Soranoha

有明集

ありあけしゅう

蒲原 有明

この歌のひと卷を亡き父の

み靈の前にささぐ。

豹の血(小曲八篇)

智慧の相者は我を見て

智慧ちゑの相者さうじやは我を見て今日けふし語かたらく、

汝なが眉目まみぞこは兆さが惡あしく日曇ひなぐもる、

心弱くも人を戀ふおもひの空の

雲、疾風はやち、襲おそはぬさきに遁のがれよと。

噫ああ遁のがれよと、嫋たをやげる君がほとりを、

緑牧みどりまき、草野くさのの原のうねりより

なほ柔かき黒髮の綰わがねの波を、――

こを如何いかに君は聞き判わきたまふらむ。

眼をし閉とづれば打續く沙いさごのはてを

黄昏たそがれに頸垂うなだれてゆくもののかげ、

飢ゑてさまよふ獸けものかととがめたまはめ、

その影ぞ君を遁れてゆける身の

乾ける旅に一色ひといろの物憂き姿、――

よしさらば、香にほひの渦輪うづわ、彩あやの嵐に。

若葉のかげ

薄曇りたる空の日や、日も柔やはらぎぬ、

木犀もくせいの若葉の蔭のかけ椅子いすに

靠もたれてあれば物なべておぼめきわたれ、

夢のうちの歌の調しらべと暢のびらかに。

獨ひとりかここに我はしも、ひとりか胸の

浪を趁おふ――常世とこよの島の島が根に

翅つばさやすめむ海の鳥、遠き潮路の

浪枕なみまくらうつらうつらの我ならむ。

半なかばひらけるわが心、半閉ぢたる

眼を誘ひ、げに初夏はつなつの芍藥しやくやくの、

薔薇さうびの、罌粟けしの美うまし花舞ひてぞ過ぐる、

艶えんだちてしなゆる色の連彈つれびきに

たゆらに浮ぶ幻よ――蒸して匂へる

蘂ずゐの星、こは戀の花、吉祥きちじやうの君。

靈の日の蝕

時ぞともなく暗くらうなる生いのちの扃とぼそ、――

こはいかに、四方あたりのさまもけすさまじ、

こはまた如何いかに我胸の罪の泉を

何ものか頸うなじさしのべひた吸ひぬ。

善よしと匂へる花瓣はなびらは徒あだに凋しぼみて、

惡あしき果みは熟つえて墜おちたりおのづから

わが掌底たなぞこに、生温なまぬるきその香かをかげば

唇のいや堪たふまじき渇きかな。

聞け、物の音、――飛び過すがふ蝗いなごの羽音はおとか、

むらむらと大沼おほぬの底を沸わきのぼる

毒の水泡みなわの水の面もに彈はじく響か、

あるはまた疫えやみのさやぎ、野の犬の

淫たはれの宮に叫ぶにか、噫、仰ぎ見よ、

微かすかなる心の星や、靈たまの日の蝕しよく。

月しろ

淀よどみ流れぬわが胸に憂うれひ惱みの

浮藻うきもこそひろごりわたれ黝くろずみて、

いつもいぶせき黄昏たそがれの影をやどせる

池水いけみづに映るは暗き古宮ふるみやか。

石の階きざはし頽くづれ落ち、水際みぎはに寂びぬ、

沈みたる快樂けらくを誰かまた讃ほめむ、

かつてたどりし佳人よきひとの足あの音との歌を

その石になほ慕ひ寄る水の夢。

花の思ひをさながらの祷いのりの言葉、

額ぬかづきし面おもわのかげの滅きえがてに

この世ならざる縁えにしこそ不思議のちから、

追憶おもひでの遠き昔のみ空より

池のこころに懷かしき名殘なごりの光、

月しろぞ今もをりをり浮びただよふ。

蠱の露

文目あやめもわかぬ夜よるの室むろに濃き愁ひもて

釀かみにたる酒にしあれば、唇に

そのささやきを日もすがら味あぢはひ知りぬ、

わが君よ、絶間もあらぬ誄辭しぬびごと。

何の痛みか柔かきこの醉ゑひにしも

まさらむや、嘆き思ふは何なると

占問うらどひますな、夢の夢、君がみ苑そのに

ありもせば、こは蜉蝣かげろふのかげのかげ。

見おこせたまへ盞さかづきを、げに美うるはしき

おん眼めこそ翅つばさうるめる乙鳥つばくらめ、

透影すいかげにして浮び添そひ映り徹とほりぬ、

いみじさよ、濁れる酒も今はとて

輝き出いづれ、うらうへに、靈たまの欲ほりする

蠱まじの露。――いざ諸共に乾ほしてあらなむ。

茉莉花

咽むせび嘆かふわが胸の曇り物憂き

紗しやの帳とばりしなめきかかげ、かがやかに、

或日は映うつる君が面おも、媚こびの野にさく

阿芙蓉あふようの萎ぬえ嬌なまめけるその匂ひ。

魂たまをも蕩たらす私語ささめきに誘はれつつも、

われはまた君を擁いだきて泣くなめり、

極祕の愁、夢のわな、――君が腕かひなに、

痛ましきわがただむきはとらはれぬ。

また或宵は君見えず、生絹すずしの衣きぬの

衣きぬずれの音のさやさやすずろかに

ただ傳ふのみ、わが心この時裂けつ、

茉莉花まつりくわの夜よるの一室ひとまの香かのかげに

まじれる君が微笑ほほゑみはわが身の痍きずを

もとめ來て沁しみて薫かをりぬ、貴あてにしみらに。

寂靜

熟つえて落ちたる果このみかと、噫ああ見みよ、空に

日は搖ゆらぎ、濃くも腐あざれし光明くわうみやうは

喘あへぎ黄ばみて灣いりうみの中に滴したたり、

波に溶とけ、波は咽むせびぬたゆたげに。

磯回いそわのすゑの圓石まろいしはかくれてぞ吸ふ、

飽き足らひ耀かがやき倦うめる夕潮ゆふじほを、

石の額ひたへは物うげの瑪瑙めなうのおもひ、

かくてこそ暫時しばしを深く照らしぬれ。

風にもあらず、浪の音、それにもあらで、

天地あめつちは一つ吐息といきのかげに滿ち、

沙いさごの限り彩あやもなく暮れてゆくなり。

たづきなさ――わが魂は埋うづもれぬ、

こゝに朽ちゆく夜よるの海の香にほひをかぎて、

寂靜じやくじやうの黒き眞珠またまの夢を護らむ。

晝のおもひ

晝の思おもひの織り出でし紋あやのひときれ、

歡樂くわんらくの緯ぬきに、苦悶の經たての絲、

縒よれて亂るる條すぢの色、あるは叫びぬ、

あるはまた醉ゑひ痴しれてこそ眩めくるめけ。

今、夜よるの膝、やすらひの燈ともしの下もとに、

卷き返し、その織りざまをつくづくと

見れば朧おぼろに危あやふげに、眠ねぶれる獸けもの、

倦うめる鳥――物の象かたちの異ことやうに。

裁たちて縫はさむかこの巾きれを、宴うたげのをりの

身の飾かざり、ふさはじそれも、終つひの日の

棺衣かけぎぬの料れう、それもはた物狂ほしや。

生せいにはあはれ死の衣ころも、死にはよ生せいの

空炷そらだきの匂ひをとめて、現うつつなく、

夢はゆらぎぬ、柔かき火影ほかげの波に。

偶感

寄せては返す浪もなく、ただ平たひらかに

和なごみたる海にも潮しほの滿干みちひあり、

げにその如く騷さわだたぬ常の心を

朝夕に思おもひは溢れ、また沈む。

秋のこころ

黄きばみゆく木草きぐさの薫り淡々あはあはと

野の原に、將はた水みづの面もにただよひわたる

秋の日は、清げの尼のおこなひや、

懴悔の壇だんの香かうの爐ろに信しんの心の

香木かうぼくの膸ずゐの膏あぶらを炷たき燻くゆし、

きらびやかなる打敷うちしきは夢の解衣ときぎ、

過ぎし日の被衣かつぎの遺物かたみ、――靜やかに

垂れて音なき繍ぬひの花、また襞ひだごとに、

ときめきし胸の名殘なごりの波のかげ、

搖めきぬとぞ見るひまを聲は直泣ひたなく――

看經かんぎんの、噫ああ、秋の聲、歡樂と

悔くいと念珠ねんじゆと幻と、いづれをわかず、

ひとつらに長き恨うらみの節細く、

雲の翳かげりにあともなく滅きえてはゆけど、

窮きはみなき輪廻りんねの業ごふのわづらひは

落葉の下もとに、草の根に、潜みも入るや、――

その夕ゆふべ、愁の雨は梵行ぼんぎやうの

亂れを痛みさめざめと繁しじにそそぎぬ。

大河

ゆるやかにただ事もなく流れゆく

大河たいがの水の薄濁り――邃ふかき思ひを

夢みつつ塵ちりに同どうじて惑まどはざる

智識のすがたこれなめり、鈍おぞしや、われら

面澁おもしぶる唖おしの羊ひつじの輩ともがらは

堤の上をとみかうみわづらひ歩ありく。

しかすがに聲なき聲の力ちから足たり、

眞晝かがよふ法のりを布しく流を見れば、

經藏きやうざうの螺鈿らでんの凾はこの蓋ふたをとり、

悲願ひぐわんの手もて智慧ちゑの日の影にひもどく

卷々まきまきの祕密の文字の飜こぼれ散る、――

げに晴れ渡る空の下もと、河の面おもての

紺青こんじやうに黄金こがねの光燦きらめくよ、

かかる折こそ汚けがれたる身も世も薫かをれ、

時さらず、癡しれがましさや、醜草しこぐさの

毒になやみて眩めくるめき、あさり食はみぬる

貪むさぼりの心を悔いてうち喘あへぎ、

深くも吸へる河水かはみづの柔かきかな、

母おもの乳ちち、甘くふくめる悲みは

醉ゑひのここちにいつとなく沁しみ入りにけり。

源みなもとは遠き苦行くぎやうの山を出で、

平等海びやうどうかいにそそぎゆく久遠くをんの姿、

たゆみなく、音なく移る流ながれには

解けては結ぶ無我むがの渦、思議しぎの外ほかなる

深海ふかうみの眞珠をさぐる船の帆ぞ

今照りわたる、――智さとりなき身にもひらくる

心眼しんがんの華はなのしまらくかがやきて、

さてこそ沈め、靜かなる大河たいがの胸に。

甕の水

甕かめの水濁りて古し、

このゆふべ、覆くつがへしぬる、

甕の水、

惜しげなき逸はやりごころに。

音鈍にぶし、水はあへなく、

あざれたる溝みぞに這ひ寄り、

音鈍し、

呟つぶやける「夢」のくちばみ。

去いねよ、わが古きは去ねよ、

水甕の濁き底濁り、

去ねよ、わが――

噫ああ、なべて澱をどめるおもひ。

耀かがやきぬ雲の夕映ゆふばえ、

いやはての甕の雫に、

耀きぬ、――

わがこころかくて驚く。

「戀」なりや、雫の珠は、

げに清し、ふるびぬにほひ、

「戀」なりや、

珠は、あな、闇きに沈む。

夜よとなりき、嘆くも果敢はかな、

空しかる甕を抱いだきて、

夜よとなりき、

あやなくもこころぞ渇く。

朱のまだら

日射しの

緑ぞここちよき。

あやしや

並なみたち樹蔭路こかげみち。

よろこび

あふるる、それか、君、

彼方かなたを、

虚空こくうを夏の雲。

あかしや

枝さすひまびまを

まろがり

耀かがやく雲の色。

君、われ、

二人が樹蔭路、

緑の

匂ひここちよき。

軟風なよかぜ

あふぎて、あかしやの

葉は皆

たゆげに飜ひるがへり、

さゆらぐ

日影の朱しゆの斑まだら、

ふとこそ

みだるれわが思。

君はも

白帆の澪みを入りや、

わが身に

あだなる戀の杙かし。

軟風なよかぜ

あふぎて澪みを逸それぬ、

いづくへ

君ゆく、あな、うたて。

思ひに

みだるる時の間を

夏雲

重げに崩れぬる

緑か、

朱か、君、あかしやの

樹こかげに

あやしき胸の汚染しみ。

坂路

喘あへぎて上のぼるなだら坂――わが世の坂の中路なかみちや、

並樹の落葉熱き日に燒けて乾きて、時ならで

痛み衰へ、たゆらかに梢離れて散り敷きぬ。

落葉を見れば、片焦かたこげて鏽さび赤らめるその面おもて、

端はしに殘れる緑にも蟲づき病める瘡きずの痕あと、

黒斑くろふ歪ひずみて慘いたましく鮮明あざやかにこそ捺おされたれ。

また折々は風の呼息いき、吹くとしもなく辻卷つじまきて、

燒け爛ただれたる路の砂、惱なやみの骸からの葉とともに、

燃ゆる死滅の灰を揚ぐ、噫ああ、わりなげの悲苦ひくの遊戲ゆげ。

一群ひとむら毎に埃がち憩いこふに堪へぬ惡草あくさうは

渇かわきをとめぬ鹽海しほうみの水にも似たり。ひとむきに

心焦いられて上のぼりゆく路はなだらに盡きもせず。

夢の萎しなへの逸樂いつらくは、今、貴人あてびとの車にぞ

搖られながらに眠ねぶりゆく、その車なる紋章は

倦うんじ眩くるめくわが眼めにも由緒よしありげなる謎の花。

身も魂も頽くづをれぬ、いでこのままに常闇とこやみの

餌食ゑじきとならばなかなかに心安かるこの日かな、

惱盡きせぬなだら坂、路こそあらめ涯はてもなし。

不安

人は今地に俯してためらひゆけり、

疎うとましや、頸垂うなだるる影を、軟風なよかぜ

掻撫かいなづるひと吹ふきに、桑の葉おもふ

蠶かひこかと、人は皆頭かうべもたげぬ。

何處いづこより風は落つ、身も戰をののかれ、

我しらず面おもかへし空を仰げば、

常に飢ゑ、饜あきがたき心の惱み、

物の慾、重たげにひきまとひぬる。

地は荒れて、見よ、ここに「饑饉ききん」の足穗たりほ、

うつぶせる「人」を誰たが利鎌とがまの富と

世の秋に刈り入るる、噫ああ、さもあれや、

畏おそるるはそれならで天あめのおとづれ。

たまさかに仰ぎ見る空の光の

樂がくの海、浮ぶ日の影のまばゆさ、

戰をののける身はかくて信しんなき瞳

射ぬかれて、更にまた憧あくがれまどふ。

何處いづこへか吹きわたり去いにける風ぞ、

人は皆いぶせくも面おもてを伏せて、

盲めしひたる魚うをかとぞ喘あへげる中を

安からぬわが思おもひ、思を食はみぬ。

失ひし翼をば何處いづくに得べき、

あくがるる甲斐もなきこの世のさだめ、

わが靈たまは痛ましき夢になぐさむ、

わが靈は、あな、朽つる肉ししむらの香かに。

絶望

現うつつこそ白しらけたれ、香油にほひあぶらの

艶も失うせ、物なべて呆ほほけて立てば、

夢映すわが心、鏡に似てし

性さがさへも、痴うつけたる空虚うつろに病みぬ。

在るがまま、便たづきなき、在るを忍びて、

文あやもなし、曲もなし、唯あらはなり、

臥房ふしどなき人の生よや裸形らぎやうの「痛み」、

さあれ身に惱みなし、涙も涸かれて。

追想おもひでよ、ここにして追想ならじ、

燈火ともしびの滅きえにたる過去の火盞ほざらと

煤すすびたり、そのかみの物はかなさを、

悦びを、などかまた照らし出づべき。

眼まのあたり佗しげの徑こみちの壞くづれ、

悲みの雨あまそそぎ洗ひさらして、

土の膚はだすさめるを、まひろき空は、

さりげなき無情つれなさに晴れ渡りぬる。

狼尾草ちからしばここかしこ、光射かへす。

貝の殼、陶すゑものの小瓶をがめの碎け――

あるは藍、あるは丹にに描ける花の

幾片いくひらは、朽ちもせで、路のほとりに。

靈たま燻くゆる海の色、宴うたげのゑまひ、

皆ここに空あだの名や、噫、望なし、

匂ひなし、この現うつつわれを囚とらへて、

日は檻をりの外よりぞ酷むごくも臨む。

燈火

人の世はいつしか

たそがれぬ、花さき

香かに滿ちし世も、今、

たそがれぬ靜かに。

滅きえがてに、見はてぬ

夢の影、裾ひく

薄靄の眼のうち

あなうつろなるさま。

人の世の燈火ともしび、

ほのぐらき樹この間を、

わびしらに嘆くか、

燈火の美鳥うまどり。

母の鳥――天あめなる

日のゆくへ慕ひて

泣きいさち嘆かふ

聲のうらがなしさ。

燈火のうま鳥、

うらぶれの細音ほそねに

かずかずの念おもひの

珠たまをこそ聞け、今。

闇やみ墜おちぬ、にほひも

はた色もひとつの

音に添ひぬ、燈火

遠ながき笛の音ね……

草びら

向日葵ひぐるまの蘂ずゐの粉の黄金こがねにまみれ、

あな、夕まぐれ、

朽ちはつる草びらや、

草びらは唯わびしらに。

この夕、雲明あかき空には夏の

あな、榮はえもあれ、

薄ぐらき物かげを

草びらは終りの寢所ふしど。

誓願せいぐわんは向日葵ひぐるまに――菩提ぼだいの東、

あな、涅槃ねはんの西、

宿縁しゆくえんは草びらに、

草びらは靜かに默もだす。

向日葵は蘂の粉の黄金の雨の

あな、涙もて

朽ちはてて壞くづれゆく

草びらの胸を掩ひぬ。

孤寂

椶櫚しゆろの葉音に暮れてゆく夏の夕暮、

たゆまるる椶櫚のはたはた、

裂葉さけばよ、あはれ莖長く葉末は折れて垂たれ顫ふるへ、

天あめに捧げし掌たなごころ、――絶入ぜつじゆの悶もだえ。

さもこそあらめ、淨念じやうねんの信士しんしその人、

孤獨なる祈誓きせいに喘あへぎ、

胸に籠めたる幻まぼろしを雲に痛みて、地のほめき――

そをだに香かうの燻くゆるかと頼めるけはひ。

偉おほいなるかな空そらの宵、天あめの廣葉は

圓まどかにて、呼息いきざし深く、

物皆かげに搖めきて暗うなる間を明星みやうじやうや、

見よ、永劫とことはの嚴いづの苑その、光のにほひ。

ここにては、噫、晝の濤なみ、夜よるの潮うしほと

捲きかへるこころの鹹からさ、

信しんの涙か、憧憬あくがれの孤寂の闇の椶櫚しゆろの花

幹を傳ひてほろほろと根にぞこぼるる。

この時

紺瑠璃こんるりの

潮滿ちに、渚なぎさの

縁ふちさへも

ひびわれむばかりや。

風は和なぎ、

浪は伏す深海ふかうみ、

天津日あまつひは

輝きぬ、まどかに。

いづこをか

もとめゆく、この時、

船の帆よ、

徐おもむろに、彼方かなたへ。

幸さちか、船、

帆章ほじるしは判わかたね、――

生もはた

死の如し、この時。

あまりにも

足らひたり、海原うなばら、

靜けさは

嵐にも似たりや。

天津日あまつひは

うるほひて、日の暈かさ、

暈の環わを

虹にじもこそ彩あやなせ。

紺瑠璃こんるりの

潮しほ熟うみて浸しぬ、

素胎すばらには

あらぬ海、なじかは……

素胎には

あらぬ海、不祥ふじやうの

兒こや生あるる、――

虹の色かつ滅きゆ。

幸か船、

帆じるしは判わかたね、

いづこをか

もとめゆく、この時。

音もなし

光のとばりぎぬ

ゆららに風わたる。

まひろく、はた青き

皐月さつきの空のもと。

いのちの一雫ひとしづく

めぐみぬ、わが胸の

階きざはし、かぎろひを

きざめるそのほとり。

めぐみぬ、花さきぬ、

耀かがよふ玉の苑その、

かすかに花くんじ、

かすかにくづれゆく。

晷ひかげはゆるやかに

うつりて、階きざはしを

垂れ曳く丈たけの髮、

晷ひかげぞ夢みぬる。

さもあれ戀の、嗚呼ああ、

みなしご――わが魂たまは

いのちの花かげに

痛みて聲もなし。

夏の歌

薄ぐもる夏の日なかは

愛欲の念おもひにうるみ

底もゆるをみなの眼めざし、

むかひゐてこころぞ惱む。

何事の起るともなく、

何ものかひそめるけはひ、

執しふふかきちからは、やをら、

重き世をまろがし移す。

窓の外とにつづく草土手、

きりぎりす氣まぐれに鳴き、

それも今、はたと聲絶え、

薄ぐもる日は蒸し淀む。

ややありて茅かやが根を疾とく

青蜥蜴あをとかげ走りすがへば、

ほろほろに乾ける土は

ひとしきり崖をすべりぬ。

なまぐさきにほひは、池の

上うはぬるむ面おもよりわたり、

山梔くちなしの花は墜おちたり、――

朽ちてゆく「時」のなきがら。

何事の起るともなく、

何ものかひそめるけはひ、

眼まのあたり融けてこそゆけ

夏の雲、――空は汗ばむ。

秋の歌

柔らかき苔に嘆かふ

石だたみ、今眞ひるどき、

たもとほる清らの秋や、

しめやげる精舍しやうじやのさかひ。

並び立つ樅もみの高樹たかぎは、

智識めく影のふかみに

鈍ねびくゆる紫ごろも、

合掌がつしやうの姿をまねぶ。

しめやげる精舍のさかひ、――

石だたみ音もかすかに

飜る落葉は、夢に

すすり泣く愁うれひのしづく。

かぎりなき秋のにほひや、

白蝋びやくらふのほそき焔ほのほと

わがこころ、今し、靡なびかひ、

ふと花の色にゆらめく。

花の色――芙蓉ふようの萎しなへ、

衰への眉目まみの沈默もだしを。

寂さびの露しみらに薫くんず、

かにかくに薄きまぼろし。

しめやげる精舍に秋は

しのび入り滅きえ入るけはひ、

ほの暗きかげに燦きらめく

金色こんじきのみ龕づしの光。

苦惱

傳へ聞く彼かの切支丹キリシタン、古いにしへの惱なやみもかくや――

影深き胸の黄昏たそがれ、密室みつしつの戸は鎖さしもせめ、

戰をののける想おもひの奧に「我」ありて伏して沈めば、

魂たましひは光うすれて塵と灰「心」を塞ふさぐ。

懼おそろしき「疑うたがひ」は、噫ああ、自みづからの身にこそ宿れ、

他あだし人責めも來なくに空しかる影の戲たはわざ、

こは何ぞ、「畏怖ゐふ」の黨ともがら群むれ寄せて我を圍むか。

脅おびやかす假かり裝よそほひに松明たいまつの焔ほのほつづきぬ。

聖サンタ麻利亞マリヤ、かくも弱よわかる罪人つみびとに信しんの潮うしほの

甦よみがへり、かつめぐり來て、「肉ししむら」の渚なぎさにあふれ、

俯伏うつぶせに干潟ひがたをわぶる貝の葉の空虚うつろの我も

敷浪しきなみの法喜ほふき傳へて御惠みめぐみに何日かは遇あはむ。

さもあれや、わが「性欲せいよく」の里正むらをさは窺うかがひ寄りて、

禁制きんぜいの外法げほふの者と執しふねくも罵ののしり逼せまり、

ひた強しひに蹈繪ふみゑの型を蹈ふめよとぞ、あな淺ましや、

我ならで叫びぬ、『神よ此身をば磔きにも架かけね』と。

硫黄いわう沸わく煙けぶりに咽び、われとわが座より轉まろびて、

火の山の地獄の谷をさながらの苦惱に疲れ、

死うせて又生くと思ひぬ、――夢なりき、夜よるの神壇、

蝋の火を點ともして念ず、假名文かなぶみの御經みきやうの祕密。

待たるるは高き洩るる啓示みさとしの聲の耀かがやき、――

信しんのみぞ其その證人あかしびと、罪深き内心ながら

われは待つ、天主の姫が讃頌さんしようの聲朗かに、

事果はてて、『汝なれを恕ゆるす』と宣のたまはむその一言ひとことを。

癡夢

陰濕いんしつの「嘆なげき」の窓をしも、かく

うち塞ふさぎ眞白にひたと塗り籠こめ、

そが上に垂れぬる氈かもの紋織あやおり、――

朱あけ碧みどりまじらひ匂ふ眩まばゆさ。

これを見る見惚みほけに心惑まどひて、

誰を、噫ああ、請しやうずる一室ひとまなるらむ、

われとわが願ねがひを、望を、さては

客人まらうどを思ひも出でず、この宵。

唯ただ念ねんず、しづかにはた圓まどやかに

白蝋びやくらふを黄金こがねの臺に點ともして、

その焔ほのほいく重の輪をしめぐらし

燃えすわる夜すがら、われは寢いねじと。

徒然つれづれの慰なぐさに愛の一曲ひとふし

奏かなでむとためらふ思ひのひまを、

忍び寄る影あり、誰たそや、――畏怖おそれに

わが脈の漏刻ろうこくくだちゆくなり。

長き夜を盲めしひの「嘆なげき」かすかに

今もなほ花文けもんの氈かもをゆすりて、

呼息いきづかひ喘あへげば盛りし燭しよくの

火影ほかげさへ、益やくなや、しめり靡なびきぬ。

癡しれにたる夢なり、こころづくしの

この一室ひとま、あだなる「悔くい」の蝙蝠かはほり

氣疎けうとげにはためく羽音はおとをりをり

音なふや、噫ああなどおびゆる魂たまぞ。

滅の香

やはらかき寂さびに輝く

壁の面おも、わが追憶おもひでの

靈たまの宮、榮はえに飽きたる

箔はくおきも褪あせてはここに

金粉きんぷんの塵ちりに音なき

滅めつの香かや、執しふのにほひや、

幾代々いくよよは影とうすれて

去いにし日の吐息かすけく、

すずろかに燻くゆる命の

夢のみぞ永劫とはに往ゆき來かひ、

ささやきぬ、はた嘆かひぬ。

あやしうも光に沈む

わが胸のこの壁の面おも、

惱ましく鈍ねびては見ゆれ、

倦うんじたる影の深みを

幻は浮びぞ迷ふ、――

つややかに、今、緑青ろくしやうの

牧まきの氈かも、また紺瑠璃こんるりの

彩あやも濃き花の甘寢うまいよ、

更にわが思ひのたくみ、

われとわが宿世すぐせをしのぶ

醉ゑひごこち、痴しれのまどひか、

眼まのあたり牲にへの仔羊こひつじ、

朱あけの斑ふの痛いたみと、はたや

愛欲の甘き疲れの

紫の汚染しみとまじらふ

業ごふのかげ、輪廻りんねの千歳ちとせ、

束の間に過すがひて消ゆれ、

幾たびか憧あくがれかはる

肉村ししむらの懴悔ざんげの夢に

朽ち入るは梵音ぼんおんどよむ

西天さいてんの涅槃ねはんの教――

埋うづもれしわが追憶おもひでや。

わづらへる胸のうつろを

煩惱ぼんなうの色こそ通へ、

物なべて化現けげんのしるし、

默もくの華、寂じやくの妙香めうかう、

さながらに痕もとどめぬ

空相くうさうの摩尼まにのまぼろし。

底の底

底の底、夢のふかみを

あざれたる泥ひぢの香か孕はらみ、

わが思おもひふとこそ浮べ。

浮漚うきなわのおもひは夢の

大淀おほよどのおもてにむすび、

ゆららかにゑがく渦の輪。

滯とどこほる銹さびの緑に

濃き夢はとろろぎわたり、

呼息いきづまるあたりのけはひ。

涯もなく、限も知らぬ

しづけさや、――聲さへ朽ちぬ、

あなや、この物うきおそれ。

浮漚うきなわはめぐりめぐりぬ、

大淀のおもてに鈍ねびて

たゆまるる渦の輪のかげ。

物うげの夢の深みに

魂の失うせゆくひまを、

浮漚うきなわのおもひは破やれぬ。

朽ちにたる聲張りあげて

わがおもひ叫ぶとすれど、

空し、ただあざれしにほひ。

涯はてもなきこの靜けさや、

めくるめくおそはれごこち、

涯もなき夢のとろろぎ。

灰色

なべてのうへに灰いろの

靄こそ默もだせ、日の終をはり、

その灰いろに彩あやといふ

彩の喘あへぎを聞くごとし。

冷たく重き冬の靄、

あな、わびしらや、戀も世も

宴うたげも人もひと色に、

信も迷も身も靈たまも。

死の林かとあらはなる

木立こだちの枝のふしぶしは

痛みぬ、風に――悔くいの音、

執着しふぢやくの靄灰色に。

過ぎ去りし日の過ぎもかね、

忘れがてなるわが思おもひ、

朧のかげのゆきかひに

をののかれぬる冬の靄。

われ迷ふ

迷ひぬ、ふかき「にるばな」に、

たわやの髮は身を捲きぬ、

たゆげの夜よるを煩惱ぼんなうは

狎なれてむつみぬ、「にるばな」に。

壁にゑがける執しふの花――

閨ねやの一室ひとまの濃きにほひ、

奇くしき花びら、花しべに、

火影ほかげも、嫉ねたし、たはれたる。

夢の私語ささやき、たわやげる

瑪瑙めなうの甘寢うまい、「にるばな」よ、

艶も貴あてなる敷皮に

嫋なよびしなゆるあえかさや。

愛欲の蔓つるまつはれる

窓の夜あけを梵音ぼんおんに

祕密の鸚鵡あうむ警いましめぬ、――

ああ「にるばな」よ、曉あけの星。

鏡は曇る、薫香くんかうに

まじる一室ひとまの呼息いきごもり、

鏡は晴れぬ、影と影、

覺めし素膚すはだにわれ迷ふ。

穎割葉

日は嘆きわぶ、人知れず、

日は荒れはてし花園に、――

花の幻、陽炎かぎろひや、

あをじろみたる昨きそのかげ。

日は直泣ひたなきぬ、花園に、――

種子たねのみだれの穎割葉かひわれば、

またいとほしむ、何草なにぐさの

かたみともなき穎割葉。

廢れ荒すさみしただなかに

生おひたつ歌のうすみどり、

ああ、穎割葉かひわれば、百ももの種子

ひとつにまじる香かの雫。

斑葉いさはの蔓に罌粟けしの花、

醉ゑひのしびれの盞さかづきを

われから賞めでむ忍冬すひかづら――

種子のみだれを、日は嘆く。

沙は燬けぬ

沙いさごは燬やけぬ、蹠あなうらのやや痛きかな、

渚なぎさべの慣れし巖いはかげに身を避よけて、

磯草の斑ふに敷皮の黄金こがねをおもひ、

いざここに限りなき世の夢を見む。

藍あゐや海原うなばら、白銀しろがねや風のかがやき、――

眼路めぢの涯絶えて翳かげらふものもなく、

ひろき潮に浮び來て帆ぞ照りわたる

遠をちの船、さながら幸さちの盞さかづきと。

なべての人も我もまた絶えず愁へて

渚べを美うまし醉ゑひならぬ癡しれ惑ひ、

どよもし返す浪の音、海の胸なる

言ことの葉はに暗き思ひを溺おぼらしぬ。

今日や夢みむ、幽玄いうげんの象すがたをしばし、

心うらやすし、愁ひは私ひそかに這ひ出でて、

海知らぬ國、荒山あらやまの彼方かなたの森に、

人住まぬ眞洞まほら覓もとめて行きぬらむ。

さもあらばあれ如何いかがせむ、心しらへの

益やくなさを嘲あざみ顏なる薫習くんじふや、

劫初ごふしよの朝の森の香かはなほも殘りて

染しみぬらし、わが素膚すはだなる肉ししむらに。

更にたどれば神の苑その、噫ああそこにしも

晶玉しやうぎよくは活きていみじく歌ひけめ、

木この葉囁ささやき苔薫くんじ、われも和毛にこげの

おん惠み、深き日影に臥こやしけめ。

なべては壞くづれ亂されき、人と生れて、

爭ひて、海の邊ほとりに下り來ぬ、

なべては破やれし榮はえの屑、(顧みなせそ)

人は皆ここに劃かぎられ、あくがれぬ。

大和田おほわだの原、天の原、二重ふたへの帷とばり

徒いたづらにこの彩あやもなき世をつつみ、

風の光の白銀しろがねに、潮の藍に、

永劫えいごふは經緯たてぬきにこそ織られたれ。――

幽玄いうげんの夢さもあらめ、待つに甲斐なき

現うつし世に救ひの船は通ひ來ず、

(帆は照せども)、身は疲れ、崩れ崩るる

浪頭なみがしら、蠱まじの羽とぞ飜る。

虚うつろの靈たまは涯知らぬ淵に浮びて、

身はあはれ響動どよもす海の渚べに、――

またも此時わが愁、森を出でたる

獸けものかと跫音あしおと忍びかへり來ぬ。

海蛆

ひき潮じほゆるやかに、

見よ、ひきゆくけはひ、

堀江に船もなし、

船人ふなびと、船歌も。

濁れる鈍にびの水脈みを

くろずむひき潮じほに、

堀江のわびしらや、

そこれる水脈みをのかげ。

さびしき河岸かしの上

うごめく海蛆ふなむしの

あな、身もはかなげに

怖おぢつつ夢みぬる。

慕はし、海の香かの、――

風こそ通へ、今、

曇りてなよらかに

こもりぬ、海の香かは。

濁れる堀江川

くろずむ水脈みをのはて、

入海たひらかに

かがやく遠渚とほなぎさ。

かなたよ、海の姫、

鴎か舞ひもせむ、

身はただ海蛆ふなむしの

怖おぢつつ醉ゑひしれぬ。

ひき潮じほいやそこり

黒泥くろひぢの水脈みをの底、

堀江に船も來ず、

ましてや水手かこの歌。

大鋸

大鋸おがをひくひびきはゆるく

ひとすぢに呟やくがごと、

しかはあれ、またねぶたげに。

いや蒸しに夏のゆふべは、

風の呼息いき暑さの淀を

練りかへすたゆらの浪や。

河岸かしにたつ材小屋きごやのうちら、

大鋸おがをひく鈍きひびきは

疲れぬる惱みの齒がみ。

うら、おもて、材小屋きごやの戸口、――

生なまあをき水の香かと、はた

あからめる埃のにほひ。

幅びろの大鋸おがはうごきぬ、

鈍き音、――あやし獸けものの

なきがらを沙いさごに摩するか。

はらはらと血のしたたりの

おがの屑あたりに散れば、

材きの香かこそ深くもかをれ。

大鋸おがはまたゆるく動きぬ、

夕雲の照りかへしにぞ

小屋ぬちはしばし燃えたる。

大鋸おがひきや、こむら、ひかがみ、

肩の肉しし、腕かひなの筋と、

まへうしろ、のび、ふくだみて、

素膚すはだみな汗に浸ひたれる

このをりよ、材きの香かのかげに

われは聽く、蝮はみのにほひを。

夜よるの闇這ひ寄るがまま、

大鋸おがひきは大鋸をたたきて、

たはけたる歌の濁だみごゑ。

淨妙華

夜よも日もわかず一室いつしつは、げに畏おそろしき電働機モオトルの

聲の唸りの噴泉ふんせんよ、越歴幾エレキの森の木深こぶけさや、

うちに靈獸潜ひそみゐて青き炎ほのほを牙きに齒かめば、

ここに「不思議」の色身しきしんは夢幻の衣きぬを擲なげうちぬ。

かの底知れぬ海淵かいえんも、この現實の祕密には

深きを比べ難からむ、彼は眠ねぶりて寢ねおびれて、

唯惡相の魚うをにのみ暗き心を悸をののかし、

これは調和の核心かくしんに萬法ばんぱふの根を誘ふなる。

舊きは廢すたれ街まち衢ちまた、また新しく榮ゆべき

花の都の片成かたなりに成りも果てざる土の塊くれ、

塵に塗まみるる草原の、その眞中ただなかに畏おそろしき

大電働機だいモオトルの響こそ日も夜もわかね、絶間なく。

船より揚げし花崗石くわかうせき河岸かしの沙いさごに堆うづたかし、

いづれ大厦たいかの礎いしずゑや、彼方かなたを見れば斷え續く

煉瓦れんぐわの穹窿アアチ。人はこの紛雜ふんざつの裡うちに埋れて

(願はあれど名はあらず)、力と技わざに勵みたり。

嗚呼ああ、想界さうかいに新あらたなる生いのちを享うくる人もまた

胸に轟く心王しんわうの烈しき聲にむちうたれ、

築き上ぐべき柱には奇くしき望の實相を

深く刻みて、譽ほまれなき汗に額をうるほさむ。

さあれ車の鐵の輪りん、軸に黄金こがねのさし油

注げば空を疾とく截きりて大音震ふ電働機モオトルや、

その勢の渦卷の奧所おくがに聽けよ靜寂を、――

活ける響の瑠璃るりの石、これや「眞まこと」の金剛座こんがうざ。

奇くしくもあるかな、蝋石らふせきの壁に這ひゆく導線だうせんは

越歴幾エレキの脈の幾螺旋いくらせん、新あらたなる代に新なる

生命いのち傳ふる原動の、その力こそ淨妙華じやうめうげ、

法音ほふおん開く光明の香にほひぞ人に逼せまり來る。

信樂

靜かに眠ねぶりて、寢魂ねるたまの夜よるの宮にも事あらで、

いと爽さはらかに青みたる晨あしたに寤めざめ、見かへれば、

傴僂くぐせに似たる「昨きそ」の日は過ぎゆく「時」の杖に縋すがり、

何方いづち去いにけむ、思ひ屈くして惱みし我も心うら解けぬ。

零こぼれし種子たねの奇くしきかな、我生わがよ荒すさめる确そねにだに

惠み齎もたらす「信樂しんげう」の朝の一つや、何物も

これには代へじ、「慈悲」の御手みては祕むれど、銀の衡はかりざを、

金きんの秤目はかりめ、その極はての星にかかれる身の錘おもり。

實げに靜まれる日の朝け、曾て覺えぬ悦よろこびに

痩屈やさかみ冷えしわが胸は、雪消ゆきげに濕り、冬過ぎて、

地つちの照斑てりふと蒲公英たなの花、芽ぐむ外との面ものつつましき

春さながらの若萌わかもえにきざす祈誓きせいぞほのかなる。

何とはなしに自おのづから耳を澄せば遠方をちかたに

浪どよみ風の戰そよめける音をし尋とむる心地して、

憧あくがれわたる窓近く小鳥轉じてまぎれむと

惧おそるる隙ひまに聞きわきぬ、過去遠々をんをんの代よをここに。

かくて浮ぶるわが「宿世すぐせ」、瞳徹とほれる手弱女たをやめの

頸うなじをめぐる珠飾たまかざり、譬へばそれが、鳴響き、

瑠璃るりはささやく紅玉こうぎよくに、(さあれ苦の緒をの一聯ひとつらね)、

緑に將はたや紫に、愛の、欣求ごんぐの、信の顆つぶ。

げにこの朝の不思議さを翌あすの夕にうち惑ひ、

わが身をさへに疑はば、惡風さらに劫ごふの火を

誘ひて行手塞ふさぎなば、如何いかがはすべき、弛たゆまるる

腕かひなは渇く唇に淨水じやうすゐ掬むすぶ力なくば。

あるは曲れる「癡ち」の角にいと鈍おぞましき「慾」の牛、

牧場に足らふ安穩あんのんの命に倦みて、すずろかに

埓らちのくづれを踰こえゆかば、星も照らさぬ夜よるの道、

後世ごせの善所ぜんしよを誰かまた鞭うち揮ひ指ししめす。

あるは木強きすぐの本性ほんじやうに潜む蠻夷えみしの幾群の

集つどふやとばかり、われとわが拓ひらかぬ森の下蔭に

思ひ惑まどふや、襲ひ來る彼の殘逆ざんげきの矛槍ほこやりを

血ぬらぬ前に淨めなむ心しらへのありや、否いな。

悲願の尊者、諸菩薩しよぼさつよ、ただ三界さんがいに流浪るらうする

魂たまを憐み御心にかけさせたまへ、ゆくりなく

煩惱ぼんなう盡きし朝に遇ひて、今日を捨身しやしんの首途かどいでや、

遍路の旅に覺王かくわうの利生りしやうをわれに垂れたまへ。

惡の祕所

汗あゆる日も夕ゆふべなり、

空には深き榮映さかばえの

褪あせゆくさまのはかなさは

沙すなに塗まみるる彩あやの波、――

色うち沈む「西」の湫くてや、

黄あめなる牛か、雲群れぬ、

角にかけたる金環きんくわん

倦うんじくづるる音ねのたゆげ。

ここには森の木の樹立こだち、

暗き緑に紫の

たそがれの塵ちり降ふりかかり、

塵は遽にはかに生しやうを得て、

こは九萬疋くまびきの闇の羽、

微かにふめき、蔭に蒸し、

葉うらを繞めぐり、枝々を

流れてぞゆく「夜よる」の巣に。

夏の夕暮、いぶせさや、

不淨のほめき、濕熱しつねつに

釀かもす瘟疫うんえき、瘧病ぎやくへいの、

噫ああ、こは森か、こぶかげに

將はた音もなきさまながら、

闇にこもれる幹と枝、

尖葉とがりは、廣葉、しほたれ葉、

噫、こは森か、「惡」の祕所ひそ。

火照ほでりの天あめの最後いやはての

光咀のろひて、斑猫はんめうは

世をば惑まどはす妖法えうほふの

尼あまにたぐへるそのけはひ、

靜かに浮び消え去りぬ、

彼方かなた、道なき通みちの奧、

生しやうあるものの胤たねを食はむ

蛇くちなは纒まとふ「肉」の廳ちやう。

黄泉路よみぢとばかり、「惡」の祕所ひそ、

蔓草絡からむただなかに、

なべては腐あざれ朽ちゆけど、

樹の幹を沸わく脂やにの膸

薫陸くんろくとこそ、この時よ、

滴り凝こりて、穢けがれたる

身よりさながら淨念じやうねんの

泌しみ出づるごと薫るなれ。

物皆さあれ文あやもなく

暮れなむとする夜よるの門かど、

黒白こくびやくの斑ふの翅つばさうち

はためきめぐる蛾ひとりむし、

見る眼も迫せかれ、安からぬ

思ひもともにはためきぬ、

かくて不定ふぢやうの世もここに

闇の境にはためきぬ。

どくだみ

皐月さつきを溝みぞの穢けがれ水

かぐろみ蒸して沸わきそふや、

小舍こや、廢屋あばらやのかたかげに

草どくだみは(花白き

單瓣ひとへぞ四片よひら)、朝ゆふべ、

朽木くちきを出でて日に障さやる

羽蟻はありの骸からの墓どころ、

暗きにほひにしたしみぬ。

いかなる罪の凶會日くゑにちに

結びそめたる種ならむ、

花どくだみや、統譜うぢぶみの

系すぢをたださば、こは刹利せつり、

須陀羅しゆだらにあらぬさまかたち、――

花の四片ひらは白蓮華びやくれんげ、

葉はまろらかに、さはあれど

色のおもてぞ濁りたる。

穢けがれて臭くさき醜草しこぐさの、

その類葉るゐえふのひとつには

誰たが教へけむ、去りあへぬ

怨嫉をんしつの鬼根に纒まとひ、

生おひかはる芽を咀のろふにか、

これや曼陀羅まだらに織り入れて、

淨土じやうどをしめす實相じつさうの

花ともなさむ本來もとの性。

噫ああ、眇目めうもくの陰陽師おむみやうじ、

古りし「烏からす」にまかせなむ、

過去にうけにしどくだみの

占うらに知らるる業ごふの象かた。

正眼まさめに見れば、道を得て、

ひとり罪負ふ法類ほふるゐや

花には蘂ずゐぞ輝ける、

闇きを照らす火の匂ひ。

寶鐸はうちやくのこゑ曇りたる

皐月さつきにこもり、刻々の

「死」は物かげに降り濺そそぎ、

膿うなわく溝の穢けがれ水、

朽木を出でて日に障さやる

羽蟻は骸からを、どくだみの

(單瓣ひとへ四片よひらの白蓮華びやくれんげ)、

花に足らへる奧津城おくつきに。

碑銘

其一

よろこびぬ、倦うみぬ、

爭ひぬ、厭きぬ。

生命いのちの根白く

死の實みこそにほへ。

眠ねぶりなり、つえぬ、

墮おちぬまを吸ひぬ。

其二

ここよりは路みちもなし、

やすし、はた路みちの岐わかれも。

蒼白き啜泣すすりなき、

聲罅ひびくゑまひの狹霧さぎり。

魂たまと魂あひ寄るや、

寂寞じやくまくの、あはれ、晶玉しやうぎよく。

死はなべて價あたひのきはみ、

得難しや、されど終つひには。

其三

人々よ、奧津城おくつきの冷たき碣いしを、

われを、いざ、蹈ふみて立て。烏許をこの輩ともがら、

盲めしひたり、躓つまづかめ、將來ゆくすゑ遠く

つづきたる階きざはしの、われも一段ひときだ。

其四

肉は、靈は、

二つのちから、

生は、死はよ、

眞砥まとの堅石かたいし、

研みがきいづれ、

摩尼まにの金剛こんがう。

あざれし肉

「神」の牲いけにへ。

虚むなしき靈れい

「蝮まむし」の智さとり。

肉の肉を

われは今おぼゆ。

覺めよ、「人」は

靈れいの靈。

かかる日を冬もこそゆけ

ゆをびぬる日南ひなたのかをり、

かかる日を冬もこそゆけ、

柔らげる物かげの雪、

枝ゆらぐ垣のいちじゆく。

かかる日を、噫ああ、かかる日を

待ちわびぬ、わびしきわが世、

寂寞じやくまくの胸の日南ひなたを

ゆをびぬる思ひのかをり。

幽かすかにも水沼みぬまの遠をちを

水禽みづとりの羽音はおとの調しらべ。

ひときほひ、嵐はまたも

青空の淵にすさべば

その面おもは氷ひの泡だちて

銀しろがねの色に燦きらめく。

冬はいま終はてのいぶきか、

常盤木ときはぎは深くをめきぬ、

いちじゆくの枝はたゆらに

音無おとなしの夢のさゆらぎ。

かくて後、時の靜けさ、

かかる日を冬もこそゆけ、

春の酵母もと――雪のしたみに

かぐはしの思ひは沸わきぬ。

しかすがに水沼みぬまのあなた、

水禽みづとりの羽音はおとのわかれ。

橡の雨

遠方をちかたの樹立こだちに、あはれ、

皐月雨さつきあめ煙けぶれる奧に、薄き日は

射すともなしに漲みなぎりて

緑に浮び霑うるほへる黄金こがねのいぶき。

わが道は雨の中なり、

汗ばめる額を吹きて軟風なよかぜは

蒸しぬ、――心の惱ましさ、

雨に濡れたる礫こいしみち、色蒼白く。

熟々つくづくと彼方かなたを見れば

金蓮こんれんの光を刻む精舍しやうじやかと、

夢も明るき森つづき、――

さあれ、ここは長坂の下りぞ暗き。

わが道は溝みぞに沿ひたり、

その溝を水は濁りぬ、をりをりは

泥に塗まみれし素足すあしして

賤いやしきものの過すがひゆく醉ゑひしれざまや。

ここにこそ幽鬱いぶせきはあれ、

かたへなる蔭に一樹ひときの橡若葉とちわかば、

廣葉ひろははひとり曇りなく、

雨も緑に、さと濺そそぎ、たたと滴したたる。

皐月の歌

雲は今たゆらにわたる、

ああ皐月さつき、――雲の麝香じやかうよ、

麥の香かもあたりに薫くんず、

麥の香の波折なをりのたゆた。

日は醉ゑひぬ、緑は蒸しぬ、

ゆをびかに野はうるみたり、

揚雲雀あげひばり――阿剌吉アラキのみ魂たま、

軟風なよかぜや輕かろき舞ぎぬ。

見よ、瑞枝みづえ、若葉のゆらぎ、

ゆらめける梢のひまを

青空や孔雀くじやくの尾羽をばね、――

數かずの珠、瑠璃るりのつらなみ。

皐月野さつきのの胸のときめき――

節ゆるきにほひの歌ぞ

日に蒸して、緑に醉ゑひて、

たよたよと傳ひゆきぬる。

晩秋

ささやきて去いにける影や、

盞さかづきにしたみし酒は

(飮みさしぬ)、あはれ惱まし、

澁しぶりたる愁うれひに濁る。

ささやきて去いにける影や、

おとづれも今はた絶えぬ、

ほど過ぎて風もあらぬに

ひえびえと膚はだへ粟あはだつ。

うらがれの園にしとれる

石づくゑ、琢みがける面おもの

薄鈍うすにばみ曇るわびしさ、――

「歡樂よろこび」は待てどかへらず。

雲は、見よ、空のわづらひ、

吹き棄つる命のかたみ――

「悲かなしみ」の螺かひかとばかり

晝の月、痕あとこそ痛め。

かくてまた薄らぎ弱る

日のひそみ、風のおとろへ、

黄に默もだす公孫樹いてふの、はたや

灰ばめる楊やなぎの落葉。

一叢ひとむらの薔薇さうびは、かしこ、

凋しぼみゆく花の褪色あせいろ、

くづをるる埋れこころぞ

土の香かの寂さびれは咽ぶ。

空だのめ、何をかは待つ、――

いつしかに日和ひよりかはりて

雨もよひ、やや蒸しぬれば、

秋は今ふとき呼息いきしぬ。

わりなくも聲になやめる

盞さかづきの玻璃はりの嘆きと

うつろへる薔薇さうびの歌と、

かかる日を名殘なごりのしらべ。

序のしらべ

一

華やかに夕日は、かしこ、

矛杉ほこすぎを、檜ひのつらなみを、

華やかに映しいでたる。

(見よ、空の遠をち、

夕暮かけて雲すきぬ。)

なからより上を木の幹、

叢葉むらはこずゑ、ふとあからかに、

なからより樹このもと暗く。

(今、空のうへ

冬をなやらふ風のおと。)

夢なりや、木々のいただき、

仰ふぐ眼めに瞳ぞ歌ふ、

夢なりや、夢のかがやき。

(雲と風とは

春を迎ふる夕あらび。)

二

わが脚は冷たき地つちに

うゑられぬ、をぐらき惱み、

わが脚は重し、たゆたし。――

冷たき地つちは

遁のがれもえせぬ「死」の獄ひとや。

かぐよへるめぐみのかげに

冥みやうをぬく「おもひ」の上枝ほつえ、

かぐよへる天あめのみすがたや。――

めぐみのかげは

闇の絃いと彈ひく序じよのしらべ。

歡喜よろこびのまぢかしや、わが

望の苑その、光の流ながれ、

歡喜の朝あしたをまため。――

まぢかしや、それ

夜は荒すさぶとも、喘あへぐとも。

三

うつつなる春に遇ひなば

甲かんの黄や、乙の紫、

うつつなる夢にわが身も、――

あはれ身はまた

魂たまの常磐ときはにしたしまむ。

翌あすとなり、今日のうれひを

琴きんのすみれ、箜篌くごのもくれん、

翌となりて興じいでなば、――

さらばこころは

いかが燻くゆらむ、追憶おもひでに。

闇おちぬ、今はた空し、

世や、われや、ただひとつらに、

闇おちぬ、闇のくるめき、――

かくて望の

緒をこそまどへ、絶えにきと。

やまうど

やまうどは微かに呻うめく、わなわなと

胸にはむすぶ雙さうの手や、

をみなよ、その手を……

やまうどは寢がへるけはひ。

やまうどの枕を暗く寂しげに

燈火ともしびくもる夜よるの室むろ、

をみなよ、照らしぬ……

やまうどは汗す、額に。

やまうどは何をかもとむ、呼息いきづかひ

いと苦しげに呟やける、

をみなよ、聞け、問へ……

やまうどの唇褪あせぬ。

やまうどの眼まなこは轉まろび沈み入り、

さしめぐらしき惱ましさ、

をみなよ、靜かに……

やまうどに夜よるの氣け熟うみぬ。

やまうどは落居おちゐぬ眠ねぶり、蟀谷こめかみの

脈すぢびよめきて、また弛ゆるぶ、

をみなよ、あな、あな……

やまうどの面おもてほほゑむ。

やまうどをこの束の間に、(その人の

妻たる三年みとせ)、いかに見る、

をみなよ、畏れな……

やまうどの夢は罅ひびきぬ。

やまうどの枕をかへよ、舊ふりぬるも

なほ新たなる布ありや、

をみなよ、いづくに……

やまうどに燈火ともしび滅きえぬ。

鐘は鳴り出づ

『火はいづこぞ』と女めの童わらは、――

『見よ、伽藍がらんぞ』と子の母は、――

父は『いぶかし、この夜よに』と。

(鐘は鳴り出づ、梵音ぼんおんに、――

紅蓮ぐれんのひびき。)

『伽藍のやねに火ぞあそぶ、

ああ鳩の火か、焔ほのほか』と、

つくづく見入る女めの童わらは。

(鐘は叫びぬ、梵音に、――

無明むみやうのあらし。)

『火は火を呼びぬ、今、垂木たるき、

今また棟木むなぎ、――末世まつせの火、

見よ』と父いふ、『皆火なり。』

(鐘はとどろく、梵音に、――

苦熱くねつのいたみ。)

『火はいかにして莊嚴しやうごんの

伽藍がらんを燒く』と子の母は、――

父は『いぶかし誰たが業わざ』と。

(鐘は嘆きぬ、梵音に、――

癡毒ちどくのといき。)

『焔ほのほは流れ、火は湧きぬ、

ああ鳩の巣』と女めの童わらは、――

父は『燒くるか、人の巣』と。

(鐘はふるへぬ、梵音に――

壞劫ゑごふのなやみ。)

『焔の獅子座ししざ火に宣のらす

如來によらいの金口こんくわれ聞く』と、

走りすがひて叫ぶ人。

(鐘はわななく、梵音に、――

虚妄こまうのもだえ。)

『火は内よりぞ、佛燈は、

末法まつぽふの世か、佛殿を

燒く』と、罵ののしり謗そしる人。

(鐘はすさみぬ、梵音に、――

毗嵐びらんのいぶき。)

『鐘樓しゆろうに火こそ移りたれ、

今か、今か』と、狂ふ人、――

『鐘の音ね燃ゆ』と女の童。

(鐘は絶え入る。梵音に、――

無間むげんのおそれ。)

『母よ、明日よりいづこにて

あそばむ』と、また女の童、――

母は『猛火みやうくわも沈みぬ』と。

(鐘は殘りぬ、梵音に、――

欲流よくるのしめり。)

『父よ、わが鳩燒け失せぬ、

火こそ嫉ねため』と女の童、――

父は『遁れぬ、後追へ』と。

(鐘はにほひぬ、梵音に、――

出離しゆつりのもだし。)

水のおも

いと小ちさき窓

晝も夜よも絶えずひらきて、

劃かぎられし水みづの面もの

たゆたひをのみ

倦うんじたるこころにしめす。

淀める沼か、

大河か、はたや入江か、

水みづの面もの一片ひとひらを、

何は知らねど、

絶間なくながめ入りぬる。

蒼白く照る

波の文あや、文は撓たわみて

流れ去り、また疊たたむ

數のすがたは

一々に祕密の意こころ。

しかはあなれど

何事もわれは解げし得ず、

晝は見て、夜想ふ、

その限りなさ、

いつまでか斯くてあるべき。

わが魂たましひを

解き放はなて、見るは崇高けだかき

天あまならず、地つちならず、

ただたゆたへる

水みづの面おも、昨日も今日も。

世をば照らさむ

不思議はも耀き出でねと

待ちければ、こはいかに、

わが魂か、

白鵠びやくこふは水に映りぬ。

哀しき鳥よ、

牲いけにへよ、知らずや、波は、

今、溶とけし焔ほのほなり、

白き翅つばさも

たちまちに燒け失うせなんず。

聞け、高らかに

聲顫ふるへ、『父、子、み靈たまに

み榮のあれよ』とぞ

讃ほめし聖詠せいえい、

臨終いまはなる鳥の惱みに。

わが身はかかる

ありさまに眼をしとづれば、

まだ響く、『みさかえ』と、――

窓の外とを、そと、

見やる時、こは天あめあらめ。

夕ゆふべの空か

水の面おも、こは天あめならめ、

浮べたる榮光に

星は耀く、

しかすがにうら寂しさよ。

われと嘲あざみて

何ものかわれに叛そむきぬ、

暗き室むろ、小ちさき窓、

倦うみて夢みし

信の夢、――それも空あだなり。

おもひで

(妻をさきだてし人のもとに)

「おもひで」よ、淨きよき油を汝なが手なる

火盞ほざらに注ぎ捧げもち、淨き焔の

あがる時、噫ああ、亡き人の面影を

夫せの君のため、母を呼ぶ愛めぐし兒ごのため、

ありし世のにほひをひきて照らし出で、

かへらぬ魂たまをいとどしく悼いためる窓の

小暗をぐらさに慰め人と添へかしな、

慈眼じげんの主ぬしはこれをこそ稱たたへもすらめ。

「おもひで」よ、なほ隈くまもなく、汝なが胸の

こころの奧所おくがひらくべき黄金こがねの鍵を、

悲みにとこしへ朽ちぬしるしありと、

音も爽さやかにかがやかに捧げまつりね。

眞晝

眞晝時とぞなりにける、あるかなきかの

軟風なよかぜもいぶき絶えぬる日盛ひざかりや、

野のかたを見やればひとつ鐘のかげ、

うねりつづける生垣の圍ひの隙ひまを

軒低き鄙ひなの家や白しろくかつ照りつ、

壁を背に盲めしひの漢子をのこ凭よりかかり、

その面おもてをば振りかへし日にぞあてたる。

停とどまり足掻あがく旅の馬、土蹴る音は

緩やかに堅し、輝く光こそ

歌ふらめ、歌あひのしじま長きかな、

眞晝は脚を休めつつ、ひとつところに、

かにかくに過すがひ去ぬべきさまもなく、

濃き空の色はかなたにうち澱よどみ、

暑さはたゆき夢載のせて重げに蒸しぬ。

ロセチ白耳義旅中の吟

聖燈

深き眞晝を弗拉曼ブラマンの鄙ひなの路のべ、

いつきたる小ちさき龕ほくらの傍かたへ過ぎ

窺うかがへば懸かけ聯つらねたる畫の中に、

聖母は御子の寢すがたを擁いだきたまへり

羊を飼へる少女をとめらは羊さし措おき、

晴れし日の謝恩しやおんやここにひざまづく、

はたや日の夕もここにひざまづく、

悲しき宿世すぐせ泣きなむも、はたまたここに。

夜も更けしをり、同じ路、同じ龕ほくらの

かたへ過ぎ、見ればみ燈あかしほのめきて

如法によほふの闇の寂しさを耀かがやき映す、

かくも命の温ぬくみ冷え、疑ひ胸に

燻くゆる時、「信」のひかりをひたぶるに

頼め、その影、あるは滅きえ、あるは照らさで。

ロセチ白耳義旅中の吟

『ルバイヤット』より

其一

泥沙坡ナイシャプルとよ、巴比崙バビロンよ、花の都に住みぬとも、

よしやまた酌くむ杯さかづきは甘うましとて、苦にがしとて、

絶間あらせず、命の酒うちしたみ、

命の葉もぞ散りゆかむ、一葉ひとは一葉に。

朝毎に百千ももちの薔薇は咲きもせめ、

げにや、さもあれ、昨日きのふの薔薇の影いづこ、

初夏月はつなつづきは薔薇をこそ咲かせもすらめ、ヤムシイド、

カイコバアドの尊みことらのみ命をすら惜しまじを。

逝ゆくものは逝かしめよ、カイコバアドの大尊おほみこと、

カイコスル彦ひこ、何はあれ、

丈夫ますらをツアルもルスツムも誇らば誇れ、

ハチム王宴うたげひらけよ――そも何ぞ。

畑はたにつづける牧草まきぐさの野を、いざ共に

その野こえ行手ゆくて沙原すなはら、そこにしも、

王は、穢多ゑたはの差別けぢめなし、――

金の座に安居あんごしたまへマアムウド。

歌の一卷ひとまき樹このもとに、

美酒うまきの壺もたひ、糧かての山、さては汝みましが

いつも歌ひてあらばとよその沙原すなはらに、

そや、沙原もまたの天國。

其二

賢さかし教に智慧ちゑの種子たね播まきそめしより

われとわが手もておふしぬ、さていかに、

收穫とりいれどきの足穗たりほはと問はばかくのみ――

『水の如ごとわれは來ぬ、風の如われぞ逝ゆく。』

オマアカイアム

蠅

さ蠅ばへよ、あはれ、

わがこころなき手もて、今、

汝いましが夏の戲たはぶれを

うるさきものに打拂ふ。

あらぬか、われや

汝に似たるさ蠅の身、

あらぬか、汝、さらばまた

われにも似たる人のさま。

われも舞ひ、飮み、

かつは歌へども、終つひの日や、

差別けぢめをおかぬ闇の手の

うち拂ふらむ、わが翼。

思ひわかつぞ

げにも命なる、力なる、

思ひなきこそ文目あやめなき

死にはあるなれ、かくもあらば、

さらばわが身は

世にも幸さちあるさ蠅かな、

生くといひ、將はた死ぬといふ、

その孰いづれともあらばあれ。

――ブレエク

人魚の海

『怪魚けぎよをば見き』と、奧の浦、

奧の舟人ふなびと、――『怪魚をか』と、

武邊ぶへんの君はほほゑみぬ。

『怪魚をばかつて霧がくれ

見き』と、寂しうものうげに

舵かぢの柄えを執とる老おいの水手かこ。

武邊の君はほほゑみぬ、

水手またいふ、『その面おもて

美女の眉目まみ濃く薫りぬ』と。

水手はまたいふ、『人魚とは

げにそれならめ、まさめにて

見しはひとたび、また遇はず。』

船はゆらぎて、奧の浦、

霧はまよひて、光なき

入日惱める秋の海。

『げにかかりき』と、老おいの水手かこ、

『その日もかくは蒼白く

海は物さび呼息いきづきぬ。

『舷ふなばたふるへわななきて、

波のうねうね霜じみの

色に鈍にばみき、そのをりに――』

武邊ぶへんの君はほほゑみぬ、

水手かこの翁おきなは舵かぢとりて、

また呟ける、『そのをりに――』

武邊の君は眼を放ち

海を見やれば、老が手に

馴れたる舵の軋きしむ音。

船はこの時脚重く、

波間に沈み朽ち入りて

ゆくかのさまにたじろぎぬ。

水手の翁もほほゑみぬ、

凶まがの時なり、奧の浦、

ああ人も人、船も船。

昔の夢ぞほほゑめる。――

『そのをりなりき、たちまちに

波は燃えぬ』と、老の水手。

つぎてまたいふ、『海にほひ、

波は華さき、まどかにも

夕日の臺うてなかがやきぬ。

『波は相寄りまた歌ふ、

焔ほのほの絹につつみたる

珠のささやく歌の聲。

『そのをりなりき、眼まのあたり

人魚にんぎようかびぬ、波は燃え、

波は華さき、波うたふ。

『黄金こがねの鱗うろこ藍あゐぞめの

潮しほにひたりて、その面おもて

人魚は美女の眉目まみ薫る。』

昔の夢ぞかへりたる、――

凶まがの時なり、奧の浦、

ああ時も時、海も海。

『瞳子ひとみは瑠璃るり』と、老の水手、

『胸乳むなぢ眞白に、濡髮を

かきあぐる手のしなやかさ。――

『武邊の殿よ、かかりき』と、

言へば諾うなづき、『見しはそも――』

殿はほほゑみ、『何處いづこぞ』と。

『殿よ、ここぞ』と、老の水手

眼をみひらけば、霧の墓、

ただ灰色の海の面おも。

昔の夢はあざわらふ、――

『何處』と問へば『ここ』と指す

手こそわななけ老の水手。

船は今しも帆を垂れぬ、

人囚とらはれぬ、霧の海、

ただ灰色の帷とばりのみ。

『げにかかりき』と、老おいの水手かこ、

『船も狹霧さぎりも海原うなばらも、

胸のとどろき、今日もまた――』

またいふ、『あなや、渦まきて、

霧は狹霧を呑み去りぬ、

殿よ、沒日いりひは波を焚たく。』

武邊の君は身じろがず、

帆は、――老の水手『見じ』とただ――

帆は紅くれなゐに染りたり。

『あな見じ』とこそ老の水手、――

人魚うかびぬ、たちまちに

武邊の君が眼まのあたり。

二つに波はわかれ散り、

人魚うかびぬ、身にこむる

薫も深し波がくれ。

人魚の聲は雲雀ひばりぶえ、――

波は戲たはぶれ歌ひ寄る

黒髮ながき魚うをの肩。

人魚の笑ゑみはえしれざる

海の青淵あをぶち、その淵の

蠱まじの眞珠またまの透影すいかげか。

人魚は深くほほゑみぬ、――

戀の深淵ふかぶち人をひき、

人を滅ほろぼすほほゑまひ。

武邊の君は怪魚けぎよを、きと

睨にらまへたちぬ、笑ゑみの勝、――

入日は紅く帆を染めぬ。

武邊の君は船の舳へに、

血は氷りたり、――海の面もは

波ことごとく燃ゆる波。

武邊の君は半弓はんきゆうに

矢をば番つがひつ、放つ矢に

手ごたへありき、怪魚の聲。

ああ海の面、波は皆

をののき氷り、船の舳に

武邊の君が血は燃えぬ。

痛手に細る聲の冴え、

人魚は沈む束の間も

猶ほほゑみぬ、――戀の魚。

むくいは強し、眼に見えぬ

影の返し矢、われならで、

武邊の君は『あ』と叫ぶ。

人魚ぞ沈むその面に

武邊の君は亡妻なきつまの

ほほゑみをこそ眼まのあたり。

亡妻の笑ゑみ、怪魚けぎよの眼と

怪魚の唇、――悔くいもはた

今はおよばじ波の下。

昔の夢はひらめきて

闇に消え去り、日も沈み、

波は荒れたち狂ひたつ。

暴風あらしのしまき、夜の海、――

水手かこの翁はさびしげに

『船には泊はつる港あり。』

泊つる港に船は泊つ、

さあれすさまじ夢のあと、

人のこころの巣やいづこ。

武邊の君はその日より

こころ漂ひ二日經て、

またたどり來ぬ奧の浦。

領主の館たちの太刀試合たちじあひ、

また夜の宴うたげ、名のほまれ、

武邊の君は棄て去りぬ。

二日を過ぎしその夕、

武邊の君はそそりたつ

巖いはほのうへにただひとり。

巖の下もとに荒波は

渦まきどよみ、ながめ入る

おもひくるめく瑠璃るりの夢。

帆かげも見えず、この夕、

霧はあつまり、光なき

入日たゆたふ奧の浦。

武邊の君に幻の

象すがたうかびぬ、亡妻の

面おもわのゑまひ、――怪魚けぎよの聲。

『幻の界よぞ眞まことなる』――

武邊の君はかく聞きぬ、

痛手にほそる聲の冴え。

ああ、くるめきぬ、眼もあはれ、

心もあはれ、青淵に

まきかへりたる渦の波。

武邊の君は身を棄てて

淵に躍らす束の間を、

『父よ』と風に呼ぶ聲す。

武邊の君の身はあはれ

ゑまひの渦に、幻の

波のくるめき、夢の泡。

『父よ』と呼びぬ、奧の浦、

水手かこの翁はその聲を、

眠ねぶらで聞きぬ夜もすがら。

水手の翁は曉に

奧の浦べを『父』と呼ぶ

姫のすがたにをののきぬ。

『姫よ、怪魚けぎよかと魂消たまぎえぬ、

は、は』と寂しう老の水手、

『姫よ、さいつ日わが船に――』

『父は人魚のあやかしに――』、

姫は嘆きぬ、『父はその

面わのゑみに誘ひかれき』と。

『姫よ、武邊の君が矢に

人魚は沈み、夜の海、

あらしの船』と老の水手。

姫は嘆きぬ、『名のほまれ、

領主の館たちの太刀試合、

父は辭いなみてあくがれき。』

『姫よ、甲斐なき人の世』と

老は呟く、姫はまた

『父は怪魚けぎよ棲すむ海の底。』

ああ幾十度いくそたび、『父』と呼ぶ

姫が聲こわねに力なく、

海はどよもす荒磯あらいそべ。

姫は『母よ』と、聲ほそう、

『母よ』と呼べば、時も時、

日はさしいづる奧の浦。

黄金こがねの鱗うろこ波がくれ、

高波白くたち騷ぎ、

姫を渚に慕ひ寄る。

三たび人魚を眼まのあたり、

水手の翁は『三度ぞ』と、

姫をまもりてたじろげば、

渚かがやく引波ひきなみの

跡に人魚は身を伏せて、

悲み惱む聲の冴え。

姫は人魚をそと見やる、

人魚は父の亡骸なきがらを

雙さうの腕かひなにかき擁いだき、

眞白き胸の血のしづく、

武邊の君が射むけたる

矢鏃やじりのあとの血の痛手。

人魚はやをらかなしげに

面おもてをあげぬ、悲しめど

猶ほほゑめる戀の魚。

人魚は遂に絶え入りぬ、

姫はすずろに亡父なきちちの

むくろに縋り泣き沈む。

渚なぎさどよもす高波は

ふたたび寄せ來く、老の水手、

『あなや』と叫ぶ隙ひまもなく、

武邊の君が亡骸なきがらも、

姫も、人魚も、幻の

波にくるめく海の底。

水手の翁はその日より

海には出でず、『まさめにて

三度みたび人魚を見き』とのみ。

(明治四十一年一月刊)

底本 / Source edition

底本:「日本現代文學全集 22 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」講談社
1968(昭和43)年5月19日初版発行
1969(昭和44)年10月1日第2刷
底本の親本:「有明集」易風社
1908(明治41)年1月1日
入力:広橋はやみ
校正:荒木恵一
2014年7月16日作成
2015年10月20日修正
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TEI
/works/045252_001055/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/045252_001055/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/045252_001055/

蒲原 有明「有明集」(旧字旧仮名)、底本『日本現代文學全集 22 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集』講談社、1968年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 045252_001055, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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