新青年の五月号平林初之輔氏の「犠牲者」は、感銘の深い作でした。いろいろの緊急な社会問題が、ずいぶん沢山織り込んであるのが、際立った特色をなして居ります。<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>に日本の探偵創作界へも、こういう作が産れたかと、感謝したいような作品です。私はこの作を読んだ時、ガルスウォシイの社会劇を、ふと心へ思い浮かべました。この作を読んだ大方の人は、<ruby><rb>可成</rb><rt>かな</rt></ruby>り長い間考えさせられ、憂鬱になるだろうと思われます。

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小酒井不木氏の創作の中に「迷理的笑い」というようなものが、加味されて来たのは特色です。まさに鋳型から出ようとしている、こう云っても<ruby><rb>可</rb><rt>よ</rt></ruby>さそうです。甲賀兄よ、安心して<ruby><rb>可</rb><rt>か</rt></ruby>なり。

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川田功氏の「或る朝」は、<ruby><rb>恰度</rb><rt>ちょうど</rt></ruby>一杯の清涼剤を、飲み干したようなスガスガしいもの、いい気持で読みました。文章に難は無いでしょうか？　<ruby><rb>併</rb><rt>しか</rt></ruby>しこの点は私などより、もっと名文家として定評のある、他の誰かが批評すべきでしょう。

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「ホウィッスラアまいる」と「厄払い」牧逸馬氏の短篇で、例に<ruby><rb>由</rb><rt>よ</rt></ruby>って絶好のコント、この二作の特色は、利己主義者と利己主義者とが、鉢合わせをした<ruby><rb>其</rb><rt>その</rt></ruby>結果、「笑い」が醸されたという点でしょう。喜劇発生の原因は、随分いろいろありますが、利己主義者同志の鉢合わせなどは、皮肉な喜劇を産むようですね。

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本田緒生氏の力作に、久しく接しないということは、一体どうしたというのでしょう。「蒔かれし種」というような、ああいう力強い雄篇は、定評ある探偵作家にも、容易なことでは作れますまい。本田氏が怠けて作らないのか、作っても編集者の気に入らないのか？　<ruby><rb>一寸</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>この点心元無い。

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森下雨村氏突然来名、風の如くに来たり風の如くに去る。その間わずか一時間半！　私、小酒井氏と眼を見合わせる。「東京の方は素早いですね」「いや其上土佐人です」

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次は私の思い出話――。

緒生氏は瀟洒たる好青年、しかし一旦ペンを持つと、随分頸烈な批評をします。遂に私の容貌を、<ruby><rb>謀反</rb><rt>むほん</rt></ruby>人面に<ruby><rb>迄</rb><rt>まで</rt></ruby>出世させました。しかし親愛なる緒生氏よ、これは私の罪ではなくて、私の病気の罪なのです。由来バセドー氏病という奴は、眼球突出、甲状腺膨脹、全身ルイ痩、指頭戦慄、一見すると中風患者に見えます。思い起こす十年の昔、病気にならない其頃のこと、タキシイドを着てホテルへ行ったら、或る優しい未亡人が「すっかり若紳士の典型ですね」こう云って褒めてくれました。唐桟の<ruby><rb>袷</rb><rt>あわせ</rt></ruby>に無地の羽織、道頓堀を歩いていると、親切らしい<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ゆきずり</span>の芸者が「<ruby><rb>屹度</rb><rt>きっと</rt></ruby>江戸の芸人ですよ」こう云って嘆賞してくれました。<ruby><rb>尤</rb><rt>もっと</rt></ruby>も婦人に褒められたのは、この二回しかありません。それで覚えているのです。だが短い人生の中で、二度<ruby><rb>迄</rb><rt>まで</rt></ruby>婦人に褒められたら、もう本望じゃあありませんか。<ruby><rb>但</rb><rt>ただし</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あくどい</span><ruby><rb>自惚家</rb><rt>うぬぼれや</rt></ruby>は、毎日婦人に褒められないと、気色が勝れないようですね。そういう手合は文壇にもいます。いつも作品が褒められなければ、気色が悪いというようなね。――と、この一句を云い<ruby><rb>度</rb><rt>た</rt></ruby>いために、思い出話をしたというもの。

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毒舌名誉という点で、正直正太夫こと斎藤緑雨、極楽浄土に居を構え「悪口読本」を編サンし、阿弥陀如来を門下とし、指南最中ということです。彼を現代へ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">おびき</span>寄せ、文壇を見せたらどうでしょう？　彼すっかりアキレ返り、「ヤクザだなあ、俺は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">けえる</span>！」――で急いで引っ返すでしょう。あんまり<ruby><rb>周章</rb><rt>あわ</rt></ruby>てて引っ返したため、道を間違えて地獄入り、しかし緑雨驚かない、早速閻魔様を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">とっつか</span>まえ、「浮世文学ムダ話」そいつを<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>り出すに相違ありません。爾来閻魔様物解りがよく、文士の亡者が来る<ruby><rb>毎</rb><rt>ごと</rt></ruby>に「ナニ文士だ、途方もねえ奴だ。此処へは置けねえ、極楽へ行きな」