１

「宿をお求めではござらぬかな、もし宿をお求めなら、よい宿をお<ruby><rb>世話</rb><rt>せわ</rt></ruby>いたしましょう」

こう云って声をかけたのは、六十歳ぐらいの老人で、眼の鋭い唇の薄い、頬のこけた顔を持っていた。それでいて不思議に品位があった。

「さよう宿を求めて居ります。よい宿がござらばお世話下され」

こう云って足を止めたのは、三十二三の若い武士で、旅装いに身をかためていた。くくり袴、武者<ruby><rb>草鞋</rb><rt>わらじ</rt></ruby>、右の肩から左の脇へ、包を<ruby><rb>斜</rb><rt>ななめ</rt></ruby>に<ruby><rb>背負</rb><rt>しょ</rt></ruby>っていた。手には鉄扇をたずさえている。深く編笠をかむっているので、その容貌は<ruby><rb>解</rb><rt>わか</rt></ruby>らなかったが、体に品もあれば威もあった。武術か兵法かそういうものを、諸国を巡って達人に<ruby><rb>従</rb><rt>つ</rt></ruby>き、極めようとしている遊歴武士、――といったような姿であった。

「よろしいそれではお世話しましょう。ここは京の<ruby><rb>室町</rb><rt>むろまち</rt></ruby>で、これを南へ<ruby><rb>執</rb><rt>と</rt></ruby>って行けば、<ruby><rb>今出</rb><rt>いまで</rt></ruby>川の通りへ出る。そこを今度は東へ参る。すると北<ruby><rb>小路</rb><rt>こうじ</rt></ruby>の通りへ出る。それを出はずれると<ruby><rb>管領</rb><rt>かんりょう</rt></ruby>ヶ原で、その原の一所に館がござる。その館へ参ってお泊りなされ。和田の翁より<ruby><rb>承</rb><rt>うけたま</rt></ruby>わったと、このように申せば喜んで泊めよう。さあさあおいで、行ってお泊り」

云いすてると老人は腰を延ばし、突いていた<ruby><rb>寒竹</rb><rt>かんちく</rt></ruby>の鞭のような杖を、振るようにして歩み去った。

若い武士は唖然としたようであった。

時は<ruby><rb>文明</rb><rt>ぶんめい</rt></ruby>五年であり、応仁の大乱が始まって以来、七年を経た時であり、京都の町々は兵火にかかり、その大半は<ruby><rb>烏有</rb><rt>うゆう</rt></ruby>に帰し、残った家々も大破し、没落し、旅舎というようなものもなく、有ってもみすぼらしいものであった。若武士が京の町へ足を入れたのは、たった今しがたのことであり、時刻はすでに夕暮であり、事実さっきからよい宿はないかと、それとなく探していたところであった。で、老人に呼び止められ、今のように宿を世話されたことは、有難いことには相違なかったが、それにしても老人の世話のしかたが、あまりにも唐突であったので、そこで唖然としたのであった。唖然としたが、それがために、老人の好意を無にしたり、老人の言葉を疑うような、そんな卑屈な量見を、その若武士は持っていないと見えて、云われたままの道を辿り、云われたままの館の前に立った。

さてここは館の前である。

もうこの時は初夜であって、遅い月はまだ出ていなかった。

で、細かい館の様子は、ほとんど見ることが出来なかったが、<ruby><rb>桧皮葺</rb><rt>ひはだぶき</rt></ruby>の門は傾き、門内に植えられた樹木の枝葉が、森のように繁っていた。取り廻された<ruby><rb>築地</rb><rt>ついじ</rt></ruby>も崩れ、犬など自由に出入り出来そうであった。旅宿といったような造りではなかった。

（これは変だな）と思ったものの、そのことがかえって若い武士の、好奇の心をそそったらしく、立ち去らせる代わりに門を叩かせた。

と、叩いた手に連れて、門が自ずと少し開いた。

（不用心のことだ）と思いながら、若武士は門内へ入って行った。鬱々と繁っている庭木の奥に、いかめしい書院造りの館が立っていた。<ruby><rb>桁行</rb><rt>けたゆき</rt></ruby>二十間、<ruby><rb>梁間</rb><rt>はりま</rt></ruby>十五間、切妻造り、<ruby><rb>柿葺</rb><rt>こけらぶき</rt></ruby>の、格に嵌まった堂々たる館で、まさしく貴族の住居であるべく、誰の眼にも見て取れた。しかし凄じいまでに荒れていて、階段まで雑草が延びていた。

<ruby><rb>森閑</rb><rt>しん</rt></ruby>として人気もない。勿論<ruby><rb>燈火</rb><rt>ともしび</rt></ruby>も洩れて来ない。何となく鬼気さえ催すのであった。しかし応仁の大乱は、京都の市街を戦場とした、市街戦であったので、この種の荒れ果てた館などは、どこへ行っても数多くあり、珍しいものではなかったので、若武士は躊躇しなかった。

「ご免下され、お取次頼む」

こう高声で<ruby><rb>呼</rb><rt>よば</rt></ruby>わった。が、返辞は来なかった。そこで若武士はさらに呼んだ。三度四度呼んで見た。が、依然として返辞はなかった。

「やれやれ」と若武士は<ruby><rb>呟</rb><rt>つぶや</rt></ruby>いた。

「これはどうやら無住の館らしい。とするとどうしてあの老人は、こんな所を世話したのであろう？」

これからどうしようかと考えた。足も<ruby><rb>疲労</rb><rt>つかれ</rt></ruby>ていたし気も疲労ていた。で、無住の館なら、誰にも遠慮することもない。ともかくもしばらく休息して行こう。こう考えて玄関を上った。二ノ間一ノ間を打ち通り、奥の間へ来て佇んだ。燈火のない屋内は、ひたすらに暗く何も見えなかった。

そこで若武士は膝を揃えて坐った。疲労た足を癒すには、端坐するのがよいからであった。

２

こうしてしばらく時が経った。と、その時裏庭の方から、清らかな若い女の声で、今様めいた歌をうたう、歌の声が聞こえてきた。

（はてな？）と若武士は耳を澄ました。

〽荒れし都の古館、見れば昔ぞ忍ばるる、<ruby><rb>蓬</rb><rt>よもぎ</rt></ruby>が原に露しげく、啼くは<ruby><rb>鶉</rb><rt>うずら</rt></ruby>か憐れなり

それはこういう歌であった。若武士は当然意外に感じた。

（このような荒れ果てた館の庭で、歌をうたう女があろうとは？　さては無住ではなかったのか？）

で若武士は立ち上り、部屋を出て縁へ立った。星明りの下に見えたのは、荒れた館にふさわしく、これも荒れ果てた裏庭で、雑草は延びて<ruby><rb>丈</rb><rt>じょう</rt></ruby>にも達し、庭木は形も<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">しどろ</span>に繁って、自然の姿を呈して居り、昔は数奇を<ruby><rb>谷</rb><rt>きわ</rt></ruby>めたらしい、築山、泉水、石橋、亭、そういうものは布置においてこそ、造庭術の<ruby><rb>蘊奥</rb><rt>うんおう</rt></ruby>を谷めて、在る所に厳として存在していたが、しかしいずれも壊れ損じ、いたましい<ruby><rb>態</rb><rt>ざま</rt></ruby>を見せていた。

と、<ruby><rb>白衣</rb><rt>びゃくえ</rt></ruby>の丈の高い女が、水のない泉水の岸のほとりを、築山の方へ歩いていた。

（あれだな）と若武士は突嗟に思い、少し<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">はしたなく</span>は思ったが、そこに<ruby><rb>穿物</rb><rt>はきもの</rt></ruby>がなかったので、<ruby><rb>跣足</rb><rt>はだし</rt></ruby>のままで庭へ下り、驚かせたら逃げるかもしれない、こう何となく思われたので、物の陰から物の陰を伝い、女の方へ近寄って行った。しかし泉水の岸のほとりまで、その若武士が行った時には、女の姿は見えなかった。

（<ruby><rb>築山</rb><rt>つきやま</rt></ruby>の向こうへでも行ったのであろうか）と思って若武士は先へ進んだ。

と、突然老人の声が、築山の方から聞こえてきた。

「参るぞーッ」という声であった。

途端に烈しい<ruby><rb>弦音</rb><rt>つるおと</rt></ruby>がした。

「うん！」

気合だ！　気合をかけて、若武士は持っていた鉄扇で、空をパッと一揮した。<ruby><rb>足下</rb><rt>あしもと</rt></ruby>に落ちたものがある。<ruby><rb>平題</rb><rt>いたつき</rt></ruby>の<ruby><rb>箭</rb><rt>や</rt></ruby>であった。

「お見事！」と女の声が聞こえた。築山の方から聞こえたのである。

と、又老人の声がした。

「もう<ruby><rb>一條</rb><rt>ひとすじ</rt></ruby>参る、受けて見られい」

ふたたび烈しい弦音がした。

「うん」と全く同じ気合だ。気合をかけて若武士は、またも鉄扇を一揮した。連れて箭が足下へ叩き落とされた。

「お見事」と又も女の声がし、すぐに続いて問いかけた。

「<ruby><rb>弓箭</rb><rt>きゅうぜん</rt></ruby>の根元ご存知でござるか？」

「弓箭の根元は神代にござる」

言下に若武士はそう答えた。

「<ruby><rb>根</rb><rt>ね</rt></ruby>の国に赴きたまわんとして<ruby><rb>素盞嗚尊</rb><rt>すさのおのみこと</rt></ruby>、まず<ruby><rb>天照大神</rb><rt>あまてらすおおみかみ</rt></ruby>に、お別れ告げんと<ruby><rb>高天原</rb><rt>たかまがはら</rt></ruby>に参る。大神、尊を疑わせられ、<ruby><rb>千入</rb><rt>ちいり</rt></ruby>の<ruby><rb>靱</rb><rt>うつぼ</rt></ruby>を負い、<ruby><rb>五百入</rb><rt>いおいり</rt></ruby>の靱を附け、また臂に<ruby><rb>伊都之竹鞆</rb><rt>いつのたかとも</rt></ruby>を取り<ruby><rb>佩</rb><rt>は</rt></ruby>き、弓の腹を握り、振り立て振り立て立ち出で給うと、古事記に謹記まかりある。これ弓箭の根元でござる」

「さらに問い申す<ruby><rb>重籐</rb><rt>しげとう</rt></ruby>の弓は？」

「誓って将帥の用うべき品」

「うむ、しからば<ruby><rb>塗籠籐</rb><rt>ぬりごめどう</rt></ruby>は？」

「すなわち士卒の使う物」

「<ruby><rb>蒔絵</rb><rt>まきえ</rt></ruby>弓は？」

「<ruby><rb>儀仗</rb><rt>ぎじょう</rt></ruby>に用い」

「白木糸裏は？」

「軍陣に使用す」

「<ruby><rb>天晴</rb><rt>あっぱ</rt></ruby>れ！」と女の清らかな声が、築山の方からまた聞こえてきた。

「お若いに似合わず<ruby><rb>技巧</rb><rt>わざ</rt></ruby>ばかりでなく、学にも通じて居られますご様子、姓名をお聞かせ下されよ」

「伊賀の国の住人<ruby><rb>日置正次</rb><rt>へきまさつぐ</rt></ruby>、弓道の奥義極めようものと、諸国遍歴いたし居るもの。……ご息女のお名前お聞かせ下され」

すると代わって老人の声が、遮るように聞こえてきた。

「あいや、ご無用、まだ早うござる。……なるほど<ruby><rb>防身</rb><rt>うけみ</rt></ruby>は確かでござる。が果たして射術の方は？　……両様の<ruby><rb>態</rb><rt>たい</rt></ruby>定った暁、何も彼もお明しなさるがよろしい」

ここでにわかに手を拍つ音が、田楽の節を帯びて聞こえてきた。

「<ruby><rb>天王寺</rb><rt>てんおうじ</rt></ruby>の<ruby><rb>妖霊星</rb><rt>ようれいぼし</rt></ruby>！　天王寺の妖霊星！」

「見たか見たか妖霊星！」

女がそれに合わせて歌った。これも同じく手を拍っている。

「<ruby><rb>千早</rb><rt>ちはや</rt></ruby>は落ちたか、あら悲しや」

「悲しや落ちた、情なや」

「天王寺の妖霊星！」

「妖霊星、妖霊星！」

足拍子の音が聞こえてきた。

しかし次第に遠退いた。踊りながら築山の奥の方へ、二人揃って行ったようであった。

３

書院へ帰って来た日置正次は、あッとばかりに驚かされた。蒔絵の燭台に燈火がともり、<ruby><rb>食机</rb><rt>おしき</rt></ruby>の上に<ruby><rb>盆鉢</rb><rt>わんばち</rt></ruby>が並び、そこに馳走の数々が盛られ、首長の<ruby><rb>瓶子</rb><rt>へいし</rt></ruby>には酒が充たされ、大<ruby><rb>盞</rb><rt>さかづき</rt></ruby>が添えられてあり、それらの前に刺繍を施した<ruby><rb>茵</rb><rt>しとね</rt></ruby>が、<ruby><rb>重々</rb><rt>あつあつ</rt></ruby>と敷かれてあったからである。

「ほう」と正次は声を洩らした。

「これは一体どうしたことだ？」

しかし直ぐに感づいた。

（さっきの<ruby><rb>女性</rb><rt>にょしょう</rt></ruby>と老人とが、この館に住む人々で、その人々がこの身に対し、心尽くしをしたのであろう）

「<ruby><rb>忝</rb><rt>かたじ</rt></ruby>けのうござる、頂戴<ruby><rb>仕</rb><rt>つかまつ</rt></ruby>る」

どこにも人影は見えなかったが、いずれどこかでこっちの進退を、仔細に観察しているだろうと、こんなように考えられたところから、こうつつましく礼を云い、それから瓶子を取り上げて、酒を注ぎ盞を取った。で、悠々と酒を飲み、数々の料理に箸をつけた。その間も館内は寂然としていて、全く人の<ruby><rb>気勢</rb><rt>けはい</rt></ruby>はなく、人家に離れているところから、他に物音も聞こえなかった。充分に腹を養ったため、とみに正次は精気づき、心ものびのびと<ruby><rb>展</rb><rt>ひろ</rt></ruby>がって来た。で、のんびりと部屋を見廻した。

「ほう」とまたも正次は、思わず声を洩らしてしまった。

見れば<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>の床ノ間に、<ruby><rb>倍実</rb><rt>のぶさね</rt></ruby>筆の山水の軸が、大きくいっぱいに掛けられてあり、脇床の棚の上には<ruby><rb>帙</rb><rt>ちつ</rt></ruby>に入れられた、数巻の書が置かれてあり、万事正式の布置であって、驚くことはなかったが、ただ一つだけ床ノ間に、陰陽二張の大弓と、二十四條の<ruby><rb>箭</rb><rt>や</rt></ruby>を納めたところの、調度掛が置いてあったことが、正次の眼を驚かせた。しかも定紋は<ruby><rb>菊水</rb><rt>きくすい</rt></ruby>であった。

「ム――」と何がなしに正次は唸って、調度掛の前へいざり寄った。

その同じ夜のことであった。異装の武士の大衆が、京の町を小走っていた。人数は三十五人もあったが、いずれも一様に裸体であり、髪は散らして太い縄で、結び目を額に鉢巻し、同じく荒縄を腰に纏い、それへ<ruby><rb>赤鞏</rb><rt>あかざや</rt></ruby>の刀を差し、脚には黒の<ruby><rb>脛巾</rb><rt>はばき</rt></ruby>を穿き、しかも足は<ruby><rb>跣足</rb><rt>はだし</rt></ruby>であった。が、その中のは<ruby><rb>脛</rb><rt>すね</rt></ruby>へばかり、脛当をあてた者があり、又腕へばかり鉄と鎖の、<ruby><rb>籠手</rb><rt>こて</rt></ruby>を嵌めたものがあり、そうかと思うと腰へばかり、<ruby><rb>草摺</rb><rt>くさずり</rt></ruby>を纏った者があった。手に手に持っている獲物といえば、<ruby><rb>鉞</rb><rt>まさかり</rt></ruby>、斧、<ruby><rb>長柄</rb><rt>ながえ</rt></ruby>、弓、熊手、槍、棒などであった。先へ立った数人が<ruby><rb>松明</rb><rt>たいまつ</rt></ruby>を持ち、中央にいる二人の小男が、<ruby><rb>蛇味線</rb><rt>じゃみせん</rt></ruby>を<ruby><rb>撥</rb><rt>ばち</rt></ruby>で弾いていた。

頭領と見える四十五六の男は、さすがに黒革の鎧を着、<ruby><rb>鹿角</rb><rt>かづの</rt></ruby>を打った<ruby><rb>冑</rb><rt>かぶと</rt></ruby>を冠り、槍を小脇にかい込んでいた。

この一党は何物なのであろう？　いわば野武士と浪人者と、南朝の遺臣の<ruby><rb>団体</rb><rt>あつまり</rt></ruby>なのであった。応仁の大乱はじまって以来、近畿地方は云う迄もなく、諸国の大名小名の間に、栄枯盛衰が行なわれ、国を失った者、城を奪われた者が、枚挙に暇ないほど輩出した。その結果禄に離れた者が<ruby><rb>夥</rb><rt>おびただ</rt></ruby>しいまでに現われた。すなわち野武士浪人が、日本の国中に充ちたのである。それ以前から足利幕府に、伝統的に反抗し、機会さえあったら足利幕府に、一泡吹かせようと潜行的に、策動している南朝方の、多くの武士が諸方にあった。すなわち<ruby><rb>新田</rb><rt>にった</rt></ruby>の残党や、又、<ruby><rb>北畠</rb><rt>きたばたけ</rt></ruby>の残党や、<ruby><rb>楠氏</rb><rt>なんし</rt></ruby>の残党その者達である。で、そういう武士達は、時勢がだんだん逼塞し、生活苦が蔓延するに従い、個人で単独に行動していたのでは、<ruby><rb>強請</rb><rt>ごうせい</rt></ruby>、<ruby><rb>押借</rb><rt>おしがり</rt></ruby>というようなことが、思うように効果があがらなくなったのと、いうところの<ruby><rb>下剋上</rb><rt>げこくじょう</rt></ruby>――<ruby><rb>下級</rb><rt>した</rt></ruby>の者すなわち貧民達が、<ruby><rb>上流</rb><rt>うえ</rt></ruby>の者を凌ぎ侵しても、昔のようには非難されず、かえって正当と見られるような、そういう時勢となったので、そこで多数が団結し、何々党、何々組などと、そういう党名や組名をつけて、<ruby><rb>搢紳</rb><rt>しんしん</rt></ruby>の館や富豪の屋敷へ、押借りや強請に出かけて行くことを、生活の方便とするようになった。

ここへ行く一団もそれであって、「あばら組」という組であり、頭目は自分で南朝の遺臣、しかも楠氏の一族の、<ruby><rb>恩地左近</rb><rt>おんじさこん</rt></ruby>の後統である、恩地雉四郎であると称していたが、その点ばかりは疑わしかったが、剽悍の武士であることは、何らの疑いもないのであった。

この一団が傍若無人に、それほど夜も更けていないのに、京都の町をざわめきながら、小走りに走って行くのであった。

４

調度掛にかけてある<ruby><rb>弓箭</rb><rt>きゅうぜん</rt></ruby>を眺め、しばらく小首を傾けている、<ruby><rb>日置正次</rb><rt>へきまさつぐ</rt></ruby>の耳へ大勢の人声が、裏庭の方から聞こえてきたのは、それから間もなくのことであった。

（はてな？）と正次は耳を澄ました。大勢の人間が裏門を押し開け、庭内へ入って来たようであった。

不意に呼びかける声が聞こえてきた。

「お約束の日限と刻限とがただ今到来いたしてござる。恩地雉四郎お迎えに参った。いざ姫君お越し下され。お厭とあらば判官殿手写の『<ruby><rb>養由基</rb><rt>ようゆうき</rt></ruby>』をお譲り下されよ！」

濁みた兇暴の声であった。

すると書院の次の間から、――すなわち一ノ間から老人の声が、嘲笑うようにそれに答えた。

「雉四郎殿か、お迎えご苦労！　が、姫君には申して居られる、迎えにも応ぜず『養由基』もやらぬと。……雉四郎殿お立帰りなされ」

「黙れ！」と、雉四郎の怒声が聞こえた。

「それでは約束に背くというものだ」

「元々貴殿より姫君に対して、強請された難題でござる。背いたとて何の不義になろう」

「よろしい背け、がしかしだ、一旦思い込んだこの雉四郎、姫も奪うぞ『養由基』も取る！　それだけの覚悟、ついて居ろうな！」

すると老人の声が書院の方へ――正次の方へ呼びかけた。

「あいや客人、日置正次殿、我等必死のお願いでござる、貴殿の<ruby><rb>弓勢</rb><rt>ゆんぜい</rt></ruby>お示し下され！　寄せて参ったは、不頼の<ruby><rb>輩</rb><rt>ともがら</rt></ruby>、あばら組と申す<ruby><rb>奴原</rb><rt>やつばら</rt></ruby>、討ち取って仔細無き奴原でござる！」

「応」と云うと日置正次は、調度掛にかけてある陽の弓、七尺五寸、<ruby><rb>叢重籐</rb><rt>むらしげどう</rt></ruby>、その<ruby><rb>真中</rb><rt>まんなか</rt></ruby>をムズと握り、<ruby><rb>白磨箆鳴鏑</rb><rt>しろみがきべらなりかぶら</rt></ruby>の<ruby><rb>箭</rb><rt>や</rt></ruby>を掴むと、襖をあけて縁へ出た。

「寄せて来られた方々に申す。拙者は旅の武士でござって、今宵この館に宿を求めた者、従って貴殿方に恩怨はござらぬ。又この館の人々とも、たいして恩も<ruby><rb>誼</rb><rt>よしみ</rt></ruby>もござらぬ。がしかしながら見受けましたところ、貴殿方は大勢、しかのみならず、武器をたずさえて乱入された様子、しかるに館には婦人と老人、たった二人しかまかりあらぬ。しかも二人に頼まれてござる。味方するよう頼まれてござる。拙者も武士頼まれた以上、不甲斐なく後へは引けませぬ。……そこで箭一本参らせる。引かれればよし引かれぬとなら、次々に箭を参らせる」

云い終わると<ruby><rb>箭筈</rb><rt>やはず</rt></ruby>を弦に宛て、グーッとばかり引き絞った。狙いは衆人の先頭に立ち、槍を突き立て足を踏みひらき、鹿角打った冑をいただいている、その一党の頭目らしい――すなわち恩地雉四郎の、その冑の前立であった。弦ヲ<ruby><rb>控</rb><rt>ヒ</rt></ruby>クニ二法アリ、無名指ト中指ニテ大指ヲ圧シ、指頭ヲ弦ノ<ruby><rb>直堅</rb><rt>チヨクケン</rt></ruby>に当ツ！　<ruby><rb>之</rb><rt>コレ</rt></ruby>ヲ中国ノ射法ト<ruby><rb>謂</rb><rt>イ</rt></ruby>フ！　正次の射法はこれであった。満を持してしばらくもたせたが「<ruby><rb>曳</rb><rt>えい</rt></ruby>！」という矢声！　さながら裂帛！　同時に鷲鳥の嘯くような、鏑の鳴音響き渡ったが、<ruby><rb>源三位頼政</rb><rt>げんざんみよりまさ</rt></ruby><ruby><rb>鵺</rb><rt>ぬえ</rt></ruby>を射つや、<ruby><rb>鳴笛</rb><rt>めいてき</rt></ruby><ruby><rb>紫宸殿</rb><rt>ししんでん</rt></ruby>に充つとある、それにも劣らぬ凄まじい鳴音が、数町に響いて空を切った箭！　見よおりから空にかかった、遅い月に照らされて、見えていた恩地雉四郎の、鹿角の前立を中程から射切り、しかも<ruby><rb>箭勢</rb><rt>せんぜい</rt></ruby>弱らずに、遥かあなたに巡らされている、築土の塀に突き刺さった。

ド、ド、ド、ド――ッという足音がして、この<ruby><rb>弓勢</rb><rt>ゆんぜい</rt></ruby>に胆を冷やした、あばら組三十五人は、一度に後へ退いた。が、さすがに雉四郎ばかりは、一党の頭目であったので、逃げもせず立ったまま大音を上げた。

「やあ汝出過者め、無縁とあらば事を好まず、穏しく控えて居ればよいに、このあばら組に楯衝いて、箭を射かけるとは命知らずめ、問答無益、出た杭は打ち、遮る雑草は刈取らねばならぬ！　さあ方々おかえりなされ！　弓勢は確かに凄じくはござるが、狙いは未熟で恐るるところはござらぬ。冑の前立を<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">かつかつ</span>射落とし、眉間を外した<ruby><rb>技倆</rb><rt>うで</rt></ruby>で知れる！」

すると正次は嘲るように云った。

「雉四郎とやら愚千万、昔<ruby><rb>保元</rb><rt>ほうげん</rt></ruby>の合戦において、<ruby><rb>鎮西</rb><rt>ちんぜい</rt></ruby>八郎<ruby><rb>為朝</rb><rt>ためとも</rt></ruby>公、兄なる<ruby><rb>義朝</rb><rt>よしとも</rt></ruby>に弓は引いたが、兄なるが故に急所を避け、冑の星を射削りたる故事を、さてはご存知無いと見える。拙者先刻も申した通り、我と貴殿と恩怨ござらぬ、それゆえ<ruby><rb>故意</rb><rt>わざ</rt></ruby>と眉間を外し、前立の鹿角を射落としたのでござるぞ。それとも察せずに只今の過言、狙いは未熟とは片腹痛し、おお<ruby><rb>可々</rb><rt>よしよし</rt></ruby>ご所望ならば、二ノ箭にてお命いただこう。……参るゾーッ」と<ruby><rb>背後</rb><rt>うしろ</rt></ruby>を振り返り、床の間にある調度掛の箭を、抜き取ろうとして手を延ばした。

５

途端に箭が一條眼の前へ出された。

「いざ、これで、遊ばしませ」

「うむ」と思わず声を上げ、その箭を取ったが眼を据えて見た。その正次の眼の前に、――だから正次の背後横に、髪は垂髪、衣裳は緋綸子、白に菊水の模様を染めた、<ruby><rb>裲襠</rb><rt>うちかけ</rt></ruby>を羽織った二十一二の、<ruby><rb>臈</rb><rt>ろう</rt></ruby>たけた美女が端坐していた。

「<ruby><rb>貴女</rb><rt>きじょ</rt></ruby>は？」と正次は驚きながら訊ねた。訊ねながらも油断無く、<ruby><rb>弦</rb><rt>ゆみ</rt></ruby>に<ruby><rb>矢筈</rb><rt>やはず</rt></ruby>をパッチリと嵌め、脇構えに<ruby><rb>徐</rb><rt>おもむろ</rt></ruby>に<ruby><rb>弦</rb><rt>つる</rt></ruby>を引いた。

「この家の<ruby><rb>主人</rb><rt>あるじ</rt></ruby>にござります。……」

「では先刻の……<ruby><rb>今様</rb><rt>いまよう</rt></ruby>の歌主？」

云い云い八分通り弦を引き、

「ご姓名は？　……ご身分は？」

「楠氏の直統、<ruby><rb>光虎</rb><rt>みつとら</rt></ruby>の妹、<ruby><rb>篠</rb><rt>しの</rt></ruby>と申すが<ruby><rb>妾</rb><rt>わらわ</rt></ruby>にござります」

「おお楠氏の？　……さては名家……その由緒ある篠姫様が……」

ヒューッとその時数條の箭が、敵方よりこなたへ射かけられた。と、瞬間に正次の眼前、数尺の空で月光を刎ねて、宙に渦巻き光る物があった。

「おッ」――キリキリと弦を引き、さながら満月の形にしたが「おッ」とばかりに声を洩らし、正次は光り物の主を見た。一人の老人が小薙刀を、宙に渦巻かせて箭を払い落とし、今や八双に構えていた。

「や、貴殿は？　……」

「昼の程は失礼」

「うーむ、和田の翁でござるか」

「すなわち楠氏の一族にあたる和田<ruby><rb>新発意</rb><rt>しんぼち</rt></ruby>の正しい後胤、和田<ruby><rb>兵庫</rb><rt>ひょうご</rt></ruby>と申す者。……」

「しかも先刻築山の方より、拙者を目掛けて箭を射かけたる……」

「それとて貴殿の力倆<ruby><rb>如何</rb><rt>いか</rt></ruby>にと、失礼ながら試みました次第……」

「…………」

矢声は掛けなかった！　それだけに懸命！　切って放した正次の箭！　悲鳴！　<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>った！　足を空に、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">もんどり</span>討って倒れたのは、雉四郎の前に立ちふさがった、敵ながらも<ruby><rb>健気</rb><rt>けなげ</rt></ruby>の武士であった。

ワーッとどよめき崩れ引く敵！　しかも遥かに逃げのびながら、またもハラハラと箭を射かけた。と薙刀を渦巻かせ、和田兵庫は正次の前方、書院の縁の端に坐り、片膝をムックリと立てていた。

「いざ、三ノ箭！　遊ばしませ」

姫が差し出した三本目の箭を、素早く受けると日置正次、矢筈に弦を又もつがえ、グーッと引いて満を持した。

「その楠氏の姫君が、何故このような古館に？」

「<ruby><rb>洞院左衛門督信隆</rb><rt>とういんさえもんのすけのぶたか</rt></ruby>卿、妾の境遇をお憐れみ下され、長年の間この館に、かくまいお育て下されました。しかるに大乱はじまりまして、都は大半烏有に帰し、公卿方<ruby><rb>堂上人</rb><rt>どうじょうびと</rt></ruby><ruby><rb>上達部</rb><rt>かんだちめ</rt></ruby>、いずれその日の<ruby><rb>生活</rb><rt>たつき</rt></ruby>にも困り、縁をたよって九州方面の、大名豪族の領地へ参り、<ruby><rb>生活</rb><rt>くらし</rt></ruby>するようになりまして、わが洞院信隆卿にも、過ぐる年<ruby><rb>周防</rb><rt>すおう</rt></ruby>の大内家へ、下向されましてござります。その際妾にも参るようにと、<ruby><rb>懇</rb><rt>ねんごろ</rt></ruby>におすすめ下されましたが……」

「…………」

矢声は掛けなかった、充分に狙い、切って放した正次の箭！　<ruby><rb>中</rb><rt>あた</rt></ruby>って悲鳴、又も宙に、もんどり打って仆れた敵！　ワーッとどよめいて敵は引いたが、懲りずまた箭をハラハラと射かけた。

渦巻かせた兵庫の薙刀のために、箭は数條縁へ落ちた。

「四本目の箭、いざ遊ばせ！」

「うむ」と受け取り、そのままつがえ

「何故ご下向なされませなんだ」

「先祖<ruby><rb>正成</rb><rt>まさしげ</rt></ruby>より伝わりました、弓道の奥義書『<ruby><rb>養由基</rb><rt>ようゆうき</rt></ruby>』九州あたりへ参りましたら、伝える者はよもあるまい、都にて名ある武士に伝え、伝え終らば九州へと……」

「養由基？　ふうむ、名のみ聞いて、いまだ見たこともござらぬ兵書！　ははあそれをお持ちでござるか」

云い云い正次は、キリ、キリ、キリ、と弦をおもむろに引きしぼった。

「養由基一巻拙者の手に入らば、日頃念願の本朝弓道の、中興の事業も完成いたそうに。欲しゅうござるな！　欲しゅうござるな。……さてこの度は何奴を！」

満月に引いてグッと睨んだ。

６

自分の部下を目前において、二人まで射倒された雉四郎は、怒りで思慮を失ってしまった。箭に対して刀を構えようとはせず、持っていた槍を引きそばめ、衆の先頭へ走り出た。

「やあ<ruby><rb>汝</rb><rt>おのれ</rt></ruby>よくもよくも、我等の味方を箭先にかけ、二人までも射て取ったな。もはや許さぬ、槍を喰らって、この世をおさらば、往生遂げろ！」

叫びながら<ruby><rb>驀進</rb><rt>まっしぐら</rt></ruby>に、正次目掛けて走りかかった。

（いよいよ<ruby><rb>此奴</rb><rt>こやつ</rt></ruby>を！）と日置正次、引きしぼり保った十三<ruby><rb>束三伏</rb><rt>ぞくみつぶせ</rt></ruby>、<ruby><rb>柳葉</rb><rt>やなぎは</rt></ruby>の箭先に胸板を狙い、やや間近過ぎると思いながらも、<ruby><rb>兵</rb><rt>ひょう</rt></ruby><span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">ふっ</span>とばかり切って放した。

狙いあやまたず胸板を射抜き、<ruby><rb>本矧</rb><rt>もとはぎ</rt></ruby>までも貫いた。

末期の悲鳴、凄く残し、槍を落とすとドッと背後へ、雉四郎は仆れて死んだ。頭目を討たれたあばら組の余衆、競ってかかる勇気はなく、雉四郎の死骸さえ打ち捨て、ドーッと裏門からなだれ出た。

<ruby><rb>半刻</rb><rt>はんとき</rt></ruby>あまりも経った頃、正次と篠姫と和田兵庫とが、書院でつつましく話していた。正次の前には三宝に載せた「養由基」の一巻があった。姫から正次へ譲られたものである。「養由基」を譲るに足るような武士を、この館へ幾人となく誘い、弓道をこれまで試みたが、今日までふさわしい人物に逢わず、失望を重ねていたところ、今日になって貴殿とお逢いすることが出来た。「養由基」をお譲りする人物に、<span data-tei-rend="bouten 傍点 right" style="text-emphasis-style: filled sesame; text-emphasis-position: over right">うってつけ</span>に似つかわしい立派な貴殿に。――こういう意味の事を和田兵庫は云った。

「恩地雉四郎と申す男、決して<ruby><rb>妾</rb><rt>わらわ</rt></ruby>の一族では<ruby><rb>是無</rb><rt>これな</rt></ruby>く、赤松家の不頼の浪人であり、以前から妾に想いを懸け、『養由基』ともども奪い取ろうと、無礼にも心掛けて居りました悪漢、それをお討ち取り下されましたこと、有難きしあわせにござります。今日まで彼の<ruby><rb>要望</rb><rt>のぞみ</rt></ruby>を延ばし、切刃詰まった今日になって、<ruby><rb>貴郎</rb><rt>あなた</rt></ruby>様に討っていただきましたことも、ご縁があったからでござりましょう」

こういう意味のことを篠姫も云って、助けられたことを喜んだ。

「今後のご起居いかがなされます？」

こう正次は心配そうに訊いた。

「実は明日大内家より、迎いの人数参りますことに、とり定めある儀にござります。その人数に連れられまして、九州へ妾下向いたします。雉四郎の難題を今日まで、引き延ばして居りましたのもそれがためで、さらに今日一日を引き延ばし、明日になった時難を避け、立ち去る所存でござりました」

こう篠姫は微笑しながら云った。

「きわどい所でござりましたな、私も日中和田兵庫殿に、お目にかかる事出来ませなんだならば『養由基』のお譲りを受けるという、またとある<ruby><rb>可</rb><rt>べ</rt></ruby>くもない幸運に、外れるところでござりました」

「ご縁があったからでござります」

<ruby><rb>鶏</rb><rt>とり</rt></ruby>が啼いて明星が消え、朝がすがすがしく訪れて来た時、<ruby><rb>美々</rb><rt>びび</rt></ruby>しく着飾った武士達が多勢、立派な輿を二挺舁ぎ、この館を訪れた。大内家からの迎えであった。

「おさらば」「ご無事で」と別離の挨拶！

挨拶を交わせて名残惜しそうに篠姫とそうして和田兵庫とは、日置正次と立ち別れた。楠氏の正統篠姫は、翠華漾々平和の国、周防大内家へ行ったのである。

<ruby><rb>准南子</rb><rt>えなんじ</rt></ruby>ニ曰ク「<ruby><rb>養由基</rb><rt>ヨウユウキ</rt></ruby><ruby><rb>楊葉</rb><rt>ヨウヨウ</rt></ruby>ヲ射ル、百発百中、<ruby><rb>楚</rb><rt>ソ</rt></ruby>ノ<ruby><rb>恭王</rb><rt>キョウオウ</rt></ruby>猟シテ白猿ヲ見ル、樹ヲ<ruby><rb>遶</rb><rt>メグ</rt></ruby>ッテ<ruby><rb>箭</rb><rt>ヤ</rt></ruby>ヲ避ク、王、由基ニ命ジ之ヲ射シム、由基始メ弓ヲ調ベ矢ヲ<ruby><rb>矯</rb><rt>タ</rt></ruby>ム、猿<ruby><rb>乃</rb><rt>スナワ</rt></ruby>チ樹ヲ抱イテ<ruby><rb>号</rb><rt>サケ</rt></ruby>ブ」

それ程までに秀でた漢土弓道の大家、その養由基の射法の極意を、完全に記した『養由基』一巻、手写した人は大楠公であった。その養由基を譲り受けて以来、<ruby><rb>日置弾正正次</rb><rt>へきだんじょうまさつぐ</rt></ruby>は、故郷に帰って研鑽百練、日置流の一派を編み出した。これを本朝弓道の中祖、斯界の人々仰がぬ者なく、日置流より出て<ruby><rb>吉田</rb><rt>よしだ</rt></ruby>流あり、<ruby><rb>竹林</rb><rt>ちくりん</rt></ruby>派、<ruby><rb>雪荷</rb><rt>せっか</rt></ruby>派、<ruby><rb>出雲</rb><rt>いづも</rt></ruby>派あり、下って<ruby><rb>左近右衛門</rb><rt>さこんえもん</rt></ruby>派あり、<ruby><rb>大蔵</rb><rt>おおくら</rt></ruby>派、<ruby><rb>印西</rb><rt>いんざい</rt></ruby>派、ことごとく日置流より出て居るという。