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        <title type="main" xml:lang="ja">流行歌曲について</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">りゅうこうかきょくについて</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>萩原</surname><forename>朔太郎</forename><idno type="aozora-person-id">000067</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>はぎわら</surname><forename>さくたろう</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Hagiwara</surname><forename>Sakutaro</forename></persName></author>
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        <bibl><title>日本の名随筆　別巻82　演歌</title><publisher>作品社</publisher><date>1997（平成9）年12月25日</date><note type="input-edition">1997（平成9）年12月25日第1刷</note><note type="proof-edition">1997（平成9）年12月25日第1刷</note></bibl>
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      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">現代の日本に於ける、唯一の民衆芸術は何かと聞かれたら、僕は即座に町の小唄と答へるだらう。現代の日本は、実に「詩」を失つてゐる時代である。そして此所に詩といふのは、魂の渇きに水をあたへ、生活の枯燥を救つてくれる文学芸術を言ふのである。然るに今の日本には、さうした芸術といふものが全くないのだ。文壇の文学である詩や小説は、民衆の現実生活から遊離して、単なるインテリのデレツタンチズムになつて居るし、政府の官営してゐる学校音楽といふものも、同じやうに民衆の生活感情と縁がないのだ。真に今日、日本の現実する社会相と接触し、民衆のリアルな喜怒哀楽を表現してゐる芸術は、蓄音機のレコード等によつて唄はれてる、町の流行唄以外にないのである。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">僕は町を歩く毎に、いつもこの町の音楽の前に聴き惚れて居る。そして酒に酔つた時は、いつも大衆と一所にそれを合唱したくなるのである。音楽といふものは、本来皆その精神に「合唱性」を持つてるものだ。なぜなら音楽は詩と同じく、普遍に通ずるカメラードへの呼びかけであるからである。町の音楽をきいて、僕がそれを大衆と一所に唄ひたくなるといふのは、つまりその音楽の中に、僕等の時代に生きてるところの、社会人一般の情操を代表してゐるものがあるからである。この点から言へば、僕等のインテリ階級者と一般社会大衆人との間に、何の生活的劃線があるわけではない。一般社会人の悲しみは、常にそれ自ら僕等の心に反映してゐる悲しみなのだ。しかも僕等のインテリ文学は、この現実の社会感情から遊離して居り、却つて無智の大衆芸術である町の小唄が、僕等の求めてる真のリリツクを正直によく歌つてくれるのである。僕等の時代の文学者が、文壇の詩に退屈して、町の小唄音楽に却つて心の渇きを充たして居るといふのは、現代日本文化の畸型的な発育を反証するところの、一つのイロニカルな現像にちがひない。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2412-2828">町の流行唄を聞いてゐると、時代の変遷する推移が実によく解るのである。人心が少しでも明るくなり、景気が活気づいて来た時には、音楽の調子がすぐ明朗になつてくるし、その反対の場合には、音楽がまたすぐ憂鬱になつてくる。町の流行歌曲ほど、感度の鋭敏な時代のテレビジヨンはないのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そこでこの十年来、僕はこのテレビジヨンの感度機を廻しながら、目に見えない社会人心の変動を触覚して来た。そして一つの結論を得た。それはこの十年以来、日本の社会が日々に益々憂鬱になり、人心が絶望的に呻吟して、文化がその目的性と希望とを失ひ、年々歳々益々低落の度を深めて来て居るといふ事実である。例へば少し昔には、古賀政男の名曲「酒は涙か溜息か」や「幻の影をしたひて」等が流行した。これらの歌曲は、そのもつと前、欧洲大戦前後の好況時代に流行した、外国オペラの明朗な翻訳曲に比すれば、遥かに憂鬱で哀傷的のものであつたが、音楽として尚甚だ上品のものであり、その精神には健全で浪漫的な青春のリリシズムが情操して居た。然るにその後、勝太郎の「ハア小唄」になつてくると、もはや「酒は涙か」のロマネスクや青年性は失はれて、年増女の淫猥な情痴感や感傷性やが、大衆の卑俗趣味に迎合するやうになつて来た。「酒は涙か」から「ハア小唄」への流行的推移は、すくなくとも「恋愛的感傷」から「情痴的感傷」への文化的低落と、その卑俗的散文化を語つて居た。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">この勝太郎節と同時に、並行して流行したものは所謂「股旅小唄」であつた。この股旅小唄の主旋律は、概して皆尺八的、浪花節的哀傷を帯びてるもので、日本人の民族的リリシズムとも言ふべき、旅への放浪情操をよく表現して居た。しかしこれもまた前時代の歌曲に比すれば、その品位のないことに於て、野趣的に卑俗化したことに於て、時代の文化的低落を語る一実証と見るべきだつた。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">所でまた最近の流行歌曲は、例の「あなたと呼べば」や「忘れちや厭よ」である。この二つの歌曲は、その作曲の新味と歌詞の取り扱ひ方とに於て、日本の流行小唄に一の新しいエポツクを劃したものと言はれて居る。だかこれを聴く毎に、僕は日本文化の悲しい末路といふことを痛感する。此所に歌はれてる歌曲は、卑猥で陰惨なエロチシズム以外に何物もない。勝太郎の「ハア小唄」には、年増女的淫猥の情痴があつたが、しかしそこにはまだ純情のリリシズムと感傷性とが流れて居た。然るに「あなたと呼べば何だいと答へる」や「忘れちや厭よ」の歌謡には、そのメロヂイにもその歌詞にも、全然リリシズムといふものが無いのである。しかもまたそれで居て、ナンセンス音楽に特有するユーモラスの明朗性もない。これは非常に憂鬱で陰惨な、何か梅雨時のやうにジメジメした感じの唄である。大体から言つて、流行歌曲の種属は二つに別れる。即ちセンチメンタルのものと、ナンセンス的のものとである。然るに此等の唄には、ナンセンスとしての明朗性もなく、センチメンタルとしての抒情性もない。そして単に、卑猥な擽り的エロチシズムがあるのみである。</p>
      <p>「あなたと呼べば」の歌詞は、現代サラリイマンの無気力、無希望な人生願望を表象してゐる。彼等の人生に於ける唯一の理想は、重役の娘と結婚して、郊外の文化住宅に住み、何も他に為すことがなく、新婚の妻と朝から晩までイチヤついて居たいのである。若い妻の機嫌を取り、女房の尻に敷かれ、猥褻な性的遊戯をして日を暮す以外に、人生に向つて意欲する何の理想もなく野心もなく、無為劣等な動物的人生をすごすことが、現代大衆やサラリイマンの理想とすれば、これほど陰鬱な梅雨時の社会はない。そしてこの現実の社会的陰鬱性を、此等の流行唄がよく反映してゐるのである。特にまた「忘れちやいやよ」に至つては、最近それが発売禁止になつたほど、一層もつと極端に、この時代的陰鬱の梅毒的エロチシズムを表現して居る。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">かうした最近の流行唄について、特に著るしい特色として感ずることは、歌詞の取扱ひ方に対する、作曲の方法が著るしい変つて来てゐることである。昔の流行歌曲は、歌詞を軽んじて音楽を重視して居た。中には旋律ばかりが耳に入つて、歌詞は何を歌つてゐるのか、まるで意味の解らないやうな者さへあつた。然るに最近の「忘れちや厭よ」や「あなたと呼べば」等は歌詞に強いアクセントをつけ、その言葉の方の面白味で、専ら聴者を興がらす様に工夫されてる。例へば「あなた」「何だい」という問答の対話。「忘れちやイヤーヨ」といふ、イヤーに於ける強いアクセント等、皆歌詞を主眼にして、音楽の旋律をこれに附加して居るのである。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">かうした作曲は、流行小唄としてたしかに新しい創造であり、エポツクメーキングのものかも知れないのである。しかし僕の考へでは、逆にこれが音楽精神の衰退を示してゐると思ふ。なぜなら音楽が歌詞を本位とすればするほど、音楽としての散文化（リリシズムの喪失）を意味するからである。つまり言へば聴者は、それを旋律の美しさに於て聴かないで、歌詞の面白さに於て聴き、真の音楽的陶酔とはちがふところの、別の散文化の興味で聴くからである。現に「あなたと呼べば」の如き唄が流行するのは、大衆が既にその心のリリシズムを喪失して、音楽でさへも、散文的な興味で聴かうとするところの、現代社会の時代的傾向を実証してゐる。そして流行歌曲の作家が、機敏にこの大衆の向ふ所を捉へたのである。それは流行唄としての新しいエポツクメーキングであるか知れない。しかし本質的に観察して、音楽精神の時代的没落を語るものであり、併せて現代日本文化の、救ひがたき卑俗的低落化を実証するものである。かうした歌詞本位的流行歌曲の進む所は、結局遂に「アメリカ式掛合万才」の全盛時代になるであらう。即ちジヤツク・ウオーキイ等によつて映画で紹介されてゐるやうな、歌詞を本位として簡単な音楽を伴奏的につけ、専ら歌詞の滑稽味やエロチシズムやで、大衆を興がらすやうに出来てる「音楽入西洋万才」が、近い未来に於て日本に現れることを予感させる。「あなたと呼べば」を悦ぶ大衆は、音楽よりも歌詞を悦ぶ大衆であり、それの徹底する所は、アメリカ式万才音楽を要求するにちがひないのだ。そして流行歌曲も、此所に至れば音楽としての自滅である。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">町の音楽を聴きながら、僕は絶えず自分自身に怒つて居る。なぜなら僕自身が、さうした音楽に魅力を感じ、大衆と共にそれを唄ふことによつて、日々に低落する現実社会の堕落の中へ、自ら環境的に引き込まれて行くことを感ずるからだ。僕は耳をふさいで町を通り、一切の流行唄を聴くまいとする。しかも僕の渇いた心は、渇者が水を求めるやうに、自然にそれの方へ引きつけられる。なぜならそれらの音楽以外に、僕等の現実の社会的生活感情を表現し、魂の渇きを充たしてくれる芸術がないからだ。僕は珈琲店の椅子で酒を飲み、大衆と共に「あなたと呼べば」を唄つた後で、自ら自分の髪の毛をむしりながら、自分に向つて「この大馬鹿野郎奴」と叫ぶのである。僕等は時代のトリコである。何物からも脱れられない。一切は絶望的に決定されてる。今日の社会に於ては、私が「私自身」を拒絶する外、詩人としての生きる道が無いのである。</p>
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        <note type="transcriber-note" source="#source-11511-11827"><seg type="source-line">入力：浦山敦子</seg><lb/><seg type="source-line">校正：川山隆</seg><lb/><seg type="source-line">2008年4月8日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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