Soranoha

最後の勝利者は誰ぞ

さいごのしょうりしゃはたぞ

北村 透谷

人生は戦争の歴史なり。刀鎗銃剣は戦争にあらず。人生即ち是れ戦争。世を殺せし者必らずしも虚栄に傲ほこる勝利者のみにはあらじ、力ある者は力なき者を殺し、権けんある者は権なき者を殺し、智ある者は智なき者を殺し、業げふある者は業なき者を殺し、世は陰晴常ならず、殺戮さつりくの奇巧なるものに至つては、晴天白日の下もとに巨万の民を殺しつゝあるなり。銃鳴り剣閃めき、戦血地を染め、腥風せいふう草樹を槁からすの時に、戦争の現状を見る、然しかれども肉眼の達せざるところ、常識の及ばざるところに、閃々たる剣火は絶ゆる時なきなり。

人の性は不調子なり、人の命は不規律なり、争ふ事を好むは猿猴ゑんこうよりも多く、満足する事能あたはざるは空の鳥に学ばざる可からざるが如し、是非曲直を論ずれども、我利の為に立論するの外を知らず、正邪真偽を説けども、遂に成覚の見けんを養ひし事なし、知らず、人間の運命遂つひにいかならむ。再び猿猴に返らんとするか。

われ庭鳥の食を争ふを見る、而して争ふ時には常に少者せうしやの逃走するを見る、少者は母鶏の尤も愛する者なり、而しかして慾の即時に於ては、尤も愛する者も尤も悪にくむ者となり、最後、尤も劣れるもの、尤も敗るゝ者となる。これ天則か。天則果して斯かくの如く偏曲なる可きか。請ふ、行ゆいて生活の敗者に問へ、新堀しんぼりあたりの九尺二間には、迂濶うくわつなる哲学者に勝れる説明を為すもの多かるべし。

冷淡なる社界論者は言ふ、勝敗は即ち社界分業の結果なり、彼等の敗るゝは敗るべきの理ありて敗れ、他の勝者の勝つは勝つべきの理ありて勝つなり、怠慢、失錯、魯鈍、無策等は敗滅の基なり、勤勉、力行、智策兼備なるは栄達の始めなりと。

われは信ぜず、天地の経綸はひとり社界経済の手にあるを。見ずや、栄達の中うちにも苦悩あるを、敗滅の中にも希望あるを。栄達必らずしも勝つにあらず、敗滅必らずしも敗るゝにあらず、王侯の第宅必らずしも福神を宿すところなるにあらず、茅舎の中、寒燈の下、至大なる清栄を感謝するものもあるなり。今日のみ凡すべての問題の立論点ならば知らず、昨日を知り、又た明日を知るを得ば、勝敗が今日の貧富貴賤を以て断ず可からざる事は明白ならむ。

社界経済の外に吾人を経綸する者あり、吾人は分業の結果を以て甘心する事能はざるの性を有す、吾人は遂に希望を以て生命とするの外あらざるなり。今日は吾人の永久にあらず。今日は吾人の明日にあらず、言ことばを換へて解けば、吾人は今日の為に生きず、明日の為に生くるなり、明日は即ち永遠の始めにして、明日といへる希望は即ち永遠の希望なり。希望は吾人に囁さゝやきて曰ふ、世は如何いかに不調子なりとも、世は如何に不公平、不平等なりとも、世は如何に戦争の娑婆しやばなりとも、別に一貫せるコンシステント(調実)なる者あり。人生のいかに紛糾ふんきうせるにも拘かゝはらず、金星は飛んで地球の上に堕ちざるなり、彗星は駆けつて太陽の光りを争はざるなり。大宇宙に純一なるコンシステンシイあるは、流星の時に地上に乱堕するを以て疑ふに足らざるなり。江海の水溢れて天に注ぐ事なく、泰山の土長く地上に住とゞまることを知らば、地上にも亦またコンシステンシイの争ふ可からざる者あるを悟らざらめや。何をか調実の物と言ふ、マホメット説けり、釈氏説けり、真如と呼び、真理と称へ、東西の哲学者が説明を試みて止やまざる者即ち是これなり。而して吾人は之を基督といふ。基督にありて吾人は調実を求め、基督にありて吾人は宇宙の経綸を知る。ナザレのイヱスは真理を説きたるにあらず、真理にして真理を発顕したる者なり。

基督の経綸には社界分業の法則あらざるなり。社界経済は人間の労苦より起りて、弥縫びほうの策に過ぎず、彼と此とを或仮説の法則の下に、定限ある時間の間撞突なからしむるのみ。経済上の問題として世を経営するは寸時の方策のみ。基督の経綸は永遠なり。未来あらず、現在あらず、過去あらざるなり。凡ての未来、凡ての現在、凡ての過去は彼に於て一時のみ。もし天地間、調実コンシステントなるものひとり彼ありとせば、心を虚むなしうして彼の経綸策を講ずる者、豈あに智ならずや。

吾人は聞けり、基督は愛なりと。

吾人は聞けり、基督は今も生けりと。

吾人は聞けり、基督は凡ての人類と共にありと。

凡ての人類と共にあり、限りなきの生命いのちを以て限りなきの愛を有する者、基督なりとせば、天地の事、豈一ひとつの愛を以て経綸すべしとなさゞらんや。紛糾せる人生もし吾人をも紛糾の中に埋了し去らば、吾人も亦た〔「月+(「亶」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」)」〕血せんけつを被かうぶるの運を甘んずべし、然れども希望の影吾人を離れざる間は、理想の鈴胸の中に鳴ることの止まざる間は、吾人は基督の経綸を待つに楽しきなり。

博愛は人生に於ける天国の光芒なり、人生の戦争に対する仲裁の密使なり、彼は美姫びきなり、この世の美くしさにあらず、天国の美くしさなり、死にも笑ひ、生にも笑ふ事を得る美姫なれども、相争ひ相傷くる者に遭ひては、万斛ばんこくの紅涙を惜しまざる者なり。味方の為に泣かず、敵の為に笑はず、天地に敵といふ観念なく、味方といふ思想あらざるなり。基督が世に遣やれる政治家は即ち彼なり。

世は相戦ふ、人は相争ふ、戦ふに尽くる期あるか。争ふに終る時あるか。殺す者は殺さるゝ者となり、殺さるゝ者は再また殺す者となる。勝と敗と誰れか之を決する。シイザルの勝利、拿翁ナポレオンの勝利、指を屈すれば幾十年に過ぎず、これも亦た蝴蝶の夢か。誰れか最後の勝利者たる、誰れか永久の勝利者たる。

不調実インコンシステンシイにして戦争の泉源なりとせば、調実は平和の始めなり。争はず戦はざる事を得るはひとり調実なりとせば、終つひに勝たず終に敗れざる者、ひとり調実のみならむ。終に勝たず終に敗れざる者は、真に勝つものにあらざるを得んや。故に曰く、最後の勝利者は調実なりと。調実、言を換ゆれば真理、再言すれば基督。

来れ、共に基督の旗に簇あつまらむ。われら最後の勝利者に従ひ、以てわれらの紛糾せる戦争の舞台を撤去せむ。平和は、われらが基督にありて領有する最後の武器なり。

(明治二十五年五月)

底本 / Source edition

底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 二號」平和社(日本平和會)
1892(明治25)年5月18日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2008年1月25日作成
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書誌 / Bibliography
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北村 透谷「最後の勝利者は誰ぞ」(新字旧仮名)、底本『現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集』筑摩書房、1969年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046583_000157, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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