Soranoha

妖怪研究

ようかいけんきゅう

伊東 忠太

一 ばけものの起源

妖怪えうくわいの研究けんきうと云いつても、別べつに專門せんもんに調しらべた譯わけでもなく、又またさういふ專門せんもんがあるや否いなやをも知しらぬ。兎とに角かく私わたしはばけものといふものは非常ひぜうに面白おもしろいものだと思おもつて居ゐるので、之これに關くわんするほんの漠然ばくぜんたる感想かんさうを、聊いさゝか茲こゝに述のぶるに過すぎない。

私わたしのばけものに關くわんする考かんがへは、世間せけんの所謂いはゆる化物ばけものとは餘程よほど範圍はんゐを異ことにしてゐる。先まづばけものとはどういふものであるかといふに、元來ぐわんらい宗教的信念しうけうてきしんねん又または迷信めいしんから作つくり出だされたものであつて、理想的りさうてき又または空想的くうさうてきに或ある形象けいしやうを假想かさうし、之これを極端きよくたんに誇張こてうする結果けつくわ勢いきほひ異形いげうの相さうを呈ていするので、之これが私わたしのばけものゝ定義ていぎである。即すなはち私わたしの言いふばけものは、餘程よほど範圍はんゐの廣ひろい解釋かいしやくであつて、世間せけんの所謂いはゆる化物ばけものは一の分科ぶんくわに過すぎない事こととなるのである。世間せけんで一口くちに化物ばけものといふと、何なにか妖怪變化えうくわいへんげの魔物まものなどを意味いみするやうで極きはめて淺薄せんぱくらしく思おもはれるが、私わたしの考かんがへて居ゐるばけものは、餘程よほど深ふかい意味いみの有あるものである。特とくに藝術的げいじゆつてきに觀察くわんさつする時ときは非常ひぜうに面白おもしろい。

ばけものゝ一面めんは極きはめて雄大ゆうだいで全宇宙ぜんうちうを抱括はうくわつする、而しかも他たの一面めんは極きはめて微妙びめうで、殆ほとんど微びに入いり細さいに渉わたる。即すなはち最もつとも高遠かうゑんなるは神話しんわとなり、最もつとも卑近ひきんなるはお伽噺とぎばなしとなり、一般ぱんの學術がくじゆつ特とくに歴史上れきしじやうに於おいても、又また一般ぱん生活上せいくわつじやうに於おいても、實じつに微妙びめうなる關係くわんけいを有いうして居ゐるのである。若もし歴史上れきしじやう又または社會生活しやくわいせいくわつの上うへからばけものといふものを取去とりさつたならば、極きはめて乾燥無味かんさうむみ[#「乾燥無味《かんそうむみ》」は底本では「乾燦無味《かんさうむみ》」]のものとなるであらう。隨したがつて吾々われ〱が知しらず識しらずばけものから與あたへられる趣味しゆみの如何いかに豊富ほうふなるかは、想像さうざうに餘あまりある事ことであつて、確たしかにばけものは社會生活しやくわいせいくわつの上うへに、最もつとも缺かくべからざる要素えうその一つである。

世界せかいの歴史れきし風俗ふうぞくを調しらべて見みるに、何國なにこく、何時代なにじだいに於おいても、化物思想ばけものしさうの無ない處ところは決けつして無ないのである。然しからば化物ばけものの考かんがへはどうして出でて來きたか、之これを研究けんきうするのは心理學しんりがくの領分れうぶんであつて、吾々われ〱は門外漢もんぐわいかんであるが、私わたしの考かんがへでは「自然界しぜんかいに對たいする人間にんげんの觀察くわんさつ」これが此この根本こんぽんであると思おもふ。

自然界しぜんかいの現象げんしやうを見みると、或あるものは非常ひぜうに美うつくしく、或あるものは非常ひぜうに恐おそろしい。或あるひは神祕的しんぴてきなものがあり、或あるひは怪異くわいいなものがある。之これには何なにか其その奧おくに偉大ゐだいな力ちからが潜ひそんで居ゐるに相違さうゐない。此この偉大ゐだいな現象げんしやうを起おこさせるものは人間以上にんげんいじやうの者もので人間以上にんげんいじやうの形かたちをしたものだらう。此この想像さうざうが宗教しうけうの基もととなり、化物ばけものを創造さうざうするのである。且かつ又また人間にんげんには由來ゆらい好奇心かうきしんが有ある。此この好奇心かうきしんに刺戟しげきせられて、空想くうさうに空想くうさうを重かさね、遂つひに珍無類ちんむるゐの形かたちを創造さうざうする。故ゆゑに化物ばけものは各時代かくじだい、各民族かくみんぞくに必かならず無なくてならない事ことになる。隨したがつて世界せかいの各國かくこくは其その民族みんぞくの差異さいに應おうじて化物ばけものが異ことなつて居ゐる。

二 各國のばけもの

ばけものが國くにによりそれ〲異ことなるのは、各國かくこく民族みんぞくの先天性せんてんせいにもよるが、又また土地とちの地理的關係ちりてきくわんけいによること非常ひぜうに大だいである。例たとへば日本にほんは小島國せうたうごくであつて、氣候きこう温和をんわ、山水さんすゐも概がいして平凡へいぼんで別段べつだん高嶽峻嶺かうがくしゆんれい深山幽澤しんざんゆうたくといふものもない。凡すべてのものが小規模せうきもである。その我邦わがくにに雄大ゆうだいな化物ばけもののあらう筈はずはない。

古來こらい我邦わがくにの化物思想ばけものしさうは甚はなはだ幼稚えうちで、或あるひは殆ほとんど無なかつたと言いつて可いい位くらゐだ。日本にほんの神話しんわは化物ばけものの傳説でんせつが甚はなはだ少すくない。日本にほんの神々かみ〱は日本にほんの祖先そせんなる人間にんげんであると考かんがへられて、化物ばけものなどとは思おもはれて居ゐない。それで神々かみ〱の内うちで別段べつだん異樣いやうな相さうをしたものはない。猿田彦命さるたひこのみことが鼻はなが高たかいとか、天鈿目命あまのうづめのみことが顏かほがをかしかつたといふ位くらゐのものである。又また化物思想ばけものしさうを具體的ぐたいてきに現あらはした繪ゑも餘あまり多おほくはない。記録きろくに現あらはれたものも殆ほとんど無なく、弘仁年間こうにんねんかんに藥師寺やくしじの僧そう景戒けいかいが著あらはした「日本靈異記にほんれいいき」が最もつとも古ふるいものであらう。今昔物語こんじやくものがたりにも往々わう〱化物談ばけものだんが出でて居ゐる。

日本にほんの化物ばけものは後世こうせいになる程ほど面白おもしろくなつて居ゐるが、是これは初はじめ日本にほんの地理的關係ちりてきくわんけいで化物ばけものを想像さうざうする餘地よちがなかつた爲ためである。其後そのご支那しなから、道教だうけうの妖怪思想えうくわいしさうが入いり、佛教ぶつけうと共ともに印度思想いんどしさうも入はいつて來きて、日本にほんの化物ばけものは此爲このために餘程よほど豊富ほうふになつたのである。例たとへば、印度いんどの三眼めの明王めうわうは變へんじて通俗つうぞくの三眼め入道にふだうとなり、鳥嘴てうしの迦樓羅王かろらわうは變へんじてお伽噺とぎばなしの烏天狗からすてんぐとなつた。又また日本にほんの小説せうせつによく現あらはれる魔法遣まはふづかひが、不思議ふしぎな藝げいを演えんずるのは多おほくは、一半はんは佛教ぶつけうから一半はんは道教だうけうの仙術せんじゆつから出でたものと思おもはれる。

日本にほんが化物ばけものの貧弱ひんじやくなのに對たいして、支那しなに入いると全まつたく異ことなる、支那しなはあの通とほり尨大ぼうだいな國くにであつて、西にしには崑崙雪山こんろんせつざんの諸峰しよぼうが際涯はてしなく連つらなり、あの深ふかい山岳さんがくの奧おくには屹度きつと何なにか怖おそろしいものが潛ひそんでゐるに相違さうゐないと考かんがへた。北きたにはゴビの大沙漠だいさばくがあつて、これにも何なにか怪物くわいぶつが居ゐるだらうと考かんがへた。彼等かれらはゴビの沙漠さばくから來くる風かぜは惡魔あくまの吐息といきだと考かんがへたのであらう。斯かくて支那しなには昔むかしから化物思想ばけものしさうが非常ひぜうに發達はつたつし中なかには極きはめて雄大ゆうだいなものがある。尤もつとも儒教じゆけうの方はうでは孔子こうしも怪力亂神くわいりきらんしんを語かたらず、鬼神妖怪きじんえうくわいを説とかないが道教だうけうの方はうでは盛さかんに之これを唱道しやうだうするのである。

〔図〕fig46337_01.png
彫刻に表された化物の写真

形かたちに現あらはされたもので、最もつとも古ふるいと思おもはれるものは山東省さんとうしやうの武氏祠ぶししの浮彫うきぼりや毛彫けぼりのやうな繪ゑで、是これは後漢時代ごかんじだいのものであるが、其その化物ばけものは何いづれも奇々怪々きゝくわい〱を極きはめたものである。山海經さんかいけうを見みても極きはめて荒唐無稽くわうたうむけいなものが多おほい。小説せうせつでは西遊記さいいうきなどにも、到いたる處ところ痛烈つうれつなる化物思想ばけものしさうが横溢わうえつして居ゐる。歴史れきしで見みても最初さいしよから出でて來くる伏羲氏ふくぎしが蛇身じやしん人首じんしゆであつて、神農氏しんのうしが人身じんしん牛首ぎうしゆである。恁こういふ風ふうに支那人しなじんは太古たいこから化物ばけものを想像さうざうする力ちからが非常ひぜうに強つよかつた。是皆これみな國土こくどの關係くわんけいによる事ことと思おもはれる。

更さらに印度いんどに行ゆくと、印度いんどは殆ほとんど化物ばけものの本場ほんばである。印度いんどの地形ちけいも支那しなと同おなじく極きはめて廣漠かうばくたるもので、其その千里りの藪やぶがあるといふ如ごとき、必かならずしも無稽むけいの言げんではない。天地開闢以來てんちかいびやくいらい未いまだ斧鉞ふいつの入いらざる大森林だいしんりん、到いたる處ところに蓊鬱おううつとして居ゐる。印度河いんどかは、恒河こうかの濁流だくりうは澎洋ほうやうとして果はても知しらず、此この偉大ゐだいなる大自然たいしぜんの内うちには、何なにか非常ひぜうに恐おそるべきものが潛ひそんで居ゐると考かんがへさせる。實際じつさい又また熱帶國ねつたいこくには不思議ふしぎな動物どうぶつも居をれば、不思議ふしぎな植物しよくぶつもある。之これを少すこし形かたちを變かへると直すぐ化物ばけものになる。印度いんどは實じつに化物ばけものの本場ほんばであつて、神聖しんせいなる史詩ししラーマーヤナ等とうには化物ばけものが澤山たくさん出でて來くる。印度教いんどけうに出でて來くるものは、何いづれも不思議ふしぎ千萬ばんなものばかり、三面めん六臂ぴとか顏かほや手足てあしの無數むすうなものとか、半人はんにん半獸はんじう、半人はんにん半鳥はんてうなどの類るゐが澤山たくさんある。佛教ぶつけうの五大だい明王等めうわうとうも印度教いんどけうから來きて居ゐる。

印度いんどから西にしへ行ゆくと、ペルシヤが非常ひぜうに盛さかんである。ペルシヤには例れいの有名いうめいなルステムの化物退治ばけものたいぢの神話しんわがあり、アラビヤには例れいの有名いうめいなアラビヤンナイトがある。埃及えじぷともさうである。洋々やう〱たるナイル河かは、荒漠くわうばくたるサハラの沙漠さばく、是等これらは大おほいに化物思想ばけものしさうの發達はつたつを促うながした。埃及えじぷとの神樣かみさまには化物ばけものが澤山たくさんある。併しかし之これが希臘ぎりしやへ行いくと餘程よほど異ことなり、却かへつて日本にほんと似にて來くる。これ山川さんせん風土ふうど氣候等きこうとう、地理的關係ちりてきくわんけいの然しからしむる所ところであつて、凡すべてのものは小こじんまりとして居をり、隨したがつて化物ばけものも皆みな小規模せうきもである。希臘ぎりしやの神かみは皆みな人間にんげんで僅はづかにお化ばけはあるが、怖こわくないお化ばけである。夫それは深刻しんこくな印度いんどの化物ばけものとは比くらべものにならぬ。例たとへば、ケンタウルといふ惡神あくしんは下半身しもはんしんは馬うまで、上半身かみはんしんは人間にんげんである。又またギカントスは兩脚れうあしが蛇へびで上半身かみはんしんは人間にんげん、サチルスは兩脚れうあしは羊ひつじで上半かみはんが人間にんげんである。凡およそ眞しんの化物ばけものといふものは、何處どこの部分ぶぶんを切きり離はなしても、一種しゆ異樣いやうな形相げうさうで、全體ぜんたいとしては渾然こんぜん一種しゆの纏まとまつた形かたちを成なしたものでなければならない。然しかるに希臘ぎりしやの化物ばけものの多おほくは斯かくの如ごとく繼合つぎあはせ物ものである。故ゆゑに眞しんの化物ばけものと言いふことは出來できないのである。然しからば北歐羅巴きたようろつぱの方面はうめんはどうかと見遣みやるに、此この方面はうめんに就ついては私わたしは餘あまり多おほく知しらぬが、要えうするに幼稚えうち極きはまるものであつて、規模きぼが極きはめて小ちいさいやうである。つまり歐羅巴ようろつぱの化物ばけものは、多おほくは東洋思想とうやうしさうの感化かんくわを受うけたものであるかと思おもふ。

以上いじやう述のべた所ところを總括そうくわつして、化物思想ばけものしさうはどういふ所ところに最もつとも多おほく發達はつたつしたかと考かんがへて見みるに、化物ばけものの本場ほんばは是非ぜひ熱帶ねつたいでなければならぬ事ことが分わかる。熱帶地方ねつたいちはうの自然界しぜんかいは極きはめて雄大ゆうだいであるから、思想しさうも自然しぜんに深刻しんこくになるものである。そして熱帶ねつたいで多神教たしんけうを信しんずる國くにに於おいて、最もつとも深刻しんこくな化物思想ばけものしさうが發達はつたつしたといふ事ことが言いへる。縱令たとへ熱帶ねつたいでなくとも、多神教國たしんけうこくには化物ばけものが發達はつたつした。例たとへば西藏ちべつとの如ごとき、其その喇嘛教らまけうは非常ひじやうに妖怪的えうくわいてきな宗教しうけうである。斯樣かやうにして印度いんど、亞刺比亞あらびや、波斯ぺるしやから、東ひがしは日本にほんまで、西にしは歐羅巴ようろつぱまでの化物ばけものを總括そうくわつして見みると、化物ばけものの策源地さくげんちは亞細亞あじあの南方なんぱうであることが分わかるのである。

尚なほ化物ばけものに一の必要條件ひつえうぜうけんは、文化ぶんくわの程度ていどと非常ひぜうに密接みつせつの關係くわんけいを有いうする事ことである。化物ばけものを想像さうざうする事ことは理りにあらずして情ぜうである。理りに走はしると化物ばけものは發達はつたつしない。縱令たとひ化物ばけものが出でても、其それは理性的りせいてきな乾燥無味かんさうむみなものであつて、情的ぜうてきな餘韻よいんを含ふくんで居ゐない。隨したがつて少すこしも面白味おもしろみが無ない。故ゆゑに文運ぶんうんが發達はつたつして來くると、自然しぜん化物ばけものは無なくなつて來くる。文化ぶんくわが發達はつたつして來くれば、自然しぜん何處どこか漠然ばくぜんとして稚氣ちきを帶おびて居ゐるやうな面白おもしろい化物思想ばけものしさうなどを容いれる餘地よちが無なくなつて來くるのである。

三 化物の分類

以上いじやうで大體だいたい化物ばけものの概論がいろんを述のべたのであるが、之これを分類ぶんるゐして見みるとどうなるか。之これは甚はなはだ六ヶしい問題もんだいであつて、見方みかたにより各おの〱異ことなる譯わけである。先まづ差當さしあたり種類しゆるゐの上うへからの分類ぶんるゐを述のべると、

(一)神佛しんぶつ(正體しやうたい、權化ごんげ)

(二)幽靈ゆうれい(生靈いきれう、死靈しれう)

(三)化物ばけもの(惡戲あくぎの爲ため、復仇ふくしうの爲ため) (四)精靈せいれう (五)怪動物くわいどうぶつ

の五となる。

(一)の神佛しんぶつはまともの物ものもあるが、異形いげうのものも多おほい。そして神佛しんぶつは往々わう〱種々しゆ〲に變相へんさうするから之これを分わかつて正體しやうたい、權化ごんげの二とすることが出來できる。化物的神佛ばけものてきしんぶつの實例じつれいは、印度いんど、支那しな、埃及方面えじぷとはうめんに極きはめて多おほい。釋迦しやかが既すでにお化ばけである。卅二相さうを其儘そのまゝ現あらはしたら恐おそろしい化物ばけものが出來できるに違ちがひない。印度教いんどけうのシヴアも隨分ずゐぶん恐おそろしい神かみである。之これが權化ごんげして千種しゆ萬樣ばんやうの變化へんくわを試こゝろみる。ガネーシヤ即すなはち聖天樣せうてんさまは人身じんしん象頭ざうづで、惡神あくしんの魔羅まらは隨分ずゐぶん思おもひ切きつた不可思議ふかしぎな相貌さうぼうの者ものばかりである。埃及えじぷとのスフインクスは獅身ししん人頭じんとうである。埃及えじぷとには頭あたまが鳥とりだの獸けものだの色々いろ〱の化物ばけものがあるが皆みな此内このうちである。此この(一)に屬ぞくするものは概がいして神祕的しんぴてきで尊たうとい。

化物ばけものの分類ぶんるゐの中うち、第だい二の幽靈ゆうれいは、主しゆとして人間にんげんの靈魂れいこんであつて之これを生靈いきれう死靈しれうの二つに分わける。生いきながら魂たましひが形かたちを現あらはすのが生靈いきれうで、源氏物語げんじものがたり葵あをひの卷まきの六條でう御息所みやすみどころの生靈いきれうの如ごときは即すなはち夫それである。日高川ひだかがはの清姫きよひめなどは、生いきながら蛇じやになつたといふから、之これも此この部類ぶるゐに入いれても宜よい。死靈しれうは、死後しごに魂たましひが異形いげうの姿すがたを現あらはすもので、例れいが非常ひぜうに多おほい。其その現あらはれ方かたは皆みな目的もくてきに依よつて異ことなる。其その目的もくてきは凡およそ三つに分わかつことが出來できる。一は怨うらみを報はうずる爲ためで一番ばん怖こわい。二は恩愛おんあいの爲ためで寧むしろいぢらしい。三は述懷的じゆつくわいてきである。一の例れいは數かぞふるに遑いとまがない。二では謠うたいの「善知鳥うとう」など、三では「阿漕あこぎ」、「鵜飼うがひ」など其その適例てきれいである。幽靈ゆうれいは概がいして全體ぜんたいの性質せいしつが陰氣いんきで、凄すごいものである。相貌さうぼうなども人間にんげんと大差たいさはない。

第だい三の化物ばけものは本體ほんたいが動物どうぶつで、其その目的もくてきによつて惡戯あくぎの爲ためと、復仇ふくしうの爲ためとに分わかつ、惡戯あくぎの方はうは如何いかにも無邪氣むじやきで、狐きつね、狸たぬきの惡戯あくぎは何時いつでも人ひとの笑わらひの種たねとなり、如何いかにも陽氣やうきで滑稽的こつけいてきである。大入道おほにふだう、一つ目め小僧こぞうなどはそれである。併しかし復仇ふくきうの方はうは鍋島なべしまの猫騷動ねこさうどうのやうに隨分ずゐぶんしつこい。

第だい四の精靈せいれうは、本體ほんたいが自然物しぜんぶつである。此この精靈せいれうの最もつとも神聖しんせいなるものは、第だい一の神佛しんぶつの部ぶに入いる。例たとへば日本國土にほんこくどの魂たましひは大國魂命おほくにたまのみこととなつて神かみになつてゐる如ごときである。物ものに魂たましひがあるとの想像さうざうは昔むかしからあるので、大だいは山岳さんがく河海かかいより、小せうは一本ぽんの草くさ、一朶だの花はなにも皆みな魂たましひありと想像さう〲した。即すなはち「墨染櫻すみぞめのさくら」の櫻さくら「三十三間堂げんだう」の柳やなぎ、など其その例れいで、此等これらは少すこしも怖こわくなく、極きはめて優美いうびなものである。

第だい五の怪動物くわいどうぶつは、人間にんげんの想像さうざうで捏造ねつざうしたもので、日本にほんの鵺ぬえ、希臘ぎりしやのキミーラ及およびグリフイン等とう之これに屬ぞくする。龍りう麒麟等きりんとうも此中このなかに入いるものと思おもふ。天狗てんぐは印度いんどでは鳥とりとしてあるから、矢張やはり此中このうちに入いる。此この第だい五に屬ぞくするものは概がいして面白おもしろいものと言いふことが出來できる。

以上いじやうを概括がいくわつして其その特質とくしつを擧あげると、神佛しんぶつは尊たうといもの、幽靈ゆうれいは凄すごいもの、化物ばけものは可笑おかしなもの、精靈せいれうは寧むしろ美うつくしいもの、怪動物くわいどうぶつは面白おもしろいものと言いひ得うる。

四 化物の表現

此等これら樣々さま〲の化物思想ばけものしさうを具體化ぐたいくわするのにどういふ方法はうはふを以もつてして居ゐるかといふに、時ときにより、國くにによつて各々おの〱異ことなつてゐて、一概がいに斷定だんていする事ことは出來できない。例たとへば天狗てんぐにしても、印度いんど、支那しな、日本にほん皆みな其その現あらはし方かたが異ことなつて居ゐる。龍りうなども、西洋せいやうのドラゴンと、印度いんどのナーガーと、支那しなの龍りうとは非常ひぜうに現あらはし方かたが違ちがふ。併しかし凡すべてに共通けうつうした手法しゆはふの方針はうしんは、由來ゆらい化物ばけものの形態けいたいには何等なんらか不自然ふしぜんな箇所かしよがある。それを藝術げいじゆつの方ちからで自然しぜんに化くわさうとするのが大體だい〱の方針はうしんらしい。例たとへば六臂ぴの觀音くわんのんは元々もと〱大化物おほばけものである、併しかし其その澤山たくさんの手ての出だし方かたの工夫くふうによつて、其その手ての工合ぐあひが可笑おかしくなく、却かへつて尊たうとく見みえる。決けつして滑稽こつけいに見みえるやうな下手へたなことはしない。此處こゝに藝術げいじゆつの偉大ゐだいな力ちからがある。

此この偉大ゐだいな力ちからを分解ぶんかいして見みると。一方ぽうには非常ひぜうな誇張こてうと、一方ぽうには非常ひぜうな省略しやうりやくがある。で、これより各論かくろんに入いつて化物ばけものの表現へうげん即すなはち形式けいしきを論ろんずる順序じゆんじよであるか、今いまは其その暇ひまがない。若もし化物學ばけものがくといふ學問がくもんがありとすれば、今いままで述のべた事ことは、其その序論じよろんと見みるべきものであつて、茲こゝには只たゞ序論じよろんだけを述のべた事ことになるのである。

要えうするに、化物ばけものの形式けいしきは西洋せいやうは一體たいに幼稚えうちである。希臘ぎりしやや埃及えじぷとは多おほく人間にんげんと動物どうぶつの繼合つぎあはせをやつて居ゐる事ことは前まへに述のべたが、それでは形かたちは巧たくみに出來できても所謂いはゆる完全くわんぜんな化物ばけものとは云いへない。ローマネスク、ゴシツク時代じだいになると、餘程よほど進歩しんぽして一の纏まとまつたものが出來できて來きた。例たとへば巴里ぱりのノートルダムの寺塔じたふの有名いうめいな怪物くわいぶつは繼合物つぎあはせものではなくて立派りつぱに纏まとまつた創作さうさくになつて居ゐる。ルネツサンス以後いごは論ろんずるに足たらない。然しかるに東洋方面とうやうはうめん、特とくに印度いんどなどは凡すべてが渾然こんぜんたる立派りつぱな創作さうさくである。日本にほんでは餘あまり發達はつたつして居ゐなかつたが、今後こんご發達はつたつさせようと思おもへば餘地よちは充分じうぶんある。日本にほんは今いま藝術上げいじゆつじやうの革命期かくめいきに際さいして、思想界しさうかいが非常ひぜうに興奮こうふんして居ゐる。古今東西ここんとうざいの思想しさうを綜合そうがふして何物なにものか新あたらしい物ものを作つくらうとして居ゐる。此この機會きくわいに際さいして化物ばけものの研究けんきうを起おこし、化物學ばけものがくといふ一科くわの學問がくもんを作つくり出だしたならば、定さだめし面白おもしろからうと思おもふのである。昔むかしの傳説でんせつ、樣式やうしきを離はなれた新化物しんばけものの研究けんきうを試こゝろみる餘地よちは屹度きつとあるに相違さうゐない。(完)

(大正六年「日本美術」)

底本 / Source edition

底本:「木片集」萬里閣書房
1928(昭和3)年5月28日発行
1928(昭和3)年6月10日4版
初出:「日本美術」
1917(大正6)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:鈴木厚司
校正:しだひろし
2007年11月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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プレーンテキスト / Plain text
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書誌 / Bibliography
/works/046337_001232/

伊東 忠太「妖怪研究」(旧字旧仮名)、底本『木片集』萬里閣書房、1928年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046337_001232, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite