Soranoha

歌よみに与ふる書

うたよみにあたうるしょ

正岡 子規

歌よみに与ふる書

仰おおせのごとく近来和歌は一向に振ふるい不申もうさず候。正直に申し候えば『万葉』以来、実朝さねとも以来、一向に振い不申候。実朝という人は三十にも足らでいざこれからというところにてあえなき最期を遂げられまことに残念致し候。あの人をして今十年も活いかしておいたならどんなに名歌を沢山たくさん残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存ぞんじ候。あながち人丸ひとまろ、赤人あかひとの余唾よだを舐ねぶるでもなく、もとより貫之つらゆき、定家ていかの糟粕そうはくをしゃぶるでもなく自己の本領屹然きつぜんとして山岳と高きを争い日月と光を競うところ実に畏おそるべく尊むべく覚えず膝ひざを屈するの思い有之これあり候。古来凡庸ぼんようの人と評し来きたりしは必ず誤あやまりなるべく、北条ほうじょう氏を憚はばかりて韜晦とうかいせし人かさらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は人間としては下等の地に居るが通例なれども、実朝は全く例外の人に相違無之これなく候。何ゆえと申すに、実朝の歌はただ器用というのではなく力量あり見識あり威勢いせいあり、時流に染まず世間に媚こびざるところ例の物数奇ものずき連中や死に歌よみの公卿くげ達ととても同日には論じがたく、人間として立派な見識のある人間ならでは実朝の歌のごとき力ある歌は詠みいでられまじく候。真淵まぶちは力を極めて実朝をほめた人なれども真淵のほめ方はまだ足らぬように存ぞんじ候。真淵は実朝の歌の妙味の半面を知りて他の半面を知らざりしゆえに可有之これあるべく候。

真淵は歌につきては近世の達見家にて『万葉』崇拝のところなど当時にありて実にえらいものに有之これあり候えども、生せいらの眼より見ればなお『万葉』をも褒め足らぬ心地致候。真淵が『万葉』にも善よき調しらべあり悪あしき調ありということをいたく気にして繰り返し申し候は世人が『万葉』中の佶屈きっくつなる歌を取りて「これだから万葉はだめだ」などと攻撃するを恐れたるかと相あい見え申もうし候。もとより真淵自身もそれらを善き歌とは思わざりしゆえに弱みもいで候いけん。しかしながら世人が佶屈と申す『万葉』の歌や真淵が悪き調と申す『万葉』の歌の中には生の最も好む歌も有之と存ぜられ候。そをいかにというに他の人は言うまでもなく真淵の歌にも生が好むところの万葉調というものは一向に見当みあたり不申候。(もっともこの辺の論は短歌につきての論と御承知可被下くださるべく候)真淵の家集を見て真淵は存外に『万葉』の分わからぬ人と呆あきれ申候。かく申し候とて全く真淵をけなす訳にては無之候。楫取魚彦かとりなひこは『万葉』を模したる歌を多く詠みいでたれど、なおこれと思うものは極めて少すくなく候。さほどに古調は擬しがたきにやと疑い居り候ところ、近来生らの相知れる人の中に歌よみにはあらでかえって古調を巧たくみに模する人少からぬことを知り申候。これによりて観みれば、昔の歌よみの歌は今の歌よみならぬ人の歌よりも遥はるかに劣り候やらんと心細く相成あいなり申候。さて今の歌よみの歌は昔の歌よみの歌よりも更に劣り候わんにはいかが申すべき。

長歌のみはやや短歌と異なり申候。『古今集』の長歌などは箸はしにも棒にもかからず候えども、かような長歌は『古今集』時代にも後世にもあまり流行はやらざりしこそもっけの幸さいわいと存ぜられ候なれ。されば後世にても長歌を詠む者にはただちに『万葉』を師とする者多く、従ってかなりの作を見受け申候。今日とても長歌を好んで作る者は短歌に比すれば多少手際善てぎわよく出来申候。(御歌会派おうたかいはの気まぐれに作る長歌などは端唄はうたにも劣り申候)しかしある人は難じて長歌が『万葉』の模型を離るるあたわざるを笑い申候。それももっともには候えども、歌よみにそんなむつかしいことを注文致し候わば『古今』以後ほとんど新しい歌がないと申さねば相成間敷あいなるまじく候。なおいろいろ申し残したることは後鴻こうこうに譲り申候。不具。〔『日本』明治三十一年二月十二日〕

再び歌よみに与ふる書

貫之つらゆきは下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之これあり候。その貫之や『古今集』を崇拝するはまことに気の知れぬことなどと申すものの、実はかく申す生せいも数年前までは『古今集』崇拝の一人にて候そうらいしかば、今日世人が『古今集』を崇拝する気味合きみあいはよく存申ぞんじもうし候。崇拝して居る間はまことに歌というものは優美にて『古今集』はことにその粋すいを抜きたるものとのみ存候いしも三年の恋一朝いっちょうにさめてみればあんな意気地いくじのない女に今までばかされて居ったことかとくやしくも腹立たしく相成あいなり候。まず『古今集』という書を取りて第一枚を開くとただちに「去年こぞとやいはん今年とやいはん」という歌が出て来る実に呆あきれ返った無趣味の歌に有之候。日本人と外国人との合の子を日本人とや申さん外国人とや申さんとしゃれたると同じことにて、しゃれにもならぬつまらぬ歌に候。このほかの歌とても大同小異にて駄洒落だじゃれか理屈ッぽいもののみに有之候。それでも強しいて『古今集』をほめて言わばつまらぬ歌ながら『万葉』以外に一風を成したるところは取得とりえにて、いかなる者にても始めての者は珍らしく覚え申候。ただこれを真似まねるをのみ芸とする後世の奴こそ気の知れぬ奴には候なれ。それも十年か二十年のことならともかくも、二百年たっても三百年たってもその糟粕そうはくを嘗なめて居る不見識には驚き入いり候。何代集の彼かン代集のと申しても皆『古今』の糟粕の糟粕の糟粕の糟粕ばかりに御座ござ候。

貫之とても同じことに候。歌らしき歌は一首も相あい見え不申もうさず候。かつてある人にかく申し候ところその人が「川風寒く千鳥鳴くなり」の歌はいかがにやと申され閉口致いたし候。この歌ばかりは趣味ある面白き歌に候。しかしほかにはこれくらいのもの一首もあるまじく候。「空に知られぬ雪」とは駄洒落にて候。「人はいさ心もしらず」とは浅はかなる言いざまと存候。但ただし貫之は始めてかようなことを申候者にて古人の糟粕にては無之これなく候。詩にて申候えば『古今集』時代は宋そう時代にもたぐえ申すべく俗気紛々ふんぷんと致し居おり候ところはとても唐詩とうしとくらぶべくも無之候えども、さりとてそれを宋の特色として見れば全体の上より変化あるも面白く、宋はそれにてよろしく候いなん。それを本尊にして人の短所を真似る寛政かんせい以後の詩人は善よき笑い者に御座候。

『古今集』以後にては『新古今』ややすぐれたりと相見え候。『古今』よりも善き歌を見かけ申候。しかしその善き歌と申すも指折りて数えるほどのことに有之候。定家ていかという人は上手か下手か訳の分らぬ人にて、『新古今』の撰定せんていを見れば少しは訳の分わかって居るのかと思えば自分の歌にはろくなもの無之「駒こまとめて袖そでうちはらふ」「見わたせば花も紅葉もみじも」などが人にもてはやさるるくらいのものに有之候。定家を狩野かのう派の画師に比すれば探幽たんゆうと善く相あい似たるかと存候。定家に傑作なく探幽にも傑作なし。しかし定家も探幽も相当に練磨の力はありていかなる場合にもかなりにやりこなし申候。両人の名誉は相如あいしくほどの位置に居りて、定家以後歌の門閥を生じ探幽以後画の門閥を生じ、両家とも門閥を生じたる後は歌も画も全く腐敗致候。いつの代いかなる技芸にても歌の格画の格などというような格がきまったらもはや進歩致す間敷まじく候。

香川景樹かがわかげきは『古今』貫之崇拝にて見識の低きことは今更申すまでも無之候。俗な歌の多きこともむろんに候。しかし景樹には善よき歌も有之候。自己が崇拝する貫之よりも善き歌多く候。それは景樹が貫之よりえらかったのかどうかは分らぬ、ただ景樹時代には貫之時代よりも進歩して居る点があるということは相違なければ従したがって景樹に貫之よりも善き歌が出来るというも自然のことと存候。景樹の歌がひどく玉石混淆ぎょくせきこんこうであるところは俳人でいうと蓼太りょうたに比するが適当と被思おもわれ候。蓼太は雅俗巧拙の両極端を具そなえた男でその句に両極端が現れ居候。かつ満身の覇気はきでもって世人を籠絡ろうらくし全国に夥おびただしき門派の末流をもって居たところなども善く似て居るかと存候。景樹を学ぶなら善きところを学ばねばはなはだしき邪路に陥り可申もうすべく、今の景樹派などと申すは景樹の俗なところを学びて景樹よりも下手につらね申候。ちぢれ毛の人が束髪そくはつに結びしを善きことと思いて束髪にゆう人はわざわざ毛をちぢらしたらんがごとき趣有之候。ここのところよくよく濶眼かつがんを開いて御判別可有あるべく候。古今上下東西の文学などよく比較して御覧可被成なさるべく、くだらぬ歌書ばかり見て居っては容易に自己の迷まよいを醒さましがたく見るところ狭ければ自分の汽車の動くのを知らで隣の汽車が動くように覚おぼゆるものに御座候。不尽ふじん。〔『日本附録週報』明治三十一年二月十四日〕

三たび歌よみに与ふる書

前略。歌よみのごとく馬鹿なのんきなものはまたと無之これなく候。歌よみのいうことを聞き候えば、和歌ほど善よきものは他になき由よしいつでも誇り申もうし候えども、歌よみは歌よりほかのものは何も知らぬゆえに歌が一番善きように自惚うぬぼれ候次第に有之これあり候。彼らは歌にもっとも近き俳句すら少しも解せず、十七字でさえあれば川柳せんりゅうも俳句も同じと思うほどののんきさ加減なれば、まして支那の詩を研究するでもなく西洋には詩というものがあるやらないやらそれも分わからぬ文盲浅学、まして小説や院本いんぽんも和歌と同じく文学というものに属すと聞かば定めて目を剥むいて驚き可申もうすべく候。かく申さば讒謗罵詈ざんぼうばり礼を知らぬしれ者と思う人もあるべけれど、実際なれば致方いたしかた無之候。もし生せいの言げんが誤れりと思おぼさばいわゆる歌よみの中よりただの一人にても俳句を解する人を御指名可被下くださるべく候。生は歌よみに向むかいて何の恨うらみも持たぬにかく罵詈がましき言を放たねばならぬように相成あいなり候心のほど御察被下度おさっしくだされたく候。

歌を一番善いと申すはもとより理屈もなきことにて一番善い訳は毫ごうも無之候。俳句には俳句の長所あり、支那の詩には支那の詩の長所あり、西洋の詩には西洋の詩の長所あり、戯曲、院本には戯曲、院本の長所あり、その長所はもとより和歌の及ぶところにあらず候。理屈は別としたところで一体歌よみは和歌を一番善いものと考えた上でどうするつもりにや、歌が一番善いものならばどうでもこうでも上手でも下手でも三十一文字みそひともじ並べさえすりゃ天下第一のものであって、秀逸と称せらるる俳句にも漢詩にも洋詩にも優まさりたるものと思い候ものにや、その量見が聞きたく候。最も下手な歌も最も善き俳句、漢詩等に優り候ほどならば誰も俳句、漢詩等に骨折る馬鹿はあるまじく候。もしまた俳句、漢詩等にも和歌より善きものあり和歌にも俳句、漢詩等より悪あしきものありというならば和歌ばかりが一番善きにてもあるまじく候。歌よみの浅見せんけんには今更のように呆あきれ申候。

俳句には調がなくて和歌には調がある、ゆえに和歌は俳句に勝まされりとある人は申し候。これはあながち一人の論ではなく歌よみ仲間にはかような説を抱く者多きことと存ぞんじ候。歌よみどもはいたく調ということを誤解致居いたしおり候。調にはなだらかなる調も有之、迫りたる調も有之候。平和な長閑のどかな様さまを歌うにはなだらかなる長き調を用うべく、悲哀とか慷慨こうがいとかにて情の迫りたる時、または天然にても人事にても景象の活動はなはだしく変化の急なる時これを歌うには迫りたる短き調を用うべきは論ずるまでもなく候。しかるに歌よみは調はすべてなだらかなるものとのみ心得こころえ候と相あい見え申候。かかる誤あやまりを来きたすも畢竟ひっきょう従来の和歌がなだらかなる調子のみを取り来りしによるものにて、俳句も漢詩も見ず歌集ばかり読みたる歌よみにはしか思わるるも無理ならぬことと存候。さてさて困ったものに御座候。なだらかなる調が和歌の長所ならば迫りたる調が俳句の長所なることは分り申さざるやらん。しかし迫りたる調強き調などいう調の味はいわゆる歌よみには到底分り申す間敷まじきか。真淵まぶちは雄々おおしく強き歌を好み候えども、さてその歌を見ると存外に雄々しく強きものは少すくなく、実朝さねともの歌の雄々しく強きがごときは真淵には一首も見あたらず候。「飛ぶ鷲わしの翼もたわに」などいえるは真淵集中の佳什かじゅうにて強き方の歌なれども意味ばかり強くて調子は弱く感ぜられ候。実朝をしてこの意匠を詠ましめばかような調子には詠むまじく候。「もののふの矢なみつくろふ」の歌のごとき鷲を吹き飛ばすほどの荒々しき趣向ならねど、調子の強きことは並ぶものなくこの歌を誦しょうすれば霰あられの音を聞くがごとき心地致候。真淵すでにしかりとせば真淵以下の歌よみは申すまでもなく候。かかる歌よみに蕪村ぶそん派の俳句集か盛唐せいとうの詩集か読ませたく存候えども、驕おごりきったる歌よみどもは宗旨以外の書を読むことは承知致すまじく勧めるだけが野暮やぼにや候べき。

御承知のごとく生は歌よみよりは局外者とか素人しろうととかいわるる身に有之、従って詳しき歌の学問は致さず格が何だか文法が何だか少しも承知致さず候えども、大体の趣味いかんにおいては自ら信ずるところあり、この点につきてかえって専門の歌よみが不注意を責むるものに御座候。かように悪口をつき申さば生を弥次馬連やじうまれんと同様に見る人もあるべけれど、生の弥次馬連なるか否かは貴兄は御承知のことと存候。異論の人あらば何人なんぴとにても来訪あるよう貴兄より御伝え被下度三日三夜なりともつづけさまに議論可致いたすべく候。熱心の点においては決して普通の歌よみどもには負け不申もうさず候。情激し筆走り候まま失礼の語も多かるべく御海容ごかいよう可被下候。拝具はいぐ。

〔『日本』明治三十一年二月十八日〕

四たび歌よみに与ふる書

拝啓。空論ばかりにては傍人ぼうじんに解しがたく、実例につきて評せよとの御言葉ごもっともと存ぞんじ候。実例と申しても際限もなきことにていずれを取りて評すべきやらんと惑い候えども、なるべく名高きものより試み可申もうすべく候。御思いあたりの歌ども御知らせ被下度くだされたく候。さて人丸の歌にかありけん

もののふの八十氏川やそうじがわの網代木あじろぎに

いざよふ波のゆくへ知らずも

というがしばしば引きあいに出されるように存候。この歌万葉時代に流行せる一気呵成いっきかせいの調にて少しも野卑やひなるところはなく字句もしまり居り候えども、全体の上より見れば上三句は贅物ぜいぶつに属し候。「足引あしびきの山鳥の尾の」という歌も前置まえおきの詞ことば多けれど、あれは前置の詞長きために夜の長き様さまを感ぜられ候。これはまた上三句全く役に立ち不申もうさず候。この歌を名所の歌の手本に引くは大たわけに御座候。総じて名所の歌というはその地の特色なくては叶かなわず、この歌のごとく意味なき名所の歌は名所の歌になり不申候。しかしこの歌を後世の俗気紛々たる歌に比ぶれば勝まさること万々ばんばんに候。かつ、この種の歌は真似まねすべきにはあらねど多き中に一首二首あるは面白く候。

月見れば千々ちぢに物こそ悲しけれ

我身わがみ一つの秋にはあらねど

という歌は最も人の賞する歌なり。上三句はすらりとして難なけれども、下二句は理屈なり蛇足なりと存候。歌は感情を述ぶるものなるに理屈を述ぶるは歌を知らぬゆえにや候らん。この歌下二句が理屈なることは消極的に言いたるにても知れ可申、もし「我身一つの秋と思ふ」と詠むならば感情的なれども、秋ではないがと当り前のことをいわば理屈に陥り申もうし候。かような歌を善よしと思うはその人が理屈を得え離れぬがためなり、俗人は申すに及ばず今のいわゆる歌よみどもは多く理屈を並べて楽たのしみ居おり候。厳格に言わばこれらは歌でもなく歌よみでもなく候。

芳野山よしのやま霞かすみの奥は知らねども

見ゆる限りは桜なりけり

八田知紀はったとものりの名歌とか申候。知紀の家集はいまだ読まねど、これが名歌ならば大概底も見え透すき候。これも前のと同じく「霞の奥は知らねども」と消極的に言いたるが理屈に陥り申候。すでに「見ゆる限りは」という上は見えぬところは分らぬがという意味はその裏うちに籠こもり居り候ものをわざわざ「知らねども」とことわりたる、これが下手と申すものに候。かつこの歌の姿、「見ゆる限りは桜なりけり」などいえるも極めて拙つたなく野卑やひなり、前の千里ちさとの歌は理屈こそ悪あしけれ姿は遥はるかに立ちまさり居候。ついでに申さんに消極的に言えば理屈になると申ししこといつでもしかなりというに非ず、客観的の景色を連想していう場合は消極にても理屈にならず、例えば「駒こまとめて袖そでうち払ふ影もなし」といえるがごときは客観の景色を連想したるまでにてかくいわねば感情を現すあたわざるものなればむろん理屈にては無之これなく候。また全体が理屈めきたる歌あり(釈教しゃっきょうの歌の類)これらはかえって言いようにて多少の趣味を添うべけれど、この芳野山の歌のごとく全体が客観的すなわち景色なるにその中に主観的理屈の句がまじりては殺風景いわん方なく候。また同人の歌にかありけん

うつせみの我世わがよの限り見るべきは

嵐あらしの山の桜なりけり

というが有之これあり候由よし、さてさて驚き入いったる理屈的の歌にては候よ。嵐山の桜のうつくしいと申すはむろん客観的のことなるにそれをこの歌は理屈的に現したり、この歌の句法は全体理屈的の趣向の時に用うべきものにして、この趣向のごとく客観的にいわざるべからざるところに用いたるは大俗のしわざと相あい見え候。「べきは」と係かけて「なりけり」と結びたるが最も理屈的殺風景のところに有之候。一生嵐山の桜を見ようというも変なくだらぬ趣向なり、この歌全く取所とりどころ無之候。なお手当り次第可申上もうしあぐべく候なり。〔『日本』明治三十一年二月二十一日〕

五たび歌よみに与ふる書

心あてに見し白雲は麓ふもとにて

思はぬ空に晴るる不尽ふじの嶺ね

というは春海はるみのなりしやに覚え候。これは不尽の裾すそより見上げし時の即興なるべく、生せいも実際にかく感じたることあれば面白き歌と一時は思いしが、今いま見れば拙つたなき歌に有之これあり候。第一、麓という語いかがや、「心あてに見し」ところは少すくなくも半腹はんぷくくらいの高さなるべきを、それを麓というべきや疑わしく候。第二、それは善よしとするも「麓にて」の一句理屈ぽくなって面白からず、ただ心あてに見し雲よりは上にありしとばかり言わねばならぬところに候。第三、不尽の高く壮さかんなる様さまを詠まんとならば今少し力強き歌ならざるべからず、この歌の姿弱くして到底不尽に副そい申さず候。几董きとうの俳句に「晴るる日や雲を貫く雪の不尽」というがあり、極めて尋常に叙じょし去りたれども不尽の趣はかえって善く現れ申もうし候。

もしほ焼く難波なにわの浦の八重霞やえがすみ

一重ひとえはあまのしわざなりけり

契沖けいちゅうの歌にて俗人の伝称するものに有之これあり候えども、この歌の品下りたることはやや心ある人は承知致居いたしおることと存ぞんじ候。この歌の伝称せらるるは、いうまでもなく八重一重の掛合かけあわせにあるべけれど余の攻撃点もまたここにほかならず、総じて同一の歌にて極めてほめるところと他の人の極めて誹そしるところとは同じ点にあるものに候。八重霞というものもとより八段に分わかれて霞みたるにあらねば、一重ということ一向に利きき不申もうさず、また初はじめに「藻汐もしお焼やく」と置きしゆえ後に煙とも言いかねて「あまのしわざ」と主観的に置きたるところいよいよ俗に堕おち申候。こんな風に詠まずとも、霞の上に藻汐焚やく煙のなびく由よし尋常に詠まばつまらぬまでもかかる厭味いやみは出来申間敷もうすまじく候。

心あてに折らばや折らむ初霜はつしもの

置きまどはせる白菊の花

この躬恒みつねの歌「百人一首」にあれば誰も口ずさみ候えども、一文半文のねうちも無之これなき駄歌に御座候。この歌は嘘うその趣向なり、初霜が置いたくらいで白菊が見えなくなる気遣無之きづかいこれなく候。趣向嘘なれば趣も糸瓜へちまも有之不申これありもうさず、けだしそれはつまらぬ嘘なるからにつまらぬにて、上手な嘘は面白く候。例えば「鵲かささぎのわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」面白く候。躬恒のは瑣細ささいなことをやたらに仰山ぎょうさんに述べたのみなれば無趣味なれども、家持やかもちのは全くないことを空想で現わしてみせたるゆえ面白く被感かんぜられ候。嘘を詠むなら全くないこととてつもなき嘘を詠むべし、しからざればありのままに正直に詠むが宜よろしく候。雀すずめが舌剪きられたとか狸たぬきが婆ばばに化けたなどの嘘は面白く候。今朝は霜がふって白菊が見えんなどと真面目まじめらしく人を欺あざむく仰山的の嘘は極めて殺風景に御座候。「露の落つる音」とか「梅の月が匂におふ」とかいうことをいうて楽たのしむ歌よみが多く候えども、これらも面白からぬ嘘に候。すべて嘘というものは一、二度は善よけれど、たびたび詠まれては面白き嘘も面白からず相成あいなり申候。まして面白からぬ嘘はいうまでもなく候。「露の音」「月の匂におい」「風の色」などはもはや十分なれば今後の歌には再び現れぬよう致したく候。「花の匂」などいうも大方おおかたは嘘なり、桜などには格別の匂は無之、「梅の匂」でも『古今』以後の歌よみの詠むように匂い不申候。

春の夜の闇やみはあやなし梅の花

色こそ見えね香かやは隠るる

「梅闇に匂ふ」とこれだけで済むことを三十一文字に引きのばしたる御苦労加減は恐れ入いったものなれど、これもこの頃には珍らしきものとして許すべく候わんに、あわれ歌人よ「闇に梅匂ふ」の趣向はもはや打うちどめに被成なされてはいかがや。闇の梅に限らず普通の梅の香も『古今集』だけにて十余りもあり、それより今日までの代々の歌よみがよみし梅の香はおびただしく数えられもせぬほどなるに、これも善い加減に打ちとめて香水香料に御用い被成候は格別そのほか歌には一切これを入れぬこととし、鼻つまりの歌人と嘲あざけらるるほどに御遠ざけ被成てはいかがや。小さきことを大きくいう嘘が和歌腐敗の一大原因と相見え申候。〔『日本』明治三十一年二月二十三日〕

六たび歌よみに与ふる書

御書面を見るに愚意ぐいを誤解被致いたされ候。ことに変なるは御書面中四、五行の間に撞著有之どうちゃくこれあり候。初はじめに「客観的景色に重きを措おきて詠むべし」とあり、次に「客観的にのみ詠むべきものとも思われず」云々うんぬんとあるはいかに。生せいは客観的にのみ歌を詠めと申したることは無之これなく候。客観に重きをおけと申したることもなけれど、この方は愚意に近きよう覚え候。「皇国の歌は感情を本もととして」云々とは何のことに候や。詩歌に限らずすべての文学が感情を本とすることは古今東西相違あるべくも無之、もし感情を本とせずして理屈を本としたるものあらばそれは歌にても文学にてもあるまじく候。ことさらに皇国の歌はなど言わるるは例の歌よりほかに何物も知らぬ歌よみの言げんかと被怪あやしまれ候。「いずれの世にいずれの人が理屈を読みては歌にあらずと定め候や」とは驚きたる御問おんといに有之候。理屈が文学に非ずとは古今の人東西の人ことごとく一致したる定義にて、もし理屈をも文学なりと申す人あらばそれは大方おおかた日本の歌よみならんと存ぞんじ候。

客観、主観、感情、理屈の語につきてあるいは愚意を誤解被致居いたされおるにや。全く客観的に詠みし歌なりとも感情を本としたるは言を竢またず。例えば橋の袂たもとに柳が一本風に吹かれて居るということをそのまま歌にせんにはその歌は客観的なれども、もとこの歌を作るというはこの客観的景色を美なりと思いし結果なれば感情に本づくことはもちろんにて、ただうつくしいとか奇麗とかうれしいとか楽しいとかいう語を著つくると著けぬとの相違に候。また主観的と申す内にも感情と理屈との区別有之、生が排斥するは主観中の理屈の部分にして、感情の部分には無之候。感情的主観の歌は客観の歌と比してこの主客両観の相違の点より優劣をいうべきにあらず、されば生は客観に重きをおく者にても無之候。但ただし和歌俳句のごとき短きものには主観的佳句よりも客観的佳句多しと信じ居おり候えば、客観に重きをおくというもここのことを意味すると見れば差支さしつかえ無之候。また主観客観の区別、感情理屈の限界は実際判然したるものに非ずとの御論はごもっともに候。それゆえに善悪可否巧拙と評するももとより劃然かくぜんたる区別あるに非ず、巧の極端と拙の極端とは毫ごうも紛まぎるるところあらねど巧と拙との中間にあるものは巧とも拙とも申し兼かね候。感情と理屈の中間にあるものはこの場合に当り申もうし候。

「同じ用語同じ花月にてもそれに対する吾人ごじんの観念と古人のと相違すること珍しからざることにて」云々、それはもちろんのことなれどそんなことは生の論ずることと毫も関係無之候。今は古人の心を忖度そんたくするの必要無之、ただここにては古今東西に通ずる文学の標準(自らかく信じ居る標準なり)をもって文学を論評するものに有之候。昔は風帆船ふうはんせんが早かった時代もありしかど、蒸気船を知りて居る眼より見れば風帆船は遅しと申すが至当の理に有之、貫之つらゆきは貫之時代の歌の上手とするも前後の歌よみを比較して貫之より上手の者ほかに沢山有之たくさんこれありと思わば、貫之を下手と評することまた至当に候。歴史的に貫之を褒めるならば生もあながち反対にては無之候えども、ただ今の論は歴史的にその人物を評するにあらず、文学的にその歌を評するが目的に有之候。

「日本文学の城壁とも謂いうべき国歌」云々とは何事ぞ。代々の勅撰集ちょくせんしゅうのごときものが日本文学の城壁ならば実に頼み少すくなき城壁にて、かくのごとき薄ッぺらな城壁は大砲一発にて滅茶滅茶に砕け可申もうすべく候。生は国歌を破壊し尽すの考かんがえにては無之、日本文学の城壁を今少し堅固に致したく、外国の髯ひげづらどもが大砲を発はなとうが地雷火を仕掛けようがびくとも致さぬほどの城壁に致したき心願しんがん有之、しかも生を助けてこの心願を成就せしめんとする大檀那おおだんなは天下一人もなく数年来鬱積うっせき沈滞せるもの頃日けいじつようやく出口を得たることとて前後ぜんご錯雑さくざつ序次じょじ倫りんなく大言たいげん疾呼しっこ我ながら狂せるかと存候ほどの次第に御座候。傍人より見なば定めて狂人の言とさげすまるることと存候。なおこのたび新聞の余白を借り伝えたるを機とし思うさま愚考も述べたく、それだけにては愚意分わかりかね候に付つき愚作をも連ねて御評願いたく存居ぞんじおり候えども、あるいは先輩諸氏の怒いかりに触れて差止さしとめらるるようなことはなきかとそれのみ心配罷在まかりあり候。心配、恐懼きょうく、喜悦、感慨、希望等に悩まされて従来の病体ますます神経の過敏を致し日来ひごろ睡眠に不足を生じ候次第愚とも狂とも御笑い可被下くださるべく候。

従来の和歌をもって日本文学の基礎とし城壁となさんとするは弓矢剣槍けんそうをもって戦わんとすると同じことにて明治時代に行わるべきことにては無之候。今日軍艦を購あがない大砲を購い巨額の金を外国に出すも畢竟ひっきょう日本国を固むるにほかならず、されば僅少きんしょうの金額にて購い得べき外国の文学思想などは続々輸入して日本文学の城壁を固めたく存候。生は和歌につきても旧思想を破壊して新思想を注文するの考かんがえにて、したがって用語は雅語、俗語、漢語、洋語、必要次第用うるつもりに候。委細後便こうびん。

追おって 「伊勢の神風、宇佐の神勅しんちょく」云々の語あれども文学には合理非合理を論ずべきものにては無之これなく、従って非合理は文学に非ずと申したること無之候。非合理のことにて文学的には面白きこと不少すくなからず候。生の写実と申すは合理非合理、事実非事実の謂いいにては無之候。油画師は必ず写生に依より候えどもそれで神や妖怪ようかいやあられもなきことを面白く画き申候。しかし神や妖怪を画くにももちろん写生に依よるものにて、ただありのままを写生すると一部一部の写生を集めるとの相違に有之、生の写実も同様のことに候。これらは大誤解に候。

〔『日本』明治三十一年二月二十四日〕

七たび歌よみに与ふる書

前便に言い残し候こと今少し申上もうしあげ候。宗匠的俳句と言えばただちに俗気を連想するがごとく、和歌といえばただちに陳腐を連想致いたし候が年来の習慣にて、はては和歌という字は陳腐という意味の字のごとく思われ申候。かく感ずる者和歌社会には無之これなしと存ぞんじ候えど歌人ならぬ人は大方おおかたかようの感を抱き候やに承り候。おりおりは和歌を誹そしる人に向むかいてさて和歌はいかように改良すべきかと尋ね候えばその人が首をふっていやとよ和歌は腐敗し尽したるにいかでか改良の手だてあるべき置きね置きねなど言いはなし候様はあたかも名医が匙さじを投げたる死際しにぎわの病人に対するがごとき感を持ち居おり候ものと相あい見え申候。実げにも歌は色青ざめ呼吸絶えんとする病人のごとくにも有之これあり候よ。さりながら愚考はいたく異なり、和歌の精神こそ衰えたれ形骸けいがいはなお保つべし、今にして精神を入れ替えなば再び健全なる和歌となりて文壇に馳駆ちくするを得うべきことを保証致候。こはいわでものことなるをある人がはやこと切れたる病人と一般に見做みなし候はいかにも和歌の腐敗のはなはだしきに呆あきれて一見して抛棄ほうきしたるものにや候べき。和歌の腐敗のはなはだしさもこれにて大方知れ可申もうすべく候。

この腐敗と申すは趣向の変化せざるが原因にて、また趣向の変化せざるは用語の少すくなきが原因と被存ぞんぜられ候。ゆえに趣向の変化を望まば是非ぜひとも用語の区域を広くせざるべからず、用語多くなれば従って趣向も変化可致いたすべく候。ある人が生せいを目もくして和歌の区域を狭くする者と申し候は誤解にて、少しにても広くするが生の目的に御座候。とはいえいかに区域を広くするとも非文学的思想は容いれ不申もうさず、非文学的思想とは理屈のことに有之これあり候。

外国の語も用いよ外国に行わるる文学思想も取れよと申すことにつきて日本文学を破壊するものと思惟しいする人も有之げに候えども、それはすでに根本において誤り居候。たとい漢語の詩を作るとも洋語の詩を作るとも、はたサンスクリットの詩を作るとも日本人が作りたる上は日本の文学に相違無之候。唐制に摸もして位階も定め服色も定め年号も定めおき唐からぶりたる冠衣かんいを著つけ候とも日本人が組織したる政府は日本政府と可申候。英国の軍艦を買い独国の大砲を買いそれで戦いくさに勝ちたりとも運用したる人にして日本人ならば日本の勝かちと可申候。しかし外国の物を用うるはいかにも残念なれば日本固有の物を用いんとの考かんがえならばその志には賛成致候えども、とても日本の物ばかりでは物の用に立つまじく候。文学にても馬、梅、蝶、菊、文等の語をはじめ一切の漢語を除き候わばいかなるものが出来いでき候べき。『源氏物語』『枕草子まくらのそうし』以下漢語を用いたるものを排斥致し候わば日本文学はいくばくか残り候べき。それでも痩やせ我慢に歌ばかりは日本固有の語にて作らんと決心したる人あらばそは御勝手次第ながら、それをもって他人を律するは無用のことに候。日本人が皆日本固有の語を用うるに至らば日本は成り立つまじく、日本文学者が皆日本固有の語を用いたらば日本文学は破滅可致いたすべく候。

あるいは姑息こそくにも馬、梅、蝶、菊、文等の語はいと古き代より用い来きたりたれば日本語と見做みなすべしなどいう人も可有之これあるべく候えど、いと古き代の人はその頃新しく輸入したる語を用いたるものにてこの姑息論者が当時に生れ居らばそれをも排斥致し候いけん。いと笑うべき撞着どうちゃくに御座候。仮に姑息論者に一歩を借して古き世に使いし語をのみ用うるとして、もし王朝時代に用いし漢語だけにても十分にこれを用いなばなお和歌の変化すべき余地は多少可有之候。されど歌の詞ことばと物語の詞とは自おのずから別なり、物語などにある詞にて歌には用いられぬが多きなど例の歌よみは可申もうすべく候。何たる笑うべきことには候ぞや。いかなる詞にても美の意を運ぶに足るべきものは皆歌の詞と可申、これをほかにして歌の詞というものは無之これなく候。漢語にても洋語にても文学的に用いられなば皆歌の詞と可申候。〔『日本』明治三十一年二月二十八日〕

八たび歌よみに与ふる書

悪あしき歌の例を前に挙げたれば善よき歌の例をここに挙げ可申もうすべく候。悪き歌といい善き歌というも四つや五つばかりを挙げたりとて愚意ぐいを尽すべくも候わねど、無きには勝まさりてんといささか列つらね申もうし候。まず『金槐きんかい和歌集』などより始め申さんか。

武士もののふの矢並やなみつくろふ小手の上に霰あられたばしる那須の篠原しのはら

という歌は万口ばんこう一斉いっせいに歎賞たんしょうするように聞き候えば今更いまさら取りいでていわでものことながらなお御気おきのつかれざることもやと存ぞんじ候まま一応申上もうしあげ候。この歌の趣味は誰しも面白しと思うべく、またかくのごとき趣向が和歌には極めて珍しきことも知らぬ者はあるまじく、またこの歌が強き歌なることも分わかり居り候えども、この種の句法がほとんどこの歌に限るほどの特色をなし居るとは知らぬ人ぞ多く候べき。普通に歌は「なり」、「けり」、「らん」、「かな」、「けれ」などのごとき助辞をもって斡旋あっせんせらるるにて名詞の少すくなきが常なるに、この歌に限りては名詞極めて多く「てにをは」は「の」の字三、「に」の字一、二個の動詞も現在になり(動詞の最もっとも短き形)居おり候。かくのごとく必要なる材料をもって充実したる歌は実に少すくなく候。『新古今』の中には材料の充実したる句法の緊密なる、ややこの歌に似たるものあれど、なおこの歌のごとくは語々活動せざるを覚え候。『万葉』の歌は材料極めて少く簡単をもって勝るもの、実朝さねとも一方にはこの『万葉』を擬し、一方にはかくのごとく破天荒はてんこうの歌をなす、その力量実に測るべからざるもの有之これあり候。また晴を祈る歌に

時によりすぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまへ

というがあり、恐らくは世人の好まざるところと存ぞんじ候えども、こは生せいの好きで好きでたまらぬ歌に御座候。かくのごとく勢いきおい強き恐ろしき歌はまたと有之間敷これあるまじく、八大竜王を叱咤しったするところ竜王も懾伏しょうふく致すべき勢相あい現れ申もうし候。八大竜王と八字の漢語を用いたるところ「雨やめたまへ」と四三の調ちょうを用いたるところ皆この歌の勢を強めたるところにて候。初三句は極めて拙つたなき句なれどもその一直線に言い下して拙きところかえってその真率しんそつ偽いつわりなきを示して祈晴きせいの歌などには最も適当致居いたしおり候。実朝はもとより善き歌作らんとてこれを作りしにもあらざるべく、ただ真心より詠み出いでたらんがなかなかに善き歌とは相成り候いしやらん。ここらは手のさきの器用を弄ろうし言葉のあやつりにのみ拘こだわる歌よみどもの思い至らぬ場所に候。三句切ぎれのことはなお他日詳つまびらかに可申もうすべく候えども三句切の歌にぶっつかり候ゆえ一言致置いたしおき候。三句切の歌詠むべからずなどいうは守株しゅしゅの論にて論ずるに足らず候えども三句切の歌は尻しり軽くなるの弊へい有之候。この弊を救うために下二句の内を字余りにすることしばしば有之、この歌もその一にて(前に挙げたる大江千里おおえのちさとの「月見れば」の歌もこの例。なおそのほかにも数え尽すべからず)候。この歌のごとく下を字余りにする時は三句切にしたる方かえって勢強く相成申あいなりもうし候。取りも直さずこの歌は三句切の必要を示したるものに有之これあり候。また

物いはぬよものけだものすらだにもあはれなるかな親の子を思ふ

のごとき何も別にめずらしき趣向もなく候えども、一気呵成いっきかせいのところかえって真心を現して余りあり候。ついでに字余りのこと一寸ちょっと申候。この歌は第五句字余りゆえに面白く候。ある人は字余りとは余儀なくするものと心得候えどもさにあらず、字余りにはおよそ三種あり、第一、字余りにしたるがために面白きもの、第二、字余りにしたるがため悪あしきもの、第三、字余りにするともせずとも可なるものと相分わかれ申候。その中にもこの歌は字余りにしたるがため面白きものに有之候。もし「思ふ」というをつめて「もふ」など吟じ候わんには興味索然さくぜんと致し候。ここは必ず八字に読むべきにて候。またこの歌の最後の句にのみ力を入れて「親の子を思ふ」とつめしは情の切なるを現すものにて、もし「親の」の語を第四句に入れ最後の句を「子を思ふかな」「子や思ふらん」など致し候わば例のやさしき調となりて切なる情は現れ不申もうさず、従って平凡なる歌と相成可申もうすべく候。歌よみは古来助辞を濫用らんよう致し候様、宋人の虚字を用いて弱き詩を作るに一般に御座候。実朝のごときは実に千古の一人と存候。

前日来生せいは客観詩をのみ取る者と誤解被致いたされ候いしも、そのしからざるは右の例にて相分り可申那須の歌は純客観、後の二首は純主観にてともに愛誦あいしょうするところに有之。しかしこの三首ばかりにては強き方に偏し居候えばあるいはまた強き歌をのみ好むかと被考かんがえられ候わん。なお多少の例歌を挙ぐるを御待可被下まちくださるべく候。〔『日本』明治三十一年三月一日〕

九たび歌よみに与ふる書

一々に論ぜんもうるさければただ二、三首を挙げおきて『金槐きんかい集』以外に遷うつり候べく候。

山は裂け海はあせなん世なりとも君にふた心われあらめやも

箱根路をわが越え来れば伊豆の海やおきの小島に波のよる見ゆ

世の中はつねにもがもななぎさ漕こぐ海人あまの小舟おぶねの綱手つなでかなしも

大海おおうみのいそもとどろによする波われてくだけてさけて散るかも

「箱根路」の歌極めて面白けれども、かかる想は今古に通じたる想なれば実朝さねともがこれを作りたりとて驚くにも足らず、ただ「世の中は」の歌のごとく古意古調なるものが『万葉』以後においてしかも華麗を競うたる『新古今』時代において作られたる技量には驚かざるを得ざる訳にて、実朝の造詣ぞうけいの深き今更申すも愚かに御座候。大海の歌実朝のはじめたる句法にや候わん。

『新古今』に移りて二、三首を挙げんに

なごの海の霞かすみのまよりながむれば入日いりひを洗ふ沖つ白波 (実定さねさだ)

この歌のごとく客観的に景色を善よく写したるものは『新古今』以前にはあらざるべく、これらもこの集の特色として見るべきものに候。惜おしむらくは「霞のまより」という句が疵きずにて候。一面にたなびきたる霞に間というも可笑おかしく、よし間ありともそれはこの趣向に必要ならず候。入日も海も霞みながらに見ゆるこそ趣は候なれ。

ほのぼのと有明の月の月影は紅葉吹きおろす山おろしの風 (信明)

これも客観的の歌にて、けしきも淋さびしく艶えんなるに語を畳みかけて調子取りたるところ、いとめずらかに覚え候。

さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵いおを並べん冬の山里 (西行さいぎょう)

西行の心はこの歌に現れ居おり候。「心なき身にも哀れは知られけり」などいう露骨的の歌が世にもてはやされてこの歌などはかえって知る人少すくなきも口惜くちおしく候。「庵を並べん」というがごとき斬新ざんしんにして趣味ある趣向は西行ならでは得え言わざるべく特に「冬の」と置きたるもまた尋常歌よみの手段にあらずと存ぞんじ候。後年芭蕉ばしょうが新あらたに俳諧はいかいを興せしも寂さびは「庵を並べん」などより悟入ごにゅうし季の結び方は「冬の山里」などより悟入したるに非ざるかと被思おもわれ候。

閨ねやの上にかたえさしおほひ外面とのもなる葉広柏はびろがしわに霰あられふるなり (能因のういん)

これも客観的の歌に候。上三句複雑なる趣を現さんとてやや混雑に陥りたれど、葉広柏に霰のはじく趣は極めて面白く候。

岡の辺べの里のあるじを尋ぬれば人は答へず山おろしの風 (慈円じえん)

趣味ありて句法もしっかりと致し居候。この種の歌の第四句を「答へで」などいうがごとく下に連続する句法となさば何の面白味も無之これなく候。

さざ波や比良ひら山風の海吹けば釣する蜑あまの袖そでかへる見ゆ (読人しらず)

実景をそのままに写し、些さの巧を弄もてあそばぬところかえって興多く候。

神風や玉串たまぐしの葉をとりかざし内外うちとの宮に君をこそ祈れ (俊恵しゅんえ)

神祇じんぎの歌といえば千代の八千代のと定文句きまりもんくを並ぶるが常なるにこの歌はすっぱりと言いはなしたるなかなかに神の御心にかなうべく覚え候。句のしまりたるところ半ば客観的に叙じょしたるところなど注意すべく「神風や」の五字も訳なきようなれど極めて善く響き居候。

阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいの仏たちわが立つ杣そまに冥加あらせたまへ (伝教でんぎょう)

いとめでたき歌にて候。長句の用い方など古今未曾有みぞうにてこれを詠みたる人もさすがなれどこの歌を勅撰集ちょくせんしゅうに加えたる勇気も称するに足るべくと存候。第二句十字の長句ながら成語なればさまで口にたまらず、第五句九字にしたるはことさらとにもあらざるべけれど、このところはことさらにも九字くらいにする必要有之これあり、もし七字句などをもって止めたらんには上の十字句に対して釣合つりあい取れ不申もうさず候。初めの方に字余りの句あるがために後にも字余りの句を置かねばならぬ場合はしばしば有之候。もし字余りの句は一句にても少きが善しなどいう人は字余りの趣味を解せざるものにや候べき。〔『日本』明治三十一年三月三日〕

十たび歌よみに与ふる書

先輩崇拝ということはいずれの社会にも有之これあり候。それも年長者に対し元勲げんくんに対し相当の敬礼を尽すの意ならば至当のことなれども、それと同時に何かは知らずその人の力量技術を崇拝するに至りては愚の至りに御座候。田舎の者などは御歌所おうたどころといえばえらい歌人の集あつまり、御歌所長といえば天下第一の歌よみのように考え、従ってその人の歌と聞けば読まぬ内からはや善よきものと定め居るなどありうちのことにて生せいも昔はその仲間の一人に候いき。今より追想すれば赤面するほどのことに候。御歌所とてえらい人が集まるはずもなく御歌所長とて必ずしも第一流の人が坐すわるにもあらざるべく候。今日は歌よみなる者皆無かいむの時なれどそれでも御歌所連より上手なる歌よみならば民間に可有之これあるべく候。田舎の者が元勲を崇拝し大臣をえらい者に思い政治上の力量も識見も元勲大臣が一番に位する者と迷信致いたし候結果、新聞記者などが大臣を誹そしるを見て「いくら新聞屋が法螺ほら吹いたとて、大臣は親任官、新聞屋は素寒貧すかんぴん、月と泥亀すっぽんほどの違いだ」などと罵ののしり申もうし候。少し眼のある者は元勲がどれくらい無能力かということ大臣は廻まわり持もちにて新聞記者より大臣に上りし実例あることくらいは承知致し説き聞かせ候えども、田舎の先生は一向無頓着むとんちゃくにて不相変あいかわらず元勲崇拝なるも腹立たしき訳に候。あれほど民間にてやかましくいう政治の上なおしかりとすれば今まで隠居したる歌社会に老人崇拝の田舎者多きも怪あやしむに足らねども、この老人崇拝の弊を改めねば歌は進歩不可致いたすべからず候。歌は平等無差別なり、歌の上に老少も貴賤きせんも無之これなく候。歌よまんとする少年あらば老人などにかまわず勝手に歌を詠むが善かるべくと御伝言可被下くださるべく候。明治の漢詩壇が振ふるいたるは老人そちのけにして青年の詩人が出たるゆえに候。俳句の観を改めたるも月並連つきなみれんに構わず思う通りを述べたる結果にほかならず候。

縁語を多く用うるは和歌の弊なり、縁語も場合によりては善けれど普通には縁語かけ合あわせなどあればそれがために歌の趣を損ずるものに候。よし言いおおせたりとてこの種の美は美の中の下等なるものと存ぞんじ候。むやみに縁語を入れたがる歌よみはむやみに地口じぐち駄洒落だじゃれを並べたがる半可通はんかつうと同じく御当人は大得意なれども側はたより見れば品の悪きこと夥おびただしく候。縁語に巧を弄ろうせんよりは真率しんそつに言いながしたるがよほど上品に相あい見え申もうし候。

歌というといつでも言葉の論が出るには困り候。歌では「ぼたん」とは言わず「ふかみぐさ」と詠むが正当なりとか、この詞ことばはこうは言わず必ずこういうしきたりのものぞなど言わるる人有之これあり候えどもそれは根本においてすでに愚考と異ことなり居おり候。愚考は古人のいうた通りに言わんとするにてもなく、しきたりに倣ならわんとするにてもなくただ自己が美と感じたる趣味をなるべく善く分るように現すが本来の主意に御座候。ゆえに俗語を用いたる方その美感を現すに適せりと思わば雅語を捨てて俗語を用い可申もうすべく、また古来のしきたりの通りに詠むことも有之これあり候えど、それはしきたりなるがゆえにそれを守りたるにては無之これなく、その方が美感を現すに適せるがためにこれを用いたるまでに候。古人のしきたりなど申せども、その古人は自分が新あらたに用いたるぞ多く候べき。

牡丹ぼたんと深見草ふかみぐさとの区別を申さんに生せいらには深見草というよりも牡丹という方が牡丹の幻影早く著いちじるしく現れ申候。かつ「ぼたん」という音の方が強くして、実際の牡丹の花の大きく凜りんとしたるところに善く副そい申候。ゆえに客観的に牡丹の美を現さんとすれば牡丹と詠むが善き場合多かるべく候。

新奇なることを詠めというと汽車、鉄道などいういわゆる文明の器械を持ち出す人あれど大おおいに量見が間違い居候。文明の器械は多く不風流ぶふうりゅうなるものにて歌に入りがたく候えども、もしこれを詠まんとならば他に趣味あるものを配合するのほか無之候。それを何の配合物もなく「レールの上に風が吹く」などとやられては殺風景の極きわみに候。せめてはレールの傍かたわらに菫すみれが咲いて居るとか、または汽車の過ぎた後で罌粟けしが散るとか薄すすきがそよぐとか言うように他物を配合すればいくらか見よくなるべく候。また殺風景なるものは遠望する方宜よろしく候。菜の花の向むこうに汽車が見ゆるとか、夏草の野末を汽車が走るとかするがごときも殺風景を消す一手段かと存候。

いろいろ言いたきまま取り集めて申上もうしあげ候。なお他日詳つまびらかに申上ぐる機会も可有之これあるべく候。以上。月日。〔『日本』明治三十一年三月四日〕

底本 / Source edition

底本:「子規選集 第七巻 子規の短歌革新」増進会出版社
2002(平成14)年4月12日初版第1刷発行
初出:歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年2月12日
再び歌よみに与ふる書「日本附録週報」
1898(明治31)年2月14日
三たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年2月18日
四たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年2月21日
五たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年2月23日
六たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年2月24日
七たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年2月28日
八たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年3月1日
九たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年3月3日
十たび歌よみに与ふる書「日本」日本新聞社
1898(明治31)年3月4日
※「八たび歌よみに与ふる書」の章末に〔本巻所収の文では、この時から子規は上の句と下の句とを別行に書く形を廃しているので、以下、短歌は一行に組んでいる〕とあるので、短歌の組み方が「八たび歌よみに与ふる書」以前と以降で異なるのは、底本通りです。
入力:kompass
校正:高瀬竜一
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/046534_000305/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/046534_000305/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/046534_000305/

正岡 子規「歌よみに与ふる書」(新字新仮名)、底本『子規選集 第七巻 子規の短歌革新』増進会出版社、2002年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046534_000305, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite