ヨーロッパから西アジヤにかけて、方々にちらばつてる一つの民族があります。何かの職業について、一つ<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>に<ruby><rb>住居</rb><rt>すまひ</rt></ruby>を定めてる者もありますが、多くは、各地をわたり歩いてる流浪の者です。それで、数は少いけれど、<ruby><rb>到</rb><rt>いた</rt></ruby>るところに見かけられます。<ruby><rb>彼等</rb><rt>かれら</rt></ruby>は自分でロマ<ruby><rb>人</rb><rt>びと</rt></ruby>だとかコラ<ruby><rb>人</rb><rt>びと</rt></ruby>だとかいつてゐますが、フランスではボヘミアンと呼ばれ、イタリヤではツンガリーと呼ばれ、イギリスではジプシーと呼ばれてゐます。――日本には、イギリス語のジプシーといふのが一番よく知られてゐます。

そのジプシーのうちに、エミリアンといふ少年がありました。両親に死に別れて、たつた一人で、方々をわたり歩いてゐました。どこか気に入つたところに<ruby><rb>住居</rb><rt>すまひ</rt></ruby>を定めるつもりでしたが、その気に入つたところがなかなか見当りませんので、のんきな旅をつづけてるのでした。荷物といつては、美しい<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスのはいつた小さな<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>と、バイオリンだけでした。時には旅芸人の仲間にはいつたり、時には何か臨時の仕事にやとはれたりして、そして大抵は一人で、リスに芸をさしたりバイオリンをひいたりしてお金をもらひ、あてもなく旅をしてゐました。りこうで、のんきで、朗かな少年でした。

この少年エミリアンの旅の話を少し致しませう――

## 一　盗賊に出あふ話

## 一

フランスの東部の山の中の小さな町に、<ruby><rb>市</rb><rt>いち</rt></ruby>がたつて、近在から農夫たちがたくさん集り、<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎや</rt></ruby>かな一日が暮れた、その晩のことです。エミリアンは広場で、<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスに<ruby><rb>車廻</rb><rt>くるままは</rt></ruby>しの芸をさしたり、バイオリンをひいたりして、だいぶお金をまうけて、町はづれの宿屋にとまりました。宿屋にはおほぜい客がありましたし、彼は少年でしたから、二階の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>の物置みたいな<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>に入れられました。

夜なかすぎになると、市の<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎは</rt></ruby>ひにみんな疲れて、農夫たちは帰つていき、町人たちは寝こみました。エミリアンもぐつすり眠りました。

そのしいんとしたなかで、夜明近い<ruby><rb>頃</rb><rt>ころ</rt></ruby>、三人の盗賊が宿屋をおそひました。市の後ですから、宿屋にはたくさんお金がたまつてゐますし、お金をもつた客もとまつてゐますので、それをめざしたのです。

三人の盗賊は、めいめい大きなピストルをもつて、裏口の戸をこじあけて中にはいり、<ruby><rb>先</rb><rt>ま</rt></ruby>づ雇人たちを縛りあげ、次に主人夫婦を縛りあげて、お金をすつかり取上げました。大きなピストルをさしつけておどかされたので、<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>も<ruby><rb>手向</rb><rt>てむか</rt></ruby>ひができず、声を立てる者さへありませんでした。それから盗賊は、<ruby><rb>合鍵</rb><rt>あひかぎ</rt></ruby>をださせて、泊り客の<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>を順々におそひ、みんな縛りあげて、お金を奪ひ取りました。

一番終が、エミリアンの室でした。

ぐつすり眠つてゐたエミリアンが、ゆりおこされて、<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>をあけると、<ruby><rb>龕燈</rb><rt>がんどう</rt></ruby>の光をぱつとさしつけられてゐました。びつくりして、起き上つてみますと、あらくれた強さうな大きな男が三人、大きなピストルをさしむけてゐます。

「なんだ、子供か」と一人の男がいひました。「だが、金を持つてるだらう。出してしまへ」

エミリアンはじろじろ三人の様子を<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めました。そして盗賊だとわかつてしまふと、<ruby><rb>却</rb><rt>かへ</rt></ruby>つて<ruby><rb>落付</rb><rt>おちつ</rt></ruby>きました。

「君たちは、何だい」とエミリアンは尋ねてみました。

「盗賊さまだ」と一人の男が答へました。「ぐづぐづいはずに、金を出せ」

「ほう、<ruby><rb>泥坊</rb><rt>どろばう</rt></ruby>か」とエミリアンはいひました。「泥坊にしちやあ、へたくそのしんまいだな」

「何だと！　<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>たちは、この<ruby><rb>山奥</rb><rt>やまおく</rt></ruby>に住んでる<ruby><rb>狼団</rb><rt>おほかみだん</rt></ruby>といふ、えらい盗賊だぞ」

「それだつて、ピストルなんかでおどかすのは、へたくそのしんまいだ。<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>は、世界中で一番上手だといふ泥坊を知つてるよ。その話をきかしてあげようか。やはり君たちみたいに、三人組の泥坊だよ」

三人の盗賊は顔を見合せました。エミリアンはかまはずに話しだしました。

## 二

「その、とてもずるい三人の<ruby><rb>泥坊</rb><rt>どろばう</rt></ruby>が、ある日、一人の百姓に出あつたんだよ。百姓は立派な服をきて、立派な<ruby><rb>驢馬</rb><rt>ろば</rt></ruby>にのつて、首に鈴をつけた立派な<ruby><rb>山羊</rb><rt>やぎ</rt></ruby>をひいて、町に出かけるところだつた。その立派な服と立派な驢馬と立派な山羊とを見て、三人の泥坊は、それをみんな盗んでしまはうと思つた。だが、君たちみたいに、ピストルでおどかして取つたんぢやないよ。世界で一番上手な泥坊だもの、向うに気付かれないやうにして、こつそり盗んでしまつたんだ。どうして盗んだか、君たちにはわかるまい。……おう寒い。服をきてから話してあげよう」

そしてエミリアンは、すつかり服をきてしまひました。三人の盗賊は寝台のふちに腰をかけて、ピストルを<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>において、話のつゞきを待つてゐました。エミリアンは笑ひながら話しました。

「<ruby><rb>先</rb><rt>ま</rt></ruby>づ、一人の泥坊が、百姓のあとをつけていつたよ。百姓は驢馬にのつかつて、鼻歌なんかうたつてゐる。で泥坊は、そつと山羊の頭をなでながら、その綱を切つて、首の鈴を驢馬の<ruby><rb>尻尾</rb><rt>しつぽ</rt></ruby>にゆはひつけて、山羊だけを盗んでいつてしまつた。驢馬の<ruby><rb>尻尾</rb><rt>しつぽ</rt></ruby>で鈴がなつてるものだから、百姓は何にも気がつかなかつたんだよ。

そのうちに、百姓はふと振向いて、山羊がゐないのに気がついた。びつくりして、驢馬からとびおりて、驢馬をそこにつないで、山羊をさがしに、後にひつかへしていつた。ところが、山羊はどこにも見つからない。がつかりして、<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>つてくると、驢馬はもう第二の泥坊から盗まれたあとなんだ。百姓は泣きだしてしまつたよ。

そこへ、第三の泥坊が通りかゝつた。何を泣いてるんですかと尋ねると、立派な山羊と立派な驢馬とがゐなくなつた、といふんだらう。で泥坊はかういつてやつた。――それぢやあ、<ruby><rb>私</rb><rt>わたし</rt></ruby>はさつき、<ruby><rb>井戸</rb><rt>ゐど</rt></ruby>のなかに驢馬がおつこちるところを見たが、きつとあなたの驢馬でせう。<ruby><rb>山羊</rb><rt>やぎ</rt></ruby>がおつこつたから、それを助けようとして、驢馬もおつこつたのかも知れません。早くいつてごらんなさい。

百姓はひどく喜んで、井戸のところへ連れていかれた。泥坊は井戸の中をのぞきこんで、おーい、おーい、と呼ぶと、底の方から、はーん、はーん、とこだまする。あゝ<ruby><rb>私</rb><rt>わたし</rt></ruby>の驢馬だ、と百姓は叫んで、すぐにはいつていかうとするから、泥坊はそれをとめたよ。そして、服をぬがなくちや<ruby><rb>濡</rb><rt>ぬ</rt></ruby>れるでせう、<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>も見てる者はないから……といふと、百姓もなるほどとうなづいて、立派な服をぬいで、井戸のなかにはいつていつた。で泥坊は、その立派な服を盗んでいつてしまつた」

その話を、盗賊どもは面白がつてきいてゐました。エミリアンはにこにこしていひました。

「どうだい、すてきな泥坊だらう。ところで、その三人のうち、<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>が一番ずるいと思ふ？」

「<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>は第一の泥坊だと思ふ」と一人の盗賊がいひました。

「俺は第二の<ruby><rb>奴</rb><rt>やつ</rt></ruby>だと思ふ」とも一人の盗賊がいひました。

「いや、俺は第三のだと思ふ」と三人目の盗賊がいひました。

そして三人で、議論をはじめました。

「なるほど、君たちにはわからないだらう」とエミリアンはいひました。「まだへたくそのしんまいだからなあ。その三人のうちで<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>が一番ずるいか、それがわかるのには、さうだなあ、この二階の窓から、少しも音を立てないで、そつと下におりられるやうにならなくちやだめだ」

「この窓からか」

「さうだよ。飛びおりれば音がするし、壁をすべりおりても音がする。それを、音がしないやうに、そつとおりるんだよ」

盗賊たちは窓をあけて、外を見ました。<ruby><rb>真暗</rb><rt>まつくら</rt></ruby>な夜で、窓の下に何があるかさへ見分けがつきません。

## 三

「どうだい、出来ないだらう」とエミリアンはいひました。

「それぢやあ、お前に出来るか」と盗賊の一人がいひました。

「出来るとも」

「ぢやあやつてみろ」

「よし、やつてみせよう。だが、<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>一つぢやあ、つまらないなあ」

エミリアンは<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>の中を見まはしました。

「いゝものがある。このバイオリンを持つておりよう。すぐに音がするだらう。それを、音のしないやうにするんだ」

そして彼はバイオリンを取りあげました。

「あゝ、こゝにリスの<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>がある。すぐに騒ぎだすかも知れないが、それを、音のしないやうにするんだ」

そして彼はリスの籠をとりあげました。

「こんどは、何か重いものはないかなあ」

「これをかしてやらう」と一人の盗賊が、面白がつて、大きなピストルを差出しました。

「これは重いぞ」とエミリアンは受取つていひました。

「<ruby><rb>弾</rb><rt>たま</rt></ruby>がはいつてるから、用心しろ」

「大丈夫だい」

エミリアンは、自分のバイオリンと<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスの籠とを片手にさげ、盗賊のピストルを腰にさして、そつと窓からはひ出しました。盗賊どもは、そんな荷物を持つて音がしないやうにおりられるかしらと、不思議に思つて、じつと見てゐました。

<ruby><rb>室</rb><rt>へや</rt></ruby>は二階のはしで、窓のそばに、大きな<ruby><rb>雨樋</rb><rt>あまどひ</rt></ruby>が地面までつゞいてゐました。エミリアンはその<ruby><rb>樋</rb><rt>とひ</rt></ruby>の<ruby><rb>留金</rb><rt>とめがね</rt></ruby>に片手でつかまり、樋に両足をかけると、そのまゝ、するすると滑りおりました。バイオリンがびーんと響きました。<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスがかさかさ動きだしました。樋がからから鳴りました。

「音がしたぞ、音がしたぞ」と盗賊どもは窓から叫びました。

けれどエミリアンは、もう音がしようがどうしようがかまひませんでした。返事もしませんでした。盗賊どもをだまして、自分の荷物をもちだし、おまけにピストルまで一つ奪つたのです。樋から滑りおりると、そのまゝ身をかくして、建物にそつて逃げだしました。

エミリアンは町の中に出ました。どの<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>も戸締りをしてねてゐます。それに所所街燈がついてゐます。これはいけないと思つて、野原の方へ逃げました。<ruby><rb>真暗</rb><rt>まつくら</rt></ruby>な野原の中を、むちゆうに駆けていきました。<ruby><rb>藪</rb><rt>やぶ</rt></ruby>のなかにかくれました。

<ruby><rb>真暗</rb><rt>まつくら</rt></ruby>な、しいんとした夜です。どこにも人の足音も、物の動くけはひもしません。空には星がいつぱい出てゐます。茂みの間からその星を<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めてゐると、エミリアンはやうやく<ruby><rb>落付</rb><rt>おちつ</rt></ruby>きました。それからうつらうつらしてゐるうちに、やがて夜が明けました。

エミリアンは珍しさうに、盗賊のピストルをひねくりまはしました。六連発の大きなものでした。その六つの<ruby><rb>弾</rb><rt>たま</rt></ruby>をぬいてポケットにをさめ、ピストルを腰にさしました。そして、<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスの籠をさげ、バイオリンをかゝへて、朝日をあふぎながら口笛をふいて、ほかの町の方へやつていきました。

## 二　夜鳴き<ruby><rb>鵞鳥</rb><rt>がてう</rt></ruby>の話

## 一

それから幾日かの後、エミリアンがフランスの南部のある村を通りかゝりますと、村中の人が集つて、大騒ぎをしてゐました。村で一番の金持らしい大きな<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の庭に、幕を張りまはして、祭壇をこさへて、そして村人たちはみな<ruby><rb>晴着</rb><rt>はれぎ</rt></ruby>をきて、忙しさうに<ruby><rb>往</rb><rt>い</rt></ruby>つたり来たりしてゐます。

――何事が<ruby><rb>始</rb><rt>はじま</rt></ruby>つたのかしら。

エミリアンは立ちどまつて、首をかしげました。

その道ばたに、白い<ruby><rb>髯</rb><rt>ひげ</rt></ruby>のあるお<ruby><rb>爺</rb><rt>ぢい</rt></ruby>さんが一人<ruby><rb>屈</rb><rt>かが</rt></ruby>みこんで、パイプの<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>をふかしてゐました。エミリアンは近よつていつて、尋ねました。

「何事かあるんですか」

お爺さんは顔をあげて、エミリアンの様子をじろじろ<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めました。そして答へました。

「お前さんは旅の者だな。それぢやあ知らないわけだ。……まつたく、不思議なことが起つたものさ」

「どんなことですか」

お爺さんはパイプの灰をはたいて、話してきかせました。それによると――

三日前のことです。夜なかに、この村一番の金持の家の<ruby><rb>鵞鳥</rb><rt>がてう</rt></ruby>が、ふいに、けたゝましく鳴きだしました。それからつゞいて、隣の<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>の鵞鳥が鳴きだす。また次の家の鵞鳥が鳴きだす。しまひには、村中の鵞鳥が鳴きだしました。一体この村は鵞鳥の多いところで、その金持の家だけでも幾十羽もをり、大抵どの家にも幾羽か飼つてゐます。それがみんながあがあ鳴きだしたものですから、騒々しいつたらありません。村人たちもみな<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>をさまして、朝まで眠れませんでした。

それから、次の夜にも、また同じことが起りました。

あまり不思議なので、何か悪者が村のなかをうろついてるのではないか、といふことになつて、三日目の夜には、村の若者たちが、<ruby><rb>棍棒</rb><rt>こんぼう</rt></ruby>を持つて夜警をしました。ところが、夜なかになると、また金持の家の鵞鳥がふいに鳴きだし、それにつれて村中の鵞鳥が鳴きだしました。村中の人が起上りました。けれども、悪者や怪しい者の姿は更に見えませんでした。

不思議なことだ、とみな考へました。すると、これは悪魔が来たんぢやないか、といひだす者がありました。黒い羽のはえた<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>かうもり</rt></ruby>みたいなものが空を飛んでゐた、といひだす者がありました。角のはえた黒いものが<ruby><rb>藪</rb><rt>やぶ</rt></ruby>の中にゐたやうだ、といひだす者がありました。

そこで、まあとにかく、神父さまにお<ruby><rb>祷</rb><rt>いの</rt></ruby>りをして頂かうといふことになつて、遠い町から名高い神父さまを呼んで、丁度そのお祷りが始まるところなんです。

「珍しいことだ」とお爺さんは話しをはつていひました。「わたしはもう七十になるが、この節では、悪魔なんてものは話にもきいたことがない。それが、ひよつこりこの村に出てきたとなると、まつたく珍しいことだ」

「<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>にも、そのお祷りを見せて下さいませんか」とエミリアンはいひました。

「あゝいゝとも。名高いありがたい神父さまだ。よく拝んでおきなさい」

もうそのお祷りが始まるときでした。エミリアンはお爺さんにつれられて、<ruby><rb>張幕</rb><rt>はりまく</rt></ruby>のなかにはいつていきました。

<ruby><rb>張幕</rb><rt>はりまく</rt></ruby>のなかには、着飾つた村人たちがいつぱい立並んでゐました。正面に祭壇があつて、<ruby><rb>蝋燭</rb><rt>らふそく</rt></ruby>の火がともり、花やお菓子や、そのほかいろんな供物が並んでゐまして、主キリストの像の前に、香の煙が立昇つてゐます。

やがて、金持の家の主人に導かれて、神父さまが出てきました。金線にかざられた黒い四角な帽子をかぶり、<ruby><rb>真白</rb><rt>まつしろ</rt></ruby>な服の上に、赤と金との模様のついた<ruby><rb>上衣</rb><rt>うはぎ</rt></ruby>をつけて、太い長い珠数を手にしてゐました。

香の煙が幕のなかにいつぱいひろがり、<ruby><rb>蝋燭</rb><rt>らふそく</rt></ruby>の火がゆらめいて、お祷りが始まりました。しいんとしたなかに、神父さまの声だけが厳かに響きました。それがすむと聖歌になつて、村人たちは声をそろへて歌ひました。そして……アーメン。

お祷りが終りますと、村人たちはみなほつとして、それぞれ<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>へ帰つていきました。

エミリアンはお爺さんの家へついていきました。

「あれで、もう大丈夫でせうか」

「え、鵞鳥のことかね。悪魔のしわざだつたとしたら、もう大丈夫さ」

それでも、お爺さんはまだ何だか気がかりらしい様子でした。

その晩、エミリアンはお爺さんの家に泊めてもらひました。ところがどうでせう、その夜なかに、やはり鵞鳥が鳴きだしました。金持の家から始まつて、村中のが、があがあ鳴きたてました。村人たちはみな起上りました。朝まで眠れませんでした。

四日もつゞいたことですから、鵞鳥ばかりでなく、村人たちも眠りがたりなくて、頭がぼんやりしてきました。神父さまのお祷りも<ruby><rb>効目</rb><rt>ききめ</rt></ruby>がなかつたとすると、悪魔のせゐではなかつたかも知れません。それなら、一体何のせゐだらう。やはり何か悪者でもうろついてるんぢやないかしら……。

五日目の夜には、村の若者たちはまた夜警を始めました。エミリアンもお<ruby><rb>爺</rb><rt>ぢい</rt></ruby>さんの許しで、その夜警に加はりました。

エミリアンは、あの盗賊から奪つた大きなピストルを持つて、怪しい<ruby><rb>奴</rb><rt>やつ</rt></ruby>が出たら打ち殺してやらうと思つて、金持の家の庭の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>に、じつとひそんでゐました。

夜はだんだんふけていきます。村の<ruby><rb>中</rb><rt>うち</rt></ruby>を夜警の人たちが<ruby><rb>見廻</rb><rt>みまは</rt></ruby>つてるだけで、風もない暗い夜です。すると、ふいに、<ruby><rb>鳥屋</rb><rt>とや</rt></ruby>のなかで、一羽の鵞鳥がけたゝましく鳴いたかと思ふと、たくさんの鵞鳥がいちどに、があがあ鳴きだしました。と同時に、エミリアンは<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>のなかをすかして見ましたが、何にも怪しい影さへ見えません。いまいましくなつて、いきなり、ピストルを空に向つて打ち放しました。

どーんと、大きな音が響きわたりました。と不思議にも、鵞鳥の<ruby><rb>鳴声</rb><rt>なきごえ</rt></ruby>がぱつたりやみました。

夜警の人たちがかけつけてきました。エミリアンはたゞ笑つてゐました。いまいましいからピストルを打つてみたんだと、すましてゐました。けれど不思議にも、鵞鳥はもう鳴きやんで、夜が明けるまで一声もたてませんでした。

それを聞いて、お爺さんはうなづきました。

「さうだ、お前さんはなかなか利口だ。ピストルの音をきいて、鵞鳥はびつくりして、それで鳴きやめたに違ひない。今夜もその通りやつてみるんだな」

それで、次の夜も、エミリアンはピストルを持つて、金持の家の庭にひそみました。夜なかに、鵞鳥はまた鳴きだしました。エミリアンはどーんとピストルを打ちました。鵞鳥はぴたりと鳴きやみました。

その次の夜も、同じでした。

ところで、どうして夜なかに鵞鳥が鳴きだすか、それが<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>にも分りませんでした。もうはじまつてから七日になります。夜警をするのが四晩です。エミリアンは三度もピストルを打ちました。でも、怪しい者なんか、影も形も見えません。村中の鵞鳥も、一羽もなくなつたのはありません。

エミリアンは眠りがたりなくて、ぼんやりしながら、<ruby><rb>日向</rb><rt>ひなた</rt></ruby>の野原に出て、考へこんでゐました。野原の中には、金持の家の鵞鳥どもが<ruby><rb>群</rb><rt>むれ</rt></ruby>をなして、<ruby><rb>餌</rb><rt>ゑ</rt></ruby>をあさつて遊んでゐました。

エミリアンがほつと<ruby><rb>溜息</rb><rt>ためいき</rt></ruby>をついて、頭をあげて見ると、鵞鳥どもはまだ楽しさうに遊んでゐます。そのなかで、一羽、<ruby><rb>痩</rb><rt>や</rt></ruby>せほそつたのが、<ruby><rb>群</rb><rt>むれ</rt></ruby>をはなれて、じつと一つところにすくんでゐます。

――おや、あいつ病気かな。

エミリアンは何の気もなく立上つていきました。すくんでる一羽の鵞鳥は、エミリアンが近づいても逃げようともしません。エミリアンはそつとその背中をなでてやりました。鵞鳥はじつとしてゐます。あんまり<ruby><rb>痩</rb><rt>や</rt></ruby>せてすくんでるので、よく見ますと、胸のところが、大きくはれ上つてゐます。調べてみると、そこに、<ruby><rb>朽木</rb><rt>くちき</rt></ruby>の<ruby><rb>刺</rb><rt>とげ</rt></ruby>がさゝつて、まはりがぶよぶよにうんでゐます。

エミリアンはびつくりしました。<ruby><rb>刺</rb><rt>とげ</rt></ruby>をひきぬいてやりました。<ruby><rb>膿</rb><rt>うみ</rt></ruby>がどろどろと流れでました。ぷーんとくさい<ruby><rb>臭</rb><rt>にほ</rt></ruby>ひです。それをがまんして、<ruby><rb>膿</rb><rt>うみ</rt></ruby>をすつかり押し出してやつて、傷口に<ruby><rb>怪我</rb><rt>けが</rt></ruby>の薬をつけてやりました。――エミリアンは旅をしてるものですから、いろんな薬をいつも持つてゐました。

それまでじつとしてゐた鵞鳥は、手当がすむと、エミリアンの顔を見上げて、お礼をでもいふやうに一声高く鳴いて、それから大きく羽ばたきをして、急に元気に、仲間の<ruby><rb>群</rb><rt>むれ</rt></ruby>の方へかけていきました。

エミリアンも何だか<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しくなつて、にこにこしながら、手を洗ひに家へ帰りました。

ところがどうでせう、その夜は、鵞鳥がちつとも鳴きません。

村人たちは、さつぱり訳が分りませんでした。けれどとにかく鵞鳥が鳴きやんだので、ほつと安心しました。

エミリアンは一人で笑ひました。お爺さんに、鵞鳥の<ruby><rb>疵</rb><rt>きず</rt></ruby>の手当をしてやつたことを話しますと、お爺さんも手を<ruby><rb>叩</rb><rt>たた</rt></ruby>いて笑ひました。

「なるほどね。その鵞鳥が、夜なかに<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>があつたまつてくると、<ruby><rb>疵</rb><rt>きず</rt></ruby>がいたみだすので、鳴きたてたんだな。村中で、ばかな騒ぎをしたものさ。神父さまを呼ぶやら、夜警をするやら……いやどうも……」

「おかげで<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>も、ピストルを三度打ちましたよ」

「はゝゝ……」と二人は声をそろへて笑ひました。

そして、もう鵞鳥も鳴きやみましたので、エミリアンはお爺さんに別れ、<ruby><rb>疵</rb><rt>きず</rt></ruby>のなほつた鵞鳥にも別れて、旅をつゞけました。金持の家からたくさんお礼をもらひ、ピストルは泊めてもらつたお礼にお爺さんにあげました。そして、<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスの<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>とバイオリンとをかかへて、口笛をふきながら立去つてゆく彼の姿を、多くの村人たちが名残をしさうに見送りました。

## 三　三人の<ruby><rb>盲人</rb><rt>めくら</rt></ruby>と道化の話

## 一

イタリヤの<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る町にお祭があつて、たいへんな<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎは</rt></ruby>ひだといふことを、エミリアンは聞いて、例のバイオリンと<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスの<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>とを持つて、その方へやつて行きました。

気持よく晴れたよい天気でした。エミリアンは籠のリスをあやしながら、口笛をふいて歩いてゐました。すると、彼のそののんきな様子を耳にとめたのでせう、同じ道を歩いてた三人の<ruby><rb>盲人</rb><rt>めくら</rt></ruby>が、彼の前に立止つて、施しを求めました。

「どうかお恵みを……。わたくし共はごく貧乏で、その上みんな<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>が見えませんので、こんな難儀なことはございません」

なるほど、三人ともほんたうの盲人で、みすぼらしい服装をしてゐました。

エミリアンはその時、あまりお金を持つてゐませんでしたから、施しを<ruby><rb>乞</rb><rt>こ</rt></ruby>はれてをかしくなりました。そしていたづら気が起りました。重々しい声をしていひました。

「よろしい。こゝに金貨が一枚あるから、これを君たち三人にあげよう」

「おう神さま！」と三人の盲人は叫びました。「有難うございます」

三人とも一度に手を差出しましたが、やがて、<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>かが金貨を受取つたものと思つて、みんな手を引つこめ、低くお辞儀をしました。

エミリアンは、三人の盲人がそれからどうするかと思つて、そつと後をつけました。

盲人たちは元気な様子で、お祭のある町の方へ歩いていきました。

「有難いめにあふものだ」と一人がいひました。「金貨が一枚あれば、これから町へ行つて、すぐに<ruby><rb>物乞</rb><rt>ものご</rt></ruby>ひをしなくてもいゝ。<ruby><rb>先</rb><rt>ま</rt></ruby>づ、宿屋へはいつて、久しぶりにうまい<ruby><rb>御馳走</rb><rt>ごちそう</rt></ruby>をたべて、やはらかいベッドに寝て、ぐつすり眠らうぢやないか」

「なるほど、それがいゝ」と他の二人も賛成しました。「金貨一枚あれば、たいしたものだ」

<ruby><rb>彼等</rb><rt>かれら</rt></ruby>は町について、宿屋をたづねあてました。そして主人にいひました。

「御主人、わたしたちはみすぼらしいなりはしてるが、決して心配はいりませんよ。金は持つてゐます。そこで、室を一つかりて、そこで食事をして、泊りたいんですが、どうでせう」

かういふみすぼらしい服装の盲人で、金をたくさん持つてゐることがよくありますので、主人は彼等を信用して、大勢いつしよの広間でなく、別な室に案内しました。

「こゝなら落付けるでせう。ゆつくり召上つて下さい」

盲人たちは食卓につきました。パンや肉や魚が出されました。うまい<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶだうしゆ</rt></ruby>も出されました。彼等は大騒ぎをして、飲んだり食べたりしました。夜中まで興がつきませんでした。それから、やはらかい寝床が用意されて、彼等はぐつすり眠りました。

## 二

エミリアンは、<ruby><rb>盲人</rb><rt>めくら</rt></ruby>たちのあとをつけて、同じ宿屋にはいり、そこに泊りました。そして朝早く<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>をさまして、盲人たちが起上るのを待つてゐました。

盲人たちはおそくまで眠つて、<ruby><rb>晴々</rb><rt>はればれ</rt></ruby>とした顔で、帳場へおりてきました。そして主人にいひました。

「昨晩はいゝ気持でした。ところで、勘定ですが、金貨ですから、おつりを下さい」

「はい、承知しました」

「さあ、金貨を出せよ」と一人の盲人がいひました。

「<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>が持つてるんだい」

「<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>ぢやない」

「ぢやあ、お前だらう」

「いゝや。お前が持つてるだらう」

「とんでもない。お前だらう」

「俺は持つてないよ」

「誰が持つてるんだ」

「お前だ」

「いや、お前だ」

三人でそんな風にいひ争つてるものですから、主人は怒りだしました。

「早く出せよ。ぐづ〱してると、なぐつちまふぞ」

「まあ待つて下さい。ぢきに払ひますから」

そして三人のいひ争ひがまた始まりました。

「お前だらう、金貨を<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>つたのは。一番先にゐたんだから……」

「いやお前だらう、一番後にゐたんだから……。早く出せよ」

「俺は知らないよ。ぢやあお前だらう、<ruby><rb>真中</rb><rt>まんなか</rt></ruby>にゐたんだから……」

「いやお前だ」

きりがないので、主人はなほ怒りました。

「お前たちはひとをばかにしてるんだな。ごまかさうたつて、さうはいかないぞ。おーい、誰か棒を持つてこい」

さういふ有様を、エミリアンはわきから<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めてゐて、腹をかゝへて笑ひました。そして、主人が太い棒を手にとつて、ほんとに盲人たちをなぐらうとしましたので、エミリアンはびつくりして、とびだしました。

「まあお待ちなさい。さう怒るものではありません。この人たちの勘定は<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>が払ひませう。<ruby><rb>憐</rb><rt>あは</rt></ruby>れな人には親切にしてやらなければいけません」

そして彼は盲人たちにいひました。

「昨日、あの道の真中で、金貨をあげようといつたのは、僕なんだよ。だが、あげるまねをしただけだ。君たちも随分そゝつかしいね。だけど、<ruby><rb>御馳走</rb><rt>ごちそう</rt></ruby>をたべて、ゆつくり眠つたんだから、それでいゝだらう。勘定は僕が引受けるから、もう行つたがいゝよ」

盲人たちは、見えない<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>をぱちくりさして、それからお礼をいつて、出て行きました。

エミリアンは、昨日からのことを主人に話しました。主人もをかしがつて笑ひだしました。

「ところが、困つたなあ……」とエミリアンは頭をかきました。「あの人たちの分まで払ふほど、僕はお金を持つてゐないんです。これから、町の広場にいつて、このバイオリンと<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスとでかせいできますから、それまで待つて下さいませんか」

主人はじろ〱エミリアンの様子を<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めました。

「町の広場で……さうかせげるものぢやないよ。一体お前さんは、どんな芸が出来るんだい」

「どんな芸でも出来ますよ」

「ふーむ……。そんなら、一つやつてみないかね。うまくいつたら、賞金が<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>へることがあるんだが……」

「どんなことですか」

そこで主人は、話してきかせました。――このお祭の<ruby><rb>賑</rb><rt>にぎは</rt></ruby>ひのために、町一番の金持がたくさんの金を寄附して、公園に大きな舞台をこさへ、面白い芸当の競技会をもよほして、珍しい新しい芸をやつてみせた者に、金貨十枚の賞金を出すといふのです。今日が丁度その日でした。

エミリアンは<ruby><rb>暫</rb><rt>しば</rt></ruby>らく考へてからいひました。

「とにかく、様子をみにいつてきませう」

そして彼は、時間をはかつて、その公園へ出かけていきました。

## 三

公園の広場には大きな舞台が出来てゐて、たくさんの人がつめかけてゐました。いろんな芸人が集つて、賞金を得ようと、一生懸命に競技をやつてゐました。

<ruby><rb>皿廻</rb><rt>さらまは</rt></ruby>しをする者がありました。輪投げをする者がありました。ナイフの曲芸をする者がありました。しやちほこ立ちをして、足で芸当をする者がありました。カルタの手品をつかふ者がありました。風琴をならす者がありました。をかしな踊りをする者がありました。百面相をする者がありました。そのほか、あらゆる芸当がなされました。けれども、どれもこれも<ruby><rb>見馴</rb><rt>みな</rt></ruby>れた芸当ばかりで、珍しい新しい芸は、いつかう出てきません。

そのうちに、一人の道化者が舞台に立ちました。そして首を打振りながらいひました。

「さて、わたくしは、ほんたうに珍しい、新しい、をかしい芸を、御覧にいれまする。種々さま〲な芸当のあとで、一向にはえないものかも存じませぬが、そこは、珍しい新しい、をかしいといふところに、御注意を願ひあげまする」

ところで彼は、たゞ一人きりで、何の道具も持たず、介添人もゐませんでした。そして舞台の<ruby><rb>真中</rb><rt>まんなか</rt></ruby>につつ立つて、黒いだぶ〱の大きなマントを着てゐました。見物人たちは、何が始まるかと思つて、しいんと静まりかへりました。

道化者は一つ<ruby><rb>咳払</rb><rt>せきばら</rt></ruby>ひをして、マントの中に頭まですつぽりもぐりこんで、そこにうづくまりました。すると、そのマントの中から、子豚の鳴き声がきこえてきました。ブウー、ブウー、ブウー……。その声があまりをかしくてよく似てるので、見物人たちは笑ひながら<ruby><rb>喝采</rb><rt>かつさい</rt></ruby>しました。

道化者はマントから顔を出しました。それを見ると、見物人たちは、少しあやしいと思ひました。四五人舞台にかけ上つて、彼のマントを調べました。彼の<ruby><rb>身体中</rb><rt>からだぢゆう</rt></ruby>を調べました。がどこにも、子豚は隠れてゐません。まつたく彼が子豚の鳴き声をまねたのでした。

さうだと分ると、<ruby><rb>喝采</rb><rt>かつさい</rt></ruby>はなほはげしくなりました。舞台の上で子豚の鳴き声をまねるなんて、これまで話に聞いたことさへありません。そしてそれがまた、いろんなこつた芸当のあとなので、とてもをかしかつたのです。

賞金が彼に渡されることになりさうでした。

その時、見物人の中にまじつてゐたエミリアンが、大きな声でいひました。

「へたくそだ。<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>ならもつとよくやつてみせる」

人々は驚いてエミリアンの方を<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めました。それから、二人で競争をすることになりました。エミリアンは翌日にしたいといひました。道化者は承知しました。翌日、時間をきめて、子豚の鳴きまねの競争をすることにきまりました。

## 四

その晩エミリアンは、宿屋の主人に頼んで、黒い大きなマントを<ruby><rb>拵</rb><rt>こしら</rt></ruby>へてもらひ、なほ、よく<ruby><rb>馴</rb><rt>な</rt></ruby>れた子豚を一匹かりてきてもらひました。

主人はエミリアンに勝たせたいと思つて、気をもんでゐました。

「一晩くらゐ鳴き声を練習したつて……それで大丈夫かね」

エミリアンはたゞ笑つてゐて、練習もなんにもせずに、ぐつすり眠りました。

翌日になると、エミリアンは、バイオリンと<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスの<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>とを主人に持つていつてもらひ、自分はそのあとから、マントの下に子豚を隠して出かけました。

公園の舞台の前には、前日よりもなほたくさんの人が集まつてゐました。子豚の鳴きまねの競争といふのが、をかしくて面白かつたのです。

時間になると、道化者とエミリアンとは、黒い大きなマントを着て、並んで舞台に立ちました。そして道化者から先に始めました。マントを頭からかぶつて、ブウー、ブウー、ブウー……と、子豚の鳴き声をまねました。<ruby><rb>嵐</rb><rt>あらし</rt></ruby>のやうな<ruby><rb>喝采</rb><rt>かつさい</rt></ruby>が<ruby><rb>起</rb><rt>おこ</rt></ruby>りました。

こんどはエミリアンの番です。エミリアンは頭からマントをかぶりました。そしてマントの下に隠してゐた子豚の耳を、急にひつぱりました。子豚はびつくりして鳴きました。が<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>も<ruby><rb>喝采</rb><rt>かつさい</rt></ruby>してくれません。エミリアンはなほ子豚の耳をひつぱりました。子豚は鳴きました。が<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>も<ruby><rb>喝采</rb><rt>かつさい</rt></ruby>してくれません。

「道化者の方が上手だ」と人々は叫びました。

<ruby><rb>彼等</rb><rt>かれら</rt></ruby>は、エミリアンが子豚を隠してることを知らないで、やはり鳴きまねをしてるんだと思つてたものですから、その少年よりも道化者の方が上手だときめてかゝつてゐたのです。

「道化者の方が上手だ。その少年を追ひ出してしまへ」

するとエミリアンは、マントをぬぎすてゝ、子豚を出してみせました。

「皆さんは、本物の子豚の鳴き声よりも、その鳴きまねの方が上手だと、さう思つてゐらつしやるのですか」

人々はあつけにとられて、何と返事をしてよいか分らないで、ぼんやりエミリアンと子豚とを<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めてゐました。

「えこひいきな判断をなすつてはいけません」とエミリアンはいひました。「けれど、わたくしが<ruby><rb>嘘</rb><rt>うそ</rt></ruby>をいつて、鳴きまねのかはりに本物の子豚を鳴かせたのも、悪うございました。そのおわびに、これから面白い芸当を御覧にいれませう」

そして彼は、子豚の腹から背中に大きな<ruby><rb>布</rb><rt>きれ</rt></ruby>をゆはへつけ、腹の下の袋になつたところに<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスを入れて、子豚を舞台の上にはなしました。リスは袋の中で動きまはります。それが腹をなでて、子豚はくすぐつたくてたまりません。鳴いたり笑つたりして、くすぐつたいをかしな<ruby><rb>恰好</rb><rt>かつかう</rt></ruby>で、舞台の上を歩きまはります。その鳴き声や笑ひ声や歩きつきが、とても奇妙でをかしくて、見物人たちは笑ひだしました。

それと同時に、エミリアンはバイオリンをとつて、子豚の鳴き声と笑ひ声と歩きつぷりとに合せて、更に奇妙な音楽をひきだしました。見物人たちはもうたまらなくなりました。腹をかゝへたりころげたりして笑ひながら、涙をだしたり息をつまらしたり、叫び声をあげたり、たいへんな騒ぎでした。

エミリアンがバイオリンをひきやめ、リスを籠に入れ、子豚をひきとめても、まだ笑ひ声や<ruby><rb>喝采</rb><rt>かつさい</rt></ruby>はやみませんでした。子豚の鳴き声をまねた道化者も、降参してしまひました。そして金貨十枚の賞金がエミリアンに渡されました。

エミリアンが帰つてゆくと、大勢の人がはやしたてながらついてきました。宿屋の主人は大喜びで、みんなに<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶだうしゆ</rt></ruby>をだしました。後から後から人がおしかけてきました。

あまりもてはやされるので、エミリアンは閉口しました。そして逃げるやうに立去りました。主人から引止められるのを断つて、三人の<ruby><rb>盲人</rb><rt>めくら</rt></ruby>と自分との勘定に金貨を二枚おいて、名残りををしみながらお礼をいつて、こつそり出かけました。

バイオリンとリスの<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>とを持つて、裏通りをぬけて、町外れにさしかゝりますと、あの三人の盲人が、道ばたにかゞんで、帽子を差出して、通りかゝる人々に<ruby><rb>物乞</rb><rt>ものご</rt></ruby>ひをしてゐました。

エミリアンはその前に立止つていひました。

「<ruby><rb>僕</rb><rt>ぼく</rt></ruby>がだれだか、分りますか」

盲人たちは<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>をしよぼしよぼさして、うなづきあひました。

「<ruby><rb>旦那</rb><rt>だんな</rt></ruby>さま……宿屋でわたくし共をすくつて下さつた旦那さま……」

旦那さまといはれて、エミリアンは笑ひました。

「宿屋のことなんか、どうだつていいよ。それよりも、金貨をあげるといつてだましたのは、僕が悪かつた。僕ね、少し金まうけをしたんだよ。だからこんどは、ほんとに、金貨を一枚づつあげよう。手を出してごらんよ」

盲人たちは信じかねて、<ruby><rb>躊躇</rb><rt>ちうちよ</rt></ruby>しながら、それでもそつと手を差出しました。その<ruby><rb>掌</rb><rt>てのひら</rt></ruby>へ、エミリアンは金貨を一枚づつのせてやりました。

盲人たちは、手を引つこめて、<ruby><rb>暫</rb><rt>しば</rt></ruby>らく金貨をいぢつてゐましたが、ふいに叫びだしました。

「あゝ、ほんたうの金貨だ。神様、有難うございます。旦那さま、有難うございます」

道の<ruby><rb>埃</rb><rt>ほこり</rt></ruby>の中に額をおしつけて、三人とも見えない<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>から、ぼろ〱涙を流しました。

がその時には、エミリアンはもう、愉快さうに口笛をふきながら、歩き去つてゐました。

その姿が、日の照つた明るい道の上を、向うへだん〱小さくなつていきました。

## 四　悪魔をつれて逃げる話

## 一

イタリヤのある小さな港町に、ふしぎな<ruby><rb>噂</rb><rt>うはさ</rt></ruby>がたつてゐました。どこからやつてきたのか、アフリカからでも海を越えてきたのか、悪魔が一つ現れて、夜、海岸の<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しいところなんかを歩いてる人たちに、いろんな<ruby><rb>悪戯</rb><rt>いたづら</rt></ruby>をしました。日が暮れると、もう<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>も海岸の方へ出てゆく者がありませんでした。

ところが、ある旅の坊さんが通りあはせて、その悪魔を<ruby><rb>洞穴</rb><rt>ほらあな</rt></ruby>のなかに封じこんでしまひました。悪魔は洞穴のおくにひそんだきり、姿を見せませんでした。町の人たちは安心しました。ばかりでなく、その坊さんにお祈りをして<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>へば、どんな病気でもなほるとのことです……。

丁度イタリヤを旅してゐたエミリアンは、その<ruby><rb>噂</rb><rt>うはさ</rt></ruby>をきいて、今時ふしぎなこともあるものだなと思ひ、そのお坊さんに<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>つてみたくなり、悪魔が封じこまれた洞穴も見たくなりました。そして、別にどこといつてあてのある旅でもありませんので、その港町の方へやつていきました。

地中海にのぞんだ小さな町でした。悪魔を洞穴に封じこんだお坊さんのことを尋ねると、すぐに分りました。

「あゝ、ポリモス<ruby><rb>上人</rb><rt>しやうにん</rt></ruby>さまかね。えらいお方だ。お祈りばかりしてゐらつしやるから、めつたにお目にかゝれないよ。……どうだか、まあいつてみなさい」

町を出はづれたところに、海につきでた岩山があつて、その<ruby><rb>裾</rb><rt>すそ</rt></ruby>に小さな<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>がありました。ポリモス上人の<ruby><rb>住居</rb><rt>すまひ</rt></ruby>です。岩山の<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>によせかけるやうにしてたてられた粗末な<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>で、表の戸はしまつてゐて、海の方に小さな窓が一つ開いてゐて、中はひつそりとしてゐます。

エミリアンはしばらくためらつてから、開いてる窓の方へいつて、バイオリンをひきはじめました。波の音に調子を合せて、美しい海の曲をひきました。

一曲ひきをはつて、窓の方を見ますと、そこに、人が立つてゐました。五十歳くらゐな男で、赤い髪を長くのばし、<ruby><rb>髭</rb><rt>ひげ</rt></ruby>のないやせた顔に、なんだか<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しさうな<ruby><rb>微笑</rb><rt>ほほゑみ</rt></ruby>をうかべてゐます。エミリアンはへんな気がしました。ポリモス上人といふのは、頭がはげて、白い<ruby><rb>髭</rb><rt>ひげ</rt></ruby>をはやして、かたぶとりにふとつた老人だらうと、そんなふうに想像してゐたのでした。

「あの、ポリモス上人さまに、お目にかゝりたいんですが……」とエミリアンはいひました。

「ポリモスといふのはわたしだが……お前さんは？」

「エミリアンといふ者です」

「エミリアン？」

「旅をしてあるいてるんです」

「ほう、なるほど……」

エミリアンの身の上がもうすつかり分つたかのやうに、その人ははれやかな微笑をうかべました。そして表の戸を開いて、エミリアンをなかに通しました。

<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>のなかはさつぱりと<ruby><rb>片附</rb><rt>かたづ</rt></ruby>いてゐました。まんなかに木の<ruby><rb>卓子</rb><rt>テーブル</rt></ruby>があつて、<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>が四つ並んでゐました。<ruby><rb>片隅</rb><rt>かたすみ</rt></ruby>にベッドがありました。一方の<ruby><rb>棚</rb><rt>たな</rt></ruby>には、マリアの像が祭つてあつて、いろんなものが供へてありました。

ポリモス上人は、エミリアンに向ひあつて<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>に腰をかけて、うれしさうにその顔をながめました。

「そして、お前さんは、わざ〱わたしに<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>ひに来たんだね」

「さうです。それから、悪魔が封じこめられてる洞穴も見たいんです」

「あゝ、その悪魔のことだがね……」

いひかけて、ポリモス上人はしばらく何やら考へこみました。

「お前さんは、方々旅してあるいてるから、ずゐぶん、面白いことにもであつただらうね。そして<ruby><rb>智恵</rb><rt>ちゑ</rt></ruby>も多さうだね」

エミリアンはなんと答へていゝか分らないで、黙つてゐました。

「ところで、わたしが一つ、面白い話をきかせてあげよう。秘密な話だよ。それから、お前さんも少し<ruby><rb>智恵</rb><rt>ちゑ</rt></ruby>をしぼつて、わたしがこゝから逃げだせるやうな方法を、いつしよに考へてくれないかね」

エミリアンはびつくりして目をみはりました。

「実は、わたしは一人でどうしたらいゝか、まつたく困つてゐたところだ」

そしてポリモス上人は、その面白い秘密な話といふのを、はなしてきかせました。それは――

## 二

ポリモス上人といふのは、実は、えらいお坊さんではなく、たゞの旅の人です。いろんなことをしつくしたあとで、世の中がつまらなくなつて、旅に出て、なにか珍しいもの、ふしぎなもの、びつくりするやうなものを、探しまはつてゐました。だが、そんなものはどこにもなく、旅もつまらなくなつてきました。ところが、ふと、イタリヤで、小さな港町の悪魔の<ruby><rb>噂</rb><rt>うはさ</rt></ruby>をきいて、面白はんぶんにやつてきてみました。

町の宿屋でたづねてみますと、じつさい、いろ〱なことが起つてゐました。――暗いところを通つてゐると、ふいに、帽子をはねとばされた……。なにものからとも知れず、鋭い<ruby><rb>爪</rb><rt>つめ</rt></ruby>で顔をひつかゝれた……。岩の上に、まつ黒いものが立つてゐた……。空をおほふやうな大きな黒いものが、すーつと飛んでいつた……。何かに食ひあらされたらしい血みどろな<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>の胴体が、方々に散らばつてゐた……。夜なかに、犬がやたらに<ruby><rb>吠</rb><rt>ほ</rt></ruby>えてかけまはつた……。そのほか、いろ〱へんなことが次から次に起つて、どうしても悪魔がやつてきたとしか思はれませんでした。

「ほんたうに悪魔だつたら、面白いんだが……」

ポリモスはさうつぶやいて、ふしぎなことが起るといふ<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しい海岸の方へ、夜なかに、一人でやつていきました。

悪魔といふものは、いろんなふしぎな術を知つてゐます。それを教はつたら、すてきなことになります。たゞ、悪魔はその術を教へるかはりに、人の魂をほしがります。――それでも構ふものかと、ポリモスは考へました。どうせもう世のなかがつまらないんだ。悪魔に魂をうりわたして、そのかはりに、ふしぎな術を教はらう……。

月のない暗い夜でした。波の音がざー、ざーつとひゞいてゐます。遠くにもやつた船の<ruby><rb>灯</rb><rt>あかり</rt></ruby>が、ぽつりと光つてゐます。その暗い<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しいなかを、ポリモスは悪魔をもとめて、あちらこちら歩きまはりました。疲れてくると、岩かどに腰をおろして休みました。けれど、いくら歩いても、いくら待つても、悪魔は出てきませんでした。暗い夜と、寒い夜風と、波の音ばかりです。

ポリモスはあてがはづれて、がつかりしました。海につきでた岩山の<ruby><rb>崖</rb><rt>がけ</rt></ruby>に、大きな<ruby><rb>洞穴</rb><rt>ほらあな</rt></ruby>がありましたので、そのなかにはいつてかゞみこんでゐると、ついうと〱とゐねむりをしました。

そしてポリモスが、なんだかへんな気持で、夢ともうつゝともなく、ぼんやり目をあけた時のことです。ぼーつと白んだうす<ruby><rb>闇</rb><rt>やみ</rt></ruby>のなかに、大きなまつ黒いものがすーつと飛んで、洞穴の天井とすれ〱に、奥の方へきえていきました。ぞつとさむけがして、ポリモスはほんとに目をさましました。海の上から陸地へかけて、ほんのりと夜があけかゝつてゐました。ポリモスはあたりを見まはしましたが、さつきの大きな黒いものはどこにも見えません。洞穴の奥はせまく深く、まつ暗で分りません。

「悪魔だつたかしら……。さうかも知れない」

さう<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いてから、ポリモスはほんとに決心をしました。洞穴の入口につつ立つて、大きな声でいひました。

「悪魔よ悪魔よ、おれの魂をあげるから、ふしぎな術を教へてくれ！」

洞穴のなかはしーんとしてゐます。ポリモスはも一度くりかへしました。が、なんのこともありません。ポリモスは<ruby><rb>三度</rb><rt>みたび</rt></ruby>くりかへしました。

「悪魔よ悪魔よ、おれの魂をあげるから、ふしぎな術を教へてくれ！」

けれど、なんの返事もなく、なんにも出てきません。いくら待つてもだめでした。もう夜があけて、東の空には赤い雲がたなびいてゐます。

ポリモスは腹がたつてきました。もしあれが悪魔だつたとしたら……。大好きな魂をやるといふのに、出てこないとは、よほど<ruby><rb>卑怯</rb><rt>ひけふ</rt></ruby>な悪魔にちがひない。もし悪魔でなかつたとしたら……。

「どちらにしても、この洞穴のなかにはいつていつたことは確かだ。昼間はこゝにひそんでるのだ。一つ<ruby><rb>捕</rb><rt>つかま</rt></ruby>へてやらう」

ポリモスはそこで、朝日の光がさすまで見張つてゐて、それから町へいつて、金網をたくさん買ひこみ、大きな<ruby><rb>釘</rb><rt>くぎ</rt></ruby>や<ruby><rb>金槌</rb><rt>かなづち</rt></ruby>まで買つてきて、洞穴の口をすつかり金網でふさいでしまひました。

## 三

ポリモスが岩山の<ruby><rb>洞穴</rb><rt>ほらあな</rt></ruby>を金網でふさいで、そこに番をしてゐるのを見て、町の人たちはふしぎに思ひました。何をしてるのかとたづねました。

「悪魔をとぢこめたのです」とポリモスはじようだんに答へました。

町の人たちはをかしく思ひました。悪魔は金網を通りぬけることができないのかとたづねました。

「お祈りをして、悪魔の術をきかなくしたのです」とポリモスは笑ひながら答へました。

町の人たちはびつくりしました。ところが、実際、ポリモスのいつた通りでした。その夜は、海岸の淋しいところにも、なんの怪しいことも起りませんでした。次の夜も、その次の夜も、さうでした。

午後から夜にかけて、洞穴のところに番をしてるポリモスは、ポリモス上人さまとなりました。ポリモス上人さまが、お祈りの力で、悪魔を洞穴のなかに封じこんでおしまひなすつたと、たいへんな評判になりました。

片手のきかない病人が、ポリモス上人さまのところへやつてきました。そしてお祈りをしてもらつて、ほどなくなほりますといはれて、家にかへつてきますと、今までしびれてゐた手が、自由に動くやうになりました。

さうなつてきますと、町の人たちはさわぎだしました。――あんな有難い上人さまを、町の宿屋なんかにおいとくのはもつたいない。第一、もし上人さまがよそへ行つてしまはれたら、悪魔がまた洞穴からとびだして、どんな害をするか<ruby><rb>分</rb><rt>わか</rt></ruby>らない。上人さまをにがしてはいけない……。

そこで、町の人たちは、洞穴のそばに、大急ぎで<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>を一つこさへて、そこにポリモス上人をむりに住まはせました。いろんな<ruby><rb>御馳走</rb><rt>ごちそう</rt></ruby>をはこんできました。お金をもつてくる人もありました。そしてしじゆう<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>かやつてきて、いろいろ用をたしてくれました。病人までも時々やつてきて、お祈りをしてもらひました。なかには、ほんたうに信じてるせゐか、病気がなほる者もありました。それがなほ評判になりました。

困つたのはポリモスです。じようだんにいつたのがほんたうとなつて、悪魔は彼の祈りのために洞穴に封じこまれたことになり、彼はえらい上人さまになつてしまひました。それはよいけれど、洞穴のなかにゐるのが、果して悪魔かどうかも分りません。町の人たちが持つてきてくれる魚などを、そつと金網のなかに差入れておくと、いつしか食ひあらされてるので、何かがなかにゐることは確かですが、それがなんだか分りません。

それよりもなほ困るのは、<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>のなかのきゆうくつな生活です。上人さまらしい<ruby><rb>振舞</rb><rt>ふるまひ</rt></ruby>をしなければなりませんし、時々は病人にお祈りもしてやらなければなりません。人がおほぜいくるので、めつたに外へも出られません。

ポリモスは、できるだけ<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>のなかにとぢこもつて、なるべく人にも<ruby><rb>逢</rb><rt>あ</rt></ruby>はないやうにしました。そして、どうしたらそこから逃げだせるかと、そんなことばかり考へてゐました。

そこへエミリアンがやつて来たのです。

「どうかして逃げだせる工夫はあるまいかね」

ポリモスは頼むやうにしてエミリアンへさういひました。

## 四

ポリモスの話をきいて、エミリアンは面白さうに笑ひました。そしていひました。

「逃げだすことなんか、わけはありません。わたしに任して下さい。その代りに、<ruby><rb>洞穴</rb><rt>ほらあな</rt></ruby>のなかにゐるものを、悪魔でもなんでも、わたしに下さいますか」

「あげるとも。そんなものに用はないんだ。もうこりこりした」

そこでエミリアンは、さつそく町の方へいつて、大きな<ruby><rb>鳥籠</rb><rt>とりかご</rt></ruby>と、それをつゝむ黒い<ruby><rb>布</rb><rt>きれ</rt></ruby>と、<ruby><rb>黄楊</rb><rt>つげ</rt></ruby>の青葉をたくさん、買ひこんできました。

その夜、おそくなつてからのことです。もう町の方もみな寝しづまつて、あたりがしいんとしてる<ruby><rb>頃</rb><rt>ころ</rt></ruby>、エミリアンは起きあがつて、洞穴の口の金網をすこしめくり、なかへはひつていきました。そして<ruby><rb>黄楊</rb><rt>つげ</rt></ruby>の青葉をつみかさね、火をつけて、穴の中をいぶしはじめました。<ruby><rb>黄楊</rb><rt>つげ</rt></ruby>の青葉は悪魔がいやがるので、用心のためにそれを使つたのでした。

洞穴のなかは、ぼーつと明るくなつて、それから煙でいつぱいになつてきました。今にきつと、悪魔か何かが、くしやみをしながら出てくるにちがひないと、エミリアンは待ちかまへました。

ところが、なんにも出てきません。そしてエミリアンの方がくしやみをはじめました。煙にまかれて、けむたくてむせつぽくて、とてもたまらなくなりました。エミリアンは外に逃げだしました。

ポリモスが、洞穴の外で笑つてゐました。

「なあに、今に出てきます。出てこなかつたら、なんにもゐないんだ」とエミリアンはいひました。

そしてしばらくすると、ゐました。出てきました。大きなまつ黒いものがいきなりとびだしてきて、金網にぶつかつて、はねかへつて、またばた〱やつてゐます。それと見ると、エミリアンは中にとびこんで、その上から鳥籠をおつかぶせて、まんまと<ruby><rb>捕</rb><rt>つかま</rt></ruby>へてしまひました。

それが、よく見ると、大きな<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>かうもり</rt></ruby>でした。

「なあーんだ」

「あゝ、蝙蝠か」

二人は顔を見合せました。エミリアンはいひました。

「<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>の朝、エジプトの方へ出る船があります。それに乗つて逃げ出すことにしませう」

「町の人たちが、引きとめはしないかしら……。なにしろ、ポリモス上人さまだからね」

「なに、もう大丈夫ですよ」

そして二人は、夜のうちにすつかり仕度をしました。

夜があけると、エミリアンは町中にふれてあるきました。――ポリモス上人さまがたうとう悪魔を<ruby><rb>生捕</rb><rt>いけどり</rt></ruby>になさつた。けれど、悪魔は殺さうたつて死なないものだから、それをアフリカの方へ捨てるために、今朝の船でお出かけなさることになつた。いづれまた<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>つていらつしやるだらうけれど、しばらくかゝるから、今のうちに拝んでおきなさい……。

その<ruby><rb>噂</rb><rt>うはさ</rt></ruby>は、たちまち町中にひろがりました。たいへんなさわぎになりました。町中の人たちが、上人さまの<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>の方へおしかけてきました。

洞穴の金網はすつかりとりはらはれてゐました。<ruby><rb>黄楊</rb><rt>つげ</rt></ruby>の青葉の灰もはきすてられてゐました。<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>のなかはきれいにさうぢしてあつて、上人さまの旅の仕度もできてゐました。そして、黒い<ruby><rb>布</rb><rt>きれ</rt></ruby>につゝんだ鳥籠が人目をひきました。その中に悪魔が――じつは蝙蝠が――はひつてゐるのです。それらのことはみな、エミリアンが夜のうちにしておいたのです。

やがて、ポリモスは悪魔の籠を持ち、エミリアンは例の<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスの籠とバイオリンとを持つて、<ruby><rb>庵</rb><rt>いほり</rt></ruby>からたちいでました。ポリモスの荷物を持つた者が後につゞき、そのあとから、町の人たちがつゞいて、船までたいへんな行列でした。

町の人たちは、悪魔の籠をこはがつて、遠くからながめてる者もあれば、上人さまをしたつて、おしよせてくる者もありました。そしていよ〱ポリモスが船に乗る時になると、みんな別れををしみました。

エミリアンは船の甲板に立つて、バイオリンで別れの曲をひきました。

## 五　<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>つた男とその羊の話

## 一

エミリアンはしばらく船の旅をつゞけました。その船は地中海の沿岸をまはるごく旧式の小さなもので、おもに貨物や家畜をのせ、乗客は<ruby><rb>僅</rb><rt>わづ</rt></ruby>かしかありませんでした。さうした粗末な船が、エミリアンにはかへつてのんきでよかつたのです。

<ruby><rb>僅</rb><rt>わづ</rt></ruby>かな乗客のなかに、まるまると<ruby><rb>樽</rb><rt>たる</rt></ruby>のやうに<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>つた男がありました。二十頭ばかりの立派な羊をつれてゐました。そして彼は、自分が羊のやうによく肥つてるのがじまんでしたし、またその羊たちが彼のやうによく肥つてるのがじまんでした。

乗客のなかには、ごくやせた人が幾人もありました。さういふ人たちの一人に顔を合はせると、彼はすぐに肥つてるのをじまんしました。朝ですと、かういひました。

「あなたはやせてゐますね、いけませんよ。わたしとわたしの羊たちとをごらんなさい。よく肥つてゐるでせう。今日の日をありがたいと思ひますよ」

食堂では、かういひました。

「あなたはやせてゐますね、いけませんよ。わたしとわたしの羊たちとをごらんなさい。よく肥つてゐるでせう。ごちそうを食べるのを<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しいと思ひますよ」

夜になると、かういひました。

「あなたはやせてゐますね、いけませんよ。わたしとわたしの羊たちとをごらんなさい。よく肥つてゐるでせう。神さまのお<ruby><rb>恵</rb><rt>めぐみ</rt></ruby>が深いのだと思ひますよ」

面とむかつてさういはれると、やせた人たちはふんがいしました。――やせてるのは、何も自分たちが悪いからではない。ただぶくぶく肥つてるのが、何がじまんになるものか。それを、あてつけがましくいろんなことをいふのは、失礼せんばんだ。

そして<ruby><rb>彼等</rb><rt>かれら</rt></ruby>は相談しあつて、仕返しをすることにしました。食堂で、古いこはれかけた<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>を探しだして、肥つた男がいつも<ruby><rb>坐</rb><rt>すわ</rt></ruby>る席においておきました。

肥つた男はそりかへつて、ゆつたりと食堂にはいつてきて、何も知らずにいつもの席につきました。そしてその重い<ruby><rb>身体</rb><rt>からだ</rt></ruby>でのしかゝつたからたまりません。古い<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>はいちどにつぶれて、彼は下にころげおちました。やせた人たちはどつと<ruby><rb>笑</rb><rt>わら</rt></ruby>ひました。

<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>つた男は、<ruby><rb>真赤</rb><rt>まつか</rt></ruby>になつて立上りました。そしてボーイをどなりつけました。ボーイはひらにあやまりました。が彼はなかなか許しませんでした。

「不都合きはまる。<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>のやうな肥つた者がゐることを忘れたのか。許してもらひたいなら、二人前のごちそうをだせ。それもたゞでだすんだ。金は払はん。たゞで二人前のごちそうをだせ」

ボーイは仕方なしに、二人前の食事をだしました。彼はそれをうまさうにたべてしまつて、そばのやせた人にいひました。

「いかがです、肥つてるのはよいことでせう。たゞで二人前のごちそうが食べられます」

やせた人たちは、それでなほふんがいしました。そしてこんどは、甲板に小麦の袋をぐらぐらにつみかさねて、そのそばにすまして立つてゐました。

肥つた男がゆつたりとやつて来ました。そして立止つて、<ruby><rb>煙草</rb><rt>たばこ</rt></ruby>に火をつけながら、つみ重ねた小麦の袋によりかゝりましたので、たゞでさへぐらぐらしてゐるのが、いちどにくづれおちて、そのはずみに彼もそこにころがりました。やせた人たちはどつと笑ひました。

肥つた男は真赤になつて立上りました。そして船員をどなりつけました。

「<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>のやうな肥つた者がゐるのを忘れたのか。許してもらひたいなら、この小麦を一袋さしだして、俺の羊たちにごちそうしてこい」

船員は仕方なしに、小麦を一袋かついで、彼の羊たちに食べさせにいきました。彼はやせた人たちにいひました。

「いかゞです、肥つてるのはよいことでせう。たゞで羊たちにもごちそうが出来ます」

やせた人たちは、なほふんがいしました。肥つた男はたゞころげるだけで、<ruby><rb>怪我</rb><rt>けが</rt></ruby>もしないで、得ばかりしてゐるんです。こんどは何かよい工夫はないものかと、いろいろ相談しました。がどうも、うまい<ruby><rb>考</rb><rt>かんがへ</rt></ruby>がうかびません。

すると、そのうちの一人が、エミリアンのことを思ひつきました。大人よりもかへつてああいふ少年の方が、うまいことを考へつくかも知れないし、ことにエミリアンは、イタリヤで何かえらいことをしたといふやうなうはさが、船のなかにつたはつてゐました。そこでみんな、エミリアンの<ruby><rb>智恵</rb><rt>ちゑ</rt></ruby>をかりることにしました。

エミリアンはやせた人たちの話をきいて、しばらく考へてから答へました。

「わたしはあの肥つた人に、恩も<ruby><rb>怨</rb><rt>うらみ</rt></ruby>もありませんけれど、あの人があまりじまんをしたり、かつてなことをしたりするのは、よくないことだと思つてゐます。承知しました。あの人が困るやうなことを、考へてみませう」

## 二

<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>つた男が甲板に立つてゐる時、エミリアンは近づいていつて、話しかけました。

「あなたは、たいへん立派な羊をたくさん連れていらつしやるさうですが、その羊を見せて下さいませんか」

肥つた男は、喜んでエミリアンの方をふりむきました。今まで、いくらじまんをしても、その羊を見せてくれなどといはれたことがなかつたのです。

「あゝいゝとも、見せてあげますとも。こつちへいらつしやい」

そして彼は先にたつて、エミリアンを案内しました。中甲板におりて、少しいくと、そのかたすみの広い<ruby><rb>仕切</rb><rt>しきり</rt></ruby>のなかに、羊が二十頭ばかりゐました。うす暗いなかで、退屈しきつて、ぼんやりつつ立つたり、ねそべつたりしてゐましたが、なるほど立派な羊ばかりでした。

「どうです、立派なものでせう。わたしも羊のやうに肥つてるが、羊もわたしのやうに肥つてゐます」

「ほんとに、立派な羊ですね」

エミリアンはさう答へて、しばらく羊を見てゐましたが、やがていひました。

「立派ですが、世の中は広いから、ほかにもこんなのがゐないとも限りません。そこにいくと、わたしは、<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>かうもり</rt></ruby>を一匹持つてゐますが、それが、世の中に二匹とゐないものなんです」

「え、世の中に二匹とゐない蝙蝠だつて……」

「さうです。見せてあげませう」

そしてエミリアンは、肥つた男を自分の船室に案内しました。その室のすみに、ポリモスから<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>つたまゝになつてる蝙蝠が、<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>にはいつてゐました。<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>つた男はその籠のなかをのぞきこみました。

「なるほど、大きな蝙蝠だな……」

「大きいうへに、のんきで、そしてまたとても<ruby><rb>智恵</rb><rt>ちゑ</rt></ruby>があります。むかし、鳥と獣との戦争の時、うらぎりをして、どちらからも仲間はづれにされたといふ、あんな<ruby><rb>卑怯</rb><rt>ひけふ</rt></ruby>なのぢやありません」

エミリアンはもつたいらしく<ruby><rb>咳</rb><rt>せき</rt></ruby>ばらひをして、話しつゞけました。

「この蝙蝠が、ある時、うつかりして、<ruby><rb>鼬</rb><rt>いたち</rt></ruby>の巣のなかにとびこんで、休んでゐました。すると、運のわるいことには、その鼬がちやうど、<ruby><rb>鼠</rb><rt>ねずみ</rt></ruby>にたいして腹をたててた時ですから、たまりません。鼬はいきなりかけつけてきて、鼠のくせにまた<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>の巣をあらすのかと、どなりたてながら、蝙蝠を<ruby><rb>一呑</rb><rt>ひとのみ</rt></ruby>にしようとしました。蝙蝠はびつくりして、鼬をなだめながら、いひました。――わたしが鼠ですつて、とんでもないことです。わたしはこのとほり、りつぱに翼をもつてゐますし、自由に空をとぶことが出来ます。わたしは鳥ですよ。まちがへてはいけません。――なるほど、よく見ると鳥のやうです。鼬は許してやりました。

「それから二三日の後、のんきな蝙蝠は、またうつかりして、ほかの鼬の巣にとびこみました。ところが、こんどの鼬は、鳥にたいして腹をたててゐました。いきなりかけつけてきて、鳥のくせになまいきだといつて、蝙蝠を<ruby><rb>一呑</rb><rt>ひとのみ</rt></ruby>にしようとしました。蝙蝠はびつくりして、べんかいしました。――わたしを鳥だなんて、まちがへてはいけません。鳥には羽がはえてるはずです。わたしはこの通り、鼠です。よく見て下さい。――そして蝙蝠は、うまく逃げ出すことが出来ました」

そんな話をきいて、肥つた男は笑ひだしました。が急に笑ひやめて、いひました。

「その蝙蝠が、これだといふんですか。だが、君はいつたい<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>からその話をききましたか」

「その話を……蝙蝠が<ruby><rb>梟</rb><rt>ふくろふ</rt></ruby>に話して、梟が<ruby><rb>河獺</rb><rt>かはうそ</rt></ruby>に話して、河獺が<ruby><rb>猫</rb><rt>ねこ</rt></ruby>に話して、猫が<ruby><rb>猿</rb><rt>さる</rt></ruby>に話して、猿が……そしてしまひに、わたしの耳にはいりましたから、わたしがその蝙蝠をつかまへたんです」

そして二人はいつしよに笑ひだしました。それからエミリアンは、ちよつとまじめになつて、いひだしました。

「とにかく、大きなりつぱな蝙蝠です。そこで、いかがでせう、この蝙蝠とあなたの羊のどれか一匹と、とりかへて下さいませんか」

「さうだな、それも面白いかも知れない」

そこで、話がまとまりまして、エミリアンは蝙蝠を肥つた男に与へ、そのかはりに、肥つた男の羊を、どれでも好きなのを一頭、<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>ひうけることにしました。

やせた人たちは、これからが面白いんだといふエミリアンの言葉を信じて、たのしみに待ちかまへてゐました。

## 三

船がギリシヤのある港につきますと、そこで<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>つた男はおりることになつてゐましたので、約束のとほり、エミリアンは彼に<ruby><rb>蝙蝠</rb><rt>かうもり</rt></ruby>をわたしました。彼は船の甲板に羊をならばせて、好きな一頭をエミリアンにえらばせました。

二十頭ばかりの、みごとな羊でした。それが、うす暗いところからひきだされて、上甲板のひろびろとしたところにならんで、うれしさうに動きまはつてるので、なほさらきれいでした。

エミリアンはしばらく羊の<ruby><rb>群</rb><rt>むれ</rt></ruby>をながめてゐました。すると、そのなかに一頭、ほかのより年もとつてゐるらしく、力も強さうで、いつも先頭にたつて歩いてゐて、一群の指導者らしいのが、<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>につきました。

「これにしますよ」とエミリアンはいひました。

「よろしい」と肥つた男は答へました。

エミリアンはその一頭の羊を、甲板のふちまでつれだしました。するとほかの羊たちも、あとからぞろぞろついてきました。それを見すましてエミリアンは、自分の羊を海の方へむけて、<ruby><rb>尻</rb><rt>しり</rt></ruby>をつよくつねりながら押しやりました。羊はびつくりして、かけだしたはずみに甲板をのりこして、声高くなきながら、海の中にとびこみました。ほかの羊たちも、そのあとを追つて、メー、メー……となきたて騒ぎたてながら、次々に海へとびこんでいきました。

それを見ると、肥つた男はきちがひのやうになりました。かけまはつて羊たちをひきとめようとしました。それから叫びたてました。

「<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>か、助けて下さい。羊が海へとびこんでいきます。救つて下さい。早く救つて下さい。羊一匹について、銀貨一枚あげます。救つて下さい」

叫びたてながらも彼は、をかしなことには、蝙蝠の<ruby><rb>籠</rb><rt>かご</rt></ruby>を手からはなさないで、そして羊のあとを追つて、自分もたうとう海へとびこんでしまひました。

さうなると、面白がつて見てゐたエミリアンも、やせた人たちも、船員たちも、すてておけませんでした。急いで小舟をおろして、肥つた男とその羊たちを、救ひあげはじめました。

肥つた男は、頭から水をかぶつて、ずぶぬれになつたまゝ、やはり蝙蝠の籠をぶらさげてゐました。羊たちもずぶぬれになつてゐました。けれど、<ruby><rb>溺</rb><rt>おぼ</rt></ruby>れたものは一頭もありませんでした。

羊一頭について、銀貨を一枚づつわたされました。

エミリアンはいひました。

「あなたも救つてもらつたんだから、自分のぶんとして、銀貨を一枚おだしなさい。羊とおなじに、あなたの<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>も、銀貨一枚のねだんにしておいてあげませう」

肥つた男はまだぼんやりしてゐて、自分の<ruby><rb>生命</rb><rt>いのち</rt></ruby>の代として、さいごの銀貨を一枚さしだしました。エミリアンはそれを受取つて、空中にたかくはふりあげました。日の光にそれがきらきら光りました。

## 六　<ruby><rb>死神</rb><rt>しにがみ</rt></ruby>と老婆の話

## 一

エミリアンはシリアに上陸して、パレスチナの方へ、のんきな旅をつゞけました。

ある日の夕方、山と海とのあひだの、<ruby><rb>淋</rb><rt>さび</rt></ruby>しい街道を通つてゐますと、小さな村からちよつとはなれて、古い<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>が一軒ありまして、その入口の石段のところに、お<ruby><rb>婆</rb><rt>ばあ</rt></ruby>さんが一人<ruby><rb>坐</rb><rt>すわ</rt></ruby>つてゐました。エミリアンは一日歩きつかれて、<ruby><rb>喉</rb><rt>のど</rt></ruby>がかわいてゐましたので、水を飲まして下さいと頼みました。

「えゝ、どうぞ、自由に飲んで下さい」とお婆さんは答へました。

教はつたとほりに、家のよこてにまはりますと、ほりぬき井戸の石の<ruby><rb>枠</rb><rt>わく</rt></ruby>から、つめたい清らかな水がわきこぼれてゐました。エミリアンは十分に飲んで、すがすがしい気持になつて、お婆さんのところへ<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>つてきて、お礼をいひました。

お婆さんはたゞうなづいただけで、<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>に両手をくんだまゝ、いつまでもじつとしてゐました。白い髪の毛、ながい<ruby><rb>眉毛</rb><rt>まゆげ</rt></ruby>、ふくらんだまぶた、ひふのたれさがつた<ruby><rb>頬</rb><rt>ほほ</rt></ruby>、あつい<ruby><rb>唇</rb><rt>くちびる</rt></ruby>、そして小さなすみきつた<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>……それを、ちやうど、赤い夕日がてらしてゐました。エミリアンはなんだか、自分のおばあさんのまたおばあさんの、とほい昔の人にあつたやうな気がして、立去りかねてたゝずみました。

やがて、お婆さんはやさしくほゝゑみました。エミリアンはたづねました。

「あなたは、何かたいへん悲しいことがあるんでせう」

「いゝえ」とお婆さんはほゝゑみながら答へました。

「それでは、何か一心に考へてることがあるんでせう」

「いゝえ」とお婆さんはほゝゑみながら答へました。

エミリアンは困りました。それから、きまりわるさうにいひました。

「でも……水を飲ましてもらつたんですから、お礼に、バイオリンをひいてあげませうか」

お婆さんはうれしさうな顔でうなづきました。

エミリアンはバイオリンをとりだして、いろんな音楽をひいてきかせました。鳥の声や風の音や波の<ruby><rb>響</rb><rt>ひびき</rt></ruby>などをまねた音楽、それから、ロシヤの川船の船頭の歌、スイスの山のなかの<ruby><rb>樵夫</rb><rt>きこり</rt></ruby>の歌、アルプスのふもとの<ruby><rb>羊飼</rb><rt>ひつじかひ</rt></ruby>の歌、フランスの田舎の<ruby><rb>葡萄</rb><rt>ぶだう</rt></ruby>つみの歌、スペインのお祭の<ruby><rb>踊</rb><rt>をどり</rt></ruby>の歌、アフリカの<ruby><rb>沙漠</rb><rt>さばく</rt></ruby>の隊商の歌……。

夕日がしづんで、うすぐらくなりかけるまで、エミリアンはひきつゞけました。

お婆さんは一心にきいてゐてくれました。そんなに注意ぶかくきいてくれる者は、これまでにありませんでした。エミリアンがひきやめると、お婆さんはその両手をとつて、やさしく握りしめてくれました。

「ほんとにありがたう。うれしくきゝましたよ」

エミリアンは顔を赤らめました。

「ほんとにうれしくきゝました。こんどは、わたしの方からお礼に、ご飯をあげませう。そして、よろしかつたら、泊つておいでなさい」

エミリアンはよろこんで承知しました。お婆さんについて家のなかにはいると、せまい家ですが、きれいに片付いてゐました。

お婆さんはうれしさうに食事の仕度をしました。そまつな食事でしたが、とてもおいしい<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶだうしゆ</rt></ruby>がついてゐました。エミリアンは一口飲んで、びつくりしました。そんなおいしいのはまだ飲んだことがありませんでした。

「これはずゐぶん古いんですよ」とお婆さんはいひました。「二百年くらゐはたつてゐるでせう。これを飲ましてあげたいと思ふやうな人を、わたしは今まで待つてゐました。お前さんは親切で、利口で、はれやかで、ちやうどその人です。お前さんに飲んでもらつたので、わたしはもう死ぬことにしませう」

エミリアンはとびあがりました。

「え、死ぬんですつて……」

「さうびつくりすることはありません。おちついておきゝなさい。話してあげませう」

そしてお婆さんは、その話をはじめました。

## 二

もう昔のことですが、わたしは相当に財産ももつてゐて、<ruby><rb>不仕合</rb><rt>ふしあは</rt></ruby>せな人たちをたすけてやるのが、なによりのたのしみでした。たづねてくる人にはみな、いくらかのお金かパンかを恵んでやりました。それで、人に物を<ruby><rb>乞</rb><rt>こ</rt></ruby>ふやうな人たちは、かならずわたしの<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>に寄つていきました。

さういふ人たちのうちに、一人の聖者がありまして、<ruby><rb>幾度</rb><rt>いくたび</rt></ruby>もわたしのところに、食事をしにきました。聖者はふつうの人とどこかちがつてゐるので、一目でわかるものです。その聖者が、ある日わたしにいひました。

「なんでもあなたの願ひごとを一つ、かなへさしてあげるだけの力を、わたしは神さまから授かりました。よく考へて、願ひごとを一ついつてごらんなさい」

わたしは長いあひだ考へました。そしてかういひました。

「うちの庭に、大きな<ruby><rb>巴旦杏</rb><rt>はたんきやう</rt></ruby>の木が一本あります。その実をつまうと思つて木にのぼつた人を、どんな人でも、わたしの思ふとほりに、そこから動けないやうにすることが出来たらと、それが<ruby><rb>願</rb><rt>ねがひ</rt></ruby>です」

「それはまた、へんな願ひごとですね。でも、あなたがそれを望まれるからには、きつとかなへさしてあげませう」

そして聖者は行つてしまひました。もうそれきりきませんでしたから、きつと、天国に<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>つていかれたのでせう。

それから幾年もたつて後、<ruby><rb>死神</rb><rt>しにがみ</rt></ruby>がわたしの<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>のそばを通りかゝりました。――この女はもう八十になつてゐる。十分生きたといふものだ。今日は、あの世へつれていつてやらう。――さう<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いて、家のなかにはいつてきました。

その姿をみて、わたしはいひました。

「おや、死神ですね。長い前から待つてゐましたよ。わたしはもうこの世を去つても、少しもをしいとは思ひません。たゞひとつ、その前に、巴旦杏の実がたべたいんですが……」

「それだけのことなら、わけはない。ちよつと待つておいで」

そして死神は、庭にかけていつて、巴旦杏の木にのぼり、その実を少しつんで、おりようとしました。わたしはそれを待ちうけてゐて、命令しました。

「死神は、わたしの許しがなければ、木からおりてはいけない」

すると、命令どほりになりました。死神は、たのんだり、おどかしたり、叫んだり、騒いだりしましたが、巴旦杏の木からおりることが出来ませんでした。

それからといふものは、もう<ruby><rb>誰</rb><rt>だれ</rt></ruby>も死ぬ者がなくなりました。ところが、<ruby><rb>不具</rb><rt>かたは</rt></ruby>の人や、<ruby><rb>怪我</rb><rt>けが</rt></ruby>した人や、病気になつた人や、生きてゐても何ののぞみもないやうな人たちが、ひどく苦しみまして、死神をよぶ声が、あちらにもこちらにも起りました。死にたがつてる人がどんなに多いかを知つて、わたしは驚きました。四方からわたしのところへやつてきて、死神をときはなしてくれと頼みました。

わたしは当惑しました。死神をときはなしたら、死にたがつてる人ばかりでなく、生きたいと思つてる人までも、さらつてゆくにちがひありません。それでわたしは、死神のところへ行つて、約束をさせました。わたしが三度よぶまでは、決してわたしをさらひにきてはいけないこと、そしてわたしが巴旦杏の実を持つていつてやる人を、死にたくないのにむりにさらつていつてはいけないこと、それを誓はせました。そして死神を巴旦杏の木からおろしてやりました。

そこでまた、方々に死ぬ人が出てきました。どんなに病気で苦しんでゐても、死にたくないといふ人のことをきくと、わたしが巴旦杏の実をもつていつてやりました。するとその人は助かりました。

ところが、わたしがそんなことをしてるのをみて、いつのまにか、わたしを<ruby><rb>魔法使</rb><rt>まはふつかひ</rt></ruby>だといひふらす者が出てきました。わたしがあまり長く生きてるので、なほさら、魔法使だといふ<ruby><rb>噂</rb><rt>うはさ</rt></ruby>がほんたうらしくなりました。それにわたしも、あまり年をとつて、方々へうちの巴旦杏の実を持つていつてやることが、出来にくくなりました。

もうわたしは、あまり生きすぎたのでせう。魔法使だといつて、人もあまりよりつかなくなりました。わたしは死神をよばうと思つてゐます。

そこへ、お前さんがきて、いろんな音楽をきかしてくれましたから、こんなうれしいことはありません。その<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶだうしゆ</rt></ruby>は、むかし、わたしが聖者にだしてゐたのの、たゞ一本の残りです。たくさん飲んで下さい。

## 三

エミリアンは、そのおいしい<ruby><rb>葡萄酒</rb><rt>ぶだうしゆ</rt></ruby>によつてきて、夢のやうな気持になりました。二百年も生きてるといふ白髪のお<ruby><rb>婆</rb><rt>ばあ</rt></ruby>さん、<ruby><rb>魔法使</rb><rt>まはふつかひ</rt></ruby>の<ruby><rb>噂</rb><rt>うはさ</rt></ruby>、<ruby><rb>死神</rb><rt>しにがみ</rt></ruby>、<ruby><rb>巴旦杏</rb><rt>はたんきやう</rt></ruby>の実……何もかも夢のやうです。

「いゝえ、死んではいけません。死神をよんではいけません」

夢中にそんなことをエミリアンは叫びました。それからまた、お婆さんを喜ばせるために、バイオリンをひいたり、<ruby><rb>縞</rb><rt>しま</rt></ruby>リスに芸をさせたりしました。

お婆さんはやさしくほゝゑんでゐました。その顔をみてゐると、エミリアンは眠くなりました。

夜中に、エミリアンは何度も<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>をさまして、叫びました。

「死んではいけません。死神をよんではいけません」

すると、お婆さんのやさしい笑顔が、彼の方をのぞきこんでくれました。

朝早く、エミリアンが<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>をさますと、お婆さんの姿が見えませんでした。エミリアンはびつくりしてとび起きました。<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>のなかを探しまはりましたが、お婆さんはゐませんでした。

外に出てみますと……庭の大きな巴旦杏の木の下に、<ruby><rb>椅子</rb><rt>いす</rt></ruby>に腰かけて、お婆さんは死んでゐました。

エミリアンはその<ruby><rb>膝</rb><rt>ひざ</rt></ruby>にすがりついて、泣きだしました。涙がとめどなく流れました。

朝日の光がさしてくると、エミリアンは涙をふいて立上りました。一人ではどうすることも出来ませんから、少しはなれてる村の人たちをよびにいきました。村の人たちは、お婆さんを天の<ruby><rb>使</rb><rt>つかひ</rt></ruby>だといつてた者も、魔法使だといつてた者も、みな驚いて、かけつけてきました。死なれてみると、お婆さんがどんなに親切なよい人だつたかが、しみ〲と分りました。

その晩、大ぜいの人でお通夜をして、翌日、葬式をすることになりました。

その葬式の朝、ふしぎなことには、庭の巴旦杏の木がいつぱい花をひらきました。それが一日のうちに実をむすんで、葬式がすんだ夕方には、もうあまく熟してゐました。

エミリアンはその実をつんできて、みんなにたべさせました。

そしてエミリアンは、お婆さんがなくなつたあとの家に、しばらく住んでゐました。庭の大きな巴旦杏の木には、いつもあまい実がたくさんなつてゐました。