Soranoha

莢豌豆の虫

さやえんどうのむし

佐藤 垢石

山女魚やまめは貪食の魚で、昆虫とかその幼虫とか、魚類の卵、みみずなど、この魚の好んで食う餌は、殆ど数えることができないほど多い。けれど、この魚を釣るには、一方ならぬ苦労を重ねるのだ。

先年、利根川の支流、片品川の奥へ山女魚釣りに行ったことがあった。片品川の上流は、戸倉で鳩待峠の方から流れてくる笠科川を合わせるのだが、合流点から上流は両岸が切り立っていて、峡が深い。山女魚と岩魚いわなと同じに棲んで、数が多いのである。

私は、戸倉の村から上流で、餌にみみずと川虫を用いて釣った。成績は悪い方ではなかった。いずれも、七、八寸から一尺近い大物ばかりであった。

このとき釣った八寸ばかりの山女魚の腹に、まだ卵の残っているのを発見した。来たる秋に備えた粒の細かい背腹に粘りついている卵巣ではないのである。六月上旬だ。山女魚は、秋から冬にかけて産卵するとばかり思っていたのに、初夏に至るまで抱卵しているのは妙だ。と、感じたのはこのときであった。

私は、次第に上流へ釣り上がっていった。ところで、落ち込みの下に続くある大きな淵の岸へ出た。その淵は、水楢ならの老木の林におおわれて、陽かげを遮り昼なお暗し、という感じの釣り場であった。私は、川虫の餌をつけて、幾度も脈釣りで流した。けれども、一度も当たりがない。

ふと、眼の前の空間をみると、水楢の枝から青虫が一匹ぶら下がった。前にも書いた榎から、青虫が垂れ下がった姿と同じようであった。私は、その青虫を見つめていると、青虫は次第次第に糸をひいて水面近く垂れ下がっていく。

青虫が、およそ水面から一尺ばかりのところへ垂れ下がったと思うとき、水面にガバッという音が起こった。飛沫が、乱れ散った。山女魚の大ものが、躍り出したのだ。そして、垂れ下がってくる青虫を食ったのだ。あとは、再び静寂にかえった。

山女魚が、低い宙を飛ぶ羽虫を追って、水面から跳ね上がるのは毎日見ている。珍しいことではない。だが、青虫をにらんで水底から水面へ一尺も飛び上がるのは、めったに見ないことだった。よほど、山女魚は青虫を好むものと見えると、感心したのであった。

それから釣り上がって、二十数尾の漁果を収め、戸倉の宿へ帰って、釣った山女魚や岩魚の腹を割いてみた。そして、胃袋を開いて細かに検すると、青虫の骸むくろがその山女魚や岩魚の胃袋にも、数多く入っていた。

初夏の渓流魚は、殊のほか青虫を好むものだから、明日はこの餌を捕ってやってみよう、という考えを起こしたのである。

翌朝、水楢の林へ行った。けれど、水楢の枝は高いところにあって、手が届かない。やむを得ないから、手の届くところの青葉の草むらへ分け入って、青虫を捜しまわった。しかし保護色を持っている青虫は、一匹も私の眼にとまらなかった。青い葉に、青い小さな虫が這っているのであるから、発見できぬのが当たり前であろう。

その日は、やはり川虫とみみずで釣った。

家へ帰ってきてからも、いろいろ考えた。青虫で渓流魚を釣れば、必ず成績があがるに違いない。なんとかして、手に入れる方法はないものかと、思案したのであった。

ところが、ある朝、家の東方にある畑へ莢豌豆さやえんどうの実を採りに行って、蔓から豆をもぎとっていると、その葉に一分五厘から二分くらいの青虫が這っているのを偶然にも発見したではないか。

なおも仔細に、莢豌豆の根方の、こんもりとした葉の数々を裏返してみると、そこに無数に青虫がいるのを見つけた。私は、狂喜したのである。

その青虫を持って、私は再び山へ登った。果たせるかな素晴らしい成績であった。釣り人が餌を捜すということも、釣りの趣味のうちの一つである。

家にいて道具をひねくりまわすことも、釣りの夢をみることも、釣りの本を読むことも、釣りの趣味のうちの一つであろうと思う。

底本 / Source edition

底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣趣戯書」三省堂
1942(昭和17)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年5月1日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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佐藤 垢石「莢豌豆の虫」(新字新仮名)、底本『垢石釣り随筆』つり人ノベルズ、つり人社、1992年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046783_001248, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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