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        <title type="main" xml:lang="ja">人間山中貞雄</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">にんげんやまなかさだお</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>伊丹</surname><forename>万作</forename><idno type="aozora-person-id">000231</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>いたみ</surname><forename>まんさく</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Itami</surname><forename>Mansaku</forename></persName></author>
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        <bibl><title>新装版　伊丹万作全集2</title><publisher>筑摩書房</publisher><date>1961（昭和36）年8月20日</date><note type="input-edition">1982（昭和57）年6月25日3版</note><note type="proof-edition">1982（昭和57）年6月25日3版</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「シナリオ　昭和十三年十一月臨時増刊・山中貞雄追悼号」1938（昭和13）年11月</bibl>
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      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-325-750">平安神宮の広場は暑かつた。紙の旗を一本ずつ持つた我々は脱帽してそこに整列していた。日光は照りつけ汗がワイシャツの下からにきにきと湧いた。前面の小高い拝殿の上には楽隊がいて、必要に応じて奏楽をした。注意して見ると、楽隊のメンバーにはアフレコ・ダビングでかねてなじみの顔ばかりである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-750-1217">それから神官の行事があつた。つづいて君が代の斉唱、バンザイの三唱など型どおり行われたが、その間、出征軍人山中貞雄は不動の姿勢で颯爽――という字を張りこみたいところだが、そういう無理をするとこの一文がうそになる。どうみてもあれは颯爽というがらではない。鐘であつたら正に寂滅為楽と響きそうなかつこうで立つていた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">それからトラックやら自動車やらに分乗して「歓呼の声に送られて」と、○○の連隊の近所まで送つて行つたのはついきのうのことのような気がする。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1426-1854">入営から何日か経つて面会を許された日があつたので、女房のこしらえた千人針を持つて行つてみた。いろんな人が入りかわり立ちかわり面会に来るので、その下士官室は大変混雑していた。山中自身もすくなからず応接に忙殺されている形であつたので、長くはいずに帰つたが、この日の山中は元気がよかつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1854-2054">しばらくの間に兵営生活が身につき、彼自身も本当の一兵士に還元した安心と落ち着きとがあり、したがつてのびのびした自由さが感じられた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2054-2350">この日以来私は山中を見ない。しかしいつかは（それもあまり遠からぬ将来において）必ず再会できるという確信のようなものを私はひそかにいだいていた。それにもかかわらず、あつけなく山中は死んでしまつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2350-2901">ある朝浅間山の噴火の記事を探していて、山中陣没の記事にぶちあたつた、腹立たしいほどのあつけなさ。浅間山なんぞはまだいくらでも噴火するだろう。しかし我々はもはやふたたび山中の笑顔を見ることができないということは、実感として何か非常に不思議なできごとのように思われてならない。それは我々を悲しませるよりもさきに人間の生命の可能性の限界を、身に突きさして示すようである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私が初めて山中に会つたのは、たしか『都新聞』の小林氏の主催にかかる茶話会の席上であつた。時期はちようど山中がその出世作と目されている一連の作品を出していたころだろうと思う。迂濶にもそのときの私はまだ山中の名声を知らず、したがつてその作品を知らぬことはもちろんであつた。ただ彼と小林氏との間にかわされる談話によつて、この人が寛プロの山中という人だということを知つたにすぎない。特に紹介もされなかつたのでその日は直接口はきかなかつた。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">それからまもなく山中貞雄の名まえがしげしげと耳にはいるようになり、どんな写真を作る人か一つ見ておこうというので初めて見たのは「小笠原壱岐守」であつた。作品としては特に感心したところはなかつたが、とにかく十何巻かの長尺物を退屈させずに見せたのは相当の腕達者だという印象を受けた。それからのちも山中の作品はなるべく見るように心がけてはいたが、結局三分の一あるいはもつと見のがしているかもしれない。その乏しい経験の範囲でいうならば、私は概して山中の作品を人が騒ぐほどには買えなかつた。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4273-4809">彼の作品が実にスムーズに美しく流れていることは定評のとおりである。しかしそれは私の志す道とは必ずしも方向が一致しなかつたのでさほど心をひかれなかつた。彼の作品が才気に満ちていることもまた定評のごとくである。しかし私はできればそういうところから早く抜け出したいと思つていたし、また彼の才気といえども決して天啓のごとく人の心を照すような深いものではなかつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4809-5306">ことわつておくが私は決して山中の作品をけなすために病中をしのんでまで筆を起したのではない。のち、直接山中の人間と相識るにおよんでその人間とその作品とを比較検討するに、どうも作品のほうが大分人間に敗けているように思われてならない。したがつてその人間に対する比例からいつても彼の作品をこの程度にけなすことはこの場合絶対に必要なのだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5306-5833">私が初めて山中と口をきいたのはいつのことか、いくら考えてみても思い出せないのであるが、いずれにしてもそれは監督協会創立当時、そのほうの必要からいつとはなしに心安くなつたものに相違ない。したがつて我々の交際はいつも集会の席上にかぎられていて、さらに進んで互の居宅を訪問するとか、あるいは酒席をともにするとかいうところまではついに進展しないでしまつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5833-6114">だから私は彼の私生活の片鱗をも知らない。また長鯨の百川を吸うがごとき彼の飲みつぷりにも接したことがない。にもかかわらずほんの二度か三度会ううちに私はすつかり山中が好きになつてしまつた。</seg></p>
      <p>「好漢愛すべし」この言葉は私の山中に対する感情を言い得て妙である。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6215-6694">監督協会の成立とともに日本の監督の九十パーセントを私は新しい知己として得たし、この中には随分偉い人も好きな人もあるがまだ山中ほど愛すべきはいず、山中ほどの好漢もいない。私の見た山中の人間のよさや味はその作品とは何の関係もない。私はあの春風駘蕩たる彼の貴重な顔を眺めながら神経質な彼の作品を思い出したことは一度もない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6694-7359">だいたい彼の顔はあまり評判のいいほうではない。私も最初は彼の顔などてんで問題にもしていなかつたのであるが、何度も会ううちあの平凡きわまる顔が実は無限の魅力を蔵していることに気がつきはじめた。またしても引合いに出すが、監督協会の他の人々の中にも随分いい顔や好きな顔がないではないが、山中の顔のごとく長期の鑑賞に堪えうるものは極めて少ない。ことによるとあの顔は山中の人よりも作品よりも上を行くものかもしれない。近ごろ見飽きのしない顔ではあつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7359-8390">思うに山中の本当の仕事はことごとく将来に残されていたといつても過言ではなかろう。自分の知る範囲においてその人がらや性質から彼の仕事の本質を推定するとき、過去における彼の仕事のごときは決して彼の本領だとは思われない。もしもいささかでも作品に人間が現われるものならば、彼の作品はもう少し重厚でなければならない。稚拙でなければならない。素朴でなければならない。もう少し肉太でなければならない。もう少し大味でなければならない。また彼の京都弁のごとく、大市のすつぽん料理のごとく、彼自身の顎のごとく、こつてりとした味がなくてはならない。そして彼が出し切れなかつたこれらすべてのものは、もしも天が彼に借すに相当の歳月をもつてしたならば彼は必ず作品のうえにこれをみごとに盛り上げてみせたに違いない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8390-9151">しかしそれならば過去において彼が描いてみせたようなあまりにも才気に満ちた傾向の作品というものはいつたい彼のどこから出てきたのか、いうまでもなくそれは彼の胎内から生れ出たものには違いない。一見たんなるお人よしのようにも見える彼の一面に非常に鋭いものが蔵されていたり、そのまま仏性を具現しているような彼の顔に、どうかした拍子に煮ても焼いても食えないようなずぶとい表情が現われたり、あるいはまたチラとこす辛い色が彼の眼を横切つたりすることがあつたのと同じような現象だと解釈すれば、あえて異とするにはあたらない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9151-9342">ただ、なぜ特にそんな傾向の作品ばかりが現われたかという疑問に対しては、たぶん彼の環境がそうさせたのだろうと答えるほかはない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9342-9533">山中はあまりに若くして監督になつた。周囲は彼に対してまずおもしろい写真を、しかしてかかる写真のみを彼に要求したにちがいない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9533-10081">若い彼が一プロダクションの監督として、出発に間もないころを生きのびるためには、何としてもおもしろい写真を作るほかはなかつたろう。ところが幸か不幸か彼にはそうした才能があつた。かくて彼の才能は迎えられた。実際はかかる才能は彼の天分のほんの一部分にしかすぎなかつたのだが、周囲は（おそらくは彼自身も）それに気づかなかつた。彼の才能のある部分だけが拡大され酷使された。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10081-10113">そして彼は死んだ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10113-10607">私の山中に関する感想はほぼ以上で尽きる。要するに彼のごときは（みな、他人ごとだと思つてはいけない。）才能ある人間が過渡期に生れたため、その才能を畸型的に発達させられた一例であつて悲劇的といえば悲劇的であるが、ちようどそういう時に出くわしたればこそ我々同時代のものは才気煥発する彼の一連の作品によつて楽しまされたとも考えられる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-10607-10672">さもあらばあれ、すべては終つてしまつた。</seg></p>
      <p>「恥ずかしい、もう娑婆のことはいわんといてえな」と、どつかの雲の上で山中が顎を撫でてつらがつている声が聞こえるからもうこれくらいでよす。私の粗野な文章はあるいは死者に対する礼を欠くところがあつたかもしれない。しかしかかる駄筆を弄したのも一にそれによつて山中を偲ぶよすがともなろうかと思つたからである。（十月十八日）<seg type="layout" source="#source-11143-11284" rend="chitsuki align(right) offset-from-end(2)" snh:layout-kind="chitsuki" snh:layout-params="align=right;offset-from-end=2">（『シナリオ』昭和十三年十一月臨時増刊・山中貞雄追悼号。原題「人間山中」）</seg></p>
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        <note type="source-attribution" source="#source-11292-11587"><seg type="source-line">底本：「新装版　伊丹万作全集２」筑摩書房</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1961（昭和36）年8月20日初版発行</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1982（昭和57）年6月25日3版発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「シナリオ　昭和十三年十一月臨時増刊・山中貞雄追悼号」</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1938（昭和13）年11月</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-11587-11904"><seg type="source-line">入力：鈴木厚司</seg><lb/><seg type="source-line">校正：土屋隆</seg><lb/><seg type="source-line">2007年7月25日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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