## 一

<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る山奥の村に、<ruby><rb>八太郎</rb><rt>はちたらう</rt></ruby>といふ<ruby><rb>独者</rb><rt>ひとりもの</rt></ruby>がゐました。<ruby><rb>呑気</rb><rt>のんき</rt></ruby>な男で、皆のやうに一生懸命に働いてお金をためることなんか、知りもしないし考へもしないで、のらくらとその日その日を送つてゐました。食物がなくなると、<ruby><rb>日傭稼</rb><rt>ひやとひかせ</rt></ruby>ぎに出たり、遠い町へ使ひに行つたりして、<ruby><rb>僅</rb><rt>わづ</rt></ruby>かの賃金を<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>つてきて、それで暮してゐました。

その八太郎が、<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る日、やはり遠い町へ<ruby><rb>使</rb><rt>つかひ</rt></ruby>に行つた時のことです。用を<ruby><rb>済</rb><rt>すま</rt></ruby>してぼんやり帰りかけると町外れの木の下に、白と黒との小さな子犬が二匹、一つ<ruby><rb>処</rb><rt>ところ</rt></ruby>にかたまつて、くんくん泣いてゐました。雨が少し降りだしてゐまして、その雨の<ruby><rb>雫</rb><rt>しづく</rt></ruby>が木から落ちかゝる度に、二匹の子犬はさも悲しさうに泣きたてるのです。

八太郎は<ruby><rb>暫</rb><rt>しばら</rt></ruby>くつゝ立つて、不思議さうに子犬を見てゐました。彼の山奥の村には、まだ犬が一匹もゐませんでしたから、彼にはその子犬が珍らしかつたのです。

すると子犬は、くんくん泣きながら、彼の足元に寄つてきました。

「捨てられたんだな。<ruby><rb>可哀</rb><rt>かはい</rt></ruby>さうだなあ。……<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>が拾つていつてやらう。」

八太郎はさう<ruby><rb>独語</rb><rt>ひとりごと</rt></ruby>を<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>つて、二匹の子犬を拾ひ上げて、懐の中に入れてやりました。子犬は<ruby><rb>温</rb><rt>あたたか</rt></ruby>い懐の中で、<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しがつて鼻を鳴らしました。

「よしよし、<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>が育てゝやる。」

八太郎は雨の降る中を、<ruby><rb>傘</rb><rt>かさ</rt></ruby>もさゝずに、二匹の子犬を懐の中に抱いて、山奥の村へ帰つて行きました。

## 二

八太郎が子犬を二匹拾つて来たことは、すぐに村中の評判になりました。前に言つた通り、まだ犬なんか一匹もゐない村でした。

「あんな貧乏な八太郎が、犬なんか拾つてきてどうするのだらう。」と<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る者は<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>ひました。

「犬なんて、金持か町人かの慰み物だのにね。」と<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る者は云ひました。

「<ruby><rb>呑気者</rb><rt>のんきもの</rt></ruby>のすることは違つたものだ。今に自分も犬と一緒に腹を<ruby><rb>空</rb><rt>す</rt></ruby>かすやうになるまでさ。」と<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る者は言ひました。

<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>し八太郎は一向平気でした。その白と黒との二匹の子犬が、まるまると<ruby><rb>肥</rb><rt>ふと</rt></ruby>つて、ふざけ散らしてるのを見て、さも<ruby><rb>嬉</rb><rt>うれ</rt></ruby>しさうに笑つてゐました。村の子供<ruby><rb>達</rb><rt>たち</rt></ruby>がまた始終、犬を見にやつて来ました。そしていろんな食べ物を持つてきてくれました。八太郎は犬のために特別に働かなくても済みました。

犬は見る見るうちに大きくなり、一年二年たつともう立派な親犬になりました。一匹のが男で、一匹のが女でした。そして、二年目の末には、女犬が四匹子供を産みました。

八太郎はびつくりしました。

「ほう、一度に四匹も産むのかな。」

子犬は四匹とも、元気に丈夫に育ちました。

ところが、それからが大変です。親犬は一年に二度づゝ、一度に四匹も五匹も、子供を産みました。子犬もやがて親犬になつて、それがまた子供を産み初めました。八太郎の家はもう犬で一杯で、わんわん、くんくん、<ruby><rb>吠</rb><rt>ほ</rt></ruby>えたり鳴いたり、<ruby><rb>喧嘩</rb><rt>けんくわ</rt></ruby>したりふざけたり、大変な騒ぎでした。

村の人達は<ruby><rb>呆</rb><rt>あき</rt></ruby>れ返りました。彼のことを八太郎といふ者はなく、いつのまにか犬の八公といふやうになつてゐました。

「やあ、犬の八公さんか、犬共の<ruby><rb>御機嫌</rb><rt>ごきげん</rt></ruby>はどうですか。」

<ruby><rb>誰</rb><rt>たれ</rt></ruby>でも彼に<ruby><rb>出逢</rb><rt>であ</rt></ruby>ふと、そんな風に<ruby><rb>挨拶</rb><rt>あいさつ</rt></ruby>しました。

「はゝゝ、みんな元気ですよ。」と犬の八公は笑ひながら答へました。

けれども、実は笑ひごとではありませんでした。もう村の子供達も犬にあきて、<ruby><rb>食物</rb><rt>たべもの</rt></ruby>を持つて来てくれる者がありませんでした。犬の八公は一人で、何十匹もの犬を養はなければなりませんでした。自分一人が<ruby><rb>漸</rb><rt>やうや</rt></ruby>く食べてゆけるだけの貧乏人でありましたから、いくら一生懸命に働いても、さう沢山の犬を養ふことはとても出来ませんでした。その上、これからまた、犬は次から次へと子供を産んでいつて、どれだけふへるか分りませんでした。

「困つたなあ。」

犬の八公は途方にくれて考へてみました。<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>し、犬を一匹でも捨てる気にはどうしてもなれませんでした。

一日どこへ行つても仕事がなくて、ぼんやり<ruby><rb>戻</rb><rt>もど</rt></ruby>つてくると、犬達は腹を<ruby><rb>空</rb><rt>す</rt></ruby>かして待つてゐます。

「おう、みんな腹が<ruby><rb>空</rb><rt>す</rt></ruby>いたらう。」

犬の八公はさう云つて、泣きたい思ひをしながら家に残つてる食べ物をみんな、犬にやつてしまひました。

「もうこれきり、お金も食べる物もなくなつたよ。<ruby><rb>明日</rb><rt>あした</rt></ruby>の朝は何にもないんだ。それに<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>の仕事もないときてる。我慢してくれ、な、我慢してくれ。その代り、こんど仕事があつて<ruby><rb>稼</rb><rt>かせ</rt></ruby>いできたら、うんと<ruby><rb>御馳走</rb><rt>ごちそう</rt></ruby>してやるからな。」

彼はさう犬に云つて、泣きながら<ruby><rb>布団</rb><rt>ふとん</rt></ruby>をかぶつて寝てしまひました。犬達も彼の言葉が分つたか、土間におとなしく並んで、じつとしてゐました。

## 三

翌日の朝、犬の八公は遅くまで寝てゐました。起き上つたところで、どうせ<ruby><rb>稼</rb><rt>かせ</rt></ruby>ぎに出る仕事もないし食べる物もないし、寝てる方がましだつたのです。

ところが、犬<ruby><rb>達</rb><rt>たち</rt></ruby>が朝早くから、わんわん騒ぎ出しました。しまひには座敷へ<ruby><rb>上</rb><rt>あが</rt></ruby>つてきて、彼の布団を引きはがさうとします。彼は初め、それを<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>つてゐましたが、たうとう仕方なく起き上りました。

起き上つてみるとびつくりしました。庭の<ruby><rb>隅</rb><rt>すみ</rt></ruby>の<ruby><rb>蓆</rb><rt>ござ</rt></ruby>の上に、鶏や<ruby><rb>鯉</rb><rt>こひ</rt></ruby>や<ruby><rb>鮒</rb><rt>ふな</rt></ruby>や芋や<ruby><rb>蕪</rb><rt>かぶ</rt></ruby>などが、山のやうにつみ重ねてあつて、そのまはりに犬達が並んでゐます。

「ほう、これは……。お前達が持つてきてくれたんだな。有難い、有難い。」

犬の八公は急に元気づきました。そして、鶏や魚や野菜を料理して、犬達と一緒に食べました。四五日では食べきれないほどありました。

ところが、村では大変な騒ぎでした。<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>のところの鶏がゐなくなつた、<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>のところの池の魚が見えなくなつた、<ruby><rb>俺</rb><rt>おれ</rt></ruby>のところの畑が荒された……とあちらでもこちらでも騒ぎです。そしてそれがみな一晩のうちの出来事です。それからだん〱調べてみるとみな犬の八公のところの犬達の仕業と分りました。

村の人達は腹を立てゝ、犬の八公のところへ押しかけて来ました。

犬の八公は話を聞いて、またびつくりしました。そして犬達を<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>りながら、もう二度とこんなことはさせませんと村の人達に誓ひました。

「お前が知らないことで、犬の畜生共のしたことなら、こんどだけは許してやらう。その代り、二度とこんなことをしたら、もう容捨はしないからね、よいか。」

「いえもう、決して……。」

彼の堅い約束をきいて、村人達は帰つてゆきました。

彼は困りました。自分のためにしてくれたのですから、犬達をひどく<ruby><rb>叱</rb><rt>しか</rt></ruby>るわけにもゆきませんし、それかつて、村人達から<ruby><rb>怨</rb><rt>うら</rt></ruby>まれたら、この後仕事に雇つて<ruby><rb>貰</rb><rt>もら</rt></ruby>へないかも知れません。

「まあいゝや、そのうちにどうにかなるだらう。」

<ruby><rb>呑気</rb><rt>のんき</rt></ruby>な性分からさう<ruby><rb>諦</rb><rt>あきら</rt></ruby>めて、彼は犬達と一緒に、鶏や魚や野菜の<ruby><rb>御馳走</rb><rt>ごちそう</rt></ruby>を食べました。四五日は大丈夫でした。彼も犬達も腹が一杯になり、元気になり陽気になつて、飛び<ruby><rb>廻</rb><rt>まは</rt></ruby>つたりはね<ruby><rb>廻</rb><rt>まは</rt></ruby>つたりしました。

そして<ruby><rb>御馳走</rb><rt>ごちそう</rt></ruby>がだんだん無くなつてくると、彼も犬達もまたしよげ返りました。彼は腕をくんで首を垂れ、犬達はそのまはりを取巻いて、黙つて考へ込みました。

## 四

するうちに、<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る夜中のこと、村の<ruby><rb>真中</rb><rt>まんなか</rt></ruby>で大騒動が起りました。犬が一匹<ruby><rb>吠</rb><rt>ほ</rt></ruby>え出したのをきつかけに沢山の犬が<ruby><rb>吠</rb><rt>ほ</rt></ruby>え出して、やがて<ruby><rb>一団</rb><rt>ひとかたまり</rt></ruby>になつて、激しい争ひを初めました。それが普通と違つて、死にもの狂ひの騒ぎだつたものですから、村の人<ruby><rb>達</rb><rt>たち</rt></ruby>は皆<ruby><rb>眼</rb><rt>め</rt></ruby>を覚して、飛び出してきました。

見ると、<ruby><rb>真黒</rb><rt>まつくろ</rt></ruby>な着物をきた男が、四方から犬にとり巻かれて、身動きも出来ないで地面につゝ伏してゐます。<ruby><rb>見馴</rb><rt>みな</rt></ruby>れない男です。犬の八公のところの犬達です。

犬の八公も飛び起きてきました。犬達を押しのけて、<ruby><rb>真黒</rb><rt>まつくろ</rt></ruby>な着物の男を<ruby><rb>引捕</rb><rt>ひつとら</rt></ruby>へました。調べてみると懐に一杯お金をつめこんでゐます。<ruby><rb>泥坊</rb><rt>どろばう</rt></ruby>なんです。村一番の金持のところにはひつて、お金を盗み出したところを、犬達に見付かつたのです。

村の人達はお金をすつかり<ruby><rb>取戻</rb><rt>とりもど</rt></ruby>し、<ruby><rb>泥坊</rb><rt>どろばう</rt></ruby>を<ruby><rb>袋叩</rb><rt>ふくろたた</rt></ruby>きにして追つ払ひました。

そのために、犬の八公は大変得意になりました。犬達はなほ得意でした。そして村の人達は、初めて犬の有難いことを知りました。毎日汗を流して働いてためたお金を、<ruby><rb>泥坊</rb><rt>どろばう</rt></ruby>に盗まれてしまつては、これほど<ruby><rb>馬鹿</rb><rt>ばか</rt></ruby>げたことはありません。

「犬の八公さん、」と金持の主人は<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>ひ出しました、「<ruby><rb>私</rb><rt>わたし</rt></ruby>に犬を一匹譲つてくれませんかね。」

すると村の人達は、<ruby><rb>私</rb><rt>わたし</rt></ruby>にも、<ruby><rb>私</rb><rt>わたし</rt></ruby>にも……と、四方から犬をほしがりました。

「へえー……ですが<ruby><rb>私</rb><rt>わたし</rt></ruby>は、犬を手放すのが措しくてどうも……。」

犬の八公は、一匹でも犬を人手に渡すのが、悲しいやうな惜しいやうな気がして仕方ありませんでした。

そこで、村の人達はいろいろ相談した上で、犬達を村全体の番人にして、犬の八公をその係りとすることにし、犬の八公と犬達との食べ物は、一切村から出すことにしたいと、さう云ひ出しました。犬の八公も、それならばと喜んで承知しました。

## 五

それからは、もう何の心配もありませんでした。犬の八公は毎日、犬<ruby><rb>達</rb><rt>たち</rt></ruby>を相手に、ぶらぶら遊んでをればよいのでした。

村の人達も安心でした。犬の八公とその犬達とがをれば、<ruby><rb>泥坊</rb><rt>どろばう</rt></ruby>も何も<ruby><rb>恐</rb><rt>こは</rt></ruby>いことはありません。昼間は<ruby><rb>云</rb><rt>い</rt></ruby>ふまでもなく夜分でも、<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>を空けて構ひませんし戸を開いたまゝ眠つても構ひません。小さな子供のある<ruby><rb>家</rb><rt>うち</rt></ruby>では、犬達が遊び相手になつてくれますので皆で<ruby><rb>田圃</rb><rt>たんぼ</rt></ruby>に出て働くことも出来ます。

ところが、そのうちにも、犬は次から次へと子供を産んで、次第に数がふえてきました。

「ほゝう、よく産むなあ。」

さう云つて、犬の八公はにこにこしてゐました。

けれども、村の人達はやがて<ruby><rb>眉</rb><rt>まゆ</rt></ruby>をひそめるやうになりました。もう村中犬だらけになつてゐました。その調子で犬がふえていつたら、後にはどうなるか分りませんでした。犬の数が人間の幾倍にも幾倍にもなつていつたら、その食物ばかりでも大変です。

犬の八公が沢山の犬を引きつれて歩き<ruby><rb>廻</rb><rt>まは</rt></ruby>つてるのを見て、村の人達は小声で<ruby><rb>囁</rb><rt>ささや</rt></ruby>き合ひました。

「どうかしなくつちやあ……。」

「どうしたものかな……。」

そしてたうとう<ruby><rb>或</rb><rt>あ</rt></ruby>る日、村の重立つた人達が犬の八公のところへ来て、犬の数を何とか出来ないかと相談しました。

「へえー、なるほど、犬の数が多すぎると云ふんですね。」と彼は答へました。「そこで、犬に子供を産ませないやうにするか、産まれた子供を殺してしまふか、まあそれより外に仕方はないわけですが……<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>しそんなことは、どうも<ruby><rb>私</rb><rt>わたし</rt></ruby>には……。まあ考へてごらんなさい。これがもし人間だつたら……。」

「人間だつたら……。」

そこで村の人達は、何とも云ひやうがありませんでした。

犬の八公と村の人達とは、不満のまゝ別れました。

犬の八公はむつつり考へ込んでしまひました。そのまはりには多くの犬が、大きいのや小さいのや、ずらりと並んで、心配さうに彼の顔を<ruby><rb>眺</rb><rt>なが</rt></ruby>めてゐました。

翌日、犬の八公と多くの犬達とは、もう村にゐませんでした。

村の人達が騒ぎ出しました。がいくら探しても、一匹の犬の姿も見えませんでした。<ruby><rb>何処</rb><rt>どこ</rt></ruby>へ行つたのかも分りませんでした。

多分、犬の八公がその犬達をみんな連れて、遠く山の奥へでもはいつてしまつたのだらう、と村の人達は想像して、心配なやうな安心なやうな気持になりました。心配なのは、<ruby><rb>泥坊</rb><rt>どろばう</rt></ruby>のことでした。安心なのは、やたらに犬の数がふえる恐れのなくなつたことでした。

そしてそれきり、犬の八公とその犬達とのことは、全く分らなくなつてしまひました。