## 一

キッコの村の学校にはたまりがありませんでしたから雨がふるとみんなは教室で遊びました。ですから教室はあの水車<ruby><rb>小屋</rb><rt>ごや</rt></ruby>みたいな<ruby><rb>古臭</rb><rt>ふるくさ</rt></ruby>い<ruby><rb>寒天</rb><rt>かんてん</rt></ruby>のような教室でした。みんなは<ruby><rb>胆取</rb><rt>きもと</rt></ruby>りと<ruby><rb>巡査</rb><rt>じゅんさ</rt></ruby>にわかれてあばれています。

「<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げだ、遁げだ、<ruby><rb>押</rb><rt>おさ</rt></ruby>えろ押えろ。」「わぁい、<ruby><rb>指</rb><rt>ゆび</rt></ruby><ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>じるこなしだでぁ。」

がやがやがたがた。

ところがキッコは<ruby><rb>席</rb><rt>せき</rt></ruby>も一番前のはじで胆取りにしてはあんまり小さく巡査にも弱かったものですからその中にはいりませんでした。<ruby><rb>机</rb><rt>つくえ</rt></ruby>に<ruby><rb>座</rb><rt>すわ</rt></ruby>って下を<ruby><rb>向</rb><rt>む</rt></ruby>いて<ruby><rb>唇</rb><rt>くちびる</rt></ruby>を<ruby><rb>噛</rb><rt>か</rt></ruby>んでにかにか<ruby><rb>笑</rb><rt>わら</rt></ruby>いながらしきりに何か書いているようでした。

キッコの手は<ruby><rb>霜</rb><rt>しも</rt></ruby>やけで赤くふくれていました。五月になってもまだなおらなかったのです。右手のほうのせなかにはあんまり<ruby><rb>泣</rb><rt>な</rt></ruby>いて<ruby><rb>潰</rb><rt>つぶ</rt></ruby>れてしまった馬の目玉のような赤い円いかたがついていました。

キッコは一<ruby><rb>寸</rb><rt>すん</rt></ruby>ばかりの<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>を<ruby><rb>一生</rb><rt>いっしょう</rt></ruby>けん<ruby><rb>命</rb><rt>めい</rt></ruby>にぎってひとりでにかにかわらいながら８の字を<ruby><rb>横</rb><rt>よこ</rt></ruby>にたくさん書いていたのです。（めがね、めがね、めがねの横めがね、めがねパン、くさりのめがね、）ところがみんなはずいぶんひどくはねあるきました。キッコの<ruby><rb>机</rb><rt>つくえ</rt></ruby>はたびたび<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>かにぶっつかられて<ruby><rb>暗礁</rb><rt>あんしょう</rt></ruby>に<ruby><rb>乗</rb><rt>の</rt></ruby>りあげた船のようにがたっとゆれました。そのたびにキッコの８の字は<ruby><rb>変</rb><rt>へん</rt></ruby>な<ruby><rb>洋傘</rb><rt>ようがさ</rt></ruby>の<ruby><rb>柄</rb><rt>え</rt></ruby>のように<ruby><rb>変</rb><rt>かわ</rt></ruby>ったりしました。それでもやっぱりキッコはにかにか<ruby><rb>笑</rb><rt>わら</rt></ruby>って書いていました。

「キッコ、<ruby><rb>汝</rb><rt>うな</rt></ruby>の木ペン見せろ。」にわかに<ruby><rb>巡査</rb><rt>じゅんさ</rt></ruby>の<ruby><rb>慶助</rb><rt>けいすけ</rt></ruby>が来てキッコの<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>をとってしまいました。「見なくてもい、よごせ。」キッコは立ちあがりましたけれども慶助はせいの高いやつでそれに<ruby><rb>牛若丸</rb><rt>うしわかまる</rt></ruby>のようにうしろの机の上にはねあがってしまいましたからキッコは手がとどきませんでした。「ほ、この木ペン、この木ペン。」慶助はいかにもおかしそうに顔をまっかにして笑って自分の<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>の前でうごかしていました。「よごせ慶助わあい。」キッコは一生けん命のびあがって慶助の手をおろそうとしましたが慶助はそれをはなして一つうしろの<ruby><rb>机</rb><rt>つくえ</rt></ruby>ににげてしまいました。そして「いがキッコこの木ペン耳さ入るじゃぃ。」と<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いながらほんとうにキッコの鉛筆を耳に入れてしまったようでした。キッコは泣いて<ruby><rb>追</rb><rt>お</rt></ruby>いかけましたけれども慶助はもうひらっと<ruby><rb>廊下</rb><rt>ろうか</rt></ruby>へ出てそれからどこかへかくれてしまいました。キッコはすっかり<ruby><rb>気持</rb><rt>きもち</rt></ruby>をわるくしてだまって<ruby><rb>窓</rb><rt>まど</rt></ruby>へ行って顔を出して雨だれを見ていました。そのうち<ruby><rb>授業</rb><rt>じゅぎょう</rt></ruby>のかねがなって慶助は教室に帰って来遠くからキッコをちらっとみましたが、またどこかであばれて来たとみえて鉛筆のことなどは<ruby><rb>忘</rb><rt>わす</rt></ruby>れてしまったという風に顔をまっかにしてふうふう<ruby><rb>息</rb><rt>いき</rt></ruby>をついていました。

「わあい、慶助、木ペン返せじゃ。」キッコは<ruby><rb>叫</rb><rt>さけ</rt></ruby>びました。「知らなぃじゃ、うなの机さ<ruby><rb>投</rb><rt>な</rt></ruby>げてたじゃ。」慶助は云いました。キッコはかがんで机のまわりをさがしましたがありませんでした。そのうちに先生が入って来ました。

「<ruby><rb>三郎</rb><rt>さぶろう</rt></ruby>、この時間うな木ペン<ruby><rb>使</rb><rt>つか</rt></ruby>ってがら、おれさ<ruby><rb>貸</rb><rt>か</rt></ruby>せな。」キッコがとなりの三郎に云いました。

「うん、」三郎が机の<ruby><rb>蓋</rb><rt>ふた</rt></ruby>をあけて本や<ruby><rb>練習帖</rb><rt>れんしゅうちょう</rt></ruby>を出しながら<ruby><rb>上</rb><rt>うわ</rt></ruby>のそらで答えました。

## 二

<ruby><rb>課業</rb><rt>かぎょう</rt></ruby>がすんでキッコがうちへ帰るときは雨はすっかり晴れていました。

あちこちの木がみなきれいに光り山は<ruby><rb>群青</rb><rt>ぐんじょう</rt></ruby>でまぶしい<ruby><rb>泣</rb><rt>な</rt></ruby>き<ruby><rb>笑</rb><rt>わら</rt></ruby>いのように見えたのでした。けれどもキッコは大へんに心もちがふさいでいました。<ruby><rb>慶助</rb><rt>けいすけ</rt></ruby>はあんまりいばっているしひどい。それに<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>も<ruby><rb>授業</rb><rt>じゅぎょう</rt></ruby>がすんでからいくらさがしてももう見えなかったのです。どの<ruby><rb>机</rb><rt>つくえ</rt></ruby>の足もとにもあのみじかい<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>いろのゴムのついた鉛筆はころがっていませんでした。<ruby><rb>新学期</rb><rt>しんがっき</rt></ruby>からずうっと<ruby><rb>使</rb><rt>つか</rt></ruby>っていた鉛筆です。おじいさんと<ruby><rb>一緒</rb><rt>いっしょ</rt></ruby>に町へ行って<ruby><rb>習字</rb><rt>しゅうじ</rt></ruby>手本や読方の本と一緒に買って来た鉛筆でした。いくらみじかくなったってまだまだ<ruby><rb>使</rb><rt>つか</rt></ruby>えたのです。使えないからってそれでも<ruby><rb>面白</rb><rt>おもしろ</rt></ruby>いいい鉛筆なのです。

キッコは<ruby><rb>樺</rb><rt>かば</rt></ruby>の林の間を行きました。樺はみな小さな青い<ruby><rb>葉</rb><rt>は</rt></ruby>を出しすきとおった雨の<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>が<ruby><rb>垂</rb><rt>た</rt></ruby>れいい<ruby><rb>匂</rb><rt>におい</rt></ruby>がそこらいっぱいでした。おひさまがその葉をすかして古めかしい金いろにしたのです。

それを見ているうちに、

（木ペン<ruby><rb>樺</rb><rt>かば</rt></ruby>の木に<ruby><rb>沢山</rb><rt>うんと</rt></ruby>あるじゃ）キッコはふっとこう思いました。けれども樺の木の小さな<ruby><rb>枝</rb><rt>えだ</rt></ruby>には鉛筆ぐらいの太さのはいくらでもありますけれども<ruby><rb>決</rb><rt>けっ</rt></ruby>して黒い心がはいってはいないのです。キッコはまた<ruby><rb>泣</rb><rt>な</rt></ruby>きたくなりました。

そのときキッコは<ruby><rb>向</rb><rt>むこ</rt></ruby>うから<ruby><rb>灰</rb><rt>はい</rt></ruby>いろのひだのたくさんあるぼろぼろの<ruby><rb>着物</rb><rt>きもの</rt></ruby>を着た一人のおじいさんが大へん考え<ruby><rb>込</rb><rt>こ</rt></ruby>んでこっちへ来るのを見ました。（あのおじいさんはきっと<ruby><rb>鼠捕</rb><rt>ねずみと</rt></ruby>りだな。）キッコは考えました。おじいさんは<ruby><rb>変</rb><rt>へん</rt></ruby>な<ruby><rb>黒</rb><rt>くろ</rt></ruby>い<ruby><rb>沓</rb><rt>くつ</rt></ruby>をはいていました。そしてキッコと行きちがうときいきなり顔をあげてキッコを見てわらいました。「今日学校で<ruby><rb>泣</rb><rt>な</rt></ruby>いたな。目のまわりが<ruby><rb>狸</rb><rt>たぬき</rt></ruby>のようになっているぞ。」すると頭の上で鳥がピーとなきました。キッコは顔を赤くして立ちどまりました。

「何を泣いたんだ。正直に話してごらん。聞いてあげるから。」

鳥がまた頭の上でピーとなきました。するとおじいさんは顔をしかめて上を<ruby><rb>向</rb><rt>む</rt></ruby>いて「おまえじゃないよ、やかましい、だまっておいで」とどなりました。

すると鳥はにわかにしいんとなってそれから<ruby><rb>飛</rb><rt>と</rt></ruby>んで行ったらしくぼろんという羽の音も聞え<ruby><rb>樺</rb><rt>かば</rt></ruby>の木からは<ruby><rb>雫</rb><rt>しずく</rt></ruby>がきらきら光って<ruby><rb>降</rb><rt>ふ</rt></ruby>りました。「いってごらん。なぜ泣いたの。」

おじいさんはやさしく<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いました。「木ペン<ruby><rb>失</rb><rt>な</rt></ruby>ぐした。」キッコは<ruby><rb>両手</rb><rt>りょうて</rt></ruby>を目にあててまたしくしく泣きました。「木ペン、なくした。そうか。そいつはかあいそうだ。まあ泣くな、見ろ手がまっ<ruby><rb>赤</rb><rt>か</rt></ruby>じゃないか。」

おじいさんはごそごその<ruby><rb>着物</rb><rt>きもの</rt></ruby>のたもとを<ruby><rb>裏返</rb><rt>うらがえ</rt></ruby>しにしてぼろぼろの<ruby><rb>手帳</rb><rt>てちょう</rt></ruby>を出してそれにはさんだみじかい<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>を出してキッコの手に<ruby><rb>持</rb><rt>も</rt></ruby>たせました。キッコはまだ<ruby><rb>涙</rb><rt>なみだ</rt></ruby>をぼろぼろこぼしながら見ましたらその鉛筆は<ruby><rb>灰色</rb><rt>はいいろ</rt></ruby>でごそごそしておまけに心の色も黒でなくていかにも<ruby><rb>変</rb><rt>へん</rt></ruby>な<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>でした。キッコはそこでやっぱりしくしく泣いていました。「ははああんまり<ruby><rb>面白</rb><rt>おもしろ</rt></ruby>くもないのかな。まあ<ruby><rb>仕方</rb><rt>しかた</rt></ruby>ない、わしは外に<ruby><rb>持</rb><rt>も</rt></ruby>っていないからな。」おじいさんはすっと行ってしまいました。

風が来て樺の木はチラチラ光りました。ふりかえって見ましたらおじいさんはもう林の<ruby><rb>向</rb><rt>むこ</rt></ruby>うにまがってしまったのか見えませんでした。キッコはその<ruby><rb>枝</rb><rt>えだ</rt></ruby>きれみたいな変な鉛筆を持ってだまってかくしに入れてうちの方へ歩き出しました。

## 三

<ruby><rb>次</rb><rt>つぎ</rt></ruby>の日学校の一時間目は<ruby><rb>算術</rb><rt>さんじゅつ</rt></ruby>でした。キッコはふとああ木ペンを持っていないなと思いました。それからそうだ<ruby><rb>昨日</rb><rt>きのう</rt></ruby>の変な木ペンがある。あれを<ruby><rb>使</rb><rt>つか</rt></ruby>おう一時間ぐらいならもつだろうからと考えつきました。

そこでキッコはその鉛筆を出して先生の<ruby><rb>黒板</rb><rt>こくばん</rt></ruby>に書いた<ruby><rb>問題</rb><rt>もんだい</rt></ruby>をごそごその<ruby><rb>藁紙</rb><rt>わらがみ</rt></ruby>の<ruby><rb>運算帳</rb><rt>うんざんちょう</rt></ruby>に書き<ruby><rb>取</rb><rt>と</rt></ruby>りました。

<span data-tei-rend="yokogumi horizontal" style="writing-mode: horizontal-tb">48×62＝</span>　「みなさん一けた目のからさきにかけて。」と先生が<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いました。「一けた目からだ。」とキッコが思ったときでした。<ruby><rb>不思議</rb><rt>ふしぎ</rt></ruby>なことは鉛筆がまるでひとりでうごいて<span data-tei-rend="yokogumi horizontal" style="writing-mode: horizontal-tb">96</span>と書いてしまいました。キッコは自分の手首だか何だかもわからないような気がして<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れてしばらくぼんやり見ていました。「一けた目がすんだらこんどは二けた目を<ruby><rb>勘定</rb><rt>かんじょう</rt></ruby>して。」と先生が<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>いました。するとまた鉛筆がうごき出してするするっと<span data-tei-rend="yokogumi horizontal" style="writing-mode: horizontal-tb">288</span>と二けた目までのとこへ書いてしまいました。キッコはもうあんまりびっくりして顔を赤くして<ruby><rb>堅</rb><rt>かた</rt></ruby>くなってだまっていましたら先生がまた「さあできたら<ruby><rb>寄</rb><rt>よ</rt></ruby>せ算をして下さい。」と云いました。またはじまるなと思っていましたらやっぱり、もうただ一いきに一本の線もひっぱって<span data-tei-rend="yokogumi horizontal" style="writing-mode: horizontal-tb">2976</span>と書いてしまいました。

さあもうキッコのよろこんだことそれからびっくりしたこと、何と云っていいかわからないでただもうお<ruby><rb>湯</rb><rt>ゆ</rt></ruby>へ入ったときのようにじっとしていましたら先生がむちを<ruby><rb>持</rb><rt>も</rt></ruby>って立って「では<ruby><rb>吉三郎</rb><rt>きちさぶろう</rt></ruby>さんと<ruby><rb>慶助</rb><rt>けいすけ</rt></ruby>さんと出て<ruby><rb>黒板</rb><rt>こくばん</rt></ruby>へ書いて下さい。」と云いました。〔キッコは<ruby><rb>筆記帳</rb><rt>ひっきちょう</rt></ruby>をもってはねあがりました。〕そして<ruby><rb>教壇</rb><rt>きょうだん</rt></ruby>へ行ってテーブルの上の<ruby><rb>白墨</rb><rt>はくぼく</rt></ruby>をとっていまの<ruby><rb>運算</rb><rt>うんざん</rt></ruby>を書きつけたのです。そのとき慶助は顔をまっ<ruby><rb>赤</rb><rt>か</rt></ruby>にして半分立ったまま自分の<ruby><rb>席</rb><rt>せき</rt></ruby>でもじもじしていました。キッコは<span data-tei-rend="yokogumi horizontal" style="writing-mode: horizontal-tb">9</span>の字などはどうも少しなまずのひげのようになってうまくないと思いながらおりて来たときようやく慶助が立って行きましたけれども<ruby><rb>問題</rb><rt>もんだい</rt></ruby>を書いただけであとはもうもじもじしていました。

先生はしばらくたって「よし」と云いましたので慶助は<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>って来ました。先生はむちでキッコのを<ruby><rb>説明</rb><rt>せつめい</rt></ruby>しました。

「よろしい、大へんよくできました。」キッコはもうにがにがにがにがわらって戻って来ました。（もう<ruby><rb>算術</rb><rt>さんじゅつ</rt></ruby>だっていっこうひどくない。字だって<ruby><rb>上手</rb><rt>じょうず</rt></ruby>に書ける。算術帳とだって国語帳とだって<ruby><rb>雑作</rb><rt>ぞうさ</rt></ruby>なく書ける）

キッコは思いながらそっと<ruby><rb>帳面</rb><rt>ちょうめん</rt></ruby>をみんな出しました。そして算術帳国語帳理科帳とみんな書きつけました。すると<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>はまだキッコが手もうごかさないうちにじつに早くじつに<ruby><rb>立派</rb><rt>りっぱ</rt></ruby>にそれを書いてしまうのでした。キッコはもう<ruby><rb>大悦</rb><rt>おおよろこ</rt></ruby>びでそれをにがにがならべて見ていましたがふと算術帳と理科帳と取りちがえて書いたのに気がつきました。この木ペンにはゴムもついていたと思いながら<ruby><rb>尻</rb><rt>しり</rt></ruby>の方のゴムで消そうとしましたらもう<ruby><rb>今度</rb><rt>こんど</rt></ruby>は鉛筆がまるで<ruby><rb>踊</rb><rt>おど</rt></ruby>るように二、三べん<ruby><rb>動</rb><rt>うご</rt></ruby>いて間もなく<ruby><rb>表紙</rb><rt>ひょうし</rt></ruby>はあとも<ruby><rb>残</rb><rt>のこ</rt></ruby>さずきれいになってしまいました。さあ、キッコのよろこんだことこんないい鉛筆をもっていたらもう<ruby><rb>勉強</rb><rt>べんきょう</rt></ruby>も何もいらない。ひとりでどんどんできるんだ。<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>はまず家へ帰ったらおっ<ruby><rb>母</rb><rt>か</rt></ruby>さんの前へ行って百けたぐらいの<ruby><rb>六</rb><rt>むつ</rt></ruby>かしい<ruby><rb>勘定</rb><rt>かんじょう</rt></ruby>を一ぺんにやって見せるんだ、それからきっと図画だってうまくできるにちがいない。僕はまず<ruby><rb>立派</rb><rt>りっぱ</rt></ruby>な<ruby><rb>軍艦</rb><rt>ぐんかん</rt></ruby>の絵を書くそれから水車のけしきも書く。けれども早く<ruby><rb>耗</rb><rt>へ</rt></ruby>ってしまうと<ruby><rb>困</rb><rt>こま</rt></ruby>るなあ、こう考えたときでした鉛筆が<ruby><rb>俄</rb><rt>にわ</rt></ruby>かに<ruby><rb>倍</rb><rt>ばい</rt></ruby>ばかりの長さに<ruby><rb>延</rb><rt>の</rt></ruby>びてしまいました。キッコはまるで<ruby><rb>有頂天</rb><rt>うちょうてん</rt></ruby>になって<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>がどこで何をしているか先生がいま何を<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>っているかもまるっきりわからないという風でした。

その日キッコが学校から帰ってからのはしゃぎようと云ったら<ruby><rb>第一</rb><rt>だいいち</rt></ruby>におっかさんの前で十けたばかりの<ruby><rb>掛算</rb><rt>かけざん</rt></ruby>と<ruby><rb>割算</rb><rt>わりざん</rt></ruby>をすらすらやって見せてよろこばせそれから弟をひっぱり出して<ruby><rb>猫</rb><rt>ねこ</rt></ruby>の顔を<ruby><rb>写生</rb><rt>しゃせい</rt></ruby>したり<ruby><rb>荒木又右エ門</rb><rt>あらきまたえもん</rt></ruby>の<ruby><rb>仇討</rb><rt>あだうち</rt></ruby>のとこを<ruby><rb>描</rb><rt>か</rt></ruby>いて見せたりそしておしまいもうお話を自分でどんどんこさえながらずんずんそれを絵にして書いていきました。その絵がまるでほんもののようでしたからキッコの弟のよろこびようと云ったらありませんでした。

「さあいいが、その<ruby><rb>山猫</rb><rt>やまねこ</rt></ruby>はこの<ruby><rb>栗</rb><rt>くり</rt></ruby>の木がらひらっとこっちさ<ruby><rb>遁</rb><rt>に</rt></ruby>げだ。<ruby><rb>鉄砲打</rb><rt>てっぽうう</rt></ruby>ぢはこうぼかげだ。山猫はとうとうつかまって<ruby><rb>退治</rb><rt>たいじ</rt></ruby>された。耳の中にこう云う玉入っていた。」なんてやっていました。

そのうちキッコは算術も作文もいちばん図画もうまいので先生は何べんもキッコさんはほんとうにこのごろ勉強のために出来るようになったと<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>ったのでした。二<ruby><rb>学期</rb><rt>がっき</rt></ruby>には<ruby><rb>級長</rb><rt>きゅうちょう</rt></ruby>にさえなったのでした。その<ruby><rb>代</rb><rt>かわ</rt></ruby>りもうキッコの<ruby><rb>威張</rb><rt>いば</rt></ruby>りようと云ったらありませんでした。学校へ出るときはもう村中の<ruby><rb>子供</rb><rt>こども</rt></ruby>らをみんな<ruby><rb>待</rb><rt>ま</rt></ruby>たせて<ruby><rb>置</rb><rt>お</rt></ruby>くのでしたし学校から帰って山へ行くにもきっとみんなをつれて行くのでうちの<ruby><rb>都合</rb><rt>つごう</rt></ruby>や何かで行かなかった子は<ruby><rb>次</rb><rt>つぎ</rt></ruby>の日みんなに<ruby><rb>撲</rb><rt>なぐ</rt></ruby>らせました。ある朝キッコが学校へ行こうと思ってうちを出ましたらふとあの<ruby><rb>鉛筆</rb><rt>えんぴつ</rt></ruby>がなくなっているのに気がつきました。さあキッコのあわて方ったらありません。それでも<ruby><rb>仕方</rb><rt>しかた</rt></ruby>なしに学校へ行きました。みんなはキッコの顔いろが<ruby><rb>悪</rb><rt>わる</rt></ruby>いのを大へん<ruby><rb>心配</rb><rt>しんぱい</rt></ruby>しました。

<ruby><rb>算術</rb><rt>さんじゅつ</rt></ruby>の時間でした。「一ダース二十<ruby><rb>銭</rb><rt>せん</rt></ruby>の鉛筆を二ダース半ではいくらですか。」先生が云いました。みんなちょっと<ruby><rb>運算</rb><rt>うんざん</rt></ruby>してそれからだんだんさっと手をあげました。とうとうみんなあげました。キッコも<ruby><rb>仕方</rb><rt>しかた</rt></ruby>なくあげました。「キッコさん。」先生が云いました。

キッコは<ruby><rb>勢</rb><rt>いきおい</rt></ruby>よく立ちましたがあともう云えなくなって顔を赤くしてただもう〔以下原稿なし〕