去年の夏のことだ。

Ｈ君夫妻が、終戦後はじめて軽井沢の別荘びらきをするといふので、われわれ旧友二三人が招かれたことがある。そのなかに、久しぶりでわれわれの前に姿をあらはしたＧ君もゐた。これは思ひがけなかつた。

われわれ仲間といふのは、ほんの高等学校の頃に同室だつただけの関係なのだが、そんな漠然とした若い時代の友情が、めいめい別れ別れに大学へ進んでからも、やがて社会へ出てからも、案外そこなはれずに続いてゐたのである。

同勢は六人ほどで、文科系統が多かつたけれども、Ｇ君は工科だつた。もう一人、<ruby><rb>魏</rb><rt>ぎ</rt></ruby>さんといふ<ruby><rb>山東</rb><rt>さんとう</rt></ruby>出身の留学生がゐて、これは医科だつた。のつぽといつていいくらゐ背の高い男で、とつつきの悪い不愛想なところがあつたが、実は<ruby><rb>飃々</rb><rt>ひょうひょう</rt></ruby>とした楽天家で、案外すみに置けない<ruby><rb>粋人</rb><rt>すいじん</rt></ruby>でもあつた。<ruby><rb>魏怡春</rb><rt>ぎいしゅん</rt></ruby>といふ名前が、まさに<ruby><rb>体</rb><rt>たい</rt></ruby>をあらはしてゐたわけである。

そんな彼に、われわれはよく甘えたり、罪のない<ruby><rb>艶聞</rb><rt>えんぶん</rt></ruby>をからかつたりしたものだ。大学を出ると長崎へ行つて、はじめは医大につとめ、やがて開業した。日本人の細君をもらつたとかいふ<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>もあつたが、そのへんから段々消息がぼやけて来て、まもなく戦争になつた。山東へ帰つたらしいと、誰いふとなしにそんな風聞も伝はつたが、確かなところは分らなかつた。もし帰つたとすれば、彼の運命は果してどうなつてゐるだらう。無事で、<ruby><rb>若白毛</rb><rt>わかしらが</rt></ruby>がますます<ruby><rb>霜</rb><rt>しも</rt></ruby>を加へて、相変らず<ruby><rb>飃々</rb><rt>ひょうひょう</rt></ruby>としてゐるだらうか。……われわれはまづ、そんなことを噂し合つた。

Ｇ君は、われわれの仲間では<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>一人の山岳部員だつた。かと云つて先頭に立つて<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎや</rt></ruby>かに音頭をとるのではなく、むしろ黙々として小人数で沢歩きをするといつた風であつた。一度など、単身で雨あがりのザンザ洞へいどんで、トラヴァスの失敗から人事不省になつたことさへある。まだ沢歩きが今ほどはやらない時分のことだから、<ruby><rb>木樵</rb><rt>きこ</rt></ruby>り小屋の人がひよつこり水を<ruby><rb>汲</rb><rt>く</rt></ruby>みに降りて来なかつたら、とつくにＧは白骨を水に洗はれてゐたに相違ない。……そんな経験のあつたことを、われわれ仲間でさへ余程あとになつて、彼が何首かの歌に歌ひこむまでは、さつぱり知らずにゐた始末だつた。

歌といへば、Ｇはわれわれの中で唯一人の歌よみでもあつた。当時の風潮にしたがつてアララギ調で、なかでも<ruby><rb>千樫</rb><rt>ちかし</rt></ruby>に<ruby><rb>私淑</rb><rt>ししゅく</rt></ruby>してゐたらしいが、ちよいちよい校友会雑誌などに載るその作品は全部が全部自然<ruby><rb>諷詠</rb><rt>ふうえい</rt></ruby>で、たえて人事にわたらなかつた。格調がととのひすぎて、つめたく取澄ましてゐるやうな彼の歌風は、学校の短歌会の連中から変に煙たがれてゐたらしい。そこでも彼は孤独だつたのだ。学校の先輩に当る詩人に、Ｇがわれわれの仲間のＳを介して、歌稿の批評をもとめたことがある。その人は詩壇きつての理知派と云はれてゐたが、一流のきらりと光るやうな微笑とともに、

「ああ、この人は鉱物だね」

と評し去つたさうだ。Ｓは面白がつて、この評語をわれわれに披露したが、さすがに当人には<ruby><rb>匿</rb><rt>かく</rt></ruby>してゐたらしい。悪意の批評ではないまでも、少しばかり的を射すぎてゐると思つたのだらう。Ｓは世話ずきな男だつた。

なるほどさう言はれてみれば、Ｇには人間を鉱物に還元して考へるやうなところがあつた。そのためには<ruby><rb>先</rb><rt>ま</rt></ruby>づ自分自身を、鉱物に還元するのである。自然との対話によつて、やうやく自分の孤独を満たしたやうな人なら、古来めづらしいことではない。さういふ人たちは好んで自分を草木に化する。Ｇはそれができない性格だつた。あるひは草木の時代を、まだ自分が生まれないずつと遠い昔に経過してゐるのかも知れなかつた。がとにかく、そんな人間は詩歌など作らぬ方がいい――と、例の理知派の詩人は皮肉つてゐるらしく思はれた。その詩人は、その後まもなく毒薬自殺をした。そしてＧは、やがて忘れたやうに歌を作らなくなつた。

Ｇは、大学では建築をやつた。卒業設計は大がかりな<ruby><rb>綜合</rb><rt>そうごう</rt></ruby>病院のプランだつた。いよいよ出来あがつて提出する前、彼は大きな図面を何枚もわれわれに見せて、かなり丁寧に説明してくれたものだが、今ではもう、おそろしく<ruby><rb>沢山</rb><rt>たくさん</rt></ruby>の<ruby><rb>棟</rb><rt>むね</rt></ruby>に分れた複雑きはまる見取図や、オランダの民家を見るやうな柔らかな屋根の色や線が、おぼろげに記憶に残つてゐるだけで、こまごました技術上の苦心や抱負などは、当時にしてもわれわれには見当さへつかなかつた。

が、そんな夢みたいな設計図でも、専門家の眼には何か見どころがあつたらしい。Ｇは卒業後しばらく東京のＴ工務所につとめたのち、ちやうど<ruby><rb>京城</rb><rt>けいじょう</rt></ruby>に新たに建つことになつた大きな病院の仕事に、破格なほど高い<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>を与へられた。そのまま大陸に居すわつてしまひ、やがて満洲へ渡つたことだけはわれわれの耳に伝はつたが、あとはさつぱり消息が絶えた。つまりＧは、例の魏さんに次いでわれわれの視界から姿を消したのである。

そんな彼に、われわれはＨの別荘で、ほとんど二十年ぶりに再会したわけだ。懐かしいといふより、一種の間のわるさが先に立つた。年月の空白といふものは、男の場合でも女の場合でも、何ともぎごちないものだからである。男女の間なら、一種の擬勢でそれを埋めることができるかも知れない。だが男どうしでは、その助け舟も頼みにはならない。

外交官のＳは、身についた社交辞令で、とにかくＧのその後の生活について根掘り葉掘り問ひかけたが、満足な答は得られなかつた。Ｇが照れる先に、当のＳが照れてゐるのだから話にならない。結局わかつたことは、Ｇが現在独身であること（その口ぶりでは、どうやら一度は結婚したらしくある――）、それにもう一つ、朝鮮や満洲に十ほど病院を建てて来た、といふことだけだつた。口数の少ない<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>ての彼を<ruby><rb>見馴</rb><rt>みな</rt></ruby>れてゐるわれわれは、それだけで十分満足した。やがて、交際ずきなＨの<ruby><rb>細君</rb><rt>さいくん</rt></ruby>の<ruby><rb>奔走</rb><rt>ほんそう</rt></ruby>で、知合ひの夫人や令嬢を招いての夜会になつた。Ｈの細君としては、早くもＧの<ruby><rb>後添</rb><rt>のちぞい</rt></ruby>のことを想像に描いてゐたのかも知れない。その席でＧは案外器用な踊りぶりを見せたが、令嬢にしろ夫人にしろ、彼が注意を特にかたむけたと<ruby><rb>思</rb><rt>おぼ</rt></ruby>しい相手は一人もなかつた。大きい眼をむいてひそかに彼の一挙一動に気をくばつてゐたＨの細君は、ほとんど露骨な失望の色を見せた。

夜会から一日おいての朝、われわれは夏山登りを思ひついて、あまり気の進まないらしいＧに案内役を無理やり承諾させた。Ｇはしばらく思案してゐたが、浅間といふ誰やらの提案をしりぞけて、一文字山から網張山を経て鼻曲山へ出る尾根歩きならお附合ひしてもいいと言ひ出した。それなら都合によつては、<ruby><rb>霧積</rb><rt>きりづみ</rt></ruby>温泉に泊る手もあるといふのである。

ゆふべの令嬢たちの中からも二人ほど加はることになつて、出発は<ruby><rb>午</rb><rt>ひる</rt></ruby>ちかくなつた。のみならず、その夏はまだこのコースを踏んだ人があまりないと見えて、思はぬ場所に<ruby><rb>藪</rb><rt>やぶ</rt></ruby>がはびこつてゐたりして、女連中の足はなかなか<ruby><rb>捗</rb><rt>はかど</rt></ruby>らなかつた。鼻曲山の頂上にたどり着いた頃は、落日が<ruby><rb>鬼押出</rb><rt>おにおしだし</rt></ruby>の斜面に大きくかかつてゐた。

日帰りはあきらめなければならなかつた。われわれは日の影りかけてゐる東の尾根を霧積へ下りることはやめて、明るい西斜面づたひに小瀬温泉をめざした。温泉に着いてみるともう暗かつた。

その晩、わたしはＧと同じ小部屋で寝ることになつた。あかりを消して眼をつぶつてみたが、疲れてゐるくせに眠気がささない。Ｇも同じらしかつた。<ruby><rb>殆</rb><rt>ほとん</rt></ruby>ど一時間ほどもさうしてゐた挙句に、どつちから言ひだすともなく連れだつて浴室へ下りた。

月はなく、山あひの闇が思ひがけないほどの重さで窓に迫つてゐた。湯川の瀬音が耳もとへ迫つたり、遠まつたりしてゐた。私たちは湯ぶねの中に向ひあつて<ruby><rb>瞑目</rb><rt>めいもく</rt></ruby>したまま、その音を聞くともなしに聞いてゐた。まるで息をしてゐるのが私たち二人ではなくて、<ruby><rb>却</rb><rt>かえ</rt></ruby>つて自然の方であるやうな気がした。

何かしら苦しい沈黙だつた。するとその時、すぐそこの松山の中でギギッとけたたましい<ruby><rb>啼</rb><rt>な</rt></ruby>き声がした。同時にするどい羽音がして、中ぞらへ闇を裂いた。そして消えた。

「なんだらう、<ruby><rb>雉子</rb><rt>きじ</rt></ruby>かな？」と私は言つてみた。

「さあね、<ruby><rb>五位鷺</rb><rt>ごいさぎ</rt></ruby>ぢやないかな。」

Ｇは目をつぶつたまま、鈍い声で答へた。あとはふたたび瀬音だつた。

湯からあがつて、また寝床へもぐりこんだが、今度もやつぱり寝つけない。先に辛抱を切らしたのはＧの方だつた。彼はライターをつけて、枕もとの水をうまさうに飲んだ。私も<ruby><rb>腹這</rb><rt>はらば</rt></ruby>ひになつて、暗がりでタバコを吸ひだした。

「寝られないかい？」とＧがきく。

「うん。つい鼻の先まで夢は来てるんだが、どうもいけない。……さつきの鳥の声がまた聞えさうな気なんかがして、また夢のやつ、スイと向うへ逃げちまふ。」

「ああ、あの声か。……やつこさん、<ruby><rb>蛇</rb><rt>へび</rt></ruby>にでも襲はれたかな。」

「さうかも知れない。とにかく、かう耳につきだしたら百年目だ。」

Ｇは低く笑つた。<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>くして、何気ない調子でこんなことを言ひだした。――

「何か話でもしようか。君があんなことを言ひだすものだから、僕まであの声が耳について来た。……」そこで言葉をきつて、「実はね、あの鳥の声で、ふつと思ひだしたことがあるんだよ。つまらん話だがそれでもしようか。」

私が承知をすると、Ｇは次のやうな話をしだした。……

＊

内地を出て、最初の五年ほどは京城にゐた。つぎの七年は満洲にゐた。そのあひだにまづまづ自分の仕事と呼んで差支へない病院を、大小とりまぜて十ほど作つた。最後の三つなどは、設計から施工の監督まで僕の手一本でやつた。なかでも<ruby><rb>新京</rb><rt>しんきょう</rt></ruby>の慶民病院は、規模こそ小さかつたが、まあ悪くはないと思つてゐるのだがね。

その仕事が済むと、まもなく太平洋戦争になつた。満洲の建設どころではあるまいから、その辺で見きりをつけて、外地歩きから足を洗はうかと思つた。うつかり帰ると待つてゐましたとばかり徴用されるぞ――そんなことを言つて<ruby><rb>威</rb><rt>おど</rt></ruby>かす友人もゐた。なるほど徴用も結構だが、マーシャル・カロリンあたりの設営隊へ駆りだされるのは、ぞつとしなかつた。もう一つ二つ建てておきたい病院の夢もあるものでね。くだらん執着には違ひない。だが、どうも自分が、まんいち前線基地へでも出ていつたら最後、まつ先に脳天を射抜かれるやうな男に思へてならなかつたのだ。……ああ、家内かい？　（と彼は私の挿んだ質問にこたへて）家内は京城でもらつて、京城で死なした。<ruby><rb>産褥</rb><rt>さんじょく</rt></ruby>熱だつた。子供も一緒に死んでしまつたから、まあ、その点はさばさばしたものだが、とにかく僕は<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ちゅうちょ</rt></ruby>したね。

そのまま役所通ひをしながら形勢を<ruby><rb>窺</rb><rt>うか</rt></ruby>がつてゐると、やがて華北交通から来ないかと言つて来た。最初の仕事は、<ruby><rb>北京</rb><rt>ペキン</rt></ruby>の郊外あたりに鉄道病院みたいなものを作るのだといふ。僕はその頃、採光の様式についてちよつとした発見をしたところだつた。もちろん机上のプランだから、なんとかして実地に試してみたくてならなかつた。それには材料の上で或る<ruby><rb>註文</rb><rt>ちゅうもん</rt></ruby>があつた。その材料が北支なら、まだまだ使へる可能性があるやうに想像された。

そこで僕は休暇をとつて<ruby><rb>大連</rb><rt>だいれん</rt></ruby>へ行つた。満鉄の本社に北支の事情に明るい先輩がゐたので、その人の意見を求めるつもりだつた。あひにくその人は<ruby><rb>天津</rb><rt>てんしん</rt></ruby>へ出張中で、あと四五日しないと帰つて来ないといふことだつた。大連は二度目だつたが、どうも好きになれない町だ。星ヶ浦に泊ることにしたが、どうもそこも、安手のブルジョア趣味で僕を落着かせない。白状すると、僕はその頃ちよつとばかりノスタルジヤにやられてゐたのかも知れなかつた。何しろ内地通ひの便船が、つい目と鼻の先で煙を吐いてゐるのだからね。

そこでホテルの支配人に、どこか静かな場所はないかと相談を持ちかけてみると、<ruby><rb>旅順</rb><rt>りょじゅん</rt></ruby>の町はづれにある黄金台ホテルといふのを教へてくれた。もつともこんな時世だし、避暑のシーズンも過ぎたしするので、休業してゐるかも知れない……といふ話だ。電話で連絡してみると、あと十日ぐらゐで閉めるところだといふ。なるほどもう九月も中旬にかかつてゐた。僕は早速トランク一つぶらさげて出かけた。

<ruby><rb>些</rb><rt>いささ</rt></ruby>か不安な気持もあつた。旅順といへば、小さい時から植ゑつけられてゐる先入主があつたからね。つい血なまぐさい、かさかさした土地を想像しがちだつた。だが行つてみて、僕の想像はきれいに裏ぎられた。青い小さな湾をひつそり抱いてゐるやうな町だつた。海岸通りのアカシヤの並木が美しかつた。

黄金台といふのは、湾口を東から<ruby><rb>扼</rb><rt>やく</rt></ruby>してゐる岬の名だ。ホテルはその岬の裏側にあつた。市街から洋車でものの二十分もかからうかといふ松林のなかに、置き忘れられたやうに立つてゐた。バンガロー風のポーチに立つて、二三べん大きな声で呼んでみても<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>くは誰も出て来ない。そんなホテルだつた。

泊り客はどうやらゐないらしかつた。いや第一、使用人もゐるのかゐないのか分らぬほどだつた。ポーチに出て来たのも若い支配人自身なら、二階の部屋へ案内してくれたのも同じ彼だつた。閑静を通りこして、むしろ無人に近い。僕はちよつと<ruby><rb>狐</rb><rt>きつね</rt></ruby>につままれたやうな気がしたね。

下のサロンで、支配人が手づから運んで来てくれたお茶を飲んでから、僕は海岸へ出てみた。ちよつと七里ヶ浜を思はせるやうな荒れさびた浜だつた。薄ぐもりの空の下で、黄海の波が<ruby><rb>鉛</rb><rt>なまり</rt></ruby>いろにうねつてゐた。人つ子ひとりゐない。ペンキの<ruby><rb>褪</rb><rt>あ</rt></ruby>せた海水小屋がぽつりぽつりと立つてゐる。みんな鍵がかけてある。僕はそれを一つ一つ<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いて廻つた。何か風俗のきれはしでも落ちてゐはしまいかと思つたのだ。何もなかつた。ただ作りつけのベンチの上に、砂が乾いてゐるだけだつた。やうやく一つ、桃色の破れスリッパの片つぽが落ちてゐるのを見つけた時には、何かしらほつとした気持だつた。

僕は引き返して、ホテルの前を通りこし、裏山へ登るらしい道をみつけると、ぶらぶらのぼつていつた。松、とべら、ぐみ、あふち、そんな樹々のつやつやした葉なみが、じつに久しぶりで眼にしみた。何しろ十何年のあひだ僕は緑らしい緑を見ずにゐたのだからね。だんだん登つて行くと、ちらほら家の屋根らしいものが見えはじめた。最初に現はれた一軒は、張りだした円室を持つた古めかしい洋館だつた。外まはりの<ruby><rb>漆喰</rb><rt>しっくい</rt></ruby>は青ずんで、ところどころ<ruby><rb>剥</rb><rt>は</rt></ruby>げ落ちてゐる。ポーチを支へてゐる石の円柱も、風雨にさらされて黒ずんでゐる。窓の<ruby><rb>鎧戸</rb><rt>よろいど</rt></ruby>の破れから覗いてみると、なかの薄暗がりに<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>テーブルが片寄せに積みあげられ、<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>が喰ひ散らしたらしい古新聞や<ruby><rb>空罐</rb><rt>あきかん</rt></ruby>などがちらばつてゐる。そのほかに小会堂風のだの、バンガロー風のだのが、林間のそこここに立つてゐたが、どれを見ても内も外も一様にひどく荒廃してゐた。その建築様式や住み方の<ruby><rb>工合</rb><rt>ぐあい</rt></ruby>が、なんとなくロシヤ臭い。僕は、ひよつとするとこれは、昔ここがロシヤの要塞だつた頃の遺物ぢやあるまいかと思つた。夕闇が迫つてゐた。僕はすこし不気味になつて、その空屋部落を立去つた。

夕食はがらんとした食堂で、一人きりで食べた。そのあとで支配人が顔を見せたので、例の空屋部落のことを聞いてみると、やつぱり思つたとほり、ステッセルの幕僚たちの官舎だといふことだつた。

「すつかり荒れてしまひました。何しろ四十年からになりますからね。それでも修繕しいしい、貸別荘に使つてゐました。ええ、夏場などハルビンあたりのロシヤ人が、よく来てゐたものです。この二、三年ぱつたり姿を見せなくなりましたがね。いくら修繕しても<ruby><rb>雨漏</rb><rt>あまも</rt></ruby>りがして、今ぢやとても住めたものぢやありませんよ。」

そんなことを支配人は言つた。

僕は部屋へあがつて、今しがた支配人がくれた案内記を読みはじめた。そして、さも遊覧客らしく、明日の予定を心に描きはじめた。さうでもするよりほかに仕事がなかつたからだ。<ruby><rb>森閑</rb><rt>しんかん</rt></ruby>としてゐた。下にも二階にも物音ひとつしなかつた。時々かすかに波の音が伝はつてきた。そのうちにふつと、さつき見た空屋の一つのエレヴェーションが眼にうかんだ。ちよつと使つて見たい線がそこにあつたのだ。僕はスケッチ・ブックを出して、記憶をたどりながら素描しはじめた。どこかで水の音がした。二階の廊下を鍵の手にまがつたずつと奥のあたりで、誰かが水道の栓をひねつたらしい。音はすぐやんだ。空耳かも知れなかつた。ちよつと気になつたが、すぐ忘れた。

鉛筆のついでに、例の小会堂風の空屋の印象を素描してみたりした。そのうちに僕の眼前を、あの<ruby><rb>外套</rb><rt>がいとう</rt></ruby>みたいな灰色の軍服をきたロシヤの将校たちの姿が、ちらちらしはじめた。それがあの空屋を出たり入つたりする。ポーチの敷石に引きずる<ruby><rb>佩剣</rb><rt>はいけん</rt></ruby>の音もする。……それが幻といふより夢に近かつたらしい。僕はいつのまにかうとうとしてゐたのだ。

はつと目がさめた。何か音がしたと見える。しばらく耳をすましてゐたが、何も聞えない。僕はもう寝ようと思つて、いつもの習慣どほり、寝る前のうがひをしようと思つた。廊下へ出て、すぐ前の洗面室へはいつた。カランをひねらうとしてふと気がつくと、水盤は栓がしつぱなしで、濁つた水が八分目ほどたまつてゐた。そのうへ、そこらぢゆうに水がはねかつてゐる。明らかに僕の仕業ではない。僕はちよつと不愉快になつて小窓をあけ、そこからうがひの水を吐かうと思つた。

空はすつかり曇つてゐるらしい。低い、押しつけるやうな闇だつた。その中へ、<ruby><rb>咽喉</rb><rt>のど</rt></ruby>の水を吐きだした途端に、ほら、ちやうど先刻みたいなギギーッと裂くやうな<ruby><rb>啼声</rb><rt>なきごえ</rt></ruby>と、けたたましい羽ばたきがしたのさ。不意のことだし、不愉快になりかけてゐた矢先のことだしするので、そのぎよつとした感じが、しこりのやうに残つて変に腹だたしく、<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>くは<ruby><rb>寐</rb><rt>ね</rt></ruby>つけなかつた。

あくる日は晴れだつた。僕は昨夜の予定どほり、朝のうちから博物館へ出かけた。案内記で大体の見当はつけてゐたが、こんな半島の先つぽ、しかも<ruby><rb>戦蹟</rb><rt>せんせき</rt></ruby>としてばかり名高いこの町に、よくもあれだけの博物館があつたものだ。はじめの幾室かは仏像の<ruby><rb>蒐集</rb><rt>しゅうしゅう</rt></ruby>だつた。僕はもちろん、仏像のことはよく分らない。だが、ぼんやり眺めてゐることは好きだ。朝鮮の頃はさうでもなかつたが、満洲ではついぞそんな心の休まるやうな時にめぐまれなかつた。僕はだんだん引き入れられるやうに一つ一つケースを<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>いて廻つた。<ruby><rb>洛陽</rb><rt>らくよう</rt></ruby>だの<ruby><rb>太原</rb><rt>たいげん</rt></ruby>だの<ruby><rb>西安</rb><rt>せいあん</rt></ruby>だのから来たものが多い。<ruby><rb>北魏</rb><rt>ほくぎ</rt></ruby>の石の仏頭は、スフィンクスみたいな表情をしてゐた。<ruby><rb>六朝</rb><rt>りくちょう</rt></ruby>の石仏の一つは、うつとりと<ruby><rb>睡</rb><rt>ねむ</rt></ruby>たさうな微笑を浮べてゐた。ガンダーラの小さな石の首からは、ギリシャの海の音が聞えた。<ruby><rb>宋</rb><rt>そう</rt></ruby>の青銅仏は概して俗だが、木彫りには、いゝものがあつた。なかに<ruby><rb>徳利</rb><rt>とくり</rt></ruby>をさげた観音の立像がある。僕は法隆寺の酒買ひ観音を思ひだした。ああ、あの<ruby><rb>百済</rb><rt>くだら</rt></ruby>観音さ。それから大学の頃Ｙ教授に引率されてちよいちよい見学に行つた奈良の寺々のあの dim light を思ひだした。僕は僕の青春を思ひだした。……

をかしな話だ。千何百年も昔の遺物にとり囲まれながら、青春を思ひだすなんて。だが、さうした遺物が彫られたり刻まれたりした頃、人類はやはり何といつても若かつたのだ。いはば人類の若い息吹きが、<ruby><rb>鑿</rb><rt>のみ</rt></ruby>の跡に香りたかくこもつてゐるのだ。みづみづしい力だ。ゆたかな<ruby><rb>気魄</rb><rt>きはく</rt></ruby>だ。それにしても、なんといふ堅固さだらう。なんといふ耐久力だらう。それを見てゐると心が温まつてくる。造型といふものへの、かすかな信頼も<ruby><rb>湧</rb><rt>わ</rt></ruby>いてくる。……

そんなことを言ふと、回顧趣味だとか古代マニヤだとかいつて笑はれるかも知れない。笑はれたつて構はない。古代を笑ふ近代マニヤ連中の<ruby><rb>内兜</rb><rt>うちかぶと</rt></ruby>は、すつかり見透しなのだからね。あの連中の<ruby><rb>傲慢</rb><rt>ごうまん</rt></ruby>な表情はじつは裏返された卑屈感と<ruby><rb>焦躁</rb><rt>しょうそう</rt></ruby>にすぎない。あの連中とはつまりわれわれのことだ。僕たちは、たとへ逆立ちしたつて、もはや古代の建築や彫刻のあのゆたかな安定性には達しられないだらう。人類は疲労した。日は沈みつつあるのだ。

たしかに人類の技術は、近代に入つて異常な進歩をとげた。僕たちの畑にしたつて建築材料も構造力学も、この二三十年に面目を一新した。だが、ガラスは紙より強い。鉄筋は木骨より丈夫だなんて、のんきな事を言つちやゐられない。生活はそのため、ちつとも確実さを増してはゐないのだ。技術の進歩はひよつとすると、人類が自分の疲労をかくすために発明した興奮剤にすぎないのかも知れない。厚化粧かも知れない。その反面に、陰険な破壊力は幾何級数的、いやそれ以上の勢ひで増大しつつあるのだ。それが近代といふものなのだ。そんな近代にもし思ひおごれるやうな人があつたら、それは残念ながら近代人とは言へまい。……

ざつとさういつた考へが、仏像を<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>きまはつてゐるうちに次第に頭をもたげて、僕はいつのまにか興奮してゐた。僕はその頃、建築材料のことで或る難問に<ruby><rb>逢着</rb><rt>ほうちゃく</rt></ruby>してゐたので、いさゝか神経衰弱ぎみだつたのかも知れない。やがて西域出土物の室にはいつて、ムルックの<ruby><rb>石窟</rb><rt>せっくつ</rt></ruby>寺のものだといふ壁画の断片を見たり、小さな像や<ruby><rb>壺</rb><rt>つぼ</rt></ruby>の破片を眺めたりした。壁画は、色彩といひ描線といひ、法隆寺の金堂のあれにそつくりだつた。僕ははげしい郷愁を感じた。もつともその郷愁は、奈良へ向ふよりは一層つよく西方へ<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>かれるものだつた。僕はためらつてゐた北京赴任を、ほとんど決心した。

ミイラ室を最後に、僕は博物館を出た。そこには<ruby><rb>高昌</rb><rt>こうしょう</rt></ruby>国人だといふミイラが、さう、たしか六七体ほどならべてあつた。高昌といふ国を僕は知らなかつた。君もひよつとすると知らないかもしれない。案内記によると、西域といつてもずつと中国寄りの、天山南路にあつた国で、大たい五世紀ごろから七世紀ごろまで存続してゐたらしい。もと<ruby><rb>匈奴</rb><rt>きょうど</rt></ruby>の根拠地だつたのが、次第に漢民族の侵蝕をかうむつて、<ruby><rb>遂</rb><rt>つい</rt></ruby>にその殖民地になつたのだといふ。いはばトルキスタンとフンと漢と、この三つの勢力が早くから抗争して交流してゐた地方なのだ。したがつて一口に高昌人といつても、その正確な人種的決定は案外むづかしいかもしれない。現に当の匈奴にしてからが、<ruby><rb>蒙古</rb><rt>もうこ</rt></ruby>系とする説とトルコ系とする説とがあつて、はつきりした結論は出てゐないといふではないか。いや、そんな詮議だてはどうでもいいことだつた。僕は<ruby><rb>目</rb><rt>ま</rt></ruby>のあたりに古代人を見たのだ。その生きてゐる姿を見たのだ。もし生きてゐると言つて悪ければ、生きてゐる以上の、と言ひ直してもいい。何しろそのミイラたちは、千三百年ものあひだ、そのままの<ruby><rb>恰好</rb><rt>かっこう</rt></ruby>でじつと眠りつづけてゐるのだからね。……

身長は大きい方ではなかつた。褐色に黒ずんで固まつてゐるものだから、<ruby><rb>尚</rb><rt>なお</rt></ruby>さら小さく見えた。顔は<ruby><rb>面長</rb><rt>おもなが</rt></ruby>の方だつた。骨組はがつしりしてゐるらしいが、どれも一様に胸はくぼみ、腰骨がひどく<ruby><rb>出張</rb><rt>でば</rt></ruby>つて見えた。そんな姿から、僕は彼らの遊牧生活を、まざまざと思ひ描くことができた。彼らを起きあがらせ、片手に長い<ruby><rb>杖</rb><rt>つえ</rt></ruby>をつかせ、荒野に羊の群を追はせることができた。女性のミイラも二三体あつた。男よりも一段と小柄で、一層しなび疲れてゐるやうに思へた。そのためか恥骨の隆起がするどく目についた。あの下には子宮が枯れ<ruby><rb>凋</rb><rt>しぼ</rt></ruby>んで、まだ残つてゐるだらうか――僕はふつと、そんな妙なことを考へた。多分のこつてゐるだらう――僕は自分に答へた。<ruby><rb>畏怖</rb><rt>いふ</rt></ruby>といつてもいいほどの何かみづみづしい感動だつた。僕は情慾の脈うちを感じた。そればかりか、からだの一部にひそかな充血をさへおぼえた。

彼らはひつそりと横たはつてゐた。もし小声で呼びかけたら、千三百年のヴェールを払ひのけて、むつくり起きあがつて来さうな気がした。それはまつたく確実なことのやうに思はれた。そんなむくろの群を、いつのまに西へ廻つたのか、まるで落日のやうに赤ちやけた反射光が、静かに照らしてゐた。影が深くなつて、そのためミイラたちは浮き立つやうに見えた。僕は時計を見た。もう三時近かつた。僕はまるで古代の重みから<ruby><rb>脱</rb><rt>のが</rt></ruby>れでもするやうに、急ぎ足で外へでた。そして<ruby><rb>眩</rb><rt>まぶ</rt></ruby>しいほど白い、ひろびろした街路へ出ると、ほつと大きな息をついた。アカシヤの並木がかすかにそよいでゐた。

ホテルに帰つてからも、僕はまだ何か幻にうかされてゐるやうな気がした。それはもう、感動といふよりは疲労のせゐだつたらう。何しろ昼飯もわすれて、五時間ちかくガラス棚を<ruby><rb>覗</rb><rt>のぞ</rt></ruby>き廻つてゐたのだからね。僕は大急ぎでトーストと<ruby><rb>珈琲</rb><rt>コーヒー</rt></ruby>をたのむと、誰もゐないサロンで満洲日報を読みはじめた。なるべく早く現実へもどる必要を感じたからだ。景気のいい戦争記事が、大きな活字でべたべた並べ立ててあつた。だがどれを読んでも空々しい感じしかしなかつた。さうだ、一刻も早く北京へ――そんな声が、心の隅でささやいてゐた。それも早ければ早いほどいい。一日おくれればそれだけ、僕の求めるものが失はれて行くやうな気がした。僕を<ruby><rb>蘇生</rb><rt>そせい</rt></ruby>させてくれるエレクシールが、どしどし減つて行くやうな気がした。僕は危ふく大連へ電話を申込まうとさへした。だが例の先輩がまだ帰任してゐないことは明らかだつた。僕はしぶしぶ<ruby><rb>諦</rb><rt>あき</rt></ruby>らめた。

だが、そんな風にふらふらしてゐた僕を、すばやく現実へ引きもどしてくれるものが、案外手ぢかな所から現はれた。はじめは小刻みな<ruby><rb>沓</rb><rt>くつ</rt></ruby>音だつた。それが二階から下りて来たのだ。敷物が薄いからよく響く。下りきると、急ぎ足と言つていいほどの足どりで帳場の前を横ぎり、まつすぐこつちへ向つて来た。ライラック色の<ruby><rb>支那</rb><rt>しな</rt></ruby>服をきた<ruby><rb>脊</rb><rt>せ</rt></ruby>の高い女だつた。廊下のまん中で立ちどまると、いきなりこつちへ横を見せて、奥の食堂の方を透かすやうに見た。ほとんど肩すれすれまで、むきだしになつてゐる豊かな二の腕が、<ruby><rb>蝋</rb><rt>ろう</rt></ruby>色に汗ばんで、どうやら胸をはずませてゐるらしい。一二歩、食堂の方へ行きかけたがやめて今度はキッとこつちを見た。もし僕が新聞を<ruby><rb>楯</rb><rt>たて</rt></ruby>にしてゐるのでなかつたら、おそらく眼と眼がぶつかつたに相違ない。そして僕は何かしら声を立てたにちがひない。あの女だ――と僕は<ruby><rb>咄嗟</rb><rt>とっさ</rt></ruby>に思つたからだ。が、女は僕に気づかなかつた。瞬間ありありと失望の色を浮べると、長い<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>を<ruby><rb>蹴</rb><rt>け</rt></ruby>るやうにして姿を消した。例の支那服特有の裾の裂け目から、きりりと締つたふくらはぎが、一度二度ひらめいた。<ruby><rb>臙脂</rb><rt>えんじ</rt></ruby>色の小さな<ruby><rb>沓</rb><rt>くつ</rt></ruby>もちらりと見えたやうだ。そのどつちも僕は見覚えがあつた。

僕は耳を澄ました。沓音はポーチの敷石にひびき返つて、外へ出ていつたらしい。<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>くすると洋車の出て行くらしい<ruby><rb>軋</rb><rt>きし</rt></ruby>りがかすかにした。

ところで君は、一体その女は僕にとつて何者なのかと、いささか好奇心をもやしてゐるかも知れないね。もしさうだつたら、なんとも申訳ない次第だ。現実はあひにくと、小説ほど都合よくできてはゐないからね。実をいふと僕はその女について、ほとんど知つてゐることはないんだよ。一体あれは何者だつたらうと、未だに時どき思ひだすぐらゐのところさ。

さうだ、どうせここまで話したら、はつきり言つてしまはう。僕はその女に、三昼夜半ほど前に、たつた一度会つたことがあるだけだつた。会つたといつても、安心したまへ、汽車の中でのことだ。僕はそれまで勤めてゐた民生部を、大体やめる決心がつくと、辞表を懇意な上役にあづけて、新京を去つて<ruby><rb>奉天</rb><rt>ほうてん</rt></ruby>へ行つた。二人ほど別れを告げたい友達がゐたものでね。二日ほどして、大連行きの朝の急行に乗りこむと、案内されたコンパートメントは僕一人だつたのを幸ひ、発車するかしないうちにうとうとしはじめた。しばらくして僕はボーイに揺り起された。席がなくつて困つてゐる婦人がある。少々ゆづつてあげてくれないか――といふのだ。コンパートメントは四人はたつぷり掛けられる。僕はしぶしぶ快諾した。何しろ二晩悪友のお附合をさせられた挙句で、僕はひどく<ruby><rb>睡</rb><rt>ねむ</rt></ruby>かつたものでね。やがてはいつて来たのが今いつた女だつたのだ。

その時はライラック色ではなしに、こまかい紅色の花を一面に散らした黒い服を着てゐた。持物もそれにふさはしい地味で上品なものだつた。歯ぎれのいい支那語でことわりを言ひ、にこやかに席についた。かすかに<ruby><rb>竜涎香</rb><rt>りゅうぜんこう</rt></ruby>が匂つた。お伴の若い小間使も入口ちかく席を占めた。僕は一目で、これは満人ではないと<ruby><rb>睨</rb><rt>にら</rt></ruby>んだ。なんぼ僕だつて七年もゐれば、そのくらゐの見分けはつくさ。

大人びた物をぢしない身のこなしだつた。はじめはただ美しいと思つたその顔も、近々と横から眺めれば三十の半ばには少なくも達してゐるらしい。愛想よく二言三言はなしかけて来たが、こちは何しろお耳に入れるも恥かしいブロークンな満語だ。まあ大体のところ、日本内地からやつて来た旅行者に見立ててもらふ方針で、言葉すくなに応待するうち、向うもおよその安心が行つたものか、何やら小声で小間使とうなづき合はせると、みごとな宣化<ruby><rb>葡萄</rb><rt>ぶどう</rt></ruby>の<ruby><rb>小籠</rb><rt>こかご</rt></ruby>をとりだして、まづ僕に取れと言つてすすめた。僕はなるべく小さな一房を選んで<ruby><rb>頂戴</rb><rt>ちょうだい</rt></ruby>する。僕はふと思ひだした、小脇のポートフォリオの中から、ゆふべ友人の細君が「道中で召上れ」といつて<ruby><rb>呉</rb><rt>く</rt></ruby>れたハルビンのチョコレートの<ruby><rb>小函</rb><rt>こばこ</rt></ruby>を出し、<ruby><rb>葢</rb><rt>ふた</rt></ruby>を払つてうやうやしく夫人にすすめた。

そのへんで僕は御免かうむつて食堂へ立つたから、あとのことは知らない。食堂では昼間は禁制のビールを二本ほど、できるだけ<ruby><rb>緩</rb><rt>ゆっ</rt></ruby>くり飲んだ。帰つてみると夫人と小間使とは、<ruby><rb>互</rb><rt>たがい</rt></ruby>にもたれ合つて安らかに眠つてゐた。夫人の頭は、まるまるした小間使の肩にあづけてある。<ruby><rb>臙脂</rb><rt>えんじ</rt></ruby>色の<ruby><rb>小沓</rb><rt>こぐつ</rt></ruby>をはいた片足は、無心に通路の中ほどへ投げだしてあつた。<ruby><rb>葡萄</rb><rt>ぶどう</rt></ruby>の<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>は半ば空つぽになつて、洗面台の上にのせてある。そこで僕も安心して、こつそり窓ぎはの席に<ruby><rb>坐</rb><rt>すわ</rt></ruby>るとぐつすり寝てしまつた。ボーイか誰かが起してくれたと見え、僕がやつと目を覚ました時には、列車はもう大連西郊の工場街にかかつてゐ、夫人はすつかり身仕舞ひをして、廊下の窓に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>つてゐたといふわけだ。そのまま、税関の検査のどさくさのうちに離れ離れになつたのだから、まあしごく泰平無事だつたといへるだらうね。

所もあらうに、季節はづれの旅順なんかで、しかもそんな<ruby><rb>人気</rb><rt>ひとけ</rt></ruby>のないホテルで、その女にぱつたり再会したのだ。ちつとは驚いてもよからうぢやないか、だがそれつきり、その日は彼女の姿を見かけなかつた。夕食はやつぱり僕一人だつた。

あの婦人はここに泊つてゐるわけではあるまいと、僕は断案をくだした。おそらく知人かそれとも<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>を訪ねてきて、それがゐないので失望して帰つたのだらう。もしそれだとすると、誰か僕のほかに二階に泊つてゐる人があることになる。その人が夜更けに水道の栓をひねつたり、洗面盤の水をはねかしたりしたわけだ。だがまた、その<ruby><rb>下手人</rb><rt>げしゅにん</rt></ruby>は必ずしも泊り客でなくてもいいわけだ。二階の客の用にそなへて、ホテルでは大抵どこか二階の奥あたりに、ボーイの<ruby><rb>詰所</rb><rt>つめしょ</rt></ruby>があるはずだ。そこにシーズン外れの時節には、コックさんか何かが寝泊りしてゐてもいいわけだ。……そんなことを僕は漠然と考へた。その女が誰を訪ねて来たかといふ点は、依然として不明なわけだが、さうさうこだはる必要もないことだつた。

あくる日は<ruby><rb>殆</rb><rt>ほとん</rt></ruby>ど終日、僕はホテルにゐなかつた。午前中は例の空屋部落へ行つて、だいぶ長いこと歩き廻つたりスケッチをとつたりした。それから一たんホテルに帰ると、旧市街へ出かけた。ふと目についた<ruby><rb>戦蹟</rb><rt>せんせき</rt></ruby>巡覧のバスに、空席があるといふので、ふらりとそれに乗りこんだ。バスは、天井に大きな<ruby><rb>弾痕</rb><rt>だんこん</rt></ruby>のあるロシヤ軍の将校集会所を振りだしに、山へ登つて、<ruby><rb>坦々</rb><rt>たんたん</rt></ruby>たるドライヴ・ウェイを上下しながら、主防備線づたひにぐるぐるめぐつて行く。主だつた激戦地ではバスを降りて、運転手が<ruby><rb>朴訥</rb><rt>ぼくとつ</rt></ruby>な口調で説明してくれる、<ruby><rb>堡塁</rb><rt>ほうるい</rt></ruby>やジグザグの攻撃路などが、一々丹念に復元されてゐて、廃墟といふより、何か精巧な模型の上でも歩いてゐるやうに空々しい。それなりに、肉弾といふ奇怪な言葉が、するどく思ひ返されもする。<ruby><rb>東鶏冠山</rb><rt>とうけいかんざん</rt></ruby>の<ruby><rb>北堡塁</rb><rt>ほくほうるい</rt></ruby>や、松樹山の補備砲台は、<ruby><rb>平生</rb><rt>へいぜい</rt></ruby>セメントや<ruby><rb>煉瓦</rb><rt>れんが</rt></ruby>をいぢくる商売がら、つい熱心に見て廻つたが、けつきよく僕にわかつたことは、chair à canon と human bullet と、この二つの言葉の、はつきりした区別にすぎなかつた。そのはざまから、胸にきりきり突刺さつてくる針があつた。

午後はまた博物館へ行つた。昨日みのこした工芸品の<ruby><rb>蒐集</rb><rt>しゅうしゅう</rt></ruby>を、何か<ruby><rb>腑抜</rb><rt>ふぬ</rt></ruby>けたやうな気持で眺めてまはつた。まあ<ruby><rb>雍正</rb><rt>ようせい</rt></ruby>だの<ruby><rb>李朝</rb><rt>りちょう</rt></ruby>だの<ruby><rb>青花</rb><rt>せいか</rt></ruby>だのといふ<ruby><rb>類</rb><rt>たぐ</rt></ruby>ひだつたが、なかに不思議なものがあつた。陳列棚一ぱいぎつしりつまつた鼻煙壺のコレクションだ。鼻煙壺といふから、まあ<ruby><rb>嗅</rb><rt>かぎ</rt></ruby>タバコの入れ物だらう。その香水<ruby><rb>壜</rb><rt>びん</rt></ruby>ほどの<ruby><rb>可愛</rb><rt>かわ</rt></ruby>いらしいやつが、色<ruby><rb>玻璃</rb><rt>はり</rt></ruby>だの玉石だの白磁だの、<ruby><rb>稀</rb><rt>まれ</rt></ruby>には<ruby><rb>堆朱</rb><rt>ついしゅ</rt></ruby>だのの肌をきらめかせながら、ざつと二三百ほども並んでゐるのだ。これには<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れたね。おそらく<ruby><rb>乾隆康煕</rb><rt>けんりゅうこうき</rt></ruby>のころの宮女なんかが使つたものだらう。つい楽しくなつて眺めてゐるうち、僕はふつと例のライラック夫人を思ひだした。いや、つまらん<ruby><rb>聯想</rb><rt>れんそう</rt></ruby>のいたづらだが、満洲に渡つて七年、僕は正直のところあれだけの美人にはついぞお目にかからなかつたやうな気がする。……

★

Ｇは言葉を切つた。しばらく黙つてゐたが、やがてライターをつけた。タバコを吸ひつける<ruby><rb>束</rb><rt>つか</rt></ruby>のま、Ｇの横顔が闇の中にうかんでゐた。どうやら笑ひを含んでゐるらしかつたが、その性質が突きとめられないうちにライターは消えた、私は無言だつた。

「僕の話は、まあこれでお仕舞なんだが」と、やがてＧは言つた。――「もつとも、もし君がまだ<ruby><rb>眠気</rb><rt>ねむけ</rt></ruby>がささないといふのなら、もう一つ二つ蛇足を添へてもいいがね。」

私が「ああ」と答へると、Ｇは時どきタバコの火で横顔をぼんやり浮き出させながら、次のやうな話をした。

「その真夜中のことだ。僕はがやがやいふ人声で目が覚めた。じつと聞いてゐると、どうやらそれはすぐ下の玄関先でしてゐるらしい。人数は二人らしく、あたり<ruby><rb>憚</rb><rt>はば</rt></ruby>からぬ高声で何やら口論してゐる。乱暴な支那語で、もちろん中身はわからない。しばらく我慢してゐたが、やがてマッチをすつて時計を見た。四時だつた。だんだん聞くうちに、べつに<ruby><rb>喧嘩</rb><rt>けんか</rt></ruby>でもないらしいことが分つた。ものの十五分も僕はそのまま横になつてゐたらうか。突然、どこか二階の窓がガタリとあいて、いきなり「ギギッ」と叫んだ者がある。僕は思はず跳ね起きた。一昨日の晩の、あの夜鳥の叫びにそつくりだつたのだ。僕は窓を押しあけた。洋車が二台、<ruby><rb>梶棒</rb><rt>かじぼう</rt></ruby>の根もとのランプを都合四つ明るくきらめかせながら、静かに馬車廻しの植込みをまはつて出て行くところだつた。……ではあの高話しは、車夫が早目に来て退屈まぎれにしてゐた雑談だつたのだ。いやそれよりも僕が思はず自分の眼を疑つたのは、その前の<ruby><rb>俥</rb><rt>くるま</rt></ruby>に乗つてゐるのが、ほとんど紛れもなくあの支那婦人だつたことだ。後の俥は<ruby><rb>樹立</rb><rt>こだち</rt></ruby>の加減で見さだめる暇がなかつたが、まづこのあひだの小間使だつたらしい。とにかく女に違ひなかつた。……」

「そんなに早く、どこへ行つたんだらう」と、Ｇが<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>く黙つてゐるので私はきいた。

「あとで時間表を見たら、五時に出る大連行の初発があつた。それに乗ると、大連で乗換へて、奉天発北京行の特急にちやうど間に合ふことも分つた……」

「つまりその女の人は、北京か天津から来てゐたといふわけだね。ところで、その二階の窓から、まるで夜の鳥みたいな声で叫んだといふ人物は、結局だれだつたのだい。」

「知らない。声から判ずると、どうやら男のやうでもあり、また女のやうでもあつた。<ruby><rb>甲高</rb><rt>かんだか</rt></ruby>い叫び声といふものは、その区別がつきにくいものだよ。」

「なるほど。……で君は、別に調べても見なかつたのかい。」

「そんな必要があつたらうか？」とＧは反問した。思ひなしか、声が少しとがつてゐた。

「いや失敬々々。……それで君は、その女の人にまたどこかでめぐり会つたのかい。」

「いや、会はなかつた。どこの何者かも、むろん知らない。ただ名前だけは知つてゐる。それは Wei Jolan といふのだ。……あくる日の午後、僕も旅順を立つたが。出発の間ぎはになつて支配人が、忘れてゐた署名を僕にもとめたのだ。その宿帳は大型な薄つぺらなもので、まだ<ruby><rb>卸</rb><rt>おろ</rt></ruby>したてと見え最初のページが出てゐた。その一ばん下のところに、達者な横文字で、はつきり Wei Jolan と書いてあつた。出発はちやんとその日の日附になつてゐた。到着は僕の来た前の日だつた。アドレスは果して天津だつた。」

「なんだつてわざわざ横文字なんかで書いたんだらうな。」

「知らない。たぶん天津や北京あたりには、そんな習慣があるのだらう。国籍は民国人になつてゐたからね。」

「ウェイ・ジョーランか……いい響きだね。漢字ではどう書くのかな。」

「ジョーランは多分、若いといふ字に、蘭だらう。ウェイは、むろん魏だ。」

「え、魏だつて？……あの魏さんの魏かい？」

返事が絶えた。私はＧが闇のなかでうなづいたやうな気配を感じた。そこでやうやく、私は自分の<ruby><rb>迂闊</rb><rt>うかつ</rt></ruby>さに思ひあたつた。

「ああ、さうだつたのか。つい気がつかなかつたよ……」

私はほかに言ひやうがなかつた。私たちの仲間で、Ｇと魏怡春の二人がとりわけ親しかつたことを私は思ひだしたのだ。魏がＧのすぐ下の妹に恋して、結婚の申込をまでしたといふ<ruby><rb>噂</rb><rt>うわさ</rt></ruby>さへあつたほどである。そのときＳなどは<ruby><rb>可笑</rb><rt>おか</rt></ruby>しがつて、面とむかつて魏怡春をからかひなどしたものだつたが、魏さんはもちろん例の<ruby><rb>飃々</rb><rt>ひょうひょう</rt></ruby>とした態度で、かるくあしらつてゐたものだつた。そしてＧは？……そのＧの胸の中を、私は今頃になつて――そろそろ髪の毛のうすくなつた今頃になつて、夜の鳥の手引きではじめて知つたのである。