<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><TEI xmlns="http://www.tei-c.org/ns/1.0" xmlns:snh="https://w3id.org/soranoha/ns/tei" snh:vocab-version="1">
  <teiHeader>
    <fileDesc>
      <titleStmt>
        <title type="main" xml:lang="ja">新劇の観客諸君へ</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">しんげきのかんきゃくしょくんへ</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>岸田</surname><forename>国士</forename><idno type="aozora-person-id">001154</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>きしだ</surname><forename>くにお</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Kishida</surname><forename>Kunio</forename></persName></author>
      </titleStmt>
      <publicationStmt>
        <publisher ref="https://w3id.org/soranoha/">Soranoha</publisher>
        <idno type="soranoha-work-identifier">044480_001154</idno>
        <idno type="aozora-work-id">044480</idno>
        <idno type="aozora-card-url">https://www.aozora.gr.jp/cards/001154/card44480.html</idno>
        <date when="2014-09-21">2014-09-21</date>
        <availability status="free">
          <licence target="https://creativecommons.org/publicdomain/mark/1.0/">The underlying work is in the public domain; Soranoha asserts no rights over it.</licence>
          <licence target="https://creativecommons.org/publicdomain/zero/1.0/">Soranoha's encoding of this work and the artifacts derived from it are dedicated to the public domain under CC0-1.0. Attribution is requested, not required. Full rights statement: <ptr target="https://w3id.org/soranoha/rights"/></licence>
        </availability>
      </publicationStmt>
      <sourceDesc>
        <bibl><title>岸田國士全集22</title><publisher>岩波書店</publisher><date>1990（平成2）年10月8日</date><note type="input-edition">1990（平成2）年10月8日</note><note type="proof-edition">1990（平成2）年10月8日</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「築地座　第十一号（一周年記念号）」1933（昭和8）年2月25日</bibl>
        <bibl><idno type="source-content-hash">sha256:812e7ff0712ef7984019aade4c09b3547302d4a02c16821118a4ae1009cbe7ca</idno></bibl>
        <bibl><idno type="primary-text-hash">sha256:3104716e2eb5671468deec6a1db3caebc33502c4711ec7d24f5781850d08f3e8</idno></bibl>
      </sourceDesc>
    </fileDesc>
    <encodingDesc>
      <styleDefDecl scheme="css"/>
      <classDecl><taxonomy xml:id="ndc"><bibl>日本十進分類法 (Nippon Decimal Classification), as recorded by <title>青空文庫</title> in its 分類番号 field.</bibl></taxonomy><taxonomy xml:id="aozora-orthography"><bibl><title>青空文庫</title> 文字遣い種別: the orthographic style Aozora Bunko records for the transcription.</bibl></taxonomy></classDecl>
      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
    </encodingDesc>
    <profileDesc>
      <langUsage>
        <language ident="ja">日本語</language>
      </langUsage>
      <textClass>
        <classCode scheme="#ndc">775</classCode>
        <classCode scheme="#aozora-orthography">新字旧仮名</classCode>
      </textClass>
    </profileDesc>
  </teiHeader>
  <text>
    <body>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">私は、たしか去年の正月、某新聞の需めによつて、「劇壇へ」といふ一文を発表しました。今、築地座（多分宣伝部から）の依頼で何か書かなければならないのですが、ふと思ひついたのは、その「劇壇へ」といふ文章の中で、紙数がないために、云ひ尽さなかつた一項目、即ち、「観客へ」の希望を、この機会に敷衍させて貰はうと思ふのです。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">さて、便宜上、その「劇壇へ」の冒頭を少し引用します。</p>
      <div type="layout" source="#source-938-2467" style="padding-inline-start: 1em">
        <p>『註文により、「劇壇へ」と呼びかけはしましたが、少くとも今日の私にとつて、その相手はどこにゐるのか、さつぱりわからないのであります。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1173-2177">劇壇とは、劇場を中心として、俳優、作者、演出家、批評家、装置家、その他演劇関係者を悉く網羅した一社会を指すものでありますから、現にそれは存在しないわけではないのですが、その社会には、今や脈絡なく、秩序なく、理想なく、希望なく、発言者なく、傾聴者なく、権威なく、輿論なく、ただあるものは、商業主義の盲断と、これを繞る因襲の跋扈のみであつて、演劇そのものは、呼べども応へざる遥か彼方に、多分猿轡をはめられて、殺せ！　殺せ！　と藻掻いてゐることでせう。商業主義も可なり、因襲も亦可なりですが、演劇の社会にあつては、一方、これを刺激し、これを誘導する創造的機運が、そのどこかに動いてゐなくてはなりません。そしてそれが、絶えず何等かの形で表面に浮び上つてゐなければなりません。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">わが劇壇の現状は、遺憾ながら、かういふ機運の成長を阻むあらゆる要素から成立つてゐるのです。…………………………………………………………………………………………………』</p>
      </div>
      <div>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">そこで、早速、本論にはひりますが、今日までの「新劇」といふものは、大体、その結果から見て、一つの役割を果したといつてよいのです。元来、新劇の成立は、西洋劇の紹介から出発したもので、旧劇にもあらず新派劇にもあらざる国劇の樹立といふ名目は、名目としては立派でありますが、まだその緒にもついてゐません。ところが、西洋劇紹介の方面では、紹介の方法こそ限られてゐましたが、過去数世紀に亘る欧洲劇壇の歩みを、近々十数年に圧縮して、次々と目新しいもの、劃時代的なものを見せて行つたのですから、これは<ruby type="furigana" rend="right" source="#source-3198-3210"><rb>演</rb><rt>や</rt></ruby><seg source="#source-3210-3323">る方も張合があり、観る方も飽きる筈はない。新劇は正に天下泰平でありました。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">ところが、「さうは問屋で卸さない」の言葉通り、かの構成派あたりを最後として、欧洲の劇壇は、新柄の発売を停止しました。こちらでは、一と通り見本を並べ終つて、これから、お客さんは、地質、値段の点検にかからうとしてゐる。新劇の方では、生憎、お客さんが、柄いきだけで、品物に飛びついて来ると思ひ、正札は、人絹を本絹並みにつけてあるのです。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3823-3990">かういふと、悪辣なやうですが、これまでの新劇の側からいへば、自分自身、その値段なら買ふつもりでゐたのでせう。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3990-4052">お客さんは、いよいよ、反物を取上げた。</seg></p>
        <p>「おや、変だわ、これ、間違つてやしないでせうね」</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4126-4260">と、口へはまだ出さぬが、ちらりと売子の顔を見上げた。さあ、これからの応酬が見ものです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4260-4493">しかし、観客諸君、安心して下さい。築地座は、私の見るところ、今、急いで正札をつけ替へてゐます。のみならず、柄いき以上に、地質の吟味にとりかかつてゐます。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4493-4585">国産品への着眼は、単に時代への迎合ばかりとはいへますまい。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4585-5071">つまり、さういふ矢先でありますし、私から、築地座を初め一般新劇の見物諸君に、特に希望しておきたいことは、将来、新劇といふものの観方を変へていただきたいことです。これは一見無理な註文のやうでありますが、演劇といふものは、もともと、俳優のあらゆる意味に於ける魅力を基調とするものでありますから、瞬間瞬間の舞台に、刻々の眼と耳に</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-5071-5089"><rb>愬</rb><rt>うつた</rt></ruby><seg source="#source-5089-5355">へるイメエジに、かの音楽の演奏を聴くやうな、韻律美の捕捉を心がけていただきたい。芝居の筋や、思想や、演出者の新工夫や、それらは、幕が下りてから思ひ出してみればそれでいいのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">その代り、途中で、面白くなかつたら、さつさと退席して下さい。切符代が惜しかつたら、自分の席から、舞台へ、「切符代を返せ」と怒鳴ればいいでせう。自分一人では可笑しいと思つたら、左右前後を見廻して御覧なさい。多分同感の士がそこここにゐるでせうから、眼か鼻で合図をして、一斉に足を踏み鳴らして下さい。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">これに反して、万一、「うまいなあ」と思つたら、せめて、拍手の真似をして下さい。人の邪魔にさへならなければ、大に手をたたいて下さい。これも遠慮したかつたら、少くとも幕が下りるのを待つて、感興相応の意志表示をして下さい。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6130-6441">面白くても面白くなくても、黙つて眉に皺を寄せて、腕を組むか両手をポケットに突込み、断じて拍手もせず、断じて拳固も振はない覚悟でゐる必要はありません。芸術たるものは、さういふ義務を諸君に強要はしないのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6441-6603">わが新劇創生時代に、当事者は観客に向つて、一切拍手を禁じたといふ風説を耳にしました。多分、モスコオ芸術座の</seg><ruby type="furigana" rend="right" source="#source-6603-6621"><rb>攣</rb><rt>ひそみ</rt></ruby><seg source="#source-6621-7829">に倣つたのでせうが、これは甚だ考ふべきことで、御承知の通り、欧羅巴と日本とは国情も違ひ、欧羅巴では、見物は、劇場へ半分手をたたきに行くのです。最も甚しいのは伊太利で、普通芝居が済むと、五六度幕を上げたり下げたりする。拍手の起る度毎にです。いや、寧ろ、幕の上る度毎に拍手が起るのです。拍手は、幕を上げて俳優に挨拶をさせろといふ意味、幕を上げるのは、見物に、拍手をして、俳優いや、世間にこの芝居の成功を告げ知らせよといふ意味なんでせう。滑稽なのは幕が下りても、俳優は裏へ引つ込まない。舞台へ整列して、幕の上るのを待つてゐる。拍手をしないでゐられますか。私は、伊太利で十一度、仏蘭西で六度、独逸で四度、幕の上り下りした実例を知つてゐます。新聞の劇評は、その度数を書き上げて成功の程度を報じるといふ次第です。劇場から社交的空気を一掃することが、演劇の純化に役立つと考へるものがあつたのも、不思議ではありますまい。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7829-8077">露西亜でも、これに似た傾向は無論あるに違ひない。君子スタニスラフスキイは、この煩雑な儀式！　を撤廃して、一方観客のお世辞を封じ、一方俳優の自己陶酔を戒めたのです。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">日本の劇場、殊に新劇に於ては、余程事情が違ふといふのはここです。まして、わが国伝来の風習から云へば、「俳優は見物を面白がらせるのが商売で、当り前のことをするのにこつちが手なんぞたたいてやる必要はない」といふ観客心理であります。さういふ封建的、事大的、階級的心理を打破し、新時代の芸術家を、才能相当に待遇する風習は、音楽の演奏に於て既にその精神が取り入れられてゐるにも拘はらず、新劇は、その苛酷なる文学趣味によつて、「瞬間芸術」の鑑賞及び発達に、知らず識らず官僚的障碍を築いてしまひました。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">それなら西洋では、どんなに退屈な場合でも、俳優に向つてお世辞的拍手を送るかといへば、決してさうではない。前に述べた「足踏み」はもとより、「口笛」、「声入り欠呻」、「中途退場」その他、「大根引込め」式半畳はまだ生優しい方で、少し前までは、「焼き林檎」をぶつけるといふ念入りの不満表示法が行はれました。かういふ油断のならぬ、同時に、頼もしい見物を前において、西洋の俳優は、長年、正道的演技――つまり、現代の演劇を生んだ伝統――の鍛錬を経て来てゐるのです。</p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9494-9742">俳優をして、自分の本質的価値を知らしめるのは、演出者でも劇評家でも興行者でもありません。真に演劇を解する見物の、忌憚なく、同時に、成心なき舞台への呼応であります。</seg></p>
        <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">やうやく「本道」に一歩を踏み入れようとするわが新劇のために、否、わが新劇俳優のために、よき声援を与へられる意味に於て、先づ、及第点以上のものに対しては、多少「お世辞」でも、真の拍手を送つて、酬いらるること少き彼等をして、俳優たるの幸福を満喫させていただきたい。と同時に、落第点以下のものには、気の毒でも「焼き林檎」をぶつけ、再びそのままで舞台に現はれる無恥と大胆を繰り返させず、俳優たるの難きを肝に銘じさせていただきたい。これは、これからの新劇のために、諸君が与へ得る唯一無上の協力であります。（一九三三・二）</p>
      </div>
    </body>
    <back>
      <div type="source">
        <note type="source-attribution" source="#source-10518-10822"><seg type="source-line">底本：「岸田國士全集22」岩波書店</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1990（平成2）年10月8日発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「現代演劇論」白水社</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1936（昭和11）年11月20日発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「築地座　第十一号（一周年記念号）」</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1933（昭和8）年2月25日発行</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-10822-11136"><seg type="source-line">入力：tatsuki</seg><lb/><seg type="source-line">校正：門田裕志</seg><lb/><seg type="source-line">2009年9月5日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
        <note type="source-span" xml:id="source-10518-10822" n="42"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-10822-11136" n="48"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-1173-2177" n="18"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-3198-3210" n="21"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-3210-3323" n="21"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-3823-3990" n="23"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-3990-4052" n="24"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-4126-4260" n="26"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-4260-4493" n="27"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-4493-4585" n="28"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-4585-5071" n="29"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-5071-5089" n="29"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-5089-5355" n="29"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-6130-6441" n="32"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-6441-6603" n="33"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-6603-6621" n="33"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-6621-7829" n="33"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-7829-8077" n="34"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-938-2467" n="16"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-9494-9742" n="37"/>
        <note type="source-span" xml:id="source-973-973" n="17"/>
      </div>
      <note type="parser-completion" n="true">The n attribute is true when no parser diagnostic of error severity was raised for this source. What the converter could not interpret is recorded in the interpretation-problem and parser-diagnostic notes.</note>
      <note type="source-decoding">windows-31j</note>
    </back>
  </text>
</TEI>