Soranoha

耳の日記

みみのにっき

宮城 道雄

友情

いつであったか、初夏の気候のよい日に内田百間氏がひょっこり私の稽古場を訪ねて来て、今或る新聞社の帰りでウイスキーを貰って来たから撿挍にお裾分けしようと言われた。待っていた弟子達は百間先生が来たというので何かひそひそ騒いでいた。百間氏は私に稽古を片附けるようにと言うので私は稽古の合間合間に話をした。こういう時には心嬉しいので稽古もどんどん片附いてゆく。百間氏はこれから次第に暑くなると外へはあまり出掛けないと言う。また寒くなると少し暖かくなる迄は引籠もっていると言う。そこへ出不精な私がたまたま訪問しようと言うと、いや今撿挍に来られると二畳敷の所へ庭の外まで道具が並べてあるから迷惑だと言う。

こういう風でお互は七夕の星のようである。がしかし私は時々内田氏のことを思い出すとあの低い声が聞こえてくる。近頃はさすがの百間先生もビールには悩んでいられるようである。のどがカラカラになって水の涸れた泉のようであるという手紙を貰ったことがあった。

いつか帝劇の楽屋で会った時、たった一本であったがおみやげにと遠慮しながら出した。すると、撿挍、そう遠慮しなくともちょうど鏡が前にあるので、それにうつって二本に見えると言われた。また或る時弟子から貰ったのを届けさせたら、私のいる葉山へ、サンキュー・ビールマッチという電報が来た。私はそれを読んで貰って耳で聞いた瞬間、面白いなと思った。

今年の春私は宇都宮へ演奏にいって急に肝炎と中耳炎を患って旅先で寝ていると聖路加病院の畑先生が東京から駈けつけて、今来ましたよというその声を聞いた時にはなんともいえぬ心丈夫な気がした。しかし耳が遠いのと熱があるので、すべての物音はおぼろであった。その夜先生は一睡もせずに、二時間おきに手当をして下さったが、翌日徹夜のままで帰っていかれる先生にもっとお礼を言いたいと思っても思うように声が出なかった。

その後土地の人達やみんなが熱心に介抱してくれたので思いの外早くよくなった。まだ腰が充分に立たなかった私はわきまえもなく帰りたくなってみんなの止めるのもきかずに一番列車で立つことになって、朝早く身体を抱えて人力車へのせて貰っていると、弟子の妹のくにちゃんが駈け出してきて、先生お大事にと言いながら手を握った。私はその小さいやさしい手に触れた時思わず熱い涙が頬を伝った。患って遠くなっている耳にも子供の声は可愛く聞こえた。それからうちへ帰ってもまだふらふらしていたが、小田原の吉田晴風氏から手紙が来て、お見舞として箱根の温泉を一週間程奢るから家内をつれて是非来ないかと言う。心をこめた案内であったが、今の世の中に二人が一週間も泊ったら莫大な迷惑になることを遠慮して私が迷っていると、晴風氏はそれと悟られたのか、放送局で会った時、箱根の方は環翠樓を何日から一週間借りにしておいた、此の部屋は余程の人でないと借られないのを無理に都合をして貰ったから来ないとあとの顔が立たんと言われたので私は早速いく事にしたが、いってみて嬉しく思ったのは、そこは全然別世界の離れで不自由な私も人手を借りずに風呂へもはいれる、厠へもいける。私は夜中でもいつでも気の向いた時に一人で自由にお湯にひたったりした。真中の部屋は洋間になっていて私はそこへ腰をかけて流れの音や鳥の声や、いろいろあたりの景色を耳で味わった。新緑の頃であったので見渡す山々が美しいと家内が言った。雨が強く降り出すと流れの音と雨の音を聞きわけるのがむずかしかった。吉田氏夫妻がいろいろ食糧を運んでくれたりして居心地がよかったので、ついつい一週間を過した。私はこのおかげで身体も整い、耳もよくなって今では病気以前にもまさって元気である。

虫の音

この葉山では五月の頃みんみんに似た声の蝉がなく。その声は何となく弱く聞こえて現世のものではないように感じられる。今年はいつまでも肌寒くて夏の来るのが遅かったように思われた。七月の十三日に初めて夏らしい蝉の声を聞いた。それはヂーと長くひっ張って鳴くのであった。その日の夕方に裏の山からひぐらしの声が聞こえた。その月の二十五日には昼過ぎにもひぐらしが鳴いた。ひぐらしが朝早くから夕方迄ときをつくって幾度もなくようになると私は秋が近いのだと感じる。ひぐらしは一匹がなき始めると他のひぐらしもうつったように鳴き出す。その声が山全体に段々ひろがってゆくように聞こえる。

或る時、私が机にもたれているとすぐ傍の障子の処でひぐらしが二三匹声を揃えて鳴いた。私は考え事をしていたのでおどかされたようにびっくりした。しかしその声の調子や拍子が合っていたので不思議に思った。七月二十九日の朝七時過ぎにみんみんの声を初めて聞いた。越えて八月の六日には庭でこおろぎがなきはじめた。また同じ月の十三日には関東ではあまり聞かぬ蝉がないた。この蝉は関西にはよくいてセビセビセビセビと続けてなくのである。私は葉山では毎年聞くが、それも一匹位で日にひとしきり、ふたしきり程なくだけで二日もたつともう声が聞こえなくなる。

八月も半ばを過ぎると浜辺に打ち寄せる波の音も秋の訪れを思わせるように私には感じられる。虫の音も次第に数を増してくる。夜になると私の床にひとしお床しく聞こえるのはこおろぎ、馬追い、鉦叩き、くさひばり、えんまこおろぎ、またその中を縫うように名も知らぬ虫の声が聞こえてくる。くさひばりは昼間も静かにないている。こおろぎは昼間はゆっくり羽を動かして忍びなきしているように聞こえる。今年の秋は蝉ではオーシーツクが一番あとまで聞こえた。何といってもこおろぎは秋の初めから終りまで鳴き過す。少し寒く感じる日には家の中へはいってきて鳴く。私はその声を聞くと一層かわいらしく思うのである。今はもう秋も末になってこおろぎの声も絶えだえである。風もなく天気のよい午後の空を破るような声を立てて百舌が飛んでいる。

底本 / Source edition

底本:「心の調べ」河出書房新社
2006(平成18)年8月30日初版発行
初出:「古巣の梅」雄鶏社
1949(昭和24)年10月5日
入力:貝波明美
校正:noriko saito
2007年12月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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宮城 道雄「耳の日記」(新字新仮名)、底本『心の調べ』河出書房新社、2006年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 047116_001288, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite