Soranoha

ふらんすの芝居

ふらんすのしばい

岸田 国士

一体、芝居の話といふものは、その芝居を観た同志でなければ、したつてつまらないと思ふのですが。……ですから、どの芝居がどうといふお話は、みなさんが仏蘭西フランスへ一度いらしつてからのことにして、今日は、漫然と、仏蘭西の芝居で、日本の芝居と違ふところを、思ひ出しながらお話をして見ませう。

先づ、仏蘭西の芝居は、大てい晩の八時か八時半頃から初まります。従つて、芝居に行く前に夕食をすませます。ハネるのは、十時から十一時の間が普通ですから、電車のなくなる心配などはまあないわけです。帰りに、カフエーへ寄つて何か一寸したものを食べたり飲んだりすることもできます。そんなことをしないで、行儀よく家へ帰つて寝るとすれば、朝学校へ行くのにねむいなんていふこともありません。

若い娘さんが、独りで芝居に行くといふやうなことは殆どなく、何時でも家の人と一緒ですが、学校で習つた古典劇の実演を、国立劇場へ観に行くなんていふことは、日本ではないことですね。マチネーなどへは、学校から先生が連れて行つてくれることもあります。女学生は、みんな、ラシイヌとか、モリエールとか、コルネイユとかいふ劇作家の名を識つてをり、その脚本の一部分を暗誦してゐるんですから、さういふ場面を舞台で観、名優の口から、台詞としてそれを聴かされる時の感銘も、また一段と深いわけです。

日本では、たまに外国の歌劇団などを迎へて大騒ぎをしてゐますが、巴里パリには、楽劇を何時でもやつてゐる劇場が沢山あり、そのうちでも、オペラ座と、オペラ・コミツク座とは国家が利益を度外視して経営してゐるのです。オペラ座は、俗に、グラン・トペラと呼んでゐますが、オペラ・コミツク座との区別は、説明しなくてもおわかりでせう。つまり、ファウストや、タイスや、アイイダなどはオペラ座でやり、カルメンや、マダム・バツタアフライなどはオペラ・コミツク座の方でやります。入りの多いことは、何と云つてもオペラ・コミツクです。安い席などは、お昼頃から切符売場の前で待つてゐないと買へません。気の長い話ですが、お弁当のサンドウイツチと編物の道具とを手提袋に入れ、畳椅子をぶら提げて、わざわざ出かけて行くお神さんなどがあります。開幕前までには、さういふ熱心な見物が、劇場の外側に一町も列を作つてゐるやうなことが珍しくありません。そこへまた、「えゝ、プログラムは如何……」「えゝ、ビールは如何」「えゝ、切符は如何」といふやうな呼声が聞えて来ます。これもまた日本では見られない光景です。

しかし、一方に、日本で云へば築地小劇場とか、または新劇協会のやうな、所謂、芸術的劇場が、限られた見物の前で、華やかではありませんが、研究的な舞台を絶えず見せてゐます。そのうちの、ヴィユウ・コロンビエ座といふので上演した脚本を、嘗て築地小劇場でもやり、また近く新劇協会がやることになつてゐるのですから、かういふ種類の芝居は、仏蘭西も日本も、同じ道を歩いてゐると云へるでせう。

独逸ドイツの芝居は舞台の趣向に於てすぐれ、仏蘭西の芝居は、役者の演技に於て勝つてゐることは誰でも気のつくことですが、そのために、独逸の芝居は、言葉がわからなくても「面白く」、仏蘭西の芝居は、言葉がわからなければ、あんまり「面白くない」わけです。さういふところから、仏蘭西の芝居は、日本などで、あまりその道の人からよく云はれてゐませんが、これはみなさんに一つ考へていたゞきたいことです。――なんて、どうも少し理窟つぽくなつて来て編輯者に叱られさうですから、このお話は、もうよしますが、私の言ふことが嘘だと思つたら、西条八十さんに聞いて御覧なさい。そして、西条さんが、近々お訳しになるミュッセとポルト・リッシュの戯曲を一度読んで御覧なさい。みなさんは、きつと、仏蘭西の芝居が好きになりますから。

それに、さうさう、みなさんは、シラノ・ド・ベルジュラックといふ芝居を御存じですか。それから、さうさう、みなさんは、サラ・ベルナアルといふ女優を御存じですか。それから、そら、あれを御存じですか……。

仏蘭西の芝居の話を、三四枚の原稿紙に書けなんて、少し令女界の編輯者は無理ですよ。

底本 / Source edition

底本:「岸田國士全集20」岩波書店
1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「令女界 第六巻第七号(フランス号)」
1927(昭和2)年7月1日発行
初出:「令女界 第六巻第七号(フランス号)」
1927(昭和2)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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書誌 / Bibliography
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岸田 国士「ふらんすの芝居」(新字旧仮名)、底本『岸田國士全集20』岩波書店、1990年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 044415_001154, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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