Soranoha

日記

にっき

宮本 百合子

八月十一日

国府津の海岸。夕方の六時すぎから七時、七時半、段々あたりが暗くなる裡に上げ潮の白い波頭が遠く二宮の海岸の方にまでよせては引く景色が実に美しい。

渚に立って、足の先を波に洗わせながら自分は、思いに沈んでいた。

愛するものの逞しい腕につらまってこの波に浮び、全身を力づよい潮にまかせて洗われたら、どんなに幸福であろうか、と。――

そして、幸福というものの感覚を鋭く鋭く感じた。「幸福」は観念ではない。よくひとは、何々を考えれば幸福であるというような事を云うがそれは内容のないオームの表現だ。幸福は感覚だ。しかも或人に対して或特定の条件によってだけ感じられる感覚だ。

景色が美しければ美しいほど心なぐさまぬ自分をはっきり感じた。その心は巖のようであった。ことごとに存在をはっきりするばかり。

○同じとき

四辺がすっかり暗くなった。夜づりの灯が水平線に規則正しい間かくを置いてキラキラ輝き出した。

それは陸から見ると美しい。しかし、その沖の灯の下にある飢えを考えると、私共はその美しさを云々することに気恥しさを感じる。社会は変らねばならぬ。すべての自然の美を、美として甦らせ得る社会が来なければならない。

そう思って、我々はいかに多くの歓びと美を失っているかと思って暗い波の上を見て居たら一艘小舟がいつの間にかすぐ前の波うち際へ薄黒くやって来ている。

夕闇の海面でぼんやり影がひろがって、高く低くゆれてもまれている舟とその上に櫓をあやつっている漁師の姿が、実際より大きく、馬にでものっているように見え、気味わるかった。

やがて大きい波にのってスーと砂地へのりあげて来た。漁師はすばやく船からとび降り、砂原を駈け馴れている独特の足つきで速く砂の上へ網の綱をひっぱって行った。

八月十三日

夕飯をたべに行こうという。父、母、明治やの上の中央亭。

○そこへ大□(一字不明)さんが夫婦、娘で来る。父・母急にあわて、うやうやしく立ってあいさつをする。レスペクトを払う。

自分いやな心持。

かえりに、先へ行く、わざわざ名刺を書いてボーイにわたす、お先に失礼と。

小市民的卑屈さ。

父のしゃれ、自動車の前へのって、

○アイスクリームをおそくたべるとレートクリームだよ

○夜仕事をしていると、やって来る、

「出しっぱなしじゃないか?」と便所へ行って見る。

「タンクが一時間で又くみ上げているんだ」

「女中さん達が体を洗っているからでしょう」

「可哀そうに水で洗ってるのか。――おっかさんはそういうことはどうもしわくて困る。そとへゆく、遊ぶ金がいる、何かなくなる、二十円か三十円でフロ桶なんかあるんだからつくってやらなくちゃいけない」

○何故息子は家から去るか。

部屋がない。

二日留守してかえって来て見るとテーブルはわきへよせ、その上に本をつみ上げすっかり片してしまってある。

息子いやな心持。口に云えず。親は親のことばかり考えて生活していると感じる。

○自分はもう何年か日記をつけなかった。日記をつけることは不便と思ったのだが又つけたい。

小市民的生活の些事。

それに対するケン悪。それを克服したつもりのN、せいぞうのインテリゲンツィア的屈伏。やはり屈伏である。小市民生活の驚くべき無内容。そのために、ことごとに過程を問題としてさわぐ。

離れに来ると、温室の前にシャツだけの俊造がいて犬が黒と茶、あべこべにくっつき合って舌を出して立っている。俊造はその前にしゃがんで見ていたところをスと立った。それが体の動かし工合でよくわかった。

(八月頃犬は恋愛するのか。)

陽気な若者はいろんなことを話して、人生の迷路に立っているものを益〻困惑に陥いれて去った。

性格と性格との絡り合い。

――○――

おふくろは、柔い泥の中の石のようであった。柔かい泥にさわっているときそれはまるで柔いが一旦かたいものに石にさわると、人はもうそれの動かないこと、打ちやぶりがたいこと、母の本質はそこに凝固していることを感じるのであった。

○女中部屋

一人がこしかけ、おどろくような髪をとかしている。

一人が座ってぬいもの

冷蔵へ水をとりにゆくとねている母が、

「だれだいそこを歩いて行くのは」

と怒鳴った。自分トクに「お気の毒だったね」と云ったら水道のところで

「いいえもう……」

「馴れて居りますかい」

と大笑いをし、こっちへ来て、又女中部屋へゆくと、トク戸のところに水のビンをもって立って何か云っていたのが、私の来るのを見て一寸片手で押えるような形をした。自分そのまま下駄をはいて出て来たがその手つきがわすられず。――

mのこと

「対官憲の問題があるの」

「――それもあるの、

この間もってかれた時にね――……それ程のことじゃないけれど……。」

一旦言葉をきり

「死んでもかまわないって云うのが本当だということは分っているけれどね……私あたしはそれはこまるんです」

○体がうすくなっちゃった。

底本 / Source edition

底本:「宮本百合子全集 第二十四巻」新日本出版社
1980(昭和55)年7月20日初版
1986(昭和61)年3月20日第4刷
入力:柴田卓治
校正:青空文庫(校正支援)
2017年3月11日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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宮本 百合子「日記──19 一九三三年(昭和八年)」(新字新仮名)、底本『宮本百合子全集 第二十四巻』新日本出版社、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046250_000311, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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