本誌五月号の探偵創作の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>、小舟勝二氏の作「昇降機」を面白く――というよりも<ruby><rb>夫</rb><rt>そ</rt></ruby>れ以上に敬服して読みました。

<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（１）</span>よく昇降機の性質を知っていて夫れを活用したこと<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（２）</span>「――四階。客無し。運転継続――五階。<ruby><rb>停止</rb><rt>ストップ</rt></ruby>」というようなテキパキしていて新鮮で要領のよい動的描写<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（３）</span>橋本が昇降機へ飛び付いてから死ぬ<ruby><rb>迄</rb><rt>まで</rt></ruby>の物凄い光景等々、実に<ruby><rb>旨</rb><rt>うま</rt></ruby>いものだと思いました。全体が手堅く、緊密であるのも嬉しく思いました。小舟氏の作はこれ一つしか読んだことはありませんが、これ一つだけで充分に手腕ある作家だということが感じられました。

雑誌「苦楽」に掲載された本田緒生氏の時代捕物「夜桜お絹」も私を喜ばせた作でありました。自由な筆致もよく、時代物だのに一向こだわらずに英語を入れた大胆さも苦にならず、いや<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>って効果的であり、全体がフックリして<ruby><rb>軟味</rb><rt>やわらかみ</rt></ruby>のあるのも快く思いました。林不忘氏の作とは又別趣の味があり、現代物ばかりで無く、こういう時代物にも才気縦横であることが証拠立てられ、氏のために祝福した次第であります。雑誌「苦楽」がこれを呼び物にしたのは<ruby><rb>洵</rb><rt>まこと</rt></ruby>に<ruby><rb>理</rb><rt>もっとも</rt></ruby>だと思いました。「疑問の黒枠」は完結してから「『疑問の黒枠』細評」というようなものを書いて見たいと思って居ります。<ruby><rb>兎</rb><rt>と</rt></ruby>に<ruby><rb>角</rb><rt>かく</rt></ruby>大変な人気であり、人気のあるのは当然至極と思って居ります。寸鉄殺人的の短篇で盛んに読者を威嚇していた小酒井博士が、こういう大がかりな、そうして何処となく余悠があってフックリしていて、そうして如何にも日本的な作を作ろうとは最初の中は誰もが想像しなかったことでしょう。博士はマイクロフォンで……「探偵小説の行詰り云々」と探偵小説がどうやら行詰まったような<ruby><rb>口吻</rb><rt>くちぶり</rt></ruby>を洩らして居りましたが、「疑問の黒枠」はそれを裏切って居ります。こういう作がある以上探偵小説は行詰って居りません。で博士に抗議をして、如上の言葉は失言として取り消しを願うことに致しましょう。

少しく時期が遠退きましたが、「サンデー毎日」一月二十三日号に掲載された懸賞探偵小説甲種当選山口海旋風氏の作「レシデントの時計」を私の気附いた範囲では、何処でも、まだ誰もが批評していなかったのは不思議な事だと思って居ります。あれは勝れた作でもあり又力作でもありました。<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（１）</span>南洋の風物人情の克明描写<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（２）</span>新鮮で力強くてドッシリしていて、充分<ruby><rb>玄人</rb><rt>くろうと</rt></ruby>的のその文章<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（３）</span>必しも古く無いそのトリック<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（４）</span>持ち重もりのするような<ruby><rb>荘重</rb><rt>そうちょう</rt></ruby>な作風<span data-tei-rend="text-combine-upright" style="text-combine-upright: all">（５）</span>気宇広濶な国際的の味、等々々、堂々たるもので、二十枚三十枚の作などに、浮身をやつしている作家などには、真似さえ出来ない立派な作でした。誰かその中に批評するだろうと、今日<ruby><rb>迄</rb><rt>まで</rt></ruby>待っていたのでしたが、誰もが批評をしないので、そこで私は呆れ返って、<ruby><rb>鳥渡</rb><rt>ちょっと</rt></ruby>ここで書いた次第です。誰もがあの作を読まなかったのか、読んでも価値が解らなかったのか、前者だとすれば迂濶であり、後者だとすると余りにも探偵小説作家には、批評眼が無いということになります。だが<ruby><rb>併</rb><rt>しか</rt></ruby>し何処かであの作に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いて、批評をした者があったのだが、それを私が見落としたというなら、早速頭を下げて<ruby><rb>了</rb><rt>しま</rt></ruby>います。従来<ruby><rb>極</rb><rt>き</rt></ruby>わめて親切に<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つ妥当な批評をして来た、甲賀三郎氏が<ruby><rb>是</rb><rt>これ</rt></ruby>に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いて、批評しなかったということを、私には鳥渡受け取れません。