文学成長の道程の中に外国文学模倣時代という時期がある。この時期は<ruby><rb>成</rb><rt>な</rt></ruby>る<ruby><rb>丈</rb><rt>た</rt></ruby>け早く通過すべきである。日本探偵小説の如何に長くこの時期にウロツイていることか。笑う<ruby><rb>可</rb><rt>べ</rt></ruby>きである。

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僕には相当探偵小説家の友人がある。彼等の話を聞いていると軽蔑したくなる。「こういうトリックは如何さまのもので」「面白うござんすな、すぐにお書きなさい」「こういう奇抜な筋があるので」「こりゃ素晴らしい、急いでお書きなさい」「こういう怪奇はどうでしょう？」「ウーン、<ruby><rb>迚</rb><rt>とて</rt></ruby>も素晴らしいものだ。君々いそいで書きたまえよ」こんな話ばかりを交わせている。しかも彼等の輩は、それらのトリックそれらの筋それらの怪奇を書くことによって、何を人生に寄与しようとするのか、そういうことは考えてもいない。

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人生の再現、人生の創造――いずれも文学の目的である。探偵小説は、どっちかといえば、人生の創造という言葉にあてはめてよい文学である。――人生の創造ということは、実人生と遊離している世界を創って、読者を<ruby><rb>嚇</rb><rt>おど</rt></ruby>かすことでは無い。人生を向上さす可くユートピアを創る<ruby><rb>謂</rb><rt>いい</rt></ruby>なのである。日本の探偵小説家の輩はそういうことを知らない。