１

「いや彼は<ruby><rb>隴西</rb><rt>ろうせい</rt></ruby>の産だ」

「いや彼は<ruby><rb>蜀</rb><rt>しょく</rt></ruby>の産だ」

「とんでもないことで、<ruby><rb>巴西</rb><rt>はせい</rt></ruby>の産だよ」

「冗談を云うな<ruby><rb>山東</rb><rt>さんとう</rt></ruby>の産を」

「<ruby><rb>李広</rb><rt>りこう</rt></ruby>の後裔だということだね」

「<ruby><rb>涼武昭王暠</rb><rt>りょうぶしょうおうこう</rt></ruby>の末だよ」

――<ruby><rb>青蓮居士謫仙人</rb><rt>せいれんこじたくせんにん</rt></ruby>、李太白の素性なるものは、はっきり<ruby><rb>解</rb><rt>わか</rt></ruby>っていないらしい。

金持が死ぬと相続問題が起こり、偉人が死ぬと素性争いが起こる。

偉人や金持になることも、ちょっとどうも考えものらしい。

李白十歳の初秋であった。県令の<ruby><rb>下</rb><rt>もと</rt></ruby>に小奴となった。

ある日牛を追って堂前を通った。

県令の夫人が欄干に<ruby><rb>倚</rb><rt>よ</rt></ruby>り、<ruby><rb>四方</rb><rt>あたり</rt></ruby>の景色を眺めていた。

穢らしい子供が、穢らしい牛を、臆面もなく追って行くのが、彼女の審美性を傷付けたらしい。

「無作法ではないか、<ruby><rb>外</rb><rt>よそ</rt></ruby>をお廻り」

すると李白は声に応じて<ruby><rb>賦</rb><rt>ふ</rt></ruby>した。

「素面<ruby><rb>欄鉤</rb><rt>らんこう</rt></ruby>ニ倚リ、嬌声<ruby><rb>外頭</rb><rt>がいとう</rt></ruby>ニ出ヅ、若シ是織女ニ非ズンバ、何ゾ必シモ牽牛ヲ問ハン」

これに驚いたのは夫人でなくて、その<ruby><rb>良人</rb><rt>おっと</rt></ruby>の県令であった。

早速引き上げて小姓とした。そうして硯席に<ruby><rb>侍</rb><rt>はべ</rt></ruby>らせた。

ある夜素晴らしい山火事があった。

「野火山ヲ焼クノ後、人帰レドモ火帰ラズ」

県令は苦心してここまで作った。後を附けることが出来なかった。

「おい、お前附けてみろ」

県令は李白へこう云った。

十歳の李白は声に応じて云った。

「焔ハ<ruby><rb>紅日</rb><rt>こうじつ</rt></ruby>ニ隨ツテ遠ク、煙ハ暮雲ヲ<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>ツテ飛ブ」

県令は苦々しい顔をした。それは自分よりも旨いからであった。

五歳にして六甲を誦し、八歳にして詩書に通じ、百家を観たという<ruby><rb>寧馨児</rb><rt>ねいけいじ</rt></ruby>であった。田舎役人の県知事などが、李白に敵うべき道理がなかった。

ある日美人の溺死人があった。

で、県令は苦吟した。

「二八誰ガ家ノ女、飄トシテ来リ<ruby><rb>岸蘆</rb><rt>がんろ</rt></ruby>ニ倚ル、鳥ハ<ruby><rb>眉上</rb><rt>びじょう</rt></ruby>ノ<ruby><rb>翆</rb><rt>すい</rt></ruby>ヲ窺ヒ、魚ハ<ruby><rb>口傍</rb><rt>こうぼう</rt></ruby>ノ朱ヲ<ruby><rb>弄</rb><rt>ろう</rt></ruby>ス」

すると李白が後を継いだ。

「緑髪ハ波ニ<ruby><rb>隨</rb><rt>したが</rt></ruby>ツテ散リ、紅顔ハ浪ヲ<ruby><rb>逐</rb><rt>お</rt></ruby>ツテ無シ、何ニ<ruby><rb>因</rb><rt>よ</rt></ruby>ツテ<ruby><rb>伍相</rb><rt>ごしょう</rt></ruby>ニ逢フ、<ruby><rb>応</rb><rt>まさ</rt></ruby>ニ是<ruby><rb>秋胡</rb><rt>しゅうこ</rt></ruby>ヲ想フベシ」

また県令は厭な顔をした。

で李白は危険を感じ、事を設けて<ruby><rb>仕</rb><rt>つかえ</rt></ruby>を辞した。

詩的小人というものは、俗物よりも嫉妬深いもので、それが嵩ずると偉いことをする。

李白の逃げたのは利口であった。

剣を好み諸侯を<ruby><rb>干</rb><rt>かん</rt></ruby>して奇書を読み<ruby><rb>賦</rb><rt>ふ</rt></ruby>を作る。――十五歳迄の彼の生活は、まずザッとこんなものであった。

年二十性<ruby><rb>倜儻</rb><rt>てきとう</rt></ruby>、縦横の術を喜び任侠を事とす。――これがその時代の彼であった。

財を軽んじ<ruby><rb>施</rb><rt>し</rt></ruby>を重んじ、産業を事とせず豪嘯す。――こんなようにも記されてある。

ある日喧嘩をして数人を切った。

土地にいることが出来なかった。

このころ<ruby><rb>東巖子</rb><rt>とうがんし</rt></ruby>という仙人が、<ruby><rb>岷山</rb><rt>みんざん</rt></ruby>の南に隠棲していた。

で、李白はそこへ走った。

聖フランシスは野禽を相手に、説教をしたということであるが、東巖子も小鳥に説教した。彼は道教の道士であった。

彼が山中を<ruby><rb>彷徨</rb><rt>さまよ</rt></ruby>っていると、数百の小鳥が集まって来た。頭に止まり肩に止まり、手に止まり指先へ止まった。そうして盛んに啼き立てた。

それへ説教するのであった。

李白はそこへ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かくまわれる</span>ことになった。

ある日李白が不思議そうに訊いた。

「小鳥に説教が<ruby><rb>解</rb><rt>わか</rt></ruby>りましょうか？」

「馬鹿なことを云うな、解るものか。あんなに<ruby><rb>無暗</rb><rt>むやみ</rt></ruby>と啼き立てられては、第一声が通りゃアしない」

「何故集まって来るのでしょうか？」

「俺が毎日餌をやるからさ。小鳥に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もてる</span>のもいいけれど、糞を掛けられるのは閉口だ」

一度彼が外出すると、彼の道服は鳥の糞で、穢ならしい<ruby><rb>飛白</rb><rt>かすり</rt></ruby>を織るのであった。

「一体道教の目的は、どこにあるのでございましょう？」

ある時李白がこう訊いた。

「つまりなんだ、幸福さ」

「幸福を得る方法は？」

「<ruby><rb>長命</rb><rt>ながいき</rt></ruby>することと金を溜めることさ」

<ruby><rb>洵</rb><rt>まこと</rt></ruby>に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">あっさり</span>した答えであった。

２

「どうしたら金が溜まりましょう？」

「働いて溜めるより仕方がない」

「その癖先生はお見受けする所、ちっとも働かないじゃありませんか」

「うん、どうやらそんな格好だな」

「働かないで溜める方法は？」

「よくこの次までに考えて置こう」

一向張り合いのない挨拶であった。

「どうしたら長命が出来ましょう」

「いろいろ方法があるらしい」

「それをお教え下さいませんか」

「俺には解っていないのだよ」

「物の本で読みました所、内丹説、外丹説、いろいろあるようでございますね。<ruby><rb>枹木子</rb><rt>ほうぼくし</rt></ruby>などを読みますと」

「ほほう、それではお前の方が学者だ。ひとつ俺へ話してくれ」

李白これには閉口してしまった。

ある日東巖子が李白へ云った。

「天とは一体どんなものだろう？」

「ははあこの俺を<ruby><rb>験</rb><rt>ため</rt></ruby>す気だな」

すぐに李白はこう思った。

「道教の方で申しますと、天は百神の君だそうで、上帝、<ruby><rb>旻天</rb><rt>びんてん</rt></ruby>、皇天などとも、皇天上帝、旻天上帝、維皇上帝、天帝などとも、名付けるそうでございますが、意味は同じだと存じます。天は唯一絶対ですが、その功用は水火木金土、その気候は春夏秋冬、<ruby><rb>日月星辰</rb><rt>じつげつせいしん</rt></ruby>を引き連れて、<ruby><rb>風師雨師</rb><rt>ふうしうし</rt></ruby>を支配するものと、私はこんなように<ruby><rb>承</rb><rt>うけたま</rt></ruby>わって居ります」

「ふうん、大変むずかしいんだな。俺にはそんなようには思われないよ。色が蒼くて<ruby><rb>真丸</rb><rt>まんまる</rt></ruby>で、その端が地の上へ垂れ下っている。こんなようにしか思われないがな」

これには李白もギャフンと参った。

「地についてはどう思うな？」

これは<ruby><rb>浮雲</rb><rt>あぶな</rt></ruby>いと思いながらも、真面目に答えざるを得なかった。

「地は万物の母であって、人畜魚虫山川草木、これに産れこれに死し、王者の最も尊敬するもの、冬至の日をもって<ruby><rb>方沢</rb><rt>ほうたく</rt></ruby>に祭ると、こう書物で読みましたが」

「お前の云うことはむずかしいなあ。俺にはそんなようには見えないよ。変な色の、変に凸凹した、穢ならしいものにしか見えないがね」

これにも李白は一言もなかった。

「お前は人の性をどう思うね？」

「はい、孔子に由る時は、『<ruby><rb>人之性直</rb><rt>ひとのせいちょく</rt></ruby>。<ruby><rb>罔之生也</rb><rt>これをくらますはせいなり</rt></ruby>。<ruby><rb>幸而免</rb><rt>さいわいにまぬかれよ</rt></ruby>』こうあったように思われます。しかし孟子は性善を唱え、荀子は性悪を唱えました。だが告子は性可能説を唱え、又<ruby><rb>楊雄</rb><rt>ようゆう</rt></ruby>、<ruby><rb>韓兪</rb><rt>かんゆ</rt></ruby>等は、混合説を唱えましたそうで」

「だがそいつは他人の説で、お前の説ではないじゃアないか」

「あっ、さようでございましたね」

「で、お前はどう思うのだ？」

「さあ、私には<ruby><rb>解</rb><rt>わか</rt></ruby>りません」

「解るように考えるがいい」

「あの、先生にはどう思われますので？」

「俺か、俺はな、そんな<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">つまらない</span>事は、考えない方がいいと思うのさ。形而上学的思弁といって、浮世を小<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うるさく</span>するものだからな」

これには李白は何となく、教えられたような気持がした。

「<ruby><rb>不味</rb><rt>まず</rt></ruby>い物ばかり食っていると、肉放れがして痩せてしまう。<ruby><rb>美味</rb><rt>うまい</rt></ruby>物を食え美味物を」

こう口では云いながら、<ruby><rb>稗</rb><rt>ひえ</rt></ruby>だの<ruby><rb>粟</rb><rt>あわ</rt></ruby>だの<ruby><rb>黍</rb><rt>きび</rt></ruby>だのを、東巖子は平気で食うのであった。

「綺麗な<ruby><rb>衣裳</rb><rt>きもの</rt></ruby>を着るがいい。そうでないと<ruby><rb>他人</rb><rt>ひと</rt></ruby>に馬鹿にされる」

こう云いながら東巖子は、一年を通して<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">たった</span>一枚の、穢い道服を着通すのであった。

「出世をしろよ、出世をしろよ、いい主人を目つけてな」

こう云いながら東巖子は、山から出ようとはしないのであった。

彼は言行不一致であった。

それがかえって偉かった。

彼は盛んに逆理を用いた。

李白は次第に感化された。<ruby><rb>倜儻不羈</rb><rt>てきとうふき</rt></ruby>の精神が、軽快洒脱の精神に変った。

ある日突然東巖子が云った。

「お前は山川をどう思うな？」

「山は土の盛り上ったもの、川は水の流れるもの、私にはこんなように思われます」

「さあさあお前は卒業した。山を出て世の中へ行くがいい」

――で、翌日<ruby><rb>岷山</rb><rt>みんざん</rt></ruby>を出た。

３

開元十二年のことであった。

李白は出でて<ruby><rb>襄漢</rb><rt>じょうかん</rt></ruby>に遊んだ。まず南<ruby><rb>洞庭</rb><rt>どうてい</rt></ruby>に行き、<ruby><rb>西金陵</rb><rt>にしきんりょう</rt></ruby><ruby><rb>揚</rb><rt>よう</rt></ruby>州に至り、さらに<ruby><rb>汝海</rb><rt>じょかい</rt></ruby>に客となった。それから帰って<ruby><rb>雲夢</rb><rt>うんぽう</rt></ruby>に憩った。

この時彼は結婚した。妻は<ruby><rb>許相公</rb><rt>きょそうこう</rt></ruby>の孫娘であった。

数年間同棲した。

さらに開元二十三年、<ruby><rb>太原</rb><rt>たいげん</rt></ruby>方面に悠遊した。

<ruby><rb>哥舒翰</rb><rt>かじょかん</rt></ruby>などと酒を飲んだ。

また<ruby><rb>譙郡</rb><rt>しょうぐん</rt></ruby>の<ruby><rb>元参軍</rb><rt>げんさんぐん</rt></ruby>などと、美妓を携えて<ruby><rb>晋祠</rb><rt>しんし</rt></ruby>などに遊んだ。

やがて去って<ruby><rb>斉魯</rb><rt>せいろ</rt></ruby>へ行き、<ruby><rb>任城</rb><rt>にんじょう</rt></ruby>という所へ家を持った。<ruby><rb>孔巣父</rb><rt>こうそうほ</rt></ruby>、<ruby><rb>裴政</rb><rt>はいせい</rt></ruby>、<ruby><rb>張叔明</rb><rt>ちょうしゅくめい</rt></ruby>、<ruby><rb>陶沔</rb><rt>とうべん</rt></ruby>、<ruby><rb>韓準</rb><rt>かんじゅん</rt></ruby>というような人と、<ruby><rb>徂徠山</rb><rt>そらいざん</rt></ruby>に集って酒を飲み、竹渓の六逸と自称したりした。

こうして<ruby><rb>天宝</rb><rt>てんほう</rt></ruby>元年となった。

この時李白四十二歳、詩藻全く熟しきっていた。

<ruby><rb>会稽</rb><rt>かいけい</rt></ruby>の方へ出かけて行った。

<ruby><rb>剡中</rb><rt>えんちゅう</rt></ruby>に<ruby><rb>呉筠</rb><rt>ごいん</rt></ruby>という道士がいた。

二人は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひどく</span>ウマが合った。共同生活をやることにした。

<ruby><rb>東巖子</rb><rt>とうがんし</rt></ruby>に比べると呉筠の方は、ちょっと俗物の所があった。それだけにその名は喧伝されていた。

時の皇帝は玄宗であった。

「剡中の呉筠を見たいものだ」

こんなことを侍臣に洩らした。

呉筠の許へ勅使が立った。

出て行かなければならなかった。

「おい、お前も一緒に行きな」

「うん、よし来た、一緒に行こう」

李白は早速行くことにした。

やがて二人は長安へ着いた。

長安で<ruby><rb>賀知章</rb><rt>がちしょう</rt></ruby>と懇意になった。

賀知章は李白を一見すると、驚いたようにこう云った。

「君は人間なのか仙人なのか？」

「どうもね、やはり人間らしい」

「仙人が誤って人間になると、君のような風采になるだろう。君は<ruby><rb>謫</rb><rt>たく</rt></ruby>せられた仙人だよ」

「まあさ、見てくれ、謫仙人の詩を」

李白は旧稿を取り出して見せた。

賀知章は<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">すっかり</span>参ってしまった。

「素晴らしい物を作りゃアがる。こいつちょっと人間業じゃアねえ。君のような人間に出られると、僕の人気なんかガタ落ちだ。だがマアマア結構なことだ。御世万歳、文運隆盛、大いに友達に紹介しよう」

「話せる奴でもいるのかい？」

「杜甫という奴がちょっと話せる」

「聞かないね、そんな野郎は」

「だが会って見な、面白い奴だ。だが<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ちっと</span>ばかり神経質だ」

「そんな野郎は嫌いだよ」

「まあまあそういわずに会って見なよ。君とは話が合うかもしれない。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひょっとか</span>すると好敵手かもしれない」

「<ruby><rb>幾歳</rb><rt>いくつ</rt></ruby>ぐらいの野郎だい？」

「そうさな、君よりは十二ほど若い」

「面白くもねえ、青二才じゃアないか」

「止めたり止めたり食わず嫌いはな」

「どうも仕方がねえ、会うだけは会おう」

杜甫は名門の出であった。

<ruby><rb>左伝癖</rb><rt>さでんへき</rt></ruby>をもって称された、晋の杜預の後胤であった。曾祖の<ruby><rb>依芸</rb><rt>いげい</rt></ruby>は<ruby><rb>鞏県</rb><rt>きょうけん</rt></ruby>の令、祖父の<ruby><rb>審言</rb><rt>しんげん</rt></ruby>は膳部員外郎であった。審言は一流の大詩人で、<ruby><rb>沈佺期</rb><rt>ちんせんき</rt></ruby>、<ruby><rb>宋之門</rb><rt>そうしもん</rt></ruby>と名を争い、初唐の詩壇の花形であった。

父の<ruby><rb>閑</rb><rt>かん</rt></ruby>は<ruby><rb>奉天</rb><rt>ほうてん</rt></ruby>の令で、公平の人物として名高かった。

杜甫は随分傲慢であった。弱い癖に豪傑を気取り、不良青年の素質もあった。ひどく愛憎が劇しかった。それに肺病の初期でもあった。立身出世を心掛けた。その顔色は蒼白く、その唇は鉛色であった。いつもその唇を食いしばっていた。人を見る眼が物騒であった。相手の弱点を見透しては、喰い付いて行くぞというような、変に物騒な眼付であった。威嚇的な物の云い方をした。その癖すぐに泣事を云った。

決して<ruby><rb>感</rb><rt>かんじ</rt></ruby>のいい人間ではなかった。

体質から云えば貧血性であったが、気質から云えば多血質であった。

いつも不平ばかり洩らしていた。

だが意外にも義理堅く、他人の恩を強く感じた。

忠義心が深かった。

義理堅いのを<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のぞき</span>さえすれば、彼は実に完全に、近代芸術家型に嵌まった。

彼の幼時は不明であった。

が、彼の詩を信じてよいなら――又信じてもよいのであるが――七歳頃から詩作したらしい。

「往昔十四五、出デテ遊ブ<ruby><rb>翰墨</rb><rt>かんぼく</rt></ruby>場、<ruby><rb>斯文崔魏</rb><rt>しぶんさいぎ</rt></ruby>ノ徒、我ヲ以テ班揚ニ比ス、七齡思ヒ即チ壮、九齡大字ヲ書シ、作有ツテ一<ruby><rb>襄</rb><rt>のう</rt></ruby>ニ満ツ」

すなわちこれが証拠である。

「七歳ヨリ綴ル所ノ詩筆、四十<ruby><rb>載</rb><rt>さい</rt></ruby>、向フ<ruby><rb>矣</rb><rt>い</rt></ruby>、約千有余篇」

こんなことも書いてある。

開元十九年二十歳の時、呉越方面へ放浪した。

四年の間を放浪に暮らし、開元二十三年の頃、京兆の<ruby><rb>貢拳</rb><rt>こうきょ</rt></ruby>に応じたものである。

だが<ruby><rb>旨々</rb><rt>うまうま</rt></ruby>落第してしまった。

４

彼はすっかり落胆した。

奉天の父の許へ帰って行った。<ruby><rb>泰山</rb><rt>たいざん</rt></ruby>を望んで不平を洩らした。

二年の間ブラブラした。

それから<ruby><rb>斉</rb><rt>せい</rt></ruby>や<ruby><rb>趙</rb><rt>ちょう</rt></ruby>に遊んだ。

それから長安へ遣って来たのであった。

李白と杜甫との会見は、賀知章が心配したほどにもなく、非常に円滑に行なわれた。

会後李白が賀知章へ云った。

「彼は<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る人間臭い。それが又彼のよい所だ。詩人として当代第一」

また杜甫はこう云った。

「なるほどあの人は謫仙人だ。僕はすっかり面喰ってしまった。詩人としては第一流、とても僕など追っ付けそうもない」

互いに推重をしあったのであった。

<ruby><rb>李適之</rb><rt>りてきし</rt></ruby>、<ruby><rb>汝陽</rb><rt>じょよう</rt></ruby>、<ruby><rb>崔宗之</rb><rt>さいそうし</rt></ruby>、<ruby><rb>蘇晋</rb><rt>そしん</rt></ruby>、<ruby><rb>張旭</rb><rt>ちょうぎょく</rt></ruby>、<ruby><rb>賀知章</rb><rt>がちしょう</rt></ruby>、<ruby><rb>焦遂</rb><rt>しょうすい</rt></ruby>、それが杜甫と李白とを入れ、八人の団体が出来上ってしまった。

飲んで飲んで飲み廻った。

いわゆる飲中の八仙人であった。

酒はあんまりやらなかったが、一世の詩宗高適などとも、李白や杜甫は親しくした。

三人で吹台や琴台へ登り、<ruby><rb>各自</rb><rt>めいめい</rt></ruby>感慨に耽ったりした。

兩慨するのは杜甫であり、物を云わないのは高適であり、笑ってばかりいるのは李白であった。

高適の年五十歳、李白の年四十四歳、杜甫の年三十二歳であった。

だがこの時代は李太白が、誰よりも詩名が高かった。

玄宗皇帝が会いたいと云った。

で、李白は御前へ召された。

誰が李白を推薦したかは、今日に至っても疑問とされている。

ある人は道士呉筠だと云い、ある人は玉真公主だと云い、又ある人は賀知章だと云った。

すべて人間が出世すると、俺が推薦した俺が推薦したと、推薦争いをするものであるが、これも将しくその一例であった。

<ruby><rb>金鑾</rb><rt>きんらん</rt></ruby>殿という立派な御殿で、玄宗は李白を引見した。

帝、食を賜い、<ruby><rb>羹</rb><rt>あつもの</rt></ruby>を調し、詔あり<ruby><rb>翰林</rb><rt>かんりん</rt></ruby>に<ruby><rb>供奉</rb><rt>ぐぶ</rt></ruby>せしむ。――これがその時の光景であった。非常に優待されたことが、寸言の中に窺われるではないか。

彼は翰林供奉となっても、出勤しようとはしなかった。長安の旗亭に酒を飲み、いう所の管ばかりを巻いていた。

「李白に会いたいと思ったら、長安中の旗亭を訪ね、一番酔っぱらっている人間に、話しかけるのが手取早い。間違いなくそれが李白なのだからな」

人々は互いにこんなことを云った。

その時唐の朝廷に一大事件が勃発した。

<ruby><rb>渤海</rb><rt>ぼっかい</rt></ruby>国の使者が来て、国書を奉呈したのであった。

国書は渤海語で書かれてあった。満廷読むことが出来なかった。

玄宗皇帝は怒ってしまった。

「蕃書を読むことが出来なければ、返事をすることが出来ないではないか。渤海の奴らに笑われるだろう。<ruby><rb>彼奴</rb><rt>きゃつ</rt></ruby>ら兵を起こすかもしれない。国境を犯すに相違ない。誰か読め誰か読め！」

百官戦慄して言なし<ruby><rb>矣</rb><rt>い</rt></ruby>であった。

そこへ<ruby><rb>遣</rb><rt>や</rt></ruby>って来たのが李白であった。

飄々<ruby><rb>乎</rb><rt>こ</rt></ruby>として遣って来た。

「おお李白か、いい所へ来た。……お前、渤海語が<ruby><rb>解</rb><rt>わか</rt></ruby>るかな？」

「私、日本語でも解ります。まして謂んや渤海語など」

「それは有難い。これを読んでくれ」

渤海の国書を突き出した。

李白は一通り眼を通した。

「では唐音に訳しましょう」

そこで彼は声高く読んだ。

「渤海<ruby><rb>奇毒</rb><rt>きどく</rt></ruby>の書、唐朝官家に達す。<ruby><rb>爾</rb><rt>なんじ</rt></ruby>、<ruby><rb>高麗</rb><rt>こうらい</rt></ruby>を占領せしより、吾国の近辺に迫り、兵<ruby><rb>屡</rb><rt>しばしば</rt></ruby>吾<ruby><rb>界</rb><rt>さかい</rt></ruby>を犯す。おもうに官家の意に出でむ。<ruby><rb>俺</rb><rt>われ</rt></ruby><ruby><rb>如今</rb><rt>じょこん</rt></ruby><ruby><rb>耐</rb><rt>た</rt></ruby>うべからず。官を差し来り講じ、高麗一百七十六城を<ruby><rb>将</rb><rt>もっ</rt></ruby>て、俺に讓与せよ。俺好物事あり、相送らむ。太白山の兎、南海の昆布、柵城の鼓、<ruby><rb>扶余</rb><rt>ふよ</rt></ruby>の鹿、<ruby><rb>鄭頡</rb><rt>ていきつ</rt></ruby>の豚、<ruby><rb>率賓</rb><rt>そつびん</rt></ruby>の馬、<ruby><rb>沃州綿</rb><rt>ようしゅうめん</rt></ruby>、<ruby><rb>湄泌河</rb><rt>びんひつが</rt></ruby>の鮒、九都の杏、<ruby><rb>楽遊</rb><rt>がくゆう</rt></ruby>の梨、爾、官家すべて分あり。<ruby><rb>若</rb><rt>も</rt></ruby>し高麗を<ruby><rb>還</rb><rt>かえ</rt></ruby>すことを肯んぜずば、俺、兵を起こし来たって厮殺せむ。<ruby><rb>且</rb><rt>か</rt></ruby>つ<ruby><rb>那家</rb><rt>いずれ</rt></ruby>が勝敗するかを看よ」

皇帝はじめ文武百官は、すっかり顔色を変えてしまった。

「いま辺境に騒がせられては、ちょっと防ぐに策はない。一体どうしたらいいだろう」

風流皇帝の顔色には、憂が深く織り込まれた。

誰一人献策する者がなかった。

５

すると李白が笑いながら云った。

「文章で<ruby><rb>嚇</rb><rt>おど</rt></ruby>して来たのです、文章で嚇して帰しましょう。蕃使をお招きなさりませ、私、面前で蕃書を認め、嚇しつけてやることに致します」

翌日蕃使を入朝せしめた。

皇帝を真中に顯官が竝んだ。

<ruby><rb>紗帽</rb><rt>さぼう</rt></ruby>を冠り、<ruby><rb>白紫衣</rb><rt>はくしい</rt></ruby>を着け、飄々と李白が現われた。勿論微醺を帯びていた。

座に<ruby><rb>就</rb><rt>つ</rt></ruby>くと筆を握り、一揮して蕃書を完成した。

まず唐音で読み上げた。

「大唐天宝皇帝、渤海の奇毒に詔諭す。むかしより石卵は敵せず、蛇龍は闘わず。本朝運に応じ、天を開き四海を撫有し、将は勇、卒は精、甲は堅、兵は鋭なり。<ruby><rb>頡利</rb><rt>きつり</rt></ruby>は盟に背いて<ruby><rb>擒</rb><rt>とりこ</rt></ruby>にせられ、<ruby><rb>普賛</rb><rt>ふさん</rt></ruby>は鵞を鑄って誓を入れ、<ruby><rb>新羅</rb><rt>しらぎ</rt></ruby>は繊錦の頌を奏し、<ruby><rb>天竺</rb><rt>てんじく</rt></ruby>は能言の鳥を致し、<ruby><rb>沈斯</rb><rt>ちんし</rt></ruby>は捕鼠の蛇を献じ、<ruby><rb>払林</rb><rt>ふつりん</rt></ruby>は曳馬の狗を進め、白鸚鵡は<ruby><rb>訶陵</rb><rt>かりょう</rt></ruby>より来り、夜光珠は<ruby><rb>林邑</rb><rt>りんゆう</rt></ruby>より貢し、<ruby><rb>骨利幹</rb><rt>こつりかん</rt></ruby>に名馬の納あり、<ruby><rb>沈婆羅</rb><rt>ちんばら</rt></ruby>に良酢の献あり。威を畏れ徳に<ruby><rb>懐</rb><rt>なず</rt></ruby>き、静を買い安を求めざるなし、高麗命を<ruby><rb>拒</rb><rt>ふせ</rt></ruby>ぎ、天討再び加う。伝世百一朝にして殄滅す。<ruby><rb>豈</rb><rt>あ</rt></ruby>に逆天の咎徴、衝大の明鑒に非ずや。<ruby><rb>況</rb><rt>いわん</rt></ruby>や爾は海外の小邦、高麗の附国、之を中国に比すれば一郡のみ。士馬芻糧万分に過ぎず。螳怒是れ<ruby><rb>逞</rb><rt>たくまし</rt></ruby>うし、鵝驕不遜なるが<ruby><rb>若</rb><rt>ごと</rt></ruby>きだに及ばず。天兵一下、千里流血、君は頡利の<ruby><rb>俘</rb><rt>とりこ</rt></ruby>に同じく、国は高麗の続とならむ。方今聖度汪洋、爾が狂悖を恕す。急に宣しく過を悔い、歳事を勤修し、誅戮を取りて四<ruby><rb>夷</rb><rt>い</rt></ruby>の笑となる<ruby><rb>毋</rb><rt>なか</rt></ruby>れ。爾其れ三思せよ。故に諭す」

実にどうどうたるものであった。

皇帝はすっかり喜んでしまった。

そこで李白は階を下り、蕃使の前へ出て行った。文字通り蕃音で読み上げた。

蕃使面色土のごとく、山呼拝舞し退いたというが、これはありそうなことである。

奇毒、すなわち渤海の王も、驚愕来帰したということである。

「俺は長安の酒にも飽きた」

で、李白は<ruby><rb>暇</rb><rt>いとま</rt></ruby>を乞うた。

皇帝は金を李白に賜った。

李白の放浪は始まった。北は<ruby><rb>趙</rb><rt>ちょう</rt></ruby><ruby><rb>魏</rb><rt>ぎ</rt></ruby><ruby><rb>燕</rb><rt>えん</rt></ruby><ruby><rb>晋</rb><rt>しん</rt></ruby>から、西は<ruby><rb>￼岐</rb><rt>ぶんき</rt></ruby>まで足を延ばした。<ruby><rb>商於</rb><rt>しょうお</rt></ruby>を<ruby><rb>歴</rb><rt>へ</rt></ruby>て洛陽に至った。南は<ruby><rb>淮泗</rb><rt>わいし</rt></ruby>から<ruby><rb>会稽</rb><rt>かいけい</rt></ruby>に入り、時に<ruby><rb>魯中</rb><rt>ろちゅう</rt></ruby>に家を持ったりした。斉や魯の間を往来した。梁宋には永く滞在した。

<ruby><rb>天宝</rb><rt>てんほう</rt></ruby>十三年広陵に遊び、王屋山人<ruby><rb>魏万</rb><rt>ぎまん</rt></ruby>と遇い、舟を浮かべて<ruby><rb>秦淮</rb><rt>しんわい</rt></ruby>へ入ったり、金陵の方へ行ったりした。

魏万と別れて<ruby><rb>宣城</rb><rt>せんじょう</rt></ruby>へも行った。

こうして天宝十四年になった。

ひっくり返るような事件が起こった。

安祿山が叛したのであった。

十二月洛陽を陥いれた。

天宝十五年玄宗皇帝は、長安を豪塵して蜀に入った。

李白の身辺も危険であった。宣城から漂陽にゆき、更に<ruby><rb>剡中</rb><rt>えんちゅう</rt></ruby>に行き廬山に入った。

玄宋皇帝の十六番目の子、永王というのは野心家であったが、李白の才を非常に愛し、進めて自分の幕僚にした。

安祿山と呼応して、永王は叛旗を飜えした。弟の<ruby><rb>襄成王</rb><rt>じょうせいおう</rt></ruby>と<ruby><rb>舟師</rb><rt>しゅうし</rt></ruby>を率い、<ruby><rb>江淮</rb><rt>こうわい</rt></ruby>に向かって東下した。

李白は素敵に愉快だった。

「うん、天下は廻り持ちだ。天子になれないものでもない」

こんな事を考えた。

詩人特有の白昼夢とも云えれば、<ruby><rb>倜儻不羈</rb><rt>てきとうふき</rt></ruby>の本性が、仙骨を破って迸しったとも云えた。

意気<ruby><rb>頗</rb><rt>すこぶ</rt></ruby>る軒昂であった。自分を<ruby><rb>安石</rb><rt>あんせき</rt></ruby>に譬えたりした。二十歳代に人を斬った、その李白の真骨頭が、この時躍如としておどり出たのであった。

「三川北虜乱レテ麻ノ如シ、四海<ruby><rb>南奔</rb><rt>なんぽん</rt></ruby>シテ永嘉ニ似タリ、但東山ノ<ruby><rb>謝安石</rb><rt>しゃあんせき</rt></ruby>ヲ用ヒヨ、君ガ為メ談笑シテ<ruby><rb>胡沙</rb><rt>こさ</rt></ruby>ヲ静メン」

などとウンと威張ったりした。

「試ミニ君王ノ<ruby><rb>玉馬鞭</rb><rt>ぎょくばべん</rt></ruby>ヲ借リ、<ruby><rb>戎虜</rb><rt>じゅうりょ</rt></ruby>ヲ指揮シテ<ruby><rb>瓊筵</rb><rt>けいえん</rt></ruby>ニ坐ス、南風一掃<ruby><rb>胡塵</rb><rt>こじん</rt></ruby>静ニ、西長安ニ入ッテ日延ニ到ル」

凱旋の日を空想したりした。

ところが河南の招討判官、<ruby><rb>李銑</rb><rt>りせん</rt></ruby>というのが広陵に居た。永王の舟師を迎え討った。

永王軍は脆く破れた。

永王は<ruby><rb>箭</rb><rt>や</rt></ruby>に<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>って捕えられ、ある寒駅で斬殺された。そうして弟の襄成王は、乱兵の兇刄に<ruby><rb>斃</rb><rt>たお</rt></ruby>された。

李白は逃げて豊沢に隠れたが、目つかって牢屋へ<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぶち</span>込まれた。

「どうも<ruby><rb>不可</rb><rt>いけ</rt></ruby>ねえ、夢だったよ」

憮然として彼は呟いた。

「兵を指揮するということは、韻を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふむ</span>よりむずかしい。そうすると俺より安石の方が、人殺しとしては偉いらしい。もう君王の玉馬鞭なんか、仮にも空想しないことにしよう……。<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ひょっとか</span>すると殺されるかもしれねえ。何と云っても謀反人だからなあ、もう一度<ruby><rb>洞庭</rb><rt>どうてい</rt></ruby>へ行って見たいものだ。松江の<ruby><rb>鱸</rb><rt>すずき</rt></ruby>を食ってみたい。女房や子供はどうしたかな？　幾人女房があったかしら？　あっ、そうだ、四人あったはずだ」

李白はちょっと感傷的になった。

無理もないことだ、五十七歳であった。

李白は皆に好かれていた。

新皇帝<ruby><rb>粛宗</rb><rt>しゅくそう</rt></ruby>に向かって、いろいろの人が命乞いをした。

<ruby><rb>宣慰大使</rb><rt>せんいたいし</rt></ruby><ruby><rb>崔渙</rb><rt>さいかん</rt></ruby>や、<ruby><rb>御史中丞</rb><rt>ぎょしちゅうじょう</rt></ruby><ruby><rb>宋若思</rb><rt>そうじゃくし</rt></ruby>や、武勲赫々たる<ruby><rb>郭子儀</rb><rt>かくしぎ</rt></ruby>などは、その最たるものであった。

そこで李白は死を許され、夜郎へ流されることになった。

道々洞庭や三峡や、<ruby><rb>巫山</rb><rt>ふざん</rt></ruby>などで悠遊した。

李白はあくまでも李白であった。<ruby><rb>竄逐</rb><rt>さんつい</rt></ruby>されても悲しまなかった。いや一層仙人じみて来た。人間社会の功業なるものが全然自分に向かないことを、今度の事件で知ってからは、人間社会その物をまで、無視するようになってしまった。

<ruby><rb>乾元</rb><rt>かんげん</rt></ruby>二年に大赦があった。

まだ夜郎へ行き着かない中に、李白は罪を許された。

そこで江夏岳陽に憩い、それから<ruby><rb>潯陽</rb><rt>じんよう</rt></ruby>へ行き金陵へ行った。この頃李白は六十一歳であった。また宣城や歴陽へも行った。

あっちこっち歩き廻った。

到る所で借金をした。九割までは酒代であった。

<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">のべつ</span>に客が集まって来た。

やがて宝応元年になった。

ある県令に招かれて、釆石江で舟遊びをした。

すばらしく派手やかな宮錦袍を着、明月に向かって酒気を吐いた。

波がピチャピチャと船縁を叩いた。

十一月の月が水に映った。

「ひとつ、あの月を捕えてやろう」

人の止めるのを振り払い、李白は水の中へ下りて行った。

水は随分冷たかった。

彼の考えはにわかに変わった。

どう変わったかは解らない。

李白は水中をズンズン歩いた。

やがて姿が見えなくなった。

それっきり人の世へ現われなかった。

「李白らしい死に方だ」

人々は愉快そうに手を拍った。

<ruby><rb>東巖子</rb><rt>とうがんし</rt></ruby>は<ruby><rb>岷山</rb><rt>みんざん</rt></ruby>にいた。

相変わらず小鳥の糞に<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">まみれ</span>、相変らず<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぼんやり</span>と暮らしていた。

ある日薄穢い老人が、東巖子を訪れて来た。

「先生しばらくでございます」

「誰だったかね、見忘れてしまった」

老人は黙って優しく笑った。

なるほどまさしく薄穢くはあったが、底に玲瓏たる品位があった。人間界のものであり、同時に神仙のものである、完成されたる品位であった。

で、東巖子は思わず云った。

「おお<ruby><rb>貴郎</rb><rt>あなた</rt></ruby>は老子様で？」

「いえ私は李白ですよ」

「いえ貴郎は老子様です」

東巖子は云い張った。

「どうぞ上座へお直り下さい」

李白は平気で上座へ直った。

数百羽の小鳥が飛んで来た。音を立てて庵の中へ入った。

そうして東巖子の頭や肩へ……いや小鳥は東巖子へは行かずに、李白の頭や肩へ止まった。すぐに李白は糞まみれになった。

今でも岷山のどの辺りかに、李白とそうして東巖子とが、小鳥を相手に<ruby><rb>日向</rb><rt>ひなた</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ぼっこ</span>をして、住んでいる事は確かである。