三千年を流るゝ長江<ruby><rb>漫𣾘</rb><rt>まんばう</rt></ruby>たり、其始めは神委にして、極めて自然なる<ruby><rb>悖生</rb><rt>ぼつせい</rt></ruby>にゆだねたり、仲頃、唐宋の学芸を誘引し、<ruby><rb>印度</rb><rt>インド</rt></ruby>の幽玄なる哲学的宗教に化育せられたりと<ruby><rb>雖</rb><rt>いへども</rt></ruby>、<ruby><rb>凡</rb><rt>すべ</rt></ruby>ての<ruby><rb>羣流</rb><rt>ぐんりう</rt></ruby>、凡ての<ruby><rb>涓澮</rb><rt>けんくわい</rt></ruby>を合せて、長江は依然として長江なり。満土を肥沃し、生霊を育成し、以て今日に至らしむ、この長江、<ruby><rb>豈</rb><rt>あ</rt></ruby>に維新の革命によりて埋了し去ることあらんや。

われは心酔せる欧化思想を抱けるものにあらず、我国固有の思想なる三千年来の長江は、我<ruby><rb>軽舸</rb><rt>けいか</rt></ruby>を載せて<ruby><rb>奔</rb><rt>はし</rt></ruby>らしむるに<ruby><rb>宜</rb><rt>よろ</rt></ruby>しきを知るは、世に<ruby><rb>所謂</rb><rt>いはゆる</rt></ruby>国粋論者なる者に譲るところなきを信ず、然るも彼の舶載せるものと云へばいかなる者をも排斥し尽さんと計るものには、同情を呈する事<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>はず、<ruby><rb>況</rb><rt>いは</rt></ruby>んや、気宇<ruby><rb>甕</rb><rt>かめ</rt></ruby>の如く<ruby><rb>窄</rb><rt>せま</rt></ruby>き攘夷思想の一流と感を共にする事、余輩の断じて為すこと能はざるところなり。

余輩は綿々たる我皇統を歴史上に於て<ruby><rb>倨負</rb><rt>きよふ</rt></ruby>するの念なきにあらず、然れども滔々たる世界の共和思想の逆流に立つて、どこまでも旧来の面目を新にする<ruby><rb>勿</rb><rt>なか</rt></ruby>らん事を、熱望するものにはあらず、要するに世界の進歩の巨渦に<ruby><rb>遡</rb><rt>さから</rt></ruby>つて吾運命を<ruby><rb>形</rb><rt>かたちづ</rt></ruby>くる事は、人力の為す可からざるところなるが故に、吾人は思想上に於て<ruby><rb>苟</rb><rt>いやし</rt></ruby>くも世界の大勢に駆らるゝ事ある時には、甘んじて其流勢に随はんと欲するものなり。

吾人は我邦の公共事業の舞台に立つて<ruby><rb>役者</rb><rt>えきしや</rt></ruby>たる者が、少しく気局を<ruby><rb>濶大</rb><rt>くわつだい</rt></ruby>にせん事を願うて止まざるなり、之を政治家に例すれば、県治の政事海にあるものは論争常に県治の中に<ruby><rb>跼蹐</rb><rt>きよくせき</rt></ruby>し、之れを全国の政事海に徴すれば、奔馬常に狭少なる民吏の競塲に<ruby><rb>惴々</rb><rt>ずゐ〱</rt></ruby>たるに過ぎざるなり。

高言壮語を以て一世を<ruby><rb>籠絡</rb><rt>ろうらく</rt></ruby>するを、男児の事業と心得るものは多し、静思黙考して人間の霊職を<ruby><rb>崇</rb><rt>たか</rt></ruby>うせんと企つる者は、いづくにある。東西両大分割の未来の勝敗を算して、おもむろに邦家の為に熱血を<ruby><rb>灑</rb><rt>そゝ</rt></ruby>ぐものいづくにある。<ruby><rb>杳遠</rb><rt>えうゑん</rt></ruby>なる理想境を観念して、危淵に臨める群盲の衆生を<ruby><rb>憂唫</rb><rt>いうぎん</rt></ruby>する者、いづくにある。

自然の<ruby><rb>趨勢</rb><rt>すうせい</rt></ruby>は逆ふこと能はず、吾は彼の一種の攘夷論者と共に言を大にし語を壮にして、東洋の危機を隠蔽せんとするにあらず、もし<ruby><rb>詳</rb><rt>つまびら</rt></ruby>かに吾が宗教、吾が政治、吾が思想、吾が学術を究察する時は、遺憾ながらも、吾は優勝劣敗の舞台に立つて遜色なき事能はず、未来に於て<ruby><rb>我</rb><rt>わが</rt></ruby>豊葦原の民族の消長いかんは、今之を断ずることを得ざれども、此儘にして推し行かば、遂に自然の結局を<ruby><rb>奈何</rb><rt>いかん</rt></ruby>ともすべきなからむか。

つら〱思ふに、寂滅為楽の幽妙なる仏味と宗教的虚無思想が吾人の中に存して、吾人の生霊を支配せし事久し、貴族的思想の族長制度と印度教との父母より生れて、堅く其地歩を占め、以て平民的共和思想の発達を妨げ居たる事も既に久し、空漠たる大空を理想とする想像に富める哲学者は多けれど、最後の円満なる大理想境に思ひを<ruby><rb>馳</rb><rt>は</rt></ruby>する者はあらず、何事も消極的に退縮して、人生の霊現なる実存を<ruby><rb>証</rb><rt>あかし</rt></ruby>することなく、徒らに虚無<ruby><rb>縹渺</rb><rt>へう〲</rt></ruby>の来世を頼む、斯の如くにして活気なき国民となり、萎縮しやすき民人となりて、今日の形勢には推し及びぬ。

われらが尤も悲しく思ふは、一国の<ruby><rb>脊膸</rb><rt>せきずゐ</rt></ruby>なる宗教の力の虚飾に流れ、儀式に落ち、活きたる実際的能力を<ruby><rb>消耗</rb><rt>せうかう</rt></ruby>し去りたる事なり、耶教は近く入れり、故に深く責むべからずと雖、其入りたる後の有様を言へば、満足すべき結果には遠し、仏教は漸く其質を変じて哲学的趣味を専らにし、到底人間を仮偽の虚栄世界、貪慾世界、迷盲世界より救ひ出して、実在の荘厳なる円満境に引誘するの望みなし。而して一種の攘夷論者は此有様を以て上々なる社界の組織と認め、永遠にのぞみをかくべき邦家ぞと信ず。

欧洲の文明国と関聯して得たる利益は、いづくにありや。荒縦なる仏国<ruby><rb>生</rb><rt>うまれ</rt></ruby>の自由主義、我に於て甚だ有難からず、絶望より転化し来れる独露あたりの虚無思想、我に於て得るところありと云ふ可からず、頑迷にして局量狭き宣教師的基督教思想の我国に益せしことのすくなきは、世の人の<ruby><rb>普</rb><rt>あま</rt></ruby>ねく認むるところ、法政経済等の諸科学は、未だ以て我国の未来の運命を確固にしたりとは言ふべからず。欧洲今日の毒弊として識者の痛斥すなる皮相文明の輸入、吾人にとりて何かあらむ。此点に於て吾人は、吾党の攘夷論者と同情なきにあらず、然るも吾人の輸入を<ruby><rb>厭</rb><rt>いと</rt></ruby>ふは、攘夷といへる一般の<ruby><rb>厭忌</rb><rt>えんき</rt></ruby>にあらずして、攘偽文明といへる特種の性質を帯びて、欧洲の文明国にあるものとし言へば直ちに輸入し来らんとする<ruby><rb>軽佻</rb><rt>けいてう</rt></ruby>なる欧化主義者流と反対の位置に立たんとするものなり。

然れども<ruby><rb>倘</rb><rt>も</rt></ruby>し夫れ、彼にありて極めて高潔、極めて荘重なる事業と認むべき者あらば、吾人は邦と邦との隔離を遺忘するに<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ちうちよ</rt></ruby>せざるなり。吾人は東洋の一端に棲居するが故に欧洲の大勢を<ruby><rb>顧眄</rb><rt>こべん</rt></ruby>するの要なしと信ずる一種の攘夷論者の愚を、笑はんとす、世界は日に<ruby><rb>狭</rb><rt>せば</rt></ruby>まり行きて、今日の英国は往日の英国の距離にあらざる事を思ふべし、況んや理想境には遠近なきものを。彼の事業もし我が理想境の事業と同致ならば、我は奮つて彼の事業を<ruby><rb>佐</rb><rt>たす</rt></ruby>くべし、彼の事業もし我理想境と背馳せば、吾は奮つて彼の事業を打破すべし、此点に於て我等は、一種の攘夷思想と趣を同うする事能はず。

世界万邦の思想は、相接引するの時となれり、東西南北の区劃は政治地図の上にこそ見れ、内部文明には斯かる地図なからんとす、この好時代に生れて、思想界に足を投ずるの栄を得たるもの、誰か<ruby><rb>徒為</rb><rt>いたづら</rt></ruby>に旧思想を墨守し、<ruby><rb>狭隘</rb><rt>けふあい</rt></ruby>なる国家主義を金城鉄壁と<ruby><rb>崇</rb><rt>あが</rt></ruby>め、己れと己れの天地を<ruby><rb>蠖屈</rb><rt>くわくくつ</rt></ruby>の<ruby><rb>窄</rb><rt>せま</rt></ruby>きに甘んぜんとするものぞ。

幽玄なる哲学者カントが始めて万国仲裁の事を唱へてより、漸く欧洲の思想家、宗教家、政治家等をして、実際に平和の仲裁法の行はるべきを確信せしめたり。十九世紀の当初、米国に平和協会の設立ありてより英独仏以西等の諸国雷応して、この理想を貫かん事を<ruby><rb>力</rb><rt>つと</rt></ruby>む、ブライト、コムデンの輩は英国に起りて熱心に此理想を実行せん事を図り、大陸の大政治家も亦た<ruby><rb>頻</rb><rt>しき</rt></ruby>りに此理想を唱道せり。

人は理想あるが故に<ruby><rb>貴</rb><rt>たふと</rt></ruby>かるべし、もし実在の仮偽なる境遇に満足し了る事を得るものならば、吾人は人間の霊なる<ruby><rb>価直</rb><rt>かち</rt></ruby>を知るに苦しむなり。理想なくては希望もあるまじ、希望なくては生命もあるまじ、唯だ理想あるのみにては何の善きを見ず、吾人は理想を抱くと共に、理想の終極まで貫き到らん事を望むべきなり。

日本には外交の憂患<ruby><rb>尠</rb><rt>すくな</rt></ruby>し、故に平和協会の必要を見ずと云ふ論者多し、これ<ruby><rb>将</rb><rt>は</rt></ruby>た一種の攘夷論者にあらざらんや。日本は天照皇大神以来の神国なれば<ruby><rb>外寇</rb><rt>ぐわいこう</rt></ruby>の<ruby><rb>懼</rb><rt>おそ</rt></ruby>るべきものなし、故に平和主義の必要を見るなしと言ふは純然たる攘夷論者の言分なるが、これらの論者は強ひて<ruby><rb>咎</rb><rt>とが</rt></ruby>むべきにあらず、前に言ひし一種の攘夷思想を抱けるものは、今日の新鮮なる生気を以て立てる宗教家、思想家の中に多きを見て、慨歎なき能はず。欧洲の思想家、宗教家は日本を以て、新思想<ruby><rb>悖如</rb><rt>ぼつじよ</rt></ruby>として欧洲に<ruby><rb>対峙</rb><rt>たいぢ</rt></ruby>すべき覚悟あるものと<ruby><rb>見做</rb><rt>みな</rt></ruby>しつ、遊説者を派して、平和協会に応援するところあらしめんとせり、而して吾人もし、我邦は世界の極端にあるが故に、世界の出来事と世界の運命には<ruby><rb>関</rb><rt>かゝは</rt></ruby>り知るところあらずと言ひて、この高潔偉大なる事業に力を借すことなければ、彼等果して我を何とか言はむ。

直接に<ruby><rb>痛痒</rb><rt>つうやう</rt></ruby>を感ぜざればとて、遠大なる事業を<ruby><rb>斥</rb><rt>しりぞ</rt></ruby>くべきにあらず、況んや欧洲のみに戦争の毒気<ruby><rb>盈</rb><rt>み</rt></ruby>つるにあらずして、東洋も亦た早晩、<ruby><rb>修羅</rb><rt>しゆら</rt></ruby>の<ruby><rb>巷</rb><rt>ちまた</rt></ruby>と化して塵滅するの時なきにしもあらず、いかんぞ対岸の火を見て、手を袖にするが如きを得んや。

且つ夫れ、東洋と西洋といづれの<ruby><rb>業</rb><rt>わざ</rt></ruby>にも相離反するを免かれざるは、思想あるものゝ<ruby><rb>太</rb><rt>いた</rt></ruby>く憂ふるところなり、つひには東西の相共に立つ可からざるは源平二氏の両立すること能はざるが如くなりはてんは、うたてからずや。この時にあたりて、この平和協会の事業の如く、東西の思想家が心を一にし、力を<ruby><rb>協</rb><rt>あ</rt></ruby>はせて、神聖なる道心を以て、相提携するを得るは、<ruby><rb>豈</rb><rt>あに</rt></ruby>快なりと言はざる可けんや。われらは宗教を以て、講談の<ruby><rb>囈語</rb><rt>げいご</rt></ruby>にて終るべきものとは思はず、正統非正統の論争、遂に黒白を分つの要あるを知らず、吾人の前に<ruby><rb>横</rb><rt>よこた</rt></ruby>はれる実際問題の、斯くの如く重大なる者あるを軽んじて、空しく宗教の談理をなす人々の為に、惜まざるを得ざるなり。

（明治二十五年六月）