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        <title type="main" xml:lang="ja">「チロルの秋」上演当時の思ひ出</title>
        <title type="reading" xml:lang="ja-Hira">「チロルのあき」じょうえんとうじのおもいで</title>
        <author><persName xml:lang="ja"><surname>岸田</surname><forename>国士</forename><idno type="aozora-person-id">001154</idno></persName><persName xml:lang="ja-Hira"><surname>きしだ</surname><forename>くにお</forename></persName><persName xml:lang="ja-Latn"><surname>Kishida</surname><forename>Kunio</forename></persName></author>
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        <bibl><title>岸田國士全集20</title><publisher>岩波書店</publisher><date>1990（平成2）年3月8日</date><note type="input-edition">1990（平成2）年3月8日</note><note type="proof-edition">1990（平成2）年3月8日</note></bibl>
        <bibl type="first-publication">「文章倶楽部　第十二巻第十一号（戯曲研究号）」1927（昭和2）年11月1日</bibl>
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      <refsDecl xml:id="source-spans"><p>A note of type source-span has an xml:id of the form source-START-END, giving the extent in UTF-8 bytes of the decoded primary text identified in sourceDesc. <ptr target="https://w3id.org/soranoha/ns/tei"/></p></refsDecl>
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      <p>「チロルの秋」は私の第二作であつた。それが、大地震の翌年、たしか大正十三年の十月か十一月かに、新劇協会の人々の手で帝国ホテルの演芸場で上演されたのが、私の処女上演であつた。正宗白鳥氏の「人世の幸福」と久米正雄氏の「帰去来」とがプログラムに並んでゐた。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-788-1231">正直に云へば、私は自分の処女上演について余り香ばしい思ひ出を懐いてゐないので、なるならば語り度くない気持が非常に強い。といふのは、私はそこで作家としてずゐぶん大きな失望を感じたからである。自分の作品を舞台のものとして見てゐるに堪へられなくなつて、劇の半で座を立つて外へ出てしまつた程であつた。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)">少し強く云へば、あの場合周囲の見物達に全然かゝはらないで、「幕を閉めてしまへ！」と舞台に向かつて怒鳴ることが出来たらと思つたものである。</p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-1440-2327">併し、その失望の原因は、決して単に俳優や演出者の罪に嫁すべきものではなかつたのである。大部分の原因は、寧ろ私の書くものが日本の新劇の畑に適しないものであつたことゝ舞台に対する私の理想が、到底実現され難いほど、無制限に大きなものであつたといふことに依るのであつた。自分の未熟な脚本について、私が独りで頭の舞台へ描き出した空想があまり素晴らしすぎたのである。実際の舞台といふものに少しも経験のない私は、劇作家としての理想が舞台の上でどの程度に実現されゝば満足しなければならないかの標準が全然わからなかつた。つまり戯曲と演劇との間に当然つけなければならない隔たりが会得されてゐなかつたのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2327-2932">誰でも芝居の実際になれてくれば、自然、作家の理想は上演の際にはその幾部分しか実現されないのが普通であることがわかつて、自ら安ずるやうになるのであるが、これはまた一面から云へば、作家にとつて甚だ危険なものでないことはない。どんなにしても要するに舞台の上ではこの程度にしか実現されないのだからといふ風に蔑しろに考へて、不知不識創作する気持をそこまで引下げて気がつかないといふやうなことも起り得るのである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-2932-3881">そこで、私は今では創作家は、演劇の実際には成る可く関係しない方がいゝといふ持論に傾いてゐる。中には劇作をするのに舞台の実際を知つてゐた方が都合がいゝ、勉強のために舞台の経験をするのだと考へてゐる人が、今の若い人達の中には多いやうであるが、私は創作をするのに在来の舞台上の約束などゝいふものは大して必要ではないと思ふ。創作家はある意味で、舞台の実際問題としての不便や、窮屈さに煩はされないで、あくまでも自分の理想を高く持して進むことが必要である。しかるに、舞台の実際、殊に現在の俳優の能力をあまり委しく知りすぎてゐると、無意識の間に上演の結果を考慮に入れて妥協するやうになり易く、したがつて創作の態度が不純なものになり勝ちである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-3881-4294">私は最初の上演には、舞台の上の一切のことを人に任せて、自分はたゞそれを見てゐるだけであつた。さういふ実際の仕事に当るには、俳優の一人々々について、その性格や、才能や、素質など委しく知つてゐなくてはならないものであるが、私はその方面の知識を少しも持つてゐなかつたからである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4294-4360">作者が自分の作品を演る稽古に立ち会つていろ</seg><choice source="#source-4360-4366"><orig>／＼</orig><reg>〱</reg></choice><seg source="#source-4366-4818">注意したり、自分の気持を伝へたりすることは、作品の解釈といふ点から云つても、隅々まで注意が行き届くといふ点から云つても、必要なことであるには違ひない。併し、私の場合のやうに、現在の日本の新劇といふものに、どうもぴつたりしない傾向の作者には、なまじひに口を出したり、関係したりしない方がいゝやうに思ふ。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-4818-5177">話は少し横道であるけれども、元来私の見て来たフランスでは、舞台監督は大体において、一座の主な役者の一人である場合が多い。さういふ舞台監督は舞台の実際上のことに経験もあれば、役者の一人々々について、手を取つて教へることも出来るわけである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5177-5716">これが独逸流に行くと、舞台監督は学者とか理論家とか云ふ人達が主なので、自分が俳優としての経験を全然持たないのだから、実際に具体的に指導することは殆んどない。さういふのは俳優の自由な才能を尊重する意味では甚だ当を得たやり方で、無理に一種の型を強ひると云ふやうな事は決してない。けれどもそれと同時に、幾分俳優を人形視するといふ観念の方が先に立つことが往々ある。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-5716-6316">日本などは早くから独逸流の仕方を採用した結果、主に新劇について云へば、舞台装置とか、舞台監督とか、照明などつまり、趣向といふ方面では相当に新らしい充実したものを見ることが出来るけれども、それに比較して俳優の個人々々の芸が少しも進歩してゐない。近頃日本の新劇が行き詰まつて来たといふ声を聞くのは、要するに俳優自身の教育がおくれて、芝居が下手だといふことによるのだと私は思ふ。いゝ脚本といふ点では、まだ</seg><choice source="#source-6316-6322"><orig>／＼</orig><reg>〱</reg></choice><seg source="#source-6322-6600">外国の優れた作品などでも上演されないものが大分あるし、芝居は割合に平凡な作品でも俳優が上手であれば、ずゐぶん面白く見られることがあるので、脚本の開拓方面ならば相当に豊富であると云へる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-6600-6798">とは云へ勿論、厳密な意味で俳優教育といふものが出来るかどうかは疑問で、要するに実際的の指導を与へることによつて、俳優自身のもつさま</seg><choice source="#source-6798-6807"><orig>／″＼</orig><reg>〲</reg></choice><seg source="#source-6807-7138">の才能を見出し、引出すことである。さういふのも、今後次第に新劇俳優の地位が高められて、将来どの方面に行つても相当にやつてゆかれるやうな教養や才能のある人物が俳優になれば、現在の新劇の行詰りは自然に打開されるものである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7138-7881">で私はこの初演の失望によつて、作家として舞台の上に描いてゐた理想をはげしく打ち破られたけれども、同時にこの幻滅は、私が日本の新劇といふものを全然念頭においてゐなかつたといふ事実にもよるものであるといふことに気がついたのである。日本の芝居は旧劇を見ても、新劇を見ても感じることがあるが、芝居を書く人々は常に現在の舞台から色々の霊感を受け、はつきりとどの役者に当てはめて書くといふわけでなくても、現在の日本の俳優の能力とか、人柄とか云ふものを、無論無意識にではあるが、絶えず頭に入れて書いてゐる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-7881-8717">ところが私の芝居の概念は殆んど、西洋、殊にフランスからばかり受けてゐると云つてもよいので、外国から帰つて自分の作品が上演されるやうになるまで、私は日本の芝居といふものを殆んど見たことがなかつたのである。それで、私は自分の作品を、日本の舞台にかけるものとして具体的に考へて見ることなく書いた。現在の新劇の俳優がどういふ演伎をするか、またどんな教養をもつてゐるかといふことを全く知らないで書いたといふところにも、初演の時の大きなギヤツプがあつたわけである。併し、さういふ私が、最近になつて却つて日本の俳優にはまるやうなものを書くといふ皮肉な結果になつてゐる。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-8717-9175">そして、これは其の後になつて考へついたことであるが、私の作品は脚本の種類によつて、不味くゆくと恐ろしく不愉快なものになつて、我慢のならないやうなのと、特に作者の意図が巧く出なくても、比較的面白くはないと云ふだけで、不愉快にならないですむものがあつて、初演の時のは不幸にしてその初めの方だつたわけである。</seg></p>
      <p style="text-indent: 1em" rend="first-line-indent(1)"><seg source="#source-9175-9901">委しく云へば、写実的な、問題として比較的厳粛な事件や境遇を取扱つた作品は、俳優が少々下手でも、十分な効果が上らないといふ程度で、不快で見てゐられないといふことはないけれども、私の作品のうちで、どちらかと云へばロマンチックな傾向のものとか、リヽカルなもの、またはユーモアやウヰットなどを主にしたものは、気分が主な要素になつてゐるだけに、悪く行くと鼻持ちのならない醜悪なものになり易いのである。つまり、さういふ危かしさを持たない、手堅い作品ならば、一番無難であるとは確かに云へると思ふ。</seg></p>
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        <note type="source-attribution" source="#source-9909-10264"><seg type="source-line">底本：「岸田國士全集20」岩波書店</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1990（平成2）年3月8日発行</seg><lb/><seg type="source-line">底本の親本：「文章倶楽部　第十二巻第十一号（戯曲研究号）」</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1927（昭和2）年11月1日発行</seg><lb/><seg type="source-line">初出：「文章倶楽部　第十二巻第十一号（戯曲研究号）」</seg><lb/><seg type="source-line" style="padding-inline-start: 3em">1927（昭和2）年11月1日発行</seg></note>
        <note type="transcriber-note" source="#source-10264-10594"><seg type="source-line">入力：tatsuki</seg><lb/><seg type="source-line">校正：門田裕志、小林繁雄</seg><lb/><seg type="source-line">2006年2月17日作成</seg><lb/><seg type="source-line">青空文庫作成ファイル：</seg><lb/><seg type="source-line">このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫（http://www.aozora.gr.jp/）で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。</seg></note>
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