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        <title type="main" xml:lang="ja">茶番に寄せて</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">ちゃばんによせて</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>坂口</surname><forename>安吾</forename><idno type="aozora-person-id">001095</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>さかぐち</surname><forename>あんご</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Sakaguchi</surname><forename>Ango</forename></persName></author>
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        <bibl><title>坂口安吾選集　第一巻小説1</title><publisher>講談社</publisher><date>1982（昭和57）年7月12日</date><note type="input-edition">1982（昭和57）年7月12日第1刷</note><note type="proof-edition">1982（昭和57）年7月12日第1刷</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「文体　第二巻第二号」1939（昭和14）年4月1日</bibl>
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      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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        <classCode scheme="#aozora-orthography">新字新仮名</classCode>
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      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-259-546">日本には傑れた道化芝居が殆んど公演されたためしがない。文学の方でも、井伏鱒二という特異な名作家が存在はするが、一般に、批評家も作家も、編輯者も読者も厳粛で、笑うことを好まぬという風がある。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-546-1229">僕はさきごろ文体編輯の北原武夫から、思いきった戯作を書いてみないかという提案を受けた。かねて僕は戯作を愛し、落語であれ漫才であれ、インチキ・レビュウの脚本でであれ、頼まれれば、白昼も芸術として堂々通用のできるものを書いてみせると大言壮語していたことがあるものだから、紙面をさいてくれる気持になったのである。北原の意は有難いが、読者がそこまでついてきてくれるかどうかは疑わしい。けれども僕は、そのうち、思いきった戯作を書いて、読者に見参するつもりである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1229-1672">笑いは不合理を母胎にする。笑いの豪華さも、その不合理とか無意味のうちにあるのであろう。ところが何事も合理化せずにいられぬ人々が存在して、笑いも亦合理的でなければならぬと考える。無意味なものにゲラゲラ笑って愉しむことができないのである。そうして、喜劇には諷刺がなければならないという考えをもつ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1672-2124">然し、諷刺は、笑いの豪華さに比べれば、極めて貧困なものである。諷刺する人の優越がある限り、諷刺の足場はいつも危く、その正体は貧困だ。諷刺は、諷刺される物と対等以上であり得ないが、それが揶揄という正当ならぬ方法を用い、すでに自ら不当に高く構えこんでいる点で、物言わぬ諷刺の対象がいつも勝を占めている。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2124-2570">諷刺にも優越のない場合がある。諷刺者自身が同時に諷刺される者の側へ参加している場合がそうで、また、諷刺が虚無へ渡る橋にすぎない場合がそうだ。これらの場合は、諷刺の正体がすでに不合理に属しているから、もはや諷刺と言えないだろう。諷刺は本来笑いの合理性を掟とし、そこを踏み外してはならないのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2570-2920">道化の国では、警視総監が泥棒の親分だったり、精神病院の院長先生が気違いだったりする。そのとき、警視総監や精神病院長の揶揄にとどまるものを諷刺という。即ち諷刺は対象への否定から出発する。これは道化の邪道である。むしろ贋物なのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2920-3537">正しい道化は人間の存在自体が孕んでいる不合理や矛盾の肯定からはじまる。警視総監が泥棒であっても、それを否定し揶揄するのではなく、そのような不合理自体を、合理化しきれないゆえに、肯定し、丸呑みにし、笑いという豪華な魔術によって、有耶無耶のうちにそっくり昇天させようというのである。合理の世界が散々もてあました不合理を、もはや精根つきはてたので、突然不合理のまま丸呑みにして、笑いとばして了おうというわけである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3537-4202">だから道化の本来は合理精神の休息だ。そこまでは合理の法でどうにか捌きがついてきた。ここから先は、もう、どうにもならぬ。―――という、ようやっと持ちこたえてきた合理精神の歯をくいしばった渋面が、笑いの国では、突然赤褌ひとつになって裸踊りをしているようなものである。それゆえ、笑いの高さ深さとは、笑いの直前まで、合理精神が不合理を合理化しようとしてどこまで努力してきたか、そうして、到頭、どの点で兜を脱いで投げ出してしまったかという程度による。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4202-4813">だから道化は戦い敗れた合理精神が、完全に不合理を肯定したときである。即ち、合理精神の悪戦苦闘を経験したことのない超人と、合理精神の悪戦苦闘に疲れ乍らも決して休息を欲しない超人だけが、道化の笑いに鼻もひっかけずに済まされるのだ。道化はいつもその一歩手前のところまでは笑っていない。そこまでは合理の国で悪戦苦闘していたのである。突然ほうりだしたのだ。むしゃくしゃして、原料のまま、不合理を突きだしたのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4813-5448">道化は昨日は笑っていない。そうして、明日は笑っていない。一秒さきも一秒あとも、もう笑っていないが、道化芝居のあいだだけは、笑いのほかには何物もない。涙もないし、揶揄もないし、凄味などというものもない。裏に物を企んでいる大それた魂胆は微塵もないのだ。ひそかに裏を諷しているしみったれた精神もない。だから道化は純粋な休みの時間だ。昨日まで営々と貯め込んだ百万円を、突然バラまいてしまう時である。惜げもなく底をはたく時である。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5448-5915">道化は浪費であるけれども、一秒さきまで営々と貯めこんできた努力のあとであることを忘れてはならない。甚だしく勤勉な貯金家が、エイとばかり矢庭に金庫を蹴とばして、札束をポケットというポケットへねじこみ、さて、血走った眼付をして街へ飛びだしたかと思うと、疾風のようにみんな使って、元も子もなくしてしまったのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5915-6658">道化の国では、ビールよし、シャンパンよし、おしるこもよし、巴里の女でもアルジェリアの女でもなんでもいい。使い果してしまうまでは選り好みなしにＯ・Ｋだ。否定の精神がないのである。すべてがそっくり肯定されているばかり。泥棒も悪くないし、聖人も善くはない。学者は学問を知らず、裏長屋の熊さんも学者と同じ程度には物識りだ。即ち泥棒も牧師くらい善人なら、牧師も泥棒くらい悪人なのである。善玉悪玉の批判はない。人性の矛盾撞着がそっくりそのまま肯定されているばかり。どこまで行っても、ただ肯定があるばかり。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6658-7626">道化の作者は誰に贔負も同情もしない。また誰を憎むということもない。ただ肯定する以外には何等の感傷もない木像なのである。憐れな孤児にも同情しないし、無実の罪人もいたわらない。ふられる奴にも助太刀しないし、貧乏な奴に一文もやらない。ふられる奴は散々ふられるばかりだし、みなしごは伯母さんに殴られ通しだ。そうかと思うと、ふられた奴が恋仇の結婚式で祝辞をのべ、死んだ奴が花束の下から首を起こして突然棺桶をねぎりだす。別段死者や恋仇をいたわる精神があるわけじゃない。万事万端ただ森羅万象の肯定以外に何物もない。どのような不合理も矛盾もただ肯定の一手である。解決もなく、解釈もない。解決や解釈で間に合うなら、笑いの国のお世話にはならなかった筈なのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">フランスにフィガロという都新聞のような新聞がある。「ゼビィラの理髪師」や「フィガロの結婚」のフィガロから来た名称らしく、なぜ私が笑うかって言うのですかい。笑わないと泣いちゃうからさ、というフィガロの科白が題字のところに刷りこんである。（多分そうだったと思いますよ）「ゼビィラの理髪師」や「フィガロの結婚」は<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-8088-8112"><rb>却々</rb><rt>なかなか</rt></ruby><seg source="#source-8112-8318">の名作だが、ここに引用したような笑いの精神は、僕のとらないところである。世之助の武者振りや源内先生の戯作には、そういうケチな魂胆がない。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">一言にして僕の笑いの精神を表わすようなものを探せば、「浜松の音は、ざざんざあ」という太郎冠者がくすねた酒に酔っぱらい、おきまりに唄いだすはやしの文句でも引くことにしようか。「橋の下の菖蒲は誰が植えたしょうぶぞ。ぼろおんぼろおん」という山伏のおきまりの祈りの文句にでもしようか。それ自体が不合理だ。人を納得させもしないし、偉くもしない。ただゲタゲタと笑うがいいのだ。一秒さきと一秒あとに笑わなければいいのである。そのときは、笑ったことも忘れるがいい。そんなにいつまで笑いつづけていられるものじゃないことは分りきっているのである。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9112-9274">道化文学は、作者にとっては、趣向がすべてであり、結果としては読者から、笑ってもらうことがすべてなのである。</seg></p>
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        <note type="source-attribution" source="#source-9282-9599"><seg type="source-line">底本：「坂口安吾選集　第一巻小説1」講談社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1982（昭和57）年7月12日初版発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「文体　第二巻第二号」文体社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1939（昭和14）年4月1日号</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「文体　第二巻第二号」文体社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1939（昭和14）年4月1日号</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-9599-9960"><seg type="source-line">入力：高田農業高校生産技術科流通経済コース</seg><lb/><seg type="source-line">校正：小林繁雄</seg><lb/><seg type="source-line">2006年7月4日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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