Soranoha

宇都野さんの歌

うつのさんのうた

寺田 寅彦

ある一人の歌人の歌を、つづけて二、三十も読んでいると、自然にその作者の顔が浮んで来る。しかし作者によってその顔が非常にはっきり出て来るのと、そうでないのとがある。云わば作者の影の濃いと薄いとがある。

作者の本当の顔を知っている場合には、歌によって呼び出される作者の心像の顔は無論ちゃんと始めから与えられたものである。それにもかかわらず、作者によってはその心像の顔が非常に近く明瞭に浮ぶのと、なんだか遠い処にぼんやり霞を隔てて見るように思われるのとあるように思う。場合によってその作者の顔が出て来ないで、百人一首の中の画像が出て来たり西洋の詩人の顔が出て来たりする事もある。どうかすると一人の作者の顔が男になったり女になったりする事さえある。

宇都野さんの歌によって私の頭に呼び出される宇都野さんの顔の輪郭は非常にはっきりしている。そうして私の眼前五尺とは離れぬ処に見えているような気がする。そうしてそれが紛れもない私の知っている宇都野さんの顔である。それで私はこの人の歌を読んでいる時には、作者と対むき合ってその声を聞いている時と全く同じ心持になる。

影の濃いというのは、ヴァイタリティの強いという事を意味するとすると、宇都野さんの歌には強いヴァイタリティが表現されているものと思われる。そしてそれは余所よそから借りて来たものでなくて、やはり作者自身から自然に歌の中に流れ込んだもののように見える。

歌人に病人が多いのかあるいは病人に歌をよむ人が多いのかどうか、事実は分らないが、私のこれまで読んだ色々の歌人の歌によって想像される作者の健康は平均すると中以下になりそうな気がする。しかし宇都野さんの歌から見た作者は、どうしても健康な身体と神経をもっている人としか思われない。そう思わせるあるものがこの作者の歌の何処かにある。

歌から見た宇都野さんはどう見ても世を捨てた歌よみ専門の歌人でなくて、この実社会に立ち働いて戦っている人のように見える。そして負けじ魂と強い腕の力で波風をしのいでいる人のように見える。強い人にも嘆き悲しみ悶えはある。しかしそれは弱いもののそれとは何処かちがった響がある。

宇都野さんの歌の音調にはやはり自ずからな特徴がある。それは如何なる点に存するか明白に自覚し得ないが、やはり子音母音の反復律動に一種の独自の方式があるためと思われる。ともかくもその効果はこの作者の歌に特殊の重味をつける。どうかするとあまりに重く堅過ぎるように私には思われる事もあるが、考えてみると、それを取り去ってはやはり作者の影が稀薄になるかと思う。

宇都野さんの歌はどう見ても大宮人の歌ではない、何処かしら東夷あずまえびすとでも云いたいような処があると私は思う。その点を私は面白いと思う。そしてそういう処をもっと出してもらいたいような気がする。

すべての歌人の取材の範囲やそれに対する観照の態度は、誰でも年を追って自然の変遷を経るもののように見える。しかしそういうものがどんなに変っても、同じ作者の「顔」は存外変らぬもののように思われる。歌を専門的に研究している人達の分析的な細かい批評眼で見た時にはかなりに著しい変化と思われるような場合でもそういう細かい処を見ないでただ「顔」だけ見ている門外漢には、やはり同じ顔しか見えないものではないかと思われる。従って私はもしも歌人が自分の顔を気にしてそれを色々に変えようとするような事があるとすれば、それは大して努力するだけの意義のある事ではないように思う。

それで私はすべての歌人に望むように宇都野さんの場合にも、どうかあまりに頭のいい自己批評から作歌の上に拘束を加えて、鮮明な自然の顔の輪郭が多少でも崩されるような事のないように祈りたいと思う。

もう一つ特に私が宇都野さんに望む所は、時々はもう少し不用意な、読みっ放しの云わばもっとそつのある歌をよんで見せて頂きたいと思う事である。これは無理かも知れないが、ただ私だけの希望である。

最後に私は宇都野さんの歌集が近き将来に世に現われる事を希望する。その歌集はおそらく今の歌壇に一つの異彩を放つばかりでなく、現代世相の一面の活きた記録としても意義のあるものになるだろうと思っている。(大正十二年三月『朝の光』)

底本 / Source edition

底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店
1997(平成9)年11月21日発行
底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店
1985(昭和60)年
初出:「朝の光」
1923(大正12)年3月
※初出時の署名は「吉村冬彦」です。
入力:Nana ohbe
校正:松永正敏
2006年10月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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寺田 寅彦「宇都野さんの歌」(新字新仮名)、底本『寺田寅彦全集 第十二巻』岩波書店、1997年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046413_000042, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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