかしそれは、親達にとつては、喜ばしき障碍とでもいふべきものだつた。このやうな青年がこの家の息子であるといふことが、何か不思議な、嘘のやうな氣のする時もある。しかも息子は、さういふ青年にまで、自分を、ほとんど自力で築き上げたのである。

それだけに老父はまた、時々云つて見ずにはゐられぬのだつた。

「駿、お前、まだ東京へは行かずともいいのかえ? 學校はもう疾うに始まつてをるんやらうが。」

息子が世話になり、幾らかの學費をそこから得てゐるといふ人の思惑をも、老父はその律儀な胸の底で、色々に思ひ𢌞らして見ないわけにはいかなかつた。

駿介は、しかし、曖昧にしか答へなかつた。必ずしも、何等かの理由で、はつきり答へることを避けたといふのではなくて、答へようにも、彼自身、今後の身の去就について迷ひ、なほ心を定めかねてゐるのであつた。

彼は、何か眼に見えぬ大きな力に引かれるやうな、又は、ぼんやり心に求めてゐるものを探り當てようとするやうな氣持で、毎日、村のあちらこちらを歩き𢌞つた。自分の生れた村の生活をこのやうに落ち着いてゆつくり見るといふことは、今までの彼にはなかつた。今までは、たまに歸郷しても、長くて一週間もゐるのがせいぜいで、その間も閉ぢ籠りがちで、近所の人々とも寛いで話すといふこともなく、親達にさへ非常に物足りぬ感じを與へて、そそくさと忙しく立ち去つて行くのであつた。休暇を利用して學資を稼ぐ彼は、事實忙しくはあつたのだが、一般に村の生活に對して何等特別な關心をそそられぬからでもあつた。理由なく侮蔑的な眼で郷土を見る氣持はあつても、愛着の心はさらになかつた。今にして思へば自分ながら解げしかねる心地がするのだが、貧しい苦學生で、そのやうなことについては人一倍聰さとく心が働く筈でありながら、時々歸つて來ればいやでも眼につかずにはゐない筈の、生家の、農家としての暮し向きについても、案外にぼんやりした氣持で過して來たのだつた。それが今度は違つてゐた。そしてそれは必ずしも彼の今までの滯在期間の一週間が、三ヶ月に延びたといふ理由によるものではなかつた。それは一に彼の内部の變化に基づくものなのであつた。

季節は春の終り、夏の始めにさしかかつてゐた。山の松林には松蝉がよく鳴いて、日中は眞夏の暑さの日もあつた。麥はもう刈られてゐるところがあり、しかしまだ殘されてゐるところの方が多かつた。どの家もまだ刈り出さぬうちに、自分が先を切つて刈りに出るのは氣おくれがする。しかし誰かが刈り出すと、にはかに氣忙しくなつて、我も我もと驅り立てられるやうに先を急ぎ後れまいとする、そのやうなのが百姓の心理だと駿介は聞かされたことがある。麥の畑に出てゐる人が案外少いのは、そのやうな心理が、今日は降るか、明日は降るかと、雨を待ち望んでゐる心とたたかつてゐるのでもあらうか。刈つてゐる最中に降られるのは困ることだ。刈り取つて畝にならべた麥は、水を含んで、立毛の時のやうには早く乾かない。積み上げた麥の束は、濕氣に蒸れて、粒が腐敗するといふこともある。さういふことは、駿介の子供の折の記憶にもある。

四月、五月とこの二月、雨らしい雨をほとんど知らなかつた。

今が伸びざかりの、胡瓜や隱元など蔓性のものは、支柱からはるかに餘つた蔓の先を、生きもののやうに風に靡かせながら、下葉はちりちりに燒け枯れてゐた。胡瓜は、親指に少し太いほどの實で、萎んだ花の名殘をまだその先につけながら、青枯病に罹つて立ち枯れてゐるものもあつた。

風下に立つと、日向のトマトの一列ひとならびがほのかに匂つた。十四五の男の子が一人、經木帽をかぶつて、トマトの芽を摘んだり、黄色の小さな花を間引いたりしてゐる。

子供の一群が、何か聲高に罵りながら、村道を走つて來た。手にバケツを下げたり、笊を持つたりしてゐる。勢込んで來た先頭の一人が、畑の間の細い道を來て村道へ出た駿介につき當らうとしてわづかに身をよけた。とたんに持つてゐたバケツが一搖れ搖れて、なかから跳ねて出たものがある。泥鰌だつた。轍の縁の、燒けた土埃りの上に落ちて、くるつくるつと輪を描いた。子供はちらつと駿介の顏を見上げると、手づかみで、泥鰌をとらへ、バケツのなかに放り込んで、後を振り向き振り向き走つて去つた。

山の煙草の畑に向ふ、曲りくねつた傾斜の道を、駿介は今上つて行くのであつたが、時々立ちどまつては、手でそつと左の胸のあたりをおさへて、心臟の動きの、規則正しい音を聞いた。當然やや早目ではあつても、それは、力強い、彈力のある、健康なひびきで打つてゐた。この間やはりここへ散歩の足を運んだ時には、この道を上り下りするだけで胸が高鳴り、呼吸が亂れ、顳顬こめかみのあたりがづきづきして顏がほてつた。離れて下から見ると、足が宙に浮いてゐるやうな、寸の詰つた恰好で、老父は畝の間に蠢いてゐる。肩に擔つた水桶に手足が生えて動いてゐると云つた方がいいやうなその姿に、胸をつかれ、その時は急いで山道を上つたのだつた。三度に一度は自分が代らうと云ひたいその時の氣持であつたのだが、少し急いでさへ息切れのするやうな身體に、水を擔ぎ上げるなど、到底話にもなることではなかつた。

煙草はもうだいぶ前に、苗床から本畑に移されてゐた。規定通り、畝幅三尺四寸に盛り上げられた土の上に、三尺の間隔をおいて規則正しく植ゑつけてあつた。丈は四五寸に伸びて、淡灰緑色の葉が四枚から六枚ぐらゐ、節毎に二枚づつ相對してゐる。初夏の晝の光が代赭色の傾斜一ぱいに流れて、碁盤の目なりにおかれた煙草は、濃い影を落し、くすんだ艷々しさに映えて美しかつた。砂質の壤土は燒け切つてゐる。煙草が根つくまで水をやらねばならぬ老父の仕事は雨が降るまでは終らない。駿介は畑の縁に腰をかけて、こつちに背なかを見せた老父の動きをぢつと見詰めてゐた。彼はまだ氣づかぬふうだ。やがて振り返つた。駿介を見るなり、腕で横なぐりに顏の汗を拂つて、

「何とまあよく照るこつたか。今日の新聞の豫報は何とぢやらう。」

日をまともに受けて、皺深い顏がくしやくしやになつた。

「今日も一日よい天氣ださうです。さつき役場のラヂオを聞いたけど、やはりおんなじことでした。」

「所によつては驟雨がある、とは云はなんだかい。」

「ええ……聞かなかつたなあ。」

一段落つくと、駒平は、仕事の手をやめて駿介の傍へ來て、列んで腰をかけて休んだ。

「ともかく、早う一雨降つてもらはにやどもならん。これぢや根つきもおくれる。」

「專賣局からの檢査は何時でしたつけ。」

「もうぢきだ……六月にはいつてからだ。日は何れ組合から知らして來ようわい。」

「今年は豫備はどれくらゐ植ゑたんです。」

「八號地に」と、駒平は幾つかの畝のうち、そつちの方を指して、

「あすこんとこが豫備だ。五十本ぢや。規則ぢや、豫備として、三十本から五十本までええといふことになつとるけに、どうせ作るんなら、多く作らにや損やけんのう。」

下の方から聲がして、妹のじゆんが上つて來た。十時の飯と飮み水とを運んで來たのである。桶のなかの殘り水に浸した手拭ひで顏と手を淨め、扁平な漆塗の箱を開いて駒平は食ひ始めた。黒胡麻をまぶした、黒い麥飯の握飯が七つ八つ、ぎつしりつまつてゐる。糠味噌に漬けた小蕪と鹽鮭の切身が一つ、その上に乘つてゐる。握飯を一つ食ひ終る毎に、駒平は、鹽味のある指先をぺろぺろと嘗め、藥罐の水を、注ぎ足し注ぎ足し飮んだ。

「これで、何だ。今年もかうして水のためにえらい目えして、それでもまあどうかかうか檢査もすまし、いよいよ適熟期といふ時になつて、大風にでも吹かれようもんなら、全く目もあてられんことになるけんのう。昭和六年がさうぢやつた。また八年がさうぢやつた。去年はどうやら事なくてすんだが、さあて、今年はどうだやら。――何せえ、煙草といふ奴あ、手數のかかるもんさね。」

駿介も父の湯呑みを借りた。注いだ水を、日陰でぢつとすかして見て、それから飮んだ。いつもながら、腹の底にまで沁みる冷たさだつた。藥罐の蓋の内側は、冷氣が凝つて、小さな玉を結んでゐた。しかし、かなりひどい濁りやうだ。駿介はじゆんに訊いた。

「これ、うちの井戸の水なんだらう?」

「ええ。」

「やつぱり濁つてるな。」

「だつて、今朝も近所のみんなが來て汲んでつた、そのあとなんだもの。鈴木さんとこの井戸も、伊東んとこの井戸も、朝一ぺん汲むと、もう底の泥が立つて、土色になつてしまうて、使へんさうな。鈴木ぢや、今日が風呂の番ぢやによつて、晩にはまたよろしくお頼申しますつて、よくよく頼んで行つたがな。」

「しかし、うちのだつて、もう釣瓶つるべが底につかへるんだらう。」

「そりや、みんなしてああがいに汲めば、さうやけど、どうにか使へるのは今はうちのだけなんだから。」

「お父つあん。どうかな。こないだも話したけど、今年の日照りを機會に一つうちの井戸の掘り下げをやりませんか。僕が手傳ふから。」

駿介は父の方に向きなほつて云つた。

「さうさな。俺らもな、自分の足腰のまだしやんとしてゐるうちに、あの井戸は掘つ返してえもんだとは、かねがね思つてはをるんだが。ことに今年みたやうに水の出が惡いやうぢやのう。あの井戸は、部落むらの衆のためには、これまでずゐぶん、役立つて來とるんぢやけに。ぢやが……」と駒平は、後の言葉を濁した。

「やりませうよ。是非。僕が手傳ふから。」と、駿介は繰り返した。なぜに彼がさういふ仕事にそんなに興味を持つか、人にはわかりかねるほどの、熱心さで云つた。

「お前が手傳ふつて。物好きな。口でいふほど、さうた易い仕事とでも思ふんけ。」と、駒平は笑つた。

杉野の家は、山裾の、部落の他のどの家よりも高いところに位置してゐる。その家の裏手の井戸も、深く掘られて、ほとんど四間に近い。筋のいい水脈に掘りあて、山底の水を集めて、清冽玉の如くであつた。水の味がいいと云つて、褒めないものはなかつた。夏には、かなり離れたところからも、バケツや藥罐などを下げて、飮み水や冷し水をもらひに來た。いつとはなしに、誰が名づけたといふこともなく、その井戸は「玉水の井」と呼ばれ、人々を潤ほして來たのであつた。玉水の井が、常にも増して人々に多くの惠みを垂れるのは、丁度今年のやうに雨量の少い時であつた。どこの家の井戸も水が涸れて、底の泥が立つやうな時、玉水の井だけは、依然、清らかな水を豐かに湛へてゐた。飯をしかける時、輪番で風呂を立てるその番が𢌞つて來た時、近所の人々は、玉水の井の存在の故に助かつた。ところが、その井戸が、ここ三四年來、夏期には、目立つて水の出がわるくなつて來たのだつた。そしてそれも無理がないと云へた。この井戸は今から五十年も昔、駒平の父の代に掘り、その頃少年だつた駒平はその仕事を手傳ひ、それ以後、掘り下げたことがないといふ古さだつたのだから。それだけの年月の間には、水脈にも變化がないとは云へなからう。そしてこのことは駒平を殊のほか悲しませた。この純樸な老人は、今までのやうに多くの人々に奉仕し、彼等を喜ばし得ぬことを悲しんだのである。杉野の家は、以前は村での有力者で、駒平の父は地方の政治に關係し、村での世話役的な仕事にも熱心だつた。しかし、駒平は父から、その名と共に少なからぬ借財をも受け繼いだ。もともと多くはなかつた持地をそのために處分し、分家した兄弟達にも土地を割き、彼自身は普通一般の働く農民として、目立たぬ存在になつて行つたが、父の代の我家を知つてゐる彼は、村のために役立ち得ぬ自分を寂しく思ひ、さういふ彼にとつて、玉水の井は實に小さな一つの慰めであつた。降雨の少いことでは國中にも名があり、川らしい川の無いこの地方は、少しの日照りにもすぐ水が涸れる。夏の日、裏の井戸に近所の人々が通つて來るのを見る駒平は樂しげだつた。

「俺らの生きとるうちの仕事の一つに、どうあつてもこの井戸は俺らの手で掘つ返さにや。」

出がわるくなり、濁りがちな水を見ては、駒平はさう云ひ云ひした。

しかし、同じ仕事に向ふ駿介の熱心さの出どころは、駒平とはちがつてゐた。彼は何も井戸掘りでなくてもよかつた。彼の家の麥は近く刈られる。そのうちには煙草の葉の乾燥も始まる。彼はそのどつちにも自ら參加しようと思つてゐる。彼は今痛切に肉體的な勞働を欲してゐた。彼は、心身がある一つの對象に向つて統一された状態にあることを、張り切つた力の感じ、充實感と云つたやうなものを、深い自覺に於てといふよりは、ほとんど本能的な欲求として、渇くやうな氣持で求めてゐたが、さういふ彼の求めに最も端的に應へてくれるものが肉體的な勞働であらうといふことは肯ける。心身の力を出し切つて、荒々しくぶつかつて行けるやうなもの、さういふ機會を彼は欲してゐた。それは單に、病後の休養にも倦みはじめた若い肉體の、生理的な要求に過ぎないものであらうか。それはさうでもあつたらう。だが同時に、それはもつと深いところに根ざしてもゐるものだつた。彼は自分の過去に訣別しようとしてゐた。脱出の道のない、泥沼のやうな觀念の世界にはまり込んで、脱け道がないといふことのなかにかへつて陶醉してゐたやうな過去に別れようとしてゐた。他人の生きた經驗をそのまま據り所とするわけにはいかぬ、先づ自分自らがほんたうに社會を生きて見なければならぬ。彼はそのやうな一般的な意志を持ち始めたが、もしもこれが、今から七八年も前であつたなら、新しい道は具體的な、明確な道を取つて彼の前に開けたであらうが、今はさうはいかなかつた。彼の歩みは、何か生活的なもの、實質的なもの、中身のぎつしり詰つてゐるもの、生産的なもの、建設的なもの、上附うはつかずにじつくり地に足のついたもの、さういふ内容一般に強く心を惹かれるといふ、きはめて漠然とした抽象的な姿において始められたのである。ちやうどさういふ時、彼の村の生活は彼の前に展けたのである。それは新鮮な魅力だつた。村の生活のどんな小さな斷片でもが、生々とした感情を彼に呼びさまさずにはゐなかつた。

「掘り下げて、底を深くするだけやつたら、大して造作もないこつたが、それにやまづ、井戸側の石をすつかり取り拂つて、それからまたそれをもともと通り積み上げにやならんけんのう。」

四間からの深さの井戸側は、全部、さまざまな形の大きな自然石でがつちり築き上げられてあつた。

「そのやうにしてかからにや、だめなもんですか。」

「ああ。井戸の掘り下げには、まづ井戸側を外してからかかるのがまつとうなやり方としてあるもんぢや。」

「ほう。」

「無精ぶしやうして側がはの石をそのままにしといてかかるものもないことはないが、さうすつと、掘り下げ中に側が崩れ落ちてからに、底で作業中の者が生き埋めにならんとも限らんのぢや。」

「ああ、成程な。」

「ずんずん掘り下げて行くぢやらう。ところで底が深くなるつてことは、底と、側を固めとる石との間に、それだけ隙間が出來でけるといふことぢやらう。側を支へとるものは底ぢやけにな。その隙間さ持つて來て、井戸側ぜんたいの重みが上からずんとのしかかる。一たまりもないわけやらうが。俺らなぞは昔からそんな騷ぎを、たくさんに見もし聞きもしとる。つい三年ほど前に、元山(村)の八田の息子が蛙みたやうにつぶれて死んだのなぞもやつぱしそれぢや。井戸掘りは土質については案じるものだが、後で話に聞いたら、八田のとこはやつぱし砂地ぢやつたさうな。それぢやたまらんわ。年寄りが知らん筈ない。はたして年寄りが町さ出てゐる間にやつたといふことぢやつた。」

「しかし、その土質といふ點を云つたら」と、駒平は續けた。「うちのはいいんぢや。うちのは粘土質の赭土ぢやからね。上からのずり落ちも萬々なからうとは思ふんぢやが……」

そしてぢつと考へこんだ。

頸筋をつたはつて流れる汗が、喉の凹みにたまつたのを、彼は大きな手の平ではじいた。はだけた胸はおどろくほど厚くがつしりしてゐるが、やや萎みたるんだ感じの皮膚の上には、老の黒いしみが點々とちらばつてゐた。

やがて彼は心を決したらしく云つた。

「やつて見るかなあ、ぢやあ一つ。今年こそはと思つて、一年一年のばしとるうちに、俺らもそれだけ年をとり、からだも弱る勘定ぢや。そのうちに、いつ何時、何事が起つて足腰立たんやうになるやも知れたこつちやない。我が手にこれが出來んといふことになつちや、末代までもの心殘りぢやけに。」

「で、今の話、井戸側の石を引き上げるといふことはどうするんです。」

「さうだなア……そりや、すつかりとは引き上げんでもよからうわい。」

「さうすると?」

「上、半分だけは取りのける。下の半分はそのままにしといてやつて見る。」

「大丈夫ですか。」

「大丈夫ぢや。」ときつぱり云つた。

「明日の朝から早速かからう。煙草の方は二三日おつ母さんに代つてもらうわ。じゆん、お前おつ母さんの手傳ひせにやあかんぞ。」

「さうだ、じゆんはおつ母さんを手傳ふがいい。おれはお父つあんを手傳ふから。」と、駿介は愉快さうだつた。

「井戸のことがなくたつて、煙草の方は少しお父つあんに代らにやならんとさつきもおつ母さんは云つとつた。――わたしのことはいいがな。兄さんはしかしだめにきまつとるが。」

「なんでだ。」

「なんでだと云つて……」

力仕事など、おかしくつて、と嗤つてゐる氣持が調子にあらはれてゐる。

「何を生意氣な。」と云つて、駿介も笑つた。

「さうだな。誰かまたこの近所の衆を一人頼まんことにや。」

「なあに、おれアやるよ。お父つあん。」

しかし駒平は答へず、ほかのことを云ひ出したことで、取り合はぬふうを示した。

二

駿介は足を開いて立ち、胸を張つて、兩腕をかはるがはる風車のやうにまはした。それから帶革をしめ直した。腰のあたりの感觸が久しぶりのものだつた。長い間押入れの奧に押し込めておいたものからは、ほのかに濕り氣のにほひがする。色のさめた帶革の上には灰いろの黴の花が浮いてゐる。無造作にその上をこすつた手を、繼つぎの多い洋袴ズボンになすりつけ、洋袴の裾を高くたくつた。

上はシヤツ一枚の姿である。頭を包んだ手拭ひをきりりと引きしめながら、駿介は上り框の方へ行つた。土間に深く射しこんでゐる日の色はもう夏だが、朝のうちは風が爽やかである。

地下足袋の爪をかけてゐると、うしろに足音がして、駒平の聲であつた。

「なんと、えらい恰好やな。ぢやあ、ほんたうにやる氣かえ。」

さういふ駒平ももう支度をしてゐた。懸念するいろと、からかふやうないろとが、笑ふと子供のやうな無邪氣さになる彼の眼や口のあたりにうかんだ。昨日からの駿介の言ひ分を信用しないと云ふのではなくて、病後の息子を避けたいのであつた。

駿介は默つて、笑つて、土間の隅から畚を持ち出して來て、その出來ぐあひを調べてゐた。昨日、裏山からかづらの蔓を切つて來て、彼自身の手で作つた目の荒い畚である。四隅の釣紐の部分をとくに念入りに見た。

「けども、なんしろがいに力のいる仕事だでな。病みあがりのお前にはなんとしても無理なこつちや、寺田ン家の源次でも頼んだらとおら思ふとるんやが。」

「源次? 寺田の。ああさうか。あれももういい若いものになつたでせうね。」

「ああ、もう十八やからな。今年ももうちつとしたら岡山さ藺刈りに雇はれて行くやらうわい。――源次を頼むかね、ひとつ。」

「まアいいや、お父つあん。おれ、やつて見るから。――寺田なんどぢや、今もあつちこつちさ頼まれて行くんだらうが、百姓の日當は此頃ぢやどれくらゐしてゐるの。」

「まア七十錢が相場ぢやな。よつぽどよくつて八十錢ぢや。四五年前までは九十錢から一圓が相場ぢやつたが、それ、縣の匡救事業な、あれが始まつてから下つたんだ。匡救事業が七十錢だもんで、それが百姓の日當の通り相場になつたわけさな。」

「ぢやあ、人氣がわるいわけですね、救農工事は。」

「さうだな。此頃ぢやこぼしてゐるものも多いやうだな。」

火鉢の前で一服してゐた駒平は、煙管をおさめて立つた。

「そりや一頃は百姓の懷を温ためはしたどもな、なんといつても匡救事業は年百年中の事ぢやないわ。ところがそのために一般に下つた百姓の日當は、二度と上ることはまアちよつと無いもんと見んならん。長い間には結局損するといつたやうなわけぢや。雇ひもし雇はれもするものはいいとして、雇はれる一方のものはつらいわけぢやろ。」

「お父つあんは地下足袋にはせんのか。」

そこに腰をかけて足ごしらへにかかつた駒平は、地下足袋ではなくて草鞋だつた。

「うん、地下足袋ぢや滑つて危なうてどもならんわ。」

「ぢやあ、おれも草鞋にしようかしら。」

「お前はそれでええ。お前は外だからな。俺らは井戸のなかさはいらんならんのぢやけに。」

二人は裏口から外へ出た。

井戸はすぐそこにあつた。傍の大きな柳の木が、井戸の上にまで長く枝をのばしてゐる。秋になつて、風が枯葉を水のなかに落すまでは、枝も葉も、そのまま繁るに任せてある。

井戸側を築き上げてゐる自然石は、地面の上に四尺ほど出てゐる部分も、非常に大きく、年を經て苔蒸し、ゆるぎないさまに見えた。駿介は縁に手をかけてなかをのぞきこんだ。常にも増して、水面までが奧深く、はるかなものに見えた。下から吹き上げて來る冷氣が顏を拂ふ。今朝も近所の人達が汲み上げて行つたあとなのであらう、目立つて水底が淺くなつた感じの水面が、朝の光の滿ち溢れてゐる空を映して、白く光つてゐる。しだれた柳の枝と、井戸の外側にからみつき、次第に内側にまで這つて行つた蔓草の蔓が風に吹かれてゆらぐのと、駿介の顏とがその白さのなかに影をおとした。駿介は子供の氣持になつて、身をのばすやうにすると、底に向つて大きな聲で呼んだ。太い聲で歸つて來る木靈こだまを、三度四度、彼は無心でたのしんだ。

彼は子供の時、溜池から取つて來た鯉をこの井戸の中に放つたことがあつたのを思ひ出した。

「始めるかな。」と、駒平が云つた。

駒平が手にしてゐる道具は、鐵梃かなてこ一本だつた。彼はその鐵梃のさきで、石と石との間のわづかな隙をコツコツと叩いてゐた。しつくりと組み合はさつたまま、何十年もの年を經て、セメントで固めてあるわけでもないのに、所によつてはただ一枚の石ででもあるやうである。鐵梃のさきはものの急所をでもさぐるかのやうに動いてゐた。と、ぐつと力がはいつたと見ると、それはある隙間めがけて喰ひ込んだ。駒平は體勢を變へ、足を大きく開いて踏ん張つた。鐵梃に胸を押しつけると、體全體の重みと力とがぐつと加はつた。土がパラパラと落ちて、石はにじり動いた。こじられるに從つて、隙間は大きくなり、石は浮いて行つた。

「よし――さア、持たう。」

鐵梃を放り出して、駒平はきりつとして云つた。最初に動き出した石は、一人では到底持てさうにもない大きさだつた。

「ああ、これをはめたがええ。」

ふと氣づいて、駒平はふところからよごれた軍手を取り出して投げてよこした。駿介はそれをはめて石の一方を持つた。駒平は裸の手のままだつた。二人はそれを持ち上げて、少し離れた平地の上へ運んで行つて、ころがした。

そのくらゐのことでも、それは駿介には力のいる仕事だつた。滿身の力をふりしぼらねばならぬ仕事といつてよかつた。ただその一囘で、彼の全身の血潮は熱くたぎつて流れた。顏がほてつて、顳顬のあたりがづきづきした。彼は腰のふらつくのを感じて、石を持ちながら踏む一足一足に鋭い注意をそそいだ。

「よしか――足もとに氣イつけて。」

そして石は地ひびき打つて、地に大きな凹みをつくつて、ころがつた。はずみをつけて石を投げ出し、二足ほど後じさつた時、駿介は、風呂からあがつた時などによく經驗するやうな、立ち眩みを感じた。汗がにはかに流れ出て來た。はげしい呼吸の亂れを駒平には氣づかれまいとして何か云ひたい聲をおさへて、息苦しさに堪へた。

「なんしろ古い話だで。俺らが十かそこいらの時であつたんぢやから……」

はじめてこの井戸が掘られた當時のことを駒平は思ひ出してゐるのだつた。さういひながら一本の鐵梃を巧みに使ひこなして、次々に石を崩して行く六十五歳の老父の、力に滿ちながらゆとりのあるものごしに駿介は見惚れてゐた。彼の足の踏まへ方や腕の張り方や、その一擧一動が精彩を放ち、感動をもつて駿介にはながめられた。神經痛が起つて、いかにも所在なげに長まつてゐる時の、老父の姿を思ひ浮べようとしても思ひ浮ばなかつた。

「そら――落すぞ。」

石が少し小さくなると、さきのやうに二人で運んで行くといふことでなしに、駒平はその場でどんどん地面へころがし落した。身をよけて、そのさまを眺めて、ぼんやり立つてゐるやうな駿介に、駒平が、

「早はよう、運ばんけい。」と云つた。駿介はハッとして、ひどくあわてた氣持で石に抱きついた。そのあるものは彼一人の力にはほとんど餘るほどの重さだつた。彼は腰を曲げ、引きずられて前へのめるやうな恰好で運んで行つたが、堪へかねて途中で落してそれからは轉がして行つた。その後ろから駒平が、

「またこつちへ運ぶんぢやけに、なるべく運びいいやうに並べとけえよ。」と叫んだ。そしてせつせと自分の仕事をつづけた。駿介は恥しさを感じた。さういふ、老父の自分に向つての短いきつぱりした言葉なり態度なりは、駿介が心の隅のどこかで、無意識のうちにひそかに豫想してゐたものとはちがつてゐた。少くともそれは彼を甘やかす、もしくはただいたはるだけのものではなかつた。しかし駿介は、そのやうに撫でられることを、心のどこかで豫想してゐなかつたとは云へなかつた。駒平の言葉なり態度なりには、もちろん、冷酷なものなどはなかつた。また、自分の調子を意識して、未熟な若いものを慣らさうとの教訓的なものでもなかつた。しかしそれはゆるみなく働くもののおのづからな調子であつたから、さういふものとしての嚴しさはあつた。

「やつて見るかね、ひとつ。」

幾つ目かの石を運んで戻つて來た駿介の前へ、鐵梃をつき出して云つて、駒平は笑つた。

駿介はそれを受け取つて使つて見た。渾身の力を搾つてかかつたが、石はコンクリートででも固めたもののやうにびくともしない。手が滑る感じなので軍手をぬいだ。三度四度と突つかかつて行つて、やつと一つを崩してから鐵梃を駒平に返した。たつたそれだけでもう手のひらがひりひりした。皮が剥げさうに赤くなつた手のひらをこすりながら、かすかな鐵のひほひを嗅いだ。

「呼吸もんだで。やつぱしこれも。」と、駒平は愉快さうに笑つた。

地上に出てゐる部分の石がすつかり取りのけられると、駒平は井戸のなかへはいることになつた。不揃ひにとび出てゐる石の角をたよりに、一枚の板をやや斜めに橋のやうに架け、それを唯一の足場として井戸側を次第に下へと降りて行くのであつた。片足は板の上に、片足は石のやや出張つたところにかけて、その不安定な状態で、何貫もの大石を持ち扱つて行かなければならなかつた。危險でないとは決して云へぬのだつた。

「よしか。」

「よし。」

駿介も今は全身がわななくほどの緊張ぶりだつた。ほとんど必死といつてよかつた。駒平が胸のところからわづか上の高さに、下から石を持ち上げるとき、彼が重さを託してゐる一枚の板は撓むかと思はれた。今はただ一つの大きな穴に過ぎなくなつた井戸のなかをのぞき込み、地に膝をつけて、上からその石を受け取る駿介は、石の重さに穴のなかに引きずり込まれるやうな危險をしばしば感じた。はるかな下の水面がものおそろしげに白く光り、目眩むばかりだつた。小石や砂利がさらさらとひそやかに音して井戸側を傳はり、水のなかに落ちるのが聞え、水面のかすかなゆらぎが見えた。

しかし石を下から上へ、そのやうに手から手へ渡して居れるのは、さう長い間ではなかつた。駒平の足場は次第に下へと下さがり、もはや手は上までは屆かなかつた。そこでかねての用意の畚を滑車の仕掛で引き上げることになつた。

畚は綱をつけて下へ下された。石はそのなかへ入れられ、それはまた引き上げられた。何囘もそれが繰り返された。駿介は汗みづくになり、激しい鼓動を薄い胸壁に堪へながら、總身の力を搾つた。彼はへとへとになり、顏は青ざめてゐた。しかし堪へて行かねばならず、さうして時が經つうちにやがて彼はいつしか自分でも意外な一つの境地につき進んでゐることを感じた。疲勞もあるところを越えればもはや苦痛ではなくなるのであらうか。胸突きの山道を越えて廣濶な平地に出たやうに、苦痛のあとの歡喜に似たものが胸に溢れて來た。力を出し切つたあとなのに、盡くることのない新しい力がよみがへつて來るやうに思はれた。綱を下し、固唾を呑み、掛聲をかけ、引き上げ、また下す、それらの作業の間は、自分のさういふ新しい變化さへ意識しない忘我の状態だつた。

「よしか――上げるぞ!」

彼は聲までも荒々しく叫んだ。彼は野蠻な、猪突的な、何か粉碎し去らねばやまぬやうな力を感じた。相手と組み打ち、これを押し倒し、征服する勝つたものの喜びを感じた。このやうな力の充實感や、力を出し切つたといふ感じや、何にてもあれ、一つ事に體當りにぶつかる感じなどは、ここしばらく、彼の全く知らないところだつた。そしてそのことを意識することによつて彼の歡喜は益々深く大きなものになつた。一つ石を引き上げてホッとすると、彼は井戸の底に向つて大きな聲で話しかけたりした。

次第に下へ下へと下るにつれて、石は水氣に濡れて苔蒸してゐた。手をあてると水垢でよく滑つた。たくさんに足のある、這ふ蟲が、苔のなかにかくれてゐて、にはかに明るい外光のなかをあわてて逃げ惑うた。

「今度は少し大きいぞう!」と下から聲がかかつた。「今までで一番大きいか知れんぞう! ところどころかうしたでかいのが坐つとるんだ。側がはをしつかりさせるためにわざわざしたこつた。」

駿介はそれに答へた。そしてのぞき込んだ。成程、上から見てもそれは大きかつた。

「それ、のつけるぞ! 氣イつけろよ。」

とたんに、綱を持つ駿介の手にずしんと來た手應へは、彼を極度の緊張にまで驅り立てた。彼は狼狽したほどだつた。その重さは今までに初めてのものだつた。彼は渾身の力で綱を引いた。それはやうやく二尺ほど上つた。彼はさらに引いた。そしてそれはもう一尺ほどあがつた。滑車はきしり、綱は彼の手のひらをすり切るほどだつた。しかしそれ以上はもうどうしても上りはしなかつた。足の踏ン張りかげんをいろいろに變へて見たが同じことだつた。

彼はそのままの恰好でしばらく息せき切つてゐた。彼は進むことも出來ず、退ひくことも出來ずそこに釘づけになつてもがいてゐる形だつた。汗が眼に入り、しかし拭くことはできなかつた。肩の附け根と肘の關節のあたりに、痛みとだるさとを同時に感じて來た。忘れてゐた疲勞がにはかに戻つて來たが、今度來たそれは非常に深いところからのもので、もうだめだといふ感じが熱してゐる頭にひらめいた。どうしよう?……非常にたよりない、せつぱつまつた危急の感じが目くるめくやうな氣持のなかに來た。

この大きな石を畚にのせると同時に、駒平が足場をもう一段下に移したことを駿介は知つてゐた。さういへば、「どうした?」と訝つてなかから叫んでゐる駒平の聲は、今迄よりも一層奧深くはるかな所から來てゐるやうだ。駿介は自分が綱を持つてゐる手を、今にも離しはしないかといふ恐怖におそはれた。どうしても力に餘るなら、再びそろそろと下して、下から駒平に受け止めてもらへばいい筈だつた。理窟では、それは別に造作もいらぬ筈のことだつた。しかし實際にはそれは彼にはむづかしかつた。そろそろと少しづつ加減して下すといふことが到底出來さうにもないことだつた。一度下さうとするならば、石の非常な重さで、それは激しい勢で一直線に落下しさうなおそれしかなかつた。それは落下する、そしてその眞下にゐるに違ひない老いた父は?……瞬間にその思ひがひらめくと、駿介の全身はへんにこはばつたまま動かなかつた。硬直した腕は擂粉木のやうに鈍感だつた。

「どうした? え? あがらんのか?」といふやうな穴のなかからの聲が、ぼーつとした感じできれぎれに聞える。

その聲にふと氣づいたもののやうに、駿介は、突然、

「じゆん! じゆん! 道! おい、誰かゐないか!」

と、ふりしぼつた聲で叫んだ。

何度目かに答へがあつて、あわてた恰好でじゆんが裏口から飛び出して來た。それからつづいてその妹のお道も。

じゆんは今朝早く、駿介達がまだ仕事にかからぬうちに、母のおむらに從つて、煙草畑に行つたのだつた。そして丁度今少し前に、十時の飯を運ぶために歸つて來たのだつた。

「どうしたんや? 兄さん。」

何かただならぬけはひに、じゆんは顏いろを變へて駈け寄つて來た。

「引つぱつてくれ、ひつぱつてくれ。これを。」と駿介は喘ぎ喘ぎ云つた。

すぐにそれと知つて、じゆんは力を協せはじめた。それは云ふに足らぬほど、わづか上つた。しかし、それきりだつた。じゆんも息を急いて、ふりかへり、

「道も。」

と、云つた。十六になるかぼそいお道も、走つて來て、二人に加つた。

三人がその一本の綱に、ここを先途と取りすがつた恰好だつた。女手ながら二人の應援を得て駿介も元氣を恢復した。畚の石は少しづつ上へあがつて行つた。ふと新しい一つのおそれが、稻妻のやうに彼を刺し貫いた。もしも途中で綱が切れたなら!

しかしその時は畚はもう穴の縁にすれすれの所まで來てゐた。畚の頭が、汗がにじんで曇つた駿介の眼に映つた。そして最後の一踏張ひとふんばりで、それは完全に地上のものとなつた。

「あーあ。」

綱を離すなり、駿介は太い溜息をついて、ぺつたりとそこに尻餅をついてしまつた。あぐらをかき、がつくりと頭を落し、手もだらつと膝のあたりに投げて、しばらくは汗を拭かうともせずものも云はなかつた。

井戸の底では駒平が何か叫んでゐる。それに答へて戻つて來たじゆんは、そんなにして動かずにゐる駿介を、しばらくぢつと見つめてゐたが、ふいに、

「ふふふふふ。」と、こみあげて來る笑ひを、押へようとしてつひに押へかねたといつたふうで吹き出してしまつた。そして一度聲を立てて笑つてしまふと、もうどうしても笑ひがとまらぬといふふうに、腹をおさへ、家のなかであつたなら、さぞそのあたりを轉げまはることだらうと思はれるむすめの笑ひ方で、いつまでも笑つた。

「なんだ。」と云つて、駿介は險しい顏をしてそつちを見た。しかし、やうやく笑ひをおさへたじゆんとふと顏が合ふと、今度は彼がてれ臭さうに横を向いて、ぷつと吹き出してしまつた。するとそれがきつかけで彼も大聲をあげて笑ひ出した。じゆんもまた笑つた。お道も、何かわからぬやうなへんな顏をしながら、そのなかに入つて笑つた。

駿介は立ち上つた。畚のなかの石を外へ轉がし出さうとして手をかけた。持ち上げて運んで行くといふことはとても出來さうにない。轉がして行くのほかはない。一方の、二つの角に手をかけて、寢てゐるのを起すのさへもやつとだつた。彼はもたげたそれをまつすぐ前の方へ轉がした。――いや、轉がしたつもりだつた。彼は石を向うへ押しやつて、手を離さうとした瞬間、それまで張りつめてゐた緊張のなかに、ちやうど風穴のやうに不意にゆるみが入つたと思つた。大切な最後の一瞬に、うつとり我を忘れた氣持でゐたらしい。ハツと我にかへつた時にはもう手を離してゐた。手が滑つたなと狼狽した氣持で感じたのと、石がぐらりと横に逸れて轉んだのとは同時だつた。

「あツ。」と叫んで、駿介は横さまに倒れた。すぐに後ろに飛びしさるやうに立ち上ると、片足を上げた一本足で、きりきり舞ひをするやうにそこらを飛び𢌞つた。あつけにとられて見てゐたじゆんが、駿介が立つてゐる片足が、左足であることに氣づくまでには少し間があつた。

「どうしたんや、兄さん。」と、じゆんは叫んで駈け寄つて行つた。その時、駿介はもう土の上に坐り、右足を投げ出してゐた。投げ出された足のさきが、どの指を傷つけたものか、あわててしまつてゐるじゆんの眼にはわからない、ただそこらあたりが眞赤な血潮に染まつて見えた。

顏色を變へたじゆんが、井戸の方へ急がうとした。その後ろから駿介が鋭く、

「じゆん、默つて。」

井戸のなかの老父に衝動を與へて、萬一のことがあつてはと、とつさに思ひついたのだつた。

しかし默つてゐても駒平は上つて來た。じゆんが煙草畑から歸つて來たし、もう十時の飯の時刻だと知つたのだつた。彼は上からの綱をも待たずに、ひとりで上つて來てしまつた。

「駿、何とした?」

駒平はすぐに氣づいておどろいて云つた。暗い地の底から急にそのなかに出た外界の明るさに、眩しさうに眼をくしやくしやさせながら、起つたことをぢつと見究めるやうにした。

「どうしたんぢや、一體。何ぞぶちつけでもしたんか?」

駿介は手拭ひを二つに裂き、素早く足さきを包んでしまつた。

ずしんと重い物音がして鐵梃で打ち摧かれたやうな痛みをおぼえ、一度打ち倒され、またすぐ飛び上つた瞬間は、高い所から底まで、ずーんと一ぺんに落ちた感じで、眼がくらくらした。貧血だな、とまた倒れさうになる氣持のなかで思つた。しかし倒れずに飛び跳ね、自分から腰を下した時には、痛みは、灼くやうな、刺すやうな、づきんづきんするものになつて戻つて來て彼はほとんど口も利けなかつた。全身が鳥肌立つて一時に冷えて行つた體の内部から、じわじわと脂汗がにじみ出て來た。惡寒がして手足がぶるぶるふるへた。嘔き出したいやうな氣持になつた。苦しみにゆがんだ顏に強ひて笑ひをつくつて、「なに、何でもない、ちよつとしたことで。」と云つた。そして手短かに事の起りを語つて、「ちよつと手當てして來るから。」と云つて家のなかへ入つて行つた。後ろからついて來るじゆんを呼びとめて、新しい繃帶が、たしかどこそこにあつた筈だから、と云つてゐる駒平の聲も何やら遠い感じで聞いた。

アルコホルとか脱脂綿とか繃帶とかいふやうなものは家にあつた。まだたしかあつた筈だと云つて、じゆんは小箱の引出しを幾つも開けてはヨードホルムの瓶を探した。そしてそれも見つかつた。それらを持つて、縁側へ出て來て、駿介は手療治にかかつた。血潮は幾重にも捲いた手拭地の上にまで浸み出て、したたるほどだつた。石の角があたつたのであらう、皮と肉とを引き裂かれた傷は、親指の爪の上のあたりだつた。鈍角が強引に引き裂いて行つた傷は石榴ざくろのやうに赤い肉をはみ出してゐた。血を見ると、腰から脹脛ふくらはぎにかけての神經がざわざわして來るのが駿介の平常だつた。しかし、傷よりは、押しひしやがれた蝮の頭みたいな親指の頭の方がもつと大事な感じで迫つた。それはひどい打身になつてゐた。爪のいろはもう死んでをり、肉の部分も紫いろに變つて、しだいに大きく腫れ上らうとしてゐるもののやうであつた。うづくやうな痛みはそこから來てゐた。

脱脂綿にアルコホルを浸ひたして傷口を洗ひ、ヨードホルムをふりかけ、繃帶をし終へてから、駿介は、そのままそこの板の間に仰向けに寢た。そこはもう日陰になり、爽かな風が吹き拔け、涼しかつた。

じゆんは、父に呼ばれて、表の方へ出て行つた。

しばらくは、何の物音もなく、あたりは靜かだつた。空には白い雲一つなかつた。その空の青さにも、家を取りまく緑にも、一ぱいに光が滿ちてゐるのが、一層、晝の靜けさを増してゐるやうであつた。ぢつとはるかな空に眼をやつてゐると、駿介は自然涙ぐんだ。それは眩しいせゐばかりではなかつた。少しすると、松も交つてゐる裏の山の木立ちのあたりに、春蝉の鳴くのが聞えた。しかしそれも、しやがれたやうな聲で少し鳴いてすぐに止んだ。

駒平が、寢てゐる傍へ來て、立つた。

「どうや、痛みは。醫者には見せんでもええか。」

「ええ。打身ですからね。時が經てば自然に治つちまひます。傷の方はヨードホルムをつけといたし。」

骨に罅ひびがはいつてゐやしないか、それが駿介のおそれるところだつた。しかし、口に出しては云はなかつた。

「一度見せといた方がいいと思ふが――見せるんぢやつたら、澤井の森口な、あそこの忰が此頃家さ歸つとるけに。新しい學校出なだけ、佐久間なんぞよりはええやらう思ふが。もつとも森口の忰も外科とはちがふやらうが。」

「さうですか。森口の息子はもう學校を出たんですか。もつともさうだらうな、あれはおれより五つ六つ年上だつたから。」

田舍の事だから、中等學校以上の學校へ行つた近くの村の者達のことは互ひの記憶にはつきり殘つてゐた。

「たしか愼一つて云ひましたね。なんですか、村へ歸つて親父のあとでも繼ぐんですか。」

「さあ、それについてはいろいろゴテゴテもあるふうぢやて。森口の親父さんももういい年ぢやし――さう、かれこれ七十にはならうわい、――自轉車で病家を𢌞るもらくなこつちやない。近頃はとくべつ弱つて來たふうぢやて、それで東京の學校の研究室とかにゐる息子を呼んだんやらうが、息子の方にして見りや、今時の若いもんのこつちや、わざわざ東京の大學を出て、醫學士にまでなつて、こんな草深い田舍で百姓相手に暮さうなんて氣は毛頭ないわ。しかし親父は、また親父で、森口と云やあ、殿樣の拜領物まである、醫者としてはこの地方きつての舊家ぢや。先祖に對しても、めつたに澤井の土地は見棄てられるもんぢやない。またそなな昔氣質かたぎを離れて、今風に、損得一方からだけ云つたとて、東京に居ることが何で得なもんか。博士になる云うたからとて博士なんぞは當節箒で掃くほどある。病院でちつとばしの月給もらうたり、知らん土地で開業したりして、先祖代々の、この實入りのいい澤井に代へられるか、とまアかう云ふんぢやろ、親父は。それで息子も腰が坐らず、何かともめてゐるふうぢや。」

町の古い藥屋に家傳の煉り藥があつて、卵の白味に溶かして煉るのだが、打身などの熱を取るにはいいと云ふから、明日にも行つて買つて來よう、と云つて立ち去りかけて、

「源次を頼むことにしたが。さつきじゆんを使にやつたら飯を食つてからすぐに來るさうな。」

「明日中に仕事は終りますか。」

「さうだな。まア明日一杯といふところやらうな。今日中に井戸側を取りのけ、明日は水を干し上げて、底を掘つて、また石を積まにやならん。」

それらの仕事の一切を、手を拱いて見てゐなければならなくなつた自分について、駿介は何か云ひたかつた。しかし云へなかつた。駒平も亦、だから云はんこつちやない、といふやうなことは、たとひ揶揄的にしろ、一口も云はなかつた。

午後になると、體が熱を持つて來たやうだつた。さうではなくて高い氣温からの錯覺に過ぎないのかも知れなかつた。どつちにしても、ひとり家のなかにぢつとしてゐても、何一つ手につかぬ感じであつた。呼ばれて來た源次なのであらう、若々しく張りのある高い聲で云つてゐるのが裏手から聞える。滑車の軋る音や、ものを運んで動く人の氣配も聞える。それらに誘はれるやうな氣持で、駿介は裏へ出て行つた。

汗みづくになつて働いてゐる若ものは、十八にしては大きく、二十にも二十一にも見える出來上つた立派な體だつた。體は大人でも、十四五の少年の頃の面影がまだはつきり殘つてゐるその顏と互に見合つて、駿介は親しい笑ひを見せた。源次も、内氣でよく働くその年頃の青年らしくなぜともなくはにかんだふうで微笑した。もうかなり長い間彼等は會つてゐない。

「やあ、しばらく……今日はまたどうも御苦勞さん。」

「お歸りだと、話はもうせんに聞いてゐたつけが、いつも掛け違うて失禮しました。――何ですか、病氣の方はもうすつかりええのですけ。」

「うん、ありがたう、もうすつかりいいんだ。今日はまた柄にもなく親父さんの手傳ひをしようとしたらこの始末さ。」

駿介は、草履をやつとのことで引つかけてゐる足さきの繃帶を指して笑つた。

次の日は、朝のうちに、丸太の長いのを三本組み合せて、その足を三方に開いて井戸の上に立てた。これに滑車を結びつけて水を汲み出す設備をした。水はいくらも經たぬうちにすつかり汲み上げられてしまつた。

いよいよ、井戸底の掘り下げにかかる時になつて、源次ばかりではなく、その父の平藏も力を貸すためにやつて來た。

「ほう、下半分は殘したままぢやな。大丈夫かいや。」と、平藏は暗い底をのぞき込んで見て、懸念らしく井戸側のことを云つた。

「大丈夫やとも。」と、駒平は言下に自信に滿ちた答へをして、梯子を下した。

それを傳つて下りて行き、井戸底に立つた。そして底を掘りにかかつた。底は粘土質の土が、石のやうに固くなつてゐるとの駒平の話で、鐵梃を玄翁で叩き込んでは掘りおこす音が、ウワーン、ウワーンといふやうに末廣がりに響いて、長く尾を引いて消えて行つた。はかばかしくは行かぬらしく、下から聲がかかるまで、上にゐる二人は暇であつた。上にゐる者の仕事は、掘り起された土や水を釣り上げることにある。今日も駿介はそこへ出て行つて、待機の姿勢でゐる二人を相手に四方山の話をした。

一時間程して駒平は上つて來た。見ると、シヤツの上に毛のセーターを着込んで行つた彼が、齒をカチカチ云はせてふるへてゐる。唇は紫いろに變つてゐる。深く掘られた井戸底の冷寒がそのやうな激しさだといふこと、そのために長くは居れず、一時間交替にしなければならぬといふことは、駿介には聞いて見てはじめて成程と頷かれるやうなことである。上つて來た駒平に代らうとして平藏が立ち上つた。しかし、源次が、「まア、お父つあん、おれがやつから。」と云つておさへて、平藏が何か云はうとする間にもう、腰から下は穴のなかに隱れてゐた。短い言葉のなかに、年寄りをいたはる心と、一人前の若ものになつた自負とが溢れてゐる。

掘下げは四尺ほどの深さまでで止め、新に掘つたその部分には、かねて用意の素燒きの井戸側を嵌め込んだ。所々は石で補なつた。底の方の工事はそれですみ、今度は、昨日一日かかつて取り除いた石を再び積み上げて行くことになつた。石を運んで來て釣り下すのであるが、築き上げる仕事は、取り外す仕事よりは云ふまでもなく、一層困難なことと思へた。井戸の底にあつて指圖するものは、源次でもなく、平藏でもなく、駒平でなければならなかつた。今度だけは交替といふことは許されなかつた。人任せにせぬ駒平はそれだけ自信に滿ち、愼重な態度を取つたのであらう。駒平は一々指圖をし、上にゐる二人はそれに應じて適當と思へる石を下したが、下した石がその箇所にしつくり合はなければ、何度でも他に適當なものを探してやり直さなければならなかつた。

石が一側ひとかはならべられる。すると駒平が、「ウラグリを」と叫ぶ。朝のうちに源次の手でバラスが運ばれて、そこに山と積んである。目の細かな畚が持ち出される。バラスが畚に入れられて下ろされる。もういいと云はれるまで、何杯となくそれは下ろされる。駿介が覗いて見てゐると、駒平はそれらのバラスを、並べた石の裏側、一尺五寸ほどの空隙へぎつしり詰め込んでゐるのだつた。それがいはゆる「ウラグリ」だつた。駿介は平藏に訊いた。

「ウラグリといふのはどんな效能のあるものなのかね。」

「これはなアあんさん、非常に大切なもんなんぢやよ。つまりさ、雨が降るだらう、大雨や長雨の時、土のなかに浸んだ水が、四方から井戸側に押し寄せる力てえものは、こりやずゐぶん強いものらしい。泥が内側に流れ込んだりするばつかりか、土が軟つこくなつて、側の石が崩れたりもする。ウラグリて奴あ、さういふことを防ぐもんなんだ。このウラグリをまるで入れとかなかつたり、吝々けち〱したりするてえと、雨が降る毎に水は濁るし、折角積んだ石がガラガラつと行つちまつたりする。こりやあんさん、何も井戸側ばかしぢやない、たとへば石垣なんぞもおんなじ理窟さ。當節のそれ、不正工事といふ奴にあ、たいていこのウラグリが誤魔化してあるによつて、長持ちはせんわけさ。」

仕事はさうして順調に進んで行つた。

二人の老人、一人の若ものの、しつくりと氣合の合つたいかにも力に滿ちた肉體の動きを、駿介はいつまでも飽かず眺めてゐた。彼はふしぎな快さと感動のなかにあつた。三人のなかに混らずに、彼は三人と一緒になることが出來た。遠い昔に遺失したものを、再び取り戻したやうな感じがするのであつた。

三

足の傷は、醫者に診せることもしなかつたが、心配するほどのこともなく、順調に治癒の經過を辿つてゐるやうであつた。肉の裂けたところはすぐに口を閉ぢた。爪と肉との間に血が吹き出し、爪は黒ずんだ紫の、死んだ色に變つてゐたが、その色が次第に褪せて生色がよみがへつて來る頃には、全體の腫れもずつと引いた。その經過の早さは、駒平が買つて來てくれた煉藥のせゐであるかも知れなかつた。骨が罅割れてゐはしないかといふやうなことも、當面の苦痛が去つて見れば、別に氣にもかからなかつた。駒平は、

「寒さに向ふ時にはいつも氣をつけろや。治つたといつても、打身は年々その時節になりや、痛み出して來るもんぢやけに。」と云つた。そして駿介は、その間もぢつとしては居ず、治つてからは一層、家の内外うちそとの仕事に忙しかつた。

杉野の家は二十坪ほどの二階家であつた。四年前に、それまで住み古した古家をほごし、木材のなほ使へるものは殘し、それを主としてそれに古木を買ひ加へて建てたのであつたが、その時の大工左官の手間代が全部で六十圓であつたと云ふ。そんなわけだから、二階など、部屋の窓の一つには硝子障子が嵌つてゐたが、他の一方の窓には古戸が打ちつけたままになつて居り、晝も薄暗く、疊の代りに蓆が敷いてあつた。駿介は今迄もこの部屋を使つてゐたのだが、夏が近づき暑さが増して來るにつけても、まづこの釘付けの窓から何とかしなければならなかつた。足の痛みがやや薄らぐのを待つて彼は早速その仕事に取りかかつた。彼の考へは、窓の上に廂を出して、雨が斜に入り込むのを防がうと云ふのであつた。

納屋を探して、必要なほどの木切れや板切れを取り出して來た。鋸、鑿、鉋、金槌、さういふやうな道具類も一通りは揃つてゐる。鉋や金槌などは三十年このかた使つて來たものだといふことで、駒平はそれらを新しく買つた時のことまで覺えてゐて話した。それほど彼等の生活は單調で、三十年も一年のやうであるとも云へるし、道具といふやうなものをそれほど大切にしてゐるとも云へるし、またたとへ小額でも現金支出がなかなか大へんなことを語つてゐるとも云へる。

鑿で木に穴をうがつたり、その穴に他の木を嵌めて互ひに組み合すといふやうな仕事は、駿介にとつては容易ならぬ困難を伴つた。太い柱に一つの穴を鐫るのに三時間もかかつたり、その穴に腕木をきつちり嵌め込むのに午前中かかつたりした。作らうとしてゐるものの出來上りの形は一般的なものの形としてははつきり頭のなかにあるのだが、さて實際に、現在自分が手にする材料からそのものへの仕上りの過程となると非常に曖昧だつた。鋸切り、削り、穴をうがつ、實際のさういふ仕事の一つ一つが、さういふ曖昧な一々の過程を漸次明らかにして行くのだが、同時に仕事以前には思ひもつかなかつた細部についての新しい疑問が次々に起る。一間に一尺五寸幅の窓の廂を作るのに、日の長い初夏の、ほとんどまる一日を費した。

その翌日は椅子を作つた。テーブルだけがあつて椅子がないので、手頃な木の切れが殘つてゐるのを幸ひ、作つて見たのだつた。やはり一日がかりで、不恰好なものが出來上つたが、これは廂よりはらくでもあり、製作中も樂しみだつた。彼はじゆんに云つて椅子用の小さな布團を作らした。

足がすつかり治つて、外歩きも自由になるのを待ちかねて、ある日駿介は自轉車に乘つて村での街になつてゐる所へ出かけて行つた。そこまではちよつと半道だつた。彼はそこの店でセメントを一俵買つて自轉車の後ろにつけた。一俵のセメントは重かつた。彼はそれをつけて自轉車を走らす自信がなく、しばらくは押して行つたが、道がやや下り坂になつた所でためしに乘つて見た。自轉車は走り出したが、最初からよろめいてゐて、駿介のハンドルを持つ手は固く強こはばつてゐた。次第に速力が増すにつれて、不安な自信のない氣持は強まり、たうとう彼は途中で投げ出してしまつた。ブレーキをかけると同時に自轉車を棄てて飛び下り、自轉車は激しい音を立てて横倒しに倒れた。

麥畑を隔てて、十間ほど向うは電車の軌道になつてゐる。ゆつくりゆつくりした電車は田圃の間を走り、このあたりの村々と縣廳のある町とをつないでゐる。セメントの俵を持ち上げることに汗を搾つてゐた駿介は、東から西へ、町へ向つて行く電車の響を聞いた。うつむいてゐた彼は何氣なく顏をあげた。二三の顏が窓からこつちを見てゐる。その顏の一つとふと眼が合つた。

面長な顏の作りの一々は、離れてゐてはわからなかつたが、その顏はたしかに見覺えのあるものだつた。誰だつたらう? さう思ふ間もなく電車は遠ざかり、窓からの顏は横向きになり、眼鏡がキラツと光つた時に、駿介にはその名が思ひ浮んだ。(さうだ。志村克彦だ。彼が歸つてゐたとは知らなかつた。)

志村もぢつとこつちを注視してゐた。たとへこのやうな一般の百姓に同じなりをしてゐても、自分が誰であるかを彼は認めたのであらう。

(彼は一體何時から歸つてゐるのだらう。さうして今はどうしてゐるのだらう。)すると、この自分とは年こそ幾つも違ひはしないが、自分よりは一時代前の青年といつていい、そしてその時代を兎にも角にも高いものを求める青年らしく生き、鬪つた彼に一度會つて話して見たいとの欲求がおさへ難いものになつた。蹉跌後田舍へ歸つて、彼は今何をどう考へてゐるか、日常をどのやうにして送つてゐるか、さういふことを知りたいと思つた。それは自分にとつては、絶對に必要なことだとさへ強く思ひ込んだ。

しかし一方にはまた、會はずにゐた方がよくはないかといふやうな氣もする。志村にばかりではなく、誰にも當分は會はずにおかう、といふやうな氣も起る。殊に駿介は志村のかなりに烈しい性格を知つてゐる。嘗て、壓倒して來る彼の力を撥ね返すためには駿介は並々ならぬ力を搾つた。勿論當時の彼のさういふ力の源は、彼の個人的性格の烈しさといふやうな單純なものではなかつたが、いま駿介が志村を避けようとする氣持は、當時彼を避けた氣持とはまるで違ふ。長い低迷の後に此頃漸く何かを探り當てたやうな氣がしてゐる。自分のなかに何か出來上つて來るやうな氣がしてゐる。それだけに、それがどのやうな性質のものであらうとも、他人からの影響をおそれる氣持が彼にはあつたのである。

自轉車を押しながら歸つて來た駿介は、今度は山へ行つて、小石や岩の碎けを竹籠に入れて、運んだ。五囘程往復した。それから玄翁をもつてそれらを碎き、井戸端に敷き詰め、そこにセメントを流し込んで、コンクリートの地盤を固めた。次に砂利を混じたセメントでその上を上塗りした。出來上りは、井戸端のどこで水を流しても、水は角の壺に落ち込むやうにゆるやかな斜面になつてゐる。これが仕上ると次は車井戸を仕掛ける設備だ。撥釣瓶は今まででさへ、井戸の深さから使ひ難かつたのに、今はその井戸がさらに深くなつてゐる。車井戸は門型に木を組んでそれに車を取り付けるのだが、二本の柱の頭を凸形に切り込み、その上に渡す横木に二つの穴をあける作業が、簡單なものに見えてなかなかさうではなかつた。

それもどうにか出來上つたが、すべてこれらの仕事の間ぢゆう、駒平は、日暮れ方畑から歸つて來て、なほそこに殘つて何かしてゐる駿介が眼にでもつけば傍へ來て、氣がつくままに仕事の上の注意などしたが、そのほかには取り立てて何も云はなかつた。好きなことは默つてやらせておく、と云つた風に見られた。

そして駒平は昔からさうであつた。子供の時から駿介は口喧しかつた父をほとんど知らない。小學校を出た駿介が、もつと上の學校に行きたいといふ身分不相應な願を懷き、金持の家の冷飯を喰ひながら中學校へ通ふ道が開けた時にも、それを父に向つて云ひ出すまでにはかなりの躊躇がいつた。駿介の前には男の子が二人死んでゐる。殘つたただ一人の男の子だけに、そのやうな風變りな道を歩むといふことについては、一波瀾も二波瀾もまぬがれまいと思つた。しかし實際は何事もなく二つ返事で、駿介のためにその話に來た遠縁にあたる地主の上原新次が拍子拔けしたほどだつた。

「お前の親父、何をどう考へてゐるのかちつともわかりやせん。反對するでもなし、さうかといつてまた大して喜ぶでもなし……」と、あとで、上原が駿介に云つた。ひどく反對するのを見事に説き伏せるか、それとも息子の出世の道の開けたことに双手を上げて喜ぶか、そのどつちかの場合に上原が張合ひを感じたであらうことに違ひはない。しかし駒平が、心の張りを失つてゐるわけではなく、考へるべきことは考へ、見るべきことは見てゐないわけでもないことは、えらいところはあつたにしてもずぼらだつた先代の殘した莫大な借錢を、人のおどろくほど短日月の間に返してしまつたといふやうな、一つの例でも知れる。そのために土地はほとんど手離してしまつたが、その時の思ひ切りの好さは、驚かれもし感心もされたものだつた。それ以後は、人のためになるだけの力もない代り、人にもたれかかる事もなく、つつましく、清潔に暮してゐる。今時の百姓らしく、彼もずゐぶん暮しには困つてゐるのだが、外からは一向に困つてゐるらしくも見えない。急場をたくみに凌いで行くところには老練な要領のよさがある。何か生活といふものの勘所を握つてゐるといふ感じだ。さういふやうなのは、村では、陰口の一つも叩かれかねないのだが、駒平の場合は、進んで自分を人に意識させようとするやうな、どんな小さな一つの言葉も行爲もないので、まぬがれてゐる。ある人々からはつかみどころのない妙な人間だといふことになつてゐるが、ある人々からはひそかな尊敬を持たれてゐる。

普選になつてから、先代の恩義を感じてゐる村の人達のなかには、駒平を村會に出さうと、寄り合つて話したものもあつたが、駒平は固辭して受けなかつた。

父親のこのやうな寛容について、駿介は青年期に入つてから考へて見たことがある。それはいろいろなものから來てゐると思へた。ものわかりの好さ、農民特有の物事は成るやうにしか成らぬとの考へ方、人にはそれぞれの星がある、息子には息子の星がある、それには逆らへぬとの信仰、地方政治に首などつつこんで動きがとれなくなつた先代の破綻を見てゐるだけに、自分としてはただつつましく生きて行きたいが、それが人間の生き方として唯一のものだとも最上のものだとも思はない。むしろほかの生き方こそ望ましいが、それが出來ないとすればせめて他人にだけでも自分の意志は強ひず、思ふがままにあらしめたいといふ氣持、生來謙虚な性質から來るもののほかに、そのやうな處生哲學が附け加つてゐると思へた。

駒平が息子についてそれ以上には考へてゐない、息子の心の世界に細かに入らうとしていろいろ心を碎いてゐないなどとは、勿論駿介は思つてはゐなかつた。教養は無いながら、生活人として見たり聞いたりすることを綜合し、健康な常識を便りにして「今の若い者たち」の世界を理解しようとして多少は積極的でさへある。理解し得てゐる、とは駒平自身思へない。しかし理解を求める彼の氣持が、甚だしく不可解な抵抗に衝き當らない限りは、彼は滿足してゐることが出來る。遠くの方から、若いものたちの世界に、遠慮がちな微笑を送つてゐることが出來る。が、抵抗があるとさうはいかない。寛容が温かな行き屆いた理解の上に立たねばならぬことを無意識のうちに知つてゐる彼は、わからぬものをわからうとして苦しまねばならぬ。しかし、容易にはわからない。

一度だけ、蓆を敷いた薄暗い二階でほぼ出來上つた椅子の工合を見てゐる駿介のところへ、駒平が上つて來た。暮れ方であつた。階段を靜かに上つて來た駒平は、そこに立つて不審さうになかを覗いた。

「窓の廂はもう出來たんやろ……今日は何を作つてるね。」

「椅子を作つてみたんです。」

「椅子を?」

「ええ、テーブルがあつて椅子がないもんだから、讀書用にと思つて……ところがこんなものが出來つちやつて。」

彼はそれに手をかけ、ゆすぶつて見ながら笑つて、

「安樂椅子みたいな形に作つたんだけれど、腰を下すと、前にのめり出すみたいな感じなんです。」

そして彼は腰をかけて見せた。

「うん。」

ぢつと見てゐて、駒平は何かわからぬやうな、そして云ひたいことが内にこもつてゐるやうな表情だつた。が、何も云はなかつた。やがて彼は下りて行つた。

彼が下りて行つてから、何となく物問ひたげな、心殘りのあるらしかつた彼の印象がいつまでも駿介の頭に殘つた。駒平の心に、不可解なままに引つかかつてゐることについて駿介は知つてゐた。

駒平は妻のおむらと二人きりの時、よくかう云ひ云ひした。

「駿介はありや一體、どなな氣持でゐるんぢやろ。學校の方はどないにする氣でゐるんぢやろ、さつぱり見當もつきやせんが。お前には何か云はなんだかえ?」

「わたしには何も云ひやしませんが。」と、似たもの夫婦といふ言葉がそつくりそのままな、口數の少い物靜かなおむらが云つた。

「學校がいやになつたとでもいふんか、東京に何か事でもあつたんか……病氣で弱つたからだの養生に歸つて來たと云ふのと、どつかちがふやうに俺ら思ふんぢやが。」

「此頃は本も前ほど讀みよりやせん。そしてからに、わしらの手傳ひなんぞばつかししたがつとるふうぢやが。」

「百姓仕事の手傳ひするのはええこつた。からだにもええし、なんでも覺えといて損はないんぢやけに。けど、駿のはもうまるで東京へは歸らんといつたやうな恰好ぢやからのう。」

「何かお金のこつても……東京でお世話になつとるお金持のとこをしくじりでもして、もう學校へは行けんやうになつてしまうたといふやうなこととは違ふんかしら。」

ずうつと自活しながら學校へ行つて居て、經濟的な負擔はかけてゐないといふこともあつて、全然違ふ世界である息子の學生生活の細かな點については兩親にはわかつてゐない。

「お父つあん、青柳さ行つたついでに上原へでも寄つてそれとなく訊いて見りやいいに。」

「うん。」

「一體、お父つあんはあかん。何も訊いて見もせんで、ひとりしてやきもき氣をもんどるんやけに。駿にだつて、何もたづねてもみもせんで、ただわからんわからん云うとるんやけに。」

「俺ら何も訊いてみんことはないわ。」

彼は折にふれて訊ねてはゐた。しかし駿介の返事はいつも曖昧だつた。「もう少し居てみるつもりです。」といふやうなことを出でなかつた。話がそのことに觸れると、彼は避けたいらしく、時にはその氣持を色に出して見せもした。駒平は押しては云へなかつた。

椅子を作る、といふやうな何でもないやうなことも、だから、駒平の注意をするどくとらへずにはゐなかつたわけだ。何のために椅子などを作る? やがてもう東京へ歸つて行く身としたならば、今さらそんなものは不用であらう。

そのことについて、一度心ゆくまで駒平に話したい、話さねばならぬと駿介も思つてはゐた。病後の保養のために郷里へ歸るといふ契機を、たしかに彼はつかんだのであつた。かなり以前からひそかに考へつづけてゐたことも、何かのきつかけがなければ決行はできない。病氣は偶然の惠みとさへ思へた。彼は單に保養のためばかりには歸らなかつた。このまま歸りきりになるかも知れぬと考へてゐた。さうしてそれ以來三月だが、彼の考へはまだきまつてゐないのだ。インテリゲンチヤとしての生活を棄てて、以前の出身階級に歸る、それは何でもないことのやうでゐて、その實はかなりな決意を要することであつた。少年期から青年期までずつとかかつて身につけて來た都會生活の匂ひを、われとわが身から消して行く、それはどうにか可能だとしても、さうして再び復歸して行く父祖以來の生活が、果して何を自分の上にもたらすであらうか? 傳統や習俗は恐らくは頭のなかで考へるほどに生やさしいものではあるまい。がんじがらみに逢つて身動きが出來ず、結局敗けてしまふことになりはしないか? 何かを爲し得たとしても、その生活はせいぜいかの獨善的な「土に還れ」主義者と五十歩百歩ではないか。自分から作り出さうとしてゐるこの轉機は、考へて見れば恐ろしい冒險だ。それは自分の生涯に關することだ。社會のことは自分ひとりがどうじたばたしてみたところでどうにもなるものではない。社會の事に與る自分の力なぞ何れにしても大したものであるわけはない。結局は、一度乘りだした軌道に疑はずつくのが安らかといふものだらう。さういふやうな心にもなる。

さうかうしてゐるうちに、杉野の家の麥にも、刈取期が來た。

駿介は、朝四時半に起き、仕度をして、五時にはもう鎌を持つて駒平とならんで畑に立つてゐた。

農事を手傳つた遠い少年の頃の記憶がよみがへる。鎌を持つなど彼にはもう何年このかたのことである。しかも彼は、籠を擔いで山へ草刈りに行つたことはあるが、麥刈りの經驗はまだ持たなかつた。

このあたりの麥はほとんど畝播うねまきであつた。そして杉野の家のそれは廣播栽培だつた。一畝の幅が五尺に近い。普通の畝の殆ど二倍の幅である。一畝に一尺二三寸の作條が二本通つてゐる。しかし麥も成熟し、刈り取られるばかりになつてゐる今は、その一つの畝が二つにわかれて、最初からさうであつたもののやうになつてゐる。一月、麥の本葉がやうやく一二枚出はじめる頃から、四月の穗孕みの頃まで、數囘にわたる土入れの間に、畝と畝との間の土を使ひはたし、それ以後は二本の作條の間の土を鍬で掘るからである。

麥の實りは申し分なかつた。穗首まで黄いろくなり、芒のぎは金の針のやうに、今が丁度刈り時である。株は充分に張つて畝間は歩くのもやつとなほどだ。風が渡るとき、麥は稻ほどに頭は垂れず、立つたまま心地よく乾いた音を立ててゆれる。

「廣播はやつぱり得とくなのかね、お父つあん。村を歩いてみると廣播のとこがあり、普通播のところがあり、いろいろだが……」

「何でもやりやう一つさね、やりやう一つで損もし得もするさ。けど、廣播はがいに肥料を食ふけにな。そりやその筈ぢや。普通播よりや二倍以上も土地を多く利用するんやけに。堆肥二百貫ですむところ、二百五十貫といふやうなもんぢや。それでどつかでヘマやりをつて、多く穫れんと、すぐ廣播はあかん、損ぢや、といふことになる。」

「うちぢや何俵位?」

「まアいいとこ、十二俵といふとこだのう。よそぢや八俵九俵なんといふとこが多いんぢや。」

「これは何ていふ種類ですか。」と、駿介は穗を持つて見て、芒の快い刺㦸を手のひらに感じながら云つた。

「白珍子いふんぢや。」

「麥はな、少し早目に刈らにやあかんのぢやが……」

さう云つて、駒平は、畝間を先へ歩いて行つた。

或ひは日が少し遲れてゐるのかも知れなかつた。刈り出してから降られては困ると一日二日と雨を待つてのばしてゐた。そこへ雨が來た。一日降り、二日目曇り、又その次の日少し降つた。駿介が井戸端の作りを終へた翌日からだつた。駒平は、「これで煙草の方は工合よう行つて、まアまアくつろいだ」と云つて、朝飯を食つてから、いかにも所在なげに横になつてうつらうつらしてゐた。

駒平は、畝の向うの端から刈りはじめて、ずんずんこつちの方へ進んで來た。顏をあげて、

「やつて見つか? けど、刈れつかな。麥刈つたことあつたつけか。」と笑つた。あげた額はもう汗で光つてゐる。駿介は、

「うん。」と頷くやうに云つて、なほも、再び刈り出した駒平の手つきや腰つきを細かに觀察してゐた。

さくさくさく、と次から次へ移る間が一定した、いかにも輕く爽快な感じの音が續き、するともう左手には刈られた麥が持ち切れぬほどに握られてゐる。それを畝の上に並べておく。次にかかる。輕快で、何の造作があらうとも思はれない。駿介の子供の時の、草刈りの經驗に、別に新しく何かつけ加へねばならぬものがあらうとも思へない。で、彼も、その隣の畝を、逆にこつちの端から刈りはじめた。

左手で莖を一握りつかみ、鎌をその根元にあててぐつと手前に引いて見た。そこでそれはさくり、と氣持のいい音を立てて切れねばならぬ筈であつた。しかし切れなかつた。鎌の刄の當つた莖の根元は折れ曲つたが、芯が強靱な感じで、鎌の刄は彈き返されるやうな手答へだつた。そこで前よりは一層力を入れて見た。しかし同じことであつた。駿介は自然焦る氣持になつてゐた。右手にも左手にも力がはいり、握つてゐるものを一層強く握りしめ、その手のひらのなかは汗でべとついてゐた。べつに莖を一度にたくさん握り過ぎたとも思へない。鎌をごしごしこすりつけるやうにして切るなどは、誰が見てゐるのでないにしても出來ない氣持だ。餘り力を入れすぎては、根こぎにするやうなことにもなるだらう。氣づいて、少し手をゆるめた。おかしな腰つきで、鯱張しやちこばつてゐるやうな自分の姿が彼は恥づかしくなつた。今朝、駒平が研といだばかりの鎌の刄が、夏の朝の日ざしに、徒らに白く光つた。

駒平は刈り進んで、もう眼の前に來てゐた。駿介が立ち上つたのを見て、駒平も立ち上つた。

「何ぢや、やつぱしよう刈らんのけ。」

すぐにそれと知つて、さう云つて笑ひながら、刈り終つた畝を跨いで駒平は傍へやつて來た。

「麥はな、かうして刈らにやあかんのぢや。」

彼はそれをやつて見せながら、

「よしか、この左の手の加減一つだ。ただ握つとるだけぢやあかん。これをかう向うへ押して、」

莖の根元に鎌をあて、鎌を引くと同時に、そこから二三寸上のあたりを握つてゐる左手を向うの方へ押す。すると氣持よくさくりと切れる。駿介はその通りやつて見て、成功した。聞いてみると、なあんだ、と云ひたいやうなことで、さつきからやつてゐたことのやうな氣もするが、切れなかつたところを見ると、やはり骨こつといふものはあるのであらう。

二人は並んで二つの畝を刈りはじめた。駿介はぐんぐん追ひ拔かれて行つた。競爭する氣持などは、むろんはじめから無いにしても、自然焦る氣持で、どうしたら早く刈れるかとそればかりが頭にあつた。一度に左手に握る莖の束を多くすることから先づはじめたが、餘り欲張つてまた握り直しなどして、かへつて時間を食つた。自分が刈り得る極限がわかり、べつに考へもせず自然に握る分量がそのままその極限に一致するといふまでには、ずゐぶん刈つて見なければならなかつた。刈つてゐる間は、よく刈らう、早く刈らう、といふことのほか殆ど何も考へない。肉體的苦痛のやうなものも感じない。腕をのばす時、びしよ濡れになつたシヤツが肌にねばりつくのだけを感じた。しかしそれさへ快かつた。向うの端までやうやく辿りつき、ほつとして體をのばし、振り返つて見ると、さつきそこですれちがつたと思つた駒平が、もう二つ目をすまし、三つ目の畝を向うの端から刈つて來るところだつた。駒平の刈跡は、高低なく、まるで機械ででも刈つたかと思へるまでに美しい。駿介のそれは、高低が不揃ひで、切り口も、鎌の鋭い切れ味を見せてゐるとは云ひ難い。

朝の涼しいうちにと思つてはじめたのが、七時には日射しはもう暑いくらゐだつた。一雨降つたあと、急に烈しくなつた日が感じられた。うつむいてゐると、汗が眼にはいつて眼さきがかすんだ。駿介はやうやく疲れて來た。どこよりもさきに腰の痛みが身にこたへて來た。體が慣れとらんのやけに、今日はそれでおいとけ、といふ駒平の言葉に、殘念ながら從はないわけにはいかなかつた。

午後は日陰で寢てゐた。いい氣持に一眠りして起きてから、猫車を押して畑へ行つた。刈つて畝の上に並べてある麥を集めて束にし、それを猫車に積んで家の庭に運んで來た。庭に高く積み上げ、上から蓆をかけて一晩おいた。

次の朝は、まだ暗いうちから稻扱機で扱きはじめたが、これは小學生の頃、手傳つて覺えのある仕事だ。左手で稻扱機のペダルを踏んで、齒車を𢌞轉させながら、右手で麥を取り、左手に握り代へては齒車に當てて扱き終つた麥殼を左側に積み上げる。自轉車乘りや水泳ぎなど、一度覺え込むと何年顧みずにおいても忘れることがないのと同じやうに、十年ぶりで稻扱機のペダルを踏んでも、駿介の神經や感覺がその作業に對應し、調子が出て來るのに、さほど長い時間はかからなかつた。動かず、靜止してゐるのは右足だけである。左足と兩手は一つの律動的な動きを爲し、その動きに乘つて行く彼の氣持は愉快にはずんだ。

扱き落した麥粒は唐箕に入れて殼や麥藁屑を取り去り、萬石にかけて石や砂を選り別ける。それから蓆にわけて數日間陽に當て、充分乾した上で俵にする。

四

その日の夜、仕事を終へ、風呂へ入つて飯をすまし、疲れてはゐるけれど、寢るにはまだ早すぎる時間を本を讀まうと二階へ籠つてまだどれほども經たぬうちに、じゆんが上つて來てお客さんだと云ふ。自分にと云つて尋ねて來る客があるなど、考へられぬことであつたから、不審の眉をひそめて訊くと、見たことのない人で、志村と名乘つたとじゆんは云ふのだ。思はず低く叫ぶやうに云つて、駿介は立ち上り、急いで下りて行つて見ると、薄暗い土間にただひとり立つてゐるのは、果して志村克彦その人であつた。

駿介は志村を二階へ通した。椅子は駿介の手製のもの一脚きりだつたから、卷いて壁に寄せかけてあつた蓙ござをのべ、そこへ布團を敷いて請じた。二人は向ひ合つて坐つた。互に短く挨拶の言葉を云つた。

志村はつくづくと部屋のなかを眺めまはすやうにした。壁には駿介の仕事着の上衣やズボンが下つてゐるだけである。部屋の一隅にはわづかばかりの書物が、蓆の上にぢかに積んである。そのなかの一册が讀みかけのまま卓子の上に開かれてゐる。ほかには何もない。そして部屋の主もいつしかこの部屋の殺風景なさまが似つかはしいまでに自分を變へてゐた。

「君が歸つてゐるとは、ちつとも知らなかつたもんだから。」と、志村が云つた、

「僕もあなたがこちらにゐらつしやるつてことは知りませんでした。噂は、東京にゐたとき耳にしてゐましたけれど。」

彼等は年は五つちがひで、友人といふよりはむしろ先輩後輩の關係にあつた。田舍のことであつて見れば、同一地方からの同じ東京遊學者だといふ、ただそれだけで互に知り合ふ機會はあつたわけだが、その上に二人のそれぞれに積極的な氣持が彼等を近づけた。どこの地方にも、その秀才振りが誇張して語られ、一つの傳説にまでなつて後進者に傳へられる少數の學生があるものだが、駿介達にとつて志村克彦はさうした存在だつた。その志村が、自分の隣村の中どこの地主の息子だといふことがわかつては、白線の帽子から後光が射して見える頃の駿介の心は掻き立てられずにはゐなかつた。そしてやがて先輩訪問といふことになつたわけだ。志村はまた志村で、後にはある一つの下心から、とくに心を用ひて駿介に接近しようとした。しかし彼等はものの考へ方の點からいつても、人間的親しさの點からいつても、つひに最後までぴつたりすることなしに終つた。それは二人の個人的性格の相違といふよりは、二人がそれぞれ青年期に足を踏み入れた二つの時の間の、時間的には短いが、質的にはかなりに激しい變化によるものであつた。

「いづれ、ろくな噂ぢやあるまい。」

志村はさう云つて聲は立てずに笑つた。その乾いた、へんに老人じみた、投げやりな言ひ方を聞いた時、駿介は心のどこかで意外な、勝手のちがつた感じを持つてぢつと志村を見た。

「ずゐぶん久しぶりだね。僕もまだ學校に籍があつたし、君は高等學校へはいつたばかりの時だつたかな、最後に逢つたのは。」

その時のことはとくにはつきり、取り交された話の一々の内容までも、今も駿介の頭には殘つてゐる。その頃志村が急速におのれに深めてゐた思想について二人は語つた。といふよりは、駿介がそれについて説き聞かされた。志村は熱意をこめて語り、駿介を自分の側に引きつけようとしたのだが、駿介の態度は彼を滿足せしめるには到らなかつた。駿介が彼を理解し得ないといふのではなかつた。志村から聞く以前、相當深く讀んでさへゐたが、その原理によつてただちに自分を變へようとする迄には到らなかつた。駿介はそれほどに愼重な性格とも見えたし、やつと今青年期に足を踏み入れたばかりだといふのに、理想に胸を燃やすといふやうなこともつひに知らずに過す哀れな人間で、裝つた眞面目さのかげに、すでにきはめて俗世間的なものを行動の指針としてゐるのだといふふうに見えぬでもなかつた。それは志村を苛立たした。何が正しいかがわかつてゐながら、頬冠りで押し通すずるさと見た。彼は意地のわるい態度に出ないではゐられなかつた。だからその最後の別れは非常に氣拙いものであつた。駿介が學校も卒業間際に放擲したらしい志村の消息を又聞きに聞いて知つたのは、それから一年ほど經つてからのことであつた。

「こないだ、村の道で、君が自轉車に何か重いものをつけて來て、弱つてゐるのを見たんだ。僕は電車に乘つてゐた。はじめはわからなかつた。横顏を見て、見たことのある人だとおもつた。すると君が顏を上げたんでじつはびつくりしたんだ。それでも、半信半疑だつた。それで二三日前青柳へ行つたとき、上原を訪ねて訊いてみた。君とは特別な間柄なことを知つてるし、上原んとこの息子は僕の中學の後輩で、よく知つてゐるしするもんだからね。そして君のことを訊いた。病氣したんだつてね。もういいの。」

「ええ。――上原の息子つて哲造さんですね。あの人は今どうしてゐるんです。をぢさんには、東京にゐるとしかで、はつきりしたことは聞いてないんですが。」

「あいつはぐれちやつたらしいんでね。――しかし君も變つたな。上原の親父がいろいろ云つてたが。」

僕も變つたよ、とそのあとからすぐに歎息と共に續きさうな調子で聞かれた。上原は何を云つたか、訊かなくても駿介には大體は分ることであつたから、さうですか、と云つたのみで默つてゐた。

「あなたはずうつと家にお出でですか。」

「うん、ゐるよ。ゐるよりほか仕方がないぢやないか。おれや謹愼中の身の上だからね。」

そしてまたうすら笑ひをした。何氣ないものではあるが、そのやうな笑ひが駿介には氣になつてならない。何を云はなくても、その笑ひ一つで、彼の今の心のさまが見透されるといつたやうなものだ。寒々としたものである。自分に對しても、人に對しても刻薄な心を持ち續けてゐるものでなければ、このやうには笑へない、わざとそのやうな笑ひをして、強ひて自分の心を人にのぞかせようとするものは、東京での駿介の周圍には珍らしくはなかつた。駿介自身、そんなことはなかつたとはいへないある時々の自分の言葉なり、擧動なりを、ただひとりゐて顏の赤らむ恥づかしさで憶ひ出す。しかし、志村は彼等とはちがつてゐる。何を訊かなくても、駿介は志村が受けた心の傷の大きさがわかると思つた。同時に彼は不安を感じた。志村と逢つたことを悔ゆることにならうとのおそれだつた。駿介は今やうやく新しく踏み出さうとしてゐる。よそ目にはどう見えようとも、彼としては精一杯求めたあげくのことである。しかし彼は自分が進まうとしてゐる道を終局までも見通してゐるといふわけではない。知り盡して、絶對に間違はぬ唯一の道との確信があつて、しかるのちに辿りはじめたといふのではない。彼はただ、身も心もじめじめと腐るやうな境地から脱けて出ようとして、手近かな、自分に可能なところに轉換の道を求めた。そしてそこから自分にとつて何か新しいものが生れるに違ひないといふことだけは堅く豫期してゐる。どうなるかわからないが、徒らに考へるよりはともかくやつて見る、といふ便宜的なところがそこにはないとは云へない。彼がなほ最後の所で決し得ずにゐるのもそのためである。さういふ自分を知つてゐる彼は、志村と話すことで、何等かの確信を深めるといふのではなく、かへつて益々動搖を深め、折角の踏み出しの腰を折られはしないかとのおそれを感じたのであつた。

「上原が、君の此頃の氣持はどうにもわからないといふやうなことを云つてゐたが……君は東京へは歸らんのかね。」

「ええ、……當分こつちにゐるつもりです。」

「すると學校は?」

「さア……よすやうになるかも知れません。」

「惜しいぢやないか、君、そりや。」

志村はにやりと皮肉な笑ひをした。

「君みたいにずうつと苦學でやつて來てさ。もう少しといふところで。」

彼が皮肉に笑つたのは、凝り固まりの模範生である昔の杉野駿介を思ひ起してゐたからである。駿介が小心翼々たる、コチコチの勤勉屋に見えたのは、必ずしもさうなのではなくて、金にも時間にも餘裕のない苦學生であることから來たのだが、苦學生といふものが、仲間の尊敬よりは、「あいつ、なかなか殊勝でゐやがる。」といふやうな表現で、むしろ侮蔑や輕視の對象になりがちだといふことは、どこでも同じことなのである。貧乏たらしさ、といふものはどんな場合でも、見る人に愉快な氣持は與へないからだ。志村は、今の時代の知識階級の青年の生き方について、最後に駿介と逢つて語つた時のことを思ひ出した。何はともあれ、學校だけは卒業して、とひたすらにそこにのみしがみついてゐるやうな駿介に、いまいましいやうな齒がゆいやうな、噛んで吐き出してやりたいやうな氣持を抱かせられたことを思ひ出した。

「ともかく學校だけは出といた方がいいよ。――身のためだよ。今のやうな時代でも、卒業證書は、たとへ爪の垢ほどでも、ものを云ふからな。」

「はははは、こりや滑稽だ。」と、彼はわざとらしく聲をあげて笑つた。

「四五年前に、あんなふうだつた君に、あの時君からああいふふうに云はれた僕が、今度は逆にこんなことを云ふなんて。まさしくこれも時勢といふもんだらうね。」

駿介は默つてゐた。

「どうしたのかね。何か面白くないことでもあつたの、パトロンとの間に。」

「いや、何もべつに。面白くないことといへばはじめからのことで、何も今日此頃の事ぢやありませんから。ただ僕ははじめから、中學の時からずうつと無理をして學校をやつて來たんだけれど、それが此頃になつて、さう無理をしてまで學校へ行く必要もないことだと思ふやうになつただけのことなんです。今頃になつてそんなふうに考へるなんて、ずゐぶん間の拔けたやうな話だけれど。」

「無理をして學校へ行つてるつて云へば、今時の學生は、多かれ少かれ、大抵のものが何等かの意味でさうだらうがね。さうしてまたそんなにしてまで通ふほどのとこぢやないと、大抵のものが考へてゐるのも事實だらうがね。しかしさうだからと云つて誰もやめはせんよ。またやめる必要もないこつた。やめもせず、さうかといつて無論熱心なわけでもなく、愚圖々々してゐるうちに、心太ところてんみたいに尻の方から押されて出るんだ。それでいいんだ。そして實際を見りや、押し出された奴の方が、途中で投げ出した奴よりも、結局はいい目を見てるんだからな。」

「そりやさうでせうね。しかし僕は別に、一般に學校をやめた方がいいとかやめない方がいいとか、何もいふつもりはないんです。やめずにやつて行けるものはやつて行つたらいいし、やめずにゐられなくなつたものはやめたらいいと思ふだけです。その人その人にあることですからね。僕は東京での自分の今のやうな學生生活は全く無意味だと思ふし、これから三年もこのまま行つたんぢや、自分の人間を腐らすばかりだと思ふんです。我慢して行けば、代償としてあとで何を得るかは知りませんが、何を得るにしたところで、もうちよつといやなんです。」

「ふん……自分の人間を腐らす? そりやさうだらうね。そしてさういふことを云ふのも君だけぢやないがね。しかし、それだからと云つて、學校をやめて、別な生活に入つたからと云つて、その生活も亦君の人間を腐らさないと、誰が一體保證できるかね? 別などんな生活が君を待つてゐるといふんだ。僕らの時とはまたちがふよ。第一、あんなふうだつた君が、こんなことを云ひ出すやうになつた、その轉換の祕密が僕には呑み込めないね。何かあるにしても大したものぢやなからう。あとで後悔するやうなものぢやないか。それとも、今の君にも僕らの時のやうな、ほんたうに過去への訣別をうながすやうな情熱といふものがあるといふのかね。」

駿介は默つてゐた。

「學生生活そのものが何もわるいんぢやない。學生として立派に生きるべき道は今日だつてある。それがわからんやうなものなら學校をやめて見たつて結局おんなじことぢやないか。ろくな生き方が出來る筈はないぢやないか。」

「無論さうですね。」

さういふことはよくわかつた上での自分の今の考へであると駿介は思つてゐた。しかし一應の理詰以外にはみ出る、細かな氣持の動きについては、ちよつと言葉で説明することは出來なかつた。

「しかしどつちにしたつて大したことはないさ。」と、志村は再びひどく冷笑的になつた。

「どうせ五十歩百歩なら、しきたりに從つて地道に行つた方が利益とくだよ。この結局利益とくといふことはじつに大したことだぜ。この原理に基いて動いてゐる大多數を嗤ふことなんぞは容易だが、實際はこれに背を向けて生きれる奴なんてものはさうあるもんぢやないんだ。義人一人もあるなしさ。身の程を知つたがいいんだ。」

志村は空嘯くやうにして云つた。

「で、學校をよして歸つて來て、君は一體何をやる氣なんだ。」

「僕は百姓をやるつもりです。」

「百姓? 君自身がかね?」

「さう。」

「成程ね。」と、志村は改めて、駿介の外貌にまでも現れてゐる變り樣を注意するやうに見た。

「で、どういふ氣持でやるのかね? まさか僕などが昔やつたやうなことをやるんぢやあるまい。」

「勿論、そんなことぢやありません。」

「しかし、ただインテリをやめて百姓になる。親父さんのあとを繼ぐ、といふだけぢやないだらう。何か抱負といつたやうなものがあるわけだらう。」

「今のところべつに、さうした抱負といふやうなものはないんです。今のところはただ年老つて知らぬ間にだいぶ弱つた親父の手助けをする、これからではずゐぶん困難だらうが、何とかして百姓仕事を一人前になるまで習つて行く、それだけが目的ですね。そりや僕にだつて、農村と農民の現状についての色々な考へといふものがないわけはない。從つてその考へに基いた抱負といふものがないわけもなく、まるきりないなどといへば嘘になりますが、しかし今の僕には、それを人前に押し立てて行くことから始めようといふ氣がないといふまでなんです。自信がないのだと云へば云へますがね。それを人前に押し立てる前に僕にはしなければならぬことがある。そしてそのうちには僕のその抱負といふやうなものが、社會にとつて、それから僕自身にとつてもどれだけ眞實なものかといふことがわかつて來るだらう。さう思つてゐるんです。人前に押し立てるのはそれからでも遲くはない、――それで、今は百姓仕事をすることそのことが望みであり目的であるといふ風に云つてゐるわけなんです。もつともその方がかへつてむづかしくて、なかなかさういふ氣持になり切れるわけのものではないかも知れませんが。しかし僕はただそれだけの生活でも、今までよりはましだとおもふ。ともかくそれが生活と呼び得るものだといふことだけからでもね。そこには何か空疎でない、實質的な、内容の一杯詰つてゐるものがある。身も心も一つに集注して、そこにぶつかつて行けるだけのものがある。今はただそれだけのことです。そこからどういふ結果が生れるか、僕にとつてどういふ新しいものが生れるか、それは僕自身にも豫想のつかぬことです。」

「生れはしないだらうね、別に何も新しいものは、そこからは。」と、志村は落ち着き拂つて云つた。

説明拔きで、結論だけをさきにそこへ投げつけて、相手をぢつと見つめた。相手が何か云ひ出すのを待つてゐた。が、云ひ出さぬので、彼は續けた。

「君が、君自身の主觀で何か新しいものがそこから生れて來たやうな氣がして喜ぶといふことは勿論おのづから別なことさ。さういふ氣がして喜ぶといふことはその人の勝手だし、それで喜んで居れれば幸福さ。その人間だけはどうにか救はれた氣持になることが出來る。さういふ子供みたいな大人は、何時になつてもどこにでもゐるもんだ。自分の思つてゐることやしてゐることのほんたうの姿を、廣い世間の中に投げ出して見ることが出來ないといふ點で子供さ。それぞれに何かしら玩具おもちやを持たせられて喜んでゐるといふ點で子供さ。いろんな玩具があるよ、神聖なる勞働、母なる大地……君が、農民生活には何はともあれ、空疎ではない充實したものがある、實質的なものがある、健康なものがある、などと云ひ出す口ぶりは、ラヂオの青年の夕べの農村青年代表や、農村を地盤にしてゐる政治屋や、ある種の思想善導家や、さういふものを思はせる。君がさういふことを云ひ出したといふことは、僕には實に一種の興味を誘はれることなんだ。」

「なぜ、さういふふうにだけ云ふんです。さういふふうにだけ云はなきやならないんです。それぢや何も生れつこはないぢやありませんか。ともかく何かやつて見ようと云ふんです。やらして見たらいいぢやありませんか。方向を變へて見よう。何かを賭けて新しくやつて見ようといふ、さういふ決意は、それが何であれ、だんだん今の僕らの周圍には見出し得なくなつてゐるんです。さういふ決意を持ち得たといふことだけでも僕は自分としては非常にいいことだと思つてゐるんです。創造と發展はそこから期待出來るし――」

「決意の方向を、内容を、問はないのかね。それの社會的性質を問はないのかね。」

「そりや勿論それを問題にしないのぢやありません。」

「何かを賭ける、決意する、――それだけでもう何か素晴らしいことに思ひ込んで、感傷的になつてゐるんだ。そのなかに溺れてゐるんだ。僕らの時代には、具體的内容をはなれて單に決意一般なんてものは問題にもならなかつた。もつともつとさきの所で議論してゐた。ひどいおくれ方だ!」

「そりやおくれてるでせうが、おくれてゐることを責めるばかりでは仕方がないでせう。さうなつたのには色々複雜な原因があるわけです。しかし僕らは、それは自分たちのせゐぢやない、仕方がないと云つて、投げてゐることは出來ない。さういふ状態におかれてゐるとすれば、そのおかれてゐる所から出發する以外に道はないんだから。」

「――決意一般を強調することなんかが、むしろ今日に於ては危險だといふことぐらゐわかりさうなもんだ。君の考へで行けば、今日のインテリが、ある種の英雄達に惚れ込んでゐるのなんぞも是認されるんだらう。――『なんだかんだと云つても、ともかく彼らは思つたことを實際にやるからなあ。』と、かうだ。――先づやらして見たらいいぢやないか、批判はそれからのことでいいぢやないか、といふやうな君の尤もらしい抗議も、そのやらうといふ行爲の性質によりけりだよ。君のインテリ廢業、君の『歸農』が、何か新しい意義を持つてゐるかのやうな、見せかけの君の決意にもかかはらず、社會的に見るとき、すでに試驗ずみで、今さら『先づやらして見たらいい』といふほどのこともない、みすぼらしく古ぼけたものだと云ふことに、まさか氣づかないやうな君だとは思へないがね。」

「僕は何も今まで人の歩まぬ新しい道だなどとは無論思ひはしません。それは僕に取つての一つの道だと云ふだけです。そしてそれが言葉のほんたうの意味での新しい道に通じないとは云へないと、期待する氣持があるのです、――あなたの云ふことが正しくないとは僕は思はない。しかしあなたは誰に對しても同じ態度で、同じことを云ふ、さういふやうな氣がするんです。何も僕らに對して特別寛大であつて欲しい、などと云ふんぢやありませんけどね。昔あなたなんかと同じ立場にあつた人、でなくても、何等かの思想や行動の立場を持つてゐた人が、今日、僕の云ふのに似たことを云ひ出したとして、それは言葉の上では同じやうでも、本質は非常に違つたものだと思ふんです。その人達にとつてはそれは歸着點です。迷ひの末にそこに落ち着いた、安住の地を見出したといふやうなものです。そこから生れるものもおのづからわかつてゐます。――しかし、僕にとつては、其處の所は出發點です。僕はまだ今までに一度も何等かの思想や行動の確固たる立場を持つたことのない人間です。これから何かを持つのです。僕はそんなものはいらんとか、簡單にさういふものが持てんのが現代ぢやないか、とか云つてすましてゐることは出來ない。社會は動いてゐる。さうして僕等は生きてゐる。しかし僕等は目的なしに、ただ押し流されて生きることを欲しない。僕等は切に立場の如きものを求めてゐる。だがそれは觀念の世界を行つたり來たりしてゐることによつては求め得ない。――さういふ僕等と、彼等とをあなたは一緒にしてゐると思ふのです。彼等に對する批判としてはあなたの言葉は當つてゐるかも知れない。しかし僕等への批判としては當らない……立場をまだ持たぬと云ふことは立場の抛棄といふことではない。立場や方向のきまつて居らぬ一切がくだらぬとすれば、そこに到るまでの過程は一體どうなるんです。」

「今の時代の僕等青年にもつと温かな理解を持て、とまアかういふわけだね。」

志村は皮肉な口ぶりで云つた。

「果して出發點であるか、求めつつある過程であるかといふことも、こりや、見極めるのになかなか面倒なことでね。果してそれがほんたうに出發點であつたかどうかといふことは後になつてはじめて云へることでね。到達した目的點から見てさう云へることでね。案外その出發點でいい氣持になつて、ぬくぬくとしけこんでしまふものがないとは云へないんだから……しかし、これは今から云ふべきことではないとしておかう。

しかし君のいふやうな意味の出發點だとしても、僕の批判は一向困らないね。出發點として見ても、僕らの眼には、現代のものとしてさういふのは餘りに……遠慮なく云つて了へば愚鈍に見えるんだ。君が取らうとしてゐる道の、君は嫌ひな言葉かも知れんが、社會的な歴史的な性質といふものが、君の主觀とは無關係に、とうの昔にちやんと規定されてしまつてゐるからね。

理論的にも實際的にも、試驗ずみ、批判ずみの古いものが、いかに手を換へ品を換へして、その時代その時代にふさはしい裝をこらして現れることか。そして若いジエネレーシヨンをたぶらかすことか。たとへどんなに新しさうな顏つきをしてゐても、大抵は古物の複製版さ。君の場合なんかはあんまりはつきりしすぎてゐる。――二つ三つよく知られた名をあげて見りやそれで充分ぢやないか。武者小路の新しい村、もつと古いところでみみづのたはごとの蘆花、蘆花の貧弱な縮小版に江渡某なんていふのもあつたね。糸魚川に引つ込んだ相馬御風なんかも擧げてもいいかも知れない。島崎藤村なんかも息子を田舍へやつて百姓にするといふので、何か尤らしい感想を書いてゐたぢやないか。小説のなかにはトルストイにレーヴインといふ先生がある。君なんか好きかも知れないな。もつとも君がレーヴインになるには、まづあれだけの土地持ちにならなきやならないがね。……これらはみんな文學者で、書いたりしやべつたりするから我々は知つてゐるが、我々の知らないこの派の亞流はずゐぶん多いことだらうよ。彼らに共通してゐるのは先づ第一に一種の農民主義だ。土に還れ主義だ。母なる大地の讃美だ。さういふ強調が今の時代にどういふ意味を持つてゐるかは、今さら云ふまでもないだらう。除去さるべき惡の根源に立ち向ふ勇氣は勿論、見極める勇氣さへ持たぬ小ブルジヨアが、窖のなかに駈け込むためにつけた一つの假面さ。

第二は、結局は同じことだが、鼻持ちのならぬ獨善主義だ。そしてこれこそ僕のもつとも憎惡を感ずるものだ。彼等の生活が、社會的に何か積極的な意義を持つといふ意味で立派なもので、彼等が多少なりともそれについて思ひをひそめた筈の社會惡に對して、何等かの力ででもあると思つてゐるのだらうか? ほんたうにさう思つてゐる者なんぞ恐らくひとりだつてゐやしないさ。自分達の無力は、自分達が一番よつく知つてゐるんだ。そんな生活なんぞ何でもありやしないぢやないか。うるさい世間から出來るだけ自分の身を遠ざけたい、人のことなんかどうでもいい、自分だけがぬくぬくしてゐたい――一體そのほかの何だといふんだ。耕すに手頃な土地なんぞ手に入れることが出來てさ、それもそれだけで食ふといふのなら大へんなことだが、耕すといふことも旦那藝で、田園趣味の程度ですましておいて差支へない結構な御身分なんだ。東京の郊外で、恩給で食つてゐるのと何も取り立てて區別さるべきものはないさ。

そんならそれでいいんだ。自分でちやんとそれを辨へてつつましくやつてゐるのならそれでいいんだ。ところが實際は彼等はその裝つた愼しさのかげから、ほとんどあらゆる陋劣な娑婆ツ氣を臆面もなくのぞかせる。何かもの欲しげにちらりちらりとのぞかせる。自分達の生活に何か特別な社會的意義があるかに人に思ひ込ませたがる。おれだつてかうしながら世を憂ひてゐるのだぞ、といふところを見せたがる。そして本など書きはじめる。」

ふいに、志村はぷつつりと口を噤んだ。

段々激しい漫罵になつて行く自分の言葉に、その時はじめて氣づいたのかも知れない。

痛烈に罵りながら、しかし志村は意氣が昂つてゐるとも見えなかつた。その興奮もどこかパツと燃え切らぬ陰性なものであつた。彼は青黒く、骨張つた、面長な顏を、ややうつむき加減にして内に籠つた感じの聲で話した。

駿介はかすかに顏を赤めた。それは彼が面と向つて皮肉られ罵られたからではなかつた。ぶすぶすくすぶつてゐるやうな相手の興奮が自然彼にまで傳はつたのであつた。が、それは彼自身が興奮してゐるといふこととはちがつてゐた。彼は烈しい言葉が自分に向けられているやうな氣がしなかつた。そこに名を擧げられたやうな人達もしくは所謂農民主義者一般に向けられてゐるやうな氣さへしなかつた。志村の忿懣は何かべつな、しかとは定められぬものに向けて投げられてゐるやうなひびきを持つてゐた。そのなかに志村自身をさへ含めたものに向けられてゐると思へるのであつた。

駿介は反駁しようとはしなかつた。自分が何ものであるか、それは自分にもよくわかつてはゐない。しかし自分は、志村が擧げて云つたやうな人々と同一ではない。彼等に共通な點もそれはあるだらう。しかし彼等が覆ひ得ない、彼等からハミ出してゐるものもあると思つた。それは何も、自分が個人として彼等よりすぐれてゐるからではない。時代的に彼等を乘り越えてゐるといふことだ。彼等が安んじ得た境地に自分達はもはや安んじ得ないであらう。宿命的にさうなのである。

やがて志村は續けた。

「インテリにとつては今の時代は辛い時代だよ。その辛さに君などは負けたのさ、しかもその辛さをほんのちよつぴり舌の先で嘗めたといふだけでさ。君は逃げ出したんだ。そしてそれを合理化するために、インテリとして生きるよりも、農民や勞働者として生きることの方が、ただそれだけで本質的に高く立派な道であるといふ考へを人にも自分にも押しつけてゐるんだ。さういふ自分に都合のいいところだけ、昔の左翼の機械的な考へをこつそり拜借して來てさ、インテリ一般、勞働者農民一般を何か對比して見て優劣を云ふなんてことは今時はやらんし、バカげたことだよ。それぞれの階級や社會層の歴史的特性をいふこととはまた違ふんだからね。どの階級や層に屬してゐようと、個人の問題としては具體的な生き方の問題だけぢやないか、彼の價値を決定するのは。今の時代には今の時代の眞のインテリとしての道はあるんだ。その道をこそ行くべきだ。何も田舍へ歸つて肥桶を擔がなくたつてさ。――君の道は結局逃避の道だ。」

彼はさう斷じた。

「君に歸るべき家があり、耕作すべき幾ばくかの土地が保證されてゐるといふことが、君にそんな贅澤な望みも起させたんだ。そんな條件にないものは、インテリであることがどんなに苦しくたつて、インテリを廢業するわけにはいきやしない。君の轉換の内心の祕密を一應伏せて、結果だけから云やあ、君は選擇の自由を持つた惠まれた條件にゐて、むしろらくな道を選んだといふまでのことさ。――君は百姓に生れた幸福を感謝すべきなんだ。」

「そりや、僕は感謝してゐます。」と、駿介は答へた。嫌味でなくただ素直な氣持でさう云つたのであつた。志村のやうな意味でではなくても、駿介は自分が農民の家の生れであることを、感謝する心を次第に深めつつあつたのである。

「僕の取らうとしてゐる道は、案外古い道に通じてゐるかも知れない、といふよりは古い道に落ち込みかねないものだと思つてゐます。しかし僕らがそのために苦しんでゐるいはゆる自己完成がかつての人達のやうに獨善的な行き方で果されると思ふのだつたらはじめから今のやうな苦しみはない。僕の轉換といふやうなものもないわけです。僕が轉換しようとしてもがいてゐることは、そのまま、獨善主義に止まり得ないことを示してゐると思ふんです。そりや、今のやうな時代だつて、小さい殼のなかに閉ぢ籠つて、自分だけの生活を、日かげの花みたいにいたはりながら行くことだつたら、必ずしも困難なことぢやない。さういふ生活を慰めいたはる、あるひはさういふ生活として完成さして行く道具はいくらでもちやんと揃つてゐます。そしてかつての時代には、さういふ完成が、自己完成だといふことにされてゐた。しかし今は個人の生活も、はじめつから、社會との關係に於て以外には考へられない。自己完成といふことも、社會への積極的な働きかけの道、自分の意志を、社會的價値へ轉化する道において以外には決して求められない。個人の意志の社會的價値への轉化の道にしても、その獨りよがりなものについては僕らは一應知つてゐて自己批判の道は與へられてゐるし……だから、求める努力を抛棄してしまつたとしたらともかく、さうでない以上はかつての時のやうな獨善主義には落ち込まずに行けようと思ふんです。」

「自己完成? 君がさういふ云ひ方をするなんかも僕には一種の興味を誘はれることだね。どうやら二十年位昔の青年の言葉を聞くやうな氣がする……自分の人格を完成することを第一義として君は農村へ入つて行くのかね。さういふ君が農村問題なんかに對してどんな考へを持つてゐるか僕は訊きたいね。」

「――インテリと勞働者農民の問題についても、僕はあなたがさつき云つたやうには考へてはゐません。それとはまるで反對です。僕は何も知識階級論や農民論をやつて、そこから自分の運命を測定して、自分の去就を決定したといふんぢやないんですから。僕にとつて僕自身の生き方が具體的に問題になつて來たので、それはあなたの云ふ通りです。所謂眞のインテリとしての道を今の僕に對比させて何かいふといふことこそおかしなことだと思ふ。これもあなたの云つた通り僕がどういふ社會の層に屬してゐようと問題ではなく、どう生きるかといふ實際がだいじなのですからね。さうするとそこでまたあなたは立場とか方向とかを問題にして來て、さつきからの話になるでせうし、それでは循環してきりがないでせう。」

駿介は漸く議論を厭ふ氣持になつて來てゐた。いいかげんに話を切り上げたいと思つた。

しかし、その時はもう志村はべつに心をとめて聞いてゐるのでもない素ぶりだつた。何かほかのことを考へてゐるやうだつた。わざとそのやうに見せかけることで、相手への蔑視を示したのかも知れなかつた。

二人の間に沈默がつづいた。

しばらくして駿介が訊いた。

「あなたは此頃どのやうにしてゐらつしやるんです。」

人の生活についてはいろいろに云ふ、しかし、君自身のそれは一體どうなつてゐるんだ。さういふきめつける氣持は別にして、彼はそれについて訊きたかつた。さうだ、それについて訊くことこそ、志村との話において自分の期待するものだつた。嘗ても、彼に會ひたい、會はねばならぬと思つたのもそのためだつた。今までの話は、餘りに自分の事にのみかかづらつて來た。

「僕か」と志村は冷淡に云つて、

「僕は何もやつてゐやしないよ。人に向つて云へるやうなことは。」

何かの理由で自分に話すことを好まぬのであらうか。しかし彼の調子は物憂げだつた。

「そりや僕もね、こつちへ歸つて來てからもう十ヶ月になるんだから、その間にちよいちよい村の事になど關係したやうなこともあつたよ。僕の家は、村ではまア有力者といつた部類に入るだらう。親父がいろんなことに關係してゐるし、僕が歸つて居れば村では少いインテリの一人でもあるしするもんだから、いろんな相談を持ちかけて來る。たとへば出荷組合を作らうといふのでその組織の事とか、村に青物市場を開設するとかいふやうなことだ。しかしどうも僕は、實のところ、さういふ仕事に對して一生懸命に打ち込む氣にはなれないんだ。今の僕は、彼等のところまで降りて來て、彼等と同じ場に立つて、せいぜい彼等に助言したり、彼等に缺けてゐる知識を補つてやつたりするのが關の山だ。しかしそんなことが一體なんだらう。さらにまた、出荷組合や、青物市場や、さういふものがただそれだけでは一體なんだらう。働くものの日常のために一錢二錢の利益を確保するといふことの理解も色々だらう。それを少しづつ積み重ねて行きさへすれば、それでどうにかなるだらうとぼんやり考へてやつてる仕事にはどうしたつて打ち込めやしない。やつてることの先が餘りに見えすくんでね。やらぬうちからその限界がはつきりしてゐる。それが何になるんだ! と懷疑的な氣持になるんだ。さうかといつて、觀念の上ではどんなに自由であり得ても、實際の仕事の上では、それ以上には出られないからね。」

志村のこれらの言葉は眞率なひびきを傳へた。揶揄や嘲弄や怒りやをこめ、幾らかの虚飾がつきまとはないわけにはいなかつた今までの調子にはないものがあつた。

「――何れそのうち、僕は東京へ出ようと思つてゐる。」と、彼は附け加へた。

「どうしてそれが無意味だといふふうに思ふんです? ただそれだけの仕事だつていい、助力してやつた方が、やらぬ方よりはいいぢやありませんか?」と、駿介は熱心に云つた。

「君はほんたうにさう思ふかね? 疑はずさう思ひ込めるかね?」と、志村は正面から駿介を見て云つた。

「ええ……僕は單純なのかも知れないが。」

「ふむ……」と、志村は考へ込むやうにして、

「さう思ひ込めるといふのは、ともかく、君は仕合せだ。君は君なりにどうにかやつて行けるだらうよ。」

別に皮肉な口調ではなしにさう云つた。

それきり、二人はまた默つてしまつた。

やがて志村は立ち上つた。

「ぢやあ、また來る。」

何か云ひ殘したこと、訊き殘したことが胸に一ぱいに蟠つてゐるやうでゐながら、駿介は彼を引き止めることができなかつた。

駿介はおもてまで送つて出て、闇のなかにのつそり立ち去る志村を見送つた。

歸つて來た部屋には、志村が吸ひ殘した吸殼から、紫煙が靜かにゆらめいてゐた。

駿介は云ひ知れぬ寂しさを感じた。そして考へに沈んだ。

五

青柳村の上原新次から手紙が來た。しばらくお目にかからないが、身體の方はどうか、いろいろお話したいこともある。明後日あたり、訪ねて見てはくれまいか、とさういふ文言だつた。志村の來訪の日から、二日後のことである。

手紙を讀み終つて傍へおくと、その日は雨で、家にゐた駒平が、向うから、

「上原からな。」と訊いた。駒平が、配達夫から受け取つて、持つて來てくれたのである。

「ええ。」

「こないだな、俺ら青柳さ行つたとき、もう長いこと顏出しせんでゐたもんで、上原さ寄つてみた。するとお前の話が出てな、どうする氣ぢや、といふやうなことゆゑ駿ももう子供ぢやなし、考へとることもあるやらうから、わしとしちや、駿の考へに任せるつもりでをります、とそのやうに云うておいたけに。」

老父のこまかな心づかひが感ぜられた。

「ええ、どうも。」と、駿介は心もち頭を下げるやうにした。

手紙の用件は、尋ねなくてもわかつていることである。彼からの手紙を待たなくても、こつちから行つて話さなくてはならぬ時は來てゐたのである。

今、彼は、新しい感情で東京での自分の長い間の學生生活を、その最初の時から今に到るまでを、心にも眼にも生き生きと思ひ泛べた。特にはつきりと思ひ泛ぶいくつかの情景があつて、それらを連ぬる線の上に彼の囘想はひろがつて行つた。はじめて下り立つた十年前の、朝の東京驛のプラツトフオームの喧噪のなかに、少年の彼の心はわななくほどだつた。期待と喜びとおそれとがごつちやになつた興奮に彼の頬はそまつてゐた。今も彼は、その最初の出郷の日を前にして撮つた、ニコニコ絣の着物を着て、先のつぼまつたモンペのやうな袴をつけた寫眞に向ふごとに涙の滲むやうな氣持をおさへることが出來ない。殊勝だつたその時の氣持を思はないわけにはいかない。

眼に見るものはただまぶしく、耳に聞くものはただガーツと一つ音が頭の上に押しかぶさつて來る感じのなかに、先に立つ上原新次の體のかげに、その體に取りすがるやうにして彼は外へ吐き出された。

乘り物に乘つて、どこをどう通つたのかわからなかつた。着いたのが上原の泊りつけらしい旅館だつた。その日とその次の日一日、上原は彼を連れて、東京の名所を案内して歩いた。他人の家に住み込むやうになつては、勝手に出歩くといふことは容易に望めることではないからである。

住み込むことになつたのは、彼の郷里の出身で、新しい事業家として、近年にはかに産を成したといはれる岡島家だつた。駿介をそこに書生として住み込ませ、百姓の子である彼に、彼の心がけ一つで、高等の教育まで受け得るやうな道を開いてやつたのは、岡島とは古くからの知合ひである上原の力であつた。ここに日夕自分が住むことになるのかと思へば、夢のやうな氣持もされる廣大な邸宅の奧の間で、上原を介添へとして、主人の岡島に初の御目見得をしたとき、彼は全身のふるへがとまらなかつた。體を小さく縮めて、相手の顏は見ず、挨拶の言葉も口のなかであつた。

「ふむ、なかなかいいからだだな。」

岡島がさう云つたのに對して、どう云ふべきかを知らなかつた。上原が傍で取りなし顏に何か云つた。

少年の彼の胸に、この時はじめて、かなしい處世の訓へが、深く刻まれたのである。「どんな恥づかしいことをも忍べ。この人(正確に云へば、この人によつて代表される人々)の機嫌は損ずるな。」

岡島が、その初對面に、「いいからだだな」と云つたのは、通り一遍の言葉以上に、まことに意味のある言葉と云ふべきだつた。彼は駿介を値ぶみしてゐた。それは事業會社に於て澤山の人を使ふ彼にはふさはしいことだつた。

住み込んで、駿介がはじめもつとも心配したのは、田舍者である彼が、どうして早く都會慣れするかであつた。なめらかな言葉で客に應對し、電話をたくみにかけるといふやうなことだつた。しかしそれは杞憂だつた。さういふやうなことは必要だとしても、大したことではなかつた。客の應對や、電話には、小間使がゐた。彼は田舍者らしく、その「いいからだ」で仕へればよかつた。

十四の少年にとつて、このやうな大家の書生の仕事は、まことにゆるくはないことであつた。それは相當な勞働に匹敵した。朝は夏冬とも五時起床で、それから夕方までほとんど自分の時間といふものがなかつた。鏡のやうによく磨かれた廣い縁側から、長い廊下から、梯子段まで、米の白水か袋入りの糠を浸した水かで拭いてまはる。築山もあり池もあり四阿もあり、小暗い木々の繁みさへある庭を竹箒で掃き淨める。門から玄關までの前庭も同樣である。バケツに何杯もの水を汲んでは打水をする。三和土たたきに水を撒いて柄のついた長いブラシで洗ふ。掃除がすんで一服する間もなく、そこにはもう何かかにか走り使ひが待つてゐる。儉約しまつな家で、ずゐぶん遠く使ひに出る時も交通費は出なかつた。自轉車で行くのだ。はじめのうち一二ヶ月はこれが何よりも苦手だつた。坦々とした田舍道を行くことに慣れた彼の神經が、あらゆる交通機關が流れるなかをたくみに縫うて行くことに慣れるまでには、何度か四辻の交通巡査の前に立たされなければならなかつたし、後や横からの車に跳ね飛ばされもしなければならなかつた。

だから夜學では時々眠つた。好學の心がどう燃えてゐても、肉體がいふことをきかなかつた。

學校は夜間中學であつたのである。これは駿介の期待が少なからず意外としたことだつた。上原も意外としたらしかつた、別に夜間晝間の何れといふ、はつきりした約束があらかじめあつたわけではないが、有望な少年に學費を給して上級學校まで學ばせる、と聞かされては、聞いた方は世間普通の學生を考へるのは當然と云ふべきだらう。しかし、岡島の家令とも、祕書役とも云ふべき男がゐて、すべては彼の取り極めに從はなければならなかつた。それに對し、駿介はもちろん、上原とても何も云はなかつた。幻滅は感じたくはなかつたから、たとへ夜間でも、東京でも數少い、晝間と同じ資格を得られる中學といふことで滿足しなければならなかつた。

三年四年はすぐに經つた。「恥を忍べ。人の機嫌は損ずるな。」胸に疊み込んだこの訓へも、自分の手で地べたへ叩きつけたくなるやうな瞬間も、幾度か味はつたが、その都度、どうにか堪へた。彼はひたすらに、勤勉實直な小心翼々たる面白味のない模範生として終始した。はじめて、その禁を犯して、爭はねばならなかつたのは、中學から上の學校へ進むことになつた時のことである。

「君は商大の專門部へはいれ。」と、家令兼祕書役の男が云つた。

その時は默つて引き下つたが、駿介の胸はおさまらなかつた。彼はもうものを突つ込んで考へずにはゐられぬし、自己を主張せずにもゐられぬ青年だつた。彼がこの家へ來たそもそものはじめ、彼等は何と云つたか?

「本人が將來、どつちの方向に進まうと、そりやわたしとしては無論、何も云ふことはない。本人の好きな方向に進んだらいい。わたしが世話をしたからと云つて、あとで何かの責任をもつてくれなどといふんぢやない。子弟の教育といふことは、いはばわたしの道樂なのだから。」

岡島自身、上原にさう云つた言葉は、今も彼の記憶に殘つてゐる。

駿介は自然科學に興味を持つ學生だつた。農學プロパーか、農藝化學か、具體的にはまだきめることは出來なかつたが、ともかく自分の出身についての自覺から、その方面の學問がしたかつた。そして、同じ苦しんで學ぶのなら、高等學校から大學への道を進みたかつた。

二度目に祕書の男に逢つて、その志望を云つた時、彼はむしろびつくりしたやうな顏をした。

「君もまた物好きな男だね。三年で立派に一人前になれるところを、何でまた辛い目して、六年もやらうと云ふんだい。大學へ行くのは就職のためにいい條件を作りたいからだらう。さうして大學を出ても、今時なかなかいい口なんぞあるもんぢやない。それを君なんかは中學へ入つた時から、もう、先のことが、一生涯の生活がちやんと保證されてゐるといつていいんだ。こんな結構なことは、願つてもあるわけのものではないぢやないか。」

彼の理解は、ほんたうにそれ以上には進み得ぬものらしかつた。

「尾上君を見給へ、尾上君を。」

「尾上さん?」

駿介は彼を知つてゐる。岡島が主宰する商事會社の若い社員だが、岡島の私宅へは繁々と出入りし、家族の者達との間に特別に親しい、私的な接觸を保つてゐるらしかつた。御機嫌うかがひに伺候する、と云つたふうにもながめられた。法事とか、何か祝事とか、さういふ客のたくさん集る時には、必ずやつて來て、こまめにからだを働かせ、奧向きの事にまで口を出し、「おい、君、君、」と呼んで、駿介を顎で使つた。

「尾上君も昔は君と同じ境遇にあつた人だ。それが今の尾上君の社内での地位といつたらなかなか大したものだよ。同じ年に入社した大學出なんど敵ふもんぢやない。」

駿介は、自分を使ふ時の尾上の取りすまし方や、その眼の冷さを思ひ泛べた。彼は自分を憎んでゐると思つた。さういふ敵意の出所もなんとなくわかるやうな氣がした。

しかしそれ以上に新しいことをも、同時に駿介は知つた。岡島の子弟教育は、彼のいふやうに、金持の「道樂」の一つであり、それは彼のいろいろな道樂のなかで、一番高尚な、社會的意義あるものに違ひなかつた。が、この高尚な道樂によつて精神的な滿足を得ると同時に、生涯自分の頤使に甘んじて誤たぬ何人かを、關係ある會社内に持ち得るとすれば、一層好都合であるに違ひなかつた。「將來、どの方向に進まうが自由である」と彼は云つた。しかし、さうした自由よりは、岡島の羽交ひの下に住む不自由な安全を、より願はぬものを彼の世話になるやうな境涯の少年のなかに期待することは困難であらう。

が、駿介はその自由の方を愛した。農學をやりたい、大學に進みたい、といふ願ひは絶對的なものでないとしても、最初の約が何等の反省なく無視されてゐるといふことが、生涯の自分の進路が他人の手によつて頭ごなしにきめられると云ふことが、彼の若さには堪へ得ぬ侮辱だつた。ほかのこととはちがふ。

かうして、彼はその時はじめて彼の誓を破つたのである。

冬の休みに、郷里から上原が上京して來た。彼が祕書の男と駿介との間に立つていろいろ話をした。駿介ははじめて人の驚くやうな頑固な一徹さを示した。廢學して歸郷することすら考へたが、結局上原のたくみな取りなしで、彼は志望通り高等學校へ入ることが出來た。しかし理科ではなく文科で、大學は經濟か法科が期待され、卒業後は依然人々がきめたコースを行かねばならぬやうに、暗默のうちにやんわり約束せしめられてしまつた。若さと老獪とでは勝負にならなかつた。自分の知らぬところで、自分の意志だとして、上原の口からどんなことが岡島や祕書の男に云はれているかと思ふと、不滿であつたが、そのまま默るのほかはなかつた。

しかし、高等學校へ入つて三年目に、彼は遂に再度彼の保護者と衝突してしまつた。直接の原因は些細なことに過ぎなかつたが、積り積つたものがあるのだつた。今度は上原の肝いりも力がなかつた。忘恩の徒と云はれても、駿介はある日以後、岡島家とのそれ迄の關係を自らきつぱり斷ち切るのほかはなかつた。

上原は、田舍者らしい頑固さや一本調子ではなく、幅も深みもある人間だつた。いはば飼犬に手を噛まれたといふ感じの駿介を、彼は棄てなかつた。駿介のために家庭教師の口を世話し、駿介はどうにかその後一年餘りの學生生活を續けることが出來た。

この二度目の駿介の反撥の心理は、最初の時とはちがひ、單純ではなかつた。青年の、鬱勃とした精神が、すでに自分の内部に新しく頭を持ち上げ始めて來たことを彼は感じてゐた。卑屈であることを強ひられて來たやうな彼も、自分の小さく堅い殼を、自らの精神によつて突き破らないわけにはいかなかつた。彼は奔放で自由な、高揚する精神に惜みなく自分の全身を委ねようとしたのであつた。

彼の不幸は、彼が内部に青年の特權であるそのやうな鬱勃たる精神を感じ始めた時が、彼の外部にもそのやうな精神の汪溢を感じ得る時と必ずしも一つではないといふことであつた。二つの時は食ひ違つてゐた。勿論、いついかなる時代と社會にも新しい鬱勃たる精神の擡頭がまるでないなどといふことはなかつた。それは底流としてあつた。しかし内と外とが相呼應しうるやうな状態にはなかつた。時代は確かに閉塞してゐるといへた。そして外がそのやうな状態にある時には、内に籠つて漸く外に伸びようとする青年の精神は、充分に伸びることも、一定の方向を持つことも出來ないのであつた。

それは勢よく燃え上らうとするものが、途中で水氣に逢ひ、消えはしないながらぶすぶすと燻ぶらねばならぬのに似てゐた。疏通はけ口を求めて得られぬ流れにも似てゐた。それまで彼は周圍の喧噪に對して、自ら努力して眼を覆ひ、耳をふさいで來たのであつた。數年來の社會の波の起伏は學窓にある彼の周圍にまで迫らずにはゐなかつた。學業を途中で放擲して、自分からその波のなかに捲き込まれて行つたやうな學生をさへ何人か彼は自分のすぐ側に見送つた。しかし彼は自分の狹い世界を益々堅固にし、そのなかに籠ることでその風潮に答へた。自分のやうな境涯にある學生はひとへに守舊の道を行けばいいので、脇目をふるべきではないとおのれに言ひ聽かせた。しかし、事はそれですまし得る筈もない。自ら意識し、努力しておのれの狹い世界を益々堅固にしようとすることは、取りも直さず、外からの壓迫に對する自分の世界の矛盾、弱さを感じてゐることの表明だつた。次第に彼の眼は外部へ、社會へと伸びて行つた。自分と自分の仕事とを廣い社會のなかに据ゑて考へ、その何處に据ゑることが正しいかを眞劔に考へはじめた。

彼は眼覺めた眼を開いて社會を見た。しかもその時、社會は、この二三年の間に大きな轉囘を遂げてゐた。外へ向つた青年の心が據り所とする原則といふものは、存在せぬわけはないとしても、幾多の疑と、躊躇とを經ないでは到底求め得ぬやうな時代になつてゐたのである。彼は苦しまないわけにはいかなかつた。彼は嘗て自分のすぐ側に見送つたやうな學生達であることは到底出來なかつた。

眞に社會的な人間として生きる道と、個人としての自己の生存の道とが、矛盾なく統一されてゐるやうな状態について多くの青年と共に、駿介も亦思ひを凝らした。そのやうな道は現代にあつては何と稀であり、たとへ見出し得たにしても踏むに難いことであらう。彼は切ないほどの羨望の心で、社會のより若い發展の時期に生れ、活動し、死んで行つた人々の幸福を思ひやつた。その時期に於ては二つの道の統一を求めることはさほどに困難ではなかつた。ほとんど心を勞せずに、たまたま選ばれた職業の道の如きものが、客觀的には、社會に生きる人間の眞實の道とそのまま一つであるといふことが多いのであつた。しかし彼はまた青年らしい熱い思ひで、今日のやうな閉塞した時代に生きることの意義深さをも思つた。もしもこの時代に、その求める道が見出され、最後までその道を生き拔くことが出來たならば、その素晴らしさは彼が羨望した時代の人々に比してどれ程であらう。

彼は自分の周圍の學生群を眺めやつた。今までは何等疑ふことなく、自分もそのなかの一人として見てゐた學生群が、時には名状しがたい奇體な存在として眼に映るのであつた。職業の道以外の道について頭を使つてゐる者は決して多いとは云へぬのであつた。秀才といはれる者たちは、競つて理科系統の學問に向つてつき進んで行つた。彼等の心理の基礎は一種の社會無關心派のそれだつた。一頃の反動なのであらう。社會の全面的理解といふことは、最初から故意に拒否されて、技術屋の道は繁榮する、それは社會のどのやうな時代においてであらうとも繁榮する、といふことを立證する社會の一面だけが抽き出されて理解されてゐた。

技術屋の道の繁榮をもたらした職業の道は、同時に又、學生の間に、スポーツ、ダンス、謠曲、俳諧、書道、その他種々樣々なものの繁榮をもたらしてゐた。

駿介が家庭教師として通つてゐる平山家の息子達、駿介が教へてゐる子の兄である二人の大學生やその仲間達はまた少し變つてゐた。彼等は職業の道についてはほとんど頭を惱ます必要はなかつた。彼等は一日に一度は、背廣を着込んで銀座に現れたが、通學の時の服裝は上衣が學生服に代るだけで折目のキチンとした色變りのズボンに、靴は赤か、白にチヨコレートいろの模樣のあるものなどで、上衣の袖口からは水いろのワイシヤツの袖が長くはみ出てゐた。彼等の多くは風呂敷包やバツグなどは持たず、辯護士や大學教授の持つやうな大きな革の鞄を下げたり抱へたりして歩いた。なかからは映畫の雜誌や、プロマイドなどがあらはれる。平山の家では、週末には親達は靜養のために別莊へ行つて留守である。土曜か日曜の夜には、どこかでしたたかに飮んで來た大學生達が、この家の息子を先頭にどやどやなだれ込んで來る。玄關から奧の息子達の部屋まで長い廊下を「テラ、テツテツテ、トラ、トツトツト」とか「タラ、タタタタ」とか口で拍子を取り、尻を振つて一種の手つきをして踊りながら部屋にしけ込む。そこですぐにまたビールだ。いろいろな食ひものも取り寄せられる。レコードが鳴り出す。踊る。一方には浪花節をうなるものもある。それから麻雀がはじまる。疲れると、長くなつて、香料の浸んだ色のついたハンカチで鼻のあたりを拭ひながら騷々しく話しはじめる。茶房の話。そこの女の話。彼等が戀愛だと思つてゐることについての話。

平山の家にはまた年頃の娘もゐて、彼女等は物見遊山の時など、駿介をも一緒に連れて行かうとした。彼は斷つたが、三度に一度は、そして彼が教へてゐる中學生も行くと云ふときには、斷り切れぬこともあるのだつた。ある時、劇場の廊下で娘が友達らしいのに逢つて話してゐるのを聞いた。自分のことが云はれてゐるらしいので、離れてゐても敏く神經が働くのだつた。あれは誰? 一緒にゐるのは? と云ふやうなことを、友達は蓮つ葉らしい調子で訊いた。うん、あれは家の書生よ、と娘は答へた。歸りに、百貨店へ寄つて買物をした娘は、買つた品物を店から届けさせようとはしないで、駿介に云つて持たせた。駿介を後ろに從へたさういふ恰好で、すぐには乘物に乘らうとはせず、人通りの多い夜の街をしばらく歩いた。駿介は事の馬鹿々々しさを自分をも他人のなかに押し込んで、一緒に嗤つてやる餘裕を持つには、まだ若過ぎるのだつた。

駿介が教えてゐる中學生の出來の惡さといふものは、これはまたじつに恐るべきものだつた。それは、不勉強だから出來ない、正しい方法で規則的にもつと勉強すれば出來るやうになる、と云へるやうな、さういふ種類の出來なさではなかつた。彼には覺えようとする氣はまるでなかつたし、彼が入つてゐる札附きの中學ではそれで通るらしかつたし、何よりも先づ、人にも物にも謙虚な氣持を持つといふことが全然ない、素直さを缺いた小生意氣さでは、中等程度の知識にしろ、我ものにするといふことは不可能であつた。

夏も漸く暑くなり、學期試驗も近づいて來た頃のある日、駿介はいつもの時間に、彼の勉強部屋に來て待つてゐた。彼は外出してゐて留守だつた。餘程經つてから歸つて來たが、ぷりぷりして、何かに當り散らさずにはゐられぬといふふうだつた。毎日の日課のために、外出先から歸つて來なければならぬといふことが、不機嫌のたねであるらしかつた。彼は大きな身體で、ものも云はず、どつかとそこに胡坐をかいた。女中を呼んで、お冷を一杯、と云つた。やがて持つて來られたお盆の上のコツプを取り上げた彼の顏に、險惡ないろが浮んだと思つた。それを感じて、しかし何かわからなくて、立去りかねてもぢもぢしてゐた女中の方をじろつと見たかと思ふと、コップ「コップ」はママをつかんだ彼の手が伸びて、あツといふまに女中の顏は水浸しになつた。仰天して、崩れた居ずまひを直さうとする女の顏に、追つかけるやうに平手が飛んで、濡れたものの上を打つピシヤツといふ音がした。彼は急き込んだ口調で、水に氷が入つてゐないぢやないか、お冷を持つて來いと云つたら、ブツカキを入れて持つて來るなあ、云はなくつたつてわかつてることなんだ、間拔け奴、と聲變りのした聲で怒鳴るのであつた。學校では野球の選手で、十七とはとても見えぬ大きさで、坐ると膝は高く盛り上り、手も長い感じで、厚い唇をぺろぺろ嘗めながらまくし立ててゐる、少年のものとは思へぬ濁つた眼をぢつと見てゐると駿介は人間を見てゐる氣がしなかつた。コツプは女の膝のあたりにころがり、小言を云はれてゐる間は拭かうともせぬ顏と着物の襟のあたりからは、雫がなほぽたぽた落ちてゐた。

この少年の出來の惡さは、このやうな行爲を彼にさせるものと、離れがたく根本的に結びついてゐた。この少年とその兄達のどす黒い愚昧は、實に深いところに根ざしてゐると駿介には感じられた。それを考へることは、宿命的な陰慘な氣持でさへあつた。世間から云はれてゐる平山の家の莫大な富が、どのやうにして築き上げられたものであるかを、駿介は知らない。しかし駿介には、僅か一代で今日の大を爲したといふ、その富の蓄積の過程と、その家の子供等の愚昧と云ふことは、全然無關係ではなく、そこには何かのつながりがあるやうに考へられてならなかつた。佛教で云ふ因果と云ふやうなことではなく、はつきりつかみ出して何人にも示し得る、一つの關係があるやうに思へた。

彼等と彼等の仲間である青年達が、大學生であると云ふことはどういふことだらう。駿介は何等の肯定的な積極的な意義をもそこに見出すことは出來なかつた。社會にとつてもまた彼等自身にとつても。青年達のうち、地方から來てゐる者のことは特に駿介の心を惹いた。彼等はやがて卒業する。東京に止まるものもあるが、郷里へ歸るものも多いだらう。歸れば、彼等の多くはその地方の舊家や顏利きの家の出で、彼等はそこで何とか恰好がつき、「堅實な」民間指導者層を形づくることになる。大學出の彼等は地方教化の擔當者となつてあらはれる。事實小さな田舍の町などは彼等の二三人の手によつてどのやうにもなる。彼等の水準がすなはち地方文化の水準となる。さういふものの尨大な堆積こそは恐るべきであらう。國の文化は知らず知らずのうちに彼等に順應するところまで「引き下げ」られ、あるひは「引き上げ」られる。彼等に受け入れられるものの汎濫が、つまりは一國の文化といふことになる。

駿介は、優れた頭腦を持ち、好學のこころに燃えながら、それきりになつてしまつた自分の田舍の誰彼のことを思ひ出した。彼等は今はただ默つて土地を耕し、植え、耘くさぎり、收穫とりいれてゐることだらう。

駿介の周圍の學生は勿論このやうなものばかりではなかつた。しかし聰明な、眞面目な者達は多く氣力を失つてゐた。美しい、青年に不可避な夢を描く。行爲する。蹉跌する。そこではじめて落ち込みもするだらう無氣力や懷疑や絶望の状態に、今の彼等は何事も行爲せぬ前からすでに落ち込んでゐるのであつた。一應はそれも道理とは云へた。夢のすべての種類は過去にすでに出揃つてゐる。それを現實のものとしようとする行爲も試驗ずみだと云へないこともなかつたから。

氣力も夢も失つてゐない人々も少くはなかつた。彼等は何事によらず、他人の經驗のみは頼ることは出來ない、それによつてのみ判斷することは出來ない、自分の實際の行爲を通し、しかと我身に確めずにはゐられない正當な人々であつた。彼等は熱心に探求する。そこから現代のインテリゲンツイアとしてのさまざまな要求を持ちはじめる。それらの要求を實現する道に向つて熱意を抱く。が、學生である彼等はやがて職業人としてそれぞれ社會へ巣立つて行く。かつて抽象的な思考の世界に止まつてゐた諸要求は、今こそ彼等の日々の生活の内部からのやむにやまれぬものとなつて來る。眞實に生きるためにはそれらの諸要求は滿たされねばならぬ。しかもその時になつてなほそれらを滿たすべき現實の道について、その可能性について深く考へ、自ら行爲して行く人々は果して多いと云へるであらうか?

容易ならぬ困難につきあたり、摸索の末に、彼等は消極的な行き方で始める。彼等はさきの生活上の諸要求を一應抛棄する。そしてそれらとは直接の關りを持たぬ所に自分を生かす道を求めようとする。彼等は敢て自分達の生活を分裂させるのである。それが實際に形の上に現れては、職業と、「本來の仕事」との對立、不一致もしくは兩者の無關係といふことになる。職業によつて云ひ現される彼等の生活は、輕視され、それの現在の有樣がどんなに不滿なものであつても致し方のないものとして諦められ、そつとそのままにしておかれ、それとは別に「本來の仕事」によつて云ひ現されるもう一つの生活が打ち建てられ、そこにのみ生甲斐を見出さうとする。そのやうなもう一つの生活といふものは、現代ではほとんど不可能なことだ。「飯を食ふ」ための仕事が、時間とエネルギーの最後の一滴までも要求してゐるのだから。しかし、人々は超人的な勇氣をふるつてそのために勵む。

現代の、良心的な人々の生きる一つの道は、たしかにここにあるのであらう。だが、二つの生活は、この場合、無關係なままにおかれてゐるのである。少くとも互ひに強く影響し合ふやうな關係にはない。それでいいものであらうか? 二つは切り離せない相互の關係にあるべきではないだらうか? 第一現實の社會生活上の諸要求を抛棄した所に始まる本來の仕事などといふものはあり得るであらうか?

人々はこの生活の二重性格を思ひ惱んではゐる。しかも容易にどうともならぬところに、時代の特殊な色合もあり、インテリゲンツイアの特殊性もあると思はれる。勞働者や農民など、生産が生活の中心になつてゐる人々は、この間の矛盾の解決の道も、本來的に、容易に見出し得るのではないだらうか?

この間のことは、駿介にはまだよくはわからない。

生きるための彼のいとなみが、そのまま彼の全人間を生かすための道と一つになつてゐるやうな状態、多くの人々がそれを求めてゐる。駿介も亦それを求めてゐる。

そして彼はしだいに學業を中途で放擲して、歸郷することを考へるやうになつた。自分の出生、過去と現在、自分の才能、卒業後のインテリゲンツイアとしての自分の生活、それらについて思ひをひそめた末に、最近十年間の自分を敢て一擲して、違つた道から新しく踏み出して見ることを考へたのであつた。苦學生活に疲れ、屈辱に堪へ得なくなつた氣持が底に働いてゐたとしてもそれが根本ではなかつた。彼は求めてゐるものを、そのやうな轉換によつて得ようとしたのであつた。彼はあるひは難きを避けて易きに就いたのであるかも知れなかつた。彼が新しくその上に生活を築かうとしてゐる條件は、彼自身が苦しんで創り出したものではなく、それは與へられたものであつたから。が、それは恥づるに當らぬことと彼は思つた。彼はただ、かの今日に特徴的な精神、基準などは無いと云ひ、明日の事はわからぬと云ひ、不安や懷疑を云ひ、が、一方自分の個人的な生活においては、ありふれた基準の上に立ち、何年の後をも信じて、案外にちんまりとした設計を立てて結構樂しげな人々、それからまた、事が始まらぬうちにその終りを考へ、先の先まで見透す聰明さを裝ひ、新しいものはないすべては古い、試驗ずみだと否定し、かと云つて自らには何等の行爲もなく、確固たる信念を持つやうに見えてその實は何も持たぬ人々、その双方に與し得ないのであつた。

六

日曜日に、駿介は、上原新次のところへ出かけて行つた。歸郷以來、駿介は上原には二度逢つてゐた。それから今日の訪問について云つて來た葉書以外に、やや詳しい手紙を一度もらつてゐた。何れの場合にも、觸れるべき事柄には、まだ深く觸れてはゐなかつた。

傳統の根深い村には、家系のさきのさきまでさかのぼつて尋ねて行けば、そこらあたりの家全體がどこかで縁つづきの關係にあると云ふことは珍らしくはないが、杉野の家が上原と遠縁だと云ふのも、その程度のことである。上原の家が青柳村に移つたのは四十年ほど前のことである。

上原新次は五十ほどの年輩で、髮も口髭ももう半ば白く、小柄な瘠せた男であるが、非常に精力的な風貌だつた。十五町歩ほどの地主で、村長をつとめたことも、縣會議員だつたこともあるが、近年一切さういふ公職からは身を退き、地方政治とも關係を絶つてゐる。田舍に住む老人としては珍らしい讀書家で、好學の心を地方の民俗や土俗の研究で滿たしてゐる。その方ではかなり名を知られてもゐるので、中央からその方面の學者がこの地方をおとづれる時には、よく彼を訪ねることがある。

書齋へ通ると、上原は、机の上にひろげた和綴の古文書のやうなものをわきへ片づけて、こつちへ向きなほつたところであつた。

「暑くなつたな。變りはないかね。」と、おだやかな笑顏で、見上げながら云つた。

「御無沙汰してをります。」

いつ來て見ても同じやうな、ただ積み重ねた書物の山が少し大きくなつてゐるに過ぎない、その部屋にしみついてゐる古い匂ひを駿介は嗅いだ。どういふ動機からか、此頃はとかく引つ籠りがちになつて、この薄暗い部屋に坐り續けてゐるやうな老人の生活の雰圍氣は、駿介が道々考へ、云はうとして來たことが抵抗を感ずるやうなものとも、またはかへつてそれを受け容れてくれるやうなものともどつちとも云へる。

「君等の方は麥はどうだつたかね、今年は。」

「一體に非常に好かつたやうです。」

「それアいい……このへんも好かつたやうだ。作がいいと聞くと、聞いただけでも心があつたまる。わしらのやうなものでもね。植附け時には照らにやいいが。」

「春からあれだけ照つたから、丁度その時分には降るだらうつて、みんな云つてゐますが。」

「うん。」

膝は崩さずにきちんとして坐つてゐるから、駿介の足の方は見えない。その膝のあたりへ眼を落して、上原が、

「いつか、足を怪我したさうだが。」と、訊いた。

「ええ……別になんともなかつたんです。」と、答へながら、父が話したのだな、と思つた。

「ところでどうするつもりなんだね。君は一體。」

靜かに云つて、上原は要件のなかへ入つて行つた。

もう少し色々考へて見たいとの君の手紙であつたから、私もそのつもりでゐたが、東京の平山から、つい此頃も、非常に喧しく言つて來た。腹を立ててゐる樣子で、こつちにだつて都合がある。あの學生は貴下の言葉があつたから特に頼んだが、止めるのだつたら遠慮なく早く云つてよこして欲しい、代りを考へなければならぬから、と、これはもつともな話だと思ふ。君はどうするつもりか、と彼は云ふのだつた。

駿介は、この間から考へてゐたことを、ぽつりぽつり話し出した。

自分の氣持を出來るだけ忠實に相手に傳へたい。自分にも分らぬところは、分らぬとしてそのまま殘しておいて、分つてゐるだけを、瞹昧でなく、嘘いつはりなく傳へたい、さういふ氣持だつた。話の進行につれて今まで分らなかつたところも段々はつきりして行く、といふことを感じた。同時に、はつきりしてゐた筈のことも、案外つかめてゐないことをも感じた。

話してゐる間ぢゆう、非常に氣になつたのは、相手との年齡の差、といふよりは時代の差であつた。相手は口をさしはさまず、默つて聞いてゐるだけなのに、その差が重くのしかかつて、ややもすれば言葉が跡絶とだえた。一つの言葉、たとへば社會運動の方から出て、今は一般の常識語になつてゐるやうな言葉を使ふにさへ注意した。言葉のはしなどにあらはれる、今の青年に共通な匂ひが、その云ふことの好し惡しは別として、感覺的に老年者に反撥を感ぜしめるものがあることを思つたからである。わるく思はれたくない、といふ氣持からではない。恩を受けた人に、自分の眞意は汲み取つてもらひたかつたから、そしてまた彼は議論は避けたかつたから。さういふふうに色々神經を使つた。

「――前には岡島さんとのこともありましたし、私のわがままからでしたが、その時もお叱りなく平山さんにお世話をいただいたのに、今度また御迷惑をおかけするといふのは心苦しいことですが。」

ほんたうにさう感じて云つた。自分の爲によりいい生活の道を拓かうと、心を碎いてくれたこの十年間の彼の好意は、身にしみてゐた。その好意を無にしてしまはなければならなくなつた結果について思つた。

「ふむ……君はそんなふうに考へてゐるのかね……もつとも君が云つたすべてを、わしは充分に理解したとは思はんが。」

上原はむづかしい顏になつて云つた。皺は深くなり、それは顏を小さく陰氣なものにして見せた。不機嫌といふよりは、考へに沈んだ顏であつた。

「平山の家が不愉快だからといふわけぢやないんだね?」

「いいえ、さういふことぢやないんです。」

「もしさうだといふなら、ほかに幾らも方法もあることだが」と、上原はつぶやくやうに云つて、

「かういふことはないかな。古いがよくある考へ方だが……人の世話になる、ことに金持の物質的援助を仰ぐなんといふことを潔いさぎよしとしない氣持だな。新井白石のいはゆる、一尺の蛇の一寸の傷は、十尺になれば傷もまた十倍になると云ふ奴だ。」

「さういふ氣持はむしろ昔でした。子供の頃です。今はそんなことはありません。」

「君は、志村――志村克彦さ。例の。あの男に逢ひはしなかつたかね?」

急に、彼は別なことを云つた。

「四五日前、久しぶりで逢つたばかりです。」

「ほう――。東京ぢや往き來はなかつたのか。」

「あの人がまだ學校にゐる頃には時々逢つてゐましたが、さう親しいといふほどぢやありませんでした。」

なぜ、突然志村について訊いたのであらう。かつて志村が抱いてゐた思想への、自分の接近の程度を疑ひ、遠まはしに訊いてみたのであらうか。さうして、自分が語つたとは別のところに今の自分を理解する鍵を求めようとするのであらうか。さうだとすれば駿介は否定の答へをするのほかはなかつた。カムフラージの意味でなくさうだつた。

「あの男について君はどのやうに思ふかね。」

上原は志村の近況について二三語つた。彼が何に對しても興味を失つてゐることを立證する、彼自身の口から駿介が聞いたことを裏書するやうなことであつた。

「さア……ここ三四年のあの人については詳しいことは知りませんし、この間逢つた時も、餘り突つ込んだ話はしませんでしたから。」

さうは云ひながら、志村については、この間から考へてゐる次の事だけはどうしても云はずにはゐられなかつた。

「……けれど、今のあの人がそんなだとすると僕は云ひたいことがあるのです。直接あの人に向つて云はうと思つて、つい云ひそびれてしまひましたが、あの人はなぜもう一度新しく踏み出さうとはしないのでせう? 今迄の線に添うて行く道が鎖された時に、それ以外には道はないのだらうか? そりや、僕みたいにあの人のやうな過去を持たぬものにも、あの人の苦しい立場はわかる。ある一つの思想的立場に立つて行動し、挫折しなければならなかつた人が、起ち上らうと云ふのは、今後どういふ生き方の道を辿るにしろ、容易ならぬことで、わきでかれこれ云ふほどさう簡單なことではないでせう。志村君に云はせれば、今その姿勢を正してゐる時だと云ふのでせうが、心の世界で堂々巡りしてゐるのでは何時まで經つてもきりがない。心の世界で、一から十までこれでいいといふところまできまりをつけて、さてそれから何かやらうと云ふのでは、何時まで經つても何もやれるもんぢやないと思ひます、しかし志村君は勿論そのくらゐのことは知つてゐる、だから自分でも云つてゐるやうなことをいろいろやつて見たのでせう。しかし何をやつてもつまらない――批判の眼が働き、やつてることの性質が見え透き、興味も、熱意も持てなくてやめてしまふ、と云つてゐます。

僕はこれは實に重大なことだとおもふのです。批判の眼といふ、その眼が間違つてゐるのだ、と云ふことが第一に云へるとは思ひますが、それよりももつと深いところに根ざしたものを僕は感じます。生活に對する愛を持ち得ないやうな人間になつてゐるのではないかと云ふおそれです。人間生活の美しさや醜さや豐かさや貧しさやに對して、喜びや悲しみや怒りや憎しみやを素直に生々と感じることの出來ないかなしい人間にです。人間としてこれは一番に大切なものです。さういふ愛があつてはじめて積極的な生活者になれる。生活のなかから益々さういふ愛を深め、それは又逆に彼の生活を豐かな立派なものにして行く。挫折してもまた起ち上つて行く力もそこから汲み出せる。それは理論や思想と無關係ではない。結びつかねばならぬものだけれども、一應別にして考へることも出來るし、實際の場合としてその兩者がバラバラな、あるひはその一方を缺いてゐるやうな生活者は多いと思ふんです。……志村君なんか、今はあんなふうですが、僕はあの人の昔だつて、どれだけさういふ人間への、生活への深い愛に基づいた行動であつたか疑問だと思ふんです。さういふ深い根がなくては、思想も冷やかで、觀念的であることを排してゐながら觀念的でないわけにはいかないでせう。支柱であつたその思想さへ失へば今のやうなことになるのは當然な氣がします。……志村君より一時期あとの僕等のなかの不感症的存在よりは、或ひはもつと治癒し難いかも知れません。……ともかくさういふ、生活に對する愛と憎しみとを失つた無感動な人間はふえて行つてゐます。それは普通一口に生活力が無い、といふことだけでは覆ひ得ない内容です。それは一種の現代病でせう。それの原因はおそらく複雜なものでせう。それは社會的な根據を尋ねられなければならないものでせう。……今の僕にはそれはよく分らない。しかし僕はさういふ人間にだけはなりたくはない。……しかし僕は東京にゐて、何となく自分も知らぬ間にさういふ人間に落ち込んで行きさうなおそれを感じたんです。さういふことが今度の事の大きな理由の一つになつてゐます。」

駿介は、はじめのうちのやうに相手に對して細かな顧慮を拂ふ餘裕は、もはや持たなかつた。

「――生活してゐる、と自ら感じ得る生活がまづ必要であり、その結果ならば、それがたとひ何であらうとそこからまた道は拓けよう、とさう思つてゐるのです。自分に對してまづ忠實でなければならないと思ふんです。さうでなければまた、どんな結果に對しても自分が責任を負ふといふ氣持にはなれないでせう。」

上原は身じろぎもせず默つて聞いてゐた。彼は駿介をぢつと見つめた。そして云つた。

「他人の經驗だけでは納得は出來ない。他人の經驗はあく迄も他人の經驗だ。自分で一々踏みしめて見ねば承服できない。さういふ氣持はたしかに尊重さるべきものだ。氣持だけでもさういふものさへ此頃は段々少くなつて來てゐる。それを君はその上に思つたことを實際にやつて行かうと云ふのだ。志村とか、……それからうちの哲造とか、いふものよりは、生きて行く上の態度が積極的だといふただその一點からだけでもたしかに立派だ。方向の如何にかかはらずだな。ぢやが、それを一應認めた上で、やはり方向は問題にせずには居られん。」

「哲造さんは今どうしてゐらつしやるんです? しばらくお噂さを聞きませんが。」と、話の途中ではあつたけれども、駿介は訊いた。哲造の名を云つた時の彼は、ちよつとためらつたやうな、ぎごちないやうな調子であつた。

しかし上原は問には答へようとせずに續けた。

「他人の經驗で滿足できないと云つたところで、君は結果を生んだ原因を無視出來まいし、原因が一つならいやでも他人が經驗したと同じ結果になることをあらかじめ認めないわけにもいかないだらう。君は歴史を信じないわけにはいかんだらう。わしの結論を云へば、わしは君が、君のいはゆる新しい生活、實のある生活を求めて、今さら田舍へ歸つて來た、百姓の仕事に歸つて來た、といふことにまづ賛成するわけにはいかんのだ。」

彼の調子には、詰問的なと云つていいものがあつた。彼と話す機會は多くはなかつたにしろ、このやうな何か激しい調子でものを云ふ上原を見るのは駿介ははじめてであつた。かういふ内容を彼の口から聞くと云ふことも無論はじめてのことである。

「君の轉換、君の實行といふものは、はつきりした理論とか、思想的立場とかの上に立つたものぢやない。むしろこれからの生活のなかからさういふものを求めて行くんだ。といふか、そこにこそ君の積極面と消極面がある、矛盾があるとわしは思ふ。君一個に關する限り、君は積極的にはちがひない。ぢやが、さういふ君を、廣い社會のなかにおいて見たとき、君は果してさうか? 志村が云つたと同じことをわしもさういふ。志村やわしが云つたとすれば、力も持たぬが、云つた人間を考へず、その中身だけを好う考へて見い。

今の農村へ歸つて來て、一部自作し、一部小作してかつがつ食ふとる、お前の親の家さ歸つて來て、お前は一體何をしようといふんだ? そりや今からでも百姓仕事は覺えることは出來る。飯だけは食へる。難儀はあつても、都會のサラリーマンよりは厭な思ひせずと、食うて行くことは出來よう。ぢやが、それだけがお前の望みぢやなし、かといつてお前の家を昔のさかんな時にまで再興するといふのが目的でもありやせん。お前の眼は内へと同時に外へも向いとる、むしろそれがお前の出發點なんぢやから。その外への動きにおいてお前は一體何が出來る? わしは何もお前を見くびつたり、お前の能力を輕視したり、するんぢやない。お前にいい頭があり、勇氣があり、いい方法があるとしてもお前一人の力ぢや何事も出來やしない。お前は果して協力者を求めることが出來るか? お前はお前が歸つて來て、そのなかに身をおいてゐる農村といふものがどんなものだか知つとるか? 知らんからこそ、それを知るために歸つて來たんだと云ふぢやらうが、それを知つた時は、同時に、さきの日の夢も希望も失つた時でないとは云へんぞ。そりやお前にだつて、若い時にや、村の青年團の幹事、年を老とりや篤農家なみの仕事は出來ようさ。――しかしわしを見んかい、わしを!」

彼は激しく叱るやうに云つた。

「わしは地主ぢや。この地方では先づ中どこの地主といふことになつとる。親から受け繼いで、わしの代になつて失うた土地は、その四分の一がほどだ。わしに代つて今は信託會社が地主で、昔のわしとこの小作の衆は會社を旦那にしとるわけだ。わしは失うたばかりでなく、ふやしたものもある。わしの借金は今、一萬圓の餘だ。その大部分の貸主は勸業銀行と信託會社だ。秋期年賦償還で、年五分五厘から六分の利子だ。何れは今の持地のうちの何んぼかも、會社のものになるんぢやろ。わしはこんなに他人事みたいに云うて、ぢつと手を拱いてその時を待つとる。ぢたばたして見たところであきやせん。われとわが足をぬかるみに踏ん込むばかりぢやから。

わしはどの道かでだらしが無かつたか? わしは怠けものだつたか? 利殖の道にたくみだつたとは戲談にも云へんにしろ、世間普通の地主と變つた地主でもなかつた。多少變つたところがあつたとすれば、昔から、大正の末から近年まで絶え間なかつた地主と小作の間のもめ事の起るずつと以前から、わしは温情主義で、わしところの貢米はほかに較べて少し安かつたといふぐらゐのもんだ。少し、それもほんの少しだ。ぢやが、その少しが、地主仲間のあるものからは、新しがつてせいでもいいことを異を立てるの、ありや縣會へ出る野心からぢやのと、わしの柄でもない本讀みのことまで一緒に持ち出されて、うるさう、惡しざまに云はれたもんだ。さうして、今となつては、上原の左前になつたなあ、そのせゐぢやと云ひくさる。ぢやが、さういふ者等は一體何だ? 連中は、わしと同じ地主だが、同時にまたわしが借りとる信託會社や地方銀行の株主でもあるんだ。そのほかいろんなものと結んどるが、ともかく昔から見て左前にならずにすんどるものは、ただの地主のほかの何かにきまつとる。わしがさういふものになれなんだのを、嗤ふと云ふんなら、話はわかるがな。

わしはまた、お前の祖父さんみたいに、政治騷ぎに金を使ひもせん。……上納金をはじめ土地の諸掛りは、これらはすべてでまづ地主收入の半分を食ふぢやらう。それから子供の教育費だ。女の子は女學校だけですむとして、男の子は專門學校、大學だ。一人あたまいくらかかると思ふ? わしら程度の地主の借金の大半はこの教育費だが、さて卒業してどうなる? 卒業したあとあとまでなほしばらくは土地を食ひ荒すのをむしろ普通とせんならん。それからこれは何も地主には限らんが、少し大けえ病氣でもするものがあつて見い。うちの死んだ婆さんの醫療代は米五十俵分だつた。そのほか冠婚葬祭何につけても、それぞれのしきたりに從ひ、その家の格式に從つて出費がある。町の者らの知らんバカげた出費がある。……米が入るぢやらう。産業組合さ持つて行つた米劵に代へる。ぢやが賣り時が來て、預けた我が米が賣られる迄米劵で持つとることなんどありやせん。米穀統制法による公定價格といふのがある。その最低の二割天引の條件で金に代へてすぐに右から左だ。いざ精算といふ時にはいくらも殘つとりやせん。そこへどかツと大きな物入りがありや、いやでもまた土地に手をつけるといふことになる。土地が狹いけに、幸か不幸か、たとひ引き合はんでもこの地方では土地は賣れるんぢやけに。」

彼は茶を啜つた。そしてまた續けた。彼は胸にたまつてゐることが多いのであつた。しかしそれを吐き出すべき相手に逢ふことが多いとは思へなかつた。さういふ相手として自分が見られてゐることを駿介は感じた。すると駿介は、胸が熱くなつて來た。

「……困つとるのは小作ばかしぢやない。地主かて困つとる。わしなど愚物ぢやから、自分一個の事よりや、少しでも外へ廣く眼が向き、社會の事などを考へるやうになつたのは中年になつてやつとのことだ。それも人の不幸を見てといふよりや、段々尻つぼまりの我が家の經濟に刺㦸されてのこつた。わしはもつとどうにかならぬものかと思つた。村のもの全體が更正出來る道を知りたいと思つた。かう借金がふえて行きよつてはどうもならん。かう作つたものの値が安うてはどうもならん。その人にんその人にんの心がけの善ええ惡いといふことだけぢやない。ほかに原因がありやそれを除きたい、おれのやうなものにも出來ることがありや、何なんなとしたいとかう思つたのだ。

わしが郡會へ出たのを手始めに、縣會に出たり、縣信聯の役員になつたり、村長にもなつたり、身の程も知らんと、いろんな公共團體に關係するやうになつたのは、それ以後のこつた。今から考へて見りや、全く冷汗もんさなあ。なんちや知りやせんのだ。本を讀んで理窟を知つとるわけぢやなし、經驗があるわけぢやなし。ただ、何とかしたいといふ、熱心な眞面目な氣持だけはあり、やつて行くうちに、わからんこともわかつて來ようと思つた。つまり、今の君に似てゐたと云へると思ふ。君はその當時のわしよりや、較べものにならんほど本は多く讀んどる。しかし社會も亦わしらの時代よりは、比較にならんほど複雜にもなつて來とる。君はまだ據り所とする社會理論は持たぬと云ふ。つまりは誠意だけで社會の波のなかに身を投げ、溺れるとも乘り切るとも、人も我も知らんといふわけだ。……わしもやつて見たさ。一生懸命やつて見た。まる十八年間やつて見た。分らんことも追々には分つても來たさ。ぢやが、分ればわかるほど、それに從つて分らん事も亦多くなつて行くといふふうな分り方なのだ。これはつまり、分つたことを實現して行く能力が無い、そのためにその間の大きな開きの自覺がそのやうに思はせたのだらうがね。

郡會や縣會に出て、地方政治に關係した時には、わしは政友會にも憲政會にも所屬してはゐなかつた。自分でじつくり考へて、考へたことを踏み行ふ過程とその結果の上で、一つづつ新しく學んで行かうとした。かうして身につけて行つたものに嘘はない筈ぢやからして。わしに據り所が無かつたとは云へん。わしはいはば社會の健全な常識に頼つてゐた。健全な常識の終局の勝利を信じてゐた。政治が、黨派と黨派との爭ひだといふことぐらゐ、何ぼわしかて知らんかつたわけではないが、わしは何ものにも掣肘されたくなかつたし、それに社會の大多數の常識の上に立つてゐる自分は、たとへ一人でも事を行へぬ筈はないと考へてゐた。健全な常識は社會正義を覆ひはしなからう。社會正義は健全な常識を越えた向うにこそ求められることもあらう。ぢやが、常識は固定したものぢやなし、それが高まつて行くといふことは、社會正義にそれだけ合致して行くと云ふことだらう。まづ、今日の常識に立脚したところで不都合はなからう。では社會正義とは何か? それを突きつめて考へることはわしは避けてゐた。それを考へ、そこから今の常識へ戻つて來ると云ふのではなかつた。そのへんのところがわしの拔けてゐた點だらう。さういふわしの健全なる常識は、實際の政治の世界では一體どんな眼に會はねばならなかつたか? 手近かなところでさつき米劵のことを云つたな。産業組合へ米を預けて適當の時に賣つてもらふ。小作には預ける米なんぞ無い。一俵二俵と引つ擔いで賣りに行くんぢやが、少し多く作つとる自作から地主までは大方預ける。賣る潮時は縣の組合から村の組合へ云つてよこす。ぢやが、一度に賣れるこつちやない。ところで値がまだ餘りせんうちに、もつと高くなること必定と云ふ時に賣るのはきまつて、わづかしか預けとらん小者の米だ。大きな地主の分は一番いい値の時に賣り出す。これは誰が考へても不公平と云ふものぢやないか? まさしくこれとは反對にこそ賣られねばならんぢやないか? だからわしはそれについて喧しく云つた。しかし疑はれ、嗤はれたのはわしの『常識』なんだ。上原は地主だ。それもまづ中どこの地主だ。自分が損をしてゐるのでもないことに、なにもさうムキにならんかていいぢやないか、おかしな奴ぢや、とまアさういふわけだ。一々擧げりや、きりながい。一事が萬事だ。わしは先づこの引つくり返つとる彼等の常識と戰はねばならなくなつた。

長い間わしは孤獨で、無力な戰ひを續けて行つた。しだいにわしは周圍を見まはしはじめた。協力者を求めはじめたのだ。しかしさういふ者は見當らなかつた。あるひは協力者たり得たかも知れなかつた者も、ある事情から、その頃は急速度にわしに背を向けて離れて行つた。ある事情、それは、のちに無産黨の地盤になつた勢力が漸く擡頭しつつあつたことだ。

わしは新勢力の味方ではなかつた。わしの常識は、既成政黨による地主群を批判したやうに、新勢力をも批判した。しかし新勢力に對立してひどく硬化して行つたやうな者とわしとの間に、おのづからな相違があつたことは云ふまでもない。わしはこの二つの力の間にはさまつてしまつた。どつちからもよくは云はれなかつた。わしの常識は結局一つの政治的力にはならなかつた。議員に出てゐるわしの背後には勿論選擧民がある。だが、彼等は、わしには、すべての選擧民中のもつとも無氣力なもののやうに見えてならなかつた。

遂にわしの引退の時が來たが、それの動機は、地主と小作との間の、ある大きな紛議だつた。わしは調停者として間に立つて奔走した。おれが責任を持つから任せろといふことを、双方の代表に向つて云つたのだ。しかし苦勞して作つたわしの解決案は、結局、當事者を喜ばせることは出來なかつた。解決案は蹴られる。調停を任したばつかりに、勝利の時を逸したと云つては責められる。實に散々だつた。調停と云ふ以上、わしが心を碎いたのは、双方が立つ道を、共存共榮の道を、見出さうとすることのほかにはなかつた。わしは双方に讓り合ふことを求めたのだ。そして破れた。だが考へて見ればわしはそもそもの最初から、常に調停者であつたのではないか? 調停者はわしの本質であつたのではないか?

それを限りにわしは一切の公けの仕事から手を引いてしまつた。

村々はこれからどうなつて行くものかね。わしにはどうもわからん。わしはただ默つてかうして坐つて、見てゐるばかりだ。わしも年々逼塞して行く。しかしわしらは困るなんぞと云つても、小作とはまだたちがちがふ。子供を大學へ入れ、娘の嫁入りには千兩かけ、病氣すりや病院さ入れて、さうして困ると云つとるんぢやからな。しかしさうでない、ほんたうの困り方といふものも、年と共に、段々に來るやうに思ふ。學校へやつたわしの子供等は、みな揃つてやくざだし、土地も無のうなつて行く。だがそれが何ぢやい。土地持たずの、借金持ちの困りやうが來たところで、そりや、村の普通の者らとなみになつたといふにすぎんぢやないか。まア、なるやうになれと、そんなふうに思つて見てゐるのさね。」

駿介は、ほかとはちがつてゐる、地主としての上原を思つて見た。それは噂に聞き知つてゐるところである。彼の土地の小作料は、近在に較べやうもない安さであつた。その上、違作引きや、土地や灌漑についての修理費など、耕作者が要求して可きかれないといふことはなかつた。みんな、はじめは圖に乘つて要求したが、しまひには氣味わるがり出したほどであつた。小金を工面した小作人がゐて、耕してゐる土地をわがものとしたい願ひを持つたとき、上原は二つ返事で土地を手放した。たとへやうもない安い價格で。彼は何か投げ棄ててかかつてゐるやうに見えるのであつた。

上原が近年民俗や土俗の學に身を入れてゐるといふことも、駿介には新しい關心で考へさされた。それは逃避ではあらう。しかし政治と社會生活の表面から身を引いた田舍の地主が、暇をつぶすためにならほかに多くのものがあるだらう。知識欲を滿足させたい要求が、かなりに高度だとしても、ほかのものでもいいわけだらう。

彼の選擇は偶然ではなく、五十を越えた彼がさういふ學問に身を入れはじめたといふことのなかには、何かかなしいものがあるやうに思へた。地方の民衆生活に對する深い愛から出てゐるもののやうに思はれた。彼はさういふ自分の愛を、廣く民衆の現在の生活のなかに注ぎ込まうとした。それが失敗に終つたとき、彼の眼は過去に向つた。過ぎ去つた時代に生れて、今に傳はつてゐる、民間の風俗、習慣、言語、傳説、信仰等を一つ一つ調べて見ることのなかに、せめてもの心やりを求めた。民間の風俗や習慣や傳説のうしろに、どんなにその當時の物質上の關係が探られたところで、それが現在の何人なんびとの利害の意識をも刺戟しないばつかりに、昔彼を責めた人々も、風變りな地主だとして彼を見逃すし、彼も亦氣安くてゐることが出來るのだ。彼はいよいよ、地主といふ自分の存在をいとひはじめて來たのかも知れない。彼はまたこのぶんで進んで、いつかは故郷を喪失する自分を今から見てゐるのかも知れない。彼のそのやうな學問への身の入れ方のなかには、やがて失はるべき郷土への愛が噎むせんでゐるのかも知れない。

「君はわしぢやない。しかしまたわしにならぬとも限るまい。失敬だが、わしからどれほど拔けて出れるかも、これは分らんとせにやなるまい。わしの時よか、むづかしくともやさしくはこれからなりやせんからな。内と外との調和を求めて、一心にやつて見て、さて一度破れてしまふと、それからはケロツとして、我が身の利益ばかり追つかけ𢌞すやうになるんならこれはまた別だ。さういふものはある。一切を若さからの夢であつたとしてだな。さうなり切ることが出來さへすりや、そりやある意味ではむしろ幸福だらう。が、なかなかさうはなれん。そこでさきの道へ向つて再び氣力を呼び醒さうと思つても、一度蹉跌したあとといふものは、どうもこの身うちの精髓をどこかに吸ひとられた感じで、だめなものだ。かうして失つたものはどうも二度とは取り返せんものらしい。その結果はわしとか志村とかいふものになる。」

「ぢやあ、一體どうしたらいいとをぢさんはおつしやるんです? それぢや僕が取らうとしてゐる形式なんかは第二の問題で、そもそも僕らがさういふ要求を持つに到つた、それでもつて心を燃したといふことが、惡い、もしくは不幸だといふことになるぢやありませんか? 不幸かどうかは知りません。それはどうでもいいことです。持たずにすまし得ればともかく、持つてしまつた以上は仕方のないことです。その要求を貫かうとするために、いろんな形式があるでせう。そのどれを取るにしろ、蹉跌と成就とはあるでせう。このやうな時代に、一度蹉跌したらあるひはそれつきりであらうといふこともわかります。……しかしさうであつても構はないのです。自分の行動が自分に生じた結果に對しては、自分が責任を負ふだけのことです。僕はさつき、志村君についてあのやうに云ひましたが、一方には、たとひ今後志村君が蛻けの殼のやうになつて生きて行くとしても、それはそれとして默つて見送らねばならぬとする氣持も、僕にはあるのです。」

上原は答へなかつた。自分の言葉が若ものを納得させる力を持たぬことを彼自身よく知つてゐた。説得が力なく曖昧なのは、説得の内容に自信が持てぬからであつた。多くの言葉を費しても、つまるところはただかう云ひたいのだつた。

「よけいな心を起すな。脇見をするな。まつすぐ、今迄の道を、俗世間一般の道を行け。」彼はそれを露骨には云はなかつた。云へなかつた。彼自身さういふ道を憎んでゐたからである。彼は世間から離れて住む自分の現在を苦とはしてゐなかつた。さういふ現在をもたらした過去を悔いてはゐなかつた。しかも、彼の後から來る青年に向つては、ならうことならやはり危なげのない世間の道を行くことをすすめたい。

「……お前をはじめて岡島の家に世話した時には、わしはお前の將來については、さう大して深く考へてゐたわけではなかつた。成績のいい、學問好きな子を、このまま草深い田舍に、埋もれさせるのは可哀さうだし、惜しい。何とかして學問の道を開いてやりたい、とそれだけの氣持だつた。わしが若い時お前の祖父さんに非常に世話になつたといふことは、無論さういふわしの氣持を進めた。しかしお前がやがて青年期にはいるに及んで、わしはお前の將來には無關心ではゐられなくなつた、騷がしい時代の空氣が、わしの周圍の若い者をまで引つ攫つて行く事實を幾つか見るやうになつたからだ。志村の父親とわしとは、往き來のある間柄だ、忰の哲造がぐれ出し、學校も途中で投げてしまつて、おかしな女と一緒に暮してゐるとはじめて知つた時には、わしは一時に疲れが來て、年を老とつたやうな氣がした。哲造は子供等のなかでは一番出來が良かつただけになあ。わしはお前のことを思はないわけにはいかなくなつた。わしはお前が、志村や哲造などからは唾棄されるやうな、世間人の道を、あるひは俗物の道を、歩むことを敢て望んだ。物質的援助を與へてくれる者の機嫌はこれを損じないやうにと努め、學校では成績順を氣にし、一切を就職に向つて備へ、就職してからは、月給と地位の向上が生きてゐることの目的となる。君は堪へがたい侮辱を感ずるだらうが、わしは君にさういふ人間を敢てのぞんだのだ。

今が今まで、今日の君との話においてさへさういふ君をのぞむわしの氣持がものを云つてゐた。それが君の家にとつても仕合せだし、わしが君を東京へ送り出した責任もそれで果されるかに考へたんだ。わしにはそんなところがある……しかし、君は幸にもわしの望む通りにはならなかつた。わしは今云つたやうに望み、口に出しても云ひながら、腹の一方では、さういふわしに激しく反撥するやうな君を期待し、願つてもゐたんだ。君がわしの云ふ通りの人間になつて行つたら、わしは上べでは喜びながら、腹では輕蔑してゐただらう。しかし君は反撥した。岡島にも平山にもわしにも、君の十年の過去にもすべて反撥した。君は眞實を愛する心を持つてゐる。自分の心にきざした疑ひをいいかげんにしてすますことの出來ぬ性質だ。自分をいつはることの出來ぬ人間だ。この機會にさういふ君を發見したことがわしには何よりも嬉しいんだ。血だな。やつぱり血だ。さういふのは杉野の家が代々受け繼いでゐるものだ。祖父さんの伊與造、親父の駒平、みんなその點では頑固なんだ……」

上原は次第に興奮し、その顏には若々しい血さへのぼつた。駿介はびつくりして老人を見つめてゐた。

「血と云へば、しかし、あの哲造の奴はどういふものだらう?」

それを云つた時、老人の顏にはにはかに苦しさうな、頼りを失つたものの弱々しさがうかんだ。輝いてさへ見えた顏からそれへの突然の變化は駿介をもう一度驚かした。幾度か避けて來た息子の名を、もはや避けようとはせぬのである。

「君達はいい。君にしても志村にしてもともかく何等かの確信を得ようとして努めてゐる。自分の身體をかけて實驗して見るだけの氣力を持つてゐる。今の志村はいかにもあの通りだ。しかしあれはおそらくは君等のうちの誰よりも激しく心を燃え立たせ、激しく實行した。その反動として今はああなんだ。……ところが、わしとこの哲造奴はどうだ! 奴ははじめつから今みたいなふうなんだ。何をやつて見る元氣も、興味も、生れた時から持たぬやうな顏をしくさつてゐる……やつて見ないで何もかも小馬鹿にしくさつてゐる。まるで氣拔けだ!……青年らしい、ぢつとしては居られぬ、何かをやつて見ずには居られぬ、はずむやうな氣持なんぞはまるで一度も知らんと云つたふうだ。無論馬鹿ぢやない、物の理解はよう出來とる方だ。何といふけつたいな奴が出來たもんだらう。あれもやつぱりわしの血だといふのか。……あれらはつまりあんまり多く見たり聞いたりして、物事に素直に驚いたり感心したりすることがなくなつて了つたんだな。」

駿介は哲造について深く突つ込んで訊く氣はなかつた。彼等はしばらく默つてゐた。

やがて老人は聲を落して云つた。

「ああいふ奴等は飯を食ふためにほんたうに苦しんで見ることが必要なんだらう。しかし遲かれ早かれその時は來るさ。宿り木は宿つてゐる木が枯れりや自分も枯れるんだ。その時になつてもなほ枯れたくなけりや、いやでも自分から動き出してほかに根を下ろさにやなるまいよ。」

老人は興奮からふるへてゐるやうにさへ見えた。大きく見開いた眼は涙でうるんでゐるやうであつた。駿介は物を云はうとして云へぬ、その心をこめた眼差で老人を見た。すると駿介の心には、この老人に對する、何ともいへぬ親しみ、いぢらしいやうな感じ、敬愛と感謝の念などのごつちやになつたものが一時に湧いて來た。瘠せて細つそりした膝の上の兩手や、鬢の毛が眞白で額には太い苦勞の皺を、眼尻には柔和ないつも笑つてゐるやうな皺を、刻んだ老人の小さな顏を、自分の兩手のなかに包んでしまひたいやうな衝動を感じた。

七

駿介の上に多忙な日々が流れた。彼は今は遲疑することなく新しい生活のなかにつき進んで行つた。ぎごちない身を人々のなかにおいて、時に左顧右眄することはあつても、たじろぐ氣持はなかつた。今の彼は嘗てない謙虚な氣持にゐた。敬虔なと云つてもいいかも知れなかつた。彼は何を措いても先づ農事の一通りを覺え込まなければならなかつた。あらゆる希望に滿ちた夢想の實現もそれからのことである。それには先づ過去の自分を棄て去ることが必要だ。この十年間の都會生活の間に我が身につけたものを次々にかなぐり棄てて行く、どこへ出て誰に見られても、誰も自分にはそんな過去を嗅ぎつけることが出來ないほどになる。外見ばかりではなく、ものの感じ方や好みまでも農民のものになり切る。都會的なものは、何も悉くが農民的なものと反撥し合ふとは限らず、排すべきものとは限らぬとしても、我が身も完全に耕作する農民に同化するためには、一應は全部的に否定してかかることが必要だとさへ思はれたのだつた。都會的なものと農民的なものと、この兩者をこのやうに對立的に考へねばならぬところに、現代の大きな不幸の根を感じながらも。

上原を訪ねて、自分の考へを率直に語つた時に、それまで殘つてゐた曖昧さと躊躇は消えたのであつた。人に語ることで、自分にもはじめて納得が行き、確信が持てたところもあるのであつた。

上原から歸つて來た日の夜、彼は同じことについて父とも話した。

「上原んとこでの話はどうだつた?」と、夜寢る前に彼がくつろいだ時に、駒平が遠慮がちに訊いた。母や妹たちもその場に居合せた。

「ええ、をぢさんとは今日久しぶりでいろいろ話しました。」

話の内容は傳へにくかつた。必ずしも今日の話合ひの模樣といふことではなしに、かねてから適當な折を見て云はねばならなかつたことについて駿介は語つた。彼の決定を告げた。學校はやめたい、そして家にゐて百姓をやりたい、と云つた。

「――今になつて、自分の進路を變へようと云ふのは、負けた、意氣地のないことのやうにも見えるでせうが、私としてはそれはどうでもいいことなのです。自分が感じたことや疑問に思つたことを、突きつめずに、わきへそらして、有耶無耶のうちに過してしまふといふことはしたくありませんから。」

駿介は父との間に、上原との場合よりももつと大きな年齡と時代との開きを感じてゐた。それは父が上原よりもその生活に社會的な廣がりがないと云ふことからであつた。だから話しづらかつた。よほど注意しても、父には耳慣れぬ言葉を使ふといふことも避けられなかつた。細かな心の經過などは云ひ現すことがほとんど不可能な氣がした。しかしそれを無理に言葉で傳へることを別に必要とはしないといふ氣が一方にはまた強かつた。彼は父に、上原よりももつと大きな時代の差を感じながらも、しかも父は上原よりももつと端的に自分を理解するにちがひないといふことを直感した。自分の同時代人よりももつとよく自分の氣持がわかるにちがひない、語ることを傳へなくても、と、さういふ氣がした。

駒平は默つて聽いてゐた。しばらく經つてから、

「何か、かういふことではないんぢやらうね。……年老つて働いてゐる親に氣の毒だとか何とか……」

「さういふことではありません。」

「うん。」

彼はうなづいて、それからぽつりぽつりと語つた。

「わしは何も云やあせん。お前のことについては、お前の好きなやうにしたがええ。お前がはじめて東京さ出たときから、ずツとこのかた、わしはお前のことについては何も云はんことにしてゐる。もつとも云はうとしたところで、學校さ行つとるお前に何か云つたり、相談相手になつたりする力はわしには無いが。人間ちうもなア、その人にんその人にんに具はつた器量があつて、わきからどうせついて見たところで、その器量以上に拔けて出られるもんぢやない。また本人の心がけさへ過たず、肝腎のところでぐつと締つて居さへすりや、何をやつたかて大差はない。その身に備つた器量だけのものはあらはれるもんぢや。お前が學校を出て會社員や役人にならうと、家さ歸つて來て百姓をやらうと、えらい違ひはありやせん。お前がはじめて東京の學校さ行くといふことになつたとき、喜ぶでもなし悲しむでもなし、わしが餘りそつけないと云ふんで、上原なども驚いたとあとで聞いたが、行く時もさうなら、やめて歸つて來た時とてわしは別に變りやせん。……しかし、正直なところ、わしも一頃は、お前が大學校を出て、世間でいふエラ者になつてくれりやと思はんでもなかつた。おつ母さんなんぞがしきりに云ふもんで、しかしおつ母さんよりはお祖父さんぢや。うちのお祖父さんは廣く世間の役に立つた人ぢや。わしはこんなふうぢやが。しかし、そんなことはどうでもいいこつた。好きなら百姓したがええ。それもよからうて。お前らの年になつてはじめて、それも學校さ行つてたものが、泥田のなかを這ひまはるなア、ずゐぶん難儀なこつたがやれんこつちやない。つらいがたのしみなこともあるわ。うちの暮しはこの三月の間にお前が毎日見て來て知つての通りぢや。わが持地は宅地畑地雜地合せて四段、田圃が四段、ほかに小作の田が三段餘りぢや。このへんの百姓としちや、いい方と云はんけりやならん。……さうなりや、この十年は無駄な道草かと云ふにさうはならん。道草ぢやつたかも知れんが、無駄にやならん。一體、さういふ無駄といふもんはないもんぢや。見たり聞いたり、何かしたこたア、そりやこれからのちどつかで生きて働く。まるつきり方面ちがひでも、そりやそれだけのことはある。ようしたもんぢや。案じるこたアいらん。」

駿介は、それに對して何か云はねばならぬと思つた。しかしその時は何も云へなかつた。母や妹達も、二人の話の間ぢゆう、非常につつましい樣子で、一言も口をはさまなかつた。ひつそりとした、だが心のぬくくなるやうな部屋うちの空氣だつた。

明け放した縁から光を慕つて飛んで來る蟲の大きさが、人をおどろかす頃になつてゐた。明りをめぐる蟲の羽音が夜の更けを感じさせた。駒平は立ち上つた。

季節は農家にとつて、一年中にもつとも大切な時に向つてゐた。田へはもうそろそろ水を引かなければならなかつた。ひたすらに雨が待たれた。西南の海上に起る風は、この季節には特に氣をつけなければならなかつた。葉煙草が適熟期をすぐ眼の前に控へてゐるからである。

六月にはいつたある日、小ざつぱりした服裝なりで、鼻下に髭などある四十恰好の男が、二人の洋服男を連れて訪ねて來た。駒平は、かねて心待ちにしてゐたらしく彼等を迎へた。駿介は、初對面の挨拶を交す前に、彼がこの村の煙草耕作者組合長の松川で、洋服の男は、專賣局の局員であることに氣づいてゐた。彼等は葉煙草の檢査に來たのである。

「今日は、お暑いなかを、遠路どうも御苦勞さまでございます。」

駒平は鄭重な挨拶を述べた。縁側に腰うちかけて三人はしばらく休んだ。じゆんが茶盆に、赤や白の砂糖をかぶせたビスケツトを盛つた菓子皿を持つて出た。茶は啜つたが、菓子には誰も手を觸れなかつた。專賣局員は鞄のなかの書類にざつと眼を通しながら、やたらに扇子を忙しさうに動かした。駒平が何か云つても、ほとんど口をきかなかつた。わざとさうしてゐるやうに見られなくはなかつた。

駒平は、一行を山の煙草畑に案内した。駿介もその後に續いた。

「どうも毎日よく照りますことで。」

先に立つて駒平は云ひながら、幾つにも折り疊んだ手拭ひで、禿げた頭から顏へかけて何べんもこするやうにして拭いた。拭くあとからすぐにふつふつと玉の汗が浮いて出るのが駿介にも見えた。よく禿げた駒平の圓い頭には、産毛のやうにぽやぽやした感じの毛が少しばかり生えて、その毛も赤く燒けてゐるやうに見えた。山の畑に通ふ、ゆるやかな細い坂道には、白い土埃りが厚くたまつて、歩く度ごとにバタツバタツと女の護謨裏の草履でも引きずる樣な厚ぼつたい音をたてた。埃は靴やズボンを汚した。人々の氣を損ずまいとして、しきりに細かに心を配つてゐるやうな、用もない時にも笑ひ顏を見せるやうな老父を見て、駿介は何とはなしにみじめな、かなしい感じを持つた。そのやうな駒平を見たことはなかつたからである。

專賣局員は、煙草畑の一角に立つて、ずーつと見まはした。

「これが第一號地だね?」と、指さした。

「はい。」と、駒平は答へた。

「畝歩は?」

「はア、一畝歩で。」

檢査員は卷尺で、畝幅を測つた。それだけで植附本數はもうわかるのだが、彼はその上に一々たんねんに本數を數へて行つた。同樣のことを各筆毎にやつた。さうして最後に第八號地に來た。

「これは豫備だね?」

「はい左樣で。」

本數が數へられた。それは五十本であつた。

調べに當つてゐた若い方の檢査員は、そこで、少し離れたところに立つてゐるもう一人の所へ行つた。調べは、もうこれですんだのであらう。見てゐる駿介も何とはなしにほつとした。

二人の檢査員はしばらく何か話してゐた。離れてゐるし、ひそひそ聲だからこつちまでは聞えない。

やがて若い方が駒平のところへ戻つて來た。そして云つた。

「二十本拔き棄てるやうに。八號地から。」

低いが、命令的な口調であつた。

「はア?」

解げし兼ねるやうに、駒平は檢査員の顏を仰いだ。

「拔き棄てるんだ、二十本。」

依然、聲にも顏にも表情がなかつた。眼は、駒平の方は見ず、顎ですぐ足もとの八號地をしやくつた。

「さうなりますと豫備は……」

「豫備は三十本だ。」

「豫備は五十本までは許されとつた筈でございますが。」

と、駒平はやはらかに抗議した。

「いや、三十本だ。」

「いいえ……三十本から五十本まではいいと、役所の方からのお許しで、わしらも今迄、毎年ずうつと五十本までは作らしていただいて來たのぢやが……」

駒平は、おとなしい出方ながら、必死な氣持で抗議しながら、ちらと、少し離れたわきを見やつた。そこには松川が立つてゐる。駒平は助力を求めたのである。松川はしかし見ぬふりで、もつそり突つ立つてゐる。

「三十本から五十本といふ規則にはそりやなつてゐる。しかし實際は最低本數の三十本といふのが、普通どこでも一般のことなんだ。五十本といふのは、五十本まで許すことも出來る、といふだけのことで、これは何か特別の場合のためにさうしてある。つまり例外なんだ。いいか、わかつたか。」

輕くあしらふやうに云ふ方がまだ三十にもならぬ若い男で、云はれてゐる方がその親ほどにも見えるといふことが、この場合の兩者の對照を非常に際立つたものにしてゐた。

駒平は默つて立つて、對つゐの葉が美しく伸びひろがつて、赭土の傾斜を覆うてゐる眼の前の煙草畑をぢつと眺めてゐた。

「わかつたら拔かにやいかんよ。早く。」と、檢査員はうながした。

「煙草を作つてもう何年にもなる。今まで毎年これで通して來たんぢやが……」と、つぶやくやうに云つて、諦め切れぬ氣持の駒平はもう一度檢査員の方へ向きなほつた。折り疊んだ手拭ひを持つた手を、低く膝のあたりまで下げて作つた笑ひをしながら、

「どうかまア一つ、旦那。折角丹誠してこれだけにしたもんぢやけに、今度だけはまア大目に見てつかあせえな。おたの申します。」

「だめだと云つたらだめなんだ。拔けといつたら拔いたらいいんだ。」

くどい、と云はないばかりに云つて、やうやく苛立つて來たふうで、靴先で地面をコツコツ蹴りながら、

「何だ、二十本ぐらゐ。」と、吐き出すやうに云つた。

うつむいてゐた駒平は、それを聞くと、急に顏を上げて、今までに似も似つかぬ鋭さで、下から相手をじろつと見た。傍觀者の地位にあつて、切迫した感情に襲はれながら、何か起りさうなハラハラした氣持で見てゐた駿介は、思はずどきつとした。

しかし駒平はすぐに以前の姿にかへつた。默つて畑の方へ下りて行つた。彼は諦めたのである。

端の方から拔いて行つた。手傳ふまでもない仕事だが、ただ見てゐることは出來なくて、駿介は父の傍へ行つた。親子は默つて次々に葉煙草の木を引つこ拔いた。二十本の葉煙草を拔き去るのに長い時間はかからなかつた。畑の一隅に寄せあつめて來て、何か云ひたげに、駒平は檢査員の方を見やつた。檢査員は近寄つて來て、拔き去つたものの本數を調べた。

「燒き棄てるんだ、すぐ。」と、彼は云つた。

そのやうなことにならうとはゆめおもつてはゐなかつたから、竹籠などは持つて來てはゐない。二人は兩手で、胸のところへ抱きかかへて、運ばなければならなかつた。煙草畑のとなりはいはゆる雜地になつてゐる。雜地といふのは、山の、雜木が生えたままで開墾せられぬところを土地臺帳面でさう呼んでゐるのである。その雜地の、木が伐り倒されてやや廣い空地になつてゐるところへ、葉煙草を運んで行つて積み上げた。

どうする? とでも問ひたげに、駿介は駒平を見た。

「落葉と柴を集めにや。」と、駒平はぶつつけるやうに云つた。

二人は雜木林のなかから落葉と柴とを集めて來た。日照りが續くので落葉はよく乾いてゐる。かなりの嵩に積んでから、

「駿、おめえマツチを持つてゐたつけか?」

ふところへ手を突つ込んで見て、駒平が云つた。駿介は折よく持つてゐて、駒平に渡した。

駒平はマツチを擦つた。落葉は燃えはじめた。はじめ白い煙りだけを上げてゐたのが、隙間に風が入ると、パツと赤い焔になつて、すぐに柴に燃え移つた。パチパチと小氣味のいい音を立てて火花を散らした。火勢はだんだん強くなつて行つた。傍に立つてゐるとカツカと顏がほてつて目眩めくやうであつた。

駒平は葉煙草をつかんで、その焔の上に投げてやつた。火勢は一時、急に弱まつた。葉煙草の葉は焦げてちりちりと縮まり、ぶすぶす燻ぶりはじめた。

よく晴れた初夏のまひるの空に、ゆらゆらと白い青い煙りはあがり、葉煙草は燃えて行つた。生の葉は燃えがわるく、いつまでも燻ぶる程度を餘り出なかつたが、落葉と柴との火勢に助けられて燃えた。落葉と柴とは時々足して行つた。

二人の檢査員は、やや離れたところに立つてこの焚火を見てゐた。

燃えるに從つてあたりは強烈なたばこのにほひで一ぱいになつた。たばこを吸わぬ駿介は、そのにほひに噎むせ、なかば醉つたやうに、頭はくらくらした。煙りは眼にも鼻にもしみた。駒平も大きなくしやみをした。照りつける日と燃える火とで汗がじとじとに滲み出て來た。するとその時になつてはじめて、顏から手から胸のあたりまで、ニコチンでべとべとしてゐることに氣づいた。

葉煙草は少しづつ火にくべられた。最後の二三本が投げ込まれた。それも眞黒になつた頃、駒平は木の枝を取つて、火中を突つき、かきまはしなどした。煙りと焔とは絶えず上つた。火の粉も時々飛んだ。白い灰となつて飛び、頭や肩にふりかかつて來るものもあつた。

しかし火勢は次第に衰へて行つた。煙りと匂ひとだけがいつまでも濃かつた。駒平と駿介とは汗と一緒に涙も流してゐた。眼がしくしくして拭いても拭いても出た。汗と涙とを拭く手拭ひもニコチンでべとついてゐて、臭かつた。

遂に眞黒な燃え殘りだけが餘り大きくはない嵩となつて殘つた。完全な灰とはなり切らぬものも、もはや全く原形をとどめなかつた。

二人の檢査員はこの最後を見屆けるまで立ち續けてゐた。見屆けてから二人は去つた。松川も去つた。

「糞ぼつこが!」

止み難い忿懣を、駒平はただその一言に籠めて、彼等の後ろから、低くしかし強く投げつけただけであつた。

家へ歸つた駿介は、煙草耕作者組合から買はされた木札に必要事項の書き入れにかかつた。書き入れ項目の欄は、木札の表面に、燒印で捺されてゐる。そこに今日檢査員立會の上で調べた事項を書き込むのである。各筆毎に番號を入れ、畝歩を記入し、本數を書き込み、最後に耕作者の姓名を記す。全部の木札に書き終つたら、これを一本づつ細竹につけて、番號順にそれぞれの畑地に立てる。

書きながら駿介の心は熱く燃えてゐた。それは彼が今までに嘗て感じたことのない種類の感情だつた。今しがたの煙草耕作地での出來事は彼の眼にも心にも灼きついてゐた。自分の老いた父に關してゐたからか、自分の一家の利害に多少とも直接關することであつたからか。さうではあらう。しかしさうとばかりは云へないと思つた。他人の同樣な場合に立ち會つてもなほ同じやうな感情は持つに違ひないと思つた。彼は、彼も亦見聞きしていくらかは知つてゐる、葉煙草耕作についての百姓の勞苦を思ひうかべた。

それは苗床の底に敷きつめる落葉のかき集め、本畑に入れる數百貫もの堆肥の準備といふやうな仕事に始まる。それらは前年のうちにすまされねばならぬ。春、苗が六七葉を生じたところで苗床から本畑へ移植してからは、無事に根附くまで、どのやうな心勞であらうか。殊に水に不自由なこの地方にあつてはひとしほ苦勞が多い。根附いたと思ふと今度は、夜の眼も寢ずに風を警戒しなければならぬ。やがて適熟期が來る。その間も全身をニコチンだらけにして絶えず不要な芽を摘まねばならぬ。いよいよ葉をかいて乾燥する運びになるが、乾燥室建築の費用の捻出に惱まぬものはない。乾燥室は共同出資で建てることによつて、負擔を輕くするやうにしてゐるが、自分で一室建て増さねばならぬやうな時には、費用は少くとも百五十圓はかかり、それは年六分ぐらゐの利子で無理して借り入れられ、あとあとまでも長く尾を引く。乾燥には一ヶ月の餘もかかる。しかも季節は丁度眞夏で、罐の火を焚いて、温度の調節をはかりながらの仕事である。

それら一切の經過が駿介の腦裏に浮んだ。水を入れたタンクを背負つて傾斜した畑道を行く、押しひしがれたやうな駒平の姿が特になまなましかつた。さつき畑でニコチンによごれた手は、ざつと洗つて來た今もなほ、筆の軸ににちやつくほどであつた。それは彼の想像の世界を實感にまで深め、強めた。自分自らもう何度も煙草栽培の實際に當つて來たもののやうな感じがするのであつた。

三十本から五十本まで許されてゐる豫備を、必ず最低の三十本にしなければならぬといふことは、駿介にはどうしても飮み込めなかつた。毎年の例に違ふとすればいよいよのことである。しかし駿介は實際のところ、煙草專賣局の規則とその實際の仕事については何も知らないのだ。それを知つたならば、或は成程と納得されることがあるのかも知れぬが、さうならそれは知識の無いものにも納得の行くやう、説明されねばならぬ。何れにしても、規則か人か、その何れかに缺陷がある。

しかし駿介にとつてそのことはそれほどのことではなかつた。といふよりは、ほかのもう一つの事があつて、駿介の心をより強く打つたのである。彼は生産に無關係な、もしくは直接生産の過程に與らない人間が、生産する人間の勞働をどのやうに取り扱ひ得るものであるかといふことをはじめて自分の眼で見たのであつた。多くの人々によつて輕く見過されるやうな事實も、今の駿介のやはらかな心には、消し難い印象をとどめたのである。

八

待ち望んでゐる雨は容易に降らなかつた。六月にはいつても雨らしい雨はほとんどなかつた。百姓たちはやうやく不安を感じ、動搖しはじめた。

自然的原因の上にさらに人爲的原因があつて加はつてゐた。それは昨年、縣當局が、匡救事業の一部として、水田灌漑のための池の改修工事を補助金を出して奬勵した。ところがこの改修工事の申請に對する縣の許可が、縣自らが奬勵してゐる事業であるにもかかはらず、意外に手間どり、それが下りたのは十一月に入つてからであつた。工事に着手した時、池には水がもう三分ほどあつたのを、やむなく棄ててしまつた。その時の村民の考へでは、田植頃までにはむろん水は充分に溜ることと思つてゐたのである。四、五、六と三ヶ月間の日照りにその豫想ははづれた。今、田植時になつても池には五分の水しか溜つてゐなかつた。この五分の水をもつてその池掛りの水田全部を賄はねばならぬ。間に合ふかどうか。

地主もうろたへたが、小作人の心配はさらに大きかつた。全部の需要を滿すに足りぬ水の分配が、おのづから重大な問題にならないわけにはいかない。地主は池掛りの水利總代を「山の神さん」と村で呼んでゐる神社に集めた。水利總代は、地主と、自作兼小作をも有資格者としてそのなかに含めた自作とから選擧され、所有地の水利について議決するのである。駿介の家は總代にはなつてはゐなかつた。

その夜の總代會の決定は、その夜遲く人々の耳にはいつた。駒平のところへは、部落の告げ番が𢌞つて來るよりも一足早く、隣家の平藏が知らせに來た。

「どないにきまつた?」と、待ちかねてゐた駒平は顏を見るなり訊いた。

「まづ、池掛り總面積の五分だけ水を引く、それがすんだら、なほ樣子でもつて殘り三分の植附けをする、とまアかうぢや。」

「ふうむ。」と、駒平は考へ込んだが、彼としても別に何かよりいい考へが思ひうかぶわけもないのだ。

「だとすると、八分どほり水が引けたとして、あとの二分といふのはどこが殘るんです? そりややつぱり水下の方ですか。」と、駿介もその場に居合せて、訊ねた。

「さうぢやよ。あんさん。」

「だとすると不公平になるわけですね。田が水下にあるといふだけで植附けが出來ないといふことになりや……水下の方の人は騷ぎ出すでせう?」

「そりやさうやけど、どうにも仕方がないこつちや。そりや、植附けだけをすまさうと云ふんぢやつたら、今あるだけの水で全部の田植だけはどうにかかうにか出來でける。ぢやが植附けだけしたところで、すぐに枯らしつちまふんぢや何にもならんけに、二分の水だけは殘しておくんぢや。」

「ぢやあ、最後に殘された田圃は結局どうなるんです? そりやお天道てんたうさん任せよりほかに仕樣がないんですか?」

「さうぢや。お天道さん任せよりほかに仕樣がないんぢや。それまでに雨が降りやよし、降らにや、それまでのこつちや。」

ほんたうにそれはそれ以外には仕方のないことなのであらうか?

駿介は惑ひを感じた。彼にはもとより解決のための何等の考へもうかびはしない。彼はただほとんど信じ得ぬやうな不思議の感を持つた。水不足に惱む百姓についての話は都會の子供も知つてゐる。物珍らしくもなくそれは聞き流されてゐる。しかし今自分がその場に臨み、自分の問題として見ると、何か奇態な感じさへして來るのだ。人がこの國土において米をつくる經驗を持つてからもういくばくの世紀を經てゐることだらう。何百年何千年は決して無駄に過されて來たわけではあるまい。經驗と技術とは傳承され、それは深まつて來てゐるのであらう。今日、農業大學では博士たちが、米の栽培について浩瀚な著述をなし、弟子たちは技術者として年々社會へ巣立つて行き、それぞれに農業の實際部門の指導者である。しかもなほ耕作者である百姓をして、「お天道さん任せよりほかに仕樣はない」と云はせなければならないのか? 日照りぐらゐに脆くも屈服しなければならないのか? 水騷動を農村の一つの名物としていつまでも殘しておかなければならないのか?

原因はどこにあるのであらう。解決の道はすでに博士たちによつて明かにされてゐながら、實現の方法がまだ下まで、百姓たちのところまで下りては來ないのであらうか。だとすればそれを阻んでゐるものは何だらう。それとも、米の栽培といふものは、永久に氣まぐれな自然の制約を受けなければならないのであらうか。不幸は、米の栽培における水の特殊な役割といふ、そのことのなかにあるのだらうか。駿介はそれきり默り込んでゐた。彼は自分の甚しい無識を靜かに深く感じてゐた。

「水引きは?」と、ややあつて駒平が訊いた。

「三人――山下、元田、石黒。例年の通りや。」

水引きといふのは、田に水を入れたり、堰き止めたりする役目をいふので、一日幾らの日當で一定期間雇ひ入れるのである。これは、一枚づつの田地について、水の止まりのよいか惡いか、水の出し入れについての慣行など、詳しく知つてゐなければ出來ぬ仕事である。だから大體同一の人間が、毎年この役にあたる習はしになつてゐる。

「日當は?」

「五十錢ぢや。」と、云つて、ちらと駒平の眼いろをうかがふやうにしてから、

「その日當についてぢやが……」と、平藏は云ひはじめた。

「わしらは、全くの小作ぢやによつて、この取りきめに與る資格ははじめつから持つとりやせん。ただ取りきめを默つて聞くばかりぢやが、そしてこりや毎年のこつて何も今年に始まつたことではないんぢやが、わしらも、ちつとばし腹のなかに思つとることはある。理窟をこねると思はれちや困るこつたどもね。五十錢ちう日當は總代會がきめる。わしは五十錢の高を何もとやかく云ふんやないけど、實際にその日當を支拂ふもなアこりや誰ぢや。そりや小作人ぢやらうが。そんでゐてからに總代會には一人も小作の衆のなかからは出とらん。總代會は地主と自作の衆ばかしとはこりや誰がどう考へて見ても、ちつとばし筋道の立たん話やと思ふんぢやが……」

この家が幾らかの自作地を持つてゐるといふことが、平藏の心理にこだはるのであらう、彼は多少の遠慮を見せながらさう云つた。

「もつともな話ぢやが、さういふことは誰か先に立つて云ひ出すものがないことにやな。誰か先に立つて云ひ出すものがありや、理の當然だによつて、案外安々とその通りになるんぢやが……みんな腹ぢや思つてゐながら、お互ひに人におつつけおつつけしとるんぢやけに、どもならんわ。」

「さうぢや。さうぢや。みんな惡うは思はれたくない、けどいい目はしたいといふ連中ばつかしぢやけに、あきやせん。」

しかし、平藏自身、その先に立つといふことを自分に課す氣持もないらしかつた。

田植は池の附近から先づ始められ、水引きと當番總代の二三人とが出張つて、次々に田に水を入れて、下の方へと水を追つて行くのであつた。池の堰を拔いてから三日目に、駿介等の部落の方に水が出𢌞つて來始めた。彼の家の田に入るのは夜の十二時過ぎにならうといふ、總代からの通知であつた。

その夜、一時頃になつて、寢てゐるところを起された。

闇のなかを、鍬を持つて田へ走つた。先頭に駒平が、次に駿介が、それから母のおむらと妹のじゆんが續いた。夏の夜の闇の濃さ厚さが、物質的な重さの感じで肉體に迫つて來るやうであつた。梟の鳴き移るこゑが、間をおいて、思ひがけない方向に聞えたりした。

溝には堰が出來て、上手の方の一枚の田に水が入れられ始めてゐた。闇のなかにもそれと知れるほど、水は勢よく流れ込んだ。細く速い流れ込み方で、しかし音は靜かに、可愛らしいほどの氣持の好さで聞かれた。水は田のなかに素足で立つてゐる足をひたひたと浸した。しかし、水はまたすぐに引いて行つた。實は引いて行つたのではなくて、乾き切つた田が、貪欲に吸ひ込んでしまふのであつた。そのために水は容易に土の上にまで乘つては來なかつた。

その一枚の田がすんでから、次の田に水をみちびくために、溝に堰を作り、畦の一部をかき取つた。そこも水がたつぷりになつてまた次に移るとき、今度はしかし溝の方からは入れなかつた。田と田の境の畦の角を切つて、そこから水を落し込むのであつた。このやうに田によつて水の入れ方の異なるのも慣行であつて、勝手に變更するわけにはいかない。畦を切りながら、そのことを駒平は駿介に語つた。

土が水を吸ひ込む音を駿介は聞くやうに思つた。土も水も生きてゐるもののやうな親しさと温かさとを彼は直接胸に感じた。土の上にひたひたと乘つて來る水の温度を、彼は立つてゐる足の踝のあたりで感じてゐた。ひと度乘りはじめるとそれは非常な速さであつた。

(水は豫定してゐるよりももつと不足するのではなからうか?)

そんな不安が來た。乾いた土がこれほどまでに水を吸ふといふ事實を、總代や水引きたちは果して計算のなかに入れてゐるであらうか? 彼はそのやうな取越苦勞までしないではゐられなかつた。

(もしも田の半分ぐらゐしか植附けが出來ないとなつたらどうなるであらう?)

實に容易ならぬ感じでさういふ場合の事が考へられた。しかもその時どうしたらいいかと云ふことについてはほとんど何事も思ひ浮ばない。どれほどでも自信をもつて人に云へるやうなことは何一つない。自信の無さは恐れを生んだ。彼はまるで自分一人の上にのしかかつて來ようとしてゐる大事ででもあるかのやうな、切實な、切迫した感じに胸を打たれた。

しかし一方にはまた、自分の家の田はどうにかこれで濟んだのだ、といふ安らかさをいつはることは出來ないのだつた。

闇の底がほんの心持だけ薄らいで來たやうに思はれた。どこかで鶏が聲を長く引いてかすかに鳴いた。傍に立つてゐるじゆんが、

「あ、もう三番鶏が鳴く。」と云つた。

「どうも有難うござんした。おほきに。」と、駒平が少し離れた闇のなかの人の動きに向つて挨拶してゐる。彼の家の分はかうして終つたのである。總代や水引き達は、がやがや何か話しながら忙しさうに次の田の方へ走つて行つた。

あかつきの冷氣は眼の覺めるやうな快さだつた。足をひたす冷たい水と泥の感觸も、新鮮な生々とした刺㦸だつた。薄皮を一枚一枚剥ぐやうにあたりは白んで行つた。浮かし繪のやうにぽつかり浮かび上つて來たあたりの風景は駿介を驚かした。毎日見慣れてゐるものとも思へぬ新しさであつた。ぐつたりと萎れたやうに見えてゐたすべてが、甦つた生氣に溌剌としてゐる。水は何とふしぎな働きをするのであらう。

家へ歸つて、夜がすつかり明けるまでの短い時間を、駿介は眠つた。涼しい間なので、快い疲れから彼はよく眠れた。起きると、駒平が、

「駿、すまんが、石岡の家さ一走りして來てけれや。お上さんが田植の方の掛りぢやけに、うちの田は今日何時頃に順番がまはつて來つか、それを一つ訊いて來てけれや。」

駿介は石岡の家へ出かけた。

まだ仕事着に着替へぬ、よれよれの浴衣姿の石岡のお上さんは、うさん臭さうな顏をして駿介を見た。が、駿介が云ひ出す前に、急ににこにこして、「あ、杉野んとこのあんさん」と云つた。

「お早ようござんす。今度はいろいろ御苦勞樣のこつてす。わしとこの田植は何時頃になりますかしら。」

「さあ、倉吉さんとこの八人役とお吉さんとこの五人役だけが、今んところきまつとるんやけに、さやうさなあ、まア茶飯がすんでからかかることになりますやろ。」

「さうですか。ぢやあ、その頃待つてゐますから、何卒おたの申します。」

頼んでおいて駿介は歸つて來た。

聞いて、駒平は、

「苗を取りに行つて來なならん。」

さう云つて出かけて行つた。彼の家では今年は、ほかの家と共同で苗代を立てたのであつた。駒平がさうしたのはほかの理由からであるが、小百姓で、水田を一段か二段しか作つてゐないやうな家は、苗代をわざわざ立てるほどではないので、大抵人の家に苗を立てて貰ふことにしてゐる。駒平の所に出入りしてゐる、平藏の家などがさうである。その苗の代金は、平藏自身と、息子の源次の日傭によつて償ふことにしてゐると云ふ。

午後に、駿介は、妹のじゆんと一緒に天神さんの山に上つた。そこの木の間を通して見晴しがよく利いた。

「早乙女連中はどこにも見えやせん。まだ茶飯やらうか。今度はうちの田臺の筈やが。」

じゆんが手をかざしてまぶしさうに遠くを見ながら云つた。田臺とはこの地方で田のことをさう呼び慣らしてゐるのだ。

「暑いし、疲れてつからまだ半時は休むつもりなんだらう。茶飯はどこかしら。」

「さあ。」

「うちぢや、茶飯の代りに何かするのかな。」

少年の日の賑やかな記憶が駿介にあつた。五人役六人役ですむやうなところはともかく、田の少し多い家は、茶飯時には、餅やうどんや五目ずしと云つたやうなもので早乙女をもてなすのが普通である。

「さあ、お父つあんからはまだ何も聞いとりやせんが。……お神酒みきを出すんだけはわたしは反對や。去年はうちで出したの。したらばあさん連中がみんな醉つぱらつてさ。厭らしい話はするししまひには踊り出すし、わたしはもう懲り懲りした。」

眉をひそめて云つた。

「お前さんはいつ出るんだ。」

「わたしはあさつて。」

村では早乙女は一戸から一人づつ出て、共同で田を植ゑる習慣になつてゐた。女手の出せない所は植賃を拂ひ、また中には二人出て植賃を稼ぐ所もあつた。自分の田の「役」數よりも多いだけが、彼の取り前となるのである。

話してゐる間に早乙女たちの姿はあらはれた。女たちはかなり重さうに見える足どりで、先のものと後のものとでは一町から離れてゐた。二人三人と連れ立つて話しながら、駿介の家の田臺の方へ向つて行つた。それを見て、じゆんは天神さんを下つた。駿介だけなほ殘つて見てゐた。

早乙女はみな小綺麗な服裝だつた。赤は赤で白は白で、光に輝くやうであつた。娘などは、新調の紺絣に赤い襷がけで帶はお太鼓にきちんと結んでゐた。泥や水に汚れるといふのに、特に新しく綺麗なものに着替へて來るのが早乙女の風習である。田へ入ると、四つの定規を一列にならべ、一つの定規に二人づつ四組にわかれた。苗は幾本づつか束につかねて適當な箇所に配られてゐる。左手に取つて右手に揷して植ゑる。さうなるともう身構へがきまり、きりつとして、足の踏み方もよく揃ふ。美しいばかりの眺めであつた。

歌ごゑは聞えなかつた。

駿介の家の田植の後五六日經つて、最初に豫定した五分通りの田がすんだ。しかし雨はなほ降らなかつた。今日こそは、と朝起きて仰ぐ空には片雲もなかつた。照りは日毎に嚴しくなるばかりであつた。植ゑ殘された田を眺めて、百姓たちの氣持は、次第に物狂ほしくなつて行くのであつた。險惡な、不穩な空氣がぎらぎらした空の下に、次第に大きくふくれて行つた。

山下部落の百姓たちが、打ち連れて、朝の二時から八幡さんにお火をあげに行つたといふ噂が廣まつた。すると駿介の部落にも、「金毘羅山の上で雨乞ひの火を焚かないかん。」と云ふものが出て來て、人々の間を口説き、賛成者をつのつてあるいた。するとそのあとからすぐに、「そなな糞ぼつこなことして、一體何になるんや。それよか、まだちつとばしでも殘つてゐる水をこつちさ取る工夫をしたらどんなもんや。」と云つて、ぶちこはして行くものが出て來た。どつちもほとんど喧嘩腰だつた。さうしてこの兩方の者等がたまたま出會つたとき、彼等はほんたうに打ち合つた。激しく打ち合つた。水が無い、植附けが出來ぬと云ふことが互にその相手のせゐででもあるかのやうに、憎むべき敵同士ででもあるかのやうに、打ち合つたのである。そして血を流した。仲裁がはいつて引き分けたとき、彼等は兩方とも興奮して涙を流してゐた。

水をめぐる爭ひはしだいにふえて行つた。駒平はしみじみ歎いて駿介に語つた。

「水はおとろしいもんぢや。兄弟を他人にし、隣同士を敵にする。一方に水が入り、一方に入らなんだら、入らなんだ方は入つた方がただもう憎うて憎うてならんのぢや。それつきり顏を合してもものも云ひよらん。ぷつと横を向いてしまふ。それがどうぢや、一度水が入つたとなると、その場からけろツとして、ぱツと笑つて、さつきまでのこたア、ありや何ぢやといふ顏になるんや。」

夜になつて、國ざかひの方向に當つて、そこに連る山の一つの上の空が、眞赤に焦げて血のやうであつた。星も月もかくれた、今晩あたりあるひは降るかも知れんと期待を持たせたやうな夜の暗さだけに、そこの空だけの赤さが特に毒々しく、凄壯なまでであつた。同じ赤さのなかにも際立つて濃く、やや黒味を帶びて映えてゐるのは、雲に映つた光ででもあらうか。暗い空との境目は黄色くぼうつとかすんで、月暈のやうであつた。そして山上のある一ヶ所からは、帶の幅ほどの赫々たる一條の光がやや斜めに天に沖してゐた。その上あたりには、黒い煙とも見えるものが一面にわだかまつてゐた。

「山火事。」

庭へ出て、その空を望み見たとき、駿介の頭にすぐにも閃めいたのはそれであつた。六つ七つの子供の頃、母の腰のあたりに取りすがつて、齒をガチガチ云はせながら、山火事を遠く望んだ夜の事が思ひ出された。あれもこの國ざかひの山の一つであつた。袷の肌がもう寒い晩秋の夜更けであつた。

駿介は聲高く家のなかの父を呼んだ。駒平は出て來た。家のほかの者たちも出て來た。

「山火事ぢやないわ。」

空から眼を放さずに駒平は云つた。

「山火事やつたら、炎はああしたふうに一條ひとすぢにやのぼりやせん。もつと横へ横へと這ふやうに、舐めるみてえなぐあひでひろがるもんだ。――ありや、やつぱし雨乞ひの火ぢや。」

「どこいらか知ら。」

「さうさなあ、隣郡の元村あたりででもあらうわい。」

ふと氣づいてみると、下の道の方にあたつてがやがや聲がする。闇をすかして見ると、丘の下の二三の家の人達が、見通しのよく利く道の辻の所へ集つて來て、やはり同じやうに山の火について語り合つてゐるのであつた。興奮した甲高い聲が、とぎれとぎれに聞える。あの火はたかぶつたこの村の人々に働きかけるどのやうな力を持つであらうか。子供の時の經驗とはまるで違つた身内の震ひを、駿介は感じないではゐられなかつた。

その翌日、部落の告げ番の男は、水利總代の觸れを持つて八方に飛んだ。

――小作人は全部、茶飯時から「山の神さん」に集ること。

駿介は父の代理としてその場に臨むことになつた。彼にとつてそのやうな經驗は無論はじめてのことであつた。彼は不安だつた。もとより彼は自分がこの重大な問題の討議に與らうとも、また與り得るとも思つてはゐない。彼はただ默つて聽くだけだ。聽いて考へるだけだ。彼には何よりも先づ多くを學ばうとする氣持が強い。人々が生き死にの切端詰つた氣持で臨むところに、自分はそのやうな「餘裕」をもつて臨む。十年を都會の學生生活に送つた自分の前身が、色や匂ひとして周圍に發散せずにはゐなからうと思ふことが、はじめてそのやうな人中に出る彼を臆病ならしめた。自分はまだ歩き方から物の云ひ方までが、人々と同化するところまでは行つてはゐない。水のなかの一滴の油だ、自分を知るものも知らぬものも自然自分を注視するだらう。特にこのやうな場合、人々は漠然たる敵意を感ぜずにはゐないであらう。

しかし、そんなことを考へるのは彼の妄想であるに過ぎなかつた。彼が會場である山の神さんの廣場へ行つた時には、人々はもうそこにぎつしり詰つてゐた。彼等は口々にがやがや罵つてゐたが、心はみなただ一つところに向つて注がれてゐた。誰も、その時やつて來た駿介を振り返つて見る者もなかつた。駿介は吸はれるやうに眞黒な群衆のなかに消えてしまつた。

やや高くしつらへた壇の上に、總代の一人が立つた。

「皆さん!」と彼は叫んだ。群集のなかの聲はひたと止んだ。

「今日、お集りを願つたのは申すまでもなく、我々太郎池の池掛りの者と致しまして、水についての御相談です。御承知のやうに上手の方五分の植附けはすみましたが、下手の五分は、お互ひにまことに何とも心痛の至りでございますが、水不足のために未だにそのままになつとるやうなわけでして。しかし何時までもただ雨を待つてこのままで居るといふことは出來ません。そこで池掛りの全部の皆さんとも御相談ぢやが、太郎池の殘りの水をどう使ふか……」

彼はそこで口を切つて人々を見𢌞すやうにした。

「それについていかがでせうか。皆さん。めいめいの衆が勝手に云ひ出しても一向埒のあかん事ぢやけに、さきに先づ總代の者たちが相談して取りきめたところを、皆さんに申し上げ、それについて皆さんのお考へを伺ふ、といふことにしたらどうかと存じますが。」

誰もすぐには云ひ出さなかつた。しかし、しはぶきの聲や喉を鳴らす音が一時にそこここに起つて、しだいに高まつて行つた。それから私語になつた。壇上の人はにはかに忙しさうに手を二つ三つ打つて、靜肅にするやうにと云つた。その時、群集のなかの一人が聲高く叫んだ。

「ぢやあ、まア、聞かしてもらはうやないか、その總代の取りきめとやらいふのを。それからみんなしてめいめいの考へを云つたがええ。」

多くの聲がそれに應じた。

「さうや、さうや、それがええ、それが。」

しかし何もまだ聞かぬうちから、何を云ふか先づ云はして見るんだ、めつたなことに同意するもんぢやない、といふ反對を孕んだ氣勢があつて、黒く燻つてゐた。その暗默の氣勢に打たれて壇上の總代はかすかに青ざめた。自分の提案どほりの結果を得ながら、彼はややうちふるへた聲で云はなければならなかつた。

「ぢやあ、申し上げますが……殘りの田五分のうち先づ三分だけ植附けをする。水はまだあとに少しは殘りますが、これはどうしても殘しておかにやならん。全部使つてしまふわけにやいかん。揷水の補給が出來んことにや、折角今まで植ゑた分までも枯らしてしまはにやならんよつて……」

それ以上、皆までは云はせなかつた。その云つただけの終りの方も、蜂の巣をつついたやうな一時に起つた喧噪のなかに消えてしまつた。

「糞ぼつこ! 何ぬかすんや。」

「何を! へなげなことを。」

「馬鹿ア。引つ込め。」

「手前てめえのことばし考へて、ひとのことはどうするつもりなんだ。」

「總代なんかやめろ。」

しかし、默つてゐる、そして默つてゐることで總代に賛意を表してゐる一群の人々もむろんあつた。彼等は云ふまでもなくすでに植附けをすました人々である。彼等のうちの強氣な一人が云つた。

「植ゑるばつかしで揷水がなくちやどうにもなるまいが。總代の云ふとほりでいいやないか。」

たちまちその近くに怒號の聲が起つて、そこらあたりに人波がゆれた。互に打ち合ふ音さへ二つ三つ聞えた。やがて人々の間を押し分け押し分けして、男が一人まろぶやうに壇の下あたりによろけて來た。それからこそこそとどこかへ隱れてしまつた。彼の味方は二度とはあらはれなかつた。

幾らかおちついた、理をもつてなじる調子の言葉が、總代をきめつけにかかつた。

「そんな話を聞かせに、今日、わざわざわしらをここさ呼んだのかね? そんな話なら今さら聞かんかてわしらはとうに知つとる。はじめての總代會でお前さんらがさうきめたんだ。それにやしかし反對のものが仰山ある。それでお前さんらもどうせうかとためらつて、あとの田へもよう水を入れんとこれまで來たんだ。そこへ相談があるから集れと云ふ。さうしたら、わしらは、今までとはちがつた何かもつとええ考へでも聞けるかと思つてやつて來るのは、こりや、當りめえのこつちやないか? それぢや、三分植附けて、あとの二分は一體どうすると云ふんだ?」

この言葉は理にあたつてゐた。總代たちは何か新しい提案を持つて今日のこの集りに臨むべきではあつたが、しかし彼等としても何の名案があらう? 押してさきの決意どほり實行しようとすれば、それこそどのやうな事態を惹起しないとも限らない。しかしこれ以上遷延は出來ない。思ひ切つてみんなを一つ所へ集めてみた。さうして反對は覺悟の上で一同にはかつてみたのであつた。

當然の結果を見たと思ふと、壇の上の總代はもうそれ以上の耐忍は出來なかつた。自信のない彼は、あらためて諄々と説いてみるといふやうな餘裕も、壇の下あたりに目白押しになつて、不安な顏をみせてゐる他の總代たちともう一度耳打ちし合ふといふやうな餘裕も持たなかつた。彼は突然怒鳴りだした。

「ぢやあ、どうすればいいといふんだ? わしらが云ふよりも何かいい考へがあつたらそれを聞かうぢやないか。反對を打つばかりが何も能やないぜ。どうする? 植附けに全部の水を使うてしまうて、しかも雨は降らんと、植ゑは植ゑたがみんな枯れてしまうたといふことになつてもそれでいいのか? それでいいとみんないふんやつたら、さうしようやないか。どうや?」

がらりと態度を變へて居すわつたといつた感じだつた。破れかぶれのさまに見えた。さうして彼はそこに大きく立ちはだかつてゐた。

一時、寂しんとした。無氣味な數瞬間であつた。しかし總代がそのやうな出方に出たといふことは、彼はそれによつて痛快の感を味はふことは出來たであらうが、勝負としては負けであつた。勝ち負けは別として結果を見ても、望ましい結果を得たとは云へなかつた。彼の言葉は刺戟し、破壞のはたらきをなした。彼は賣言葉に買言葉といふ出方で答へられた。

「植ゑろ! 池の水を底の底まで干して植ゑろ!」

「さうや。どうせ枯れるもんなら全部植ゑて枯らした方がいいや。さつぱりすらあ。」

「一蓮托生、死なば諸共だ。」

なかば自暴氣味なそんな聲がそこにもここにも起つた。それをおさへるべき力はもはやなかつた。それらの聲はまたたくまに全部の人々の上を覆うてしまつた。それはそのまま今日のこの集りの最後の決定となつてしまつた。

池掛りの田のうち五分通りはすでに植附けがすんでゐるのである。そして今また殘りの三分の植附けをしようと總代は云ふ。犧牲となつて殘るものはだからわづかに最も水下の二分である。そしてさきの八分は總代の提案を自分の利益とする人々である。八對二。しかも後者の主張が通つたといふのは何故であらうか? それは、植附けをすました人々のなかには、今日のこの集りに缺席したものが多かつた。爭ひになることを避けたのである。また出て來た人々も、自分たちが少數者の犧牲の上に何かいい目をしてゐるといふやうな感じからまぬがれることは出來なかつた。水のためには、兄弟隣人とも仇敵のごとく爭ふとはいひながら、一面にはなほさういふ感じの前に強くはなり切れぬといふこともあるのであつた。しかもかの二分の人々の、殺氣を孕んだ猛々しさといふものは、すでに尋常一樣のものではなかつた。

今日この集りに出なかつた人々は、あとでこの強引な決定を聞いて何と云ふであらう。彼等は果して默つて承認するであらうか?

群集のなかにもまれたのと、異常な興奮とから、もみくちやになつて、暗い氣持を抱いて駿介はひとり家へ歸つて來た。彼は父に報告した。彼は自分の意見といふものは何一つ附け加へることは出來なかつた。駒平も默つてゐた。

險惡な空氣のなかに、再び池の堰は拔かれ、池の水はある限り押し出され、文字通り水に渇してゐた田圃はあくまでも貪欲に吸收した。正月、盆、村の鎭守の祭に匹敵して樂しかるべき年中行事の一つである田植も、この場合は明るく喜びにのみ滿ちたものであることは出來なかつた。すでに共同の動作は破れて、早乙女たちは、水下のごく限られた部落からのみ動員された。

田圃はむさぼるやうに吸ひ、吸つても吸つても足りぬかに見えた。そしてつひに水下の方には水が足りなくて植附けが出來ない所さへ出來てしまつた。全部の水を出してなほかうなるとは、豫想しないところであつた。夜、水下の小作人二十人ほどが、一隊をなし、酒氣を帶びて水利總代長の家を訪ねた。水利總代と水引きの責任だと云つて、口々に罵り喚いた、しかし總代長は心得たもので、多くは云はず、にこにこしながら、まアまアと云つて、酒を出してひたすらもてなした。

すでに飮んで來てゐた彼等は、晝の疲れもあり、一時に醉を發して、全くたわいがなかつた。その場に寢込むものがあり、わけのわからぬことを云つて泣き出すものがあり、地主の家にあることを忘れて、土間に溺いばりをするものがあり、小便たごのなかに足を踏み外したものさへ一人あつた。さうして夜もよほど更けてから、二人あるひは三人、よろめく肩をぶつつけ合ひながら蛙も鳴かぬ暗い夜道を歸つて行つた。

その翌日になると、朝から、水下の方から發動機の爆音がさかんに聞えて來た。それは水利總代の手で都合をつけたものであつた。植附けはさうしてどうにかすますことが出來たが最初から覺悟したとほり、揷水の補給はほとんど出來なかつた。三人の水引きは躍起となつて田から田へ走り、水の切れてゐるところを探して、何とかしてこれに補給しようとして心を碎いた。過勞と心勞とからわづか數日の間に眼が引つ込み、ひどく瘠せたやうで、昨日陰では彼等を糾彈した人々も、面と向つては何かいたはりの言葉をかけないではゐられなかつた。

水利總代からの觸れが、また𢌞つて來た。

「今となつてはもう、川の窪みに溜つてゐる水を浚ひ出すのほかはない。晝夜二組制にして交替であたる。日當は七十錢とし、費用は地主と小作の折半負擔とする。」

そして、ここにも亦新しい問題は綯ひ合はさつてゐるわけであつた。

果してそれからまだ一時間も經たぬうちに、駿介は、觸れを受けた人々の間に、不平の聲が起つてゐるといふことを聞いた。事は勿論水浚ひの費用の負擔に關してゐた。地主と小作の折半負擔といふことに對する不平である。しかしその聲は、「どこの村でも折半が慣行になつてゐるから。」といふただそれだけの理由で、はぐらかされてしまつたと云ふことである。

「まアまア、いいやな。費用の負擔と云つたかて、何も今さしあたつての事ぢやなし、四月も五月もあとの事ぢやけに。今はそんなことをぶつくさ云つとる時ぢやありやせん。みんなして力を協せて水を浚はんことにや。」

駒平のところへ云ひに來た男も、さう云つて歸つた。

まことにこの男の云ふ通りではあらう。しかしそのやうにしていかに多くの問題が、未解決のままに、次から次へとさきへ送り込まれて行くことであらう。先きに送り込まれたものは何時か𢌞り𢌞つてまたもとへ歸つて來る。そしてその時も亦わづかに蟹の泡のやうなぶつぶつの聲を聞くのみで、それは再び未解決のままに送り込まれる。

話を聞いてゐて、駿介は、云ひたい一つの事について心のわくわくするほどの欲望を感じた。

「水浚ひの費用の負擔はどれほどになるか知れぬが、小作人はそれを年貢から差引いてもらふとしたらどうだらう。」

喉まで出かかつて、しかし彼はそれを口に出して云ふことは出來なかつた。彼は訪ねて來た男がどういふ人間であるかを知らなかつた。自分の言葉がどのやうに受け取られるかをもおそれた。が、それよりも根本なことは、云ひ出したからには責任をもつて其事の實現のために當らねばならぬ。その自信がなくて不用意にそんなことを云ふべきではない、さう思つたのであつた。

夕方駒平は、

「今晩はわしが行く。お前は明日の組にまはれ。」と云つて、誘ひに來た近所の男と連れ立つて、水浚ひに出かけて行つた。水浚ひは夕方六時から、翌朝六時まで十二時間、ぶつ通しの勞働である。

九時少し過ぎに、駒平への夜食を用意し、それを持つて駿介は家を出た。月のある晩であつた。河原へ出るには、金毘羅山の下の道を通る。山と云つても岡のたぐひである。下から、なだらかな線をたどつて、廣い平地をなした頂上までがよく見える。

山の上に、幾つかの黒い人影が動いてゐる。晝間、耳にしてゐたことがあつたので、駿介はそこに立ちどまり、しばらく見てゐた。

間もなくぱツと火の色があつた。それは見る見る大きくなつて行つた。枯柴か何かが燃えるパチパチといふ音が聞えもしさうであつた。風が無い晩なので、炎がぼうつとまつすぐ高く上つた。そこいらの幾らかの廣がりの空と地が、赤く明るく映し出された。火をまるく取り圍んで立つてゐる十人足らずの人影もはつきり見えた。

しかし燃えあがる火のいきほひはさう長くは續かなかつた。一度ぼうつと燃え、そのさかんなさまがしばらく續きだんだん火勢が弱まつて行つて、それきり二度とは燃え上らなかつた。それは少し大きな焚火の程度だつた。數日前國ざかひの山の上に見たものとは、似ても似つかぬものであつた。

しかし、それでもそれが雨乞ひの火であることには違ひはないのであつた。金毘羅山での雨乞ひを熱心に主張してやまないのは、幾人かの酒飮み達だつた。彼等の熱心な口説きは最初のうちこそ嫌はれたが、次第に人々の心はそれにもすがるやうに傾きかけてゐた。雨乞ひの效能などといふものも、すでに多くの經驗を經て來てゐる人々の心を今さら捉へるほどのものでもなかつたが、追ひ詰められて來ると今度こそはといふ氣にもなる。つひに彼等は部落の積立金から五圓と、村役場からの補助金いくらかとをせしめた。日が暮れるのを待つて山へ上つた。そして酒を酌んだ。それから神官に祈祷をさせ、終つてから、火を焚いたのである。

火炎はしだいに衰へ、周圍の明るさの輪もだんだん小さく狹まつて行つた。火の元だけが眞赤だつた。立つてゐた人々もその周圍に圓くうづくまつたらしい。

やがて、そこから歌ごゑが流れて來た。歌ふにつれて手を打つ音も聞える。村の夜は寂としてゐるので、歌の文句はわからぬながら、聲調は山の下までもはつきり聞えた。それはひどく亂れた、間のびのしたものだつた。

駿介はいつまでも眺め續けてゐた。

それから二日經つてから、雨が降つた。

どしやぶりに降つた。ほとんど二日間降り續けた。それは農民のあらゆる祈願に答へるもののやうにも、水のためにした農民の今までのあらゆる營みと心勞とを嘲笑ふもののやうにも見えた。事實、雨は水に關するすべての問題を一擧に押し流してしまつた。水をめぐる百姓たちの悲劇と喜劇とは夢のやうに消え去つてしまつた。

百姓たちは終日長々と寢そべり、起きて來ては時を選ばずに何かしら飮み食ひし、夜は遲くまでも、調子外れの聲でうたつた。雨のなかを、どこの家といふことなく足の赴くがままに訪ね、次から次へとおしやべりして歩くものもあつた。村長や地主や水利總代や農會の役員や産業組合の理事やは互に往來し、おめでたうを云ひ、過ぐる日の心勞を慰め合つた。雨の第二日目の新聞には、縣下の旱害地のある一部を視察して歸つたばかりと云ふ縣知事の心からの喜びの言葉が載つた。彼は雨水の、自然の洪大な惠みに對して今さらに感謝した。今日のこの進歩した社會と、科學の重壓からの解放をさへ一部から叫ばれてゐるやうな時代に於て、地上の廣大な面積を占めるこれらの土地の、最も重要な農産物の生産にあつては、當事者があらゆる心勞を傾けてかかつてゐる問題の解決者が、結局は天がもたらす雨水であるといふこと、そのやうな原始的なものの手に解決の鍵が委ねられてゐるといふこと、そのことがどういふことであるかを、今さららしく疑つて見るやうなものはなかつたのである。

九

煙草畑での出來事と、田の水の問題。新しい生活にはいつてから漸く一月ほどの間に經驗したこの二つは、日常生活の平凡事ながら、あるひはそれ故にこそ一層、駿介の心に沁みた。彼は世間の垢じみた生活の大人たちのやうに、これらの「平凡事」に對して、不感症であることは到底出來なかつた。彼は尚いくばくかの時を經、さらに經驗を積み重ねた上でなくては、そこに含まれるすべての意味を正しく汲み取ることは出來ない、自己の内部に正しく定置することは出來ない、さう思つたほどに多くのものをその二つから感じたのであつた。

一見實に何でもなく見える、つまらなくさへ見えるやうな日常生活の營みのなかにも、いかに多くの農民の苦しみや悲しみや喜びや、あるひはまた工夫や發明や智慧や創意やが折り込まれてゐるかといふことは、最初の井戸掘の經驗以來、彼の感じてやまぬことであつた。その思ひは今益々深まつて行つた。それを思ふことは心のあつたまるやうなことであつた。一口に云へば彼は生活を感じた。そのやうな、生活を組み立ててゐる細部の意味がだんだん理解されるばかりでなく、それに對して親愛な感情を持つことが出來、尊敬のこころさへ湧いて來るといふことは、人間とその生活全體への肯定的な感情、愛情が次第に深まつて行くといふことであつた。そしてさういふ感情こそは、すべての、眞の意味での積極的な態度と行動との母たるべきものであつた。人間と生活の實體へより深く迫つて行く道は、そこからでなければ開けない。自分を大切にする氣持もそこからおこる。夜など、ひとり畑道を歸つて來て、そこの雜木林や、あそこの岡の下あたりに、二三軒づつかたまつてゐる農家を見、そのなかに營まれてゐる生活を思ふとき、駿介はいつとはなしに涙ぐんだ。それだけではそれはいかにも甘いであらう。しかしさういふ心の状態が、自分に深くなつて行くと感ずることは、今の駿介にとつては何にも増して大きな喜びなのであつた。

彼は一頃のやうに、人をも物をも一應はなんとなく輕蔑してかかる、といふことがだんだん出來なくなるやうに感じてゐた。物事に對しても、人の言葉に對しても、非常に謙遜な氣持で向ふやうになつた。現代の青年が、あらゆる權威を認めず、鼻の先であしらつて見せるのは、その多くの場合は、單に彼等の自信のなさ、内に何ものをも持つてゐないことの反映でしかない。權威を眞に乘り越えるものの道ではなくて、虚勢にすぎないから、紙一重の向うは卑屈な醜さに滿ちてゐる。さういふ彼等は、ある機會においてたちまち見苦しい追從者となる。駿介の變り方はさういふものではない。

農民の生活を形づくつてゐる、どんなささやかな一片を取つて見ても、そこには歴史があり、たくさんの人間の長年の努力の結晶でないものはなかつた。彼等は彼等なりに工夫し、發明してゐた。鍬の入れ方一つ、鎌の持ち方一つも偶然に生れてはゐなかつた。つまりそこには生産する者の心勞があつた。いふまでもなく生産を離れて彼等の生活はなかつた。生活は隅々までも生産によつて統一されてゐた。だから無駄やたるみがなく、素朴な美しさもそこから來てゐた。

彼等は彼等の原始的な方法のなかにゐながら、能率的であらうとして力を盡してゐた。

しかしながら、さういふ農民の生活の實情が手に入つて來れば來るほど、そこに、矛盾を、何とかしなければならぬものを、駿介が多く見出すやうになることも亦當然のことであつた。さういふものの代表的なあらはれが、水騷動などであつた。生活に對して、肯定的な氣持を、愛を感ずること、生産によつて統一された生活の美しさを感ずるといふことは、無論、農民生活の現在ありのままの姿を、そのまま肯定するといふことではない。彼にはさまざまな疑問が湧き、それを解きたい熱意を感じた。どうかしなければならぬものに向つて、どんなささやかな力をもつてしてでも働きかけたい、よりいい状態をもたらしたいと願つた。しかしさうするためにはもとより、發言の權利を得るためにだけでも、まづ自分自身を、それが可能な人間にまで作り變へねばならなかつた。生産者の仲間の一人にならなければならなかつた。

葉煙草の適熟期が近づいて來たので、部落の煙草組合の集りが、今晩、部落長の家であるとの通知があつた。

「駿、お前、行くかえ?」と、駒平が訊いた。駒平は此頃、人の集りのやうなところへは、つとめて自分代りに駿介を出すやうにしてゐる。

「ええ、行きます。」と、駿介は云つた。

その頃は田の草の第二番を取つてゐる時で、仕事は一段落ついて、割合暇な時であつたが、日が落ちてしまつても、薄闇がまだものの見さかひを奪つてしまはない間は、薪を割つたり、牛のまぐさを刈つたり、胡瓜や茄子の手入れをしたりして、どこの家でも夕飯は八時にもなつた。一風呂浴びてやつて來る人々が、みな出揃ふのは、だからよほど遲くなる。早くから來てゐるものは、もうだいぶ蚊の餌食になつてゐる。しかし誰も何とも思はない。

若い自分が、人を待たせるやうになつてはわるいと、八時少しまはつた頃、駿介はその家へ行つた。三人先着の人があつた。

「お邪魔に上りました。」と挨拶して駿介は席についた。居ならぶ人々は、

「ようお出でなさんした。」と云つて彼を迎へた。どうしても駿介は緊張し硬くなるのだが、人々の態度には別に變つたところはなかつた。仲間の一人を迎へるといふだけのことで、駒平の代りに彼が來たのだといふことさへ、別に意識にはのぼらぬらしかつた。今まで續けてゐたらしい四方山話をすぐにはじめた。それは駿介に非常な氣安さを與へた。

駒平は、部落の人たちには、機會ある毎に駿介を引き合すやうにして來たから、今日集る人々のなかにも、知らぬ顏はなかつたのである。そんな息子があるといふことすら忘れられてゐたほど長く姿を消してゐて、それからひよつこりあらはれたとしても、一時噂されるだけのことで、すぐに珍らしいことではなくなつてしまふ。そんなことを一々珍らしがつてゐてはきりのないほど、この地方では、年頃の息子が都會へ出たりまた歸つて來たり始終動いてゐる。

それでも、田の水で苦勞した過ぐる日の話などが一句切りつくと、なかの一人が、

「杉野のあんさん、東京は此頃どんなふうだかね?」と笑ひながら、顏を向けて來た。そして、その問が餘りにつかみどころのないことに自分ながら氣づいたらしく、

「軍需景氣でだいぶ威勢がいいふうぢやが。」と、つけ加へた。

「ええ……」と、すぐには何と答へていいかわからなくて、駿介はただ笑つてゐた。

「東京?」と、他の一人が訊いた。

「わしはまたあんさんは大阪さ稼ぎに行つとつたんだとばかり思つとつたが。」

「いや、あんさんは東京さね。東京の學校さ行つてらしたんだ。」と、この家の主人の部落長が云つた。

「學校さ? ふうむ、さうかね。」と、訊いた男は駿介をじろじろと見るやうにしたが、別に興味が起らぬらしく、それきり默つて、煙管を持ちかへた。

「これでなんぢやらうな。あんさん。飛行機といふものが、今の汽車に取つて代る時が、行く行くには來るもんでつしやろな。ぢやが、さうするには、第一に飛行機がもつともつと殖えにやならん。さうして金輪際落つこちることがないといふふうにならにやあかん。さうなるまでにはずゐぶんと間もあること故、飛行機を作る仕事だきや、これからなんぼでも大でかく、さかんになつて行くと見にやならん。んで、村から出て行く若いものなんぞも、これからは飛行機の方の職工になる工夫をするのが第一やとわしは思ふとるんぢやが。」

「…………」

しかし、駿介はにはかに噎せた。いきなり咳き入つて、それがすぐにはとまらなかつた。それよりも、さつきから煙りが眼にしみ、涙が出て來て仕方がなかつた。

蚊遣りを焚いてゐるのである。古びた鐵の圓火鉢に生よもぎを高く盛り上げ、その下にコクワ(松の落葉のこと)をさしこみ、火をつけ、煽ぐのであつた。白いもくもくした煙りは部屋中に滿ち、眼に沁み、喉をつまらせた。が、駿介以外の者等は一向に平氣である。

「ああ、さう、さう。」と、主人は、團扇を取つて、忙しさうにバタバタと煽いだ。さうして駿介の方に流れた煙りを散らしにかかつた。

「まだ、慣れなさらんけに。」と云つて、人が好ささうに笑つた。

「東京に長く住みなれてからぢや、草深い田舍のくらしは慣れるまでが大へんぢや。何かにつけてな。もつともあんさんなんぞは、根つからの都育ちやないけに、慣れると云つてもすぐぢやが。」

「ええ……」と、駿介は、手拭ひで眼や鼻をおさへた。

そこへ待つてゐた最後の一人が來たので、話はそれきりになつた。

「ぢやあ、話はあとにして、これから乾燥の方を打ち合はさうぜ。」

集つた六人のうち、駿介を入れて二人の煙草の葉はまだ青く、乾燥も急ぎはしなかつたが、他の四人はもう適熟期にはいつてゐたので、出來るだけ早く日をきめたいと希望した。相談の結果、結局、五日あとから、火を焚きはじめるといふことになつた。六人を二人一組の三日交替として、駿介の組は第一日に當番があたつた。主要な打合せがさうして終つたとき、菅原といふ、駿介と組になつた男が、

「さうさう、あんさん、お前さんお父つあんによつく注意しとかんとあかんぜえ。」と云ひ出した。

「今年はお前さんとこは少し晩作ぢやけに、わきからお父つあんによほど喧しう云うとかんと、また青いうちに葉を採らんとも限らない。駒平さんは無類の堅人かたじんぢやけに、自分とこが晩作で、ほかの人がすんでしまつたあと一人乾燥に殘つて、ほかの人に手數をかけるのはすまん云うて、少しぐらゐ損をすることなんぞ構はん。もう少し熟さしてからの方がええと思ふやうな葉まで採つてしまふんぢや。たとへみんながすんでも、駒平さん一人放つときやせんのだから、ゆつくりお採りなさんせ、と云うても、その時はうんうん云つとるが、いよいよとなるとやつぱりあかん。人間の氣性といふものは妙なもんや。勘定の時氣の毒でならんのぢや。本人は一向平氣ぢやが。今年はお前さんがゐるよつて、手もあり、安心ぢやが、それでもよくよく話しておいたがええ。」

駿介は、父にさういふやうな面もあるのかと思つた。ちよつと意外な氣がしないでもなかつた。堅人であることに違ひはないが、同時に、どういふ場合にも、めつたに損をするといふことのない人間のやうに見てゐたからである。

話はもう別になかつた。この邊の地は、山に圍まれた高地なので、夏の夜も十一時頃になると、空氣は肌にひんやりとして來た。

煙草乾燥室は焚口が相對して二室建つてゐた。一室は四坪の廣さで、高さは三間に餘つた。火の焚口のある側とは別の兩側に、それぞれ、三尺に二尺ほどの揚げ戸が作つてある。これは室内の温度を調節するための調節窓である。棟の上にはも一つ小さい家のやうなものが乘つかつてゐた。その棟の高さは五尺位で、大屋根の傾斜に平行して小さい屋根が出てゐるわけである。これの廂にあたるところに、下のと同じ大きさの調節窓が、兩側に柱の間一杯に、三つ宛並んでゐた。この調節窓の揚げ戸は、針金によつて地上から引張り開けられる仕掛けになつてゐた。これらの調節窓はふだんは密閉されてゐる。このほかに調べ窓といふのが二つあつた。これは焚口の反對の側に一つと、それの右側に一つとあつて、何れも地上から二間餘り高い中間に位置して、二重戸の小さい窓であつた。この板戸を開くと、内側の戸は硝子であつて、中の煙草の葉の色合を調べるためのものである。

やはり焚口から云つて左側の中央に出入口があつて、これは一間の高さに半間の幅で、二重戸になつてゐて、内側は硝子戸であつた。中に入ると、土間で、まはり一尺ぐらゐの薄い鐵板の管が、「中」といふ字の上に突き出しのない形で、土間一杯に這つてゐた。「中」の字の下の突き出たところが、焚口に連なつてゐるのである。この鐵管内を、温度の高い熱氣が巡つて、それによつて室内の温度を高め、濕度を下げて草煙草を乾燥させるわけだ。室の上部は、地上一間のところから、兩側に拔き板が澤山に渡されてゐて、繩に附けた葉煙草をこれに釣るのである。

罐は簡單なもので、風呂の罐を大きくしたやうなものである。焚口のすぐ上から煙突が出てゐて、奧はかなり深くまで火が焚けるやうになつてゐる。さうしてその一番奧のところで、かの鐵板の管に連結してゐるのだ。

燃料は石炭か割木である。室内の温度は、何時でも部屋の中央において見なければならないので、寒暖計がその位置におかれてゐる。これを檢べる時には、焚口の傍に設けられた小窓の所に引き寄せて見なければならないから、引き寄せるための綱としてこれには細引が結へつけてある。

明日の朝乾燥するといふその前の日には、夕方から葉を摘み採る。充分に成熟し、黄色くなつたものを選んでかき採らないと、乾燥して出來上つた時に、品質が落ちる。乾燥には、葉の適熟と黄變とを非常にやかましく云ふ。一にも二にも黄變を問題にし、品質を決定する上での重要な基準とする。

煙草の葉を摘み採るには、そのためにとくに襤褸で作つた仕事着に着替へてからにする。葉の裏から分泌するニコチンにははじめてのものはびつくりさせられる。着物はべとべとになる。一つ一つ葉をかいて行く、その手は黒く染まつて、石鹸で洗つても容易に落ちはしない。

かき集めた葉は、左綯ひに綯つた繩の綯ひ目に、一葉づつ、葉柄の先を一寸位揷し込む。繩は一間位の長さである。

その日駒平と駿介とは、仕事着に着替へて煙草畑に入つて行つた。日が傾くまでにはまだ少し間がある。それまでは葉を掻くことは出來ない。その間を二人は葉煙草の脇芽を摘むことにした。雨が少いので、傾斜の上の方の畝は燒け、そこに植ゑられたものはみな背が低い。しかし裾の方のものは大き過ぎるまでに伸びてゐる。

「どうしてまア、かうも育ちが違ふんだらう。」と、駿介はおどろいて云つた。

「雨が降つて、高いところから低い方へ流れて來るだらう。さうすつと、それと一緒に肥料分までも運んで來るんだ。同じわけで上の方は乾いても、下の方はいつも水々してゐる。それでかうなんだ。」と、駒平は説明した。

葉は一節ごとに左右に一枚づつ規則正しく伸びてゐたが、その葉柄の附け根から芽を出してゐるのがあり、なかには芽が伸びて枝になり、小さい數枚の葉を附けてゐるものもあつた。芯どめをするのを見落したものは、薹が立つて、うすむらさきの花をつけてゐた。茄子科に屬する葉煙草は、花も茄子の花によく似てゐる。二人は、葉を痛めないやうにと心を配りながら、芽を摘み枝をもぎとつた。かうしなければ成熟期がおくれる。葉はさくいため、注意をしてゐても、身體がちよつと觸れるといふやうなことで、その先端が折れたりした。摘み落した葉や枝は、竹籠を提げて、一つ一つ拾つてあるいた。この植物は連作を厭ふので、煙草の諸成分が土地に吸收されることをふせぐためにすることである。

陽が傾くのを待つて葉を摘みにかかつた。摘み取つたのを畚に入れ、山道を幾度も往復しては家の庭に積み上げた。それから庭に蓆を敷き、家族總出で、そこへ坐つて、繩に葉を通すのであつた。次第に迫つて來る夕闇のなかに、誰一人口をきくものもなく、いくつもの手先はただ機械的に敏速に動いた。葉を附けた一筋の繩毎に「一連」と呼んだが、一連出來上るごとに、畔の草生の上にひろげ、その上に水を少しふりかけて萎縮をふせぎ、さらにその上にまた一連を積むといふ工合だつた。

暗くなるにつれて、山蚊の群が押し寄せて來た。おそろしいほどのうなりごゑである。無防備の足や手や顏やは到るところ血を吸はれ、腹のふくれたぐみのやうな蚊を眼に見ながら、手はそれを追ふことが出來ないといふやうなこともあつた。時々バタバタとはげしく蚊を追ひ立てながら、急いで葉を揷して行つた。この日暮れの忙しい思ひは、大體二日おきにやつて來る。

次の日の夜明け、朝飯前に、昨夜の葉煙草を猫車に積んで、乾燥室へ押して行く。さうして釣り込みに一番便利な場所を、組合員は我勝ちにと爭ふ。この爭ひのために朝飯も食はずに行かなければならないのである。

駒平と駿介とが、猫車を押して行つた時には、いい場所はすでに他の人々によつて占められてゐた。二人のすぐあとから菅原が來た。菅原はこれを見ると、

「チエツ、早いことをしやがる。」と、噛み棄てるやうに云つた。さきに來てゐた人々は、ちらと彼の方を見た。さうして、何とも云へないいやな氣不味さが彼等の間に生じた。

一度、飯を食ひに歸り、それからまたここへ來るまでの間、飯を食つてゐる間も、駿介はたつた今目撃したこの事實について、考へ込まないわけにはいかなかつた。昨日からのかなりの疲れのなかにも、清々すが〱しく樂しかつた氣分が、たちまち汚よごれて行き、元氣まで失はれて行くやうな氣がした。

(これは一體どういふことであらう?)

煙草耕作者組合といふ組合組織による、人々の共同作業、お互同志の助け合ひといふものは、駿介には美しく見えてゐた。もつとも、かの「豫備」を引き拔かされた時の、松川某の態度といふものは、駿介には解せぬものであり、反感を感じさせるものであつたが、彼は、部落の煙草組合をさらに幾つも集めて統一した、その全體の長であるだけに、その地位から來る特權的な意識といふやうなものが、ああいふ態度を取らせもしたのであらう。しかし少くとも部落の六人だけは互に寄り合ひ助け合つてゐると思へた。菅原が、駒平の「律儀」について云ひ、「青い葉は摘ませぬやうに。」と忠告したのなど、駿介は、美しい言葉として聞いた。しかもその彼に、今は、「チエツ、早いことしやがる。」といふやうな敵意に充ちた言葉を吐かせ、さうしてそれを吐かせるには、それにふさはしい、他の仲間の者達の行動があつたのである。

排他的な行爲や言葉はどんなにささやかなものでも、それが共同作業のなかでのものであるだけに、非常にどぎつい印象を與へもするし、特別な注意をそそりもする。

ふと、思ひついて、駿介は駒平に訊いた。

「計算はどうなるの? 共同でやるの?」

「計算?」

「ええ、專賣局に納めて、お金にする。さういふ一切のこと。」

「そりや、めいめいばらばらにやるこつた。」

原因の一つはここにあると思つた。計算が個人別になされるといふことのなかにあると思つた。しかし計算を共同に、責任を共同にするといふことは? もしもさうしようといふのだつたら、煙草耕作のそもそもの最初から、共同に責任を分け合はなくては不可能であらう。耕作の全過程から、乾燥し、納入して金に代へるまでの一切が、煙草組合といふ團體の責任で行はれ、一人一人の組合員が、これはおれの葉、これはお前の葉、といふ考へにとらはれることなく、ひたすらに全體の葉をよく仕上げる、といふ熱意だけで動くやうにならねばだめだらう。さうでない限りは、たつた六人が、互に、乾燥の釣り込みに、一番いい場所を占領しようと爭ふやうなことをやめさせるわけにはいかないだらう。仕事の他の部分は個人別で、乾燥だけを、共同作業でやつて行かうといふのだから無理が出來る。資金の都合から乾燥室を共同出資で建てねばならぬのと、乾燥といふ仕事の性質そのものが、個々別々では容易ならぬことなので、共同が始まつたのであるが、そしてこれは益々押し進めねばならぬことなのであるが、かうした矛盾があつては乾燥そのものの共同動作すらきはめて不徹底なものに終ることになる。

さういふふうに考へた。しかしそれは今日のこの村の状態では一つの理想論であるとしか思へなかつた。さうするには先づ耕作地そのものからして共同の管理に移さねばならぬし、負擔を均等にすれば、生産の結果の配分をも均等にせねばならぬ。しかし、それでは今まで、より多くを耕作して來たものは、到底その結果に對して滿足することは出來ないだらう。各地に生産者組合とか出荷組合とかいふものがある。あれらはどのやうな組織で、どのやうに運用されてゐるのであらう。たとへば秦野煙草の産地の百姓などは、どのやうにやつてゐるのであらう。

しかし、根本的な解決の道が望まれないとしても、今のままのやり方でももう少し圓滑にやつて行くことは出來さうなものだ。そしてそれは相互の讓り合ひによるのほかはない。さう思ひつめると彼は一本氣で、今すぐにも云はずにはゐられなかつた。彼は駒平にも相談して見ずにそれを云つた。朝飯をすました人々が、再び乾燥室に戻つて來た時のことであつた。

「ちよつと御相談ですが、」と、彼は云つた。釣り込みの作業にかからうとしてゐた人達はみな手をおいてこつちを見た。駿介はぼうつと赤くなつた。

「わたしからかういふことをいふのは何ですが……、出過ぎたことのやうですが、釣り込み場所にいいとことわるいとことあるやうですね、これは互に讓り合つて、その日その日で順番にやつて行くやうにしたらいいんぢやないかと思ひますが……どうでせうか。」と云つた。

みんな默つてゐた。と、大きな聲で

「さう、さう、それがええ、それが。」と云つたものがある。菅原だつた。

すると駒平を除いて、ほかの四人は、それぞれの人柄に應じてそれぞれの態度をとつた。人のいい、氣の弱さうな男は、さうだなア、さうすりやええなア、と云つたが、それは口先きだけのことで、内心は少しも乘り氣になつてゐない自信なげなさまであつた。どうかなア、そりや、と、疑はしさうに云つたものがあるが、無論反對の氣持をこめてゐるのである。しかしそのほかのものは、聞いても聞かぬふりで、默つて、さつさと仕事にかかりはじめた。

その次の釣り込みの朝になつて、さきの日の駿介の言葉が、何の力でもないことが、事實によつてはつきり知らされた。いい場所を得ようとする人々の爭ひ、その時ばかりは露骨な排他的な感情の軋み合ひは、前の日と一向變らなかつた。あとで、駒平は駿介に云つた。

「人に、自分の云ふことを可きかせようといふのはなかなかのこつた。ことに、何に限らず今の状態を、ちつとでも變へようとすることについてはな、たとへさうした方が利益とくだといふことが誰にでも分つてゐるやうなことでも、人に云はれておいそれといふことはなかなかないもんぢや。まづ疑つて見る。それが百姓といふもんぢや。お前が人を自分の考へどほりに從はせようと思ふなアまだ早い。云ふことが道理でないと云ふんぢやない。言葉はよくとも云ふ人間によりけりだ。お前にはまだまだ力が足らん。道理と思つたことには從はずには居られん氣持を人に起させるまでに、人を引つこずるには力が足らん。さうなるにはまづ人の信用を得ることが肝要ぢや。人に尊敬せられる、あるひは人に一目おかれるやうな人間になることが肝要ぢや。さうなるにはもつと年月を重ねなあかん。もつと經驗を積まなあかん。自然自然のうちに、いつとはなしに、あの人の云ふこつたら、といふ氣持をみんなの間に起させるやうにならなあかん。お前に學はあらう。ぢやが、町の人間はともかく、ここらの人間は、そんな學なんぞ別にどうとも思つとりやせん。そんな學で人間は動きやせん。何もお前に遠慮せいと云ふんぢやない。道理に適つたことを、今からでもズンズン人中で云ふことを、何も控へい、と云ふんぢやない。ぢやがそれが、言葉ばかりが先に立つ、といふやうになるこたアよくよく氣をつけにや。また、どういふ場合にも人の反感を買ふやうなことは避くべきぢや。これは何も、こないだお前の云つたことがさうだといふんぢやないが。ことにお前は、ほかの百姓とは、どつか肌合がちがふといふことはあるんぢやけに。」

駿介はその通りであると思つた。それは駒平に云はれるまでもなく、彼自身の自覺のなかにあることでもあつた。しかし、云はれたといふことはいいことだつた。

が、それから二日後のことである。その日は葉煙草を釣り終つてから、十時に罐に火を焚いた。組の總代は、黒板に、日と點火の時刻と、點火前の室内温度とを記し、毎時間毎の温度の高低を記載して罐焚の目安とした。これは一般的標準であつたが、葉の質、その日の天候、火の𢌞り工合等によつて多少温度を上げ下げしなければならなかつた。熟練したものになると、このやうな温度指示票などは不必要であつて、眼で見る葉の變化に應じて焚いて、誤たぬといふことであるが、駿介はひたすらこの表示を手蔓に焚き、調節窓を開閉した。

室内温度は、雨天ないし風のある日だと、攝氏三十二三度で、普通の日だと三十六度ぐらゐであつた。これを最高八十四五度まで上らせる。かうまで上げると、室内にはもう五分と入つてゐることは出來なかつた。葉が燃え上りはせぬか、といふ不安と恐れとを感じた。勿論、葉の發火點はその程度のものではあるまいとは思ひながらも。しかし事實、鐵管に近いところの葉は、その先が焦げることがあつた。それが、その時の當番以外のものの葉である場合には、陰での苦情はまぬがれなかつた。

駿介と菅原とは、一組になつて交替に焚いた。今日の責任者はこの二人ではあるが、ほかのものも自分の葉を氣にして、暇があれば檢べにやつて來た。將棊盤を圍んだり、雜談に興じたりした。組合員のほかにも暇のある人々がやつて來て、乾燥室の前に据ゑた、一間に四尺もの牀机に腰うちかけ、茶を飮んで、しばらく話をしては歸つた。百姓はひどく茶が好きである。共同の費用のなかから買つて乾燥室においてある茶は、駿介などにもよくわかる、百姓には不似合な上茶であつた。彼等はその茶を啜ることで、奢つた、いい氣持になれるらしいのであつた。駿介が、罐から七厘に火を取り、藥罐をかけ、茶盆を出すと、彼等は汗をだらだら流しながら、息を吹き吹き、啜つた。

日が暮れた。貰ひ湯がすみ、夕飯がすむ頃から、この乾燥室の牀机はさらに賑つた。それは一種の社交場だつた。酒の臭ひをさせて來るものが多かつた。大きな聲で話をした。話が過去のみ向ひがちなのは、單純な、狹隘な、變化のない彼等の日常の生活によるものであらう。それだけに、過去において多少とも人々と區別される、變化に富んだ生活の經驗者は、饒舌にもなつたし、人々はまたその話を喜んで聞きもした。出稼ぎに行つた先の土地の生活状態、勞働の條件、風俗、名物、女、食物、などが語られた。聞くものは、さういふ話から、自分たちの土地と生活とを自然他のものに比較して見る機會を持ち、自分の現在に對して、それぞれに、ひそかな批判を持つらしかつた。書物はもとより、新聞も讀んだり讀まなかつたりの彼等は、さういふことで少しづつ外界に對する知識を深めるらしかつた。話がそつちへ向はぬ時には、自分たちの狹い周圍を、飽くこともなくつつきまはつた。他人の失敗、醜聞、癖、姻戚關係などをほじくり、熱情をこめて惡口と非難とを浴せた。

青年が見えぬ、といふことが駿介には不審でもあり、物足らぬ心地がせられた。青年がゐたら、自分も何とか話のなかに割つて入れるのだが、など思ひながら、彼は、菅原との交替が來るまでの時間を、胸をひらいて夜風を入れながら、人々の話を聞いた。

夜のしめりに、肌がしつとりする頃になり、一人二人が歸りかけると、他のものもにはかにばたばたとそれに續いた。

「ぢやあ、あとをおたのみ申します。」

「御苦勞さん。」

組合員も去ると、あとには當番の二人だけが殘つた。あたりが寂しんとなつた。蚊の唸り聲が急に大きく高くなつた。菅原は眼をくしやくしやさせて、つづけさまに、音を立てて、大きな欠伸をした。駿介は、

「あんた、一眠り眠つたらどうですか。わたしももうだいぶ慣れましたから。」とすすめた。

「はア、ありがたう。」と云つて、しかし菅原はやはり居殘つてゐた。二人同時の不寢番は不必要だし、またそれでは身體もたまらない。菅原が寢に行かうとしないのは、自分一人に任すことがまだやはり不安なのであらうと、はじめ駿介は思つた。しかしさうかと云つて、彼は、駿介に寢に行けとも云はない。彼は二人の不寢番を必要としてゐるもののやうだ。この間かんの意味は、その後日を重ねるに從つて、駿介には追々わかつて來たことである。萬一、乾燥が失敗して、葉が不出來に出來上つた場合、自分一人が責任を負ふに至ることを避けたいのである。二人ならば負擔は分割される。場合によつては他の一人になすりつけることも出來る。さういふ心根以外ではなかつた。

二人とも無言のままに幾時間かを過した。身體も頭も疲れ切つて、何かものを云ふのも厭で、膝を兩手に抱へ込んだまま、ぢつと動かなかつた。燃え落ちる薪がぼうつと炎をあげる音が夢うつつのなかに聞かれた。ふと頭を上げて外を見ると、田面たづらの闇を、螢が光の線を引いて飛んだ。蚊の群もよほど少くなつてゐる。暗さの底にどこかぼんやり白けた廣がりがあるので、もう夜明けかと、軒下に立つて見たが、夜はまだ深く、さういふ夏の夜の一つのながめに過ぎなかつた。

駿介は、腰かけからずり落ちさうになつてゐる菅原に、もう一度さきの言葉を云つてすすめて見た。菅原は、あーツ、と大きく手をあげて伸びをして、今度は素直に、

「ぢやあ、二時間ばかり眠らしてもらひます。あと、頼みますぜ。」と、足もともおぼつかなげに、空いてゐる隣の乾燥室の中へ入つて行つた。そこの土間に荒蓆を一枚敷いて、頭を落すや否や、高い鼾がきこえて來た。

駿介はもうよほど慣れて來てゐた。罐のなかの火の燃え工合によつて、室内の温度がどのくらゐになつてゐるかを、寒暖計を一々見なくても、大體推測し得るやうになつた。一本の割木がどのくらゐに温度を高めるかを知ることが出來た。眠氣もある程度を越すともう眠くはなかつた。彼は持つて來た雜誌をひろげ、薄暗い光の下に、細かな活字の列を追つた。

夜が白々と明け離れるまで、駿介は一人でさうしてゐた。菅原は起きても來なかつたし、起しにも行かなかつた。駿介は乾燥室のすぐ傍の井戸端へ行つて、顏を洗つたり、體を拭いたりした。向うの竹藪の上に、赤い大きな日が上つた。朝風に竹の葉がさらさらと白く光りつつそよいだ。彼は釣瓶からぢかに冷い水を呑み、新鮮な朝の活力を感じた。

駿介は、薪の置場から幾度か薪を運んで來て、所定の場所に積み上げた。土瓶の茶滓を棄て、七厘に火を取つて湯を沸し、あたりを掃除し、ざつと片づけた。そこへ菅原がまだ寢足らぬ顏をして、起きて來た。

「どうもすみませなんだなア。すつかり寢てしまつて。」と詫びて、焚口の方へ下りて來て、しきりに火をつついて見たりしてゐた。

間もなく組合員がぼつぼつ來始めた。

「昨夜はえらうござんしたろ。」と、ねぎらひの言葉を云つて、いかにも氣がかりさうに、

「どうですか。黄變はうまいこと行きよりますか。」

「さア、今んところまだほんの一寸しかしてはゐませんが。」と答へて、何しろ自分の責任で事に當つたのは初めての事だから、駿介は不安であつた。

その時、寒暖計は丁度三十七度を示してゐた。温度はさほど高くはないが、葉の水分が蒸發するので、室内の空氣は濕氣を含んで、外からのものにはムツとした。葉煙草は高温と濕氣とによつて今蒸されてゐる最中である。かうしてそれは黄變するのである。この黄變如何が、葉煙草の品質を決定するのだから、耕作者は眞劍だつた。彼は先に立つて、一々仔細に調べて行き、駿介はその後に從つた。

「ええ工合に行きよりますぜ。あんさん。これなら上等や。」と、男は駿介を顧みたので、駿介はほツとした。疲勞があぶらになつて浮いてゐる緊張した彼の顏が、思はずほころびた。

「あんたはんのはいいが、これは少し青いぢやありませんか。」と、駿介はさつきから氣にかかつてゐる一連を指さして云つた。

「ああ、そりや、摘みやうが少し早うて青いんぢやけに、仕方アない。乾燥の方の責任ぢやありやせん。」

今日の當番である一組が揃つたので、駿介と菅原は交替した。寒暖計を檢べ、すべてを引繼ぎ、

「何卒おねがひ申します。」と挨拶して、まる一日の緊張から解放された。

乾燥は八月の下旬に終つた。一ヶ月の餘に亙つて續いたこの仕事には、その終り頃には誰しもみな倦み疲れ、痩せて眼を引つ込ませてゐた。それでも最後の日には、さすがにみな日燒けと脂燒けとにくすんだ顏を晴々とさせて、昨日まではだらけたやうな身のこなしにも、生々と力が入つて見えた。

駿介は、朝十時頃に乾燥室に行つて、釣り込んだ葉煙草を室内から取り出しにかかつた。組合員のなかには、妻や息子や娘と一緒に、猫車を押して來て、嬉々としてゐるものもあつた。下の方に釣つた葉から順次に取り出した。繩の端には、名札や目印をつけて、他との混同をふせいでゐる。早く濟んだものはまだ濟まないもののために手傳ひ、互に葉の出來上りについて批評し合つた。みな、自分のものについては卑下して云ひ、人のものをほめ上げた。

はじめ水氣でしつとりしてゐた葉は、今は萎びて、彈力のあるものになり、青味が消えて、やや褐色がかつた美しい黄色に變つてゐた。その葉を一つ一つ繩からはづし、揃へて、畚に入れて、猫車に乘せて歸つた。これは、納屋の貯藏所にしまつておくのだつた。貯藏所は、納屋の中でも特に乾燥した所を選んで、隅の方に作つた。土間から半間も高く床を上げ、藁を分厚く積み上げて蓆を敷き、その上に葉を一通り並べ、更にその上にまた藁、蓆とおき、葉を並べるといふ工合にする。これは濕氣をふせぐためである。全部積み重ねてしまつてから、再び藁を厚く積み上げて、全體を蓆で覆うておく。かうしておくと、葉は蒸れて、まだいくらか青色の殘つてゐるものも、貯藏中に黄變するのである。

その晩は乾燥祝であつた。乾燥室の近くにちよつとした廣場があり、櫻の木が一本立つてゐる。その下に五六枚の蓆を敷き、ランプは櫻の枝に吊した。手料理で一杯やらうと云ふので、選ばれた二人の準備係りが、材料の仕込みから歸つて來るのを人々は待つた。

駿介もその手傳ひに出掛けて來てゐた。

「杉野のあんさんは何をやらつしやる? あんた、何が得手や。」と、一人が笑ひかけた。

「さア、得手なものなんぞは何んにも。」と、駿介も笑つた。

「ぢやあ、魚でも一つ燒いてつか。」と、手に牛蒡の束をぶら下げたその男は、傍の蓆の上を顎で指して云つた。

駿介はそこに何匹かの鰺と、三四本の章魚の太い足とを盛つた大きな平鉢を見た。駿介はその鰺を燒く役にきまつた。飯を焚く方に𢌞るもの、五目ずしの材料をととのへにかかるものなど、それぞれ役目を分擔した。

「みんな、五目には何々を入れやうな。」と、その役に當つたものが相談しかけた。

「お揚げに、蒟蒻、牛蒡に章魚に。」と、一人が云ひかけると、他の一人があとを受けて、

「昆布にずゐき。まアそんなとこでよござんせうぜ。」と云つた。それなら旨からうと云ふので、誰もが賛成した。

七厘に火を起した駿介は、火勢が強過ぎるので、七厘の兩端に石を乘せ、その上に金網を乘せた。燒きざかなの香ばしい匂ひが夕闇のなかに漂ひはじめると、一人が、振り返つて、

「魚はように燒いておくんなされよ。」

さう注意して、丁度昨年の同じ乾燥祝のとき、ある仲間が、生燒きの魚に中てられたといふ話をした。三日寢込んで、醫者を呼んで、ひどく高いものについた、といふ話だつた。

「わしらは燒きざかななんどには醉ひつぶれはせんが、酒にはすぐ醉ひつぶれる方やで。」

酒量の強いことで、あまねく知られてゐる男が、そんなことを云つて、得意らしく笑つた。

「飯はどのくらゐ焚いたらよろしかろ。」と、飯焚きの係りが、皆に相談に來た。

「さうさなア、一人あて五合もありや、まアよからうわい。」と、傍からすぐに答へるものがあり、人々も別にあやしまぬので、駿介はおどろいた。

「ほう、そりやまるでわしらの一日分だが。」と、誰にともなく彼は云つてしまつた。

「なアに、五合ぐらゐ。あんたかて、もう半年もすりや、それくらゐ一かたけに食ふやうになりまつさ。」

それで、五合あてといふことにきまつた。

櫻の枝に紐を結び、それに釣り下げたランプの火を目がけて、蟲が飛んだ。火屋ほやをめぐつて舞ひ狂ふものがあり、笠の内側にへばりついたまま、ぢつと動かぬものもあつた。やがて持ち運ばれた手料理の皿の近くに落ちるものなどもあつたが、人々は氣にもせず、手でとらへて、紙も持たずに無雜作にひねり、その手を着てゐるものの上になすりつけたりした。ランプの芯しんは思ひ切り出されて、炎の舌はぺろぺろと伸び縮みした。蓆の二つの隅に蚊いぶしが焚かれ、青い煙が風の加減でランプを包む時だけ、あたりがわづか暗くなつた。

六人の組合員と、その家族のものやはり五六人が座を取つた。駿介の手になつた燒きざかなの鰺は、一尾づつ各自の前にあつた。そのほかには、やはり鰺の身を毮つて入れた胡瓜もみの小皿と、煮染めの皿とがあつた。中央の廣い場所は、五目ずしを一杯に盛つた盤切はんぎりが占めてゐた。七厘にかけた土瓶には酒が燗されてゐた。

「今年の煙草も、どうやらまア今日で無事にすみやした。皆さん、どうもいろいろ御苦勞さんでござんした。今晩は久しぶりの骨休みやけに、どうぞ一つ腹一ぱいやつておくんなさい。」と、總代が挨拶した。

「ありがたうござんす。」と、一同は頭を下げた。今日の祝は皆の負擔で、總代の馳走ではなかつたけれども、總代が、負擔以外に酒を二升買つたことへの謝意と、總代といふ地位に對する敬意と、その兩方からの挨拶だつた。

酒飮みできこえた世話役の一人が、燗の工合をちよつと試して見てから、

「さあ、一つ行かうぜ。」と、隣のものから注ぎはじめた。順次、注いで行つた。飮まぬものも、最初の一杯だけは受けた。駿介も受けた。

夕闇がいよいよ濃くなると、自分たちが坐つてゐるそこら一帶だけが、黄いろいやはらかな光のなかに浮き上つて見え、一つの氣分を釀し出した。やうやく眼をとろんとさせて來た彼等は、身も心もほしいままにその氣分のなかに浸つた。空の徳利が三本四本とならぶ頃には調子も出て來て、誰からともなく唄ごゑがはじまり、うたはぬものたちも手拍子を取つてこれに和した。年寄りの一人が、早くから飮めなくなつて、首をがつくりと前へ落し、誰が盃を前へ持つて行つて耳もとで怒鳴つても、何んにも云はず手を頭の上で振るばかりであつたが、その時ひよろひよろしながら立ち上つた。よろめく足と、妙な手つきとで踊りはじめた。盆踊りのしぐさである。一座はどつと囃し立てたが、二人が立つてその後につづき、蓆を敷いてつくつた座席のまはりをぐるぐるまはりはじめた。聲自慢の男がゐて、一段と張り上げた聲で、

「アー圓くなれ圓くなれ、一寸圓くなれ、コラセ、十五夜のあの月のやうに。」

と、うたつた、一同は、「ヨーホイヨーホイ、ヨイヤナ」と聲を揃へて囃した。

駿介は人にすすめられるままに三つ四つ盃をあけて、この唄を聞き、騷ぎを見てゐた。彼は酒をたしなまなかつた。かつて東京にゐて、目標を見失つた、または見出し得ない苦しみから、といふよりは苦しんでゐるといふことへの感傷的な甘えと、はけ口を求め得ないで内にのたうちまはつてゐる若さの壓迫とから、仲間の學生と共に彼も酒を飮み歩いた晩がある。前後を通じて、さういふ夜は十夜もあつたであらうか。最初苦しいばかりと思つた酒も、時には、うまいと思ふこともあるやうになつたが、間もなくさういふ仲間たちとも離れてしまつた。さういふことで一時をでも糊塗し得るわけのないことははじめからわかつてゐた。彼は一時といへど何もかも忘れて醉ふといふことは到底出來ぬ男であつた。

しかし今晩は、もしもすすめるものがありさへすれば、自分も飮んで醉ふことができるだらうとの氣持がしてゐた。彼は人々と一緒に唄ひ、手拍子を取り、踊るといふことは出來なかつた。はじめのうちこそ彼は兩隣や、向ひのものたちと愉快に談笑してゐたが、座が亂れてしまふとさういふこともなくなつた。彼はぽつねんとただひとり取り殘されたかに見えた。しかし彼自身の氣持はその姿のやうにひとりぼつちではなく、充分に人々の氣持に通つてゐた。彼は人々と自分との間にさほどに大きなへだたりは感じなかつた。この場の雰圍氣にどうしてもなじまぬもの、そぐはぬものは自分には感じなかつた。むしろ素直にそのなかへはいつて行き、唄はなくても踊らなくても、人々が樂しんでゐるものを自分も一緒に樂しむことが出來るやうに思つた。そして自分のやうなものがさういふ氣持になれるのは、やはり、たとへわづか一月餘りではあつても、生産の上の仕事において彼等と勞苦と歡喜とを共にして來たからであると思つた。

しかし、誰ももう彼に酒をすすめるものはなかつた。弱いものは醉ひつぶれてしまつたし、強いものは人にもすすめぬ代り自分もすすめられることもなく、めいめい勝手に注いでは飮んでゐた。小さな盃などはもどかしがり、茶碗に注いで飮んでゐるものもあつた。

もう酒が切れた、といふやうな聲がした。そこらあたりにある徳利が、一つ一つ振つて見られた。底の方にかすかな音が殘るものもあつた。すると一人が、

「よし、俺が一升買ふぜ。」と、云つて、自轉車のおいてある方へ立つて行つた。まだ飮むといふだけあつて、足もともあぶなげなくしつかりしてゐた。

「氣イつけろよ。道が暗いから。」と、うしろから云つた。

「大丈夫だ。」と云つて、さうして彼は闇に消えた。

間もなく駿介はひとりさきに歸つた。彼は目立たぬやうにそつと席をはづした。夜は更けてその頃になつてやうやく姿をあらはした月は、やや傾いたところにあつた。道々蟲の音が水の流れのやうであつた。

十

盆が近づいて來た頃から、駒平は何かしきりに忙しさうにしてゐるのであつた。彼は家に落ち着いてゐるといふことがなかつた。畑の仕事は家のものに任せ、自分は朝早くからどこへか出て行つて、夜遲くなつてから歸つて來るといふことが多かつた。彼の忙しさの性質を、駿介は知らずまた別に氣にも止めなかつた。

夜更けに駿介はふと眼を覺して、茶の間の方に、まだ起きて何か話してゐる人聲を聞いた。遲く歸つて來た駒平がおむらと話してゐるのであつた。ひそひそと何か憂はしげな、ただに深夜のあたりを憚かるといふだけのものとは思へぬ老夫婦の話聲は、その内容はほとんど聞き取れなかつたにしても、その時はじめて駿介の心をとらへた。さういふ夜は一晩だけではなかつた。さうしてやがて彼が老父の心配の性質を知つた時に、彼は自分の餘りの迂濶さに恥かしさを感じたのである。

それは田舍の盆といふものをさへ知つて居れば、すぐにも思ひつくべき筈のものであつた。事柄は金に關してゐた。役場や信用組合には延ばすことの出來ない拂ひがあつた。材木屋雜貨店、醤油屋、醫者などの拂ひもそれぞれに大きかつた。自轉車屋とか鍛冶屋とかは、いはば、自分等の仲間うちの小者であるだけに、駒平の氣性としてはどうしても延ばすことは出來なかつた。

田舍の生活において、現金がどれほどの惱みのたねであるかといふ當りまへのことを、駿介はあらためて思つて見た。年に二度三度きまつた時に多少まとまつた金が入るとしても、それらは入る前に出る方向が早くからきまつてゐる。それが入るといふ見込みの上に金が借られ、すでに使ひ果されてゐるといふのがむしろ普通である。現金を必要とする消費生活の部面は、農民生活のなかにあつて年々大きな廣がりを持たぬわけにはいかない。それをふせぐといふことは出來ない。それは社會が進歩するといふことと同じことなのだから。しかし反對に金が入つて來る道はほとんど昔のままに限られてゐて、たまに新たなものが附け加つても實質的にはどれほどのものももたらさなかつた。出稼に出るか、養蠶をやるか、蔬菜類を賣るか、薪を伐るか、炭を燒くか、麥稈眞田を編むか、その他の副業によるかであつた。それらの實際がどういふものであるかは今日あまねく知られてゐることである。

今年の盆にも村を逃げ出すものがあらう、といふやうな噂を駿介は人の集る場所などで耳にすることがあるやうになつた。逃げ出すものは誰々であらう、などとその名までが、無遠慮に、物見高い人々の口にあげられもした。逃げ出すといふのは無論その當座だけのことで、毎年さういふ人はどこの村にもあるといふ。あとには何も知らぬ子供だけが殘つてゐる。田舍だけに、盆とか節季とかいふその時だけをさうして過せば、貸主も諦めてその次の支拂ひの時まで延ばすことになるものと思はれる。

駿介は、老父の今の場合のために自分が何事をも爲し得ないといふその事實を痛感した。今の彼は自分の獨立の力をもつてしては一錢の金をも新につくり出すことは出來なかつた。彼も長い間貧しさとは戰つて來たけれども、その經驗は今の場合には何の役にも立たなかつた。彼は志村と上原と、それから東京にゐる二三の豐かな學生とを思ひ出した。が、思ひ出しただけで、彼等のうちの誰かに向つて思ひ切つて云ひ出して見るといふ氣にはどうしてもなれなかつた。

考へた末に、彼は今の自分に出來るたつた一つの事をすることにした。

ある日彼は自分の部屋にひとり籠つて長い時間を過した。東京から持ち歸つて後、一部分の外はまだ取り出す暇もなかつた藏書をそこへ出して見るのであつた。それらは餘り大きくはない三つの行李に詰つてゐた。彼は多少でも餘裕がありさへすれば本を買つた。貧しい學生としては高價な書物を持つてゐる方であつた。今度歸郷するに當つてかなりの册數を賣り拂つて來たが、金目のものは尚かなり殘してゐた。學生の例として、いま讀めても讀めなくても、いつか一度は讀まねばならぬとされてゐる書物を、殊に洋書を苦勞して彼は買つてゐた。まだ專門の學を修めるまでにはなつてゐなかつたから、その時その時の氣持で、いろいろな方面に亙つてゐたが、筋の通らぬ書物は無いと云つてよかつた。そして、古本屋には世話になることの多かつた彼は、それらの一册一册の賣値をほぼ正確に推し測ることが出來た。

彼はどうしても五十圓は得たいと思つた。五十圓分の册數をただ取り揃へるだけなら容易であつたが、どれにしようかといふ撰擇には迷はないわけにはいかなかつた。これにしようと選び出したすぐあとから、それよりはこれといふ氣になるのだつた。無理をしてそれらの書物を買つた時のことや當時の自分の生活が一々思ひ浮んだ。書物の手ざはりや匂ひに過去がまつはりついてゐた。そして今の彼はいろいろな意味で思ひが過去に向ふことを苦痛とした。

彼はここ數ヶ月、新しい生活に沒頭し、その新鮮な魅力にとらはれ、愉快な多忙に心身を驅使されて、他を顧みる餘裕はなかつた。新しく攝取すること、新しい生活に自分を適應させることで一杯だつた。彼の自己變革はまづ生産に參加する勞働の過程において實現されねばならなかつた。書物による知識の吸收といふことはここしばらくは顧みられずにゐた。そして忘れられてゐて別に苦痛ではなかつた。しかしそれを苦痛とする時は遠からずして來るであらう。

若い駿介がかなり漠然とした自覺において求めてゐるものは、見方によつていろいろに表現できるであらうが、一面から云へば、彼は知的勞働と肉體的勞働の圓滿な結合、その統一の状態を求めてゐるのだと云へる。この二つの分離が、今日の社會と人間との不幸の源であると云へぬことはない。しかし、そのやうな統一の状態を個人的な生活においてだけ追及するといふことはそれは何だらう。事は、それぞれに不具的な都會と田舍との對立といふやうな、社會的基礎にその原因を持つてゐる。

駿介は志村を思ひ出した、彼の言葉のなかのあるものを思ひ出した。晴耕雨讀、勞働の體驗といふやうな言葉は、駿介自身も皮肉な氣持でなければ口にすることは出來なかつた。

しかし彼自身の新しい生活も晴耕雨讀的なものに止まるおそれがないとは云へない。農民の生活がやうやく手に入つて來る。同時に忘れられてゐた、彼のなかのインテリゲンチヤがうづき出す、兩者の統一が求められる。新しい困難がはじまる。そしてその困難の克服も、その統一の原理が、社會的見地から云つて新しく高いところに求められるのでなければ、結局は晴耕雨讀的な解決に終るであらう。

しかしその新しく高い社會的見地、といふものも具體的なものとしては彼にはまだ充分にはつかめてゐない。一應の知識としてはわかつてはゐるが。彼は生活の現實を通して、單なる知識以上に本質的な理解を深め得るであらうと期待してゐる。

駿介は久しぶりに書物の匂ひをかぎ、棄て去つた生活を呼びもどした。それは實にはるかな遠い昔のやうにも感じられた。するとそのものへの郷愁も一時に強く湧いて、自分の行かうとしてゐる道の容易ならぬ困難をあらためて思ひ知つたのだつた。

長い時間かかつて、駿介は適當な册數の本を選び出した。それを手頃な二つの箱に詰め、自轉車の後につけて、三里ほど離れた町の驛へ持つて行つて鐵道便に託した。親しくしてゐた友人の一人に手紙を書き、事情を述べて、出來るだけいい値になるやう、心配してくれ。と云つてやつた。

一週間ほどしてから、その友達から書留が來て、それには七十圓入つてゐた。駿介の豫定よりは二十圓多かつた。爲替の關係で、洋書の値が高くなつてゐる理由からだつた。

駿介はそれを駒平に渡した。明後日が盆の初日の十三日といふ、十一日であつた。まだ煙草が終らぬうちのことであつた。その金をどうして得たかについては、駿介はべつに語らなかつた。

「さうかい、そりやどうも。」と、駒平はちよつと頭を下げた。

「とんでもない心配をしてもらうて。」

駿介が云はなかつたことについては、駒平も立ち入つて訊かうとはしなかつた。しかし薄々は彼も前々から、氣づいて知つてゐたらしかつた。

盆には、どこの家でも前の日から仕事を休んで、何かかにか忙せはしげであつた。駿介の家は一向宗で、佛壇に花や供物を飾る以外、仰々しいことはべつになかつた。このあたりの宗旨は一向宗と眞言宗がおもである。大抵の家では大掃除をし、ふところ工合のいい家では、この機會に家の普請や疊替へなどもするやうであつた。

駿介の家から家を二軒隔てて向うに丘があり、そこに村の共同墓地があつた。庭に立つと、墓石がすすきの間から幾基も指さし得るやうなところであつた。朝から彼の家の前は人通りが絶えなかつた。女や子供たちは、竹の熊手、竹箒、手桶、花筒、花束などを提げて通り、墓の掃除をする人々のなかには、杉野の家の井戸まで水を貰ひに來るものも多かつた。掃き集めた芥を燒く白い煙が木立の陰から幾條すぢにも上り、風のかげんでその匂ひが駿介の立つあたりまでも流れて來た。

盆の初日の日暮方二時間ばかりの墓地の賑はひは、駿介に子供の頃を思ひ出させた。身體の二つに折れ曲つたやうな年寄りが、娘、孫、曾孫ひまごまでを從へて來る。さういふのが一組や二組でなく見られることは、駿介に、人間と人間生活の、今までは餘り考へなかつたやうな面をも考へさせた。家といふもの、肉親といふものについて事新しく考へた。種の不可思議といふことを考へた。遺傳といふことを考へた。十人もの一族の顏が、一人一人どこか似てゐるといふ當然なことまでがほとんど驚きに近いやうなことであつた。人間社會の過去と現在と未來についても考へさせられた。それは多くの場合、思想的なあるひは社會的な大きな問題として、論議されることに慣れてゐるが、人間の世代が四代にも亙つて、生きた姿として眼の前につながつて見ると、特別な感想を掻き立てられないわけにはいかないのだつた。

松の生なまの割木をこの地方では肥松こえまつと呼んでゐる。墓場のあちらこちらに、この肥松を焚く焔が赤々と燃え、脂やにの匂ひが鼻をついた。それは線香の匂ひとまじり合つた。鉦の音と讀經の聲が、あたりが暗くなつてもしばらくつづいてゐた。

去年は盆踊りをやつたが、今年はやらぬといふことであつた。その代り、天神さんの境内で萬歳が催された。駿介の隣近所からも、男、女が揃つて扇を持つて出かけて行つた。三味や、太鼓の音が、十一時過ぎまでも遠く聞えてゐた。

次の日はどこの家でも客の接待をする習はしである。血筋の者たちは、相互に、客を招んだり、客に行つたりした。村のうどん屋が朝から非常に賑はつた。女や子供が粉を一升二升と持つて行つて、うどんに打つてもらふのである。非常に混み合つて、自分の番が來るまでには、一時間の餘も立ちつづけなければならなかつた。このうどんは、客への饗應のおもなものである。

盆は十六日まで續いた。が、二十日の晩に、この部落と隣部落の共同主催で、毎年特殊な催しがあるしきたりなので、村人たちはそれが濟むまで盆氣分のなかに浸つてゐた。

十九日の朝から、二部落の人達は、戸毎に一名づつ、手に手に繩と手斧とを持つて近くの山に集つた。「肥松切り」である。かねて山の松の大木が二本買つてあり、總掛りでこれを二尺ぐらゐの割木にするのであつた。先づ二人用の横挽鋸で根元に近く切りはじめる。力自慢、腕自慢の人々が何人か交替で挽いて行く。二抱へもあらうといふ大木も、瞬く間に六分通り挽かれたところで、かねて木に結へてあつた綱を、みんなして引き、倒してしまふ。倒れた木は、二十人近い人で二尺副に木挽きする。その丸太を、他の者が斧で割つて行く。割つたものを束にする。大勢の手なので、すべてこれらの作業は短い時間のことであつた。

その山から、金毘羅山の頂上までは峰傳ひであつた。そして峰から頂上までの間に、篝火を焚く穴が、百三十何箇所も掘つてある。町人たちは、束にした割木を運んで來て、一つの穴に二束の割でおいて𢌞るのだつた。

これはこの村の年中行事の一つで、「お大師さん」の祭なのである。部落のなかに、お大師さんがあつて、小さな建物で、今は坊主もゐず、番人一人といふ寺である。二百數十年の昔、この寺の住持が、四國八十八ヶ所の土を少しづつ持つて歸つて、さきの峰傳ひに新八十八ヶ所を作つたと傳へられてゐる。そこには、石の阿彌陀や、石の厨子づし、石塔などが二三間おきに片側にならんでゐる。篝火はこの八十八ヶ所のためなのである。

二十日は朝から賑つた。山の下に通ずる道路には露店が店を張り、浪花節の小屋掛けさへ立つた。この村のお大師さんの火といふものは、縣下に廣く聞えてゐる。遠い村々からもたくさんの人たちがこの部落に向つて集つて來た。山には人を上げないので、すぐ下の道路は殊の外に混雜した。通の傍に蓆を敷き、酒を酌みはじめてゐる者の姿も見られた。

日は全く落ちて、月のない宵闇が暗くあたりを包んだ。

間もなく太鼓が𭽸々と打ち鳴らされた。

それを合圖に肥松に火が點ぜられた。

火は勢よく燃えた。百三十ヶ所から一時に燃え上る火は、山全體を包むかと見えた。松の木立ちの間から高く上り、山裾から峰を走つて頂上に伸びた紅蓮の長蛇にも似た火焔の姿は、壯觀といふのほかはないものだつた。森も田も畑も家も道に集ふ人たちも、ただ一樣に赤く映し出された。

篝火は一時間餘り燃えて消えた。火が全く消えてしまつてからはじめて月がのぼつた。人々が散つたあとの村の夜は常にも増して寂しかつた。犬の遠吠えがおそくまでも聞えてゐた。

十一

秋は祭禮の季節である。お大師さんの祭を皮切りとして、種々雜多な神さんが、次々に飛び出して來て、駿介を面喰らはせた。主として、生産の上の仕事の面からのみ農民を見、その面で彼等と接觸して來た駿介は、今は他の面を通して彼等を知ることを必要とされて來たのである。

ある日、部落の二人の男が杉野の家を訪ねて來た。そのうちの一人の瀧山は、少年の頃大阪に出て、鑢工場に十年近く働き、一人前の職人だつたが、父親が死んだので、今では村に歸つて百姓をしてゐるといふ、まだ三十前の青年だつた。他の一人の前島は、頼まれれば選擧の演説などにも出る男で、わからぬ文字などは彼に訊けばいいといふことになつてゐる。二人とも、村での知識として知られてゐる。

「お父つあん、お出でなさらんの。」

駒平は丁度留守であつたので、駿介が會つた。しかし、初對面ではない。

「いや、いいんです。お父つあんでなうても。あんたに聞いてもらへば。」と云つて、

「しあさつて、牛神さんのお祭をするよつて、いくらでもいい、上げておくんなさるまいか。」

「はア、牛神さん?」

「ああ、さうか。あんたはまだ御存知なかつたか知らん。」

さうして彼等は説明しはじめた。四年前にこの部落の百姓が飼つてゐる牛が、相前後して、ほんの一寸の間に三頭死んだ。怪しんで、信心家の種牛屋の政吉さんに伺ひを立てて見ると、

「お前さんの部落には、牛の神さんがありはしないか。さうしてその神さんを粗末にしてゐるといふことがありはしないか。」

云はれた者たちが、部落へ歸つて來て人を集めて訊いてみたが誰にも心當りがない。そのうち、故老の一人が、山の一つの谷に今はその痕跡だけが殘つてゐる祠ほこらの話をした。今から何十年昔には、「牛神さん」と云つて毎年祭があつたものだと云ふ。それがいつの間にか廢れてしまつたといふ。するとそれを聞いて、さういへば自分は去年あすこのすぐ傍の松の木を伐つた。いかにも大きな木であれは神木であつたかも知れん。それを伐り倒した時、木は祠の上にドサツと倒れたが、あれが惡かつたのかも知れん、と、青くなつて語り出す男が出て來た。つづいて似たやうな話が、二人三人によつて語られた。

てつきりそれに違ひない、といふことになつた。そして早速瀧山や前島の肝煎りでさかんな祭りが執り行はれた。祠も新に建つた。爾來、祭は毎年秋に行はれる。

「神驗あらたかなもんや。それ以來といふものは、この部落ぢやどこの家の牛も皆達者でのう。病氣になつたり死んだりするものはてんでないやうになつてしまうた。」

駿介は、何とも答へやうがなくてしばらく默つてゐた。

「神驗あらたかなもんや」といふ、瀧山の口吻には、皮肉なものがあるやうにはじめは思つた。何もかも心得てゐて、祭といふやうなものからうまい汁を吸つてゐる、ケチなずるさではないかと思つた。が、すぐにさうばかりではないと思はせられた。うまい汁を吸つてゐるといふことはあるにしろ、ともかく彼は牛の神さんを信じてゐる。さうして、ただずるいだけの彼に對するよりも、さういふ彼に對することの方が、駿介にとつては苦痛であつた。

かういふのが村のつきあひといふものなのだと今さららしく感じた。寄附にはいくらやつたらいいものか、彼にはちよつとわからなかつた。五錢か十錢でいいやうな氣もするし、いくらか土地を持つてゐる家の手前、もう少し出さねばならぬのかといふ氣もする。さうかといつて、駒平が歸つてから相談して見るといふほどのことでもない。で、彼はいくらあげたらいいか、といふことを訊いてみた。

「いくらでも。お志で結構。」と、どうしてもそれ以上は云はない。それで、駿介は十五錢渡した。

駒平が歸つてから話すと、

「結構やとも。十五錢で。――十錢でもよかつた。」

そして彼はその祭に對しては別に批評がましいことは云はぬのみか、やがて、

「さうさう、うちでも今年はもうすぐ毘沙門さんを祭らにやならん。――今年はうちが祭主ぢやけに。」

「毘沙門さんて、何ですか。」

「うちの畑に出る道の傍の大きな石の上に、祠があらう。あれが毘沙門さんぢや。」

さういふものはあるにはある。それは彼の子供の時からあつたやうだ。ただそれが毘沙門さんであるといふことは彼は今まで知らなかつた。それを知らぬくらゐであるから、昔は祭などはなかつたのではないか。

「いつからそんなものを祭るやうになつたんです。」

「さア、あれも三四年この方のことやないかな。もつとも俺らが仲間へ入るやうになつたのは今年はじめてのことだ。毘沙門にも講みたいなものが出來てゐてな。はじめは村井や土田なんぞが拜み出したんやらうが、今は六軒ぐらゐある。うちも入れとやかましういふもんだから、べつに反對を打ぶたねばならんほどのことでもないによつて、まア入ると云つたんぢや。したら早速今年は祭主になれといふ。また物入りなこつちや。」

「そんなことやめたらどうです。今年はじめてなら、まだ遲くはないでせうから、今のうちに取り消してやめつちまつたらどうですか。」

「さうもならんて。」と、駒平の態度は、この問題に對しても、ほかの問題に對すると同じだつた。

「そりや俺らだつて何も毘沙門さんを信じとるわけやないがな。これですすめられながらあれらの仲間に入らんと居つて見い。いつか、うちに何か不幸でもあつたとしたら、すぐさま、だから云はんこつちやないとか、やれ罰があたつたんだとか、得たりかしこと口うるさく云はれるにきまつとる。俺らはさうしたうるさいことは嫌ひぢや。我慢の出來ることはまあまあ世間なみにと思ふとるんだ。」

「毘沙門さんといふのは何の神さんですか。」

「さア、やはり福の神の一つやないかな。……わしもようは知らん。」

「祭つてどんなことをするんです。」

「何もありやせんさ。ただ人が集つて飮んだり食うたりするだけのことさ。」

二三日經つて、山の麓のある場所に、赤や白の幟が立つて、はたはたと風にはためき、人がぞろぞろ連なつて行くのが見られた。

「牛の神さんといふのはお前、牛だけの神さんか? そのほかの願ひ事はかなはんのか。」

「そりやお前、神さんやけに、牛の神さん云うたかて、何も牛だけには限らんやらう。さうでなけにや、わしなどはつまらん。わしんとこには牛は居らんのやけに。牛が居らんで山羊が居るけに、山羊の神さんでも祭らにやならんといふことになる。」

駿介は、お參りに行く人たちが、そのやうに語りながら行くのを聞いた。

畑の側の大きな自然石の上に、小さな古びた祠がのつかつてゐる。ある日、駿介は、その扉を開いて中に何があるかを見た。手の平大の、輕石によく似たやうな石が一つ、埃をかぶつておさまつてゐた。

毘沙門の祭の前日、夕方近くなつて、おたいさんがやつて來て、

「明日は毘沙門さんのお祭りですが、差支へで來れませんので、今日拜みに上りました。」と云ふことだつた。おたいさんといふのは、神官ではないが、祝詞のりとをあげることを職業としてゐるもののこの地方での稱呼である。日の暮れる一時ひととき前の、農家にとつては一日中での忙しい時だから、家の者たちは皆不機嫌だつた。畑に行つてゐる駒平を呼び戻したりしなければならなかつた。おたいさんは、

「清い藁少々と、半紙と、鹽と洗米とを用意して下され。」と云つて、藁を取つて注連繩を作り、半紙で御幣を作り、それと洗米と鹽とを持つて裏の畑の方へ行つた。講の連中は小ざつぱりとしたなりに着替へて、一人二人と集つて來た。皆、打ち揃つて額づいて拜んだ。

翌る日、祭の當日には、祭主である杉野の家が連中を招んで客をした。

いろいろな神々が祭られてゐる。長く土に埋もれて忘れられてゐた神は再び掘り出され、今まで存在しなかつた神は新たに創り出され、たしかに神々の復興の時と云へる。

祭りは一つには社交であらう。鍬を取つて耕す、といふ仕事の形態そのものは單獨ではあるが、農業全體の過程においては、實に複雜多端に他の人々との相互關係に入り組んでゐる。さういふ彼等の生活はおのづから社交の機會を多く求めるであらう。祭は又慰安であり娯樂であらう。その他いろいろなものであらう。しかしさういふことは埋もてゐた神が掘り出されたり、新たに神が創り出されたりすることを説明しはしない。

ここでも駿介はかの、水饑饉の時の騷ぎを思ひ起した。ああした農民の生き死にかかはる重大な問題の解決者が、人力以上のものに求められてゐる、求められなければならぬやうな状態におかれてゐることについて思つた。さうしてそれは何も水饑饉の場合のみには止まらぬであらう。またそれは何も水といふやうな、自然を相手とする場合のみには止まらぬであらう。繭の値が暴落した時、彼等は容易に、蠶の神を創造し、崇めるだらう。

駿介は自分の部落の祭禮を思ひ浮べてみた。お大師さん、地の神さん、山の神さん、金毘羅さん、牛の神さん、毘沙門さん、八幡さん、などが思ひ浮んだ。そのほかに彼のまだ知らぬどのやうな神々がひよつこり現れて彼を驚かすやも知れぬ。

これらとは一應性質を異にする宗教的行事としては一向宗の「お座」がある。

お座は、眞言宗ではこれを「おかんき」と呼んでゐる。幾軒かの家が一組をなして、毎月輪番にお座を催すのである。杉野の家のお座は六軒だつた。これを組内とも呼ぶ。その日は夕方からお參りがある。入口の所に、手洗水がおいてあつて、それで手を淨めて入る。入つて來た人々は、その家の主人に向つて、

「今晩は有難うござんした。ようお座をお開きなされました。お參りさせて頂きました。」と、誰も彼も皆きまつた一つ文句で挨拶する。主人は、

「ようお參りなさんした。」と云つて禮を返す。

それから二時間ばかり世間話に興じてから、お勤めにかかるのが普通である。

どこの組内にも、讀師とうしの役をつとめるものが一人ある。これが僧侶の代りをする。杉野の組内の讀師は又七つあんといふ老人だつた。

佛壇の前に又七つあんはしかつめらしく正坐する。他の人々は彼の後に少し離れて座を占める。又七つあんはお燈明をあげ、線香二本に火をつける。さうして鉦を鳴らしておもむろにお經を唱へはじめる。聞いてゐる駿介には、何れ三部經の一つであらうと思ふのほか、何の經であるかはわからない。又七つあんの讀經につれて人々はこれに和する。かなり長いものであるが、よく丸呑み込みに呑み込んだものだと思はないわけにはいかない。又七つあんはところどころで鉦を鳴らす。讀經がすむと、又七つあんは、御文章を手に取つて、讀み慣れた一節を讀む。人々は頭を下げて聞いてゐる。最後に、「アナカシコアナカシコ」と讀み納めると、人々は、なむあみだぶつを口々に唱へて禮拜し、手にした數珠をもみ鳴らすのである。

それですんだわけだ。そこで、家の女たちが、うどんを運んで來てすすめる。皆は、「上手に出來てゐる」などと云つて幾杯も替へる。

これらすべての祭禮と、宗教的行事が要求する出費を考へて見て、駿介はその多きに上ることに驚かないわけにはいかなかつた。その出費はぽちりぽちりとであつて、一つ一つは目立たないが、その全體を見るときは、恐らくは公課の何倍にも及んでゐるであらうと思はれた。

毎月取り立てられるものには、お大師さんの電燈代として月三錢、米はお心次第といふことになつてゐて、一合か二合。定期的なものは、山の神地の神は春秋五合宛、金毘羅さんは春秋共十錢宛、八幡さんは春秋二度お心次第で、米の二三合、錢は二十錢ぐらゐは出すことになつてゐる。そのほかに、秋一囘だけの祭で應分の寄附といふのが多い。これらの數々の祭も、部落を五六軒づつ組にして、輪番で祭る。祭によつては、準備のために何日も仕事を休まねばならぬし、たとへば獅子を使ふ稽古のための集り場所になつた家は、自分の費用で、青年たちに充分の饗應をしなければならぬ。怠ると、いつかは必ずそれだけのことはあり、免れぬ。舊の十一月一日からその月二十八日までの所謂お七夜勤めと、舊の十二月中のお正忌勤めには、お座の組内の者は、どの家でもこれを一度づつ開いて座中を招んでお勤めをし、饗應するのであるが、この饗應の費用も、ある家々にとつては、馬鹿にはならぬ負擔なのである。寺と僧侶とが取るものは、云ふまでもなく最大である。

諸雜費と一口に云はれる金錢支出のうちで、一番多額なものは、おそらくこれらの宗教的出費であらうと駿介は思つた。

複雜な社會的諸原因から、農民の暮し向きは、益々決して樂とは云へないものになつて行く。すると費用を要する祭なども取り止めになるかと思はれるが、必ずしもさうではない。種々雜多な現世利益の神々たちが、あるひは新に登場し、あるひは人々のその時々の願望に適ふやうに轉身せしめられ、いよいよ熱狂的に祭り上げられる。苦しい生活のなかにいよいよ無理が重なる。さういふ關係が見られる。

人間が眞實に幸福になるための道と、これらの禮拜との正しい關係を、この人々が知るやうになるのは果して何時の事であらう? さうしてそれはどのやうな道を通じての事であらうか?

駿介は苦しい氣持を味はつた。

さういふ苦しさとは別なものではないにしろ、駿介には彼だけが感じねばならぬ、もつと直接的な日常生活的な苦痛といふものがまたあるのであつた。偶像を祭る行事において、駿介は決して單なる傍觀者であつたり、批評家であつたりすることは出來なかつた。實際に、彼は人々と行動を共にしなければならないのであつた。人々と共に祭の準備をし、人々と共に祭の席に列ならなければならないのであつた。

組の者が役割をきめる時には、その時々によつて、駿介にも、鏡餅を舂く役とか、神酒としての甘酒を作る役とか、部落の各戸から米を集めて𢌞る役とか、五目ずしを作る役とか、さういふ役が割り當てられる。祭の日には神酒の甘酒を、酒杯の底にちよつぴり垂らしたものを、子供のはてにまで嘗めさせる。片木へぎにすしを盛つて人々に配る。鏡餅を、部落の戸數の數だけに細かく切つて、家毎に分ける。さういふ當番としての仕事を、駿介もやつた。駒平に代つて、自分から進んで引き受けてやるほどであつたのは、自分をみづから特別な人間に扱つてはならぬ。生活のあらゆる部面において慣れねばならぬ。一先づ習俗に從ふことで自らを人々に同化させねばならぬとする、彼の信條に基づいたものであつたが、實際には容易ならぬことであり、苦痛も大きかつた。たとへば、かの葉煙草の乾燥祝の夜の酒宴にくらべて、そのどつちも外見は似たやうな交驩の姿なのであるが、あれとこれと、受け容れる駿介の心は何と違つた動きをなしてゐることであらう。あの時には、彼は、一切を、愚かしく見えるものまでを、微笑ましい素直な氣持で受け容れることが出來たのであつた。

はじめ、生産における農民と直接に相結んだ時には、駿介はただ一途に農民に惚れ込んだ。その簡潔素朴な姿を愛した。その無駄のなさと、中身の詰つてゐる生活を愛した。しかし彼はやうやく彼等の他のいろいろな面をも見るべき時に立ち至つてゐた。

もちろんそれははじめから分つてゐたことではある。農民とは何であるか。その生活はどういふものか。その性格とか特質とかいふものは、いかに長く家を離れてゐたとはいへ、彼自身生れながらにそこに屬してゐるのだから、概念以上のものとして知つてゐる筈ではあつたが、實際の場合に臨んでは、やはりさまざまな感想を誘はれることである。

駿介は三四の人々の體驗を讀んでみた。かつて知識人として生活し、のちにそれぞれの動機から農民の間に入つて生活した人々の書いたものを讀んでみた。おほむね、物足りぬ感を懷くか侮蔑を感じさせられるかした。彼等は農民の否定的面を見たり感じたりしないのではなかつた。駿介よりももつと鋭く細かに見たり感じたりしてゐるのに違ひなかつた。しかしその瞬間に彼等は自分をも人をもあざむいた。あるひは意識して、あるひは意識せずに。もつとも屡々、彼等は田園情調的なものを持ち出して來た。人間にも、風物にも見たり感じたりしたものは、そこで修飾され、美化された。そしてそれは當然だつた。なぜならば彼等は厭なものは見まいと思へば見ず、避けようと思へば避けることが出來たのであるから。彼等の百姓仕事といふのは手慰みの程度であり、彼等はほかに食ふ手段を持つてゐたのであるから。彼等は、蘆花の、「彼は美的百姓である。彼の百姓は趣味の百姓で、生活の百姓ではない。」といふが如きものであつたのだから。

しかし、駿介はさうであることは出來なかつた。

すべてはまだやうやくはじまつたばかりである。彼はなほ實に多くを經驗しなければならないだらう。

十二

秋がしだいに深くなつて行つた。

稻刈りを前に控へて、村全體が活溌な動きを見せはじめた。

季節季節によつて、農家には、それ自體をもつて完成する、その季節を代表するやうな何等かの營みといふものがある。ただ、夏にはさういふ目立つた活動がない。煙草の收穫はあるが、それは限られた煙草耕作者だけのことである。蔬菜について見ても、この地方には、取り立てて云ふべきほどのものもない。長い夏中、彼等はひたすら秋に向つて、備へるだけである。すべての活動は稻の良き收穫の日に向つての準備に過ぎない。だから、旺んな力が外へ外へと向つて伸びる。夏といふ季節の性格とは反對に、この時期の農民の動きは、何となく沈潜した靜かな趣をそなへる。秋はこの沈潜してゐた力が外に現れる時だ。この一年中の總決算の時に向つて、彼等のありたけの活動力が振ひ起されるのである。

栗や柿や葡萄やアケビの類も實り、熟する。山はもうおほかた開かれて、口のあたりを赤い汁で染めて峰から峰を木の實を漁りながら傳つた少年の日の俤はないが、それでも山の腹の思ひがけない繁みに、鈴なりの山葡萄の幾房かを見出すやうなこともあつた。山はまた茸狩りで賑はふ。駿介は何年ぶりかで實りの秋の豐かな感じを深くした。

駿介も忙しかつた。彼も一日もぼんやり手を拱いてゐるといふことはなかつた。何かしら次々に計畫し、それを實際化するために動いてゐた。

彼は、自分の家には、耕作用の牛一頭の外に、どんな生きものも飼はれてゐないことが物足りなかつた。鶏とか兎とか豚とかいふもののゐない農家は、第一ちつとも農家らしくないと思つた。そして昔は彼の家も鶏とか兎とかは飼つてゐた。冬の夕暮れ家の下手の小川の清らかな流れのほとりに駒平がうづくまつてゐた。彼は何かを洗つてゐるのだつた。遊びから歸つて來た少年の駿介は、すぐ傍にかかつた橋を渡りかけて、上から見てゐた。冬が來て、水は水底の一つ一つの石も、その石と石の間にはさまつてゐる落葉さへもよく見えるほどに澄んでゐた。水をパシヤパシヤさせてゐる水のなかの駒平の手の下は薄赤い肉色だつた。駒平が立ち上つた時に、手に下げたものが赤いのつぺらぼうな皮を剥ぎたての肉の塊であつたので、駿介は息の止まるほどに驚いてしまつた。その時の薄氣味の惡さと、しかし透いて見えるやうに綺麗だつた桃色の肉の色と、寒さうな流れのさらさらといふ音とは今もふしぎにはつきりした印象で心に殘つてゐる。

しかし、じやがいもや大根と一緒にごつた煮にする軟らかな兎の肉はたとへやうもなく美味かつたし、剥がれた皮は、時々𢌞つて來る男に買ひ取られて行つて、その金が小學生の自分の紙や筆の費用になることを、彼は知つたから、赤裸の剥き身を見ても間もなく彼は何とも思はなくなつた。

兎は長くはゐなかつたやうだが、鶏はつい近年まで飼はれてゐたやうな記憶がある。

駿介が駒平に訊いてみると、

「別になんでといふことはない。儲けにならんで損をすることが多いもんやから。それで三年前だつたか、卵が百匁十錢以下になつたことがあつた。それを機會しほにやめてしまうた。手數をかけて飼ふほどのことは無いよつて。」

駿介は計算してみた。百匁十三錢から十五錢ぐらゐだと、百羽も雞を飼つて居れば、月に十圓から十二圓ぐらゐの損になる。さうして卵の相場が十三錢から十五錢ぐらゐに下るといふことは此頃では始終のことらしい。これでは大仕掛に飼つてゐるところほど損が行く。しかし四羽か五羽、自分の片手間の勞力だけで飼つて見たらどうだらう。

大仕掛に飼つてゐる所の損失といふ場合にも、その計算には、特別に人でも雇つて金を支出したもの以外には、勞力は一文も換算されてはゐない。家の者の勞働は全くただで、食ひもし飮みもし着もする人間の勞働といふことは忘れられてゐる。農民の經濟においては何に限らずさうだ。もしも世間並に彼等の勞働を、金に見積つて收支計算を立てて見たりしようものなら、さらに注目すべき結果が生ずるだらう。そして今日の經濟學者たちのやうに、貧農の營みにまで企業的性質を見ずには居られぬといふのであれば、人件費なども企業並みに計算すべきが至當ではないかと思はれる。

だから、いま駿介が、自分一人の片手間の勞力に於て飼ふのだからと云つたところで、損失すべき時は損失し、その割合は、大規模にやつてゐる所と別に相違があるべき筈もなかつた。ただ損失の絶對額において大小の違ひがある。そして小額の損失ならば、大したこともあるまいと思ふだけだ。

しかしさういふことよりも、彼を積極的ならしめるものは、色々な經驗をして見たい、といふ熱心な氣持である。三年前の鶏舎はもう取り壞してあつたし、彼は新たに、小さな鳥小屋を作ることからはじめた。使ひ殘りの古材木と、竹藪から切つて來た青竹とで、やうやく鳥小屋を組み立て終つた日の夕方、家の前の道にオートバイの音が止つた。かねて頼んでおいた駒平の知合ひの、町の運送店の若ものが、白レグの雌を三羽持つて來てくれたのである。彼に頼むと、普通より廉く鶏が手に入る道があるのだつた。

早速新しい鳥小屋に放した。

若ものは一服して歸り、駿介はまた鳥小屋へ戻つて來た。水と餌とを入れてやつたが、鶏は食はうとはせず、頸をのばし、頭をかしげなどして、クククククと喉を鳴らした。きよときよとと驚き惧れてゐるふうである。塒にもまだ氣づかぬらしい。高い止り木に飛び上らうとしてはすべつて落ちて、羽をバタバタさせた。

ふと、うしろ向きになつたなかの一羽の異状に氣づいて、駿介はそれをつかまへて見た。肛門から赤い粘膜がはみ出し、垂れ下り、液が流れ出て、鶏の尻の毛は濡れて汚くなつてゐる。

脱肛に違ひはない。

駿介は腹が立つた。若ものが自分の青さを見くびつて、こんなものを持つて來たのだと一途に思ひ込んだのである。彼は駒平の所へ行つて話した。駒平はやつて來て、一目見るなり、

「鶏はどうして持つて來たかい。」

「オートバイの尻に籠をつけて、その中さ入れて……」

「ぢやあ、なんだ、自動自轉車をがいに飛ばすやらう。ドシンドシンするやらう。反動で籠もひどく上つたり下つたり搖れらあね。なかの鶏もそのたんび、抛り上げられたり抛り落されたりする。それでさうなつたんさ。」

「もつとも。」と、彼は附け加へて、

「澤山鶏を飼つてゐると、脱肛なんぞ珍らしくはない。卵を産む折にさうなるものらしいが、はじめつから承知でそんなのを持つて來たと思ふより、持つて來る途中にさうなつたと思ふ方がええやないか。腹が立たんだけでも。」と、笑つた。

「それでどうなるんです。この鶏は、癒りますか。」

「たいていは癒らぬな。やがておつ死ちぬだらうよ。うまく癒つても卵は餘り生まん。」

駒平は鶏をとらへて、指先で脱肛を中へ押し込んでやつたが、鶏が呼吸をするはずみにまた飛び出してしまふ。何度も繰り返してそれをやつてみたがだめだつた。

「まア諦めるのほかあるまいが、すぐに諦めるのもかはいさうぢや。しばらく飼うて樣子を見たがええ。」

さう云つて彼は手を洗ひに向うへ去つた。

もう薄暗くなつてゐた。駿介は鶏をとらへて塒のなかへ入れた。當分は寢床を教へてやらねばならないと思つた。そして小屋の戸を閉めた。

翌朝、起きて見ると、塒に玉子が二つ生み落してあつた。健康な二羽が生んだものに相違なかつた。卵の顏を見ると鶏が可愛くなり、飼ふことに樂しみと張合ひとを感じて來る。鶏に對して持つ、あつたかな親しさの感じが非常に深くなる。産み落された卵には、自分の力も加つてゐるやうな氣がしてゐる。この我ながら微笑されるほど現金な心の動きには、だが、眞實感がある。

しかし、鶏はそれきりでしばらくは卵を産まなかつた。運んで來た時の激動と、居所と食物の變化と、それらのためであらうと駒平は云つた。鶏の質はいいのだとも彼は云つた。

すると十日ほどしてからまた産みはじめた。そしてそれからは二羽とも順調に産み續けて行つた。三日に一度は休んだ。一月餘り經つたある日の朝、駿介は箱の中に一時に三つの卵を見つけておどろいた。その頃はもう脱肛した一羽のことは諦めて、べつにかまひもせず、成行きに任せておいた。それがいつの間にかうまく癒つて、思ひがけなく卵を産んだのだつた。

卵は自分の家でも食つた。しかしその多くは貯めておいて、ある數に達すると農會へ持つて行つて金に代へた。農會では、農家を𢌞つて歩く商人よりは、百匁一錢は高く買ふと云つてゐるが駿介は必ずしもさうではないやうだと見てゐる。ただ必要な時は何時持つて行つてもすぐに金にしてくれるので便利だからだ。時々、三十錢五十錢と入つて來る金は、思ひがけない不時の收入の觀があつて、そのために助かることも一度ならずあつた。駒平は、お前の小遣ひにせい、と云つて、受け取つても此頃はなるべく使はずにその金だけは別にしておくやうにしてゐる。鶏糞はわづかづつながら、掻き集めて俵に入れておく。これも一俵五十錢で買つて行くものがあるが、賣らずに自分の家の肥料に使ふつもりだ。駿介は二十羽ぐらゐまでは飼へるのではないかと思ふのだが、まだどうとも心を決めかねてゐる。

鶏と相前後して駿介は山羊を飼つて見ることにした。

「山羊は手數も金もかからない。清潔きれいで、臭くない、おとなしいいい奴ですぜ。あんさん一つ樂しみに飼つて見なすつたら。乳を飮みや養生にもなるし。」

さういつて、これは、平藏がすすめてくれたのだつた。平藏の親戚の家で山羊を飼つてゐる。今年生れた仔がもう手離せるやうになつたといふ。望みならばそれを安く讓らうといふのだ。駿介は喜んで飼ふことにした。

ある日、四里ほど離れた村のその家へ駿介は一人で訪ねて行つた。

主人は山羊の小屋へ彼を案内した。豚が四五頭ゐる、その仕切りの隣が山羊小屋だつた。親山羊が二頭と仔山羊が二頭ゐた。手を出すと、代る代る寄つて來て、鼻面をおしつけて、人なつこい人間のやうな眼をあげて駿介を見た。

「山羊の乳はええもんですぜ。乳をお飮みなさるならこの親の方を一匹持つていらしたらええ。」

「親は二頭とも雌ですか。」

「さうです。」

「仔の方は?」

「仔は雄と雌とです。仔の方だつたら二匹ともお讓りします。」

「生れてどのくらゐですか。」

「三月にちよつと缺けますやろ。」

駿介はしばらく考へてから、

「ぢやあ、やつぱり子供の方を頂くことにします。」と、云つた。雌山羊だけ一頭もらつて行つても交尾といふやうな厄介なこともあるし、それに何よりも、子供の時から自分の手で育てて見たいといふ氣持が強かつたのである。

それにしても、どうして連れて行つたらいいものだらう。相談顏に主人の方を見ると、彼は奧へ引返して行つて、果物でも入つてゐたらしいかなり大きな箱を持つて來た。それから仔山羊を二頭とも、前足と後足とをくくり上げてしまつた。駿介がおどろいて、

「その箱の中へいれるんですか?」と、訊くと、

「ええ。」

「大丈夫ですか。」

「大丈夫ですとも。」と、心得切つたふうであつた。そして箱の中に押し込むやうにして入れて、繩を上から網目のやうにかけた。

主人は電車の驛まで運んで行つて、顏見知りらしい驛員に話して、小荷物にして預かつてもらつた。

駿介が乘つた電車にその箱も乘つた。箱の上に大きな風呂敷をかけて、車掌の足の近くにおかれた。村々を貫通するのろい電車の運轉の間ぢゆう、駿介は絶えず仔山羊の箱の方に心をうばはれてゐた。山羊は鳴きもせず、コトリとの音もしなかつた。上にかぶせた風呂敷が、下からほんの一寸持ち上げられたかに見えたことが一度あつたが、それも氣のせゐであるかも知れなかつた。あまり靜かなので、無理をして押し込んだために、息が絶えたのではないかとの不安さへ湧いたのろい電車が氣になり、早く着けばいいとそればかりが待たれた。

終點について、上下に重り合つた二頭が、身動きもならず眼だけをきよろつかせてゐるのを見て安心した。そこからは自動車であつたが、自動車にはほかに荷物がなかつたので何となく氣が輕かつた。

日が暮れかかる頃家に着いて、すぐに箱から出してやつた。箱の底や兩側は、汗でぼとぼとに濡れてゐて、傾けると底の片隅に水が溜るほどであつた。仔山羊の身體もびしよ濡れで、毛がぺつたりしてゐるので、手拭ひで拭いてやつた。仔山羊はきよときよとしながらそこらあたりを飛んであるいた。近所に遊んでゐた子供等が珍しがりわいわい云つて寄つて來て、てんでに草を切つて口のところへ押しつけてやつたが、食はなかつた。その晩は納屋に入れて、綱で結へておき、次の日駒平にも手傳つてもらつて山羊の家を作つた。納屋の裏側に柵を作り、屋根は藁で葺いた。切り藁を敷いて床といふことにした。

平藏の云つた通り、山羊は金も手數もかからず、飼料は草や木の葉をやつておけばよかつた。水を與へてはいけないと云はれて、その理由は聞き洩らしたが、云はれた通りにしてゐる。山羊の踏んだ厩肥は肥料中の最良のもので、牛や馬のそれに勝ると云はれてゐる。眼に見えてずんずん大きくなつて行く仔山羊の成長を見護りながら、實際に手がけて飼つて見なければわからぬ動物へのあたたかな愛を駿介は感じるのだ。

春から夏へかけて日照りが續いた代りに、秋にはよく雨が降つた。しかし百姓にとつて仕合せなことには、夜のうちに降つて朝までには晴れるといふ日が多いのであつた。さういふある朝早く、平藏の所の源次が誘ひに來た。

「茸狩りに行きませう。ゆんべは宵から降つたけに、今日はきつと素晴らしいですぜ。」

いつでも君の都合のいい日に一度誘つてくれと、かねて駿介は彼に頼んでおいたのだつた。

「雨あとの山はよく滑るから、足ごしらへはしつかりして行つた方がいい。」と、源次がいふので駿介は地下足袋を履いてゲートルを卷いた。ゲートルは學生時代のが、よれよれになりながらまだ取つてあつたのだつた。源次も地下足袋だつた。

「晝の飯はどうする?」と訊くと

「欲ばりだなア。そんなに採る氣かね、一片食ひとかたけぶんの茸は晝飯前にはらくに取れつから。」と、笑はれた。それから容れ物をどれにしようといろいろ尋ねた末、餘り大きくはないが、深さはかなりな籠があつたので、

「これにしようか。しかしこれも欲張りの方かな。」と、笑ふと、

「慣れたもんなら、それに八分目は採りますぜ。」と、云ふので、それを持つて行くことにした。

籠の紐を腕に通して肩にかけ、落葉を掻く時の爲にもと竹の杖を持つて、駿介は源次の後に從つた。

彼等は山にさしかかつた。家を出る時はまだ少し薄暗かつたのが、その頃になつてすつかり明るくなつた。遠くからはただ薄青く見えてゐた山が、日が上つたのと、こつちが段々近づいて行くのとで、見る見る消えて行く青い靄のかげから、多彩な秋の色を現しはじめた。針葉樹と闊葉樹が混り合つてゐるので、色も斑らな美しさであつた。まだ十月なので頽れたやうなところはなかつた。それらが夜來の適度な雨に濡れて、しつとりとしてゐて、さうしてそこへ朝日が上つて來た眺めは落ち着いた深い美しさであつた。雨上りの山の上からの風は冷え冷えとして、洗はれるやうな清々しさ、氣持のよさであつた。

「駿介さんは食へる茸と食へない茸とわかりますか。」と、山を上りながら源次が訊いた。

「大抵わかるつもりだがね。この山で採れる茸と云へばどんなのがあつたつけな。名前だけは一通り知つてゐるつもりだが。松茸は別として、……初茸、いぐち、卵茸、しめぢ、じごぼ、さうめん茸……」とあげて、そのあとにまだ何かあるやうで思ひ出せなかつた。

「それから、ねずみ茸。」と、源次が云つた。

「さうさう、ねずみ茸。ねずみ茸といふのがあつたつけなあ。あれはどんなふうのだつたかな。」

「それ、幹が太くつてさ。色はちよつと紅みがかつた紫いろで、……バカに大でかい奴さ。はうき茸つて云ふ人もある。」

「さうめん茸とどつちが大きかつたかしら。」

「較べものになるもんか。ねずみの方が大きい……第一色がちがふ。さうめんは黄色だし。」

「ああ、さうだね。」

忘れてゐた茸の形や色や、手先に折れる脆い感觸や、その香りまでが彼の記憶のなかにしだいにはつきりして來た。

「駿介さんは子供の時には茸狩りに來たことはあるんだらう。」

「あるよ、よく來たがね。しかしおれには松茸は採れなかつた。みんな大人のうまい連中に採られてね……おれの子供の頃には、でも、今ほど茸狩りといつてみんな騷がなかつたやうに思ふがな。」

「それだけ世智辛くなつたのさね、世の中が。」と、源次は大人びたことを云つた。

濡れた山道はよく滑つた。落葉がかなり道を埋めてゐたが、剥き出しの赤土の所があつて、そこが特によく滑つた。樫や櫟やちしやのきなどの落葉の上はそれほどではないが、松の落葉の上はよく滑るやうな氣がした。

「地下足袋よりや、草鞋の方がよかつたか知れん。」

あやふく膝をつきさうになつて、踏みこたへながら、源次が云つた。

道が狹くなつて、兩側から木の迫つてゐる所では、兩側の木に渡しかけてある蜘蛛の巣にしばしば顏を引つかけた。さういふ所では道が暗いので分らないのだつた。あわてて逃げて行く蜘蛛はかなり大きくて、腹の黄色い皆一つ種類のものであつた。

「どれ、代らう。」と、駿介が先に立つて進んだ。彼は杖を持つてゐて、源次は持つてゐなかつたからである。注意して見て、その杖で蜘蛛の巣を打ち拂ひ打ち拂ひ行くのであつた。

廣々とした見晴らしのいい所へ出たので、二人は振り返つて見た。道がS字型に曲りくねつてゐる、丁度その眞中あたりに四五人がかたまり、少し離れて二三人が見える。かなり下で、人の姿も黒く見えるだけだが、何れも茸狩りの連中であることに違ひはない。自分達はずゐぶん早く來たのだなと駿介は思つた。

そこからはまた源次が先に立つて、彼は今までよりも一層急ぎ足になつた。後から續いて來る者たちのことが頭にあるのに違ひなかつた。そして、とある道の別れめに來ると、

「ここから下りよう。」と、山の腹を下へずんずん下りて行つた。そこは北向きの谷で、そこを下りた所一帶が、この山での茸狩りの場所として知られてゐた。松がかなりな林を成してゐるのはそこだけで、松茸は其處以外ではほとんど採れなかつたから、その松林を中心とする一帶が自然茸狩りの場所にきまつたわけだ。

そこへ下りて行つて二人は意外な驚きを持つた。何といふことだ。早いなどと思つてゐた彼等は最もおくれた方だつた。男、女、子供、年寄り、實に澤山な人數が、向うの木の蔭、そこの木の切株の周り、ここの灌木の根元といふふうに、思ひ思ひの所に、蹲まつたり、及び腰になつたりして、競つてゐるのだつた。

「こりや。」

源次はちよつとあつけに取られたふうでそのさまを眺めてゐた。

ともかく松林の方へ行つて見ようと、二人はそこを横切つて行つた。途中、知つた顏などに會ふと、源次は、

「おつさん、早いなア。」などと笑ひかけて、近づいて行つて、

「だいぶ採つたかね。もう。」と、手許においてある籠を覗きこんだりした。しかし云はれた方は「うう」とか、「ああ」とか云ふやうなことを口のなかでもぐもぐ云ふばかりで、不機嫌にむつつりして、手は少しも休めなかつた。籠のなかを覗き込む源次の方を、險しい眼つきでじろつと見るものもあつた。

無論さういふやうなものばかりではなかつた。普通に挨拶するものもあり、こつちが笑ひかければ向うも笑ひ、「たんと採れましたか」と訊けば、「いや、今日は一向だめで」などと答へるものもあつたが、そしてさういふものの方がむしろ普通ではあつたが、しかしそこにも何かのこだはりのやうなものを感じないではゐられなかつた。決して淡白ではなかつた。後れて新しく加つて來た自分たちが、一種の眼をもつて見られてゐると感じさせられないわけにはいかなかつた。

さういふことが三度四度繰り返されたのちには、源次ももう彼等には口をきかなかつた。青年らしく敏感なところのある彼は、彼自身もむつつりした顏つきになつて、所々落葉や草に隱れて切れてしまつてゐる細い道を、松林の方へと辿つた。駿介も默つてその後から落葉を踏んだ。

「松茸は今日はもう駄目かも知れん。」

松林の中へ入ると源次は云つた。

「もうみんなに荒されてしまつてゐるだらうから。」

それは駿介にもさう思へた。ほかの茸はともかく、松茸はこの山では豐かであるとは云へなかつた。始終來慣れて、勝手を知つてゐるものにでなければ採れないと云はれてゐた。それだけにそれは人々に珍重された。今二人が來る途中に逢つた人々は、むろん松林を歩き𢌞つた後であらう。

松林の中は薄暗く濕つぽかつた。東の方が開いてゐるので、朝のうちは日が射すらしく、松の葉の間からの光が堆い落葉の上にチラチラと細い縞をつくつて美しかつた。露が上からパラパラと落ちた。駿介は所々落葉の中に杖を突つ込んで見たりしながら行つた。林の中はしんかんとして人影の見えないのは意外であつた。

源次が、このあたりで、といふ所へ足を止めて、あちらこちら落葉を掻き起しにかかつた。一つも見つからなかつた。菌絲で白くなつてゐる所は、この邊こそと思つて、念入りに探して見るが見つからない。まだ少し時機が早いのではないかと思はれるほどだ。誰かがたつた今引つ掻き𢌞したらしいあとが所々にあつた。

ふと、人の氣配がしたので二人は向うを見た。男が一人十間ほど離れた木の蔭に立つてゐる。こつちに見られたと氣づくと、彼は素知らぬ風で、そそくさと立ち去りさうな樣子を示したが、その時、源次が、

「やあ、兼助かねすけさん。お早う。」と、聲をかけて近づいて行つたので、彼は立ち止つた。

「早いな。兼助さんは。どうな。成績は。うまいとこだいぶやつたんやらう。」

「いや、なアに。」と、源次よりも、七八つも上に見られるその青年は、愛想氣なくもつそりそこに突つ立つてゐた。

「どれ、まア、ひとつ見せてつか。」と、源次は相手の素振りには頓着なく、無遠慮に云つて、彼が左手に下げてゐる籠に手をかけてなかを覗いた。上に何か木の葉でも冠せてあると見えて、籠の中に手を突つ込みながら、

「ほう、あるある。早いとこやりをつたなあ。……駿介さん、まアとつくと見たがええ。」と、こつちを振り返つた。駿介はただ笑つてゐた。

「何だな。兼助さんなんぞは、いい根太ねだを知つとるけに、やつぱしわしらなんぞとは違ふんだな。わしらはまだ慣れんもんぢやけに、一向に根太も見つかりよらん……どうかな、兼助さん。わしらに根太を教へてくれなんどとそんな無茶は云はんが、あんたの行くとこさわしらも一緒に連れてつてくれんかな、そしたらわしらにもどんなところをどう探したらいいかが大體わかるによつて。」

源次はそれを云ひながら、にやにや笑つてゐた。

「根太なんて、わしは何も知りやせんのだから。」と、兼助はぶつつりと云つた。

「根太を訊くことは禁物や。この山から松茸が根絶えてしまうたら大變やからなあ。わしらはただお前さんのあとから附いて行かせてくれりやそれでいいんだ。」

「わしらお前さんら以上のことは何も知りやせん。」

「まア、さう云はんと。」と、源次はしつこくからんだ。

「わしは今日はこれでもう歸るんやけに、失敬するで。」

兼介はさう言ひ放つて、道を林の出口の方へ向つてさつさと歩きはじめた。それで源次はそれ以上はまとひつかなかつた。彼は去つて行く兼助の後姿を見送つて、「ふん」と云つて、なぜかからかふやうな、嘲笑ふやうな皮肉な笑ひを浮べてゐた。

二人はそれから尚も奧へ向つて進んだ。源次が先づ、根太の一つを見つけ出した。根太といふのは松茸の在りかを、何の故か、この地方ではさう呼び慣してゐるのである。まだ傘を開かぬ、丁度いい大きさなのが、ぞつくりと見事なまでに揃つて、深々と落葉を被り、ひつそりとしてゐた。これに氣をよくしてなほも掻き起してゐると、今度は駿介が一つ見つけたが、それは大きさが一寸にも足らぬものからまるで豆粒みたいなものに至る一群だつた。しかし源次が、

「そのくらゐなのは、丸ツこのまま生醤油で煮て、きりつと煮しめりや、こなな旨いものはさうたんとはないぜ。」と云ふので、その豆粒みたいなのまで丹念に一々拾つた。

しかしそれからはどうしたものか、彼等は松茸には全然𢌞り合はなかつた。いいかげん疲れたし、諦めて、もう外へ出ようかと思ひながら、なほ未練があつて、もう少し、もう少し、とねばつてゐた。よほど奧へ入つて、林の向うの出口も間近かと思はれた時、源次が、默つてすーつと駿介の傍へ寄つて來た。笑ひを忍んでゐるやうな顏で、駿介の肘を突つついた。そして、あれあれと囁くやうに云つて、ずつと向うを指差した。

駿介が見ると、一人の男が、こつちに後向きになつて、腰をかがめてゐる。誰だらう、と思ふまでもなく明らかだつた。それはたつた今別れて來た、そしてもう歸つた筈の、兼助であつた。

ぢつとその後姿を見つめてゐる源次の顏には、再びさつきの冷笑の色が浮んだ。

「ははははは。」

突然源次は大きな聲で笑ひ出した。側の駿介もびつくりさせられた程の、兼助の手前、思はずハツとさせられた程の大きな聲であつた。しかし源次は明らかに兼助にあてつけたので、露骨な嘲りの心をこめて、ははははは、と人を馬鹿にしたやうな笑ひをなほも續けてゐた。

兼助はびつくりして後ろを振り返つた。さうして二人を認めた。すぐにまたくるつと向うを向いて、木と木との間を縫ふやうにして、コソコソと、彼はどこかへ姿を消してしまつた。

「ふん阿呆めが!」

源次は逃げて行く彼の後ろから罵つた。

「たかが松茸ぐらゐに何ぢや。あのざまは。駿介さん、村の奴等はな、茸狩りには皆ああした風なんだぜ。ことに松茸狩りにはな。夜明方に起きて、一人でコツソリ山へ來て、大きな奴を採つたあとには落葉をかぶせて、根太を絶對に人には知られんやうにしておく。自分の見つけた根太は、ほかのものには、どんなに親しいものにでも絶對祕密で、もしも人に教へたら、必ず一二年の間に松茸は山に絶えて了ふ――大眞面目でそんなことを信じてゐるんだから馬鹿馬鹿しくつて話にならないや。年寄りならともかく、青年が、あの兼助なんて奴までがさ。あいつはあれでも青年團の分團長か何かなんだぜ。わしはそれを知つてゐるからさつきもああ云つて、お前の行くとこさ連れてつてくれつて、いやがらせをやつたのさ、いつかこんなことがあつた。わしの東京にゐる從兄が遊びに來たんだ。丁度今時分だつた。町の者もんだから松茸狩りなぞ面白がるだらうと思つて、本人もさう云ふもんだから、しかしわしらはとんと根太は知らんし、折角遠くから來たものを失望させてはと思つたので、松茸狩りでは玄人と云はれてゐる親爺に一緒に連れてつてくれと頼んだんだ。くれぐれもさう云つて頼んだ。わしは用事があつてその日は行かなんだ。ところが晝になつて歸つて來たのを見ると、奴さん、妙にぼんやりしてゐる。つまらなさうにしてゐる。籠の中を見ると初茸としめじがほんのちよつぴりだ。松茸なんぞ一本だつてありやしない。話を聞いてみると、その親爺奴、ひどい奴で、どうやら山の中で從兄をまいてしまつたらしいんだ。松茸の松林まで行かないうちにさ。從兄ははぐれた場所を動いちやいかんと思つてそこにゐた。そしたら餘程經つてから、ひよつこり現れて、ケロツとして、やあここにゐたのか、もう歸らう、と云ふんださうだ。それで狐につままれた感じで歸つて來たんだ。萬事がさういつたやうなふうだ。秋の山の茸狩りつて云へば樂しい筈のものが、互にじろじろ人の顏をうかがつたり、コソコソと人から隱れたり、露骨に肘を突つ張り合つたりしてやつてゐる。町の連中が遊山に茸狩りをやるのとは違つても、もう少しなんとか朗かにやれんものかなあ。」

これは一體どういふことなのであらうか?

駿介は少年の頃の山の茸狩りを、餘りはつきりとではないが、記憶してゐる。

その頃から勿論それは遊山ではなかつた。それは食ふための仕事の一つに違ひなかつた。しかしそれから十年を經た今日、彼が話に聞き、また實際に眼にも見、感じもした事實、雰圍氣といふものは當時は知らなかつた。

當時からさうであつたのかも知れぬ、彼が知らなかつたといふだけの事かも知れぬ。しかし茸狩りといへば隣近所誘ひ合して澤山揃つて行くのが普通で、採つた松茸をその場で燒いて、皆で賑やかに酒を酌んだ和やかな情景などが眼に殘つてゐる所からすれば、今とその頃と、そのまま同じであるとは決して云へないであらう。

採つて來た茸は鹽水に漬け、少しおいてから洗つて水を切り、生醤油で、またはそれに砂糖を少し入れて煮る。これは百姓には非常に喜ばれる。百姓にとつてはむしろ贅澤な副食物だ。しかし茸を採るほんとうの目的はさらにその上にある。鹽水で洗つたものを乾燥する。そして貯へておく。これは椎茸の代用に使はれるのである。正月に、盆に、祭に、法事に、何かの祝ひに、人々が集つて食事をするとなれば、この地方では先づ五目ずしをつくる。五目ずしは椎茸を要求する。そのための現金支出は決して少いとは云へない。さうしてその椎茸の代用品として貯へるには、決して少量の茸であることは出來ない。さればこそ彼等は互に競ふのである。

このやうな意味を持つ茸狩りが、百姓の生活のなかにおいて占める地位が、年毎に重くなつて來たものであらう。十年前には、なほ餘裕のある遊びの氣持で行はれることを許されたものが、今日ではもはや許されなくなつたのであらう。

許されなくした事情は色々であらう。現金支出が百姓の經濟をいよいよ重く壓して來たのであらう。山野に自生するものによつて、たとへ小さくても、現金支出の道の一つをふさぐ見込みが立つとすれば、そこへはもう一錢も出すことを好まぬのであらう。今まで餘り山へは出かけなかつたものも我も我もと出かけるやうになるだらう。茸の産出は、相對的にも絶對的にも、減少して來ずにはゐなからう。結果は彼等相互の競ひ合ひとなり、かつては目立たなかつた微妙な感情の上の絡み合ひもそこには生じて來るわけだらう。

十年間に色々なものが變つてゐる。

農民生活の推移がこのやうな小さな一點を通してものぞかれる。

何を見ても、聞いても、ただ見過し、聞き過されるといふものがない。皆、樣々な感想を刺㦸されることばかりである。

愉快に一日を過すためにやつて來た山の茸狩りも、駿介を單純にただ喜ばすだけと云ふわけにはいかないのであつた。

十三

九月から十月にかけて、駿介は雜地の開墾のために毎日山へ入つた。

この山は茸狩りに行つた山ではない。煙草畑をその一部に持つ山で、杉野の家ではそこになほ二段餘りの雜地を持つてゐる。松、柏、栗、どん栗、山つつじ、篠笹などが密生してゐる。非常な大木といふものは少いが、晝も小暗いほどの繁りやうである。

今年は霜が地を覆ふことが常の年よりも早いやうであつた。十月の末、夜なかにふつと眼覺めて、首筋のあたりがいつになくばかに寒いと思つたら、朝は白い煙のやうな靄がこめて、霜柱がぞつくり土の中に立つてゐた。さういふ日が續くと、山の木の葉はにはかに散ることを急ぎはじめた。まだすつかり赤くなり切らぬうちに落ちるものもあつた。毎朝出かける駿介も、何となくあわただしく、驅り立てられるやうな氣持にさせられた。

「寒くなつたなあ、めつきり。おれ、今日も行火あんかさはいつて來るから。」

さう云つて、駿介は出かけた。空が高く、からツとして、どこもここも乾いた感じで、風ももうかなり寒いやうな日でも、林に入るとしつとりとして暖かいのであつた。

駿介は、伐木用の斧を振つて、先づ、喬木以外の下木を伐り倒して行つた。伐り倒したものがある程度の嵩になると、それを集めて一所に積んでおく。さうしてまた先へと進んだ。日暮れにはその日の伐木をかづらの蔓で縛つて、幾つかの束に作つた。下木を拂ふだけに二十日ほどかかつた。

落葉は前の年遲く散つたものの上に今年のが加はつて、堆く積んでゐる。熊手で掻き集め、竹籠メゴに押し込んでは、これを擔いで山から下へ運ぶ。日に何囘となく往復した。これは煙草畑の堆肥にする。古い落葉は腐つて、半ば土になつてゐる。これも掻き集めた。これは山の垢と呼んで、最も利き目の多い肥料の一つである。

清掃された山は、山肌が剥き出しになり、所々に立つ喬木が、すーつと空へどれほどか高く伸びて出たやうで、すつきりとした眺めであつた。

「ちよつとええ眺めやのう。」と、駒平も來て見て云つた。

「なんだか畑にするのが惜しいやうだが、あの木の下あたりにベンチでもおいて、それに池でも掘らうもんならまるで公園ぢやが。餘程の長者でもこれほどの庭を持つとるものはたんとあるまい。」

しかし喬木は根こぎにされなければならなかつたし、山裾に、唐鍬とんがはぶち込まれなければならなかつた。

喬木を倒すには、周圍を深く掘り、深くしつかりと張つてゐる根を切斷する。そして木自身の重みを利用して、さほど大きくないものは手で、手に餘るものは綱をもつて引き倒す。手の時には向うへ押せばすむが、綱の時には手前に引かねばならない。力をこめて引くうちに、木はやうやく傾きはじめ、枝はゆさゆさと搖れ、木の葉は體に散りかかる。やがて、みしツといふ音が切斷し殘した根のあたりにすると、木はざわざわと彼の上に押しかぶさつて來る。瞬間に駿介は綱を離して横飛びに逃げる。同時にどさツといふ氣持のいい地響の音を聞く。

倒した木は木挽いて、材木にし、薪にする。一本の木を始末するのに、半日を要し、一日を要し、あるひはそれ以上を要することもあつた。

それがすむと、駿介は、最初の唐鍬を力強く山裾にぶち込んだ。そして篠笹や下木の根から掘り起して行つた。

彼はもはや春の頃の彼ではなかつた。この數ヶ月の間に彼の肉體は驚くべきほどに頑丈なものになつて來てゐた。元來がさう華奢な出來ではなかつたが、胸や肩のあたりには間斷なく勞働するものにだけ見られる肉が附いて來た。腰つきがなんとなくしつかりときまつて來た。肉刺まめが出來てはつぶれ、出來てはつぶれして、手の平の皮が次第に厚くなつて來た。もうぢき、平氣で素手で燠おきをつかむといふやうなことにもなるだらう。石臼のやうな木の根をかなり離れた所まで持ち上げて運んでも行くし、重い唐鍬を、笹の根が細かに網の目のやうに張つて、コチコチに堅い土のなかにぶち込むことを、數十合つづけさまにやつても、さうして汗が全身を流れるほどになつても、もはやさして苦しいと思ふほどの息切れは感じない。

土を掘り起しながら、いろいろな計畫を駿介は胸にあたためる。

雜地はもうずつと前に開墾されてゐなければならないのであつた。二段と少しの土地でも、遊ばせておいていいほど餘裕のある百姓ではなかつた。雜地のままでおいては、精々薪や柴に不自由しないといふに過ぎない。それは早く開墾されて、耕地として充分に利用されなければならないのであつた。それが延々になつてゐたのは、今までは男手としては駒平一人であり、季節の仕事に次から次へと追はれて、その時を得なかつたためであつた。

開墾して、ではそこには何を植ゑる。

それが山裾の土地であるといふことを考慮に入れた上で、駿介は色々に考へて見た。果樹を植ゑる、といふことを第一に考へた。しかし葡萄や桃のやうなものでも、結實するまでには三年はかかる。資本の囘收が遲いといふことが彼を躊躇させた。自分の家の今の状態からして適當なものとは思へなかつた。

では除蟲菊はどうだらう? これはこの土地柄にも合ふし、作つて見たいものの一つではあるが、困ることは市價が非常に不安定だといふことだ。それに中間商人にいいやうに搾取されて、商人への奉仕に終つてしまひさうなおそれもある。

考へた末、彼はここをもやはり煙草畑にすることにした。開墾したばかりの山腹の地といふのは、煙草栽培には最も好適な條件である。それに收益の點から云へば、煙草のそれに較ぶべきものは、ほかにはちよつと見當らない。

彼はここに適當な大きさの池を掘らうといふことをも考へた。それを水溜めとする。そして山の下から水を運び上げなければならぬ勞苦を省く。

彼は考へを錬り、次々に計畫することがたまらなく愉快であつた。半年前までは全く知らなかつたこれは愉快さだ。彼は自分がこのやうに行動的な人間であり得るといふことを新しい發見のやうに思つた。彼の計畫は、彼自身の欲するところに基づいてゐる。いやいやながらでもなく他からの強制でもない。さうして今のところ、計畫したことを直ちに實行に移すことが出來る。實行の成果は彼の勞働の生み成した具體物としてはつきりそこに現れる。彼の嘗て知らなかつた爽快な愉快さはそこから來る。

駿介は、鍬をおいて、木の根の一つに腰をかけ、汗を拭ひながらしばらく休んだ。

山の下の、隣村に通ふ道を、獅子使ひの男が二人、太鼓をのんびり打ち鳴らしながら通る。隣村の氏神の祭禮は今日からだ。それに行くのであらう。

駿介は、煙草耕作が政府の事業であることは無論知つてゐる。しかし彼は細かな法規については知らなかつた。專賣局が、耕作許可についてどのやうな色々な制限を設けてゐるかについては知らなかつた。そしてそれについて知つたことは、彼の突破しなければならない障碍の最初の經驗であつた。

この秋の稻の收穫は一般に甚しく不良であつた。

旱魃の害はほとんどなかつた。が、九月に入つて雨がひどく降り續いた時には、稻は丁度中手の開花期にあたつた。交配がそのためにひどく損はれた。そこへもつて來て、同じ月の末に暴風雨があり、稻が激しくゆすぶられ、穗が擦れたので、實が入らず所謂白穗が出來て了つたのである。

駿介も山行きは一時中止して稻を刈つた。今年の收穫はどうであらうかといふ懸念は、彼をただ一人山におくことは出來なかつた。刈つた稻はすぐ刈田にデコを作つて乾燥させる。細長い二本の丸太を交叉させ、脚の方は開いたままに立て、さういふものを二つ作り、その二つの交叉點に横木を渡してこれに稻を掛ける。これが所謂デコである。かうして雨に備へるのである。二三日乾かしてから、家の庭に運び入れ、稻扱機で扱き、籾は幾十枚も蓆を列べその上にのせて干す。

籾摺機屋といふものがあつて、家々を𢌞つて籾摺りを仕事にして歩く、今時、めいめいの家で土臼で摺る家などはない。といふことも、駿介にとつては新しい事實であり、注目すべき變化であつた。すべての作業が動力による。臼もだからゴムロールに變つてゐる。農業勞働への機械の侵入の顯著なものの一つであらう。動力によれば、一段歩からの籾が、三四十分の間にすまされる。たしかにこれは大きな進歩であらう。

進歩はしかし矛盾を伴ふ。一定の生活の條件において、生活の一つの面に一歩の前進があれば、他のすべての面も亦これに伴ふことが要求される。これが伴はぬ限り調和はなく、矛盾は止まぬ。

明かな進歩である農具の機械化も、農民には必ずしも喜ばれて居らぬことを駿介は見た。世の中一般がさうなつて來たと云ふのならば止むを得ない。自分だけが依然舊慣を守つてゐるわけにはいかぬのだから。そのやうなきはめて消極的な順應の仕方であることを知つた。仕事が早い、勞力が省ける、といふことだけを、單純に喜べぬやうな事情が一方にあることを彼は知つた。

一俵につき、十錢の籾摺賃がいる。自分で土臼でやる分にはこれはいらぬ。そして全體として見ればこれもなかなか緩くはない負擔だと云ふやうなことは、それだけの便益に對して當然負ふべき負擔として問ふべきではないとして、最大の關心事は、機械摺實施以後は、四斗俵が今迄の四斗俵としてはすでに通用せぬといふことであつた。

機械摺りによると、籾摺りは今までよりもきれいに仕上る。玄米の表面はすべすべになる。さういふ米を俵に量り込むと、米は米自身の重さでずつしりとして、米の一粒々々は互にしつくりと抱き合ひ、その緊密さ、隙間の無さは、土臼で摺つたものとは大きな相違なのである。結果として、同じ四斗俵ではあつても、今までのそれに較べて、よほど多くの米を量り込まねばならぬこととなる。人々の云ふところによれば、その差額は、升目にすれば二升乃至三升、重量にすれば三キロ乃至四キロである。

俵になつた米は一俵々々嚴重な檢査を受けねばならぬ。産米の品質を向上し、市場での縣産米の聲價を維持するための檢査である。檢査を重量においてする時には、機械摺りの一俵の重さが檢査の標準となる。標準がそれだけ上つたのである。

俵にした米を、百姓が自分の家に積んでおく分には、一俵に多く量り込まうが、檢査の標準が高くならうが、それは何の事でもない。しかし俵にした米の半分以上は、彼の米であつてじつは彼の米ではない。彼はそれを地主の所へ運んで行かねばならぬ。今までよりは一俵につき三升づつ餘分に、ただで持つて行かねばならぬ。

百姓たちはそれについて口説くのである。

これは機械摺りから生れる當然の結果であらう。だからと云つて、機械がわるい、もとの土臼にしろ、といふのは當らぬ。生産の上の進歩が、生産者にとつての眞實の喜びにまでなつてゐないと云ふのなら、それがさうであるやうな状態にまですべてが改善されねばならぬ。

餘分の量り込みが、否定し得ぬ事實ならば、餘分の取得者は、これに對し何等かの考慮があつて然るべきではないだらうか?

産米檢査制度も、重量の差額から來る、生産者の損失を掩護することについて、適宜な方法を取るべきではないだらうか?

駿介は籾摺機の口から吐き出される玄米を、手に取つて見た。所謂青米が多いこと、充分實が入らずに體が痩せ細つたのが多いことが、駿介のやうなものにもよくわかるのであつた。これではどうして合格米であることが出來よう。

駒平も一撮み取つて、手の平にのせて、險しい顏をしてぢつと見てゐた。

改善せられねばならぬことは多い。さうして誰も彼もそれを感じてゐる。どう改善されねばならぬかの實際についても、わかつてゐないと云ふことはむしろ少い。缺けてゐるものは實に人なのだ。誰か先に立つて、誰でもが考へてゐることを秩序立てて云ひ、それの實現に向つての仕事を實際に始めねばならぬ。さういふ者がゐない。駒平と平藏がかつて話してゐたことを駿介は思ひ出した。腹では思つてゐながら互に人におつつけ合ひしてゐるのだから仕方がないといふなげきを。

自分などがさういふ人間にならなければならないのではないか? 今の自分にそれだけの力があるかどうかは疑問である。しかしさういふ人間になれるやう努めるのでなければ、自分がかうした生活に入つたといふことにも新しい光は射さぬであらう。

手の平の幾粒かの屑米を見つめながら、駿介は考へ續けた。

日が經つて、米の檢査を受けた時、俵の半ばは不合格であつた。檢査員は、合格した俵には、棧俵の繩に、合格の證票を卷き、端と端とを糊でぺつたり貼りつけた。證票は強靱な楮紙かうぞから出來てゐて、印紙が貼つてあり、等級を現す數字が、青いゴム印でべつたり捺してある。

「不合格にも、不合の黒紙を卷いてつて下せえよ。」

檢査員をじろつと横目で見て、駒平は、いつにない不機嫌な面持で云つた。

十四

朝晩の山おろしの風が、刺すやうな冷たさになつた。山は葉の落ちる木はみな落ち盡し、常緑の木も陰鬱などす黒さに變つて、空の灰色と一種の對照をなしてゐた。空が高く冴え返るやうな日も此頃では餘り望めなくなつた。となりの國の高い山では雪でも降つてゐるのだらう、ここも今晩あたり霙でも來るかと思ふ空模樣だ。

空つぽな田には人影がなく、迅いすさまじい勢で空つ風だけが吹き荒れてゐる。

もはやすべてが終つたのであらうか。

季節々々の百姓の營みは種々雜多である。だが、彼等のすべての營みの中心、彼等のすべての活動が、結局はそこに向けられ、それによつて統一されてゐると云つて云ひ過ぎでないのは稻である。百姓の勞働は籾種の選別から、稻の收穫までを以て一期と見てもいい。では收穫を終へて米俵を奧の間に積み上げ、神酒を捧げた今、すべては一先づ終つたのであらうか? さうして人々は靜かに冬を籠つてゐるのであらうか。

さうではない。米俵を積み上げることは何も彼等の完結を意味しはしない。

街道を見るがいい。白つぽく乾いた土を空に捲き上げてゐる街道には、車の音が聞える。牛が牽いてゐる車がある。また人が引いてゐる荷車がある。しかしその何れにも米の俵が積んであることは一つである。百姓は仕事着姿ながら、いつもよりは小綺麗にして、首には新しい手拭ひなどを捲いてゐる。子供が、荷車の後ろを押して行くのもある。車はさうしてその村の、あるひは遠く離れた村の、土藏や倉庫のある家に向ふのである。

杉野の家でも、明日小作米を納めるといふ日の前の夜、母のおむらが地主の山下の所へそのことを云ひに行つた。年貢米の納入時期、およそ一ヶ月間は、地主はずつと家にゐて、ふだんはどこか餘所にゐるものも歸つて來て、親しく小作人に面接するのが常である。

「行つて來たんな?」

おむらが歸つて來たらしい氣配に、奧から駒平が聲をかけた。

「ええ、行つて來ました。」

さう云つてそれきり默つたが、おむらはさつきから、駿介が父に向つて何時にない大きな聲で何かを主張してゐるらしいのを、茶の間に上つた時から聞いてゐた。

「そりやお父つあん。わたしの云ふことは、誰が聞いたかて道理に合はん、身勝手な話だなんどと思ふものは一人もあるまいと思ふ。山下に何か楯ついて行くといふやうなことぢやない。誰が考へて見ても當然な話で、山下だつて話をすりや無論承知してくれると思ふんです。」

「そりや俺らは何もお前の云ふことが、道理に合はんとか、無茶やとか、そんなことを云ふんぢやありやせん。そりやお前の云ふ通りぢや。ぢやが、物事は道理にさへ合つとりやそれでええといふもんでもないからのう。」

「道理には合つてゐるが、それだけでは何かすまぬことでもあると云ふんですか。ほとんど半分が不合格だといふのは、これは嘘いつはりぢやない、實際の話です。そしてさうなつたのは何もうちだけぢやなく、うちのやり方が拙かつたからと云ふのではなく、そりや天候のせゐなんで、どことも一體にさうなんです。ですから年貢を何も合格米だけで持つて行く必要はない。少しぐらゐ不合を入れたつて一向構はないとわたしは思ふ。年貢十一俵を合格米だけで持つて行つたらあとには何が殘ります? 不合ばかりでせう。全部飯米にするのならいいとして、うちでだつて少しは賣らなくちやならないでせう。山下ではまた、全部賣るのぢやない。自分の家での飯米は殘すわけでせう。不合を受け取つたからとてその飯米に當てればいいでせう。どちらにとつても不都合のないきはめて穩當なやり方だとわたしは思ふんですが。」

「俺らもはじめはじつはさう思つた。合格と不合と半々づつにでもして持つて行つたらとさう思つた。だからこそ、檢査員に云つて、不合にも不合の黒紙を貼つてもらつたのぢや。うちの飯米にするだけやつたら、何も黒紙なんぞ貼つてもらふには及ばんことぢやけんのう。」

「それをどうしてまた、やはり合格だけにする、といふふうに思ひ直したんですか。」

駒平は答へなかつた。彼は火鉢の上に手をかざして、ややうつむきかげんになつて、默つてゐた。

「不合格なんぞ持つて行つちや、山下にわるい、機嫌を損ずる、とでもいふんですか? それともさうしなければただ氣がすまないとでもいふんですか? あるひはほかの連中に引けを取りたくないとでも云ふんですか? そのどれだとしても、皆つまらんことだと思ひます。山下への話はわたしがしてもいいです。道理のあることはやはりちやんと云はなくちやだめです。」

駿介は今日はいつになく激してゐた。さうしてしつこかつた。駒平がそれでも默つてゐるので遂には、

「お父つあんは一體律儀一方です。律儀なのはいいけれど、人間はそれだけのものぢやないと思ふ。主張すべきことは主張しなければ。」とまで云つた。

彼はただ齒がゆいのであつた。彼には山下を相手どつてどうといふやうな氣持があるわけではないが、明白な道理が、誰にも通じる常識が行はれないことには、彼の若々しい一本氣は、到底堪へ得ないのであつた。そして飽迄頑固な老父の態度と氣持にも疑問があつた。それは律儀一方のものなのか何かそのほかのものなのか。相手を不當に憚かつてゐる、卑屈なものを感じて、それは彼を苛立たすのである。

「よそでは一體どうする氣なんだらう? 訊いて見たらどうかな。」

駿介はひとり言のやうに云つた。

駒平はそれでも頑固に口を噤んだきりであつた。

彼は息子の考へなど、甘いと思つてゐた。世間知らずゆゑ、もう少し時を經、色々な目に會つて見なければだめなことだと思つてゐた。地主と小作といふものの實際の關係など息子は何を知つてゐるといふのだらう。紙の上で知つてゐるだけのことだ。「地主と小作とは親子の關係だ、などといふが、そんなことはない。」――そんなふうに書いてあることを讀んでゐるといふに過ぎない。よそではどうするか、訊いて見ようと息子は云つたが、實際に訊いて見たならば、どこもここも、たとへほかから借りて來ても合格米ばかり持つて行かうとしてゐるのを見て驚くだらう。

山下の機嫌を損ずることをおそれる氣持、あるひは合格にしなければどうも氣のすまぬ氣持、それはどつちもその通りのことだ。しかし機嫌を損ずるといふことが、不愉快な思ひを懷かせるといふただそれだけのことならば、それを敢て犯すことを駒平といへども辭しはしない。

小作人達が現在許されてゐる小作地、それを來る年毎に確實にわが手に保持して行かうがために、彼等はどれほどに彼等の神經を細かに使ふだらう。針金ほどの神經を針ほどにも細くする。地主との關係以外に、小作人同士の關係。ふだんは笑顏で向ひ合つてゐるやうな者も、ひと度小作地のこととなれば、互に隙がないかと狙ひ合つてゐる、その間の入り組んだ關係を息子は知らない。

駒平はしかしそれらについては何も云はなかつた。彼自身の經驗において、息子はしだいにすべてを知つて行くだらう。

次の日の朝、親子は、牛車に米の俵を積んだ。彼等は默々として俵を擔いだ。母と妹は土間に立つて見てゐた。

積んだのは合格米だけだつた。駿介ももはや何事も爭はなかつた。十一俵の小作米全部が積まれた。小作人のなかには、たとへわづかな俵であつても、一度に持つて行くといふものは少い。二日ぐらゐにわたつて、少しづつ車に積んで行く。そこにはいろいろな心理が働いてゐるわけだが、駒平は一度に持つて行くのである。

「駿、お前は行かんでもええやらうが。」

出かけると云ふ時になつて、駒平はさう云つた。

「ええ……でも、行きませう。」

駒平は、傍に立つてゐる、お道の方に向いて、

「道、お前も行くかえ?」

お道は母の方をちらと見た。母が默つてゐるので、

「わたしは行かんでもええ。」

低い聲で云つた。

夫婦揃つて、それに子供も附いて行くのが多いのである。男が上つて主人に挨拶してる間に、妻は臺所口で、主人のかみさんに會ふ。女には女同士の話がある。さうして新しい手拭ひ一筋と、子供は、菓子の小さな紙袋などを貰つて歸るのである。

ただそれだけのことなのだが、その女同士の話といふのが、さまざまな内容を持つのであつた。子供が大きくなつたといふ話、お前のとこの誰それも來年はもう十五だが、どこかへ奉公にでも出す氣があるのなら世話をしようといふ話、作の良し惡しの話、かみさんがこの秋物見遊山に𢌞つて來た京大阪の方の話、話がさういふ所に止まつてゐる間はいいが、それはもつと深く、彼等の生活のただ中に、直接の利害に關することにまで、觸れて來る場合があるのだつた。女に特有な輕妙さとねつつこさとを織り交ぜて、搦手からじわじわと來る。うつかり氣輕な返辭などをして、それが言質となつてあとで取り返しのつかぬことになつたりする。小作契約の期間が滿期に近づいてゐる時などは、それが原因になつて、不利益な條件の下に更新せられることもある。

そして山下のかみさんは、主人が割合おつとりしてゐるのにひきかへ、しつかりものでさういふ搦手からの手を使ふことにも名を得てゐた。駿介等の母が行きたがらぬのはそのためである。

「ぢやあ、行つて來つから。」

牛車は動き出した。

山下の家は村のはづれにある。中どころの地主で、白壁の土藏はない。木造の倉庫のかなり大きな一棟がある。

門を入つた牛車はその倉庫の前でとまつた。

音を聞きつけて、戸が明いてゐる倉庫の中から、この家に出入りの若い男が出て來た。商家の番頭でもありさうな、前垂れがけの町風の男である。この顏は駒平も今年はじめてらしい。彼は手に分厚い大福帳を持つてゐる。

「ああ、どうも御苦勞さま。」と、駒平の挨拶に答へて、大福帳の間に挾んだ、控への紙きれらしいのを出して見て、

「杉野さんはと……十一俵でしたな。」

牛車の傍へ寄つて積んである俵を調べはじめた。合格の證票を一々調べてから、

「たしかに。」と、大きくうなづいて、それから大福帳を開いて、離れてゐる駿介にも見える大きな墨の字で、「四等合格米、十一俵入り。杉野」と、記した。

駒平と駿介とは俵を擔いで倉庫の中へ入つて行つた。

倉庫は天井が高く、だだ廣くて、なかは薄暗かつた。石灰で固めた床がぼんやりした白つぽさで浮いてゐた。新しい藁と穀物とのあつたかいやうなにほひがこもつてゐた。

俵はもうだいぶ積まれてゐた。底は廣く、上の方へ行くに從つてだんだんつぼまる、三角形に積み上げてある。丁度一つの山が出來てしまつてゐたから、二人が運ぶ俵は新しい山を作るその一番下の土臺としておかれた。

どすん、と自分の肩から床に落ちる米の俵の音を、駿介は名状しがたい一つの感情をもつて聞いた。

それは昨夜、明日いよいよ年貢を持つて行くといふことにきまつて老父と話した時から、そしてまた今朝牛車に俵を積み上げた時から、ずーつと引き續いてゐる氣持であつた。その同じ氣持が今この倉庫の床に米の俵の落ちる音を聞いた時に、頂點にまで達したのである。

この米の俵はいたましい。あからさまに云つてそれはかういふ氣持に過ぎないものであつた。この米の俵を人にやるのは惜しい。さういふ執着である。ただその執着の強さ、はげしさは彼自身の思ひもよらぬほどのものだつた。

一般に生産物、彼の場合にはとくに農産物に對する感じ方が、以前とは變つて來たことに、彼は折にふれて氣づいてゐた。そのなかで最も素朴な、そして最も目立つことは、物を粗末にせぬといふよりは出來ない氣持だつた。彼は學生時代には極端に貧しかつたから、物を粗末にすることなど思ひもよらなかつたが、それでも當時のその氣持は今とは大きな違ひであるやうに思ふ。煙草を作る仲間の一人が、煙草を作るやうになつてからは、道を歩いてゐて卷煙草の吸ひ殘しが棄ててあるのを見ると、人前をも憚らず拾ふやうになつた、と云つたのを聞いて、その氣持がよくわかると思つた。昔の老農の傳記などを讀むと、一粒の米をも粗末にすることをどのやうにおそれたかといふ彼等の氣持が、非常に素直に自分の心に入つて來るのだつた。彼はそれらの話に深い眞實性を感ずると同時に、昔の大名などが、疊の上に落ちた米の飯を、押し戴いてどうとかした、といふやうな逸話にたまらない僞善を感じた。それからまた、このやうな百姓の素朴な心情に誼よしみを求めてゐる今日のある種の教へのことなどを思つた。

この俵は惜しい、といふ彼の今の氣持は、右のものと同じではない。が、それも生産者のものだ。生産者一般のものではなく、小作人といふ生産者に特別なものである。

俵を擔ぎ、また俵を落しながら、その間に駿介は自分の心の動きに距離をおいて眺めて見ることをしたのである。

全部積んでしまふと、若い男は、

「やあ、どうも御苦勞さま。さア、どうかあちらへ、旦那がさつきからお待ちかねだから。」と、母屋の方へと請じた。

「へい。」と、駒平は首に結んだ手拭ひを解いて、裾のあたりを拂ひながら、ややもぢもぢしてゐた。その間も、眼は向うの入口の方をうかがふやうにしてゐる。年貢を持つて來る小作人は二人以上がかち合ふことを非常に嫌ふのである。年貢を何囘にも分けて運ぶといふことの一つの理由はそこにある。先に誰かが來て、もう上りこんでゐるなと見ると、自分は同席することを欲しない。全部を持つて來てゐない時は無論引き返すが、運び終つた時でも、若ものと雜談したりして先のものが歸るのを待つ。痺れを切らし、何かと理由をつけては、「また追つつけあとで」と歸つて行くものもある。ただ一人でなければ充分な饗應にあづかり得ない、といふこともあるが、何等かの訴へ事を持つものは、主人とただ二人であることを絶對に必要とするのである。

駒平もそれをうかがつてゐるらしくもあつた。やがて、手拭ひを疊んで左手に持つと、傍の駿介を顧みて、

「では、ちよつと御挨拶をして行かうか。」

茶の間へ上つて、二人はしばらく待つてゐた。

間もなく主人の山下庄太がその席へ出た。彼は五十ほどの年輩で、平凡な好々爺である。にこにこしながら出て來た。

「やあ。今日は。よう御出でなすつた。」

駒平は、兩手を疊について、非常に低く頭を下げた。

「いつも御壯健で何よりのことでござんす。」

「いや、あんたもいつもたつしやで……」

「今日はまた滯りなく御年貢を納めさせて戴きまして、まことにどうも有難うござりました。」

「いや、今年もまア無事にすんで何よりのことでござんした。植附けの頃にはああして水が不足。九月にはまたがいに風が吹く。何やかやと御難儀なことでした。どうかと思つてじつは案じて居つたつけが、おかげでまア大したこともなく、平年通りのやうで、お互にこんな喜ばしいことはござんせん。」

「これもみな旦那のおかげで。來年も相も變りませず、何卒、なにぶん一つよろしうお願ひ申すことでござります。」

もう一度低く頭を下げた。それに附いて駿介も叮嚀にお辭儀をした。駿介は山下とは初對面ではない。彼はこの春一度挨拶に來て山下と會つてゐる。

「ほう、あんさんもいかい丈夫さうになられた。」と、山下はにこにこしながら、好ましさうに駿介を見て、

「いつぞやお目にかかつた時から見りや、とんと見違へるやうな。えらう眞黒になられたなあ。」

駿介は、ええ、といふやうに云つて、微笑で答へて、それきり默つてゐた。

そこへ、この家のかみさんが見えた。かみさんと駒平の間に、さつきと同じやうな挨拶の言葉があつた。世間話など、二三取り交されるうちに、主人がかみさんに、

「ぢやあ、お前。」と、眼で合圖をした。

かみさんが奧へ引つ込んで行くと、間もなく振舞の膳が運ばれて來た。脚の高い、黒塗りの立派な本膳が三人の前にそれぞれ据ゑられた。尾頭附き、膾、煮染め、數の子、汁椀などがついてゐる。

主人は、田舍にだけ見られるやうな、口の大きな不恰好な銚子を持つて、

「さあ、まあ一つどうか。」と、駒平にすすめた。駒平は恐縮して、居ずまひを直しながら、

「こりやもつたいないことで。」と、盃を持つ手をのべた。駿介も最初の一杯だけは默つて受けて、一口飮んで盃を下においた。

「さア、今日は無禮講だで、膝を崩してゆつくりやつてくれや。」

駒平は人並には飮いける口である。少し飮むと彼はすぐに赤くなつた。さうして云はれるがままに膝を崩した。聲もだんだん高くなつて來た。醉はぬ前に何か訴へねばならぬことを持つとかうはなれないが、彼は今のところは持たぬか、持つてゐてもこの場で云ふ氣はないかである。山下が、來年度のことについて別に何も新しい事を云ひ出すふうに見えぬといふことも、彼の氣を輕くした。

「これで何だ。お前さんらもずゐぶん大へんだが、わしらもこれでなかなか辛いことだぞ。」と、山下は唐突に云ひ出して、

「もつとも、お前さんらはちつとでもわが持地といふものがあるけにいいが、これで小作一方といふものはえらいにはちがひない。そりやわしにもよう分つとるが……」

何かほかの小作とのことで心にかかることがあるに違ひなかつた。が、急に、

「いや、今日はこんな話をお前さんに聞かす日ぢやなかつたな。こりやすまん。」

と、打ち消して高く笑つた。そして手酌で續けさまにぐびぐび飮んだ。彼ももうかなり醉つてゐた。駿介がただ一人手持無沙汰でゐるのが氣になるらしく、しきりに話かけた。

「あんさんはもうすつかり丈夫になつたらしいが、また學校をやりなさる氣はないんかの。」

駿介は病氣で學校を止しにしたと山下の耳にははいつてゐる。

「もう百姓の方がええさうで。」と、駒平が、わきからそれを引き取つて云つた。

「さう、さう。百姓はそりやええもんぢや。なんだかんだ云ふたところでな。ぢやがそこまで學校をやつてほんとに惜しいこつた。――今度一つわしとこの忰の勉強を見てやつておくれんかえ。今中學の四年ぢやが。」

しかし駿介はすぐに忘れられてしまつた。山下は、しきりに駒平に唄へと云ひ出した。そして、

「ぢやあ、わしから一つはじめつから。」

と云つて、唄ひ出した。この地方の俚謠であつた。

駒平もそれに續いて唄つた。

駿介は、父の寂さびのある沈んだ唄ごゑを何年ぶりかで聞いた。醉つて、眼を閉ぢて、聲を張り上げる時には顏を天井に向けるやうな父を、駿介はぢつと見つめた。飛び出た喉佛がものがなしく眺められた。

彼はさういふ父を殘してさきに外へ出た。空は依然灰色にかき曇つて、風が白い土埃りを捲き上げてゐた。

米を積んだ誰かの牛車が、丁度門口に着いたところであつた。

十五

家へ歸つてから、年貢の方も無事に濟んだことを母に話してから、駿介は、

「手紙か何か來てゐなかつた? 專賣局から」

「いや、何も。」

「ぢやあ、松川から何か使ひでもなかつた?」

「さあ、それも別に。」

駿介は落膽した。そして、中途半端になつてしまつた今日の殘りを何に使ふか、やはり煙草の畑に使ふ堆肥にする落葉の掻き集めに行かうかなどと考へた。しかしその仕事も、今懸案中の問題が解決しないと何となく精が出ない。單に氣持の上に障りになるばかりではなく、堆肥をどれだけ作るかといふ實際の問題にも大きなかかはりを持つてゐるのである。

彼が此頃毎日のやうに心にかけてゐるただ一つの事といふのはかうである。

新しく開墾した山の土地を煙草畑にしようと心に決して、勢込んで父に話した時、彼は無雜作に笑はれてしまつた。

「作らうとさへ思へば、自分だけの考へですぐその年からでも作れると思つとるんけ。」

「ええ? どうして。」

「煙草はお上の仕事ぢやぞ。お上の許しがなくて勝手に畑を擴げることは出來やせんわい。」

何といふ迂闊な、お話にならぬ愚かさであつたらう。駿介は、植ゑた煙草の本數は一本々々調べられ、葉一枚もおろそかに出來ぬことは、實際にその場に臨んで知つてゐながら、耕作段別そのものは、こつちの考へ一つで擴げることも狹くすることも、自由であるかに考へてゐた。

「そりや行く行くはあそこもお前の思ふ通り煙草畑にすることは出來るかも知れん。少しづつでも増段になる見込みはあるんぢやけに、しかしそれも何時のこつたか。わしなどもうかなり長いこと作つとるが、今でも七畝ぢやからな。」

「それで今迄にいくらか増段したんですか。」

「二畝ぢや。たんだの一度増段した。うまく行つて増段しても二畝以上といふことはまづない。ぢやから假に毎年増段してもらへたとしても、あの山を煙草畑にするには十年かかる勘定ぢや。」

駿介は考へ込んだ。何とかしてもう少し融通の道はないものか。

彼はふと明るい光が射したやうに思つた。

「わたしも煙草組合の組合員になれるでせう?」

「うん、そりやなれる。」

「一戸に二人ゐてもいいわけですね。親と子と、二人がそれぞれ獨立した組合員として認めてもらふことは出來るのですね。」

「そりや出來る。組合の承認を得りや。」

「さうなれば、無論、わたしにはわたしの段別が新たに許してもらへるわけでせう?」

「さうぢや。」

「ぢやあさうしよう。それを先づ願ひ出よう。さうしてあの開墾地をわたしが作る。」

「そりやいい。――ぢやが、お前、お前の段別と云うたかて、五畝歩以上は貰へんぜ。」

「五畝歩?」

「さうぢや。始めての耕作者には五畝歩以上を作らせるといふことはないんぢや。」

「そりや絶對にですか。絶對にそれ以上はならんといふ規則でもあるんですか。」

「規則があるかどうかそりや知らん。しかしこの村ぢや今まで俺らの知つとる限りは皆さうぢやけに。第一俺ら自身がさうやないか。一度二畝増段になつて今が七畝ぢや。やはり一番のはじめは五畝からはじめたんぢや。」

「この村ぢや今までさうだつたといふんでせう。ほかの村ぢやどうですか。」

「ほかの村のことは俺ら知らん。けどもこの村がさうなりや、仕方がないやないか。」

駿介は意地になつて、そんなことまで云つたが、自信は見る見る崩れて行く頼りなさであつた。

最初に五畝許可してもらふ。それから二畝づつの増段を待つ。彼はそれだけではどうしても滿足出來ないのだ。

「一體、一人の組合員の最大限の段別といふのは幾らですか。」

「四段歩まではお上でも許可することになつてゐる。しかしそんなに作つとるものはまづなからう。」

「それで皆は段別の増すことを望んでゐるんでせう、やつぱり。」

「そりや望んどるだんか。なんとかしてさうありたいと願つてはをるが、何しろお上が相手の仕事ぢやてのう。」

「それでみなそのことを專賣局に願ひ出てゐるんですか? 願つて出ても駄目だといふんですか?」

「ところが、一人々々が勝手に願ひ出るといふことは出來んのぢや。煙草のことは煙草組合の組合長が、全耕作者を代表して專賣局との交渉に當るんぢやけに。」

駿介はじつに八方塞がりの感じを持たないわけにはいかなかつた。

しかし、彼にはすぐに一つの疑惑が起つた。ではその重大な任に當つてゐる組合長は誰だ? 松川の名がうかんだ。同時にこの六月のある日の煙草畑での出來事、その時の松川の、駿介としては不滿に堪へぬ態度が思ひうかんだ。

「組合長は松川でしたね? 松川は果してさういふみんなの意嚮をよく役所に通じてゐるでせうか?」

「さあ、そいつはどうもわからん。」と、その最も肝腎な點については、駒平は曖昧なのであつた。

そして駿介は、その一點にこそ、打開の道のあることを直感したのである。

駿介にはいろいろなことが分つた。專賣局は耕作許可について種々の制限を設けてゐる。第一に個人が直接願出ることを許さない。村役場を通して許可を運動することになつてゐる。村には一つの煙草耕作組合がある。駿介の村の現在の全耕作者は四十人程であり、六町餘段の耕作段別である。各部落には部落組合があり、一人の總代がある。これらの總代をもつて組合長の下に總代會を構成する。

專賣局では、この組合にすべての責任を負はせ、いろいろな事務的交渉は組合を通してやるならはしである。個人の耕作段別はどうしてきまるかといふに、はじめ村組合に、その次年度の段別を配當して來たものを、組合長と總代會に於て、各部落にそれぞれの段別を再配當する。この再配當されたものを部落において各個人に分割するのである。

かういふ手續ではあるけれども、それは現在は單に形式的なものであるに過ぎなかつた。それはその筈であらう。その前年の割當てといふものがちやんときまつて居り、次年度においてもそれが變更されるといふことはまづなかつたからである。その上に、増段の際には、專賣局で、大抵各個人別に指定して來るからである。それから、始めての耕作者の最初の割當てもやはりさうであつた。ただ組合長もしくは總代會は、話合ひの上でそれをもある程度増減する權限は持つてゐると云ふ。

これらのことを駿介は知つた。そして彼はいろいろな疑問を持つた。

第一に、今ではすべてこれらの關係なり機能なりが、全體として形式化し、硬化したものになつてゐはしないか?

組合長とか總代會とかいふものに、一般の組合員の希望がどれほど反映してゐるのであらう。その希望の實現のために果して熱心に努めてゐるのであらうか。それは全く形式的な事務を取るだけの乾からびたものになつてゐはしないか。

また役所はどうであらう。役所もただ慣例で仕事をしてゐるといふところがあるのではないか。

駒平から聞き、彼も調べてはじめて知つたいろいろな制限も、何も絶對なものではないのではないか。そこには、初めのうちさうであり、いつの間にか固定してしまつてそのまま今まで續いてゐるといふものがあるのではないか。動かさうとすれば動くものなのではないか。

そしてここでも、それを敢へて動かさうとする人間がゐないのであらう。

そして駿介はこのことについては自分が動かせさうな氣がした。六月のある日の、專賣局の檢査員の態度など思ひ浮べたら、さういふ氣は起りにくい筈なのだが、彼は何となくさういふ氣がしたのである。出來ても出來なくてもいい、ともかくやつて見ようといふ氣になつた。

駿介がそれほどに乘り氣になつたのは、むろん、彼自身が少しでも多くの煙草の耕作段別が欲しいといふことと、何かさういふ積極的な仕事をやつて見たいといふ仕事そのものへの意欲とに基づいてゐる。それは彼個人の欲求である。しかし同時にほかのものにも基づいてゐた。それは彼が、彼の部落の煙草を作る仲間と話して見て、彼等の耕作段別増加の願ひが、どのやうに切實なものであるかを知つたといふことである。

自分の問題は同時にまた彼等の問題であつた。駿介は、農民のこの切實な願望が達成せられるために、自分の小さな力をでも注ぎたいと熱心に希ひはじめてゐた。今すぐ人々のために、直接に實際の利益をもたらすことはよし出來なくても、將來が期待されるやうなことだけでもしたいと希ふのであつた。

このやうにして、彼の眼は、自分一個の問題から、徐々に外部の世界にまでも向けられて來たのである。

これは當然なことであつた。彼自身早くから云つてゐるやうに、彼個人の内部の問題が、外部世界の問題と無關係に存在するなどといふことは到底あり得ないことだから。問題發生の當初から、さきのものはあとのものと離れがたく結びついてゐる。否、二つが互に複雜にからみあつてゐる關係そのものが、生き方の問題といふやうな形で、彼に向つて迫つて來てゐたのであつたから。

そして人間が社會的存在である以上、何時の時代にもそれはさうであらう。ただ彼等の問題の立て方、もしくは受け取り方にその時代々々の特徴がある。今からわづか數年前の青年であつたならば、彼等の眼はひたすらに外部世界にだけ注がれたであらう。そしてその行動も亦それに應じたものであつただらう。しかし駿介はちがつた。彼はつねに自分を離れることが出來なかつた。だから出發も、自分の生き方といふやうな、見樣によつてはやや古風なにほひのする問題の立て方から始まつたのであつた。かつての青年に比べて、内省的であり、個人的であり、停滯的であると云へた。そしてそれはいいとかわるいとかいへることではなかつた。

個人的なやうには見えても、政治や社會や民衆やの問題についての關心は、その認識の深淺の程度を一應措くならば、かつてそれらの問題を聲高く云つた人々に比して、別に薄らいでゐるとは云へぬのであつた。そして駿介の轉換にも、それらの問題が壓力として加つてゐることは、彼が意識するとせぬとにかかはらず事實であつた。ただ彼の場合には、さういふ關心の呼號から始めて行くことが出來なかつただけだ。

「社會のために。民衆のために。」といふことを叫ぶことから始めて行くことが出來なかつた。それだけ、内と外との統一を強く欲してゐたとも云へる。

その彼が、今や細々とした聲ながら、「人々のために。」といふことを言ひ始めたのである。さうして手近かな可能なところから始めようと思ひ立つたのである。その聲が小さいだけに、その歩みが徐々としてゐるだけに、それだけ一種の堅實さといふものを認めることが出來はしないか。

駿介は先づ、煙草組合の、彼の部落の總代の石黒に會つた。彼は駒平とは親しい間柄だし、駿介とも、この夏の乾燥以來一緒に働いて來てゐるから、遠慮のない口を利き合へる間柄である。

駿介は、石黒に、總代會や組合長のことなどいろいろ訊いた。

「總代會なんぞと云つたつて、ろくに開きもせんのだから。あつてもなくてもいいやうな有樣なんぢやけに。ほとんどみな松川の獨斷專行ぢや。」

「松川はどのくらゐ耕作段別を持つてるの。」

「三段五畝からぢや。村うちで一番ぢや。何しろ松川は古いからのう。段別が多いもんだで組合長になつとるやうなもんだで。」

「三段五畝といへば、四段を限度として、殆どそれに近い。彼自身はもはや全く充足してゐるといふべきである。松川が組合員一般のために一心に計らはぬのも理由のあることである。

駿介は、自分も父とは別に、煙草を作らしてもらふつもりだ。何れ組合にも加入しなければならぬからよろしくおねがひする。しかし松川には、もう少し、自分が云ふまで話さないでおいて欲しい、と頼んだ。

「うん、そりやいい。しかし毎年秋には、翌年の植附段別の増減やら、配當やらを決めると聞いてゐるから、お前さんも早いこと手續せにやあかんぜ。」

駿介の考へでは、組合加入の手續をすます前に、單獨で、縣の地方專賣局の幹部級の役人に直接會つて、希望の段別を云つて頼んでみるつもりであつた。一度でも松川に會つて話した以上は、彼を無視して事を行ふことは出來ず、さうかと云つて彼を通して事を運んだのでは、自分の要求が通る筈はないと考へたのである。

石黒は、

「さア、どうかなあ。無駄だらうとは思ふがなあ。」と、ほとんど問題にもしなかつたが、駿介は、

「いや、ともかくやつて見る。今のところはまアわしだけの問題だが、ここでわしが今までのはじめての耕作者は五畝、増段は二畝以上はない、といふしきたりを破つて、少しでも多く取れりや新しい例が開けることになるし、これからあとがいい。またこれが成功すれば、これからは組合長任せにせずに、もつと積極的な態度に出にやならんといふ氣に、みんなが自然なるとおもふ。」と云つて、

「もしもわしの希望どほり、相當な段別が許可になつたら、その中の少しを、部落の衆に分けますぜ。」と笑つた。

彼等の部落と村の煙草耕作段別の實況、増段の割合と早さ、それらの點の他村のそれとの比較、さういふことについて駿介は石黒から委しく聞いた。石黒は總代をしてゐるだけあつて、細かなことまでよく知つてゐた。駿介は一々手帳に記した。

夜、寢床へ入つてからも、明日話さねばならぬこと、それの秩序立つた表現について彼はいろいろに頭を使つた。

次の日、駿介は早速、地方專賣局を訪ねた。

日中はまだ暑いくらゐであつた。白い七里の道を、汗と埃とにまみれながら、駿介は、專賣局のある町まで自轉車を驅つた。

彼は受附に名刺を出して、いきなり、事業部主任といふ人に面會を求めた。

その人がどういふ人であるかを、少しでも彼が知つてゐるといふのではなかつた。名前さへ知らなかつた。ただ彼は、專賣局といふ役所には、どういふ部や課があつて、それぞれどういふ仕事を掌つてゐるかと云ふ、その大體を調べて知つてゐたので、自分の今日の用件には、事業部が最適であらう、とさう考へたのである。

肩書も何もない彼の名刺など出したところで、何ものであるか、知る由もない。彼はただ、煙草の耕作のことについて、お願ひがあつて伺つた、と受附に傳へてもらつただけである。

無謀といへば無謀である。しかし彼は一方では案外氣安く樂觀的にも考へたのであつた。地方專賣局といふやうな役所は、その仕事の性質上、地元民との接觸は始終のことに違ひない。こつちが何か大げさに考へてゐるやうなものではないかも知れない。案外あつさり會つてくれるかも知れない。――名刺を持つて去つた、受附の、皆までこつちの云ふことも聞かずに行つたやうな態度が、かへつてそのやうな一抹の安心を與へてくれるのであつた。不親切な態度といふよりは、慣れ切つた心得切つた無造作と見たのである。

待つ間、彼はさすがに不安だつた。手も無く追ひ返されることはほとんど必至のやうにも思へた。さきの一縷の望みは消えて、さういふ氣持の方が段々強くなつて行つた。短い時間の間に、彼の氣持は幾度も一つの極から反對の極へと行つたり來たりした。

受附が戻つて來た。

「こちらへ。」

駿介は思はずぴよつこりと一つ頭を下げた。

彼は後から附いて行つた。

土間の一方の側の隅の方が小さく仕切つてあつたが、そこは應接間だつた。そこで待つやうに、と云はれて、駿介はしばらく待つてゐた。

やつと一坪ほどで、眞中に小さなテーブルと、それを挾んで二つの椅子がある。ほかには何もない。すぐ前まで誰かゐたのであらうか。煙草の煙りがかなり厚くこめて、人間の體の臭ひがかすかに殘つてゐた。

そこへ入つて來たのはまだ三十代と見える紳士だつた。四十になつてゐるかも知れぬ。無髯なので若く見えるのであらうか。ともかく事業部主任といふ肩書から、駿介が頭に描いてゐた人物とはよほどちがつてゐた。腹など出てゐる男の、重々しさが無いだけに、駿介は非常に氣輕にものが云へさうな氣がした。しかしこれは、あるひは主任ではなくて、その下の人であるかも知れぬ。

「何ですか、御用事は。」と、こつちの挨拶に答へて、輕く頭を下げ、椅子に掛けるなり、無愛想に云つた。無愛想と云ふよりは事務的と見るべきであらうか。駿介もそれで椅子に掛けた。

彼は手に駿介の名刺を持つてゐて、それをチラと見ながら、

「はア、あなたは柏野村ですね。」と云つて、その村の大體を頭のなかに描き出してゐるらしかつた。住所を、駿介は、名刺の左隅の方に、小さくペンで記しておいたのだつた。

「あなたは煙草を耕作してるんですか。」

「いいえ……來年度から作らしていただきたいと思つてゐるのですが……實はそのことでお願ひに上つたのですが。」

さう云つて駿介は話しはじめた。ああ、そのことなら、組合か役場かを通して願ひ出るやうに、と今にも云はれはしないかとおそれたが、さうは云はれなかつた。

彼は率直に何でも話して行くよりほか仕方がないと思つた。相手がどのやうな性格の人物であるかを知らなければ、一層、さうであることが必要だと思つた、相手を徒らに警戒したり、疑つたり、恐れたり、輕蔑したりしてはならぬと思つた。ことに、話したところでどうなるか、どうもなりやせんのぢやないか、といふ氣持を、話す本人自身がちよつとでも持つことが一番わるいと思つた。道理のあることなら通る筈だといふ確信、相手はそれを聞いてくれるほどの人間であるといふ確信、世の中の實際の場合を多く見聞きして居れば、簡單にさう思ひ込むなどは實に難事ではあるが、少くとも話す時だけはそれだけの確信で話すのでなければと思つた。その確信がなければ、通ることも通らずに終るのだと思つた。そしてそれらは何も、その場に臨んではじめて彼の思ひついたことではなかつた。

彼は自分の過去の大體から話した。學生であつたのだが、事情があつて學校を途中で止して、歸郷して、今では百姓をやつてゐるのだと話した。百姓をしてゐるが、自分としては、自分が歸つて來たために家にそれだけの負擔をかけぬと云ふばかりではなく、さらに何ものかを附け加へて、歸つて來たら歸つて來ただけのことはあるやうにしたいのだと話した。そのための一歩として、煙草の耕作をやり、少くとも自分一人の生活の基礎をそれによつて建てたいのだと話した。それといふのは、自分の所には山裾の地が少しあり、煙草以外には有利な作物はないからだと話した。そして今取りかかつてゐる開墾のことも話した。ところで聞くところによれば、はじめての耕作者には、大抵五畝位しか許されぬといふことであるが、その程度の段別では、到底今云つた自分の希望を滿すことは出來ないと話した。自分は可能な限り多くの段別を許されんことを望むと話した。同時に、これは自分の口から云ふのは僭越ではあるが、自分の父にも關すること故、お願ひするのであるが、自分の部落のものは、近頃増段から洩れてゐる。さうして皆切に増段を願つてゐる。何卒これについても御考慮を煩したいと話した。そして調べて來た數字に基づいて話した。この最後については、いかにも生意氣らしく思はれるおそれがあるので、どうしようかと昨夜もとつおいつしたのであるが、思ひ切つて云ふことにしたのである。

相手は默つて聞いてゐた。駿介が話し終ると、

「さうですか。いや、よくわかりました。」

と云つた。そしてそれきりまた默つてしまつた。駿介は極度に緊張した。

「時にちよつとつかぬことを訊ねるやうだが……」と、その人は云ひさして、

「君が學校を中途で止したといふのは?……何か思想關係――赤の事件といふやうなことではないのですか。」と、訊いた。

駿介はその一瞬、どきりとした。彼の過去はさういふこととは全く無關係ではあつたが、自分が熱心に話す口調のなかなどに、何かを嗅いで、さう誤解したのではないかと咄嗟に思つたのである。自分の轉換など風變りなものとして人眼に映るのはやむを得ないと思つた。しかしまたすぐに、さう深く考へて訊いたものではあるまい、一應參考までに訊いておく必要がある、といふ程度のものであらうとも考へられた。

「いいえ、さういふことではありません。主に學資のことと、苦學してやつて行くのには健康が許さぬといふやうな事情からです。」

「ああさう。……いや、僕がさういふことを訊いたのはね、一應知つておいた方がいいから訊いたまでで何でもないんですよ。」

話題を變へて、

「で、どの位の段別をお望みです。もつとも望み通りに必ずなるといふわけにはいかないが。」

「私は少くとも三段歩は欲しいのですが。」

急に笑ひ出されるか、それとも言下に激しく否定されて終るかと思つた。しかし彼はぢつと考へるやうにしたので、駿介は内心かへつて驚いたのである。

「三段歩と云つてはとても難しからうが……いづれにしても今すぐここで何等かの御返事をすると云ふことは出來ませんが……」と、彼はまだ何か考へるやうにしてゐた。

「ええ、そりや今すぐなどは勿論……」

「一寸待つて下さい。」と、彼は云つて、その部屋を出て行つた。

駿介は待つてゐた。その短い間にもさまざまな感想があつた。

引き返して來た彼は、手に大型の帳面やうのものを持つてゐた。

「失禮しました。」と、云つて、彼はそれを開いてある頁の上をしばらく見てゐた。帳面の背をやや立てるやうにはしてゐるけれど、すぐ眼の前の事だから、見ようとすれば見えぬことはないが、駿介は視線をそこから避けるやうにしてゐた。机の上のインキのしみに眼をやつてゐた。

「ふん、柏野村には少な過ぎて氣の毒な人もあるやうだ。」

ぱたんと帳面を閉ぢて、傍へおいて、

「お話はよく分りましたし、私の方でも充分考慮しますから。」

彼はもう立ち上つてゐた。やや狼狽して駿介も立つた。

「どうぞよろしく御願ひ申し上げます。」

何か大事なことを云ひ忘れてゐるやうな氣がした。しかし思ひ出せなかつた。云つたことについても、もう一度も二度も繰り返し、念を押さなければと云ふやうな氣がした。しかし相手がああはつきり云つてゐる以上、その上にまた何を云ふ必要があるだらうか。

「どうもいろいろ有難うございました。」

戸を開けて出ようとする駿介の後ろから、ふと氣づいたやうに、

「ああ、あなたの事はですね。あなたの村の村長から、あなたに煙草耕作をさせて呉れといふ願を、專賣局長宛に出して貰ふやうにして下さい。これは形式ですが、さうすることになつてゐますから。――書式やなんぞは役場でわかりますよ。」

駿介は重ねて禮を云つて、部屋を出た。石の段を下りて、地に立たうとした瞬間、忘れてゐた重大なことに思ひ當つた氣持で、急ぎ足で取つて返した。さうだ、名前を訊くんだつた!

駿介は引き返して、さきの部屋の前まで行つて見たが、彼が尚この部屋に止つてゐる筈もなかつた。薄暗い向うの廊下をすかして見たが、それらしい人の後姿も見えない。

彼は受附に訊くのほかなかつた。

「今、私が面會を願つた方、――事業部の人です。あの方のお名前は何と仰るんですか。」

「高野さんです。」

「お名前は?」

「ミツ太郎――ミツは光るといふ字です。」

事業部の主任であるかどうかと云ふことも訊きたかつたが、それは惡いやうに思はれてやめた。

自分のあわて方に苦笑しながら駿介は歸途についた。

そのやうな小さな經驗も、一人の生活者として始めてのことであるから、彼は興奮してゐた。その興奮の底はしかし喜ばしい感情だつた。彼には、今日の面會の結果が、好都合に行つたものとしか思へなかつた。

同時に、何か物足りぬ、呆氣ないやうな感じもしてゐた。彼はもう少しいろいろな抵抗を豫想してゐたのである。

さまざまな感想が湧いた。何でも當つて見なけりやわからない。この單純な、しかし今の彼にとつては最も大事な確信を強めたことが何よりも第一の事であつた。

動かすことの出來ないもののやうに思はれた幾つかが、必ずしもさうでないことが明らかにされたではないか。耕作者個人は相手にされぬと云はれてゐたこと。初めての耕作者は五畝以上、増段は二畝以上は許されぬといふこと。――勿論これらの段別のことは、どうなるかまだ全然未定だとしても、少くとも今までの慣例の外に考慮の餘地ありとされたのだつた。

不意に一つの厭な疑念が浮んだ。ああいふのも亦、常套の手段なのではないか? 自分と同じやうなものをもう何人か厭きるほど扱ひ慣れ、これにたくみに肩すかしを喰はせる人間の一つの手なのではないか?

自分がやや興奮さへしながら熱心にしやべつてゐる。相手も熱心に聽いてゐるやうである、が實は腹では何かほかのことを、考へてゐるのだ。聞かずともわかつてゐることだから。さう云へば充分考へておかう、といふまでが餘りに簡單だつた。

一皮剥いたさういふ實際を想像して、駿介は赤くなつた。何か自分が飛んでもない間拔けな世間知らずか、甘い人間のやうにも思へた。

それにしても、もしさうだとするなら、わざわざ帳面を持ち出して來て何か云ふやうな、ああした手數のかかつたことをする必要があるだらうか?

しかし、駿介はこの二つの間を行つたり來たりすることをすぐにやめた。そしてやめようと思へばすぐにやめられた。さういふ點は此頃の彼は昔とは違つて意志的であることが出來た。

甘いのかも知れぬ。世間知らずであるのかも知れぬ。しかしともかく自分が素直に信じ得たのは事實なんだ。そこへ何も疑念を持ち込む必要はないぢやないか。だまされたのならばだまされたとしよう。

彼は村へ歸つて來た。そしてその晩すぐに石黒を訪ねて、話した。石黒も自分のことのやうに喜んでくれた。

次の日、駿介は、石黒と一緒に村役場に村長を訪ねた。駿介は事の大體を話した。そして、專賣局の方からも云はれたからと云つて、書面を出してくれるやうにと頼んだ。石黒も傍から口を添へた。村長は快く應じた。

四五日、忙しさにまぎれて石黒にも會はずにゐると、ある日彼の方から訪ねて來た。そして一度松川に會つておいた方がよくはないかと云つた。村長から洩れたのであらう、松川は駿介の事を聞き、不滿のこころを傍人にもらしたと云ふのである。

駿介には組合を輕視する氣持など少しもない。組合を尊重する心はむしろ誰よりも強い。彼は組合がもつと組合本來の實を擧げねばならぬことを思ふだけだ。組合を通さずに個人的な行動を取つたのは、今の組合の状態としては止むを得なかつたからで、彼の本意ではない。

石黒と連れ立つて、駿介は松川を訪ねた。

松川は胡坐して、横柄な態度であつた。駿介は鄭重に挨拶して、村長から書面を出してもらつたが、それに對して許可があり次第、組合に加入させて戴かねばならぬから、何卒よろしくお願ひすると述べた。松川はうなづいて見せた。駿介はさういふ挨拶の言葉だけに限つて、それ以上この間からのことは云はなかつた。訊かれたら話すつもりでゐた。松川はしかし訊かなかつた。そのあとは二つ三つ世間話があつただけで、松川は終始にこりともせず、不機嫌さうだつた。

「奴さん、よつぽど癇に觸つたらしいぜ、ありや小膽もんやけに。」

石黒は歸りの道々、そんなことを云つてゐた。

ふと駿介はかういふことを思つた。もしも自分の願ひが通つて、許可された段別が先例を破つた廣さであつたとしたらどうであらう? 一般組合員は、この新參者が得た結果に對して、驚愕するだらう。それは羨望と嫉妬とを伴ふだらう。その結果は、組合を通さなかつたといふことを口實として、色々な故障が云ひ出されることになりはしないか?

今までの慣例は絶對ではないのだ。かういふことも可能なのだ。と云ふことを我身をもつて知らしめ、生活の道においてもつと積極的であることを人々に望ましめようとした彼の意圖とは無關係な、もしくは反對な結果が生じるのではないだらうか?

また、自分が組合に加入すれば、すぐにも現在の組合の機能の改善といふことが問題になる。どういふ點をどう改善しなければならぬかと云ふことは、内部に入つて實際事に當つて見なければ分らぬけれど、きはめて概括的に云つて、組合員の意思が、組合の諸機關によく反映してゐないといふこと、これだけは隱れもない事實である。さうしてこれこそ第一に改められなければならぬ點である。

が、そこで自分と組合長及び彼を取り卷く幹部の某々等との對立は到底避け得ないことになる。

村の生活の一種の傍觀者の地位から出て、その構成員の一人として、次第にその機構のなかへ織り込まれて行く自分を駿介は感ずるのであつた。さうしてその中へ入つて行けば行くほど、次から次へと、豫想もしなかつた新しい事實につき當る。それらは古くから解決を欲してゐる問題であり、さまざまな困難を伴つてゐる。しかし何に限らずそこには壯大な人目を驚かすやうなものはない。何といふ細々しさ、煩はしさ、退屈さであらう。

いつかは駿介もまたその思ひに骨を噛まれることだらう。あらゆる困難さにも増して、この退屈さそのものが最大の敵として現れて來る時があるだらう。それこそが危機であるだらう。しかし今はまだ出發したばかりの彼は、かういふのが村の生活、最多數の勤勞者の生活と云ふものなのだ、とわれとわが身に云つて聞かせて堪へる、といふ所からさへ、遙か此方にゐて、新鮮な感動を持ち續けてゐるのである。

駿介は專賣局からの便りを心待ちに待つた。直接自分の所へか、村長もしくは松川の所へ何か云つて來るに違ひないと思つて待つてゐた。しかし何も云つては來なかつた。

駿介は幾度か不安であつた。學校を中途で止したことについて、疑はしく訊かれたことなどをあらためて思ひ返して見た。段別はともかく、耕作許可の通知は早くにありさうなものだと思つた。何時頃決定が聞けるかといふことを、高野氏に面會した時に念を押して訊いておくべきだつた。慣れないと一寸したところに拔かりがあるものだ、と悔んだ。

もう一度高野氏を訪ねて見よう。と思はぬではなかつたが、思ひ返してやめた。會つたところで二度同じことを繰り返すばかりだ、さうくどく云ふべきではない、と控へ目になる。それに駿介は、さきに高野氏に會つて歸つて來てから禮状を出し、そこでも、何卒よろしく、と繰り返しておいたのであるから。

石黒は、

「毎年、次の年の段別割は、十二月に通知して來るんぢやけに、何もかもその時一緒やらう。」と、樂觀してゐた。

さうしてゐる間にも來年度の煙草耕作の準備に取りかからねばならぬ時はもう來てゐるのであつた。專賣局からの通知を待ちかねて手がつかなかつたのと山の開墾とのために少し後れてゐるほどであつた。耕作段別がはつきりきまらなくては、苗床を作るにも、堆肥を作るにも差支へがあるのだが、さういつまでも延び延びにしておくわけにはいかなかつた。

駒平は、秋から冬へかけては、神經痛への顧慮から無理は出來ない。父の監督を受けながら駿介がおもな働きをしなければならなかつた。年寄りには無理な、力のいる仕事なのである。

苗床は一間に四間のものが丁度一段分である。この苗床の底に入れる落葉を掻き集めるために駿介は毎日竹籠メゴを背負ひ、熊手を持つて山へ行つた。一日に何囘となく往復した。一囘の荷は二十貫にも餘るのである。

掻き集めた落葉を荷に造るのは熟練を要することであり、教へられて人並になるまでには一苦勞いることであつた。落葉のやうなものを束に結はへて荷にする仕方について、百姓たちは工夫してゐた。先づ山のなかの木のない廣場のやうなところに、落葉を運んで來て積み上げる。次にそれを熊手で少しづつ掻いては、その上を兩足で力一杯踏みつけ踏みつけする。すると濕つてゐる落葉は互にくつつき合つて、ぺつたりしたものになつて來る。上へ上へと少しづつ落葉を掻いて來てはそれを續けてゐると、やがて幅四尺に縦三尺位、厚さ五寸位の落葉の板のやうなものが出來上る。

それから篠竹か木の枝を切つて來て、今の落葉の板の二つの側に當てがひ、それの助けを借りて、そうつと胸に抱きかかへるやうにして持ち上げて、豫め用意しておいた二條の蔓の上におくのである。慣れるまでは、この持ち上げる時に落葉は崩れ落ちて、何度もやり直しをしなければならぬ。かうしたものを五六層も積み重ね、蔓で締め上げて落葉の荷が出來る。

あたりに散らばつた落葉はこれを掻き集めて竹籠に入れ、さきの荷をこの竹籠の上に乘せて綱で結はへ附け、さうしてこれを背負ふのである。たかが落葉もかうして見ると何といふ重さであらう。この荷を背に、彈力のある腰の力でぐつと一息に立ち上るのは容易ならぬことだ。一息にぐつと押し切つて了へばいい。少しこじれるともう立ち上ることが出來ない。やつと立ち上つてもひよろひよろとして危ふく倒れさうである。一度など駿介はほんたうに倒れて、足は宙を蹴り、首の骨は折れるかと思つた。

背負つて歩き出しても、足は一足々々浮くやうである。兩肩は締め附けられ、鎖骨は折れさうに痛い。坂が少し急な所に差しかかる時は、駿介はほんたうに恐怖を感じた。しかし十六位の少年が平氣でこの力仕事に從つてゐるのを見ると、力だけのことではなく、これもやはり骨こつのものなのであらう。

苗床には一尺五寸の厚さに敷きつめるので、十數囘にわたつてこの荷を運ばなければならないのだつた。

苗床がすむと今度は本畑に用ひる堆肥だつた。これはさきに開墾地の山から掻き集めておいた落葉をもつてそれにあてた。大體二百貫はある見込みだつたが、それで足りるとは思へなかつた。だが近くの山には落葉はもうほとんど無い。秋の收穫がすむと、女達が焚きものにする落葉集めに隊をつくつて連日山へ入るからである。これからだとするとよほど奧の山へ入らなければならぬ。落葉といふものが農民にとつてこれほどのものであらうとは、あの都會にゐて駿介は一度も思ひ出して見たこともなかつた、彼が困つてゐると、丁度その時耳寄りな話を持つて來てくれた人があつた。

部落のある家で稻藁を賣るといふのだ。駿介は早速その家へ行つて見た。丁度七俵分あつて、一度ほかへ二圓七十錢で賣る約束をしたが、處理の仕方がわるかつたために、雨水が浸つて腐蝕し始めてゐて、藁細工には使へないのでやめになつた。肥料にしかならぬことを承知なら買つてくれと云ふ。駿介は大喜びで二圓七十錢で買ふことにした。その家から五六町離れた田の畔に、藁グロにしておいてある稻藁を猫車に積み上げながら、これでもう山へ入らずにすむかとホツとした。

この藁は秣切りで三四寸の長さに切つた。山のやうに嵩くなると、熊手で掻きなして上から肥桶に何荷もの水をかける。その上にさらに切藁を重ね、また水を撒く。

堆肥の準備が終つたのちに、なほ殘つてゐる仕事は、苗床の掩ひに使ふ麥藁の薦こもを編むことである。これは半間に一間の大きさで、二十四五枚はいる。それから苗床の周圍に立てる柱や枠を作らねばならぬ。

薦を編む、といふやうな靜止的な仕事に從つてゐる時には、駿介の想ひは時々過去に走つた。彼は今なほ渾沌たる想ひのなかにあると云へた。彼が進んだ道の見透しがついてゐるとはまだ云へなかつた。飛んでもない愚かな間違ひをしてゐるのかも知れぬと、ふつと思ふやうなことも稀にはあつた。しかし後悔はなかつた。全體としてはやはり將來に向つての希望と計畫とに心をひそめることの方が多かつたのである。

さうしてその年も十二月に入つたのだつた。

ある夕方、石黒とほか二人の煙草の方の仲間が、あわただしく駿介を訪ねて來たのは、さきに小作料を納めに行つた日から一週間ほど後のことであつた。十二月ももう下旬のある日だつた。

納屋で薦こもを編んでゐた駿介は、駒平に呼ばれて納屋を出て行つた。彼は自分を呼ぶ駒平の聲がなんとなく一つの亢ぶつた感情をあらはしてゐるやうに思つた。駒平にはさういふことはふだんはほとんどない。

彼が土間に入つて行くと、上り框にかけてゐた石黒が、顏を見るなり、

「駿介さん、大へんぢや。」と云つた。しかしその顏は少しも大へんらしくもなく、むしろ何か嬉しさを押へかねてゐる顏だつた。ほかの二人のものもさうである。

「何ですか。」

「何もかにもない、大へんぢや。專賣局からの割當てが來た。」

これには駿介も胸の騷ぎ出すのを押へ得なかつた。

「ほんたうですか。」

「ほんたうとも。少しさつき、組合長の方さ通知があつた。それでわしの方へも云つて來た。あんたの分もある。わしのいつか云つた通りぢや。耕作許可も、割當ても、何もかも一緒にやつて來をつた。」

「さうですか。それでどんなです? 結果は。」

「まア、上らして貰はうかい。」と、石黒は落ち着き拂つて云つて、手拭ひでパタパタ裾や足のあたりを拂つて、自分の家のやうにして上つた。

彼等は座敷へ通つて、坐つた。

「駿介さん、お前さんはな、とてもえらいこつちやぞ。」と、石黒は云つて、ふところから一枚の紙を出して、それをそこに延べながら、

「お前さんは一段五畝、親父さんは一段歩。合せて二段五畝。親父さんは三畝の増段ぢや。……まア、よつくこれを見なさい。」と、その紙を前へ押してよこした。

駿介はそれを手に取つて見た。そこには部落の煙草仲間全部の來年度の割當段別が記してある。さうしてその下には、増段の数字が記してある。誰かが役所からの通達から急いで引き寫したものらしく、鉛筆で半紙に書いてある。駿介等の分は石黒の云ふ通りであつた。増段は二畝あるひは三畝で、部落の一人殘らず全部増段だつた。

「駿介さん、これはみんなお前さんのおかげぢや、わしからも、厚く禮を云ひますぜ。」

石黒が云ふとほかの二人もそれに從つて云ひはじめた。三人ともひどく興奮してゐた。彼等にとつては駿介の一段五畝といふのは、ほとんど信じ得ぬほどの驚きだつた。三畝の増段といふことも同樣だつた。石黒の「大へんぢや」と云つた言葉は誇張でなく彼等の氣持をそのままに現してゐるものだつた。

駿介はしかしややぽかんとした感じであつた。拍子拔けの體だつた。これは果しておれの「お蔭」であらうか? もしさうだとすればおれの言葉のどこがこれだけの力を持つたのであらう? これはほとんど偶然に近い結果ではないか。勝利の偶然性が大きければ大きいほど、今後のことが思ひやられる。

が、さういふことについてはあとで考へても遲くはなかつた。彼も今はただ喜びたかつた。自分と人々とのために喜びたかつた。今度のことが成功するかどうかは、彼にとつては大きな問題であつた。物質的利害の問題以外に、その成否によつて、彼と村の人々との結びつきの模樣が異なるといふことが大事だつた。

人々はとめどもなく話しつづけてゐた。駒平は人々のなかにまじつて、ただにこにこしてゐた。

「松川も今度といふ今度は驚いとるやらう。」

「ほかの部落はどんなふうなんです?」

「さア、ほかの部落のことはまだよく訊いてないんぢやが。」

「石黒さん。わたしはまだ始めてだし、それに親父さんにも、三畝も増段したんだから、實際のところは、一段五畝なんぞはいらないんです。このうち五畝は部落に讓りますから。」

石黒もほかの二人もびつくりして駿介を見た。

「いつか、もしうまく行つたらいくらか部落の衆に讓るなんて云ひましたが、あの時は實際にそんなことが出來るやうになるとは思つてゐなかつた。それが云つたとほりになつて、私は實際愉快です。……五畝を、一畝づつ五人に分けてもいいし、段別の少いひと何人かの間にわけてもいいし、さういふことはあとでみんなで相談したらいいでせう」。

石黒とほかの二人は言葉少なに禮を云つた。言葉の少なさに、彼等がどんなに喜び感謝してゐるかがそのまま現れてゐるやうな云ひ方であつた。

駿介は胸が熱くなつた。彼等はただこれだけのことになんと深く大きな喜びを感じることが出來るのであらう。これこそは實に重要なことではないか。

なんといふことなく、駿介はその時ふと、もう久しく會つてゐない志村と上原の二人を思ひ出した。

爲されたことは實にささやかな一つの事なのであつた。

しかし、それは駿介に新しい自信と勇氣とを與へたのである。

(前篇終)

底本 / Source edition

底本:「島木健作作品集 第二巻」創元社
1958(昭和28)年6月30日初版発行
初出:「書きおろし長篇小説叢書 第二巻」河出書房
1937(昭和12)年10月27日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「光」と「光り」、「祭」と「祭り」、「佗しい」と「侘しい」、「刺戟」と「刺※[#「卓+戈」、U+39B8]」の混在は、底本通りです。
※誤植を疑った箇所を、初出の表記にそって、あらためました。
入力:Nana ohbe
校正:富田晶子
2018年7月27日作成
2018年9月17日修正
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書誌 / Bibliography
/works/047357_000008/

島木 健作「生活の探求」(旧字旧仮名)、底本『島木健作作品集 第二卷』創元社、1953年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 047357_000008, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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