Soranoha

半農生活者の群に入るまで

はんのうせいかつしゃのむれにはいるまで

石川 三四郎

私が初めて自然と言ふものに憧憬を持ちはじめたのは、監獄の一室に閉じ込められた時のことである。ちようど今から二十二三年前の話で、――それ迄と言ふものは全く空気を呼吸してゐても空気と言ふものに何の感じもなく、自然と言ふものに対しても親しみをも感じ得なかつた。それが獄の一室にあつて以来は庭の片隅のすみれにも愛恋を感じ、桐にも花のあつたことを知り、其の美しい強い香にも親しみを感じたやうな理由で、自然と言ふものに深い感慨を感ずるやうになつたのである。

それと同時に私は思想上の悩みに逢着してゐた。それは私はキリスト教的精神と、社会主義的精神の不調和に挟まれてゐたのである。これを私は獄中で統一しやうと努力したが、エドワード・カーペンターの著書を読んで、自分の行くべき道を考へ得たのである。先づ私はその『文明論』を見た。そして次に、クロスビーの書いた「カーペンターの伝記」を読むだのである。カーペンターが山家の一軒家で生活してゐると言ふことを読んで、其の生活を知り、同時に其の思想に触れて、私の思想の上に大きな変化を与へて呉れた。

それから出獄してからなほ、内外の上の戦ひ――社会運動の戦ひや、貧乏の上の戦ひをせねばならなかつた。間もなく幸徳事件が起る、私共の生活は呼吸のつまるやうな生活であつた。それから私はある事情のもとに日本を脱出せねばならなくなつた。勿論、一文なしのことであるから、フランスの船に飛び込むで、ベルギーに行つたのである。そして、そこで私は労働生活を始めたのである。先づ行きたては百姓生活も出来ないで、ペンキ屋、つまり壁塗りを一ヶ月ばかりして、其後、室内装飾などをした。その内、機会を得て、英国にカーペンターの清らかなる百姓生活を見廻ることが出来た。さうかうしてゐる中に、ヨーロツパの大戦争が起つたのである。私は黄色人種であるので、七ヶ月間ブラツセルに籠城したが、後、オランダからイギリスに渡り、更にフランスに落ちのびたのである。其処で、以前から知つてゐた、ブラツセルの新大学教授で、無政府主義者ルクリユ氏の一族と共に百姓生活を始めたのである。

ルクリユ氏は非常に百姓生活に興味を持ち、私も共々、農業の本を読むだり、耕作したり、それはあらゆる種類のものを実地に研究したのである。私は此処で足掛け六年間の生活をしたのであるが、私の生涯中、これ程感激に満ちた幸福な生活はこれ迄なかつた。

あの欧州戦争の結果、従来の社会組織、経済組織が根本的に狂つてしまつて人間の生活が赤裸々になつた時に、真実な生活そのものがハツキリと目の前に残され、あらゆる虚偽の生活、幻影を追つた生活が全く覆へされ、真の人間生活がヒシ〱とわかつて、百姓ほど強いものはないと言ふ事、真に強い土台になつたものは百姓であることがわかつた。権力や組織に依つて生活を維持してゐた人は全く足場を失つて、非常な窮状に落ち入つた。然るに百姓だけは寧ろ機会に於いて実力を自覚し発揮することが出来た。

そこで、私はさう言ふ風な事実を見せられると同時に、自然の中に自分が生き、太陽と地球と、木や草や、鳥や、けだものを相手にして、そして自給自足の生活を立てゝゐる間に、私の知識は、今までに経験した事のない力と光りとを持つて、私の心を開き、引き立てゝ呉れた。ほんとうに自然は無限の図書館である。無尽蔵の知識の籠であるやうに私には感じられた。私の六年間生活した土地は、パリーから七八十里も西南のボルドオの近所であつた。断崖絶壁をめぐらした三百米突メートルの高い立場の村落で、城の跡であり、風光明媚、四季常に遊覧の雅人があとをたゝないと言ふ位の地方であつた。

さう言ふ所に居た私は、単に自然の与へる知識ばかりでなく、自然の美、自然の音楽、自然の画、と言ふ風なものに常に感激を受けながら働くことが出来た。

私はフランスを帰る時、日本に来ても斯うした百姓生活をしたいと思つて帰つたのである。

然るに、事、志しと違つて、生活にばかり追はれて、今日迄騒がしい生活を送つて来たのである。もと〱一角の土地を持つた人間でないのだから、百姓をしやうと思つたつてそれは不可能のことであつた。それも激しい筋肉労働に堪へるだけの体力を持つたならそれ専門に百姓になれるのだが、それも出来ぬのは文筆労働に生活を立てゝ来た懲罰だ。半農生活するより成り立たない。

今日、私がやり始めやうとする百姓生活は、ほんのまだ試験の第一歩なのである。この試験に依つてこの農業がどうなるか――葡萄が出来るなら葡萄も作り、それから葡萄酒も作つて見たい。林檎が出来るなら林檎酒も作りたい。それから、鶏、豚、山羊、兎も飼つて見たい。出来るなら、もつと山奥へ這入つて人の捨てゝ行つた土地を耕してやり度いのである。しかし、それで生活も立てられまいから、文筆労働もやらなければなるまい。今日の資本主義のもとに事業をやらうと思へば、どうしても資本主義になるから、さう言ふことはやり度くない。自分の生活は出来るかぎり原始的な自給自足で労働をする。それは、一人ではいけないから、仲間があれば共にやり、それが私の社会運動になれば面白いと思ふのである。

そこで斯う言ふ……現代社会思想を検討すると、ジヤン・ジヤツク・ルーソー以来、今日に至る迄自然生活に帰れと言ふ感想と生活とが、非常な勢ひをもつて近代人を動かしつゝあることに気がつく。ルーソーは自然に帰れと教へたが、ルーソーの思想はフランス大革命を起させたが、それは起させただけで、その思想を実現しないでわきへそれた。そこでその後に生れた社会主義の鼻祖と言はれるシヤルル・フーリエは更に一歩を進んで、土に帰れと教へた。イギリスの社会主義の父と言はれる、ロバート・オーエンの実現しやうとしたところも、主農的共同生活であつた。

かうした思想の傾向はずん〱延びて来て、イギリスで言へばラスキンとか、ウイリヤム・モリス、それから先に言つたカーペンターなどは皆この傾向に属して、近代機械文明を呪つて自然に帰れ、土に帰れ、と教へたのである。トルストイの如きもそれである。ルクリユの如きもそれである。クロポトキンの如きもやはりその系統に属するのである。

かうした思想は今日真実を求むる人々の生活の上に深く喰ひ込むで来て、実際の生活として、若くは生活運動として、力強い発展を示して居る。

今日は無産政党の盛んの時だけれど、私は余りこれに興味を持たなくなつて、何だか隠遁生活じみてゐるやうだが、決して隠遁するつもりではないのである。寧ろ、これからほんとの私の積極的の生活になつて行くと信じて居る、バヴヱルの塔を望んで狂奔してゐたのでは、百年千年待たうとも、落ち着く先は見当らぬ。

底本 / Source edition

底本:「石川三四郎著作集第三巻」青土社
1978(昭和53)年8月10日発行
初出:「読売新聞」
1927(昭和2)年3月21日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:田中敬三
校正:松永正敏
2006年11月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
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石川 三四郎「半農生活者の群に入るまで」(新字旧仮名)、底本『石川三四郎著作集第三巻』青土社、1978年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046456_001170, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite