Soranoha

喪服の人形

もふくのにんぎょう

岸田 国士

新劇協会のある稽古の日、伊沢蘭奢は、僕を部屋の一隅に招いて、風呂敷包みをほどきかけた。何を出すのかと思つてゐると、例の少女のやうなはにかみ方で、――「これ、出来損ひですけれど……」とかなんとか云ひながら、僕の手に人形のやうなものを渡したのである。それは、西洋風の喪服を着た女の人形で、彼女の説明を俟つまでもなく、これこそ「チロルの秋」のステラに違ひなかつた、と云ふよりもステラに扮した彼女自身に違ひなかつた。

僕の手にその人形を渡す時、その場にゐる外のものには見せたくないといふ風をしたにはしたのだが、それは、どうでもよかつたのだらう。さういふところにも、「日本娘」伊沢蘭奢の伝統的コケツトリがあつた。それはさうと、僕は、美しい女優から、かういふ贈物を受けて、内心うれしくない筈はない。帰りには、大事に、その人形を抱えて、「チロルの秋」初演の当夜を思ひ浮べてゐた。

処が、悲しいかな、その思ひ出たるや、僕には決して有難いものではなかつた、と云つても、それは決して伊沢蘭奢の罪ではないのであるが、僕はあの舞台の記憶を、彼女の総ての記憶から引離したく思つてゐる。

自作について云へば「温室の前」に於ける牧子は、たしかに彼女一代の傑作たるを失はぬ。この脚本は、僕がはじめて役々を俳優にあて嵌めて書いたのであるが、他の役は何れも多少の食ひ違ひがあつて、半分は最初の予定を変へなければならなくなり、俳優の方でもぴつたりしないところがあつたやうであるが、牧子の役だけでは、伊沢蘭奢の比較的世に知られない天才的特質の一面を充分活かし得たと信じてゐる。事実此の舞台で、彼女は、初めて名女優の貫禄を示した。

伊沢蘭奢は、一部のファンが想像する如く、モダン・マダム型の代表でもなく、まして、下町風の世話女房型女優でもなく、一面に明治家庭小説式色つぽさによつて大衆に迎へられながら、実は、それが彼女の芸術的本領ではなく、寧ろ、平凡で、地味で、深く悩みを蔵する過渡時代の女性――これが恐らく、役柄であつたとも云へるのである。

僕は、彼女が、その一生を通じて、屡々さういふ役に遭遇したかどうかを知らない。今にして思へば、伊沢蘭奢は、これからの舞台、これからの新劇を背景として、重要な役割を演ずべき一個の有力な女優であつたのである。

喪服の人形が、偶然ながら、彼女の過去の面影を語るものとすれば、そこに深い記念の意味がある訳である。

底本 / Source edition

底本:「岸田國士全集21」岩波書店
1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「素裸な自画像」世界社
1929(昭和4)年5月10日発行
初出:「素裸な自画像」世界社
1929(昭和4)年5月10日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
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書誌 / Bibliography
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岸田 国士「喪服の人形」(新字旧仮名)、底本『岸田國士全集21』岩波書店、1990年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 044578_001154, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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