Soranoha

詩の将来について

しのしょうらいについて

蒲原 有明

こゝに掲げた標題が私に課せられた難問である。私は答案に窮するより外はない。

近頃は社會萬般に亙つて何事も見透しがつきかねるといふ噂さである。詩も多分さうであらうことは、この出題によつても推測されるとほりに、私にも少しばかり思當りがないでもない。囘顧すれば自由詩が舊詩壇に取つて代つてから既に三十年にもなる。その上たとへ物々しい理論の矛を揮つたとはいへ、また多數の同士を率ゐたとはいへ、その登場はあまり安易に過ぎたのではなかつたらうか。今に及んで漸く行詰りが見られると言ふならば、それはむしろ自由詩のために長年月の幸運を逆によろこばねばならぬことであらう。

河童は水が頭の皿に充ちてゐる間は河童相應の能力を出し得るもので、その皿の水がこぼれてしまへば唯々非力をかこつのみであると言はれてゐる。實をいへば私もこの水をこぼされた河童同樣に自由詩時代の乾いた陸に放りあげられて懊惱したことは、これをこゝに告白する必要は更にない。

一世を風靡した自由詩にいつしか暮色が迫るのも致しかたない次第であるが、自由詩は然しながら普及したのである。現に街頭の宣傳ビラにも、新聞に載る化粧品の廣告にも、酒場や珈琲店のちらしにも、そこには現代が裸でよく踊つてゐる。あれはあれでよいのである。

かくて一方に我邦の詩の將來が問題に上るに就て矛盾の感はあるが、これにはまた詮議すれば深い理由があらうといふものである。そこから宿命的な暗黒な疑惑が起つて來るのである。氣に留めねば何でもないことであるが、自由詩の障碍は最初からその脚下にあつたのである。旅人の草鞋の間に挾つた小石が生長して來て一の障碍となつた形である。意識すればするほどその石は増大する。この躓きの石が致命的であることは、それが現代語そのものゝ中に含まれてゐるからである。打明けて言へば、現代語に於ける退化した不愉快な數箇の助動詞其他の些細な語詞がそれである。如何なる天才も之を詩に改鑄するわけにはゆかない。たつた數箇の語詞の不適應性が自由詩をさへ無味單調の境界に追ひ込んで、僅に思想の斷片と機智の手控への外に出づること能はざらしめたのは現代語の缺陷によるもので、全く過去の業因の然らしむるところと諦めるより詮術はない。

なほまた律格を考慮の中に入れゝば上述した語詞の疑問は更に大きくなるばかりである。これを要するに現代語は詩法の約束に依つてひき緊めるほど缺陷を暴露して來るのである。現代語で書く自由詩はそれ故に意識の有無に拘らず、それ自體の中に自壞作用を孕むものである。律格を棄て去つて、然も散文語を用ゐつゝ進んで散文にも就き難き自由詩は發想の範圍を狹くするのみで、技法の暢達もとよりなく、いぢけてしまふに不思議はない。これを自由詩運動の側から見れば始めからアマチユア作家の群を引寄せ過ぎて、それに危險な實驗を手離しにさせた憾が多い。最初の唱道には一面確かによい部分もあつたのであるが、後が頗る惡いのである。日本の藝術を冒涜するものは、古今共にこのアマチユア作家の群であつて、自由詩の三十年間に際立つた收獲のないのも、これをその極端な一例と考へたい。

私は今これ以上、水に乏しい頭を傾けて物を言ふのも憶劫である。ひよつとすると明日この行詰りが急に打開されるかも知れない。然しこれは主觀上の事で、客觀では何十年を經過した後かも知れない。實のところ私は絶望してゐるのである。詩は滅びると、さういふ聲が他からも聞える。私はそれをも率直にうべなふものである。今日の詩は當然散文に吸收されて、或る期間の憩ひを樂しむのも惡くはないと思つてゐる。少なくともさういふ方向に從つて詩が滅びつゝあることを私はむしろ冀ふものである。

然し私には詩の將來の爲めに指針を與ふる如き資格は毫もない。私は始めから他家の馬を水中に引入れるだけの魅力も有せぬ、いはば意氣地のない老水虎である。それが責められるとしても、これ以上愚答を述べるのは堪へ難いし、金瘡や接骨の藥法は素より知悉してゐないのであるから、その妙術を惜んで傳へぬのでもない。うつけ者の思案にあたはぬとはこの事であらう。(昭和十二年三月)

底本 / Source edition

底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
1980(昭和55)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「飛雲抄」書物展望社
1938(昭和13)年12月10日
初出:「文藝懇話會」
1937(昭和12)年4月
入力:広橋はやみ
校正:川山隆
2007年8月14日作成
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書誌 / Bibliography
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蒲原 有明「詩の将来について」(旧字旧仮名)、底本『明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)』筑摩書房、1980年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 045683_001055, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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