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        <title type="main" xml:lang="ja">アーニイ・パイルの前に立ちて</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">アーニイ・パイルのまえにたちて</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>小林</surname><forename>一三</forename><idno type="aozora-person-id">001256</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>こばやし</surname><forename>いちぞう</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Kobayashi</surname><forename>Ichizo</forename></persName></author>
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        <bibl><title>宝塚漫筆</title><publisher>阪急電鉄</publisher><date>1980（昭和55）年2月15日</date><note type="input-edition">1980（昭和55）年2月15日第1刷</note><note type="proof-edition">1980（昭和55）年2月15日第1刷</note></bibl>
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      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p style="text-indent: 8em" rend="first-line-indent(8)"><seg source="#source-355-419">ネオンの中に明滅する追憶</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私は、「アーニイ・パイル」の横文字が、淡い、うす緑の五線紙型ネオンサインの色彩の中に明滅するのを、ジッと見詰めていた。眼がしらが熱くうるおいそめて、にじみ出して湧いてこぼれて来る涙を拭く気にもなれない。誰れも見て居らない、泣けるだけ泣いてやれ、という心持ちであったかもしれない。私は、頬のあたりまで持っていったハンカチを再び下げて、唇を押えたまま、暫らくジッと佇んで居ったのである。</p>
      <p>『何という綺麗な、立派になったことであろう』掃除の行届いた劇場前の人道は水に洗われて、並木の黒い影は涼風にうごいて居る。私がこの劇場を支配しておった頃は、並木の一、二本は必ず枯れたり、ぬき取られたりしていた。碁盤目のブロックには凹凸があり、欠けて掘り出されたままに放置されていたり、砂煙が低くつづいて舞うなど、その頃の光景を思い浮べて、空虚な、敗戦気分の意気地ないというのか、我ながら、心はずかしく憂鬱ならざるを得なかったのである。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1647-2672">東西廻り階段の入口から、硝子戸を透して正面広間の紅い絨氈は、煌々と輝いている。軽い口笛と靴音と、ステップをそろえてのぼりゆく三々五々の米兵を限りなく吸い込むこの大劇場は――誰れが建てたのか、誰れでもないこのオレが建てたのだと、負惜しみのような、うぬ惚れのような、悲哀な快楽がムクムクと胸の底を突くと、心臓がいささか高なる、呼吸が迫るようになると、セセラめく微苦笑が浮んでくる。同時に、せめてもの慰みというのであろうか、昂然として、私には想像の自由が許されている、何人にも許されている、と、その意識的態度は俄かに濶歩となって、数十歩帝国ホテル側へ、数十歩有楽座側へ、靴音高く、ゆきつ戻りつ、アーニイ・パイルのネオンを見上げながら、私の空想は若い時代の夢を回顧せざるを得ないのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2672-3112">五線紙型のネオンサインを、東京宝塚劇場の屋上高くかかげて、ドレミハソラシドの音律を、省線の電車の窓から、数百万の青年子女に唄わしめんとした私の計画は、新聞紙の広告をはじめとし、あらゆるポスターに楽譜の輪郭を描いて、宝塚を象徴せしめたのである。可愛いい音楽女学生は、その楽譜を読みながら唄う。</seg></p>
      <div type="layout" source="#source-3112-3334" style="padding-inline-start: 3em">
        <p>『希望は遠し武庫の川</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3179-3208">流はつきじ永遠に</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3208-3237">水玲瓏の粋をくむ</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3237-3269">われ等は乙女一途に</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">歌劇の国の宝塚』</p>
      </div>
      <div>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私はこの、ソソミドソラソ。ラシドシラレミレの校歌を、電車に乗合せて聞いた時ぐらい嬉しかったことはない。同時に、それはやがて、帝都の中心地点丸の内に、東宝芸能本陣を組織的に大成せしむる確信を得たるのみならず、それを実行せしめ得たのである。その最初の鋤跡は、実に「アーニイ・パイル」である。</p>
        <p style="text-indent: 8em" rend="first-line-indent(8)"><seg source="#source-3772-3833">アーニイ・パイルの教訓</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3833-4210">この劇場の荘麗華美なるに対して、有楽座から日比谷映画劇場、喫茶カテイ、名物食堂にいたる東宝系一帯の地域が、如何に陰惨な、汚穢な塵溜めのような、掃除の行届かざるを実見して、親の心、子知らずと言うべきか、何という無神経であるかと口惜しく思うのみである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">この破壊された戦災地のあとには、仮小舎がそれからそれへと新築されて、まばゆき電灯のにぎやかな店かざり、あつものの香り、食欲をそそる見本品、奥より漏るるレコードは『林檎は何も言わないけれど、リンゴの気持はよくわかる、リンゴ可愛や可愛やリンゴ』……レコードに合せて流行唄を歌いながら歩く若い人達によって、賑う街の中に、我関せず焉として、焼残った東宝系の建物のみは暗闇である。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">もと日東紅茶の店は、進駐軍の図書室として花やかに輝く時、筋向うの喫茶カテイの洋館四階建は真暗である。四ツ角五階建名物食堂も真暗である。自力で無い、他人様のおなさけで、インフレ景気に有頂天になっている東宝には、その内部から他力本願の虚を衝いて、赤化を夢みる幻影が、スクリーンに映されんとしている。しかしながら、彼等は必ずや「アーニイ・パイル」の行届いた経営方式に驚倒し、その後塵を嘗めて、よちよちながらも学ばんとするに至るであろう。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">労働争議というがごとき、生々しい事実を取上げて、東宝を訓戒せんとするがごときは、私の目的ではない。聞くところによれば、この「アーニイ・パイル」なる名称は、労力に酬ゆる正当なる報酬であり、勲功に対する名誉の表彰であり、大衆の支持を象徴する公平なる結論であるという話である。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5832-6134">果して然らば、我等の東宝において、アーニイ・パイルの記念すべき名称を、東宝劇場の軒頭に掲げるに至ったことは、偶然の教訓的指示であるかもしれない。私はここにおいてアーニイ・パイルについて語るであろう。</seg></p>
        <p>「アーニイ・パイル」は太平洋戦争に参加したる米国一新聞の青年記者の姓名である。彼は不幸にして海戦のさ中に戦死した。然し、彼の綴れる通信記事は、全米を風靡して好評を博したのである。米国各新聞社から派遣せられた数百名の記者によって、送られたる通信記事の内容は、その冒険を競い、その敏捷を争い、その独自性をほこり、或は又美辞麗句、奇抜であり、意表に出ずる等々千差万別の裡にあって、彼は終始一貫、兵士と苦楽を共にしつつその兵士の行動、その生活、その信念、あるがままの本質と、真の姿をあらゆる角度から書いて、故国の同胞父兄に報告したのである。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6934-8402">その報告記事は、酒のごとく強くもなければ、香りも無い、酔うことの嬉しさも、眠ることの楽しみもない。しかし、酒は興味のある人、無い人、嗜む人、嫌な人もある。水に至っては、淡々として無味、何人も手を放すことの出来ない必要品であるごとくに、彼の通信は待ちこがれる水であったのである。恐らく太平洋戦争に参加したる陸、海、空、各方面綺羅星のごとき将官の数は数万人にのぼったであろう。そして、輝かしい戦功にともなう物語は、読者をして充分に満足せしめたであろう。然しながら、その数量において、上長官は兵士軍属の何十万分の一にすぎないのである。米国国内に於ける出征軍人の消息を待ちこがるるその家族の数も亦然り。即ち、その大多数を満足せしめたる青年記者アーニイ・パイルの通信は、米国大多数の出征家族をして感謝せしめ、礼讃せしめたのである。流石に民主主義の本家である米国としては、最大多数によって感謝せられたる代表的新聞記者としてのアーニイ・パイルを表彰すべく、この劇場に命名したることは、わが国のごとき一将功名成って万骨枯るるを怪しまざる官尊民卑の風習に対して、善い教訓であると思うのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 8em" rend="first-line-indent(8)"><seg source="#source-8402-8448">老いの繰り言</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私はいろいろの方面から「アーニイ・パイル」の感激に刺戟されつつ、それからそれへと、連想を逞しうしつつ、日比谷の交叉点に出たのである。交叉点の一角を占有している千四百余坪に上る空地に、私の計画した東宝文芸会館の構想は、今や青写真の残骸となって、書斎の一隅に永久に眠っている。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8861-9487">上野の公園における各種の展覧会や、図書館や、凡そこの種の文化的施設を、市井の中心地にあって市民の生活と密接に終始すべき理想により、この地を選んで新築せんとしたのである。日支事変のために、その計画を中止したのみならず、東京電灯に帰すべきその用地の大半は、航空会社に徴用され、辛うじて三角尖端の枢要地六百余坪を所有しえたるも、これまた戦局の進展とともに航空会社に包容せらるるにいたって、私の空想は一場の夢と化し終った。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9487-9968">その用地の境内に立って、日比谷公園から宮城方面の暮れゆく夏の夜の黒い樹木の上には、折柄片破れ月が澄みきった星空に光っている。右隣にそびゆる第一生命の白亜館が、浮き城のように巍然として輝いているのを見上げながら、ここが連合軍の司令部であり、わが国に平和を与えた救いの神マッカーサー元帥の事務所であることに敬意を表する。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9968-10555">第一生命のこの建物は、旧社長矢野翁心血の結晶であって、この戦争に巻込まれなかったならば、恐らく世界における有数優秀保険会社の一つとして、わが国の誇るべき大会社であったのである。私は、かつてこの会社の重役の一人として多年出入した関係から、この内部の堅固さと壮麗さとに対しては満足して居ったのであるが、マッカーサー元帥がこれを使用して以来、更に一層綺麗になったという話をきいて驚いたのである。</seg></p>
        <p>『我々は綺麗だとか、清潔だとかについて、限度の無いことを知らなかった。綺麗、清潔と言うても凡そ事務所の建物としては、ある程度の標準で満足して居ったのであるが、マッカーサー元帥司令部の掃除というものは、徹底的で、我々の考えとは天地の差があるのに驚いた。毎日毎日、一日も欠かさない、各階の掃除にはそれぞれ専門の軍人がいる。それも尉官級、佐官級であるらしい。そして各階の責任者が一応掃除のすんだことを報告すると、その上長官の一人が、更に全部を一巡して検視するのであるから……』</p>
        <p><seg source="#source-11262-11411">と、いう話を、石坂社長から聞いて、その学ばねばならぬことの多々益々多きを感ぜざるを得ないのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11411-11680">その綺麗さと、掃除の行届いたことと、ここにもまた眼の前、鼻の先に開展した好個の対照物について、私は老いの繰り言を、こぼさざるを得ないのである。それは東京会館と帝国劇場とである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-11680-12324">この二つの建物は昭和十一年、世界を一周して帰国すると、ただちにその理想を実現せんとして買収したものである。東京会館は現に、進駐軍の使用によって見ちがえるように花やかに、立派に、綺麗になっている。私の孫の大学生は、英語の勉強のために勤労者の一人として働いている。彼は命ぜらるる時間通り働きづめに働いている。ぼんやりと手を空しうして、油を売る時間の無いように、順序よく働かせらるるのに満足しつつ、その得るところ大なるを喜んでいる。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-12324-12752">この東京会館の賑やかな、花やかな夜色に対して、帝劇のうす暗い周囲の光景を見るために、帝劇の屋上近い部屋の一隅に佇立したのである。そして帝劇附属館である四階建洋館の真暗な、沈黙せる建築を凝視すると、東宝の若い連中が、ここにも宝の持腐れを抱いて平然としているその呑気さに驚くのみである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">然し、帝劇そのものは、幸いにもバレエ「白鳥の湖」の開演中とあって、今しもチャイコフスキーの前奏曲が静かに、ゆるやかに、響き渡るのである。このクラシックのロシヤンバレエが、満員日延の興行であり、若い男女の事務員達が、嬉々として二十五円の入場料を払い大衆支持の盛況を呈していることは、帝劇買収当時の理想から見て、何という皮肉な現象であろう。敗戦の日本に主権は人民にありという新憲法が議会を通過し、民主主義は確定されて、「帝国劇場」という名称すらもピンと来ない時、私は過去を語らんとするのである。それは『なぜ帝国劇場を買収したか』について、今やその将来を杞憂するからである。</p>
        <p style="text-indent: 8em" rend="first-line-indent(8)"><seg source="#source-13611-13669">帝劇に夢みた私の計画</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-13669-13983">十年は一昔、丁度十年前に、私は、巴里の国立劇場グランドオペラに開催された海軍兵学校の慈善演劇会に、佐藤大使のお招きを受けて、大統領御臨席の夜会に出席したのである。日記によって、当夜の光景を回顧するであろう。</seg></p>
        <p>「正面の階段を入ると、両側に水兵がならんでいる。盛装の貴婦人と、紳士と海軍武官や外交官の御家族達で、婦人は裾をひいて半裸体、頭に冠のようなダイヤモンドの燦然たるリングを被っている。ルイ十四世時代の、芝居の舞台で見るような貴婦人も見受けた。昨夜この劇場にトラビヤタを見物した同一劇場とは思えないように変っている。オーケストラボックスは取払われ、舞台から客席まで、平面の大広間になっている。かれこれ二千人近くの来賓が芋を洗うように立っている。しかも静粛に何時間か立ちづめである。社交的訓練が行届いたものだと感心した。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-14753-15379">大統領のお席は、私達桟敷の二、三室ばかり隣の舞台に近い一室である。丁度十一時すこしすぎた頃、桟敷の裏の通路の両側に、兵学校の生徒が制服でお迎えしてならんでいる。ところどころ赤い飾りのある軍装の憲兵が警戒している。その中央を海軍大臣の御案内で、大統領閣下は燕尾服に赤い広幅の勲章のリボンを斜めに飾って、令夫人御同道にて入場あらせられるのを、私は外交官席の後に立ってお迎え申し上げたことは、何という偶然の幸福であろう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15379-15945">ラッパの音が高く響いたと思うと、あたりがいつとなく静かになり、水兵が二人、鎗を持って露払いのように先導して入場してくる。それから、二、三人の閣僚や、軍令部長などが大統領の前後に、三々五々群をなして、話しながら、平凡に、歩行をつづけ、外交官席に近づくと、一々握手したり、敬礼を受けたり、手軽に挨拶をせられて居られた。大統領夫人も亦同じく御如才なく、夫人方に握手せられておった。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-15945-16376">流石に自由を尊ぶ共和国の光景で、一寸想像が及ばない。不思議に思ったことは、この劇場つきのロジイの鍵を持っている老婆や、外套を預かる番人の老婦や、それ等の使用人が平然として、いつもの通り自分達の席に腰をかけて、大統領の御通行を見物して居るのは、習慣とは言え、日本に見られない図であった。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-16376-17443">大統領が御着席あらせられるその席の下の方に、臨時に出来たオーケストラから国歌の音楽が響き出すと、全員起立、音楽がすむと直ちに余興が始まる。海軍軍服を着た立派な司会者が現われて、音吐朗々、プログラム通り少しも休みなく進行する。舞台はいつもより数間奥深く飾られて、そこには仏蘭西の何とかいう昔の有名な船の内部が、舞台一面にかざられ、何段かの帆が、いくつもいくつも丸い柱にからまれている。そこに兵学校卒業生の新しい軍人が、これから遠洋航海に出発するというところから、余興が始まるのである。（余興は面白いけれど長くなるから省略する）余興の最後に、この国の第一流の俳優達を一々紹介して、一人ずつ舞台に出し、大統領に敬礼をなさしめお客様にも挨拶する。かれこれ二十人もならんだろう。誠に名誉のある嬉しい取扱いだと感心した。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-17443-17853">それがすむと、国歌の音楽に全員起立、大統領は御退席する。舞台の正面にオーケストラが浮上って、音楽になると、広間の客席にダンスが始まる。かくて、夜中の三時四時まで踊りつくして、朝方六時頃解散するという話であるが、払は佐藤大使のお帰り後、直ちに宿に帰ったのは二時頃であった。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">今夜は実によい見学をしたと喜んでいる。この度の旅行中に、かくのごとき思いもよらぬ収穫をえたことは、将来私の思想と文章の上に、どんなにか影響するだろう。いろいろ考えさせられたのである。」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-18134-19012">この劇場に大統領が臨席されたように、日本においても、一つ位営利を離れて、社交の中心となる劇場が必要である。そうだ、日本に帰ったならば帝劇を買収して、高貴の御方や、貴顕紳士の社交場として、東京会館と相俟って、文化の殿堂を建設しよう。日本の社交は、今なお花柳界の力をかりるにあらざれば乾燥無味で、成立しない現状である。そこに、新橋柳橋赤坂は言わずもがな、清く、正しく、美しい社交的施設がゼロであるからである。私はまず第一に、社交の中心を帝国劇場に引寄せ、そこに重点的に、あらゆる施設を充実せしむることが出来るならば、花柳社会の陰影から、明朗高潔の天地を築き上げることができると確信した。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19012-19650">そして、東京会館と帝劇とを買収すると同時に、も一つ、八層高楼の帝劇会館を右側の空地に建設し、地下道による東京会館と、高橋による帝劇会館との連絡を左右に結び、中央帝劇をして国際的公会堂の性質を持たせ、集会宴席は勿論、公共的であり、倶楽部的であり、個人および国際の便益に奉仕し、ここに芸能本陣の最高峰を築き上げて見たい――という理想は、日支事変と共に一片の反古として葬られ、帝劇会館の青写真は紙屑となって竹中工務店に寝ている。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-19650-20726">帝劇を美麗宏壮に改装すべき夢は破れて、一度は情報局に徴用され、大政翼賛会に利用され、見る影もなき廃墟的存在に蹴落されたのであるが、今や辛うじて復興の緒にこぎ着けたばかりの、哀むべき帝劇の、そのみすぼらしい姿に直面しながらも、私は心ゆくばかり、コオル・ド・バレエやバ・ド・ドウの男性美の豊さに驚喜し、リリストの花やかさを満喫し、恍惚として昔ながらの、若き血のほとばしる快感に満足しつつ、田村支配人の部屋で、その成功を賞め、この企画に活躍した蘆原英了君の努力に敬意を表したのである。蘆原君は、私の宝塚時代可愛いい坊ちゃんで、ファンの一人であった。田村支配人は、麗人入江たか子の主人であり、夫婦雛の典型的美男美女として有名であることよりも、彼等は、劇界の旧習から離脱し、超越して人間味深く、その情艶は同人を羨ませている。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-20726-21279">私は支配人室でサンドウィッチのお弁当をすませ、第四幕オデット姫の助力によって魔法使いロットバルトを刺殺し、舞台が明るくなって、暁近い湖面の背景の前に、王子ジイグフリードと、王女オデット姫と抱き合う最後の感激を見て、帝劇を出ずる時、しばしば振返って別れを惜しまざるを得ないのであった。それは、帝劇再興の私の計画が、又しても徒労に帰せんとする運命を自覚したからである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 8em" rend="first-line-indent(8)"><seg source="#source-21279-21334">洋楽と邦楽について</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21334-21630">帝劇ぐらい、営利的興行の立場から経営至難の劇場は少いであろう。大劇場による収容人員を標準にして、各劇団が組織せられているから、僅かに千人近い客席を持つ帝劇の立場が至難であることは自明の理である。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21630-21917">そこで、私はわが国放送局の事業に対し、当然革命的胎動の起りうる機運を逸すべからざるを痛感した。帝劇こそ、正に、我々民間人の創設すべき放送局の候補地であるべきを空想せざるを得ないからである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21917-21964">民間放送局！　の夢は破れた。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-21964-22308">この八月の上旬から、軽い胃腸カタルに冒されて横臥した。家人からは鬼のカクランだと嘲笑されたにもかかわらず、私自身は五、六日静養のやむを得ざる機会に、非常な拾いものをした。それは退屈まぎれに朝から晩までラジオを聞いたことである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22308-22877">放送の種類と、内容と、前々からその貧弱さは承知して居ったが、一日聞いていると、如何にもなさけない程その低級さと貧弱さがわかって、結局日本の音楽そのものの本質よりも、我々が日常使用している言葉と、その対話、その演説は、これでよいのだろうかという疑問を抱くことになる。米人の偉大なる体格美を仰ぎ見て、我々の繊弱な素質を危ぶむごとくに、精神的低迷の瀬戸際に立たざるをえないのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-22877-23461">洋楽の優秀なることは、何人も異議のない点であるが、さりとて、日本音楽も亦捨て難き情緒ありなぞと、自己満足をする時代ではないことも心得ている。心得ておりながらモットよい音楽がほしい、出来るかもしれない、世界共通の音階と譜面と、その融和性とは、かならず新日本の音楽が生れ、独特の国民性は何かの機会において顕れるであろう、という気長い心持からも、私はそう失望ばかりしては居らなかったのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-23461-24120">然るに、今度こそは断然見限らざるを得なかった。それは進駐軍のラジオを連日聞いたからである。彼等の組織的プログラムの整然としてバラエティに富み、その内容の充実したる、何曜日何時には何か聴けると待ちこがれる音楽の楽しさ。私は唖の旅行において、外国の芝居や、寄席や、あらゆる興行ものを見聞した時は、深く感じなかったが、彼等のラジオ芸術の普及的勢力と、面白く引きつけてゆく企画など、これは断じて太刀打ちの出来ない非常な距離のあることに心づいた。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-24120-24647">私のような皆目、外国語が判らない老人においてすらも、進駐軍のラジオを聴いていると音楽は勿論のこと、そのすべてのものを受入れられて愉快である。若い人達は、殊に米国語に興味を持ち、これを理解する人、理解しなくとも理解し得る素質を持ってる人達は、日本のラジオなどバカバカしくて、聞いて居られない時代が来るのも、そう遠くはあるまいと思う。必ず来るであろう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-24647-25000">果してしからば、私達が放送局を改革して、放送すべきその内容のあらゆる芸術を革新向上せしめ得る前に、否な、その革新向上を企てる必要がないことになって、国民の最大多数のクラスは、米国の放送を傾聴することになるかもしれないと思うのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25000-25530">必要は改革を産む、必要ならざるものに改革は望み得られない。我々は、鎌や、鋤や、鍬や、その農具の局部的改良進歩も必要であるかもしれないが、機械的農作が行わるるならば、それが増産の鍵であり、農民はその結果に満足しうるならば、局部的農具の改良は、この国の運命を左右し得ないごとくに、我々は米国のラジオによって、手取早く喰いつく時代が来るのではないだろうか。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-25530-25788">これは、若い人達に問わんとする私の注文である。長唄の勧進帳や、清元や、新内や、浪花節は、必ずしも消えてなくなるとは、誰しも思わないだろう。しかしこれを改革するとなると、Ｂ</seg><hi rend="text-combine-upright" snh:layout-kind="tcy" source="#source-25788-25819"><seg source="#source-25788-25790">29</seg></hi><seg source="#source-25819-26078">に原子爆弾に、なしうると思わざるごとくに、凡そ縁遠い日本音楽の改革なぞに、馬鹿力を入れる愚人は無いであろう。ここにおいて、民間放送局の空想はふき飛ばざるを得ないのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 8em" rend="first-line-indent(8)"><seg source="#source-26078-26133">米国映画と日本映画</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-26133-26351">帝劇を出て、私は有楽町駅前に新装し得たマンションクラブに、一夜の宿を借りるべく暗い大路小路をぞろぞろと、人群れの裡を押されながら歩いて行った。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-26351-26637">マンションクラブは、我々同人の集まる、袖すり合えば多生の縁ありという、その緑の下の力持ちをする同人達の息抜きクラブである。このクラブに泊ることが出来たゆえに、久しぶりで上京したのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-26637-27890">東宝大沢社長の御厚意によって、鮮かな通訳を煩わして、東上の主たる目的たる進駐軍Ｂ三百番ミス・アビロックの用事をすませ、東宝の本社へ同行した。折柄社長室には、東宝重役や幹部諸君が集まっておられたので、日本ラジオ悲観論を披露するとともにこの問題は直ちに映画の製作に一致すべき共通点があることを強調した。長谷川一夫、山田五十鈴のトリオが、如何に地方人を魅了し、優秀なる東宝色彩を維持しうるとしても、現在の映画企画は更に一歩を進めて、その観客層の請求に善処しなければ駄目であることを信じているからである。私のごとき無学な老人においてすらも、洋映画のタイトルも読めず、スクリーンの訳文にたよる低能な観客においてすらも、東宝、松竹、大映の千篇一律な古臭いものよりも、洋映画のもつ芸術味と、興味の深い筋の運び方、こんこんとして湧いてくる音楽の盛り上る力、俳優の真剣なる態度等々、何もかも、比較にならない程優越している米国映画の方が嬉しいのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-27890-29287">殊に遠からず天然色が輸入せらるる場合には、圧倒的に洋画の勢力に押えつけられることは、火を見るよりも明らかである。東宝の立場としては、現在のスター陣によって安閑たりうる時代ではないと思う。芝居にしても、映画にしても、彼等の御機嫌をとるよりも、彼等とともにお互いに自らを顧みて、奮励一番、改革をなすべき時である。たとえ一小部分なりとも、日本再建の使命をになう、映画界の指導者としての東宝は赤化組合に引ずられてまごつくよりも、全面的に御破算ですすむ大英断を必要とするときである。それには我々はハリウッドの企画製作監督等、敗戦国の今直ぐにどうするということは不可能であるとしても、その方面からの有力なる指導を得るために、工作する準備行為が必要である。現に、戦災復興院は優秀なる顧問採用に、その人選の交渉を進めている。東宝も亦、ハリウッドの新しい空気を入れることが急務である。然らざれば、放送において日本の出しものが軽視され、米軍の放送にさらってゆかれるごとくに、映画もまた同一運命に陥るものと信じている、という私の説明に対して、彼等は、</seg></p>
        <p>『誠に結構ですが、来て貰うならばハリウッド第一流の監督でなければ駄目だ。第二流以下では……』と、如何に理想は高い方がよいとしても、見当はずれの意見にこだわっている。第一流が来る筈もなければ、来られてはソロバンのけたがはずれて、倒産するに至るであろう。私は第二流第三流を問わない。彼等の新しい見方によって、新しい企画を樹てて貰うべしである。スターの誰彼と言わない。片隅にころがっている異彩ある新人が発見され、平凡でない却って変り種が利用されるかもしれない。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-29970-30616">それよりも、かれ等の眼に写った新しい見方から取りあげられた作品が、どんなに奇想天外であるかもしれない。私ならば議論より実行だ。彼等にはＰＣＬの旗印を立てて、松竹に肉迫した往年の勇気はない。守勢に立つ怯弱な方針に終始して、因循姑息でその日暮しの間に新進の敵手が現われて、かならず彼等を圧迫するに至るであろう。彼等には創造の智慧がない。積極的建設の勇気がない。唐様で書く三代目として、彼等の小賢しい態度を笑わざるを得ないのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-30616-31155">この日私は、偶然にも日活の堀社長に会った。私は彼により、社内の労働団体を拒みえた彼独特の議論を聞いて、微笑を禁ずる能わざるものがあった。蛮勇も亦徒労にあらざるを知る。すなわち彼に勧むるに、米人監督招聘の必要を強調し、撮影所を持たざる日活のゆく途は、大映との合同にあり、同時に東宝松竹三社鼎立の競技によって、老朽を打倒してゆく勇ましい映画界の前途を祝福した。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">彼は婦人のごとき温柔の面貌に、いささか紅潮をたたえて、底知れぬ図太き胆大心小の立居振舞い、唯々として『御高論御尤なり』と言う。喰えぬ男と知りながら、その愛嬌の無意味にあらざるを喜ぶのである。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-31447-31677">久方ぶりの東上に、不平もあり、癪に障ることもあれど、若い人達に会うことの楽しみは老いゆく心淋しさに、一服の清涼剤を与えられたるごとくに嬉しいのである。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">マンションクラブの一夜は、お隣から急雨のごとく響ききたる変電所の騒音に明けて、八時半の急行列車に乗る。有楽町駅から車窓に立って、「アーニイ・パイル」の屋上に挙手の黙礼をささげて大阪に帰るのである。（二一・九・三）</p>
      </div>
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        <note type="source-attribution" source="#source-32006-32197"><seg type="source-line">底本：「宝塚漫筆」阪急電鉄</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1980（昭和55）年2月15日発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「宝塚漫筆」実業之日本社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1955（昭和30）年6月20日発行</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-32197-32515"><seg type="source-line">入力：鈴木厚司</seg><lb/><seg type="source-line">校正：川山隆</seg><lb/><seg type="source-line">2007年12月21日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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      <note type="parser-completion" n="true">The n attribute is true when no parser diagnostic of error severity was raised for this source. What the converter could not interpret is recorded in the interpretation-problem and parser-diagnostic notes.</note>
      <note type="source-decoding">windows-31j</note>
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