Soranoha

予言

よげん

久生 十蘭

安部忠良の家は十五銀行の破産でやられ、母堂と二人で、四谷谷たに町の陽あたりの悪い二間きりのボロ借家しゃくやに逼塞していた。姉の勢以せい子は外御門そとみかどへ命婦みょうぶに行き、七十くらいになっていた母堂が鼻緒の壺縫いをするというあっぷあっぷで、安部は学習院の月謝をいくつもためこみ、どうしようもなくなって麻布中学へ退転したが、そこでもすぐ追いだされ、結局、いいことにして絵ばかり描いていた。

二十歳になって安部が襲爵した朝、それだけは手放さなかった先考せんこうの華族大礼服を着こみ、掛けるものがないのでお飯櫃はちに腰をかけ、「一ノ谷」の義経のようになって鯱しゃちこばっていると、そのころ、もう眼が見えなくなっていた母堂が病床から這いだしてきて、桐の紋章を撫で、ズボンの金筋にさわり、

「とうとうあなたも従五位になられました」

と喜んで死んだ。

安部は十七ぐらいから絵を描きだしたが、ひどく窮屈なもので、林檎しか描かない。腐るまでそれを描くと、また新しいのを買ってくる。姉の勢以子は不審がって、

「なにか、もっとほかのものもお描きになればいいのに」

といい、おいおいは気味悪がって、

「林檎ばかり描くのは、もう、やめてください」

と反対したが、安部がかんがえているのは、つまるところ、セザンヌの思想を通過して、あるがままの実在を絵で闡明せんめいしようということなので、一個の林檎が実在するふしぎさを線と色で追求するほか、なんの興味もないのであった。

安部は美男というのではないが、柔和な、爽やかな感じのする好青年で、一人としてこの年少の友を愛さぬものはなかった。仲間の妹や姪たちもみな熱心な同情者で、それに、われわれがいいくらいに嗾けしかけるものだから、四谷見附や仲町あたりで待伏せするようなのも三人や五人ではなく、貧乏な安部のために進んで奉加につきたいのも大勢いたが、酒田忠敬の二女の知世ちよ子が最後までねばりとおして、とうとう婚約してしまった。

酒田はもとより、知世子自身、生涯に使いきれぬほどのものを持っているので、そちらからの流通で安部の暮しもいくぶん楽になり、四年ほどはなにごともなく制作三昧の生活をつづけていたが、安部が死ぬ年の春、維納ウィーンで精神病学の研究をしていた石黒利通が、巴里のヴォラールでセザンヌの静物を二つ手に入れ、それを留守宅へ送ってよこしたということを聞きつけた。

セザンヌは安部にとって、つねに深い啓示をあたえる神のごときものであったから、そうと聞きながら参詣せずにおけるわけのものではない。紹介もなく、いきなり先方へ乗りこむと、石黒の細君が出てきて、

「まだ、どなたもごぞんじないはずなのに」

と、ひょんな顔をしたが、こだわりもせずにすぐ見せてくれた。

一つは陶器の水差とレモンのある絵で、一つは青い林檎の絵であった。画集ではいくども見たが、ほんものにぶつかったのははじめてなので、これがセザンヌのヴァリュウなのか、これがセザンヌの青と黄なのか、物体にたいする適度の光、じぶんと物体の間にあるなんともいえぬ空気の適度の量、セザンヌが好んだといわれる曇り加減のしっとりとした午後の光線までありありと感じられ、ただもう恐れいるばかりだった。

それ以来、安部は石黒の留守宅に入りびたっているようだったが、むかしの待伏せ連が、「安部さんも案外ね」というようなことをいいだすようになった。安部が石黒の細君とあやしいというのだが、どうしたいきさつからか、石黒の細君がヴェロナールを飲んで自殺するという大喜利おおぎりが出、それを毎夕新聞が安部の名と並べて書きたてたので、だいぶうるさいことになった。

いちど安部に誘われてその絵を見に行き、石黒の細君なるものに逢ったが、臙脂えんじの入った滝縞のお召に古金襴の丸帯をしめ、大きなガーネットの首飾をしているというでたらめさで、絵を見ているわずかな間に酒の支度が出来、

「お二人とも、きょうは虜とりこよ」

などと素性の察しられるようなことをいいながら椅子に押しつけると、安部の手をひっぱったり、しなだれかかったりして、しきりに色めくのだが、安部はすうっとした恰好で椅子に掛け、飲むでもなく飲まぬでもなく、ゆったりと笑っている。石黒の細君は焦じれたのか照てれたのか、いきなりわっと泣きだし、なにかいいながらむやみに顔をこするので、鼻のあたまや頬がひっぱたかれたように赧あかどす色になった。もともと眉が薄く、眼がキョロリとしているので、上野の動物園にいたオラン・ビン・バタンという赤っ面の猿そっくりの面相になり、とても見られたざまでない。手も足も出るどころか、どんなものずきな男でも、懐手でごめんをこうむってしまうだろうという体裁だった。

石黒の細君とのとやかくのいきさつについては、安部は、「べつに、なにもなかった」というだけで弁解もしなかった。知世子は健康で美しく、知世子はべつにしても、そういう種類の情緒なら、安部の周囲にありあまるほどある。雪隠せっちんでこっそりと饅頭を食うようなケチなことをしないのが安部の本領なので、おおよそ考えたって、世間でいうようなものでないことは、安部を知るくらいのものはみな承知していた。石黒の細君の自殺もへんなもので、嫌われたぐらいで突きつめるような人柄とも見えない。そのころ、石黒はシベリヤの途中まで来ていたが、それが日本へ帰りつく前に安部を陥落させようと、あれこれ手管をつくしているうちに、ついお芝居に身が入りすぎたというようなことだったのだろう。

それから十日ほどして石黒が帰ってきた。一面、洒脱で、理財にも長たけ、落合にある病院などもうまくやり、理知と世才に事欠くように見えなかったが、内実は、悪念のさかんな、妬忌ときと復讐の念の強い、妙に削そげた陰鬱な性情らしく、新聞社へ出かけて行って安部の讒訴をしたり、なんとかいう婦人雑誌に、「自殺した妻を想う」という公開状めいたものを寄稿し、安部が石黒の細君を誘惑したとしかとれないようないいまわしをするので、世間では、なにも知らずに安部を悪くいうようになった。

酒田は腹を立てて告訴するといきまいたが、なんといっても、亭主の留守へ入り浸ったという一条があるので、強いことばかりもいえない。それで、仲間と伯爵団の有志が会館へ集まっていろいろ相談した結果、このままでは、懲罰委員会というようなことにもなりかねないから、いっそ早く結婚させて、二人をフランスへでもやってしまえということになり、式は十一月二十五日、日比谷の大神宮、披露式は麻布の酒田の邸でダンス付の晩餐会、船は翌二十六日横浜出帆の仏国郵船アンドレ・ルボン号と、ばたばたときまってしまった。

結婚式の前日、維納から帰ったばかりの柳沢と二人でいるところへ、安部がモネのところへ持って行く紹介状をとりにきて、しばらくしゃべっていたが、思いだしたように、

「石黒って奴はえらい予言者だよ。僕は今年の十二月の何日かに、自殺することにきまっているんだそうだ」

と面白そうにいった。

前日、石黒から手紙がきたが、それが蒼古たる大文章で、輪廻りんねとか応報おうほうとかむずかしいことをながながと書いたすえ、つらつら観法かんぽうするところ、お前は何日に西貢サイゴンへ着くが、その翌日こういうことがある。何日にはジプチでこういうことが起る。何日にはナポリでこういうことをするが、その場の情景はこうと、アンドレ・ルボン号が横浜を出帆する日から向う何十日かの毎日の出来事を、そのときどきの会話のようすから、天気の模様までを眼で見るように委曲をつくし、トド、なにかむずかしいいきさつののち、安部が知世子と誰かを射ち殺し、その拳銃で安部が自殺する段取りになっていると、予言してよこしたというのには笑った。

「なにを馬鹿な、でたらめをいうにもほどがある。摩訶止観まかしかんとか止観十乗じょうとかいって、観法というのはむずかしいものなんだ。静寂な明智をもって万法を観照するというから、一種の透視のようなものだが、そんなことが出来たのは増賀ぞうがや寂心じゃくしんの頃までで、現代には止観文もんを読めるようなえらい坊主は、一人だっていやしないよ。どうして石黒のような下愚げぐが」

と、いきまくと、安部は出来るなら和解したいと思って石黒を披露に招んだが、それがかえって気に障ったのかもしれないといった。

柳沢は煙草をふかしながら聞いていたが、

「寂心や増賀のことは知らないが、ダニエル・ホームのようなやつなら、欧羅巴にうようよしているぜ」といいだした。

「いま石黒の話が出たようだが、石黒には、前にこんな話があるんだ。墺太利の代理公使をしていたカレルギー伯爵と結婚して墺太利へ行った、れいのクーデンホフ光子夫人ね、あのひとが維納の近くに住んでいるが、そこへよく日本人が集まる。テニスのデヴィス・カップ戦がすんだあと、S選手と女流ピアニストのTがベルリンから遊びに来ていたところへ石黒がやってきたら、SとTが顔色を変えて石黒をやっつけはじめた。なんでも、Tの友達の女のひとに、石黒が悪いことをしたというんだが、あまりこっぴどくやっつけるので、光子さんが見かねて仲に入ったくらいだった。それから間もなく、Tがベルリンでくだらない交通事故で死んでしまった。見ていた人の話だと、止れの標識が出ているのに、夢遊病者のようにふらふらと前へ出てやられてしまった。あまりわからない話なので、一時は自殺だという評判が立ったくらいだ。その翌年だよ、日本へ帰る途中、なんの理由もなく、Sがマラッカ海峡で船から投身したのは」

「えらいことをいいだしたね。二人がへんな死に方をしたのが、石黒に関係があったというわけなのか」

「さあ、どうかね。僕はただ石黒が、動物磁気学のベルンハイムの弟子だったことを知っているだけだ……しかしまあ、どういうんだろう。話はとぶが、ロマノフの皇室をひっかきまわした、れいのラスプーチンね。あれはメスメルの弟子なんだが、あいつを排斥しようとたくらんだやつは、みんなへんな自殺をしているんだ。宮廷だけでも、十人はいたそうだ」

「他人の心意を、勝手に支配出来る能力が存在するというのは、愉快じゃないな。でも、そういう心霊的な力が、ほんとうにあり得るのだろうか」

「あり得るんだよ。のみならず、そういう人間は、それくらいのことは、わけなくやれるので困るんだ。僕はシャルコーやベルンハイムのことを調べたから知っているが、それがどういうものだと、理解のいくように語りわけることはいるまい。信じられない人間は、信じなくともかまうことはない。SやTの場合だけでも、まぎれもなく、そういうことが現実にあったのはたしかだ」

翌日、三時過ぎに式が終って、二人は麻布の邸へひきあげたが、四時から披露式がはじまるので、知世子は美容師が待っている部屋へ着換えに行った。安部は一人で居間にいると、四時近くになって、小間使が松濤の石黒さまからといって、金水引をかけたものを持ってきた。四寸に五寸くらいのモロッコ皮の箱で、見かけに似ず、どっしりと持ち重りがする。なんだろうと明けてみると、コルトの二二番の自動拳銃が入っている。まったく、いやはやというほかはないので、どんな顔で石黒が水引をかけたろうと思うと、くだらなくて腹を立てる気にもなれない。御厚意は十分に頂戴したからと、礼状をつけて小包で送り返してやろうと考えているところへ、知世子が入ってきた。びっくりさせるにもあたらないから、それをそっとズボンのヒップへ落しこみ、そのうちに時間が来たので、階下へ降りた。

玄関を入ると、正面のリンブルゴの和蘭焼の大花瓶に、めざましく花をつけた薔薇の大枝を一と抱えほども投げ込みにし、その前に安部と知世子が立ってニコニコ笑いながら出迎えをしていた。そこへ酒田が来て、二人のほうを顎でしゃくりながら、

「なかなかいいじゃないか」

と自慢らしくいう。大振袖を着た知世子も美しいが、燕尾服を着た安部も見事だ。安部を知世子にとられたとも思わないが、やはり忌々しい。

「これゃ、ちょっと口惜しいね」

すると後にいた松久が、

「あまり、いい気になるといけないから、すこし、たしなめてやろう」

といって知世子のところへ行った。

「知世子さん、安部を一人でとってしまった気でいては困るよ。あなたには、いろいろ怨みがかかっているんだ、男の怨みも女の怨みも……気をつけなくっちゃいけない」

知世子は、ええ、それはようく承知していましてよ。もう、さんざどやされましたわ、と、うれしくてたまらないふうだった。

二人は五時頃まで玄関に並んで、出迎えをしたり祝詞を受けたり、華々しくやっていた。そのうちにホールで余興がはじまり、おもだったひとも来つくしたようなので、脇間に集まっている女子部時代の仲間に知世子をひきわたし、安部はホールへつづく入側いりがわになった廊下のほうへ歩いて行った。

一方は広い芝生の庭に向いた長い硝子扉で、一方はホールの窓がずうっとむこうへ並び、そこからシャンデリアの光があふれだしている。暮れ切ったが、まだ夜にならない夕なずみの微妙なひとときで、水色に澄んだ初冬の暮れ空のどこかに、夕焼けの赤味がぼーっと残っている。樹のない芝生の庭面にわづらの薄明りに溶けこみ、空と大地のけじめがなくなって、曇り日の古沼のように茫々としている。はかない、しんとした、妙に心にしむ景色だった。安部は眠いような、うっとりとした気持で、人気のない長い廊下を歩いていると、ふいに眼の前に人影がさした。おどろいて右へよけようとすると、むこうも右へよける。反対に動くと、むこうもそっちへ寄る。二、三度、ちんちんもがもがやっているうちにたがいに立ちすくんで睨みあうようなかたちになった。

こんな羽目になると、たいていなら、やあ、失礼とかなんとかいって笑いほぐしてしまうものだが、相手はひどく機嫌を損じたふうで、むっとこちらの顔ばかりねめつけている。窓と窓との間の、薄闇のおどんだツボに立っているので、あいまいにしか見えないが、眼の強い、皮肉らしい冷やかな感じのする、とりつき場のない男だ。安部は気むずかしいやつだと思ったが、その瞬間、これは石黒だなと直感した。

石黒なら、これくらい渋味を見せても、ふしぎはないわけだが、明日、日本を離れるのだから、和解出来るものなら和解しておきたい。石黒がなにかいいだしたら、すまなかったくらいのことはいうつもりでいたが、石黒は狭く依怙地になっているとみえて、和やわらぐ隙をくれない。しょうがないので、失礼だが、石黒さんではありませんかと切りだしかけると、ちょうどむこうもなにかいいかけ、こちらがひかえると、むこうもひかえる。そんなことをやっているうちに、気がさすと、もういけない。キッカケをとちった芝居で、まずい幕切れになった。

安部は気持にひっかかりを残したままホールへ入ると、ちょうど余興のかわり目で、十二聖徒の彫刻をつけたエラールのハープがステージにおし出され、薄桃色のモンタントを着た欧州種らしい二十五六の娘が、いいようすでハープを奏きだした。うしろの椅子に正親町と松久がいたので、その間に割りこんで古雅な曲をきいていると、どうしたのか、あたりが急に森閑として、なんの物音も聞えなくなった。安部は、淋しいなとつぶやいていると、ステージの端のほうへ裃かみしもを着た福助がチョコチョコと出てきて、両手をついてお辞儀をした。安部は、

「おや、福助さんが出て来た」

とぼんやり見ていたが、こんなところへ福助などが出てくるわけはない。きょうはよほど疲れているなと思って、しばらく息をつめていると、間もなく福助はいなくなり、へんに淋しい感じもとれた。

老公のテーブルスピーチなどがあり、賑々しく派手な晩餐会で、八時からホールでダンスがはじまった。十二時すぎにそれも終り、みなを送りだして二階の居間へひきとったのは、もう一時近くだった。知世子は疲れたようなようすもなく、幸福でしょうがないというふうに、安部の胸へ顔をおしつけたりしてから、いそいそと着換えの手伝いをはじめたが、ズボンに入っていた拳銃を見つけると、顔色を変えて安部のほうへふりかえった。安部は言訳をしようとしたが、こんなものを石黒が送ってよこしたなどとは申せない。結婚式の夜、新郎のズボンのヒップに、拳銃が入っているなどというのは平凡なことではないから、説明はむずかしい。これは弱ったと思ったら、安部の顔色も変った。知世子は利口だから、なにもたずねなかったが、明るかるべき大切な初夜に、それで暗い翳かげのようなものを残した。

アンドレ・ルボン号は真白に塗った一万六千噸の優秀船で、ポール・クローデル大使が同じ船でフランスへ帰るので、にぎやかな出帆だった。夕方、チャイム・ベルが鳴ったので、食堂へ出ると、一等の日本人は安部と知世子の二人きりで、食卓はチンダルという墺太利オーストリア公使館の書記官と、マカオの名家だというフェルナンデスという若い葡萄牙ポルトガル人の四人の組合せになっていた。夫婦も、とりわけ新婦ということになると、水入らずで二人が組みあうようにはからうのが普通だが、婦人客の少ない航海だったので、知世子のような若い美しい夫人を、亭主だけに独占させておくのは公平でないと、事務長は考えたのかも知れない。チンダルは墺太利の古い貴族だそうだが、いつも固いカフスをつけている作法のやかましいやつで、話といえば宗教論ばかり。フェルナンデスのほうは、揉上げを長くし、洒落たタキシードを着、うるんだような好色じみた眼をもったジゴロ風の色男で、立つにも坐るにもうやうやしく知世子の手に接吻し、支那からマカオをひったくったアルヴァーロ・フェルナンデスは私の大祖父で、銅像は、いまもマカオにあります、などと愚にもつかぬことを口走るので、安部は最初の一日から食慾をなくしてしまった。

外国船の生活は、一人で孤独を楽しむようなことは絶対に許さない、念入りな仕組みになっているもので、九時の朝食にひきつづいて十一時のビーフ・ティ、一時の昼食、三時のアイスクリーム、五時のお茶、七時のアペリチフ、八時の正餐、十時のディジェスチフと、一日に二十四品目もおしつけられるのに、酒場の交際、ポォカァ、デッキゴルフ、カクテル・パァティ、日曜日の弥撒みさ、ティ・ダンス、サパァ・ダンス、運動競技、福引と、手を代え品をかえ、出席しないと、事務長から催促の電話がくる。知世子のほうはたいへんで、西貢を出帆した夜、船長のアトホームに敬意を表して和服で出たら、これが大喝采で、以来、ティ・ダンスにもサパァ・ダンスにも義務のようにひっぱりだされ、午後と夜は、ほとんどラウンジか舞踊室で暮し、安部とはたまに食堂で顔が合うくらいのものであった。

船はマラッカ海峡からまだ荒れ気味の印度洋へ入ったが、安部は馴れない暑さで弱っているところへ、印度洋の長いうねりにやられて不機嫌になり、アンドレ・ルボンというちっぽけな枠にはまった社交と、一日中、鏡の上に坐って、人から見られる自分の姿ばかり気にしているような生活が、我慢のならぬほどうるさくなり、船酔いを口実にして食堂へ出ず、船室に籠って、汗もかかずに端然と絵ばかり描いていた。

欧洲航路の外国船には、婦人帽子商とか婦人小間物商とかと名乗り、高級船員や乗客のそのほうの御用をうけたまわる女たちがかならず二人や三人は乗っているものだが、コロンボを出帆する頃から、船の社交というものがそろそろ正体をあらわしかけ、そういう婦人連が二等からやってきて、公然とダンスにまじり、西貢から乗ったあやし気なフランス人が、徒党を組んで、朝から甲板で、アブサントをあおるという狼藉ぶりになった。

コロンボを出帆してから三日目の明け方、安部がふと眼をさますと、そばに寝ているはずの知世子がいない。となりの化粧室にでもいるのかと見てみたが、そうでもない。待っていたが帰って来ないので、水を一杯飲んで寝てしまった。翌朝、起きだしてからたずねると、知世子は、

「どこへも行きはしなくってよ。夢でもごらんになったんだわ」

と笑い消してしまった。昨夜、水を飲んだコップが夜卓の上にある。夢であるはずはなかったが、言い張るほどのことでもない。しかし、へんな気がした。

ジプチへ入港したのは十二月の二十四日だった。ジプチはいかにもアフリカじみた、暑い殺風景な港だったが、長い航海にみな飽きあきしていたので、船でレヴェーヨンをしたのは、ほんの老人組だけで、乗客のほとんど全部が、夕方から上陸して、ホテルへ騒ぎに行った。

知世子も事務長達といっしょに町へ行ったが、朝の五時頃、前後不覚に泥酔して、フェルナンデスに抱えられて帰ってきた。靴はどこへやったのか跣足で、ソワレの背中のホックがはずれて白い肩がむきだしになり、首から胸のあたりまで薄赤いみょうな斑点がべた一面についている。安部は礼をいってフェルナンデスにひきとってもらったが、いくら安部でも、蕁麻疹だろうか、蚤の痕だろうかなどと、見当ちがいするほど単純でもない。蚤は蚤でも、タキシードの襟にカーネェションの花をつけた大きな蚤なので、安部もむっとしないわけではなかったが、西洋の女蕩しというものは、どれほど執拗で抜目がなく、そういうものにたいして、日本の女性がいかに脆く出来ているかということも承知している。こんな結構なエピキュールの園に四十日もいたら、頭のしっかりした人間でも、いくらか寸法が狂ってくるのは当然なことで、つまりは、こういう、いかがわしい習俗の中で暮すようになっためぐりあわせが悪いのだと、無理やり、そこへ詮じつけた。

地中海へ入ると、急に温度が下った。海の形相がすっかり変って、三角波が白い波の穂を飛ばし、ミストラル気味の寒い尖った風が、四十日目の惰気をいっぺんに吹きはらってしまった。安部は急に食慾が出て、久し振りに食堂へでかけて行くと、半白の上品な顔をした給仕長が安部を見るなり、給仕の一人になにかささやいてから、安部のところへ来て、

「只今、只今」

と、うろたえたようにいった。見ると、いまささやかれた給仕が、隅の補助卓にナップを掛け、食器を並べ、おおあわてに安部の食卓をつくっている。なるほど、食卓の組合せが変って、チンダルは大卓へ移り、知世子とフェルナンデスが奥の二人卓ににんたくで向きあって食事をしている。つまるところ、ここにはもう安部の食卓はないというわけなのであった。

奥の二人は気がつかなかったが、食堂にいる人間はみなフォークの手を休め、たがいに眼配せをしながら、入口に突っ立って食卓の出来るのを待っている安部をくすぐったそうに見、おゆるしが出るなら、いつでも噴きだしますといった顔つきだった。そのうちに知世子が気がつき、急に立ち上がろうとしたが、フェルナンデスは行くほどのことはないというふうに、腕をとってひきとめるのが見えた。

安部はそのまま船室へひきとったが、考えてみると、毎日、むっつりと絵ばかり描いていて、そうなるように、知世子をむこうへ追いやった形跡もないではない。フェルナンデスなどというもくぞうは、どうなったってかまうことはないが、なるたけ、知世子を傷つけずにすむような解決にしたいと思った。

それで、頃合いをはかってバァへ行ってみると、知世子は奥の長椅子にフェルナンデスと並んで掛け、相手の肩に手をかけて、なにかしきりにかきくどいている。安部は痩せて小さくなった知世子の顔を見ると、思ったよりみじめなことになっているらしくて、知世子がかわいそうになった。

安部が二人のそばへ行くと、知世子はあげた眼をすぐ伏せ、観念したように身動きもしない。フェルナンデスは椅子から立ちあがると、微笑して腰をかがめ、病気はもういいのか、印度洋と紅海の暑さには、誰でもやられる、というようなことをいいながら、白い歯を見せ、流し眼をつかい、口髭をひねり、こういう種類の女蕩しが、当然、果すべき科しぐさを、残りなく演じてみせた。安部は、

「あなたがいてくれたので、家内が退屈しないですみました。どうもありがとう」

と礼をいうと、フェルナンデスは、明日、ナポリへ着いたら、世界的に有名なカステル・ウォヴォ(卵の城)の魚料理へご案内しようと、いま奥さんに申しあげていたところですが、あなたもご一緒に、いかがですかと誘った。

翌日、午後二時頃、カプリを左に見ながらナポリ湾へ入った。出帆は七時だというので、大急ぎで上陸し、暑いさかりのカンパーニャ平原を自動車で飛ばしてヴェスヴィオの下まで行き、またナポリへ戻って、急傾斜の狭い町々を駆けまわってから、海へ突きだした古い城壁のある、島の生臭い屋台店の並んだ坂の上の「チ・テレース」という料亭へおしあがった。三人はテラスへ出て、夕陽に染まりかけたヴェスヴィオを眺めながらヴィーノを飲んでいると、エオリアンという小さなハープとマンドリンを持った二人連れの流しがきて、いい声で唄をうたった。

そのうちに安部は、テラスにこうして坐っていることも、このナポリ湾の夕焼けの色も、流しの音楽も、すぐそばで揺ぐ橄欖の葉ずれの音も、なにもかもひっくるめて、このままのことが、たしかに過去に一度あったような気がしてきた。どういうところからこういう情緒がひき起されたのかと、気の沈むほど考えているうちに、いつかの石黒の手紙の中に、この景色があったのではなかったかと、ふとそう思うと、われともなく吐とむねをつかれた。ちょうどそれを読み終ったところへ、知世子が入ってきたので、なにげなく机の上のスケッチ・ブックの間へ挟んだようだったが、そのスケッチ・ブックなら、船の倉庫室の大トランクに入っている。安部は船に帰ってあの手紙を読みかえし、事実かどうか確かめてみたいという苛立ちで、あたりの景色が眼に入らなくなってしまった。

船へ帰ると、知世子は匆々に着換えてラウンジへ出て行ったので、安部はクロークの大トランクを開けてみると、果して、手紙はあの日のままスケッチ・ブックの間に挟まっていた。あの時は、笑ってすませられるようなものだったが、あらためて読みかえしてみると、とても、可笑しいなんていうだんではない。いつかの明けがた、知世子がふいに居なくなったこと、知世子が泥酔して帰ってくること、安部が食堂でみなの物笑いになること、ナポリでは魚料理へ行くが、その料亭の名は「チ・テレース」と、その日その時の情景や状況が、自身で日記をつけたように、いちいち仔細に書きつけてあるので憔やつれてしまった。

どういうお先走りな心霊が、こんな細かいことまで見ぬいてしまうのか。理窟はともかく、なにもかもみな的中しているのだから、どうしようもない。あの時の記憶では、十二月の何日かに、知世子と誰かを射ち殺し、じぶんもその拳銃で自殺すると書いてあった。今日までの毎日が、石黒の予言通りに運んで来たのなら、これからも、やはりそのように動いて行くと思わざるをえない。先を読んでみようと思うと、手紙は卵の城から帰ってきたところで無くなっている。安部はスケッチ・ブックを振るったり、床を這ったりして探したが、ない。思えば、あの時、残りの何頁かを、畳んだまま机の上に残してきたような気もする。

船はナポリを出帆したらしく、窓の中で雲が早く流れている。その雲を眼で追っているうちに、もう絶体絶命だという気持が胸に迫ってきた。

石黒の予言には十二月の何日とあった。きょうは二十九日だから、十二月は、あとまだ二日と何時間ある。あの二人が、どんなまずいところを見せつけたって、絶対に逆上しないと決心しても、生なまの神経を持っているのだから、次第によってはどんな馬鹿をやらかすか知れたものではない。安部は汗をかき、煙草の味もわからなくなるほど屈託していたが、どうでも生の神経が邪魔だというなら、今から二日半の間、見も、聞きも、感じもしないような状態に、自分を置けばよろしかろうと考えをそこへ落着けると、つまらない思いつきが、とほうもない良識のような気がして上機嫌になった。そこで適当にジアールを飲んでおいて、給仕にアブサントを持ってこさせ、茴香ういきょうとサフランの香に悩みながら、あおりつけあおりつけしているうちに、まもなく混沌となった。それからいくどか覚醒したが、そのたびにアブサントをひっかけ、ジアールを飲み、とうとう夜も昼もわからなくなってしまった。

何度目かに、ふと眼をさまし、朦朧とあたりを眺めると、部屋の家具の配置が変っていて、どうも自分の船室のようでない。はてなと腰を浮かしかけると、なにか膝からとり落ちて、床で音をたてた。見ると、石黒が送りつけてよこした、れいの二二番のコルトだった。安部はあわててヒップへしまいこみ、いつの間にこんなものを持ちだしたのだろうと、重い頭で考えているうちに、なんともつかぬ情景をぼんやりと思いだした。

知世子が大きな眼で安部を見ながら、

「あなたは、はじめっから、あたしを殺すつもりでいらしたのね。今日まで待たなくとも、披露式の晩に、お殺しになればよかった」

といった。あれはなんのことだったのだろう。

正面の寝室の扉がよくロックされず、船がローリングするたびに、ひとりで開いたり閉ったりしている。気中きあたりがして、中をのぞいて見ると、寝台の上にフェルナンデスが俯伏せになり、知世子のほうは、ひどくちぐはぐな恰好で床ゆかの上にのびている。馬鹿な念は入れなくとも、二人の魂魄はもう肉体にとどまっていないことが、一と眼でわかるような状態になっていた。安部は流血の場からそろそろと退却し、船室の扉に鍵をかけて冷たい風の吹き通る遊歩甲板へ出ると、今晩もまたお祭りがあるのだとみえ、舞踏室のほうからさかんなジャズの音がきこえてくる。

安部はブールワークに凭れて星の光のきらめき落ちる暗い海を眺め、どうせ自殺するにちがいなくとも、なにからなにまで、石黒の予言どおりに動いてやることはない。せめて最後の一点だけを、自分の力で狂わせてやりたい。コルトでなく、海へ飛びこんで死んでやろうと、真面目になってそんなことを考え、力まかせにコルトを海へ投げこむと、二十年の瘧おこりがいっぺんに落ちたようにさっぱりした。なにしろ面白くてたまらない。ざまあ見ろといいながら、靴をぬいでブールワークにのぼり、その上に馬乗りになって、マラッカ海峡で投身したSも、たぶんこんな具合だったのだろうなどとニヤニヤしていると、むこうの通風筒のうしろから、紙の三角帽をかぶった船客が三人、よろけながらやってきて、やあ、コキュ先生がこんなところで一人で遊んでいると、無理やり、ひきずりおろして舞踊室へかつぎこんでしまった。

今日はどういう趣意のパァティなのか、よくもまあこんなに振り撒いたと思うくらい、色とりどりのコンフェッチが、食卓にも床にも雪のように積もり、天井から蜘蛛の巣のように垂れさがった色テープの下で、三角帽や紙の王冠をかぶった乗客が、しどろに踊っている。

安部は酔いくずれそうになっているそばのフランス人に、今日は、いったいなんの会だとたずねると、今日は聖シルヴェストルの聖日さ、除夜さ、つまり十二月三十一日さ。あと十分もすれば、歳が一つふえるのさ。どうも、はばかりさま、というようなことをいった。

安部はなんということもなくその辺のテーブルにおしすえられ、誰が注いでくれたともわからない三鞭酒シャンパンをガブガブ飲んでいると、事務長が笑いながらやってきて、新しい年のスタータァの役を、あなたにおねがいするといった。どんなことをするのかとたずねると、午前零時にピストルを射ち、それを合図に、三鞭酒をみなの頭にふりかけて、おめでとうをいうんです。私がここにいて、秒針を数えますから、「さあ」といったら射ってください。硝薬だけで、弾丸は入っていませんから、ご心配なく、といって安部の手に拳銃をおしつけた。

十二時五十九分になると、船長はコルクをゆるめた三鞭洒の瓶を高くあげ、事務長は三〇……二〇……と秒針を数えはじめた。安部は、すこしばかり石黒にからかってやれと思って、銃口を曖昧に自分の胸に向け、合図と同時に笑いながら曳金をひいた。その途端、左の鎖骨の下あたりにえらい衝撃を受け、眼の前が、芝居のどんでんがえしのように、日本を発つ前の晩の披露式のホールの景色になった。みな椅子にかけて、ステージで欧州種の娘がいいようすでハープを奏いている。眼を落す前に、自分の過去を一瞬のうちに見尽すというが、すると、おれはやはり死ぬんだなと、ぼんやりそんなことを考えているうちに、大地がぐらりとひっくりかえった。

余興のハープがはじまるころ、安部がブラリとやってきて、正親町と松久の間に掛けたが、しばらくすると、ポケットからハンカチをだして、しきりに汗を拭く。暖房はしてあるが、暑いというほどではない。松久が、

「おいどうした」

と低い声でたずねたが、安部は返事もしない。感興をもよおしているふうで、熱心にハープを聞いていたが、終りに近いころ、ヒップから拳銃を出して、しげしげと眺めはじめた。これはへんだと、正親町と松久が眼を見合せた瞬間、銃口を胸に向けたまま、いきなり曳金をひいてしまった。松久が、

「馬鹿なことをするな」

といって支えようとするはずみに、安部は椅子といっしょにひっくりかえって、胸からたくさん血を出した。それでみな総立ちになった。そこへ知世子が飛んできて、

「しっかり遊ばして」

と安部を抱き起こした。安部はしげしげと知世子の顔を見ていたが、渋くニヤリと笑うと、

「石黒にやられた。死にたくない、助けてくれ」

といった。

すぐ病院自動車で大学へ運んだが、鎖骨の下から肩へ抜けた大きな傷で、ついて行った人間だけで、ともかく輸血した。病室へ帰ると、安部は元気になり、酒田に、

「へんなことをやっちゃった。船はいやだから、シベリアで行く。一日も早くモネのところへ行きたいから、査証のほうをたのむよ」

と気楽なことをいった。

「よしやっておこう。それはいいが、どうして、あんな馬鹿な真似をしたんだ。驚かせるじゃないか」

と酒田がいうと、安部は澄んだ美しい眼で、

「石黒の催眠術にひっかけられたんだ。ホールへ入る前、廊下で石黒にひどく睨みつけられたから、たぶん、あの時だったんだろう……だが、面白いには面白い。ハープを一曲奏き終える間に、これでも、ちゃんとナポリまで行ってきたんだぜ」

と、くわしく話してきかせた。安部は死ぬとは思っていないから、ひとりではしゃいでいたが、われわれは、もう長くないことを知っているので、なんともいえない気がした。

底本 / Source edition

底本:「久生十蘭全集 2[#「2」はローマ数字、1-13-22]」三一書房
1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2010年8月24日作成
2011年4月22日修正
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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久生 十蘭「予言」(新字新仮名)、底本『久生十蘭全集 Ⅱ』三一書房、1970年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 046078_001224, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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