<ruby><rb>初鰹</rb><rt>はつがつお</rt></ruby>

「船でい」

「おお、船だ船だ」

「鰹をやれ、鰹をやれ」

「運のいい畜生だ」

「おうい、和次郎ぬし、船だぞい、おも舵だ」

文久二年四月十七日、<ruby><rb>伊豆国賀茂郡松崎村</rb><rt>いずのくにかものこおりまつざきむら</rt></ruby>の鰹船が<ruby><rb>焼津</rb><rt>やいづ</rt></ruby>の沖で初鰹を釣り、<ruby><rb>船梁</rb><rt>ふなばり</rt></ruby>もたわむほどになって<ruby><rb>相模灘</rb><rt>さがみなだ</rt></ruby>を突っ走る。<ruby><rb>八挺櫓</rb><rt>はっちょうろ</rt></ruby>で飛ばしてくる江戸の<ruby><rb>鰹買船</rb><rt>かつおかいぶね</rt></ruby>に三崎の沖あたりで行きあうつもり。

ちょうど<ruby><rb>石廊岬</rb><rt>いろうざき</rt></ruby>の端をかわし、右に<ruby><rb>神子元島</rb><rt>みこもとじま</rt></ruby>の<ruby><rb>地方</rb><rt>じかた</rt></ruby>が見えかかるころ、<ruby><rb>未申</rb><rt>ひつじさる</rt></ruby>の沖あいに一艘の船影が浮かびあがって来た。

海面は<ruby><rb>仄白</rb><rt>ほのじろ</rt></ruby>くなったが、まだ陽はのぼらない、七ツすこし前。

<ruby><rb>舳</rb><rt>みよし</rt></ruby>で、朝食の支度をしていた<ruby><rb>餌取</rb><rt>えとり</rt></ruby>の平吉がまっさきに見つけた。

鰹の帰り船が沖で船にあうと、最初に行きあった船に初鰹をなげこんでやるのがきまりになっている。鰹船の<ruby><rb>祝儀</rb><rt>しゅうぎ</rt></ruby>といって、沖で祝儀をつけてやることが出来れば、ことしの鰹は大漁だと縁起をいわう。

<ruby><rb>櫓杭</rb><rt>ろぐい</rt></ruby>に四挺櫓をたて、グイと船のほうへ舳をまわす。

「やアイ、船え――」

「おう、その船、初鰹を祝ってやるべえ」

<ruby><rb>払暁</rb><rt>ふつぎょう</rt></ruby>の薄い<ruby><rb>朱鷺色</rb><rt>ときいろ</rt></ruby>を背にうけて、ゆったりとたゆたっているその船。

妙に<ruby><rb>船脚</rb><rt>ふなあし</rt></ruby>のあがった五百石で、<ruby><rb>大帆柱</rb><rt>おおほばしら</rt></ruby>の帆さきと<ruby><rb>艫</rb><rt>とも</rt></ruby>に<ruby><rb>油灯</rb><rt>ゆとう</rt></ruby>の赤い灯がついている。

海の上はすっかり明るくなっているのに、油灯がつけっぱなしになっている。そればかりではない。大帆も<ruby><rb>矢帆</rb><rt>やほ</rt></ruby>も<ruby><rb>小矢帆</rb><rt>こやほ</rt></ruby>も、かんぬきがけにダラリと力なく垂れさがって、<ruby><rb>舵</rb><rt>かじ</rt></ruby>も<ruby><rb>水先</rb><rt>みずさき</rt></ruby>もないように波のまにまに<ruby><rb>漂</rb><rt>ただよ</rt></ruby>っている。

海面は青だたみを敷いたようないい<ruby><rb>凪</rb><rt>なぎ</rt></ruby>なので……。

「なんでえ、妙ちきりんな船じゃねえか」

「<ruby><rb>菱垣</rb><rt>ひがき</rt></ruby>船か」

「菱垣にしちゃア小さすぎる。それに、菱垣の<ruby><rb>船印</rb><rt>ふなじるし</rt></ruby>がねえや」

「<ruby><rb>灘</rb><rt>なだ</rt></ruby>の<ruby><rb>酒廻船</rb><rt>さけかいせん</rt></ruby>か」

「<ruby><rb>新酒船</rb><rt>しんしゅぶね</rt></ruby>は八月のことでえ」

「土佐の<ruby><rb>百尋石船</rb><rt>ひゃくひろいしぶね</rt></ruby>か」

「石船にしちゃア<ruby><rb>船腹</rb><rt>ふなばら</rt></ruby>が軽すぎらい」

「それにしても、なにをしてやがるンだろう。こんなところで沖もやいする気でもあンめえ。<ruby><rb>時化</rb><rt>しけ</rt></ruby>でもくらいやがって舵を折ったか」

十五日の朝から夕方まで<ruby><rb>子亥</rb><rt>ねい</rt></ruby>のかなり強い風が吹いたが、日が暮れるとばったりとおさまって、それからずっと凪つづきだった。

舳を突っかけながら、あらためてつくづくと眺めると、<ruby><rb>帆綱</rb><rt>ほづな</rt></ruby>の<ruby><rb>元場</rb><rt>もとば</rt></ruby>にも<ruby><rb>水先頭場</rb><rt>みずさきがしらば</rt></ruby>にも、綱の<ruby><rb>締場</rb><rt>しめば</rt></ruby>にも、まるきり人影というものがない。たるみきった帆綱がゆらゆらと風に揺れているばかり。

「船頭めら、くらい酔って寝くたばっていやがるのか。それとも、死に絶えたか」

艫に突っ立って、手びさしをして、さっきからジッとその船を眺めていた<ruby><rb>楫取</rb><rt>かじとり</rt></ruby>の八右衛門、

「やい、櫓杭をまわせ、あの船に寄っちゃなンねえ」

「へッ、<ruby><rb>精霊船</rb><rt>しょうろぶね</rt></ruby>か」

「もそっと悪りいやい、あの船印を見ろ」

あからひく朝日がのぼりかけ、むこうの船の大帆がパッと<ruby><rb>紅</rb><rt>くれない</rt></ruby>に染まる。むきの加減で矢帆に隠れて見えなかったが、こんどはまっこうに見える。……艫の一番かんぬきのところに立っている<ruby><rb>白黒二両引</rb><rt>しろくろにりょうびき</rt></ruby>の<ruby><rb>大吹流</rb><rt>おおふきなが</rt></ruby>し。――遠島船の船印だ。

「やア、遠島船だ」

「畜生、縁起でもねえ」

「寄るんじゃねえ、寄るんじゃねえ」

「平吉めら、どこに眼のくり玉をくっつけていやがる。あの船印が見えなかったのか」

「そういう手前らだって……」

「やい、船をまわせ」

「返すんだ、返すんだ」

今まではずんでいたのが、急に気を悪くしてあわてて舳をまわす。

鰹船の<ruby><rb>禁物</rb><rt>きんもつ</rt></ruby>は第一は遠島船。第二が<ruby><rb>讃岐</rb><rt>さぬき</rt></ruby>の<ruby><rb>藍玉船</rb><rt>あいだまぶね</rt></ruby>。遠島船にあうと鰹の<ruby><rb>群来</rb><rt>くき</rt></ruby>が沖へ流れるといって、たいへんに嫌う。藍のほうはむかしから魚には禁物。魚にあたったら<ruby><rb>染藍</rb><rt>そめあい</rt></ruby>を<ruby><rb>煎</rb><rt>せん</rt></ruby>じて飲めというくらいのもの。このふたつは精霊船よりも恐い。

むさんに櫓を切って船を返そうとすると、船頭の<ruby><rb>喜三次</rb><rt>きさんじ</rt></ruby>が、このとき始めて声をあげた。

「待て待て、船をつけろ」

「えッ」

「船をつけろと言ってる」

「喜三次ぬし、それは、いけねえ」

「いけねえことは、よく知っている。さっきからつくづく見ていたが、だいぶようすが変っている。あの船になにかあったのにちげえねえが、そうと知っては見すごしても行かれめえ。ちょっと、ようすを見に行こう。声をかけるだけのことだから、たいして手間もくうめえ。ともかく、船を寄せてみろ」

波のりぶねというぐあいにぼんやりと漂っている遠島船の腹へこちらの舳を突っかける。

喜三次が舳に立って、

「お<ruby><rb>船手</rb><rt>ふなて</rt></ruby>、お船手。……おうい、船の衆」

と、声をかけたが、なんの返事もない。

「おウイ、船頭衆、お楫……だれもいねえのか」

伊豆<ruby><rb>田浦岬</rb><rt>たうらざき</rt></ruby>の地かたから二十五六里。その沖に浮いてる船にだれもいないかは、チトおかしい。が、そうとでも言うほかはない。帆をダラリとさげたまま人ッ子ひとり姿が見えず、しんとしずまりかえっている。

「いよいよ妙だ。この船には人ッ子ひとりいねえとみえるぜ。……いってえ、どうしたというんだろう」

餌取の平吉、あまり<ruby><rb>物怖</rb><rt>ものおじ</rt></ruby>のしないほうだから、<ruby><rb>船胴</rb><rt>ふなどう</rt></ruby>から腰をあげて、

「おれが、ちょっくら、ようすを見てくるべえ」

「そうだな、見て来てくれろ」

「遠島船め、手間をかけやがる」

舳のむこうづらに垂れさがっている<ruby><rb>錨綱</rb><rt>いかりづな</rt></ruby>をつたってスルスルとのぼって行き、身軽に<ruby><rb>前口</rb><rt>まえぐち</rt></ruby>へ飛びこんだが、それっきりいつまでたっても出て来ない。

鰹船のほうでは辛抱づよく待っていたが、いっこう平吉が姿を見せないので、しょうしょう薄気味悪くなってきた。

「どうしやがった、平吉めら」

「<ruby><rb>𦩀</rb><rt>はざま</rt></ruby>へでも落ちやがったか」

「それにしても、もう小半刻になる。だれかようすを見に行け」

むこうっ気の強い漁師どもも、さすがにわれと進みだすものもない。船頭の喜三次、

「じゃあ、おれが行く」

と、立ちかかったところへ、平吉が遠島船の<ruby><rb>棚縁</rb><rt>たなべり</rt></ruby>から青い顔を出した。

「猫の子一疋いやしねえ。……喜三次ぬし、ちょっとあがって来てくれ……なにか、……えれえことがあったらしいんだ、この船でよ」

「平吉ぬし、そりゃアほんとうか」

「なんで、おれが嘘を。ほんとうもなにも……」

「よし、いま行く」

すぐつづいて、<ruby><rb>繩上</rb><rt>なわあげ</rt></ruby>の<ruby><rb>丑松</rb><rt>うしまつ</rt></ruby>、

「おれも行こう」

こうなると怖いもの見たさで、船には楫取の<ruby><rb>和次郎</rb><rt>わじろう</rt></ruby>をひとり残してわれもわれもとゾロゾロと遠島船へ乗りうつる。

平吉の言った通り、まさに、奇妙なことが始まっていた。

<ruby><rb>船極印</rb><rt>ふなごくいん</rt></ruby>を調べると、まぎれもない<ruby><rb>御用船</rb><rt>ごようぶね</rt></ruby>。

安政三年<ruby><rb>相州三浦三崎</rb><rt>そうしゅうみうらみさき</rt></ruby>で<ruby><rb>船大工</rb><rt>ふなだいく</rt></ruby><ruby><rb>間宮平次</rb><rt>まみやへいじ</rt></ruby>がつくり、船奉行<ruby><rb>向井将監</rb><rt>むかいしょうげん</rt></ruby>支配、御船手<ruby><rb>津田半左衛門預</rb><rt>つだはんざえもんあずかり</rt></ruby>という<ruby><rb>焼判</rb><rt>やきばん</rt></ruby>がおしてある。

三番船梁に打ちつけてある<ruby><rb>廻送板</rb><rt>まわしおくりいた</rt></ruby>を見ると、最後に江戸を出帆したのが、四月十五日としるされてある。ちょうど二日前に品川をでた船。

胴の間の役人<ruby><rb>溜</rb><rt>だま</rt></ruby>りに入って、板壁の釘にかかっていた送り帳を見ると、江戸を出るとき、この船にはたしかに二十三人の人間が乗っていた。

伊豆七島へ差しおくる囚人が七人。役人は、御船手、<ruby><rb>水主</rb><rt>かこ</rt></ruby>同心<ruby><rb>森田三之丞</rb><rt>もりたさんのじょう</rt></ruby>以下五人。

乗組のほうは、船頭金兵衛、二番水先頭<ruby><rb>与之助</rb><rt>よのすけ</rt></ruby>、<ruby><rb>帆係下一番</rb><rt>ほがかりしたいちばん</rt></ruby><ruby><rb>猪三八</rb><rt>いさはち</rt></ruby>、同<ruby><rb>上一番</rb><rt>かみいちばん</rt></ruby><ruby><rb>清蔵</rb><rt>せいぞう</rt></ruby>、楫取<ruby><rb>弥之助</rb><rt>やのすけ</rt></ruby>、ほかに<ruby><rb>助松</rb><rt>すけまつ</rt></ruby>以下<ruby><rb>船子</rb><rt>ふなこ</rt></ruby>、<ruby><rb>水夫</rb><rt>かこ</rt></ruby>が六人。ところで、その二十三人は、ただのひとりも船にいない！

遠島船はいうまでもなく囚人をつんで行く船だから特別なつくりになっている。

船は二枚棚につくり、上棚の内部を、<ruby><rb>表</rb><rt>おもて</rt></ruby>の<ruby><rb>間</rb><rt>ま</rt></ruby>、胴の間、<ruby><rb>𦩀</rb><rt>はざま</rt></ruby>の間、<ruby><rb>艫</rb><rt>とも</rt></ruby>の間の四つに区切り、胴の間は役人溜りで弓矢鉄砲などもおいてある。表の間は船頭溜り、𦩀の間は船頭と二番頭の部屋で、艫の間は<ruby><rb>釜場</rb><rt>かまば</rt></ruby>になっている。下棚の艫の間は<ruby><rb>牢格子</rb><rt>ろうごうし</rt></ruby>のついた四間四方の船牢になり、表の間と胴の間は船倉で島々へおくる米、味噌、雑貨などを積みこむ。

漁師たちは手わけをして、ひと手は上棚、ひと手は下棚にくぐって隈なくさがしまわったが、依然としてどこにもひとの姿はない。しまいには、下棚の底板を剥がして<ruby><rb>敷</rb><rt>しき</rt></ruby>や<ruby><rb>柱床</rb><rt>はしらどこ</rt></ruby>までのぞきこんだが、鼠一匹でてこなかった。

帆さきと艫に油灯がついているところを見ると、すくなくとも昨夜の六ツ半ごろまではたしかにこの船にひとのいたということは、油灯の<ruby><rb>菜種油</rb><rt>なたねあぶら</rt></ruby>のへりぐあいを見てもすぐわかる。

ゆうべの暮六ツどころではない。この朝、しかも、鰹船が行きあうちょっと以前まで、二十三人の乗組みがひとり残らずこの船にいたという証拠が、はっきりと残っている。

<ruby><rb>外海船</rb><rt>そとうみぶね</rt></ruby>では朝の八ツ半（三時）に夜組と朝組が交替するのがきまりで、夜組は船頭溜りへ入って飯をくって眠る。

艫の釜場に入って見ると、一番<ruby><rb>炊</rb><rt>だ</rt></ruby>きがすんで二番炊きにかかったところと見え、五升釜の下で薪が威勢よく燃え、ちょうど飯は噴きこぼれそうになっている。<ruby><rb>流</rb><rt>ながし</rt></ruby>もとの大笊の中にはきざんだ<ruby><rb>切干</rb><rt>きりぼし</rt></ruby>が水を切ってあり、<ruby><rb>沢庵桶</rb><rt>たくあんおけ</rt></ruby>から<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たくあん</span>を出しかけていたところと見え、<ruby><rb>糠</rb><rt>ぬか</rt></ruby>の中から<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たくあん</span>が半分ほど顔を出している。

船頭溜りのほうへ行って見ると、<ruby><rb>粗木</rb><rt>あらき</rt></ruby>の膳棚の中に食べおわった五人分のめし茶碗が押しかさねられ、長い食卓の上には食べかけになっためし茶碗と椀が四人分、いずれも飯や味噌汁をつけ、それを食べかけていた人間のようすが眼に見えるような位置におかれている。

役人溜りでは、<ruby><rb>夜詰</rb><rt>よづめ</rt></ruby>の同心がちょうど手紙を書きだしたところで、<ruby><rb>巻紙</rb><rt>まきがみ</rt></ruby>に「<ruby><rb>拝啓</rb><rt>はいけい</rt></ruby>、<ruby><rb>陳者</rb><rt>のぶれば</rt></ruby>……」と書きかけ、その<ruby><rb>硯</rb><rt>すずり</rt></ruby>の水もまだ乾いていない……

この船でいったいなにが起ったというのか？

釜場では二番炊きをしかけ、桶から<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たくあん</span>を出しかけたところで、……役人溜りでは手紙を書きだしたところで、……船頭溜りでは交替したばかりの夜組が朝めしを食いかけたところで、……七人の囚人もろとも<ruby><rb>綺麗</rb><rt>きれい</rt></ruby>さっぱりと船から消えてしまった。

船の中は隅から隅まできちんと整頓されていて、闘争があった跡もなければ、騒動のあったようすもない。ついさっきまできわめて平和な日常のくりかえしが<ruby><rb>長閑</rb><rt>のどか</rt></ruby>に行われていたことが、はっきり見てとられる。

時化にでも逢って、やむなく船を見すてなければならなかったか？　先ほども言ったように十七日の夕方までやや強い北西の風が吹いたが、それからは微風つづきのいい凪だった。<ruby><rb>測</rb><rt>はか</rt></ruby>り知られざるなにかの理由で船を見すてなければならなかったとしても、では、どんな方法で船を去って行ったのか。備えつけの二艘の<ruby><rb>艀舟</rb><rt>はしけ</rt></ruby>は<ruby><rb>苫屋根</rb><rt>とまやね</rt></ruby>の両がわに縛りつけられたままになっている。

それにしても、どういう<ruby><rb>火急</rb><rt>かきゅう</rt></ruby>な事情が起って、こうまで<ruby><rb>遽</rb><rt>あわた</rt></ruby>だしく船から去って行かなければならなかったか？　前後の事情からおすと二十三人が船を去ったのは、鰹船が行きあう四半刻にも足らぬ以前のことだったと思われる。

三崎丸の二十三人がほかの船に乗りうつったと考えられぬこともないが、見とおしのきく海の上、そんなら鰹船のほうではチラとでもその船の帆影を見かけていなければならぬはず。ところで、まるっきりそんなものは見ていなかった。

どういう理由かで、三崎丸の二十三人は伊豆田浦岬の地かた二十五六里の沖あいで煙のように消えてしまった。それとも、乗組みがひとり残らず、とつぜん発狂してじぶんで海へ飛びこんでしまったのか？

――これが、文久二年四月十七日、相模灘に起った遠島御用船、三崎丸の事件。

<ruby><rb>百万遍</rb><rt>ひゃくまんべん</rt></ruby>

深川<ruby><rb>千歳町</rb><rt>ちとせちょう</rt></ruby>の水戸さまの<ruby><rb>石置場</rb><rt>いしおきば</rt></ruby>から始まって<ruby><rb>新大橋</rb><rt>しんおおはし</rt></ruby>のたもとまで、三丁の川岸っぷちにそって大小十四棟の<ruby><rb>御船蔵</rb><rt>おふなぐら</rt></ruby>が建ちならんでいる。

地つづきに<ruby><rb>植溜</rb><rt>うえだめ</rt></ruby>があって、ちょうどそこへ通りかかったのは北町奉行所の<ruby><rb>例繰方</rb><rt>れいくりかた</rt></ruby>、仙波阿古十郎とお手付、ひょろりの松五郎。

この仙波、顔つきは人なみだが、顎だけはひどく桁はずれ。出来のいい<ruby><rb>長生糸瓜</rb><rt>ながなりへちま</rt></ruby>のように末広がりにポッテリと長くのびている。よって、阿古に<ruby><rb>濁</rb><rt>にご</rt></ruby>りを打って仙波顎十郎と呼ばれる。

見かけは<ruby><rb>茫乎</rb><rt>ぼうこ</rt></ruby>としてつかまえどころがないが、これで相当の奇才。江戸一の捕物の名人などとおだてあげるものもいる。実際のところはそれほどでもあるまい、たぶん評判だけのことであろう。

ひょろ松のほうは、名は体をあらわし、蚊とんぼのようにひょろりと痩せているから、それで、ひょろりの松五郎。<ruby><rb>洒落</rb><rt>しゃれ</rt></ruby>にもならないが、いたって気はいい。これが顎十郎の<ruby><rb>腰巾着</rb><rt>こしぎんちゃく</rt></ruby>。<ruby><rb>乾児</rb><rt>こぶん</rt></ruby>とも、弟子とも、家来ともいうべき関係。

それはともかく事件も今度の三崎丸ほどになると、とても<ruby><rb>御船奉行</rb><rt>おふなぶぎょう</rt></ruby>の手ではおさめようがない。この月は北町奉行の月番なので、なにとぞよろしくお取調べをと<ruby><rb>取調書</rb><rt>とりしらべがき</rt></ruby>をそえて頼んできた。

十七日の朝、鰹船が三崎の番所へ事件の顛末をうったえでると、番所からは取るものも取りあえず用船を出して取調べた上、江戸まで三崎丸を<ruby><rb>曳船</rb><rt>ひきふね</rt></ruby>してきて当時のままのありさまで船蔵におさめてある。

<ruby><rb>万年橋</rb><rt>まんねんばし</rt></ruby>のたもとに<ruby><rb>御船手組</rb><rt>おふなてぐみ</rt></ruby>の組屋敷と船蔵がある。顎十郎とひょろ松は、いまそれを見てきた帰り。

顎十郎の見たところと鰹船の漁師の見たところと、かくべつ変ったことはない。御船手付から北町奉行所へとどいた取調書のほうがむしろ<ruby><rb>詳</rb><rt>くわ</rt></ruby>しいくらい。なんという手掛りもなく、ぼんやりと御船蔵を出てきた。これから両国の『<ruby><rb>坊主軍鶏</rb><rt>ぼうずしゃも</rt></ruby>』へでも行って昼飯にしようというつもり。

植溜から<ruby><rb>灰会所</rb><rt>はいかいしょ</rt></ruby>のかどを曲って新大橋のたもとまで来かかると、なにを思ったか、顎十郎は、急に口をきって、

「それはそうと、おれは甲府から出てきたばかりの<ruby><rb>山猿</rb><rt>やまざる</rt></ruby>で、船送りなんてえものを見たことがないが、船送りというのは、いったいどんなことをするものだ」

「べつに変ったこともありませんが、たいてい朝の六ツか七ツ半ごろ、囚人を<ruby><rb>伝馬町</rb><rt>てんまちょう</rt></ruby>の牢からひきだして駕籠に乗せ、南と北の与力と同心がおのおの二人ずつ八人がつきそって<ruby><rb>御浜</rb><rt>おはま</rt></ruby>か<ruby><rb>永代橋</rb><rt>えいたいばし</rt></ruby>、さもなければ<ruby><rb>蠣店</rb><rt>かきだな</rt></ruby>か<ruby><rb>新堀</rb><rt>しんぼり</rt></ruby>、そのどこかの河岸まで持って行きますと、御船手からさしまわした送り船がもうそこへきて待っている。与力と御船手が立ちあいの上で、送り帳と人間を照しあわせて間違いがないとなると、<ruby><rb>艀舟</rb><rt>はしけ</rt></ruby>に乗せて品川沖の遠島船へまで送りとどける。……艀舟へ乗せるわずかの暇に見おくりの親子兄弟と名ごりを惜しませるんですが、これがまたたいへんでしてね、流されるほうも送るほうも泣きの涙。眼もあてられない<ruby><rb>愁嘆場</rb><rt>しゅうたんば</rt></ruby>で、送りの同心もつい貰い泣きをすることがあるそうです。……まあ、そのうちに<ruby><rb>竹法螺</rb><rt>たけぼら</rt></ruby>が鳴って囚人は川岸から艀舟へ追いこまれる。……だいたいこれだけのものですが、中には隙を見て海に飛びこもうとする奴もあれば、同心や船頭を斬りころして船を盗んで<ruby><rb>呂宋</rb><rt>ルスン</rt></ruby>まで押しわたろうなんて、えらいことをたくらむ奴もある。<ruby><rb>八丈島</rb><rt>はっちょう</rt></ruby>、<ruby><rb>三宅島</rb><rt>みやけ</rt></ruby>まではわずか四五日の<ruby><rb>船路</rb><rt>ふなじ</rt></ruby>ですが、物騒でなかなか油断が出来ない」

「なるほど。……それで南と北の与力同心は品川沖の親船までおくって行くのか」

「いいえ、そうじゃありません。御浜なり永代橋なりで艀舟へ乗せると、奉行所の手をはなれて御船手役人の手に移るンです」

「よしよし、よくわかった。だいぶ話が面白くなってきたようだ。……まあ、軍鶏でも突つきながら話すことにしよう」

両国広小路の『坊主軍鶏』。ほどのいい小座敷をたのんで軍鶏をあつらえる。

顎十郎は、盃をとりあげてのんびりと口に含みながら、

「なあ、ひょろ松、十五日に島送りになった七人の中に、えらい盗人がいたそうだな」

「へえ、<ruby><rb>伏鐘</rb><rt>ふせがね</rt></ruby>の重三郎といいましてね、<ruby><rb>上総姉崎</rb><rt>かずさあねがさき</rt></ruby>の<ruby><rb>漁師</rb><rt>りょうし</rt></ruby>の伜で、十七のとき、中山の法華経寺へ押入り、和尚をおどしつけて八百両の金をゆすり取ったのを手はじめに、嘉永四年の六月には佐竹の<ruby><rb>御金蔵</rb><rt>ごきんぞう</rt></ruby>をやぶって六千両。安政元年には<ruby><rb>長崎会所</rb><rt>ながさきかいしょ</rt></ruby>から送られた<ruby><rb>運上金</rb><rt>うんじょうきん</rt></ruby>、馬つきできたやつを十人の送り同心もろとも箱根の宮城野ですりかえて一万二千両。……このへんは<ruby><rb>序</rb><rt>じょ</rt></ruby>の<ruby><rb>口</rb><rt>くち</rt></ruby>で、まだまだ後があるンですが、そういうふうに息をひそめていて二年目ぐらいずつにどえらい大きな仕事をする。<ruby><rb>乾児</rb><rt>こぶん</rt></ruby>にまたいっぷう変ったやつがいて、中でもおもだったのは<ruby><rb>毛抜</rb><rt>けぬき</rt></ruby>の<ruby><rb>音</rb><rt>おと</rt></ruby>、<ruby><rb>阿弥陀</rb><rt>あみだ</rt></ruby>の六蔵、<ruby><rb>駿河</rb><rt>するが</rt></ruby>の<ruby><rb>為</rb><rt>ため</rt></ruby>の三人。一日に<ruby><rb>四十里</rb><rt>しじゅうり</rt></ruby>歩くとか、毛抜で<ruby><rb>海老錠</rb><rt>えびじょう</rt></ruby>をはずすとか不思議な芸を持ったやつばかり。手下のかずも五十人はくだるまいというンですが、どうして伏鐘というかというと、まだ若いころ芝の<ruby><rb>青松寺</rb><rt>せいしょうじ</rt></ruby>の<ruby><rb>鐘楼</rb><rt>しょうろう</rt></ruby>の<ruby><rb>竜頭</rb><rt>りゅうず</rt></ruby>がこわれて鐘が落ちたことがある。そのとき重三郎はつれられて行ったやつに、おれは伏鐘の中に入って、お前がポンと手をうつうちに抜けだして見せる。見事ぬけだしたらおれに拾両よこすかと言った。そんなことは出来るわけのもンじゃないが、見事やったらいかにも拾両だそう、で、重三郎を伏鐘の中へ入れ、ポンと手をうつと、そのとたん、重三郎はそいつのうしろに立っていて、おれは、ここにいるよと言ってニヤリと笑ったという、そういう不思議なやつなんです」

「入ったと見せて入らなかっただけのことで、格別びっくりするような<ruby><rb>技</rb><rt>わざ</rt></ruby>じゃねえが、それほどのやつがどういうことでつかまったんだ」

「この正月の三日に<ruby><rb>黒田豊前守</rb><rt>くろだぶぜんのかみ</rt></ruby>の<ruby><rb>下屋敷</rb><rt>しもやしき</rt></ruby>の金蔵を破るつもりで、お廃止になっている青山上水の<ruby><rb>大伏樋</rb><rt>おおふせど</rt></ruby>へ麻布六本木あたりから入りこみ、地面の下を通って芝新堀まで行き、金蔵に近い庭さきへ出たところを見まわりの金蔵番に見つかってつかまってしまったんです」

「それで、だいたいようすがわかった。……すこし話はちがうが、十一人の<ruby><rb>水主</rb><rt>かこ</rt></ruby>船頭の中で、ついこのころ世帯を持ったばかりというような奴はいないか」

ひょろ松はうなずいて、

「ええ、一人おります。楫取の弥之助というのが、ついこの春、<ruby><rb>佃島</rb><rt>つくだじま</rt></ruby>の船宿のお静という末むすめを女房にもらったンですが、これが三年越し思いあったというえらい恋仲。恋女房に恋亭主、ちょっとまともには受けきれねえような<ruby><rb>睦</rb><rt>むつま</rt></ruby>じい仲なんで。……お静の父親の船宿は、石川島の<ruby><rb>人足寄場</rb><rt>にんそくよせば</rt></ruby>と小さな堀をへだてて塀ずりあわせになっているんで石川島へ行った帰りなどによく寝ころがりに行くんで、それでこういう話を知っているんです……」

「おお、そうか。それはそうと、船頭宿では今ごろはさぞたいへんな騒ぎをしているこったろう。お悔みというのも妙なもんだが、どんな騒ぎになっているか、ひとつこれから出かけてみるか」

「金兵衛の宿は千歳町の川岸ッぷちだからつい目と鼻のさき。どうせもういちど御船蔵へもどらなくちゃアならねえのだからちょうど道筋です」

『坊主軍鶏』を出て大川端にそって行き、一ノ橋をわたると、すぐその橋のたもと。

船頭宿の<ruby><rb>常式</rb><rt>じょうしき</rt></ruby>どおり、帆綱や<ruby><rb>漏水桶</rb><rt>あかおけ</rt></ruby>や油灯などが乱雑につみあげられた広い土間からすぐ二十畳ばかりの框座敷になり、二カ所に大きな<ruby><rb>囲炉裏</rb><rt>いろり</rt></ruby>が切ってある。

門口からさしのぞくと、奥の壁ぎわに<ruby><rb>香華</rb><rt>こうげ</rt></ruby>を飾り、十一の白木の位牌をずらりとならべ、船頭の女房やら娘やらが眼をまっ赤に泣きはらしながら百万遍を唱えている。

ヒクヒクと息をひきながら啜り泣いているのもあれば、髪をふりみだして涙びたしになっているのもある。いずれも眼もあてられないようすをしているうちに、たった一人だけ、しんと落着きはらっている女がいる。

ついこのごろ眉を落したばかりと見え、どこか<ruby><rb>稚顔</rb><rt>おさながお</rt></ruby>の残ったういういしい女房ぶり。

ときどき眼へ手を持ってゆくが、それもほんの<ruby><rb>科</rb><rt>しぐさ</rt></ruby>だけ。悲しそうな顔はしているが無理につくったようなところがあって、どうもそのままには受けとりにくい。

顎十郎は、そっとひょろ松の袂をひいて、

「あそこの<ruby><rb>赭熊</rb><rt>しゃぐま</rt></ruby>の女のとなりで<ruby><rb>大数珠</rb><rt>おおじゅず</rt></ruby>をくっているのは、あれは、いったい誰の女房だ」

「あれが、さっきお話した弥之助の女房です」

顎十郎はなにを考えたか、ツイと金兵衛の門口からはなれると一ノ橋をわたって両国のほうへ引っかえし、<ruby><rb>相生町</rb><rt>あいおいちょう</rt></ruby>の『はなや』という<ruby><rb>川魚</rb><rt>かわうお</rt></ruby>料理。座敷へ通って紙と筆を借り、なにかサラサラと書きつけると封をして、

「こいつを、つかい屋にお静のところへ持たせてやってくれ。……それから、お前には頼みがあるんだが……」

「どんなことでございます」

「ちょっと思いついたことがあるから、御船手の組屋敷と伝馬町の牢屋敷へ行って、十九日の朝、島送りの七人をどこの河岸から艀舟につんだか、しっかり念を押して来てくれ。くわしい話はあとでゆっくりする」

海生霊

顎十郎は、遠慮のない口調で、

「……じゃア、サックリしたところをおたずねしますがね、お静さん、あなたのご亭主の弥之助さんは、いったいどこに隠れているんです」

お静は、眼を見はって、

「なにを途方もないことを。……弥之助は、十九日の朝がた、相模灘でゆくえ知れずになってしまいました。つまらない冗談はよしてくださいまし」

「三年も惚れあってようやく一緒になった大切な亭主。かばいだてするのは無理もないところだが、それではかえってためにならない。あなたがいくら隠したってこっちにゃアちゃんとわかっている。……ねえ、お静さん、あなたは弥之助から無事に生きているから心配するなという手紙を受けとったでしょう」

お静は、えッと息をひいたが、すぐさり気ないようすになって、

「なにかと思ったらくだらない。聞いていれば、さっきから妙に<ruby><rb>気障</rb><rt>きざ</rt></ruby>な話ばかり。……貰えるものなら<ruby><rb>冥土</rb><rt>めいど</rt></ruby>からでも、便りをもらいたいぐらいに思っていますが、死んだひとが手紙を書こうわけもなし……」

顎十郎は笑い出して、

「冥土からとどくわけのない手紙を見て、いそいそとここへやって来なすったのはどういうわけ。……こいつア、すこし理屈にあわねえようだ」

と言って、真顔になり、

「……遠島船のホマチといって、<ruby><rb>島流人</rb><rt>しまるにん</rt></ruby>の親兄弟にたのまれて、米味噌やら<ruby><rb>金子</rb><rt>きんす</rt></ruby>やら、御船手役人の眼を盗んでそっと島々の囚人におくりとどけ、また御法度の文づかいをして双方から莫大な礼をとる。これが<ruby><rb>露顕</rb><rt>ろけん</rt></ruby>すれば船頭一同は百たたきの上、ながの遠島、女房子供は江戸かまえ。……そういう弱味につけこまれて、心ならずも伏鐘一味のいうことをきくようになったのだろうが、それにしちゃアやりかたがすこし派手すぎた。……せいぜいうまく仕組んだから、三崎丸の金兵衛以下役人囚人もろとも二十三人、相模灘の沖で煙のように消えてしまったと立派にごまかしおえたと思っているのだろう。世間の眼はそれでくらまされようが、わたしはそんなことでは欺されない。二十三人ひとり残らず、みな生きていることを知っているんだ。……伏鐘一味におどかされ、船頭一同としてはもう逃れぬところと腹をきめて、三崎丸を明けわたし、自分たちは四月十九日に相模の海で死んだことにして、一生、身を隠して暮らすつもりだろうが、その了見はせますぎる。重いといっても多寡が遠島。今のうちに自分から名のって出りゃアお慈悲ということもあります。余計なことのようだが、これはわたしの親切。かりに身を隠すにしたところが、死ぬまで隠れおおせるというわけにはゆかない。いずれはお上の手にかかる。そんならば、いっそ今のうちに名のって出たほうが、まず身のため。お静さん、<ruby><rb>納得</rb><rt>なっとく</rt></ruby>が行きましたか」

お静は、肩をふるわせてきいていたが、矢も<ruby><rb>楯</rb><rt>たて</rt></ruby>もたまらなくなったように畳に両手をつき、

「いろいろと、ご親切、さまざまにご理解くださいましてありがとうございました。……おっしゃる通り、日本の中にいるからはどのみち一生かくれ通すというわけにはゆきません道理。お言葉のように、さっそく名乗って出るようにすすめます」

顎十郎はうなずいて、

「あたしも、そのほうがいいと思うんだ。なんと言ってもこれだけ世間を騒がしたのだし、七人の囚人と御船手役人が<ruby><rb>束</rb><rt>たば</rt></ruby>になって行方知れずになったということでは、お上でもそのまま捨ててはおきません。今のうちに名のって出て、伏鐘の一味におどかされ、つい、よんどころなくと申立てれば、いくらか罪は軽くてすむでしょう。……それはそうとお静さん、弥之助さんの手紙はだれが持って来ました」

「石をつつんで塀越しに庭さきへ投げこんでありました」

顎十郎は、なにかちょっと考えてから、

「これでだいたい話はすんだが、ひとつ、あなたのご亭主の弥之助さんが今どこにいるか当てて見ましょうか」

「えッ」

「ところは江戸のうち。……水に縁のあるところ。中洲でもなし川岸でもなし、と言って品川の砲台でもない。すると、これは島ですな。江戸に島と名のつくところは、そう数はない。越中島、……佃島……それから石川島……。と、言ったってそんなびっくりした顔をなさらなくともよござんす。……江戸のうちでお上の袖がこいの中につつまれて安穏に世を忍べるところといえば、まず、さしずめ牢屋敷。……が、このほうはよっぽど罪を犯さなくてはかなわない。なにとぞお願い申しますと言ったって入れてくれない。……ところで、石川島の人足寄場のほうは、ちょっと<ruby><rb>上役人</rb><rt>かみやくにん</rt></ruby>をいためつけ、おれは江戸無宿だからどうともままにしてくれと言ってひっくりかえれば、即座に島へぶちこんで、けっこうな手仕事をさずけてくれる。入ったが最後なかなか出られないが、そのかわり、ここならばまずぜったいお上の風も吹きつけない。灯台もと暗しとはこのこと。伊豆の田浦岬の二十四五里の沖あいで行きがた知れずになった十一人の片われが、まさか石川島の人足寄場にいるとは思わない。その気にさえなれば、こんな<ruby><rb>安気</rb><rt>あんき</rt></ruby>なところはない。いわんや、恋女房が住んでいる家とは堀ひとつへだてた背中あわせ。あなたに惚れぬいている弥之助さんとしちゃア、こんな楽しい隠れ場は探そうたってほかにはありはしない。……どうです、当りましたか」

お静は顔を染めて、

「でも、まあ、どうして、そんなことまで」

「それは<ruby><rb>積</rb><rt>つも</rt></ruby>っても知れましょう。聞けば、あなたの家は人足寄場のすぐ塀外。手紙を石につつんで投げこめるところといったら、まず人足寄場のほかはない。言うに落ちず語るに落ちるとは、この辺のところを言うのでしょう」

お静がしおしおと帰って行って、すこしたってからひょろ松がもどって来た。顎十郎はすわるのも待たずに、

「ひょろ松、十五日の朝、島おくりの囚人は二カ所の川岸から艀舟に乗ったろうな」

ひょろ松は眼をむいて、

「阿古十郎さん、あなた、どうしてそれを」

「どうしてもこうしてもありはしない。そうででもなければ、この件はどうしてもウマがあわないからだ」

「伝馬町の送り同心は<ruby><rb>蠣店</rb><rt>かきだな</rt></ruby>でわたしたといい、御船手役人のほうは永代橋でうけとったとこういうンです。……渡したほうとも受けとったほうとも嘘はないンだから、すると、どちらかが偽の囚人で、どちらかが偽の船手役人でなけりゃアならないということになる」

「まあ、その辺のところだ」

顎十郎は、例によってぼんやりとした顔つきで、

「これでなにもかにもわかったから、この事件のアヤをほぐして見ようか。……おれが最初、三崎丸の話を聴いたとき、二十三人もの人間が海の上で雲散霧消するなんてことはあるべきいわれがないと思った。……人間が煙のように消えるわけはなく、また船からぬけた証拠がないとなると、これは始めっからだれも三崎丸に乗ってはいなかったのだとかんがえるほかはない。とすると、どうして船がひとりで相模灘まで流れて行った？……しかし、まアこのほうはわけはなかろう。御船蔵につないでおいた<ruby><rb>安宅丸</rb><rt>あたけまる</rt></ruby>が、鎖を切ってひとりで三崎まで流れていったためしもあるんだから、ちょっと細工さえすりゃア<ruby><rb>雑作</rb><rt>ぞうさ</rt></ruby>なくやれそうだ。……お前も知っている通り、十五日は朝から夕方にかけて、かなり強い<ruby><rb>西北</rb><rt>にしきた</rt></ruby>の風が吹いた。大帆をかんぬきがけにして舵をしっかりと楫床へくくりつけ、追風に吹かせて<ruby><rb>真南</rb><rt>まみなみ</rt></ruby>へつっぱなせば、船はひとりでに相模灘へ出て行く、まかり間違って伊豆の岸へでもぶっつかって沈んだら、それはそれで結構。……ここまではわかったが、むずかしいのは、丸一日半をおいた十七日の朝、つまり鰹船の漁師が乗りうつったときに、釜場の<ruby><rb>竈</rb><rt>へっつい</rt></ruby>の下に火が燃え、二番炊きの飯が噴きこぼれそうになっていたというこの一点だ、……これにはおれも頭をひねった。油灯のほうは、たっぷり菜種油を入れてさえおけば、二日や三日は燃えつづける。そのほうはいいが、どうしても飯のほうだけがわからない。……しかし、それだって、そのカラクリを見やぶるのはさほど手間はかからなかった。……それというのは、役人溜りにあったあの手紙。現にあった墨を巻紙の端へなすってよく調べて見ると、これが、まるっきり墨色がちがう。……別なところで書いたものを、わざわざ机の上に出しておいたのだということがわかる。すると<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">へっつい</span>の火のほうも、かくあるようにと始めからたくらんだ仕事だということが察しられる。……なんのつもりでこんな手の混んだことをしなければならなかったかと考えて見ると、船がフワフワ海の上を漂っているのを拾われるとしたら、それからそれと察しられて、はじめから誰もこの船に乗っていなかったということがすぐさとられる。それでは大きにまずいから、たった今まで二十三人の人間が残らず船にいたように見せかけなくてはならない。そのためには一日ぐらいたってから竈のめしが煮えだすように細工をしておけば、いかにもいままで二十三人の人間が残らず船にいたようにも見えようという。……これがむこうのつけ目なんだ。……このほうは、これで、だいたい見当がついたから後まわしにして、もういちど先にかえすと、十五日の朝、伏鐘の一味が与力か同心に化けて伝馬町の牢屋敷に行き、永代橋でお受けわたしするはずだったが、急に蠣店にかわったから、ちょっとおとどけすると言って帰る。伝馬町のほうではそのとおり信じて蠣店へ持って行くと、そこへちゃんと御船手役人が来ているから疑う気もなく七人の囚人をそれに渡す。言うまでもなく、この御船手役人は伏鐘の一味……いっぽう御船手役人のほうは、手はずどおり、永代橋で待っていると、送り役人がついて七つの<ruby><rb>軍鶏籠</rb><rt>とうまる</rt></ruby>が来たから送り帳に照しあわせて七人を受けとり、これを艀舟に積む。このほうは、送り役人と七人の囚人が伏鐘の一味。……蠣店で受けとった七人のほうには問題はない。手近なところから岸へあげて、どこかへ逃がしてしまったのだろうが、身替りになった七人をそのまま<ruby><rb>八丈島</rb><rt>はちじょうじま</rt></ruby>までつれて行かれては大きに<ruby><rb>不都合</rb><rt>ふつごう</rt></ruby>。そこで芝浦へんに先まわりをしていて船で追いかけ、取りしらべたところ、その七人は偽物であるによって、どうか一緒にひきかえしてもらいたいと言って、役人を船ぐるみ、どこかへ引きずりこみ、ふん縛って押しこめちまった」

ひょろ松はうなずいて、

「なるほど、そういうわけだったら、いかにも筋が通ります。そのほうはよくわかりましたが、それで、船頭のほうはどうなンです。そう闇やみと騙されて船からおりるということもありますまいが」

「おれはこの話を聴いた最初から、船頭どもが<ruby><rb>同腹</rb><rt>どうふく</rt></ruby>でなければ出来ぬ仕事だと思っていた。そこでいろいろかんがえて見ると、遠島船にはむかしから弱い尻がある。この急所をおして、いやだと言うなら訴えでると言やア船頭を船からおろすぐらいのことは雑作なく出来そうだ、とそう考えた。それで金兵衛の船頭宿でお静だけが悲しそうな顔もしていないのを見たとたん、十一人のうち、少なくとも弥之助だけは江戸にいるという見こみがついたわけだ」

「そううかがえば、いかにもそう。……それで、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">へっつい</span>にかけた釜のめしが煮えかけていたというのはどういうのです」

「それだって煎じつめればわけはない。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">へっつい</span>の火皿を二段に組んで、上の段には<ruby><rb>附木</rb><rt>つけぎ</rt></ruby>と薪をのせ、中の段には、ちょうど一日か一日半もえるだけの硫黄の塊に火をつけてのせ、下の段には、<ruby><rb>焔硝</rb><rt>えんしょう</rt></ruby>と<ruby><rb>炭粉</rb><rt>すみこ</rt></ruby>をつめておく。硫黄が燃えきって火皿の目から下へ落ちると、その火が焔硝にうつって、たちまち薪に燃えつくという仕掛けだ」

と言って、ニヤリと笑い、

「これは、おれの智慧でもなければ、伏鐘の智慧でもない。信玄の『陣中<ruby><rb>遠狼煙</rb><rt>とおのろし</rt></ruby>の法』といって、うかつには行けない山の頂上などに仕掛けた狼煙を、こちらが思うころにひとりでに挙げさせようというとき、むかしさんざ使われていた古い<ruby><rb>術</rb><rt>て</rt></ruby>なんだ」