Soranoha

生活文化の建設

せいかつぶんかのけんせつ

岸田 国士

今度満洲の特に北満に居住するロシア人の日常生活を視る機会を得て感じたのは、民衆の娯楽といふことである。日本内地でも近頃は「健全な娯楽」が当局者の間でもまた民間でも考へられてゐるやうだが、然し特別な娯楽施設といふものは考へられてゐないやうだ。

現在の生活技術を身につけて、生活自体の中に生活を楽しむ要素を織り込むやうにすれば、そこに初めて健全な娯楽を生み出す用意が出来る。日本人はどうも健全な生活法に関して無関心であり過ぎる。それでは結局外に娯楽を求めるやうになる。それ故に、現代の生活法の研究から先づ始めなければならぬと思ふ。

わが国で考へらるべき文化問題の根本も実はそこにあるのではなからうか。殊に大陸に於ける指導民族としての資格をもつためには、現在のやうな日本人の生活法では非常にまづいと思ふ。一方では各種の仕事の上で優秀な技術と能力を有する日本人が、一とたび生活法といふ点になると非常な弱点を暴露する。これではいけない。日本の国民が挙つて新しい方向に向ふ秋に当つて、先づ我々の生活法をもつ、といふことが大切である。

では、この生活法に関してどんな点に私が気づいたかといへば、例へば住居に就て考へてみよう。簡単なことではあるが煖房設備のない、或は不足した部屋に於ける日本人の生活は、能率を非常に下げる。また健康にも影響する。のみならず屋内に於ける団欒といふことの防碍にもなる。

防寒設備のないことが不健康に導くといふことはほんの一例に過ぎないが、次に衣服に就てみるならば、日本人は季節によつて着物を換へる習慣はあるけれども、朝昼晩の気温の変化によつて着物を調節することはしない。それは一面に於て気候が温暖の故でもあるが、現在では屋外に出て仕事をする人が非常に多いのだから、一日中の気温の変化に対して相当の調節を行はなければ、そのために感冒にかゝる心配もある。これは冬ばかりではなく、また気候の変り目ばかりでもない。日本人のかういふ習慣のために例へば寒い北満の土地に移住するといふやうな場合にも健康を害することが少からずあると思ふ。

また例へば、一日中に家族の全員が同時に閑になるやうな時間を作ることが必要であらう。普通日本人の家庭では主人が閑の時には細君は台所に入りきりだとか、細君の閑な時には主人は外へ遊びに行くとかいふ場合が多いのではあるまいか。

かういつたことは極く些細な例ではあるけれども、それらを積み重ねて行くと、現在の日本人の生活法をもつと合理的に、且つ豊かにし得る面が幾らもあると思はれるのである。さうなることによつて、日本国民のエネルギーを一層有効に使ふことも出来るし、生活に疲れたり倦んだりすることも尠くさせ、なほ積極的には生活を楽しむことも覚えさせるであらうと思ふ。私は今後日本人の生活法に関してもつと具体的に研究してみたいと思つてゐる。然しそれがためには徒らに他民族を模倣するのではなく、日本人の特質を伸ばし、日本人の性能に適したものを考へて行くべきことは云ふまでもない。

話は別のことになるが、最近ハルビンで作家、音楽家、俳優、評論家など芸術家の新しいグループが出来た。その大部分はロシア人であつて、市場としては目下のところ殆どハルビンに限られてゐるから、このまま抛つて置けばその前途は暗澹たるものであつて、彼等も今後どうして仕事を続けて行かうかと悩んでゐる状態である。之を実は日本人の間で保護しようといふことになつて先づグループを作らせたわけであるが第一に、誰がどういふことをやつてゐるかといふことを調査しなければならぬ。それが為には今後日本内地からその方面の専門家を派遣して援助する必要があると思ふ。

またハルビンではロシア人のやつてゐる実に立派な劇団を観た。それはモデルン劇場に出てゐるトムスキイ劇団であつて、主要な俳優は悉く本格的な修業を経てゐるらしく演し物も却々こつたものをやつてゐた。見物は全部ロシア人であつて、これもこのままにして置けば散り〱になつてしまふのは必至であるが、今のうちに保護するやうにすれば一つの名物になるに違ひない。

ハルビンでは極く地味な存在に過ぎなからうが、東京へ連れて来るのもさう手間はとるまいと思はれるし、演し物次第では相当に成功する可能性があると思ふ。レパートリイとしてはロシアのクラシツクは殆どやつてゐるやうである。私の観たのは一つはフランスの“スクリーブ”、もう一つは作者は忘れたがツルゲーネフの喜劇のやうな味のある却々しやれた喜劇で非常な感銘を受け、残念ながら羨ましくさへも思つたのである。

底本 / Source edition

底本:「岸田國士全集25」岩波書店
1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「読売新聞」
1940(昭和15)年10月17日
初出:「読売新聞」
1940(昭和15)年10月17日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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書誌 / Bibliography
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岸田 国士「生活文化の建設」(新字旧仮名)、底本『岸田國士全集25』岩波書店、1991年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 044653_001154, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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