Soranoha

『桜樹』の序

『おうじゅ』のじょ

岸田 国士

日本人のすべてが、いま無意識にもとめてゐるものがある。いろいろな方面にそれがある。例へば小説にしても、今までのどんなものよりも身近な、それでゐて、おほらかなものを、それとははつきり言へないけれども、みんな心のなかで探してゐるやうに思ふ。

作家はむろんそれに気づいてゐる。しかし、書くといふことはひとつの習慣であるから、思ひきつて自分の殻を破らなければ、新しい方向に進むことはできない。準備はもうできてゐる。機会が与へられゝばいゝのである。

たまたま、私が翼賛会文化部の仕事をしてゐる関係で、今度陣容を建て直した翼賛出版協会から「健全で面白い小説」の出版について企画の相談をうけた。

私の頭には、すぐ数名の中堅作家の名が浮び、その才能、思想、気魄の点で、私の考へてゐる「日本人全体を対象とするやうな小説」の執筆の依頼をしたらといふ事が即座に決定したのである。

同僚の上泉君とも人選について慎重に打合せをした。

みんな快く引受けてくださつた。

国民文学といふやうな名称をわざわざつけなくてもいゝ。つまり、ある一定の読者――知識層とか大衆とか、或はまた文学に縁のあるものとか、忙しくて時間がないものとか、婦人とか子供とか――とにかく、特別な条件のついた読者の範囲を頭において、これまでの小説は書かれてゐたのである。さういふものもあつていゝけれど、さうでないものがなければならぬ。これこそ、私たちが、いま、文学にもとめてゐるものではないかと思ふ。そして、これは作家にとつて最も困難な、しかし命をかけても惜しくない道である。

出版者側のかなり非打算的な協力に信頼し、作家諸氏の熱意と努力とを私は感謝をもつて見まもつてゐる。

福田清人氏の「桜樹」は、かくしてこゝに脱稿をみたわけである。

これ以上、私はなにも云ふ必要はない。ひろく読まれることを希ふばかりである。

昭和十七年九月一日

底本 / Source edition

底本:「岸田國士全集26」岩波書店
1991(平成3)年10月8日発行
底本の親本:「桜樹」翼賛出版協会
1942(昭和17)年10月20日発行
初出:「桜樹」翼賛出版協会
1942(昭和17)年10月20日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年3月1日作成
2016年4月14日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

この表示について / About this rendering

記録は下にリンクした署名済みの TEI ファイルです。このページはそれを読むための一つの形です。読みが複数ある箇所は一つだけを本文に示し、もう一方は語の title に残しています。 / The record is the signed TEI file linked below. This page is one way of reading it. Where the text has more than one reading, the page shows one of them and keeps the other on the word itself, in its title text.

リリース / Release
913b24012e1626b47bebf5a14fd31773728229efdb088f1ceb934717c1ac800c
TEI
/works/044695_001154/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/044695_001154/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/044695_001154/

岸田 国士「『桜樹』の序」(新字旧仮名)、底本『岸田國士全集26』岩波書店、1991年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 044695_001154, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

引用のしかた / How to cite