Soranoha

『聊斎志異』より

『りょうさいしい』より

蒲原 有明

香玉

労山の下清宮といふは名だゝる仙境なり。ここに耐冬あり、その高さ二丈、大さ数十囲。牡丹あり、その高さ丈余。花さくときぞ美はしう璨きらゝかなるや。

そが中に舎しやを築きて居れるは膠州の黄生とて、終日ひねもす書ふみ読みくらしたる。ある日のことなりき。ふと牕まどより見おこせたるに、やゝ程とほくへだてて女人をみなひとり、着けたる衣きぬ白う花のひまに照り映ゆるさまなり。かゝる境に争いかでとあやしけれど、趨り出でゝ見むとすれば、疾はやう遁れき。

度かさなりぬ。さて樹叢こむらに身をひそめて、そが来むをりをこそ俟てりしか。こたびは彼の女人、紅裳のひとりを偕ひ来と見ゆるに、そのすがた尋常よのつねならず艶だちたり。やうやう近うなりぬ。紅裳のひとり一歩ひとあし退きて、『人のけはひす』といふに、つとすゝみ出づれば、かなたは驚き惶て、裾たもとひるがへし奔せゆく。追風えならぬにほひ溢れたり。牆のもとにて影きえぬ。黄生愛慕のおもひいとど切なれば樹上に題すとて

『無限相思苦、含情對短牕、恐歸沙吒利、何處覓無雙。

やがてはあだし他処の花』と、引こもり、物思ひてあるとき、かの女人たちまちおとづれ来ぬ。夢かと喜び迎ふるに、女人はほほゑみて、『君はなどしも盗人めきし行ひをやしたまひし、胸もつぶるるばかりなりき。おもふに君は風騒の士、これよりかたみに親しまばや』といふ。

さてその生平を叩けば言へらく、『わが小字は香玉、平康の巷にあだなる名をぞつらねし。さるからに道士にひかされてこの山中に閉こめ置かれたる、浅まし』とうち嘆く。

黄生『その道士の名は何ぞ。卿おんみをば救ひ出でなむはいかに』

女人『しかしたまふには及ばじ。』と遮りて、『ただ君と相ひ見るかぎりこそ嬉しけれ。』

『かの紅衣を着けたるは誰ぞ』

女人『絳雪とよびて、やがてわが義姉かりのあねなり。』といふ。

その夜は狎れむつみて、さむれば明け過ぎぬ。急ぎ起きて『あかでしも朝寝あさいしつ』と言ひ〱、衣整なつて『おん口占くちずさみに酬いまつらむ、笑ひなしたまひそ』とて、

『良夜更易盡、朝暾已上牕、願如梁上燕、棲處自成雙。

つばさならぶるつばくらめ』とあるに、黄生その腕かひなにとりすがりて、『すがた秀れこころ優しき卿に添ひあくがれては、長生不老の思ひせぬものやなからむ。ただ一日離り居ればとて、なほ千里の別しつるここちやせむ。あだぶしの夜こそ愁つらからめ。』

香玉こをうべなひて、これよりは宵々の契り渝らざりき。

ただかの絳雪を伴なふごとに輙たやすくはえも来ず。怨ずるに香玉、『わが情癡の性さがには似もやらで、絳雪物に拘らはねば、こころ自からゆるやかなり。』と言ひ解きつ。

或る夕つかたなりき。香玉涙ながらに入り来りて、『これを限りのおん別れとはなりぬ。』といふ。『いかなれば』とうら問へば、袖もて涙おし拭ひ、『こも定数とや言はまし。君がかの日のおん歌今はわが身の讖を為しぬ。

佳人已属沙吒利、義士今無古押衙。

古人の句こそまことなれ。

蕃将沙吒利にはあらぬ無理強ひの根びき』といひさし黙もだして咽び泣く。

この夜は夜すがら寐もやらで東雲しののめに出でゆきぬ。

こをあやしと思ふに、次日あくるひ、藍氏といへるが遊覧のついで、園中の白牡丹をいたく愛で根ごしにして去にき。かかれば黄生ここにはじめて香玉の牡丹花の精なるを悟りて、数日を経るに、藍氏がおのが家に移し植ゑし花の日々に枯れ萎みぬと聞きては、あまりに恨めしく、哭花の詩五十首を作りて、日毎にかの根ごしにしつるあとをうかがひ、涙そそぎぬ。

その後例の弔ひて帰り来るに、紅衣の女人の、これもそのあとを見てうち泣くけはひなれば、やをら近づくに、かなたも亦そを嫌はず。黄生因て袂をひかへ、請うて室に延きぬ。いふがままになりて、さて、『稚きより睦びあへりし姉妹はらからのちぎりもかくは一朝にして絶え果てき。そが上君が哀傷を聞けば狭き胸のうちいよ〱堪うまじくなりぬ。九泉に堕つる涙まことこもりて、再び亡魂なきたまをや還しぬべき。しかすがに亡き人の神気すでに散じたれば、猝にはかにわれ等と談かたらひ難くや』とうち喞つ。

黄生また、『わが薄命こそうらめしけれ』とつくづくおのが無福を嘆じ、『今や卿幸ひに香玉に代りたまへ。』といふ。

絳雪『おもふに年少としわか書生の薄倖なるは什の九なり。君が情は篤からむ。その情によりて交り、淫せじ。昼夜狎れむはおのれえせじ』と、言ひ畢りて別れいなむとす。

黄生『香玉かしまだちて後は寝食倶に廃しぬ。頼たゞ卿しばしとどまりて、この物憂き思ひを慰めてもあるべきに、何ぞふり放て行くや』といふに、すなはち一夜をやどりぬ。

これより数日復たそのすがたを見ざりき。冷雨幽窻、切りに香玉を懐ひて牀頭の枕露けかりき。更にまた燈を挑げ、筆とりて前韻を踵ぎぬ。

『山院黄昏雨、垂簾坐小牕、相思人不見、中夜涙雙々。

君をおもひて夕まぐれ』と吟じ出づれば、忽ち牕外人ありていへらく、『おん歌のかへしなからでやは』と、絳雪の声なり。門を啓きて入るれば、絳雪詩の後を続けむとて、

『連袂人何處、孤燈照晩牕、空山人一個、對影自成雙。

ともしび暗きまどのもと』とうちいづ。

黄生読みて涙ぐましく、かつは絳雪のこのごろの疎さを恨めば、をみな『わが情は香玉の熱きに似もやらず、但たゞ少しく君がおん寂寞さみしさを慰めむのみ』狎れむとすれば遮りて『相見るよろこび、何ぞ必ずしもここにあらむ』といふ。

酒くみかはし歌ひつれて、をり〱は夜たゞ眠らでぞある。黄生ぜひなくまたいふやう、『香玉はわが愛妻、絳雪はわが良友、卿そも院中第幾株、いづれの木立ぞと、疾とく聞えよかし。わが家やのうちに抱へ移して、かの香玉の悪人に奪ひ去られて百年の恨うらみ貽のこししわざはひ再びせさせじ』とうながす。

絳雪『故の土移しがたし、君に告げまつらむも益やうなし。君が妻だにみこころのままならざりき。さるをわれは友なるをや。』

黄生やむなくその臂を捉へて下りたち、牡丹の一もとごとに『こは卿か、あらずか』と試むれば、女人ものをも言はで、口を掩ひてうち笑ふのみなりき。

たまたま黄生臘月のすゑ故郷に帰りぬ。歳を踰えて二月、夢に絳雪愀然として『今大難せまりぬ。急ぎ来まさずば甲斐なからむ』といふとおぼえてめざめぬ。

こを訝りて、早馬にて行きつけば、道士新に屋を建つるとて、耐冬樹一もと障へたるを、工師今しも斧を当てむとするなり。かくてこそと、そをおし禁めたるその夜、絳雪来り謝したり。

黄生うちゑみて『向さきに実を告げざりし罰とがめにやあらむ、うべなり、この厄に遇はむとはしたる。今や卿を知り得たり。卿もし疎くもてなさば艾もてくゆらしやらむ』とたはぶれつ。

女『さればこそ洩らさゞりしか』といひつつ、対ひゐて時を移せり。

黄生『今かく良友に対してます〱艶妻をこそおもひ出づれ。げにも香玉を弔らはざること久しうなりぬ。いで卿とともに弔らはむ』とて、かのありしかたみの処に往きて、涙を濺ぎぬ。一更ひとゝきをはや過ししかど、なほ立ちうくて、絳雪のとどむるによりて帰りぬ。

また数日を過しぬ、黄生独り居のすさまじうてあるに、絳雪笑みを浮べて入り来り『よろこばしき事こそあれ、花の神君がまごころに感じて香玉の魂をば還らしむ』といふ。

黄生『そは何日なりや』と問ふ。

『遠きにはあらざるべし』とのみ。天明、榻とこを下る時、黄生『卿の為にこそここには来つれ、これよりは孤寂の思ひをなせしめそ』とあるに、絳雪ほほゑみ諾へり。

さあれ絳雪の来ぬこと二夜になりぬ。黄生かの樹下に到りて、ゆり動かし、かかへ撫でつつ、その名をば呼びしかども声なかりき。黄生乃ちかへり来て一団の艾をととママなへ、将にかの樹を灼きなむとするに、女人つと見えて、いちはやく艾を奪ひとり、うち棄てたり。

絳雪『悪作劇いたづらごとをなしたまひそ。わが身に痛き目みせたまはば、この交をや絶たむ』といふ。

黄生うち笑ひて擁き寄り、座も定まりし時、香玉ほのほに入り来れり。黄生こころまどひて、一手に香玉、一手に絳雪を捉へて放たず、相対して愁つらき限りを泣きつくせり。

ただ執り結べる香玉の手の虚しきが如きを覚えてあやしめば、香玉泫然として言ふやう、『むかしは花の精、さるからに凝りき。今は花の鬼き、さればうつろなり。しばし聚りて形を為せども、こを真とな見たまひそ。ただ夢寐ゆめうつゝの觀さまを成せるのみ。』

絳雪傍かたへより、『おん身よきところに来ませり。われはかの人にあやめられて、危く死ぬべかりき』と、言う〱も辞し去りき。

香玉が﨟たさはつゆ昔日むかしにかはらざりき。かの楽みを取るをりぞさながら影に就くが如くて、これをのみ黄生こころゆかであれば、香玉も亦自から恨みていふやう、『白〔「くさかんむり/「斂」の「攵」に代えて「欠」」〕屑に少しく硫黄を雑へて、日ごとに一杯の水をしもたまはらば、明年この日おん恵みに酬いまつらむ』とて別れゆきぬ。

あくる日もとありしところに往きて観るに、牡丹の芽ひとつ萌え出でたり。かの言へるがままに培ひ水濺き、墻結ませゆひなどして、その芽をいたはりぬ。

香玉来りていたくよろこべり。

黄生はわが家に移しうゑむと促がせども、『そはえ堪うまじくもおぼえぬが上に、物皆定処ありて生ひたつ。違はば反りて寿短かからむ』とてゆるさず。

黄生また絳雪の来ぬを恨めば『強ひて来させむとならばその術あり』と香玉のいふがまゝに、燈かかげて樹下に到りぬ。一茎の草を摘みとり、布の巾にあてて度をさだめ、幹の根より上に四尺六寸、黄生をして爪もてその処を爬かしむるに、絳雪俄かに背後よりあらはれ出でて笑ひ罵る。

『いまし何ぞや彼を嗾けし』といふ。

香玉『怪しとな思ひそ、しばらくかの君の傍に添ひてあれよ、一年の後またおん身を煩はさじ。』

かの花の芽はやうやう肥え太りて、晩春のころ丈二尺にあまりたり。

黄生の故里に帰りたるひまは、道士そをあづかりて、朝夕の培養にこころがけにき。

次年四月、黄生来りて見るに、花一朶、つぼみふくらかに、枝撓みて折れなむばかりなり。

しばしが程あれば花ひらきぬ。その大さ盤のごとし。蕋のおくふかく姿ただしき小美人のかげ見ゆ。花びらかきわけつつ転瞬の間ひまに下りたつを見れば、こはやがて香玉なりき。『風に雨にしのびて君を待ちぬ。いかなればかくは来ますことの遅かりし』

黄生その手を執りて室に入れば絳雪すでにありて『人に代りて婦となりき、今は退きて友たらむ』と笑みつついふ。

こころゆくばかりの宴して、この夜も央をすごしつ。絳雪さらばと暇乞してかへりぬ。夜すがら二人の夢温かきことむかしの如かりき。

この後、黄生、その故里の妻みまかりてより、山にこもりゐて、復かへらず。この時牡丹の茎の大さ臂の如く生ひたちたるが、黄生指さして、『われ死なば魂をこゝに宿さむ、卿の左に生ひ出づべし』

両女笑ひて、『その言の葉忘れなしたまひそ』といふ。

十年ととせあまりを経たり。黄生俄かに病みぬ。その子尋ね来て哀しめばほゝゑみつゝ、『わが生るゝときこそ来つれ、死にゆく期ならねば、哀しみなせそ』とて、やがて道士にむかひて、『牡丹のもと赤き芽土を破りて萌えいづべし。五葉を放つもの、われなり』と、言ひ畢りて、黙もだしぬ。

その子父の病躯を扶けて家に帰れば、尋でこと切れぬ。

次年果して太き芽ゆるぎ出づ、葉の数まことに五つなり。道士あやしと思ひて養ふに、三年がほどに、高数尺、すく〱と生ひたちぬ。ただ花をばつけざりき。

老いたる道士もみまかりぬ。

その弟子むごくも花咲かずといひて、かの芽をばかき棄てたり。これより白牡丹もまた枯れにき。かの耐冬もまた枯れにき。(聊斎志異巻三)

(新古文林 第一巻第一号 明治三十八年五月)

木雕美人

商人、白有功といへるが物語りけるに、礫口河のほとりにて、竹かごを荷ひ、巨犬二頭を牽きたるものありけり。かごの中より木雕の美人を取り出でぬ、その高さ一尺ばかり、手と目と相動きて、姿艶に、生けるものに露たがはざりき。又錦の馬韉せんふさはしきを犬の脊に打かけ、かの美人を乗せて、犬を叱して奔せしむるに、美人は自みづから起ちて馬上さまざまなる劇しぐさを為して神変の技をしめす。又『昭君出塞』といふこと演ずとて、別に木雕児を取り添ふ。その頭かしらには雉尾を揷し、羊の裘けごろもを着け、犬に跨りて昭君の後しりへに従ふ、昭君はしばしば振り回りて後髪ひかるる思ひあれば、羊裘児は情容赦もあらばこそ、鞭あげて逐ひたてゆく。これを見てあるに、げに虚事そらごととは思はれざりけりとかや。

橘樹

陜西の劉公、興化の令たる時、一道士来りて盆樹を献じぬ。そを見るに橘樹の小さなる、指頭ゆびさきほどあるを、細やかに裁つくりなせり。劉公は擯けて受けじといふに、たまたま劉氏の幼女六七歳ばかりなるが誕生の祝ひなどするをりなりければ、道士言へらく、こは大人の清玩には供へがたし、いささか女公子おんなむすめごの福寿をほぎ奉まつらむのみとあるに、受け納めつ。幼女はそを見て愛でいつくしみ、下へも措かで、朝な夕な打まもらへり。劉公はその後任期満ちて帰らむとするに、橘樹の生ひたちて把にも余りたるが、是年始めて実を結びぬ。しかすがに旅路のわづらひ多ければ、そをうち棄てて去なむといふに、幼女はいぢらしくも樹を抱いて啼く、やうやうすかしなだめて、またこそ来むをりあらめと言へば啼きやみぬ。かくて橘樹は人の盗み去らむことを恐れて、前栽に移し植ゑ置きけり。その後幾年を経て、この女、荘子に嫁ぎ、荘氏は進士に登りて興化の令となりぬ。夫人はいたく喜びて、竊かに意ふやう、はや十年あまりを経たり、かの橘樹はそもいかがなりつらむと、行き着きて見れば、樹の大さ十囲、黄金色したる実の凡そ千もやあらむ、纍々として枝も撓めり。古役人など召し出して尋ね問へば、年ごとにその樹はいや繁りに茂りぬれど、実を結びしは今歳初めてなりといふに、不思議の思ひをなせり。かくて三年がほどは、繁りぬ、実りぬ。四年目になりて、萎れて花もにほはず。夫人は荘氏に向ひて、君が任期も久しからじといひたるに、果してその年の秋任を解かれきとなむ。

蛙曲

王子巽の言に、わが都にありしころ、曾てめづらしき物を見たり。木盒きばこに格しきりを施し、それに十二の孔を穿てり。孔ごとに蛙かわづを伏せて、細き杖もて、その首かうべを敲けば、蛙は哇然と声たてぬ。銭を与ふるものあれば、乱撃するに、蛙の声、恰も雲鑼を打つが如く、おのづから宮商に適ひて、詞曲の節々明らかに聴き取られぬとかや。

鼠戯

これも同じ人の話なり。長安の市上にて、鼠の藝を売るものありけり。その人嚢を脊負ひて、その中うちには十数頭の鼠を蓄へ置き、稠人のうちにて、木もて組める小なる架たなを出して肩上に据うれば、そはやがて舞台なり。鼓板の音おもしろく、古囃劇を唱ふ。歌声につれて、鼠は嚢中より出で来り、仮面めんを蒙り、衣装を着けて舞台に登場し、立ちて舞へり。男女悲歓のさま悉く劇中の関目に合かなへりといふ。

紅毛氈

紅毛国との貿易は今に始めぬことなり。辺海を守れる将軍、紅毛人の衆きを患へて上陸を聴さざりき。紅毛国固く請うて曰く、但一氈の地を得ば足れりと。将軍思へらく、氈一枚を敷くばかりの地何ほどのことかあらむとてゆるせり。その人、氈を岸上に敷くに、僅かに二人を容る。氈を扯きて延ぶるに四五人を容る。扯きつ、登りつ、頃刻ときのまに氈の大さ一畝許、人を容るゝこと数百人なり。その人々、短刀をぬきかざして不意に出で、数里を劫掠し去りけりとなむ語り伝へたるとや。

戯縊

村人某、かねて無頼の性さがなりけり。村外に遊びけるをり、少婦の馬に乗りて来るを見て、同遊つれの者を顧みて謂いへらく、おのれ彼の少女をして笑はしめむと言ふ。聞く者、そを深く信ずることなかりければ、賭を約して筵す。某、遽かに奔り出でゝ、馬前を遮り、連りに呼よばはるやう、いでいで己れ死なばやと。傍かたへの墻より高粱の殻一本を抽きて、これを横たへて、帯を解きてその上に掛け、頭かうべを引いて縊くびるる為まねしたり。少婦はこの状を見て、果して哂ふ。衆なかまのものも亦うちはやしぬ。婦去りて既に遠くなりぬ。しかるに某は身動みじろぎだにせであるを、衆のものいよいよ可笑がりて、近づき視れば、何ぞ図らむ、舌を吐き目を瞑ねぶりて、呼息まことに絶えたり。高粱の殻にて縊れぬとは奇あやしからずや。儇薄の徒の戒となすべしとなむ。

諸城某甲

学師、孫景夏先生の言に、その邑のうちの某甲なにがしなるもの、流寇の乱に値ひて殺され、首は墜ちて胸前にかゝりぬ。寇の退き去りし後、家人はその尸ををさめて葬りなむとするに、縷々たる生気仍通へり。仔細に撿むるに、咽のふえなほ断えざりければ、其頭をさゝへて荷ひ帰りぬ。かくて一昼夜にして始めて呻吟うめきの声きこゆ。その後は飲食をんじき共にやうやう匕もてあてがひ、かくすること半年、竟に愈えぬ。又十余年を経て、一日二三人と集会まとゐして物語するとき、をかしき言いひ出づるものありて、一座壁も落ちむばかりに笑ひくづれぬ。某甲も亦掌を皷ちてくつがへるをりしも、刀痕暴かに裂けて、頭墜ち、血潮流れ出で、呼息絶ゆ。そのものゝ父はかの笑はしめしものを公に訟へければ、一座に連りしものより金を歛あつめて賂おくり、某甲を葬りて、事解けぬとなむ。(新古文林 第一巻第五号 明治三十八年八月)

底本 / Source edition

底本:「蒲原有明論考」松村緑、明治書院
1965(昭和40)年3月5日初版発行
初出:「新古文林 第一巻第一号、第一巻第五号」
1905(明治38)年5月、1905(明治38)年8月
入力:広橋はやみ
校正:小林繁雄
2010年12月8日作成
2011年10月8日修正
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書誌 / Bibliography
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蒲原 有明「『聊斎志異』より」(新字旧仮名)、底本『蒲原有明論考』明治書院、1965年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 047091_001055, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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