## コロボックル風俗考（第一回）

理學士　坪井正五郎

## 緒言

此風俗考を讀むに先だちて知らざるべからざる事數件有り。此所に列記して緒言とす。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">コロボックルとは何ぞ</span>。コロボックルとは元來北海道現住のアイヌ、所謂舊土人が己れ等よりも更に舊く彼の地に棲息せし人民に負はせたる名稱の一なり。然れども此人民の遺物なりとアイヌの言ひ傳へたる物を見るに本邦諸地方の石器時代遺跡に於て發見さるる古器物と同性質にして彼も此も正しく同一人民の手に成りしと考へらるるが故に、余は北海道以外に生存せし者をも人種を等しうする限りは、總てコロボックルなるアイヌ語を以て呼ぶ事となせり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">コロボックルの意義</span>　コロボックルとはコロコニ即ち蕗、ボック即ち下、グル即ち人と云ふ三つの言葉より成れる名稱にして、蕗の下の人の義なり。アイヌに先だちて北海道の地に住せし人民は蕗の葉を以て其家の屋根を覆ひたる故アイヌは彼等に此名を與へたりと云ふ　此名は决して何れの地のアイヌも一樣に知れるものにはあらず。或地方にてはトイチセクルと云ふ名行はれ、或地方にてはトイチクルと云ふ名傳はれり。此他に異名多し。余が殊にコロボックルなる名稱を撰びたるは其口調好くして呼び易きと、多少世人に知られたるとに由るのみ。余は此人民の家は何地に於ても蕗の葉にて葺かれたりと信ずるにはあらす。讀者諸君コロボックルなる名を以て單に石器時代の跡を遺したる人民を呼ぶ假り名なりと考へらるれば可なり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">石器時代遺跡</span>。これ右記述中にて殊に肝要なる言葉なり。念の爲手短に説明せん。我々日本人は現に鐵製の刃物を用ゐ居れども、世界中の人類が古今を通じて悉く然るにはあらず。曾て金屬の用を知らざりし人民も有れば、亦今尚ほ石を以て矢の根、槍先、斧の類を造る人民もあり。事の過去に屬すると現在に屬するとを問はず、人類が主として石の刃物を製造使用する時期をば人類學者は稱して石器時代と云ふなり。アウストラリヤ土人の如きは現在の石器時代人民の一例にして本邦諸地方に石の矢の根、石の斧等を遺したる者は過去の石器時代人民の一例なり。現在の例は一に止まるに非ず、過去の例亦甚多し。隨つて石器時代遺跡の種類も性質も諸所必しも一致するには非ざるなり。他國の事は姑く措き余は先づ我が日本の地に存在する石器時代遺跡の種類をば左に列擧すべし。

一、<ruby><rb>貝塚</rb><rt>かひづか</rt></ruby>。多量の貝殼積み重なりて廣大なる物捨て塲の体を成せるもの。好例東京王子西ヶ原に在り。

二、<ruby><rb>遺物包含地</rb><rt>ゐぶつはうがんち</rt></ruby>。地下に石器及び他の石器時代遺物を包含する所。好例埼玉大宮公園内に在り。

三、<ruby><rb>竪穴</rb><rt>たてあな</rt></ruby>。直徑二三間或は四五間の摺り鉢形の大穴。好例釧路國釧路郡役所近傍に在り。

是等は正當に石器時代の遺跡と稱すべきものなれど尚ほ他にも石器時代遺物の發見さるる所あり。これ以上の三種破壞攪亂されたる結果たるに過ぎざるなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">石器時代遺物</span>。石器時代の遺跡は石器時代の遺物存在に由つて始めて確めらるるものなり。今此遺物中にて主要なる人造物を撰み出し其名目を掲ぐれば左の如し。

一、<ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>―石の矢の根、欠き造りの石の斧、磨き造りの石の斧　二、<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>―瓶、鉢、壺、椀、人形。三、<ruby><rb>骨器</rb><rt>こき</rt></ruby>　　　　　　　　　　四、<ruby><rb>角器</rb><rt>かくき</rt></ruby>

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">石器時代人民に關する口碑傳説</span>。石器時代の古物遺跡に關しては日本人中に傳ふる所の説誠に區々にて或は石器を以て神、天狗、雷の造る所となし、或は石器時代の土器を以て源義家酒宴の盃、又は鎌倉繁榮時代の鮹壺となし、或は貝塚を以て巨大なる人の住ひ跡となす。アイヌの口碑は是に反して何れの地に於けるも一樣なり。其大要を云へば次の如し。

アイヌは元來日本本州の方に居りし者なるが日本人の爲に追はれて北海道の地に移り來りしなり。其頃此地にアイヌと異りたる人類住ひ居れり。此人民は石にて刃物を造り、土にて鍋鉢を造り、竪穴を堀つて住居とせり。最初はアイヌと物品交易抔爲せしが後に至つてアイヌと不和を生じ追々と何れへか去り徃きて今日は誰も其所在を知らず。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">本邦石器時代の年歴</span>。北海道に石器時代人民の居りしは今より數百年前の事なるべけれど、日本本州に在る同人民の遺跡は更に古くして東京邊に於けるものは恐らく三千年を經過し居るならん。此人民もアイヌと等しく、本州より北海道の地に移りしものと考へらるるなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">コロボックル風俗</span>。北海道其他本邦諸地方に石器時代の跡を遺したる人民の風俗は如何なりしや。幾分かはアイヌの云ひ傳へたるコロボックルの昔話しのみに徴して知るを得べく、幾分かは古物遺跡の研究のみに由つて知るを得べけれど、兩者を對照して考ふる時には、一方を以て他方の不足を補ふことも有るべく、相方一に歸して想像を慥にすることも有るべく、互に相俟つて一事を證することも有るべく、石器を遺し、コロボックルの名を得たる此古代人民の風俗は一層明瞭と成るべきなり。以上指し示したる二つの根據は共に過ぎ去りたる事柄なるが、是等の他にも亦現在の事實にして參考に供すべきものあるなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">未開人民の現状</span>。未開人民の現状は實にコロボックルの風俗を探るに當つて大に參考とすべきものなり。石器時代の境界に在る人民今尚ほ存すとは既に云ひし所なるが本邦にて發見する石器の使ひ方造り方の如きは是等人民の所業を調査して始めて精く知るを得べきなり。土器の製造法も使用法も、竪穴の住ひ方も、貝塚の出來方も同じく皆現存未開人民の行爲に就て正しく推考することを得。此他の風俗に關する諸事に於ても亦然り。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">コロボックル風俗考の主意</span>。コロボックル風俗は第一、アイヌの傳へたる口碑、第二、本邦石器時代の古物遺跡、第三、未開人民の現状の三種の事柄に基いて考定すべきものなるが、之を爲すの主意たるや、啻に本邦古代住民コロボックルの生活の有樣を明にするのみならず、此人民と他の人民との關係、此人民の行衛迄も明にせんとするに在るなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">コロボックルの体質</span>。コロボックルは丈低き人民なりしとは諸地方アイヌの一樣に云ふ所なり。中には一尺計りと云ふ者もあり、八寸計りと云ふ者もあれど、こは日本語にて丈低き者をば一寸法師と呼ぶが如く形容たるに過ぎざるべし。容貌は男女見別け難かりしと云へば男子には髯無かりしならん。石器時代の土偶中には男子を摸せしと思はるる者も有れど髯の形を作り設けしものは未だ見ず。男子に髯無くして容貌女と等しき人民は他に例無きにあらず。アメリカの北端に住むエスキモとアジヤの東北端に住むチクチとの如きは殊に然りとす。コロボックルの顏の形は如何なりしか固より確知する能はずと雖とも土偶の面部の或は圓く或は平たきを以て考ふれば恐らく圓形なりしならんと思はるるなり。

## ●身体裝飾

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">頭髮</span>　コロボックルは頭髮を如何に斷ちしや如何に束ねしや、余は或るアイヌよりコロボックルの女はアイヌの女と同樣に頭髮を切り下げに爲し居りし由との事を聞きしのみにて他には口碑に就て得る所無し。土偶に據つて考ふれば、男子は頭髮を頂上にて一つに束ね稍冠下の如くにし、女子は或は頭後に渦卷きを作り或は頭上に五つの小髷を載せ或は髮を左右に等分して全体を、への字形に爲せしと思はる。揷圖第一の周圍に在るは土偶頭部の實例にして中央に畫きたるは此等及ひ他の標本を基として作りたる想像圖なり。

實例圖中、上の中央に在るものは理科大學人類學教室所藏、其右のものは佐藤蔀氏藏、其下は岡田毅三郎氏藏、上の左は帝國博物舘藏、其下は理科大學人類學教室藏、下の中央は田口惣右衛門氏藏、其右は唐澤貞次郎氏藏、下の左は唐澤辨二氏藏。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">入れ墨</span>　コロボックルの女の入れ墨せし事は諸地方のアイヌの等しく傳ふる所なり。此の裝飾を施す額分は或は手先より臂迄と云ひ或は口の周圍及び手先より臂迄と云ふ。土偶には頬の邊に入れ墨を示せし如き線を畫きしが有り。アイヌの女が入れ墨するはコロボックルの風を學びしものなりとの云ひ傳へも諸所に存す。女子の入れ墨を以て身体を飾る事類例甚多し。エスキモの如き其一なり。揷圖第二の中央に畫きたる土偶は信州松本某氏の藏、鷹野秀雄氏の報に係る。其右に畫きたるは面部入れ墨の想像圖なり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">耳飾</span>　耳飾の事は口碑に存せず。然れども諸地方發見の土偶中には耳の部分に前後に通ずる孔を穿ちたるもの往々存在するを以て見れば、耳飾の行はれたる事は疑ふべからず。凡諸人種間に行はるる耳飾には二種の別有り。第一種は耳に穿ちたる孔に緩く下ぐる輪形の物。第二種は耳に穿ちたる孔に固く挾む棒形或はリウゴ形の物なり。土偶の耳の部には元來動き易き摸造の耳輪着け有りしものの如く、實際に於ても恐くは獸の皮、植物の線緯等にて作れる輪形の耳飾用ゐらしれならん。第二種の耳飾も存在せしやに考へらるれど未だ確言するを得ず。想像圖中には輪形の耳飾のみを畫きたり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">唇飾</span>　土偶中には口の兩端に三角形のものを畫きたる有り。又口の周圍に環點を付けしもの有り。或る者は入れ墨なるも知るべからず、或る者は覆面の模樣なるも知るべからずと雖も、余は是等の中には唇飾も有るならんと考ふ。唇飾とは口の周邊に孔を穿ちて是に固く挾む所の棒形或はリウゴ形の裝飾なり。耳飾も唇飾も身体を傷くるに於ては同等なる弊風なり。されど甲は其分布甚だ廣くして、自ら開化人なりと稱する人々の中にさへ盛に行はれ、乙は其分布割り合に狹くして、發達したる社會に於ては跟跡だに見ざるが故に、古代の石器時代人民が耳輪を用ゐたりとの事を信ずる人も或は唇飾の事を疑はん。實に唇飾は耳輪よりも不便にして着け惡き物たるに相違無し。然れども習慣と成れば彼の支那婦人の小足の如き事も有るものにて、口の兩端或は周圍に孔を穿ちて唇飾を着くる風は現にエスキモ、チクチ、其他アメリカ、アフリカの諸土人中に行はれ居るなり。高橋鑛吉氏が宇都宮近傍に於て獲られたる土製の小さきリウゴ形の物は其形其大さ誠に好く現行の唇飾に似たり。物質は異れど此物の用は恐く唇飾ならん。右の下に畫きたる男子が唇飾を着けたる想像圖なり。

揷圖第二の中にて、口の兩端に二重の三角の畫き有る土偶は水戸徳川家の藏、簡單なる三角の畫き有るは羽後某氏の藏、口の四方に點を打ちたるは岡田毅三郎氏藏、口の周圍に點を打ち廻らしたるは理科大學人類學教室藏。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">頸飾</span>　土偶中には頸の周圍に紐を纒ひしが如きもの有り。恐らくは頸飾ならん。石器時代遺跡發見物中に在る曲玉及び其類品は裝飾として種々に用ゐられしなるべけれど、頸輪に貫くが如きは主要なる事なりしと信ず。石器時代の曲玉と我々日本人の祖先の用ゐたる曲玉とは其性質に於て等しからざる所有り。彼此混ずべからず。

揷圖第二に畫き集めたる玉類の中にて上段の右の端なるは栗色の石にて造れる物なり。所有主は理科大學人類學教室。次は緑色の石にて造れる物。兩面に各數個の切り目有り。但し表裏其紋を異にす。所有主は三宅長策氏。次は前と等しく緑色の石にて造れる物なれど切り目の付け方は相違せり。所有主は毛利昌教氏。次は鹿の角にて造れる物。所有主右に同じ。下の方に畫きたる二個の中、豆の莢の如き形したるは緑色の石にて造れる物。兩面に多くの切り目有り。所有主は高橋鑛吉氏。其下なるは鼠色の石にて造れる物。圓き部分の周邊に切り目有り。所有主は三宅米吉氏。

以上或は美しき原料を撰び或は巧みなる細工を施したるを以て考ふれば、是等の玉類は裝飾とするに足る物にして、一端に紐を貫く可き孔を穿ちたるが如きは誠に面白き事實と云ふべし。此他、池袋、馬込、新地等よりは徑三四分位の石製の小玉にて孔を有する物出でたる事有り。何れも頸の周圍抔に裝飾として着けし物ならん。右の上に畫きたるは女子が玉類を頸飾とせし体なり。（續出）

  


## ○コロボツクル風俗考第二回（揷畫參看）

理學士　坪井正五郎

## ●衣服

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">總説</span>　コロボツクルの<ruby><rb>衣服</rb><rt>いふく</rt></ruby>に付きては口碑甚不完全なり。或地のアイヌはコロボツクルの<ruby><rb>男子</rb><rt>だんし</rt></ruby>は<ruby><rb>裸体</rb><rt>らたい</rt></ruby>なりし<ruby><rb>由</rb><rt>よし</rt></ruby>云へど、そは屋内の<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>か屋外の事か詳ならず、<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つ女子は如何なりしか傳へず。<ruby><rb>又</rb><rt>また</rt></ruby><ruby><rb>或地</rb><rt>あるち</rt></ruby>のアイヌはコロボツクルの<ruby><rb>女子</rb><rt>じよし</rt></ruby>がアイヌに近寄る時には<ruby><rb>片袖</rb><rt>かたそで</rt></ruby>にて口を<ruby><rb>覆</rb><rt>お</rt></ruby>ひたりと云ひ傳ふ。女子が或種類の衣服を着せしとの<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>は深く考ふる要無し。男子の<ruby><rb>裸体</rb><rt>らたい</rt></ruby>なりしとの事は輕々しく<ruby><rb>看過</rb><rt>くわんくわ</rt></ruby>すべからず。アイヌは<ruby><rb>膚</rb><rt>はだ</rt></ruby>を露す事を耻づる人民なり。住居の<ruby><rb>内</rb><rt>うち</rt></ruby>たると外たるとを問はず<ruby><rb>裸体</rb><rt>らたい</rt></ruby>にて人の前に出づる事無し。コロボツクルの男子中<ruby><rb>果</rb><rt>はた</rt></ruby>して衣服を<ruby><rb>着</rb><rt>つけ</rt></ruby>ざる者有りとせばアイヌは<ruby><rb>實</rb><rt>じつ</rt></ruby>に其<ruby><rb>無作法</rb><rt>ぶさはふ</rt></ruby>に<ruby><rb>驚</rb><rt>おどろ</rt></ruby>きしならん。氣候の<ruby><rb>寒暖</rb><rt>かんだん</rt></ruby>は衣服の有無を<ruby><rb>决定</rb><rt>けつてい</rt></ruby>するものに<ruby><rb>非</rb><rt>あら</rt></ruby>ず。テラデルフユウゴの住民は寒地に在りても<ruby><rb>裸体</rb><rt>らたい</rt></ruby>にて生活す。彼のエスキモを見よ屋外に<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>づるには温き<ruby><rb>衣服</rb><rt>いふく</rt></ruby>を<ruby><rb>纒</rb><rt>まと</rt></ruby>へども屋内に入れば男女の<ruby><rb>別</rb><rt>べつ</rt></ruby>無く屡ば裸体となるに<ruby><rb>非</rb><rt>あら</rt></ruby>ずや。生來の習慣と住居の<ruby><rb>搆造</rb><rt>こうぞう</rt></ruby>とは寒地人民の裸体を許すものなり。<ruby><rb>習慣</rb><rt>しうくわん</rt></ruby>を異にし住居を異にするアイヌとコロボツクルが<ruby><rb>裸体</rb><rt>らたい</rt></ruby>に<ruby><rb>對</rb><rt>たい</rt></ruby>する考へを等しうせざるは<ruby><rb>怪</rb><rt>あやし</rt></ruby>むに足らず。余はコロボツクルは<ruby><rb>衣服</rb><rt>いふく</rt></ruby>を<ruby><rb>有</rb><rt>いう</rt></ruby>すれど<ruby><rb>時</rb><rt>とき</rt></ruby>としては屋内抔にて之を脱ぐ事有りしならんと<ruby><rb>想像</rb><rt>そうぞう</rt></ruby>す。以上は口碑に<ruby><rb>重</rb><rt>をも</rt></ruby>きを<ruby><rb>置</rb><rt>を</rt></ruby>きての説なり。之を<ruby><rb>土偶</rb><rt>どぐう</rt></ruby>に徴するに、裸体のもの<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>り、着服のもの有りて<ruby><rb>前述</rb><rt>ぜんじゆつ</rt></ruby>の諸事中<ruby><rb>甚</rb><rt>はなはだ</rt></ruby>しき誤無きを證す。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">股引</span>　土偶に據りてコロボツクルの<ruby><rb>服裝</rb><rt>ふくそう</rt></ruby>を考ふるに、身体の上半は<ruby><rb>筒袖</rb><rt>つつそで</rt></ruby>の上着を以て覆ひ、下半は股引を以て<ruby><rb>覆</rb><rt>お</rt></ruby>ふ。着服の順序より云へば先づ股引に付いて<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>ぶるを<ruby><rb>適當</rb><rt>てきたう</rt></ruby>とす。此物に二種の別有り。第一種は<ruby><rb>普通</rb><rt>ふつう</rt></ruby>の股引にして、<ruby><rb>膚</rb><rt>はだへ</rt></ruby>に密接するもの、第二種は<ruby><rb>裁</rb><rt>た</rt></ruby>ち付け袴の類にして、全体甚<ruby><rb>寛</rb><rt>ゆる</rt></ruby>やかに、僅に足首の所に於て<ruby><rb>固</rb><rt>かた</rt></ruby>く<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>られたるもの。

第一種は<ruby><rb>模樣</rb><rt>もよう</rt></ruby>に隨つて左の如く小別するを得。

（い）<ruby><rb>腰</rb><rt>こし</rt></ruby>より足首迄の間に一行より五六行位の<ruby><rb>横線</rb><rt>わうせん</rt></ruby>を<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたるもの。是等の中には<ruby><rb>單</rb><rt>たん</rt></ruby>に<ruby><rb>凹</rb><rt>くぼ</rt></ruby>ましたるも有り亦朱にて<ruby><rb>彩</rb><rt>いろど</rt></ruby>りたるも有り。

（ろ）腰より足首に<ruby><rb>達</rb><rt>たつ</rt></ruby>する二條の縱線を畫きたるもの。

（は）腰より足首迄の間に十行計りの横線を畫きたるもの。

（に）腰の<ruby><rb>邊</rb><rt>へん</rt></ruby>に一段の仕切りを爲して此中に<ruby><rb>種々</rb><rt>しゆ〲</rt></ruby>の小模樣を畫きたるもの。

第二種は左の二より成る。

（い）無紋。

（ろ）曲線<ruby><rb>連合</rb><rt>れんがふ</rt></ruby>の模樣有るもの。

股引に二種類有るは何に由るか未詳。然れども<ruby><rb>乳房</rb><rt>にうばう</rt></ruby>の部の<ruby><rb>膨</rb><rt>は</rt></ruby>れ方少き土偶に限りて第二種を<ruby><rb>穿</rb><rt>は</rt></ruby>きたる樣に作り有るを見れば或は此方は男子用にして第一種は女子用ならんか。エスキモ男子中には第二種と<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しき股引を穿く者有り。彼等の<ruby><rb>多數</rb><rt>たすう</rt></ruby>は男子共に第一種と同樣なる形の股引を<ruby><rb>穿</rb><rt>は</rt></ruby>く。原料の事は後に云ふべし」揷圖中、右の上（根岸武香氏藏）、其下（加藤某氏藏）、其<ruby><rb>斜</rb><rt>ななめ</rt></ruby>に左の下（人類學教室藏）三個は第二種の<ruby><rb>好例</rb><rt>かうれい</rt></ruby>なり。此他の脚部は皆第一種に屬す。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">上着</span>　コロボツクルは身体の上半を覆ふに上着のみを以てせしか、他に膚着の類有りしか、知るに由無し。今は只上着のみに付きて<ruby><rb>記述</rb><rt>きじゆつ</rt></ruby>を<ruby><rb>試</rb><rt>こころ</rt></ruby>むべし。

上着にも<ruby><rb>慥</rb><rt>たしか</rt></ruby>に二種の別有り。第一種は普通のフラネル製のシヤツの如く<ruby><rb>胸部</rb><rt>きやうぶ</rt></ruby>より<ruby><rb>腹部</rb><rt>ふくぶ</rt></ruby>に<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けて<ruby><rb>縱</rb><rt>たて</rt></ruby>に眞直に合はせ目有り。第二種は白シヤツの如く胸部に<ruby><rb>開</rb><rt>ひら</rt></ruby>きたる所有りて腹部は<ruby><rb>左右</rb><rt>さゆう</rt></ruby><ruby><rb>連接</rb><rt>れんせつ</rt></ruby>す之を着るには第一種に在つては<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>を以て諸所を<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>り、第二種に在つては胸部を開きたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>にし、すでれ上部のみを紐にて<ruby><rb>止</rb><rt>と</rt></ruby>めたるならん。第一種の方には<ruby><rb>略製</rb><rt>りやくせい</rt></ruby>にして胸部の<ruby><rb>搆造</rb><rt>かうざう</rt></ruby><ruby><rb>詳</rb><rt>つまびらか</rt></ruby>ならざるものも有れど大概は右に<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べしが如くなるべし。兩種共樣々の<ruby><rb>模樣</rb><rt>もやう</rt></ruby>有り。殊に<ruby><rb>渦卷</rb><rt>うづま</rt></ruby>き形を多しとす。第二種の上着は第二種の股引と<ruby><rb>相</rb><rt>あひ</rt></ruby><ruby><rb>伴</rb><rt>とも</rt></ruby>なふに因つて思へば此物は男子の着用品ならんか。第一種の上着を着する<ruby><rb>土偶</rb><rt>どぐう</rt></ruby>には乳房の部の<ruby><rb>膨</rb><rt>は</rt></ruby>れ方甚きもの有り。是亦第一種の<ruby><rb>婦人</rb><rt>ふじん</rt></ruby>用たるを示すものの如し。

揷圖中、右の上、其下、左の端より二行目の<ruby><rb>中央</rb><rt>ちうわう</rt></ruby>の三個は第二種の好例なり。（此他の土偶は皆人類學教室藏）エスキモは<ruby><rb>現</rb><rt>げん</rt></ruby>に是等と同樣なる上着を用う。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">男女服裝の別</span>　土偶の用未だ詳ならざれば、其<ruby><rb>模</rb><rt>も</rt></ruby>したる物は男子のみの形か女子のみの形か、男女兩樣か明かに云ふ能はず。股引と上着とに各二種<ruby><rb>宛</rb><rt>づつ</rt></ruby>の別有るは地方の<ruby><rb>風</rb><rt>ふう</rt></ruby>の<ruby><rb>異</rb><rt>ことな</rt></ruby>るを示すものが<ruby><rb>階級</rb><rt>かいきう</rt></ruby>の上下を示すものか是亦<ruby><rb>疑</rb><rt>うたが</rt></ruby>ひ無き能はざれど、其二種に限られしが如きと、兩樣の土偶一ヶ所より出づる事有るとは<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>をして土偶形状の<ruby><rb>別</rb><rt>べつ</rt></ruby>は男女の別を示すものならんとの考へを<ruby><rb>強</rb><rt>つよ</rt></ruby>からしむるなり。<ruby><rb>乳房</rb><rt>にうはう</rt></ruby>の部の膨れ方に大小の差有るは尤も注意すべき事たり。余は<ruby><rb>有力</rb><rt>ゆうりよく</rt></ruby>なる<ruby><rb>反證</rb><rt>はんしよう</rt></ruby>を發見する迄は二樣の土偶は男女の相異を示すものとして<ruby><rb>記述</rb><rt>きじゆつ</rt></ruby>すべし。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">穿き物</span>　土偶中には足の指を示したるものと然らざるものと有り。前者は<ruby><rb>素足</rb><rt>すあし</rt></ruby>の形にして後者は穿き物を着けたる形ならん。但し穿き物の搆造は未だ詳ならず。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">衣服の原料</span>　石器時代の土器の中には表面に<ruby><rb>織</rb><rt>を</rt></ruby>り<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>を<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し付けたる<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>有るものあり。織り物には<ruby><rb>精粗</rb><rt>せいそ</rt></ruby>の別あれど最も<ruby><rb>精巧</rb><rt>せいこう</rt></ruby>なるは五分四方に、たて、ぬき共に十八あり。アイヌの製するアツシ織りは五分四方に、たて十四、ぬき十計り故、コロボツクルの織り物中にはアイヌの<ruby><rb>衣服原料</rb><rt>いふくげんれう</rt></ruby>よりは更に<ruby><rb>精巧</rb><rt>せいこう</rt></ruby>なるもの有りしなり。コロボツクルは獸の<ruby><rb>皮抔</rb><rt>かはなど</rt></ruby>を以て衣服を作りし事も有らん。然れども土偶の衣服の部には他の土器の表面と同じく織り物を押し付けし痕有るもの少からず。<ruby><rb>既</rb><rt>すで</rt></ruby>に衣服とするに足る織り物有り、土偶又織り物の痕を有す、余は<ruby><rb>少</rb><rt>すくな</rt></ruby>くともコロボツクルの衣服の或る物は織り物を以て<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>りたりと<ruby><rb>確信</rb><rt>かくしん</rt></ruby>す。此織り物の<ruby><rb>經緯</rb><rt>けいゐ</rt></ruby>に用ゐたる糸は何より製せしや未だ明かならざれど、或る種類の<ruby><rb>植物線緯</rb><rt>しよくぶつせんゐ</rt></ruby>なる事は<ruby><rb>疑</rb><rt>うたが</rt></ruby>ふべからず。織り方は普通の布とは異れり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">裁縫</span>　コロボツクルが衣服を作るには<ruby><rb>皮</rb><rt>かは</rt></ruby>にも有れ布にも有れ適宜の大さ<ruby><rb>適宜</rb><rt>てきぎ</rt></ruby>の形に切りて之を<ruby><rb>縫</rb><rt>ぬ</rt></ruby>ひ合はせし事勿論なり。筒袖と云ひ股引と云ひ一續きに作るを得べきものに非ず。切れ物は鋭き石の<ruby><rb>刄物</rb><rt>はもの</rt></ruby>なるべく、<ruby><rb>針</rb><rt>はり</rt></ruby>は骨にて作りたるものなるべし。是等の器具に付きては別に記す所有るべし。共に石器時代の<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>より出づ。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">裝飾</span>　衣服の<ruby><rb>裝飾</rb><rt>そうしよく</rt></ruby>は<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>を<ruby><rb>縫</rb><rt>ぬ</rt></ruby>ひ付け、又は糸にて縫ひ取り、又は繪の具にて<ruby><rb>塗</rb><rt>ぬ</rt></ruby>りて作りしと思はる。土偶中には<ruby><rb>上着</rb><rt>うはぎ</rt></ruby>の所々に赤き<ruby><rb>繪</rb><rt>ゑ</rt></ruby>の<ruby><rb>具</rb><rt>ぐ</rt></ruby>を付けたるも有り、股引に數個の横線　畫きたるも有るなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">紐</span>　紐は上着の<ruby><rb>襟</rb><rt>えり</rt></ruby>を止める爲にも、股引を身に着ける爲にも必要にして、又<ruby><rb>裝飾</rb><rt>そうしよく</rt></ruby>にも欠く可からざる物なり。土器の表面の模樣中には<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>を押し付けし痕有り。是等を<ruby><rb>調査</rb><rt>ちやうさ</rt></ruby>すれば種々の平打ち紐の有りし事を認むべし。其<ruby><rb>原料</rb><rt>げんれう</rt></ruby>は植物の<ruby><rb>皮</rb><rt>かは</rt></ruby>なるが如し。

（續出）

附言　前回の揷圖中、頭髮に關するものの外他は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">余の送りたる圖と其位置全く異りたる爲</span>説明更に合はず。余は<ruby><rb>責任者</rb><rt>せきにんしや</rt></ruby>が讀者に對して<ruby><rb>謝</rb><rt>しや</rt></ruby>する所有る可しと<ruby><rb>確信</rb><rt>かくしん</rt></ruby>す。

  


## ○コロボツクル風俗考　第三回（揷畫參看）

理學士　坪井正五郎

## ●冠り物

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">總説</span>　冠り物に關しては<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby>更に無し。併し土偶を<ruby><rb>調査</rb><rt>てうさ</rt></ruby>すれば慥に二種有りし事知らるるなり。其一は<ruby><rb>通常</rb><rt>つうじやう</rt></ruby>の帽子の如く<ruby><rb>頭上</rb><rt>とうぢやう</rt></ruby>に戴くもの、其二は<ruby><rb>外套頭巾</rb><rt>ぐわいたうづきん</rt></ruby>の如く不用の時は頭後に<ruby><rb>埀</rb><rt>た</rt></ruby>れ置くを得るものなり。<ruby><rb>別種</rb><rt>べつしゆ</rt></ruby>の冠り物も有りしやに<ruby><rb>見</rb><rt>み</rt></ruby>ゆれど精くは言ひ難し。<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>には二種として<ruby><rb>説明</rb><rt>せつめい</rt></ruby>すべし。<ruby><rb>原料</rb><rt>げんれう</rt></ruby>として用ゐたるは獸皮或は<ruby><rb>織物</rb><rt>をりもの</rt></ruby>ならん。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">帽子</span>　土偶中には<ruby><rb>帽子</rb><rt>ばうし</rt></ruby>を戴きたるが如くに<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>られたる物二個有り。一は鍔の<ruby><rb>幅廣</rb><rt>はばひろ</rt></ruby>き帽子をば後部にて縱に截り、<ruby><rb>鍔</rb><rt>つば</rt></ruby>の<ruby><rb>端</rb><rt>はし</rt></ruby>をば下の方に<ruby><rb>引</rb><rt>ひ</rt></ruby>きて且つ後頭部に<ruby><rb>押</rb><rt>を</rt></ruby>し付けたるが如き<ruby><rb>形</rb><rt>かた</rt></ruby>なり。此土偶は常陸國相馬郡小文間にて<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>せし物にして岡田毅三郎氏の<ruby><rb>所藏</rb><rt>しよざう</rt></ruby>（第一回の揷圖右の方下の隅を見よ）他の一は<ruby><rb>鍔</rb><rt>つば</rt></ruby>の幅廣き帽子をば前部にて<ruby><rb>筋違</rb><rt>すぢか</rt></ruby>ひに截り、鍔の端をば辷らして右の方は<ruby><rb>額</rb><rt>したへ</rt></ruby>の方に下げ、左の方は頂の方に<ruby><rb>寄</rb><rt>よ</rt></ruby>せたるが如き形なり。<ruby><rb>此土偶</rb><rt>このどぐう</rt></ruby>は羽後國秋田郡船川村、字、田中、小字、<ruby><rb>大澤</rb><rt>おほさは</rt></ruby>にて發見せし<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>にして佐藤初太郎氏の所藏。二種の<ruby><rb>帽子</rb><rt>ばうし</rt></ruby>の形状は右に<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べたる通りなるが、<ruby><rb>實物</rb><rt>じつぶつ</rt></ruby>の<ruby><rb>搆造</rb><rt>かうざう</rt></ruby>は果して如何なりしか<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>は未だ考定の<ruby><rb>材料</rb><rt>ざいれう</rt></ruby>を有せず。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">頭巾</span>　頭巾を<ruby><rb>着</rb><rt>き</rt></ruby>たる形に見ゆる土偶五個有り。<ruby><rb>其發見地</rb><rt>そのはつけんち</rt></ruby>及び所藏主は左の<ruby><rb>如</rb><rt>ごと</rt></ruby>し。（揷圖中央を見よ）

一、常陸國河内郡椎塚發見　　　理科大學人類學教室藏

二、下總國千葉郡小金澤村發見　帝國博物舘藏

三、常陸國河内郡福田村發見　　理科大學人類學教室藏

四、常陸國河内郡椎塚發見　　　同前

五、同前　　　　　　　　　　　同前

此中四個の<ruby><rb>表面</rb><rt>へうめん</rt></ruby>には額の部に「一の字」形隆まり有り、<ruby><rb>又</rb><rt>また</rt></ruby><ruby><rb>兩方</rb><rt>りやうはう</rt></ruby>の<ruby><rb>耳</rb><rt>みみ</rt></ruby>の<ruby><rb>邊</rb><rt>へん</rt></ruby>より顎の邊へ掛けて「への字」を倒さにしたる<ruby><rb>形</rb><rt>かた</rt></ruby>の隆まりも有り。<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby>の隆まりにて界されたる中に<ruby><rb>兩眼</rb><rt>りやうがん</rt></ruby>と鼻と口との存するを見れば、土偶は<ruby><rb>頭巾</rb><rt>づきん</rt></ruby>の前部より面の<ruby><rb>現</rb><rt>あらは</rt></ruby>れたる形に<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>られ有るが如し。第三の<ruby><rb>土偶</rb><rt>どぐう</rt></ruby>は面の上下共凹みたる<ruby><rb>線</rb><rt>せん</rt></ruby>にて界されたれど、<ruby><rb>全体</rb><rt>ぜんたい</rt></ruby>の形状境界の<ruby><rb>位置共</rb><rt>ゐちとも</rt></ruby>他の土偶と<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しくして、示す所は同じく頭巾の<ruby><rb>縁</rb><rt>へり</rt></ruby>にて面の上下を<ruby><rb>覆</rb><rt>お</rt></ruby>ひたる形と思はる。

五個の土偶は何れも後頭部に<ruby><rb>多少</rb><rt>たせう</rt></ruby>の膨らみ有り。第一、第二、第三の三個に於ては<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に甚し。此の膨らみは<ruby><rb>疑</rb><rt>うたが</rt></ruby>ひも無く頭巾の<ruby><rb>後部</rb><rt>こうぶ</rt></ruby>を示せしものなり。第一、第二、第三の頸部には一二條の<ruby><rb>線</rb><rt>せん</rt></ruby>を<ruby><rb>廻</rb><rt>めぐ</rt></ruby>らしたり。こは<ruby><rb>頭巾</rb><rt>づきん</rt></ruby>と上着と<ruby><rb>相</rb><rt>あひ</rt></ruby><ruby><rb>連續</rb><rt>れんぞく</rt></ruby>する部分をば<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>にて括りたる状ならん。是等三個の<ruby><rb>面部左右兩端</rb><rt>めんぶさいうりやうはし</rt></ruby>には前後に<ruby><rb>貫通</rb><rt>くわんつう</rt></ruby>する小孔各一個有り。面部上下の<ruby><rb>境界</rb><rt>きやうかい</rt></ruby>を基として正確に<ruby><rb>言</rb><rt>い</rt></ruby>へば是等は頭巾の左右兩端に<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>ちたるものの如くなれど、<ruby><rb>大体</rb><rt>だい〱</rt></ruby>の位置より<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>ふれば<ruby><rb>耳輪</rb><rt>みみわ</rt></ruby>を埀るる孔を示したるかとも<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はる。余は<ruby><rb>前回</rb><rt>ぜんくわい</rt></ruby>に述べし如く乳房の突起は<ruby><rb>實際</rb><rt>じつさい</rt></ruby>の形に非ずして<ruby><rb>女性</rb><rt>ぢよせい</rt></ruby>の印しなりと<ruby><rb>信</rb><rt>しん</rt></ruby>ずる者なるが、此事にして<ruby><rb>誤</rb><rt>あやま</rt></ruby>り無くば、實際頭巾にて覆はれ<ruby><rb>居</rb><rt>を</rt></ruby>るべき耳の形が<ruby><rb>外</rb><rt>そと</rt></ruby>に作り設けて有ればとて<ruby><rb>格別</rb><rt>かくべつ</rt></ruby>に不審を<ruby><rb>懷</rb><rt>いだ</rt></ruby>くにも及ばざるべし。思ふに土偶<ruby><rb>製作者</rb><rt>せいさくしや</rt></ruby>の意は頭巾の形を表はすと<ruby><rb>同時</rb><rt>どうじ</rt></ruby>に耳輪の<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>をも併せ示さんとするに<ruby><rb>在</rb><rt>あ</rt></ruby>りしならん。

頭巾の<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじやう</rt></ruby>は普通の<ruby><rb>外套頭巾</rb><rt>ぐわいたうづきん</rt></ruby>或はエスモーの頭巾と<ruby><rb>大同小異</rb><rt>だいどうせうい</rt></ruby>なりと考へらる。

## ●覆面

<ruby><rb>覆面</rb><rt>ふくめん</rt></ruby>を着けたる形と見ゆる土偶五六個有り。覆面は<ruby><rb>皆</rb><rt>みな</rt></ruby><ruby><rb>面</rb><rt>かほ</rt></ruby>の<ruby><rb>全部</rb><rt>ぜんぶ</rt></ruby>を覆ふ假面形のものにして、<ruby><rb>粗布</rb><rt>そふ</rt></ruby>を以て<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>られたるが如し。製作の精なる方より<ruby><rb>始</rb><rt>はじ</rt></ruby>めて是等土偶の出所及び<ruby><rb>所在</rb><rt>しよざい</rt></ruby>を<ruby><rb>列記</rb><rt>れつき</rt></ruby>すれば次の如し。（第一回の揷圖參看）

一、常陸國河内郡椎塚發見　　　理科大學人類學教室藏

二、常陸國相馬郡上高井發見　　岡田毅三郎氏藏

三、下總國　　　平山村發見　　帝國博物舘藏

四、武藏國荏原郡下沼部發見　　理科大學人類學教室藏

五、同前　　　　　　　　　　　同前

何れも面部の<ruby><rb>周圍</rb><rt>しうゐ</rt></ruby>に<ruby><rb>沿</rb><rt>そふ</rt></ruby>て横長き<ruby><rb>橢圓形</rb><rt>だえんけい</rt></ruby>の隆まり有り。且つ額の部には輪廓の上縁より<ruby><rb>多少</rb><rt>たせう</rt></ruby><ruby><rb>下</rb><rt>した</rt></ruby>の方に向ひて<ruby><rb>延</rb><rt>のび</rt></ruby>たる隆まり有り。一<ruby><rb>見</rb><rt>けん</rt></ruby><ruby><rb>鼻</rb><rt>はな</rt></ruby>の如くなれど<ruby><rb>其位置</rb><rt>そのゐち</rt></ruby><ruby><rb>上部</rb><rt>じやうぶ</rt></ruby>に寄り過ぎたり。<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby>土偶の素面ならざる事は面部輪廓の隆まりと<ruby><rb>兩眼</rb><rt>りやうがん</rt></ruby>及び口の部の<ruby><rb>異形</rb><rt>いけい</rt></ruby>とに由つて<ruby><rb>推知</rb><rt>すゐち</rt></ruby>するを得れど、一、二に二個に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>ては兩眼の<ruby><rb>下</rb><rt>した</rt></ruby>に小點數個或は横の並行線<ruby><rb>數個</rb><rt>すうこ</rt></ruby>有るが故に<ruby><rb>覆面</rb><rt>ふくめん</rt></ruby>の性質は殊に<ruby><rb>著名</rb><rt>ちよめい</rt></ruby>に表示されたり。抑も斯かる覆面は何の爲に<ruby><rb>用</rb><rt>もち</rt></ruby>ゐらるるかと<ruby><rb>言</rb><rt>い</rt></ruby>へば、故らに<ruby><rb>面貌</rb><rt>めんばう</rt></ruby>を奇にする爲か<ruby><rb>他人</rb><rt>たにん</rt></ruby>に面貌を示さざる爲か<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>らざれば<ruby><rb>寒氣</rb><rt>かんき</rt></ruby>を防ぐ爲なるべし。思ふに第三種の用こそ<ruby><rb>此場合</rb><rt>このばあひ</rt></ruby>に於ける<ruby><rb>眞</rb><rt>まこと</rt></ruby>の用ならめ。<ruby><rb>此考</rb><rt>このかんが</rt></ruby>へにして誤無からんか、<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby>の覆面は氣候の寒冷を<ruby><rb>示</rb><rt>しめ</rt></ruby>すものにして前項記載の<ruby><rb>頭巾</rb><rt>づきん</rt></ruby>と能く釣り合を保てるものと云ふべし。

<ruby><rb>兩眼</rb><rt>りやうがん</rt></ruby>の部には恐らく小孔有りて<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>より外界を<ruby><rb>窺</rb><rt>うかが</rt></ruby>ふを得る樣に成し有りしならん。

覆面は如何にして<ruby><rb>面部</rb><rt>めんぶ</rt></ruby>に着けられしや。<ruby><rb>精</rb><rt>くわ</rt></ruby>しく言ふ<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>はざれど、第五の土偶にては<ruby><rb>左右兩側</rb><rt>さいうりやうがは</rt></ruby>に紐を付けて頭に<ruby><rb>結</rb><rt>むす</rt></ruby>び付けたるが如く、他の四個の土偶にては左右兩側に<ruby><rb>輪</rb><rt>わ</rt></ruby>を設けて耳に<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けたるが如し。土偶　<ruby><rb>頭髮</rb><rt>どぐうたうはつ</rt></ruby>の形状より考ふれば是等の覆面は<ruby><rb>女子</rb><rt>ぢよし</rt></ruby>の用ゐたる物と思はるるなり。

## ●遮光器

石器時代土偶中には<ruby><rb>其面貌</rb><rt>そのめんばう</rt></ruby>實に奇異なるものあり。<ruby><rb>元來</rb><rt>ぐわんらい</rt></ruby>是等土偶は<ruby><rb>身体全部</rb><rt>しんたいぜんぶ</rt></ruby>悉皆比例正しく<ruby><rb>出來居</rb><rt>できを</rt></ruby>るものには<ruby><rb>非</rb><rt>あら</rt></ruby>ざれど數個の土偶に於ては兩眼に當る<ruby><rb>部分</rb><rt>ぶぶん</rt></ruby>殊に<ruby><rb>不恰好</rb><rt>ぶかつかう</rt></ruby>に大きく作られたり。左に<ruby><rb>數例</rb><rt>すうれい</rt></ruby>を掲ぐ。（揷圖右の下及び第一回揷圖右の方下の隅を見よ）

一、陸奧國西津輕郡龜ヶ岡發見　佐藤蔀氏藏

二、同前　　　　　　　　　　　理科大學人類學教室藏

三、陸奧國二戸郡<ruby><rb>小烏谷</rb><rt>コズヤ</rt></ruby>村發見　同前

四、同前　　　　　　　　　　　同前

五、羽後國南秋田郡御所野發見　同地某氏藏

是等土偶は眼の部何れも<ruby><rb>横長</rb><rt>よこなが</rt></ruby>き橢圓形の輪廓を有し、<ruby><rb>其中央</rb><rt>そのちうわう</rt></ruby>に一條の<ruby><rb>横線</rb><rt>よこせん</rt></ruby><ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>す。輪廓全体を眼とすれば横線を<ruby><rb>瞳</rb><rt>しとみ</rt></ruby>とせざるべからず、横線のみを<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>とすれば輪廓は<ruby><rb>何</rb><rt>なに</rt></ruby>なるや考へ<ruby><rb>難</rb><rt>がた</rt></ruby>し。何れとするも能く解したりとは言ふべからず。然らば<ruby><rb>此奇異</rb><rt>このきい</rt></ruby>なる面貌は何を示したるものなるか。<ruby><rb>未開人民</rb><rt>みかいじんみん</rt></ruby>の現状を<ruby><rb>調査</rb><rt>てうさ</rt></ruby>すれば大に<ruby><rb>發明</rb><rt>はつめい</rt></ruby>する所有るなり。シベリヤ東北の<ruby><rb>住民</rb><rt>ぢうみん</rt></ruby>、アメリカ極北の住民及びグリーンランドのエスキモは眼の<ruby><rb>部分</rb><rt>ぶぶん</rt></ruby>に細き横線を截り透かしたる眼蔓樣のものを<ruby><rb>用</rb><rt>もち</rt></ruby>ゐる事有り。是太陽の<ruby><rb>光線</rb><rt>くわうせん</rt></ruby>が積雪の表面或は海水の<ruby><rb>表面</rb><rt>へうめん</rt></ruby>より反射し來つて眼を<ruby><rb>害</rb><rt>がい</rt></ruby>するを豫防せんが爲なり。<ruby><rb>其原料</rb><rt>そのげんれう</rt></ruby>には獸の皮と木との別あれど余は<ruby><rb>是等</rb><rt>これとふ</rt></ruby>を總稱して<ruby><rb>遮光器</rb><rt>しやくわうき</rt></ruby>と言ふ。奇異なる面貌の土偶は<ruby><rb>疑</rb><rt>うたが</rt></ruby>ひも無く遮光器を着けたる形なり。<ruby><rb>輪廓</rb><rt>りんかく</rt></ruby>は遮光器の<ruby><rb>周縁</rb><rt>しうゑん</rt></ruby>にして、横線は透かしなるのみ。コロボツクルの用ゐたる遮光器の<ruby><rb>原料</rb><rt>げんれう</rt></ruby>は何なりしや、<ruby><rb>明言</rb><rt>めいげん</rt></ruby>し難けれど面の彎曲に<ruby><rb>適</rb><rt>かな</rt></ruby>ふ樣に作られたると、<ruby><rb>橢圓形</rb><rt>だゑんけい</rt></ruby>の部の周縁に<ruby><rb>縫</rb><rt>ぬ</rt></ruby>ひ<ruby><rb>目</rb><rt>め</rt></ruby>の如き凹みの存するとの二つに由つて<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>ふれば<ruby><rb>恐</rb><rt>おそら</rt></ruby>くは獸の皮なりしならんと思はる縁の部のみは<ruby><rb>布</rb><rt>ぬの</rt></ruby>にて作りしものも有りしにや、第二例に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>ては此部に<ruby><rb>布目</rb><rt>ぬのめ</rt></ruby>の痕を付けたり是等の遮光器は<ruby><rb>左右兩端</rb><rt>さいうりやうはし</rt></ruby>に在る紐を以て頭に<ruby><rb>結</rb><rt>むす</rt></ruby>び付けられたるものの如し。之を用ゐしは<ruby><rb>男子</rb><rt>だんし</rt></ruby>ならん。そは此所に<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べたる如き面貌の土偶は<ruby><rb>乳房</rb><rt>ちぶさ</rt></ruby>の部の膨れ方<ruby><rb>甚</rb><rt>はなはだ</rt></ruby><ruby><rb>少</rb><rt>すくな</rt></ruby>きを以て<ruby><rb>察</rb><rt>さつ</rt></ruby>すべし。光線反射の眼に害有る<ruby><rb>男女</rb><rt>なんによ</rt></ruby>に從つて差有るの<ruby><rb>理</rb><rt>り</rt></ruby><ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>し。女子は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にして眼を<ruby><rb>保護</rb><rt>ほご</rt></ruby>せしや。今後女子にして<ruby><rb>遮光器</rb><rt>しやくわうき</rt></ruby>を着けるが如き形の土偶<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>さるる事有るやも知らざれど、余は<ruby><rb>前項</rb><rt>ぜんかう</rt></ruby>の覆面が<ruby><rb>充分</rb><rt>じうぶん</rt></ruby>遮光器の用を爲せしならんと<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>ふるなり。覆面の眼の部には小き孔ありて<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>より外を見たりとすれば、<ruby><rb>光線</rb><rt>くわうせん</rt></ruby>の反射が甚く眼を<ruby><rb>害</rb><rt>がい</rt></ruby>する事は<ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>かりしならん。

<ruby><rb>未開人民</rb><rt>みかいじんみん</rt></ruby>の現状に由つて考ふれば遮光器の<ruby><rb>必要</rb><rt>ひつえう</rt></ruby>は<ruby><rb>積雪</rb><rt>せきせつ</rt></ruby>多き時に於て殊に深く<ruby><rb>感</rb><rt>かん</rt></ruby>ずるものの如し。<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>は既に頭巾と<ruby><rb>覆面</rb><rt>ふくめん</rt></ruby>との事に付きて言ひしが如く遮光器の<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>に關しても<ruby><rb>當時</rb><rt>たうじ</rt></ruby>の<ruby><rb>氣候</rb><rt>きかう</rt></ruby><ruby><rb>寒冷</rb><rt>かんれい</rt></ruby>なりしならんとの事を<ruby><rb>想像</rb><rt>さうざう</rt></ruby>するなり。（續出）

  


## ○コロボツクル風俗考　第四回

理學士　坪井正五郎

## ●飮み物

<ruby><rb>服飾</rb><rt>ふくしよく</rt></ruby>の事は前回にて<ruby><rb>記</rb><rt>しる</rt></ruby>し<ruby><rb>終</rb><rt>おは</rt></ruby>りたれば是より飮食の事を記すべし先づ<ruby><rb>飮</rb><rt>の</rt></ruby>み物には如何なる<ruby><rb>種類</rb><rt>しゆるゐ</rt></ruby>有りしかと云ふに、<ruby><rb>人生</rb><rt>じんせい</rt></ruby><ruby><rb>欠</rb><rt>か</rt></ruby>く可からざる水は<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>、此他に<ruby><rb>酒</rb><rt>さけ</rt></ruby>とか<ruby><rb>汁</rb><rt>しる</rt></ruby>とか云ふ如き或る<ruby><rb>嗜好飮料</rb><rt>しこうゐんれう</rt></ruby>も有りしが如し。此<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>への<ruby><rb>據</rb><rt>よりどころ</rt></ruby>は後に至つて明かならん。

未開社會に於ては<ruby><rb>井戸</rb><rt>ゐど</rt></ruby>を<ruby><rb>掘</rb><rt>ほ</rt></ruby>る術、水道を<ruby><rb>設</rb><rt>まう</rt></ruby>くる術も無き<ruby><rb>譯故</rb><rt>わけゆへ</rt></ruby>、コロボツクルの如きも、水の<ruby><rb>入用</rb><rt>にうよう</rt></ruby>を<ruby><rb>感</rb><rt>かん</rt></ruby>じたる時には必ず川邊に至りしならん。<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>より<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>する所の土器の中には<ruby><rb>椀形</rb><rt>わんがた</rt></ruby>のもの少からず。是等は<ruby><rb>實</rb><rt>じつ</rt></ruby>に水を<ruby><rb>汲</rb><rt>く</rt></ruby>み水を<ruby><rb>飮</rb><rt>の</rt></ruby>むに<ruby><rb>適</rb><rt>てき</rt></ruby>したるものなり。又水を<ruby><rb>貯</rb><rt>たくわ</rt></ruby>へ置くに用ゐしならんと<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はるる瓶鉢の類も發見品中に<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>す。今日迄に<ruby><rb>知</rb><rt>し</rt></ruby>れたる土器の中にて最も大なる物も直徑一尺五寸に<ruby><rb>達</rb><rt>たつ</rt></ruby>せず。現に我々の<ruby><rb>使用</rb><rt>しよう</rt></ruby>する<ruby><rb>水瓶</rb><rt>みづがめ</rt></ruby>に比しては其<ruby><rb>容量</rb><rt>ようりやう</rt></ruby>誠に小なりと云ふべし。<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>ふにコロボツクルは<ruby><rb>屋内</rb><rt>おくない</rt></ruby>に數個の瓶鉢類を<ruby><rb>並列</rb><rt>へいれつ</rt></ruby>して是等に水を<ruby><rb>貯</rb><rt>たくわ</rt></ruby>へ<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>きしならん。

遺跡發見物中には<ruby><rb>灰</rb><rt>はい</rt></ruby>も有り<ruby><rb>燒</rb><rt>や</rt></ruby>けたる<ruby><rb>木片</rb><rt>ぼくへん</rt></ruby>も有りてコロボツクルが<ruby><rb>火</rb><rt>ひ</rt></ruby>の<ruby><rb>用</rb><rt>よう</rt></ruby>を知り居りし事は明なるが、<ruby><rb>鉢形</rb><rt>はちがた</rt></ruby><ruby><rb>鍋形</rb><rt>なべがた</rt></ruby>の土器の中には其外面の<ruby><rb>燻</rb><rt>くす</rt></ruby>ぶりたる物も有れば、<ruby><rb>湯</rb><rt>ゆ</rt></ruby>を<ruby><rb>沸</rb><rt>わ</rt></ruby>かし、食物を<ruby><rb>煮</rb><rt>に</rt></ruby>或るは<ruby><rb>羹</rb><rt>あつもの</rt></ruby>を作る事の有りしをも<ruby><rb>推知</rb><rt>すいち</rt></ruby>せらる。灰及び燒け木は<ruby><rb>竪穴</rb><rt>たてあな</rt></ruby>の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>より出づる事有り、<ruby><rb>又</rb><rt>また</rt></ruby>貝塚の中より出づる事有り。<ruby><rb>飮食物</rb><rt>いんしよくぶつ</rt></ruby>の<ruby><rb>煮焚</rb><rt>にた</rt></ruby>きは屋内にても爲し又屋外にても爲せしが如し。

余は既に土器の中に<ruby><rb>湯水</rb><rt>ゆみづ</rt></ruby>を飮むに<ruby><rb>適</rb><rt>てき</rt></ruby>したる<ruby><rb>椀形</rb><rt>わんがた</rt></ruby>のもの有る事を述べしが、別に<ruby><rb>急須形</rb><rt>きうすがた</rt></ruby>のもの有り。其<ruby><rb>製作形状</rb><rt>せいさくけいじやう</rt></ruby>等に付ては土器の事を言ふ<ruby><rb>折</rb><rt>お</rt></ruby>りに<ruby><rb>細説</rb><rt>さいせつ</rt></ruby>すべけれど、<ruby><rb>大概</rb><rt>たいがい</rt></ruby>を述ぶれば其<ruby><rb>全体</rb><rt>ぜんたい</rt></ruby>は大なる<ruby><rb>算盤玉</rb><rt>そろばんだま</rt></ruby>の如くにして<ruby><rb>横</rb><rt>よこ</rt></ruby>に<ruby><rb>卷煙草</rb><rt>まきたばこ</rt></ruby>のパイプを<ruby><rb>短</rb><rt>みぢか</rt></ruby>くせし如き形の<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>ぎ出し口付きたり。此噐の用は<ruby><rb>未</rb><rt>いま</rt></ruby>だ詳ならざれど<ruby><rb>之</rb><rt>これ</rt></ruby>を手に取りて持ち<ruby><rb>加減</rb><rt>かげん</rt></ruby>より考ふるに、<ruby><rb>兩方</rb><rt>りやうはう</rt></ruby>の掌を平らに<ruby><rb>並</rb><rt>なら</rt></ruby>べ其上に此噐を受け、掌を<ruby><rb>凹</rb><rt>ひく</rt></ruby>くして噐の<ruby><rb>底</rb><rt>そこ</rt></ruby>に當て、左右の<ruby><rb>拇指</rb><rt>おやゆび</rt></ruby>を噐の上部に<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けて噐を<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>さへ、<ruby><rb>注</rb><rt>つ</rt></ruby>ぎ出し口を我か身の方に向け之に唇を<ruby><rb>觸</rb><rt>ふ</rt></ruby>れて器を<ruby><rb>傾</rb><rt>かたむ</rt></ruby>け飮料を口中に<ruby><rb>灌</rb><rt>そそ</rt></ruby>ぎ<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>みしものの如く思はる。

又小形の御神酒<ruby><rb>徳利</rb><rt>とくり</rt></ruby>に<ruby><rb>似</rb><rt>に</rt></ruby>たる土噐にて最も<ruby><rb>膨</rb><rt>ふく</rt></ruby>れたる部分に<ruby><rb>圓</rb><rt>まろ</rt></ruby>き<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>を<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>ちたるもの有り。<ruby><rb>是</rb><rt>これ</rt></ruby>も用法<ruby><rb>不詳</rb><rt>ふしやう</rt></ruby>なれど、<ruby><rb>煙管</rb><rt>きせる</rt></ruby>のラウの如き<ruby><rb>管</rb><rt>くだ</rt></ruby>をば上より下へ<ruby><rb>傾</rb><rt>かたむ</rt></ruby>け<ruby><rb>差</rb><rt>さ</rt></ruby>し<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>み、<ruby><rb>全体</rb><rt>ぜんたい</rt></ruby>をば大なる西洋煙管の如くにし、噐中に<ruby><rb>飮</rb><rt>の</rt></ruby>み<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>を<ruby><rb>盛</rb><rt>も</rt></ruby>りて管より之を<ruby><rb>吸</rb><rt>す</rt></ruby>ひしやに考へらる。

以上の二種の<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>は或る<ruby><rb>飮料</rb><rt>ゐんれう</rt></ruby>をば飮み手の口に<ruby><rb>移</rb><rt>うつ</rt></ruby>す時に用ゐし品の如くなれど、<ruby><rb>土瓶</rb><rt>どびん</rt></ruby>或は<ruby><rb>急須</rb><rt>きうす</rt></ruby>と<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく飮料を<ruby><rb>貯</rb><rt>たくわ</rt></ruby>へ置き且つ他の器に<ruby><rb>灌</rb><rt>そそ</rt></ruby>ぎ<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>む時に用ゐし品と<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はるる土噐も<ruby><rb>數種</rb><rt>すうしゆ</rt></ruby><ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>り。

是等種々の土器の<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>に由つて<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>ふるにコロボツクルの飮み物は<ruby><rb>湯水</rb><rt>ゆみづ</rt></ruby>のみには<ruby><rb>非</rb><rt>あら</rt></ruby>さりしが如し。<ruby><rb>灌</rb><rt>そそ</rt></ruby>ぎ出すに用ゐたりと見ゆる土噐唇に<ruby><rb>觸</rb><rt>ふ</rt></ruby>れたりと見ゆる土噐の<ruby><rb>容量</rb><rt>ようりやう</rt></ruby>、<ruby><rb>比較的</rb><rt>ひかくてき</rt></ruby>に小なるは中に盛りたる<ruby><rb>飮料</rb><rt>ゐんれう</rt></ruby>の<ruby><rb>直打</rb><rt>ねう</rt></ruby>ち湯水よりは<ruby><rb>貴</rb><rt>たふと</rt></ruby>きに由りしならん。余は<ruby><rb>普通</rb><rt>ふつう</rt></ruby>の水、普通の湯をば<ruby><rb>斯</rb><rt>か</rt></ruby>かる器より<ruby><rb>灌</rb><rt>そそ</rt></ruby>ぎ、斯かる器より飮みしとは<ruby><rb>信</rb><rt>しん</rt></ruby>ずる事<ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>はざるなり。

湯水の他の<ruby><rb>飮料</rb><rt>ゐんれう</rt></ruby>とは如何なるものなりしや。<ruby><rb>鳥獸魚介</rb><rt>てうぢうぎよかい</rt></ruby>の煑汁も其一ならん。<ruby><rb>草根木實</rb><rt>そうこんもくじつ</rt></ruby>より<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>りたる<ruby><rb>澱粉</rb><rt>でんふん</rt></ruby>を<ruby><rb>煑</rb><rt>に</rt></ruby>たるものも其一ならん。或は<ruby><rb>酒</rb><rt>さけ</rt></ruby>に<ruby><rb>似</rb><rt>に</rt></ruby>たる<ruby><rb>嗜好品</rb><rt>しこうひん</rt></ruby>有りしやも知る可からず。

## ●食ひ物

<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby>に從へばコロボツクルは<ruby><rb>漁業</rb><rt>ぎよげふ</rt></ruby>に<ruby><rb>巧</rb><rt>たくみ</rt></ruby>にして屡ばアイヌに魚類を<ruby><rb>贈</rb><rt>おく</rt></ruby>れりと云へり。今諸地方貝塚よりの<ruby><rb>發見物</rb><rt>はつけんぶつ</rt></ruby>を<ruby><rb>檢</rb><rt>けん</rt></ruby>するに、實に魚骨魚鱗等有り。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>れども彼等の<ruby><rb>食物</rb><rt>しよくもつ</rt></ruby>は<ruby><rb>决</rb><rt>けつ</rt></ruby>して魚類に<ruby><rb>限</rb><rt>かぎ</rt></ruby>りしには非ず。そは<ruby><rb>發見物</rb><rt>はつけんぶつ</rt></ruby>に由つて<ruby><rb>充分</rb><rt>じうぶん</rt></ruby>に<ruby><rb>證</rb><rt>しやう</rt></ruby>する事を得るなり。

貝塚は如何にして<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>られたるか。<ruby><rb>總</rb><rt>すべ</rt></ruby>てに通じて斯く斯くなりと<ruby><rb>斷言</rb><rt>だんげん</rt></ruby>する事は出來ざれど、主として物捨て塲なりと思へば<ruby><rb>誤</rb><rt>あやま</rt></ruby>り無し。貝塚の中よりは用に堪えざる土噐の破片出で、又折れ碎けたる石噐出づ。<ruby><rb>獸類</rb><rt>じうるい</rt></ruby>の<ruby><rb>遺骨</rb><rt>いこつ</rt></ruby><ruby><rb>四肢</rb><rt>しし</rt></ruby><ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>を<ruby><rb>異</rb><rt>こと</rt></ruby>にし二枚貝は百中の九十九迄<ruby><rb>離</rb><rt>はな</rt></ruby>れたり。<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>を<ruby><rb>實踐</rb><rt>じつせん</rt></ruby>して考ふるも、之を<ruby><rb>現存</rb><rt>げんそん</rt></ruby><ruby><rb>未開</rb><rt>みかい</rt></ruby>人民の所業に徴するも、貝塚に於ける<ruby><rb>穿鑿</rb><rt>せんさく</rt></ruby>が<ruby><rb>食物原料調査</rb><rt>しよくもつげんれうてうさ</rt></ruby>に益有る事、實に明々白々なり。我々は<ruby><rb>牛肉</rb><rt>ぎうにく</rt></ruby>を<ruby><rb>食</rb><rt>くら</rt></ruby>へども我々の<ruby><rb>邸内</rb><rt>ていない</rt></ruby>に在る物捨て塲に於て牛骨を見る事は<ruby><rb>期</rb><rt>き</rt></ruby>し<ruby><rb>難</rb><rt>がた</rt></ruby>し。是自家<ruby><rb>庖廚</rb><rt>はうちう</rt></ruby>の他に牛肉<ruby><rb>販賣店</rb><rt>はんばいてん</rt></ruby>有るに由る。<ruby><rb>未開社會</rb><rt>みかいしやくわい</rt></ruby>に於いては<ruby><rb>事情</rb><rt>じじやう</rt></ruby>大に<ruby><rb>異</rb><rt>こと</rt></ruby>なり、食物の不要部は<ruby><rb>總</rb><rt>すべ</rt></ruby>て自家の物捨て塲、或は共同の物捨て塲に捨てらるるなり。此故にコロボツクルの食物は如何なる物なりしかとの事を知らんと<ruby><rb>欲</rb><rt>ほつ</rt></ruby>せば宜く貝塚を<ruby><rb>發掘</rb><rt>はつくつ</rt></ruby>して諸種の<ruby><rb>遺物</rb><rt>いぶつ</rt></ruby>に注意すべきなり。貝塚より出でたる<ruby><rb>動物的遺物</rb><rt>どうぶつてきゐぶつ</rt></ruby>にして其軟部は<ruby><rb>食用</rb><rt>しよくよう</rt></ruby>に供されしならんと考へらるる物を<ruby><rb>列擧</rb><rt>れつきよ</rt></ruby>すれば大畧左の如し

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">貝の類</span>　あはび　つめたがひ　きしやご　うづらがひ　あかにし　かじめくひ　さざえ　たにし　ばい　ながにし　いはやがひ　ほたてがひ　ししがひ　さるぼう　あかがひ　まて　ささらがひ　いせしろがひ　ささめがひ　とりがひ　あさり　うばがひ　みるくひ　おほのがひ　しじみ　しほふき　ばか　はまぐり　ゐがひ　たひらぎ　めんがひ　いたぼ　かき（名稱は丘淺次郎氏に從ふ）

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">他の軟体動物</span>　いか

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">魚の類</span>　たひ　あかえい（此他種々の骨及ひ鱗有れど何に屬するや未だ詳ならず）

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">龜の類</span>　うみがめ

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">鳥の類</span>　種々有れど明記し難し。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">哺乳動物</span>　くじら　いのしし　しか　ひと（此所に「ひと」と云ふ事を<ruby><rb>記</rb><rt>しる</rt></ruby>したるに付ては<ruby><rb>異樣</rb><rt>ゐよう</rt></ruby>に<ruby><rb>感</rb><rt>かん</rt></ruby>ずる讀者も有らん。<ruby><rb>順次</rb><rt>じゆんじ</rt></ruby>記す所を見て<ruby><rb>疑</rb><rt>うたが</rt></ruby>ひを<ruby><rb>解</rb><rt>と</rt></ruby>かれよ。）

## ●調理法

余は貝塚に於ける<ruby><rb>遺物</rb><rt>ゐぶつ</rt></ruby>に<ruby><rb>就</rb><rt>つい</rt></ruby>て動物性食物の<ruby><rb>原料</rb><rt>げんれう</rt></ruby>を<ruby><rb>調査</rb><rt>てうさ</rt></ruby>したり。コロボツクルは植物性食物をも<ruby><rb>有</rb><rt>ゆう</rt></ruby>せしに<ruby><rb>相違</rb><rt>そうゐ</rt></ruby>無けれど、如何なる<ruby><rb>種類</rb><rt>しゆるい</rt></ruby>の如何なる部が常食として<ruby><rb>撰</rb><rt>えら</rt></ruby>ばれしや嗜好品として撰ばれしや、<ruby><rb>考定</rb><rt>かうてい</rt></ruby>の<ruby><rb>材料不足</rb><rt>ざいりやうふそく</rt></ruby>にして<ruby><rb>明言</rb><rt>めいげん</rt></ruby>する能はず。口碑更に<ruby><rb>傳</rb><rt>つた</rt></ruby>ふる所無く、<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>亦之を示すべき望み<ruby><rb>少</rb><rt>すくな</rt></ruby>し。調理法を<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>ぶるに當つても<ruby><rb>確證</rb><rt>かくしやう</rt></ruby>は唯動物性食物に取るのみ。

コロボツクルは食物を<ruby><rb>生</rb><rt>なま</rt></ruby>にても<ruby><rb>食</rb><rt>くら</rt></ruby>ひ又火食をもせしならん。

遺跡には灰有り、燒け木有り。コロボツクルは如何にして火を<ruby><rb>發</rb><rt>はつ</rt></ruby>したるか。余は<ruby><rb>先</rb><rt>ま</rt></ruby>づ<ruby><rb>此事</rb><rt>このこと</rt></ruby>を述べて後に煮燒の事に説き及ぼすべし。

未開人の<ruby><rb>發火法</rb><rt>はつくわはう</rt></ruby>に二大別有り。一は<ruby><rb>摩擦</rb><rt>まさつ</rt></ruby>の<ruby><rb>利用</rb><rt>りよう</rt></ruby>にして、一は<ruby><rb>急激</rb><rt>きうげき</rt></ruby>なる<ruby><rb>衝突</rb><rt>しやうとつ</rt></ruby>の<ruby><rb>利用</rb><rt>りよう</rt></ruby>なり。木と木の<ruby><rb>摩擦</rb><rt>まさつ</rt></ruby>も火を生じ、石と石或は石と金の<ruby><rb>衝突</rb><rt>しやうとつ</rt></ruby>も火を生ず。<ruby><rb>最</rb><rt>もつと</rt></ruby>も<ruby><rb>廣</rb><rt>ひろ</rt></ruby>く行はるるは<ruby><rb>摩擦發火法</rb><rt>まさつはつくわはう</rt></ruby>なるが是に又一<ruby><rb>片</rb><rt>へん</rt></ruby>の木切れに他の木切れを<ruby><rb>當</rb><rt>あ</rt></ruby>てて<ruby><rb>鋸</rb><rt>のこぎり</rt></ruby>の如くに<ruby><rb>運動</rb><rt>うんどう</rt></ruby>さする<ruby><rb>仕方</rb><rt>しかた</rt></ruby>も有り、同樣にして<ruby><rb>鉋</rb><rt>かんな</rt></ruby>の如くに<ruby><rb>運動</rb><rt>うんどう</rt></ruby>さする仕方も有り一片の木切れに<ruby><rb>細</rb><rt>ほそ</rt></ruby>き<ruby><rb>棒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>の先を當てて<ruby><rb>錐</rb><rt>きり</rt></ruby>の如くに<ruby><rb>揉</rb><rt>も</rt></ruby>む<ruby><rb>仕方</rb><rt>しかた</rt></ruby>も有るなり。コロボツクルは<ruby><rb>何</rb><rt>いづ</rt></ruby>れの仕方に<ruby><rb>從</rb><rt>したが</rt></ruby>つて火を得たるか。<ruby><rb>直接</rb><rt>ちよくせつ</rt></ruby>の<ruby><rb>手段</rb><rt>しゆだん</rt></ruby>にては<ruby><rb>到底</rb><rt>たうてい</rt></ruby>考ふ可からず。コロボツクルの<ruby><rb>遺物中</rb><rt>ゐぶつちう</rt></ruby>には石製の錐有り。土器の中には此<ruby><rb>石錐</rb><rt>いしきり</rt></ruby>にて<ruby><rb>揉</rb><rt>も</rt></ruby>み<ruby><rb>開</rb><rt>あ</rt></ruby>けたるに相違無き圓錐形の<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>有る物有り。<ruby><rb>既</rb><rt>すで</rt></ruby>に錐の用を知る、焉ぞ<ruby><rb>錐揉</rb><rt>きりも</rt></ruby>みの如き<ruby><rb>運動</rb><rt>うんどう</rt></ruby>の<ruby><rb>熱</rb><rt>ねつ</rt></ruby>を用ゆる事を<ruby><rb>知</rb><rt>し</rt></ruby>らざらん。余はコロボツクルは一片の木切れに<ruby><rb>細</rb><rt>ほそ</rt></ruby>き<ruby><rb>棒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>の先を<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し當て、<ruby><rb>恰</rb><rt>あたか</rt></ruby>も石錐を以て土器に<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>を<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>つが如き運動を<ruby><rb>與</rb><rt>あた</rt></ruby>へ、引き<ruby><rb>續</rb><rt>つづ</rt></ruby>きたる摩擦の<ruby><rb>結果</rb><rt>けつくわ</rt></ruby>として熱を得煙を得、終に火を得たるならんと考ふ。木と木の摩擦は木質より<ruby><rb>細粉</rb><rt>さいふん</rt></ruby>を生じ、此細粉は<ruby><rb>熱</rb><rt>ねつ</rt></ruby>の爲に<ruby><rb>焦</rb><rt>こ</rt></ruby>げてホクチの用を爲す。是<ruby><rb>實驗</rb><rt>じつけん</rt></ruby>に因りて知るを得べし。<ruby><rb>現</rb><rt>げん</rt></ruby>に斯かる法の行はるる所にては火の付きたるホクチ樣のものを<ruby><rb>枯</rb><rt>か</rt></ruby>れ<ruby><rb>草</rb><rt>くさ</rt></ruby>に<ruby><rb>裹</rb><rt>つつ</rt></ruby>み<ruby><rb>空中</rb><rt>くうちう</rt></ruby>に於て<ruby><rb>激</rb><rt>はげ</rt></ruby>しく<ruby><rb>振</rb><rt>ふ</rt></ruby>り<ruby><rb>動</rb><rt>うご</rt></ruby>かすなり。コロボツクルも<ruby><rb>此仕方</rb><rt>このしかた</rt></ruby>を以て<ruby><rb>燃</rb><rt>も</rt></ruby>え草に<ruby><rb>火焔</rb><rt>くわえん</rt></ruby>を<ruby><rb>移</rb><rt>うつ</rt></ruby>し、此火焔をば再び<ruby><rb>薪</rb><rt>たきぎ</rt></ruby>に<ruby><rb>轉</rb><rt>てん</rt></ruby>ぜしならん。

貝塚に於て<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>さるる獸骨貝殼の中には<ruby><rb>往々</rb><rt>わう〱</rt></ruby><ruby><rb>黒焦</rb><rt>くろこ</rt></ruby>げに焦げたるもの有り。是等は<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らく<ruby><rb>獸肉</rb><rt>ぢうにく</rt></ruby>なり貝肉なり燒きて食はれたる殘餘ならん。物に由りて或は<ruby><rb>串</rb><rt>くし</rt></ruby>に<ruby><rb>差</rb><rt>さ</rt></ruby>されて燒かれしも有るべく或は<ruby><rb>草木</rb><rt>くさき</rt></ruby>の葉に<ruby><rb>包</rb><rt>つつ</rt></ruby>まれて熱灰に<ruby><rb>埋</rb><rt>うづ</rt></ruby>められしも有るべし。

鉢形鍋形の土噐に外面の<ruby><rb>燻</rb><rt>くすぶ</rt></ruby>りたる物有る事は前にも云ひしが、貝塚<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>の哺乳動物の<ruby><rb>長骨中</rb><rt>ちやうこつちう</rt></ruby>には中間より二つに<ruby><rb>折</rb><rt>お</rt></ruby>り<ruby><rb>壞</rb><rt>くだ</rt></ruby>きたる物少からず。<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby>は肉の大部分を<ruby><rb>取</rb><rt>と</rt></ruby>りたる後、尚ほ<ruby><rb>殘</rb><rt>のこ</rt></ruby>りて<ruby><rb>付着</rb><rt>ふちやく</rt></ruby>し居る部分をば骨と共に前述の土器に入れて煮たる事を示すものの如し。鹿猪等の骨を見るに<ruby><rb>筋肉</rb><rt>きんにく</rt></ruby>の<ruby><rb>固着</rb><rt>こちやく</rt></ruby>し居りし局部には<ruby><rb>鋭</rb><rt>するど</rt></ruby>き刄物にて<ruby><rb>疪</rb><rt>きづ</rt></ruby>を付けし<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>有り。此は石にて<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>れる<ruby><rb>刄物</rb><rt>はもの</rt></ruby>を用ゐて肉を切り<ruby><rb>離</rb><rt>はな</rt></ruby>したる爲に<ruby><rb>生</rb><rt>しやう</rt></ruby>ぜしものたる事疑ふ可からず。

魚の中にて鱗の粗きものは<ruby><rb>調理</rb><rt>てうり</rt></ruby>する前に之を取り<ruby><rb>除</rb><rt>のぞ</rt></ruby>きたりと見えて、貝塚中に於て<ruby><rb>魚鱗</rb><rt>ぎよりん</rt></ruby>の<ruby><rb>散布</rb><rt>さんふ</rt></ruby>せるを<ruby><rb>認</rb><rt>みと</rt></ruby>むる事屡〻有り。コロボツクルは如何にして<ruby><rb>魚鱗</rb><rt>ぎよりん</rt></ruby>を<ruby><rb>魚体</rb><rt>ぎよたい</rt></ruby>より取り<ruby><rb>離</rb><rt>はな</rt></ruby>したるか。今詳に之を知るに<ruby><rb>由</rb><rt>よし</rt></ruby>なしと雖も、蛤貝の殼の内に魚鱗の<ruby><rb>充實</rb><rt>じうじつ</rt></ruby>したるを<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>する事有れば貝殼を以て魚鱗を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き<ruby><rb>除</rb><rt>のぞ</rt></ruby>く事の有りしは<ruby><rb>慥</rb><rt>たしか</rt></ruby>なるべし。

卷き貝の中には上部の<ruby><rb>破</rb><rt>やぶ</rt></ruby>れたるもの有り。是は<ruby><rb>肉</rb><rt>にく</rt></ruby>を<ruby><rb>突</rb><rt>つ</rt></ruby>き出したる<ruby><rb>跡</rb><rt>あと</rt></ruby>と思はる。

余は人類をも食物中に<ruby><rb>加</rb><rt>くわ</rt></ruby>へしが此事に<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>き左に<ruby><rb>少</rb><rt>すこ</rt></ruby>しく述ぶる所有らん。

食物の<ruby><rb>好</rb><rt>す</rt></ruby>き<ruby><rb>嫌</rb><rt>きら</rt></ruby>ひと云ふ事は一家族の中にさへ有る事故、異りたる國民、異りたる<ruby><rb>人種</rb><rt>じんしゆ</rt></ruby>の間に於ては<ruby><rb>猶更</rb><rt>なほさら</rt></ruby>甚しき<ruby><rb>懸隔</rb><rt>けんかく</rt></ruby>を見るものなり。或る人民の<ruby><rb>好</rb><rt>この</rt></ruby>んで<ruby><rb>食</rb><rt>くら</rt></ruby>ふ物を他の人民は<ruby><rb>捨</rb><rt>す</rt></ruby>てて<ruby><rb>顧</rb><rt>かへり</rt></ruby>みず、或る人民の食ふ可からずとする<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>を他の人民は<ruby><rb>喜</rb><rt>よろこ</rt></ruby>んで<ruby><rb>賞玩</rb><rt>せうくわん</rt></ruby>するの類其<ruby><rb>例</rb><rt>れい</rt></ruby><ruby><rb>决</rb><rt>けつ</rt></ruby>して少からす。<ruby><rb>人肉</rb><rt>じんにく</rt></ruby>を食とするか如きも我々の<ruby><rb>習慣</rb><rt>しふくわん</rt></ruby>より言へは<ruby><rb>厭</rb><rt>いと</rt></ruby>ふ可き事、寧恐る可き事には有れど、<ruby><rb>野蠻未開國</rb><rt>やばんみかいこく</rt></ruby>の中には<ruby><rb>現</rb><rt>げん</rt></ruby>に此風の行はるる所有り。彼のアウストラリヤのクヰンスランド土人の如きは<ruby><rb>實</rb><rt>じつ</rt></ruby>に食人人種の<ruby><rb>好標本</rb><rt>こうへうほん</rt></ruby>なり。人肉は<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より常食とすべき物には<ruby><rb>非</rb><rt>あら</rt></ruby>ず。敵を<ruby><rb>殺</rb><rt>ころ</rt></ruby>したる時<ruby><rb>復讐</rb><rt>ふくしう</rt></ruby>の意を以て其肉を食ふとか、<ruby><rb>親戚</rb><rt>しんせき</rt></ruby>の死したる時<ruby><rb>敬慕</rb><rt>けいぼ</rt></ruby>の<ruby><rb>情</rb><rt>じやう</rt></ruby>を表す爲其肉を食ふとか、<ruby><rb>幾分</rb><rt>いくぶん</rt></ruby>かの<ruby><rb>制限</rb><rt>せいげん</rt></ruby>は何れの塲合にも<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>するものなり。大森貝塚の<ruby><rb>發見者</rb><rt>はつけんしや</rt></ruby>たるモールス氏は此貝塚より出でたる人骨を撿して食人の証を<ruby><rb>列擧</rb><rt>れつきよ</rt></ruby>せり。一に曰く人骨は<ruby><rb>他動物</rb><rt>たどうぶつ</rt></ruby>の<ruby><rb>遺骨</rb><rt>ゐこつ</rt></ruby>と共に食餘の貝殼に<ruby><rb>混</rb><rt>こん</rt></ruby>して散在す。二に曰く人骨の<ruby><rb>外面</rb><rt>ぐわいめん</rt></ruby><ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に筋肉の付着點に<ruby><rb>刄物</rb><rt>はもの</rt></ruby>の<ruby><rb>疵</rb><rt>きづ</rt></ruby>有り。三に曰く人骨は他動物の<ruby><rb>遺骨</rb><rt>ゐこつ</rt></ruby>と同樣に人工を以て<ruby><rb>折</rb><rt>を</rt></ruby>り<ruby><rb>碎</rb><rt>くだ</rt></ruby>かれたり。余は是等の事實は、モールス氏の説の如く、貝塚を<ruby><rb>遺</rb><rt>のこ</rt></ruby>せし人民が時としては人肉を<ruby><rb>食</rb><rt>くら</rt></ruby>ひし事有りしを証するものと考ふ。<ruby><rb>此想像</rb><rt>このそうぞう</rt></ruby>にして誤り<ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>からんか、コロボツクルは我々日本人は<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>アイヌも<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>れ<ruby><rb>嫌</rb><rt>きら</rt></ruby>ふ可き食人の<ruby><rb>習慣</rb><rt>しふくわん</rt></ruby>を有せし人民にして、其<ruby><rb>性質</rb><rt>せいしつ</rt></ruby>日本人及ひアイヌとは大に異りたるものと云ふ可きなり。<ruby><rb>人肉</rb><rt>じんにく</rt></ruby>にして若し他の<ruby><rb>肉類</rb><rt>にくるゐ</rt></ruby>と<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく食用に供されしものならは其<ruby><rb>調理法</rb><rt>てうりはう</rt></ruby>に於ても亦<ruby><rb>同樣</rb><rt>どうやう</rt></ruby>なりしならん。

## ●飮食法

<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>より<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>せし土噐の中には<ruby><rb>椀形</rb><rt>わんがた</rt></ruby>のもの有り、<ruby><rb>皿形</rb><rt>さらがた</rt></ruby>のもの有り、鉢形のもの有り、<ruby><rb>諸種</rb><rt>しよしゆ</rt></ruby>の飮食物を<ruby><rb>盛</rb><rt>も</rt></ruby>るに<ruby><rb>適</rb><rt>てき</rt></ruby>す。是等の他に食器として<ruby><rb>用</rb><rt>もち</rt></ruby>ゐるに足る<ruby><rb>小籠抔</rb><rt>こかごなぞ</rt></ruby>も有りしならん。土噐の形状中には<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>の<ruby><rb>形</rb><rt>かた</rt></ruby>を<ruby><rb>摸</rb><rt>も</rt></ruby>せしものも有れは此考へは一概に<ruby><rb>空想</rb><rt>くうそう</rt></ruby>なりとは云ふ可からす。<ruby><rb>匙</rb><rt>さじ</rt></ruby>としては貝殼に<ruby><rb>柄</rb><rt>え</rt></ruby>を<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>けたるもの用ゐられ、肉差しとしては獸骨を<ruby><rb>割</rb><rt>わ</rt></ruby>りて<ruby><rb>磨</rb><rt>す</rt></ruby>り<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>らしたるもの用ゐられしならん。肉差しの如き骨器は常陸椎塚の貝塚より數個出でたり

（續出）

  


## ○コロボックル風俗考　第五回（挿圖參看）

理學士　坪井正五郎

## ●住居

人類の<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>には<ruby><rb>樣々</rb><rt>さま〲</rt></ruby>の種類有るものにて、<ruby><rb>我々</rb><rt>われ〱</rt></ruby><ruby><rb>日本人</rb><rt>にほんじん</rt></ruby>は現今地盤上に<ruby><rb>建</rb><rt>た</rt></ruby>てたる家にのみ<ruby><rb>住</rb><rt>すま</rt></ruby>へど、古今を通じて<ruby><rb>何人種</rb><rt>なにじんしゆ</rt></ruby>も同樣と云ふ譯にはあらず。ニウジイランド及びアフリカの一地方には立ち木の<ruby><rb>上</rb><rt>うへ</rt></ruby>に小屋を作りて住居とする<ruby><rb>者</rb><rt>もの</rt></ruby>有り。ニラジイランド、ヴェネジュラ、マレイ<ruby><rb>諸地方</rb><rt>しよちはう</rt></ruby>には海底、川底、湖底抔に<ruby><rb>杭</rb><rt>くひ</rt></ruby>を打ち込み<ruby><rb>水面上</rb><rt>すゐめんじやう</rt></ruby><ruby><rb>數尺</rb><rt>すうしやく</rt></ruby>の所に床を張り<ruby><rb>屋根</rb><rt>やね</rt></ruby>を設けて住居とする者有り。カナリイ、チュニス、スペインのグラナダ、支那の陜西省諸地方には<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>として<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>ちたる横穴有り。<ruby><rb>千島</rb><rt>ちしま</rt></ruby>カラフト、カムチャツカ、アラスカ、グリーンランド、朝鮮には<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>として堀りたる竪穴有り。<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby>は皆現今用ゐらるるものの例なれど、古代に在ても<ruby><rb>地方</rb><rt>ちはう</rt></ruby>に由り人種に由つては<ruby><rb>種々樣々</rb><rt>しゆ〲さま〲</rt></ruby>なる<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>有りし事疑ふべからず。コロボックルは如何なる<ruby><rb>種類</rb><rt>しゆるゐ</rt></ruby>の住居を<ruby><rb>有</rb><rt>いう</rt></ruby>せしや。之をアイヌ間に存する口碑に<ruby><rb>徴</rb><rt>ちやう</rt></ruby>するに、コロボックルは土を堀り窪めて<ruby><rb>低所</rb><rt>ていしよ</rt></ruby>を作り、木の<ruby><rb>幹</rb><rt>みき</rt></ruby><ruby><rb>枝</rb><rt>えだ</rt></ruby>を以て屋根の骨とし、之を<ruby><rb>草木</rb><rt>さうもく</rt></ruby>の葉にて覆ひて住居とせしものの如し。

アイヌが<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>してコロボックルの<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>なりとするものは何れも竪穴にして、<ruby><rb>其廣</rb><rt>そのひろ</rt></ruby>さは疊二枚敷より五十<ruby><rb>枚敷位</rb><rt>まいじきぐらゐ</rt></ruby>に至り、深さは通例五六尺位なり<ruby><rb>多</rb><rt>おほ</rt></ruby>くの年月を<ruby><rb>經</rb><rt>へ</rt></ruby>て<ruby><rb>斯</rb><rt>か</rt></ruby>かる有樣と成りしもの故其始めは更に<ruby><rb>廣</rb><rt>ひろ</rt></ruby>く更に<ruby><rb>深</rb><rt>ふか</rt></ruby>かりしならん。是等の<ruby><rb>竪穴</rb><rt>じゆけつ</rt></ruby>がコロボックルのものたる事、即ち<ruby><rb>石噐時代人民</rb><rt>せききじだいじんみん</rt></ruby>のものたる事は<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby>のみに由つて<ruby><rb>推測</rb><rt>すゐそく</rt></ruby>するに非ず、土中の<ruby><rb>發見物</rb><rt>はつけんぶつ</rt></ruby>に由つて確知するを<ruby><rb>得</rb><rt>う</rt></ruby>るなり、北海道諸地方現存の竪穴よりは石器時代土器石器の破片出づ。此事は余自らも<ruby><rb>釧路</rb><rt>くしろ</rt></ruby>に於て<ruby><rb>實見</rb><rt>じつけん</rt></ruby>せり。

農學士石川貞治氏の<ruby><rb>調査</rb><rt>てうさ</rt></ruby>に從へば北海道本島中竪穴の存する地方は次の如し。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">後志</span>國余市郡余市村、同郡河村、同國<ruby><rb>忍路</rb><rt>オシヨロ</rt></ruby>郡忍路村、同國高島郡手宮、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">石狩</span>國札幌郡札幌、同郡圓山村、同琴仙村、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">天𪉩</span>國<ruby><rb>留萠</rb><rt>ルルモツベ</rt></ruby>郡留萠、同郡オビラシベツ、同國苫前郡オンネシヨサンベツ、同郡風連別、同國天𪉩郡天𪉩村、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">北見</span>國枝幸郡枝幸村、紋別郡<ruby><rb>雄武</rb><rt>オオム</rt></ruby>川筋、同郡サルマ湖南岸、同國<ruby><rb>常呂</rb><rt>トコロ</rt></ruby>郡常呂村、同國網走郡能登呂山道、同郡網走市中及四近、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">根室</span>國野付村<ruby><rb>標津</rb><rt>シヘツ</rt></ruby>西別間、花咲郡半田牛、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">釧路</span>國釧路郡釧路、同郡釧路白糠間、セチリ河筋ピラカプト、同フシコタン、釧路郡トウロ、同國川上郡トウベツ川口、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">十勝</span>國白糠郡尺別村、十勝河河口、同國當勝郡勇洞村、洞村、同郡トンケシ、同國廣尾郡茂寄村、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">日高</span>國幌泉郡油駒村、同國靜内郡有良村マブタ山、同國沙流郡上ピラトリ、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">膽振</span>國勇拂郡鵡川川筋カイカウン、同國白老郡苫小牧村、同國千歳郡<ruby><rb>漁</rb><rt>イサリ</rt></ruby>村、同國室蘭郡室蘭。以上所に由りては數十或は數百、群を成して存在するもの故、竪穴の總數は甚だ多きものと知るべし。是等悉皆同性質のものなりや否や<ruby><rb>斷言</rb><rt>だんげん</rt></ruby>し<ruby><rb>難</rb><rt>がた</rt></ruby>しと雖も、石器時代に屬するもの<ruby><rb>夥多</rb><rt>かた</rt></ruby>なるべきは疑ひを容れず。（余が知れるものにして石川氏の表に漏れたる地名は日高國靜内郡<ruby><rb>下下方</rb><rt>シモゲハウ</rt></ruby>、釧路國仙鳳阯及び厚岸邊）余は緒言（本誌第九十號に在り）に於て、コロボックルなる<ruby><rb>名稱</rb><rt>めいせう</rt></ruby>は、アイヌが其先住者に與へたる<ruby><rb>綽名</rb><rt>あだな</rt></ruby>の一にして、此他にも種々の異名有りとの趣を述べしが、此所に其一二を説明して<ruby><rb>住居考</rb><rt>ぢうきよかう</rt></ruby>の<ruby><rb>材料</rb><rt>ざいれう</rt></ruby>とせん。或る地方のアイヌはコロボックルの事をバトイチセコッコロカモイと云ひ或る地方のアイヌは之をトイチセクルと云ふ。前者は「土の家を持つ神」の義、後者は「土の家の人」の義、共に土中に住居する者の謂ひなり。アイヌは竪穴を指して先住者の<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>とし、又此の如き名稱を彼等に與ふ。北海道に於けるコロボックルの住居の竪穴たりし事は<ruby><rb>確信</rb><rt>かくしん</rt></ruby>して可なり。

日本本州に於けるコロボックルの<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>は如何。<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby><ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>共に存せず、固より<ruby><rb>明言</rb><rt>めいげん</rt></ruby>するの限にあらざれど、<ruby><rb>常陸風土記所載</rb><rt>ひたちふうどきしよさい</rt></ruby>の一項は稍<ruby><rb>推考</rb><rt>すいこう</rt></ruby>の<ruby><rb>手掛</rb><rt>てが</rt></ruby>かりとするを得ん。同書那珂郡の條下に曰く「平津驛家、西一二里有岡、名曰大櫛、上古有人、體極長大、身居丘壟之上、採蜃食之、其所食具、積聚成岡、時人取大杇之義、今曰大櫛岡、其大人踐跡、長卅餘歩、廣廿餘歩、尿穴跡可廿餘許、」

大櫛今又大串と<ruby><rb>改稱</rb><rt>かいせう</rt></ruby>して東茨城郡に屬せり。<ruby><rb>地勢</rb><rt>ちせい</rt></ruby>に由つて考ふるも「其所食具、積聚成岡」と云ふ文に由つて考ふるも、此地に貝塚有りしは事疑ふべき<ruby><rb>理由</rb><rt>りゆう</rt></ruby>無し。八木奬三郎氏の<ruby><rb>實見談</rb><rt>じつけんだん</rt></ruby>に據れば此岡の麓には今尚ほ<ruby><rb>貝殼</rb><rt>かひがら</rt></ruby><ruby><rb>點々</rb><rt>てん〱</rt></ruby><ruby><rb>散布</rb><rt>さんぷ</rt></ruby>して、曾て一大貝塚有りし<ruby><rb>證跡</rb><rt>せうせき</rt></ruby>を留むと云ふ。此地海岸を<ruby><rb>距</rb><rt>さ</rt></ruby>る事凡一里。風土記の成りし頃は<ruby><rb>海水</rb><rt>かいすい</rt></ruby>の<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>り<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>み方今日よりは深かりしなるべきも、岡の下迄は達せざりしならん。<ruby><rb>鹹水</rb><rt>かんすい</rt></ruby>貝塚は<ruby><rb>元來</rb><rt>ぐわんらい</rt></ruby><ruby><rb>海邊</rb><rt>かいへん</rt></ruby>に在るべきものなれど年月の<ruby><rb>經</rb><rt>た</rt></ruby>つに從ひ<ruby><rb>土地隆起</rb><rt>とちりうき</rt></ruby>の爲、海水退きて其位置<ruby><rb>比較的</rb><rt>ひかくてき</rt></ruby>内地に移る事有り。<ruby><rb>此理</rb><rt>このり</rt></ruby>を知らざる者は海を<ruby><rb>距</rb><rt>さ</rt></ruby>る事遠き所に於て鹹水貝殼の<ruby><rb>積聚</rb><rt>せきしう</rt></ruby>するを見れば頗る<ruby><rb>奇異</rb><rt>きゐ</rt></ruby>の思ひを作すべし。大人云々の説有る盖し此に<ruby><rb>基因</rb><rt>きいん</rt></ruby>するならん。果して然らは所謂「大人踐跡」とは何者を指すか。余は之を以て極めて大なる<ruby><rb>足跡</rb><rt>そくせき</rt></ruby>の如きもの即ち竪穴に類したるものとなす。余は釧路貝塚の近傍に於て實に大人の<ruby><rb>歩</rb><rt>ある</rt></ruby>きたる跡とも<ruby><rb>形容</rb><rt>けいよう</rt></ruby>すべき數列の竪穴を見たり。常陸風土記所載の「大人踐跡」なるもの或は同種類の竪穴の群ならんか。「尿穴跡」と云ふものも亦一の竪穴ならん。北海道現存の竪穴中には長徑十間に達するもの無きに非ず、二十歩三十歩等の數<ruby><rb>敢</rb><rt>あへ</rt></ruby>て<ruby><rb>怪</rb><rt>あや</rt></ruby>しむに足らざるなり。以上の考へにして誤り無くんば、常陸地方に<ruby><rb>棲息</rb><rt>せいそく</rt></ruby>せし石器時代人民も北海道に於ける者と等しく竪穴を以て住居とせし者と<ruby><rb>思惟</rb><rt>しゐ</rt></ruby>すべきなり。

余は全國の石器時代人民が悉皆竪穴に住居せしや否や明言する能はざれど、彼等の<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>として余が今日迄に知るを得たるは竪穴に關する事實のみなるが故に、コロボックルの住居は如何なるものかとの問に對しては、少くとも或る地方に於ては竪穴なりしなりと答へんとす。

## ●竪穴

北海道現存の竪穴は、前にも述べし如く、二疊敷より五十疊敷位の大さにて<ruby><rb>深</rb><rt>ふか</rt></ruby>きは人の<ruby><rb>丈位</rb><rt>たけぐらひ</rt></ruby>なるが、周壁の上端は地面よりも高く<ruby><rb>盛</rb><rt>も</rt></ruby>り<ruby><rb>上</rb><rt>あ</rt></ruby>がりて<ruby><rb>堤</rb><rt>つつみ</rt></ruby>の形を成し居るもの故、<ruby><rb>摺</rb><rt>す</rt></ruby>り<ruby><rb>鉢</rb><rt>ばち</rt></ruby>を土中に<ruby><rb>埋</rb><rt>うづ</rt></ruby>めて<ruby><rb>其縁</rb><rt>そのふち</rt></ruby>の部を少し高く地上に<ruby><rb>露</rb><rt>あらは</rt></ruby>し置けば竪穴の<ruby><rb>雛形</rb><rt>ひながた</rt></ruby>と成るなり。土壁の部の深さを六尺位にせしとする者は、先づ地面を四尺計り<ruby><rb>堀</rb><rt>ほ</rt></ruby>り<ruby><rb>下</rb><rt>さ</rt></ruby>げ、堀り出したる土を以て高さ二尺計りの堤を築き廻らせしならん。堤の一部分には切り開きたる所有り。出入口なるべし。竪穴の形は方形、長方形、圓形、橢圓形、瓢形等にて一つの穴の大さは八疊より十五疊迄を常とす。竪穴の中よりは<ruby><rb>古器物</rb><rt>こきぶつ</rt></ruby>の他に、灰及び燒け木の出づる事有り。是等の中には<ruby><rb>煮焚</rb><rt>にた</rt></ruby>きの爲、<ruby><rb>温暖</rb><rt>おんだん</rt></ruby>を取らん爲、又は<ruby><rb>屋内</rb><rt>おくない</rt></ruby>を照さん爲、故意に焚き火せし跡も有るべけれど、<ruby><rb>火災</rb><rt>くわさい</rt></ruby>の爲屋根の<ruby><rb>燃</rb><rt>も</rt></ruby>え<ruby><rb>落</rb><rt>お</rt></ruby>ちたる跡も有らん。屋根の事は次項に記すべし。

竪穴は風雨の作用<ruby><rb>塵埃</rb><rt>ぢんあい</rt></ruby>の<ruby><rb>堆積</rb><rt>たいせき</rt></ruby>の爲、自然に埋まる事も有るべく、<ruby><rb>開墾</rb><rt>かいこん</rt></ruby>及び諸種の土木工事の爲、人爲を以て<ruby><rb>埋</rb><rt>うづ</rt></ruby>むる事も有るべきものなり。石器時代竪穴現存の例、北海道のみに多くして、他地方に於ては更に<ruby><rb>見聞</rb><rt>けんもん</rt></ruby><ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>きも、<ruby><rb>必竟</rb><rt>ひつけう</rt></ruby>、北海道の地は比較的近き頃迄石器時代人民の<ruby><rb>棲息地</rb><rt>せいそくち</rt></ruby>なりしと、<ruby><rb>開拓</rb><rt>かいたく</rt></ruby>未だ行き渡り居らさるとに由る事大ならん。

## ●屋根

或る地方のアイヌは北海道先住者は住居の<ruby><rb>屋根</rb><rt>やね</rt></ruby>を<ruby><rb>葺</rb><rt>ふ</rt></ruby>くに<ruby><rb>蕗</rb><rt>ふき</rt></ruby>の<ruby><rb>葉</rb><rt>は</rt></ruby>を以てせりと言ひ傳ふ。是コロボックルの名有る所以なり、（第九十號緒言を見よ）。或る地方にてはクッロポックグルの名行はる。クッヲロとは<ruby><rb>蔦蔓</rb><rt>つたづる</rt></ruby>の類を指すと云ふ。此名を直譯すれば蔦蔓の下の人となる。恐くは屋根を造る材料として多くの蔦蔓を用ゐたるを云ふならん。思ふに竪穴の中央に數本の柱を建て是に棟梁を結び付け、<ruby><rb>周圍</rb><rt>しうゐ</rt></ruby>より多くの<ruby><rb>木材</rb><rt>もくざい</rt></ruby>を寄せ掛け、其上を種々のもの、殊に<ruby><rb>蕗</rb><rt>ふき</rt></ruby>の<ruby><rb>葉</rb><rt>は</rt></ruby>にて覆ひ、<ruby><rb>蔦蔓</rb><rt>つたづる</rt></ruby>の類にて<ruby><rb>綴</rb><rt>つづ</rt></ruby>り合はせて住居を作り上けたるならん。葉の大なる蕗は北方にのみ生ずるもの故右の<ruby><rb>説明</rb><rt>せつめい</rt></ruby>は固より全國に通ずべきに非ず。他地方に在つては主として獸皮、木皮、席類等を以て屋根を葺きしならん。

## ●住居の工事

<ruby><rb>野蠻未開</rb><rt>やばんみかい</rt></ruby>の社會に於ては分業盛に行はれず、大工、土方の如き固り<ruby><rb>獨立</rb><rt>どくりつ</rt></ruby>して存す可き<ruby><rb>職業</rb><rt>しよくぎやう</rt></ruby>にあらず。此故に<ruby><rb>住居新築</rb><rt>じうきよしんちく</rt></ruby>の擧有れば<ruby><rb>隣人</rb><rt>りんじん</rt></ruby><ruby><rb>相</rb><rt>あひ</rt></ruby><ruby><rb>補</rb><rt>たす</rt></ruby>けて土木の事に<ruby><rb>從</rb><rt>したか</rt></ruby>ふを常とす。コロボックルも亦然りしならん。<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>の<ruby><rb>位置</rb><rt>いち</rt></ruby>は、第一に<ruby><rb>飮用水</rb><rt>いんようすい</rt></ruby>を<ruby><rb>汲</rb><rt>く</rt></ruby>むべき泉、川、或は湖より<ruby><rb>程遠</rb><rt>ほどとほ</rt></ruby>からぬ所にして、次に<ruby><rb>食物</rb><rt>しよくもつ</rt></ruby>の<ruby><rb>獲易</rb><rt>えやす</rt></ruby>き塲所、次に日當り<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>き地を<ruby><rb>撰</rb><rt>ゑら</rt></ruby>びしなるべし。三つの<ruby><rb>條件</rb><rt>じやうけん</rt></ruby>を充たす地には<ruby><rb>大部落</rb><rt>だいぶらく</rt></ruby><ruby><rb>存</rb><rt>そん</rt></ruby>せしならん。<ruby><rb>住居</rb><rt>ぢうきよ</rt></ruby>の大小は<ruby><rb>家族</rb><rt>かぞく</rt></ruby>の多少に因る事<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>なれど<ruby><rb>塲合</rb><rt>ばあひ</rt></ruby>に由つては<ruby><rb>一個</rb><rt>いつこ</rt></ruby>の大部屋を<ruby><rb>設</rb><rt>もう</rt></ruby>くる代りに<ruby><rb>數個</rb><rt>すうこ</rt></ruby>の小部屋を作る事も有りしと思はる。<ruby><rb>瓢形</rb><rt>ひやうかた</rt></ruby>の<ruby><rb>竪穴</rb><rt>たてあな</rt></ruby>の如き即ち其例なり。<ruby><rb>穴</rb><rt>あな</rt></ruby>を<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>るに當つては、或は長さ<ruby><rb>幾歩</rb><rt>いくほ</rt></ruby>、<ruby><rb>幅</rb><rt>はば</rt></ruby>幾歩と<ruby><rb>歩</rb><rt>あゆ</rt></ruby>み試み、或は<ruby><rb>繩</rb><rt>なわ</rt></ruby>を<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>り<ruby><rb>尋數</rb><rt>ひろすう</rt></ruby>を<ruby><rb>測</rb><rt>はか</rt></ruby>りて地上に<ruby><rb>張</rb><rt>は</rt></ruby>り<ruby><rb>廻</rb><rt>めぐ</rt></ruby>らし、堀る可き<ruby><rb>塲所</rb><rt>ばしよ</rt></ruby>の大さを定め、<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>りたる<ruby><rb>棒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>を以て地を<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>ち、<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>、<ruby><rb>席</rb><rt>むしろ</rt></ruby>の類に土を受け、且つ<ruby><rb>堀</rb><rt>ほ</rt></ruby>り且つ<ruby><rb>運</rb><rt>はこ</rt></ruby>び多くの<ruby><rb>勞力</rb><rt>ろうりよく</rt></ruby>を費して<ruby><rb>仕上</rb><rt>しあ</rt></ruby>げたるものならん。アフリカ某<ruby><rb>地方</rb><rt>ちはう</rt></ruby>の土人は<ruby><rb>土堀</rb><rt>つちほ</rt></ruby>り用の<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>りたる<ruby><rb>棒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>に<ruby><rb>石製</rb><rt>せきせい</rt></ruby>の<ruby><rb>輪</rb><rt>わ</rt></ruby>をば<ruby><rb>鍔</rb><rt>つば</rt></ruby>の如くに<ruby><rb>篏</rb><rt>は</rt></ruby>めて<ruby><rb>重</rb><rt>をも</rt></ruby>りとし、此<ruby><rb>道具</rb><rt>どうぐ</rt></ruby>の<ruby><rb>功力</rb><rt>こうりよく</rt></ruby>を増す事有り。<ruby><rb>本邦</rb><rt>ほんぱう</rt></ruby><ruby><rb>石器時代遺跡</rb><rt>せききじだいいせき</rt></ruby>より出づる<ruby><rb>石輪中</rb><rt>せきりんちう</rt></ruby>にも或は<ruby><rb>同種</rb><rt>だうしゆ</rt></ruby>のもの有らんか<ruby><rb>繩</rb><rt>なわ</rt></ruby>、<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby><ruby><rb>席</rb><rt>むしろ</rt></ruby>の存在は<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>の<ruby><rb>押紋</rb><rt>おしもん</rt></ruby>及び<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじやう</rt></ruby><ruby><rb>裝飾</rb><rt>そうしよく</rt></ruby>等に由つて充分に<ruby><rb>證明</rb><rt>しやうめい</rt></ruby>するを得べし。<ruby><rb>建築用</rb><rt>けんちくよう</rt></ruby>の木材は火にて<ruby><rb>燒</rb><rt>や</rt></ruby>き切り又は打製<ruby><rb>石斧</rb><rt>いしおの</rt></ruby>にて<ruby><rb>扣</rb><rt>たた</rt></ruby>き<ruby><rb>切</rb><rt>き</rt></ruby>りしなるべし、是等を<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>り合するには諸種の<ruby><rb>繩</rb><rt>なわ</rt></ruby>及び<ruby><rb>蔦蔓</rb><rt>つたづる</rt></ruby>の類を用ゐしなるべし

## ●室内の有樣

<ruby><rb>室内</rb><rt>しつない</rt></ruby>の有樣に付きては<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby>存せず。火を<ruby><rb>焚</rb><rt>た</rt></ruby>きし<ruby><rb>跡</rb><rt>あと</rt></ruby>の他、<ruby><rb>實地</rb><rt>じつち</rt></ruby>に就いての<ruby><rb>調査</rb><rt>てうさ</rt></ruby>も何の證をも引き出さず。余は茲に<ruby><rb>想像</rb><rt>そうぞう</rt></ruby>を述べて此點に關する<ruby><rb>事實</rb><rt>じじつ</rt></ruby>の<ruby><rb>缺乏</rb><rt>けつばう</rt></ruby>を<ruby><rb>補</rb><rt>おぎな</rt></ruby>はんとす。

<ruby><rb>昇降口</rb><rt>しようこうぐち</rt></ruby>の高さは少くとも三尺位は有るべし。<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らくは<ruby><rb>木製</rb><rt>もくせい</rt></ruby>の<ruby><rb>梯子</rb><rt>はしご</rt></ruby>或は<ruby><rb>蹈</rb><rt>ふ</rt></ruby>み<ruby><rb>臺</rb><rt>だい</rt></ruby>の<ruby><rb>設</rb><rt>もう</rt></ruby>け有りしならん。入り口と<ruby><rb>周壁</rb><rt>しうへき</rt></ruby>の或る<ruby><rb>部分</rb><rt>ぶぶん</rt></ruby>には<ruby><rb>席</rb><rt>むしろ</rt></ruby>を下げ置きしなるべく、<ruby><rb>地上</rb><rt>ちじやう</rt></ruby>には木材を<ruby><rb>並</rb><rt>なら</rt></ruby>べ、其上に席、<ruby><rb>編</rb><rt>あ</rt></ruby>み<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>、<ruby><rb>獸皮</rb><rt>じうひ</rt></ruby>、<ruby><rb>木皮抔</rb><rt>もくひなど</rt></ruby><ruby><rb>敷</rb><rt>し</rt></ruby>き<ruby><rb>列</rb><rt>つら</rt></ruby>ねて座臥の塲所とせしなるべし。<ruby><rb>室内</rb><rt>しつない</rt></ruby>一部分には<ruby><rb>土間</rb><rt>どま</rt></ruby>有りて<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>は火を<ruby><rb>焚</rb><rt>た</rt></ruby>き、<ruby><rb>水瓶</rb><rt>みづがめ</rt></ruby>を置く爲に用ゐられたるならん。<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby><ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>の中には小さき物あり、<ruby><rb>美</rb><rt>うつく</rt></ruby>しき物あり。<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby>が<ruby><rb>床</rb><rt>とこ</rt></ruby>の上に直に<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>かれたりとは考ふる能はず。余は<ruby><rb>室内</rb><rt>しつない</rt></ruby>には大小種々の<ruby><rb>棚</rb><rt>たな</rt></ruby>の有りし事を<ruby><rb>信</rb><rt>しん</rt></ruby>ずる者なり。入り口の他にも<ruby><rb>數個</rb><rt>すうこ</rt></ruby>の<ruby><rb>窓</rb><rt>まど</rt></ruby>有りしなるべければ、<ruby><rb>室内</rb><rt>しつない</rt></ruby>は<ruby><rb>充分</rb><rt>じうぶん</rt></ruby>に<ruby><rb>明</rb><rt>あかる</rt></ruby>かりしならん。（續出）

  


## ○コロボックル風俗考　第六回（挿圖參看）

理學士　坪井正五郎

## ●器具

衣食住の事は<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べ<ruby><rb>終</rb><rt>おは</rt></ruby>りたるを以て是より<ruby><rb>器具</rb><rt>きぐ</rt></ruby>の方に移るべし。コロボックルは如何なる器具を用ゐしやと云ふ事を考ふるには三つの據有り。其一はアイヌの傳ふる<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby>、其二は<ruby><rb>遺跡</rb><rt>いせき</rt></ruby>に存する實物、其三は<ruby><rb>土器形状模樣</rb><rt>どきけいじやうもやう</rt></ruby>よりの<ruby><rb>推測</rb><rt>すいそく</rt></ruby>是なり。

先づ噐具製造の原料を<ruby><rb>調査</rb><rt>てうさ</rt></ruby>せん。

今日迄の實見と<ruby><rb>推測</rb><rt>すいそく</rt></ruby>とに從ひ噐具を原料に由つて<ruby><rb>分類</rb><rt>ぶんるゐ</rt></ruby>すれば左の如し。

┌土器

┌無機…………………………┤

原料┤　　　　　　　　　　　　└石器

│　　┌植物……………………植物質噐具

└有機│　　┌無脊動物………貝殼器

└動物┤　　　　　　┌骨器

└有脊動物……┤角器

└牙器

尚ほ製法（打製、磨製等）功用（利器、容器等）用途（日用器具、漁獵具等）に由つても<ruby><rb>分類</rb><rt>ぶんるゐ</rt></ruby>するを得れど、餘りに<ruby><rb>精密</rb><rt>せいみつ</rt></ruby>に<ruby><rb>亘</rb><rt>わた</rt></ruby>りて專門的に傾くは、畫報の記事として<ruby><rb>不適當</rb><rt>ふてきたう</rt></ruby>なるの感無きに非ざれば、記載は見合はせ、一般讀者の<ruby><rb>便宜</rb><rt>べんぎ</rt></ruby>を計り、直ちに各種の器具に就き<ruby><rb>説明</rb><rt>せつめい</rt></ruby>を試む事とすべし。

## ●石製の利噐

既に緒言中にも記し置きたる通り、<ruby><rb>石器時代</rb><rt>せききじだい</rt></ruby>とは、人類が主として石の<ruby><rb>刄物</rb><rt>はもの</rt></ruby>を<ruby><rb>製造</rb><rt>せいぞう</rt></ruby><ruby><rb>使用</rb><rt>しよう</rt></ruby>する時期の謂ひなれば、此時代の遺物中最も強く人の意を<ruby><rb>惹</rb><rt>ひ</rt></ruby>くものは石器殊に石製の利器たる事勿論なり。コロボックルが石製の利噐を用ゐたりとの事はアイヌも口碑として云ひ傳へ居る事なるが、日本全國諸地方の石器時代遺跡より出づる<ruby><rb>石器中</rb><rt>せききちう</rt></ruby>には、左に<ruby><rb>列擧</rb><rt>れつきよ</rt></ruby>する如き種々の利器有り。

（第一）石を打ち欠きて作れる<ruby><rb>斧形</rb><rt>おのがた</rt></ruby>の者。（之を<ruby><rb>打製石斧</rb><rt>だせいせきふ</rt></ruby>と呼ぶ）。

（第二）石を研ぎ磨きて作れる斧形の者。（之を<ruby><rb>磨製石斧</rb><rt>ませいせきふ</rt></ruby>と呼ぶ）。

（第三）石を打ち欠きて作れる<ruby><rb>槍形</rb><rt>やりがた</rt></ruby>の者。（之を<ruby><rb>石槍</rb><rt>いしやり</rt></ruby>と呼ぶ）。

（第四）石を打ち欠きて作れる<ruby><rb>鏃形</rb><rt>やじりがた</rt></ruby>の者。（之を<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>と呼ぶ）。

（第五）石を打ち欠きて作れる<ruby><rb>錐形</rb><rt>きりがた</rt></ruby>の者。（之を<ruby><rb>石錐</rb><rt>いしきり</rt></ruby>と呼ぶ）。

（第六）石を打ち欠きて作れる<ruby><rb>匕形</rb><rt>さじがた</rt></ruby>の者。（之を<ruby><rb>石匕</rb><rt>いしさじ</rt></ruby>と呼ぶ）。

以上を<ruby><rb>主要</rb><rt>しゆえう</rt></ruby>なるものとす。

## ●打製類

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">總説</span>　石製の<ruby><rb>利器</rb><rt>りき</rt></ruby>を見るに、刄の部分<ruby><rb>打</rb><rt>う</rt></ruby>ち<ruby><rb>欠</rb><rt>か</rt></ruby>きて作られたるものと、研ぎ磨きて作られたるものと、の二類有り。第一類に屬するものを、打製石斧、石槍、石鏃、石錐、石匕、等とす。是等石器の製法用法は<ruby><rb>現存</rb><rt>げんぞん</rt></ruby><ruby><rb>未開人民</rb><rt>みかいじんみん</rt></ruby>の<ruby><rb>所爲</rb><rt>しよゐ</rt></ruby>に由つても充分に<ruby><rb>推考</rb><rt>すゐこう</rt></ruby>するを得るなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">打製石斧</span>　<ruby><rb>打製石斧</rb><rt>だせいせきふ</rt></ruby>は<ruby><rb>通例</rb><rt>つうれい</rt></ruby><ruby><rb>長</rb><rt>なが</rt></ruby>さ三寸計りにして、<ruby><rb>其形状</rb><rt>そのけいぜう</rt></ruby>は長方形、橢圓形、分銅形等なり。<ruby><rb>刄</rb><rt>は</rt></ruby>は一端に在る事有り、<ruby><rb>兩端</rb><rt>れうたん</rt></ruby>に在る事有り。或る物は手にて<ruby><rb>直</rb><rt>ただち</rt></ruby>に<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>りしなるべく、或る物には<ruby><rb>柄</rb><rt>つか</rt></ruby>を<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>り付けしならん。<ruby><rb>使用</rb><rt>しよう</rt></ruby>の目的は<ruby><rb>樹木</rb><rt>じゆもく</rt></ruby>を<ruby><rb>扣</rb><rt>たた</rt></ruby>き<ruby><rb>切</rb><rt>き</rt></ruby>り、木材を扣き割り、<ruby><rb>木質</rb><rt>ぼくしつ</rt></ruby>を<ruby><rb>刳</rb><rt>けづ</rt></ruby>り取り、<ruby><rb>獸</rb><rt>じう</rt></ruby>を<ruby><rb>斃</rb><rt>たふ</rt></ruby>し、<ruby><rb>敵</rb><rt>てき</rt></ruby>を<ruby><rb>傷</rb><rt>きづつ</rt></ruby>くる等に在りしと思はる。<ruby><rb>未開社會</rb><rt>みかいしやくわい</rt></ruby>に於ては<ruby><rb>器具</rb><rt>きぐ</rt></ruby>の上にも<ruby><rb>分業</rb><rt>ぶんげう</rt></ruby><ruby><rb>起</rb><rt>おこ</rt></ruby>らざるを常とす。一個の<ruby><rb>打製石斧</rb><rt>だせいせきふ</rt></ruby>もコロボックルの爲には建築、造船、獸獵、爭鬪に際して、<ruby><rb>極</rb><rt>きわ</rt></ruby>めて<ruby><rb>肝要</rb><rt>かんえう</rt></ruby>なる役目を勤めしなるべし。是等の事はアウストラリヤ、クインスランド土人の<ruby><rb>現状</rb><rt>げんぜう</rt></ruby>に徴して<ruby><rb>推考</rb><rt>すゐこう</rt></ruby>するを得るなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">石槍</span>　此石器は長さ二三寸より五六寸に至り、<ruby><rb>扁平</rb><rt>へんぺい</rt></ruby>にして紡錘形或は<ruby><rb>菱形</rb><rt>ひしがた</rt></ruby>をなすものなり。現存石器時代人民中には、此の如き物に<ruby><rb>短</rb><rt>みぢか</rt></ruby>き<ruby><rb>柄</rb><rt>え</rt></ruby>を<ruby><rb>添</rb><rt>そ</rt></ruby>へて<ruby><rb>短刀</rb><rt>たんとう</rt></ruby>の如くに用ゐ、或は長き柄を添へて<ruby><rb>槍</rb><rt>やり</rt></ruby>とする者有り。<ruby><rb>中央</rb><rt>ちうわう</rt></ruby>アメリカ<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>の古器物中には此類の石器に<ruby><rb>短</rb><rt>みぢか</rt></ruby>き柄を付け<ruby><rb>寄</rb><rt>よ</rt></ruby>せ石細工を以て之を<ruby><rb>飾</rb><rt>かざ</rt></ruby>れる物在り、又一手に<ruby><rb>首級</rb><rt>しゆきう</rt></ruby>を<ruby><rb>抱</rb><rt>かか</rt></ruby>へ他手に石槍形の匕首を<ruby><rb>携</rb><rt>たづさ</rt></ruby>へたる人物の<ruby><rb>石面彫刻物</rb><rt>せきめんてうこくぶつ</rt></ruby>有り。然れば形状に由りて<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく石槍と稱する物の中には、其用より云へば、槍も有るべく、<ruby><rb>短刀</rb><rt>たんたう</rt></ruby>も有るべきなり。フランス、ベリゴードの<ruby><rb>洞穴</rb><rt>どうけつ</rt></ruby>よりは馴鹿の脊椎に石槍の立ちたる物を發見せし事有り。<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>ふにコロボックルも石槍をば兩樣に用ゐ、時としては<ruby><rb>其働</rb><rt>そのはたら</rt></ruby>きを<ruby><rb>食用動物</rb><rt>しよくようどうぶつ</rt></ruby>の上に<ruby><rb>施</rb><rt>ほどこ</rt></ruby>し、時としては之を人類の上に施せしならん。石槍を<ruby><rb>柄</rb><rt>え</rt></ruby>に固着する爲には<ruby><rb>木詣</rb><rt>やに</rt></ruby>の類と植物の皮又は<ruby><rb>獸類</rb><rt>じゆうるい</rt></ruby>の皮を細くしたるものを併せ用ゐしなるべし。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">石鏃</span>　<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>は<ruby><rb>通例</rb><rt>つうれい</rt></ruby>長さ六七分にして其形状一定せざれど、何れも一端<ruby><rb>鋭</rb><rt>するど</rt></ruby>く<ruby><rb>尖</rb><rt>とが</rt></ruby>り、左右常に<ruby><rb>均整</rb><rt>きんせい</rt></ruby>なり。此種の石器<ruby><rb>夥多</rb><rt>あまた</rt></ruby>の中には<ruby><rb>石質美麗</rb><rt>せきしつびれい</rt></ruby>、<ruby><rb>製作緻密</rb><rt>せいさくちみつ</rt></ruby>、實用に供するは惜ししと思はるる物無きに非ず。小に<ruby><rb>過</rb><rt>す</rt></ruby>ぎて用を爲さざる物有り、<ruby><rb>赤色</rb><rt>あかいろ</rt></ruby>の<ruby><rb>色料</rb><rt>しよくれう</rt></ruby>を<ruby><rb>塗</rb><rt>ぬ</rt></ruby>りて明かに<ruby><rb>裝飾</rb><rt>かざり</rt></ruby>を加へし物有り。是等は<ruby><rb>玩弄品</rb><rt>ぐわんろうひん</rt></ruby>か裝飾品か<ruby><rb>將</rb><rt>は</rt></ruby>た<ruby><rb>貨幣</rb><rt>くわへい</rt></ruby>の如き用を爲せし<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>か<ruby><rb>容易</rb><rt>ようゐ</rt></ruby>に<ruby><rb>考定</rb><rt>かうてい</rt></ruby>する事能はずと雖も、<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>本來の用及ひ<ruby><rb>主要</rb><rt>しゆゑう</rt></ruby>の用は、此所に<ruby><rb>掲</rb><rt>かか</rt></ruby>げたる<ruby><rb>名稱</rb><rt>めいせう</rt></ruby>の<ruby><rb>意味</rb><rt>いみ</rt></ruby>する通り、<ruby><rb>矢</rb><rt>や</rt></ruby>の<ruby><rb>先</rb><rt>さき</rt></ruby>に着けて<ruby><rb>目的物</rb><rt>もくてきぶつ</rt></ruby>を傷くるに在るや必せり。アメリカ土人中には<ruby><rb>現</rb><rt>げん</rt></ruby>に石鏃を使用する者有り。ニウジヤアシイにては人類の前頭骨に石鏃の立ちたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>の物を發見し、チリのコピアポにては人類の第二の脊椎に<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>の立ちたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>の物を<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>し、フランスのフヲンリヤルにては人類の<ruby><rb>脛骨</rb><rt>けいこつ</rt></ruby>に石鏃の立ちたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>の物を發見したる事有り。<ruby><rb>本邦</rb><rt>ほんほう</rt></ruby>に於ては未だ<ruby><rb>斯</rb><rt>か</rt></ruby>かる發見物無しと雖も石鏃の<ruby><rb>根底部</rb><rt>こんていぶ</rt></ruby>或は<ruby><rb>把柄</rb><rt>ひしやく</rt></ruby>に<ruby><rb>木脂</rb><rt>やに</rt></ruby>を付けたる痕を留むる物往々有りて能く<ruby><rb>笴</rb><rt>やがら</rt></ruby>を固着せし状を示せり。矢有れは弓有り、弓有れば<ruby><rb>絃</rb><rt>げん</rt></ruby>有り。コロボックル<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>に石鏃の現存するは、<ruby><rb>間接</rb><rt>かんせつ</rt></ruby>に彼等が<ruby><rb>笴</rb><rt>やがら</rt></ruby>、弓及び絃を有せし事を<ruby><rb>證</rb><rt>しよう</rt></ruby>するものと云ふべし。矢には<ruby><rb>羽根</rb><rt>はね</rt></ruby>を付くる事有りしや<ruby><rb>否</rb><rt>いな</rt></ruby>や<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>ふるに由無し。笴は細き竹或は<ruby><rb>葭</rb><rt>よし</rt></ruby>を以て作り、弓は木或は<ruby><rb>太</rb><rt>ふと</rt></ruby>き竹を以て作りしならん。<ruby><rb>絃</rb><rt>げん</rt></ruby>の原料は植物の皮或は<ruby><rb>獸類</rb><rt>じゆうるゐ</rt></ruby>の皮を細く<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>りしものなりし事<ruby><rb>勿論</rb><rt>もつろん</rt></ruby>なれど、余は此絃には<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>く<ruby><rb>撚</rb><rt>よ</rt></ruby>りを<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>け有りしならんと考ふ。そは土器表面<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し付け<ruby><rb>模樣</rb><rt>もよう</rt></ruby>の中に撚りを掛けたる<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>の<ruby><rb>跟</rb><rt>あと</rt></ruby>有るを以て<ruby><rb>推察</rb><rt>すゐさつ</rt></ruby>せらる。撚りの有無と<ruby><rb>絃</rb><rt>つる</rt></ruby>の<ruby><rb>強弱</rb><rt>きよじやく</rt></ruby>との關係は僅少の<ruby><rb>經驗</rb><rt>けいけん</rt></ruby>に由つても<ruby><rb>悟</rb><rt>さと</rt></ruby>るを得べき事なり。弓矢は<ruby><rb>鳥獸獵</rb><rt>てうじゆうれう</rt></ruby>に於ても用ゐられしなるべく、人類<ruby><rb>同志</rb><rt>どうし</rt></ruby>の<ruby><rb>爭鬪</rb><rt>さうとう</rt></ruby>に於ても用ゐられしならん。或は海獸大魚を<ruby><rb>捕獲</rb><rt>ほくわく</rt></ruby>するに<ruby><rb>際</rb><rt>さい</rt></ruby>しても用ゐられし事有る可きか。水中に矢を射込む事其<ruby><rb>例</rb><rt>れい</rt></ruby><ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>きに非ず。石鏃は石器時代<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>に於て他の<ruby><rb>遺物</rb><rt>ゐぶつ</rt></ruby>と<ruby><rb>共</rb><rt>とも</rt></ruby>に<ruby><rb>存在</rb><rt>ぞんざい</rt></ruby>するを常とすれど、左の諸所にては山中に於て<ruby><rb>單獨</rb><rt>たんどく</rt></ruby>に發見されし事有るなり。

（一）山城國比叡山頂　　　　　（山崎直方氏報）

（二）信濃國大門峠　　　　　　（若林勝邦氏報）

（三）飛彈國神岡鑛山　　　　　（西邑孝太郎氏報）

（四）同國大西峠頂上　　　　　（田中正太郎氏報）

（五）同國高城山絶頂　　　　　（同氏報）

（六）羽後國男鹿半島眞山々中　（若林勝邦氏報）

<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby><ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>は鳥獸獵の<ruby><rb>際</rb><rt>さい</rt></ruby><ruby><rb>射損</rb><rt>ゐそん</rt></ruby>じて地に<ruby><rb>落</rb><rt>を</rt></ruby>ちたるものなるべく、其存在の<ruby><rb>事實</rb><rt>じじつ</rt></ruby>は、如何にコロボックルが鳥獸<ruby><rb>捕獲</rb><rt>ほくわく</rt></ruby>の爲め高山に登りし事有るかを告ぐるものたり。

矢は如何なる物の<ruby><rb>内</rb><rt>うち</rt></ruby>に入れ<ruby><rb>置</rb><rt>おき</rt></ruby>きしか<ruby><rb>詳</rb><rt>つまびらか</rt></ruby>ならざれど、<ruby><rb>獸皮</rb><rt>じゆうひ</rt></ruby>或は<ruby><rb>木質</rb><rt>もくしつ</rt></ruby>を以て作りたる一種の<ruby><rb>矢筒</rb><rt>やづつ</rt></ruby><ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>りしは<ruby><rb>疑無</rb><rt>うたがいな</rt></ruby>からん。<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>は<ruby><rb>製造</rb><rt>せいぞう</rt></ruby><ruby><rb>終</rb><rt>をわ</rt></ruby>るに<ruby><rb>隨</rb><rt>したが</rt></ruby>ひ<ruby><rb>悉皆</rb><rt>しつかい</rt></ruby><ruby><rb>笴</rb><rt>やがら</rt></ruby>に<ruby><rb>固着</rb><rt>こちやく</rt></ruby>されしにはあらずして、餘分の物は種々の入れ物に<ruby><rb>貯</rb><rt>たくは</rt></ruby>へ<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>かれしものと見ゆ。<ruby><rb>渡島國凾舘住吉町</rb><rt>をしまのくにはこたてすみよしてう</rt></ruby>、<ruby><rb>後志</rb><rt>しりべし</rt></ruby>國余市川村、<ruby><rb>石狩</rb><rt>いしかり</rt></ruby>國<ruby><rb>空知監獄署用地</rb><rt>ソラチかんごくしようようち</rt></ruby>、<ruby><rb>日高</rb><rt>ひだか</rt></ruby>國<ruby><rb>捫別舊會所</rb><rt>もんべつきうくわいじよ</rt></ruby>の<ruby><rb>裏</rb><rt>うら</rt></ruby>等よりは<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>を入れたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>の<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>を<ruby><rb>掘出</rb><rt>ほりだ</rt></ruby>せし事有り。<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>ふにコロボツクルは適當の<ruby><rb>石</rb><rt>いし</rt></ruby>を<ruby><rb>獲</rb><rt>え</rt></ruby>たる時、又は<ruby><rb>氣</rb><rt>き</rt></ruby>の<ruby><rb>向</rb><rt>む</rt></ruby>きたる時に、<ruby><rb>必要以外</rb><rt>ひつえういぐわい</rt></ruby>の<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>を<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>り<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>き之を土器其他の入れ物に<ruby><rb>収</rb><rt>をさ</rt></ruby>めて後日の<ruby><rb>豫備</rb><rt>よび</rt></ruby>とし或は<ruby><rb>物品交換</rb><rt>ぶつぴんかうくわん</rt></ruby>の用に<ruby><rb>供</rb><rt>きよう</rt></ruby>する爲<ruby><rb>貯</rb><rt>たくは</rt></ruby>へ<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>きしならん。

<ruby><rb>弓矢</rb><rt>ゆみや</rt></ruby>の<ruby><rb>使用</rb><rt>しよう</rt></ruby>は、諸人種に<ruby><rb>普通</rb><rt>ふつう</rt></ruby>なるものに<ruby><rb>非</rb><rt>あら</rt></ruby>ず。<ruby><rb>未開人民中</rb><rt>みかいじんみんちう</rt></ruby>には<ruby><rb>今尚</rb><rt>いまな</rt></ruby>ほ之を知らざる者有り。<ruby><rb>此點</rb><rt>このてん</rt></ruby>のみに<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>いて云ふも、コロボックル、の<ruby><rb>智識</rb><rt>ちしき</rt></ruby>は<ruby><rb>决</rb><rt>けつ</rt></ruby>して<ruby><rb>甚</rb><rt>はなは</rt></ruby>だ<ruby><rb>低</rb><rt>ひく</rt></ruby>きものには非ざるなり。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">石錐</span>　<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>の<ruby><rb>類品</rb><rt>るゐひん</rt></ruby>にして、<ruby><rb>全体</rb><rt>ぜんたい</rt></ruby><ruby><rb>棒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>の形を成せる物有り、又一方のみ棒の形を成し一端は<ruby><rb>杓子</rb><rt>しやくし</rt></ruby>の如くに<ruby><rb>膨</rb><rt>ふく</rt></ruby>らみたる物有り。<ruby><rb>是等</rb><rt>これら</rt></ruby>は<ruby><rb>錐</rb><rt>きり</rt></ruby>の用を爲せしものなるべし。<ruby><rb>柄</rb><rt>え</rt></ruby>の<ruby><rb>着</rb><rt>つ</rt></ruby>け方は石鏃に笴を着くると<ruby><rb>異</rb><rt>ことな</rt></ruby>る所無からん。<ruby><rb>膨</rb><rt>ふくら</rt></ruby>み有る物は<ruby><rb>殊</rb><rt>こと</rt></ruby>に<ruby><rb>柄</rb><rt>え</rt></ruby>を固着するに適したり。石錐は種々の物に<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>を<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>つに用ゐられしなるべけれど、<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>の<ruby><rb>開</rb><rt>あ</rt></ruby>きたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>にて今日迄<ruby><rb>遺存</rb><rt>ゐぞん</rt></ruby>する物は土器のみなり。石器時代土器の<ruby><rb>腹壁</rb><rt>ふくへき</rt></ruby>には石錐を以て<ruby><rb>揉</rb><rt>も</rt></ruby>み<ruby><rb>明</rb><rt>あ</rt></ruby>けたるに<ruby><rb>相違無</rb><rt>そういな</rt></ruby>き孔の存する事有り。<ruby><rb>尚</rb><rt>な</rt></ruby>ほ土器の部に於て<ruby><rb>細説</rb><rt>さいせつ</rt></ruby>する所有るべし。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">石匕</span>　<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby><ruby><rb>石錐抔</rb><rt>いしきりなど</rt></ruby>と<ruby><rb>同質</rb><rt>どうしつ</rt></ruby>にして其大さ是等の五倍或は十倍なる物有り。<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじよう</rt></ruby>は<ruby><rb>長方形</rb><rt>ちようはうがた</rt></ruby>、<ruby><rb>橢圓形</rb><rt>たいえんがた</rt></ruby>、<ruby><rb>三角形</rb><rt>さんかくがた</rt></ruby>等の<ruby><rb>不規則</rb><rt>ふきそく</rt></ruby>なるものにして一部に必ず<ruby><rb>短</rb><rt>みじか</rt></ruby>き把柄有り。此の如き<ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>を<ruby><rb>俗</rb><rt>ぞく</rt></ruby>に<ruby><rb>天狗</rb><rt>テング</rt></ruby>の<ruby><rb>飯匙</rb><rt>メシカヒ</rt></ruby>と<ruby><rb>呼</rb><rt>よ</rt></ruby>ぶ。<ruby><rb>近頃</rb><rt>ちかごろ</rt></ruby>は<ruby><rb>石匕</rb><rt>いしさじ</rt></ruby>の名行はるる樣に成りしが、是とても决して<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>き<ruby><rb>稱</rb><rt>とな</rt></ruby>へには非ざるなり。イースタアアイランド土人及びエスキモーは<ruby><rb>現</rb><rt>げん</rt></ruby>に<ruby><rb>此石器</rb><rt>このせきき</rt></ruby>を有す。<ruby><rb>其使用</rb><rt>そのしよう</rt></ruby>の目的は鳥獸の皮を<ruby><rb>剥</rb><rt>は</rt></ruby>ぎたる後に<ruby><rb>脂肪</rb><rt>しばう</rt></ruby>を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き<ruby><rb>取</rb><rt>と</rt></ruby>るが如き事に在るなり。石匕の把柄の部には木脂の<ruby><rb>附着</rb><rt>ふちやく</rt></ruby>せし<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>あるもの有り。<ruby><rb>是</rb><rt>これ</rt></ruby><ruby><rb>疑</rb><rt>うたが</rt></ruby>ひも無く更に長き木製の把柄を<ruby><rb>添</rb><rt>そ</rt></ruby>へたるに<ruby><rb>基因</rb><rt>きゐん</rt></ruby>す。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">製法</span>　以上諸種の<ruby><rb>石器</rb><rt>いしき</rt></ruby>の<ruby><rb>製法</rb><rt>せいはう</rt></ruby>は石器其者の<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじやう</rt></ruby>を見ても推察するを得れど、<ruby><rb>遺物包含地</rb><rt>ゐぶつはうがんち</rt></ruby>及び其<ruby><rb>攪亂</rb><rt>かくらん</rt></ruby>されたる塲所を<ruby><rb>實踐</rb><rt>じつせん</rt></ruby>して調査すれば、現に<ruby><rb>稍々</rb><rt>やや</rt></ruby>大なる<ruby><rb>石材</rb><rt>せきざい</rt></ruby>を<ruby><rb>打</rb><rt>う</rt></ruby>ち<ruby><rb>壞</rb><rt>くだ</rt></ruby>き<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し<ruby><rb>缺</rb><rt>か</rt></ruby>きて<ruby><rb>漸次</rb><rt>ざんじ</rt></ruby><ruby><rb>目的</rb><rt>もくてき</rt></ruby>の<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじやう</rt></ruby>とせし<ruby><rb>跟</rb><rt>あと</rt></ruby>を<ruby><rb>認</rb><rt>みと</rt></ruby>むるを得るなり。打製石斧は最初先づ<ruby><rb>漬</rb><rt>つ</rt></ruby>け物の重し石の如き物を<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>り、之を他の石と<ruby><rb>打</rb><rt>う</rt></ruby>ち合はせ數個の破片を作り、<ruby><rb>其中</rb><rt>そのうち</rt></ruby>より石斧とするに<ruby><rb>適</rb><rt>てき</rt></ruby>したる形のものを<ruby><rb>撰</rb><rt>えら</rt></ruby>み出し、<ruby><rb>臺石</rb><rt>だいいし</rt></ruby>の上に<ruby><rb>乘</rb><rt>の</rt></ruby>せ、或は他の石片を<ruby><rb>槌</rb><rt>つち</rt></ruby>として<ruby><rb>直</rb><rt>ただ</rt></ruby>ちに<ruby><rb>其周縁</rb><rt>そのまわり</rt></ruby>を<ruby><rb>打</rb><rt>う</rt></ruby>ち<ruby><rb>缺</rb><rt>か</rt></ruby>き或は<ruby><rb>骨角</rb><rt>こつかく</rt></ruby>の如き<ruby><rb>堅</rb><rt>かた</rt></ruby>き物にて、作れる長さ數寸の<ruby><rb>棒</rb><rt>ばう</rt></ruby>の一端を、石斧とすべき石片の一部分に<ruby><rb>當</rb><rt>あ</rt></ruby>て、此棒の<ruby><rb>他端</rb><rt>たたん</rt></ruby>をば、片手の<ruby><rb>掌</rb><rt>てのひら</rt></ruby>に<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>り込むを得る程の石にて打ち、恰も<ruby><rb>桶屋</rb><rt>おけや</rt></ruby>が桶の籠を打ち込む時の如き<ruby><rb>有樣</rb><rt>ありさま</rt></ruby>に、手を<ruby><rb>動</rb><rt>うご</rt></ruby>かし、<ruby><rb>次第次第</rb><rt>しだい〲</rt></ruby>に全形を作り上げしならん。<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>に<ruby><rb>列擧</rb><rt>れつきよ</rt></ruby>したる製造用の<ruby><rb>道具</rb><rt>どうぐ</rt></ruby>は皆發見物中に在り。石槍、石鏃、石錐、石匕の如く<ruby><rb>細工</rb><rt>さいく</rt></ruby>の精巧なるものは<ruby><rb>打製</rb><rt>だせい</rt></ruby>石斧よりは更に<ruby><rb>注意</rb><rt>ちうい</rt></ruby>して作り上げしならん。<ruby><rb>稍</rb><rt>や</rt></ruby>々大なる<ruby><rb>石片</rb><rt>せきへん</rt></ruby>を<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>り、打ち壞き小破片とし、<ruby><rb>其中</rb><rt>そのなか</rt></ruby>より目的に<ruby><rb>適</rb><rt>かな</rt></ruby>ひたるものを<ruby><rb>撰</rb><rt>えら</rt></ruby>み<ruby><rb>出</rb><rt>だ</rt></ruby>す迄は右に記せし所に<ruby><rb>同樣</rb><rt>どうやう</rt></ruby>なるべきも、夫より<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>は或は<ruby><rb>左手</rb><rt>さしゆ</rt></ruby>に獸皮の小片を持ち<ruby><rb>皮越</rb><rt>かはこ</rt></ruby>しに<ruby><rb>石片</rb><rt>せきへん</rt></ruby>を<ruby><rb>撮</rb><rt>つま</rt></ruby>み、或は<ruby><rb>臺</rb><rt>だい</rt></ruby>の上に石を横たへて左手の指にて<ruby><rb>之</rb><rt>これ</rt></ruby>を<ruby><rb>押</rb><rt>おさ</rt></ruby>へ右手には、前述の<ruby><rb>骨角</rb><rt>こつかく</rt></ruby>の如き堅き物にて作れる棒を持ち、<ruby><rb>此棒</rb><rt>このばう</rt></ruby>の尖端を石片の<ruby><rb>周縁</rb><rt>いんえん</rt></ruby>に當て少し<ruby><rb>宛</rb><rt>づつ</rt></ruby><ruby><rb>壓</rb><rt>お</rt></ruby>し缺きしならん。時としては<ruby><rb>棒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>二<ruby><rb>本</rb><rt>ほん</rt></ruby>を以て毛拔き樣の<ruby><rb>道具</rb><rt>だうぐ</rt></ruby>を作り、之を用ゐて石片の周縁を<ruby><rb>撮</rb><rt>つま</rt></ruby>み<ruby><rb>缺</rb><rt>か</rt></ruby>きし事も有りしならん

既に述べしが如く、<ruby><rb>石器製造</rb><rt>せききせいざう</rt></ruby>の順序は未開人民實際の<ruby><rb>所爲</rb><rt>しよゐ</rt></ruby>と、遺跡に<ruby><rb>存</rb><rt>ぞん</rt></ruby>する原料、破片、作り掛け、作り損じ、<ruby><rb>製造用具</rb><rt>せいざうようぐ</rt></ruby>と思はる物品等の比較研究とに<ruby><rb>由</rb><rt>よ</rt></ruby>つて窺ひ知るを得るなり

## ●磨製類

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">總説</span>　石片に<ruby><rb>鋭利</rb><rt>えいり</rt></ruby>なる刄を設くるに二<ruby><rb>法</rb><rt>はふ</rt></ruby>有り。一は打ち<ruby><rb>缺</rb><rt>か</rt></ruby>き或は壓し缺く<ruby><rb>法</rb><rt>はふ</rt></ruby>にして、斯くして<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>りたる<ruby><rb>石噐</rb><rt>せきき</rt></ruby>の<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>は前項に記したり。他の一<ruby><rb>法</rb><rt>はふ</rt></ruby>は研ぎ磨く<ruby><rb>法</rb><rt>はふ</rt></ruby>なり。石の磨製<ruby><rb>利噐</rb><rt>りき</rt></ruby>には磨製石鏃と呼ばる物も有り、<ruby><rb>石庖丁</rb><rt>いしはうてう</rt></ruby>の名を得たる<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>も有れど、是等は<ruby><rb>寧</rb><rt>むし</rt></ruby>ろ稀なる品なれば<ruby><rb>説明</rb><rt>せつめい</rt></ruby>を止め、是より磨製石斧の<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>のみに付て述ぶる所有るべし。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">磨製石斧</span>　磨製石斧とは<ruby><rb>細長</rb><rt>ほそなが</rt></ruby>くして<ruby><rb>其端</rb><rt>そのはし</rt></ruby>に<ruby><rb>刄</rb><rt>は</rt></ruby>を付けたる石器の稱へなり。<ruby><rb>大小不定</rb><rt>だいせうふてい</rt></ruby>なれど長さ五六寸<ruby><rb>計</rb><rt>ばか</rt></ruby>りを<ruby><rb>常</rb><rt>つね</rt></ruby>とす。刄は殆と悉皆一端のみに<ruby><rb>在</rb><rt>あ</rt></ruby>りと云つて可なり。<ruby><rb>理科大學人類學教室</rb><rt>りくわだいがくじんるゐがくけうしつ</rt></ruby>には磨製石斧三百<ruby><rb>個</rb><rt>こ</rt></ruby>計り有れど、<ruby><rb>兩端</rb><rt>りやうたん</rt></ruby>に刄有るものは<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>一<ruby><rb>個</rb><rt>こ</rt></ruby>のみ。コロボックルは磨製石斧を<ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>の<ruby><rb>目的</rb><rt>もくてき</rt></ruby>に用ゐしや。<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より確言する能はざれど、<ruby><rb>現存</rb><rt>げんぞん</rt></ruby><ruby><rb>石器時代人民</rb><rt>せききじだいじんみん</rt></ruby>の所爲を以て推す時は、是等は石器の用は<ruby><rb>食料</rb><rt>しよくれう</rt></ruby>の肉を切り、<ruby><rb>木質</rb><rt>もくしつ</rt></ruby>を削り、人獸を<ruby><rb>傷</rb><rt>きづつ</rt></ruby>くるに在りしと思はる。<ruby><rb>極</rb><rt>きは</rt></ruby>めて大なる物及び極めて<ruby><rb>小</rb><rt>せう</rt></ruby>なる<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>に至つては實用有りしとは<ruby><rb>認</rb><rt>みと</rt></ruby>め難し或は<ruby><rb>標章</rb><rt>へうしやう</rt></ruby><ruby><rb>玩具</rb><rt>ぐわんぐ</rt></ruby>の類なりしならんか。磨製石斧は<ruby><rb>手</rb><rt>て</rt></ruby>にて直に<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>られし事も有るべけれど斧の如くに柄を添へて<ruby><rb>用</rb><rt>もち</rt></ruby>ゐられし事も在りしと見ゆ。<ruby><rb>武藏國大里郡</rb><rt>むさしのくにおほさとごほり</rt></ruby>冑山村の土中よりは<ruby><rb>柄</rb><rt>ゑ</rt></ruby>の<ruby><rb>着</rb><rt>つ</rt></ruby>きし儘なる磨製石斧<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でし事有り。柄は木質にて<ruby><rb>朽</rb><rt>く</rt></ruby>ちて居りし事故、<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>なる方法にて<ruby><rb>石斧</rb><rt>いしおの</rt></ruby>を<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>り付けしか詳ならされど、<ruby><rb>其状</rb><rt>そのじやう</rt></ruby><ruby><rb>現今</rb><rt>げんこん</rt></ruby><ruby><rb>行</rb><rt>おこな</rt></ruby>はるるタガネと<ruby><rb>大差</rb><rt>たいさ</rt></ruby>無かりしならん。

<span data-tei-rend="bouten 白丸傍点 right" style="text-emphasis-style: open circle; text-emphasis-position: over right">製法</span>　磨製石斧の<ruby><rb>製法</rb><rt>せいはふ</rt></ruby>は現存石器時代人民の<ruby><rb>爲</rb><rt>な</rt></ruby>す所に<ruby><rb>由</rb><rt>よ</rt></ruby>つても<ruby><rb>知</rb><rt>し</rt></ruby>るを得れと、<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>に於て<ruby><rb>獲</rb><rt>う</rt></ruby>る所の<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>り<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けの<ruby><rb>凹</rb><rt>くぼ</rt></ruby>み有る石片截り目を存する<ruby><rb>石斧</rb><rt>いしおの</rt></ruby>、<ruby><rb>刄</rb><rt>は</rt></ruby>の<ruby><rb>鈍</rb><rt>にぶ</rt></ruby>きもの刄の鋭きもの、截り取りたる<ruby><rb>石屑</rb><rt>いしくづ</rt></ruby>及び<ruby><rb>砥石</rb><rt>といし</rt></ruby>に用ゐしと<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はるる石器等を<ruby><rb>比較</rb><rt>ひかく</rt></ruby>すれば、正しくコロボックルが磨製石斧を<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>りたる<ruby><rb>順序</rb><rt>じゆんじよ</rt></ruby>を知るを得るなり。石を<ruby><rb>摩</rb><rt>す</rt></ruby>り截るには木の<ruby><rb>小枝抔</rb><rt>せうしなど</rt></ruby>を採り、其の一端へ<ruby><rb>堅</rb><rt>かた</rt></ruby>き<ruby><rb>砂</rb><rt>すな</rt></ruby>を付けて之を握り墨を<ruby><rb>摺</rb><rt>す</rt></ruby>る時の如くに手を<ruby><rb>前後</rb><rt>ぜんご</rt></ruby>に<ruby><rb>動</rb><rt>うご</rt></ruby>かし、一面より摩り初めて凹みの<ruby><rb>深</rb><rt>ふか</rt></ruby>さ石の厚さの<ruby><rb>半</rb><rt>なかば</rt></ruby>に達したる<ruby><rb>頃</rb><rt>ころ</rt></ruby>、<ruby><rb>石</rb><rt>いし</rt></ruby>を<ruby><rb>裏返</rb><rt>うらかへ</rt></ruby>しにして再び他面に<ruby><rb>溝</rb><rt>みぞ</rt></ruby>を作り、兩面よりの<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>り<ruby><rb>目</rb><rt>め</rt></ruby>殆んと<ruby><rb>相</rb><rt>あひ</rt></ruby><ruby><rb>連</rb><rt>つら</rt></ruby>なるに及んで、石の一<ruby><rb>部分</rb><rt>ぶぶん</rt></ruby>を<ruby><rb>強</rb><rt>つよ</rt></ruby>く打ち<ruby><rb>之</rb><rt>これ</rt></ruby>を他の部分より取り離したるならん、<ruby><rb>石</rb><rt>いし</rt></ruby>を截るにも石を研ぐにも<ruby><rb>多少</rb><rt>たせう</rt></ruby>の水を要すべし。<ruby><rb>石斧製造</rb><rt>いしおのせいざう</rt></ruby>に<ruby><rb>必要</rb><rt>ひつえう</rt></ruby>なる砂及び水は<ruby><rb>各々</rb><rt>おの〱</rt></ruby><ruby><rb>適宜</rb><rt>てきたう</rt></ruby>なる大さの土器中に<ruby><rb>貯</rb><rt>たくは</rt></ruby>へられしものと<ruby><rb>想像</rb><rt>さうざう</rt></ruby>せらる。（續出）

  


## ●コロボックル風俗考　第七回（挿圖參看）

理學士　坪井正五郎

## ●利器以外の石器

石器とは石を以て<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>りたる<ruby><rb>道具</rb><rt>だうぐ</rt></ruby>の<ruby><rb>總稱</rb><rt>そうせう</rt></ruby>なるが、其中にて刄の<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>きたる分、即ち石製の利器の事は、<ruby><rb>打製類</rb><rt>だせいるゐ</rt></ruby>も<ruby><rb>磨製類</rb><rt>ませいるゐ</rt></ruby>も大畧記し<ruby><rb>終</rb><rt>おは</rt></ruby>りたるを以て、是より<ruby><rb>刄物</rb><rt>はもの</rt></ruby>ならざる石器の事を述ぶ可し。是等の中にて<ruby><rb>主要</rb><rt>しゆえう</rt></ruby>なるは左の<ruby><rb>數種</rb><rt>すうしゆ</rt></ruby>なり。

（第一）石を<ruby><rb>棒形</rb><rt>ぼうがた</rt></ruby>に<ruby><rb>截取</rb><rt>きりと</rt></ruby>り<ruby><rb>摩</rb><rt>す</rt></ruby>り<ruby><rb>减</rb><rt>へ</rt></ruby>らしたる者。（之を石棒と呼ぶ）

（第二）糸を掛ける爲と思はるる<ruby><rb>溝</rb><rt>みぞ</rt></ruby>の有る石。（之を糸掛け石と呼ぶ）

（第三）扁平石の<ruby><rb>周圍</rb><rt>しうゐ</rt></ruby><ruby><rb>相對</rb><rt>あひたい</rt></ruby>する所に<ruby><rb>缺損</rb><rt>けつそん</rt></ruby>ある者。（之を錘り石と呼ぶ）

（第四）<ruby><rb>質</rb><rt>しつ</rt></ruby>の<ruby><rb>粗</rb><rt>あら</rt></ruby>き丸石にして<ruby><rb>凹所</rb><rt>おうしよ</rt></ruby>を有する者。（之を凹み石と呼ぶ）

（第五）<ruby><rb>皿</rb><rt>さら</rt></ruby>或は<ruby><rb>箕</rb><rt>み</rt></ruby>の如き<ruby><rb>形</rb><rt>かたち</rt></ruby>にして長徑一尺許の者。（之を石皿と呼ぶ）

## ●石棒

石棒に粗製のものと<ruby><rb>精製</rb><rt>せい〱</rt></ruby>のものとの二<ruby><rb>種</rb><rt>しゆ</rt></ruby>有り、長さは<ruby><rb>共</rb><rt>とも</rt></ruby>に二三尺の間を<ruby><rb>常</rb><rt>つね</rt></ruby>とすれど、<ruby><rb>粗製</rb><rt>そせい</rt></ruby>の方は<ruby><rb>太</rb><rt>ふと</rt></ruby>くして<ruby><rb>精製</rb><rt>せい〱</rt></ruby>の方は細し。圖中上に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きしは、第一種、<ruby><rb>下</rb><rt>しも</rt></ruby>に畫きしは第二種の<ruby><rb>石棒</rb><rt>いしばう</rt></ruby>なり。<ruby><rb>粗製石棒</rb><rt>そせいいしばう</rt></ruby>には兩端に<ruby><rb>玉</rb><rt>たま</rt></ruby>無きもの、一端に<ruby><rb>玉</rb><rt>たま</rt></ruby>有るもの、兩端に玉有るものの<ruby><rb>別</rb><rt>べつ</rt></ruby>有れど、<ruby><rb>精製</rb><rt>せい〱</rt></ruby>石棒は兩端に玉有るを<ruby><rb>以</rb><rt>もつ</rt></ruby>て<ruby><rb>定則</rb><rt>じやうそく</rt></ruby>と爲すが如し。<ruby><rb>精製石棒</rb><rt>せい〱いしばう</rt></ruby>の玉の部には徃々<ruby><rb>美麗</rb><rt>びれい</rt></ruby>なる彫刻を<ruby><rb>施</rb><rt>ほどこ</rt></ruby>せしもの<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>り。石棒なるものは抑<ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>の用に<ruby><rb>供</rb><rt>きやう</rt></ruby>せしものか、<ruby><rb>諸説</rb><rt>しよせつ</rt></ruby>有りと雖も何れも<ruby><rb>堅固</rb><rt>けんご</rt></ruby>なる<ruby><rb>根據</rb><rt>こんきよ</rt></ruby>を有せず。余は只粗製石棒中の<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る者はメキシコに<ruby><rb>於</rb><rt>お</rt></ruby>ける<ruby><rb>石棒</rb><rt>いしばう</rt></ruby>と<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく、石製の<ruby><rb>臺上</rb><rt>だいじやう</rt></ruby>に横たへ<ruby><rb>轉</rb><rt>ころ</rt></ruby>ばして<ruby><rb>餅</rb><rt>もち</rt></ruby>の類を延すに用ゐられしなるべく、<ruby><rb>精製石棒中</rb><rt>せい〱いしばうちう</rt></ruby>の或る者はニウジーランドに於ける<ruby><rb>精巧</rb><rt>せいこう</rt></ruby>なる石噐の如く、酋長抔の位階の<ruby><rb>標</rb><rt>しる</rt></ruby>しとして用ゐられしなるべしと<ruby><rb>思惟</rb><rt>しゐ</rt></ruby>するのみ。<ruby><rb>彼</rb><rt>かの</rt></ruby>石棒を<ruby><rb>以</rb><rt>もつ</rt></ruby>て古史に<ruby><rb>所謂</rb><rt>いはゆる</rt></ruby>イシツツイなりと爲すが<ruby><rb>如</rb><rt>ごと</rt></ruby>きは遺物<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>の状况に重みを<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>かざる人の<ruby><rb>説</rb><rt>せつ</rt></ruby>にして、苟も<ruby><rb>石器時代遺跡</rb><rt>せききじだいゐせき</rt></ruby>の何たるを知る者は决して<ruby><rb>同意</rb><rt>どうい</rt></ruby>せざる所ならん。<ruby><rb>圖中</rb><rt>づちう</rt></ruby><ruby><rb>粗製</rb><rt>そせい</rt></ruby>石棒の例として掲げたるものは遠江<ruby><rb>豊田郡</rb><rt>とよだごほり</rt></ruby>大栗安村にて<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>せしもの、精製石棒の例として掲げたるものは羽後<ruby><rb>飽海</rb><rt>あくみ</rt></ruby>郡上郷村にて<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>せしもの、<ruby><rb>共</rb><rt>とも</rt></ruby>に<ruby><rb>理科大學人類學教室</rb><rt>りくわだいがくじんるゐがくきやうしつ</rt></ruby>の藏品なり。扨是等の石器は<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にして<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>られしやと云ふに、石斧石鏃の<ruby><rb>塲合</rb><rt>ばあひ</rt></ruby>とは事變はりて、<ruby><rb>半成品</rb><rt>はんせいひん</rt></ruby>も<ruby><rb>見當</rb><rt>みあ</rt></ruby>たらず、細工屑も<ruby><rb>見當</rb><rt>みあ</rt></ruby>たらざれば、明かに知る由<ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>しと雖も製法の<ruby><rb>大畧</rb><rt>たいりやく</rt></ruby>は先づ<ruby><rb>板</rb><rt>いた</rt></ruby>の<ruby><rb>如</rb><rt>ごと</rt></ruby>く扁平なる<ruby><rb>石片</rb><rt>せきへん</rt></ruby>を<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>りて之を適宜の<ruby><rb>幅</rb><rt>はば</rt></ruby>に<ruby><rb>引</rb><rt>ひ</rt></ruby>き<ruby><rb>截</rb><rt>き</rt></ruby>るか、又は<ruby><rb>自然</rb><rt>しぜん</rt></ruby>に細長き石を<ruby><rb>周圍</rb><rt>しうゐ</rt></ruby>より缺き减らし磨り减らしして<ruby><rb>適宜</rb><rt>てきぎ</rt></ruby>の<ruby><rb>太</rb><rt>ふと</rt></ruby>さにするかして、後徐々に<ruby><rb>手持砥石</rb><rt>てもちといし</rt></ruby>の<ruby><rb>類</rb><rt>るゐ</rt></ruby>にて磨き上げしものなるべし。<ruby><rb>石</rb><rt>いし</rt></ruby>を<ruby><rb>引</rb><rt>ひ</rt></ruby>き截り石を缺き减らす爲には石斧製造の<ruby><rb>條下</rb><rt>ぜうか</rt></ruby>に<ruby><rb>述</rb><rt>のぶ</rt></ruby>べしが如き方法行はれしならん。

<ruby><rb>糸掛</rb><rt>いとか</rt></ruby>け石とは圖中<ruby><rb>精製石棒</rb><rt>せい〱いしばう</rt></ruby>の右の端の下に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>き有るが如きものなり。<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>に例として擧げたるものの<ruby><rb>出所</rb><rt>しゆつしよ</rt></ruby>は遠江周智郡入野村なるが<ruby><rb>此地</rb><rt>このち</rt></ruby>よりは尚ほ<ruby><rb>類品</rb><rt>るゐひん</rt></ruby>數個出でたり。他<ruby><rb>地方</rb><rt>ちはう</rt></ruby>より出でたる糸掛け石も<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじやう</rt></ruby>大さとも概ね<ruby><rb>此例</rb><rt>このれい</rt></ruby>の如し。此<ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>の用は未だ詳ならざれども切り目の<ruby><rb>樣子</rb><rt>やうす</rt></ruby>を見れば糸を以て<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>りたるものなる事疑ひ無し。<ruby><rb>案</rb><rt>あん</rt></ruby>ずるに<ruby><rb>此類</rb><rt>このるい</rt></ruby>の<ruby><rb>石噐</rb><rt>せきき</rt></ruby>は或は<ruby><rb>釣糸</rb><rt>つりいと</rt></ruby>を埀るる時に錘りとして用ゐられし事も有るべく、或は鳥を<ruby><rb>捕</rb><rt>とら</rt></ruby>ふるに<ruby><rb>際</rb><rt>さい</rt></ruby>し<ruby><rb>束</rb><rt>つか</rt></ruby>ね糸の端に<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>り付けられし事も有るべく、（此<ruby><rb>捕鳥器</rb><rt>ほてうき</rt></ruby>の事は別に<ruby><rb>詳記</rb><rt>しやうき</rt></ruby>すべし）或は<ruby><rb>打</rb><rt>う</rt></ruby>ち<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>を作るに當つて糸の<ruby><rb>錘</rb><rt>おも</rt></ruby>りとして用ゐられし事も有るべし。<ruby><rb>製法</rb><rt>せいはう</rt></ruby>は自然の<ruby><rb>扁平石</rb><rt>へんへいせき</rt></ruby>の小さきものを<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>り、又は石を打ち<ruby><rb>缺</rb><rt>か</rt></ruby>き<ruby><rb>摩</rb><rt>す</rt></ruby>り减らして斯かる形と爲し、其上に<ruby><rb>燧石抔</rb><rt>ひうちいしなぞ</rt></ruby>の尖りたる角にて切り目を付けしものならん

## ●錘り石

圖中<ruby><rb>精製石棒</rb><rt>せい〱いしばう</rt></ruby>中央の下に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたるは<ruby><rb>自然</rb><rt>しぜん</rt></ruby>の扁平石にして、周縁相對する部に<ruby><rb>人爲</rb><rt>じんゐ</rt></ruby>の<ruby><rb>缺損</rb><rt>けつそん</rt></ruby>有り。此者の用も未た詳ならされと、<ruby><rb>前項</rb><rt>ぜんこう</rt></ruby>に記したる<ruby><rb>糸掛</rb><rt>いとか</rt></ruby>け石に於けるよりは更に<ruby><rb>太</rb><rt>ふと</rt></ruby>き<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>を以て<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>りし者たる事殆と<ruby><rb>疑</rb><rt>うたが</rt></ruby>ひ無く、從つて<ruby><rb>何物</rb><rt>なにもの</rt></ruby>かの<ruby><rb>錘</rb><rt>おも</rt></ruby>りに用ゐられしならんと考へらるるなり。<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>に畫きたるものは伊豆君澤郡<ruby><rb>久連</rb><rt>くづら</rt></ruby>村より出でしものなるが、<ruby><rb>類品</rb><rt>るゐひん</rt></ruby>は<ruby><rb>諸地方</rb><rt>しよちはう</rt></ruby>より出でたり。恐らくは網の<ruby><rb>錘</rb><rt>おも</rt></ruby>りならん。（網の<ruby><rb>存在</rb><rt>ぞんざい</rt></ruby>に付きては<ruby><rb>慥</rb><rt>たしか</rt></ruby>なる<ruby><rb>證據</rb><rt>しやうこ</rt></ruby>あり。此事に關しては再び記す所あるべし。）

## ●凹み石

<ruby><rb>錘</rb><rt>おも</rt></ruby>り石の<ruby><rb>左方</rb><rt>さはう</rt></ruby>に畫きたる火山石を<ruby><rb>人工</rb><rt>じんこう</rt></ruby>にて<ruby><rb>橢圓体状</rb><rt>だゑんたいじやう</rt></ruby>に爲したる者にして、上下<ruby><rb>兩面</rb><rt>りやうめん</rt></ruby>の中央には人工にて<ruby><rb>穿</rb><rt>うが</rt></ruby>ち<ruby><rb>凹</rb><rt>くぼ</rt></ruby>めたる穴有り出所は甲斐西八代郡大塚村なり。<ruby><rb>諸地方</rb><rt>しよちはう</rt></ruby>より出でたる<ruby><rb>類品</rb><rt>るゐひん</rt></ruby>甚多し。<ruby><rb>用法</rb><rt>やうはう</rt></ruby>未だ詳ならず。之を<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>るには先づ<ruby><rb>適宜</rb><rt>てきぎ</rt></ruby>の大さの火山石を<ruby><rb>拾</rb><rt>ひろ</rt></ruby>ひ<ruby><rb>自然</rb><rt>しぜん</rt></ruby>面の<ruby><rb>利用</rb><rt>りやう</rt></ruby>すべき部は之を利用し、他の<ruby><rb>不規則</rb><rt>ふきそく</rt></ruby>に高低<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>る<ruby><rb>部</rb><rt>ぶ</rt></ruby>は或は<ruby><rb>缺</rb><rt>か</rt></ruby>き或は<ruby><rb>摩</rb><rt>す</rt></ruby>りて<ruby><rb>全体</rb><rt>ぜんたい</rt></ruby>を大なる<ruby><rb>牡丹餅</rb><rt>ぼたもち</rt></ruby>の如き形とし<ruby><rb>兩面</rb><rt>れうめん</rt></ruby>の<ruby><rb>中央部</rb><rt>ちうわうぶ</rt></ruby>には<ruby><rb>尖端</rb><rt>せんたん</rt></ruby>の鋭き<ruby><rb>石片</rb><rt>せきへん</rt></ruby>又は<ruby><rb>鹿</rb><rt>しか</rt></ruby>の<ruby><rb>角抔</rb><rt>つのなど</rt></ruby>を<ruby><rb>當</rb><rt>あ</rt></ruby>て、他の小石を槌として之を<ruby><rb>打</rb><rt>う</rt></ruby>ち徐々に<ruby><rb>凹</rb><rt>くぼ</rt></ruby>みを<ruby><rb>設</rb><rt>まう</rt></ruby>けしならん。

## ●石皿

圖中凹み石の<ruby><rb>下</rb><rt>した</rt></ruby>に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたるは石皿の例にして<ruby><rb>其發見地</rb><rt>そのはつけんち</rt></ruby>は武藏青梅近傍日向和田なり。一<ruby><rb>方</rb><rt>はう</rt></ruby>には<ruby><rb>深</rb><rt>ふか</rt></ruby>き凹み有り、一方には<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き<ruby><rb>出</rb><rt>だ</rt></ruby>すに<ruby><rb>都合好</rb><rt>つがふよ</rt></ruby>き<ruby><rb>構造</rb><rt>かうぞう</rt></ruby><ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>り。單に<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじよう</rt></ruby>のみを見るも<ruby><rb>穀類抔</rb><rt>こくるゐなど</rt></ruby>を<ruby><rb>粉</rb><rt>こ</rt></ruby>にする<ruby><rb>時</rb><rt>とき</rt></ruby>の<ruby><rb>臺</rb><rt>だい</rt></ruby>の如くに<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はるれど、アフリカの<ruby><rb>内地</rb><rt>ないち</rt></ruby>の土人は現に<ruby><rb>同形</rb><rt>どうけい</rt></ruby>の石器を<ruby><rb>同樣</rb><rt>どうやう</rt></ruby>の<ruby><rb>目的</rb><rt>もくてき</rt></ruby>に用ゐ居るなり。<ruby><rb>此類</rb><rt>このるゐ</rt></ruby>の石器にして<ruby><rb>果</rb><rt>はた</rt></ruby>して<ruby><rb>粉製</rb><rt>こつく</rt></ruby>りの臺たらば、<ruby><rb>是</rb><rt>これ</rt></ruby>に<ruby><rb>對</rb><rt>たい</rt></ruby>する<ruby><rb>粉潰</rb><rt>こつぶ</rt></ruby>しの<ruby><rb>道具</rb><rt>どうぐ</rt></ruby>も有る可き<ruby><rb>筈</rb><rt>はづ</rt></ruby>なり。<ruby><rb>事實</rb><rt>じじつ</rt></ruby><ruby><rb>如何</rb><rt>いかん</rt></ruby>と云ふに日向和田に<ruby><rb>於</rb><rt>おい</rt></ruby>ては<ruby><rb>實際</rb><rt>じつさい</rt></ruby>石皿と伴ふて<ruby><rb>是</rb><rt>これ</rt></ruby>に<ruby><rb>適合</rb><rt>てきがふ</rt></ruby>する<ruby><rb>橢圓石</rb><rt>だゑんせき</rt></ruby><ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>されしなり。思ふにコロボツクルは是等の<ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>を用ゐて<ruby><rb>草木</rb><rt>さうもく</rt></ruby>の<ruby><rb>實</rb><rt>み</rt></ruby>を<ruby><rb>壓</rb><rt>を</rt></ruby>し<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>し<ruby><rb>食用</rb><rt>しよくえう</rt></ruby>の<ruby><rb>粉</rb><rt>こ</rt></ruby>を<ruby><rb>製</rb><rt>つく</rt></ruby>りしならん。石皿の<ruby><rb>名</rb><rt>な</rt></ruby>は<ruby><rb>决</rb><rt>けつ</rt></ruby>して<ruby><rb>適切</rb><rt>てきせつ</rt></ruby>には非ざれど、<ruby><rb>他</rb><rt>た</rt></ruby>に<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>き名を<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>ひ付かざれば<ruby><rb>姑</rb><rt>しばら</rt></ruby>く<ruby><rb>通稱</rb><rt>つうしやう</rt></ruby>に從ふのみ。<ruby><rb>類品</rb><rt>るゐひん</rt></ruby><ruby><rb>諸所</rb><rt>しよ〱</rt></ruby>より出でたり。<ruby><rb>之</rb><rt>これ</rt></ruby>を作るには火山石の<ruby><rb>適宜</rb><rt>てきぎ</rt></ruby>の大さのものを<ruby><rb>撰</rb><rt>えら</rt></ruby>び凹み石を作ると<ruby><rb>同樣</rb><rt>どうやう</rt></ruby>の<ruby><rb>順序</rb><rt>じゆんじよ</rt></ruby>を<ruby><rb>經</rb><rt>へ</rt></ruby>て、一<ruby><rb>面</rb><rt>めん</rt></ruby>に大なる凹みを<ruby><rb>設</rb><rt>まふ</rt></ruby>け、此凹みの<ruby><rb>内部</rb><rt>ないぶ</rt></ruby>をば<ruby><rb>他</rb><rt>た</rt></ruby>の石を以て<ruby><rb>摩</rb><rt>す</rt></ruby>り<ruby><rb>减</rb><rt>へ</rt></ruby>らしたるものなるべし

## ●骨器

<ruby><rb>石器時代</rb><rt>せききじだい</rt></ruby>の<ruby><rb>器具</rb><rt>きぐ</rt></ruby>とて<ruby><rb>何者</rb><rt>なにもの</rt></ruby>も<ruby><rb>總</rb><rt>すべ</rt></ruby>て石を<ruby><rb>材料</rb><rt>ざいれう</rt></ruby>とせしには非ず。獸類の<ruby><rb>骨</rb><rt>ほね</rt></ruby>にて<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>りたる物、<ruby><rb>魚類</rb><rt>ぎよるゐ</rt></ruby>の<ruby><rb>骨</rb><rt>ほね</rt></ruby>にて作りたる<ruby><rb>物等</rb><rt>ものら</rt></ruby>も<ruby><rb>正</rb><rt>まさ</rt></ruby>しく石器時代の<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>より<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>さるるなり。圖中石皿の右に在るは獸骨器の<ruby><rb>尖端</rb><rt>せんたん</rt></ruby>なり。<ruby><rb>此</rb><rt>かく</rt></ruby>の<ruby><rb>如</rb><rt>ごと</rt></ruby>き骨噐はエスキモーの<ruby><rb>現用漁業具中</rb><rt>げんやうぎよげうぐちう</rt></ruby>に在り。<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたるものの<ruby><rb>出所</rb><rt>しゆつしよ</rt></ruby>は岩磐新地貝塚なるが、<ruby><rb>其用</rb><rt>そのえう</rt></ruby>は<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らくエスキモーの<ruby><rb>所用</rb><rt>しよやう</rt></ruby>の者と<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく<ruby><rb>銛</rb><rt>もり</rt></ruby>の先に<ruby><rb>着</rb><rt>つ</rt></ruby>けて<ruby><rb>海獸</rb><rt>かいじゆう</rt></ruby><ruby><rb>大魚</rb><rt>たいぎよ</rt></ruby>を打ち<ruby><rb>留</rb><rt>と</rt></ruby>むるに在りしならん。<ruby><rb>類品</rb><rt>るゐひん</rt></ruby>は<ruby><rb>北海道</rb><rt>ほくかゐだう</rt></ruby>レブン島よりも出でたり。獸骨器の<ruby><rb>右</rb><rt>みぎ</rt></ruby>に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたるは魚骨器なり。<ruby><rb>上端</rb><rt>じやうたん</rt></ruby>の孔は糸を貫くに<ruby><rb>適</rb><rt>てき</rt></ruby>したり。<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>ふに此骨器は<ruby><rb>粗</rb><rt>あら</rt></ruby>き物を<ruby><rb>縫</rb><rt>ぬ</rt></ruby>ひ合はする時に<ruby><rb>針</rb><rt>はり</rt></ruby>として用ゐられしならん。<ruby><rb>類品</rb><rt>るゐひん</rt></ruby>は<ruby><rb>他</rb><rt>た</rt></ruby>より<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でたれど<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>に<ruby><rb>掲</rb><rt>か</rt></ruby>げたるものは武藏荏原郡大森貝塚より出でたるなり。骨器の類は此他種々<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>れど<ruby><rb>煩</rb><rt>はん</rt></ruby>を<ruby><rb>厭</rb><rt>いと</rt></ruby>ひて<ruby><rb>記</rb><rt>しる</rt></ruby>さず

## ●角器牙器

石器時代<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>よりは<ruby><rb>又</rb><rt>また</rt></ruby><ruby><rb>鹿</rb><rt>しか</rt></ruby>の<ruby><rb>角</rb><rt>つの</rt></ruby>にて作りたる<ruby><rb>噐具</rb><rt>きぐ</rt></ruby>も出づ。魚骨器の<ruby><rb>右</rb><rt>せき</rt></ruby>に畫きたるは<ruby><rb>其一例</rb><rt>そのいちれい</rt></ruby>にして、<ruby><rb>發見地</rb><rt>はつけんち</rt></ruby>は相模三浦郡<ruby><rb>久比利</rb><rt>くびり</rt></ruby>貝塚なり。<ruby><rb>用</rb><rt>やう</rt></ruby>は<ruby><rb>大魚</rb><rt>たいぎよ</rt></ruby>を<ruby><rb>釣</rb><rt>つ</rt></ruby>るに在りし<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby><ruby><rb>何</rb><rt>なん</rt></ruby>の<ruby><rb>疑</rb><rt>うたがひ</rt></ruby>か有らん

角器の<ruby><rb>上</rb><rt>うへ</rt></ruby>に畫きたるは猪の牙を摩り减らして<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>りたる<ruby><rb>矢</rb><rt>や</rt></ruby>の<ruby><rb>根形</rb><rt>ねかた</rt></ruby>の<ruby><rb>利噐</rb><rt>りき</rt></ruby>なり。<ruby><rb>此品</rb><rt>このしな</rt></ruby>は常陸河内郡椎塚より出でたるものなるが<ruby><rb>是</rb><rt>これ</rt></ruby>と<ruby><rb>同樣</rb><rt>どうやう</rt></ruby>の<ruby><rb>品</rb><rt>しな</rt></ruby>は大森貝塚よりも<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>されたり。<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>ふに<ruby><rb>此利噐</rb><rt>このりき</rt></ruby>は前に<ruby><rb>掲</rb><rt>かか</rt></ruby>げたる獸骨器と<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しく、<ruby><rb>銛</rb><rt>もり</rt></ruby>の<ruby><rb>尖端</rb><rt>せんたん</rt></ruby>として用ゐられしものなるべし。

以上の骨器角器牙器は燧石の角にて<ruby><rb>疵付</rb><rt>きづつ</rt></ruby>くる事と、砥石の類に<ruby><rb>摩</rb><rt>す</rt></ruby>り<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>くる事とに由りて<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>り上げしならん。圖中に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたる石器骨器角噐牙噐は皆理科大學人類學教室の藏品なり。

## ●土器

石器時代遺跡より<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>さるる<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>は四部に大別するを得。

（第一）飮食物其他の<ruby><rb>諸品</rb><rt>しよひん</rt></ruby>を<ruby><rb>容</rb><rt>い</rt></ruby>るるに適したる噐。（之を容噐と呼ぶ）

（第二）<ruby><rb>裝飾</rb><rt>そうしよく</rt></ruby>として身に<ruby><rb>帶</rb><rt>お</rt></ruby>びしが如きもの。（之を裝飾品と呼ぶ）

（第三）人の<ruby><rb>形</rb><rt>かたち</rt></ruby>に<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>られたるもの。（之を土偶と呼ぶ）

（第四）はがき位の大さにて札形のもの。（之を土版と呼ぶ）

此他、用法も<ruby><rb>詳</rb><rt>つまびらか</rt></ruby>ならず、分類も爲し難きもの數品有り。

製法は何れも手づくね<ruby><rb>素燒</rb><rt>すや</rt></ruby>きなり。土質中には<ruby><rb>多少</rb><rt>たせう</rt></ruby>の<ruby><rb>雲母</rb><rt>きらら</rt></ruby>を<ruby><rb>含</rb><rt>ふく</rt></ruby>むを常とす。

## ●容器

容器には種々の形有り。<ruby><rb>一々</rb><rt>いち〱</rt></ruby><ruby><rb>名状</rb><rt>めいじやう</rt></ruby>すべからず。大は口徑一尺餘。小は口徑一寸許り。<ruby><rb>高</rb><rt>たか</rt></ruby>さ<ruby><rb>厚</rb><rt>あつ</rt></ruby>さ亦區々なり。圖版中右の上に畫く所は<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじやう</rt></ruby>を<ruby><rb>主</rb><rt>しゆ</rt></ruby>とす、大小の比例は必しも眞の如くならず。色は黒色栗色鳶色カハラケ色等種々有りて表面の<ruby><rb>精粗</rb><rt>せいそ</rt></ruby>も<ruby><rb>一定</rb><rt>いつてい</rt></ruby>せず、製法は圖版中左の下に畫きたるが如し。先づ底面を作り其上に紐形にしたる土を乘せ、<ruby><rb>周圍</rb><rt>しうゐ</rt></ruby>に<ruby><rb>添</rb><rt>そ</rt></ruby>ふて之を段々に螺旋状に<ruby><rb>積</rb><rt>つ</rt></ruby>み上げ、内外兩面を<ruby><rb>滑</rb><rt>なめら</rt></ruby>かに<ruby><rb>擦</rb><rt>す</rt></ruby>りて全形を仕上げ、後種々の裝飾を<ruby><rb>施</rb><rt>ほどこ</rt></ruby>して<ruby><rb>火</rb><rt>ひ</rt></ruby>に<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けたるならん。此順序は遺跡發見物中に存在する<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>り<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けの土噐を<ruby><rb>比較</rb><rt>ひかう</rt></ruby>して明かに知るを得るなり。土噐の底面には網代の痕又は木の葉の痕を存するものあり。是製造の始<ruby><rb>敷</rb><rt>し</rt></ruby>き<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>として用ゐたる編み物或は木の葉が偶然此所に印せられしに他ならず。<ruby><rb>裝飾</rb><rt>そうしよく</rt></ruby>には<ruby><rb>摸樣</rb><rt>もやう</rt></ruby>と<ruby><rb>彩色</rb><rt>さいしき</rt></ruby>との二種有り。摸樣は燒く前に施し、彩色は燒きたる<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>に<ruby><rb>施</rb><rt>ほどこ</rt></ruby>せしなり。摸樣は種類甚多しと雖も大別して<ruby><rb>沈紋</rb><rt>ちんもん</rt></ruby><ruby><rb>浮紋</rb><rt>ふもん</rt></ruby>の二とするを得、<ruby><rb>沈紋</rb><rt>ちんもん</rt></ruby>とは土器の面より<ruby><rb>凹</rb><rt>くぼ</rt></ruby>みて<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>きたる<ruby><rb>摸樣</rb><rt>もやう</rt></ruby>にして、浮紋とは土器の面上に他の土塊を添へて作りたるものの謂なり。沈紋の中に又<ruby><rb>押紋</rb><rt>をうもん</rt></ruby><ruby><rb>畫紋</rb><rt>ぐわもん</rt></ruby>の別有り。<ruby><rb>布</rb><rt>ぬの</rt></ruby>、<ruby><rb>席</rb><rt>むしろ</rt></ruby>、編み物、紐細き棒の小口、<ruby><rb>貝殼</rb><rt>かひがら</rt></ruby>等を<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>けて印したる紋を押紋と云ひ、細き棒或は<ruby><rb>篦</rb><rt>へら</rt></ruby>を以て<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたる摸樣を畫紋と云ふ。是等諸種の摸樣は<ruby><rb>通例</rb><rt>つうれい</rt></ruby><ruby><rb>彼此</rb><rt>ひが</rt></ruby><ruby><rb>相</rb><rt>あい</rt></ruby><ruby><rb>混</rb><rt>こん</rt></ruby>じて施され居るなり。彩色には<ruby><rb>總塗</rb><rt>そうぬ</rt></ruby>り<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>り、畫紋有り、兩種を合算するも其數甚少し。色は何れも赤なれど其内に四五種の別有り。（繪具の事に付きては別に記す所あるべし）

容器の用は必しも<ruby><rb>飮食品</rb><rt>いんしよくひん</rt></ruby>を<ruby><rb>貯</rb><rt>たくは</rt></ruby>ふるに在らず、時としては手箱の<ruby><rb>用</rb><rt>よう</rt></ruby>をも<ruby><rb>辨</rb><rt>べん</rt></ruby>じたるなるべし。現に石鏃の入りたる儘の土器、小砂利の入りたる儘の土器、<ruby><rb>繪具</rb><rt>ゑのぐ</rt></ruby>を入れたる<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>有る土器等の發見されたる事有るなり。

圖版中左の上に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたるは<ruby><rb>沈紋</rb><rt>ちんもん</rt></ruby>の數例なり、形状の圖と共に其據は總て理科大學人類學教室所藏品に在り。（續出）

  


## ●コロボックル風俗考　第八回（揷圖參看）

理學士　坪井正五郎

## ●土製裝飾品

<ruby><rb>身体裝飾</rb><rt>しんたいそうしよく</rt></ruby>として用ゐられしならんと<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はるる<ruby><rb>土製品</rb><rt>どせいひん</rt></ruby>は極めて<ruby><rb>稀</rb><rt>まれ</rt></ruby>にして、<ruby><rb>好例</rb><rt>こうれい</rt></ruby>として示すべき物は余の<ruby><rb>手近</rb><rt>てぢか</rt></ruby>には唯一個有るのみなり。（<ruby><rb>圖中</rb><rt>づちう</rt></ruby>、<ruby><rb>下段</rb><rt>げだん</rt></ruby>右の<ruby><rb>端</rb><rt>はし</rt></ruby>を見よ）此品は<ruby><rb>大森貝塚</rb><rt>おほもりかいづか</rt></ruby>より發見されたり。<ruby><rb>全体</rb><rt>ぜんたい</rt></ruby>に樣々の<ruby><rb>沈紋</rb><rt>ちんもん</rt></ruby>有り。他の<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>と等しく火に<ruby><rb>掛</rb><rt>か</rt></ruby>けたる物にして、色は<ruby><rb>黒</rb><rt>くろ</rt></ruby>し。長さの<ruby><rb>向</rb><rt>む</rt></ruby>きに<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>有りて恰も<ruby><rb>軸</rb><rt>ぢく</rt></ruby>を<ruby><rb>拔</rb><rt>ぬ</rt></ruby>き取りたる紡錘の如し。思ふに此<ruby><rb>孔</rb><rt>あな</rt></ruby>に糸を<ruby><rb>貫</rb><rt>つらぬ</rt></ruby>きて身に<ruby><rb>帶</rb><rt>お</rt></ruby>ぶるに便にせしならん。

## ●土偶

既に<ruby><rb>身体裝飾</rb><rt>しんたいそうしよく</rt></ruby><ruby><rb>衣服</rb><rt>いふく</rt></ruby>等の事を<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べし折に言ひしが如く、本邦石噐時代の<ruby><rb>諸遺跡</rb><rt>しよいせき</rt></ruby>よりは<ruby><rb>燒</rb><rt>や</rt></ruby>き物の<ruby><rb>人形</rb><rt>にんぎよう</rt></ruby>屡ば<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>さるるなり。大さは種々なれど今日迄に<ruby><rb>知</rb><rt>し</rt></ruby>れたる<ruby><rb>事實</rb><rt>じじつ</rt></ruby>に由れば最も大なるは陸奧龜ヶ岡<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>加藤某氏<ruby><rb>所藏</rb><rt>しよぞう</rt></ruby>（第三回圖中に<ruby><rb>頭部</rb><rt>とうぶ</rt></ruby>のみを<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>き置きしもの、佐藤蔀氏藏せしは誤なり）全長一尺二寸<ruby><rb>計</rb><rt>ばかり</rt></ruby>、最も小なるは武藏下沼<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>理科大學<ruby><rb>人類學教室所藏</rb><rt>じんるいがくけふしつしよぞう</rt></ruby>の物にして全長二寸五分、<ruby><rb>製作</rb><rt>せいさく</rt></ruby>に付きては内部の<ruby><rb>充實</rb><rt>じうじつ</rt></ruby>したる物と<ruby><rb>空虚</rb><rt>くうきよ</rt></ruby>なる物との二種有り<ruby><rb>形式</rb><rt>けいしき</rt></ruby>に付きては<ruby><rb>全体</rb><rt>ぜんたい</rt></ruby>に<ruby><rb>太</rb><rt>ふと</rt></ruby>りたる物と前後より<ruby><rb>押</rb><rt>お</rt></ruby>し平めたるが如き物との二種有り。其用は<ruby><rb>信仰上</rb><rt>しんこうじやう</rt></ruby>關係を有するか、<ruby><rb>單</rb><rt>たん</rt></ruby>に<ruby><rb>玩弄品</rb><rt>ぐわんろうひん</rt></ruby>たるか未だ<ruby><rb>詳</rb><rt>つまびらか</rt></ruby>ならずと雖も、間々<ruby><rb>製作</rb><rt>せいさく</rt></ruby>の<ruby><rb>巧妙</rb><rt>こうめう</rt></ruby><ruby><rb>精緻</rb><rt>せいち</rt></ruby>なる物有るを以て見れば甲の<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>への方實に近からんと<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はる。<ruby><rb>物質</rb><rt>ぶつしつ</rt></ruby>の異同は有れど、<ruby><rb>小偶像</rb><rt>せうぐうぞう</rt></ruby>を作りて<ruby><rb>禮拜</rb><rt>れいはい</rt></ruby>の<ruby><rb>目的物</rb><rt>もくてきぶつ</rt></ruby>とし又は身の<ruby><rb>護</rb><rt>まも</rt></ruby>りとする事<ruby><rb>野蠻未開人民</rb><rt>やばんみかいじんみん</rt></ruby>中其例少しとせず。<ruby><rb>貝塚</rb><rt>かいづか</rt></ruby>即ち<ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>時代人民の<ruby><rb>掃</rb><rt>は</rt></ruby>き<ruby><rb>溜</rb><rt>だ</rt></ruby>めより<ruby><rb>宗教上</rb><rt>しうけふじやう</rt></ruby>の物を<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>すとは如何にも誠しからず聞こゆべしと雖も、<ruby><rb>一定</rb><rt>いつてい</rt></ruby>の時日を<ruby><rb>經</rb><rt>へ</rt></ruby>たる後、或は一定の<ruby><rb>祭祀</rb><rt>さいし</rt></ruby>を終りたる後は、<ruby><rb>偶像</rb><rt>ぐうぞう</rt></ruby>の利益<ruby><rb>功力</rb><rt>こうりよく</rt></ruby>を失ふと云ふが如き<ruby><rb>考</rb><rt>かんが</rt></ruby>へは存し得べき事にして、<ruby><rb>尊崇</rb><rt>そんすう</rt></ruby>すべき物品が<ruby><rb>食餘</rb><rt>しよくよ</rt></ruby>の<ruby><rb>汚物</rb><rt>おぶつ</rt></ruby>と共に同一所に捨てられしとするも敢て<ruby><rb>怪</rb><rt>あやし</rt></ruby>むべきには非ざるなり。<ruby><rb>土偶</rb><rt>どぐう</rt></ruby>の<ruby><rb>頭部</rb><rt>たうぶ</rt></ruby>或は<ruby><rb>手足部</rb><rt>しゆそくぶ</rt></ruby>の<ruby><rb>欠損</rb><rt>けつそん</rt></ruby>せる事常なること、恐くは<ruby><rb>一種</rb><rt>いつしゆ</rt></ruby>の<ruby><rb>妄信</rb><rt>もうしん</rt></ruby>の爲、故意に<ruby><rb>破壞</rb><rt>はくわい</rt></ruby>せるに由るならん。<ruby><rb>土偶</rb><rt>どぐう</rt></ruby>の用は<ruby><rb>信仰上</rb><rt>しんこうじやう</rt></ruby>に<ruby><rb>關係</rb><rt>くわんけい</rt></ruby>有りと假定するも、尚ほ<ruby><rb>實在</rb><rt>じつざい</rt></ruby>の人の形を<ruby><rb>現</rb><rt>あらは</rt></ruby>したる物か、<ruby><rb>想像上</rb><rt>そうぞうじやう</rt></ruby>の神の形を示したる物かとの<ruby><rb>疑問</rb><rt>ぎもん</rt></ruby>有らん。此事に付きては<ruby><rb>後段</rb><rt>こうだん</rt></ruby><ruby><rb>別</rb><rt>べつ</rt></ruby>に述ぶる所有るべけれど、土偶の<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじやう</rt></ruby>はコロボツクル日常の<ruby><rb>有樣</rb><rt>ありさま</rt></ruby>を<ruby><rb>基</rb><rt>もと</rt></ruby>として作りしものならんとの<ruby><rb>事丈</rb><rt>ことだけ</rt></ruby>は<ruby><rb>此所</rb><rt>ここ</rt></ruby>に記し置くべし。土偶中には<ruby><rb>裸体</rb><rt>らたい</rt></ruby>の物有り、<ruby><rb>着服</rb><rt>ちやくふく</rt></ruby>の物有り、<ruby><rb>素面</rb><rt>すめん</rt></ruby>の物有り、<ruby><rb>覆面</rb><rt>ふくめん</rt></ruby>の物有り、<ruby><rb>冠</rb><rt>かむ</rt></ruby>り物の在る有り、<ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>き有り、<ruby><rb>穿</rb><rt>は</rt></ruby>き物の在る有り、<ruby><rb>無</rb><rt>な</rt></ruby>き有り、<ruby><rb>上衣</rb><rt>うわぎ</rt></ruby>と<ruby><rb>股引</rb><rt>ももひき</rt></ruby>とには<ruby><rb>赤色</rb><rt>あかいろ</rt></ruby>の<ruby><rb>彩色</rb><rt>さいしき</rt></ruby>を施したるも有るなり、圖中<ruby><rb>下段</rb><rt>げだん</rt></ruby>右より二つ目に<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたるものは<ruby><rb>裸体土偶</rb><rt>らたいどぐう</rt></ruby>の一例にして出所は常陸椎塚貝塚、<ruby><rb>所藏主</rb><rt>しよぞうぬし</rt></ruby>は理科大學<ruby><rb>人類學</rb><rt>じんるいがく</rt></ruby>教室なり。左に土偶<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>國名表を<ruby><rb>掲</rb><rt>かか</rt></ruby>ぐ。

渡島、陸奧、羽後、磐城、岩代、下總、常陸、武藏、信濃、<ruby><rb>就中</rb><rt>なかんづく</rt></ruby>多く出でたるは陸奧龜ヶ岡なり。

## ●土版

土版には<ruby><rb>長方形</rb><rt>ちやうはうけい</rt></ruby>のものと<ruby><rb>小判形</rb><rt>こばんがた</rt></ruby>のものとの二種有り。<ruby><rb>用法</rb><rt>ようはう</rt></ruby>詳ならずと雖も、<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>くは身の<ruby><rb>護</rb><rt>まも</rt></ruby>り又は<ruby><rb>咒</rb><rt>まじな</rt></ruby>ひの具<ruby><rb>抔</rb><rt>など</rt></ruby>ならん。中には前述の<ruby><rb>土偶</rb><rt>どぐう</rt></ruby>との中間物の如きものも有り。<ruby><rb>從來</rb><rt>じうらい</rt></ruby><ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>されたる土版の出所は左の如し。<ruby><rb>圖</rb><rt>づ</rt></ruby>に<ruby><rb>示</rb><rt>しめ</rt></ruby>す所は武藏北足立郡貝塚村より出でしものなり。

武藏荏原郡大森貝塚

同　　　郡上沼部貝塚

同北豊島郡小豆澤貝塚

同　　　郡西ヶ原貝塚

同北足立郡貝塚村

同　　　郡小室村

同南埼玉郡黒谷村

常陸河内郡椎塚貝塚

下總東葛飾郡國分寺村貝塚

陸奧南津輕郡浪岡村

## ●貝殼器

はまぐりの如き<ruby><rb>貝殼</rb><rt>かいがら</rt></ruby>は自然に<ruby><rb>皿形</rb><rt>さらがた</rt></ruby>を成し、且つ<ruby><rb>相對</rb><rt>あひたい</rt></ruby>する者二枚を合する時<ruby><rb>葢</rb><rt>ふた</rt></ruby>と身との部さへ<ruby><rb>具</rb><rt>そな</rt></ruby>はるが故に物を<ruby><rb>貯</rb><rt>たく</rt></ruby>ふる器とするに<ruby><rb>適</rb><rt>てき</rt></ruby>したり。我々は是に<ruby><rb>膏藥</rb><rt>こうやく</rt></ruby>の類を入るる事有れどコロボツクルは之を以て<ruby><rb>繪</rb><rt>ゑ</rt></ruby>の<ruby><rb>具</rb><rt>ぐ</rt></ruby>入れとせしなり。<ruby><rb>赤色</rb><rt>あかいろ</rt></ruby>の<ruby><rb>繪</rb><rt>ゑ</rt></ruby>の<ruby><rb>具</rb><rt>ぐ</rt></ruby>を入れたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>のはまぐり貝は大森<ruby><rb>貝塚</rb><rt>かいづか</rt></ruby>より數個<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>されたり。

はまぐり貝は又物を<ruby><rb>掻</rb><rt>か</rt></ruby>き取るに<ruby><rb>適</rb><rt>てき</rt></ruby>したり。<ruby><rb>魚鱗</rb><rt>ぎよりん</rt></ruby>の<ruby><rb>充</rb><rt>み</rt></ruby>ちたる<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>のもの<ruby><rb>貝塚</rb><rt>かいづか</rt></ruby>より出づる事有り。

<ruby><rb>貝塚</rb><rt>かいづか</rt></ruby><ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>物中に猪の牙を<ruby><rb>細</rb><rt>ほそ</rt></ruby>く<ruby><rb>研</rb><rt>と</rt></ruby>ぎ<ruby><rb>减</rb><rt>へ</rt></ruby>らしたるが如き形のもの有り。其用は未だ詳ならざれど、明かに<ruby><rb>貝殼</rb><rt>かいがら</rt></ruby>の一つなり。最も<ruby><rb>細</rb><rt>ほそ</rt></ruby>く作られたるものは其<ruby><rb>原料</rb><rt>げんれう</rt></ruby>甚だ<ruby><rb>見分</rb><rt>みわ</rt></ruby>け難けれど<ruby><rb>稍</rb><rt>やや</rt></ruby><ruby><rb>太</rb><rt>ふと</rt></ruby>きもの及び<ruby><rb>未成</rb><rt>みせい</rt></ruby>のものを<ruby><rb>列</rb><rt>つら</rt></ruby>ね考ふれば、あかがひの<ruby><rb>縁</rb><rt>へり</rt></ruby>の<ruby><rb>部分</rb><rt>ぶぶん</rt></ruby>なる事を知るを得。<ruby><rb>發見地</rb><rt>はつけんち</rt></ruby>は常陸椎塚、武藏上沼部、箕輪及び東京谷中延命院<ruby><rb>脇</rb><rt>わき</rt></ruby>の<ruby><rb>貝塚</rb><rt>かいづか</rt></ruby>なり。

## ●植物質器具

<ruby><rb>植物質</rb><rt>ちよくぶつしつ</rt></ruby>のものにして今日迄に<ruby><rb>石器時代遺跡</rb><rt>せききじだいいせき</rt></ruby>より發見されたるは<ruby><rb>菱</rb><rt>ひし</rt></ruby>の<ruby><rb>實</rb><rt>み</rt></ruby>、胡桃の<ruby><rb>實</rb><rt>み</rt></ruby>、及び一種の<ruby><rb>水草</rb><rt>すいさう</rt></ruby>の類にして、是等は<ruby><rb>唯</rb><rt>ただ</rt></ruby>有りの<ruby><rb>儘</rb><rt>まま</rt></ruby>の形にて<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>したるのみ。<ruby><rb>植物質</rb><rt>ちよくぶつしつ</rt></ruby>の<ruby><rb>器具</rb><rt>きぐ</rt></ruby>に至つては未だ一品も出でたる事無し。木にもせよ、竹にもせよ、<ruby><rb>草</rb><rt>くさ</rt></ruby>にもせよ、植物質の<ruby><rb>原料</rb><rt>げんれう</rt></ruby>にて作りたるものは<ruby><rb>腐敗</rb><rt>ふはい</rt></ruby>し易き事<ruby><rb>勿論</rb><rt>もちろん</rt></ruby>なれば、其今日に<ruby><rb>遺存</rb><rt>いぞん</rt></ruby>せざるの故を以て曾て<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>せざりし證とは爲すべからず。<ruby><rb>現</rb><rt>げん</rt></ruby>に<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby><ruby><rb>底面中</rb><rt>ていめんちう</rt></ruby>には<ruby><rb>網代形</rb><rt>あじろかた</rt></ruby>の<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>有るもの有り、土器形状<ruby><rb>模様</rb><rt>もよう</rt></ruby>中には明かに籠の形を<ruby><rb>摸</rb><rt>も</rt></ruby>したるもの有り、コロボックルが籠の<ruby><rb>類</rb><rt>るい</rt></ruby>を有せし事は<ruby><rb>推知</rb><rt>すいち</rt></ruby>し得べきなり。

アイヌ間に<ruby><rb>存</rb><rt>そん</rt></ruby>する<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby>に由ればコロボックルは又<ruby><rb>木製</rb><rt>もくせい</rt></ruby>の皿をも<ruby><rb>有</rb><rt>いう</rt></ruby>せしが如し。

既に<ruby><rb>服飾</rb><rt>ふくしよく</rt></ruby>の部に於ても<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べしが如く、<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby><ruby><rb>表面</rb><rt>ひやうめん</rt></ruby>の<ruby><rb>押紋</rb><rt>おしもん</rt></ruby>を撿すれば、コロボツクルが<ruby><rb>種々</rb><rt>しゆ〲</rt></ruby>の<ruby><rb>編</rb><rt>あ</rt></ruby>み物、織り物、及び<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>の類を有せし<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby><ruby><rb>明</rb><rt>あきら</rt></ruby>かにして、從つて<ruby><rb>袋</rb><rt>ふくろ</rt></ruby>を<ruby><rb>製</rb><rt>せい</rt></ruby>する事抔も有りしならんと<ruby><rb>想像</rb><rt>そうざう</rt></ruby>せらる。

<ruby><rb>以上</rb><rt>いじよう</rt></ruby><ruby><rb>諸種</rb><rt>しよしゆ</rt></ruby>の植物質器具は食物其他の<ruby><rb>物品</rb><rt>ぶつぴん</rt></ruby>を容るるに用ゐられしならん。

## ●日常生活

<ruby><rb>前々</rb><rt>ぜん〱</rt></ruby>より述べ<ruby><rb>來</rb><rt>きた</rt></ruby>りしが如き<ruby><rb>衣服</rb><rt>いふく</rt></ruby>を<ruby><rb>着</rb><rt>き</rt></ruby>、<ruby><rb>飮食</rb><rt>いんしよく</rt></ruby>を採り、竪穴に住ひ、噐具を用ゐたる<ruby><rb>人民</rb><rt>じんみん</rt></ruby>、即ちコロボックル、の<ruby><rb>日常生活</rb><rt>にちじようせいくわつ</rt></ruby>は如何なりしか、<ruby><rb>固</rb><rt>もと</rt></ruby>より<ruby><rb>明言</rb><rt>めいげん</rt></ruby>するを得る<ruby><rb>限</rb><rt>かぎ</rt></ruby>りには非ざれど<ruby><rb>試</rb><rt>こころ</rt></ruby>みに<ruby><rb>想像</rb><rt>そうぞう</rt></ruby>を畫きて他日精査を爲すの<ruby><rb>端緒</rb><rt>たんちよ</rt></ruby>とせん。

<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>は曾てコロボックルは<ruby><rb>人肉</rb><rt>じんにく</rt></ruby>を<ruby><rb>食</rb><rt>くら</rt></ruby>ひしならんとの事を云ひしが、<ruby><rb>此風習</rb><rt>このふうしふ</rt></ruby>は必しも<ruby><rb>粗暴猛惡</rb><rt>そぼうまうあく</rt></ruby>の<ruby><rb>民</rb><rt>たみ</rt></ruby>の間にのみ行はるるには非ず、且つ人肉は决して<ruby><rb>彼等</rb><rt>かれら</rt></ruby>の<ruby><rb>平常</rb><rt>へいじよう</rt></ruby>の<ruby><rb>食料</rb><rt>しよくれう</rt></ruby>には非ざりし事、貝塚の實地<ruby><rb>調査</rb><rt>てうさ</rt></ruby>に由りて知るを得べければ、<ruby><rb>此一事</rb><rt>このいちじ</rt></ruby>はコロボックルの日常の<ruby><rb>有樣</rb><rt>ありさま</rt></ruby>を考ふに付きて深き據とは爲すべからず

<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>の<ruby><rb>形状</rb><rt>けいじよう</rt></ruby>の爲に種々の<ruby><rb>意匠</rb><rt>いせう</rt></ruby>を廻らし、土器の紋樣の爲に<ruby><rb>幾多</rb><rt>いくた</rt></ruby>の圖案を<ruby><rb>工夫</rb><rt>くふう</rt></ruby>せしが<ruby><rb>如</rb><rt>ごと</rt></ruby>きは土器<ruby><rb>製造者</rb><rt>せいざうしや</rt></ruby>の心中餘裕有りしを知るに足るべく、土器<ruby><rb>使用者</rb><rt>しやうしや</rt></ruby>の性質<ruby><rb>寧</rb><rt>むしろ</rt></ruby><ruby><rb>沈着</rb><rt>ちんちやく</rt></ruby>なりしを察するに足るべし。余はコロボックルは<ruby><rb>温和</rb><rt>おんわ</rt></ruby>なる<ruby><rb>生活</rb><rt>せいくわつ</rt></ruby>を爲せし者と考ふ

<ruby><rb>彼等</rb><rt>かれら</rt></ruby>は<ruby><rb>朝</rb><rt>あさ</rt></ruby><ruby><rb>起</rb><rt>を</rt></ruby>きて先づ火焚き塲の火を<ruby><rb>熾</rb><rt>さかん</rt></ruby>にし、<ruby><rb>食物調理</rb><rt>しよくもつてうり</rt></ruby>を爲し、<ruby><rb>飮食</rb><rt>いんしよく</rt></ruby>を終りたる後は、或は食物<ruby><rb>原料採集</rb><rt>げんれうさいしう</rt></ruby>に出掛け、或は器具製造に<ruby><rb>從事</rb><rt>じうじ</rt></ruby>し、日中の<ruby><rb>時</rb><rt>とき</rt></ruby>を<ruby><rb>費</rb><rt>つひや</rt></ruby>したる後、各〻又我が火焚き塲の傍に<ruby><rb>集</rb><rt>あつま</rt></ruby>り座して且つ<ruby><rb>談</rb><rt>だん</rt></ruby>じ且つ<ruby><rb>食</rb><rt>くら</rt></ruby>ひ、<ruby><rb>飽</rb><rt>あ</rt></ruby>けば即ち<ruby><rb>横臥</rb><rt>わうぐわ</rt></ruby>して漁獵の夢抔を<ruby><rb>結</rb><rt>むし</rt></ruby>びしならん。

男の<ruby><rb>仕事</rb><rt>しごと</rt></ruby>は<ruby><rb>鳥獸魚</rb><rt>ちようじゆうぎよ</rt></ruby>の<ruby><rb>捕獲</rb><rt>ほくわく</rt></ruby>、<ruby><rb>住居</rb><rt>じうきよ</rt></ruby>の<ruby><rb>建築</rb><rt>けんちく</rt></ruby>、<ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>の<ruby><rb>製造</rb><rt>せいざう</rt></ruby>、舟の製造、發火等を<ruby><rb>主</rb><rt>しゆ</rt></ruby>とし、<ruby><rb>女</rb><rt>をんな</rt></ruby>の仕事は<ruby><rb>植物性</rb><rt>しよくもつせい</rt></ruby>食物原料及び貝類の採集、<ruby><rb>編</rb><rt>あ</rt></ruby>み物、織り<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>、紐類、土噐の製造、<ruby><rb>調理</rb><rt>てうり</rt></ruby>、小兒<ruby><rb>保育等</rb><rt>ほいくとう</rt></ruby>を主とせしなり

## ●漁業

遺跡よりは角製の<ruby><rb>釣</rb><rt>つ</rt></ruby>り<ruby><rb>針</rb><rt>はり</rt></ruby>の出でし事あり（第七回參照）。土器押紋中には<ruby><rb>慥</rb><rt>たしか</rt></ruby>に網の<ruby><rb>痕</rb><rt>あと</rt></ruby>有るもの有り。切り目有る扁平石噐中には網の<ruby><rb>錘</rb><rt>おも</rt></ruby>りと思はるるもの有り。貝塚より魚骨魚鱗の出づる<ruby><rb>傍</rb><rt>かたは</rt></ruby>ら是等遺物の<ruby><rb>存在</rb><rt>そんざい</rt></ruby>するは實にコロボックル<ruby><rb>漁業</rb><rt>ぎよげふ</rt></ruby>の法を明示するものと云ふべきなり。釣り竿の<ruby><rb>有無</rb><rt>ゆうむ</rt></ruby>は考へ<ruby><rb>難</rb><rt>かた</rt></ruby>けれど、<ruby><rb>網</rb><rt>あみ</rt></ruby>は<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らく<ruby><rb>曳</rb><rt>ひ</rt></ruby>き<ruby><rb>網</rb><rt>あみ</rt></ruby>なりしならんと思はる。是等の他にも大魚を捕ふる法有りしなり。此事は常陸椎塚より<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>されたる<ruby><rb>大鯛</rb><rt>おほだい</rt></ruby>の頭骨に骨器の<ruby><rb>刺</rb><rt>さ</rt></ruby>さり在りし事に由つて知られたり。骨器、牙噐、石噐中には其形状如何にも<ruby><rb>銛</rb><rt>もり</rt></ruby>の如くに見ゆるもの<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>る上に、斯かる證據物さへ出でたる事なれば<ruby><rb>大魚</rb><rt>たいぎよ</rt></ruby>を<ruby><rb>漁</rb><rt>れう</rt></ruby>する爲に<ruby><rb>銛</rb><rt>もり</rt></ruby>の用ゐられし事何の疑か有らん。銛は<ruby><rb>鋭</rb><rt>するど</rt></ruby>き<ruby><rb>尖端</rb><rt>せんたん</rt></ruby>と槍の如き<ruby><rb>柄</rb><rt>え</rt></ruby>とより成る物なるが魚の力<ruby><rb>強</rb><rt>つよ</rt></ruby>き時は<ruby><rb>假令</rb><rt>たとへ</rt></ruby>骨に<ruby><rb>刺</rb><rt>さ</rt></ruby>さりたるも<ruby><rb>其儘</rb><rt>そのまま</rt></ruby>にて水中深く入る事も有るべく、又漁夫が<ruby><rb>誤</rb><rt>あやま</rt></ruby>つて此道具を<ruby><rb>流</rb><rt>なが</rt></ruby>す事も有るべし。コロボックルは<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にして之を<ruby><rb>防</rb><rt>ふせ</rt></ruby>ぎしか。余は彼等はエスキモーが爲す如く、<ruby><rb>銛</rb><rt>もり</rt></ruby>に長き<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>を付け其<ruby><rb>端</rb><rt>はし</rt></ruby>に<ruby><rb>獸類</rb><rt>ぢうるい</rt></ruby>の<ruby><rb>膀胱抔</rb><rt>ばうくわうなど</rt></ruby>にて作りたる<ruby><rb>浮</rb><rt>う</rt></ruby>き<ruby><rb>袋</rb><rt>ふくろ</rt></ruby>を<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>り<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>け置きしならんと考ふるなり。エスキモーは斯かる浮き袋に<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>を吹き込み、且つ其氣の<ruby><rb>漏</rb><rt>も</rt></ruby>るるを<ruby><rb>防</rb><rt>ふせ</rt></ruby>ぐ爲に栓を爲るの便を<ruby><rb>謀</rb><rt>はか</rt></ruby>りて、角製の<ruby><rb>管</rb><rt>くだ</rt></ruby>を是に付け置く事なるが是と等しき物武藏西ヶ原貝塚及び下總柏井貝塚より出でたり。余はコロボックルの<ruby><rb>遺物</rb><rt>いぶつ</rt></ruby>たる是等の角噐は<ruby><rb>實</rb><rt>じつ</rt></ruby>に<ruby><rb>浮</rb><rt>う</rt></ruby>き<ruby><rb>袋</rb><rt>ぶくろ</rt></ruby>の口として用ゐられしならんと<ruby><rb>信</rb><rt>しん</rt></ruby>ずるなり。圖に<ruby><rb>示</rb><rt>しめ</rt></ruby>す物は余が西ヶ原に於て<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>せし所なり。網形の押紋有る土噐片、骨器の<ruby><rb>刺</rb><rt>さ</rt></ruby>さりたる<ruby><rb>大鯛</rb><rt>おほだい</rt></ruby>の頭骨、浮き袋の口と<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はるる角製の管、<ruby><rb>皆</rb><rt>みな</rt></ruby><ruby><rb>人類學教室</rb><rt>じんるゐがくけうしつ</rt></ruby>の<ruby><rb>藏品</rb><rt>ざうひん</rt></ruby>なり。

コロボックルが<ruby><rb>漁業</rb><rt>ぎよげふ</rt></ruby>に<ruby><rb>巧</rb><rt>たく</rt></ruby>みなりしとの事はアイヌ間の<ruby><rb>口碑</rb><rt>こうひ</rt></ruby>にも存せり。<ruby><rb>既</rb><rt>すで</rt></ruby>に漁業に<ruby><rb>巧</rb><rt>たく</rt></ruby>みなりと云へば舟の類の<ruby><rb>存</rb><rt>そん</rt></ruby>せし事<ruby><rb>推知</rb><rt>すいち</rt></ruby>すべき事なるが、アイヌは又此事に付きても言ひ傳へを有せり（後回に<ruby><rb>細説</rb><rt>さいせつ</rt></ruby>すべし）（未完）

  


## ●コロボックル風俗考　第九回（挿圖參看）

理學士　坪井正五郎

## ○鳥獸捕獲

貝塚の貝殼層中には<ruby><rb>鳥骨</rb><rt>てうこつ</rt></ruby>有り<ruby><rb>獸骨</rb><rt>じうこつ</rt></ruby>有り、コロボックルが鳥獸の<ruby><rb>肉</rb><rt>にく</rt></ruby>を<ruby><rb>食</rb><rt>しよく</rt></ruby>とせし事は明かなるが、如何なる方法を以て是等を<ruby><rb>捕獲</rb><rt>ほくわく</rt></ruby>せしならんか。或は<ruby><rb>棒</rb><rt>ぼう</rt></ruby>を以て打ち、或は<ruby><rb>石</rb><rt>いし</rt></ruby>を<ruby><rb>投</rb><rt>な</rt></ruby>げ<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>けし事も有るべけれど、<ruby><rb>弓矢</rb><rt>ゆみや</rt></ruby>の力を<ruby><rb>藉</rb><rt>か</rt></ruby>りし事蓋し多かりしならん。石鏃の事は既に云へり、其山中にて<ruby><rb>單獨</rb><rt>だんどく</rt></ruby>に<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>さるる事有るは<ruby><rb>射損</rb><rt>いそん</rt></ruby>じたるものの<ruby><rb>遺</rb><rt>のこ</rt></ruby>れるに由るならんとの事も既に云へり。新に述ぶべきは弓矢の<ruby><rb>用</rb><rt>もち</rt></ruby>ゐ方なり。弓柄を左手に<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>り、矢の一端を弦の<ruby><rb>中程</rb><rt>なかほど</rt></ruby>に<ruby><rb>當</rb><rt>あ</rt></ruby>てて右手の指にて<ruby><rb>摘</rb><rt>つま</rt></ruby>まむと云ふは何所も同じ事なれど、<ruby><rb>摘</rb><rt>つま</rt></ruby>み方に於ては諸地方住民種々異同有り。未開人民に普通なるは、<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>り<ruby><rb>拳</rb><rt>こぶし</rt></ruby>を<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>り、人差し指第二關節の角の側面と拇指の腹面との<ruby><rb>間</rb><rt>あひだ</rt></ruby>に<ruby><rb>矢</rb><rt>や</rt></ruby>の一端と弓弦とを<ruby><rb>挾</rb><rt>はさ</rt></ruby>む<ruby><rb>方法</rb><rt>はう〱</rt></ruby>なり。コロボックルも恐くは此方を<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>りしならん。鳥類ならば一發の石鏃の爲に<ruby><rb>斃</rb><rt>たほ</rt></ruby>るることも有るべけれど、<ruby><rb>鹿</rb><rt>しか</rt></ruby><ruby><rb>猪</rb><rt>しし</rt></ruby>の如き<ruby><rb>獸類</rb><rt>じうるゐ</rt></ruby>は中々彼樣の法にて死すべきにあらず。思ふにコロボックルは數人連合し互に<ruby><rb>相</rb><rt>あひ</rt></ruby><ruby><rb>助</rb><rt>たす</rt></ruby>けて獸獵に從事し、<ruby><rb>此所彼所</rb><rt>ここかしこ</rt></ruby>より多くの矢を<ruby><rb>射掛</rb><rt>ゐか</rt></ruby>け、鹿なり猪なり勢<ruby><rb>衰</rb><rt>おとろ</rt></ruby>へて<ruby><rb>充分</rb><rt>じうぶん</rt></ruby>に<ruby><rb>走</rb><rt>はし</rt></ruby>る事能はざるに至るを<ruby><rb>見濟</rb><rt>みす</rt></ruby>まし、各自棍棒石斧抔を手にして獸に<ruby><rb>近寄</rb><rt>ちかよ</rt></ruby>り之を<ruby><rb>捕獲</rb><rt>ほくわく</rt></ruby>せしならん。

鳥類の捕獲には一端に石或は角の小片を<ruby><rb>結</rb><rt>むす</rt></ruby>び<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>けたる<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>の、長さ二三尺位のもの數本を作り之を他の端に於て<ruby><rb>一束</rb><rt>ひとつか</rt></ruby>ねに<ruby><rb>括</rb><rt>くく</rt></ruby>りたるものを用ゐし事も有りしならん。そはエスキモーが斯かる事を爲す時に用ゐる<ruby><rb>錘</rb><rt>おも</rt></ruby>りと<ruby><rb>好</rb><rt>よ</rt></ruby>く<ruby><rb>似</rb><rt>に</rt></ruby>たる石片角片の<ruby><rb>遺跡</rb><rt>ゐせき</rt></ruby>より發見さるるに由りて<ruby><rb>推考</rb><rt>すいかう</rt></ruby>せらるるなり。此<ruby><rb>捕鳥器</rb><rt>ほてうき</rt></ruby>の用ゐ方は先づ<ruby><rb>束</rb><rt>つか</rt></ruby>ね有る方を<ruby><rb>握</rb><rt>にぎ</rt></ruby>り、<ruby><rb>錘</rb><rt>おも</rt></ruby>りの方を下に<ruby><rb>垂</rb><rt>た</rt></ruby>れ、手を中心として錘りを振り廻らすなり。斯くする事數回に<ruby><rb>及</rb><rt>およ</rt></ruby>べば、各の紐夫々に延びて、全体の形、<ruby><rb>恰</rb><rt>あたか</rt></ruby>も<ruby><rb>車輪</rb><rt>しやりん</rt></ruby>の如くに<ruby><rb>成</rb><rt>な</rt></ruby>りて勢好く廻轉す。斯く爲しつつ空中の鳥を目掛けて<ruby><rb>投</rb><rt>な</rt></ruby>げる時は、<ruby><rb>網</rb><rt>あみ</rt></ruby>を以て之を<ruby><rb>覆</rb><rt>おほ</rt></ruby>ふと同樣、翼を<ruby><rb>抑</rb><rt>おさ</rt></ruby>へ体を<ruby><rb>締</rb><rt>し</rt></ruby>め<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>け鳥をして<ruby><rb>飛揚</rb><rt>ひやう</rt></ruby>する事を得ざらしむ。斯くて鳥の地に落ちたる時は、捕鳥者は直ちに其塲に<ruby><rb>駈</rb><rt>か</rt></ruby>け<ruby><rb>付</rb><rt>つ</rt></ruby>け獲物を<ruby><rb>抑</rb><rt>おさ</rt></ruby>へ<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>を<ruby><rb>解</rb><rt>と</rt></ruby>くなり。石鏃と<ruby><rb>違</rb><rt>ちが</rt></ruby>ひて此道具は幾度にても用ゐる事を得。

## ○他の食料採集

貝類は<ruby><rb>磯</rb><rt>いそ</rt></ruby>にて集むる事も有り、<ruby><rb>干潟</rb><rt>ひかた</rt></ruby>にて<ruby><rb>拾</rb><rt>ひろ</rt></ruby>ふ事も有り、時としては深く水を<ruby><rb>潜</rb><rt>くぐ</rt></ruby>りて<ruby><rb>取</rb><rt>と</rt></ruby>る<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>も有りしならん。あはびを岩より離すには骨製の<ruby><rb>篦</rb><rt>へら</rt></ruby>或は角製の<ruby><rb>細棒</rb><rt>ほそぼう</rt></ruby>抔を使ひし事も有るべけれど、他の貝類を<ruby><rb>採集</rb><rt>さいしう</rt></ruby>するには、袋或は<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>の如き入れ物さへ有れば事足りしならん。袋には<ruby><rb>粗布</rb><rt>そふ</rt></ruby>を<ruby><rb>縫</rb><rt>ぬ</rt></ruby>ひ<ruby><rb>合</rb><rt>あ</rt></ruby>はせ作りしも有るべく、目を<ruby><rb>細</rb><rt>ほそ</rt></ruby>くせし網も有るべし。コロボックルが粗布をも作り網をも<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>りし事は、前にも<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べ<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>きし通り<ruby><rb>慥</rb><rt>たしか</rt></ruby>なる證有る事なり。籠の事も既に記せし故此所には再説せず。

植物性食物採集の爲には<ruby><rb>諸種</rb><rt>しよしゆ</rt></ruby>の石器及び入れ物を要せしなるべけれど、<ruby><rb>何物</rb><rt>なにもの</rt></ruby>の如何なる部分が<ruby><rb>食料</rb><rt>しよくれう</rt></ruby>に撰まれしや詳ならざるを以て、<ruby><rb>精細</rb><rt>せいさい</rt></ruby>には記し難し。

## ○製造

コロボックルの<ruby><rb>知</rb><rt>し</rt></ruby>り居りし<ruby><rb>製造業</rb><rt>せいぞうげう</rt></ruby>を<ruby><rb>列擧</rb><rt>れつきよ</rt></ruby>すれは左の如し。

石器製造。（第六回、<ruby><rb>打製</rb><rt>うちせい</rt></ruby>類及び<ruby><rb>磨</rb><rt>みかき</rt></ruby>製類<ruby><rb>考説</rb><rt>こうせつ</rt></ruby>の末文等を見よ。）

骨器製造。（第七回、<ruby><rb>角器</rb><rt>かくき</rt></ruby>牙器考説の終りを見よ。）

角器製造。（同前。）

牙器製造。（同前。）

土器製造。（第七回、<ruby><rb>容器考説</rb><rt>ようきかうせつ</rt></ruby>の<ruby><rb>中程</rb><rt>なかほど</rt></ruby>を見よ。）

貝器製造。（第七回、<ruby><rb>貝殼器</rb><rt>かいがらき</rt></ruby>考説の末を見よ。）

籠類製造。（第七回、<ruby><rb>植物</rb><rt>ちよくぶつ</rt></ruby>質器具考説を見よ。）

網代類製造。（同前。）

席類製造。（同前。）

糸紐製造。（同前。又同回、<ruby><rb>糸掛</rb><rt>いとか</rt></ruby>け<ruby><rb>石</rb><rt>いし</rt></ruby>の條を見よ。）

布類製造。（同前。又第二回、<ruby><rb>衣服原料</rb><rt>いふくげんれう</rt></ruby>の條を見よ。）

此他<ruby><rb>漆液</rb><rt>しつえき</rt></ruby>の類、繪の具の類を<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>りし<ruby><rb>證跡</rb><rt>せうせき</rt></ruby>有り。（第六回、打製類の<ruby><rb>條</rb><rt>くだり</rt></ruby>及び第八回、貝殼器の條を見よ。）繪具の原料と<ruby><rb>思</rb><rt>おも</rt></ruby>はるる<ruby><rb>赤色</rb><rt>あかいろ</rt></ruby>物質の<ruby><rb>塊</rb><rt>かたま</rt></ruby>り、及び之を打ち<ruby><rb>碎</rb><rt>くだ</rt></ruby>くに用ゐしならんと考へらるる<ruby><rb>扁平石</rb><rt>へんぺいせき</rt></ruby>（<ruby><rb>縁</rb><rt>ゑん</rt></ruby>部に赤色料付着す）は<ruby><rb>遺跡</rb><rt>いせき</rt></ruby>より<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>されし事有るなり。コロボックルは又<ruby><rb>丸木舟</rb><rt>まるきふね</rt></ruby>を始として<ruby><rb>種々</rb><rt>しゆ〱</rt></ruby>の木具をも<ruby><rb>製作</rb><rt>せいさく</rt></ruby>せしならん。

## ○美術

<ruby><rb>磨製石斧</rb><rt>ませいいしおの</rt></ruby>の中には石材の<ruby><rb>撰擇</rb><rt>せんたく</rt></ruby>、形状の<ruby><rb>意匠</rb><rt>いせう</rt></ruby>、明かに<ruby><rb>美術思想</rb><rt>びじゆつしそう</rt></ruby>の<ruby><rb>發達</rb><rt>はつたつ</rt></ruby>を示すもの有り、<ruby><rb>石鏃</rb><rt>せきぞく</rt></ruby>中にも亦實用のみを<ruby><rb>目的</rb><rt>もくてき</rt></ruby>とせずして<ruby><rb>色</rb><rt>いろ</rt></ruby>と<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>ひ<ruby><rb>形</rb><rt>かたち</rt></ruby>と云ひ<ruby><rb>實</rb><rt>じつ</rt></ruby>に美を極めたるもの少からず。<ruby><rb>土噐</rb><rt>どき</rt></ruby>の形状<ruby><rb>紋樣</rb><rt>もんよう</rt></ruby>に至つては<ruby><rb>多言</rb><rt>たげん</rt></ruby>を要せず、<ruby><rb>實物</rb><rt>じつぶつ</rt></ruby>を見たる人は<ruby><rb>更</rb><rt>さら</rt></ruby>なり、第七回の<ruby><rb>挿圖</rb><rt>さしづ</rt></ruby>のみを見たる人も、<ruby><rb>未開</rb><rt>みかい</rt></ruby>の人民が如何にして<ruby><rb>斯</rb><rt>か</rt></ruby>く迄に<ruby><rb>美事</rb><rt>みごと</rt></ruby>なるものを作り出せしかと<ruby><rb>意外</rb><rt>いぐわい</rt></ruby>の感を<ruby><rb>抱</rb><rt>いだ</rt></ruby>くならん。今回の挿圖中右の上の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>の三個と右の下の隅の一<ruby><rb>個</rb><rt>こ</rt></ruby>との他、<ruby><rb>周圍</rb><rt>しうゐ</rt></ruby>に寫したるものは總て土器の<ruby><rb>把手</rb><rt>とつて</rt></ruby>なり。其<ruby><rb>形</rb><rt>かたち</rt></ruby>其<ruby><rb>紋</rb><rt>もん</rt></ruby>實に<ruby><rb>名状</rb><rt>めふでう</rt></ruby>すべからず。コロボックル<ruby><rb>美術</rb><rt>びじゆつ</rt></ruby>の<ruby><rb>標本</rb><rt>ひようほん</rt></ruby>たるの<ruby><rb>價値</rb><rt>かちよく</rt></ruby>充分なりと云ふべし。右の下の隅に<ruby><rb>圖</rb><rt>づ</rt></ruby>したるは<ruby><rb>土瓶形</rb><rt>どびんかた</rt></ruby>土器の<ruby><rb>横口</rb><rt>よこくち</rt></ruby>にして。<ruby><rb>模樣</rb><rt>もよう</rt></ruby>は赤色の<ruby><rb>繪</rb><rt>ゑ</rt></ruby>の<ruby><rb>具</rb><rt>ぐ</rt></ruby>を以て<ruby><rb>畫</rb><rt>ゑが</rt></ruby>きたり。右の上の三個は、土器<ruby><rb>表面</rb><rt>ひやうめん</rt></ruby>に在る押紋を其<ruby><rb>原</rb><rt>もと</rt></ruby>に還したるものにして、<ruby><rb>取</rb><rt>と</rt></ruby>りも直さず<ruby><rb>紐</rb><rt>ひも</rt></ruby>細工の裝飾なり。<ruby><rb>土偶</rb><rt>どぐう</rt></ruby>に由りて<ruby><rb>想像</rb><rt>そう〲</rt></ruby>さるる<ruby><rb>衣服</rb><rt>いふく</rt></ruby>の紋樣も此の如くにして<ruby><rb>縫</rb><rt>ぬ</rt></ruby>ひ付けられしものなるべし。（第二回の挿圖を見よ。）此他土版と云ひ<ruby><rb>諸種</rb><rt>しよしゆ</rt></ruby>の<ruby><rb>裝飾品</rb><rt>そうしよくひん</rt></ruby>と云ひ<ruby><rb>美術思想發動</rb><rt>びじゆつしそうはつどう</rt></ruby>の<ruby><rb>結果</rb><rt>けつくわ</rt></ruby>を見るべきもの少しとせざるなり

## ○分業

石器は何石を以ても<ruby><rb>隨意</rb><rt>ずゐゐ</rt></ruby>に<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>るを得と云ふものに非ず。土器も亦<ruby><rb>何</rb><rt>いづ</rt></ruby>れの<ruby><rb>土</rb><rt>つち</rt></ruby>にても<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>るを得と云ふものに<ruby><rb>非</rb><rt>あら</rt></ruby>ず。且つ石器を造るには夫々の<ruby><rb>道具</rb><rt>どうぐ</rt></ruby>有るべく、<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>を<ruby><rb>作</rb><rt>つく</rt></ruby>るに於ては之を<ruby><rb>燒</rb><rt>や</rt></ruby>く<ruby><rb>塲所</rb><rt>ばしよ</rt></ruby>を<ruby><rb>要</rb><rt>やう</rt></ruby>す。去れば<ruby><rb>適當</rb><rt>てきとう</rt></ruby>の原料と<ruby><rb>製造所</rb><rt>せいぞうしよ</rt></ruby>及び製造器具を手近に有する者は<ruby><rb>必要</rb><rt>ひつやう</rt></ruby>の品を<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>るの序、余分の品をも造り<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>く<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby><ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>る可く、<ruby><rb>是</rb><rt>これ</rt></ruby>に<ruby><rb>反</rb><rt>はん</rt></ruby>して以上の便宜無き者は、必要の<ruby><rb>品</rb><rt>しな</rt></ruby>さへも造る<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby><ruby><rb>能</rb><rt>あた</rt></ruby>はざる事有らん。或る者は漁業に巧にして或る者は鳥獸捕獲に巧に、或る者は<ruby><rb>織</rb><rt>お</rt></ruby>り<ruby><rb>物</rb><rt>もの</rt></ruby>に<ruby><rb>妙</rb><rt>めう</rt></ruby>を得、或る者は<ruby><rb>籠細工</rb><rt>かごさいく</rt></ruby>を<ruby><rb>得意</rb><rt>とくゐ</rt></ruby>とすと云ふが如き事はコロボックル<ruby><rb>社會</rb><rt>しやくわい</rt></ruby>に<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>りし<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>なるべし。斯かる<ruby><rb>塲合</rb><rt>ばあひ</rt></ruby>に於ては、石器製造を<ruby><rb>好</rb><rt>この</rt></ruby>む<ruby><rb>者</rb><rt>もの</rt></ruby>は多くの石器を<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>り、<ruby><rb>土器製造</rb><rt>どきせいぞう</rt></ruby>を<ruby><rb>好</rb><rt>この</rt></ruby>む<ruby><rb>者</rb><rt>もの</rt></ruby>は多くの<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>を<ruby><rb>造</rb><rt>つく</rt></ruby>り互に余分の品を<ruby><rb>交換</rb><rt>こうかん</rt></ruby>すると云ふか如き<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>も<ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>りさうなる<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>ならずや。<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>は固よりコロボックル中に斯く斯くの<ruby><rb>職業</rb><rt>しよくげふ</rt></ruby><ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>り、何々の<ruby><rb>專門</rb><rt>せんもん</rt></ruby><ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>り抔との事は<ruby><rb>主張</rb><rt>しゆちやう</rt></ruby>せざれど、上來述べ<ruby><rb>來</rb><rt>きた</rt></ruby>りし程の<ruby><rb>知識</rb><rt>ちしき</rt></ruby>有る<ruby><rb>人民中</rb><rt>じんみんちう</rt></ruby>には多少の分業は存せざるを得ずと<ruby><rb>思考</rb><rt>しこう</rt></ruby>するなり。

## ○貿易

アイヌの口碑に由ればコロボックルはアイヌと<ruby><rb>物品交換</rb><rt>ぶつぴんこうくわん</rt></ruby>をせしなり。コロボックルの方より<ruby><rb>持</rb><rt>も</rt></ruby>ち<ruby><rb>來</rb><rt>きた</rt></ruby>りし<ruby><rb>品</rb><rt>しな</rt></ruby>は何かと云ふに、或る<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>にては<ruby><rb>魚類</rb><rt>ぎよるい</rt></ruby>なりと云ひ<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る<ruby><rb>所</rb><rt>ところ</rt></ruby>にては<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>なりと云ふ。<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らく<ruby><rb>兩方</rb><rt>りやうほう</rt></ruby>ならん。<ruby><rb>交換</rb><rt>こうくわん</rt></ruby>の方法コロボックル先づ何品かを<ruby><rb>携</rb><rt>たづさ</rt></ruby>へ<ruby><rb>來</rb><rt>きた</rt></ruby>りアイヌの小家の<ruby><rb>入</rb><rt>い</rt></ruby>り口又は<ruby><rb>窓</rb><rt>まど</rt></ruby>の<ruby><rb>前</rb><rt>まへ</rt></ruby>に進み此所にてアイヌの方より出す<ruby><rb>相當</rb><rt>そうとう</rt></ruby>の<ruby><rb>品</rb><rt>しな</rt></ruby>と引き<ruby><rb>換</rb><rt>か</rt></ruby>へにせしものなりとぞ。斯く入り口又は<ruby><rb>窓</rb><rt>まど</rt></ruby>を<ruby><rb>隔</rb><rt>へだ</rt></ruby>てて品物の<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>り<ruby><rb>取</rb><rt>と</rt></ruby>りを<ruby><rb>爲</rb><rt>な</rt></ruby>せしは<ruby><rb>同類</rb><rt>どうるい</rt></ruby>の間ならざるが<ruby><rb>故</rb><rt>ゆえ</rt></ruby>ならん。コロボックル<ruby><rb>同志</rb><rt>どうし</rt></ruby>ならば<ruby><rb>親</rb><rt>した</rt></ruby>しく相對して<ruby><rb>事</rb><rt>こと</rt></ruby>を<ruby><rb>辨</rb><rt>べん</rt></ruby>ぜしなるべし。余は<ruby><rb>不足</rb><rt>ふそく</rt></ruby>の<ruby><rb>品</rb><rt>しな</rt></ruby>と余分の<ruby><rb>品</rb><rt>しな</rt></ruby>との<ruby><rb>直接交換</rb><rt>ちよくせつこうくわん</rt></ruby>のみならず、必要以外の品と雖も<ruby><rb>後日</rb><rt>ごじつ</rt></ruby>の<ruby><rb>用</rb><rt>よう</rt></ruby>を考へて取り換へ置く事も有りしならんと思惟するなり、斯かる<ruby><rb>塲合</rb><rt>ばあい</rt></ruby>に於ては<ruby><rb>美麗</rb><rt>びれい</rt></ruby>なる石斧石鏃類は幾分か交換の<ruby><rb>媒</rb><rt>なかだち</rt></ruby>の用を爲せしならん。（未完）

  


## ●コロボックル風俗考　第十回（挿圖參看）

理學士　坪井正五郎

## ○交通

石器時代遺跡は琉球より千島に至るまで日本諸地方に<ruby><rb>散在</rb><rt>さんざい</rt></ruby>する事挿圖中に<ruby><rb>示</rb><rt>しめ</rt></ruby>すが如くなるが、是等は<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らく同一人民の手に成りしものなる可し。各遺跡を一々<ruby><rb>檢査</rb><rt>けんさ</rt></ruby>し相互に<ruby><rb>比較</rb><rt>ひかく</rt></ruby>したりとは<ruby><rb>斷言</rb><rt>だんげん</rt></ruby>し難けれど、日本諸地方の石器時代遺跡中には互に<ruby><rb>異</rb><rt>ことな</rt></ruby>れる人民の手に成りしもの有りとの<ruby><rb>反証</rb><rt>はんせう</rt></ruby><ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>でざる間は斯く考ふる方道理有りと云ふべし。同一人民とは即ちコロボックルなり。彼等の住居せし<ruby><rb>跡</rb><rt>あと</rt></ruby>が<ruby><rb>斯</rb><rt>か</rt></ruby>く諸地方に<ruby><rb>散在</rb><rt>さんざい</rt></ruby>するは、<ruby><rb>移住</rb><rt>いぢう</rt></ruby>に原因するか、又は同一時に於ても此所彼所に部落の在りしに原因するか、如何と云ふに、こは何れか一つと限るべきに非ず、移住にも因る可く<ruby><rb>部落</rb><rt>ぶらく</rt></ruby>の<ruby><rb>散在</rb><rt>さんざい</rt></ruby>にも因る可きなり。移住と云へば固よりの事、<ruby><rb>部落散在</rb><rt>ぶらくさんざい</rt></ruby>と云ふも異地方交通の途開け居りし事推知すべきなり。同一時に於て此所彼所に同一人民の部落存在せりとは、取りも<ruby><rb>直</rb><rt>なほ</rt></ruby>さず、其前の時代に於て移住行はれたりと云ふ事なり。既に<ruby><rb>交通</rb><rt>こうつう</rt></ruby>の<ruby><rb>途</rb><rt>みち</rt></ruby><ruby><rb>開</rb><rt>ひら</rt></ruby>け居たりとすれば、異部落相互の間にも<ruby><rb>往來</rb><rt>わうらい</rt></ruby><ruby><rb>有</rb><rt>あ</rt></ruby>りしと考ふるを得べし。此事の<ruby><rb>確証</rb><rt>かくせう</rt></ruby>は<ruby><rb>遺物中</rb><rt>ゐぶつちう</rt></ruby>より發見さるるなり。一例を擧げんか。東京にも其近傍にも天然に黒曜石を産する地は有らざるに、此地方の石器時代遺跡よりは黒曜石製の石鏃<ruby><rb>出</rb><rt>い</rt></ruby>づる事多し。原料の儘にもせよ、又は<ruby><rb>製造品</rb><rt>せいぞうひん</rt></ruby>としてにもせよ、是等の黒曜石は他地方、<ruby><rb>恐</rb><rt>おそ</rt></ruby>らくは信濃地方より此地方に<ruby><rb>運</rb><rt>はこ</rt></ruby>ばれしものたる事明かなり。他の地方に於ける他の<ruby><rb>石質</rb><rt>せきしつ</rt></ruby>に付いても同樣の事を云ふを得べし。異地方發見の<ruby><rb>土器</rb><rt>どき</rt></ruby>を<ruby><rb>比較</rb><rt>ひかく</rt></ruby>して、其土質、製法、形状、紋樣等を<ruby><rb>對照</rb><rt>たいせう</rt></ruby>するも亦<ruby><rb>類似</rb><rt>るいじ</rt></ruby>の<ruby><rb>度</rb><rt>ど</rt></ruby><ruby><rb>強</rb><rt>つよ</rt></ruby>くして一地方の物の他地方に移りし事、即ち異地方相互の間に交通ありし事を<ruby><rb>證明</rb><rt>せうめい</rt></ruby>する<ruby><rb>事實</rb><rt>じじつ</rt></ruby>少しとせざるなり。

## ○道路

釧路國釧路郡役所裏の丘上にはコロボックルの住居跡たる竪穴<ruby><rb>數多</rb><rt>あまた</rt></ruby>存在する事なるが、其並び<ruby><rb>方</rb><rt>かた</rt></ruby>は一列に非すして、恰も道路を<ruby><rb>挾</rb><rt>はさ</rt></ruby>みて兩側に一二列宛在るが如く成り<ruby><rb>居</rb><rt>を</rt></ruby>るなり。（第五回參照）尚ほ精しく云へは、<ruby><rb>中央</rb><rt>ちうわう</rt></ruby>に一線の<ruby><rb>往來</rb><rt>わうらい</rt></ruby>有りて、其兩側に或は一戸宛<ruby><rb>向</rb><rt>むか</rt></ruby>ひ合ひ、或は向ひ合ひたる住居の後方にも亦一二戸の住居存在せしか如き有樣に、竪穴散在す。此塲合に於ては此邊<ruby><rb>道路</rb><rt>だうろ</rt></ruby>なりしならん、此所より此所の間には當さに道路有りしなるべきなり<ruby><rb>抔</rb><rt>など</rt></ruby>と云ふを得れど、<ruby><rb>斯</rb><rt>かく</rt></ruby>なる塲合は决して多からさるなり。一遺跡と他の遺跡との間には甞て道路存在せしなるへけれど、此所と云ひて<ruby><rb>指示</rb><rt>しぢ</rt></ruby>するを得る所は未だ發見せす。今交通の事を述へたる後に<ruby><rb>熟考</rb><rt>じゆくかう</rt></ruby>するに、一部落と他部落との間には、人々の多く<ruby><rb>徃來</rb><rt>わうらい</rt></ruby>する所、即ち多くの人に<ruby><rb>蹈</rb><rt>ふ</rt></ruby>まれて<ruby><rb>自</rb><rt>おのづか</rt></ruby>ら定まりたる道路の形を成せる所有りしならんとは推知せらるるなり。コロボックルの<ruby><rb>住居</rb><rt>すまゐ</rt></ruby>には直徑五六間のもの徃々有り。是彼等が長大なる木材を用ゐし事有るを<ruby><rb>間接</rb><rt>かんせつ</rt></ruby>に示すものなり。（第五回參照）コロボックルにして長大なる木材を用ゐたりとせんか、既に衣服有つて其水に潤ふを厭ふべき<ruby><rb>彼等</rb><rt>かれら</rt></ruby>が、<ruby><rb>細流</rb><rt>さいりう</rt></ruby>の上に丸木橋を架して徃來に便にする事を思ひ付かざる理有らんや。余は未だ確證を得ざれども、推理及び現存未開人民の例に由りて、コロボックルは恐らく橋を有せしならんと考ふるなり。

## ○運搬

コロボックルが舟を用ゐしとの事はアイヌの口碑に存す。但し其舟は<ruby><rb>丸木舟</rb><rt>まるきふね</rt></ruby>のみならずして、<ruby><rb>草</rb><rt>くさ</rt></ruby>を<ruby><rb>編</rb><rt>あ</rt></ruby>みて作れる輕き物も有りと云へり。前にも<ruby><rb>述</rb><rt>の</rt></ruby>べし如く、コロボックルは<ruby><rb>銛</rb><rt>もり</rt></ruby>の類にて<ruby><rb>魚</rb><rt>うを</rt></ruby>を<ruby><rb>捕</rb><rt>と</rt></ruby>りし事も有り、<ruby><rb>網</rb><rt>あみ</rt></ruby>を以て魚を捕りし事も有りしは<ruby><rb>明</rb><rt>あきら</rt></ruby>かなれば、或る<ruby><rb>種類</rb><rt>しゆるゐ</rt></ruby>の舟も存在せしならんとは推知さるる事ながら、そは<ruby><rb>丸木舟</rb><rt>まるきふね</rt></ruby>の如き物なりしなるべく、草を編みたる<ruby><rb>物抔</rb><rt>ものなど</rt></ruby>とは思ひも<ruby><rb>由</rb><rt>よ</rt></ruby>らざる事なり。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>らば此<ruby><rb>輕</rb><rt>かる</rt></ruby>き舟とは何を<ruby><rb>指</rb><rt>さ</rt></ruby>すかと云ふに、口碑に隨へば、こは陸上にて<ruby><rb>荷</rb><rt>にな</rt></ruby>ひ<ruby><rb>易</rb><rt>やす</rt></ruby>く、水上にては人を乘するに<ruby><rb>足</rb><rt>た</rt></ruby>る物なりとの事なり。エスキモ其他<ruby><rb>北地</rb><rt>ほくち</rt></ruby>現住民の用ゐる獸皮舟は是に<ruby><rb>似</rb><rt>に</rt></ruby>たり。陸上にては<ruby><rb>使用者</rb><rt>しようしや</rt></ruby>之を荷ひ、水上にては使用者是に乘る、誠に<ruby><rb>輕便</rb><rt>けいべん</rt></ruby>なる物と云ふへきなり。所謂草とは如何なる物か詳ならされと、丸木舟とは<ruby><rb>構造</rb><rt>こうざう</rt></ruby>を異にする一種の舟、恐らくは木の皮抔にて造りたる舟、も存在せしなるべし。（第三回挿圖參照）是等二種の舟は、人の往來、諸物の<ruby><rb>運送</rb><rt>うんそう</rt></ruby>に際して等しく用ゐられしならんと考へらる。

## ○人事

出産、保育、<ruby><rb>結婚</rb><rt>けつこん</rt></ruby>等の人事に關しては未だ<ruby><rb>探究</rb><rt>たんきう</rt></ruby>の端緒を得ず。疾病の<ruby><rb>種類</rb><rt>しゆるゐ</rt></ruby>にして存在の証跡を今日に留むるは黴毒と虫齒なり是等の事は遺跡より出つる<ruby><rb>骨</rb><rt>ほね</rt></ruby>と<ruby><rb>齒</rb><rt>は</rt></ruby>とに由りて知るを得る事なれど、風俗考には縁故遠き事故<ruby><rb>細説</rb><rt>さいせつ</rt></ruby>は爲さざるべし。治療の事は知るに由無しと雖とも鋭利なる石器骨器の存在を以て推せば外科的<ruby><rb>施術</rb><rt>しゆじゆつ</rt></ruby>は多少行はれしならんと考へらる。死亡者は<ruby><rb>如何</rb><rt>ゐか</rt></ruby>に<ruby><rb>取扱</rb><rt>とりあつか</rt></ruby>ひしか、<ruby><rb>普通</rb><rt>ふつう</rt></ruby>の塲合は反つて知り難けれど、死者中の或る者を食ふ<ruby><rb>風習</rb><rt>ふうしふ</rt></ruby>の有りし事は、<ruby><rb>貝殼</rb><rt>かいがら</rt></ruby>、獸骨、等に混じて破碎せる<ruby><rb>人骨</rb><rt>じんこつ</rt></ruby>の遺れるに由りて知るを得るなり。（第四回參照）

## ○結論

余は本篇の初めに於て<ruby><rb>身体</rb><rt>しんたい</rt></ruby>裝飾の事を云ひ、次で衣服、<ruby><rb>冠</rb><rt>かむ</rt></ruby>り物<ruby><rb>覆面</rb><rt>ふくめん</rt></ruby>、遮光器、の事を述べ、飮食、より住居、<ruby><rb>器具</rb><rt>きぐ</rt></ruby>に移り、夫より日常<ruby><rb>生活</rb><rt>せいくわつ</rt></ruby>、鳥獸魚介の採集、製造、美術、分業、貿易、交通、運搬、人事に付いてコロボックル風俗の<ruby><rb>大概</rb><rt>たいがい</rt></ruby>を記し終れり今是等の<ruby><rb>諸事</rb><rt>しよじ</rt></ruby>を通じ考ふるに、此<ruby><rb>石器</rb><rt>せきき</rt></ruby>時代人民の我々日本人の<ruby><rb>祖先</rb><rt>そせん</rt></ruby>たらざりしは勿論、又アイヌの祖先たらざりし事も明かなり。一事を<ruby><rb>擧</rb><rt>あ</rt></ruby>げて之を日本人及びアイヌの<ruby><rb>所業</rb><rt>しよげふ</rt></ruby>に照らし、一物を<ruby><rb>採</rb><rt>と</rt></ruby>つて之を日本人及びアイヌの<ruby><rb>製品</rb><rt>せいひん</rt></ruby>に<ruby><rb>比</rb><rt>ひ</rt></ruby>し、論斷を下すが如きは、<ruby><rb>畫報</rb><rt>ぐわはう</rt></ruby>の<ruby><rb>記事</rb><rt>きじ</rt></ruby>として不適當なるの感無きに非ざれば、夫等の事は一切省畧して、只<ruby><rb>肝要</rb><rt>かんえう</rt></ruby>なる一事のみを記すべし。之は他に非ず、石器時代の遺跡より<ruby><rb>發見</rb><rt>はつけん</rt></ruby>する所の人骨は日本人の骨とも異り、又アイヌの骨とも<ruby><rb>等</rb><rt>ひと</rt></ruby>しからずとの一事なり。日本諸地方に石器時代の<ruby><rb>跡</rb><rt>あと</rt></ruby>を遺したる人民にして、<ruby><rb>體格</rb><rt>たいかく</rt></ruby><ruby><rb>風俗</rb><rt>ふうぞく</rt></ruby>、日本人とも同じからずアイヌとも同じからずとせば、<ruby><rb>此</rb><rt>この</rt></ruby>人民は何者なりしか、其<ruby><rb>行衛</rb><rt>ゆくゑ</rt></ruby>は如何との二疑問次いで生ずべし。余は本篇の諸所に於て<ruby><rb>現存</rb><rt>げんぞん</rt></ruby>のエスキモが好く<ruby><rb>此</rb><rt>この</rt></ruby>石器時代人民に似たりとの事を<ruby><rb>記</rb><rt>しる</rt></ruby>し置しが、古物、遺跡、口碑を總括して<ruby><rb>判斷</rb><rt>はんだん</rt></ruby>するに、アイヌの<ruby><rb>所謂</rb><rt>いわゆる</rt></ruby>コロボックルはエスキモ其他の北地<ruby><rb>現住民</rb><rt>げんぢうみん</rt></ruby>に縁故近き者にして、<ruby><rb>元來</rb><rt>ぐわんらい</rt></ruby>は日本諸地方に廣がり居りしが、<ruby><rb>後</rb><rt>のち</rt></ruby>にはアイヌ或は日本人の爲に北海道の地に追ひ込まれ、<ruby><rb>最後</rb><rt>さいご</rt></ruby>にアイヌの爲に北海道の地より<ruby><rb>更</rb><rt>さら</rt></ruby>に北方に追ひ遣られたるならんと考へらるアイヌとはコロボックルと<ruby><rb>曾</rb><rt>かつ</rt></ruby>て平和の<ruby><rb>交際</rb><rt>かうえき</rt></ruby>をも爲したりしと云ふに<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にして、<ruby><rb>不和</rb><rt>ふわ</rt></ruby>を生じて相別かるるに至りしか。固より詳知し<ruby><rb>難</rb><rt>かた</rt></ruby>しと雖とも、口碑に隨へば、或時コロボックルの女子貿易の爲アイヌの小屋の傍に<ruby><rb>行</rb><rt>ゆ</rt></ruby>きしに、アイヌ共此女を<ruby><rb>捕</rb><rt>とら</rt></ruby>へて内に引き入れ、其の手の入れ<ruby><rb>墨</rb><rt>ずみ</rt></ruby>を見んとて、<ruby><rb>強</rb><rt>し</rt></ruby>ゐて抑留せし事有るに原因すとの事なり。（第一回參照）此事は今の<ruby><rb>十勝</rb><rt>とかち</rt></ruby>の地に於て<ruby><rb>起</rb><rt>お</rt></ruby>こりし事なりと云ふ。

終りに<ruby><rb>臨</rb><rt>のぞ</rt></ruby>んで讀者諸君に一言す。余は以上の風俗考を以て自ら<ruby><rb>滿足</rb><rt>まんぞく</rt></ruby>する者に非ず、尚ほ多くの事實を蒐集總括して更に精しき風俗考を<ruby><rb>著</rb><rt>あらは</rt></ruby>さんとは<ruby><rb>余</rb><rt>よ</rt></ruby>の平常の<ruby><rb>望</rb><rt>のぞ</rt></ruby>みなり。日本石器時代の研究は<ruby><rb>啻</rb><rt>ただ</rt></ruby>に日本の地に<ruby><rb>於</rb><rt>お</rt></ruby>ける古事を明かにする力を有するのみならず<ruby><rb>人類學</rb><rt>じんるゐがく</rt></ruby>に益を與ふる事も亦極めて大なり。是等に關する<ruby><rb>古物</rb><rt>こぶつ</rt></ruby>遺跡に付いて<ruby><rb>見聞</rb><rt>けんぶん</rt></ruby>を有せらるる<ruby><rb>諸君</rb><rt>しよくん</rt></ruby>希くは報告の<ruby><rb>勞</rb><rt>らう</rt></ruby>を悋まるる事勿れ。（完）

東京本郷理科大學人類學教室に於て　坪井正五郎記す