Soranoha

日記

にっき

宮本 百合子

三月十日

○晴れて、きつい西風。

前の家のトタンやねが反射する、そしてこっちの室のおくの障子にうつる。

○北窓をあけると、白雲のういた空。遠くの学校の上のガラスが光った、こういう風の日、樹木の色は、寒げにかじかんでいる。が、青桐の芽の出ない枝々や幹は水気をふくんで、いつの間にかすんなりとせいがのびたように見える。

○一点の雲のない空に東から丸い月、風がふいている。

「おや光った風がふく」と思うような日、

○霜柱のたっていた処が、荒れたままの肌でふくらんで来ている。

○楓がいつか独特の紅かっ色にこまかい梢を区別しはじめて来た。

○六時になってもまだ戸外はうすら明るい。風も凪いだ。

西空に鳩羽色の雲があるばかりで灰色っぽい水色にくれかかる空の光の下で大きい梧桐の上向きの枝々は、芽の出る前の春の□(一字不明)木の上向きの枝々はあかるいときより一層上へのびて見えた。

〔欄外に〕

春の風だった日がつづく。

○机の上にナの花 こぼれた花べんが、原稿紙の間にはさまる。

八月八日――長者町 小松

余りくるしくてやり切れず。

古在氏の知人の山腰青年の紹介してくれた小松という宿へ来る。(長者町)m、自動車の心配をしてくれ両国まで送ってくれ太田さん席をとっておいてくれ。やっと六時頃つく。石じきのいやな大通りからボロ屋の奥へ入ったら二階がまるで樹のしげみの中につっこんだようにしかも見晴しよく建っているにはおどろいた。気に入った。350 ということ。

フロ、光の家のような別棟也

八月九日夕方六時

一日じゅうその汽車しか通らなかったわけではないだろうのに、むこうの松林のかげでひどく汽車が煙をはく音がきこえた。まるで大きいみに豆マメでものせてふるうような。彼女は何となしその業々しい音に滑稽を感じて時計をみたら丁度六時。きのう自分たちがのって来た三時十何分かに両国を出た汽車だった。

あしたもしmが来ればこの汽車で来るだろう。そう思い、きのう、駅のひろ場で自転車に荷もつをつけていたとき見た汽車のひどい黄色い煙を思い出した。粗悪な石炭をたいて走っている。かなりつよい西南の風につれて、暫くの間廊下に立っている彼女の鼻に石炭の煤煙の匂いがした。

○三木武吉さんて、政治家がございましょう、あの二号さんの妹さんがやっていたのがカグラ坂でも一番大きくて――

○兵隊宿だったせいか、自分は自分はという。

○長者町は、この小松はむかし内芸者をおいていてその女たちの住んでいた別棟の家がある由。

十日(日)○工合よし

午後六時の汽車でm来るかしらと思い待った。来ず。朝のうち桃五ヶ買った百匁25円

「笛師のむれ」をよみはじめる。

十一日(月)

ひどく涼しい八十度前後

「笛師のむれ」

きょうむくみがとれたのがはっきりわかり、体軽くなった。どんなに疲れていたかとわかる。そして静養ということの意味もわかった。静養は一人がいいということも。

十二日(火)涼しい、八十度になっていない。

古在さんのところへ水瓜90円、一貫目のをもって俥でゆく25円かえり30円

こもだれ姫以上だが子供たちみんな実によく育っている。母親の力というものおそろしい作用がある。夕方まで涼み、わたなべのことをたのみ、もしmが来たら米のこともたのみ、また俥でかえる。道にYの家へよる。酌婦上りのような老母、アッパッパの母、ちょいと町のトビのものの母娘という感じ。

Y君23歳の人生も荷が軽くないと痛感した。ケイオーの経済、

あした東京へゆくなら電話をかけて貰いたいと思って、夜停電する。わざとの停電の由。

古在さんのところでSが、わたしたちの生活について喋り、そのことで夫人が怒ったという話。Sのmへの反感は肉体的反撥だ。しんにそういうSの側のものがある。何とかしなければいけない。仕様のなくなる迄放り出しておくしかない、というmの方法は当っているかどうか。

古在さんのところでも寄食生活のためにあれだけ神経をつかうなら、その努力で何か別のことをしたらよかろう、と思う、と。みんながそう感じているのだ。食べるものをよいのをたべるとか、党のデマのようなことまで云った由。

のし紙50 Yへやるお礼のしゃぼん30円×7=210 竹のいい耳かき1円 脱脂綿20

十三日(水)

きのうの『読売』に国鉄のフラクションの頭の方が全部箇有名詞を並べてかいてあった。水曜会出席者某々すべて。

きょうは水曜日、どういう話をそれについてしているだろう。

共産党が合法となった。それとあけっぱなしとは同じだろうか。

朝七時半(この頃きまり)八時頃飯。あとちょっとこんなことをしてすこし横になる。

体の軽さを感じるのは久しぶり。頭はしかしまだすこし疲れやすい。きのう出かけ、夜Yとすこし話し。きょう、ねむい。体の方がかるくて頭はねむい。これではまだまだ。ねばって二十日まで仕事にかからないようにしようと思う。

十四日(木)

きょうはm来ると思い、それでも午前中はと思ってころがっていたら、コンニチハと云って多賀子現れた。十時頃。むっくり起き「顕治さんは? どうした?」やっぱりきょう来られないので、余りひどいと多賀子来た由。よかった。きょうすっぽかされては苦しいから。

○開成山の連中、けさかえった由。十日いた、二日で。

○mのためにひやしておいた水瓜を二人でたべ、小新にやる。きょうお盆 帳場 500 小しん 300 女中 200

○多賀子六時十何分かで帰った。

十五日(金)八〇(8時)八九(二時)八四(五時)

午後五時頃になって、日が大分西へまわりいくらか気温が下って来ると、あたりの空気に松の樹脂のいい匂いがひろがる。

○これが開成山だと昼間から芝の匂いと一緒につよく健康にあたりの空気をみたしている。楓の生垣のつったった芽、松の自然に生えたかげ、低いつつじ。芝生にまじって咲くよったような花。

○上段の乾いた匂い。白熊の毛皮、□□(二字不明)籐のしきものその他。

○ここでも遠い松林、すぐ二階のそとにある古い榎(青い苔のところどころについた)など、山気と海気との中間にある快よさ。これですきなだけ風呂があびられたら! 病気はこの二倍早くなおるだろう。来年は本当に高い山のタンサン泉へ行く。そして丈夫になりつつ仕事をする。丈夫になる、ということ絶対に必要だ。丈夫でなくてもどうやら、というようなのは、つまり闘争的でないことになる。気力で体をひっぱりきって丈夫な婆さんになることは絶対の必要だ。

きのう多賀子来て体も顔もしまったとおどろいたが、きょうY君、顔色がまるでちがったとおどろいた。うれしい。こんな島流しをこらえて丈夫になろうとしているのだから。

早く蚊帖に入ってウトウトしていたら、人の跫音がして「奥様旦那様がいらっしゃいました」びっくりして「まあ、いらしたの」うれしいよりびっくりした顔でかやを出た。

もって来たパンに、トマトや何かを少したべる。

十六日(土)八〇―八六―八〇

十七日(日曜日)

○m、古在さんのところへ行って一寸海に入り、諏訪さんの部屋見て来てくれる。「いい部屋だ、きれいな畳だよ」そしてここが窓で、こう椽側がまわっていて、と立ってしかた話してくれた。

「僕も顔を見せといたからよかったね」

水野さん来る、午後から二人で古在のところへゆき、部屋を見かたがた海を見にゆく。わたしはのこる。西瓜を買ってひやさした(百五十円)

一時すぎに俥が来て出かけ、一時間もしてかえって来るといったのに、気がついて時計をみたら四時半になっている。突然心配がおこった。つづいて、それをうちけす心がおこった。

午後四時半、裏の畑へ水をやっている。

「もうやったか」男の声「やったア」「唐辛子にもやったか」「やったア」「早いじゃないか、まだ時間が早いんだから、どっさりやりなよ」「やったよう、どれにも半分ずつやったよゥ」

m、五時近く二人でかえって来る。

「どうでした? いいきもち」「ああいいきもちだ」

体がのびのび自由になったように腕をのばしたりする。じき風呂に入る。水野さんの頭を洗うのに手つだってやる。私はmに。「僕が手つだってやろう」

水野さん泊る。下の部屋。ひる間からの訓戒はちっとも効力を発しなかった。心臓がかなり痛くなった。黙っている。でもおどろいた。

十八日(月)

きのうあたりから大変あつさがしのぎよくなり、秋めいた。風が海の方から来るようになった。濤の音がそのためにはっきりきこえる。

ここは半島で直接海からと、山越しの海からの風で、千葉県の中でも気候は特別らしい。

m、水野さんと七時十五分ので帰った。

ねころがったり「人と超人」をよんだり。

ショーの小市民的辛辣さ。ショーの辛辣さはつまりこの作品のジャワくさ。ちっともこわくない。アンに現実には屈伏している――イギリス人の常識に。

心臓やはりすこし苦し

夕方古在氏来、女の子一人。三人で食事。

Yの母40歳来る。いろいろの話。西小山で待合をしていた母。このひとおしゃく面なり

十九日(火)

昨夜、ひとが来すぎたのか、夜床について胸苦し。やがてよく眠った。市の立つ日だから三軒屋へゆく前買いものをして置こうとして出かけた。ジガレンがほしくてアプアプした。かえって横になり。午後ずっとましになった。いろいろ考えて自分のやりかたのナイーヴさに笑った。何のために八日間あんなに気をつけて安静にしていたのかと思って。しかし事実は一人笑う以上厳粛なのだから本気に自分を支配しなければならない。

一昨日mとの会話 y、しみじみmをみながら

「不思議ねえ――ほんとに」

「何が」

「あなたには、やっぱり政治も出来るのねえ」

「――全体の解放運動さ、代々木のゴたついたことなんかありゃ政治でも何でもない」

「それをもっていらっしゃれるからよ」

この間うちから考えたこと。自分が代々木から一定の距離をおいているのは非常に賢明であった。とくに幹部室に出入りしないのは。私は作家だ。形象的ならざるを得ない。去夏の中央委員会総会のあとの見ものから印象づけられた自分のありかたが正しかった。mにそれを話す。

「だからどういう場合でもね、国外で民族解放運動をおこす場合でもなければ、私は機コー内には入らないことよ」

「それはそうだね、作家は形象的にみるのが本来なんだから」

「理論にだけなれないのよ、人物論になるのよ。

そして、それは却って有害になるのよ」

「うん」

「文化専門のことなら何にだって引こまないけれど……ゴーリキイだって決して中央委員ではなかったことよ」

「うん――そう云えるね」

――――――――――――

mを肩書で見る人々の常識。それで働かされる立場、宮本顕治をひっくるめて人間男の美しさでみている自分。女として。mのために体を丈夫にし永く生きなければならない。mの人間らしさのために。その満開と結実のために。

自分が早すぎて死ねば、mは生活の対手を見つけなければならず、それは感情的に困難であるばかりでなく、人間的充足上条件がむずかしい。肩書が一定の先入観を与えるから。

「ユリ、余り有天頂になっちゃだめだよ」

「あら、有頂天よ、私がなるのは」

二十日(水)

午前十一時すぎの汽車で『婦人の世紀』のMさん来。ひる飯後ひとやすみして「人間の結婚」の口述をはじめる。休み休みやって十四五枚。泊る。

はじめて午後仕事をしたために神経緊張がひどくて眠れず。はじめてはっきり全く生理的な神経の緊張というものを感じた。夜中の三時すぎ、臭剥しゅうぼつをといてすこし分量多くのんで、じき眠った。さめたとき余り楽になっていたので全く生理的な緊張というものがわかったわけ也。だからこの間うち、mがぐっすり眠るとき自分だけ目がさえたのは一つの徴候だった。それを知らなかった。第一へばってからだって今になおる、今になおるとだけ考えて林町のあのひどいのべ哩マイル数を上ったり下ったりしていたのだから。

二十一日(木)

午前中に案外馬力が出て三十四枚書けた。十二時すこし前に終り。

Mさんという人は我のつよい人らしい。そして通俗的フラーテーションのつよい。――口述していて快適でなし、箸をもつのに小指や薬指を曲げ、鉛筆をもつのにさえそうしている。

やせて平べったくて、臥ているシルエット、年とった女のよう。頭ばっかりがっくりと重そうに枕にのっていて。それも随分気味わるかった。

農学校の講習で二十何人か泊って満員、朝鮮人がこんな部屋ではいやだ暑いと云ってあばれるからとなりに来させてくれといって、水やの方にいるチビが泣声で十一時頃来る。ことわる。おかみの古い方が又けさ、となりの部屋を使う云々、面倒くさいから六時頃夕飯をすまして三軒屋へ行ってしまうことにする。Mさん 3.40 に立つまで、先生お一人じゃ仕様がありませんわ、と荷作りをしてくれる。やせてテキパキ力がある。熊谷に十九の妹と暮している由。五人組の十九位の強盗に入られて、タンス一つ皆からにされた由。その家に今は雨戸もしめずにいるとはびっくり。

五時半ごろ俥が来て立つ。ばァさん水瓜のえらデカイのをおみやげだと云ってくれた。

八日――二十一日七千二百円

米 九升二合

八月二十二日(金)

この間からガタガタ宿でひとりで寐心地わるかった、こっち(諏訪さんのはなれ)は実に雰囲気が柔かいのでびっくりする。あすこの空気はひどかった。(小松)何という因業なかたさだったろう。

縁側で東の海からの風に吹かれていると松林のところを「お客様です」古在夫人について多賀子が来た。折たたみ椅子をもって。きょう引越しの予定だったので来た由。思いもかけない可愛い電気ランタンをもって来てくれた。大いに気に入る。顕治さん、ほん二、三日でこわれてもいいからもっておいで、と云われたの。つけたりけしたりしてよろこんでおられた。ほんとうにそれ丈のねうちがある。「折角ゆうべドーナツこしらえたのに忘れてきてしまった」白ガスリのブラウズをもって来てくれる。

エビの大きいのが買え古在さんのところでゆでてくれた。それをもって日帰りというのをこれから余り来させないから(仕事はじめるから)ととまることにし、夕方夷隅川の河口と砂丘のみえるところへ散歩した。杉並木のよこに葦がしげり支流が通っている。田舟がういたりしている。そのどてを行ったつき当り。草原が河原になっている。一九四五年の五月、寿江子の家へ行くとき見た虹の形を思い出した。

うちで風呂。

和カズ(市原)という娘が手伝に来てくれることになって古在、ここの年より、私、みんな助かった。はじめの話が臨時だもんだから一日三十円というわけ。しかしそれだけのことはある。さもないと私は腰のかがまった七十歳の奥様に、何がたのめよう。

八月二十三日(土)

多賀子七時すぎの汽車でかえる。

この部屋は休んでのんびりするより仕事をさせる方の部屋だ。まだすこしよたついているのに部屋の方が仕事へ仕事へとかり立てるような部屋。しかしそれはうれしい。小松の二階のあのかっちまりのない、かたいガランドウからみれば。

「パルムの僧院」をよみはじめる。面白い。しかしどうしてスタンダールはこんなにせいたのだろう。せきすぎている。これを一ヵ月ばかりで書くなんて!

古在さんのところへ風呂を貰いに行っていたら

お父ちゃんが来た!

ワァー! お父ちゃん

お父ちゃん!

ほんと? と母さん、

という大歓迎の叫びをきく場面にめぐり合わせた。子供たちは接吻したりしないで、いきなり汗びしょの古在さんの肩車によじのぼってゆく。実にいい。儀式化されない愛情の表現は面白い。日本の小説はこういう天真ランマンな日本人の感情表現を十分あらわす力をもたなかった。

二十四日(日)

m、来るだろうか。七時前におきて、朝はんたべたらぐったりして一ねむり。おきて時計をみる。十時には来なかった。パルムをよむ。よみつつ考える。こんなところにひとり暮していて、来てくれるだろうか、来られないだろうかと待っていて、うけ身一方で待つなんて、殆ど屈辱的だ。だから絶対に丈夫にならなければいけないし又来年は早く手まわしをして、二人で暮し、mが通勤の出来るところに暮さなければならないと思う。

一寸座敷の奥にひっこんでいたら、松林のむこうから俥がゆっくり入って来た。おやと思うと、mがおりた。白いさっぱりした靴をはいて。

この前のときもそうだったが、mを見た瞬間何だかきまりわるいような珍しいような、すこし違ったような感じがする。

「どうだったい?」

「大丈夫。――きれいな靴ね」

「うん、お化粧してきた、一寸おしゃれをするときれいになるもんだね」

「うちで?」

「いいや秋葉原んところでやらして来た」

m、この節随分いろいろ普通の生活になれて来た。

安芸がよこしたという果物のおみやげ。

おひるをたべ、一寸眠り二時から海へゆく。きょうはついてゆく。黒いめがねをかけて。葦の間をおりてゆく。茶っぽい水の流れている川へ出た。

「ここをわたるの?」「深くなりそうね」「この位まである」股の上のところをさす。「まあいい行って見ましょうよ」手につかまってスカートをたくし上げて入ってゆくほどに、下の白いものまでぬれて来た。「アラもう駄目よ、これじゃ」「背中に負ってやろうか」「そんなこと!!」

むこう岸で古在さん子供たちと泳いでいる。そこにい合わせて藻苅舟を竿で操って来てくれ、自分やっとこそこへ押しあげて貰う。むこう岸の砂丘へ出て、海を見わたすところへ出た。国府津によく似ていてもう少し壮大だ。二つの岬が出ているところもよく似ているけれども。丁度あすこ位の濤がよせて砂をまき上げている。古在氏とm二三度波かぶりをした。こっちで見ていて、ハラハラする。じき河の方へ来てm、実にたのしそうにゆるやかなきれいなクロールで時々およぎ、子供とあそびしている。水をぬらした手拭を頭にのっけながら。

肉体的な快さが見ていてうつって来てうらやましくなる。自分もああしてゆるやかに水をおよいで時々仰向いて手をつないで浮いていたら、どんなにいい心持だろうと。

「いい心持そうね、それを見ていると、あのお座敷でさぞお思い出しになったろうと思うわよ」m、笑っている。しんから快よさそうだ。

「もう帰ろうか」

「――いいわ、まだいらっしゃるでしょう?」

二三度きいてくれる。自分傘をさし下駄の上に腰をおろしている。アブが来る。アブというのは黒い丸っこい蠅のようなものだと思ったら、この海辺のアブは草の色をしている。柔かそうな草色の体と羽根をしている。

四時前にかえる。そして、うちの風呂に入る。自分すこし休みたかったが、m、夕飯後古在さんのところへゆき、九時頃かえって来た。

すこし日にさらされすぎの傾向。私の健康がもっとつよかったら実に我々の生活のたのしさ面白さ千変万化きわまりなしだと思う。そして生活すること丈に我を忘れてしまうほどかもしれない。

○夜電燈を包んだふろしきから火事を出しそこね。m、水をかけ一騒動。たか子のもって来たランターンの電池がきれて私が入れかえるとき極を同方向に入れてしまったためにこのさわぎ。

二十五日(月)

「きょうはすこしこの前よりつかれた」

「濤くぐりのせいよ」

「たしかそうだね、濤うちはこたえる」

「つよい力なんでしょう」

「やっとさ」

mすこし早くおきて、目をあいてみたら縁側にかけている。そろそろおきてゆうべのやけ風呂しきをおいた盆の上を見たら、もうどこにか消えてしまっている。笑いながら「あら早いのね、ディサッピーア」「ディスアッピーア」mも笑っている。面白い。

朝はん後、m、二時間近く眠る。曇天でひどくむす。東側の風の通るところへ椅子を出して涼み、m、ちょっとそこいらの松の樹へのぼりかけてみたり、枝の水平になったのを見つけてそこへのってゆすぶったりする。椅子をずらしたら一本の脚がぐすりと砂にはまりこんでmころがりそうになった。

「あ、あぶない!」

椅子をなおし

「穴んなってるんだよ」

篠竹のきれっぱしでずっとさしてみる。

「ほらこんなに深い。もぐらの穴かなんかだね。こっちも」

反対に通して見て

「ずっと通ってる、ここ通ってるんだね」

はすに砂の上に線をかくようにする。

「もぐらが来ないように」

そう云ってその穴におちていた三角のスレートの破片をさしこんで、はじめわたしがその穴へおとした松ぼっくりをひろって、スレートのわきへつめた。

○夕方古在さんのところで水瓜を二つきってたべ(風呂に入り)六時十三分のでかえった。俥が来たとき私たち座敷の奥にいて。mがかえったら淋しいより何より眠くて眠くてすぐ床に入ってしまった。

八月二十五日 三軒や すわの座敷

○「パルムの僧院」をよみはじめる。スタンダールはこの長篇を五十二日間でかき上げている。おどろくべき速力だ。でも何故そんなに大いそぎで書いたのだろう?「生気がなくなる」ことをおそれた、と云われているが、こんなスピードで突破しないと、失われる生気というものはどういうものだったのだろう。又ゆっくりかくと、スタンダールは、自分の何に足をとられると思ったのだろう? (アンリ・ブリュラール風のものにか?)

上巻、ワータールーの最後の日の敗走の描写、ファブリスのすべて情況のわからない立場からよく描けている。リアルに。近代的に。

○モスカ伯と恋仲になってからピエトラネーラ夫人がサンセヴェリイナ公の夫人となり、パルムの小宮廷の陰謀だのファブリスの冒険何だのになって来ると、スタンダールがさっさと書いたのもわかるようだ。デュマにならないために。

p. 212「彼が(ファブリス)ミラノのエスイタ派で教育された該宗教の注目すべき特徴で」「不慣れな事柄を考える気力を殺ぎ殊に、個人的検討を、諸罪のうちの最悪アクのものとして禁じている。これは新教主義への第一歩である。それがいかなる点で有罪であるかを知るには、司教に質問するか、それとも『贖罪の聖化準備』と題する書物の中にある諸罪目録をよむかしなければならない」

p. 143 ○ファブリスがロマニアへ追放されている間にぜひ守らなければならない四ヵ条というのを(ボルダ司教会員のつたえるところによる)よむと、余り日本の思想善導にそっくりである、保護観察所の希望と一致しているのでびっくりもし失笑を禁じ得ない。いつの時代も人間を愚劣にしようとする方法が余り同じなので。――日本が一九三〇、四〇年代にも一七九〇年代のイタリの小君公の求めたケチな方法をそっくりそのままうけついでいた、という点で。

「火をみるよりも明らかな事柄に注意しない習慣をもつこと。それは、エスイタ教育のしからしめた処である」p. 313

こういうところをみると「日本的教育」のすべてのうちにはエスイタ精神がある。そしてこの頃の日本向 American デモクラシーの中にも。

○十八世紀のイタリー諸公国内にウジャウジャいたスパイの夥しさ‼

○ファブリスの存在の意味はどこにあるのだろう? サンセヴリニ公夫人の考えている「意義」ではなくて彼自身の――。「恋をするには不向な冷静と良識をおもちで」発掘がすきで乗馬ずきで。

スタンダールはどういう意味でファブリスという主人公を選んだろう。生れたときからパルムの大貴族的宮廷的環境にありながら、只ナポレオン崇拝なばかりでなく、大貴族たるには「才能がありすぎ」人間的率直さがありすぎるためにひきつづく波瀾にめぐり会い、しかも無意味な波瀾にめぐり会っているファブリスのような主人公。彼として、意味のわかる波瀾はウォタールーに行ったことを告発されて(兄に)ノヴァラ郊外の荒れはてた館に、ベッドの雨もりで傘をさしてねていた頃しかない。あとは、みんな彼をかこむ伯公夫人、大司教その他のマンネリズム処世術から偶発しているばかりだ。

◎スタンダールは、性格としての人間的内在的可能と、環境とのかみ合いを非常に着目したのだろうか。そうだとすればバルザックとの対比で面白い。バルザックの人物の中には只一人も「性格の自覚とその完成の欲望」に到達していた人物はいない。欲望が各人物の主動因であり、それはスタンダールがパルムの僧院の中でけなしつけている「フランス人の金銭欲、虚栄欲」である。「フランス文学史の中で、個性の展開が境遇環境と積極的にかみ合い、境遇さえ主動的に変化させてゆくような作品があらわれたのはいつ、誰からだろう」スタンダールはこの問題についてどんな役割をしたのだろう。もしかしたら、この「パルムの僧院」や「赤と黒」とが、重大な価値をもっているのではなかろうか。その第一歩として。(アンリー・ブリュラール 1835 を思い出す)「エゴチズムの思い出」1832

この訳者(前川堅市)の云っているようにただ「恋愛論」を実践にうつす主人公として丈ファブリスは存在しているのだろう。

○第二巻 p. 61 ファブリスが敵の策略にかかってつかまってから、ラ公夫人が専制君主制とそのギマン政治をのろう気持。美しいクレリアも「ああ、専制権力よ。そなたはいつイタリアを解放しようというの?」p. 47

○どんなにして昔からニセ証拠をこしらえたか、p. 64 終りから四行。

◎「私がばかなばかりに廷臣らしい廷臣にも恋するだけの魂があるものとばかり信じていたのだ」職業はそうです、立場はそうです p. 65、しかし人間として云々という人へのよい教訓。

◎才智も技巧も理智も具えているが、感情だけが下劣なのだ p. 69

○礼儀正しい人殺したちなんか! Vol. Ⅱ p. 122

クレリアの感想――宮廷生活への。

◎いくらクレリアに近くいたい「からと云ってファブリスが、又もとの城塞の独房へ入ってしまった」という心理は奇怪だ。その人物を中心として様々の宮廷的事件が渦巻いているとき――。しかしスタンダールは、そういう風に行動する「ファブリスの人間的行動の動機の純粋性」だけを追求して、他の周囲の堂々めぐりの策謀、知恵くらべを描いているのだろう。しかし現代の心にとってファブリスの率直さいつわりなき動機は何と単純だろう。恋にしか発揮されない。――人間が純粋に行動するモメントが恋しかなかった時代のあわれさ!

〔欄外に〕

「パルムの僧院」のテーマは何か。

ファブリスのエスイタ教徒的貴族的環境から、ファブリスなる一ヶの「性格」が完成する物語ではないのだろうか。

○ファブリスは可愛いマリエッタやサンセビリニ公夫人に対して「恋の排他的な情熱的な気持」をちっとも感じないのをいつも不思議に思っている。「自分は愛しはする。だがそれは六時に食慾を感じると同じ気もちなのだ!」p. 323

p. 246「恋と云われる心持を味ってみたい」ばかりにラフウスタのあとをつけてパルムへまでゆく。

ファブリスがパルムのアァルネエゼ塔に捕われてからクレリアに対する恋だけに注(ママ)中した感情で生活しているということは何か不思議だ。恋のための好条件としているのは。

二十六日(火)

殆ど十二時間眠って七時におきた。すっかり心持よい。鏡でみると顔つきもよくなっている。きのうは疲れ顔だった。

起きたとき、とろりとしたように風がなくてこれはとおそれをなしたが、やがて風がおこり、しかし正午には九十度、絶頂の二時には九十三度になった。東京の暑気いかばかり。これは残暑の頂上ではなかろうか。それでも風も爽やかだし、湿度も少いらしい髪の毛のサラサラ工合。(自分はこうして小さいカン暖計をもっているが、湿度計の小さいのもほしい。)

きょうは元気で、はじめてぬりの大机を出しその上にペン皿、人形、本などを出した。そしてこうして日記をかき出した。仕事が大分近いところまで来ている。それを感じる。

あしたか?

あさってか?

涼しくなってほしい。涼しくさえあれば。

「パルムの僧院」をよむ。

○三時になったら九十度になった。杉林のところで子供の声がする。お父さんの死んだ丸い女の子と男の子がかけて来る。海へゆく道がここを通っているのだ。「お母ちゃん」何とかいう子供の声がする。この杉林の端を真直によこぎって台所の方から海へゆく白と水色の太いしまのビーチコートが見え、美しい色に輝いた肉づきのいい脚が見えた。瞬間に見えたその色は活々として美しく、伸子は、その美しさの焦点に未亡人がいるという不自然さを承服しかねた。

七つばかりの男の子がある夕方あっちを歩いている人の姿を見て「お父ちゃん」と呼んだ。あのお母さんが

「今何て云ったの?」

きいたらただ笑っていた由。

三年間消息不明だった公報を出す名簿の中に入っていた由。

古在さんのところも弟戦死した。

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第二十五巻」新日本出版社
1981(昭和56)年7月30日初版
1986(昭和61)年3月20日第4刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「ワータールー」と「ウォタールー」、「サンセヴェリイナ公」と「サンセヴリニ公」と「サンセビリニ公」、「ディサッピーア」と「ディスアッピーア」の混在は、底本通りです。
入力:柴田卓治
校正:富田晶子
2019年9月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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TEI
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「日記──30 一九四七年(昭和二十二年)」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第二十五巻』新日本出版社、1981年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046260_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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