Soranoha

塩原多助一代記

しおばらたすけいちだいき

三遊亭 円朝

序詞

炭売すみうりのおのが妻こそ黒からめと。吟ぜし秀句ならなくに。黒き小袖に鉢巻や。其の助六がせりふに云う。遠くは八王寺の炭焼。売炭ばいたんの歯欠爺はっかけじゝい。近くは山谷さんやの梅干婆うめぼしばゝに至る迄。いぬる天保の頃までは。茶呑咄ちゃのみばなしに残したる。炭売多助たすけが一代記を。拙作せっさくながら枝炭えだずみの。枝葉を添そえて脱稿やきあげしも、原来もとより落語なるを以もって。小説稗史はいしに比較くらべなば。所謂いわゆる雪と炭俵。弁舌くちは飾れど実の薄かるも。御馴染甲斐おなじみがいに打寄うちよする冠詞まくらことばの前席ぜんせきから。ギッシリ詰る大入おおいりは、誠に僥倖当まぐれあたり炭ずみ。俵の縁語に評さえ宜よきを。例の若林先生が。火鉢にあらぬ得意おはこの速記に。演舌しゃべるが儘を書取られしが。写るに速きは消炭けしずみも。三舎しゃを避さける出来栄できばえに、忽たちまち一部の册子そうしとなりぬ。抑そもこの話説はなしの初集二集は土竈どがまのパットせし事もなく。起炭おこりずみの賑にぎやかなる場とてもあらねど後編は。駱駝炭らくだずみの立消たちぎえなく。鹽原しおばら多助が忠孝の道を炭荷と倶ともに重んじ。節義は恰あたかも固炭かたずみの固く取とって動かぬのみか。獣炭じゅうたんを作りて酒を煖あたゝめし晋しんの羊琇ようじゅうが例ためしに做ならい。自己おのれを節して費用を省き。天下の民たみ寒き者多し独り温煖あたたかならんやと曰のたまいし。宋そうの太祖が大度たいどを慕い。普あまねく慈善を施せしも。始め蛍の資本ひだねより。炭も焼やくべき大竈おおかまどと成りし始末の満尾まんび迄。御覧を冀ねがうと言いうよしの。端書はしがきせよとの需もとめはあれど。筆持もつすべも白炭しらすみや。焼やかぬ昔の雪の枝炭屋の妻程黒からで鈍き作意の炭手前すみでまえ。曲り形なりなる飾り炭。唯たゞ管炭くだずみのくだ〱しけれど。輪炭わずみ胴炭どうずみ点炭てんずみと重ねて御求めの有之様これあるよう。出版人に差代さしかわり。代り栄せぬ序詞はしがきを。斯かくは物しつ。

三遊亭圓朝記

一

扨さて申上げまするお話は、鹽原多助一代記と申しまして、本所ほんじょ相生町あいおいちょう二丁目で薪炭を商い、天保の頃まで伝わり、大分だいぶ盛んで、地面二十四ヶ所も所持して居りました。其の元は上州じょうしゅう沼田ぬまたの下新田しもしんでんから六百文の銭ぜにをもって出て参りました身代でござります。其の頃の落首らくしゅに「本所ほんじょうに過ぎたるものが二つあり津軽大名炭屋鹽原」と歌にまで謡うたわれまして、十万石のお大名様と一緒に喩たとえられます位になる其の起源おこりは、僅わずかの端銭はしたぜにから取立てまして、五代目まで続きました。其の多助の身の行いの正しいのと、孝行なのと、殊ことに商法の名人で経済に長じていることは、立派な学者でもかなわん程で、多助は別に学問もありませんが、実に具そなわって居りますので、今に浅草あさくさ八軒寺町けんてらまちの東陽寺とうようじという寺の墓場に鹽原多助の石碑がありますが、其の石碑に実父鹽原角右衞門かくえもん、養父も鹽原角右衞門と法名が二つございますが、実父も養父も同姓同名どうみょうでござりますから種々いろ〱と調べて見ますと、上州沼田の下新田にまだ縁類も残って居りますから聞糺きゝたゞしますと、実父角右衞門は元もと阿部伊豫守あべいよのかみ様の御家来で、八百石を領とりました者ですが、何ういう訳か浪人して行方知れずになりました。其の角右衞門の家に勤めました岸田右内きしだうないという御家来がありまして、其の者が若気の至りで、角右衞門の御新造ごしんぞの妹いもとおかめと密通をして家出をいたし、本郷ほんごう春木町はるきまちに裏家住うらやずまいをいたしまして、名も岸田屋宇之助きしだやうのすけと改め、旅商いをして居りますが、実に恋は思案の外ほかでございます。右内は忠心の者でございますから、旅商いをしながらも、旦那様は何方どちらにお出でか、どうかお目にかゝりたいと主人の事を片時も忘れたことはありません。ふと沼田に主人の居る事を聞いてから、日光の中禅寺ちゅうぜんじの奥へ三里入ると温泉がありますから、商いながら参りましたが。其の頃は開けませんから、湯場も鶴の湯と川原かわらの湯と二ヶ所で、宿屋もあります。其の中に吉見屋よしみやという宿に泊りましたが、道連は堺屋傳吉さかいやでんきちという岸田屋の宇之助と旅商人たびあきんど仲間で、両人ふたりは仲好なかよしでございますから、両人はこれから沼田へ山越しをしようと云うので、道で聞きますと、山道でとんと往来がありませんので、極ごく難所なんじょですから案内者がなければいけませんと聞いて、其の夜よの中うちに案内者を頼みまして、翌朝よくちょうになると、

宇「傳吉さん案内者は」

傳「今聞いてるんだが、モシ〱宿の旦那、御案内者は宜しゅうございますかね」

主「はい〱心得ましたが、昨夜さくやはどうも、商あきないにお出でなすって多分のお茶代を戴いて済みません、何卒どうぞ明年も御心配なくなア」

傳「いや、ほんの心ばかりです、此の宇之助さんは沼田へ行ゆきたいという、私も煙草を少し仕入に往ゆこうと思うのだが、大分だいぶ道が知れにくいそうだから、昨夜ゆうべから案内者をお頼み申したのだが、ありましたかえ」

主「はい〱案内者はもう頼み置きました、お弁当も拵こしらえましたから」

傳「何卒どうぞ強きつそうなものを頼んでおくんなせえ」

主「えゝ強きついのを頼みました、これ磯之丞いそのじょう々々々」

傳「磯之丞というのが案内者ですか」

主「左様でございます」

傳「弱そうな名で、なまめいた名ですなア」

主「なアに頑丈なものでござりやす」

という所へ出て来たのは、丈せいは五尺七八寸もあって、臑すねに毛の生えて居る、熊をみたような男がのそりと立って、

案内「へい御案内しやしょう」

傳「どうも芝居なら磯之丞なんというと、突転つッころばしがする役だが、こりゃ強つよそうだ、そうしてお前は素足かえ」

案「えゝ素足です」

脚半きゃはんも穿はかないで、単物ひとえものに小倉の帯をちょっ切り結びにして、鉄砲を担かついでおります。

傳「モシ〱腰にある毛の生えた巾着きんちゃくはなんだえ」

案「これは狐の皮で拵こしらえたんでがんす」

傳「こう、どうだえ、狼は出やしますまいねえ」

案「狼は出ねえが、蟒うわばみや猪しゝが出まさア、なアに出ても飛道具とびどうぐウ持っているから大丈夫でいじょうぶでござりやす、あんた方の荷物をお出しなせえ」

と二人の荷物を連尺れんじゃくのような物で脊負い、其の上に鉈なたを付けて出かけて往ゆく。

主「左様なら御機嫌宜しく、磯之丞気をつけて上げろ」

傳、宇「左様なら、御機嫌宜しく」

と暇乞いとまごいをして西の方へ出かけましたが、花野原を二三町往きますと、ちょろ〱流れがあって、別に路みちとてはなく、沢を渡って歩く、と七八町まいりますと、これから山手へかゝるに従い、熊笹が生えていて、歩くたびにゴソ〱として、朝露に袖を濡らしまして、段々と登るほどに熊笹は丈せいを越し向うが見えず、

傳「おい〱案内さん、少し待ってくんな、狼が出ても蟒うわばみが出ても分らねえじゃねえかえ」

案「狼が出ても大丈夫でがんす」

宇「こんな所はどの位くらいあるえ」

案「まだ廿町ばかりありやす」

傳「どうも驚いた、熊笹も鮓屋すしやにあると随分粋いきなもんだが、此様こんなにあっちゃア不意気ぶいきなもんだのう」

と話をしながら漸く登りますると、是れから金精峠こんせいとうげと申して実に難所なんじょで、樹木は榧松かやまつと羅漢柏あすなろうの大樹ばかりで、かれこれ一里半ばかり登りますと、西の方は日光の男体山いずるさん、此方こちらは白根山しらねさんが見えまする。

傳「どうだい、ひどい所だねえ、どうだえ、何んとか云ったッけ、磯之丞さん、ひどい所だねえ、此様こんな所じゃアないと思ったが、これじゃア蟒うわばみも出ましょう、どうだい宇之さん」

宇「ひどい所でございます、私わたくしも是程とは思いません、是れから又登るのかえ」

案「これからアはア下くだります」

と云いながら、これより一里ばかり下りますと、渓たにの流ながれで、どう〱ッと流れる。山には草に花が咲いて居りますが、見馴れぬ草で、名も知れない草の花が咲いております。渓たにの水で咽喉のどを湿うるおして、それから一里半ばかりも登りますと、見上げる程の大樹ばかりで、両人ふたりは草臥くたびれたから大樹の根にどっかり腰を掛けて、

傳「宇之さん弁当を遣つかおうじゃないか、案内さん弁当を出して下さい」

案「ハア随分草臥れやす」

傳「お前はよく馴れてるから草臥れないようだねえ」

案「私わしなんざア年中斯こういう所を歩いてるから、平地ひらちは却かえって歩きにくい」

といいながら両人ふたりが弁当を開あけると、大きな握飯むすびが二つと、梅干の堅いのが入れてある。

傳「何どうだい、大変大きな握飯むすびじゃないか、もっと幾つにもしてくれゝばいゝに、梅干は真赤まっかで堅いねえ、あゝ酢すっぱい、案内者あんないしゃさんの握飯は大きいねえ」

案「私わしゃアこいつを半分喰って、また明日あした半分喰うのだ」

傳「苛ひどいねえ、茶か何か貰いてえものだねえ」

案「茶も何もありやしねえ、六里の間家うちがねえから」

宇「それじゃア水を汲んで来てくんねえ」

案「水もありやしねえ」

宇「それでも先刻さっき流れていたじゃアねえか」

案「ハテ山の上から搾しぼれて打落うちおとしてめえるだから、下にはあるが、山の上には水はありやしねえ」

宇「苛ひどいねえ、すっぽり飯を喰うのだ」

と小言を云いながら弁当をつかって、さア〱下おりましょうと、これから二里ばかり下りますと、里近くなったと見えて水がどうどッと流れて、雑木山があって、向うに薪をこなして居るは此の山村の杣そまと見えて、傍かたわらの方に山菅やますげで作った腰簑こしみのに、谷地草やちぐさで編んだ山岡頭巾やまおかずきんを抛ほうり出してあって、燻くすぶった薬鑵と茶碗が二つと弁当が投げ出してあるを見て、

傳「宇之さん、水のある処へ来ると茶があらア、向うに杣そまだか何だか居るようだぜ、申し少々お願い申しますがね、私共は日光から山越やまごしをして来ましたが、此処こゝに茶か何かありますが、戴けましょうか」

杣「はい、ぬるくなりましたろうが、宜しければお飲みなさい」

宇「モシ、あなたのお宅は此の近所ですかえ」

杣「はい、これより二里ばかり下でございます」

傳「それじゃア此の薪は背負しょって下おりるのですかえ」

杣「いゝえ、此の難所を薪を担いでは下りられません」

傳「それじゃア馬の脊で下おろしますのかね」

杣「いや馬では猶なおいけません」

傳「それじゃア何どうしますえ」

杣「この谷川へ投ほうり込んで置きますと、ちょうど翌日あしたの昼時分に私共わしどもの村に流れて着きます」

傳「へえ、のんきなものですなア、お茶を一つ戴きますよ」

と云っている所へ雑木山から出て来たのは、その杣そまの女房と見えて、歳ごろは二十七八で色白く鼻筋通り、山家やまがには稀な女でございます。細帯に両裾を端折はしょり、亭主の手助けをして居りますものと見え、両人とも中よく働いて居りますを見て、

傳「宇之さん、こういう山の中の女だから猶なお目立ちやすが、斯様こんなにくすぶって居るが、これを江戸へ持って往って磨いて見ねえ、どんな紙屑買が見倒しても奥様の価値ねうちがあるぜ」

宇「へえ成程、いゝ人柄ですねえ」

と思わず宇之助が見ると、八年前に別れました主人鹽原角右衞門夫婦ゆえ、

宇「お懐かしい、どうして此様こんな処にお出でなさいました」

と女の側にばら〱と駈寄りまして、草原くさはらへ手を突きますと、

お清「おやまア右内うないだよ、旦那岸田右内でございますよ」

鹽「おゝ右内か、懐かしかった」

と云われて右内は涙ぐみ、

右「えゝ、そんなお身形みなりにお成りなさいまして、此様こんな山の中にお出でなさいますか、お情なさけない事でございますなア」

鹽「いやもう浪人して、別に便たよる所もないから、此の村に元家来の惣助そうすけという者がいるから、それを便って来て、少しは山も田地でんじも持っていたが、四ヶ年あとの出水でみずで押流されて、どうも仕方がないから此の通り秋は樵きこりをして、冬になれば猟人かりゅうどをして漸々よう〱に暮している、実に尾羽打枯らした此の姿で、此所こゝで逢おうとは思わなんだのう」

右「へい〱私わたくしが家出をしましたのは八年あと、其の時はさぞ御立腹をなさいましたろうな」

鹽「其の折おりは悪い奴、主人の妹をそゝのかし、家出をいたすは不埓者ふらちものと云っていたが、此の五六年此の方かた懐かしくて、実に逢いたく存じていたな」

清「そうして妹のおかめは無事でいるかえ」

右「へい達者でございます、お宅を家出しましてから、只今では本郷の春木町に裏家住うらやずまいをして居ります、外ほかに斯うという事も存じませんから、只今では斯うやって旅商いをいたして居りましても、あなたにお目にかゝってお詫事わびごとをして戴きたいと、旦暮あけくれ存じて居りましたが、此様こんな山の中においでとは存じませんが、沼田の方にいらっしゃるという事ですから、日光から山越やまごしをしてまいりましたも、若もしや貴方にお目にかゝられる事もありましょうかと、神仏かみほとけを信じて居りました甲斐があって、お目にかゝる事が出来ました」

と涙拭えば、

鹽「伴つれもある様子だが、今晩は私の家うちへ泊ってはくれまいか」

右「へい、泊っても宜しゅうございますが、商人あきんど仲間の伴つれが有りますから、あの男を先へ帰しましょう」

と話していると、

傳「おい宇之助さん〱、おや、あの女にへい〱お辞儀をしているよ、弁当の余りでも貰う気じゃアねえか、宇之助さん何どうしたい」

右「私は今少し訳のある人に逢って、今晩泊らなければなりませんから、あなたは明日あした沼田の大竹屋おおだけやという宿屋へお泊りなすって下さい、事に寄ったら二日ぐらい遅くなるかも知れないが」

傳「左様そうかい、それじゃア先へ往っているよ、お前が三日位かゝっても待っているよ、それじゃア磯之丞さん先へ往ゆこう」

とこれから別れて、案内と両人ふたり連立ってまいります。此方こなたは三人で女房が薬鑵を提さげて、右内が脇に附きまして、漸々よう〱山道を小川村へ二里ばかり下おりて、横に又四五町入って見ますと、屋根には板の上に石を載せて嵐を防ぎ、実に見るかげもない山住いで、中へはいると大きな囲炉裏が切ってあって、竹自在へ燻くすぶった薬鑵がかゝって居ります。留守居をして居りますのが多助という、八歳になる角右衛門が一人子ですが、これが後に鹽原多助と申して、天下に名高い人になります者ですから、自然に他ほかの子供とは違いまして、おとなしやかに居ります。右内は如何いかに御運ごうんが悪いとて、八百石取のお身の上が、人も通わぬ山中さんちゅうの斯様こんな茅屋あばらやに住すまっておいでになるのか、お情ないと気の毒そうに上って来ました。

右「誠に思いがけなくお目にかゝりましたなア」

お清「あの、右内や、お前が屋敷を出る前に産れた多助という悴せがれはこれだよ」

右「えゝ、あのお坊様ぼっちゃまでございますか、お父様とっさまによく似ていらっしゃいます、私わたくしは右内でございますが、あなたは御存じございますまいなア」

多「何だか知んねえやい」

右「どうもまるで田舎語いなかことばになっておしまい遊ばしたなア」

と涙を拭き、

右「成程猟師の家うちのようでございますなア」

鹽「何しろ一杯つけな」

と是から女房が支度をするのに、前川まえがわで捕とれた山女やもめに岩魚いわなという魚に、其の頃会津辺から𢌞る味淋みりんのような真赤まっかな酒で、

鹽「えゝ、これは奥州から来る石首魚いしもちという魚の干物だ、一つお食べな」

右「へゝ、どうも御新造さまのお酌で恐入りますな、私わたくしが家出をしましたのは矢張八月朔日ついたち、其の年の三月のお節句に、お客様の帰った跡で、御新造様のお酌でお白酒しろざけを頂戴した事などを、かめとお噂をして居りました、家出をしたのも、かめが懐姙かいにんを致しました故でございます、只今では七歳になり、名をおえいと申します」

清「おゝ左様そうかえ、お前に似てもかめに似ても好子いゝこだろうが、見ることも出来ないのう」

右「それでも彼あれが裏家住うらやずまいに馴れて、誠に当節はよく馴れて居ります、働はたらきのない私わたくしでございますから不自由勝で、へい、妙なお酒ですなア」

清「お前は喫たべた事はないだろう」

右「へい、甘いような酢すっぱいような変ですなア、へえ、これが会津から来るので」

鹽「あの、其方そなたの親父右平うへいは屋敷に永年奉公をしてくれて、其の悴の其方も屋敷に勤めて居たのだから、家来とは云いながら家来でない、殊には私わしの妹を女房にしているから弟も同様でのう」

清「旦那様は故あって御浪人あそばしても、お固い御気性だから、二君に仕えずと云っておいでだが、此の悴はどうか世に出したいと思っているが、私の甥に当る戸田様の御家来で野澤源作のざわげんさくという者が宇都宮の藩中だから、それへ頼もうと思って、度々たび〱手紙をやった処が、どうか重役に相談して世話をして上げますから、それに就ついて、どうか話をしたいから出て来いと云って、返事を寄越したが、四年あとの山水で田地から諸道具衣類まで皆流されてしまったゆえ、今ではどうする事も出事できず、今お金が五十金あれば、江戸のお屋敷へお住込が出来るのだから、此処こゝで私がお頼みだが、かめと両人ふたりでどのようにも才覚して送ってはくれまいか」

右「へい、どうか致しましょう」

鹽「馬鹿ア云うな、旅商人たびあきんどの右内に五十金出来よう筈はない」

清「それだって良人あなた、これに頼むより他に仕方がございません、それに右内は家出をする時、家うちのお金を廿金持って逃げておいでだよ」

右「えゝ誠に恐入ります、只今では金子の出来よう筈はございませんが、来年の三月までお待ち下されば、どうにか致しましょう」

清「来年の三月じゃ遅いじゃないか、是非今年の中うちにと云っても、雪があって来られまいが、どうか今年の中に送っておくれ」

右「なに、どうか致しましょう、なアに子がなければおかめを勤め奉公に売っても、え、これは御新造様の前で、なにどうか致しましょう」

と口には云っても右内が今の身の上では才覚の出来よう道理はございませんが、どのようにも才覚しようと考えながら、其の晩は寐ねまして、翌日立とうとするを彼是と引留められまして、昼少し過ぎに漸々よう〱振切って出立しますと、此方こなたは親子三人で須賀川すかがわの堤どてまで送ってまいりました。

右「左様なら御機嫌よろしゅう」

と云うので此方こちらも見送る、右内は見返りながら、金の出来よう筈はないが、神仏かみほとけの恵めぐみで、何うか才覚したいものだと考えながら、うか〱と大原村という処へ掛りました所が、大きに草臥くたびれましたから茶店に腰を掛けて休んでいると、其処そこへ入って来たお百姓は年齢としごろ四十四五で、木綿のぼうた布子ぬのこに羽織を上に着て、千草ちくさの股引で、お納戸色なんどいろの足袋たびに草鞋わらじを穿はき、

客「誠に久しく逢いません」

婆「おやまア角右衞門さん、おあがんなんしよ」

角「ちょっと来てえと思うが、秋口になると用が多くって来られねえで、まアあんたも達者で」

婆「まことに此間こねえだもあんたの方へ向けてやったら、演劇しべえを見せてくれると云うから、遣やった所が、角さんなればこそ世話アして見せてくれて、娘子あまっこを遣ったら宜よく世話アして呉れやした、帰けえって来てどんな狂言だったと云うも、何だかしんねえが弁慶縞の衣物きものを着たお侍さむれえが出て来て、脇差のあたまへ徳利とくりを提さげていたが、余程よっぽど酒の好きなお侍さむれえで、跡から機織女はたおりっこが緒手巻おだまきを持って出て来たところが、其の娘子むすめっこを侍さむれえが脇差で突ッ通すと、女が振髪ふりがみ打ぶって眼睛めぐろまわしてほっこりきエッたって云いやんすから、跡で聞いたら妹脊山いもせやまの狂言だッて」

角「はい、碌に構かめえませんでハア、家うちのお爺とっさんは居やんすかなア」

婆「へい、居りやんす、新田しんでんの角さんが来やしたよ」

爺「へい、あんた無沙汰をしやんした、あんたに見せべえと思っていた青爪あおづめで、三歳せい五ヶ月になる馬で、いゝ馬だ、今見せるから待って下せえ」

角「あゝ馬かえ」

爺「マア物を見なせえ」

と云いつゝ引出して来たのは実に駿馬ときうまともいうべき名馬で。

角「やア、いゝ馬でがんすなア」

爺「あんた、此の馬は実に珍らしい馬でね、えら一つ起して、嚔くさめ一つした事がねえ、どんなに引いて引まわしても、足に血溜ちだまり一つ出来る馬じゃアねえ、見なんせえ」

角「まア見べえか」

と云いながら歯を見たり爪を見たり、前足を撫でたり、暫く見て居りましたが、

角「こりゃア買いてえねえ、幾許いくらだアな」

爺「五両五粒いつつぶだッて」

角「高たけえなア」

爺「高たけえって五両五粒がものはあらア」

角「そうけえ、己おらア今金はあるが、千鳥村へ田地でんじの掛合かけあいに来たんだから、田地が売買うりけえにならなければ帰けえりに直ぐ買って往ゆくから、何しろ手附を置いて往くから、馬を置いて下せえ」

と懐から取出す胴巻は、木綿か紬つむぎか知れませんが、つる〱とこいて落ちた金は七八十両もありましょうか、其の中から一両出して、

角「さア此処へ置きやす」

と残りの大金を懐中ふところへ括くゝし附けまして、

角「外ほかへ売らねえように、左様なら」

婆「左様なら、帰けえりにお寄んなんしよ」

先刻さっきから両人ふたりで話をしているのを岸田が見るとはなしに、其処へ落ちたのは大金、あゝ有る所には有り余るものだ、あの金さえあれば主人を世に出し、御恩報ごおんがえしも出来るものをと思いますと、面皰にきびの出るほど欲くって堪らないから、うか〱と思わず知らず追貝村おっかいむらまで彼かの百姓の跡を尾つけて来ました。百姓はそれと知らず谷合たにあいまでかゝりますと、

右「もし旦那え〱」

角「なんだえ」

右「へえ先程大原村の茶店で馬を買ってお手附をお出しになる時、側に茶を喫のんで居りました私わたくしは旅商人たびあきんどでございます」

角「はい」

右「始めてお目にかゝって恥入りますが、私わたくしは元は武士でありましたが商人あきんどになりまして、岸田屋宇之助と申します、私わたくしの主人が故あって浪人をして、此の先の小川村に住んで居りまして、昨日きのう図らず逢いましたところ、五十両の金があれば世に出られるから才覚をしてくれと云われましたが、私わたくしの只今の身の上では、迚とても才覚は出来ませんから、心配している所へ、あなたが手附をお出しになった時見た金は、七八十両はあると思います、誠に押付けたお願いですが、屹度きっと御返却申しますから、来年の三月まで五十金拝借はなりますまいか」

と云われて角右衞門は驚きまして、そっと懐へ手を入れ胴巻を押えながら、

角「なに五十両貸してくれと、己は数坂越かずさかごえを幾度もするが、汝われエような盗賊どろぼうがいるから旅人が難渋するのだ、さア名主へ連れて往ゆくから来い」

宇「盗賊どろぼうなんのと云うものではございません、名前までお明し申す程でございますから、お得心下されば、これから主人の所へまいりまして、両人で連印れんいんの上拝借します、どうも主人を世に出さなければ済みません、神かけて御損は掛けませんから、何卒どうぞ来年の三月までお貸し下さい、印形を押して証文を入れますから、なア申し」

角「馬鹿野郎、五十両という大金を汝われがような始めて逢った奴に誰たれが貸す、主人のためだの忠義だなんと云やアがって、己が金へ目を附ける盗賊どろぼうめ、さア名主へ来い、往ゆかねえか」

と拳を固めて右内の横面よこッつらを打ぶったから、顔から火の出るようだが、

右「ア痛いたた〱、御尤もでございますが、明かして願うのですから、私わたくしの身体は主人のためなら十や廿打ぶたれましても厭いといません、主人は立派な侍で、あんな所へ置く人ではありません、江戸表へ参りさえすれば、百石取りぐらいになるのは造作もございません、主人さえ世に出ればお金の融通も出来ますから、もっと早く御返却致します、何どうぞ貸しておくんなさい」

角「黙れ、汝われえ己に打ぶたれるか」

右「へえ、お打ぶちなさい」

角「さア此処へ来い」

と髻もとゞりを取って引寄せて、二十ばかり続けて打うちましたから、実に頭の割れるほど痛いが耐こらえて、

右「それで貴方御承知なら主人の所へどうか御一緒にお出で下さい」

角「馬鹿野郎、まだ金を借りたいと云うか、名主へ連れて往ゆくのは面倒だから打ぶちのめしたんだ、往ゆけったら往ゆかねえか」

と云いながら力に任せて右内の胸を蹶けて、横面よこつらをポーンと打ぶったから、其処へ倒れました。日頃柔和な右内だが、余りのことと思わず道中差へ手をかけて角右衞門を瞋にらむ。

角「汝われア脇差見たようなものをさしていて、己を斬る気か」

右「なに斬る気はございませんが、打ぶたれゝば金を貸してやると仰しゃったから打たせたのに、打った上に土足に掛けて金も貸さず、私わたくしも武士の禄を食はんだもの、見ず知らずの土民に足下そっかに掛けられましては捨ておかれません、何うあっても貸されませんか」

と威おどして取ろうと思いまして、ピカリと引抜く刀の光りに、百姓だから驚きまして、トッ〱と逃出したから、右内は跡を追掛けて往ゆきますと、彼かの百姓は運悪く木の根へ躓つまずいて倒れる処へ、右内得たりと上に乗し掛りて百姓の頬ほうへ抜刀ぬきみを差附けて、

右「さア貸しておくんなさい、お前さんは人を土足に掛けるとは余あんまりではありませんか、さア貸して下さい、どうあっても貸して呉れなければ拠よんどころなくお前さんを殺さなければなりません、さア貸して下さい〱、さア貸さなければ殺しますよ、お前さんは五両五粒いつつぶの馬を買うような立派な人ではありませんか、貸して下さい、貸せないかい〱」

と責めつけられても百姓は生命いのちより金の方が欲しいと見えて、「盗賊どろぼう々々」と云う声が谺こだまに響きますが、誰たれあっても助ける者はありません。此処は追貝村おっかいむらの入口で、西の方は穂高山ほたかやま、東は荒山あらやま、北の方は火打山ひうちやまで、南の方は赤城山あかぎやま、山又山の数坂峠かずさかとうげ、大樹は生茂って居りまして、大泉たいせん小泉こせんという掘割の岩間に浮島の観音というのがあって、赤松が四五本川辺かわべりへ枝を垂れ、其処に塚が在あって、翁おきなの詠んだ「夏来ても只一つ葉の一つかな」という碑があります、此の大泉小泉の掘割から堅科川かたしながわという利根の水上みなかみへ、ドッ〱と岩へあたって落します水に移るは夕日影、さしひらめく刀の光り、右内は心がせきますから、サア〱〱と責めつけられ、下では只人殺ひとごろし々々と云っている。此の時向う山を通りかゝりましたのは鹽原角右衞門で、先刻右内に別れてより、家に帰って只うつ〱と致して居りましたが、「お猟にでもいらしった方が宜しゅうございましょう」と女房の勧めに、鉄砲を担いで山狩に出ましたが、小鹿を見失って帰る折から、向の岸で「盗賊どろぼう々々」という声がするが、雑木山の林で生茂って、下は薄暗く、確しかとは見えませんが、旅人が山賊に出逢ったに違いないから助けてやりたいと、片膝立って有合わす鉄砲に玉込めいたし、引金へ手を掛けて、現在自分の家来なる忠臣岸田右内と知りませんから、胸元へ狙いをつけましたが、是から何う相成りますか、この次に申上げます。

二

引続きまする鹽原多助一代記は多助が八歳の時のお話でござります。彼かの岸田右内は忠義のためとは云いながら、心得違いに見ず知らずの百姓が五十両懐中致して居りますを知って、無心を云いかけますと、彼の百姓は驚きまして争いとなり、右内は百姓の転びし上へ乗っかゝり、お主しゅうのためには換えられぬと、嚇おどして五十金を奪おうとする。下では百姓が人殺し〱と云って居りますが、往来は稀な山村やまむらで、名におう上野国こうずけのくに東口の追貝村、頃は寛延元年八月の二日、山曇りと云うので、今まで晴天でいたのが暗くなって、霧が顔へかゝりました、暗さは暗し、向う山では鹽原角右衞門が山賊を打とめ、旅人を助けんと家来と知らず鉄砲の狙いを定めて、ガチリッと引金を引く拍子に、どうんと谺こだまへ響いて、無惨や右内は乳の上を打抜かれて一度ひとたびは倒れましたが、一方かた〱へ刀一方かた〲へ草を掴んで立上り、足を爪立て身を慄ふるわせ、ウーンと云いながら、がら〱と血を吐き出しますと、其の血が百姓の顔へ掛りますから、百姓は自分が打たれた心持がして、人殺し〱〱と慄えながら云っている所へ、鹽原角右衞門が独木橋まるきばしを渡ってトッ〱〱と駈けて来ました。

鹽「これサ御旅人ごりょじんお怪我はありませんか」

角「はい怪我アしたかもしんねえ、真赤な血が出やした」

鹽「それは私が今上の賊を打留めたによって、其の血が貴方にかゝったのだろう、それとも少しは切られましたかな」

角「へえ、道理で痛くも何ともなかった、助かったかな、有難うごぜえやす」

と血だらけになった百姓が仰向いて見ますと、氈鹿かもしかの膏無あぶらなしに山猫の皮を前掛にしまして、野地草やちぐさの笠を背負しょい、八百目の鉄砲を提げて、

鹽「まアお怪我が無くって宜よかったなア」

角「猟夫かりゅうどさんでごぜえやすか、既に此奴こいつに殺される所を助かりやした、私わしの懐中に金のあるのを知って跡を尾つけて来て、取ろうとするから、名主へ連れて往ゆくべえと思っていた所が、既に殺される所でがんした」

鹽「いや悪い奴でございます」

と云いながら賊を見ると右内だから恟びっくりして、

鹽「右内やア〱、心得違いをしたな、右内やア〱」

と呼ぶ声が忠義の心に通じましたか、右内は漸々よう〱細き目を開いて見れば、目の前に主人の顔、

右「旦那様々々々」

と云いながら鹽原の手に縋り付く。

鹽「何故なぜ心得違いをした、手前も元は侍ではないか、如何に落ぶれ果て、食うや食わずの身となるともナア、何故其の様なさもしい了簡に成ってくれた、渇かっしても盗泉とうせんの水を飲まず位の事は心得ているではないか、何ういう訳で人の物を奪とる気になった、手前とは知らずナ、此の角右衞門が旅人たびゞとを助けようとして打留めたのであるぞ、これ許してくれえ〱」

というに、右内はハッ〱と息を吐ついて、ものが云いたいが、外へ出る息ばかりで、漸く微かすかな声を出しまして、

右「旦那様、八年ぶりで貴方にお目にかゝりました所、彼あの通り見る影もないお身の上、御新造様からも五十金才覚してくれと家来の私わたくしへ手をついてのお頼み、此の旅人が金を所持して居りますのを見て、あなたを世にお出し申したいばっかりで心得違いをいたしました、あなたのお手に掛って死ぬのは本望でございます、永らく御奉公をいたして、御恩を戴いた御主人の妹を連れ出して逃げるような心得違いを致しました右内ゆえ、天罰主罰しゅうばつ報むくい来きたって、只今此の所で旦那様のお手にかゝって死ぬのは当前あたりまえでございますが、江戸表に残った女房おかめと、まだ年のいかない娘が此の事を聞きましたら嘸さぞ歎なげきましょうが、決して盗賊どろぼうをして殺されたのではない、旦那様を江戸表へお連れ申したいと思う心得で、斯様かような事を致しましたと云う事を、旦那様から仰せ聞けられて下されませ、あゝ最もう目が見えん、此の世のお別れ」

と云いながらバタリと倒れましたから、鹽原も思わず声が出まして、

鹽「あゝ不憫ふびんな事をした、家内が聞いたら嘸歎くであろう、許してくれ」

と歎くのを百姓が聞いていて、ホロリ〱と泣出しました。

角「とんだ事になりました、あゝ金を貸せば宜かった、道理で主人のために金が入るだ、主人も私わしも印形を捺ついて証文を張るからって名前さえ明かしたが、よもや、嘘だと思うから貸さなかったッけ」

鹽「はい全く私共わたくしどもの家来でございまして、手前を世に出したいばかりで、此の様な事をいたしました、何卒どうぞ御勘弁を願います」

角「御勘弁どころじゃねえ、鉄砲を打ぶたなけりゃア己が殺される所だ、何とそう云う良いい家来を鉄砲で打ったら嘸悲しかんべえ」

鹽「あなたも不憫と思召おぼしめすならば、此の屍骸しがいは私わたくし一人では持ってまいることは出来ませんが、此処に細索ほそびきがありますから、これで括からげて吊りまして、鉄砲の差荷さしにないで、一方かた〱担いではくれませんか」

角「ハア担ぎますべえ」

と泣なく〱担いで小川手前まで帰って来ました。家うちではお清は角右衞門の帰りが遅いから案じて居ります所へ、

鹽「今帰ったよ」

清「お父様とっさまがお帰りだよ、おや〱あなたお一人でいけないからお手伝いが入いりましたか、猪いぬしゝでも打ちましたか」

鹽「いや飛んだ物を打ちました、お前が聞いたら嘸驚くだろう、話をするからマア貴方、此方こちらへお上り」

と百姓を上へあげ、これ〱の訳だと話をして、

鹽「おせい、間違いとは云いながら、今朝別れた右内を鉄砲で打とうとは思わなかった」

清「何処どこに居ります」

と云うから簑笠を反除はねのけますると、情ない死状しにざま。

清「あゝ、今朝お前に別れる時、金さえあれば旦那様が元の侍になられると無理な事を頼んだから、私共わたしども両人を世に出したいばかりで、非業ひごうな死をさせたのも、私わたくしが酷ひどく頼んだから心得違いをしたのだろう、あなた何うして人と獣けだものと見違えました」

鹽「いゝえ、獣と間違えて打ったのではありません、此の方にかゝった山賊と心得て打ったのだ、泣くどころじゃない、お詫びごとを申せ」

清「はい〱悲しいのに取紛とりまぎれ、御挨拶も申しません、これは家来とは申しながら、私共わたくしどもの妹を女房にして居りますから、家来と申しても弟と同じ事、後あとには七歳なゝつになる子もありまして、不憫なものでございます、何卒どうぞ忠義ゆえと思召しまして御勘弁なされて下さいまし」

角「私わしも斯ういう事になるんなら話合いにしたものを、打擲ぶちなぐるべえと思ったら此様こんな事になってしまって、誠に気の毒だ」

多「お父とっさん、なんで叔父さんを鉄砲で打ぶったかなア、江戸にいる叔母さんだのおえいという従弟いとこが聞いたら、どんなに怨むか知れねえから、若もし叔母さんが来たら、多助が間違まちがいて打ったと云うから、あんたは殺さねえふりをするが宜えいよ」

鹽「あゝ宜よい〱、小児こどもにまで苦労をかけて済まない」

角「誠に年はいかねえが、へえ八歳やっつぐれえなもんで、へえ実のなる木は花から違うって、あんたお侍さむれえでごぜえやすな」

鹽「取紛れまして、まだ名前も申上げません、手前は鹽原角右衞門と申します浪士で」

角「イヤサ私わしが鹽原角右衞門という百姓さ」

鹽「へえ私が」

角「あんた何時から鹽原角右衞門と云いやす」

鹽「何時からと云って先祖から」

角「私わしが名前も先祖から」

鹽「手前の先祖は下野の国塩谷郡塩原村の郷士鹽原角右衞門という事が書類に残って居りますが、精くわしくも調べては見ません」

角「私わしが先祖も野州塩谷郡塩原村で、沼田へ来て鍬一つから今では田地や山も持って居りやすが、それじゃア貴方も、元を洗えば同じ血統ちすじで」

鹽「妙な縁ですなア」

角「縁は縁だが、此様こんな事になっては悪縁だねえ、さア此処に金が五十両あるから、これで身形みなりを整えて、立派なお士さむれえになって下せえ」

鹽「何う致しまして、見ず知らずの貴方に頂戴することは出来ません」

角「だって元を洗えば、同じ血統ちすじじゃないか」

鹽「左様ではございますが、大金を戴く訳はありません」

角「訳がねえッていうが、あんたが鉄砲で打ぶたなければ、己おらア命を取られて、金も取られてしもうのだ、それを助かったのだから貰って下せえ、あんた此の金で江戸へ帰けえらねえと、此の右内どのが犬死になりやす、命を捨てゝも主人を助けてえというのだから、此の事が世間へ知れせえしなけりゃアいゝのだ、貰って早くお屋敷へ帰かえって下せえ」

鹽「いえ〱家来が悪い事を致したのだから、手打ちにしても宜しいので」

角「それでは五十両で貴方あんたの大事でえじな物を買って往ゆきやすべえ」

鹽「はい左様でしょうが、四年前ぜんの山水で大事だいじなものは皆流されてしまって何もありません」

角「こりゃア貴方あんたの悴せがれでしょう、これを私わしに下さい」

鹽「何う致しまして、これは一人の悴ですからいけません」

角「お前方めえがたは年が若わけえから未いまだいくらも子が出来るよ、己おらア四十二歳になるが、いまだに子がねえから、斯ういう子を貰って往ゆけば、こんな有難ありがてえ事はねえ」

清「これは何う致して上げられません」

角「鹽原の子を鹽原が貰うのだから、宜いいじゃないか」

鹽「上げられません」

清「とんだ事を仰しゃいます、家来に無心を申したのも此の悴を世に出したいからでございます、何う致しまして出来ません」

角「よく考えて御覧なせえ、あんたが江戸へ往って此の家来けれえを此方こっちへ埋めて、江戸から此の数坂峠を越して追善供養をしに来ることは出来やアしねえ、私わしが此の子を貰って往ゆけば、私は沼田の下新田、此所までは半日で来られるから、墓参はかまいりをさせて、追善供養もしようじゃないか、私は三百石も田地があり、山もあり、不自由はさせねえから、殊ことには、此の子のためには叔父さんに当ると云うだから、子のねえ昔と諦めて下せえ」

鹽「成程面白い事を云う、親切な方だ、宜しい、上げましょう」

清「何を仰しゃいます、多助を遣って良人あなたどうなさいますえ」

鹽「宜しい、黙っていろ、これ〱多助、此処へ来い」

というと、多助はハイと云って、愛らしい紅葉もみじのような手をついて其処へ坐る。

鹽「これ〱手前は私わしの本当の子ではない、此の沼田のお百姓の子だが、乳がないので藁の上から預かって育てゝくれとのお頼みゆえ、八歳まで育てたから、もう下新田とやらへ帰って、角右衞門様御両親に孝行を尽せ、そうして此の死んだ叔父さんの追善供養をしろ、よ、いゝか解ったか、其のお前を育てた礼として五十両を下すった、此の金子で私わしが身形みなりを整えて江戸の屋敷へ帰るから、よう、よう分ったか」

多「あい、毎時いつでもお母っかさんが私を抱いて寝ていて、お父とっさんが金があれば江戸のお屋敷へ帰れると云うから、あゝ金が欲しいと思っても仕様がねえから、坊が今に大きくなれば稼いで上げべえと思っていたが、それじゃア厭だけれど、此の下新田の叔父さんの子のつもりで往ゆきやすべえ」

角「あゝ何でも知ってるからいけねえ、どうか聞き分けてくれよ」

鹽「宜く聞き分けてくれた」

清「お前お母っかさんが毎晩愚痴を云ったのをよく聞き分けておくれだ、お前も悪戯いたずらや何かすると不孝になりますよ、私どもはないものとお思いよ」

角「有難ありがてえな、それではお達者で、また此地こっちの田舎のお父とっさんの家うちの方へも来て逢う事がありやすべえ」

鹽「いや屋敷奉公をすると便たよりが出来ん、殊にお前の為めにならんから、こりゃ多助、此の親は仮の親と心得て、沼田のお父とっさんに孝行をしろ」

多「はい〱孝行をしますから、早くお屋敷へお帰りなさいまし」

と云われてお清は堪こらえかねて泣きながら、

清「寝ますと踏脱ふみぬきますから気を注つけて下さるように、どうかお目にかゝりませぬが、御家内様に宜しく、御面倒を願います」

角「なアに心配するには及びやせん」

これから祝いに酒肴さけさかなで親類固めに仏の通夜と酒宴さかもりをして、翌日三日の朝、村の倉田平四郎くらたへいしろうという名主へ届とゞけをして、百姓角右衞門が多助を十文字に背負いまして、夫婦は須賀川まで送って来まして、夫婦は「どうか道をお厭いといなすッて」

角「へえ、道は気を注つけるから大丈夫でがんす、どうか屋敷へ帰って御奉公をなされたら便たよりを聞かせて下さいよ」

鹽「御無音勝ごぶいんがちでございますから何分願います」

多「お父とっさん、お母っかさん、達者で屋敷へお帰んなせえよ」

と後身うしろみになって此方こなたを伸び上って見る。鹽原夫婦も見送り〱、泣く〱帰りかゝりますと、向うからわい〱という声で大勢たいぜい駈けて来る其の先へ、真まっしぐらに駆けて来たのは青馬あおうまで、荒れに荒れてトッ〱と来ます。此の道は左右が谷川で、一騎打きうちで何処どっちへ往ゆくことも出来ません。あゝ此の子に怪我をさせては済まないと気をもんでいると、見るより浪人鹽原角右衞門が馬の前に仁王立になって、馬の轡くつわを押えて百姓に渡すと、幸い此の馬は角右衞門が買おうと云った馬だから、直ぐに馬を受取って、多助を馬に乗せて沼田の下新田へ参ります。浪人鹽原は角右衞門から恵まれた金で支度を整え、名主の所へ別れを告げに参りますと、名主も名残が惜いからお立祝たちいわいをしたいと云うので、村で鹽原に剣術を教えて貰った者もありますから、九月の三日まで留められました。これが鹽原多助の生立おいたちでございます。さてお話替って江戸表に居りますおかめは、娘おえいが毎日お父様とっさまは未だ帰りませんかと云われるので、おかめも案じて居りますと、堺屋傳吉は帰って来まして、

傳「宇之助さんは上州の小川村で知人しるべに逢って、別れて私は沼田の大竹屋で待っていたが来ないので、何時までもばかり〱と待ってもいられないから帰って来たが、未だ宇之さんは帰らないか」

と云われたので、種々いろ〱心配して神鬮みくじを取ったり売卜者うらないしゃに見て貰いなどしたが分らない、殊に借財方から責められて、迚とても身代が持切れませんから、身代をしまいまして、七歳なゝつになるおえいを十文字に背負しょいまして、心当りを尋ねようと出立しましたは九月の三日、唯上州小川村と聞いた計りで、女の独旅ひとりたびでござりますから、馬士まごや雲助などの人の悪い奴にからかわれ、心細くも漸々よう〱のことで中仙道の大宮宿おおみやじゅく泊り、翌四日は鴻巣こうのすの田本たもとが中食ちゅうじきです。例の旅費が乏しいから勿論駕籠なんぞを雇うことは出来ず、馬を雇うくらいですが、それも十分には往ゆきません。漸々田本で中食を誂あつらえていると、側にいる客は年齢としごろ四十一二になる女で、衣裳なりは小弁慶の衣物きものに細かい縞の半纒を着ている商人体あきゅうどていのおかみさん、今一人は息子か供か、年齢としごろは廿一二になる商人体あきんどていの人品のいゝ男で、盲縞めくらじまの脚絆甲掛こうがけも旅馴れた様子で、頻りに中食をしておりますと、

男「お母っかさん、いゝお子でございますねえ」

女「あゝ、いゝお子だねえ、もしえ、おかみさん、あなたのお娘子むすめごでございますか」

かめ「はい、左様でございます」

女「お幾歳いくつになりますえ」

かめ「はい七歳なゝつでございます」

女「あなたは何処へおいでゞす」

かめ「私わたくしは上州小川村までまいりますのですが、小川村というと何処へ出ましたら宜しゅうございましょう」

男「小川村というのは上州も東口とやら、山国やまぐにと聞きましたが、大層遠方へおいでゞございますねえ」

女「お前さんは江戸言葉のようですが、何の御用で小川村へお出いでになります」

かめ「はい私わたしの良人つれあいが小川村に居りまして、それへまいりますが、誠に旅馴れませんから困ります」

女「左様ですか、私わたくしどもは前橋に居りますが、もとは中橋で生れまして、江戸生れでございますから、前橋でさえ寂しくっていけませんに、そんな山の中へおいでになるのは、お一人で嘸さぞマアお心細いでしょう、ねえさん此処へお出で」

人見知りをしない子ですから、

えい「おばアさん」

と顔を横にして云うから、

女「さア此のお肴とゝをお喫あがり」

かめ「あれさ、いけないよ、誰方様どなたさまの所へでも構わずあがって困ります」

女「私わたしは子煩悩ですが、子と云うのは此の悴ばかりで、女の子はどうも可愛かあいらしくッて、さア、これをおたべ」

と彼是いう内に直すぐに馴染みまして、取附とっついたり引附ひっついたりするから、

女「どうせ熊谷くまがいへ泊るつもりで、松坂屋というのが宜しゅうございますから、そこへ泊りましょう、貴方はお草臥くたびれでしょうから、私が負おぶって上げましょう」

というので、おかめも一人旅で、連が出来たから心嬉しく思っておりますと、最う悉皆すっかりそのおかみさんに馴染んで、おかみさんと一緒に寝なければ聞かない。

女「今夜は私が抱いて寝ますよ」

というので、かみさんが抱いて寐て、翌日出立しました。前には熊谷より前橋へ出ますには本庄宿の手前に御堂坂みどうざかと申す所より榎木戸村えのきどむらから八丁ちょう川岸がし、それより五料りょうと申す所に日光一の関所がございます。当今馬車道になりましたが、其の頃は女は手形がなければ通られぬとて、久下村くげむらより中瀬なかせに出て、渡しを越えて、漸々堺さかいという所まで来ますと、七つ下さがりになりまして、足が疲れて歩かれません。

女「何うしよう、伊勢崎いせさきまで往ゆけようかね」

男「お母っかさん、此の辺には好いい宿屋がないから、伊勢崎の銭屋へ泊りましょう」

女「そうしよう、そうしておかみさんも疲れているから駕籠を、アレサどうせ私どもが乗るんですから、宜しゅうございます」

と云っている中うちに、男が暫く経たって、馬を一疋駕籠を一挺頼んで来ました。

男「お母さん、駕籠は一挺ほかありませんから、おかみさんは馬に乗り附けますまいから、おかみさんを駕籠に乗せて、お母さんは馬でお出でなさい」

女「それじゃアそうしよう、お前はお母さんとお駕籠へお乗りよ」

えい「いゝえ、私わたしゃ叔母さんと一緒でなくッちゃいや」

かめ「あれまア聞き分けのない事ばかり」

女「それでは仕方がないから、少しの間気味が悪くも乗って御覧なさいな、馬には乗って見ろ、人には添って見ろということがありますから」

かめ「はい〱乗って見ましょう」

とこわ〲乗りますと、乗り付けませんで、殊に道中馬は危ないから、油汗が出て確しっかり捉つかまっている。シャン〱〱と馬方が曳き出す。これから百々村どう〱むらへ出まして、与久村よくむらから保泉村ほずみむらへかゝりますと、駕籠より馬の方が余程よっぽど後おくれましたから、心は焦せけど馬は緩のろく、後あとより来る男は遅く、姿は見えません。其の内雑木山がありまして、左右から生茂りて薄暗い所へ往ゆきますと、馬士まごが立留って、

馬「あんた、此処から下りて下さい」

かめ「此処から下りちゃア仕様がないよ、伊勢崎の銭屋まで往いくのじゃないか」

馬「私わしは与久村の者だから駄賃より出越して来たんだから、此処で下りて下せえ」

かめ「私は始めてゞ困るから、跡から兄さんの来るまで待っておくんなさい」

馬「いけねえから下りておくんなせい」

と云いながら無理におかめの腰を押えて引きずり下してしまいました。おかめは道中馴れないから、

かめ「何をするんだ」

と云っても仕様がない、其の中うち馬方はシャン〱と馬を曳いて往ってしまいましたから、

かめ「誠に道中の馬士というものは悪いものだ、あゝ彼あの兄さんは何うしたろう」

とおど〱していると、雑木山から草を踏んで来る悪者が、物をも云わず掴まえるから、「アレー」という中うちに一人が足を縛ゆわえ、一人が手を縛え、担いで行ゆきますところへ通りかゝりましたのは、沼田下新田の角右衞門で、木崎から帰り道、暗さは暗し分らないから、悪者に突き当ると、おかめを担いだなり倒れました。角右衞門は見ると、女を担いでいるから、此奴こいつは盗賊どろぼうだなと、突然いきなり拳骨で打ぶちますと、百姓で力があるから、痛いの痛くないの、悪者は驚いて逃げ出しました。

角「おかみさん〱怪我はありませんか」

かめ「はい、誠に有難うございます、女一人でございますから、どうも苛ひどい目に逢うところで、お蔭様で助かりました」

角「全体ぜんていあんたは何処へお出でになるんで」

かめ「伊勢崎の銭屋へまいります」

角「私わしも銭屋へ往ゆくんだから一緒に往ゆこう、お前さんお一人かえ」

かめ「先へ娘がまいって居ります」

角「何しろ一緒に往ゆきなさい」

とこれから伊勢崎へ来て銭屋へ往ゆくと、左様な娘さんを連れて来たお客はありませんと云うから、ひょっと宿屋の名前でも違いはしないかと、外ほかの宿屋を捜しても知れないから、角右衞門は、こりゃア此のおかみさんは悪者のために、娘を勾引かどわかされはしないかと思いしゆえ、

角「おかみさん、娘子むすめっこさんは器量は宜いいかえ、フウン、親だから好よく見えるだろうが、七歳なゝつとはいいながら、勾引かどわかしと云うものがあるから、見ず知らずの子を可愛かあいがるのは、了簡があってかどわかしたのではねえかと思ってサ」

かめ「はい、私の良人やどが帰りませんから、尋ねて参りますのでございますが、仮令たとえ夫おっとに𢌞めぐり逢いましても、一人の娘をかどわかされましては、どうも良人に済みません、何処の御方かは存じませんが、娘を取返すことは出来ますまいか」

角「取戻すことも何も出来ねえが、お前めえさんは何処の者だい」

かめ「私わたくしは江戸の本郷春木町に居ります旅商人たびあきんどの、岸田宇之助と申す者の女房でございます」

角「えゝ、それじゃアお前まえは鹽原角右衞門というお侍さむれえの妹で、其の家来けれえの岸田右内さんのおかみさんで、おかめさんと云いやすんかえ」

かめ「何うして御存じですね」

角「何うしてッて、もう魂消たまげた、実に不思議な縁さ、併しかしあゝ気の毒なことだが、あんたのお兄あにいさん角右衞門様という人は、小川村に浪人して居るだが」

と云われて驚き、

かめ「あなた、何うしてそれを御存じでございます」

角「兄あにさんにも御亭主にも私わしが逢わせようが、まだ兄さんは支度も出来めえから逢わして上げやすべえ、心配しねえが宜ようがんす」

と云いましたけれども、沼田の角右衞門は、それでは夫おっとが非業に死んだ事も知らず、子供を連れて来る道で、娘をかどわかされるとは気の毒な事と、おかめを不憫に思いまして、これから娘をかどわかされた事を、其の地の名主にかゝり、八州様へ願って手配してもらい、おかめは計らず下新田の角右衞門の世話になりますというお話は次に申上げましょう。

三

沼田下新田の百姓角右衞門は、私用がありまして木崎までまいって帰りがけ、保泉村という処で計らず岸田右内の妻おかめの災難を助け、親切に世話をして身の上話を聞くと、これ〱というから、あゝ不憫なものだ、小川村で非業な死を遂げた岸田右内の妻か、殊には夫を尋ねて来る途みちで、娘までかどわかされたか、如何にも気の毒な事と心得ましたから、直ぐに伊勢崎の名主へ掛り、八州へ願って、其の悪者をいろ〱と捜しました所が、三日ほど経ちまして縛られてまいりました悪者三人は、百々村の倉くら八と太田の金山かなやまの松五郎、今一人いちにんは江田村の源藏げんぞうで、段々お調べになると、其の者共の申口もうしぐちに、旅稼たびかせぎの親子連の者に金を三両宛ずつもらって頼まれたので、何と申すか其の者の名は知れませんと云うので、いろ〱お調べになったが、親子連れの旅人は更に行方が分りませんゆえ、三人の悪者は江戸表へ送られました。おかめと角右衞門は日数ひかずが長く掛りまして、伊勢崎に長くも居おられませんから、角右衞門が「私わしは沼田の下新田の者で、お前の兄あにさんにも逢わしてやるから、私の家うちへ来なさい」というので、一緒に下新田へ連れ帰りましたが、五日程かゝりましたから、下新田の角右衞門の宅では余り主人の帰りが遅いゆえ、案じくらして居ります所へ、

角「今帰けえったよ」

妻「おや良人あんたマアこんなに遅くなる訳はねえが、何処どけへ往ゆきやんした」

角「少し訳えあって、飛んでもねえ間違まちげえが出来て、此方こっちの災難見たような訳で、ハア大きに日数ひかずもかゝったから案じていべえと思っていたが、手紙も出さねえでハアどうも」

妻「そうでがんすか、多助も父様とっさまが帰けえらねえって心配しんぺえして、五八も案じているし、村でも心配しんぺえして、見舞みめえに来やすから、何も追剥に逢う筈はねえが、久しぶりで往ったんだから、木崎の親類で留められて居るんだんべーって云って居やんした、五八、われえ其所を片付けて盥たれえをあげろ、戸口に立って居りやんすのは誰だ」

と見ますと、年齢としごろは廿四五で器量はよし愛敬のある婦人でございますから、

妻「あんた此処えお掛けなせえ、お連れじゃありませんかえ」

角「あゝ、これは己が伊勢崎で合宿あいやどになったおかみさんよ」

妻「はアイー」

かめ「誠に不思議な御縁で、此の度たびは此方こちらの旦那様に助けられまして、行ゆき所もない身の上で、可愛かあいそうだと仰しゃってお連れ下さいましたものでございます、どうか行末長くお目を掛けられまして下さいまし」

女房はハイと云ったが、見馴ぬ女、殊に姿といい言葉遣いといい、近所の者でないから、

妻「旦那さん何処から此の方を連れて来やんした」

角「おれが保泉村を通りかけて、此の内儀かみさんの難儀を助けてから、余儀なく此の内儀さんの事にかゝって、泊って居るような訳で、五日銭屋へ逗留していたのよ」

妻「へえ、此の内儀さんと一緒に銭屋へ逗留していて、へえ、そうとも知らねえで、家うちじゃア案じていたのに、銭屋へ泊って此様こんな美くしい内儀さんと五日も逗留して娯たのしんでいたんでがんすか、良人あんたマア幾歳いくつになるだか」

角「馬鹿ア云え、此の内儀さんに災難せいなんがあって、伊勢崎の名主へ掛って、八州様へ頼んでいたのだ」

妻「八州様へ頼んだかお女郎屋へ頼んだか知んねえが、五日銭屋へ泊って居いれば知れたもんだ、ハア、だめな、家うちじゃア案じて居るものを、そりょう家を五日も明けてよくのめ〱と帰けえられた義理だかマア」

角「あゝ云う事をいう、マアおかみさん心配しんぺえしねえが宜いい、仕様のねえ婆ばゝあだ、四十面づらをさげて飛んだ事をいやアがって、マア貴方あんた心配しんぺえしねえがようがんす」

と云って少しも訳をおかめにも云わず、又女房にも云わないから、おかめは居にくうございます。四五日経つ中うち、雪が降りまして、道が絶えてしまいましたから、角右衞門はおかめを小川村へ連れて往って、鹽原角右衞門に逢わせたいと思っても、連れて行ゆくことが出来ませんので、其の年も暮れて、翌年寛延二年三月になりまして、角右衞門はおかめを連れて、小川村の鹽原の所へ尋ねて往ゆきますと、鹽原は去年九月の三日に此の村を出立したと云うから、あゝ、それでは直ぐに支度をして立った事かと思い、角右衞門も仕方がないから岸田右内の墓場へまいりますと、まだ新らしい卒塔婆が立ちまして、村の者が手向けますか、香花こうはなはたえずに上げてあります。其の石塔の前へまいりまして、

角「もしお内儀かみさん、此処へ来なせえ、お前めえの御亭主に逢わせてやるから此処へお出でなんしよ」

かめ「誠に不思議な御縁で、あなたがお助け下すって、今年まで御厄介になって居りましたが、兄も江戸表へ出立しましたとの事ですが、私わたくしの夫岸田屋宇之助は此の村に居りますか」

角「はい、これがお前めえの御亭主でがんす」

かめ「はい、何処に居ります」

角「そこに徹巖忠操信士てつがんちゅうそうしんしと書いてある、これがお前めえの亭主さ」

かめ「えゝ、それでは私わたくしの亭主は、あの亡なくなりましたのですか」

角「訳をいうのも気の毒だから、今までは云わなかったが、云わなけりゃア分らねえから云うべえが去年九月の二日、私わしが用があって金を持って千鳥村まで往くと、あんたの御亭主が後あとから来て、もし旅人さん〱というから、はいと云って振りかえると、私が主人の為に五十両入いるだから貸して呉れゝば、主人が江戸へ帰けえれる、損は掛けねえから貸して呉れろと手をついての頼みだが、見ず知らずの者に其様そんな事を云うのだから、盗賊どろぼうだと思って打ぶち撲なぐるべえと思ったら、お前めえの御亭主が脇差を抜いて追掛おっかける時に、私が打倒ぼっころんだ上へ跨またがって殺すべえとするから、一生懸命に人殺しい〱と云うと、其の時向山むこうやまを通り掛けたのは貴方あんたの兄あにさんで、鹿を打遁ぶちにがして帰けえる路みちで、私等わしらを見て盗賊どろぼうが旅人に掛ったのだと思って、鉄砲を撃って、其の玉が宇之助さんの胸へ当って、現在自分の家来けらいと知らずに兄あにさんが鉄砲で打ぶったと云って、おい〱泣きやんすから、私わしも気の毒になって、死骸しげいを小川村へ送って往って身の上話をすると、あんたの兄あにさんも、私わしも元は先祖が一つで、一人は沼田へ出て百姓になり、一人は阿部様の家来けれいに成って又此処で巡り逢おうとはハア実に驚いた訳で、不思議な縁でがんすから、私わしが五十両遣るべえと云った処が、受けねえと云うから、何うしたら宜かんべいと思って、岸田が犬死になって可愛そうだから、独息子ひとりむすこを無理無体むりむていに貰って来たのが家うちにいる多助さ、あんたの為には甥でがんす、其処そけえ又貴方あんたを私わしが助けて、家いえに連れて来て見れば伯母甥が斯うやって一つ所に来て、委くわしい話をすると云うのは、前世からの約束と諦めて、あんたも御亭主さんの死んだ事は、何時までも鬱々と思っていて身体にでも障るといけねえから、諦めておくんなんし」

かめ「誠にそう云う事とは知らず、連の者が先へ帰って来ても良人やどでは帰って来ませんから、何うした訳かと案じて居りましたが、田舎では其の地に長らく居りますと、養子にすると云う事を聞きましたから、良人やども外ほかへ養子にでも往ったのではないか、女房子を振捨てゝ、他ほかへ養子に入はいるとは余あんまり情ない不実な人と怨んでいたのは私わたくしの過あやまり、良人つれあいが左様そういう訳になりまして、唯たった一人の娘を勾引かどわかされましては生甲斐のない身の上、寧いっそ一思いに死にとうございますから、先刻さっき来る道にありました谷川へ身を投げて死にますから、貴方あなたはお先へお帰り下さいまし」

と泣倒れますから。

角「そんな馬鹿な事を云うもんじゃねえ、あなたの娘は勾引かどわかされても、死んだか生きているか知んねえのだから、それよりも私わしが家うちへ帰けえって多助と両人ふたりで娘の行方を捜し、私も亦捜してやるから、手分をして尋ねたらおえいさんとやらにも逢えねえという訳もねえから、今早まって命を捨てるよりも、生いきていて、死んだ宇之助さんの菩提ぼでいを弔うのは貴方あんたと多助ばかりだ、何卒どうぞ私の云うことを聞いて下さい、よう〱」

と云われて、おかめは「はい〱」とばかりで泣いて居りましたが、角右衛門の言葉も捨兼ねて、是非なく両人ふたりで沼田へ帰って参りましたが、扨さてお話両ふたつに分れまして、鹽原角右衞門は其の前年の九月の三日に小川村を出立致しまして、沼田の御城下に泊りまして、翌日は前橋に泊り、其の翌日が熊ヶ谷泊りで、それから鴻の巣、桶川と中仙道を下りましたが、足弱あしよわの連で道も捗取はかどりませんので、天神橋へ掛りますと日はトップリ暮れ、足は疲れましたから御新造は歩けませんから、蔦屋という茶屋へ寄りました。

鹽「誠に困ったものだなア、足は痛むかな」

清「へい、幾ら薬を付けても癒なおりませんので困ります」

鹽「誠に草鞋喰わらじくいと云うものは悪いものでな、其の癖山道は歩きつけていたが、平地ひらちは却かえって草臥くたびれるというのは何ういうものだろう、これ〱女中、これから大宮宿までは幾程いくらあるな」

女「これから一里四町ありやんすが、ハア日は暮れてお困りでがんしょう」

鹽「当家では泊めて呉れまいかな」

女「こゝな宅うちではハア堅かとうごぜえやすから、どんな馴染のお客でも泊めましねえから三味線さみせんや芸はいりやしねえよ、私わしどもは堅かてえ家うちでなくっちゃア勤まりましねえ、其の代りにゃアこゝな家は忙がしくて、庭の中うちを一日に十里位ぐれえの道は歩くから、夜は草臥れて顛倒ぶっくりけえってしまうのサ、それから見ると熊ヶ谷いの女共は柔やあらけえ着物を着ていて楽な代りに、此家こゝへ来ると三日も勤まりやせんで、ハア誠にどうも何もごぜえやせん、玉子焼に鰌汁どじょうじるに生節豆腐なまりどうふでハア」

鹽「よし〱、何でも好いいから早く」

と云うので、此の家うちで支度を致しまして、

鹽「これ〱女中勘定をしておくれ、これお清、此の包をお前持って往ってお呉れ、これは端銭はしたで出して置くから、これは私わしが持って行ゆく」

と云いながら荷を分けて居りますと、側にいた年齢としごろ廿二三で半合羽はんがっぱを着ている商人体あきんどていの男が、草鞋の穢よごれたのを穿はいて頬冠ほうかむりをしながら、此の男も出に掛りますと、突然いきなり傍にあった角右衞門の風呂敷包を引攫ひっさらって迯にげましたから、角右衞門は驚きまして、盗賊どろぼう待てと云いながら追掛けました。彼是一町余りも追掛けて、加茂宮村という所から西へ別れて加村かむらまで三町ばかり追掛けましたが、鹽原は最早間に合いませんから 脇差にあった小柄をズッと抜いて手裏劒しゅりけんに打ちますと、打人うちては名におう鹽原角右衞門の腕前ですから、狙い違たがわず悪者の右の太股へ立ちましたから、アッと云って畑へたおれました所を、角右衞門は悪者の髻たぶさを取って引仆ひきたおし、

鹽「やい盗人ぬすっと、旅中りょちゅうの事ゆえ助けて遣るまいものでもないが、包をよこせ」

悪「はい〱貧ひんの盗みでございます、どうか命ばかりは助けて下さい」

鹽「黙れ、貧の盗みだなどと申し、左様な事に欺だまされるようなものではない、今度は免ゆるして遣わす、以後たしなむか」

と云いながら、側にあった榎えのきの根株へ頬片ほっぺたを擦こすり付けますから悪者は痛くて堪たまりません。

悪「どうか御勘弁を願います、盗賊どろぼうではございません、実は私わたくしの母親おふくろが眼病で難渋して居ります、それに七歳なゝつになる妹がございまして生計くらしに差支えますから、母親に良薬いゝくすりを服のませる事が出来ませんので、何卒どうかして良薬を服ませて癒して遣りたいと思いまして、実は今日こんにち鴻の巣まで薬を買いに参りまして、天神橋の蔦屋で休んでおりますと、旦那様が荷物をお分けなすって、これだけは端金はしたで出して置くと仰しゃったのを側で聞いておりまして、不図ふと悪い了簡を出して、お包を持って迯にげましたが、中にお書付でも在あってはお気の毒でございますから、今晩のお泊りへ持って出て返そうと思って居りましたのでございます、誠に悪い事を致して済みません、どうか御勘弁を願います、足が痛くて歩けませんから、どうか小柄をお抜きなすって下さいまし」

と泣きながら申しますと、

鹽「成程賊という者は様々のことを云うものだな、先刻せんこく荷物を攫さらって往ゆく様子が貧の盗みとは思えんわい」

悪「いえ真実ほんとうの盗賊どろぼうではございません、其処が私わたくしの家うちでございますから、嘘だと思うなら往って御覧なすって下さい」

と云いいながら、ダク〱血の流れる足を引摺ひきずって、上総戸かずさどのもとにいざり寄り、

悪「お母っかア、お前の眼病を治そうと思って飛んだことを致しました、此のお侍様さむらいにお詫言わびごとをしておくれよ」

と云いながら戸を明けますと、四十三四の母が眼病の様子にて、其の側に七歳なゝつぐらいになる女の子が居ります側へ這いより、

悪「お母ア〱、お前の病気を癒そうと思って済まねえ事と知りながら悪い心を出して、此処にいる旦那の荷物を奪とろうとする所を捕つかまって、今お詫をしている所だ、お母アお前もお詫をしておくれ、お母ア〱よう〱」

母「何か悴せがれが不調法を致しまして申訳がありません、何卒どうぞお免ゆるし下さいまし」

鹽「これは手前の宅か」

と云って居る所へおせいも駆けて参りまして、

鹽「よくお前来たねえ」

清「はい、様子が分りませんで心配になりますから参りましたが、アノ包はございましたか」

鹽「なに、包は奪とられはせん」

母「何方様どなたさまでございますか、さっぱり見えませんが、どうか御勘弁を願います、不届至極な奴でございます、サアこれへ来い〱」

といいながら悴の髻たぶさを取って引寄せまして、三つ四つ続け打うちに撲うちました。

惡「お母っかア勘忍してくれ〱」

母「勘忍して呉れと云って、コレ手前も元は禄を取った者の子ではないか、仮令たとい如何に貧乏すればとて、人様の物を奪とっては亡なったお父様とっさまに済まない、どういう了簡でそんな事をした」

と泣きながらむしりついて打擲ちょうちゃくしますから、側に見ていた鹽原角右衞門も気の毒に思いまして、

鹽「お母ふくろ免ゆるして遣って呉れ、これが貧の盗みだという事だから、併しかし仮令たとい親の為でも人の物を取るのは宜しくないぞ、以後斯様こんな事があってはならんよ、これは少しばかりだが、小児こどもが怖い〱と云って泣いているではないか、さ、これは聊いさゝかだが小遣いに遣るから何か好きな物でも母はゝに買って遣れ、だがそれと知らず気の毒なは足に手裏劒を打ったから嘸さぞ痛むであろう、余程痛むかな、それは貴様が心得違いをした故仕方ない、よし〱これで別れる」

母「どう致しまして、悴が悪い事を致したのに金子を戴くなんぞという事は出来ません」

鹽「少しばかりだが取って置け」

惡「はい〱お母っかさん折角の思召だから戴いて置きな」

母「面目次第もございません」

と云いながら親子の者が夫婦を見送りまして礼を申します。此方こちらも取急ぎますから出て行ゆきました。親子は上総戸かずさどの所まで鹽原夫婦を見送り、雨戸を閉たて、顔見合わせ、彼かの母親おふくろは眼病だと云ったのが眼をパッチリ明きまして悴に向い、

母「間抜、どじをふんじゃアいけねえじゃねえか」

惡「えゝ悉皆すっかり遣り損なってしまった」

母「躄びっこに成ってしまって高飛をする時どうする積りだ」

惡「此の小柄は滅法に痛いてえや、お母っかア彼奴あいつは今夜大宮の栗原へ泊ると云ったから、今夜後あとから往って意趣返いしゅげえしに仕事をして来るからよ」

母「よしねえ〱、お前めえのすることは何てもどじばかりで仕様がねえ、又遣り損うといけねえから止しねえよ」

と親子で争っている所へ、ガラッと戸を明けて来たのは繼立つぎたての仁助にすけという胡麻の灰。

仁「お母ア何しろ此処にいる事は出来ねえ、あの子を勾引かどわかした事からづきがまわったという訳は、百々村どゞむらの倉くら八と金山かなやまの松まつと江田村えだむらの源藏げんぞうが捕まって、己達へ足がついて来たから、直すぐに逃げなくっちゃアいけねえぜ」

母「それ見ねえな、躄に成って何うするんだい、此処に薬があるから附けねえな」

仁「どうしたんだい小平こへい兄貴、やア何うしたんだ」

小「なアに詰らねえ仕事を仕損なって」

母「此の野郎は遣り損って足へ小柄を刺されて、痛くって逃げる事が出来ねえ、本当に半間はんまな野郎で仕様がねえよ」

小「其代りにゃアこれから此の小柄を持って行って、足を痛められただけの仕返しけえしをしなくっちゃならねえ」

と言っている所へガラリッと戸を明け、鹽原が息を切って参りまして、

鹽「今小柄を忘れて行ったから返して呉れ」

と云われたから、今まで眼を明けて居たおかくは急いで眼を閉ふさいでしまい、小平もまご〱して、

小「へい小柄は此処にあります」

と差出すのを受取って鹽原は脇差へはめて、

鹽「考えて見れば誠に気の毒な事をしたな」

と云いながら急いで帰って往ゆきました。

母「これだよ、する事為す事半間じゃねえか、彼あの侍の金を取って、足へ小柄を刺されやがって、これを取りに来ればハイと云って渡すんだもの仕様がねえじゃねえか、このどじさをよ」

仁「そうサ、小平兄い失錯へま遣っちゃアいけねえぜ、何なんしろ此処には長くは居られねえから、是から信州路へ掛るにゃア秩父へ直すぐに山越やまごしして逃げよう」

と悪者三人相談して、勾引かどわかしたおえいを脊負おぶいまして、此処を逐電致しましたが、悪事というものは遁のがれ難いもので、再び追手に掛りますというお話になります。此方こなたは鹽原角右衞門夫婦、其の夜よは大宮宿の栗原と申す旅籠屋はたごやに泊り、翌七日江戸に着し、本郷ほんごう春木町はるきまちに参りまして、岸田宇之助方を尋ね、妹おかめに逢い、右内が変死の事と、其の事より沼田の百姓角右衞門に五十両貰い受け、支度をして帰府致した事を知らせようと右内の家うちを捜しますと、近辺の者の申すには、おかめは宇之助さんが帰らないから世帯しょたいをしまい、此の月の三日に子供を連れて旅立たびだちしたと聞いて鹽原夫婦は残念に思いましたが、返らぬ事故ゆえ、直すぐに筋違橋内すじかいばしうち戸田能登守の家来野澤源作のざわげんさくと申す者は、妻お清が従弟どちなれば、是を便り戸田侯へ奉公ずみ致し、新地五十石にて馬𢌞り組に召抱えられましたが、翌寛延二己巳つちのとみの四月、御主人は野州やしゅう宇都宮より肥前の島原へ国替仰付けられ、鹽原も戸田侯の御供を致しまして国詰の身と相成りましたから、とんと沼田下新田の角右衞門方へ音信おとずれは打絶えましたが、再び実子多助に𢌞めぐり逢いますお話は、一息つきまして申し上げます。

四

引続きますお話は鹽原多助一代記でござります。是は文化文政の頃まで大評判おおひょうばんのもので本所相生町に居りまして地面の廿四ヶ所も持ち、炭薪の大問屋でございますが、わずかの間に儲け出し、斯様な大身代おおしんだいに成ったと申しますが、なんでも其の頃は未だ世の中が開けぬ時分でございますが、当節は追々開けてまいり、仕合せの事には大火という者が頓とんとございません、是は家造やづくりが石造いしづくり或あるいは店蔵みせぐらに成ったり、又は煉瓦造に成りましたので、マア火事がございましても、焼ける道が塞がって居りますから、大きな火事がございませんが、開けぬ昔は折々大火がございました事で、丑年うしどしの火事、午年うまどしの火事、或は佐久間町の三味線屋火事さみせんやかじなど種々いろ〱大火もございました。其の中で一番大きいのは本郷丸山本妙寺火事、目黒行人坂ぎょうにんざかの火事、これは皆様方みなさんがたも御案内の事で、それに赤坂の今井谷から出まして、麻布十番から古川雑色綱坂ぞうしきつなざかを焼払い、三田寺町、聖坂ひじりざかから三角かくへ掛け、田町へ出まして、これが品川で鎮火致しました、大きな火事でございましたが、これが宝暦十年二月四日の夜よに出まして、一日おいて又六日に出火致しましたのが神田旅籠町から佐久間町を残らず焼払い遂に浅草茅町かやちょう二丁目まで延焼し、見附を越して両国へ飛火とびひ致し、両国一面火になって、馬喰町ばくろちょうを焼き、横山町三丁目残らず、本町通ほんちょうどおりを出て日本橋通りから江戸橋の方へ焼け、四日市小網町一面の火になり、深川へ飛火いたし、深川一面の火となり、漸く鎮火致しました。すると、其の翌晩また芝神明前しんめいまえから出火致しまして、芝片門前かたもんぜん本芝ほんしば残らず焼払って、お浜で鎮火致し、たった二日の間に江戸大半を焼き尽しましたが、これは開けぬ昔のお話で、只今斯様な事はございません。田舎のお話も此の時分のお話を致しますと、とんと嘘のように聞えます。沼田下新田などと申しますと甚しい山国の片田舎のようでございますが、只今では沼田から前橋まで人力車で参られ、前橋から汽車に乗り、ピイと上野まで忽ちに来られ、一日の内に東京から往復ゆきかえりが出来まする事で、追々開けて参りました故、これからは鉄道が日本国中へ蜘蛛の巣を掛けた様になりますそうですが、マア何どの位便利になるか知れませんが、其の頃は一寸ちょっと旅立するにも中々億劫おっくうな事で、田舎のお方が江戸見物に出るにも泣きの涙で出ましたもので、江戸ッ子が上方見物に往ゆくにも実に億劫なことに思い、留守中何ういう事のあろうも知れぬ、万一これが永い別れになるかも知れないと云って、水盃などをして、刺青ほりものだらけの侠いなせな兄いが、おい〱泣きながら川崎辺あたりまで送られてまいり、

朋輩「そんなら達者で往って来なよ」

男「お母っかあの事を留守中何分頼む」

なぞと云って泣き出しまする。これが遠国へでも往ゆくのかと云うと、僅か百三十里ばかりの処へ往ゆくにも此の通りでございますが、現今ただいまでは大違いで、「君鞄を提げて何処へ」「いや鳥渡ちょっと亜米利加まで行って来ます」などと云うような訳で、隣の家うちへでも行ゆくように思っていらッしゃいますが、其の頃沼田下新田と申しては随分山国の片田舎でございました。さておかめは角右衞門に連れられて此処へ参りまして、一年半ばかり居ります中うちに角右衞門の女房が歿みまかりましたが、角右衞門も未だ老朽おいくちる年でもなく、殊に縁合えんあいになっているおかめさん、多助さんにも叔母さんに当るそうだから、これを後添に直したら宜かろうと村の者等が切しきりに勧めまするが、角右衞門は中々堅固な人だから容易に承知せず、あんな年の違っている若い女を女房に持っては世間へ対して誠に宜しくないからと云って聞入れませんのを、そうでない、貴方あんたの跡目相続をする多助さんの叔母なり、殊に彼あの子を可愛がって宜く世話をしなさるから女房に持つがよいと、分家の者始め村方一同の勧めに、止むを得ず承知いたし、不思議な縁でおかめを後妻のちぞえに直しました。これから十二年経ちましてのお話で、丁度宝暦十年に相成りますから、角右衞門は年が五十四歳になりました。五八という奉公人を供に連れ、江戸見物ながら余儀ない用事があって国元を出立致し、馬喰町に宿を取って居りますると、二月四日の大火で、赤坂今井谷から出火し、品川まで焼け込んで鎮火したと申しますから、怖おっかねえこんだと思って居ると、又一日隔たって神田旅籠町から出た火事は、前ぜん申上げました通り故、角右衞門も馬喰町を焼け出され、五八は大きな包を脊負しょってせっ〱と逃げ出しましたが、往来々々アリャア〱などと云いながら、大きな荷を担かついで右往左往に駈け𢌞る。此方こちらからはお使番つかいばんが馬に乗って駆けて来る。仕事師は纒まといを振り鈎かぎをかついで威勢能よく繰出してまいる騒ぎに、二人はまご〱しながら漸く逃出しましたが、行ゆき所がありません。

五「旦那さん怖おっかねえじゃねえか、一昨日おとゝい大でっけえ火事があって、又今日こんな火事が始まるとは怖ねえこんだ、江戸は火早いと云いやんすが、こんなに大けえ火事がこう続いてあるとは魂消たまげやした、火には追掛おっかけられるようだよ、危あぶねえとも危あぶねえとも、あんな何うも先の尖った鳶口を担いで駆けていやすから、頭へでも打ぶッつけられて怪我でもしては大変ていへんでがんす、旦那さん何処へ逃げやすか」

角「己も始めて江戸へ出たのだから困った、仕様がねえが此の間一度尋ねた小網町の積荷問屋な、彼処あすこへ行ゆくべい」

とこれから小網町へ参りますと、此の火事が日本橋から江戸橋、四日市、小網町へ焼け込んで参りましたゆえ、角右衞門は又此処を焼け出されました。

五「怖おっかねえ処だ、江戸てえ所にゃア二度と再び来る所じゃねえ、火に追おっかけられて居るんだねえ、旦那さん何処へ逃げべえか」

角「仕方がねえ、外ほかに往ゆき所どこもねえから深川の出船宿でふねやどへでも行ゆくべい」

と深川高橋までまいり、ホッと一息吐つく間もなく、又此の火事の飛火とびひがしまして、深川一面の火となり、火の粉がばら〱落ちかゝりますから、

五「旦那さん、又何処へ逃げべえねえ」

角「何処へも行ゆきようがねえ」

五「あゝ二度と再び来る所とこじゃありやしねえ」

角「仕様がねえ、馬喰町は焼けてしまったから、板橋へでも往って泊るべえ」

五「板橋まで焼けて来やしねえか」

角「そうしたら沼田へ帰けえるべえ」

五「沼田まで焼けて来たら何うする」

角「馬鹿言え」

と言いながら二ツ目の橋を渡り、お竹蔵辺あたりまでまいり、ホッと一息吐きながら後うしろの方を見かえせば、天は一面に梨地の色を現わし、火事の明りで往来を見え透き、人々皆疲れて一人いちにんも出るものはなく、往来はパッタリ止ってしまいました。夜よも段々と更け、以前のお竹蔵前で当今交番所のある所から割下水の方へ掛りますと、女の金切声で、「アレー人殺し〱」というから、角右衞門は気が付き向うを屹きっと見ますると、一人いちにんの悪者が島田髷の女を捕えて打擲ちょうちゃくするのみならず、娘の持ったる包を引攫ひっさらって逃げ行ゆきました。跡に娘は泣き仆たおれて居りましたが、何思いましたか起上り、前なるお竹蔵の大溝おおどぶへ身を跳おどらして飛込もうとする様子に驚き、角右衞門は親切な男ゆえ、駈け寄って突然いきなり娘の帶際おびぎわ取って引留め、

角「おい娘子むすめっこ、お前めえ此の溝どぶへ飛込むのか、身投じゃねえか、何だか様子は知んねえが、男がお前めえの荷物を攫って逃げ、それに大そう打ぶたれた様子だが、一体何ういう訳でがんす」

娘「有り難う存じますが、どうぞお放しなすってくださいまし、私わたくしは深川の火事で焼け出され、母親おふくろと一緒に逃げて参りまする途中、母親おふくろにはぐれ、一人ひとりで此処までまいりますと、跡から附けて来た悪者が突然いきなり私わたくしを突仆つきたおし、撲ぶち打擲致しまして、大事な荷物を持って行ってしまいましたが、彼あの中には金子かねも入って居り、殊に大事な櫛笄かんざしや衣類も入って居ります故、あれを取られましては母親おふくろにどんな苛ひどいめに逢わされ、殺されますか知れませんから、寧いっその事死のうと思うのでございます」

角「まア待ちなせえ、私わしは田舎者で、始めて江戸へ出て来たもんだが、宜く物を考えて見なせい、盗賊どろぼうに荷物を取られるくらいは災難とはいいながら些細ささいの事だ、此のマア大でっけえ江戸の火事を見なせえ、何千軒とも知んねえ家うちが焼け、土蔵倉を落す中で、盗賊どろぼうに包を取られた位ぐらいはなんでもねえに、母親おふくろに済まねえからと云って此の溝へ飛込んでおッ死ちぬとは、年はいかねえが余あんまり分別がねえ話だ、お前様めえさんがお母様っかさんに逢って斯ういう訳の災難せえなんで取られたと云って、あんたが詫事わびごとをしたら、お母様っかさんも聞かない事もあんめえ」

娘「でも何うぞお殺しなすって」

角「馬鹿な事を云わねえもんだよ、あんたがお母様っかさんに云いにくければ、私わしが一緒に往って詫事をして上げべえから、あれさ、マア心得違ちげえをしちゃいけましねえ」

と留とめるも肯きかず、娘は泣いて身をもがき騒ぎまするに困り果て、

角「仕様がねえな、五八や〱、此処こけへ来こう」

五八「何あんだかねえ」

角「早く此処こけへ出て来こう、何処え往った」

五八「己おらア人殺し〱と云うから、怖おっかなくって堪たまりやしねえから、此処こゝに引下ひきさがって居りやすのだ」

角「今此の娘子むすめっこが身い投げようとして、留めても肯きかねえから此処こけえ来て手伝って押おせえてくれ」

と言われ五八出て参り、

五八「なに身い投るって、止しなせえ、止すが宜ええよ、此んな小ちっけえ所とこへ這入へえって死ねるもんじゃアねえ」

角「なアに母様かかさまに済まねえから身い投るだって」

五八「よすがいゝよ、死んじゃア命がなくなるよ」

角「当然あたりめえの事だ、娘ッ子私わしア田舎者ですが、此の火事に焼け出され、彼方此方あっちこっち迯𢌞にげまわって、包を背負しょったまゝ泊る所もねえので、此処らをうろ〱して居る所だが、貴女あんたの死のうとするのを見掛け、どうも此の儘見捨てゝ往ゆく訳にゃアいきやしねえから、貴方あんたの家うちまで一緒に送って上げやんしょう」

娘「有難うございますが、私わたくしも焼出されて家うちはないのでございます、赤坂の火事で焼け出され、深川櫓下の親類共へ参って居りますと、今晩の火事で焼けてしまい、行ゆき所どこはございません」

角「仕様がねえ、困ったもんだアねえ、どうか捜したら知んねえ事もあんめえ」

五八「何うか捜したら知んねえ事もあんめえ」

角「私わしらも馬喰町から焼出され、小網町から高橋の方へ逃𢌞って泊る所ところもないが、何しろ此処は往来だから、マア一緒にお出でなせえ」

五八「此処は往来だから、マア一緒に来なせえ」

角「なんだ同じ事ばかり言っていやアがる」

と三人連立ち、山の宿しゅくへまいり、山形屋と申す宿屋へ泊り、段々娘に様子を聞くと、

「私わたくしは三田の三角のあだやと申します引手茶屋の娘で、お梅と申す者でございますが、おかくと申す母と二人で深川櫓下の親類内に居りますると、又焼出され、逃げる途中母親はゝおやにはぐれてしまい、先刻さっきの男に包を奪とられましたが、あの中には金子もあり大切な櫛簪に衣類も入って居りますから、あれを奪とられた事を母が聞きますれば、どんなに詫びても許す事じゃアございませんから、何卒どうぞ身を投げますからお見逃しください」

とばかり云って居りますゆえ、角右衞門も困り果てゝ、

角「困ったもんだねえ、何しろ捜して見ましょう」

と外ほかに仕様がございませんから、当てもないことでございますが、三田の三角へ尋ねに行ゆきますのに、若い娘を一人置いて、心得違いな事でもあってはならんと存じまして、五八を附けて置き、角右衞門は出掛けまして、三角から深川を彼方此方あっちこっちと三日の間捜しましたが、とんと心当りもなく、鼻の穴を黒くして、埃だらけになって帰ってまいりました。

五八「お帰んなんし、旦那さん知れやしねえかね」

角「知んねえよ、どうも困ったもんだ、あの何とか云ったっけね、姉あねさんまア此処こけえお出いでなせえ、あんたも知っての通り、今日で三日の間捜しやすが、なにしろ焼け原べいで尋ねる所もなし、自身番へかゝって尋ねても何うも知んねえ、誠に困ったもんだが、斯んな事を云って気にしちゃアいけねえが、是程の火事だって、なんぼ私わしらが田舎者だッて、こうやって手間をかけて尋ねて知んねえ訳はねえが、何しろ大火の事だから、お母様っかさんも己おらと同じ五十の坂を越している人、殊に女のこっちゃアあるしするから、殊によったら焼原へ突飛されて、おっ転んだ上へ人がぶち乗って、マアそんな事もあんめえが、焼け死んだような事があったら、貴方あんたの身の上は何処へ連れて参めえったら宜いいか知んねえから、それが心配しんぺえでなんねえ」

娘「御親切様、有難う存じます、私共わたくしどもの母親おふくろは事によったら焼け死んだかも知れませんが、焼け死にますれば、私わたしの身体は身抜けが出来て、却かえって仕合しあわせでございます」

角「馬鹿なことを云うもんじゃアねえ、年イいかねえって、母様かゝさまに小言云われるのが辛つれえもんだから、焼け死ねば宜いいなんぞと、苟かりそめにもそんなことを云っちゃア済みやしねえよ」

娘「いえ、本当の母親おふくろではございません、嘘の母親でございます、それに心得違いな人で、悪い事ばかり致し、私わたくしは幼ちいさい内から育てゝくれましたから仕方なく附いて居りますが、ヤレ妾に出ろの、それが否いやなら女郎に売るのと無理難題を申し、まだそれ計りではありません、阿兄あにきと云う者がございますが、私には義理ある兄でございまして、私のような者を捕え猥いやらしいことを云いかけますが、仮にも兄弟でそんなことは出来ませんと衝放つッぱねましたら、私を憎み出し、母親と二人して虐いじめますゆえ、四五年前から駈出してしまおうかと思いましたが、参る所もないので、仕方なく悪党の親子の側に喰附くッついて居りますが、母親が焼死やけしにますれば、どんな辛い奉公をしても、私は堅気になりたいと思って居ります」

角「そりゃアえれえこんだが、何か外に親類でもあって、預けて往ゆく所はありやしねえか」

娘「私わたくしには、親も兄弟もない者を助けて幼ちいさい内から育てたのだと母親おふくろが申して居りますから、何なんにもございません」

角「いくつ位から育てたのでがんす」

娘「七歳なゝつのときから育てたのだと申します」

角「でも実の親が有りやしょう」

娘「あるのでございましょうが、何処に居りますやら一向私わたくしには分りません」

角「こりゃア困ったが、実の母様かゝさまの名は何と云いやすか」

娘「なんと申すか存じません」

角「それじゃア尋ねる手掛りがねえが、実のお父とっさんの名も知れねえかえ」

娘「親父おやじの名は私わたくしの少ちいさい時分懐に抱いて寝ていながら、迷子にならないようにと口で教えたことを幽かすかに覚えて居ります、本当か嘘かしりませんが、慥たしか本郷春木町味噌屋の裏で岸田宇之助の娘おえいと云えば、はぐれないと云われた事が耳に残って居ります」

角「なに岸田宇之助の娘だと、はてね、そんなら慥たしか十三年あと保泉村の原中で賊のために勾引かどわかされた岸田屋宇之助さんの娘おえいさんか」

娘「はい、貴方はどうして御存じ」

角「これは魂消たまげた、五八なんとマア不思議なことだのう」

五八「どうもマア不思議なことで、おえいさんが出て来るとは不思議なわけだ、して見ると此の火事も中々好いい火事だ」

角「ええ、まア心配しんぺいをぶたねえでも、貴方あんたの実の母様かゝさまは達者でいるから、逢わせてやるべい」

娘「ほんとうのお母様っかさんに逢わせて下さいますと」

角「それには種々いろ〱訳があるが、話は家うちへ帰ってから緩ゆっくりしべい、己は沼田の下新田という山国だが、お前さんの実のお母様っかさんは己が家うちにいるんだ」

娘「どうもマア不思議な御縁で、どうぞお伴つれなすってくださいまし」

角「実に不思議な縁だ、構わねえで往いきやしょう、其の母様かかさまは尋ねないでもいゝ」

と急に支度をして三人連立ち、道ではお榮には何も深い話もせず国へ帰りましたが、国の方では江戸は大火事で、江戸中丸で焼けてしまったようなことを話して居る所へ帰りました故。

かめ「おやまア旦那お帰り遊ばせ、江戸は大火事であったと云いますから、お怪我でも無ければいゝと何どんなに心配をして居りましたろう、なんだか江戸は残らず焼けてしまったようなことを申しますし、又後あとで聞けば、観音様は残っているという人もあり、どんなに心配していましたか知れません、五八さん大おおきに御苦労だった」

五八「へい只今戻りやした、どうも江戸はえれえ怖おっかねえ所で、なか〱好いい所だと云うのは嘘でがんす、側から〱火事が追掛おっかけて来て、彼方此方あっちこっち逃𢌞って、漸くのこんで帰けえってめえりやしたが、孫子の代まで遣る処じゃアありやしねえ」

角「おかめ、江戸へ往った土産に好いい物を連れて来た、おい此方こっちへおはいんなんし」

かめ「おや何処から連れて来たの」

というに、角右衞門は娘に向い、

角「こりゃ己おらア嚊かゝアだ」

娘「これはお初にお目にかゝります、私わたくしは旦那様のお蔭様で此方こちらへまいりました者、何分宜しくお願い申します」

かめ「そうでございますか、こんな山の中へ宜くマアお出いでだねえ、久し振で江戸の風ふうを見たが、何うもいゝ器量だこと、年は幾許いくつ、なに十九だとえ、オヤそう、焼け出されてそれで、それはマアお気の毒な、旦那これは何処の娘です」

角「これは十三年あと、保泉の原で勾引かどわかされたお前の娘のおえいだよ、よく顔を見ろ」

かめ「なにえー」

角「これがお前めえの実の母親おふくろだアよ」

と云われ、親子は思い掛けなき再会に、おかめは娘の手を取ってつく〲顔をながめながら、

かめ「旦那様、どうして此の子を連れて来て下さいましたか」

角「なんとマア不思議なわけで、此間こねえだの火事の時、此の娘こも焼出され逃げる途中母親おふくろに別れ、一人で来る後うしろから悪者に附かれ、持っていた包を奪とられ、母親に済まないという所から身を投げようとする所へ己おれたちが通り掛り、助けた上で様子を聞けばこれ〱という話に、己も飛立つばかり嬉しく思い、直すぐに連れて来たんだが、何なんと嬉しかんべい」

かめ「どうもまア思いがけない事、大層大きくなったんで、一寸ちょっと表で逢ったって知れる気遣いはありません、お前が七歳なゝつの時、私がお前を負おぶい、馴れない旅をして、お前は勾引かどわかされ、私は悪者のために既に殺されようとした所を、こゝの旦那が助けて下さり、それから後御厄介になり、今でも何一つ不足はないが、暑いにつけ寒いにつけ朝夕共にお前の事を些すこしも私は忘れた事はありません、本当にマア幼な顔を見覚えているよ、旦那の前でこんな事を云って誠に済みませんが、先せんの配偶つれあいの宇之助さんに誠によく似て居りますよ、どうもマア本当に思い掛けない事で、夢のような心持です、一寸立って見なよ、まア大きくなったこと、そして風ふうのいゝこと、一寸坐って見なよ、一と𢌞り𢌞りなよ」

なぞといろんな事を申し、先まず安心して、先せんの名を呼ぶがいゝと、これから名をも改め、おえいと呼び、多助とは従兄いとこ同士の事故ゆえ、行末は、〔欠字〕めあわせるの心得で、二月の末から五月の頃まで中よく日を送りました。一日あるひ角右衞門が多助に云うのに、おえいがまだ御城下を見たことはあんめえから、一緒に連れていって見せて来こう。沼田は土岐様の御領地でございます。多助はおえいをつれて参り、見物させて帰ってくると、其の跡から続いて内へ入って来た男は、胴金造りの長物ながものをさし、菅すげの三度笠を手に下げ、月代さかやきを生し、刷毛先はけさきを散ちらばし、素足に草鞋を穿はいて、

男「はい、御免ねえ」

五八「ヒエー何所どこから来た」

男「鹽原角右衞門さんと云うのは此方こちらでごぜえやすか」

五八「へい、此処でごぜえやす」

男「今こゝの家うちへ二人連れで這入へいった若いお方は此方こちらの若旦那でございますか」

五八「へい、今こけえ這入はいったのは己おらア家うちの息子どんの多助さんだが、なんだえ」

男「その若旦那と一緒に附いて這入へいった美くしい姉ねえさんは此の家うちの娘でございやすか」

五八「己おらア家うちのおえいさんと云う娘さんだが、なんだえ」

男「へい、そうですか、そんならお前さんのところの娘に違ちがえねえのだね、おいお母っかア、こっちへ入へんねえな」

婆「はい御免なさい」

と云いながら這入って来た婆アは、年頃は五十五六で、でっぷり肥ふとり、頭を結髪むすびがみにして、細かい飛白かすりの単衣ひとえに、黒鵞絨くろびろうどの帯を前にしめ、白縮緬のふんどしを長くしめ、鼠甲斐絹ねずみがいきの脚絆に、白足袋麻裏草履という姿なりですから、五八はいろんな人が来るなアと呟やいて居ますと、

婆「角右衞門さんというお方にお目にかゝりてえもんだねえ」

五八「己おらア旦那は高平村まで用があって往ゆきやして居りやしねえ、若旦那べいだ」

婆「そんなら若旦那に一寸ちょっとお目に懸りとう存じます」

五八「多助さん、何んだか知んねえが、貴方あんたに逢いてえという人が来やした」

というに、奥より出て来る多助は今年廿歳はたちで、おとなしやかな息子で、慇懃に手をつかえ、

多「生憎あいにく親父おやじは居りましねえが、お言置いいおきで宜しいことなれば、私わたくしが承わり置きまして親父に申聞もうしきけましょう」

婆「貴方あなたは御子息さんでございますか、只今貴方と一緒に此処の家うちへ這入りました娘は、此方こちらの娘子むすめごだと此の御奉公人が云ったそうでございますが、一体あの娘は何方どちらからお貰いなさいましたか、それを承わりとうございます」

多「いえ、貰った訳ではございません、あれは私わたくしの家うちの先せんからの娘でござります」

婆「お惚とぼけなすっちゃアいけません、ありゃ私の娘だよ、私わたしア三田の三角のあだやと云う引手茶屋のおかくという婆アだが、あれは私の大事な金箱娘かねばこむすめ、此の二月大火事の時深川を焼出され、迯にげ出す途中ではぐれてしまい、今日が日まで行方が知れないから、〔欠字〕々だん〱手分けをして捜がしたが、何うしても知れなかったのが、不図山の宿の山形屋という宿屋に泊っていた客が、娘を連れて沼田のこれ〱の処へ一緒に帰ったと聞いた故、私も娘がいなけりゃア商売も出来ない事故ゆえ、忰を連れて怖ろしい開けない白井八崎はッさきなんぞと云う怖い山越しをして、此処へ来て、沼田の御城下へ宿を取り、三月の間尋ねたが知れぬも道理、こんな山の中に居るんだものを、阿魔女あまっちょも罰ばちだ、さっき御城下でお前めえと一緒に歩いていたのを見掛けたから尋ねて来たのさ、こゝの家うちの御子息が悪足わるあしになって居るか何うだか知らねえが、どういう訳で、誰に沙汰をしてお前の処の娘にしたか、それを承わりたいので」

多「はい、どういう訳でがんすか、私わたくしから精くわしい事を申した所がお聞入れもありやすめえし、親父は留守でがんすから、親父の帰るまでお待ちなすってお呉んなせえ、高平まで参りやしたのですから、明日は慥たしか戻りやしょう、待たれやすなら明日まで待ってください」

婆「待たれませんよ、お帰りまで宿を取り銭を遣つかっていられるものか、今までどの位路銀を遣つかっているか知れねえ」

多「沼田の何処へ宿を取りなさるか、そこを聞かせて下さりャア、親父が帰けえったらお迎いに出すようにいたしましょうから」

婆「出来ませんお腹なかがすいたから御膳を御馳走になり、旦那のお帰りまで泊めて置いて下さい、若衆わかいしゅさん、盥へ水を汲んで来ておくんなさい」

五八「大旦那が留守だから、若旦那がいろ〱話をするのに解らねえことをいう」

婆「何でもいゝ、私の娘をこゝへ連れて来て、我物顔に娘でございますと云われて、はい左様でございますかと云って帰けえるような人間じゃアございませんよ、田舎じゃア少ちいさい時から木綿着物で育て、教える事は糸繰いとくりから機織はたおりぐらいで済むけれど、江戸育ちの娘というものは少さい中うちから絹布おかいこぐるみ、其の上金にあかして芸事を仕込み、これから親が楽を仕ようと思って居るのに、其の恩を忘れ、親を見捨てゝ家出をするような阿魔女あまっちょだから唯は置かれないのだ、マア御免なさい」

と云いながら上りにかゝるから、

五八「上っちゃア駄目だ、名主どんにそう云うぞ」

婆「何処へでも往ってそう云え、こっちで名主へ出るのだ、ぐず〱すると勾引かどわかしの罪に落すぞ」

五八「なに、勾引しとは何んだ」

と云いながら屹度きっと詰寄るを、

小平「やい〱何をするのだ、手前てめえおれのお母ふくろを打ぶつのか、やい百姓、大間抜け、おれのお母に指でもさすときかねえぞ、まご〱しやアがると此の家うちへ火を付けるからそう思え」

五八「たまげた、火を付けられちゃアたまんねえ」

と五八は江戸の火事で懲りて居りますから驚きました。此の権幕に奥ではおかめとおえいが何うしたら宜かろうと途方に暮れて居ります所へ、角右衞門が帰ってまいりましたが、此の人は名主から三番目の席に坐る家柄と云い、殊に分別ある人ゆえ少しも騒がず落着き払い、彼かの親子連の大悪人お角婆アと道連の小平を向うへ𢌞わし、掛合のお話は此の次に申し上げます。

五

さて百姓鹽原角右衞門という人は、田地の三百石も持って居りますが、村方で田地の三百石も持っていると大したものでございます。殊に家柄もいゝから、座席も名主から三番目というので、其の頃は家柄を尊びました。其の百姓の家だから旨く往ったら二三百両も強請ゆすって往いこうという権幕で、相手は名に負う又旅お角、是はちょく〱旅へ出て、昨日帰ったかと思うと又今日旅へ出た、又旅へ出たという所から自然又旅のお角と綽名あだなを取りました者で、其の子として道連の小平、是も胡麻の灰の頭分かしらぶんで、此奴こいつがどッさりと上げ胡座あぐらを掻くと梃てこでも動かないという、親子諸共名うての悪党だから、其の権幕の強いのに怖れて五八も後あとへ下り、名主へ訴えようとしている所へ帰って来たのが主人角右衞門で、奥へ往って様子を聞くと、これ〱と云いますと、なか〱の沈着おちつきものですから、直すぐに出てまいりまして、

角「はい、是はお初にお目にかゝります、私わしは鹽原角右衞門でございますが、生憎只今高平まで参めえって居りやせんでござりやしたが、何かマア訳は知りやせんが、忰や若わけえもんどもが頻りに心配しんぺいして居りやすが、どういう訳で私の所とこへお出でなすって、人の娘をかどわかしたから名主へ届けるというのでがんす、其の次第を一通り承わった上で御挨拶を致しやすが、一体貴所方あなたがたは何処どちらのお方でございやす」

かく「はい、貴方が角右衞門さんですか、お初にお目にかゝります、私わたくしは江戸三田の三角であだ屋という引手茶屋の主人あるじおかくという婆アでございますが、此の間の深川の火事で娘を見はぐり、行方が知れませんから、只今も申すとおり漸々よう〱の事で突き留めて、怖ろしい峠を越し、此の沼田という所へまいり、宿を取って捜して見たが知れませんで居たが、今日不図御城下𢌞まわりで見掛ける女は娘に肖にているから、跡を附けて来て見ると、此方こちらの家うちへ這入ったから、此の奉公人に尋ねると、家うちの娘だと云いなさるから、それはどう云う訳で他人の娘を誰たれへ沙汰をして娘にしなすったか承わりますと、此の奉公人が名主へ訴えるとか打ぶつとか叩くとか云うから、売言葉に買言葉、果ては遂に大きな声を出しました所、忰が腹を立てゝ大声を出しましたが、其様そんな事をしないでも何うでもお話に成る事だが、お前さん一体どういう訳で己の娘だと仰しゃいますか、それを承わりたいねえ」

角「なーる程、ハイ御尤もの次第でござりやす、実はお話をしない事は訳わかりましねえが、少しマア用向が有って、今度初めて江戸へ参めえり、馬喰町へ逗留して居りやすと、御案内の通り大でっけい火事、私わしも始めて火事に逢いやした事ゆえ、誠にたまげやして、彼方此方あっちこっち逃𢌞って、本所のお竹蔵へかゝると、美しい姉ねえさんがお竹蔵の溝どぶへ身い投げて死ぬべいと云う処を、私がお助け申して段々仔細を聞いて見れば、これ〱でお母ふくろにはぐれ、悪者のために包を攫さらわれました、中には大事な櫛笄こうがいもあり金も入へいって居りやすから、あれを取られては何うもお母に云訳がないからおっ死ちぬと云うから、マア待たっしええと、いらざる事だが私も見兼て、マア兎も角もと宿屋へ連れて往って、それから貴方あんたの行方を捜したとも捜さねえとも、三日の間焼原を探しやしたが、どうしても貴方の行方が知れやしねえ、困ったもんだと思ったが、何処へ預けると云う処もなく、親類もないというし、仕方がねえから私わしの家うちへ連つって参めえって段々様子を聞くと、親御もなく兄弟もないというもんだから、私わしの娘にするより外に仕様がねえじゃアあんめえじゃねえか」

かく「お惚とぼけなすってはいけませんよ、何だとえ親の行方が知れないから、お前さんは自分の娘にしたとお云いだが、それが立派なお百姓さんの御挨拶でございますかえ、承わりますれば此の村方でもお前さんは名主から何番目へとかへ坐るとかいう立派なお家柄で、田地の三百石もお持ちなさる立派なお百姓さんが、何の挨拶だ、仮令たとい親の行方が知れないと云っても、其の町内に自身番も有れば名主もある事だから、それ〲へ掛って名主へでも預けて帰らなければ、本当の親切とは云えない、私がこれから彼あの阿魔女あまっちょで少し息をつこうと思って居たに、大事な娘を攫さらわれたお蔭で家うちを持つ事も出来ないから、岡引おかっぴきに頼んで金を遣つかい、娘の行方を尋ねて貰ったが知れない、その内漸々よう〱山の宿の宿屋で、沼田の是々の二人連の百姓が、斯う云う娘を連れて国へ帰ったと云うから、跡を附けて来て見ると、沼田から三里も引込んだ処とは知らず、宿銭を遣つかって長い間捜し、漸々突留めてお掛合をすると、そんな御挨拶、又阿魔女も阿魔女だ、親が知れないからと云って、ずう〱しく此処の娘になって居る了簡が悪にくいや、他ひとの娘を一晩でも泊めて見れば瑕きずを附けたとしか思われませんから、私はもう連れては帰られません」

角「そんなら私わしの方へお貰い申しやしょう」

かく「貰うなら貰うように、私の方へ話の極きまりを附けて、得心の上で貰うようにおしなさいな、只は上げられませんよ」

角「なアる程、是は御尤な次第だが、貴方あんたが愛想が尽きて私わしの処へ呉れるなら、貴方から慥たしかに娘にくれたという書付を一本お貰い申していもんだが、たゞは上げられないとは何ういう訳でがんす」

かく「旦那、お金を三百両おくんなさい」

角「なに三百両とえ、そんな事を云ったって出来ねえ相談だ、何故三百両呉れろと云うのでがんす」

かく「何故と云って二月から五月まで他ひとの娘を引攫ひっさらって、斯様こんな山の中へ連れて来て居るんだよ、私は引手茶屋をして居るから娘が居なくっては商売をすることも出来ねえから長休みをするのみならず、路銀を遣つかって山の中へまで尋ねて来てサ、はい上げましょうと云って江戸へ帰られますかえ、呉れろなら上げまいものでもないから、それだけの入費にゅうひをお出しなさいな、私も十九まで育てた埋草うめくさをしなけりゃなりませんよ、金が出来ねえなら直ぐお返しなすって下さい、連れて帰って女郎にでも何にでも打ぶち売って埋草をするから」

角「誠にお気の毒でございますが出来ません、どうもハア三百両は迚とても上げる訳には参めえりやせん」

かく「旦那、ただ参めえりませんで済みますかえ、そんなら何故他ひとの娘を無沙汰で連れて来たよ」

角「親に無沙汰で連れて来た其処は重々済まないが、何分親御の行方が知んねえもんだから、拠よんどころなく連れて来やしたので」

かく「親の行方が知れないから連れて来たという訳で済みますかえ」

角「誠に済まねえが、全体彼あれは貴方あんたの娘に違ちがいねえのかえ」

かく「私の娘だから私が路銀を遣つかって態々わざ〱追掛おっかけて来たのさ」

角「それがサ、あのお梅という娘こは七歳なゝつの時に保泉村の原中で勾引かどわかされたお榮えいという娘だが、何うしてそれを貴方あんたが娘にしなすったえ」

と云われおかくは悸ぎょっとし、

かく「はい、貴方は何をお云いなさる」

角「何も云いましねえ、あれは岸田屋宇之助と云う旅商人たびあきんどの娘ですが、母親おふくろが亭主の帰りの遅いのを案じ、あの娘こをつれ、亭主の行方を捜して小川村まで来る途みちで、親子連の胡麻の灰へいのために勾引かどわかされた娘だが、それを何うしてお前めえさんは娘にしたか其の次第を承わりていもんだ」

かく「どうもマア思い掛けない事をおいいなさる、勾引かどわかされたか何だかそんな事は知りません」

角「お前めえさん惚とぼけたって無益だめだよ、おかめ此処へ来て一寸ちょいとお目にかゝれ」

と云われ、怖々ながら出て来るおかめとおえいは、角右衞門が居るから大きに気丈夫に思い、おかめはズッと進み出て、

かめ「おい、おかくさんとやら、お前忘れはしまい、十三年あと鴻の巣の田本で中食ちゅうじきをした時お前さんと道連になり、やれこれ云っておえいを可愛がり、それから駕籠へ乗せて来ると、保泉の原中で此のおえいを攫い、よくも此の年月娘にして居なすったよ」

と云われ、

かく「おや、おかみさん、どうもマア」

と云ったが、実母のおかめが此の家うちにいるとは思いがけない事ゆえ、流石さすがのおかくも仰天して、言う事も前後致し、おど〱しながら、

かく「誠に何うもマアおかみさん、思おもいがけない処でお目に懸りました、あなたは何ういう訳で此方こっちにいらっしゃいますか」

角「これにはいろ〱訳があって、今は私わしが嚊かゝに持って居りやすよ、それから火事場でもってからに母親おふくろにはぐれておっ死のうとする娘を助けて連れて来ると、私がほんとうの娘だという訳よ」

かめ「マアどうもいけしゃア〱よく他ひとの娘を攫さらっておいて、強談いすりがましい事をおいいだが、誰たれに沙汰をして他の娘を自分の娘におしだよ」

かく「まアおかみさん、そう仰しゃればお腹も立ちましょうが、私も旅なれない事故ゆえ、あの折おりはお前さんにはぐれたから、どうか捜してお前さんに渡そうと思って、彼方此方あちこちと捜しましたが、どうしても行方が知れず、あの子に聞いても頑是がんぜのない七歳なゝつか八歳やっつの子供ゆえ何も分らず、親類は知れず、仕方がないから江戸へつれて行って私の娘にして育てるのは当然あたりまえじゃありませんか」

角「お前さんの云う所も又尤もだ、親を尋ねても知れず、何を聞いても頑是ねえ子供で分らねえから、あんたが娘にしたと云ったねえ」

かく「左様でございますよ、それを勾引かどわかしたなんぞと云われちゃア詰りやアしません」

角「御尤もの次第でがんす、私わしも其の通り火事場で彼方此方あちこち尋ね𢌞り、どうかお前めえさんに渡して上げべいと思ったが、どうしても知れず、外ほかに親類もねえと云い、仕様がねえから連れて帰けえって娘にしたんだが、お互の訳じゃアありやしねえか」

かく「お互と云ったッて、それじゃア何うもマアお前さんどうも、江戸から四五十里もある沼田まで連れて来るのは酷ひどいじゃアありませんか」

角「あんたも保泉村で勾引かどわかしでもあるまいが、親の行方が知んねえからと云って、江戸まで連れて往って娘にすれば道理は同じ事だ」

かめ「本当にマアおかくさん、なぜ他ひとの娘を」

角「騒がないでもいゝ、己が云う所があるから、黙っていろ、扨さてこれは実の母親おふくろでござりやす、あんたも実親じつおやが知んねえから、自分の娘にして居たんだろうから、実親が知れたら返けえすだろうねえ」

かく「返かえすッたって、どうも徒たゞは返されません、私も路銀を遣い、こうやって態々わざ〱尋ねて来たんですものを」

と言っている側から、道連の小平がしゃばり出て、

小「お母ふくろ黙っていねえ、お母は耄碌しているから詰らねえことばかり言っている、旦那えお前めえさんは火事場でお母の行方が知れねえから娘にしたと仰しゃるが、私わっちの方じゃア七歳なゝつの時からお母が丹誠して、お絹布けいこぐるみ、其の上にいろ〱な芸事を仕込んで、これから楽をしようと思っている其の恩義を忘れて、ぬく〱と此方こっちの宅うちにいる阿魔女あまっちょも阿魔女だ、それをたゞ此方の宅へ取上げて、只帰そうといっちゃア、旦那それじゃア話が出来やせん、私も出る所へ出て話を付けやしょう」

角「出る所へ出るなら勝手に出なさいな、だが全体ぜんてえあの時娘を勾引かどわかされ、母様かゝさまが悪者に慰さまれようとする処を、私わしが通り合して助けて遣り、伊勢崎の銭屋へ掛り、手を分けて捜して貰ったが、何分娘の行方が知れないから、八州へ頼み段々勾引しの詮議をすると、馬方の倉八とかいう奴と松五郎源藏という三人を縛って、名主の庭へつれていって調べて見ると、親子連の胡麻の灰へいに三両宛ずつ金を貰って頼まれたと白状したから、三人は送られてしもうたが、親子づれの胡麻の灰へいの行方が知れず、仕様がねえから、マアおかめを私わしの処とこへ連れて来て置くうち、縁あって今じゃア女房にしている訳だが、これを表向にするならおしなせえ、伊勢崎の銭屋へ係って調べの縒よりを戻せば、お気の毒だがお前達の腰に縄が付くべいという考えだ、それでもいゝなら遠慮はないから出る処へ勝手にお出でなせえ、本当なら己おいらが方から出べいと思うんだが、そんな荒あれえ事もしたくねえから、五両の金を上げべえから、草鞋銭と思って、これで帰けえるならば、最もう紛紜いさくさはなしに娘を返けえしたという書付を一本置いていって下さい」

小「お前さん、そんな解らないことを云っちゃア困るじゃねえか、七歳なゝつの時から育て、路銀を遣つかって斯様こんな山の中まで尋ねて来て、五両ばかりの端た金を貰って帰けえられるか帰けえられねえか考えて御覧なせい」

角「帰けえられねえけりゃア何うする、己おれが方から訴えて調べの縒よりを戻せば、五両の金も取れないばかりでなく、腰に縄が付くんでがんすが、五両の金も遣やりたくもないから、いやなら然そうしようか」

かく「どうもお前さん、そんな只どうも」

小「母親おふくろのいう通り、五両ばかりの金じゃア仕様がねえ」

角「否いやなら訴える方が宜かんべい」

かく「訴えるがいゝッて、そんな勝手な事を云っちゃア困りますねえ」

五八は先刻から此の様子を見て居って、

五八「旦那さん、こういう奴は矢張やっぱり話の縒よりを戻して、縄ア掛けて、名主様へ引いて往って、闇くれえ所へ押入おっぺいる方がよかんべい、鳥渡ちょっと名主どんの所へ往ってくべいか」

かく「お待ちなさいまし、帰りますよ」

と訴えられては身の破滅だから、五両でも取らぬは損と思い、

かく「小平や書付を書きな」

と云われ、しぶ〱しながら小平は書付を書き、五両の金を請取うけとり出て行ゆきましたが、残念で堪りませんゆえ、どうかして再び勾引かどわかそうと思い、須川村という処へ宿を取って様子を伺って居りますと、此方こっちは安心致しました。処が六月月初つきはじまりになりますと、角右衞門は風の心持から病が重かさなりて、どっと床に就きましたゆえ、孝行な多助は心配いたし、神仏かみほとけに願をかけ、精進火の物断だちで跣足参はだしまいりを致しまするが、何分効験しるしもございません。角右衞門は村方一同に好よく思われて居る人故、代る〲見舞にまいるうちに、六月の晦日頃みそかごろは最もう息も絶え〲になりましたゆえ、家内親類枕元を取巻き看護みもりをして居り、分家の太左衞門は参りて伯父の看病を致して居りますと、角右衞門は苦しい息をつきながら、

角「太左衞門〱一寸ちょっとこけへ来こう」

太「はい、伯父様貴方あんた確しっかりしねえではいけませんよ、七十八十の爺さまではなし、死ぬなんぞという弱よええ気を出しては駄目でがんす」

角「駄目だッて駄目でねえッて、今度は何うしても死病と諦めたから、汝われがに只たっだ一言臨終いまわに言い残す事があるから此処こけえ呼んだんだが、おかめも此処こけえ来こう、多助も此処こけえ来こう、おえいも五八も皆呼んでくれ」

というから大勢枕元を取巻きました。

かめ「旦那しっかりなさいよ、貴方あんたしっかりして下さいよ」

多「お父とっさん、気を慥たしかに持って達者になって下さいよう」

角「太左衞門己が血統ちすじというは汝われより外にねえ」

太「私わしも若わけえうちに親父に死なれ、又母親おふくろにも早く別れ、今まで皆みんな伯父様の世話になった事は私も心得て居りますから、あんたが達者でいて、わしもこれからちったア貴方あんたに楽でもさせべいと心得て居りやすから、弱よええ心を持っちゃ駄目でがんすよ」

角「実は此処こゝにいる多助を己が跡目相続に貰った訳というものは、十三年あと八月二日、千鳥まで田地を買いに行ゆく時、追貝村おっかいむらでな、今の嚊かゝあのおかめの先せんの亭主、岸田屋宇之助という旅商人たびあきんど、元は阿部様の御家来鹽原角右衞門と云う己と同じ名前の侍の家来けれえだが、其の御主人の角右衞門様という人は、小川村へ浪人して居った所、八年ぶりで宇之助さんがお目にかゝり、段々の話に何うか主人を再び世に出していと宇之助という人が、己が金を持っていることを知って跡を附けて来て、金を貸してくれろ、主人を世に出してえから貸せと云うから、己おらア泥坊だと思って泥坊々々とがなると、突然いきなり脇差を引抜いて追掛おっかけて来たから、逃げべいとすると木の根へ躓つまずき、打転ぶっころがると、己の上へ乗し掛り殺すべえという訳だ」

太「ハアえゝ、これは初めて聞きやした、成程飛んだ訳で」

角「所がなア、己が下で泥坊々々とがなっていると、其の時向山を通りかゝった猟人かりゅうどは、鹽原角右衞門という浪人で、己のがなるを聞いて助けべえと思って、現在忠義の家来なり、妹を片付ければ弟も同様な岸田屋宇之助を鉄砲で打ぶったえ」

太「はアえゝ、成程大でっけえ間違まちげえになりやんした」

角「それがサ間違まちげえで、そうすると其の猟人が駆付けて来て、死骸を見て魂消たまげて、あゝ宇内か知んなかった、己が浪人して居るのを世に出してえと思って金が欲ほしくなったかえ、そうとは知らず汝われを打ぶった、あゝ可愛そうな事をしたって、その立派な侍が男泣きに泣くってや〱」

太「はアえゝ、成程フン、とんだ気の毒な間違いで」

角「するとなア、仕様がねえから己も手伝って其の死骸を鉄砲で担いで、小川村の浪人の内へ行って名告なのり合せて見ると、向うも鹽原角右衞門、己も鹽原角右衞門、同じ名前なめえで不思議に思ったから、段々聞いて見ると、元は野州塩谷郡ごおり塩原村の者と分って見ると、元は己と由縁ゆかりのあるものと分ったから、命が助かった替りに金を向うへ遣り、其の時貰って来たのが此処に居る多助よ」

太「はアえゝ、とんだ深い縁でがんす」

角「すると其の年の九月の五日に、保泉の原中でおかめを助け、段々様子を聞けば、娘が勾引かどわかされ、亭主が死んだことを聞き、身い投げて死のうとするのを、段々諭さとして止めて置くうち、先せんの嚊アが死んで、おめえ等が勧めに斯うやって今じゃア女房に持っていた処が、此の二月江戸へ往って火事場から連れて帰ったおえいは、十三年あと勾引された娘だという訳から、斯うして居るのだが、己が亡ない跡では此の多助もどうせ女房を貰ってやんねえければなんねえが、おえいと多助とは十九と廿はたち年合としあいも好よかんべいと思う、母親おふくろは多助のためには実の叔母なりするから、血統ちすじ三人で此の家うちを履ふめば大丈夫でいじょうぶ、そうして太左衞門汝われが後見をして、農作の事から何から万事指図をして呉くれれば、此の鹽原の家うちは潰れめえと考えるから、己の息のあるうちおえいと多助と盃をさせ、夫婦にして、年に一度も小川村へ往って右内という人の法事供養をさせてくれるように汝われに頼むのだが、己の考かんげえは悪いか」

太「悪いどころじゃアねえ、誠にはア尤もの訳だが、そりゃア貴方あんたが癒なおった後あとの事でよかんべい」

角「癒らねえと思えばこそ盃をさせるのだ、サア此処こけへ来て早く内輪ばかりだから酒だけでいゝ、太左衞門媒人なこうどになって早く酌」

と急立せきたてられ、多助おえいの両人は恥かしそうに坐っている所へ、太左衞門は酒を持って来て、まア嫁ッ子からと云われた時は、何というべき言ことの葉はも岩間いわまの清水しみず結び染めて、深き恵みに感じつゝ、有難涙に暮れて居りましたが、角右衞門は七月二日終ついに歿みまかり、戒名は一庵了心信士あんりょうしんしんしと申し、只今に八軒寺町けんでらまちの東陽寺とうようじという寺に石碑が残って居ります。先ず野辺の送りも済ませてしまい、それから三十五日に多助はおかめおえいと五八を連れて、養父の墓参りに参りました。其の時用事あって太左衞門はまいりません。参詣終りて四人連立ち、帰り道で雨が降出しましたから、

多「五八や雨が降って来て困るなア、沢山たんとの降りも有るまいが、ひどくなると困るから此の木の下に雨宿りして居るから、駆けて行って傘を取って来てくんな」

五八「へい、往ってまいりましょう」

と急ぎ足で往ってしまうと、いつから附けて居りましたか、道連の小平と繼立の仁助が横合から頬冠りして出て来て、突然いきなりおえいを担いで連れて往ゆこうとしますゆえ、多助は驚き、一生懸命小平の足にしがみ付き盗賊々々どろぼう〱と云うのを、えゝ邪魔するなと蹴返けかえせば、多助は仰向けに倒れたが、又起上り取付けば、おかめも驚き取付く所を横面よこつらを擲倒はりたおす、又這寄ってしがみ付くうち、ずる〱とおえいを仁助が引ずりながら脇道へ入り込む。

えい「アレー人殺し〱」

と云っても田舎の事ゆえ、助ける者は一人もなく、所へ通りかゝりましたは土岐伊豫守様の御家来原丹治はらたんじ同おなじく丹三郎たんざぶろうという親子の侍、湯治に参りまして帰り掛けに、先程から女の声で人殺しと云うは何事なるかと急いで来て見ると、雨の中で打合うちあいが始まり、大の男が女を捕とらえて蹂躙ふみにじります様子が烈しいゆえ、見兼て丹治殿が突然いきなり女を連れて逃げようとする仁助の横鬢よこびんを打ぶつ、打ぶたれて仁助は踉よろける途端、前足を挙げてはたと蹴られて尻餅をつく、又小平が向って来るやつを扇子を以てトーンと頭を打うちましたから、両人は呆気に取られて居ります。

丹治「狼藉者、女を捕とらえて何をする」

かめ「お蔭様で助かります、娘を勾引かどわかそうとする悪にくい奴でございます、どうか殿様お助け下さいまし」

小「殿様は何も知らねえからだ、あゝ痛いてえ、滅法に頭を打ぶたれた、殿様此の阿魔女あまっちょは私わっちの妹ですが、勾引かどわかして江戸から此の沼田の下新田まで連れて来た事を知り、母親おふくろと二人で掛合に来やしたら、土地の者には叶かなわねえ、大勢万まんぜい寄りたかって私共わっちどもに赤恥をかゝせて帰けえそうとするから、腹が立って堪らねえ、私わっちが妹を私わっちが連れて行ゆくに何も不思議はねえ」

かめ「殿様、なアにこれは私の実の娘でございますが、七歳なゝつの時彼奴あいつが勾引かどわかしたのでございます」

小「なに殿様は何も御存じないのだ、私わっちの妹に違いないのだ、此の間の火事に母親おふくろに放れ、行方も知れねえから段々様子を聞くと、此所ここに居る事が分り、路銀を遣い、此様こんな山の中まで尋ねて来て、手ぶり編笠あみがさで帰けえられましょうか」

かめ「そうじゃアありません、彼奴から私の方へ此の娘を渡したという証文を入れ、印形まで捺おしてよこしたから、金子を五両遣ったのでございます」

小「旦那は何も御存じはありません」

丹治「何だか貴様達の云うのは己にはさっぱり分らん」

と云いながらおかめに向い、

丹治「一体どう云う訳だ」

かめ「全くは私が娘で、七歳なゝつの時に勾引かどわかされた者でございます」

丹治「そうだろう」

と云って居る後うしろに立っていた伜せがれの丹三郎は、折々朋友ともだちに誘われ、三田のあだ屋へ遊びに往った事がありますから、お梅も小平も予かねて知って居る事ゆえ、

丹三「お父様とっさま、あの男は道連の小平という悪い奴で、胡麻の灰なぞをすると承わって居ります、母親おふくろも余程悪党だそうでございます、嘘でございましょうよ、慥たしか其の娘は幼年の時攫さらって来たのか知れません、何でも其奴そいつは胡麻の灰だという事です」

小「何だ人を胡麻の灰と云ったな」

丹三「黙れ、貴様己を知って居るだろう、同役と一緒に貴様の家うちへ往った事があるが、胡麻の灰だと云う事だ、ぐず〱すると手打にするぞ」

と云われて両人ふたりの悪者は這々ほう〲の体ていで逃げて行ゆきます。後あとに親子三人の者は大喜びにて、マア兎も角もお礼を申したいから、宅へ入らしって下さいと云うので、これから丹治親子を下新田の宅へ連れて帰りましたが、これが多助のために大難の来る起りに相成りまするお話は、次囘つぎまでお預りに致しましょう。

六

鹽原多助は養父角右衞門が歿みまかりまして、三七日の寺詣りにまいりました帰りがけ、悪者小平、仁助のためにおえいが再び攫さらわれてまいる所へ通り掛りましたのは、土岐様の御家来原丹治親子で、危い難儀を救って呉れましたゆえ、実に地獄で仏の譬たとえの通り、誠に有難いお方様で、どうか私わたくし宅までいらっしゃいまするよう、何はなくともお礼を申上げたいと申し、またおえいは三田のあだ屋に居りました時分、丹三郎がちょく〱遊びにまいり、馴染ではあるしする所から、打連れ立って多助の宅へ寄り、馳走になりましたが縁となり、是より度々たび〱此の家うちへ丹治親子が遊びに参りますると、丹治も年四十五歳なれども鰥暮やもめぐらしでございますし、おかめも夫角右衞門が亡りまして未だ三十七という年で、少し梢枯すがれて見ゆれど、色ある花は匂い失せず、色気沢山たっぷりでございます。殊に家来右内と密通して家出をするくらいの浮気ものでございますから、酒の上とは云いながら、遂に丹治と密通致し、おかめは深く丹治を思いまするが、世間の手前多助の前もありますが、忍び〱に逢うことも度重たびかさなり、今ではもう恥かしいのも打忘れ、公然おおぴらで逢い引を致しますゆえ、人の目めつまに掛ることも度々あり、おかめは何うか丹治と一つになりたいが、そうするには多助を追出さなければ邪魔になってなりませんが、多助を追い出すには何うしたら宜よかろうと考えますと、又悪智の出るもので、丹三郎も未だ独身ひとりものなり、どうか丹三さんとおえいと色にでも成ったなら、私も丹治さんと倶々とも〲に末永く楽しめるだろうと思いまして、主ぬしあるおえいに色事を勧め、丹三郎と密通をさせ、親子同志で姦通まおとこをいたし、誠に宜しからぬ事で、多助も薄々知っては居りますが、事荒立てゝは血で血を洗う道理、家いえの恥己おのれの恥、殊ことに亡なった養父角右衞門のお位牌へ対して済まないし、あゝ情ない心得違いの母親はゝおや、殊に女房おえいまで左様な事を致すとは、犬畜生のような奴と思いまするが、何うも事を表向にする事が出来ません、相手は御領主土岐様の御家来なり、迂濶の事を言い立たてることは出来ませんが、どんな人の好よいものでも、自分の女房を人に取られて腹を立たないものはございませんから、多助も腹が立ちますから寧いっそ此の家うちを駆け出してしまおうかと思いましたが、いや〱此の家うちを出たならば必ず原丹治親子が此の鹽原の家へ乗込んで来るに違いないが、侍には百姓業わざはとても出来ないから、鹽原の家いえは必ず潰れてしまうに違いない、どうも此の家うちを潰しては八歳の時から貰われて来て育てられ、大恩ある親父様に済まぬ義理、石の上にも三年の譬えもあれば、どうか此処こゝで優しく孝行を尽したら終ついには母の心持も直り、丹治親子を寄せ附けぬことにもなろうかと思い、母子おやこ諸共非道に多助を虐いじめるのを怨み返しも致しませんで、優しゅう孝行をすれば猶更附上り、其の年の九月になりました所、益々多助を悪にくみます。多助も色白で短身こづくりな、温順おとなしい好よい男でございますが、田舎稼ぎを致しますからじゝむさく、家うちにとては居る事も稀で、月に六度たびぐらいは馬を引いて歩るき、殆ど家うちには寄り附きませんから、日に焦やけて真黒になり日向臭ひなたくさい、又丹三郎は江戸育ちのお侍で男振も好く小綺麗でございますから、猶更多助が厭で実に邪見にする事全まる一年、その間一つ寝もせず振付けられても、多助は辛い所を忍び〱て馬を引いて出ますが、人に話も出来ませんから、泣きながら馬を引いて歩くので、世間の人が泣き多助々々と綽名あだなを致します位のことで、それでもおかめ母子おやこは増長して多助を虐め出そうとするうち、丁度八月朔日ついたちの事でございます、丹治父子おやこが多助の家うちへまいりましたゆえ、どうか多助を無いものにしようと思い、おかめは丹治に向い、

かめ「私わたくしもマアこうやってお前さんに何時も御無理なことを願い、貴方もお非番の時には度々たび〱来て下さいますが、お役人様ゆえお泊りなさることも出来ませんけれども、どうかして月に五六度たびはお泊め申したいと思って居りますが、世間の手前多助の前もありまして、思う様に参りませんが、本当に此の頃は変に多助が悪にくらしくなって来ましたよ」

丹治「斯うやって父子おやこで度々遊びに来るのは宜しいが、多助も馬鹿でない男だから、疾とくより訝おかしいと感附いて居るだろうが、来る度に厭な顔もしないで、旦那様宜よくいらっしゃいました、お母っかさん御馳走をして上げて下さいよとヘイ〱云って畳へ頭をこすり附けるようにされるので、何となく来にくゝってのう丹三郎」

丹三「毎度お父様とっさまも左様そう仰しゃっていらっしゃるのサ」

かめ「なアに貴方彼奴あいつだって私わたくしの子ですから私の気に入らなければ叩き出しても宜いのですが、そうもいきませんから、何ぞ仕様があったらばと思って居るんですが、貴方も宜く心掛けて置いて下さい」

と話をしている所へ奥からおえいが手紙を持って出てまいりました。

かめ「旦那様がお両人ふたり来ていらっしゃるのに何をして居るんだよ、マア此処へお坐りよ」

えい「おや旦那様宜くいらっしゃいました、アノお母っかさん、多助さんが今朝帯を締める時に袂からこれが落ちましたよ」

と手紙をおかめの前へ出し、

えい「分家のお作さんから多助さんの所へよこした色文で、まア馬鹿〱しい事が書いてあるの」

かめ「おやまア年頃になるとおかしなもんだねえ、多助がいゝとか何とか云って惚れて居るそうだが、まア旦那此の文を御覧なさいよ」

と云うに、丹治はどれ〱と云いながら其の手紙を取り、

丹治「成程少ちいさいうちから機織はたおりや糸繰いとくりばかりさせて置いて、手習などをさせんから手の書けないのは無理もないが、俗にいう貧の盗みに恋の歌とやら、妙だなア、鉄釘かなくぎの折おれのようにポツ〱書いたなア、えゝ、なに〱……一筆ひとふで書きしるし〔「まいらせそろ」の草書体〕めえらせそうろう……書きしるし〔「まいらせそろ」の草書体〕めえらせそうろうは妙だな……お前様めえさまにはおえいどんというにうぶのある身だから……女房にょうぼうの間違いだろうナ……わしらが深く思いやしても駄目なこんだと思いやんすが、お前様めえさまの顔を一日見ねえば、恰なから百日も見ねえようでがんすよ……見ねえようでがんすよはおかしいナ……それに親父おやじが婿を取れと云いやんすから、厭でなりやしねえよ、明日あすは日待ひまちだから、蕎麦をぶってがんすから喰いに来ておくんなんしよ、めで度たく〔「かしく」の草書体〕かしく……フヽヽヽ妙な所へ目出度かしくと書いたもんだなア、これは妙だ、名が書いてある……多助どのへおさくゟより……アハハヽこれでは丸で附文つけぶみのようだ」

と丹治が手紙を読みました故、おかめはこれを好いゝ機会しおにして分家へ話をすれば、分家の爺じゝいは堅いから多助を追出すのは手間暇いらずだから、斯ういう都合にしましょう、彼あゝいう都合にしましょうと密々話ひそ〱ばなしをしている所へ、何にも知らず、仏と云われる多助が帰ってまいり、勝手の方から上って来て、

多「旦那さんお出なさいまし、此間こねえだは私わしらが留守の所へお出でゞがんしたそうでんしたが、何時もろくな物も上げましねえでお匇々そう〱べい致しやす、今日は又宜くいらっしゃいやんした」

丹治「おゝ多助か、毎度来て厄介になって気の毒だ、外に馴染もないものだから、それゆえに斯うやって来るのだが、お前も少ちいさい時から田舎者に成ったけれども、江戸生れだそうだが、斯うやって江戸子えどっこ同志で寄集よりあつまるとは誠に頼もしいものだ、毎度種々いろ〱馳走になって済まない、決して構ってくれるなよ」

多「何も上げる物はがんせん、お母かゝさん、どうか旨い物を出して御馳走をして上げて下せえ」

と云いながら表へ出にかゝると、

かめ「出て往っちゃアいけねえよ、少し話があるから待ちねえ、お前は本当に呆れたひどい奴だよ、此の節は家うちへ寄り附かないと思ったら、分家の娘お作と私通いたずらをして居るね」

多「へい、なんですねえ」

かめ「とぼけなさんな、お作とくっついて居るだろうよ」

多「こりゃアまア魂消たなア、お母かゝさん誰がそんな事を云いやんした、分家の娘と浮気狂いをした覚えはがんせん」

かめ「おい〱いくら口の先でしらを切っても、書いたものが証拠だ、これでも嘘だと云うか、これを見な」

と彼かの手紙を多助の前へ投ほうり出すを、多助は手に取り、

多「こりゃアお作が己おらん所とこへよこした手紙だが、こんな手紙があったか、困った奴だナア、まアお母かゝさん、私わしが所とけへ此の手紙を送ったか知りませんが、私覚えはござりやせん、どうしてあんた此の手紙を持って居やんす」

えい「多助さん、お前さんが今朝衣物きものを着換える時袂から落ちたから、私がお母っかさんにお目にかけたのだが、お前さんもあんまりだねえ、私もこうやってお前さんと夫婦にはなって居るものゝ、今日までろくに口もきかないが、其様そんなに私が気に入らなければ、お母かゝさんに話を附けて貰って離縁状を書いて下さいよ」

かめ「おえいは私には只たった一人の可愛いゝ娘、其の連添う夫に私通わるさをされては世間へ対して外聞が悪いから、世間へ知れない内、只たった今おえいに離縁状を書いて渡して遣っておくれよ」

多「お母かゝさん、何うぞ御免なすって下せいまし、仮令たとえ書いたものがありやしても知りやせん、私わしイお作と私通わるさアした覚えは何処までもがんせん、又おえいに離縁状を出すことは出来やせん」

丹治「これ〱多助、何もそんなにしらを切る事はない、此方こちらには書いた物という慥たしかな証拠があって母が云うのだ、又男の働きで一人や二人の女をこしらえるのは当前あたりまえだから、くッついたらくッついたと云う方が宜しいわナ」

多「宜えゝも悪わりいも私わし些ちっとも覚えはがんせん」

かめ「書いた物が何よりの証拠だに、お前が幾許いくら知らないと云っても無益むだだよ、これから分家へ往って話をするから一緒においで」

と云われて多助は当惑致し、

多「分家へ往いくって、これは何うも困りやしたなア、叔父さんは物堅ものがてえから、そんな事を聞かせたら怒って、私わしい済みませんで出入でへいりも出来なくなりやんすから、どうか御勘弁を願ねげえてい」

かめ「御勘弁だって、慥たしかな証拠があって見れば仕様がない、そういう了簡ならばおえいに添わせて置く訳にはいきませんと云って、何時まで独身ひとりでも置かれないから、亭主を持たせるから離縁状をお出しよ、何故なぜ離縁状が書けないのだよ」

多「何故書けねえったって、是れべいはどうあっても書けやしねえ、死んだお父様とっさまの遺言に、汝われとおえいとは従弟同志だから夫婦にしてやるが、苟かりそめにも喧嘩して夫婦別れをするような事があると、草葉の蔭かげから勘当だぞと云いやんしたから、私わしも大概てえげえな事があっても父様にめんじて堪これえていて、何一つ云った事はがんせん、私わしも我儘ものでがんすが、家内うちわで物争いが出来て、おえいを離縁しては、何うも死んだ父様のお位牌いへいへ対して済みやしねえから、おえいに私わしが気に入らねえで夫婦に成って居るのが厭いやならば厭やで構いやせんから、家内うちわは切れても表向だけは夫婦と言わなければ、世間へ対し、分家の叔父様に対して済まないから、何うぞ然そうして下せい」

かめ「それ程義理を知って居ながら、何故分家のお作と淫事いたずらをしたよ、ぐず〱して居てじれっていな」

と云いながら、有合ありあわせた細い粗朶そだで多助の膝をピシイリ〱と打ぶちますから、多助は泣きながら、

多「御免なすって下せえまし」

と言うを耳にも掛けず、これでも言わねえか〱と二つ三つ続け打うちに打うたれて、多助は心の中で、情ないとは思いながらもしおらしく、

多「お母っかさん、何うぞ堪忍しておくんなんし」

と下から出れば附け上り、おえいも共にまくり立て多助にくって掛る所へ、這入って来たのは此の家やの分家の太左衞門で、此の様子を見兼ましたから、つか〱とおかめの傍へまいり、

太「まア待たんしよ、何だ多助、まア〱私わしが来たから待っておくんなんし、やい多助、汝われ大でっけえ形なりをして母様かゝさまに折檻されるという様な馬鹿なことが有るか、母様どういう訳だか知んねえが、まア待ってお呉んなんし」

かめ「おや、お前さんがお出でなさろうとは思いませんでした、ほんの家内うちわだけの事ですが、余あんまり私も腹が立ちますからつい暴あらいことをしましたが、今お前さんの所とこへ往ゆこうかと思って居る所とこへ、あの御城内の原さんがいらっしゃって」

太「これはヘイ毎度めいど多助から承わって居りやすが、私わしは一つ村方でも上下かみしもを隔てゝ居りやすから、ろくに此の家うちへ参めえりやせんから、御挨拶も致しやせん、何分御贔屓を願いやす」

と慇懃いんぎんに両手を付きますと、

丹治「いや、とんだ間違いでねえ、手前も迷惑を致した」

太「何か知りやせんが、届かん奴で意気地いくじなしでがんすから、それは母親おふくろに打ぶたれるという馬鹿で、多助、汝われ此処の家うちの相続人で、汝われが此の家うちの心棒だ、一軒の主ぬしたるものが仮令たとえどういう悪い事が有あるったって、母でも無闇に打ぶたれるという論はない筈だ、何をしくじった」

多「私わし悪いでがんすから、叔父さんお母っかさんに詫言わびごとして下せえ、お願ねげえでんすから」

太「何悪わるい事を仕たんだえ」

かめ「なにお前さん、どうも人に話も出来ませんけれども、言いましょうが、実はお前さん処とこのお作さんと多助と密通くッついて居りますねえ」

太「はて、それはどういう訳で」

かめ「親の目つまを忍び逢引するが色事で有りますが、本家分家の間柄で、大それた事をして居りますから、私が厳しく云わなければ世間様へ済みませんよ、是を見て下さい」

と言いながら彼かの手紙を太左衞門の前に置く。

太「はい成程、己おらアお作が多助へ送った文ぶんだが、馬鹿なマア此間こねえだまで、青鼻あおっぱなアくっ垂たらして、柾まさきの葉で笛を拵えて遊んで居たのがハア、こんな事を仕出かすように成ったかえ、ナント馬鹿々々しい事だがのおかめさん、此の手紙の文を読むと、娘が多助に惚れて手紙を送ったか知んねえが、多助が方では知んねえに違いねえというものは、未だ密通くッついたとも色事をしたとも文面に証拠はねえのに、之を証拠にして荒立て、事を出かせば、此処の家うちも己おらア家うちも恥になるからこれは私わしに負けておくんなせえ」

かめ「お気の毒ですがまけられませんよ、他の事とは違います、本当に呆れた奴でございます、多助がそういう根性だとおえいが可愛そうでございますから、今の中うちに切れ話にして、おえいに実のある堅い亭主を持たせる了簡ですから、離縁状を書いてわたした其の上で、多助をお作さんの婿にするとも何うとも勝手におしなさいよ」

太「まだ色事を出かした訳でもねえのだから、穏便に済ませれば世間へも知んねえから」

かめ「いけませんよ、馬鹿々々しい、余あんまりな不人情だからお前さん早く離縁状を書かせて下さいましよ、書かせて下さらなければ、私もおえいと一緒に出て往ゆきますよ」

太「お前めえが何も出る訳はあんめえじゃねえか、そんなら是程頼んでも勘弁は出来やせんか、己おらア娘は未だ主ぬしのあるものじゃねえ、処女きむすめでごぜいやす」

かめ「だってお作さんは、幸右衞門こうえもんどんの伜の圓次郎さんが養子に往ゆく約束になって居るじゃ有りませんか」

太「約束になって居りやすが、未だ結納を取交した訳でもなく、唯ほんの口約束だけの事で、婚礼をした訳ではがんせんから、どういう事があっても間男と云う訳はあんめえ、又男の働きで一人や二人の女も出来ねえとも云われねえ、それ処どころじゃない、立派な亭主持の身で有りながら悪いことをするものが世間にはいけいこと有りやす、一昨日おとゝい店たなで盆の余り勘定をしていると、彼処あすこでは酒も売り肴もあるもんだから、若わけいお侍さむれえが腰掛けて一杯ぺいやっていた、其の人の年頃はそうさ廿二三で、ちょうど其処に入らっしゃる丹三郎様ぐれえの年恰好で、貴方あんたに能よく肖にているお方サ、すると女の艶書いろぶみの伝つてを児守子こもりっこに頼んで手紙を其のお侍さむれえに渡すと、お侍さむれえが惚れた女からよこした手紙だから飛立つように喜んで、其の文ふみを開いて読んでしまい、丸めて袂へ入れた積りで出て往った跡を見ると、其の手紙が落ちて居たが、これは済まねえ訳だと思うが、此の文の文面で見ると、去年のマア八九月あたりから悪い事をしやアがって、今年になるまでくっついて居て、其の亭主が邪魔になるもんだから追出してしまいてえと思い、科とがもねえ者へ不義の名を附けようとするだ、太ふてい阿魔じゃねえか」

と云いながら懐より手紙を取出し、

太「なに〱名前は丹三郎さま参めいるおえいより、何だ手を出さねえでもえゝよ、似た名もいけい事あるもんだ」

おえいより丹三郎さまと聞くより、おかめも顔色変え、

かめ「詰らない事をおしなさるな」

と云いながら太左衞門の持っている手紙を取りに掛る。

太「手を出さなくってもいゝよ、斯ういう悪い事をする太い阿魔があるだが、天命で此の文を落し、己おらが手に入へえるのは罰ばちだ、併しかしこれも世間へ出せねえ文、己ア娘の書いた此の文も世間へ出せねえ文だから、此の二通とも一緒にして囲炉裏の中へ投焚つッくべて反故ほごにすべえじゃねえか、私わしに預けておくんなさい、世間へ知れゝば家うちに疵が附いて、お互の恥だ」

と云われておかめは丹治父子おやこと目と目を見合せ、おど〱しながら、

かめ「お前さんが入って口をきいて下さいましたから、これからは当人も謹みましょうし、実にどうも捨て置かれませんから折檻しましたが、そんなら此の手紙はお前さんに預けますから、どうでも好よい様にして下さいまし」

太「それは有難ありがていこんだ、これ多助よ、去年の六月三十日みそか汝われえ親父が死ぬ時に枕元に己おれを呼んで云うのに、おえいは多助と従弟同志なり、今の母様かゝさまは多助のためには実の叔母だ、一家に血統ちすじが寄集よりあつまり、此の家うちを相続するだから、鹽原の家いえに取っては此の位な芽出たい事はあんめえから、多助がおえいと夫婦別れでもする様な事が有ったら、汝われえ後見人に成って、どうか鹽原の家いえに疵を附けねえように頼むと、死んだ父とっさまの遺言をば、此の文のように反故ほごにされてはだめだぞ、馬鹿野郎め、汝われ様ような意気地なしがあるかい、二十はたちを越した男が母様かゝさまに打ぶたれるとは情なさけねいこんだ、己おらア家うちへ来こう、大いけえこと小言云わなければなんねえ」

多「重々じゅう〱済みましねえ事に成りました、どうぞ堪忍して下せえ、お母様っかさん宜く勘弁しておくんなすって有難うがんす、直すぐにお宅うちへ往って御意見を受けます」

太「誠に皆様に御迷惑を掛けやした、左様なら」

と態わざと多助に荒々しくいいつゝ引立てゝ太左衞門は帰りました。跡に丹治はおかめと顔見合わして太息といきつき、

かめ「どうもねえおえい間抜じゃないか、丹三たんざさんへ送る手紙を無暗むやみに守子もりっこなどを頼む奴があるものか、いけねえよ、そうして爺じゝいに拾われ困った事をした、なんぼ年がいかないからといって、さわ〱ばかりして居るよ、気が利かないじゃアないか、多助が帰らないうち丹三さんをお寝かし申しな」

と気を利かして二人を次の間へ遣る。丹三おえいは屏風の中うちに入って逢引を致します。跡はおかめと丹治と差向い、

かめ「あの爺はなんぞというとわい〱云って多助の贔屓をするので私はしみ〲多助が憎らしくなりました、旦那貴方あなたどうか多助の畜生を殺して下さい」

丹治「殺して下さいと云って、殺した後あとを何うする積りだ」

かめ「殺してさえ下されば、誰だか知れない、大方追剥おいはぎでも殺したのだろうと云って済ませます、当人さえ居なければ名主へ一寸ちょっと話をして置きますから、時が経ったら丹三さんは病身でお屋敷奉公は出来ないという所から、おえいの養子によこし下さい、そうすれば貴方は御城内に勤めていらしっても御隠居というので、表向にちょく〱お出いでになるに都合が好よいじゃございませんか」

丹「うっかり村方で殺やると、百姓共に勘づかれるといかんから浮うかとは出来んの」

かめ「此の五日には多助が元村もとむらへ小麦の俵を積んで往ゆきますが、日暮方から遣りますから、山国の事ゆえ天気の好よいのは当あてにならないから、桐油とうゆを掛けて往ゆきなと云って、鹽原と大きく書いてあるのを掛けてやりますから、見違える気遣いは有りません、多助が馬を引いて帰って来る時、桐油を見当みあてに庚申塚辺あたりでむちゃくちゃに斬り殺して、お屋敷に帰り、知らん顔をしていて下されば、此方こっちでは試し斬りにでも逢ったとか何とか云って極りが付いてから、丹三さんをよこして下されば、三百石持の主人あるじ、それに未だ些ちっとは貯えもございます」

丹「跡方あとかたの知れるような事が有ってはならんよ」

かめ「大丈夫でございます」

と云われて、そんならばと庚申塚に身を潜め、多助の帰りを待受けて斬殺きりころす了簡になりましたが、誠に不届な奴でございます。其の日は丹治父子おやこが帰り、扨さて五日になりますと、多助は何なんにも知らず馬を引いて諸方を歩いて、夕方帰ってまいりました。

かめ「アの御苦労だが、追々秋ぐちは用が多いから、直すぐに小麦を積んで往って来ておくれ、また降るといけないから桐油を掛けていきな、あの新しい方がいゝよ」

と云われ、多助は「はい」と云いながら、曳慣れたあおという馬を曳いて御城下の元村へ参りまする。道は三里あまりで、上下六里の道でございますから、何程いくら急いでも只今の十時、其の頃の四ツ余程𢌞りました頃で、五日の宵月よいづきは木この間まに傾きほのぐらく、庚申塚までは三町ばかり手前の所まで参りますと、馬は自然に主人の危難を悟ったものか、足が進みませんで、段々跡の方へ退さがりますゆえ、

多「青、困るべえじゃねえか、ヤイ青、荷を皆みんな下おろしてしまって空身からみに成なってゝ歩けねえ事はあんめえ、遅く帰けえると母様かゝさまに叱られるから急いでくんろよ、そう後あとへ退さがッちゃア困るべえじゃねえか、青々どうした青」

と言いながら力を込めて手綱たづなを引きますけれど少しもきゝません、引けば引くほど馬はだん〱あとへ退さがるから、多助は涙ぐんで馬を引出そうと致しますが、中々動きません。すると後あとの方から荷を担いで来る人の足音に、只と見れば幸右衞門の伜圓次郎と云って、今年廿五歳になり、多助とは極ごく中好なかよしの友達でございます。

圓「其処に居るのは誰だ」

多「圓次どんかえ、何なんにねえ己おらア元村まで往った帰けえりだが、己ア青が此処で急に動いごかなくなって、打ぶっても叩いても後あといべえ退さがって困るだ」

圓「そりゃ困ったナ、己おれ見てくれべえ」

と云いながら荷を卸し、馬の傍に寄り、

圓「これ青や、どうしたゞ、これ後あとへ退しやるか足でもどうか成ってるか、痛む気遣きづけえはねえが、多助の母様かゝさまは喧やかましい人だから早く往ってやれ、青どうした、汝われ塩梅あんべいでも悪いか」

そんな事を云っても馬は何とも申しません。

圓「誠に困ったな、己おれ引いて呉れべえ、ハイ〱〱、歩くようになった」

多「誠に有難うがんす、己おれ手においねえから、何うしべえかと思った、さ一緒に参めえりやすべえ」

と往ゆきにかゝると、

多「あれ、又止ったよ、青どうした」

圓「今汝われえ歩いたじゃねえか、どうしたゞ、動いごかねえか」

と圓次が引出し、

圓「はい〱〱〱、歩いて来た」

多「誠に有難ありがたえ、平常つねこんな事はねえ、どんな重い荷い附けても悪い顔をする馬ではがんせん、アレ又止った、青々」

圓「青々」

青の掛合でございます。

圓「何ういうものだが、己おれが引けば歩くだから、己おらア此の馬を引いて往ゆくべえ、汝われ此の荷を担いで呉れ」

多「ハア、そうして下せえ、そんなら此の荷は己おらが担いで往ゆきますべえ」

と担いで見ましたが、多助は肩に力がありませんから蹌よろめきながら担ぎ出す。圓次は馬を引きながら、シャン〱〱〱〱と庚申塚へ掛って来る。此方こちらは先刻より原丹治が刀の柄を握りつめ、裏と表の目釘を濡しめして今や遅しと待設けて居る所へ、通り掛りまするという、此の結局おさまりは何う相成りますか、この次までお預りに致しましょう。

七

譬たとえにも、禽獣きんじゅうといえど道有って理なきにあらずという事がございまして、畜生が口をきく訳はございませんが、人間の云う事は分るまいと思うと分りますると見えて、此の頃は何方様どちらさまへ参りましても洋犬かめが居りまして、其の洋犬かめが御主人の使つかいをいたし、或あるいは賊を見て吠える所で見ますれば、他人と主人とは正ちゃんと自然に其の区別を知って居りますので。今多助が引慣れた青という名馬は南部の盛岡から出たもので、大原村の九兵衞方より角右衞門が買取ったのを、多助が十二歳の時より労いたわって遣つかって居りますから、庚申塚の前へ来ると馬は足が自然に前へ進みませんのは、丹治が待伏している事を知り、後あとの方へ退さがりまする。圓次が引けば動き、多助が引けば動きませんゆえ、圓次は右の青を引出し、多助は御膳籠を担ぎ、急ぐ積りでございますが、馬は足早にポカ〱駆出すように行ってしまい、庚申塚へ掛った時は最早圓次の姿は見えなくなりましたゆえ、余程後おくれた様子、多助は重荷を担いで居ります故、七八町も後れましたから、畑中を突切れば道が近いと云うので、荷を担いで桑畑の間をセッセと参ります。此方こなたは圓次が今庚申塚へ通りかゝる。時は宝暦十一年八月五日、宵闇の薄暗く、木の間隠れに閃く刄やいばを引抜きて原丹治が待受まちうける所へ通りかゝる青馬に、大文字おおもじに鹽原と書きたる桐油を掛けて居りますゆえ、多助に相違ないと心得、飛出しざまプッツリと菅笠の上から糸経いとたてを着ている肩先へ斬込まれ、アッといいながら前へ俯のめる時、手綱が切れましたゆえ馬は驚きバラ〱〱と花野原はなのばらを駆出し逃げて往ゆく。手負ておいはうんとばかりにのたりまわるを、丹治は足を踏み掛けて刀を取直し、喉元のどもとをプツリと刺し貫き、こじられて其の儘気息いきは絶えました。丹治は死骸の衣服きもので刀の血を拭い、鞘に納め、急ぎ其の場を立退たちのき、多助の家いえの裏手から庭先へ忍び込みまして、雨戸をホト〱と五つばかり叩くと、合図と見えておかめは丹治と心得、そわつきながら密そっと雨戸を明け、

かめ「スッパリ殺してお呉んなすったかえ」

丹治「手筈は十分だった」

かめ「有難う、まア本当に万一ひょっとやりそこなやしないかと、どんなに心配したか知れませんが、彼奴あいつさえ殺してしまえば是からは自由ですから、今夜はお泊り遊ばせな」

丹「いや〱泊る訳にはいかん、直ぐ城内へ帰って当分は来ない」

かめ「初七日でも済んだら、とんだ事だったとか何とか云いながら顔出しをなさらないと人がけどりますから、七日でも済んだら来て下さいよ、気を附けてお帰りなさいまし」

丹治は其の儘立帰る。左様な事とは少しも知らず、多助は荷をギシ〱担いで圓次郎の家うちへ遣って参り、

多「伯母さん明けておくんなさえよ、伯母さん」

婆「あい、誰だかえ」

多「多助でがんす」

婆「おやまア、今明けやす、宵から締りを附けて置きやんすよ、さアお這入んなせえ」

多「誠に御無沙汰をしやした、月が替ってから大えらく寒くなりやした、なにねえ元村まで小麦い積んで往った帰けえり、庚申塚まで来ると馬が退しさって動いごかねえで困っている所へ、圓次どんが通り掛け、圓次どんが見兼て引いてくれたら青が歩くから、己おれ馬を引いてやんべいから、汝われ荷担いで帰けえれと云って、圓次どんは先へ帰けえりやしたよ」

婆「圓次は未だ帰けえりやせんが、寄り道でもして居るかも知んねえ」

多「己より余程よっぽど先へ出た積りだよ」

婆「後あとから帰けえるかも知んねえから…まア茶ア一杯いっぺい呑みなさんしよ、多助さん、村の者が皆みんな噂して居りやすが、母様かゝさまが邪見じゃけんで、お前のような温順やさしげな人を打ぶち敲きして折檻するとは情ない母様かゝさんだ、そんでも怨みもしねえで母様かゝさまを大事でいじにする、あんな温順やさしげな人はねえと噂をして居りやんすよ、どうかマア軽躁かるはずみの心を出さなければ好えいと心配しんぺいして居りやんすから、身体を大事でいじにして時節を待つがようがんすよ」

多「はい、有難うがんす、伯母さん己おらア母親おふくろは我儘ものでがんすが、私わしも亦遠慮なしに抗弁事つッけえしごとをしやすから、そんで打ぶち敲かれやすのだから、強あながち母親ばかり悪い訳ではがんせん、私わしが届かねえから小言を云われるので、どうか心配しんぺえしておくんなさるな」

婆「その心根が別だよ、宜ようがんす、はい、マア大事でいじに」

多「伯父さんにも宜く云っておくんなさえよ、左様なら」

と圓次郎の家いえを出まして、我家わがやの門まで来ると、生垣の榎木の所に青がにょきりと立って居りました故、

多「青どうした、汝われ独り此処に来て何だ、圓次はどうした、家うちへ帰けえったか」

と云っても馬が挨拶は致しませんが、家来のような心持がすると見えます。是れから馬を引いて小屋に繋ぎ、自分は台所口の上総戸かずさどを明けながら、

多「はい、只今帰りました」

という声におかめは驚き、幽霊かと思い、声慄ふるわしながら、

かめ「どうしたんだえ」

多「誠に遅くなりました、どういう事か宅うちの青が庚申塚辺あたりまで来ると後あとへ退しさって、些ちっとも動いごかねえで困っている所へ圓次が通り掛り、圓次が引くと青が歩くから、圓次の荷を私わしが担いで、荷は今圓次の家うちへ届けて帰って来ると、青が表に立っていたから馬小屋へ引込んで、大きに遅くなりやした、御免なせえ」

かめ「そうかえ、道理で帰りが遅いと思った」

と口には云えど腹の内で、扨さては丹治殿は多助と間違えて圓次郎を殺したに違いない、忌々しい事をした。と思案に沈むは実に悪にくむべき奴でござります。幸右衞門の家うちでは圓次郎が帰らぬというので家うちの騒ぎは一方ならず、すると或る人の知らせに、圓次郎な庚申塚の前になさけない死状しにざまをして居るというので、急に検使を受け、泣く〱村方の寺へ野辺の送りを済ませましたが、多助は如何にも気の毒に思い、一緒に来れば宜かったと幸右衞門夫婦に詫わびをすると、夫婦は諦めの宜い人で、是も定まる約束ずくだろうから心配しんぺいしておくんなさるな。と事なく済みましたが、多助は少ちいさい内から仲好なかよしの友達のことゆえ、間まさえあれば圓次の墓所はかしょへまいり、墓掃除をいたし、香花こうげを毎日手向けてやって居りました。丁度十日目のことで、多助は墓参はかまいりをして帰ってまいりますと、

かめ「多助何処へ往ったえ」

多「へえ、圓次の墓参はかめえりに参めえりやした」

かめ「そうか、墓参はかまいりでもしてやらなければ冥利が悪いから、度々たび〱してやんなよ、圓次も浮ばれやしないのサ」

多「誠に気の毒な事でがんす、私わしも種々いろ〱訳を話して幸右衞門どんの母様かゝさまに謝りやしたら、なに皆みんな定まる事だ、因果と云うものがあるのだから心配しんぺえしねえが宜いいと云われるだけ、私は気の毒で堪りましねえ」

かめ「誰も居ないから話をするが、圓次郎はお前が殺して、荷を盗んで城下へでも売ろうと云う考えでやったろうな」

多「ヘエ、フウ、どうも魂消やんしたなア、お母っかさん、他の事とは違いやす、私わし圓次を殺したと誰そんな事を云いやんした」

かめ「誰も云いやアしないが、天知る地知るの道理、皆みんな罰ばちだ、お前めえのいう事が皆みんな間違っているから、宜く考えて見な、此の間帰った時何と云った、馬を私わしが引けば動いごかず、圓次郎が引けば動いごくと云ったじゃないか、引き慣れた馬をお前まえが引けば動うごかなくって、圓次郎が引いて歩くと云うような間違った話があるものか、大方お前が圓次を殺して、御膳籠に一杯ある荷を盗み、人知れず売ってしまって、小遣にでも仕ようと云う了簡で遣った所、露顕するのを恐れ、旨く拵え事をして圓次どんの所へ荷を返したんだろう、それを馬が動いごかないなんぞとずう〱しい、お前のような怖い人はない、人には云えないが、しまいには親の寐首ねくびを掻き兼ないよ、今日という今日は実に呆れたから、只たった今出て往っておくれ」

多「モシどうぞ御免なさってください、他の事ならどんな事を仰しゃっても、お母っかさんの言う事は例え御無理が有りましても、お言葉に背くめえという願掛けでございますが、圓次を殺したとは情ない、幼ちいさい時から一つ村で生立おいたって、殊ことに仲の好ええ圓次を殺し、物を取って城下へ売るなどと何を証拠にしてそんな事を云いなさるか、お情ねえ、仮令たとえどんな事が有ろうとも神かけて覚えはござりやせん」

と泣声を振立てゝ言うに、おかめは、

かめ「とぼけなさんな、分家のお作とくっついて居るものだから、養子に行ゆく約束のある圓次を邪魔にし、圓次さえなければ末永くお作と楽たのしめるという了簡に違いない、夫程それほど気にいらないおえいを女房に持たして置くのは気の毒だから、只たった今離縁状を置いて出て往ゆきな」

多「どうぞ御免なさい、此の家うちを出ては死んだ父様とっさまのお位牌に済みません、おえいの気に入らなければ私わしを亭主と思わねえでも宜うがんす、又母様かゝさまも子と思わず、奉公人だと思って台所の隅へでも置いてくだされば有難うがんす、私は八歳やっつの時から此の家うちに貰われて来て、死んだ父様とゝさまの丹誠で大きくなりましたから、是から恩返おんげえしをしなければならない身体、今追出されては恩返おんげえしが出来やせんから、どうか堪忍しておくんなさい」

かめ「ならないよ、出来ませんよ、離縁状を書いて出て往ゆきな、お前が出て往ゆかれなければ私が出る」

多「あゝ申し、親を出して子が残っている訳にはめえりません、どうか御勘弁なすって下さい」

と云っている傍から、

えい「今お母っかさんが云う通り、ねえ去年お父とっさんの遺言でお前さんと夫婦にはなりましたけれども、女房らしくしておくれでないから、それ程いやなものを無理にいてはお気の毒でございます、お作さんも圓次さんが死んでしまえば自由気儘だから、好いたお作さんと夫婦におなり、お前さんのような人は怖くって厭だよ、お願だから離縁状を書いておくれ、連添っているのは厭でございます、直ぐ三行半みくだりはんを書いておくんなさい、黙っていては分りませんよ、サヽ早く書いておくんなさい」

と母子おやこ諸共まくし立てゝ言われ、流石さすがに柔和の多助も余りの事ゆえ顔色を変え、居丈高になり、声荒あららげ、

多「黙れおえい、お母っかさんは何を言っても己おれ決して言葉返しをした事はないが、汝われまで同じ様に圓次を殺したの、お作と訳があるのと覚えもねえ事を廉かどに取って、離縁を取るべえとするか、お父とっさんの遺言を汝われ忘れたか、従弟同士で夫婦になれば家いえの治おさまりもつくだから、苟かりそめに私わたくしの遺恨を揷さしはさんで夫婦別れをするようなことがあると、草葉の蔭から勘当するぞと言わしったことを忘れて、己おれを突き出すべいとして、夫婦らしくもねえと言うのは、そりゃア己おらが方でいう言葉だ、汝われの方で振付けて居るのじゃないか」

かめ「大層亭主振った利いた風な事を言うな、何の働はたらきが有ってそんな亭主振ったことをいう、本当に生意気だよ、高慢な事をいうな、親不孝め」

といいながら傍かたえに有った粗朶そだを取上げ、ピシリと打たれるはずみに多助は「アッ」といいさま囲炉裏の端そばへ倒れる処を、おかめは腕を延ばし、髻たぶさを取って引ずり倒しながら、続け打に打擲ちょうちゃくを致している処へ、此の家やの奉公人、忠義者の五八が見兼ねましたゆえ飛んで来て中へ割って入いり、

五「お内儀かみさん呆れたものだ、謂いわれもないに何なに仕やす」

かめ「多助の事というと出て来やがるよ、お前の知った事じゃねえ、引込ひっこんでいな」

五「己おれ今聞いて居れば何だとえ、多助さんが圓次を殺し、荷を取って城下へ売ろうとしたとえ、多助さんは人を殺すような人か人でないか、あんたも大概ていげえ分りそうなものだ、よしんば人を殺すような悪党でも、あんたのためには子じゃアねえか、あんたの血筋の甥じゃねえか、サそれをお前めえさまの口からいうてえ事はねえこんだ、何処までも隠して陰かげになり陽ひなたになりして異見をしねえければならねえ処を、親が先へ立って殺したんべい〱というのが本当に呆れた、多助さん、あんたが出れば此の家うちは潰れやすよ、私わし附いて居りやすうちはどんな事が有っても出しやせん、出るときゝませんよ、お内儀かみさん大概てえげえにしなせえ」

かめ「多助の事と云うと目くじら立って騒ぎやアがる、己おいらの子を己おいらが勘当するのは当然あたりまえだ、手前てめえの世話にはならないぞ」

五「はい、私わし奉公人でがんす、多助さんは此家こゝな相続人だよ、お前様めえさまより多助さんの方が先へ此家こゝへ貰われて来たは、十四年あとの八月で、お前めえさまは其の年の九月に来て、其の翌年よくとし先せんの内儀かみさんが死んだから、お前様めえさまを後添のちぞえにしべえと、分家の旦那様と私わしが勧めたけれども、旦那様は堅かてえから、余あんまり歳が違うから村の者へ外聞が悪いというのを、多助さんには叔母さんの事だから、女房に持ったが宜かんべえと、其の縁合えんあいで此家こゝへお前様めえさんを入れた時何と云わしった、有難いこんだ、果報やけがすると云ったじゃねえか」

かめ「何を云やアがる、手前てまえの厄介になるものか、利いた風なことを云うな」

五「利いた風もないものだ」

と声高に言い罵るから多助が、

多「五八は酩酊よっぱらって居りやして、強情べえ申しやすが、皆みんな私わしが悪いでがんすから、どうぞ堪忍しておくんなさい、五八マア此方こっちへ出なよ」

五「どんな事が有ったっても多助さんは出されません」

かめ「手前てまえから先へ出て往ゆけ」

五「私わし奉公人に違いないが、先せんの旦那様に抱えられたゞ、己おれ出れば此の家うちは打潰ぶッつぶれるから出ません」

と言い罵るを、多助は無理に五八を引出し、傍わきの座敷に連れ来きたり、

多「あんなに母様かゝさまに抗弁つっけえし言ごとをしては宜くねえわな」

五「でも貴方あんた口惜くやしくってなりやせん、胸が一ぺえになりやすという訳は、あんたの事を世間で泣き多助だすけ〱と云うから、どういう事だと思って人に様子を聞いて見れば、母様かゝさんが悪い顔べえしていて、堪こらえ兼るから外へ出ては貴方あんたが泣きながら歩くという訳だ、三百石の田地持の旦那様が母様かゝさまの機嫌が悪く家うちに居られないから、馬を曳いて外へ出ると、あんたの内儀かみさんのおえいどんまでが一緒になって貴方あんたを突出すべえとするは、情ねえこんだから、私わしい云うだけの事は云いやんす、貴方あんたが出れば原丹治親子が乗込むに違ちげえねえが、屋敷者だから百姓業わざは出来やすめえ、そうすれば此の鹽原の家うちは打潰ぶッつぶれるに相違ねえから、多助さん辛かんべえが辛抱して此の家やを出ては成りやせんよ、私わしも共に貴方あんたと一緒になって、どんな辛つれえ事をしても家うちの為めに働きやすから、我慢して居ておくんなさいよ、家うち大事でえじでがんすよ」

多「あいよ〱、五八や宜く家うちの為を思って心配しんぺえしてくれる、原丹治親子の事も知らない訳ではないが、言い立てをすれば血で血を洗うようなもの、世間へ対して家うちの恥になる事だから、今までは何にも言わず辛抱して堪これえに堪これえて居たけれども、実に辛くて堪こらえ切れない事が度々たび〱あるよ、察して呉れや」

五「御尤もでがんす〱、私わしも命がけで貴方あんたと一緒になり働きやすから、どうぞ詰らない心を出して下さんなよ」

と真実ほんとうの心から五八が慰め居りますと、馬小屋で青という馬がヒン〱と嘶ないて、バタ〱と荒れる事一方ひとかたならぬ物音に、五八は慌てゝ駈出して往って見るに、繋いである馬がバタ〱騒いで居りますから、五八が馬の口を取り鎮めておる所へ這入って来ましたは原丹治でございます。これは丹治が圓次を殺した時の顔を馬が見覚えて居たものと見え、怖がってバタ〱暴れたので、丹治も訝おかしく思いながら奥へ這入り、おかめと差向いで何か密々話ひそ〱ばなしを致して居ります。多助は馬の驚いたのに心附き、ハヽア先達せんだって庚申塚で圓次を殺したのは、丹治が私わしと間違えたものに相違ない、これは此処の家うちにいる時は殺されるかも知れない、若もし命がなければ何どんなに思っても此の家うちの為になる事も出来ない、八歳やっつの時から住み馴れた村方を立退たちのくのは辛い事ではあるなれども、一先ひとまず此処を逃げ去って、知らぬ江戸とやらへ参って、どんな辛い奉公でもして金を貯めた上立帰り、一旦潰れたる鹽原の家いえを起さなければ養父角右衞門様に義理が立たん、余所よそながら五八や叔父太左衞門様へお暇乞いとまごいをしようと覚悟を極きわめて、これから沼田の下新田を立出たちいでるというお話に相成ります。

八

追々お話が央なかばに相成りますから、これからが面白く成りますが、兎角開けぬ其の昔のお物語は嘘のようなお話が多いというのは、物成ものなりが極ごくお安く、唯今では物価が高直たかねで、昔のお値段の事を唯今申すと嘘らしいような事があります。近頃まで湯銭が八銅、髪結銭が廿八銅、寄席のお座料が四十八銅から五十銅でございましたが、当節では四銭と相成りましたから、お高いと心得て居りますと、中には又御贔屓のお方が仰しゃいますに、圓朝や寄席の座料が如何にも安い、それでは国の恥になるから最う少し高くしたら宜かろう、西洋へでも参ると、丁度我国の大道講釈のようなもので座料の一円や二円は取るから、斯こうやって楽屋の者が大勢出て、畳の敷いてある上へお客を坐らせて、僅か四銭ぐらいでは余り芸が拙つたないようだから、せめて一人前ひとりまえ五円宛ずつも取ったら宜かろうと仰しゃいますが、それでは誰も寄席へお出いでになる方がございません、仕方がないから四銭という事に致して置きます。昔は蒲鉾かまぼこが一本四十文であったと申します。お値段のお安い話ばかり致しますようでございますが、下駄の鼻緒なども昔は二足で三文でございました、それからこちらへ厄雑やくざのものを二足三文と申す事だそうです。馬も昔は南部の極長たけた所で五両ぐらいのもの、それが只今は馬流行うまばやりで、皆さんが乗ってお歩きになりますが、時々横っ倒しに乗っていらっしゃるお方がありまして、危い事で、当今の馬は何いずれも二三百円も致しますから大きに模様が違って居ります事でございます。鹽原多助の養父角右衞門の買いました馬は、南部の盛岡の市で五両五粒で買った良いい馬でございます。多助は日々その青という馬を引いて山坂を歩いて居りましたが、田舎では月待日待つきまちひまちという事がありまして、十五夜廿三夜などには村の若い者が皆遊びます。多助も廿一歳の若者ですから、随分遊びたい盛りでございますが、人の遊ぶ中を重い荷をつけて馬を引いて、数坂峠かずさかとうげという山又山を歩いて居りますも、家うちに居れば母親はゝおやおかめに虐められまして、実に生傷なまきずの絶える事がないくらいの訳ですから家うちにとては居りませんで、馬を引いて歩きながらも種々いろ〱思合おもいあわして見たが、どうも此の家うちに長くいる訳にはいかない。情ないかな母とおえいが馴合って、丹治父子おやこを引入れて逢引するとは、実に犬畜生同様の致方いたしかた、殊に私わしを附け狙うから丹治父子が此の家うちへ出入ではいる中うちは迚とても居る訳にはいかない、命があれば死んだ養父に恩返しも出来るが、命がなくては恩返しも出来ないから、江戸とやらいう所は、どういう所か勝手は知らないが、一先ひとまず江戸へ出て辛い奉公なりとして、金を貯めた上で国に帰って来て、若もし家いえが潰れていたら立て直すより外に仕方がない、八歳やっつの時から居慣れた沼田新田の村の模様も、これが見納めになる事かと、心の中うちで嘆きながら、豆を二俵附け、青を引いて分家の太左衞門の所へ余所よそながら暇乞いに参りました。

多「もし、叔父さん〱」

太「おう、多助か、何処え往いくんだ」

多「はい、高平たかひらまで豆を附けて参めえりやす」

太「おゝ高平へ往いくか、久しく来こねえから案じていたが、此間こねえだ五八が来て家うちに間違まちげえのあった事も聞いていたが、汝われの母親おふくろのような悪人はねえ、宜く勘弁して堪これえているなア」

多「はい、それもこれも死んだ父様とっさまに恩返おんげえしがしてえと思って居るんで、父様のお位牌へ対ていし、鹽原の名前なめえを汚すめえと思って居りやんす、八歳やッつの時から貰われて来て育てられた恩は一通りでねえ、死んだ父様計ばかりでねえ、叔父様も私わしが少ちいさい時から多助々々と云って可愛がっておくんなんした御恩は死んでも忘れやせんでハア」

太「べらぼうな、叔父甥と繋がる縁だ、世話アするのは当然あたりめえだ、汝われは切るにも切れねえ血統ちすじだから、辛つれい事があっても辛抱して居てくんろよ、もしや若い者だから又狭い心を出して遠い所へでも失走うっぱしってしまやアしねえかと思って、心配しんぺいでなんねえ、己おれも取る年なり、婆アさんも年を取っているし、子と云うものはお作べいで、あんな厄雑やくざな者だから汝われを力に思って居るんだから、汝われえ詰らねえ心を出してくれるなよ」

多「はい〱、叔父さん人間は老少不定ろうしょうふじょうということがあるから、若い者でも先へ逝ゆかねえと堅い事も言われねえ、私わしが高平まで往ゆく途みちで、どんな事があって、ひょっと帰けえらねえようになり、これが叔父さんの顔の見納めになりはしめえかと思えば、一里でも二里でも踏み出すのは実に辛つれえ事でがんす」

太「馬鹿ア云うな、今日は月待だから、己おらが家うちへ泊って、高平へ往ゆくのは明日あすにしろよ」

多「又往ゆかねえと母親おふくろに叱られますから参めえりやすべえ、叔父さん、これから段々寒くなりやすから、身体を大切でえじにしておくんなんしよ」

太「そんな事を言っちゃア心細くなって仕様がねえ、婆ばゝあや、多助が高平まで往ゆくって寄ったから、此処こけえ来こうよ」

と言うに、婆アも出て参りまして、

婆「おゝ多助か、能よく来たな、此の寒いのに往いかねえでもいゝから泊って往いきなよ、此間こねえだはお作が悪戯わるさアして気の毒な事をした、家うちなア阿魔を小言いって打擲ぶちたてえたが、仕様のねえ奴で、堪忍してくんなよ」

多「はい〱、往いきますべえ、叔父さん、叔父さん、左様だら」

太「それだら何うでも往いくか」

多「はい」

と云いながら出ましたが、これが別れになる事かと悄々しお〱として往ゆきます。叔父も多助の言う事が心に掛りますから戸口まで駆出して来まして、

太「多助々々早く往ってこうよ」

と云われて多助も泣きながら、

多「はい〱」

と言って出掛けましたが、叔父の事も心にかゝりますから、心配しながら鎮守の森も、これが見納めか、清右衞門どんの家やの棟もこれが見納めになる事かと見返りながら、泣く〱馬を引いて高平までまいり、銭を二分と一貫受取り、沼田原まで来ると、此の原中に物見の松という松の木があります、是は戦争いくさの時に物見をした松だと申す事でございます。やがて多助は其の松の根方へ馬を繋ぎ、叺かますを卸して秣まぐさを宛あてがってどっさり喰わせ、虫の食わないように糸経いとだてを懸けまして、二分と一貫の銭を持って居りますゆえ、大概のものなら駈落かけおちをするのだから路銀に持って行ゆきますが、多助は正直者ゆえ其の銭を馬の荷鞍にぐらへ結び付けまして、自分は懐にあるほまちの六百の銭を持って行ゆきにかゝりましたが、日頃自分の引馴れている馬に名残なごりを惜おしみ、馬の前面まえづらを二度ばかり撫でて、

多「これ青よ、汝われとは長い馴染なじみであったなア、汝われは大原村の九兵衞どんが南部の盛岡の市から買って来たのを、己おらの父様とっさまに買われて来たんで、其の時己おらも八歳やッつであったが、鹽原の家うちへ養子に来る所で、汝われも己おれも一緒に来るんで、己おれは汝われが背中へ乗って此の沼田へ来て長い馴染、己おれが十二の時から引ひきなれて、斯うやって長い間一つ所に居れば畜生でも兄弟も同じ事、汝わりア達者な馬で、今まで内爛ねえら一つ起して嚔くさめ一つした事のねえ馬だ、それに十六貫目の四斗俵を二俵附けるなら当前あたりめえだが、ハア三俵となると汝われえ疲れべいと思って、山坂を越える時は己おらが一俵担いでやるようにするから、身体も今まで頑丈であって、足い血溜り一つ出来た事はねえ、それに父様が丹誠して、年に三度ずつ金焼かねやきに遣って置いたから、足も丈夫だ、己おれが草を刈って来て喰わせる時も毒な草が入へえって居ちゃアいけねえからと思って、茅草かやぐさばかり拾って喰わせるようにしたから、汝われも大でかい坂を越こえるにも艱つれえ顔を一つした事はねえで、家うちへ対して能よく勤めたから、段々年を取るから楽をさせてやるべえと思っていたが、己おらアどうあっても彼あの家うちには居られねえ、汝われ知ってる通り家うちの母様かゝさまと嚊アが了簡違ちげえな奴で、己おれを殺すべえとするだ、汝われえ知ってべえ、此間こねえだも庚申塚で己おれを殺すべえと思って、間違まちげえて圓次郎を殺した時は、汝われも駆出したくらいだから、己おれが居べえと思っても殺されるから何うも居られねえわい、己おれはこれから江戸へ往って、奉公をして金を貯めて帰けえって来るから、汝われえそれまで達者で居てくんろよ、ヤア、己おれが出れば定めて五八も追ん出されべえが、五八が出れば誰も汝われに構う者がねえから、汝われにろくな食い物もあてがうめえ、汝われえ可哀そうでなんねえから己おれも出めいと思うが、己おれが家うちに居れば殺されてしまうによって出て往ゆくんだから、何卒どうぞ汝われは辛つれえ所も辛抱して居て、己おれが江戸で金を貯めて帰けえって来るまで丈夫でいてくんろよ、ヤア、ヤア、青、青」

と誠に我が兄弟か奉公人に物をいう如くに言い聞かせながら、馬の前面まえづらを撫で摩さすりまして、多助は堪り兼て袖を絞って、おい〱泣きますと、多助の実意が馬に感じましたか、馬も名残を惜む様子で、首を垂れてさも悲しげに泣出しまして、其の涕なみだが雨の如くはら〱〱と砂原へ落ちまするのを見て、多助は尚更悲しく、

多「おゝ青、汝われ泣いて呉れるか、有がてえ、畜生でさえも恩誼おんぎを知り名残を惜むで泣いてくれるに、それに引換え女房おえいは禽獣とりけものにも劣った奴、現在亭主の己おれを殺すべえとする人非人め、これ青、己おれが出れば原の父子おやこが家うちへ乗込むで来るに違ちげえねえ、そうすれば鹽原の家いえは潰れるに違ちげえねえから、汝われ辛かんべえが何卒どうぞ己おれの帰けえるまで家うちに辛抱して居て呉んろよ、よう、よう」

といいながら行ゆきにかゝりますと、馬が多助の穿はいている草鞋の切れ目を蹈ふみ、多助の袖を噛くわえて遣るまいとするから、

多「あアまだ留めるか、己おれも別れたくはねえが、居たくっても居られねえから其処を離はなして呉んろよ、よう、よう」

と惜しき別れを無理に振切って別れまして、多助は泣きながらトッ〱と御城下まで一目散に三里ばかり駈けて参りまして、これからは山越しをするのですが、何を云うにも路用は僅たった六百文、此処らは只今のように開けませんで、白井しらい八崎はっさきの難所を越え、漸くのことで岩上いわがみという処へかゝりますと、白しらりっと夜が明けて来ました。此処には利根川の支流えだがわがあり、其の河辺かわべりに松の木が五六本生えて居りまして、用水が流れて居り。只今では掛茶屋が出来て、此の用水が県庁の御用水に成って居りますが、其の頃は極ごく淋しく、水は岩間に当ってドウードッと流れます。松の木の側に青面金剛せいめんこんごうという石が建って居ります所に、両人連ふたりづれの者が𢌞し合羽を着て、脚半草鞋に旅荷を側へ置いて、摺火すりびで頻りに煙草を喫のんで居りますのを、多助が見掛けまして、

多「少々物が承りとうございやす」

男「何だ〱」

多「えゝ、前橋めえばしという所へはどう出たら宜うがんす、前橋めえばしへ参まいりますには何う参めえって宜しゅうございやしょう」

男「前橋めえばしへ往ゆくなア此処を構わずずうッと真直まっすぐ往って、突当つきあたって左へ曲って又突当ると、向うに橋が見える、それを渡れば直じきだ」

多「はい、有難うごぜえます、お先へ参めえりやす」

と礼を云って往ゆきにかゝりますと、

男「これ〱待て、手前てめえは沼田の下新田の多助だなア」

多「ハア何方どなたでがんすか」

と云いますと彼かの男は、

男「多助久し振りで逢ったなア」

と云いながら被って居た笠を取ったが、多助は心付かず、只と見ますと昨年鹽原の家いえへ強談ゆすりに来た道連の小平に、今一人は繼立の仁助という旅稼ぎの悪者二人ですから、多助は恟びっくりしますと、

小「好いい所で逢った」

多「御免なすって下せい」

小「去年手前てめえの所へごたつきに往って失錯しくじったので、お母ふくろも口惜しがって居るから、手前てめえがおえいと墓参はかめえりに往った帰けえり道でおえいを攫さらおうと思ったら、侍が邪魔に入へえって到頭それも遣り損そこなって口惜しくって堪らねえ、さア手前てめえは前橋めえばしへ買物に往いくのなら、三百石の田地持の大尽だから些ちったア金も持ってるだろう、身ぐるみ脱いで置いて往ゆけ」

多「はい、買物に往ゆくんじゃがんしねえ、おえいも心得違こゝろえちげえをしやんして、私わしも家うちに居いられねえで、母親おふくろに追出され、六百の銭を路銀にして江戸へ往って奉公する身の上でがんすから、衣物きものも一枚めえでも取られちゃア困りやすから、御勘弁なすって下せえまし」

小「嘘をつけえ、三百石の田地持が六百ばかりの端銭はしたぜにで江戸へ行いこう筈はねえ、さアぐず〱すると打たゝッ斬るぞ、仁助縛っちまえ」

仁「兄いがあゝ言い出しちゃア肯きかねえから、早く裸体はだかになって置いて行ゆきな、出さねえでじたばたすると殺してしまうぞ、泣顔なきッつらするねえ」

と云いながら閃きらりッと長いのを引ひっこ抜いて、ずぶりッと草原へ突立つきたてますと、

多「どうかお願ねげえでがんすから命だけは助けて下さい、殺されて仕まっちゃア私わしい義理ある家いえへ恩返しをする事が出来やせん、私わしはこれから江戸へ出て辛抱して、国へ帰けえって鹽原の家うちへ恩返しをしなければ死んだ父様とっさまに対して済みましねえから御勘弁なすって下せえまし」

と泣きながら掌てを合せて拝みますと、

小「やい縁起が悪わりいや、神か仏じゃアあるめえし拝みやがんな」

と云いながら草鞋穿の足を挙げて、多助が両掌りょうてを合せて拝んでいる手と胸の間へ足を入れて、ドウンと蹴倒しまして、顛覆ひっくりかえる所を土足で蹈ふみかけ、一方かた〱の手に抜刀ぬきみを持って、

小「出さなければ殺すぞ」

と云うので、多助は実に危あやうい場合に相成りましたが、何と斯かゝる善人が家うちでは母親はゝおやや女房に附け狙われますのを、漸く遁のがれてまいる道で、又悪者のために捕つかまって斯かゝる危あやうい目に逢いまするのは、神も仏もないものか、実に不憫至極な訳でございます。これより多助の身の上如何いかゞ相成りますか、次囘までお預あずかりに致しましょう。

九

引続きまする人情噺しは兎角お退屈勝ちの事でございまして、草双紙でも芝居でも善人あり悪人あり、善人が悪人のために困苦をいたし、後に善人栄えて悪人亡び、失いました宝たからが出て可愛い同志が夫婦に成るという是れがどの跋ばつでも同じようでございます。善悪二つあるかと云うと一つだと仰しゃいます方がありますが、其の一つは何だと云うと無形のもので、とんと形がない、善の魂が悪くなるのは何ういう訳だと伺って見ますと、或るお物識ものしりのお講釈に、先ず早く云えば月に雲の掛るようなもので、これなどは圓朝にも解りますから、成程と云うて感じまして聞きましたが、唯たゞ人が何も思わずに居ります時の心は冴えたる月のようなもので、誠に清らかで晴々せい〱としている所、煩悩の雲が掛り、心の月を曇らせますと申すは、向うでヒラ〱と青い札さつを勘定して居ると、あゝ大層札を持って居るなと思えば、慾張った雲が出て来て、心の月にかゝりますと暗くなります、アヽ欲ほしいものだと思うばかりならいゝが、何うかして彼奴あいつを殺して奪とりたいと思えばボツリ〱と雨が降って来て真闇まっくらになり、又気が附いてあゝ悪い事をした、斯様こんな事はふッつりと思うまいと思えば煩悩の雲がすうッと切れますると、光々こう〱とした月になります。又向うに駒下駄の音がして赤縮緬あかちりめんの褌ふんどしが見えると、助平の雲が出て来る、彼あれは何者だろう、お嬢様か娘か、彼あれを口説いて見ようか、口説いても肯きかないといけないから、何処か淋しい所で押顛おっころがしてやろうかと思えば夕立ちで、ガラ〱〱と雷になる。あゝ悪い事をした、止しましょうと気が付けば元のような良い月夜になる、又向むこうの鰻屋でバタ〱と鰻を焼く音がすると、あゝ彼あれを食いたいものだと思うと、意地の穢きたない雲が出て来る、それを気が付けば元のようになるが、其の雲の掛らんようにするには智慧という風でなければなりません、雲がかゝって来た時、ドッコイと智慧という風で吹散らしてしまうようにしなければいけません「浮雲を払い出でたる秋風を松に残して月を見るかな」という歌があります、これは左様なる事に詠んだ歌ではない、月の事に就いて詠みました歌でございますが、雲を風で吹払った跡は、松が枝えに渡る風の声のみで、光々明々こう〱めい〱として月を見ている心になれば、年中間違いはなきものゆえ、悟れば善になり迷えば悪になるもので、迷えば可愛い子を棄て、夫を棄てるように相成りますと申すは、前ぜん申上げました通り、おかめの心得違こゝろえちがいというものは恋という煩悩の雲がかゝり、心の闇に迷いまして一通りの間違いではない、原丹治と密通をいたし、現在の娘を唆そゝのかして己おのれの密夫みっぷの悴せがれ丹三郎と密通させ、それのみならず孝子多助を殺そうとする罪は実に悪にくむべきものでござります。多助も家うちに居いれば命が危あぶない、命があれば又鹽原の家いえを立て直す時もあろうと思い、住馴れた家いえを立出でました。家うちでは多助が翌日になっても帰って来ないから、おかめの了簡では、彼奴あいつは江戸へでも往ったか遠い所へでも往ったか、大方家うちの辛い所を思って、首でも縊くゝってしまったのであろうと、多助の死ぬのを待って居りますと、奉公人の忠義な五八は多助が帰って来ませんから心配して捜して来ましたが居りません。すると沼田原の松の木に青という馬が繋いであると聞きましたから、五八は直すぐに行って見ましたが、ハテ解らんと思うのは、馬の荷鞍に二分と一貫の銭と馬通いの帳面があるから変に思い、多助が他国へでも行ゆくならば此の銭を持って行ゆく筈だが、これへ縛り付けて行ゆくからは、身でも投げたか、但しは雑木山へでも入って首でも縊くゝって死んだかと思って、山川を捜したが判りませんので、おかめは心の中で嬉しいが、外面うわべでは五八に言付けて、何処へ往ったか捜して御覧と案じる振で捜させても分りませんので、おかめも内々安心して居りました。すると九月三日に五八が他所よそから帰って来まして台所の事をして居ると、

かめ「あの五八や、こゝへ来なよ」

五「お内儀かみさん、なんでがんす」

かめ「此処へ来な、アノ其処に膳があるから、それを拭いて置いてくんな、今日は家うちにお客があるから、そうして水を汲んだり何かしておくれ」

五「何処からお客が来やんすな」

かめ「何処からお客が来るって、お前の知っての通り多助は此の家やの主人だのに、家出をして行方も知れず、おえいと両人ふたりで此の身代を持って居いられないから、どんな者でもお婿を貰おうと思って居ると、お前の知っている御城内の原さんの御子息丹三郎さんは病身でお屋敷の御奉公は出来ないから、百姓か町人の家いえへ養子に遣りたいと云うので、名主からの口入れで相談も整い、今日は婚礼をするので、原さんと名主幸左衞門さんとが来るんだよ、お侍様が百姓の家うちへ養子に来るのだから勝手が知れめえから、お前も気を付けて上げな、あの方が此の家うちへおいでになるとお前も仕合しあわせだよ」

五「へい何ですか、おえいさんの処え婿が来やすか、こりゃア変だなア、おえいさんには多助さんと云う亭主のある身で、又亭主を貰うと云うか、そんなら女というものは亭主を両人ふたり持ってもいゝかね」

かめ「何を云うのだ、多助の行方が知れぬから、おえいに婿を貰うんだよ」

五「多助さんの行方が知れねえと云うて、多助さんは先月出たべいで、死んだか生きて居るか分らねえのに、おえいさんに婿を取るとは余あんまり義理を知らねえじゃねいか、仮令たとえ人が婿を世話アしても、一周忌でも済んだら貰うべえと云って断るのが本当だに、四十九日も経たねえのに家うちへ婿を取るとはひでえじゃがんせんか、多助さんも此の家いえを出たくはねえが、居いられねえから出たんだから、又了簡を取直して帰って来るかも知れねえのに、婿を取って済みやすかえ」

かめ「彼あアいうことを云ってるよ、彼あれが帰って来ても構わないよ、親を棄てゝ出るような奴だから最う構いません、私は娘に婿を取らして楽をしようという訳ではないが、多助が居なければ婿をもらうのは当然あたりまえだアね」

五「駄目でがんす、婚礼はなりやしねえ、よく考えて見なせい」

かめ「お前が何も知っている訳はねえよ」

五「それでも多助さんが死んだか生きているか知れねえのに、婿を取るというのは情ねえこんだ、これ、多助さんは三百石持の旦那様だのに、家うちにいれば小言べえ云われるので、外へ出て泣々歩くから村の者べえじゃアねえ他村たむらの者にまで、泣き多助と名を附けられるのもお前めえさまが宜くねえからだ、多助さんは現在あなたの甥じゃアねえか、それをいびり出して婿を取るという法がありやすかえ、私わしい何うしても取らせねえ」

かめ「彼あアいう事を云やアがる、主人が勝手にするんだ、黙っていろ、ぐず〱いうなら出て往ゆきな」

えい「奉公人の癖にお母っかさんに逆らうなら出て往ゆきな」

五「出ねえや、出ませんよ、私わしア先せんの旦那様に長く御奉公をして、西も東も分らねえものが旦那様の丹誠で、今では馬通いもつけられるように成った恩があるから出られねえ、多助さんが居なければ此の家うちは猶なお危ねえよ、マア貴方あんた考えて見なせえ、御城内の者が百姓の家うちへ養子に来ても、何月の幾日いくかに何の種を蒔けば、何月の幾日いくかに芽をふくという事を知りアしねえ、其様そんな者を婿に取れば此こゝな家うちは潰れるから駄目だ」

かめ「主人の云うのだから出て往いけったら出て往いけ」

五「駄目だ、己おれ往って相談して来る所がある」

といい捨て、分家の太左衞門の所へ往ゆきました。

五「旦那様内うちか」

太「おゝ五八か、此方こっちえ入へいれ」

五「旦那様は己おらア家うちの何なんに当るか」

太「馬鹿野郎め、何年奉公をしている、その位の事が知れねいという法があるものか、死んだ角右衞門殿の甥といえば己おれ独ひとりしかねえ」

五「それじゃア己おらア家うちの分家だ」

太「そうよ」

五「其の分家が己おらア家うちへ婿の来るのを知んねえで居るかえ」

太「フウン、誰へ婿が来るのだ」

五「それだから駄目だ、多助さんが出たから宜いい気になって、おえいさんに婿を取ると云うのだが、何と呆れ切って物が云えねえ、彼あの仏のような多助さんを追出して、悪わりい事をしていた丹三郎を婿に取ると云うので、我わしへ膳をふけというから、誰え来ると聞いたら婿が来ると言やアがるし、其の相手は城内の原丹治の悴が婿に来るというから、私わしい魂消た、あんた蒲団の上にぶっ坐つわっている時じゃアあんめえ、往って掛合っておくんなせえ」

太「何とまア太い阿魔じゃアねいか、何時婿が来ると」

五「今夜来やんす」

太「掛合ってやるべえとも」

五「往って下せえ、なんとマア名主が媒人なこうどだって、名主まで馴合っていやアがるんだもの」

太「これ婆ア、脇差を出せ」

婆「よすが宜いいよ、又五八がそんな事を言わなければ宜いいのに、相手は侍で名主が媒人なこうどだというから、間違まちげえが出来るといけねえから往いかねえが宜ようがんすよ」

太「黙っていろ、羽織を出せ」

というので、襟巾が三寸五分ある小紋の白しらばっくれたような羽織を着ましたが、前から見ると帯広裸体はだかで居るような姿なりをして、五八と一緒に憤おこり切って出掛けて往ゆきます。此方こちらは今内祝言ないしゅうげんの盃を取ろうとする所へ太左衞門が物をも言わずに上って来て、祝言の座敷へドッサリと坐って、これから談判を致しますというお話になります。鳥渡ちょっと一息つきまして。

鹽原多助は実に孝行でございますが、人には幸不幸というものがあり、又始めの内に極ごく結構な身の上で老年に至りて艱難するものもあり、始めに艱難辛苦をして後に安楽な身の上となるものがありますが、是は仏説で言う因縁でございまして、こればかりは何ういう事か解りません、間が好いいと好いい事ばかりで、間が悪いと悪い事ばかりあるもので、運のいゝ方は顛ころんだかと思えば札さつを拾い、川へ落ちてガバ〱していると金側きんがわ時計を拾うような事があり、又間が悪いと途中で手水ちょうずが出たくなって、あゝ何所どこかに手水場があれば好いいと思うと、幸い三疋立ちの雪隠せついんがあるから入ろうとすると、皆みんな咳払いをして塞がって居たり、横浜へ往いくのに汽車に乗ろうと思って大急ぎで人力車で停車場へ駆付けると、汽車がピイと出て往ってしまったり、天気が好いいと思って合羽を脱いで外へ出れば雨が降って来たり、芸者を買えばブツ〱と憤おこってばかりいたり、総すべて十分にいかんものでございます。多助のような好よい人は神も仏も附添って居るかと思うと、前囘に申上げたような難渋な目に遭い、自分が曳馴れた馬に別れを告げて漸く岩上村へ掛りますと、胡麻の灰道連の小平と仁助に会って土足に掛けられ、抜刀ぬきみを突付けて、さア金を出さなければ殺すぞと云うので、多助は青くなり、掌てを合せ「何卒どうぞ免ゆるしておくんなさい、裸体はだかにでも何にでもなるから」と云うのを耳にもかけず、

小平「仁助、剥いでしまえ」

と云うので多助の着物を剥ぎますと、着て居るのはぼうた布子で、バッタリと落ちたのは六百文。

仁「兄いほんとに六百しかねえぜ」

小「手前てめえほんとに六百しかねえのか、縁起が悪わりいや、夜が明けてしまう、起おきろ〱」

と云われ、多助は裸体はだかで小平を拝みますと、

小「縁起が悪わるい奴だ」

と云いながら、今多助が起き上ろうとする処を土足で胸を蹴けたから後うしろへ逆さま、利根の枝川の流れへドブウンと落ちまして、多助は流されましたが、川が浅いから漸くの事で這上って来ますと、両人ふたりの者は居りません。着物はなし六百文の銭は差さしが切れ、彼処此処あちらこちらへ散乱致して居りますのを拾い集めて漸く四百幾文いくら、五百に足りない銭を、これでも命の綱と思い、ずぶ濡れになって前橋の手前まで来ると、少し日があたって来ました。朝日のさすのに裸体はだかでも歩けないから、宿しゅくの取付とりつきに古着屋がありますから、百五十文出して襦袢を一枚買って、帯がないから縄を締め、あまる銭で木銭宿きせんやどへ泊り、四日路よっかじかゝって漸く江戸表へ着きましたが、其の頃は只今と違って路みちが難渋でございまして、殊ことに多助は江戸の勝手を知りません、何処と云って頼る所がないが、江戸という所は桂庵けいあんと云うものがあって、奉公人の世話をするそうだが、それには受人うけにんがなければいけまいと思い、ふと考え付いたのは、十四年前に別れた実父鹽原角右衞門様は、阿部伊豫守様の御家来であったのが、浪人して後戸田様の家来になって居るとの事ゆえ、尋ねて往って頼んだら、受人ぐらいにはなって呉れるだろう、実のお母様かゝさまやお父様とっさまはお達者でお出でなさるか、下新田へ養子に往ってから便りもしないが、何うなすったか逢いたい事と思って、筋違橋すじかいばしの戸田様の前へ来て、通用門へ掛ればいゝに、知りませんから表門へかゝり、お役人の居る所へズタ〱の姿なりをしてまいりまして、

多「はい、御免なせえ」

役「何処へ参めいるのだ、物貰いなら彼方あちらへ行ゆけ彼方へ行け」

多「はい、少々物が承わりとうございます」

役「物が聞きたければお辻へ往ゆけ、何だ乞食みたような姿なりをして」

多「これから乞食になればなるんだが、未だ乞食にはなんねえ、アノ戸田様のお屋敷は此処でがんすかえ」

役「戸田様の屋敷は此方こちらだ」

多「それでは十四年前ぜんに此方こちらへ抱かけえられた、鹽原角右衞門という方がありやんすか」

役「なに鹽原、ハイ彼あれは十三年前まえにお国詰になって此のお屋敷には居らん」

多「お国は野州の宇都宮でがんすか」

役「前ぜんは宇都宮であつたが、松平主殿頭殿まつだいらとのものかみどのとお国換えになって、今では肥前の島原だ」

多「へえ、肥前の島原という所は遠うがんすか」

役「そうサ、島原までは三百一里半あるな」

と云われて多助は恟びっくり致し、ハアと云いながら思わず知らず此処そこへ泣き倒れました。

役「これ〱彼方あちらへ参れ、彼方へ参れ」

多「はい〱、腹ア減らして遣い残しが二十八文、宇都宮なら食わずにでも往いくが、三百里あっちゃア仕様がねえ」

役「ぐず〱云うな、彼方あちらへ行ゆけ」

多「はい、参めえりやす」

と言いながら出掛けましたが、頼みの綱も切れ果てゝ、これから先きは飢えて死ぬより外に仕様がないと覚悟を極きわめ、何うか知れないように淵川ふちかわへでも身を投げて死のうと思って、日の暮れるまで彼方此方あっちこっちとうろ〱歩いて、駿河台の織田姫稲荷おだひめいなりの所へ参りますと、最う腹が減って歩けません、其の内に雨がポツリ〱と降ってまいりますから、駿河台を下りて昌平橋しょうへいばしへ掛りました。此の昌平橋は只今は御成道おなりみちの通りに架かゝって居りますが、其の頃は万世橋よろずよばしの西に在ありましたので、多助は山出しでございますから、頓とんと勝手が知れません。

多「死ぬべえが此の川は国の川と違って底が見えねえから深ふけいと見える、此処から飛込むべえか、彼処あすこから飛込むべえか、何処から飛込んだらつん流されべえ、死ぬには入らねえ廿八文、此処こけえ上のせて置けば乞食か何か拾って往いくべえから、此処こけへ上のせて置くべえ」

と正直に橋の欄干え遣い残しの銭を載せて、

多「あゝ〱、国で信心していた榛名様や鎮守様八幡様もお情ねえ、私わしが死ぬと国の養い親の家うちが潰れやす、仮令たとい家うちが潰れても私わしが生きて居れば立て直すことが出来るが、江戸で奉公するには肝心な受人になる人が三百里先へ往ってしまい、受人がなければ奉公は出来ず、と云って国へ帰けえれば抜刀ぬきみで追掛おっかけられて殺されてしまいやすから、拠よんどころなく此処から飛込んで死にやすが、何卒どうぞ私わしが亡ねえ後は国の家いえが立ちますようお守りなすって下さいまし、南無阿弥陀仏〱〱」

と掌てを合せて、あわや身を躍らして飛込もうとする後うしろから、「これ待ちなさい」と多助を抱留めました。此の者は善か悪か次囘に申上げましょう。

十

お話替って、鹽原の家いえでは今おえいと丹三郎と婚礼の盃をしようという処へ、分家の太左衞門が参りまして、

太「其の盃を少し待って下せい」

と云われて、

かめ「どうしてお前さん来ました」

と大きに驚きました。

太「はい、驚いたかも知んねえが、私わしも驚いた、何ういう訳でおえいが処とこへ婿が来るか、私も分家でいて其の訳を知らねえと云う事はねえから、何ういう訳で婿を取りやすか、それを承わりたえ、はい」

かめ「実はお知らせ申したいと思って居りましたが、これが表向きの祝儀という訳ではなし、一旦極りを付けてから、お話をしようと思って居りましたが、婿を取ると申す訳は、先月多助が出てから、女世帯ですから、どうか婿を取りたいと思って居りますと、此処においでの丹三さんは御病身で、お屋敷奉公は出来ないという処とこから、お上かみへ願ってお聞済きゝずみになり、名主様のお口入れでありまして、年頃もよし、おえいは江戸表からの知己ちかづきでもあり、丁度宜しいから、お武家様から百姓の家うちへ養子に来て下さるのは有難い事で、誠に斯様こんな身に取って有難い事はありませんから、取極めました、実は貴方の所とこへお話がしたいと思って居りましたが、誠に急な事になりまして、ほんの内祝言ないしゅうげんをして、後あとで貴方の所ところへお話しようと思っておりましたが、今丁度貴方がお出でなすって下すったから、何うかこれへお坐りなすって下さい」

太「はい、そりゃア承わりたいもんだ、おえいには多助という亭主があるのに、何ういう訳で婿を取りやすえ」

かめ「多助々々と仰しゃいますが、彼あれは親を捨てゝ家うちを出るような奴ですから、仮令たとえ帰って来ても私の血統ちすじだけに世間様へ対して入れられませんから、おえいに婿を取るのは当然あたりまえです」

太「こりゃア承わりてえ、此の鹽原の家うちの相続人は多助と定まって居やんすというのは、去年六月晦日みそかの晩に死んだ角右衞門殿の枕元に、貴方あんたも多助もおえいも五八も私わしもいたが、角右衞門殿が臨終いまわの際きわに何にもいう事はねえが、己おらア家うちの相続人は多助と定さだまっている、此度こんどは己おらア死病と定って居るから、一言いちごん云わねえければならねえと云うものは、多助にも嫁を取らなければならねい、就ついちゃアおえいは多助のためには従弟なり、おかめの為には多助は甥なりするから、おえいを多助の嫁にして此の家うちを相続させれば、此のくらい安心な事はねいが、多助は未だ年がいかねえによって、太左衞門汝われえ此の家うちの後見に成って、己おれが亡ねえ後のちを頼むと遺言をして、私わしが媒妁なこうどになって、病人の枕元で盃をしやんした、其の遺言にある通り、多助は一軒の主人だから、そりゃア随分南部の盛岡の方に馬のいゝのが出たとか、又山の売物に安いのでもあれば買いに往ゆきてえが、急ぐんで家うちへ知らせる間もなく直ぐに往って来たとか云って、明日あすが日帰って来るかも知んねえから、若もしも多助が帰って来て、私わしい無沙汰むさたで何でおえいに婿を貰わせやんしたと己おれに云われた時は、己おらは一言半句でも申訳がねえ、それだから私わしの眼の黒いうちは何うしても此の祝言をさせる事は出来ねえ」

かめ「お前さんは何ぞというと多助々々と仰しゃるが、何故なぜそんなら一軒の主人が親や女房を捨てゝ出て往ってしまいました、さアお前さんは多助を贔屓にするから、若もし帰って来たらば、お作さんの婿にでも何にでもおしなさい、私は何うしても彼様あんな者は家うちへ入れません」

太「其の事柄が極った上で婿を取るなら取るもいゝが、極らねえうちは取らせねえ、己おらア分家だに、はい」

かめ「祝言と云っても内々うち〱だけの婚礼で、村へ知らした訳でも何でもありませんわな」

太「仮令たとい内祝言でも己おらア分家だから内輪だが、内輪の己おれに知らせねえという法はあんめえ」

と頻りに争って居りますと、土間の方から五八が、

五「旦那様確しっかり遣っておくんなせえ、村中むらじゅうが付いて居りやすから確かりやってお呉んなせえ」

と呶鳴りますし、太左衞門の申すのは実に理の当然ゆえ、おかめも困って居りますと、其の頃は名主というと威張ったもので、幸左衞門という名主様が、

幸「太左衞門〱」

太「こりゃア飛んだ迷惑な所へお出でなすって、嘸さぞお困りでがんしょうが、今申した通りの訳だから、何うか此の度たびの処は原さんの処は引取っておくんなせえやし」

幸「これ、今聞いていれば、汝われえ分家だと言って此の婚礼を拒む訳はあんめえという訳は、此の村方は誰の支配を受ける、土岐様の御支配で其の御家来の息子さんが此の家うちの聟に成ってくれるだから此の上もねえ仕合せ、殊に外ほかの者もんが媒妁なこうどをするのと違って、此の名主が媒妁をするのだから、礼の一言ひとことも言わしなければならねえのに、何ういう訳で汝わりゃア拒むな」

太「はい、拒みやすな、あんた名主様なら何故なぜ私わしが処へ話をしやんせん、此の家うちには私わしより外に親類はありやんしねえ、小前こまえの者が違ったことをすれば諭してやるのが名主様の役だのに、其の名主様ともあるものが、親類へ話をしねえで済みやすかえ、はい」

幸「それはどうもハア至極尤もな様で、成程どうも尤もだが、只今もいう通り、これが表向の祝言でねえから知らせねえので表向の祝言ならば親類や何かへも知らせ、檀那寺まで届けるんだが、表向でねえから知らせねいので、はい」

太「それじゃア私わしは内輪の者もんじゃねえかえ、はーい」

幸「内輪の者もんには違ちげえねいが、どうも只今も申す通り、どうも其の御領主様の、どうもその」

と名主も辞ことばに支つかえて仕様がありません。何と云っても理の当然ですから名主も返す辞がなく困っていると原丹治が見かねましたから、それへ出て、太左衞門より少し座を下さがって坐りまして、

丹「太左衞門殿私わしもとんと心附かなかった、お前の方にはお話があった事と心得、名主様も御繁多でもあり、殊に小前といえば子のように思って居る所から、お前の方へは後あとで話をする積りであったかも知れん、お龜がお話をせんと言うのは重々悪いが、彼あれは女の事で其の辺に心附かず、実に申訳がない、お前の言うのは理の当然だが、此の婚礼が破談に成っては何なんにも知らないおえいや丹三郎が可哀そうだ、お前が承知さえしてくれゝば実に此の上もない目出たい事だから、どうか勘弁してやってくれ、此の通り丹治が首こうべを下げてお詫を致す」

太「これは恐入りやす、マア頭をお上げなさい、至極御尤もな訳でがんすが、又御城中のお侍が百姓に手をついてお詫をする訳はねえが、道に背そむくからお詫言をなさるんで、道に背いた事はどうしても通せねえ、貴方あんたが何と言っても亡った角右衞門の前へ対して、此の婚礼は出来ねえ、又何なんにも知らねえおえいや丹三郎が不憫だと仰しゃれば些ちと申したい事がある、おえいや丹三郎さんが何なんにも知らねえという訳はがんしねえ、と言うものは、先達せんだって店たなで拾った文ふみがありやす、私わしも焼いてしまうべえと思ったが取ってありやすから、これを表向にすれば貴方あんたのお役にも拘かゝわるから、何にも云わずに帰って下せえ」

と云われた時は原父子おやこは恟びっくりして、それでは先達せんだっての艶書を太左衞門が疾とうに焼捨てた事と心得ていたが、取ってあったか、あゝ困ったものだと思っていると、丹三郎は血気の壮者わかものですから心が逸はやって、此奴こいつが居るから可愛いおえいと夫婦になれないと思って、側にあった一刀をズッと抜いて、突然いきなり太左衞門に斬付けますと、其の頃は人切り包丁に驚いたもので、太左衞門はこれを見ると驚き、外へ逃げ出そうとして縁側から転がり落ちて、慌てゝ厩うまやの方へ逃げると、五八は鋤を提ひっさげて、

五「さア旦那様を殺せば汝われを殺すぞ、多助さんの代りに己おれが汝を打ぶち殺すだ」

と勢い烈しく抗むかいましたから、丹三たんざはこれに憶おくして後あとへ後しさると、おえいは嫁入姿の儘で駆出し、可愛い丹三さんに怪我をさせてはならないと思い、突然いきなりに五八の頭髪たぶさを取って後うしろへ引き倒そうとする所を、前から丹三郎が五八の面部へ切付けましたから、

五「あゝ己を切りやアがったな」

と云う、丹三郎が尚お切ろうとすると、太左衞門は厩の方へ逃げて来ましたが、向うは厩、西の方は灰小屋、此方こちらは生垣で路みちがありませんから、慌てゝ前の方の大豆や小豆などが干してある所へ来て、莚むしろに躓つまずいて倒れる所を、丹三郎が長刀ながものを揮上ふりあげ、一刀に太左衞門を切ろうとする、太左衞門はどうしても遁のがれる道はありませんが、妙なもので、厩に繋いである青という馬は、多助が家うちを出る時沼田原の松の木へ繋いで因果を含めた処、多助の云うことに感じて泣いたと云うくらいの名馬でありますから、今太左衞門が丹三郎の一刀の下もとに殺されようとする有様を見ると、ボーンと厩から躍出とびだしました。田舎では厩の前にませと云う丸太があります。其のませを馬が鼻先はなづらで反はね除のけて外へ躍出して、突然いきなり後足あとあしを揚げて丹三郎を蹴けましたから、丹三郎は其処そこへ倒れますと、馬が丹三郎の肩へ噛付きましたから、丹三郎はさも苦しげにヒイと泣声をあげ、七顛八倒の苦しみを致します。これを見ていたおえいは驚いて、アレーと云いながら逃出しますと、馬は尚更暴れておえいを追掛けて、背後うしろからおえいの髷を囓くわえて後うしろへ引倒して、花嫁の美くしゅう濃こってりとお粉粧しまいをした顔を馬がモリ〱ッと噛みましたから、これは全く馬が多助の讎あだを討ったようなものでございます。此の間まに太左衞門と五八は表の店たなへ往って、来合せていた若衆わかいしゅにこれ〱の訳だと話をすると、平常ふだん悪にくまれている名主だから、名主も原も打殺うちころしてしまえと云うので、是から百姓五六十人が得物々々を持って、鹽原の家うちを取囲むというお話に相成ります。扨さてまた鹽原多助は進退こゝに谷きわまり、已むことを得ず今や昌平橋から身を投げようとする所を後うしろから抱き留められ、

多「何方どなたさまかは知りませんが、何卒どうぞ放しておくんなせえ、生きて居られねえ深い義理にからまる身の上、何卒死なして下せい」

△「コレサ、それだがの、今聞いて居れば、遠い国から出て来て奉公をするのに、受人うけにんがねえから死んでしまうと云うのだろう、死ねば義理ある家が立てられねえとか云ったな」

多「はい、そうでがんす」

男「死んで家が立てられなければ死ぬにゃア及ばねえじゃアないか」

多「それでも斯こうやって居れば腹が減って死んでしまいやすから、どうか放して死なして下せえ」

男「だがサア、其の受人がなくって奉公に置いてくれる人が出来れば宜いいのだろう」

多「はい〱、こんな乞食のような者を奉公に置いてくれてはがんせん」

男「己おれの家うちで奉公に置いてやろうが、斯様こんな断末場に成ると死ぬ気にもなるもんだが、人間と云うものは少しほとぼりが脱ぬけると、苦しい事を忘れてしまうものだから、お前が死んだ積りになって働けば置いてやろうよ」

多「はい、お前さん何処から出た、私わしア死ぬ苦くるしみをして働く事は何とも思いやせん、有難うがんす、どうか置いておくんなせえよ」

男「だがノウ此の心を忘れてはいけないよ、死ぬ時は了簡の出るものだが、少し過ぎれば忘れるものだから、お前めえが死ぬ気になって辛抱さえすれば、国へ帰る時は小遣ぐらいは持たしてやるから、私と一緒に来なさい」

と連立って参ります。此の人は神田佐久間町河岸にいる山口善右衞門やまぐちぜんえもんという炭問屋すみどんやで、家うちは八間間口で、土蔵も幾箇いくらかあり、奉公人も多く使って居ります。

善「今帰ったよ」

というと奉公人が皆みんな出てまいって、「ヘイお帰り遊ばせ〱〱〱」

奉「大層お帰りがお遅いからお迎いに出ようと思っていました…これ〱夜まで乞食が這入って来て困るな」

善「乞食じゃない、それは私が連れて来た人だ、まア此方こちらへお這入り」

多「へい御免なせい」

善「これ〱お前其の縄の帯だけ取りなさい、其処そこの番手桶に水が汲んであるから足を洗って、雑巾は手桶に掛って居るから、ナニ湯布ゆまきがない、サア出てもいゝや、なに湯布も売ってしまった、此方こっちへ上あがんな、どうか若衆わかいしゅ、此の人を家うちの奉公人にする積りだから世話アしてやってくんな、国から出て来て頼る所がないと云って、今昌平橋から身を投げようとする所を助けて来たのだ」

奉「へい、それは御奇特ごきとくの事でございます」

多「皆みんな此処にいるのは番頭さんでがんすか、私わしア遠い山国から出て来て、頼る所もねえから、今身を投げべえと思った所を、此方こちらの旦那様に助けられましたものでがんす、どうか目を掛けて下せい、又貴方あんたは番頭さんだから、斯様こんな者を置いちゃ為にならねえから追出してしまった方がいゝなんて、旦那に意地を附けねえで下せいよ」

善「そんな事を云わないでも宜しい、質朴で宜しいなア、どうだ腹が減へったろう、なに昨日から食わない、これ小僧台所へ連れて往ってお飯まんまを食わしてやれ、きょと〱してはいけないよ、今日は御先代の日なり、誠に好いい事をした」

番「誠によい御奇特ごきどくをなさいました」

善「今の男はどうか辛抱をして、義理ある家を立てたいという誠に好いい心掛の奴だから、何うか皆みんなが目を掛けてやってくれ、物になりそうだ、これ〱飯まんまを喫たべて来たか」

多「食い過ぎて坐れねえ、ひょっと追出された時、三百里往いけねえと困るから」

善「何か食べたか」

小「何も食べません、何をやっても勿体ない〱と云って何も食べません塩物をやったがそれも食べません、お香物こう〱を甜しゃぶって御膳ごぜんを食べて、一番終しまいに香物をガリ〱と食べました」

善「そうか、妙な男だなア、おい〱善太郎此処へ来な、これは今私わしが助けて来た人だ、何と云ったっけなア、助けて来たから多助か、多助や、これは家うちの悴せがれだから又いろ〱用を言付けるから」

多「へえ、若旦那様でがんすか、ハア今夜は貴方あんたの父様とっさまに助けられやした、どうかお目をかけておくんなんしよ、あんたの着て居るのは和やわらけえ着物でがんす」

善「家うちの悴は和けえ着物でなければ着ないのさ、なアにこれは平常着ふだんぎで、結城紬ゆうきつむぎだ」

多「へい、これが結城紬でがんすか、結城紬というものは糸を一々手でよって、それを高機たかはたで軽かろく打付ぶつけて置くのではねえ、女どもが力にまかせにキイッと締めて織るんだから、容易に出来るもんじゃアねえ、それよを不断に着るのはもっていねえじゃがんせんか、これから貴方あんたと両人ふたりで一生懸命になって稼いで、此の家うちを大でかくしねえばならねえ、貴方あんたも親孝行をして此の家いえを大切に思うだら、不断は木綿を着るが宜ようがんすよ、そうして旦那さん、あれじゃア奉公人のお菜かずが多うがんすよ、何でも奉公人のお菜は二度はいらねいから一度になせいまし」

などと一々主人の前で申しますから、主人は妙なことをいう奴だと思って居ります。多助は善右衞門を命の親と心得、有り難く思い、寝ても寤さめても恩義の程を忘れず、万事に気を利かして、骨身を惜まず一生懸命にくれ〱と働き、子ねに臥ふし寅に起るの誡めの通り、子と云えば前の九ツで、寅は七ツ時でございますから寝る間も何も有りはしません。朝は暗いうちから起きて先ず店の前を竹箒で掃き、犬の糞ふんなどがあっても穢きたないとも思わず取除とりのけて川へ投げ捨て、掃除をしてしまうと台所のおさんどんが起きて釜の下を焚附けると、多助は水瓶へ水を汲み込んで遣り、其のうち店の者が漸く起きて台所へ顔を洗いに来ると一々手水盥ちょうずだらいへ水を汲んで遣り、店の土間を掃いて居る中うちに店の者がお飯まんまを喰たべてしまうから、自分が食事を致し、それから直ぐ納屋へ往って炭を担いで、奥蔵の脇の納屋に積み込む、何や彼や少しの隙ひまもなく働きますゆえ、主人は素もとより店の者まで皆みんな感心致して居ります。多助は余程奇体な着物を着て働いて居りますゆえ、善右衞門が

善「多助や〱」

多「はい〱」

善「お前めえはそんな襤褸ぼろの下さがった物を着て居てはいかないよ、勇次郎の着物の古いのを遣ってあるのに何故なぜ着ないのう」

多「はい、有難うがんすけれども、とうに着ればハア破れやんすから、矢張やっぱり此の古襦袢の方が惜気おしげがなくって却かえって働きようがんす」

善「働き宜いいったっても余あんまり見みっともない、それに跣足はだしで歩くのは止せよ、草履を穿きな、若もし踏抜きでもして三日も四日も休むようではいかんよ」

多「踏抜きはしやせん、踏抜きをしねえように朝暗くれえうちに貝殻や小さい砂利だの瀬戸物の砕片かけがあると、掘ほじくって置き、清潔きれいに掃きやんすから平坦てえらになって居りやす」

善「それでも余あんまり見っともない、跣足で納屋から往ったり来たりするから、人様が見て、山口屋の奉公人は何だ、あんな形なりをさせて置く、乞食おこもを見たような形なりだと云われて外聞が悪いわな」

多「旦那様、そんじゃア人が聞いたら、あれは奉公人じゃない、乞食こじきがお百度を踏んでいるのだと云いなせえ」

善「そんなことが云えるものか、何か着物はないかえ」

多「旦那様、此間こなえだ柳原を通ると大でけえ古着屋の家うちに一枚めえ買いてえと思った着物が有りやしたから、価ね聞いたら六百だと云いやんしたが五百五十文ぐれえには負けべえと思いやすがねえ、買ってもようがんすかね」

善「田舎者だと思って馬鹿にして、贋物いかものでも売られてはいかないぜ」

多「なに、私わしい悉皆すっかり検あらためやんした、事に依ったら縫目を解ほどいて裏返して見べえか」

善「それが気に入って着られるなら買って来るが宜いい」

と銭を持たして遣りますと、多助は急いで柳原へまいり、彼かの古着を買取って直すぐに着て帰って参りましたを善右衞門が見て、

善「フヽ妙な塩梅あんばいだのう、和平どん見なさい、紋付の筒袖は始めてだのう、妙なものだなア」

和「へえー、異かわりものですな、アハヽヽヽア、私わたくしも紋付の筒袖は始めて見ました」

善「選えりに選えって轡くつわの紋付を買って来たのは何ういう訳だ、薩摩様の御紋所のようだなア、多助、何かそれがお前の家うちの定紋か」

多「そうじゃア有りやせん、旦那様聞いておくんなせい、国を出る時に沼田の原中の一本松へ、長い間引慣れた青という馬を繋いで、名残が惜しいから暇乞いとまごいをしながら馬の前面まえづらを撫なでて、己おれえ江戸へ行ゆき、奉公して帰けえって来るまで、達者で居て呉んろと私わしい泣きやんして、其の馬を撫でたり摩さすったりしやすと、馬も別れを惜んで泣きやんした、私わしも馬の泣いたのを初めて見やんしたが、大でけい眼から涙を砂原にパラ〱と落しやんした時には、私わしい人に別れるより辛くって、畜生でさえに斯うやって名残を惜んで泣くかと思いやんした時には、実に辛くって私わしい袖びっしょりにしやんしたが、それから江戸へ出ても尋ねる人には逢えず、外ほかに知音しるべも無くって請人うけにんになりてもないから、奉公する事も出来ねえで、寧いっそ身い投げべえとする所を旦那様に助けられ、今では雨にも風にも当らねえで、暖あたゝけえお飯まんまを喰べちゃ斯うやって何不足なく居りやんすが、人は楽になると直じきに難儀した事を忘れるもんですから、私わしい其の難儀を忘れねえ為に、見当みあたった此の轡くつわの紋で、少し我儘な根性が起った時には此の紋を見て、馬に別れた時の辛い事を思い出して、それを思えば何でもねえとお手本になりやんすから買って来やした」

善「はい〱成程々々、感心どうも感心、和平どん特別だのう」

和「誠に感心な事ですなア、妙に異かわって居りますよ」

善「まア〱精出して働け」

多「へい〱有難うがんす」

と隙間もなく身を粉こに砕き、忠義に働きますゆえ、出入りの者も自然多助を可愛がるものばかりでございます。斯かくて其の年も果て、翌年の丁度九月頃には多助も大きに用向きに慣れて参りましたゆえ、

善「多助や〱」

多「はい」

善「お前のう未まだ給金を極めなかったが、宜く働いて呉れるから給金を極めようのう」

多「はい、旦那様、私わしい給金は戴きましねえ」

善「戴かんではいかんから、給金だけは極めて呉れなければ困るよ」

多「それだけは何うしてもいきましねえ」

善「極めた給金を蓄ためて、国へ帰る時の資本もとでにして、国の家いえを立てるのじゃアないかえ」

多「でも、命を助けてくれた旦那様のために働くのは当然あたりまえだのに、お給金を戴いては済みましねえ」

善「それじゃ困るのう」

多「そんなら旦那様私わしい一つお願いが有りやすだ、其処そこらに落ちてる廃物すたりものを拾い蓄ためて、それを売り、二文でも三文でも旦那様へ預けるから、安い利で宜いいが、私わしい国へ帰けえるまで預かってお貰い申してえ」

善「拾い蓄ためると云って何を拾うのだ」

多「何なんてえ事なしに廃すたりになるものは、烟草たばこの粉こでも草履草鞋の要いらなくって皆みんなが棄てるのは、縄切なわッきれでも紙屑でも、何でもハア貯めて置いて売りやんす」

善「そんな物を買人かいてが有るか」

多「何でもハア廃すたりにはなんねえもので、釘かけでも拾いやんす、それを売って金を蓄ためやんす」

和「余り拾いたがって、若もし店へ来たお客が落した烟管や烟草入などを拾ってはいけねえぜ」

多「そんな事はしやしません、何でもハア人の要いらなくなって棄すてる物べえ拾うので、番頭さんはそんな根性が些ちっとべえ有りやんすねえ、根性が無くちゃそんな事は云わないもんだ、自分の心に有ると人もそうかと思うものだが、私わしのは皆みんなが要いらなくなって川へ打投ぶっぽうる物べえ拾い集めて蓄ためるんでがんす」

善「何処へ蓄ためて置くのだ」

多「裏うしろの、屋根が破れて物がはいらずにあるから、板を載せて置きやしたが、裏うらの大きな納屋が明いて居りやんして、別に物を納いれないようでがんすが、旦那様彼処あすこを安い店賃たなちんでお貸しなすって下せいまし」

善「お前めえに貸すのに店賃も何もいらん」

多「そんなら屹度彼あの納屋へ物を一杯ぺい詰めても大丈夫でがんすか、其の代りお給金なしで働きやす」

善「感心な事だ、其の志が面白い、貸して遣りますが、些ちっと方々ほう〲のお得意やお屋敷を教えて置かなければいかんが、戸田様のお邸やしきへ多助を遣ろうかのう番頭」

番「それが宜しゅうございます」

善「多助や」

多「へい」

善「其処そこに四俵大俵おおだわらが有るだろう、それを向うの戸田能登守様のお屋敷へ持って往って呉んな、御通用門から這入って鎌田市作かまだいちさく様のお宅へ届けるのだ、知れなければ御門で聞きな」

と請取書うけとりしょを持たせて遣りました。多助は路草みちくさを喰わず、ギシ〱担いでまいり、戸田様の御門にかゝりまして、

多「ヒエ、御免なせい」

門番「何だ〱」

多「炭屋善右衞門の所から参めえりやしたが、此のお屋敷の御家来に鎌の一昨日さくじつという人がありやすか」

門「なんだ、フヽヽ、鎌田市作いっさく様か」

多「そんだ、よく知ってる」

門「何だ、けしからん奴だ、それは御門を入って板塀に附いて真直まっすぐに行ゆくとお馬場の所に出るから、それへ附いて曲ると裏手に四軒お長家ながやがあるが、二軒目のお宅だ」

多「有難うがんす」

と又ギシ〱と担いで、教えられた通りまいりますと、鎌田市作いちさくという標札がありましたゆえ、

多「御免なさい」

妻「なんだのう」

多「炭屋善右衞門から炭を持ってめえりやした」

侍「そうか、大きに御苦労、幾俵持って来たえ」

多「四俵持ってめえりやした」

侍「そんなら二俵は此処に置いて、後あとの二俵は一軒隔おいてお隣のお宅うちまで持って往ってくんな、未だお荷物も片付くまいが、手前方から左様申したと二俵持って往ってくれ」

多「へい、一軒隔おいてお隣かね、ようがんすが、代を貰いていもんでがんす」

侍「後あとでやるよ」

多「でもマア斯うやって請取うけとりになって居りやんすから、そんなら二俵丈だけ戴いて置きましょう」

侍「あとで一緒に遣るよ」

多「それでも炭取ってしめえに代だいをよこさねえで、あとで炭取った覚えはねえと云われても、私わしは田舎者で仕様がねえ、主人が大事でいじだから代でいをよこさねいじゃア困る、マアよこせ」

侍「よこせとは何だ、おかしな奴だ、そんなら持って往ゆけ」

と代を投げ出すを多助は受取り、懐へ入れ、

多「そんなら此の二俵一軒隔おいてお隣へ持って往いきますべい」

と其処そこへ担いでまいり、

多「御免なせい〱」

妻「どうれ、誰だ」

多「へい、私わしは炭屋の奉公人でがんすが、あの一軒隔おいてお隣の鎌田市作様の処から炭二俵持って来やした」

妻「炭屋の男か、大きに御苦労だのう」

多「おら家うちの炭は宜いい代物しろものべい選んで安く売りやんすから、炭を買うなら得だから、おらア方ほうでべいお買いなんしよ、他ほかで買っては駄目でがんすよ」

妻「あいよ、他では取らないよ、此処へ置いては邪魔になるから、開きが明いて居るから其処そこへ入れておくれ」

多「そんなら此の戸袋の下へ納いれて置きやす、犬が小便をかけると焚いて臭いから、戸を立掛けて置きやんす」

と云いながら、縁側の方を見ますと、旅荷物に縛り附けてございます荷札に、鹽原角右衞門と筆太に書いてありますゆえ、多助は気が注つきまして、思わずずか〱と縁側の方へまいりました。

十一

多助は戸田様のお屋敷へ炭を持ってまいり、帰ろうとして不図目に付いた荷札に、実父の姓名があるに、思わず縁の方より駆かけより、

多「今出たお内儀かみさん」

妻「可笑しい男だよ、お内儀さん〱と云って何だよ」

と云いながら庭口の縁側の障子を明けて出て来ましたのは、年頃四十五六の人物の宜いい御新造で、平常着ふだんぎゆえ紬つむぎぐらいではありますが、お屋敷は堅いもので紋付を着て居ります。

妻「何か用があるのかえ」

多「此処に荷物が有りやんして、木札に鹽原角右衞門と書いてあるが、此のお方は肥前の島原へお国詰になって往ったお方ではござりやせんか」

妻「よく知って居るのう、当家が鹽原と云うよ」

多「それでは此処な家うちは、あの元もと阿部様の御家来であったが、久しく浪人して上州小川村に居て、また此処なお屋敷の御家来になった方で、あんたは鹽原角右衞門様の御内室おかみさんのおせいさんと云いやんすか」

妻「あい其の通りだが、どうして知っておいでだ」

と云われ多助は飛立つばかりに嬉しく思い、泣声を振り立て、

多「お母かゝさま」

と云いながら我を忘れておせいの裾にピッタリと縋って、

多「お懐かしゅうがんした、お母かゝさま、八歳やっつの時にお別れ申した貴方あんたの実の子の多助でがんすよ」

清「おやまア何うもまア思い掛けない、これ多助、見る影もないそんな姿なりになって」

と云いながら同じく泣出しました。

多「是には種々いろ〱深い訳ががんしての事で、どうかお父様とっさまやお母様かゝさまにお目にかゝりていと心掛けて居りやんして、信心をしたお蔭でマアお達者なお顔を見られやんした」

という声を聞き附け、奥より角右衞門が出てまいり、物をも云わず御新造の手を取って奥へ引入れ、縁側の隔へだての障子をパッタリと閉切たてきってしまいましたから、多助は呆然として、

多「お母様かゝさま〱、今此処え出てお母かゝさんの手を持って引張ひっぱり込んだ人は誰だえ、お母様若もしやお父様とっさまではござりやせんかえ、お母様〱、お父様かえ〱〱」

角「黙れ、苟かりそめにも殿様のお側近く勤つとめをする鹽原角右衞門、炭屋の下男に知己しるべは持たんわい、成程今を距さる事十五ヶ年以前、阿部家を出て上州東口の小川村に八ヶ年程浪人していた其の折、沼田の下新田に鹽原角右衞門と申する百姓が居り、私わしと同じ名前の好よしみを以て、乳のない所から悴の多助を育てゝくれろと頼まれたゆえ、余儀なく引受け、これなる清せいの乳を哺のまして八歳さいまでは養育したが、もう八歳にもなったから返してくれろとの頼みに依り、早速親許へ引渡した時に、其の方の実父角右衞門より長らく忰が御厄介になり、礼の仕方がないからと云って、聊いさゝかでは有るがと五十金を礼としてくれたればこそ、拙者は其の五十金を持って身支度を整え、借財を払って江戸表へ出てまいり、御当家へお抱えになり、只今ではお側近くを勤め三百石頂戴致して居るも、沼田下新田の角右衞門殿の恩義ではないか、拙者も其の恩義を知らんではないが、御当家へお抱えになると間もなくお国詰を仰付けられ、万里の波濤を隔てゝ居れば、都度々々書面も送らんが、又憗なまじいに便りを致せば其の多助と云うものが八歳まで育てられた事ゆえ、却かえって此の方を実の親と心得違いを致し実父角右衞門殿に不孝な事でも有りはせぬかと存じて、態わざと心あって便りを致さずにいた、併しかし十四ヶ年振りで江戸表へ出てまいり、余り懐かしいから先達せんだって国へ書面を送りし処、角右衞門の分家太左衞門より返事がまいり、披ひらいて見ると、角右衞門殿は一昨年歿し、跡目相続を致す多助と申すものは昨年家出を致し、跡方は焼失して鹽原角右衞門の家うちは絶えたという返事に大おおきに驚き、其の返事の如くなれば多助と申す奴は人でなしと只今も申し居る所であるが、若もしや多助と申す者が八歳まで養育されたゆえ、我おれを実の親と心得て江戸表へまいり、ずう〱しく来きたるとも、対面は国の角右衞門殿の位牌に対しても相成ろうと心得おるか、そりゃア若い内の事ゆえ女に溺れるとか、或あるいは酒食に其の身を果し、路頭に迷い、見る影もない姿となり、うろ〱致しては居ろうかと、朝夕共に此の清と心配致していたが、どうも何とも言い様なき不孝不義の奴、家督人たる者が親の家を捨てゝ国を立去るとは重々の不届者め、仮令たとえ此処へ参ればとて、面会致すような角右衞門と心得居るかえ、目通りはならんから早々出て往ゆけ」

清「誠に御立腹の段は重々御尤もさまでございます、多助お前心得違いをしたろう、若い内には随分有りうちの事とは申しながら、お前より外に鹽原の家いえを続つぐ可べき者はない、其の大事な家いえを捨てゝ、若気の至りとは云いながら女に溺れて金子を遣つかい果し、家うちに居られなくなって家出をしたのだろうが、何とまア浅ましい心におなりだ、今から十五年あとにお前を沼田の下新田へ遣やってからと云うものは、暑いにつけ寒いにつけ、旦那様も私もお前の事を忘れた事はありませんよ、痘瘡はしたなれど、知らぬ田舎へ行って我儘を云って叱られやしないか、又田舎の事だから手習や学問も碌々出来まいだろうし、どうして居るかと毎日お前の噂ばかりして居ましたが、そんな姿で来たとて、お父様とっさまは中々物堅い御気性だから、お会いになる気遣いはないから、辛抱をして国へ帰り立派に鹽原の家いえを相続して出て来れば、其の時はお会いになるかも知れないが、只今の身の上で会おうと云うのは無理な話、そんな見苦しい姿なりでうろ〱して、炭などを担いでお父様お母様っかさまと云われた訳ではあるまい、田舎育ちとは云え余あんまり分別がないではないか、又お詫びの出来る時節もあろうから早く往ゆきなさい」

多「はい〱、私わしい中々女などに溺れて金を遣つかって国を出た訳ではがんせん、私わしいだって国を出たくはねいが、居れば命にかゝる事があって、実は…」

と国の事を言いかけましたが、思い直して、いや〱養母おふくろやおえいの事を迂濶に御両親のお耳に入れたなら、おかめはお母様かゝさまには実の妹いもと、又女房おえいは実の姪めい、此の母子おやこの悪事を聞かれたら物堅いお父様とっさまやお母っかさまが嘸さぞお驚き遊ばし、御心配なさるだろう、云わずに居ても跡で事の分る時もあろうから、憗なまなか御心配を掛けるより寧いっそ何なにも云わずに帰ろうと、仏のような心の多助は、何なんにも云うまいと思いまして、

多「御尤もでがんすが、種々いろ〱深い訳が有ることでがんして、お聞かせ申していが、云うに云われない訳があって云いやんせんが、後あとで事は分りやしょう、私わしい国い出ねえば命にかゝる事があって、拠よんどころなく出たゞ、出れば後あとで家うちの潰れる事は知っているが、命い取られては家うちを立てることも出来ねえから、私わしが江戸へ出て奉公して金を貯め、国へ帰けえって家うちを興そうと思って江戸へ来ることは来たが、頼るものがゞんしねえで、去年の八月廿日はつか此のお屋敷へ尋ねて来て、お父様とっさまやお母様かゝさまはお達者で居るかと御門で聞いて見れば、お国詰になったとの事で、お国は宇都宮だったのがお国替になって、肥前の島原で三百里も先だと云われ、頼みの綱も切れ果てゝ路頭に迷う身の上となり、仕方がねえから昌平橋から身い投げべいとする所を、助けてくれたは今の主人山口屋善右衞門様、親切に世話をして、請人うけにんなしで奉公人に使ってくれやんしたから、私わしい山口屋で十年でも二十年でも死んだ気になって稼ぎ、金を拵え国へ帰って、鹽原の家うちを立てる心でがんすから、どうぞ心配なすっておくんなさるな」

角「黙れ、それ程まで恩義を知って居るものが、国の家いえを捨てゝ出るかえ、恩義を弁わきまえて居るなれば町人でも侍でも同じ事だから、今の主人善右衞門と申す者も、命を助けてくれた恩人、殊に主人であるから身を捨てゝ奉公をし、忠義に勤めあげ、手前が金を拵え国へ帰り、一旦絶えた親の家を相続し、親より勝まさって立派に家を立てろよ、身を立て道を行い、名を後世に揚げて父母を顕あらわすくらいのことは、八歳やッつのおり寝物語に度々たび〱申聞もうしきけてあるではないか、手前も侍の忰、いやなに仮令たとえ百姓の子でも其の位の事は弁えて居るだろう、早く帰れ」

清「迚とてもお逢いはないからお帰りよ」

多「はい帰りますよ、八歳やッつの時にお別れ申しましたから、お父様とっさまやお母様かゝさまのお顔を碌に知んなかったが、お母様には今始めてお目にかゝりましたから、お母様の顔は斯ういう顔で斯ういうお姿だという事は覚えやしたが、お父様のお顔は知りやしねえからお顔だけ見せておくんなせい、そうすればお父様が表をお通りなさる時お顔を眺めて、あゝお達者で戸田様に奉公していらッしゃるかと思えば、仮令たとえ言葉は交かわせねえでも心丈夫に奉公が出来やんすから、どうぞお顔を見せておくんなせい、やアお父様なに殿様、どうぞお願いでがんすから、お母様なに御新造様どうぞ旦那様へ取次いでお顔を見せておくんなせえよう御新造様」

と我を忘れて縁側に這上って男泣に泣倒れるを、障子の内で聞く鹽原角右衞門も堪え兼る親子の情合じょうあい、思わず膝へはら〱と涙を落しましたが、流石さすがに武家魂は違ったもの、屹きっと思い返して声を荒あららげ、

角「黙れ、早く往ゆかぬか、何時までも兎や斯う無礼のことを申すか、苟かりそめにも殿様のお側近くを勤むる身の上で、炭屋の下男に知己ちかづきは持たん、ぐず〱して居おると障子越に槍玉に揚げるぞ」

多「へい〱参りやす、突殺されては仕様がねえ、あゝ有難ありがてえ親心だなア、自分だって逢いたくもあんべいけれども義理堅ぎりがていお人だから、一旦人に呉れたもんだから己おらア子じゃねえと云って、先方むこうの子と思わせべいとするのだ、己おれだって実の子だか嘘の子だか知ってるが、堅かていから槍で突殺すと云いやんしたから、是から槍で突殺された気になり、死身しにみになって奉公しやすんから、どうぞ心配しんぺいしねえで下せい、ハア段々お寒くなりやんすからお体を大事でいじにしてくだせい、私わしい立派になるまでお達者でいておくんなさいよ、左様なら」

とオイ〱泣きながら御門へやって来ると御門が厳しいから、

門番「これ〱炭屋の男」

多「へえ」

門「何うした泣顔して、御門切手を戴いて来たか」

多「何もねえ」

門「これ〱」

という間に無闇に表へ出て、漸く家うちへ帰って来る。

善「はい、大きに御苦労だった、戸田様は七万八千石だけあって、お立派だろう」

多「あの屋敷は私わし生涯往ゆくのは厭でがんす、戸田様だけは駄目だ、槍で突殺すと云われやんした」

主「それは大方からかわれたのだろう」

多「からかわれたのではありやしねえ、本当でがんすがねえ、其の槍で突殺すという心根が有難ありがてえもんでがんすねえ、旦那様さま槍で横っ腹を抉さゝられる心持は一通りでは有りやすめえが、始終槍で突かれている気で働けば、どんな苦しい奉公でも出来ようかと思いやすから、旦那様さん始終私わしが横っ腹を槍で突いてると思ってこき使って下せい」

善「何の事だか分らないよ」

多「誠に感心だ」

と多助は実父の志の深きを有難く心得ましたから、これより多助は命がけで山口屋へ奉公しております中うちに、一つの経済を考え出して金を貯める工夫をするお話は此の次に申上げます。

さてお話は二つに別れまして、沼田の鹽原の家いえでは其の騒動は一方ならず、馬が荒れ出して丹三郎を噛殺しました時には、名主幸左衞門、原丹治もおかめも途方にくれて慌てまわりました。是れは何も馬が多助の讐かたきを取ったという訳ではございません、馬は鼻の先へ閃めく刄はものの光りに驚いて躍はね出し、おえいを引倒し丹三郎を噛殺すような訳になるも天の悪にくしみで、自然に馬が斯様な事を致すような事に成りましたものでございます。丹治は我が可愛い忰を噛殺されましたから焦立いらだって庭へ飛び下り、馬の脇腹へ刀を突込んでこじりましたゆえ、流石さすがに猛たけき大馬おおうまも其の場へバッタリと横仆よこたおしになる上へ乗のし懸り、力に任せてギューと無闇に刮こじりましたから、馬は其の儘悲しい声をあげて息は絶えました。其の中うちにわい〱と人声ひとごえが致しますゆえ丹治も観念いたして、

丹「おかめもう迚とても此の家やに足を留めている訳にはいかん、殊に証拠の艶書ふみを太左衞門が持って逃出したから必ず役所へ訴え出るに違いない、そうする時は迚も斯うしてはいられないから、己も身を匿かくさなければならない」

かめ「そんなら旦那お邪魔でしょうが私も御一緒に連れて往って下さいまし」

丹「兎も角も早く逃げる支度をしろ」

と云いましたが、差当り二人の死骸の遣り場がありません所から、右の死骸を藁小屋へ突込つっこみまして、それから有合ありあわした着替の衣類に百五六十両の金を引出して、逃げる支度をしている中うちに、門前には百姓が一杯黒山のように群むらがり寄り、大声を揚げて口々に名主も原父子おやこも此処こけえ出ろ、打殺ぶちころしてしまえ、打殺してしまえ。と罵り立てられ、丹治おかめは表へ出る訳にいかない処から、一計を案じ、彼かの藁小屋へ火をかけましたが、藁の事ゆえ忽ち燃え移り、屋根裏へ抜けて母屋へ移り、焔々えん〱とばかりに燃出もえだした時には、火事馴れぬお百姓衆の事ゆえ、大きに驚きまして、丹治の逃げるを追いかける了簡もなく、火を消す方へのみかゝり、ワイ〱騒いでいる中うちに、丹治おかめの両人は生垣いけがきを破り逃げ出しました。名主も逃げ場を失い、漸くの事で生垣を破って逃出そうとすると、平常ふだん小前こまえの者に憎まれて居りますから、百姓衆は手に〱鋤鍬を執とり、名主を殺せ、名主を殺せ。と云うので、到頭無茶苦茶に殺してしまいました。此の事早くも御領主様へ聞えましたから太左衞門罷出まかりいでて、立派な申開きが相立ち、原丹治父子おやこの悪事、おかめの不届の次第が分りましたが、鹽原の家いえは焼失致し、それなりに済みまして、太左衞門は鹽原角右衞門の位牌を引取り、線香の煙の絶えんように致しました。此方こちらはおかめ丹治はおえいと丹三郎の死骸を藁屋に匿かくし火葬に致しましたが、茅屋かやゝゆえ忽ちに燃え広がり母屋へ移り、残らず類焼する。此の紛れに丹治はおかめの手を取って須川へ出て、それより大戸村へ出て、それより岩本村へかゝり蛇平じゃだいらへ出る。これは上州吾妻郡あがつまごおりの四万しまの山口と申す所へ抜けてまいる間道で、猟人かりゅうどか杣そまでなければ通らん路みちでございますが、両人ふたりは身の上が怖いから山中さんちゅうを怖いとも思わず、足弱あしよわを連れて漸くのことで山口へ参りました。彼あの辺へいらっしゃった方は御案内でございますが、温泉場で、大久保先生が分析遊ばされた所が、上州第一等の温泉であるという事で、今二人は田村と申す家いえへ宿を取り、身隠れをしている内に、九月の末からチラチラと雪が降出しました。此の辺は翌年の三月あたりでなくては雪が解けず、其の間は往来が出来ませんから幸いの匿かくれ場所としている内に、因果におかめが懐姙致しました。三十九歳になって子を設けると云うは物の因果で、原丹治も困ったが、まア〱金を沢山盗んで来たから十分贅沢をして、田村の家に厄介になって居りますと、翌年九月廿九日に産み落しましたは男の子で、名を四萬太郎しまたろうと附けましたが、おかめは産後の肥立ひだちが悪く、漸々よう〱のことで十一月になりますると、先ず体も治りましたから、斯んな山の中に何時までも居られる訳のものではない、それにお尋ねの風聞も大抵抜けた様子だから故郷忘ぼうじ難がたしの譬たとえで、二人一緒で江戸へ往ゆき、どんな暮しでもしようじゃないか、懐に金も有ることだからと、これから二人連立って十一月の五日に其処そこを出立しましたが、此の日は少々空模様が悪いのを抜け出し、中の条より村上村に出、男子山おのこやまの根方を通り、男子村と申す恐ろしい六里余よの道を越し、横堀という処へ登って来ると、雪がチラリ〱降り出しました。南の方かたには赤城山が一面に見え、後うしろは男子山、子持山こもちやま、北にあたって草津から四万の筆山ふでやま、吾妻山あづまやまから一面に榛名山はるなさんへ続いて見える山又山の難所なんじょで、下は削りなせる谷にして、吾妻川あがつまがわの流ながれも冬の中頃ゆえ水は涸かれて居りますが、名に負う急流、岩に当って打落す水音高くごう〱と物凄き有様でございます。

丹「困った物が降出して来たなア」

かめ「申し旦那、いけませんねえ、是から北牧きたむくまで何程なにほど有りますかえ」

丹「己おれも初めてゞ幾里あるか知らん、誠に困るな、幸いに此処に草履草鞋を吊してある家があるから、腰を掛け、桐油を羽織って往ゆこう、それより外に仕方がない、アイ御免よ、お婆さん茶を一杯おくれ」

婆「ヒヘーおかけなさんしよ、誠に悪わりい物が降り出しやした」

丹「これから北牧まで幾許いくらあるのう」

婆「はい、一里些ちっとんべいも有りやんしよ、これからは下りにはなりやんすが、道が難えれいでねえ、まア此処こけえお掛けなせい、お困りでござりやしょう」

丹「誠に困るよ、一里余よでは今から往ゆかれんのう、何処か此の辺に宿屋はあるまえかの」

婆「ヒヘー此間こねえだまで村上に二軒有ったが、本当の宿屋ではがんせんから、北牧の宿屋から喧やかましく云われて廃やめてしまって、今はありやしねえ、どうも北牧までの間には有りやしねえ、お困りでがんしょうねえ」

丹「困った事だ、近処で泊めて貰う訳には往ゆくまいか」

婆「そうはめえりますめえよ、どういう訳だかお尋ねものがあるの何なんのと厳しくって、只の家うちへ旅人を泊とめる事がならねいというお触ふれになって居りやんすから、泊る事にはなりやすめえ、貴方あんた若もし困るなら、これから半町ばかり跡へ帰けえると寮が有りやすが、其の寮へ往ってお泊とまんなんしよ、婆ばアさまが一人居て、困る人は皆みな其処そけえ往って泊りやんすよ」

丹「其の寮は何処だえ、寮とは何だねえ」

婆「何なにさ寺のこってがんすが、別に檀家もねえ寺で、お地蔵様の堂守に比丘尼の婆ばあさまが一人居りやす」

丹「往って頼んだら泊めてくれようか」

婆「旅人ばかりじゃがんせん、商人衆あきんどしゅうも泊りやすそうでがんすから、泊めましょう」

丹「左様そうか、茶代を此処に置くよ、そんなら跡へ帰って横へ半町ばかり入るのだのう、大きにお世話で有った」

と此の家やを立出でゝ跡へ少々戻り、半町ばかり細道へ入って往ゆくと、破れ堂が有り、其の中に鼻の打欠ぶっかけた醜い顔をしている石の六地蔵が建っております。其の左手に家根のない門形もんがたの処を這入って見ますと、破れ屋が有りましたから台所口から這入り、

丹「御免下さいまし」

比丘「はい、何方どなたでござます」

丹「手前は旅の者でございますが、夫婦で乳児ちのみごを抱え、此の雪に逢い泊る処がなく困りました処、此方こちらへ来てお願い申せば泊めて下さると近辺の者に教えられて参りましたが、どうかお情なさけにお泊め下さいまし」

比丘「嘸さぞまアお困りでございましょう、お泊りなさいだが、私も年を取って居りまして人様のお世話も出来ませんし、又こんな庵室の事でございますから、食物たべものも着て寐ねるものもござんしねえし、其の身其の儘でころりとお休みなさるので宜よければ、其処に清水を筧といで引いた井戸がありますから足を洗って此処へお上りなさい、盥たらいは台所にありますよ」

丹「はい有難うございます」

とこれから足を洗って上へ通ると、四尺に三尺の囲炉裏に真黒な自在を掛け、煤くすぶった薬鑵やかんがつるしてあります。

丹「実に悪いものが降り出しました」

比丘「さア山国ではねえ時々山から雲が吹出し、雪になるかと思うと又晴れ、晴れるかと思うと又降ると云うので山の事は頓とんと分りませんよ、お前さん方は江戸のお方のように思われますねえ」

丹「左様でございます、少々仔細が有って田舎へまいり、此の度たび帰り掛けでございます」

比丘「寒いから遠慮なしに粗朶そだをくべてお煖あたりなさい、何も御馳走はないから」

丹「難有ありがとうございます」

と粗朶をくべて吹きますると、火が移り燃上る焚火たきびの光で比丘尼婆ばゝあの顔を見ると、年頃五十五六ではあるが、未だでっぷり肥ったみず〱しい婆さんで、無地の濃花色こいはないろの布子ぬのこに腰衣こしごろもを着けて居りますのを、おかめがきっと見て大きに驚きました。三年前あと沼田の下新田へ道連れの小平という胡麻灰ごまのはいを連れ、強談ゆすりに来たおかく婆ばゝあで有りますから恟びっくり致し

かめ「お前はおかく婆さんじゃないか」

と云われおかくも驚き、

かく「これは誠にマア思い掛けない処でお目に懸りました、あなたは下新田の角右衞門様のお内儀かみさんのおかめさんでございましたか」

かめ「おかめさんもないもんだ、旦那此の婆さんがおえいを勾引かどわかした又旅またたびのおかくという悪婆あくばゝあでございますよ、本当に比丘尼になって、斯様こんな処に匿かくれているとは些ちっとも知らなかった」

と云うを聞き、丹治は眼に角かど立って、

丹「不届な奴め」

と云いながらずか〱〱と詰め寄って長物ながものへ手を掛けましたが、此の後あとは何う相成りましょう。

十二

さて丹治おかめは横堀村の庵室で図らずおかく婆ばゝあに逢いましたから、丹治は刀を引付け詰め寄りますと、其の権幕に流石さすがの婆も悪党ながら比丘尼に成って居ります事ゆえ、逃げもせず先非せんぴを悔いて恐れ入り、手をつきまして、

かく「お腹の立ちますは重々御尤もでございますが、どうぞ私わたくしの申す事を一と通りお聞きください、私も宜い年をして何時までも止まず、親子連れで旅を稼ぎ、悪事の数も仕抜きましたが、段々と思い返して見ますと、我身ながら恐しく思う処へ、忰小平はお縄を戴き、送られまして、此の七月牢死致しましたから、はアこれも悪い事をした罰ばちと、実に心から洗ったように改心致し、今まで作った悪事の罪滅しのため頭を剃りまして、毎日托鉢をして歩いて此の村へまいり、慈悲ある人のお世話で此の地蔵堂へ入り、堂守を致し、麦や挽割ひきわりを戴いて漸々よう〱此処に斯うやって居り毎晩々々地蔵様に向い、若い時分の懺悔を致し、お詫事をして居りまする、此処で又お前さん方にお目にかゝるのも皆みんな悪事の報い、実に恐ろしい事でございます、南無阿弥陀仏〱〱、どうぞ此の円顱あたまに免じ勘忍してくださいまし」

と掌てを合せ拝むゆえ、丹治も一旦は長刀ながものを引付けたが、又思い返し、

丹「何か貴様は全く改心して尼に成ったのか」

かめ「まアどうもまア彼あの小平という悪党は牢死しましたかえ、それからお前も改心しようとは思えないが、本当に改心したのかえ」

かく「誠に面目次第もございませんが、嘘に頭が剃すられましょうか、シテあなた方はこれから何所どこへお出でゝございますか、江戸へいらっしゃいますなら、本街道の中山道口なかせんどうぐちへ出てはいけませんよ、お尋ねの人相書が𢌞って居ますよ」

丹「えゝ人相書が𢌞って居るとえ、それは何で」

かく「何だか貴方のお心に聞いて御覧なさいな、私わたくしは委くわしい訳は知りませんが、人相書の次第を聞いて見るに、沼田の下新田の後添のおかめさんが、御領主土岐様の御家来原丹治という人と悪い事をし、家うちへ火を放つけて逃げたとか云うので、お手先の人相書が𢌞って居りますから、中山道へは出られません、雪でも解ける間三月頃まで此処に匿かくれていらっしゃれば、些ちっとはほとぼりも冷めましょう、今往ゆくのは危いものでございます」

と云われて丹治はおかめと顔を見合せ、

丹「実は火を放つける訳ではなかったが、おかめも亭主の有る身の上ではなし、私わしも独身者ひとりものゆえ遂つい悪いことをした処、百姓共が大勢寄ってたかって、叩き殺すと鋤鍬を持って取巻かれ、逃処にげどころがないゆえ、実は拠よんどころなく火をかけて逃げたが、人相書が𢌞って居ようとは知らなかった、婆ア多分の礼も出来んが、両人りょうにん居るだけの手当をした上に少々ぐらいはお前にも心付を致すから、三月まで此処に置いて呉れまいか、調べになど来る事はなかろうか」

かく「滅多には参りませんが来ても只村役人がお布令ふれの書付や何かを持って来るだけの事でございます、又お前さん方が泊っている内は他の者は帰してしまいますから、お心置なく御緩ごゆっくりと泊っていらっしゃいまし」

丹「婆さん、此処へ来たのは却かえって仕合せで有った」

と云いながら懐中から十両取り出して、

丹「これは誠に少しだが、両人の手当にやって置くから、米や薪でも買って貰いたい」

と婆アに渡せば、婆アは大きに悦び、

かく「御心配なさいますな、酒でも買って来ましょう」

とそれより手当を宜くして此処に三日程匿かくれて居ました。すると三日目の日暮方婆アが酒を買ってまいり、三人で酒宴さかもりをして居りますと、土間口から菅の深い三度笠を肩に掛け、𢌞し合羽に千草の股引草鞋ばきで、旅慣れた姿の男が入って来ました。これは繼立つぎたての仁助にすけという胡麻の灰でございます。

仁「お母っかあ家うちか」

という声を聞くより早く、おかく婆アは飛出し、突然いきなり仁助の胸倉を取り、横頬よこっつらを擲倒ぶちたおす、打ぶたれて仁助は不意に驚き、

仁「お母っかあ何をするんだ」

かく「何も糞もあるものか、よくのめ〱と来やアがった、手前てめえが意地を附けたばっかりで忰を牢死させるようにしやアがって此奴こいつ」

と云いながら又打うちます。仁助は益々驚き、

仁「あゝ痛いてえよ、何なにをするんだなア」

かく「何も糞も入るものか、此処へ来い、名主へ引いて往いく」

とポカ〱打ぶちながら引ずり往ゆき、樹蔭こかげへ来ましたから、

仁「何だ何うしたんだ」

かく「何だじゃアねえよ、無闇に這入って来てさ、己が比丘尼に成っている身の上じゃアないか、殊にお客の居るのを知らねえかえ」

仁「何だか突然いきなりにポカ〱打ぶつから分らねえ、それに兄いが牢死したと云うのは何だ」

かく「それは出たらめだ、己の云う事を本当にする奴があるものか、お前めえを打ぶったのは泊ってる奴が二人居るから、いやと云う程苛ひどく打ぶたなくっちゃ本当にしないからだ、其の客人は原丹治とおかめという奴で、お前めえも知っている下新田の後家で、お梅の実の親のおかめが泊って居るのさ、沢山どっしり金を持ってる様子だが、丹治が己を切ってしまいそうな権幕だったから、改心して尼に成ったと云い、兄いはお縄を受けて牢死したと云って置いたのに、兄いの事を云っちゃア化ばけの皮が現われるじゃアねえか、お前めえも気がきかないのう」

仁「だって何だか知らねえからだアな、突然いきなりに駆出して来て擲なぐり附けた時は、己おらア何だと思った」

かく「お前めえそうして兄いは何うした」

仁「兄いは北牧まで来ているよ」

かく「まア耳を貸しねえよ」

仁「貸して居らアな」

かく「暗くって分らねえ」

と云いながら耳の傍へ口を寄せ、何やら暫くこそ〱私語さゝやき、

かく「宜いいかえ」

仁「そんなら屹度だよ」

かく「どじをくまなえように、九ツ過ぎに、宜いいか」

と仁助に別れ、おかく婆ばゝあは顔色を変えて這入ってまいり、

かく「嘸さぞまアお驚きでございましたろう」

丹「驚いたよ、何であんなに腹を立ったのだえ」

かく「彼奴あいつは仁助という胡麻の灰でございますが、忰より年上だもんですから智慧を附けて、悪い者にしたのでございます」

丹「お前も年上で随分悪党じゃないか」

かく「私の悪い事は前から知れた事ですが、彼奴あいつのためにどじを働き、忰を牢死させるようになりましたから私には敵かたき同志で、憎い奴だと思っている所へずう〱しく這入って来ましたから、捨てゝ置けば此の村の難儀になりますから、私が名主の所へ引張って往ったら、直すぐに縛られ北牧へ送られました」

丹「あんな悪党は来ない方が宜しい」

なに自分も悪党の癖に。と話しながら酒を酌くみ交かわし、おかくは丹治を酔わせようと思ってむやみに盃さかずきをすゝめましたからグッスリと酔いまして、もう寝ようと床に就きました頃は雪は歇やみまして、風音かざおとのみ高く聞えます。九ツ過に音のしないように、台所口から道連の小平は覗のぞきの手拭で面部を深く包み、三尺余あまりの小長い柄へ革を巻いた胴金造どうがねづくりの刀を差し、千草の股引に脚半甲掛で、仁助も同じく忍び入り、音のせぬように一緒に上りましたが、盗賊どろぼうだから馴れて居ります。おかくの寝床へ来て声を潜め、

小「お母っかア〱」

かく「慌てちゃいけねえよ、先刻さっき仁助に云った通りにしねえ、づかれちゃアいけねえよ」

仁「本堂の傍に寝ているか」

かく「本堂の前だよ」

と指図するゆえ、小平仁助の両人は抜足ぬきあしして参り、丹治おかめの蒲団の間に手を差入れましたは、柳行李の中に金を入れて、毎晩おかめと丹治の間に入れて寝ているのを、おかくが知って居りますから小平に取らせましたが、其の晩に限って金を出しておかめが懐へ入れて置いた事は少しも知りませんから、小平はこれさえ盗めば宜いいと心得、ずッと手を中へ入れにかゝると、原丹治が目を覚し、

丹「盗賊どろぼう」

と声を立てるに驚いて小平が逃げ出す、丹治はおのれ逃がさじと枕元の刀を探ると、おかく婆ばゝあが昼のうち刀を隠して置きましたから有りません。其の隙ひまに横合から繼立の仁助が突然いきなり切り附けるを引外ひっぱずし、手元へ繰込んで仁助の刀を捻取ねじとり、

丹「邪魔するな」

といいながら力に任せて切附ける。天命とはいいながら仁助は其の儘斬倒きりたおされる、是を見て小平は堪らんと庭の方へバラ〱逃げ出すを丹治は後あとを追って往ゆく。其の間まにおかめは盗賊どろぼうだと察し、怖いながらも一生懸命、小児こどもをかゝえ、表の方へ逃げ出す跡より、おかくはおかめを追いかけ行ゆき、谷川縁べりの一筋道で樹の根に蹶つまずき倒れるおかめの髻たぶさを掴んで引摺り倒し、

かく「此の阿魔め、えゝ何を悶もがくのだ、べらぼうめ、金を渡してしまえ」

かめ「母子おやこ馴合って私の荷物を盗むのだなア」

かく「元より手前てめえの身ぐるみ剥ごうと思うからだ、丹治は殺してしまったから…何でも手前てめえが金を持ってるに違いないからよこしてしまえ」

と取りにかゝる、おかめは取られじと挑いどみ争い、

かめ「人殺し〱」

と呶鳴どなり立てる、赤坊あかんぼはオギャア〱と泣出しましたゆえ、おかめは思わず赤坊に心を取られ、ばったり落しましたは紺縮緬の胴巻を見て、

かく「金だな」

と云いながら拾いにかゝるを、おかめは渡すまいと互に力を極きわめて引合いますると、胴巻が裂けて中からドッシリと落るとたんに封が切れ、黄金こがねの花が四辺あたりへ散乱する処へ、丹治は小平の逃げるを一目散に追って来て、此の体ていたらくを見て、小平の逃げるに構わず突然いきなりおかく婆ばゝあに一刀ひとたちあびせかけると、おかくはキャッと声を上げて倒れる其の上へ乗しかゝり、喉元を刮えぐっている背うしろへ小平がそっと𢌞り、胴金造りの長いやつを抜き放し、丹治の脇腹目掛けてウーンと力に任せて深く突込つッこまれ、丹治はウンとそっくり反って身を顫ふるわす所を足を踏みかけ、猶なおも再びごじられて其の儘息は絶えました。如何に悪の報いとは申しながら、繼立の仁助おかくの両人は丹治のために殺され、丹治は又小平のために殺されるという、悪人同士互に修羅の責苦せめくに遭あうとは実に恐るべき事でございます。おかめは今原丹治の殺されるのを見て逃げる心もなく、

かめ「あれー、人殺し、誰たれか助けて下さい」

と云いながら小平の足に縋すがり附くを、

小「えゝ邪魔するな」

と足を揚げてはたと蹴る。蹴られておかめはアッとばかりに、恐ろしく削りなせる二三丈もある崕がけの下を流るゝ吾妻川の中へ、乳児ちのみを抱いたまゝごろ〱〱と転げ落ち、生死しょうし知らずに成りました。小平は刀の血のりを死骸の着物で拭い、鞘に納め、暗夜くらやみながらぴか〱する黄金こがねの光を見当みあてに掻き集め、無茶苦茶に手拭に包んだり袂たもとへ入れたりして、丹治の死骸を川中へ蹴落し、又悪党でも親子の情で、おかくの屍骸を庵室の庭へ引摺ってまいり、深く穴を掘って、仁助の死骸と一緒に埋め、道連れの小平は多くの金を持ったまゝ何処いずこへか逐電してしまいました。

お話替って山口屋善右衞門の家うちでは、多助が毎日種々いろ〱な物を拾って粗末にならぬように貯めて置きます。斯かくて其の年も暮れて翌年になりますと、一日あるひの事で、番頭の和平が、

和「旦那様どうか何を買って戴きたいものですなア、納屋穿なやばきの藁草履を」

善「はい〱藁草履は最もう残らず切れましたかえ」

和「へい穿きようが暴あろうございますし、殊に此の節は働きものが多いので、鼻緒が切れると直すぐに川の中へ投ほうり込んでしまいますので困ります、沢山入りますから、どうか些ちっと沢山買った方がお為めに宜しかろうと思いますから、百足もお買いなすって下さい」

善「そうかい、それじゃア入るだけ買いなさい」

と話をしているのを、傍そばで多助が聞いて居りまして、

多「番頭さん、番頭さん」

和「多助かえ、なんだ」

多「只今これで聞きましたら藁草履がお入用いりようだそうでんすね」

善「はい入用いりようだよ」

多「藁草履が入用いりようなら私わしが買って貰うべい」

善「お前藁草履を持っているかえ」

多「はア些ちっとべい藁草履を貯めやした」

善「そうか、沢山もあるめいが、貯っただけ買ってやろう」

多「どうかお買いなすってください、藁草履は一足幾許いくらしやすえ」

善「そうさ、一足十二文だなア」

多「十二文とすると、河岸揚かしあげの職人が穿いたり家うちのものが穿いたりするから、平均ならし一日三十足宛ずつ入りやすが、其の中うち皆みんなが鼻緒を切ると桟橋から川の中へ投ほうり込んでしまうから、私わしい竹の先へ釘を打って、それを引揚げて置いて、毎晩私わしが鼻緒をたって、ギュウッと真中まんなかを締めて置いた、それに水の中へ入へいったんだから先せんより丈夫になって居りやす」

善「感心なものだなア、どうだ番頭」

多「番頭さん、貴方あんたは算盤そろばんを取って店を預あずかるものだから聞きやすが、日に十二文の草履が五足で幾許いくらになりやす」

和「丁度六十文になるのう」

多「ハア六十になれば年分ねんぶんには大でけえ事になりやすが、一ヶ月で幾許いくらになりやす」

といわれて番頭は算盤を取って、

和「えゝ、こうッと、日に五足ずつで一ヶ月に百五十足になるのさ」

多「その銭ぜには幾許いくらだアな」

和「えゝと一貫八百七十二文サ」

多「一年で何足になりやす」

和「うるさいのう、こうと、千八百足になるのさ」

多「その金高はいくらだね」

和「うるさいのう、こうと、金三両一分二朱と五百六十文になるのさ」

多「目がはいって居やすか」

和「知れた事よ」

多「それでは十年ではいくらに成りやす」

和「うるさいのう、えゝこうッと、おや、旦那様大きなものでございます、一万八千足になりやす」

多「その金高はえ」

和「うるさいの、えゝゝこうッと、大きなものですなア、金三十四両二分と七百四十八文に成りますが、旦那様大きなものですなア、微塵ちり積って山となるの譬たとえの通り、十年で是程になります」

多「はア三十四両二分と七百四十八文あれば、国へ帰けえって家うちを立てる足しになりやすな」

和「持って来なさい、沢山もあるまい、百足も貯ったか」

と思うと、多助が納屋から横庭へ運んで山の如くに積み上げました。

多「一昨年おととしからで随分貯った」

善「大変貯めたなア、幾足ある」

多「はア二年貯めたゞから勘定はしねえが三千足ぞくもあんべいかな」

善「これは驚いた、どうだい番頭、感心なものだなア」

和「驚きましたなア、家うちでも草履の入る事は大変ですなア」

善「よし、それだけは新しい草履を買った積りで手前の丹誠を買って遣ろうが、金は私わしが預るよ、これから手帳を拵えて、一々付けて置きましょう、今日が預り始めだ」

多「金は入らねえ、先まずこれだけは余所よその物を拾ったのじゃねえ、家うちの物を拾ったのだから、これは旦那様へ上げべえ、私わしが斯うして人に見せれば些ちっとは出方でかたのものも草履を大事でえじにしべえと思って、お手本に貯めたので、これは私わしが銭貰うべえと思って貯めたのじゃアねい、まだそれべいじゃアねい、大でかく御奉公をしてある事があるが、それは最もう十年も経ってから見せべい」

善「不思議な男だのう、なんと番頭感心なものじゃアないか」

和「驚きましたなア」

多「番頭さんも目前めさきべいの勘定で心の勘定がねいから、何が幾許いくら入いるか知りやアしねい、店を預かる番頭さんだから確しっかりしなんしよ」

和「はい〱畏かしこまりました」

と云うので番頭も大おおきに気が注つき、主人も感服致し、これから追々多助が他の人に真似の出来ぬ事をいたしますお話は、一息つきまして申上げます。

十三

鹽原多助は計らずも山口屋善右衞門に助けられ、此の家やに奉公をいたして居りましたが、多助の行いの実明じつめいなのに、主人は素もとより奉公人一同が感心致しました。其の多助の気の利くことは、主人の用向ばかりでなく、番頭から小僧から、家うちへ出入ではいる者一同から、おさんどんにまでも宜く勤めますが、決しておべっかでするのではなく、信実しんじつに致しますので、番頭が肩が張ったと云えば直すぐに後うしろへ𢌞って打たゝきます。エヘンと咳払いをすれば直ぐに灰吹を持って往ゆく。風を引いたというと直ぐにお医者を呼んで来る。少し病気が重いと思うと直ぐに早桶を買って来る。まさかそんな事もありますまいけれども、多助は少しも隙すきがありませんで稼ぎますのは、追々金を貯めて国へ帰り、養家ようかへ恩返しをしようと云うので、後には地面の二十四ヶ所も持つようになりますが、そうなりますには後楯うしろだてと云うものがなければなりません、商人あきんどが大きくなるには、資本もとでを貸してくれる金主きんしゅと云う者がなければ大商人おおあきんどにはなれませんものでございますが、茲こゝに下野国しもつけのくに安蘇郡あそごおり飛駒村とびこまむらに吉田八右衞門という人が、後に多助の荷主に相成りますが、此の人が三十五歳になるまで江戸へ出た事がありませんのは、此の人の親父おやじ八左衞門は六十以上の年でございますが、総て江戸の取引先きの事を致して居りますから、八右衞門は江戸へ出てまいりませんでしたが、親八左衞門が、不図病気付きましたによって、八右衞門が始めて江戸へ出て参りました。頃は宝暦十二年十二月の十五日、深川八幡の年の市で、其の頃は繁昌致しましたもので、余り込み合うから八右衞門は田舎者の事ですから恐れまして、高橋たかばしを渡って深川元町へ出て、猿子橋さるこばしの傍に濱田という料理屋があります。其の夜よは雪がチラ〱降出し真闇まっくらですから、外ほかに余り大勢の合客あいきゃくはありません様子でありますゆえ、濱田へ上って見ますと、衝立ついたてを立て、彼方あちらにも此方こちらにもお客が居ります。八右衞門が御膳ごぜんを食べて居りますと、足利に猿田やえんだという処があって、其処そこに早川藤助はやかわとうすけという出船宿でふねやどがあります。丁度其の主人が居合せまして、思い掛けないから八右衞門の傍へやって参りまして、

藤「誠に暫くでございました、八右衞門様じゃアございませんかえ」

八「誠にこれは何うも久しぶりで逢いました、藤助どんでがんすか、お尋ねすべいと思ったが、つい無沙汰しましたハア」

藤「能よくお出でになりました、何の御用で」

八「ハア私わしもどうか江戸という所へ来てえと思って居たが、親父が達者で江戸の取引は己がするから汝われは家うちにいろというから、家うちにべえ居りやしたが、大した事でもありませんが、親父が塩梅あんべいが悪いので手前てめえ往って仕切を取って来こうというので、仕切を取りに来ましたよ、何なあんに取引先きは神田佐久間町の善右衞門が一番大でけえから、彼処あすこへ往って一晩や二晩は泊って来てもいゝからというが、親父が塩梅あんべいが悪いからハア、早く帰けえるべいと思ってハア」

藤「はい、山口屋善右衞門は大でかくって荷主を大事でいじにするのは、あの位な家うちは無ねい、あの親父も中々荷主を大事でいじにするが、忰は善太郎と云って年は若わけいが、宜く客を大事だいじにするし、それにまた、番頭の和平が客を大事でいじにする、第一彼処あすこの家うちは饗応もてなしが違ってハア」

八「そうだって、親父に聞いて居りやしたが、私わしの顔を知らねいから向うで金を渡さねいといけねいが、そんな事はあるめいかねー」

藤「なアにそんな事はねえ、貴方あんたは始めてのことだから親父さまが往いくより却けえって大事でいじにするだんべいよ」

八「親父も、手前てめえは始めて往いくのだから、これを持って往いくがいゝというので、受取証文を親父が寝床で書けいて、手紙と此の八十両の受取証文を持って来やんしたから、多分渡すべいと思って居りやす」

藤「そりゃア大丈夫でいじょうぶ渡しやす、これから佐久間町へ往ゆくには大橋を渡って浜町へ出れば宜うがんす、私わしは花川戸の炭問屋へ、些ちっとべい預けたものがあって寄らなければならねいから、大橋まで一緒に参めえりましょう」

と昔の田舎の衆は大声で話を致したものでございます。是から勘定を済ませ、両人連立って此処を出て、大橋の袂で別れまして、早川藤助はお船倉の方へまいり、八右衞門は大橋を渡って彼是廿間ばかり参りますと、バラ〱〱〱と駈けて来たものがありましたが、其の頃は商人あきんどは皆雪駄を穿いて居りまして、鰌どじょうの鼻緒の下くだりの雪駄で駈けて来まして、前へのめる途端に八右衞門の肋骨あばらぼねへ彼かの男が頭を打付ぶっつけましたから、八右衞門は驚いたのなんのと申しまして、其の男も驚きまして、

男「何とも申訳がありませんが、少し怪しい奴が後あとから追おっかけて参りまして、少々貯えもありますから、大橋の央なかばまで遁にげてまいりますと、貴方あなたのお姿が見えますから、追付おいつこうと思って駈けてまいりますと、貴方に突当りまして誠に申訳がありません、御免なすって下さい、何処かへ当りましたかな、確しっかりなさい〱」

八「アヽヽヽヽヽアー痛いてい、あんたはまア怪我といえば仕方がねいが、人の横腹よこッぱらへ石を打ぶっ附けたかなア」

男「石じゃありません、転ぶ拍子につい頭が当りましたので」

八「ひどい石頭だったなア、あゝ痛いてい、そんならいゝが、身体が痺れて立てねい」

男「誠に申訳がありません、此処は往来でお話が出来ません、何処か茶屋へでも参りましょう、此処に持合せた薬もありますから」

八「あゝ痛いてい、立てねい」

男「そんなら私わたくしが負おぶって上げましょう」

と彼かの男も怪我とは云いながら気の毒に思いまして、負おぶうようにして橋の袂の茶屋へ連れて往ゆきました。

女「入らっしゃい〱〱」

男「どうか姉ねえさん、少し加減の悪い方がお出いでになったから奥を貸しておくれ」

女「へえ貴方お加減がお悪いのですか、嘸さぞお困りでございましょう、お草鞋でございますか、足を拭いて上げましょう」

などと申しますと、彼かの店風たなふうの人が八右衞門の手を取って座敷へ上げまして、

男「誠に申訳がありません」

八「お前さんかい」

と見ますと、木綿物ではございますが、さっぱりした着物に小倉の帯を締め、細かい縞の前掛を掛けて居りまして、色の浅黒い店風たなふうの人です。

八「誠に貴方あんたは何ういう事で盗賊どろぼうに逢いましたか」

男「私わたくしは横山町三丁目の播摩屋という袋物屋でございます、深川までお払いを取りに参りまして、百金受取って帰りましたから、成るたけ賑やかな処を通って来ますと、いやな風体ふうていな奴が後あとから附けて来ましたから、盗賊どろぼうだと思いましたゆえ、逃げ出す途端に、貴方あなたに打ぶつかりまして、何とも申訳がありません、これに有合せました薬を湯で溶きましたから召上って下さい」

八「これは誠に有難う、怪我とあれば仕方がねいが、金を持って夜歩かねえがいゝよ、私わしゃア田舎者で、始めて江戸へ出て来たんで、なアに医者にも及ぶめいが、横っ腹が突張って仕様がねい」

女「貴方あなた些ちっとお横におなりなさい」

男「姉さん此の近処にお医者様はありませんかね」

女「誠にどうも此の近処にはお医者様はございません、浜町まで参らなければございません」

男「そうかい、枕を貸して」

と八右衞門を寝かしまして彼かの男が側で擦さすって居りますうちに、八右衞門は宜いい心持になりましたから、すや〱と寐ねまして、暫く経って目が覚めて見ますと彼かの男は居りませんゆえ、起上って手水ちょうずに往ゆこうと思うと立てません、それに舌がつり上って口もきかれません。

八「はせな、身体かあだが痺すびれて歩あうけねい、立さす事が出来ぜきねい、ホリャ困っさな、女中衆ぞつうす〱」

と少しも舌が𢌞りません。

女「何うかなさいましたか」

八「今ほこにいた人しそは如何ぞうすさな」

女「あの方はお医者様を探して来るから少し貴方を寐かしておいて呉れと仰しゃってお出でになりました」

八「はせな、己おらア此処ほけへおいさ包すゝみざの脇差わしざしざのはぞうしさな」

女「あの包や何かを此処へ置いてはいけないからと云って、お連れの方がお脚半までお持ちなすってお出かけになりました」

八「そらア盗賊ぞろぼうざア」

女「大きな声をなすっちゃアいけませんよ」

八「盗賊ぞろぼうざア盗賊野郎ぞろぼうやろう〱〱、早く駕籠を呼びにやって呉れ」

と八右衞門は騒いで居ります。又山口屋善右衞門の宅うちではそんな事は少しも知りません。其の頃お商人方あきんどがたでは夜よの四ツ時になれば戸を締めてしまいます、店に小僧が手習をして居ります、此方こちらには番頭が帳合ちょうあいを致して居りますと、土間に筵を敷いて頻りに草履を拵えて居りますのは多助でございます。

男「へい御免下さい御免下さい」

小「何方様どなたさまですなア」

男「少し御免下さい」

と云うから小僧が戸を明けると這入って来た男は、半合羽はんがっぱに千草の股引に草鞋がけで、一本お太刀たちを差して、手には小包を提げたまゝ、

男「はい御免なさい」

小「何方様どちらさまからお出でゞございます」

男「えー私わたくしは下野国安蘇郡飛駒村の炭荷主八右衞門と申すものでございます」

番「はい〱此方こちらへ〱」

八「毎度親父ばかり出て居りまして、私わしが此方こちらへ参りましたのは初めてでございますが、親父が病気で寝て居りやして、寝床で証文と手紙を書いて、私わしが代だいに来ましたが、此方こちらでは何方どなたもお変りはありませんか」

番「えゝお噂には承わって居りますが、宜くどうも貴方がお出向でむきでございます、毎度主人と貴方のお噂ばかり致して居りました、まアお上んなさい」

八「上っては居られません、平常ふだんなら宜いいが、親父が煩わずらって居りますから、直ぐに扇橋まで往って船へ乗って帰る積りでござえますから、どうかこれへ証文を持ってまいりましたから、八十金お渡しを願います、慥たしかに三貫目炭を送ったからそれ丈の代を戴いて、船賃は後あとで宜しゅうございますから、八十金はどうか只今願います」

番「へい〱」

と云いながら手紙を読上げて見ますと、金を八十両忰に渡して呉れろとあり、受取証文を見ると八左衞門の書いたのに違いないから安心して、

番「若旦那様〱、予かね〲お噂の八右衞門様がお出でになりました、えゝ、これは私共わたくしどもの若主人で、今晩は主人は居りませんから代だいを致しますので」

八「ハアこれはどうも予て親父から承わって居りましたが、好いい若旦那で、あんたが善太郎様でございますか、番頭どんは和平さまと仰しゃいますか、へえ何うか此の後ごともお心安く願います、それではどうか金子の処をお渡し願います」

番「それでは、毎いつでも砂糖と塩引しおびきをお歳暮に上げるんですが、貴方お持ち下さいますか、もし御迷惑なら小僧に持たして上げても宜しゅうございますが、何しろ是非御一泊を願いとうございますが、お父様とっさまが御病気の事では拠よんどころございませんで、へえ」

八「へえ結構でございます、田舎では塩引などは結構でございますから扇橋まで持って参りましょう」

番「それでは八十金差上げて、一貫二百文のお船賃は後あとに致しまして」

といいながら金の勘定をして居りまして、今渡そうとすると、

多「番頭さん〱、金を渡すのは容易に渡さねえ方がいゝ、顔を知ってる人じゃアねいし、初めて来た人だから、旦那が帰けえって来て話をしてから渡した方が宜うがんす」

番「余計な事を云ってる、お前の知ってる事じゃアねいよ」

多「後うしろの方から口を出してはすみませんが、貴方あんたは飛駒村の八右衞門さんに違ちげえありませんかえ」

八「はい私わしはそれに相違ねえが、深くお問糺といたゞしをなさるのは私わしを疑ぐんなさるのかえ」

多「それでも私わしア斯うやって暗くれえ所で言葉を掛けちゃア済まねえが、あんたは本当の吉田八右衞門様に違ちげえねえかな」

八「本当の嘘のというのは私わしを疑ぐるのかえ、こゝに親父の手紙を持って来たのが確かな証拠だのに、何をお疑ぐりなさいますな」

多「本当なら私わしが少し承わりてい事があります」

番「これ〱何を云う、えゝこれは山出しで何も解りませんから、どうかお腹をお立ちなさらないで」

多「まア番頭さん黙っておいでなせえ、私わし聞かねいければならねい事があるが、もし八右衞門様とやら、あんたは下野言葉でねえから私わしが聞くだが、どうも貴方あんたは下野の者じゃアがんすめい」

八「私わしは下野の飛駒村の者に相違ねえが、お前は何をいうのだ」

多「なアにお前さんの言葉は下野も上州も武州も方々の言葉が交まじって居るようでがんす」

番「お前何を云うのだ、黙っていろ〱〱」

多「それじゃア番頭さん、私わしが暗くれい処で何か云っていても分らねいから、其処そこへ出やんしょう、これ八右衞門さん、アはゝゝゝ、どうもはア騙だますことは出来ねえもんだ、久しぶりで逢ったが、お前めえ己を忘れたかい、お前めえは道連の小平という胡麻の灰へいだっけなア」

小「いよウ」

と小平は恟びっくり致し、流石さすがの悪人も後あとへ下さがりました。

多「嘘は吐つけねえものだなア、小平ハア斯う知れてしまったから、己おれは胡麻の灰へいだと云って帰けえった方が宜かんべい、番頭さん、此奴こいつは道連の小平という胡麻の灰へいでがんすよ」

番「いえー胡麻の灰へいかい、それだから夜は戸を明けない方が宜いいというのだ、大変な騒ぎが出来た」

多「アはゝゝゝゝ既すんでに八十両という大金を奪とられる処だった、去年汝われが己おれに刄物はもの突付けて、既すんでのことで殺される処を助かって此処にいるだが、汝われはまアだ悪事が止やまねえのか」

小「妙な処で逢ったなア、そうして貴様はどういう訳で此処の家うちにいるのだ」

多「どうして居るって、己おらア金を貯めて国へ帰けえるべいと思って、此処な家うちで稼いでいる処へ汝われが来たから分ったのよ」

小「エーおい番頭さん、私わっちア道連の小平という胡麻の灰へえで、実は少し訳があって此の書付が手に入へいったから、八十両まんまと騙かたり取ろうと思った処が、山出しの多助の野郎に見顕みあらわされ、化ばけの皮が顕あらわれてしまったから、此の儘じゃア帰けえれねえ、さア此の大きな家台骨やていぼねから突き出されゝば本望だ、さア突出して貰おう」

番「突き出すって、どうもこりゃア困った」

と番頭は頻りに心配致して居ります処へ、此の頃は只今とは違いまして人力がございませんから、駕籠で大急ぎに参りまして、トン〱トン〱「ちょっと此処をお明けなすって下さい」と今度は本当の吉田八右衞門という人が、涎よだれをたら〱滴たらし這入ってまいり、只と見れば先程さっきの奴が自分の形装みなりで居りますから、八右衞門は突然いきなり此の野郎と云いながら、一生懸命に這上がって、小平の胸ぐらを掴んで放しません。

八「此の野郎呆れた野郎だ、己が身体利かねえようにして、己が荷物から脇差から大事でいじな書付まで盗みやがった、盗賊どろぼう々々、此の野郎々々」

小「静かにしろえ」

と云いながら八右衞門の手を逆さかに捻ねじって其処そこへ投げ付け、草鞋穿きの儘でドッサリと店先へ上り、胡坐あぐらをかきまして、

小「やい百姓、実は己おらア小平という胡摩のへえだ、上州で人殺ひしごろしから足がつき、居られねえから其の場をふけ、猿田船やえんだぶねへ乗って江戸へ着き、先刻さっき濱田で飯を食いながら聞いていると、手前てめえが此の山口屋善右衞門へ八十両の為換かわせを取りに来たという事を聞いちゃア遁のがさねえ地獄耳、手前てめえの跡を付けて来て、転んだ振りで荒稼ぎ、頭突ずつきといって横腹よこっぱらを頭で打ぶって息の音ねとめ、お気の毒だと介抱して呑ませた薬は麻痺薬しびれぐすりだ、手前てめえの身体がきかねえうちに衣類きものから懐中物まで引攫ひっさらって遁にげるのを、盗人仲間どろぼうなかまで頭突ずつきというのだ、あの時攫さらった書付からまんまと首尾よく八十両、いゝ正月をしようと思った所が、打って違って山出しの多助の野郎に見顕みあらわされたから、もう破れかぶれだ、さア突き出せ〱」

と云うので店の者は大きに驚き、頭かしらを呼びにやるやら何やら騒ぎ致しますけれども、小平は鉄挺てこでも動きませんので、持て余している所へ帰って来たのは主人善右衞門で、これより小平を奥へ連れてまいり、意見を致しますお話は次囘までお預りに致しましょう。

十四

山口屋善右衞門の宅うちでは、道連と綽号あだなをされました胡麻の灰小平が強談ゆすりに参りましたが、只今では強談騙かたりをする者も悪才に長たけて居りまして、種々いろ〱巧者になりましたが、其の頃は強談をする者が商人あきゅうどの店先へまいり、サア打たゝき殺せと云ってどっさり坐り込みますと、表へ黒山のように人が立ちまして外聞が悪いから、余儀なく十か廿の金を持たして帰したものですが、只今ではそういう事は出来ません、直ぐに巡査おまわりがまいりまして、ハアこりゃア分署へ参れ、なんと申しますから中々出来ませんが、昔は大家たいけ程こういう事をされると困ったもので、山口屋善右衞門は宅たくへ帰って見ると此の騒ぎですから、直ぐに医者を呼びにやりまして八右衞門を療治して貰い、表から此様こんな所を視のぞき込まれてはならんからと云うので、奥へ通そうと申しても小平は何うしても動きませんでしたが、小平も段々考えて見るに、此処で言う事を聞かなければ為に悪いと思いまして、奥の六畳の座敷へ通りました。すると主人善右衞門を始め多助も番頭もまいりまして、

善「これは小平さんとか、始めてお目にかゝりましたが、私わしも今帰ったばかりで委くわしい事は知りませんが、お前さんは私共の大事な荷主に毒薬を服のませ、身体を利かなくして証文を持って騙かたりをしようと思って店へ来た処が、宅うちの奉公人の多助がお前を知っていて化ばけの皮が顕あらわれたから突出して呉れろと云うそうだが、悪党の方には何ういう法があるか知らないが、宅うちでは縄付を出す事は好まない、多助が見顕みあらわしたのは腹も立つだろうが、そんな事を云っても仕様がないから、私が得心の上で廿両上げよう、騙ったと云えばお前の罪も重くなり、私も心持が悪いから此の廿両を持って帰っておくれ、殊に暮ではあるしするから、これで辛抱しておくんなさい」

小「へい、有難うございやす、これはお初うにお目に懸りました、私わっしア小平という胡麻の灰へいでございやす、先刻さっき番頭さんにいう通り、八右衞門という荷主が山口屋へ為換かわせを取りに往ゆくと云うから、少しでもそう云う事を聞いちゃア打捨うっちゃっちゃア置けねいから、暴あらっぽい仕事だが頭で突いて毒を服のませ、生空なまぞらを遣って此方こっちの店へ来た所が、山出しの多助の畜生に見顕みあらわされた上からは、私わっしア縄にかゝって出るのは承知さ、私わっちがどじを組んだって外とは違い、山口屋善右衞門さんという立派な家うちだから、廿や三十の目腐れ金がねを貰って帰けえったと云っちゃア盗人仲間ぬすっとなかまへ恥辱はじだ、さアどうか突出して下せい、私わっちが突出されゝばお前さんには遺恨はねえが、多助手前てめえを抱いて往って臭くせい飯を喰わせるからそう思え」

多「何処へ抱いて往いくんだ」

小「分らねえ奴だ、牢へ連れて往ゆくんだ」

多「フウン、牢へ往いくのを抱いて往ゆくというのか、手前てめえこれで黙って帰けえれば、旦那が金を下さるから黙って帰けえった方がよかんべえぜ」

小「黙っていろ、此の才槌野郎さいづちやろうめ、引込ひっこんで居やアがれ」

善「まア〱これは山出しで何なんにも知らない者だから、そんなに腹を立たないで帰っておくれな」

小「いんや帰けえらねえッたら帰けえられねえや、どうせ細った素首そっくびだから三尺高たけい処へ板付いたつきになって、小塚原か鈴ヶ森へ曝さらされた時に、あゝ好いい気味だと云って笑って下せえ、其の代りに多助を抱いて往いかなくっちゃア腹が癒えねえのだ」

多「これ小平、それじゃア是ほど旦那様が事を分けて云っても手前てめえは肯きかねえのか」

小「糞でも喰くらえ」

多「旦那様、誠に相済みません、貴方あんたに迷惑を掛けますめえと思ってるに、どう云っても聞かねえ、おい小平、旦那がお慈悲で二十両と云う金を呉れべいというに、それえ聞かねえと云わば仕様がねえが、これ小平、汝われは情なさけねい人だなア、私わしから事を起して旦那様に御迷惑をかけては済まねえし、汝われを突出して此の家やに難儀の掛るのを見ては居られねえから、己おれは悪わりい事をした覚えはねえが、連れて往いくなら勝手にしろ、汝われの先へ立って縄にかゝるべえ、殺すなら殺せだが、汝われ幾ら気を揉んで己おれを殺すべえとしても、人間と云うものは命の尽きねえ中うちは死ぬ気遣いのねえものだ、寿命が尽きたら幾ら助かりてえと思ってもだめだ、ハアどんな火の中水の中でも定命じょうみょうの有るうちは死なねえもんだから、殺すなら殺すともどうとも勝手にしたがいゝ、だがマアよく考えて見ろ、実に悪党と云うものは人の慈悲なさけも弁わきまえねえと見えて、そんな横っ倒しなア事を云って、此の宅うちで斯う云えば彼あア云って困らせる、己おらア汝われを悪にくまねえが、其の心根が如何にも不憫だアから一と通りの事をいうだ、汝われえ此処こけえ八十両べえの金を強談ゆすりに来るため、大事の荷主様に毒を服のましてよ、世界の人の身体を利かなくなるようにして、そうして汝われえ種々いろ〱な物を盗み、脇差い差し、風呂敷脊負しょって脚半を掛け、草鞋穿きになって此処こけへ来て、田舎者の仮声こわいろを遣って取った所が只たった八十両べえの金、それに引替え己おらア旦那様などは座蒲団の上に坐って煙管を啣くわえ、はてなアと一つ首を捻ひねり考えると、直すぐに五万や八万の金を儲ける事を御存じでいらッしゃる、旦那様に比べれば汝われが稼ぎは誠に小せえ事で、此処こゝな台所の流しの下より未だ小せえ、旦那様が悪い奴に二十両の金を呉れべいという心は大したものだ、また汝われが取り損なった金は只たった八十両、何とまア余あんまり小せえ稼ぎで気の毒だよ、己おらア此処こゝな宅うちに奉公に来て、今では斯うやって草鞋を造り草履を直し、大騒ぎいやって小せえ事をして居るが、今に己おれが大でかくなれば五万や十万の身代になるべいと思って御奉公しているに、汝われえ壮わけえ年して稼ぎ盛りで有りながら、只たった八十両べいの金を取り、牢に入へいって命を落すかと思えば如何にも気の毒で、其の心が虫よりも小せえから己おらア愍然かわいそうでなんねえから意見を云うだ、えゝか、そんなに急いで獄門になりたがらねえで、旦那様が二十両下されば幸さいわえだアから、頭でも剃落すっこかして出家になるか、又は堅気になり、誠の商いでもするなれば、今までした悪事も自然に消え、畳の上で死なれるようになるがどうだ、此処こゝで一つ二十両の金え貰い、改心して真しんの人間にならねえか、汝われエ母親おふくろは又旅のおかくと云って、五十の坂を越して居ながら、汝われと一緒に己おらア家うちへ強談ゆすりに来たり、おえいを攫さらったりして己おれ宜く知ってる、汝われ母親は悪党だが、親父おやじいはどうだか知んねえが、大方女房のおかくは悪党で、又汝われような子が出来たから離縁をせねえばなんねいという処で、悪党は悪党連れだから、おかくが汝われエ連れて出たかも知んねえが、其の時は親父おやじが善人ならば、別れた後あとの心持は何うだえ、あゝ彼奴あいつが真人間ならば己おれ心配しんぺいはねえものを、悪党の子が出来たから仕方なく追出したが、どうか堅気になってくんろ、悪い心を廃やめ、真人間になれば宜いい、今一度逢いていもんだと、親父が達者でいれば汝われが事は片時も心に忘れる気遣いのねえもんだから、親父に対ていしても誠に己おらア気の毒に思うだ、己おらア汝われを悪にくむじゃねえ、愍然かわいそうだと思うから悪わりい事は止めろや、これ堅気に成れや、大騒ぎやって首を投げ出して取った所が高が八十両べえの小さな金、旦那様のように一時じに二万も三万も儲ける事を御存じの人に比べれば、あんまり小ちいせえ考えだアから止めろや、やア」

と信実心から説き諭され、悪人ながら小平は肝きもに感じましたか、黙然として腕を組み、俯うつむいて何か考えて居りましたが、暫くして首を擡もたげ、多助の顔を熟々つく〲見まして、

小「やい多助、此の野郎は妙な事をいう、此の畜生、申し旦那え、成程只今山出しの多助が云う通り、斯うやって草鞋穿わらじばきになり田舎者の仮色こわいろを遣つかい、大勢を騒がし、首尾よく往った所が唯たった八十両、成程是れは小ちいせえ、それに引換え旦那などは座蒲団の上で、啣くわえ煙管をしながら、一つ首を捻ひねれば五千も八千も儲かるという其の人に比べれば、虫より小せいと云えば成程小せい、それに此の野郎のいう通り、母親おふくろは私わっちの餓鬼の時分離縁になり、私わっちを連れて出て往ゆく時、親父は腕を組んで、ぽろりぽろり泣きながら、己の忰に斯様こんな悪党が出来るとは何たる因果だろう、此の餓鬼が真人間ならばと云いながら、下を俯うつむいていたが、今まで斯様こんなことは誰たれにも云わなかったが、此の野郎は妙な事を知ってる、些ちっと異かわっていらア此ん畜生ちきしょう」

多「何が異かわってる、己おらア方で異ってるじゃねえ、汝われえ方の根性が異ってるもんだアから、当然あたりめえの正直なことを云っても汝われがには違っているように聞えるのだ、己おらア真直まっすぐの事を云うだよ」

小「可笑おかしい畜生ちきしょうだ、種々いろ〱な事を云やアがる、申し旦那え、私わっちア二十両は入りやせん、此奴こいつの前へ対しても金子を貰っちゃアきまりが悪くって帰けえられやせん、旦那え私わっちは何だか変な心持になって強い事も云えなくなった」

多「駄目だなア、さっさと帰けえれ、だが、折角金え呉れべいと仰しゃるこんだから、戴いて往いくが宜いい」

小「なに金は入らねえが、旦那え、どうか裏口から密そっと出して下せえ」

と小平は悄しおれ果てゝ、衣類から脇差まで残らず置き、こそ〱と裏口から出て往ゆきました。後あとで皆々ほっと息を吐つき安心致し、尚なお荷主八右衞門に手当を致しますと、二日程経ちまする中うちに大きに口もきけるようになりました。

番頭「やアお芽出とうございました」

八「どうもハア何とも始めて参り、斯ういう御厄介になろうとは心得やせん事で、併しかしお蔭さまで命には別条ねえで、大きに有難うがんした 国の「有難うがんした 国の」はママ方へは仔細を書いて二三日にさんち後おくれて帰ると書面を出しやんしたから、安心もしべいが、此方こちらで危ねえ事、金を取られようとしたが、多助どんとやらの意見で泥坊もたまげ、悄しおれ果てゝ帰けえったは偉えれえ奉公人だねえ、私わしたまげやした、年いまだ若わけいがねえ」

主人「誠に妙な奴で、時々変なことを申します」

八「兎も角も多助どんをお呼びなすって下せえ、私わしもお目に懸って置きていから」

善「多助や〱、一寸ちょっと来な」

多「へい、なんでがんす」

八「やア多助どん、お前めえ実に感心な人だ、泥坊に意見をするのを私わし傍で聞いて居やしたが、お前めえが此の泥坊の馬鹿野郎と云うから、手向いでもするかと心配しんぺいしていると、泥坊が首くびい傾かたげて、変な事をいう奴だアと云って、たまげて帰けえったが、誠に妙な人だ、お前めえのお蔭で八十両の金子きんすウ取られねえで、誠に有難ありがてい」

と云いながら金子を紙に包み、

八「たんとではねえが、どうか此の二十両取って置いて呉れ、私わし江戸見物些ちっと長くすれば、小遣になってしまうのだが、余あんまり偉えれえ奉公人で、襤褸ぼろを被きて炭を担いでる人には珍らしいから、どうかこれを取って置いてお呉んなせえ」

多「宜しゅうごぜいやす、入りやしねえ」

八「少しばかりだが、年季が明けて国へ帰けえる時の足たしにもなろうから取って置いてくれ」

善「有難い事で、大金だが折角の思召おぼしめしだから戴いて置くがよかろう」

多「有難うがんすが、私わしい金戴きますめえ」

八「そんな事を云わずに取っておけ」

多「何も貴方あなたに仕した事じゃねえから、私わし戴きやせん、此処な家うちの旦那様には命い助けられ、大恩を受けた御主人様と大切に奉公して居りやす所へ、間違まちげえが出来やした故、家うちの事を家うちの奉公人がするのは当然あたりめえでがんすから、どうか二十両という金を請取うけとる訳はがんしねえから貰われやしねえ、駄目でござりやす」

善「折角仰しゃる事だから戴いて置きなよ」

多「八右衞門様、あんた私わしに礼をしてえと云うが、主人へ義理に斯う遣ってお出しなんすか、又真実心から私わしに呉れべいとするかえ」

八「誠に困りやすが、何もサ見えも糸瓜へちまもない、唯お前めえの心持が如何にも感心だから出すのだから、マア真実の心から上げるのだ」

多「そんなら何うか金で呉れねえで、お願ねがいが有りますが、叶かなえて下せえやしょうか」

八「私わしに出来る事なら叶えて遣りやしょう」

多「そんじゃアいけねえ、慥たしかに叶えてやる、何でも聞くと返答をぶちなさい」

善「そんな事をいう奴があるものか、併しかし八右衞門さん、此奴こいつの事ですからさしたる事でも有りますまいから、どうぞ願ねがいを叶えてやって下さいましな」

八「ようがんす、何でも叶えて遣りましょう」

多「あゝ有難ありがてえ……、此家こゝへ奉公して、外に何にも覚えたことはねえが、行ゆく〱十年も経ち、年季が明けて炭屋の店でも開くような事が有ったらば、其の時貴所方あんたがたから千両の荷を送っておくんなせい」

八「えゝ千両え、魂消たまげたねえ」

多「魂消ねえでも宜いい、唯貰うんじゃがんせんが、あんたの方から千両だけの荷をマア先へ送ってくれゝば、私わしその荷を売りこなして、あんたの方へ金かねエ入れるだ、金かねエ入れゝば又荷にい送って呉れる訳にするだから、あんたも仲間と得意先が一軒殖ふえ、私わしも儲けを見るだアから、お互に得の有る事だから、屹度きっと送って下せえ」

八「よし其の時は屹度千両の荷を送ってやろう」

多「それじゃア若もし荷にい送る事が間違ったら、千両の金を只遣ろうという書付を一本下せえ」

八「これは面白い、書いて呉れべい」

と直すぐに硯箱を取寄せ、すら〱と認したゝめ、店出しの折には必ず千両の荷を送ろうという証文を書き、印形を捺おして多助に渡す。多助は大きに悦び、主人善右衞門に預け置きまして、八右衞門も国元へ帰りました。是れから多助は主人大事と奉公をいたして居りましたが、山口屋善右衞門方は毎度申上げまする通り、名に負う大家たいけの事でございますから、お大名様方にもお出入でいりが沢山ございまして、それが為めに奉公人も多人数たにんず召使い、又出方でかた車力しゃりきなども多分に河岸へ参りますゆえ、台所には始終膳が二十人前ぐらいは出し放ぱなしになって居り、出入のものが来ては食事を致します。多助は此の家いえに足掛け四年の間奉公して居り、宝暦十三年の六月改元あって、明和元年と相成り、其の年も暮れ、翌年明和二年十一月廿六日の事でございます。多助は毎日〱炭を車に積み、青山信濃殿町あおやましなんどのまちの青山因幡守あおやまいなばのかみ様のお邸やしきへ往ゆきまするに、四谷へ来て押原横町おしはらよこちょうに車を待たせ置き、彼処あすこから信濃殿町まで車力が炭を担いでまいります。此処に信濃守様のお邸がありましたから此の辺を信濃殿町と申しますので、多助は此の日大きに草臥くたびれました故、ちと遅く暮れかゝった時分に帰って参り、

多「へい只今帰けえりました」

主「大分だいぶ遅かったのう」

多「大きに遅くなりやんした」

善「何処へか寄り道でもしていたか」

多「もし旦那様お願いがございます、私わし煤掃すゝはきの時に頂戴した御祝儀や、荷主様や出方の者から心附けをもらい貯めて、皆みんなお預けになって居りやんすが、彼あの金子をお足しなすって、私わしにどうぞ二十両貸して下せえ」

善「あい廿両、それは貸しも仕ようが何なんにするのだ」

多「少し訳がありやして買物がありやんすから、どうか貸して下せえ」

善「買物があると云って二十両と云えばお前の身に取っては些ちと多すぎるようだが、一体何なんにするのだ、冗むだに遣つかってはいけないよ、したが何なにも別に道楽もない男だから心配もあるまいが、何うしたもんだろうのう和平どん」

和「冗喰むだぐい一つしない堅い男ですが、二十両とは些ちと大金ですな、冗むだに遣つかってはいかんぜ」

多「私わしい冗むだなことには三文も遣いやしねい、天下のためなら遣いやす」

善「大きな事を云って、何なんにするんだ」

多「左様なら旦那様申し上げますが、私わし毎日々々炭車すみイくるまに積んで青山へ往ゆきやんすが、押原横町おしはらよこちょうのお組屋敷へは車を曳込ひきこむ事が出来やしねえから、横町へ車を待たして置いて、彼所あすこから七八町の長なげい間炭すみイ担いで往ゆきやんすのだが、来年の二月頃までは霜解しもどけがして草鞋でも草履でも辷すべって歩けねえ、霜柱がハア一尺五寸位もありやんして、其の霜解の中を歩いてまいり、帰りに水戸様前めえの砂利の中へ入へいるもんだから草鞋も忽たちまちぶっ切れて、日に二足位は入いって誠に冗むだだアから、私わし思うに、押原横町から長安寺ちょうあんじ門前まで押原通りへずうッと残らず玄蕃石げんばいしを二様ように並べて敷詰めたら、誠に路が宜くなって、皆みんなの仕合せだと思いやんすので、石いしイ買って敷きていから金かね二十両お貸しなすって下せえ」

善「コウ〱お前も分らねえ人間じゃアねえか、神田佐久間町のものが四谷の押原横町へ石を敷いて何うするのだ、入らざる余計な事じゃアねえか、殊に町内には組合もあるし冗むだな事だ」

多「旦那様お言葉を返しては済みませんが、貴方あんたのお考えは些ちと違おうと思いやんす、神田佐久間町と四谷の押原横町とは町内が違って居るからと思召しては間違います、そりゃア町内は違って居りやんすが、押原横町の者も佐久間町を通る事もありやんすし、又神田の者も押原横町を通る事もあって、天地の間の往来で世界の人の歩くための道かと私わし考えます、江戸中の人ばかりじゃねえ、遠国近在の人も通るから石いしイ敷いてあれば往来の人がどのくらい助かるか知んねえ、又此処な家うちから毎日彼処あすこへ炭を送る時出方のものを五十人として、日に十足の草鞋を切るとした所が大でけい事だ、一足を十二文と積っても千足万足となれば何程になるか知んねえから、それよりは石を敷き詰めて置くと余程よっぽど得でがんす、私わし聞いて見たら百年は受合って保もつといいやんした、極ごく堅い幅広はゞびろの長い石が一枚五匁もんめだというから、十枚では五十匁もんめ、百枚で五百匁めだから、四百枚で二貫匁め是だけも敷けば百年ぐれえは持って、草鞋の切れることもなく、貴方あんたのお得にもなり、天下の人が歩く度たびにどの位助かるか知んねえから、世界せけえの人のために石を敷きやんすので、決して四谷の押原横町と見て敷くのじゃアねえ、矢張やっぱりお宅の前めえへ敷く心で居りやんす」

善「成程恐れいりました、感服だのう和平どん」

和「うっかり口出しは出来ませんなア、此の間の藁草履の勘定で驚きましたよ、こりゃア事に依よったら得がついて返る事があるかも知れません」

善「二十両出して石を敷くのは宜いいが、お組屋敷で彼是いやアしないか」

多「それも私わしが心配しんぺえだから、彼処あすこの手前の横町に石屋がありやすから、石を敷いて咎められやしねえかと聞いたら、傍にお箪笥町の鳶頭かしらが立って居やんして、いうには、己がお組へ往って届けて呉れようと、親切に石屋の親方と私わしと三人で一緒にめえり、お組屋敷のお頭かしらに届けやんしたら、お頭も段々次第しでいを聞き、大きに感心なことだ、往来の者の仕合しあわせで、決して咎めねえから早々さっさと敷くが宜いいと、実はお組のお頭も得心なせえやした事です」

善「早いのう、感心だ、そんなら早速金を持って往いくがよい」

と金子を渡すと、多助は金を懐に入れ、提灯を携さげて佐久間町の家うちを出て、聖堂前にかゝり、桜の馬場へ上って参りました。只今では彼あの辺も開ひらけて佐藤先生の病院があり学校もありますが、其の頃は樹木じゅもくが生茂り桜の馬場の辺あたりはお邸やしきばかりで、とんと、日暮から往来するものもなく、時々追剥おいはぎなどが出るくらい淋しい所へ、今多助が藁草履を穿き、すた〱やって来る跡から、ピタ〱冷飯草履を穿き、半合羽に小さいお太刀たちを差し手拭で頬被ほうかむりをし、草履穿で、田舎帰りという拵こしらえの男が、多助の傍へ寄り、

男「やい多助待て」

と声を掛けましたが、是は何者でございますか、次に申上げましょう。

十五

多助のお話も大分だいぶ長らく続き追々終しまいの方に相成りました。さて多助は道普請みちぶしんの金を持って四谷の押原横町へ出かける途中で、呼掛けられましたゆえ立留たちどまって、

多「はい、誰でがんす、誰方どなただえ」

と云いながら提灯の下から透すかして見ると、道連の小平でございますゆえ恟びっくり致し後あとへ退さがる。

小「やい多助、三年あとに手前てめえよく己に赤恥あかっぱじをかゝせやがったな」

多「汝われまだ悪事が止まねえか」

小「止むも止まねえもあるものか、彼あの時は手前てめえのために化ばけの皮を現わされ、立端たちばを失ったから、悪事を止めて辛抱するとは云ったが、実は手前てめえを遺恨に思って附けていたのだが、忙がしい身の上だから奥州おくへ小隠こがくれをしていた所が、又づきが𢌞って漸やっと江戸へ出て来て、通りかゝった山口屋の前で、手前てめえが提灯を点つけて出かける時に、主人が金を持っているから気を注つけて往いけと云ったから、何でも手前てめえの懐にたんまりあるだろうから出せ、金を強奪ふんだくり裸体はだかにするのだ、殺しゃアしねえが身体に疵きずを附けて三年あとの意趣を返けえすのだ、さ金を出せ」

多「仕様がねえ、性分として汝われ悪事が止まねえか、己があれほどまで云った意見を用いねえで悪わりい事をするという心根が如何にも情ねえ、よこせたって何うして此の金は遣られねえ、世界せけえの人の為めに遣う大事でえじな金だ」

小「えゝ出しやアがれ」

と云いながら多助の胸ぐらを取り、力に任せて突き飛とばす。突かれて多助はひょろ〱と横に倒れかゝりましたが、やっと踏み堪こらえながら、

多「なにいする、どうしても金は遣られねえ、誰か来て呉れ〱〱」

と呶鳴るにも構わず小平は拳を固めて力まかせに打落せば、提灯は地に落ちて燃え上り、小平は多助を捻ねじ倒し、乗りかゝって続け打にする。此の時に多助が盗賊どろぼうとか何なんとか云えばよいのに、唯痛い〱と云って居ります。痛いには違いないが、誰たれも助ける人はありません。多助は金を奪とられまいと挑いどみ争う。

小「此奴こいつ小力こぢからがあるな」

と云いながら懐中から匕首どすを取出し、さア出せ、出さなければ殺すぞ。と刃物を目先へ突付ける時、小平の後うしろの方ほうに立ったる一人の侍が、突然に小平の利腕を取って逆さに捻じ上げ、エイの掛声諸共に投げ付けますると、前なるお茶の水の二番河岸へ逆さかとんぼを打ち、ごろ〱〱どぶんと陥おちいりましたゆえ、多助は地獄で仏に逢った心持で、

多「危ねい所をお救い下さいやして、何処のお人だか有難うがんした、あゝ痛いてい、頭が割れる程打ぶたれた、丁度二十七打ぶちやんした」

侍「打ぶたれながら勘定をして居るものがあるものか、貴様は何処のものだ」

多「はい、私わしは佐久間町の山口屋善右衞門の手代多助と申しやんすが、仔細あって今夜四谷へ往いく道で、道連の小平という泥坊に逢いやしたが、三年あと私わしが意見をしたのを遺恨に思って、私わしを殺すべいとする所を、お蔭様で命が助かり、誠に有難うがんす」

侍「なに多助とな、左様か」

と云いながら彼かの侍は宗十郎頭巾を被ったまゝで、後うしろに提灯を提げて立って居ります御家来を見返って、

侍「これ吉次きちじ、少々明神下に買物があるから、遅くなるかも知れんから先へ帰って、旦那様は後あとから直すぐに帰ると御新造ごしんぞにそう云え」

吉「へい、それではお提灯を置いてまいりましょうか」

侍「まア却かえって燈あかりのない方が宜しいから持って往ゆけ」

吉「へい、左様ならお先へ参ります」

多「おいお供さん、大きに有難うがんした」

と云う間まに早や家来は急ぎ駈下かけおります。跡を見送ってお侍が宗十郎頭巾を取って首へ巻き、

侍「これ多助、誠に懐かしかったなア」

多「へい貴方あんたは何方どなたでがんす」

侍「三ヶ年前其方そちが屋敷へ参った時は、義理あればこそ親子と名告なのらず、つれなく其方そちを帰した後あとで、母が愚痴ばかり申して泣いてばかり居ったが、皆手前の為めを思い、態わざと厳しく云って帰したが、八歳やつの時に別れたゆえ碌々顔形も分らないがな、其方そちの実の親の鹽原角右衞門であるぞ」

多「えゝお父様とっさまか、あゝ逢いとうござりやした」

と云いながら泣出し、袴に取付き、

多「もし、三年あと、お邸やしきにまいった時に、貴方あんたが己おらア実の子じゃアない、全く百姓角右衞門の子だが、同じ名前の義理で汝われを育てたのだ、自分の子ではねえと縁切って向むこうへ遣った義理合を立って仰しゃりやんしたから、お顔をも見ずに帰けえりやしたが、彼あの時の御意見が身に染み渡って、山口屋に只今まで辛いのを忍んで奉公して居やんす、私わし決して悪さして国出たわけではがんせん、後あとで細かにお話をいたしやすが、申せば却かえって御苦労を掛けようと思い、詳しいお話を致しやせんだったが、只川一筋向むこうのお屋敷に両親がありながらお顔を見る事もならず、何うしておいでなさるか、達者で御奉公なさるかと人の噂を聞いては悦んで居りやんすが、あんたも追々取るお年、病み煩いのねえ其の中うちに一遍お顔が見てえと思いまして、信心して居りやした、どうぞ私わし国へ帰けえり、家いえを立てるまでお達者でおいでなすって下さるようにと思ってる願いが届いて、汝われが実親じつおやの角右衞門だと仰しゃって下せえまして、私わし何より嬉しく有難うごぜいやす」

角「此の方ほうに於おいても実に悦ばしい、段々様子を聞けば、山口屋善右衞門方かたへ忠義を尽し、実体じっていにして居おる由、誠に感服なるぞ、屋敷内うちでも其方そちの評判が宜しいから蔭ながら悦んでいた、又沼田の角右衞門の分家太左衞門と申すものより書面が来た所、何か後妻の悪心よりと、其方そちの妻さいの心得違いより多助は家出を致せし後あとにて、家は潰れ、多助には聊いさゝかも悪い所はないという事が知れたゆえ、能々よく〱な仔細もあろうと常に其方そちの噂ばかりして居った、何うか身体を大事に奉公して国へ帰り、立派に鹽原の家いえを立てろよ」

多「はい〱、家いえを立てゝえと思うばかりに此様こんな難儀を致すのでがんすが、お父様とっさまに此処でお目に懸ろうとは実に思いやせんでした、有難い事だな、提灯を持って往ってしまいやしたから、お顔が見られねいから、何処か明るい所へ往ってお顔を宜く見てえもんでがんす」

角「左様なら、それまで同道してまいろう」

多「お屋敷までお供して往ゆき、お母様かゝさまにももう一遍お目に懸りていもんです」

角「いや〱また逢う時節も有ろう、夜中やちゅう金などを持って外へ出るな、山口屋善右衞門の宅たくまで送ってやろう」

多「身分が違うから仕様がねえが、貴方あんたでもお母様かゝさまでも加減の悪わりいような事もなかんべいが、若もし有ったらば山口屋の手代多助と云って呼びに遣よこして、私わし逢わしておくんなせいよ」

角「おゝ宜しい、其の燃えた提灯を拾いな、さア同道致そう」

と一方かた〱は戸田様の御家来にて三百石取りの身柄のお方が、見る影もない炭屋の男を送ると云うも親身しんみの父子おやこ、多助は嬉し涙に暮れながら山口屋まで送られて帰りました。是から四谷の押原横町へ石を敷詰めて、道普請を致しますお話でございますが、其の石は明治四五年の頃まで残って居りまして、只今でも彼かの横町の溝どぶの縁ふちに石片いしかけや何かゞ積んで有りますが、玄蕃石げんばいしの余程厚いもので、側面よこに山口屋善右衞門手代鹽原多助と彫り附けて有りまするを私わたくしも慥たしかに見ました。正しょうのお話でありますが、細々しい所は面白味が薄うございますから申上げませんが、多助も山口屋方へ奉公中追々金を蓄ため、国の家いえを立てたいという精神を貫きましょうとするうち、月日の経つのは早いもので、十一年が其の間奉公に陰陽かげひなたなく、実に身を粉こに砕いての働き、子ねに臥ふし寅に起き、一寸いっすんの間まも油断せず身体を苦しめ、身を惜まず働きまする。十一年目は丁度明和八年で、其の年の七月の盆は御案内の通りお商人衆あきんどしゅうは掛け𢌞りなどお忙がしいものでございますが、段々月末に相成りますると大概用も片付きました。多助は今年三十一歳、山口屋善右衞門は五十三歳と相成り、主従しゅう〲親したしみの深い事他たに勝すぐれ、善き心掛けの人ばかり寄りまするとは実に結構な事で。

善「多助や〱、ちょっと此処へ来な」

多「ヒエヽお呼よびなせいやしたか」

善「家うちのお内儀かみさんとも話をして居るんだが、お前もまア家うちへ来てから最もう十一年になるが、月日の経つのは早いもんだのう」

多「はい、早いもんでがんすなア」

善「お前も十年の年季は勤め、礼奉公を三年勤めようと云って骨を折って呉れるお蔭で、身代の助けになった事も毎度あるんだが、最もう奉公も十分だから、こゝらで国へ帰って、日頃望みの国の家いえを立てたら宜かろうと思う、それにお前も隠して居るから私わしも聞きもしなかったが、一体お前の国は何処だえ」

多「はい、誠に有難うがんす、只今まではお尋ねが有りましても、国の家うちの事や私わしの身の上を申しやせんでしたが、もう年季通り勤め上げ、お暇いとまが出て国へ帰けえるのも近いこんだから、お隠し申しやせんが、実は上州利根郡ごおり沼田下新田という所の百姓、鹽原角右衞門の忰多助と申す者でがんす」

善「ふん、下新田と云うのは、それは大分だいぶ、なんだナア山の中の様子だのう」

多「はい左様でがんすが、私わし種々いろ〱申すに申されやせん間違まちげえが有って、国の家いえが潰れかゝりやんしたから、辛つれえのを忍んで居りましたが、母や女房が心得違こころえちげえの者で、私わしをマア殺すべいとまでに悪企わるだくみをされやしたから、私わしも殺されては国の家いえを立てる訳にもいけねえから、私わし出れば潰れるとは思いやしたが、江戸へ参めえって奉公をし、金を蓄ため国へ帰けえって家いえを立てよう、命有っての物種だ、跡方あとかたは潰れてもそれまでと思いきり、国の家いえを出て江戸へめえりやしたが、頼るものはなく、仕様がなくって、忘れもしません十一年あとの八月二十日の晩に昌平橋から身い投げようとする所を旦那様に助けられ、御当家へ参めえり、長い間御厚恩を戴き、お蔭さまで炭の事から、書けもしねえ手も帳面ぐれえは附けられ、算盤も教えて下さり、実に旦那様の御高恩は海よりも深く、山よりも高く、死んでも多助は忘れやせん」

善「あい〱誠に其の志が如何にも感心だのう」

妻「ほんとうに感心だねえ、だから旦那様が毎いつもお前を誉めて、あの多助の志は別段だと云ってさア、それに出入でいりのものや店のものまで皆みんな誉めて居るよ、私や旦那様が誉めると他の奉公人は嫉ねたみが有って悪く云うものだが、お前計ばかりは誰も悪く云わないのは全く不断の心掛けが良いいのだと、旦那様と自慢してお話をして居るんだよ」

多「旦那様へお預け申したものは何どの位くれえになりやした」

善「預ったものか、あいよ、和平や、鳥渡ちょっと帳面を持って此処へ来な、あい〱」

と帳面を受取り、繰返し見ながら、

善「多助、お前は給金なしに奉公をして呉れ、拾った物を売り、預けた金に追々利が増して百四十二両と二貫文となったが大きなものだのう、それからお前が国へ帰るのに私わたしも何ぞ骨折の礼をしなくっちゃアならないが多分の事も出来ないが、百両やる積りだ、それから忰が十両、お内儀かみさんが十両、番頭が千疋びき、店の者中で千疋、車力しゃりき鳶のもの出方中でかたじゅう残らずで五両、其の外荷主様に戴いた御祝儀、煤掃すゝはき歳暮お年玉何や彼かや残らず帳面に付けてある処を番頭に寄せてもらったら、丁度三百両になるが、微塵も積れば山だのう」

多「大でかく蓄たまりやしたなア、そうは蓄るめえと思いやしたが、えれえもんでがんす」

善「此の金を以て国の家いえを立てゝ極りが附いたら、今まで長い間心易くしたものだから、年に二度ぐらいずつ江戸へ出て来る訳にはいくまいか」

多「はい、国の家いえを立てれば二度でも三度でも旦那様のお顔も見てえから出てめえりやすが、私わし家うちは国でも三百石の田地持で、山もえらく持って居りやんしたが、母かゝさまの心得違いから山林田畠でんぱたは人手に渡り、家いえは焼けてしまって無ねえのですから、国へ帰り家いえを建て、田地を買い戻し、馬の二頭ひきも買うには三百両では足りねえようでがんす、それだけ蓄たまった金ではあるし、それに国で稼いでは百が銭を儲けるにも大騒ぎだから、最もう些ちっとべい此の江戸で稼いで見たいと思いやすが何うでがんしょう」

善「何ういう稼ぎをして見る積りだのう」

多「はい、私わし別に覚えた商売しょうべいもねえが、長い間此の家うちに御厄介になって居りましたから炭の事は少しべい覚えやんした、炭より外に何も知りやせんから炭屋を始めて見てえと思いやんす、就つきやして私わし此間こねえだお使つかいの帰けえりに、本所相生町を通ると、其処そこに誠に好いい明店あきだなが有って、間口が三間半、奥行六間で小さい穴蔵が一つ有りやんして、前めえの河岸附かしつきに小さい河岸納屋が有りやすから、炭の荷を揚げるにも極ごく都合の好い事で、それから直段ねだんを聞いて見たら二十五両だと申しやすが、尤も畳建具残らずで、竈へっついはありやせんが、それは後あとで買っても好いが、二十両位にぶんねぎって買おうと思いやすが、どうでがんしょう」

善「至極宜かろう、独りでやっきとやれば又それだけの事は有りましょう、炭は己の方から送るから仔細はないが、此の金を資本もとでにして始めるが宜よい」

多「其の金は貴方あんたに悉皆みんな預けて置き、私わし独りで稼ぎ出しやす、どうか此の金を月々幾許いくらという細くも利を産み出すよう一つ御工夫なすって下さいやし、其の内二十両だけお借り申して家いえを買って始める積りでございます」

善「それは宜よいが、二十両で家いえを買ってしまってはマア炭や何かを買出すにいけまいが、それは何うする積りだな」

多「買出さねえでも炭はハアえらく有りやす」

善「何処に有るんだ」

多「へい、私わし十年の間粉炭こなずみを拾い集め、明き俵へむやみに詰め込んで、拝借致しやした大おおきい明き納屋へ沢山えらく打積ぶッつんで有りやすから、あれで大概たいげえ宜かんべいと思って居りやす」

善「拾い集めた炭じゃア仕方があるまい、粉計ばかりだろう」

多「へい、粉炭でがんす」

善「其様そんな物を買人かいてがあるか」

多「有りやんすとも、貧乏人には一俵買は不自由な訳で、中々一俵は買えねえもんでがんすから、冬季ふゆきなどは困って睾丸火鉢きんたまひばちの中へ消炭けしずみなどを入れ、ブウ〱と吹いて震えながら一夜ひとばん明かすものが多い世の中で、裏店うらだなや何かで難儀して居て一俵買が出来ねえで困って居るものが有りやんすから、其様そんな人に味噌漉みそこしに一杯ぺい、高いか知りやせんが、七文か九文に売りやんせば大でかく益になり、買う人も寒さを凌しのげるから助かりやすゆえ、是を始めたら屹度繁昌しべいと思いやす」

善「是は感心、うまい考えだ、成程宜かろう、何か粉炭ばかり売るも宜しいが、余程よっぽど貯ったかえ、直ぐに売り切れるようではいかんがどうだえ」

多「へい勘定をしやしたら七百二十俵べい貯りました」

善「なに、七百二十俵だと、えらいものだなア」

多「へえ、年にどんな事をしても七十俵ぐらいは貯る勘定になって居りやんすなア」

善「ふん、そんなに粉が出るかのう」

多「廃すたるものだが、斯うして有れば売れやすが、あれで始めれば沢山たんとお借り申しても二十五両でやる積りでござりやす」

善「始めろ〱」

多「そんなら金をお貸しなすって下さい、家うちを買って来やすから」

と主人より二十五両の金子を借り受け、直すぐに本所にまいり、彼かの家いえを買い取り、樽代を払い、近辺へ店振舞たなぶるまいを致し、其処そこに住み込み、粉炭の俵を前の納屋に運び入れ、これから毎日彼かの粉炭を籠に入れ、味噌漉を中に置き担ぎ歩きながら、

多「計り炭はようがんすか、計り炭はようがんすか、味噌漉に一杯ぺい五文と七文でがんす」

と云うのでございますが、この時分には計り炭を売るものがないから珍らしくもあり、一俵買いの出来ない人々は便利な事でございますから一人いちにん買い二人ににん買い、十人百人と好よいことは忽たちまちに広まり、彼処あすこ此処で計り炭屋々々というように相成りました。それから昼間売り歩き帰ってまいり、夜分は又門口に大きな高張たかはりを立て、筆太に元祖計り炭鹽原多助と記し、轡くつわの紋を附け、店で計り炭を売りますと、裏店うらだなのおかみさん達が前掛の下に味噌漉を隠し、一杯お呉れというので大層商いがございます。八月の十五夜から引続き十一月まで追々繁昌致して居りました。すると其の隣りに明き樽買いの岩田屋久八と申し、此の人は年三十九歳になる独身ひとりもので稼ぎ人でございます。多助も稼ぎ人なれば互に睦まじく、毎日休む処が極って居ります。それは四つ目の藤野屋杢左衞門ふじのやもくざえもんと申してお駕籠御用達しで、名字帯刀御免の分限ぶげんでござります。其の藤野屋の裏手の板塀に差掛け葮簀張よしずッぱりを出す聾婆つんぼばあさんの店があります。春は団子などを置き、平常ふだんは鰑するめの足か茹玉子ぐらいを列ならべ、玉子はない事が多いが、塩煎餅は自分で拵えますから何時でもあります。其の外駄菓子はお市、微塵棒、達磨、狸の糞などで、耳は遠いがお世辞の宜よい婆さまでございます。

婆「おやお早うございますねえ、何時でもお噂ばかりして居ますよ、どうも炭屋さんと樽屋さんは毎日刻限違たがわず入いらっしゃると申してねえ、まことに稼ぐお方は違ったものですねえ、今日はいつもよりお早いようです、まアお茶を一つ」

と差出すを受取り、

多「久八さんはもう来そうなものだなア、来た〱、久八さん今日は負けたんべいと思ったが、矢張やっぱり己が早かった」

久「やア多助さんか、今日ばかりは私わしが先きだと思ったのだが、負けやした、私わしは粗々そゝっかしいから宜く物を忘れるのだよ、今日も樽を買った家うちへ手拭を忘れたものだから取りに返り、遅くなったのだよ、婆さんお茶を一杯お呉れ」

婆「お天気が宜く続きます、毎度あなた方のお噂ばかりいたして居りますよ、此の塩梅あんべいではお天気も続きましょう、どうも春にならなければお団子も売れませんよ」

久「聾だからあんな事を云ってる、お茶を一杯おくれ」

婆「はい、これは気が附きませんでした」

と云いながら汲んで出すを久八は受取り、

久「多助さん、いゝ商売しょうべいを始めたなア」

多「まア仕合せな事でお得意先が日々にち〱増えるばかりさ」

久「好いい事を考えた、これは別だよ、誉める人もあり、中には悪くいう人もあるが、何しろ考えがうまいねえ」

多「あんたも折角樽を買ってお歩きなさい」

久「たがねえ多助さん、こうやって刺子さしッこの筒袖を着、膝の抜けた半股引を穿き、三尺帯に草鞋がけ、天秤棒を担いで歩くのだが、末には立派な旦那といわれるようにお互にならないでは填うまらない、旨い物は喰わず、面白いものは見ず、こうやって居るんだものを、まア一生懸命に十年の間稼いだら滅法に金が貯たまろうと思うが、多助さんは幾許いくら貯める積りだね」

多「私わしは金かねエ蓄ためる積りは有りやせん」

久「そんなら何だって稼ぐのだ」

多「そりゃア稼げば金かねが蓄たまるが、金かねを蓄めるような心じゃア駄目だ、私わしア蓄らないようにする積りだ、なんでも金かねエ蓄めて油断をしてはなりやせん、これ金かね宜く聞け、己おらア見ろ、雪が降っても風が吹いても草鞋穿きになって寐ねる目も寝ずに稼いでいるに、汝われは何だ、銭箱の中なけへ入へいってゝ楽をしようたって、そう旨くはいかねえ、稼いで来こう稼いで来こうと金の尻っぺたを打ぶつと、痛いていもんだからピョコ〱出て往って稼いで帰り、疲れたからどうぞ置いておくんなさいと云っても、己おらアこうやって稼いでいるに、汝われそんな弱い根性を出しては駄目だ、稼いで来こうといって又尻しりッぺたを打ぶつと、痛いていから又ぴょこ〱飛出しては稼いで来る、終しめえには金が疲れて最もう働らけねえから何うか置いておくんなさい、最もう何処へも往ゆきません、貴方あんたの傍は離れませんと云うから、そんなら置いて遣るべいという、これが本当に天然自然に貯る金と云うものだアよ」

久「フヽン始めて聞いた、金の尻しりぺたを打叩ぶったゝくって、これは妙だのう、そうだが多助さん段々金が貯って来ると使わなくっちゃならない事が出来てくるぜ、交際つきあいで否いやでも応おうでも旨い物を喰い、好いい衣服きものを着なければならないように成ってくるよ」

多「私わし中々そうはさせねえな、着物が私わしが身に付こうとすると、飛んでもねえ着物だと云って寄付よせつけず、又旨い物だって己おらア口へ入へいろうとしても、そんな汚けがれた物は己おらが口へ入れられねえと云って寄付よせつけねえで打叩ぶッたゝくからそうすると喰物くいものも段々に疲れて来て、そんな事を云わずに何うか少しべい喰ってお呉んなせいといい、着る物も貴方あんたの傍を離れねえから、何うか着てくんろと己おらア身体へ附着くっついて離れねえというから、そんなら着てやろう、喰ってやろうと云うのだ、これは求めずして天より授かる衣食というものよ」

久「へい成程考えたねえ、旨い考えだなア、フーン」

多「お前めえは明樽買あきだるかいよ、私わしは計り炭屋さ、お前まえは精出して明樽を買い、己おれは又なんでも構わずせっせと計り炭を売る、これが天地への奉公よ、計り炭屋は計り炭屋、明樽買は明樽買、お侍はお侍、大尽は大尽、旦那様は旦那様、これは皆其の人の徳不徳にあるのだから、何でも構わずそれだけの稼ぎをせっせと遣るがようがんす、金を貯る心を起してはいけねえ、何でも貯めねえよう、家うちには寄せ附けねえように働かせ、己おらア貧乏だなんという心を廃よしにしてしまって、唯無茶苦茶に天地へ奉公をして居さえすれば、天運で自然と金が出来、天がそれだけの楽をさせてくれるから、何でも邪よこしまな心を起し、一時じにでかく儲けべいと思って人の物を貪るような事をしちゃアいけねえ、随分大でかい投機やまを工たくんでやれば金が出来べいが、其の金は何うしても身に附いてはいねえ、若もし其の身に附いてゝも其の子の代には屹度消える訳のもので、火事盗難という物が有るから、どんな大でかい身上しんしょうでも続いて十度とたびも火難に出逢い、建たてる度たんびに蔵までも焼いたら堪るものじゃなかろう、だから何うしても無理に貪ると又無理に出て往ゆく訳だから、無理のない様に金は働かせ、遊ばせねえようにするのが肝心だよ」

久「成程多助さん、そこへ考えが附かなかったから、斯うやって齷齪あくせく辛いのも厭いとわないで稼ぐのは、今に立派な旦那になろうと思うからだが、能よくなるのも悪くなるのも皆みんな其の人の徳不徳で、明樽買は明樽買かねえ」

多「立派の旦那様にならねいでも、正直にして天地の道に欠けねえ行いをして居れば、誰にも愧はじる所はねえから、何も構った所はねえ」

久「恐入ったねえ、成程えれえもんだ、これからは金の尻しりッぺたを打敲ぶったゝくとしようよ、毎日此処へ休みながらお前のいう話が皆みんな為になるよ、あの先達せんだってちょっと聞いたが、神田の方ではお前の噂が高いよ」

多「なに誉められたって油断は出来ねえ、悪く云われようが善よく云われようが此方こっちでさえ間違まちげえをしなければ恥る所はねえから安心だ、皆みんな天地への奉公、死ぬまで骨折ってやりやしょう」

と茶を喫のみながら四方山よもやまの話を致して居りますも、自おのずから経済法が正しく、倹約の道に適かなって居りまする。樽屋の久八も根が正直な人故ゆえ肝きもに銘じて感心をいたし、両人で長話をして居ります処へ、年頃四十八九にもなろうかと思う女乞食が、俄盲にわかめくらと見えて感が悪く、細竹の杖を突き、十歳とおばかりの男の子に手を引かれながら、よぼ〱して遣ってまいり、ぼろ〱した荒布あらめのような衣服きものを着、肩は裂け袖は断切ちぎれ、恐しい形なりをして居ります。子供は葭簀張よしずッぱりに並べてある大福餅を見附け、腹が空へったと見え、

子「お母っかああの大福餅を買っておくれなえゝ」

母「そんな事を云ってもお前お銭ぜゝが有りません、何を、大きいのを、そりゃア迚とても買えやアしねえ、こゝに三文しかないから三文だけお菓子を売ってお貰い、もしお願いでございますが、小僧がお腹なかが空すきまして、お店の大福を見て喰たべたいと申しますが、三文しかございませんが、これで一つおまけなすって売って下さいませんか」

久「おい、お婆さん、小僧がお腹なかが減ったから大福を売ってくれろと云ってるぜ、負けてやんねえよ」

婆「誠に好いいお天気で」

久「あれ仕様がねえなア、乞食が大福餅をまけてくれろと云ってるんだ、銭ぜにが足りねえというから負けてやんなよ」

婆「はい、ナニ負けてくれろ、持っていきな、負けてやるよ、あゝ無闇に手を出してはいけない、さ、まけてやるから焼過ぎて堅くなったのを持って往ゆきな」

母「有難うぞんじます」

と云いながら大福餅を受取り子供にやる。子供はがつ〱して喰たべているのを、多助は其の母の姿を見て恟びっくり致しましたが、此の乞食母子おやこは何者でございましょうか、次囘つぎまでお預あずかりに致しましょう。

十六

多助が彼かの葭簀張よしずッぱりで盲目めくらの乞食を見て恟びっくりしましたは、十一年前沼田の下新田で別れた一旦自分の母親になりし実の叔母おかめにて、沼田の家いえも此の毒婦のために潰れたのでございますから、多助は心の内に、あゝ叔母御おばごも心がらとはいいながら盲目乞食とまで成り下さがるとは、皆みんな天罰と思えども、傍そばを見ると樽屋の久八が居りますから声も掛けられず、何か心に思案を定さだめまして、

多「久八さん私わしい少し用が有りやすから、誠にお気の毒だが何うか一足お先へ往っておくんなせえな、直すぐに後あとから出かけやす」

久「ハア、そんなら先へ往ゆきましょう、おや〱こゝの所は三軒ながら明き店だなになった、こういう日あたりのいゝ所が明いては困るねえ」

と云いながら荷を担ぎ、

久「明き店だなはござい〱」

多「おい久八さん明あきだるじゃアねえか」

久「そうだった、粗忽そゝっかしいから仕方がねえ、明樽はござい〱」

と流して往ゆく後ろ影を見送って、多助は右の穢きたないおかめの手を取って、

多「叔母さん此処こけえ掛けなよ」

母「はい、何方様どなたさまでございますか有難うぞんじます、俄盲目で感が悪うございまして難渋致します」

多「まア此処こけえかけなよ、子供も掛けな、叔母さん貴方あんたはまア何うして此様こんなに零落おちぶれたよ」

かめ「はい何方どなたさまでございますか」

多「十一年あと沼田で別れた貴方あんたの甥の多助でがんすよ」

といわれて、おかめは顔色変え、

かめ「えゝ多助どのか、面目ない〱〱」

と云いながら思わず識しらず縁台から下へ落ち、大地に両手を突いてパラ〱〱と涙を流しまするを見て、

多「叔母さん、面目ねえという事が分りましたかえ、情ねえ、あんたもマア元は八百石取のお侍の家いえに生れ、お嬢さまとも云われた身が、若い時分から心掛けが悪く若侍と不義をし家を駆出し、縁あって子供が出来たが、其の男が死んだ後、縁とは云いながら私わしが八歳やっつの時に貰われて往った養父鹽原角右衞門様の後添となり、仮にも一旦親子となる中うちに、父様とっさまが不図江戸から連れて戻ったお前の実の娘おえいを、父様が血統ちすじの従兄弟いとこ同志ゆえ夫婦にしたら睦ましかろう、此様こんな芽出てい事はねえって、死ぬる臨終いまわに枕元でおえいと婚礼の盃をしたに、貴方あんたは死んだ父様のお遺言を忘れ、四十に近い身を持ちながら、原丹治と密通をするのみならず、私わしという亭主のあるおえいを勧め、丹治の忰丹三郎と密通をさせ、実に畜生とも何とも云いようのない行いではがんせんかえ、あの時に私わしがこれを荒立てれば血で血を洗うようなもの、詰り家の恥になりやすから、鹽原の家名に疵きずを附けめえと思い、堪こらえていると、二十歳はたちにもなるものを小僧子こぞうこのように使い𢌞し、それでも私わしい虫を堪えて居りやんしたが、終しめえに殺すべいとするから、私わしい家出をすれば其の跡へ原丹治親子が乗込んで来て、鹽原の家は潰れてしまうのは知っては居いれど、命さえあれば江戸で奉公をして金を貯め、国へ帰けえって来て又家を立たてる工夫もあるべいと思い、辛つれえのを忍び国を出る時に纔わずかに六百の銭を持って来たが、途中で悪者に出遇であい、難行苦行して漸く江戸へ着いた所が、頼る所もねえので身みい投げて死のうかと思う所を助けられ、其の人の家うちに十一年の間奉公をして、漸々よう〱人になりやした。只今では担ぎ商いとは云いながら、何うやら斯うやら小せい家うちを一軒持ち、竈かまどを立たてる身になりやしたから、これから稼いで金を貯め、国へ帰けえり、鹽原の家いえを立てる積りでがんすが、貴方あんたのまア其の形なりはなんだえ、それから私わしい宜く知らないが、国の家いえは焼けてしまったって、あんたはマアどういう訳で乞食になんなすったえ」

かめ「はい〱面目次第もございません、お前に又此処で逢うのも皆みんな天の罰でございます、お前がいう通り血統ちすじの甥を私の子にして娘を妻めあわせ、何一つ不足のない身の上となったのに、思案の外ほかのいたずらとは云いながら、年甲斐もなく原丹治と密通をいたし、お前を虐いじり出した跡で丹三郎をおえいの養子に入れたのも、名主と話合いの上、村方で誰一人非の打ち人てのないようにして婚礼をさせようとする処へ、分家の太左衞門が聞附けて来て大変に立腹し、掛合を始め、大間違が出来、丹三郎は若気の至りで腹立はらだちのまゝ五八を切殺し、太左衞門も斬ってしまうと云って追掛けて往ゆくと、飼馬が馬小屋から飛出して丹三郎に噛み附き、おえいも丹三郎の様子を案じて其処そこへ往ゆく所を馬が噛み附き、両人とも馬に噛殺かみころされ、お前の讐かたきを馬が討ったようなもので、今考えれば天罰とは云いながら怖しい事だと思って居ります、すると太左衞門が逃げて触れたと見えて、村方の百姓が大勢集り、私達を打殺ぶちころせ〱と騒ぎ立てゝ、垣の周囲まわりを取巻れた時は、仕方がないから有金ありがねを小包にして身支度をし、おえいと丹三郎の死骸を藁小屋に投込んで火を放つけ、漸々よう〱裏手から落延びまして、四万しまの山口村へ身を匿かくして居ますと、因果と懐姙いたしてねえ、其の翌年よくとしの九月産み落したのは此処に居ります此の四萬太郎しまたろうという忰で、これはお前とは敵同士かたきどうしの原丹治の子でございます、それから故郷忘ぼうし難がたしとは宜く云ったもので、最もう一度江戸を見たいと思い、お尋ね者の身の上だが、丹治殿と私は、生れ落ちてまだ間のない乳児ちのみを抱えて山口を立ち、江戸をさして来る道の横堀村で、又旅のおかく婆ばゝあに出遇い、其の家いえに泊ったのが運の尽き、道連れの小平という悪者が丹治を斬殺きりころしました、尤も丹治もおかく婆と同類の仁助とを殺しましたから、其の隙ひまに私は死物狂い、どうかして落延びようと思いましたが、小平のために吾妻川あがつまがわの深い所に蹴落けおとされ、既に私も此の子も助かりようのない所へ北牧村きたむくむらの百姓清左衞門せいざえもんという人が通りかゝり、助けてくれました所、縁あって其の家いえにずる〱べったり、連れ子をして後添になって居ますうちに、清左衞門は三年あと亡なりましたゆえ、其の忰が桐生きりゅうから帰って来ました所、私の心掛けが悪い所から遂に離縁となり、此の子と一緒に追い出され、拠よんどころなくまた四万の山口へまいり、実は湯場の賄まかない女をして居ますと、一昨年おととしからの眼病で、去年の暮あたりからばったりと見えなくなり、感が悪いものですから賄い処じゃありませんゆえ、出て往ゆけ〱と虐いじめられましても泣き附いて居りましたが、仕方がありませんから此の子を連れ、此の七月下旬から江戸へ出て来ます道々も、乞食をしながらの事ゆえ道も捗取はかどらず、野州路へ𢌞り漸々よう〱の事で江戸へ来ましたも万一ひょっとしたらお姉様あねえさまにお目にかゝる事もあろうかと思い参りましたが、一昨日おとといから何も喰たべず、私は厭いといませんが此の子が如何にも不憫でございます、私は心がらでございますが、親の因果が子に報い、何なんにも知らぬ此の子が如何にも不憫でございます、見る影もない此様こんな形なりでお前さんに逢い、実に面目次第もない事で、斯ういう身の上になりますのも多助さん、皆みんなお前の罰だ、私は今始めて気が附きました、目が覚めました、面目ない、何うぞ堪忍しておくんなさい、許しておくんなさいよう」

多「お前めえまア許してくれ堪忍してくれと云うが、物の理合りあいを宜く考えて見なせい、人と云うものは息ある物の長つかさと云って、此の位くれえな自由自在な働きをするものはねえのだ、向うへ往ゆきてえと思えば自然と向むこうへ歩いて往いかれ、寝たけりゃ横になり、喰いたけりゃ茶碗と箸を持って飯まんまをかっこむように拵えてあって、肩があるから着、口があるから喰うように具そなわっている人の体だから、只能よく働いて天道に欠けず、骨折ってさえ居れば自然に喰たべられるようになってあるのだから、喰くえねえ着られねえという事はねえ筈だが、そこがそれ情慾に迷って、思う儘欲しいまゝに貪り、憎いの可愛かあいいの、嫉ねたみだの猜そねみだの、詐いつわり僻ひがみなどと仇あだならぬ人を仇にして、末には我から我身を捨てるような事になり、路頭に迷う人も世間には夥いけえことあるが、仮令たとい一遍悪い事をしたって改心する時は直すぐに善人だから、あんた全く私わしが罰だった、私わしに済まないと心附いたらば助けて上げやしょう、だが死んだ親父の位牌いへいに対しても済まねえから、家うちの閾しきいを跨またがせることは出来ねえ義理だから、裏の明店あきだなへ入れて置き、食物くいものだけは日々にち〱送ってくれべい、それから此の子が最もう些ちっと訳が分るようになったら、己おらア家うちに引取り、真しんの他人と思い奉公に置いて、算盤や手習ぐらいは私わしが仕込んで、喰い方の附くように工夫してやんべいが、貴方あんた私わしを甥だの前の忰だのという心を出しては済まないよ、叔母とも甥とも思わず真の他人と思って居なければ、国の亡父おやじのお位牌いへいに対して済まないよ、えゝかえ」

かめ「それじゃア敵同士かたきどうしの此の丹治の子をお前は得心の上で目を掛けて育てゝおくんなさるか、誠に有難う存じます、どうぞ助けておくんなさい」

と両手を合せ、多助に向い神か仏のように只管ひたすら拝みまするを見て、

多「そんなに心配しんぺいしなさるな、何どの様ようにもして遣るから」

と多助は茶代を払い、彼かの汚い見る影もないおかめの手を引いて炭の荷を担いで帰りましたが、霜月の事でございますから人通りも滅多には有りませんから、誰も知るものは有りません。すると先程より藤野屋杢左衞門ふじのやもくざえもんの娘お花と申して今年二十一歳に相成り、近辺で評判な別嬪の娘ですが、不思議な女で、御用達のお嬢様で有りながら絹布やわらかいものを着た事は有りません。尤も外へ出ます時には、御両親のお恥になると済まないと申して着ますが、宅うちにいる時は何うか綿服めんぷくにして下さいと申し、頭も飾らず、白粉おしろいなどは更につけず、誠にさっぱりとした娘でございますが、自ずと気象が気高くても強味こわみはありません、心掛けの宜よい娘でございます。多助が日々にち〱裏の茶見世へ来て話をするのを聞いて感心致して居りましたところへ、今日はおかめという叔母が参りましたのを、多助が段々と意見を加え、敵かたき同志の親子をば助けて遣ろうと云う志は、誠に感心な事だと、年はまだ二十一歳でございますが、心ある娘で、多助の往ゆく後影うしろかげをしみ〲眺め、見惚みとれて居りますと、広間の傍わきに土廂どびさしを深く取った六畳の小室こまがございます。其処そこに藤野屋杢左衞門が居りまして、

杢「花や〱何を見て居るのう」

と云われてお花は心づき、

花「お父様とっさま、あの毎日あすこの葭簀張よしずばりに炭屋さんが休んで居りますねえ」

杢「彼あれは中々感心な男だ、只の人間じゃない、計り炭を売るなぞと何うも工夫が旨い、それに云う事が皆みんな異かわっているよ」

花「毎日明き樽を買う人と話をして居ますが、どうも不思議なことを申します、あのお方は今に立派のお方になりますねえ」

杢「尋常者たゞものじゃないのう」

花「お父様とっさま家うちへもいくらも人が来ますが、本当にあの炭屋さんのようなお方は有りませんねえ、今日という今日はつく〲あの炭屋さんに私わたくしは惚れ……」

と云いかけ親父の顔を見て、恥かしそうに下を俯むき真赤になりました。

杢「何か、彼あの炭屋に花は惚れたか、うん惚れても好よい、好よく惚れた、己も惚れている、感心だ、あの襤褸ぼろの半股引刺子さしっこの筒袖で真黒けえに成っているのだから、色香に惚れたのではない、炭屋の心に惚れたのだろうが杢左衞門も鼻が高い、流石さすがは藤の屋の娘だ、宜しい、貴様が強たってあの炭屋の所へ嫁に往ゆきたいと云うなら遣ってやろうか」

花「お父様とっさま本当でございますか」

杢「往ゆきたいか」

花「本当にあんな人はないと思います、彼処あすこへ嫁に遣って下さいますれば、どんなにもお父様とっさまに孝行致しまする」

杢「おゝ感心だ、宜く云った、何うも平常ふだん乙な理窟を云うだけお前の心底しんていが宜しいが、併しかしあの炭屋は何処のもんだか家うちが分らないで困るが、明樽買いと懇意な様子だから、彼奴あいつを呼んで聞いて見たら分ろうが、然るべき媒妁なこうどを頼み、娘を貰って下さいと云ったら、屹度炭屋は御用達の娘は嫌いだぐらいは随分云い兼かねねえ男だから、兎も角も明日あした明樽買いが来たら呼んでくれ、相談をして見ようよ、これ〱よしや、明日のう、あの粗々そゝっかしい明樽買いが来たら、少し用があるから呼んでくれ、門の方から入れずに裏口の外庭の方から入れてくれろ、いゝか」

下女「畏かしこまりました」

と其の日は暮れ、翌日に相成りますと時間違たがわず例の通り、

久「明樽はござい〱」

と流して参りました。

下「ちょいと明樽屋さん」

久「へい〱何方様どなたさまでございます」

下「あの旦那様が、何だか鳥渡ちょっとお目にかゝりたいからと仰しゃいますから、どうぞ庭の開きから入って下さいまし」

久「何方様どなたさまで、藤野屋様で、是は誠に有難いことで、成なるたけお直段ねだんを宜く頂戴致しますから、外へお払いにならず、私わたくしが頂戴致しとうございます、えゝ樽はお幾つございます」

下「旦那様が少し御相談申したいことが有りますから」

と云いながらギイーッと開き戸を明け、

下「此方こちらへお入んなさいよ」

久「でございますか、ヘイ」

と中へ這入りますと、庭の清潔きれいなこと、赤松の一と抱えもあるのがあり、其の下に白川御影しらかわみかげの春日燈籠かすがどうろうがあり、檜ひの木の植込うえごみ錦木にしきゞのあしらい、下草の様子、何やかや申分もうしぶんなく、鞍馬と御影の飛石とびいしに敷松葉しきまつばから霜除けの飾縄かざりなわ、打水うちみずを致し洗い上げてあります、土廂どびさしが深くなっている六畳の茶の間が有りまして、其処そこに杢左衞門が坐って居りまして、

杢「さア樽屋さん、ずっと此方こちらへ来ておくれ、構わず開けて此方こっちへお入り、よしや入れてあげなよ」

久「へい〱只今草鞋を脱いでまいります、石が斯様に洗ってございますから」

杢「いや構わず、遠慮をしてはいかん、アヽヽ松葉の中へ踏み込んではいけない、其の天秤棒を片付けておくれ、あゝ石灯籠へ立掛けては困る……宜くお出でゞあった」

久「お初にお目にかゝります、私わたくしは岩田屋久八と申します樽買いでございますが、何分御贔屓を願います」

杢「まアこれへ腰をかけておくれ、石の上に手を突いてゝは困るよ」

久「誠にお立派なお住居すまいでございます、斯ういうお広いお宅うちは初めて拝見致しました、あの凹へこんで居ります処は何と申します」

杢「あれかえ、あれは床の間だアね」

久「へい、私わたくしは凹へこんで居りますから凹へこの間かと思いました、お座敷が大層続いてございますなア、彼方あっちの方に小さいお座敷が有りますが、あれは何でございます」

杢「あれは便所だよ」

久「ヘイ誠に結構なお住居すまいでございます」

杢「花やお茶をあげなよ」

花「はい」

と恥かしそうにお茶を汲んで久八の前に置く。

久「へい〱是は有難う存じます〱」

と云いながら茶碗を手に取上げて見まするに、古染付ふるそめつけの結構なたっぷりした煎茶茶碗を象眼入ぞうがんいりの茶台に載せて出しますから、

久「へい〱恐入ります、惜しい事に周囲まわりがポツ〱兀はげて居りますナ、些ちとお茶がお温ぬるいようでございます」

杢「いや、余あんまり熱いと苦くて飲みにくいからだよ」

久「へい、戴きます、大層甘うございます、お砂糖でも入れてありますかな」

杢「お菓子を上げなよ」

花「はい」

と云いながら蕎麦饅頭時雨饅頭なんぞを紙の上に山盛に致し、久八の前に差出さしいだす。

久「こんなには戴けません」

杢「皆みんな喰べなくっても宜しい、余ったら持って帰って子供にお上げな」

久「これは恐入りました、御大家様は違ったもんでございますな、一寸ちょっとお菓子にも饅頭を三十も四十も積上げてお出しなさる、大きなものでございます、矢張やっぱり其の人に備わる徳不徳で、私わたくしなぞは精出して明樽を買って歩くのでございますな、有難うぞんじます、時に樽はお幾つございますな」

杢「樽を売るのじゃない、少し相談をしたい事が有りますのだが、久八さん誠に恥入った事ですが、藤野屋杢左衞門折入って、此の通り手を突いて願いたい事があるのだが、何うぞお聞済みを願いたい」

とこれから縁談の事を申入れるというお話でございますが、一息つきまして直すぐに申上げます。

十七

多助が身代を仕出しますには、女房が悪くっては迚とても身代を大きくする事は出来ません。多助の女房になりますのは前囘まえに申上げました通り、御用達藤野屋杢左衞門の娘お花で、実に別嬪でございます。女は容貌みめ形ばかり美よくっても心掛が悪くっては何にもなりませんが、此のお花さんは海も山も備わった、実に何なんとも云えない佳いい娘で、此の御用達の娘が計り炭屋へ嫁に行ゆくと云うは実に妙なもので、縁と云うものは不思議な訳で、随分大阪ものも東京ものと夫婦になり、東京のものと長崎のものと夫婦になり、只今では欧羅巴ようろっぱの人と日本の人と教会で葡萄酒を飲んで婚礼をするという世の中になりましたが、縁は妙なものでございます。之を障子に譬たとえて見ますと、障子に遣つかう木は何国いずこの山の木か知りませんが、それへ美濃で製した紙を張って障子になります。骨ばかりでも紙ばかりでも障子にはなりません。此の二つが持合いで一つのものになりますから、心掛の悪い女房を持っても悪い亭主を持っても捨てる事は出来ません。私わたくしのような穢きたない衣服きものは南部で出来た表に、青梅おうめ飯能はんのう辺へんで出来ました裏を附けますと一対の夫婦で、表は亭主裏は女房ですから、折目正しく整然ちゃアんとしていれば一対の夫婦でございますが、それを亭主の方で浮気の汚しみをつけたり、女房の方で嫉妬やきもちの焼け穴でも拵えたり何かすれば、これを離して外の裏と合せると再縁になるようのもので、合せものは離れものでございます。いつでも折目正しくして居れば整然ちゃんとして二世も三世も夫婦になって居ります。夫婦は三世という縁合のものですから少しの悋気ぐらいで私ア出て往ゆくから一本お書きなんて、全体女が男に一本かけなんと云うのは可笑しいわけでございます。其の時御亭主が癇癪が起って居りますと、直すぐに三行半みくだりはんを渡して出されますと、合せものは離れもので、再び帰ることは出来ないから、嫉妬やきもちの起った時は、嫉妬腹やきもちばらを立ってはいけません、悋気は疑り、疑りは悋気の玉子です。女房が旦那は何処かへ女か何か出来やしないかと思うと、これが嫉妬やきもちの玉子で、すると御亭主のする事なす事そう見えます。旦那が少し春気はるけで頭髪あたまが痒かいゝから床屋を呼びにやってくれと云うと、はてな、まだ毎いつもより少し刈込みがお早いが、それには何処かへお出いでなさるのだろう、それに此の間香水の良いいのを二本買ってお出いでなすったのは変だなと、胸がムカ〱と悋気が起って、そうすると声の出方が違います。

女「お召し物は何が宜しゅうございます」

亭「そんなに良いいのはいりません、結城紬ゆうきつむぎの着物に、絹紬けんちゅうの羽織で宜しい」

と云うと、いつもはお召縮緬めしちりめんの召物めしものだが、今日は渋いお装なりをして見せようと思ってと、又モヤ〱として、

女「車を言い附けましょうか」

亭「車は外そとで乗りますから宜しいよ」

というと、ハヽア家うちへ知れないように外でお乗りなさるなと思い、又またモヤ〱としまして極ごくお毒でございます。其の嫉妬やきもちの起った時結構な一首の歌がありますからお教え申します、「雲晴れぬ浅間の山の浅ましや人の心を見てこそ止やまめ」という歌ですが、モヤ〱と火の燃えるようで誠に浅ましい了簡で、御亭主が浮気をしたか何うだか、宜く見て悋気を起せばいゝに、そこで人の心を見てこそ止まめというのでございます。それですから悋気の起ってモヤ〱とした時には「雲晴れぬ」そうはいけませんが、お気をお注つけあそばせ。扨さて多助のお話でございますが、お花は多助の志を見抜いて嫁に往ゆきたいというのですから、浮気のようで浮気でない。親父もお花が多助の所へ嫁に行ゆきたいというのを聞いて心嬉しいから、

杢「さて樽屋さん」

久「誠に有難いことで、樽はお幾つございます」

杢「樽ではない、お前さんと毎日一緒に家うちの側の葭簀張よしずッぱりに休んで話をしている炭屋さんは何処の人ですえ」

久「あれは私わたくしの隣で」

杢「お前さんの家うちを知らない」

久「本所相生町でございます」

杢「あの炭屋さんはお内儀かみさんがありますか」

久「えゝ彼あの人は八月の十五夜に店を開いたばかりで、まだお内儀さん所どころではありません」

杢「へい、何処の人だえ」

久「上州沼田の人だと申しますが、誠に面白い人でございます」

杢「左様そうかえ、あの炭屋さんに女房を一人世話をしてお貰い申したいが、強たって往ゆきたいという人があるんだから、女房に持って呉れようかね」

久「へい、それはお宅たくの御飯炊ごぜんたきですか、彼あの人は男振は宜しゅうございますが、何しろ真黒に成って働きますから、紺屋こうやなら真青まっさおだが、炭屋だから真黒でどうも」

杢「誠に恥かしいが、これに居るのは私の娘で、年は廿一に成って薹とうに立って、誠に良いい縁がありませんが、あの炭屋さんを見て嫁に往ゆきたいと云い、私も遣りたいと思うが、お前さん媒妁なこうどになって貰いたいものだ」

久「何方様どなたさまをえ」

杢「これに居る娘で」

久「へい〱〱此のお嬢様、アハヽヽヽヽ御冗談ばかり云って、御大家様などはお閑ひまでお退屈でいらっしゃるのだから、樽買を呼んで遊ぼうという御冗談でございましょう」

杢「詐いつわりではありません、藤野屋杢左衞門は帯刀御免でありますが、此の通り手をついてお願い申します」

久「そんなら本当でございますか、あの間違いではありませんか、計り炭屋でございますか」

杢「左様」

久「何処がお見込でお嬢様は嫁に入いらっしゃいますな」

杢「姿形なりかたちに惚れたのではない、唯たった一つ娘の見込があります、只たった一つ臍から二寸ばかり下に見所があるのサ」

久「へい、お嬢様は何処どちらのお湯ゆうに入いらっしゃいます」

杢「なアに心にさ」

久「ハヽア成程、心は二寸ばかり下ですな、お嬢様本当でございますか」

と云われ、流石さすがは処女気おぼこげに真赤になりました。

久「あれは感心でございます、佐久間町の山口屋善右衞門の所に奉公をして白鼠と云われるくらいで、あれは変って居ります、それをお嬢様が見抜いて嫁に入らっしゃる、貴方が遣りたいと仰しゃる、彼あの人も仕合せですな、宜しゅうございます、屹度お世話致しましょう」

杢「本当かえ」

久「どんな事がありましても屹度お世話をします」

杢「あゝ、そんなに煙管で青磁の火入ひいれを敲いては瑾きずがついていけないよ、そして其の煙管は私のじゃないか」

久「これは旦那様のお煙管で、とんだ粗忽そそうをしました」

杢「おい何処へ駆出して行ゆくんだ」

久「あゝ又間違えた、煙管の吸口すいくちを洗おうと思って私わたくしの口を洗った」

杢「何の事だ」

久「宜しい、屹度お世話申します」

杢「あゝ、まだ用があるよ、おい〱其方そっちへ行っちゃアいけないよ、アラ垣根を跨いで出て行ってしまった、粗忽そゝっかしくって仕様がない」

それより久八は急いで多助の宅たくへ参りまして、

久「多助さん〱」

多「何うした、もう帰って来そうなものだと思って待っていた、あゝ〱草鞋を穿いたなりで家うちへ上っちゃアいけないじゃないか」

久「多助さん慌てなさんな」

多「お前が慌てゝ居るんだよ」

久「多助さん、お前の云う通り運は天から授からア、お前知ってるだろう藤野屋杢左衞門さんを」

多「むゝん、藤野屋、知ってるよ」

久「どうも頭髪あたまがこんなでどうも」

多「藤野屋の頭髪あたまがか」

久「なアにお嬢様がサ、年が廿一で美女いゝおんなだねえ、それがお前の所へ嫁に往ゆきたい遣りたいと云って、藤野屋の旦那が縁側へ手をついて、お前さんに媒妁なこうどを頼むといって、どうも美女いゝおんなだ、お前に見せたいよ、あゝ云う大家たいけから嫁が来るってお前はどうも仕合せだ、どうも大きな家うちだよ、座敷が幾間いくまも〱あって、庭も大変立派だよ、其の代りに掃除が届かないね、松葉が一杯にこぼれて居るよ、そうして良いゝ菓子を、あゝ忘れて来た、惜しいことをした、それで茶を入れて、温ぬるいのがいゝのだって、甘い良いゝ茶で、どうもあのお嬢様お前お貰いよう、お貰いよう」

多「お前のいう事は何だか些ちっとも訳が分らない」

久「嘘じゃアない、お貰いなさい」

多「藤野屋の娘は己見た事はあるが、美女いゝおんなだ、全くそう云うのか」

久「全くって藤野屋の旦那が手をついて頼み、お嬢様が真赤になったよ、真実ほんとうだよ」

多「お前めえは今年の十五夜から交際つきあっていて、口と心と違った事はねえから正直な人だと思っていたが、お前めえ遊ぶじゃアねいなア」

久「遊ぶじゃアねえ、お前より此方こっちが遊ばれると思っていたら、本当だった」

多「本当に藤野屋杢左衞門が一人娘を己に呉れると云えば、藤野屋は横着な奴だなア」

久「何で横着だ」

多「己が働きを見抜いて彼奴あいつが嫁によこそうと云うのは、どうも油断がなんねえ、駄目だから断ってくんねえ」

久「なに断る、多助さんお前勿体ねえ事を云わねえもんだ、彼あれを貰えば長持が幾棹いくさお、田地が幾許いくら来るか知れねえ、これが本当の天から授かって来た宝じゃアねえか」

多「駄目だねえ、私わしア計り炭屋、先方さきは御用達で金はあんべいが、幾ら有っても使えばなくなってしまう、己おらア稼ぎじゃア夫婦倶稼ともかせぎでなければなんねえに、先方さきはお嬢様だから飯は炊けねえし、味噌漉みそこしを提げて買物けいものにも往いかれめえ、己おらア家うちへ来ても女中でも一緒に附いて来て朝寐あさねをして、お引ひきずりで銀の股引を穿いた箸をチャラ〱云わして飯を食って居ちゃア、飯が食えねえ、そうすると幾ら有っても直すぐに金がなくなってしまう、身代の為にならねえ、釣合わぬは不縁の元だからお断り申す、往って断って来てくんねえ」

久「フウン成程、お飯まんまは炊けねえ、己おらア一途に宜いいと思って、屹度世話をすると云ったから断るのは間が悪いねえ」

多「間が悪くっても断ってくんねえ」

久「あゝ〱鼻の先にぶら下っている宝を取らねえのか、残念だなア、仕方がねえ、往って断って来よう」

と云いながら久八は藤野屋へ参り、

久「へー参りました」

杢「今度は表から来たか」

久「先刻戴いたお菓子は持って参ります」

杢「炭屋さんに話をしましたか」

久「へい、話しましたがどうも」

杢「うっかり返事をしますまいねえ、御用達の娘と炭屋とは釣合わない、釣合わぬは不縁の元ぐらいの事は云いましたろう」

久「あなた立聞をしましたろう」

杢「なアに立聞はしませんが、彼あの人だから其の位の事は云いましたろう」

久「其の通り云いましたよ、夫婦倶稼ともかせぎをするのだから、金は使えばなくなる、お嬢様だからお飯まんまは炊けず、味噌漉みそこしを提げて買物にも行ゆけねえ、お引摺りでは身上しんしょうの為めにならねえからお断り申すと云いました」

杢「成程至極尤もだが、何ういう人の娘なら嫁に貰うだろうね」

久「計り炭屋でございますから、明樽買いの娘でもあったら貰いましょう」

杢「お飯まんまを炊くのは習わせなかったが、柔らかい物を着るのは嫌いで、針仕事も覚え、髪も自分で結いますが、飯めしを炊くことは知りませんが、宜いい、久八さんお前さんに娘を遣りましょう、お前さんの家うちに一年でも半年でも置いて、お飯まんまも炊かせ、徳利を提げて買物に往ゆかれるようにして、多助さんの所へ嫁にやって下さいな」

久「あの私わたくしの娘に、本当でございますか」

杢「嘘は吐つかない」

久「宜しい、これで多助さんが貰わないと云えば喧嘩をします、忘れないでお菓子を戴いて参ります、左様なら」

と又帰って、多助に藤野屋の申した事を話しますと、多助は首を傾けて思わずハタと膝を敲きまして、

多「成程面白い、明樽買へ彼あれ程の大家たいけの娘をくれて、計り炭屋の嫁に遣りたいと云うなら貰っても宜しい、お前の娘なら貰おうが、私わし一存で定きめる事は出来ない、主人に相談して主人が持ってもいゝと云えば貰おうから、暫く待っておくんなせえ」

久「そんなら早く往いって相談して来るがいゝ」

とこれから多助が参りますのでございますが、中々冗むだには歩きません、炭荷を担いで、「計り炭は宜しゅう、計り炭は宜しゅう」と商いをして儲けながらまいります。山口屋の納屋の所へ荷を下しまして店の方から入り、

多「番頭さん御無沙汰をしました」

和「いや暫く来ないが何うしたえ、旦那様も案じて入いらっしゃる、色々風聞も聞いたが大分繁昌だそうで、誠に結構だねえ」

多「えゝ直すぐに旦那様にお目にかゝり、お話し申してえ事があって参めえりやした」

和「そうかい、台所の方へお𢌞り」

といいますから、多助は草鞋を脱いで上ります。番頭は多助のまいりました事を主人に知らせますと、主人も大きに喜んで、

善「誠に宜よく来た、私わしも逢いたいと思っていたが、尋ねもしず、一人で嘸さぞ忙がしかろうと思って案じていた」

多「誠に御無沙汰を致しました、切せめて一日置きにもお見舞に出てえと思って居りやしたが、見世を出して夜も商いをしやすから、忙しくってつい御無沙汰をしました」

善「却かえって無沙汰の方が宜しい、誠に宜よく来た、何か用があって、何か話したい事があるそうだが何だえ、おいお前、多助が来ましたよ」

女房「宜くお出でだねえ、此の間芳よしに尋ねてやれと云ったけれども、寄りもしず、塩梅あんばいでも悪い時には独りものだから、薬を煎じる者もなくって困るだろうと思っていたが、大層繁昌だそうで、蔭ながら喜んでいますよ」

多「誠にそれもこれも皆旦那様のお蔭で、誠に繁昌して、此の節は粉炭も無くなりましたから、旦那様の炭を買って打毀ぶこわして売ろうと思って、そうして私わしもこれから稼いで金を貯めて、国へ帰けえって家うちを立てゝいと思って居りやす」

善「それは誠に結構な事で」

多「就きまして私わしい嫁を一人貰えと云って、人が世話をしやすが、一人口は食えねえが二人口は食えるという譬たとえもありやすから、旦那さまがまアだ早いといえば持たずに居やすし、持っても宜いいといえば貰おうと思って、旦那様に相談に来やした」

善「世話をする人があれば貰うがいゝよ、媒介口なこうどぐちと云うものは甘うまい事を云うものだから、能よく先方さきを問糺きゝたゞして貰うが宜しい、再縁でもする女か」

多「旦那斯ういう訳でございます」

とこれから明樽買の世話で、親元はこれ〱と申して、明樽買の娘にして貰おうという事を話しますと、山口屋善右衞門は案外の話に実に感心しまして、

善「多助それというのもお前の心掛にある、神仏かみほとけのお恵みにあるから、これを貰わないと云う訳はない、貰え〱〱」

多「はい〱〱」

女房「誠に思掛けない話じゃないか、其の親が遣ろうというのも感心だが、娘がお前にサ、お前だって男は悪くはないが、担ぎ商いをするのを見抜いて来たいという其の子も感心ではありませんか、ねえ旦那」

善「誠に結構だ、己が媒妁なこうどをしましょう」

多「それはいけません、藤野屋から来るなら山口屋の旦那様の媒妁なこうどが宜しいが、明樽買の岩田屋久八の娘にするのだから、山口屋の旦那じゃアいけません、少し過ぎますが、番頭さんが家うちを持って、夫婦一対揃って居るというから、和平さんにお頼み申しましょう」

善「宜しい、そんなら和平に言い附けるが、婚礼は何日いつだえ」

多「先方さきは何というか知んねえが、十二月の十五日と定きめました」

善「それは何う云う訳で」

多「日は吉いいか悪いか知らねえが、私わしが国を出たのが八月十五日で、店を出したのも十五日だから、大切の日を忘れねえ為め十五日にしましょう」

善「左様さ、三日さんじつだから至極宜しかろう、それだが隣から直すぐ来るのは変だろうから、何処へか𢌞って来るかえ」

多「なアに直ぐに来やす」

善「何処か高張でも出す所があるだろう」

多「婚礼は何うか昼の午うまの刻に願ねげえてい」

善「それは可笑しい、お大名の婚礼なら午の刻だが、計り炭屋の婚礼に昼は可笑しい、夜がいゝよ、夜がいゝよ」

多「どうかそれだけは昼にして下せえ、夜は出来ねえ」

善「何故夜は出来ない」

多「それでも夜すると商いが出来ねえ」

善「商売は一日ぐらい休んでも宜いいじゃアないか」

多「それは私わしア構わねえが、方々の内儀かみさん達が待って居るから、朝は商売に出なければなんねえ、又夜は家うちで商いをするから、遠くから内儀かみさんが前掛めえかけの下へ味噌漉みそこしを入れて買いに来るのに、今日は家うちが婚礼だからと云って断ると冗足むだあしをするべいじゃねえ、炭がなければ此の寒いのに木片こっぱを焚いてブウ〱云ってあたるくらいで、大勢の人に寒い思いをさせなければなんねえから、朝商いをして夜商いをして、それから寐ねせえすればよかんべい」

善「そりゃア寝るのは宜いいが、成程人の難儀になるのだから其の方が宜かろう、それじゃア上下かみしもを着るかね」

多「どうして〱」

善「先方さきが藤野屋杢左衞門だから婿も上下かみしもぐらいは着なくっちゃアなるまい」

多「なアに私わしア此の筒袖つゝっぽで宜うがんす」

善「どうか身の出世だから袴羽織でやって呉れ」

とこれから和平を呼んで話しますと、和平も大きに悦んで承知しました。

多「旦那様どうか一寸ちょっと着物と羽織を貸しておくんなせえ」

善「何処へ往ゆくんだ」

多「これから往って来る処があるから」

善「どんな着物がいゝな」

多「なアに一寸ちょっとしたので宜うがんす」

善「これ忰のを貸してやれ、結城紬ゆうきつむぎのが宜しい」

とこれから着まして、多助が戸田様のお屋敷へ参り、実父鹽原角右衞門に会い、婚礼の事を相談を致しますというお話でございますが、一寸ちょっと一息つきまして申上げましょう。

十八

多助は主人山口屋善右衞門から着物と羽織を借り、これを着まして戸田様の屋敷にいる実父鹽原角右衞門の所へ往ゆきましたが、丁度十ヶ年ぶりでございます、尤も五年前危難の節実父には逢いましたが、匇卒そうそつに別れましたゆえ、今日は染々しみ〲物語をしようと思いまして屋敷へまいり、

多「お頼み申します、お頼み申します」

男「どーれ」

多「手前は山口屋善右衞門の手代多助と申します、旦那様へお目通りを願いやす」

男「左様か、少々控えて居れ……えゝ山口屋善右衞門方の手代多助と申すものがまいりまして、旦那様へお目通りを致したいと申します」

角「なに多助がまいったと、如何どういう形なりでまいった、また筒袖つゝッぽを着てまいったか」

男「いゝえ羽織を着て参りました」

清「私わたくしもあれぎり逢いませんから、どうか貴方お義理堅いのも程がありますからお逢い下さいまし」

角「多助をこれへ通せ」

男「はい」

と云いながら玄関へまいり、

男「此方こちらへ通らっしゃい」

多「はい」

と云って座敷へ通りましたが、母の顔は十年ぶり、父の顔も五年前ぜんに見たが真の闇で見たのですから能よく分りません。多助は実に懐かしく胸が塞がって、

多「御機嫌宜しゅう」

と云うなりにピッタリ畳へ頭を摺付けて居ります。

角「誠に久しく逢いません、人の噂に山口屋善右衞門方の奉公を勤め上げて、何か本所辺へんへ店を出して、大分繁昌の様子も聞いて居ったが、何か用事があって参ったとか、用向を申せ、互たがいに無事でいてめでたい」

多「私わたくしもお目に懸りてえと思って居ても、奉公の中うちは只お屋敷で御両親様のお達者で入いらっしゃると云う事を蔭ながら聞きますばかり、私わたくしも望みが叶いまして山口屋を首尾好よく十一年勤め上げ、相生町へ店を出し繁昌して忙がしいので間合まあいもなく、夫それ故お屋敷へも出ませんでしたが、今日は御機嫌伺いながらまいりまして」

清「誠に旦那様もお年をとるし、最もう尋ねて来そうなものだと思っていても、旦那様はお義理がお堅いから沼田の養父に済まんと仰しゃって、お逢いなさらなかったが、今日は立派になって来て誠に嬉しい事で」

多「私わしも嬉しゅうござえます、就きまして国へ帰かえろうと思って居りましたが、山口屋に預けた金が三百両ばかりで、国に帰けえって家うちを立てべいとは存じましたが、江戸で稼いでもう七八百両貯めてから帰けえるべいと思いやして、店出しをしやした所が、有難ありがてえ事に繁昌します、私わしもまだ三十一だから今十年も稼げば国の家うちも大でかく立てられ、親類の家いえも立てべいと思って居りやした所が、女房を世話をする人があって、主人も得心でごぜえますが、持っても宜しいか宜しくねえか伺うかげえに参めえりやした」

角「誠に手前が堅くして居る所からそう云う訳になるので、誠に恐悦の事だ、何ういう者の娘じゃ、山口屋善右衞門が得心で持たせるという女房なら宜しい、それは結構だ」

清「最もうこんなに立派に成って来ましても、矢張少ちいさい心持で居りますが、女房を持つようになって誠に結構だねえ、先方せんぽうは何う云うもので、女房の身分は」

多「身分はこれ〱」

と前ぜん申上げました藤野屋の事から、明樽買の娘にして貰う事を細かに申すを聞いて、角右衞門は学問のある人だけに暫く考えて、

角「多助、誠に得難い幸いだ、貰え〱、向うも藤野屋杢左衞門の娘、仮令たとえ樽屋からよこしても、婚礼の時は世間へ対して振袖ぐらいは着せてよこすだろうな」

清「そりゃア貴方仮令たとえ炭屋でも婚礼の席は立派にしなければなりませんから、嫁も地赤じあかに縫い模様の振袖に白の掛かけ位は着なければなりません、多助も世が世なら上下かみしもぐらいは附けなければなりませんが、運悪くあゝ云う事になったから、どうか貴方御紋付を遣って下さいまし」

角「そうサ、上下かみしもも入いるなら遣るから持って往ゆくがいゝ」

多「主人から紋付の着物と羽織と袴を祝ってくれましたからいりません」

角「何を出せ、袴と盛景もりかげを出せ」

と備前盛景の一刀を出させまして、

角「これは手前の身の固めの祝いとしてやる、又此の五十金も遣つかわす」

多「誠に有難い事で、お身に附きました物を戴きますのは誠に有難うございますが、お腰の物は炭屋には入りませんから頂戴致しません」

角「左様で無い、町人でも脇差の一腰ぐらいはなければならんものだ、これは祖父様おじいさまからのお譲りものだから取って置け」

多「へい、それでは戴きやすが、此の五十両は戴きません」

角「だが、宜く考えて見ろ、沼田の鹽原角右衞門殿は同姓の交誼よしみで手前を藁の上から取上げて育てゝ八歳に成って返す時、礼として五十金を贈られ、拙者は其の五十金を持って身姿みなりを整え、江戸へ出て只今斯うやって三百五十石頂戴致すようになったのは、角右衞門殿の恩義、其の時申し受けた金を只今返金に及ぶのだから、此の金を以て沼田の家いえを立てる足しにすれば、己の気も済むから、これは強たって受取れ」

多「御尤もでございますから、此の金を以て養父の法事をいたし、余りで馬でも買いますようにしましょう」

角「婚礼は幾日いくかだな」

多「えゝ来月十五日でございます」

角「夕景から行って模様を見たいな」

多「婚礼は正しょう午うまの刻に極めました」

角「はてね、何ういう訳で」

多「これには深い訳があります」

角「左様か、立派にやれ、立派にやれ」

清「あゝ是は揷古さしふるした櫛笄こうがい、昔物むかしものゆえ気には入るまいけれど、嫁御よめごへ私が心ばかりの祝物いわいもの、常に此の櫛と笄こうがいをさして舅しゅうと姑しゅうとめが側に居ると心得、油断なく家いえを思い、夫を大切に致すよう私が申したと云って遣つかわしておくれ」

多「ハヽ有難く戴きます、左様なら御機嫌宜しゅう」

と暇乞いとまごいをしますと、両親が玄関まで送って来まして、嬉し涙をこぼしますを見て、

多「左様なら時節があれば又お目に懸ります」

と云いつゝ別れを告げ帰って来まして、早速久八を以て藤野屋へ挨拶を致しますと、藤野屋のお嬢様はこれから十五日まで樽屋久八の家うちで御飯炊ごぜんたきの稽古を致して居ましたが、扨さて十二月十五日となりますと、女親は妙なもので、たとえ樽屋へ遣っても嫁に往ゆく時の品とて拵えて置いた縫模様の振袖は多助に話をして、当日だけは着せて遣りたいと云う。多助は袴羽織でお花は縫模様の振袖と大和錦の帯を締め、髪は文金の高髷たかまげにふさ〱と結いまして、少し白粉おしろいも濃く粧つけまして、和平夫婦が三々九度の盃を手に取上げる折から、表の方かたから半合羽を著きて、今河岸の船から上って来たという様子で這入ってまいりましたのは、炭の荷主で、飛駒村の吉田八右衞門でございます。

八「はい、御免なさい、誠に無沙汰しやした、和平どんも此方こっちかね」

和「これは何うもお珍らしい、当家も芽出度い事がありまして参って居ります」

八「店出しをするという事を聞いたから、炭荷を送らなければ多助さんに嘘をついたようだから、何うか送りてえと思って居たが、中々千両の炭が集まらねえのを、漸々よう〱集めて、十三艘の船へ積んで河岸へ持って来たが、川が狭せめえから桟橋が邪魔になって仕様がねえ」

多「はアどうも有難うがんす、私わしが家うちは今日婚礼でがんすから、マア上って倶ともに一盃ぺいあがっておくんなせえ」

八「婚礼処じゃねえ、炭を揚げなくっちゃア他の舟の邪魔になって仕様がねえ、炭を揚げてから婚礼を仕なせえ」

と云うから、多助は紋付の着物の片肌脱ぎて臀しりを端折はしおって、向う鉢巻を致しまして、せっせと炭を担ぎ始めました。そうすると嫁も、

花「私の振袖を結んで下さい」

和「何をするんだ」

花「何でも宜しい」

と云うから結んでやりますと、子供が水悪戯みずいたずらをするような形なりをしてお花は両裾を高くはしょり、跣足はだしで河岸へ出て往ゆきまして、

花「旦那様お一人でお忙がしゅうございましょうから、私わたくしも担ぎましょうから、軽そうなのを下さいまし」

多「好よく来た、担いでくれ」

花「はい」

と云うので、これから担ぎますから、久八、和平も手伝って担ぎましたから、忽たちまち家いえの見えないように炭を積み上げ、芽出度めでたく婚礼を済ませて、八右衞門は媒妁なこうどと共に別れて帰ります。これから夜になると夫婦で商いをしますと、多助の家うちへ嫁が来て、これ〱と云うから、嫁を見ながら方々から買いに来ます。これから商いをしまって愈々いよ〱床盃とこさかずきと相成ります。

多「芽出度めでていなア、己おらア斯うやって真しんの親父に貰った紋付の着物を着て、お前めえと話をするだア」

花「はい〱」

と恥かしそうな顔をして居ります。

多「誠に不思議な訳で、己おらア家うちへ嫁に来て己おらア醜男ぶおとこで誠に何処と云って取り所も何もねえが、己おらア精神を見抜いてお前めえの親父様もくれたゞから、末長く成るべいが、夫婦は初見しょけんにあると云うから、婚礼をする時に堅く約束をしなくっちゃアならねえが、己おらアような者でも亭主に持てば、己おらア言葉を背そむかねえか」

花「はい、決して背きませんが、不束ふつゝかものでございますから、宜く御用をお言い付けなすって下さいまし、漸く御飯ごぜんは炊けるようになりました」

多「そうだってなア、お前めえと六十八十までも夫婦になるだが、お互たげえに気に入らねえ所が出来る、どうも嫁は彼処あすこは宜いい此処が気に入らねえ、どうも腹ア立っていけねえと云えば、お前めいも、己おらア旦那はどうも彼処あすこはいいが腹ア立っていけねえとか何とか思う事があるものだが、お互たげえにいけねえと思うと、一つ所とこにいるのが厭いやになるから、いけねえ所とこは取って打棄うっちゃってしまって、善いい所ところべいで夫婦になって居べいぜ、いゝか」

花「至極御尤もでございます」

多「そうサ、これより尤もっともな事はねえ、そこでお前めえは御用達の娘で、計り炭屋へ嫁に来て、味噌漉みそこしを提げると云う心は此の多助が仇あだには思わねえ、己おれも死に身になって働き、お前めえも働いて此の身代を大でかくして、人には云えねえが、時節次第しでいで少くも本所半分は己おれが地面にしべいと思うのだ、そうはいくめえが棒程願って針程叶えだから、大でかくやるべいや」

花「はい〱」

多「それには倹約をしなくっちゃアいけねえ、吝嗇けちにするのじゃアねえ倹約をするだよ、吝嗇けちとは義理も情なさけも知らねえで、奉公人などに食う物も喰わせず、着る物も着せねえで人を困らせても構わず無闇に金を貯ためるのを吝嗇けちと云って極ごくいけねえのだ、それから自分が一杯ぺい食う物を半分食って、彼あれは欲しい、買いてえと思っても堪忍してやれと云って半分にして置く、それが倹約の本もとだ、それを天地に預けて置けば利が附着くッついて来る、其の時は五枚めいでも十枚めいでも一時じに着られるようになるから、十年が間稼がなければなんねえ、今に子供でも出来ると骨え折れるから確しっかりやって呉れ」

花「どのようにも倹約を致します、御膳は一度ぐらいにしましょう」

多「お飯まんまはどんと食ってもいゝのだ、そこで倹約がいゝと云っても、明日あすが日ひ死なねえものでもねえ、其の時此の家うちへ来て芝居見物一つ花見一つしねえと思うと愚痴が出て死ねねえものだから、己おれが一遍は見せる、花見でも芝居でも花火でも何でも一遍は見せる、美いい着物も一遍は着せるが、二度とはいけねえ、一遍ずつだよ、それを駄目だと云うなら今の中うち帰けえる方が宜いい、早い方がいゝよ、それが気に入らなければお前めえは器量があって、何処へでも往いける立派なお嬢様だから、立派な処ところえ嫁に往ゆくがいゝ」

花「私わたくしは立派な処とこへ往ゆきたければ此方こちらへは参りはしませんから、どうかお見捨てなさらないでお置き下さいまし」

多「見捨みすてると云う事はねえが、まアだ気に入らねえ事がある、お前めえの着物は皆みんなあんなに袖が長いが、彼あの袖があれば子供の着物が一つ出来る、冗むだじゃアねえか」

花「振袖物は皆みんな彼あんなに長うございます」

多「彼あの袖だけ冗むだだから、彼あれを鉈なたで打切ぶっきってしまうから此処こけへ持って来こう」

花「はい〱」

と少しも逆らわず、嫌いやな顔もしず松竹梅の縫模様の振袖を持って来ますと、

多「これを打切ぶっきるだアよ、己おらア家うちじゃア入らねえから」

花「あゝ申し旦那様、貴方は昼からお働きでお草臥くたびれでございましょうから、私わたくしが致します」

と云いながら振袖を薪割台の上へ乗せて、惜気もなくザクウリッと二つ三みっつに切りました時は、多助も思わず手を拍うって、

多「好よく切った、それでこそ鹽原の女房だ、多助の家いえは此の振袖の袂にある」

と云って大きに喜んで、実に玉椿の八千代までと新枕にいまくらを交かわせ、それから夫婦共稼ぎを致しまして、少しも油断をしませんから、忽たちまち身代を仕出しましたに付つき、多助は予かねての心願通り沼田の家いえを立派に再興致し、分家の家いえも立てまして、今日こんにちまで鹽原の家いえは連綿と致して居ります。また多助は江戸表に置きましても稼業に出精しゅっせいしまして、遂に巨おおきな身代となり、追々に地所を買入れ、廿四ヶ所の地面持とまでなり、本所に過ぎたるものが二つあり、津軽大名炭屋鹽原と世に謡うたわるゝ程の分限ぶげんに数えられ、其の家いえ益々富み栄えましたが、只正直と勉強の二つが資本もとででありますから、皆様能よく此の話を味あじわって、只一通りの人情話とお聞取りなされぬように願います。此の話も余り長くなりましたから、未だ纒まとまりのつかぬ道連の小平と盲人めくらのおかめ母子おやこの事などは、鹽原多助後日譚ごにちのものがたりとして、尚なお追々お聞きに達しますことゝ致しまして、一先ひとまず此処で打切りに致します。長らくの間御愛顧に相成りました段は深くお礼を申上げます。

(拠若林玵藏、酒井昇造速記)

底本 / Source edition

底本:「圓朝全集 巻の十二」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫
1963(昭和38)年8月10日発行
1975(昭和50)年2月5日3版
底本の親本:「圓朝全集巻の十二」春陽堂
1927(大正15)年発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。
また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。
底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「彼《あ》の」と「彼《あの》」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。
また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:仙酔ゑびす
2011年3月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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リリース / Release
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TEI
/works/043874_000989/tei
プレーンテキスト / Plain text
/works/043874_000989/plaintext
書誌 / Bibliography
/works/043874_000989/

三遊亭 円朝「塩原多助一代記」(新字新仮名)、底本『圓朝全集 巻の十二』近代文芸資料複刻叢書、世界文庫、1963年。Soranoha Aozora Bunko TEI Corpus, 043874_000989, release 913b24012e16. https://doi.org/10.5281/zenodo.22718079

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